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一番正しい究極の教え


1 :2017/10/22 〜 最終レス :2019/06/08
一番正しい究極の教えとは。

2 :
イエスの教え

3 :
太陽☀

4 :
>>2

イエスの教えが正しいことは、
どうやって確認すればいいのでしょうか?

5 :
イエス!

6 :
たしかに人は信じることによって癒されるのだけれど、
信じれないとつらい。
信じなくても癒される道はないのか・・・ってことですね。

7 :
そもそも、「○○である」、と断言するとき、
断言する者が第一原因になってしまっている。

たとえば、神はいる、と断言するとき、
そう断言する「私」が、
神が存在することよりもまず先に正しい必要があるのです。

神は私に支えられているのか?ってことです。

すると、
「いやいや、私が断言しなくても、信じなくても、神はいるのです。」
と言う人がいます。

やっぱり、あなたは、
「神はいる」
と言ってしまっているのです。

8 :
コギトエルゴスム教か?

9 :
結局、「神はいる」ではなくて「神はいると私は思ってる」ってことだよね。

10 :
世の創造主たる神の存在を信じること。
そして、その神とは愛と公正で世を支配していることを信じること。

人間には自由意志が許されていて、善でも悪でも為す自由があるが、
必ず後に、自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければならない、ことを知ること。

11 :
>>8
なんですか?それ

12 :
基本的な道徳。

13 :
中野の哲学堂公園で、ブッダと老子とアブラハムとキリストとイクナートンの5人の像が眺めてる
あの丸いボールのことだろ

14 :
>>4
新約聖書読んでみるとわかるよ
それでもわからないときは
終末までまつか死んだらわかるよ

死ぬ前に

15 :
死ぬまえにイエスをしんじないとまにあわないから早めに聖書よんで判断してね

16 :
みなさん、洗脳されて人生を台無しにしないように

17 :
一番ただしい究極の教えとは、我、オケアノスが率いる、究極の24戦隊
長老軍である。

ヤハウェーの閣下も正された。プルートーのメシアもうまく上達した。

あとは、メシア、イエス閣下が来臨なさるのを待つだけだ。

オケアノス長老より。

18 :
>>10
信じれないときはどうすればいいでしょうか?

19 :
>>10
神を信じる私の判断は正しいのでしょうか?

20 :
・・・とまあそんな感じ。

21 :
人はどのようにして癒されるのか?
・・・といったところでしょうか・・・。

22 :
>>19
神を信じるという判断は正しいよ。
目には見えないけど、本当に存在するから。
真剣に意識してると、働きで確信できる時が来る。

そして、なかなか善行は難しくとも、せめて悪行はしないように生きると運命的に吉。

23 :
>>21
人間が本当に心底から癒される為には、
【神の存在と、神の全知全能と完全愛情】を信じること。
それしか無いと思う。

無神論の人間は、そんなもの有るはずないと笑うだろうけど、
実は本当に有るし、それが真理だから。

24 :
>>22
どうすれば神を信じることが正しいと判断できるのでしょうか?

25 :
>>23
エホバの証人もオームも統一教会も創価学会もイスラム教も我々が正しいと言い、
真の癒しは我々の教えにこそあると言います。
つまり癒しは人それぞれということでしょうか?

26 :
人の心は何故どのようにして病むのでしょう?

27 :
>>24
それは実際に、世には本当に神が存在するからです。
もし世に神が存在しないなら、もちろん、神を信じずに生きる方が正しい、となります。

神の存在を真剣に意識しながら生きていると、
ある時、常識や確率を超えた不思議な働きを体験して、
目に見えない神の存在を確信できるようになります。
これは、ぜひ体験して頂きたいですね。
目に見えないものを知るには、やはり体験や証拠というのは大事です。

28 :
>>25
この世を創造した神(創造主)というのは一つ・唯一です。

よく山の頂上は一つでも、登る道や乗り物は様々で幾つも有るという例えがありますが、
様々な宗教があっても、同じ一つの頂上を様々な道や乗り物で皆が目指している感じかもしれませんね。

ただし、それは頂上に本物の唯一なる神を目指している場合ですので、
中には全く違う神や頂上を目指す宗教も有るので、その判断は要注意だと思います。

29 :
>>26
上で述べた真の唯一の神の御心というのは《完全な愛》です。
人間には自由意志が許されているので、世には様々な不幸や矛盾があふれていますが、
神の御心は《完全な愛のみ》なのです。

ですから、人間が真に癒され安心できる為には、
この真・唯一の《完全愛のみの神》を心の拠り所にするしか無いような気がします。
この心の拠り所が無いと、順調な時は良いですが、
何か大変な事が起きた時に動揺したり不安になったり、病んだりしやすいと思います。

30 :
>>27
つまり体験や証拠によって神を信じることが正しいかどうかをあなたや私が判断するというわけですね?
するとあなたや私の体験や証拠による判断が正しいということが神の存在の大前提になるということでしょうか?

31 :
>>30
最終的には、そうなるかと思います。

この世に本当に神が存在するのか、それとも存在しないのか。
この答えは2つに1つしかありません。必ず、どちらかが正解なわけです。

そして、この部分に関しては無神論者なら必ず笑うでしょうが、
神とは、人間を愛し、真剣な心には働きかけてくれる存在です。

ですから、神の存在の真偽を確かめる為に、まずは真剣に神の存在を意識して生きてみる。
もし本当に真剣に意識して生きていれば、いずれ必ず神の存在無しでは不可能な不思議な働きを体験するでしょう。
この実体験こそが、神を信じることの正しさの証明になると思います。

  

32 :
>>31
> >>30
> 最終的には、そうなるかと思います。

あなたや私の体験や証拠による判断が間違っていると、神は存在しないということですね?
まず神在りきではなく、あなたや私在りき、であると・・・。

33 :
>>32
いえ、まず私たち在りきではなく、まず神在りきです。その次に私たちが、その神を認知できるかどうかです。
まず、この世界の大前提として、私たちが信じようと信じまいと、そんな事には全く関係なく、神は存在しています。

もちろん神は目には見えませんが、存在の証拠として『働き』は有りますので、
その『働き』を認知するために、「神の存在を真剣に意識する」というアンテナを張るわけです。
「神の存在を真剣に意識する」ことによって、神も、それに呼応して不思議な働きを見せて下さりやすくなります。
なぜなら、神は単に無機質で冷淡な方ではなく、常に我々に愛を持ち、救いたいとのみ思われている方だからです。

この点で、こうして愛なる神が存在しておられるのなら、
聖書のモーゼの奇跡(大海を分けた奇跡)のように全人類の前に大きな奇跡的自然現象を現して下されば
一番手っ取り早いのではないかと思ったりするのですが、
今の時代にはそのような簡単で手っ取り早い(悪く言えば浅はかな)方法はとられないようですね。
神様の深い思惑によって、各人がコツコツと真剣な心を持つことによって初めて知ることが出来るようにされているようです。

34 :
>>33
わかりますよ!
私も体験しました。

35 :
>>33
> >>32
> いえ、まず私たち在りきではなく、まず神在りきです。その次に私たちが、その神を認知できるかどうかです。
> まず、この世界の大前提として、私たちが信じようと信じまいと、そんな事には全く関係なく、神は存在しています。

たとえば、リンゴが在ると認識するためには、
私達に必ず記憶が必要です。

完全に記憶がない状態を想像してみると分かりますが、
リンゴとリンゴを囲む空間との境目が分かりません。

何よりも、この体がなければリンゴを触ることも味わうことも匂いを嗅ぐこともできません。

つまり、リンゴが存在するためには、
この体(五感や記憶など)が必要です。

この点についてはいかがでしょうか?

36 :
>>35
もちろん、神が存在していることは絶対的な大前提として、
その神の存在を認識しようとするのであれば、知覚を持った我々人間のような生物の存在が必要だと思います。

37 :
>>36
> もちろん、神が存在していることは絶対的な大前提として、

あなたがいなくても神は存在するということですね?

リンゴはあなたがいなくても存在するのでしょうか?

> その神の存在を認識しようとするのであれば、知覚を持った我々人間のような生物の存在が必要だと思います。

ウィキペディアによると、知覚とは動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすること、
とあります。

つまり、神の存在を認識するためには、意味づけが必要であるということですね?

38 :
>>37
もちろん私が居なくとも神は存在しますし、
リンゴであれ何であれ存在するものは、私の存在に関係なく存在します。

そして、もし神の存在を認識することが必要なら、神以外の存在が知覚して意味づけることが必要になると思います。

 

39 :
>>38
> もちろん私が居なくとも神は存在しますし、
> リンゴであれ何であれ存在するものは、私の存在に関係なく存在します。

どのようにしてそれを確かめられましたか?

> そして、もし神の存在を認識することが必要なら、神以外の存在が知覚して意味づけることが必要になると思います。

あなたの意味づけと私の意味づけは、常に一致するでしょうか?

もし一致しないなら、あなたの神や私の神が存在するということになるでしょうか?

それとも一番正しい究極の意味づけがあるのでしょうか?

40 :
>>39
私自身が確かめる以前に、
客観的な事実として、もし今ここにリンゴが存在しているとするならば、
今ここで私が生きていようが死んでいようが、世にリンゴが存在している事は明確でしょう。

そして、今ここにリンゴが存在しているのなら、
貴方や私の意味づけがどうあろうと、客観的にリンゴが存在しているのは明確であり、
貴方と私の意味づけが一致するかしないかは、リンゴの存在・不存在には関係が無いと思います。、

ここで問題になっているのは、我々の認識の意味づけではなく、
「本当に神は存在しているのか、していないのか」であり、
別に「私には信じられません」という方があっても、それはそれで立派な一つの意見であり、
そのままでよろしいと思います。

 

41 :
>>40
> 私自身が確かめる以前に、
> 客観的な事実として、もし今ここにリンゴが存在しているとするならば、
> 今ここで私が生きていようが死んでいようが、世にリンゴが存在している事は明確でしょう。

なんであれ概念は人が作り出したものです。
もちろん客観的な事実と言う概念もそうですね。
これは客観的な事実だ、と考えている人が必ず存在しているわけです。

確かめていないことを断言する場合は、想像や推理であり、
またそはれを信じているということではないですか?

42 :
>>40
> ここで問題になっているのは、我々の認識の意味づけではなく、
> 「本当に神は存在しているのか、していないのか」であり、
> 別に「私には信じられません」という方があっても、それはそれで立派な一つの意見であり、
> そのままでよろしいと思います。

神の存在はどのようにすれば確認できるのでしょうか?

43 :
神の存在は、まず最初は半信半疑であれ真剣に《唯一なる、愛と全知全能の神の存在》をイメージ・意識し、
《少しでも神様の御心に適った生き方が出来ますよう、そして過ちを起こしませんように》と祈りつつ暮らしていると、
仕事や私生活を含めた日常の中で、常識や確率を越えた不思議が体験できていますね。

ただし、それらの大半は、宝クジが当たるような欲得を満足させてくれるような不思議ではなく、
本来なら致命的や危機な事が奇跡的に回避されるような事が多いですね。
これは、以前には徹底した無神論者だった自分自身の実体験による《神の存在の確信》であり、
もはや私自身には《信じる》というより《知る》というレベルの話だと思っています。
やはり、こういう部分は《百の論より、証拠》で、《自分自身で証拠を体験する》のが一番だと思いますし、
人によっては、それしかないのかもしれませんね。

 

44 :
>>43
> 神の存在は、まず最初は半信半疑であれ真剣に《唯一なる、愛と全知全能の神の存在》をイメージ・意識し、
> 《少しでも神様の御心に適った生き方が出来ますよう、そして過ちを起こしませんように》と祈りつつ暮らしていると、
> 仕事や私生活を含めた日常の中で、常識や確率を越えた不思議が体験できていますね。

確かに真剣であればあるほどその体験はリアルになるようです。
イスラム教を真剣を信じている人はその教義の証拠を見出しますし、
天理教を信じている人は真剣であればあるほどやはりその確証を得、奇跡を体験します。
あるいは疑いを持ってその教義に接している人もその教義の真実を見出したりすることもあるようで、
結局のところ人は見たいものや意識しているものを見るみたいですね。

45 :
>>43
> やはり、こういう部分は《百の論より、証拠》で、《自分自身で証拠を体験する》のが一番だと思いますし、
> 人によっては、それしかないのかもしれませんね。

これが証拠であるという判断は、人がするわけですね。
ある人はこれが証拠だといい、
べつのある人は、いやいやそれではなくてこっちが本当の証拠だと言います。
そうやって、カソリックがあり、プロテスタントがあり、イスラム教があり、エホバの証人があります。

もちろんそれはそれでいいのですが、
ここでは、そういったものを超越しかつそういったものと相反することの無いものについて、
議論できればと思います。

46 :
>>45
エホバだけはない。

47 :
阿含宗及び桐山管長は悪いほうへ行ってしまったと聞いたのでダメだが、原始仏教である
阿含教の7か37道品ははやく解読しきり具体的には何をやるのかネットなどに載せ
コースも作るところは作って出来るようにすべきである。そうしないと本当の悟りは
いつまでたっても得られない。よく禅宗の坊さんが悟ったと言ったことがあるのを聞いた
ことがあるが、故桐山が生前言うには違うものだと言う。グモンジソウメイホウも
空海が出したまんまたどっただけでは違うものらしい。いぶきながよのほうもそうなのだろう。
ただ釈迦にも欠点はあり7か37道品の最後の八正道は中道を軸に作っているが。
中道でいいところはいいが、裏目に出ると肝心のところで中道ではなく中途半端に
(中途挫折)に物事が終わってしまう。しかも釈迦は自分がそれで失敗すると、なんでも
正当化して、しかも本当に成功してる者を二面性屁理屈などをつかってけなして騙し
全部中途半端に引きずり落としてしまう、そうしておいてそのダメ達の中では自分が勝った
と錯覚しようとする。
これでは今度は悟り以外なんともならなくなる。
ここはどうにか改良、改善して使わなければならない。
どうにか静と動になるようにしたい

48 :
神がある から私はない。

49 :
カーリー か オーディーン か というところかね。

50 :
書籍
【スワーミー・ヴィヴェーカーナンダと日本】
(スワーミー・メダサーナンダ/日本ヴェーナンダ協会/1000円+税)
この書籍の103〜147ページ『付録三 人間の本性』を読んだ時、これこそ真理、真の宗教と思いました。
他のスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの書籍も読みたいです。

お薦めします。

51 :
>>50
何がかいてあるの?

52 :
>>47
「悟り」という言葉を持ち出すと、
定義が色々あって結論が出なくなります。

釈迦が最初に悟りを開いたとされていますが、
それがどのようなものかは本人に聞かないと分かりません。

般若心経が彼の悟りを色濃く表現していると聞きますが、
それも解釈が分かれたりします。

とはいえ、何が究極かを見出すためには、
まずは、基準となるものが必要だと思います。

悟りを開いたか?
神を見出したか?
癒されたか?
真我を見出したか?
すべてを知ったか?

何を基準にしたらいいでしょうか?

53 :
自我は無色透明中立でしょうか?

そうでないなら偏っているということになります。
偏った者の言う事を信じるわけにはいきません。

偏った者が究極を見たと言ったとして、
それを真に受けていいかどうか・・・。

54 :
井の中の蛙という言葉がありまして、
ネガティブな意味合いで使われることが多いですが、
井の中しかないときはもはや井の中ですらないんですよね。

つまり井の中の蛙は全てを知っているわけです。

さて、人はどのようにして出口の無い迷路に入り込んでしまうのでしょうか?

55 :
自我は無色透明中立でしょうか?

56 :
>>55
> 自我は無色透明中立でしょうか?

もし、無色透明中立ではない場合、
自我の判断を信じてもいいのか、
・・・というテーマはいかがでしょう?

57 :
>>1
とにかく”凡我一体”を為し得る宗教。

宇宙・霊界を体得し得る宗教。

58 :
>>57

その思想は釈迦より前からあったのでしょうか?

はじめにそれを見出したのは誰なのでしょうか?

59 :
ちょっと厳密に。

凡我一体を為し得るのか、
すでに凡我一体であることに気づくのか。。。

60 :
私は前者でした。

61 :
凡我一体を為し得た後で、我に何か変化はありましたか?

62 :
>>1
小学校の道徳

63 :
なんか人生飽きた。
自殺しようか迷う。
でも、自殺して無になれなかったら嫌だなぁ・・・・・。
無になれないどころか、無間地獄に落ちて永遠に苦を味あわされたりしたら超最悪だしなぁ・・・・・。
自Rるか迷う。

64 :
お前ら本当馬鹿なんだな。
ものを自分で考えられないってヤバイぞ。

人なんか生きてる意味無いんだから正しいとか間違ってるとかないだろ。
ただ生きててそこにものを解釈し選択し同行どうしたかがあるだけ。そこに正しいとか間違いとか付け加えるのは人間のエゴだ。恥ずかしいな。

65 :
>>63
何も楽しいことがないのでしょうか?

66 :
>>64
確かに人生にあらかじめ決められた意味は無いのですが、
問題は、意味がないと不安になってしまう精神にあると思います。

どうすれば、人生に意味がなくても安心でいられるでしょうか?

67 :
言葉にすると嘘になる。

68 :
全部私の作り物。

69 :
特定の宗教では無く、「普遍的な神や死後の報い・因果応報」を理性的に知る為に凄く良い本。

有名なアラン・カルデック著の
『霊との対話-天国と地獄2』

唯一、幸福の科学出版という部分だけが少し抵抗あるけど、
内容は全く幸福の科学は関係無いので安心して読んでほしいと思う。

ちなみに『天国と地獄1』は既に廃版で新品では手に入らないし、自分も読んでいないけど、
『天国と地獄2』だけで充分だから、全ての「神や死後世界に関心ある人」にお勧め。

最初に最終章のアランカルデック自伝部分は必読。
この本の冷静な説得力が分かります。

70 :
『神との対話』シリーズの神。

どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。

イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。

今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。

この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。

《10分で読めて分かる『神との対話』》

https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome

71 :
神を体験した人がおり、
死後の世界を見た人がおり、
霊と対話した人がいます。

すると、神や死後の世界や霊の存在は、
その人の認識が完全に正しいことを前提に成り立っています。

もし、少しでもその人が間違う可能性があるのなら、
神や死後の世界や霊の存在は間違いである可能性があります。

「私」というものが認識する事象は、
果たして完全に正しいのでしょうか?

「私」によらない、つまり体験者のいない体験はあるでしょうか?

72 :
>>70
『神との対話』は素晴らしい書物だと思います。

「精神によってそこに達することはできない」
のような記述があったと思いますが、
何を言わんとしていると思いますか?

73 :
>>70
青い炎とひとつになる、
というのは試されたことはおありですか?

74 :
>> 72
対話の中では、例えば欲しいモノ・成功や天国に達する為に、それを欲するという“行動・精神”ではなく、
そのようなモノを既に持っているという“存在”になりなさい。
むしろ、欲しがる事で、手に入らない事になるから。
というような一節がありますね。

本当に必要な物は、我々が欲する以前に(完璧な神から)全てが与えられているのだから、
「ことさら今以上に何かを欲するという精神・行動」よりも、
まずは「必要なモノは今に全て与えられているという自覚・感謝」が大事なことではないかと思っています。
何かをする事で天国に行けるのではなく、既に天国にいるという自覚と受容が大事だと神は言っていますしね。
「まず何よりも、喜びの感情が大事」とも神は言っていますから。

この点で、最初の頃の(物欲性メインの)ニール氏と(精神性メインの)神との対話のチグハグになった部分が、
この本のユーモラスで人気が出た部分だとも思いますが。

>> 73
「神との友情 上巻」の後半部に書かれていた、
理性を静かに忘れるような瞑想?によって“自分の魂”を体験する部分ですね。

時々、私も神のいう、静かで深い呼吸による瞑想の真似事のような事をすることはあり、
癒される感はありますが、まだ青い炎は見えたことはないですね(笑)

 

75 :
>>74
精神の動きは二元論であり、
釈迦の手の平の中での限られた動き、
つまり平面的な動きですね。

どんなに遠くまで行ってもその中にいます。

信じる信じない、善と悪、優劣、リンゴとリンゴ以外、などなど。

つまり、単純化して言うと「これ」と「これでないもの」です。

精神は、必ずこの2つの中で活動します。

では、そこから飛び出すにはどうすればいいか・・・。

***

「今にすべてがある」

これを信じるのではなく確認するためには、
どうすればいいでしょう?

***

青い炎はひとつの方便ですね。
世界は即私ですから、
必ずしも青い炎に限る必要があるわけではなく、
何でもいいのですが、
何でもいいよと言ってしまうと
どうしたらいいか分からなくなってしまうので、
便宜上限定したようです。

青い炎を見たという人の話を聞いたことがありますが、
どうしてもそれとひとつになれないという人や、
ひとつになってみたら何も無かったという人がいました。

ひとつになる、つまりそれ一色になるということですね。

没頭するとも言います。

無心で無我夢中でそれになりきるとも言います。

これは、人はどのようにして迷い苦しむのかということと関係しています。

76 :
>>75
「今にすべてがある」という言葉は、「神との対話」上では、

今・今日しか存在しないと思って大事に生き切る。
今・今日に過去や未来も全て存在している。

の2つの意味が考えられますが、
前者は、本当に自分が体験していられるのは今日一日しかないので大事に生き切るということで分かりやすいですが、
後者に関しては、これは非常に抽象的で私にも確認の方法は分かりません(笑)

ただ少なくとも今・今日の生き方のベクトル(方向性)が自分の未来の幸・不幸を決め創造していくのは事実だと思います。

  

77 :
>>76
過去や未来は記憶(思考)の中にしかありませんよね。

今には何があるのか、
つまり、思考が起こる前ですね。

思考がどのように働くのかが分かれば、
今に何があるのか想像することはできます。

あとはそれを確かめるだけになります。

今を確かめることができれば、
すべては私の作り事であることが分かります。
(神も死後の世界も霊もすべて)

「人生は創造である」という本の言葉通りですし、
「色即是空 空即是色」という誰かの言葉通りです。

78 :
>>77
「今を確かめる」と言っても、
私が確かめることはできませんし、
仮に確かめることができたとしても、
それを信じるわけにはいきません。

79 :
>>78
ではどうすればいいのでしょうか?

80 :
キンコン西野のリベンジ成人式についてどう思いますか?

81 :
罪を憎んで人を憎まず。
偉大な言葉です。

82 :
何らかの事象を認識するためには、
記憶というものが必要です。

つまり、音を認識するためにも、
リンゴを認識するためにも、
神を認識するためにも、
記憶が必要なわけです。

記憶という機能が認識というものを創り出しているのですね。

83 :
宇宙に果てはあるか?

ない。

そもそも宇宙自体が無い。

つまり空間がない。

84 :
1

85 :
同時に空間はあるのです。
お分かりでしょうか・・・

86 :
>>1
自分一人だけが正しい
ということだけが間違っているということ

87 :
>>86
自分ひとりだけが正しいと言いましたっけ?

まあいいです、自分ひとりだけが正しいとします。
それがどのように間違っているか教えてください。

88 :
>>1に言ったのに、真面目だね。それは良い所だね

自分が誰よりも完全にわかっているってことだけはないですからね

89 :
おやすみなさい

90 :
時は無限。
死んだ後も1億年〜1000億年〜無限〜って無限に過ぎていく。
途方もない時間をかけて地球や太陽が消滅しても時は止まらない。
100000000億万年なんかもいずれ過ぎ行くだろう。確実に。
自分が死んだ後も永遠に果てなく時間は存在し続けるのに自分は死んだら終わり。
永遠に果てない時間のなか10000000億万年過ぎようが自分はもういちど存在することはできない。
いくら待っても。いくら待っても。
思い出にふける事すらいくら待っても出来なくなる。それでも時や宇宙はあり続ける。怖い

91 :
助けてください

92 :
>>88
87は1です。

>自分が誰よりも完全にわかっているってことだけはないですからね

それはまったく正しいです。
そして同時に間違っているのです。
おわかりでしょうか?

93 :
>>90
> 時は無限。
> 死んだ後も1億年〜1000億年〜無限〜って無限に過ぎていく。
> 途方もない時間をかけて地球や太陽が消滅しても時は止まらない。

時間は人間が創り出したもので、
実際にはありません。
決め事に過ぎません。

> 100000000億万年なんかもいずれ過ぎ行くだろう。確実に。
> 自分が死んだ後も永遠に果てなく時間は存在し続けるのに自分は死んだら終わり。

「自分」というもののメカニズムを明らかにすることで、
すべての謎は解け、問題は終わります。

> 永遠に果てない時間のなか10000000億万年過ぎようが自分はもういちど存在することはできない。

それが貴方の問題なのですか?

> いくら待っても。いくら待っても。
> 思い出にふける事すらいくら待っても出来なくなる。それでも時や宇宙はあり続ける。怖い

宇宙があるのですか?
どのようにして確かめられたのでしょう?

94 :
>>92
>>88です
>>1でしたか、知らなかったため失礼しました

同時に間違っているということは
>>88で言ったことがすでに間違っていると言いたいのかもしれませんが
ちょっと理屈っぽいです

自分だけが正しいことが間違っている
といったのが間違いなんて言えば何一つわからなくなりますね

こういう教訓じみた言葉というものは、ほとんどすべてが戒めのための例えになっています。
客観的に、論理的に正しい言い方で、証明するような教訓は有りません。
教訓とは最初から教育のためです。大人であろうと間違うことがあるからです。

「たとえ勉強して確認したとしても、もっといい意見があるかもしれない」と
常に謙虚な気持ちですごしましょう、うっかりあやまちを犯さないために。
ということなのです

こいつの言うことは明らかに間違っていると勉強したら誰だって思います。
しかし、いつでもどこでもそれが絶対、というわけじゃない。
違うこともできる場所というのもが世界のどこかにある。

今の自分にも知らない世界はあるんだと、頭の片隅に残しておきましょう。
絶対にそうならなければいけないということではなく、
そういうつもりで過ごせば、間違いは減らせると思います。

95 :
自分のメカニズムを明らかにできない(?)から自分は悩み続けてたのかな。
時間という存在の捉え方や宇宙に対する盲信。
少し頭固かったのだろうか。
結局のところ問題は仰る通り自分の消失。
そしてそれの永久持続による恐怖。
時間は決め事に過ぎないとした上でも想像すると恐怖に飲み込まれる。
自分は世の理によってただ存在し、ただ消滅する事を自然だと受け入れるしかないのか。
聞いていただいてありがとうごさいます。

96 :
>>95

唯物論から虚無感に駆られるのは自殺へと誘い込む悪魔の罠
気をつけろよ

97 :
>>96
ありがとうございます
心に留めておきます

98 :
>>97
どういたしまして。
若い頃の自分自身を思い出して、つい、横レスしてしまった。
寝落ちします。

99 :
もし死後の世界が怖ければ、一読しておくと良いかもしれません。

http://itest.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1491139862/27

100 :
>>99
拝見しました。
どうやら自分には唯物論の考えが染み付いてるようで簡単に信じる事はできませんでした。
しかし、何事も断定は難しく可能性があることは信じざるを得ません。
答えはまだ出ませんが自分を救える考えの一つになるかもしれないお言葉ありがとうございました。

101 :
>>96
ある批評家が自殺してしまったね
西部なんとかいう人だったかな
あの人も何かが怖かったのかな
違う考え方を知ることなく、そのまま死んでしまった

前レスに長い時間(那由多の時)を過ぎてもまだあるのがなんか怖いと言っている人がいるけど
怖いのは何だかわからないから
そこがどうなっているのか知ると、そこまで怖くなることはないと思う

102 :
>>101
西部邁という人がなぜ自殺したのか知らないが、中年以降に自Rる人は大抵、もっと現実的な悩みを解決できずに死を選んでいる。
経済問題・病苦・人間関係といった、いわゆる貧病争で個人的な問題が彼にもあった可能性があると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは、「今」をしか生きられない。「永遠の今」を生きている。
ただ、神は数多くの魂を造られたわけで、無数の魂が愛し合い、競い合うその姿こそ、神の喜びなのではないだろうか?。
人々が争う姿は神の望むところではないが。「自由意志を与えた以上、やむを得ぬ」と考えているのではなかろうか。

103 :
>>94

ごめんなさい、そっちの方向じゃないです。
正しいとか間違っているとか、
二元的な話をしていません。

104 :
>>95
> 自分のメカニズムを明らかにできない(?)から自分は悩み続けてたのかな。

「自分」が苦しんでいるんですよね。

なぜ、自分は苦しむのかってことですね。

> 時間という存在の捉え方や宇宙に対する盲信。
> 少し頭固かったのだろうか。
> 結局のところ問題は仰る通り自分の消失。
> そしてそれの永久持続による恐怖。
> 時間は決め事に過ぎないとした上でも想像すると恐怖に飲み込まれる。
> 自分は世の理によってただ存在し、ただ消滅する事を自然だと受け入れるしかないのか。
> 聞いていただいてありがとうごさいます。

自分が消えてしまうことが恐怖である、
ということでしょうか?

そもそも自分があるのでしょうか?

はなから自分は存在していないとしたらどうでしょうか?

自分があるから苦しいのでは?

一体全体自分とはなんでしょう?

それはどのような働きをするのでしょう?

105 :
>>104

「自分が消滅する」というのは物質的な捉え方というか唯物論者の妄言だよ。
死をこの世を去ることとして、当然この世に生きている人たち(残された人たちといってもよい)にはあなたの存在は見えなくはなるが、あなたの本質が「心」であれば、あなた自身は消滅などしない。

106 :
うまく言えないけど、今のあなたに必要なのは、むつかしい言葉じゃなくて、「生命力」みたいなものじゃないかな。
私が、若い頃、勇気づけられ魅かれた歌があるので貼っておきます。流行歌なのでサラッと聴いて見てください。

不死鳥伝説 山口百恵

https://www.youtube.com/watch?v=7T5W4Q8F5BE

悲しまないであなた 私のからだ(肉体)をなくすだけだわ
  〜〜〜〜
心だけは とわ(永遠)の生き物

107 :
>>58
案外、古代シュメール人の庶民的な覚者だったりして。

108 :
「華厳経」や「正法眼蔵」を読む人間は
最高度の天才的頭脳を持つ
つまりそれは私。

109 :
皆さんありがとうございました。
まだ自分という存在に結論は出ないままですが考えさせられました。
この事について考え始めてからあらゆる事に気力を持つことができずにいました。
しかし、例えどんな未来があろうと今すぐに生命力を失って朽ちていくのはもったいないですよね。
目の前にある事を優先に考え、先のことはあまり考えないようにしてみようと思います。
根本的解決に至らない限りまたいつか苦しむ時は来ると思いますが、
そうやってやり過ごしていくのも悪くないと思いました。

110 :
>>105
> >>104
>
> 「自分が消滅する」というのは物質的な捉え方というか唯物論者の妄言だよ。

そうですか。

私は自分が唯物論者だと思ったことはないですが・・・。

物も心も何もない、と主張するのは何論者でしょうか?

> 死をこの世を去ることとして、当然この世に生きている人たち(残された人たちといってもよい)にはあなたの存在は見えなくはなるが、あなたの本質が「心」であれば、あなた自身は消滅などしない。

私の本質は心なのですか。

たしかにはじめから自分というものは存在しないので消滅しようがないですね。

111 :
>>109

永遠に今しかありません。

今に集中すること。

なんであれ、没頭しその中に入りそれだけになってしまう。
無我夢中になるということです。

恐怖はその中にいるときにあるでしょうか?

そこから出て評価し始めたとき、
振り返ったとき、
ではないですか?

112 :
>>111
いいこと言うね。
ほかの方法もあるけど、とりあえず、いい方法の一つだと思う。
特に若い人には効果が期待できるし。

113 :
今までは多くの事に没頭し続けていましたが
一通り落ち着きそこから出た時に恐怖に襲われました。
また何かに打ち込めば忘れられるとは思いましたが、それは逃げによる一時しのぎなのではと思いました。
一時的に忘れられてもいざ死が近づく頃想像を絶する恐怖に襲われるのではないかと。
しかし、立ち向かった所で死という問いの答えを出すことは非常に困難であるのも事実です。
膨大な時間を費やして考える事で苦しみ続けるのもどうかと思いますし、
やはり今を全力で生き続け考えないようにする方がいいのでしょうかね

114 :
90さんへ
ちょっとばかり私の少年期の体験を書いておく。
小学4年生のころ「人は必ず死ぬ」と教えられ、「死んだら後、どうなるの?」と父に聞いたら「何も無い」と答えられた。
私の父は唯物論が正しいと考えていたらしく「死後の世界など無い」「宗教はアヘンである」「宗教を信じる人は馬鹿だ」などと私を教育していた。
で、その晩から、私は「死後の世界」の何も無い世界の夢をみるようになった。
深い深い暗黒の中、自分自身が存在しているかさえ不確かな世界で声を上げ、人を呼ぶことさえできず、無論周りには人に気配もない、「死んだらきっとこうなるんだ」と思ったら、怖くてたまらなかった。
その夢はしばらくの間、私の心に住み着いて、間隔をあけながら、少年期まで、確か高校生になってもその夢は私を襲ってきた。
 【続く】要領の悪い書き方で申し訳ない。自分の体験を他人に伝えるのって難しいね。少し自分の体験を整理してから、改めて書きます。

115 :
>>112

> 今までは多くの事に没頭し続けていましたが
> 一通り落ち着きそこから出た時に恐怖に襲われました。
> また何かに打ち込めば忘れられるとは思いましたが、それは逃げによる一時しのぎなのではと思いました。

違います。

なぜ何かに打ち込むことが逃げであると考えてしまうのか、
このことについて一切の前提を一旦脇に置いて、
確かめてみてはいかがでしょうか。

逃げることは悪いこと、
没頭する事は一時しのぎである、
と言う思い込みがあったりしませんか?

そこから出た時がデフォルトでありベースなのでしょうか?

とゆうかそもそも日々の中で「それだけ」になっている時の方が多くないですか?
そんなに特別なことでもないはずです。

ただそれをもう少し意識的にやってみてはどうかということです。

ご飯を食べる時はご飯を食べることに集中し、
歯を磨くときは歯を磨くことに集中する。
一期一会で毎回同じ事はなく毎回新しいのです。

> 一時的に忘れられてもいざ死が近づく頃想像を絶する恐怖に襲われるのではないかと。

死後の世界を体験している自分のことを想像して恐怖に襲われるのでしょうか?

死に至るプロセスを想像して恐怖に襲われるのでしょうか?

> しかし、立ち向かった所で死という問いの答えを出すことは非常に困難であるのも事実です。

死があるのではなく死を想像している私があるのですね。

> 膨大な時間を費やして考える事で苦しみ続けるのもどうかと思いますし、
> やはり今を全力で生き続け考えないようにする方がいいのでしょうかね

考えるという行為は創造行為なのです。
ご自身の望むものを創造すれば良いのではないですか?

116 :
>>115
死に至るプロセスではなく、死後永遠に無になるのでは?という事に対する恐怖です。
しかし先ほど教えて頂いた通り永遠に無という考え自体が曖昧なので
仰る通り望むものを創造する事で救われるかもしれません。
逃げる事、没頭することをポジティブに考え過ごしていきたいと思います。

>>114
お気遣いありがとうございます、続きお待ちしています。

117 :
【114の続き】
その暗黒の世界で私は孤独であることに恐怖を感じ、大声で叫ぼうとした。
だが、私には自分自身の声は聞こえなかった。そう無音の世界だった。寒いような感じがしたので、自身を抱きしめようとしたが自分には体がなかった。
手も足もボデイも無いようだった。当然、地面にあたるものも無い。
ただ、かすかに上下の方向感のみあった。自身の意識の中心を”眼”の位置とし”頭”の方向を上、”口・喉”の方向を下、とする、肉体をもっていたときの方向感覚が少しだけあった。
そして、頭上方向、遥か、遥か、遥か彼方に点にも満たない微かな光があるように感じた。
・・・・・・
多分、幼い私は「何も無い世界」「光も音も物も自分の肉体もない世界」を夢の中で体験しようとしたのだろう。
その体験は底知れぬ恐怖感を伴うものであったので、必死で忘れようとした。”死”や”死後の世界”については、考えないように努めた。
【続く】

118 :
【117の続き】
最初に見てからひと月以内に二度目を見た。その後は徐々に間隔を開き、中学生の時には年に一・二度くらいになった。
高校生になって、1年生の終わりか2年生になってからか、の時期に一回だけ見たのだが、相変わらず恐怖心を覚えた。
だが、子供の時と違い、自分の心を少しはコントロールできるようになっていた私は、「もう二度とこの夢は見ない。」と自身を暗示にかけることにした。
「見ない」と自身に誓ったといった方がより正確な表現かもしれない。
この夢(あるいは体験)はそれ以降、私には「思い出」の一部となった。
その代わり非常に明確なある夢を定期的にみるようになった。いや、見せられるようになったというべきかな?
新たに見るようになった「予知夢」はその時点では単に「明晰夢」の一種と考えていたが、約十年後に夢に出てきた通りの風景の地で現実となった。
繰り返し繰り返し同じ夢を見ていたので、事故を避けることができたが、その「予知夢体験」は私にとって唯物論を離れる大きな原因の一つとなった。
17歳のときに初めて見た夢は27歳の時、それがいわゆる「予知夢」と言われているものが本当にあると理解させてくれたのだ。
だが、実は、「予知」そのものを21歳の時に体験して、「ひょっとして、目に見えない世界があるのではないか」と考えるようにはなっていた。(その時点では”霊界”の存在にはまだ懐疑的だった。)
私が二十代の後半に「唯物論は間違ってる」と判断することになったのは、自身の体験に基づいているので、他人の前では、「さあね、唯物論と有神論どっちが正しいのかねぇ」ととぼけて見せるが気心の知れた友人は皆私がどっちを選んだか知っている。
【続く】

119 :
【118の補足説明】
118の文中で「目に見えない世界」と「霊界」と分けて書いたのは実は理由がある。
最初から「唯物論者の父」と書いたが、さらに加えて、多くの人が予想したであろう通り、父は「共産主義者」であった。
当時は米ソ冷戦下で両陣営とも軍事力での対決も辞さない構えだったが、「超能力の研究」も両陣営とも秘密裏に行っているという情報があった。
父の影響でソビエト連邦びいきであった私は、通常兵器以外の軍事力にも興味があり、「唯物論に基づいた方法で科学者が研究している”超能力"」というものはきっとあると考えていた。
両陣営とも極秘に研究しているらしく、全貌は分からなかったが、漏れ伝わってくる情報では透視・遠隔透視・テレパシーについては、一定の成果が有ったらしい。
宗教には否定的な思いがあった私は、「霊能力」はほぼ全否定だが、「超能力」となると比較的には肯定派だったのである。
自分にそういった能力があることを期待してアメリカで作られた「透視能力判定カード」(〇△☆等が描かれたわりと普通のカード)で自分を試してみたりしていた。
期待外れも甚だしい結果だったが、まあ自分が特殊能力を持っていれば、それだけトラブルに巻き込まれる可能性も高くなるだろうし、持ってなくても生きていくのに不便はないと考えて自分を慰めることにした。
多分、中学生のときだったと記憶しているのだが、一時的に熱中して本を読んだが、それっきりにしていた。
だが、運命は皮肉にも私に「予知夢」と「予知」を体験させた。運命ではなく、おそらくは・・・「守護霊」が体験させてくれたのだろうと最近は思っている。
【続くかも知れないし、身バレを防ぐためにレスを辞めるかもしれません】

120 :
実に興味深い内容なのでよければ続けていただきたいです
自身で経験する程説得力のある事はないでしょうし羨ましいですね
自分もあわよくば自身の経験によって唯物論から解放されたく思います

121 :
>>116
> 死に至るプロセスではなく、死後永遠に無になるのでは?という事に対する恐怖です。

死後永遠に無になるのであれば恐怖を感じる主体(私)はいないですね。
(私がいるのであれば無ではないので。)

それとも私がいなくなることに恐怖があるということでしょうか?
でもこの場合、私はいないので恐怖を感じる者がいないです。

それとも、もし無であれば私はいないので、逆に安心できる?

> しかし先ほど教えて頂いた通り永遠に無という考え自体が曖昧なので
> 仰る通り望むものを創造する事で救われるかもしれません。
> 逃げる事、没頭することをポジティブに考え過ごしていきたいと思います。

・・・?
ポジティブに考える必要はないと思うのですが・・・。

122 :
死後、「無」になったまま二度と再び意識を手に入れる事なく時が進み続ける事を想像する事で
意識を持っている今を愛おしく感じると同時に恐怖に襲われます。
無になれば恐怖する事も無いでしょうがその状態になる事自体が怖く、生きている今現在恐怖を感じていました。
ですので何かに没頭し、考える事から逃げ続ける事も悪くはないのかなとポジティブに(肯定的に)考えてみようと思いました。
どうしても前レスの通り懸念要素が頭によぎり、目をそらす事に否定的になってしまっていたので…

123 :
90さん >>122 のレス
よく分かります。レス90以降あなたは一貫してこの件について書き込みしているので、私は、自分の少年期に見た夢のことを書いたのです。
あなたが思考から想像力によって感じている恐怖を、幼い私はいきなり夢で味あわされたように思っています。
 今日は私が体験した予知や予知夢については、端折りますが、私が少年期に見た例の夢はどうやら、仏教で「無間地獄」と言われている世界に酷似しているということを、お伝えしておきます。
なお、ある人が書いた本によると、他でもなくマルクスさんは無間地獄に落ちておられるらしいです。
一方スターリンさんはもう一つの無間地獄で、相変わらず闘争の日々を過ごされているようです。
・・・・・・・
人の心はいろんなものを「創り出す」のですが、「無間地獄」もその一つです。
唯物論から、一旦、離れてみたらよいのですが。
まあ唯物論の呪縛から解きほどかれるのに20年近く掛かった愚図な私が偉そうに言えるものでもないが。
【今夜はこれっきり】

124 :
そうなんですね…
体験談等語っていただいてありがとうございます。
興味深い内容で参考になりました。
自分以外の方も似た様に苦悩した経験があると知れて少し安心しました。

125 :
前レスでスターリンの死後についてちょっと書きましたので、それについて簡単に整理しておきます。
唯物論者の落ちる「無間地獄」が2種類あり、片方は私が見た夢に酷似しており、おそらく90さんが感じておられた恐怖感とも関連しているでしょう。
対してもう一つの「無間地獄」はかなり様相が違います。この差は何なのでしょうか。

>>121 で1さんがいっておられるこの↓

>死後永遠に無になるのであれば恐怖を感じる主体(私)はいないですね。
>(私がいるのであれば無ではないので。)

という、論理的に正しい言葉がヒントになります。ただし、”死後永遠に無になるのであれば”でしかありませんが。
゛私がいるのであれば無ではない”と唯物論の゛死後の世界は無い”とを組み合わせて考えてみると、肉体の死を迎え、肉体を離れた唯物論者たちの魂(意識)は「自身の死」をどううけいれるか?
「私はいる(意識がある)ので、死んでなどいない」と思っているスターリンは、同じように考える唯物論者たちと”誰が指導者(支配者)になるか”を争い続けています。
「どうやら私はしんだようだ」と思ったマルクスさんは自分の意識が無くならないまま自身が作った「無の世界」で恐怖感に囚われ苦しんでいる。
と、私は考えています。ー 今後クンロクを使います。他の人は使わないでください ー

126 :
>>125 に名前を入れずにレスしてしまった。勘弁してください。

127 :
天理

128 :
>>125 訂正】
123レスでスターリンの死後についてちょっと触れましたので、それについて簡単に整理しておきます。
唯物論者の落ちる「無間地獄」が2種類あり、片方は私が見た夢に酷似しており、おそらく90さんが感じておられた恐怖感とも関連しているでしょう。
対してもう一つの「無間地獄」はかなり様相が違います。この差は何なのでしょうか。

>>121 で1さんがいっておられるこの↓

>死後永遠に無になるのであれば恐怖を感じる主体(私)はいないですね。
>(私がいるのであれば無ではないので。)

という、論理的に正しい答えがヒントになります。ただし、”死後永遠に無になるのであれば”ではなく゛死んでみたら、あの世があった”と考えてみてください。
゛私がいるのであれば無ではない”と唯物論の゛死後の世界は無い”とを組み合わせて考えてみると、肉体の死を迎え、肉体を離れた唯物論者たちの魂(意識)は「自身の死」をどう受けいれるか?
死後、「私はいる(意識がある)ので、死んでなどいない」と思っているスターリンは、同じように考える唯物論者たちの霊と”誰が指導者(支配者)になるか”を争い続けています。
一方「どうやら私は死んだようだ」と思ったマルクスさんは自分の意識が無くならないまま自身が作った「無の世界」で恐怖感に囚われ苦しんでいる。
と、私は考えています。
ー 今後クンロクを使います。他の人は使わないでください ー

129 :
 【閑話休題(それはさておき)】
共産主義と唯物論は、セットで語られることが多いが、実際はまったくの別ものですよね?
キリスト教徒にも共産主義に賛同する人がいますが、彼らは原始キリスト教的共産主義者と呼ばれています。
また、他方、経済・政治体制は自由主義を支持するが、宗教を否定し唯物論を信奉する人たちもいますね。
私はマルクスさんの「資本論」のダイジェスト版(日本語)を学生の頃 読んで「ああ、やっぱり」と納得した部分と「えっ!」っと驚いたことがあります。
マルクスがキリスト教徒として「なぜ、キリスト死後千八百年も経過しているのに地上に『神の国』が実現されないのか?」「産業革命・資本主義の発達はどうコントロールすれば人々の幸福・社会の健全な発展に役立つか?」
という至極当然な問題意識をもって19世紀欧米諸国の資本主義経済を研究し、彼なりに「科学的社会主義」思想をエンゲルスと共にまとめ、「これで神の国が実現できる!」と考えるに至ったのです。
このとき彼は、「もうキリスト教は必要ない」と勘違いというか早とちりしてしまったようです。
 【続く】

130 :
>>122

自分があるのですか?

はなから自分がないことを確かめれば一気に解決します。

131 :
(続き)

死後、意識があれば安心なのですか?
意識がある死後の世界はどのような世界でしょうか?
その死後の世界で永遠に在り続けることに平安があるのですか?
もし平安がないなら意識は無い方がいいですね。

生物として死を避けようとするのは当然の本能です。
ただあまり想像を膨らませすぎるのもどうかと。

何事もほどほどが良いです。

「過ぎたるは及ばざるが如し」

132 :
(続き)


想像すること。
信じること。

人はこれらによって癒され、
一方恐怖にさいなまれます。

恐怖無しに生きるにはどうすればいいか?
ということです。

133 :
(続き)

信じることは、継続的なエネルギーが必要ですね。
なかなか疲れます。
そもそも、信じていないから信じるわけで、
何かを信じるということは、信じていないことがベースになっています。
信じると信じないは表裏一体というわけです。
なので、信じる人は常に「万が一違ったら・・・」という恐怖を潜在せざるを得ません。
もちろん、強烈に信じることで 、
信じたものを体験することはあります。
たくさんの宗教があるように、人は信じたものを体験します。
見たいものを見るわけです。

ですが、自ら確かめたことは、信じる必要がありません。
目の前にリンゴがあるのに、リンゴがあることを信じる必要はないということです。

真に楽になるためには、何も信じず、分からないことは分からない、
という当たり前のことに落ち着くことです。

死を体験した人や厳密に検証した人はいません。
死んだらどうなるかは実際のところ誰にも分からないのです。
(脳が記憶していることを体験する人はいますが)

つまり、死は想像であり、信じることの範疇です。

脳は、分からないことに対して自分の定義をして安心しようとしますが、
その定義によってまた苦しみます。

分からないことを分からないままそのまんまを生きる、
つまり何も信じない、
目の前のことに集中する、
これがもっとも原始的でシンプルで純粋な生き方であり、
楽な生き方です。

134 :
【129の続き】
ダイジェスト版の「資本論」を読んで、「あー、やっぱり」と思ったのはマルクスは人間心理という計量しずらいものを思考から外してしまったために失敗したということです。
そして、「計画経済」という一見効率よさそうなシステムが実は経済発展に向かない面があることに気づけなかったことです。
私は、中学生の頃までは共産主義が正しいと思っていたので、ロシア革命やソビエト連邦に関する本などをよく読んでいたのですが、読んでいくうちに理想とはほど遠い史実に落胆するばかりでした。

マルクスはキリスト教徒ではありましたが、熱心な信仰者ではなく、「キリストの救世は失敗した」と考えていたようです。
現代の日本にも知識人の中にもよく「自分は仏教徒です」と言いながら「仏陀=釈尊の説かれた仏教思想は夢物語ではないか」と考えている人がいるのと同じです。
【続く】

135 :
>>70を読むと、
「自分達だけが唯一の正しい宗教」とする宗教は、
それゆえに正しくなく、問題とのことですね。
「本質的には、多くの宗教は正しいもの」、というのが正解のようですね。

136 :
>>133
(続き)

もし、明日死ぬとしたら、今日一日しかないとしたら、
今日一日をどのように過ごしますか?

137 :
究極とはそういうことです。

138 :
>>135

人はドラマを愛していますからね。

どの宗教も正しいです。
本人が癒されているかどうかがすべてです。

139 :
>>138(続き)


最も正しい教えは個々の癒しを尊重します。

ただ一方で、信じることの不完全さに満足できず色々変遷を経て、
どうにもならず、いきつく場所があるのも事実のようです。

140 :
>>138(続き)

信じるという範疇の中で落ち着く人もいます。

極端には、洗脳されて幸せということもあります。
(信仰も洗脳も自ら確かめないという意味では同じ)

本人さえ良ければOKです。

信じることの不安定さに気づく人や、
徹底的でなければ気が済まない人は、
信じることではなく確かめることに重きを置きます。

141 :
>>133 に対する疑問】

>そもそも、信じていないから信じるわけで、
>何かを信じるということは、信じていないことがベースになっています。

私や友人たちは「知らない事物は『知っている人』の言葉を信じるしかない」と考える。
何かを信じるということは「自分では知りえないし経験できないが『経験した』という人を信じる 」ことだと思う。

例えば、私は戦後生まれなので第二次世界大戦を経験していないが、それがあったと信じている。
明治維新や江戸時代についても同様に信じている。
また、目の前にあるもの、例えば、パソコン・ボールペン・コーヒーカップの存在は疑いようがない。
あなたの文章は

>そもそも、知らないから信じるわけで、
>何かを信じるということは、知らないことがベースになっています。

に直した方が良いのではないかと思います。
そうして論理の正しい道筋を改めて歩んでみてくだされば、現在持っておられる結論とは違う答えにたどり着くでしょう。

142 :
>そもそも、知らないから信じるしかないわけで、
>何かを信じるということは、自分は知らない(経験してないし見たことはない)ことがベースになっています。
と書いてあれば私たちも理解しやすいのですが。

143 :
>>141

私は、第二次世界大戦があったかどうか知りません。
ただ多くの人があったと言っているので、
たぶんそうなんだろうと思います

信じる必要も疑う必要もないですよね。

第二次世界大戦があったものとして生きているだけです。

>>142

知らないと必ず信じるわけではないですよね。

知らなくて信じることもあれば、
知らなくても知らないままにしておくこともあります。

信じたいという欲求があるときにのみ信じます。

この欲求についての話です。

何故信じたいのでしょうか?

その根底に何があるのでしょう?

144 :
確信してないから信じるんじゃない?
友達が不慮の事故もなく待ち合わせにくる事は確信できないけどほぼほぼ来るから信じて待つわけで。
別に友達が来ることを根本的に信じてないわけではない。

145 :
>>140
幸福の科学信者なんか信じることしか能が無いので誰一人として幸福になっていない惨めさを露呈。

146 :
>>144

ほぼ来るのなら信じる必要はないのでは?

確信する必要があるのですか?

来ない可能性もなくはないけど、
まあほぼほぼ来るだろう、
ではダメですか?

待つことに恐怖があるのでしょうか?

確かに「恐怖無しに生きるには」というのが
この対話の始まりだったと思います。

もし仮に、友人を待つことに恐怖があるなら、
その根底に不信とそれを否定して信じようとする心理がないでしょうか?

(念のため申しておきますが、
「信じる」という言葉を使うかどうかを問題にしているのではありません。
心理状態についてのお話です。)

さて、待つ人が気楽に待つためにはどうしたらいいでしょう?

疑いがあればあるほど、
「いや、絶対に来るはずだ!信じて待とう!」
のように、疑いとは反対のエネルギーを燃やそうとします。

この葛藤についてお話ししています。

147 :
>>70ですが、シリーズ後作の2冊の抜粋も追加させて頂きました(^^ゞ

『新しき啓示』(神が「神との対話」の世界へのスタンスを述べた後作の書)

◆聖なる書(宗教)は色々あっても、基本的なメッセージは同じだということだよ。違うのは、人間の解釈の方だ。
P21

◆あなた方の世界は今、大きな問題にぶつかっている。
あなた方は信念(神や自分に対する考え方)のレベルで問題を解決しなくてはならない。
行動のレベルでは解決できないのだよ。
行動ではなく、信念を変える努力をしなさい。信念を変えられれば、行動は自然に変わってくる。
P41

◆地球の平和はあなた方が信念を変えた時にだけ達成できる。
しつこいようだが、そこを肝に銘じて理解していなければ、何をしても地球を癒すことは出来ない。
あなた方が癒そうとしているのは、信念が生み出した傷なのだ。
P71

◆この対話の中で私が言う「組織的宗教」とか一般的な「宗教」とは、排他的な教義を教えている宗教のことだ。
言い換えれば、「私達の信じているものだけが、唯一の真の宗教だ」と主張する宗教のことだ。
こういう宗教は問題だ。
全ての宗教が問題なのではない。
P82

◆世界は新しい霊性(スピリチュアリティ)を生み出さなければならない。
古いもの(宗教)に完全にとって代わるのではなく、古いものを新たにする霊性だ。
古いものを縮めるのではなく、拡大する霊性だ。
古いものをくつがえすのではなく、その中の最善のものを支える霊性だ。
P266

◆その霊性は、伝統的な宗教の教えを頭から否定するのではなく拡大し、もう適切でなく有効でもないと皆が考える一部を変えるものだ。
P278

◆人類は大きな危機に直面している。
その危機とは、イデオロギーの対立だ。信念の危機だよ。
P278

◆「(他の宗教・人種・国などより)優れている」という人間の考え方は、あらゆる知的存在が生み出した中で、最も有害な概念だ。
P302

 

148 :
『神へ帰る』(神が死後の世界の事も詳しく述べた後作の書)

◆魂は霊的な世界(あの世)を通って完全な知に到達し、物理的な世界(この世)の道を通って完全な体験に到達する。
どちらの道も必要で、世界も二つある。
P68

◆希望は「死」においても「生」においても素晴らしい役割を果たす。決して希望を捨ててはいけない。
希望は神聖化された思考だよ。
P192

◆あなたは(死後)「一つであるもの(神)」へ戻り、(また来世)「一つであるもの」から分かれて現れる。
これを未来永劫、永遠に、さらにその先まで何度も繰り返す。
P266

◆全ては完璧なタイミングで、完璧な方法で起こる。
「神の王国」において、不完全ということはあり得ない。
「この地上」は神の王国だよ。神の王国の一部でない場所など、どこにも無い。
P276

◆全ての人、全ての事に神を見て、全てを完璧だと見なさい。
P278

◆「神の愛」への信頼は、人生の日々を生きる時に役に立つし、死を迎える日にも同じく役立つのだよ。
私はあなた方を愛している。あなた方すべてを深く愛している。
P436

◆あなたがここ(この世)から去った時、以前亡くなっていつまでも心の中に残っていた人達ときっと再会出来ることを知っておきなさい。
それから後に残していく人達のことも心配しなくていい。永劫の中で、その人達とも何度も再会し、何度も愛するから。
P464

◆本当は皆天使だ。あなたが対立相手だと思っている人、敵だと想像している人達でさえそうなのだよ。
全て神聖な理由と目的が有って、あなたの世界に現れている。
だから闇をののしらず、闇を照らす光となりなさい。
起こる事は皆、想像する中でも最高に素晴らしい世界と経験に導く道を開くのだから。
P482



 

149 :
>>147

> ◆聖なる書(宗教)は色々あっても、基本的なメッセージは同じだということだよ。違うのは、人間の解釈の方だ。
> P21

人間は解釈をします。
そしてそれは必ず分かれます。
たくさんの宗教があるように。

裏を返せばその基本的なメッセージの中身を知りたいのであれば、
解釈をしてはいけないということですね。
「精神でそこに至ることはできない」
のような記述がありましたよね。

精神つまり仏教などで言うところの自我ですが、
このシステムはどのように働くのでしょう?

自我が世界を作っていますので、
自我の構造を明らかにすれば、
世界が明らかになります。


> ◆あなた方の世界は今、大きな問題にぶつかっている。
> あなた方は信念(神や自分に対する考え方)のレベルで問題を解決しなくてはならない。
> 行動のレベルでは解決できないのだよ。
> 行動ではなく、信念を変える努力をしなさい。信念を変えられれば、行動は自然に変わってくる。
> P41

神は存在する、
自分は存在する、
という信念。

そして、そこから発展して、
神とはこういうものである、
自分とはこういうものである、
という信念を持ちます。

大切なのは、どれかの信念が正しくどれかが間違っているということではないですよね。
もし、正しい信念を持ちなさい、ということになると、
結局のところ、解釈が別れ、どっちが正しい正しくないという果てしない迷路に迷い込みます。

では、どうすればいいのか?

右とか左とか、正しいとか正しくないとか、優れているとか劣っているとか、こっちとかあっちとか、
といった二元論とはまったく別次元の方向へアプローチしなければならないということです。

150 :
>>149
1巻5章に、
「精神の旅ではなく、心の道で神にたどり着きなさい」とのことですが、
翻訳の関係で、この場合は精神(常識的思考)、心(感覚、感性)かなと私は考えています。
最も明確に神(神の存在、働き)を知るには「経験」とのことですからね。

あと世界に伝えられているメッセージは同一ということは、各宗教やスピリチュアルの共通項的な核の部分、
例えば「神は世の創造者・支配者で愛である」「生命は永遠である」「人間は神の子である」等ですね。
中には輪廻転生の部分は教団組織に都合が悪いので排除しているような所もあるようですが。

そして誰か他より優れた正しい人間・人種などがいるという、単純な善悪、優劣などの二元論ではダメだということでしょうね。
1巻P62辺りに少し難解な話として、
素朴(未成熟?)な領域の関係は二元的(対極)で、より崇高な領域の関係は三元的(三位一体、循環)だと述べていますね

あまり小難しく考えず、我々が日常的に意識しておくべき事を端的に言えば、
人間は皆、神から愛された素晴らしい存在である。
そして誰にも存在意義がある。
簡単に善悪や優劣は決めつけられないし、決めつけてはいけない、ということだと思いますが。

 

151 :
>>101
西部邁さんの自殺を手助けした男が二人、逮捕されましたね。
いづれ、あの人の死生観についても少しは報道されるでしょうし、自殺を選んだ心境についても、より正確に推理することができるようになるでしょう。

152 :
>>150

確かめるのか信じるのか、ということなのですが・・・。

『神との対話』の定義では、
神はすべてであり同時にすべてでないもの、
ということです。

平たく言うと、あれもこれも神であるというわけですが、
すると神でないものはないわけですね。

神に限界や境界があってはいけないわけです。

全知全能なわけですから。

これは核心をついておりまして、
つまり、神はいないと言っているのです。

神しかないということと、神がいないこととは同義なんですね。

リンゴが在るというのは、
リンゴではないものがあるからです。

リンゴはリンゴではない空間に囲まれているから、
リンゴとして存在できます。

つまり、必ずリンゴとそうでないものとの境界があるんです。

どんなものも境界がなければ、存在することはできません。

それだけしかない、ということはないんです。

それだけしかないということは、それはないということです。

神しかいないということは、神はいないということですね。

神以外のものがあるなら、神は存在します。

もはや全知全能ではありませんが。(笑)

153 :
神を体験するには、
すべての前提を一旦脇において、
何もないところに入っていかなければなりません。

私が解釈した神や、私が理解した神、
もっと言うと私が知ることのできる神は、
相対者でしかなく絶対者ではありません。

私が知る事ができる神は、
私が分類したり定義したりできる神だということです。

私というものは、知っていることしか理解できないのです。

その神は、私が既に知っていることをかき集めて、
それに当てはめられたものだということです。

私が神を理解したなら、その神は私を超えていないのですね。

私の守備範囲にいるのです、その神は。

(もはや私が神です。(笑))

ですからどこまで行っても、その神は、
イメージであり観念なんです。

ですから、私は真っ白になって飛び込まなければなりません。

真っ白な私は、もはや私ではありません。

「それだけになる」ということです。

たとば音に集中し、その中に入ってしまうのです。

音を聞くのではなく、理解するのではなく、
それだけ、になってしまうともはや音ですらありません。

それだけ、ですからもちろん体験者もいません。

その、それだけ、は理解できませんし、解説もできません。

その、それだけ、は日常当たり前に起きていることなのですが、
そこから出て分類・理解したときだけが記憶に残っているので、
神がいないように見えるのです。

すべてであり同時にすべてでないものが体験できないのです。


さて、神しかないのですから、
神がいるとか信じるとか体験するとか、
ナンセンスなんです。

空気のような存在、当たり前の存在なわけですから、
とりわけ意識する意味はないですよね。

神を信じることなく、普通に生活している人の方が、
よっぽど神を完全肯定しているわけです。

154 :
90 さんへ
 私は唯物論から有神論へと転向する過程でいろいろなことを考えたのだが、その一つが「目に見えないもの」についてだったのは、当然と言えるだろう。
 私たちは多くの「目に見えないもの」に囲まれて暮らし、その恩恵に預かっているよね?。例えば電波、赤外線、紫外線、電磁波、放射線といったものは、私たち人間の目では直接には見えないものだ。
 また、耳に聞こえない音というものもある。いわゆる超音波をレーダーのように使って蝙蝠が暗闇を飛んでいるのはあなたも聞いたことがあるだろう。「犬笛」は人には聞こえないが、犬には聞こえるそうだ。
 犬や豚の嗅覚が人間より遥かに優れていて、麻薬探知犬やトリュフ探しに豚を使うこともある。フクロウの暗視能力や鷹の動体視力も人間には無い。
 あなたは多分、携帯かスマホを持って日々利用しているだろうが、他の人のスマホとの間を繋いでいるという「電波」を見たことがあるかい?。有り得ないよね。でも、実在している。
 そう、21世紀に生きる私たちは、最初に「目に見えるものは存在する」と認めて考えるべきなんだと私は思い至ったのです。

155 :
人間の五感なんて、それほど優れているわけではなく、お釈迦様の時代から、「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六識のうち、唯一、他の動物より優れているらしいのは「意識」だけなんだよね。

156 :
うまく言えないけど、ともかく、目に見えないものを、その存在を認めないというのは、19世紀的な発想だと思う。
現在の科学は、「目に見えないもの」を研究している。

157 :
「目に見えないもの」のなかには、未来や過去がある。他でもない、あなたの未来も、まだ見えてないけど、確実にある。
おそらくは、肉体の死後のあなたの意識もある。
 今日はここまで。

158 :
つまり、私の体の機能がこうだから、
世界はこうなんですね。

159 :
ホーキング博士の幽霊は"自由"だった

先月亡くなった、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士は生前、自身が研究で追いかける最終的な問いについて、こう語っていた。

なぜ今のような姿であり、なぜ存在するのか――。

これは、博士が自分自身についても、投げかけ続けた問いでもあろう。博士は、21歳の若さで筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症し、全身の筋肉が徐々に動かなくなっていくという、過酷な運命と闘った。

晩年、宇宙を解明する理論を進化させるにつれ、博士は人と神の存在について、以下のような"結論"を出していた。

「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」(*2)

「青の導火紙に点火して宇宙をスタートさせるために神を持ち出す必要はない」(*3)

では今、博士が運命と闘った汗と涙、そして、宇宙の仕組みに対する天才的な慧眼は、全て消えてなくなってしまったのだろうか――。

「あの世を受け入れられない科学者」という現代的問題
そうではなかった。博士が亡くなってから約3週間後の4月4日、大川隆法・幸福の科学総裁の元に、博士の霊からコンタクトがあった。大川総裁は博士の霊を身体に入れ、霊言を行った(*4)。

博士は霊言の冒頭、自身の今の状況への困惑を以下のように訴えた。

「It's a mystery. Am I alive or not? Are we alive? I'm thinking, thinking, thinking or dreaming, dreaming, dreaming?」
(不思議なんだ。私は生きているのか? 我々は生きているのか? 私はずっと思考し続けている……もしくは、ずっと夢を見続けているのか?)

本欄を読みながら「霊などない」と思っている人も、仮定でもいいので、想像してみて欲しい。もし自分の死後、予想に反して、意識が残ってしまったら。自分が生きているのか、死んでいるのか分からず、混乱するだろう。

160 :
博士は、質問者である幸福の科学職員に「あなたは霊だ」と説明されても、「No one can prove that(そんなこと、誰も証明できない)」と受け入れない様子だった。
しかし博士は、音声合成装置もなく話し、車椅子なしで移動している。その矛盾を説明できず、戸惑っていた。

科学的なアプローチで、世界の様々なことを説明できるようになればなるほど、宗教的な世界観を拒否するようになる人は多い。博士の困惑は、そんな現代社会の問題を象徴しているといえる。

「神に呪われた」人生だったのか?
博士は対話を進める中で次第に、なぜ自身が無神論となったのかを語る。そこには、「物理学的な結論」とはまた別の不条理感があった。

「If God made me, I cannot accept the reason why I'm so heavily destroyed my physical actions, or perception. I hate God. If you think, you believe, that you are like gods, or God. I cannot believe that kind of God」
(私が神に創られたとしたら、なんで自分がこんなに重い肉体的障害があって、知覚も障害があったのか、その理由が納得できない。神なんか嫌いだ。君らが、『自分は神に似せてつくられた』と思うとしても、私はそんな神は信じられない)

しかしその後の対話の中で徐々に、博士の中にあった「神に呪われた人生だった」という見方が揺らいでいく。

そして博士は自身の境遇を、『旧約聖書』に書いてある「義人ヨブ」に重ね合わせるかのような言葉を口にし始めた。

「ヨブ記」では、信仰心深く、心正しく生きていた義人ヨブが、神により、病気や身内の死などの、ありとあらゆる災難を与えられる。そんな中で神を疑うようになったヨブに対し、神は次のような主旨の言葉を与える。

「おまえに神の心が分かるのか。この宇宙を創ったものの、ほんとうの思いが分かるのか。なぜ私がおまえにこのような試練を与えているか分かっているのか」

ヨブは心改め、その後、大きな幸福を得ることになる。

161 :
ホーキング博士は、過酷な運命と戦いながらも、偉大な理論や功績を残した。そして、世界中の人々を勇気づけた。それは、当事者にとっては過酷な時間だったかもしれない。
しかし霊として「自由な身体」となった今、その人生を振り返れば、苦難の経験は魂の勲章として、さらに大きな喜びにつながっていくに違いない。

自身の人生の意味を、そして幸福も不幸も共存するこの宇宙が存在する意味を、博士はこれからも追究し続けるのかもしれない。

162 :
目に見えないものも目に見るものも、すべてのことについて、
ありとあらゆる前提を一旦脇に置いておいて、
ゼロからはじめてみるというのはいかがでしょうか?

163 :
未来や過去など、確実に在ると言えるものであっても、
目に見えないものは存在しない、という19世紀的な発想と同様に、
絶対的な根拠にはなりえません。

目に見えないということを根拠に無いと判断することと、
目に見えないけど何らかの根拠に基づいて在ると判断することは、
同義ですよね。

私が得た根拠に基づいて在るとか無いとか判断しているという意味で同じなわけです。

その根拠は自我という機能が作り出したものであって
どこまでいっても相対的です。

私というものは絶対者ではないので。

164 :
未来とか過去という概念は、
そもそも人間が作り出したものですよね?

大前提として時間というものが存在しているという考えがあるのですが、
時間も人間が創り出したもので、そもそものところ存在しません。

それは私たちの決め事ですよね。

動きとか変化のことを時間と決めたわけです。

そして、動きとか変化は、人間が記憶という機能を持っていなければ、
存在し得ません。

記憶という機能や私の体の機能が、動きとか変化を作り出しているのです。

「犬笛」が聞こえる機能を持つ犬がそれに反応するように、
記憶という機能やこのような体の機能を持つ持つ人間が、
動きや変化が存在すると判断しているのではないですか?

165 :
目に見えない世界があるという主張は、
人間に認識できない世界があるということとは違いますよね?

前者には目に見えない世界を認識する主体つまり私が必ずいますが、
後者にはそれがありません。

つまり、死後の世界も私(自我)の投影だということですね。

そうなってくると、生きている世界も死後の世界も、
私(自我)というメカニズムが作り上げた幻想であるということになります。

166 :
人は、
「何の罪も無い人が何故こんな目に?」
などのように考えたりします。

ところが実際にはそこに理由はありません。

ヨブがどんなに善人であっても災いは降りかかります。
そこに理由は無いのです。

ところが人はどうしても「何故?」と問います。

そして、試練とか前世などを持ち出して納得を得ます。
(試練も前世も私の中の根拠でしかありません。
つまり相対的なものです。)

自我は納得を得たいのですね。

ところが疑問を作り出さなければ納得も要りません。

疑問は作り事なんです。

問題は、「何故?」と問うことなく「分からない」というそのままの中に安住できるかどうかなんです。

安住する人の「何故?」と安住できない人の「何故?」は、
まったくの別物なんです。

167 :
「神との対話」の中で語られている内容に非常に参考になると思いましたので、
補足・参考資料として追加しました。

「神との対話」の内容の、「医学的奇跡・体験を通した証拠・証明」版とも言えると思います。

※補足、参考資料。

『喜びから人生を生きる!(臨死体験が教えてくれたこと)』アニータ・ムアジャーニ著

4年越えで絶命寸前までいった末期ガン(ステージ4B)・多臓器不全からの臨死体験、
そして意識復帰と数日での大きなガン部位の消滅・臓器回復という奇跡的体験(何人もの癌専門医が詳細に病院での病状データを検証・確認し驚く)をした女性が、
臨死時の具体的な詳細を語った貴重な本です。
この本もベストセラーであり、かつ読んだ人全体から相当に高評価されている本です。


ちなみに「神との対話」の中で神が語っている内容、「宇宙との一体感、完璧性」や、

『神との対話2』

◆死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大の自由、最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。
P84

『神へ帰る』

◆死とは、人が力強くなる時だ。死というプロセスを通じて、その人の在り方が拡大されるのだから。
P336

◆全く不充分だが、なんとか言葉にしようとすれば、温かく包まれ、深く慰められ、大切に慈しまれ、心底から評価され、
真に貴ばれ、優しく育まれ、底まで理解され、完全に許され、まるごと抱きとられ、長く待ち望まれ、明るく歓迎され、
全面的に称えられ、喜びのうちに寿(ことほ)がれ、絶対的に守られ、瞬時に完成され、無条件に愛されている。
これらが一つになったものと言おうか。
P359

◆まず、あなたは自分が身体ではないことに気付く。(第一段階)
それから自分の信念に基づいて経験すると予想した事を経験する。その経験は好きなだけ楽しんでいられる。(第二段階)
それから死の第三段階へ進む。この最後の段階で、あなたは「エッセンスとの全面的な溶け合い」を経験し、
その経験から分かれて現れ、終わったばかりの物理的な人生を振り返り、
あなたの言い方で言うなら「先(霊的世界)へ進むか、(物質的世界へ)戻るか」を決定する。
P437

以上の神の言葉そのものの体験話だと思いました。

 

168 :
抜粋の中の一部です。この一部だけでも、「神との対話」への大きな確信と、「死」への安心に繋がると思います。

P1〜
まえがき ウエイン・W・ダイアー博士

アニータは、四年以上にわたる癌との闘いで、死に直面しました。つまり、死の瀬戸際まで行き、それを越えて、
死の家の中へと入って行ったのです。彼女は、その体験のすべてを詳細にこの本で述べています。
自分が抱いている信念、特に来世と呼ばれるものについて、もう一度考え直すくらいの気持ちでじっくりと読んでみてください。  
彼女は、死の淵から戻ることを許されただけでなく、物質世界を超えた向こう側の世界がどのようなものなのか、
そして、それよりもっと重要なことですが、そこではどのように感じられるのかについて、私たちみんなに伝えることを許されました。  
この本を読めるあなたはとても幸運です。なぜなら、癌とのすさまじい闘いや神の癒しを体験した旅の中で、
アニータが悟りえたあらゆることを自らの人生に生かせるのですから。  

P284〜
訳者あとがき

臨死体験の本は数多く出版されていますが、本書が際立っている理由は、臨死体験後、末期癌から奇跡的治癒を遂げたことにあると言えるでしょう。
死を迎えようとした時、アニータはほとんど全身を癌にむしばまれていましたが、臨死体験後、
すべての癌が短期間のうちに一つ残らず消えてしまったのです。
この事実には、アニータが自らの体験を投稿した臨死体験研究会(NDERF)の代表者である癌専門医も非常にまれなケースだと注目しました。
さらに、もう一人のアメリカ人癌専門医コー医師も、この異例の回復ぶりに大いに興味を持って、
アニータと彼女の主治医に会うため、アメリカから香港へ訪れたほどでした。アニータのケースは、
癌専門医を対象としたコンファレンスで紹介されるなど、医学界でも注目を浴びたのです。
このような奇跡的治癒と医師による調査結果は、彼女の臨死体験が真実であることを示す証拠にほかなりません。

169 :
P19〜
「心臓はまだ動いていますが、奥様の意識はもうありません。助けるには手遅れです」と、医師は夫のダニーに告げました。
「医師は誰のことを話しているんだろう? 私は、こんなに最高の気分なのに。
ママやダニーは、どうしてあんなにおびえて心配そうなの? ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの?
お願い、泣かないでちょうだい。私は、大丈夫よ!」 大きな声で言っているつもりでしたが、声になりになりませんでした。
母を抱きしめ、慰めて、私は大丈夫だと言いたかったのですが、なぜそれができないのか、まったく理解できませんでした。
どうして身体が言うことをきかないの? どうして死んだみたいに横たわっているの? 愛するダニーや母を抱きしめて、
私はもう大丈夫で、痛みもまったくないと安心させたいのに……。
「ダニー、見てちょうだい。もう車椅子なしで動き回れるのよ。最高の気分!もう酸素ボンベもいらないわ。
呼吸も苦しくないし、皮膚病変も消えている。傷口はじくじくしてないし、痛くもないわ。四年間苦しかったけれど、
やっと元気になったのよ」私はただ、この上ない喜びに包まれていました。私の身体をむしばんでいた癌の痛みから、
やっと解放されたのです。

その時、自分は死ぬのだと悟りました。「ああ…… 私は死ぬんだ。死ぬって、こんな感じなの?
これまで想像していたのとは、まったく違うわ。とても安らかで、穏やかな気分…… やっとやっと癒された気がする!」
私は、たとえ身体の機能が止まっても、生命という大きなタペストリーの中で、あらゆるものが完璧であり続けると理解したのです。
すなわち、それは、人は死なないということでした。  

苦しみや痛み、悲しみなどはすべて消えていました。ものすごい解放感で、こんな気分になったのは生まれて初めてでした。
純粋な、無条件の愛としか言い表せないものに包まれている感じがしました。
私は、この愛のエネルギーにどっぷりと浸かり、元気を取り戻しました。そして、この地こそ自分のための場所だと感じました。
何年にもわたる闘いや苦しみや不安や恐れのあとで、ようやく本当の我が家にたどり着いたのです。



 

170 :
「残念ですが、もう奥様のためにできることは何もありません。奥様の臓器はすでに機能を停止しました。
レモン大の癌が、頭蓋骨から下腹部まで、すべてのリンパ系組織に広がっています。肺だけでなく、脳も液体でいっぱいです。
癌による皮膚病変も見られます。おそらく今晩が山でしょう」 医師はダニーに、そう告げました。

P104〜
外見上は、昏睡状態に見えていました。
私は、どんどん外へと広がっていき、周囲の物理的環境から引き離されていくのを感じました。
そこにはもはや空間や時間の拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より大きな意識と一つになっていくようでした。
身体を持っていた時には体験したことのない、自由や解放感がありました。それは、歓喜や幸福が散りばめられた、
至福感としか言いようのないものでした。
ともあれ、長い身体的闘いからやっと解放された私は、この自由というすばらしい体験を楽しんでいました。
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。

P106〜
驚いたことに、私は十年前に亡くなった父の存在に気づきました。それは、私に信じられないほどの安心感を与えてくれました。
「パパ、ここにいたの! 信じられないわ」 実際には、そう言ったのではなく、ただ思っただけでした。
そのような感情を抱いたというほうが正しいかもしれません。その世界では、感情が唯一の対話方法だったのです。
「そうだよ、アニータ。おまえや家族のために、いつもここにいたんだよ」 父は私にそう伝えました。
これも言葉ではなく、感情によるものでしたが、私にははっきりとわかりました。
それから、三年前に癌で亡くなった親友ソニにも気づきました。父やソニの存在が優しく抱きしめるように私を包み込んだ時、
ワクワクした高揚感に満たされ、心から楽になったのです。彼らは、私が気づくずっと前からそばにいてくれ、
病気の最中も見守っていてくれたのだと わかりました。さらに、他の存在にも気づきました。
それが誰なのかわかりませんでしたが、彼らが私のことをとても愛し、守ってくれていることがわかりました。
彼らはいつもそこにいて、私が気づいていない時でさえ、大きな愛で包んでくれていたのです。

 

 

171 :
P107〜
私は身体の五感ではなく、まるで新しい感覚を手に入れたように、限界のない知覚を使っていました。
それは、通常の能力よりもはるかに鋭く、三百六十度が見渡せて、自分の周囲を完全に認識できました。
驚嘆すべきことのようですが、それが普通に感じられたのです。もはや身体の中にいることのほうが、
制限された特殊な状態であるように感じました。

P130〜
昏睡状態から目覚めて二日も経たないうちに、医師は、奇跡的に臓器の機能が回復し、
毒素で晴れ上がっていたのもかなりおさまってきたと告げました。
別の癌専門医が定期健診を行った時、彼は驚きを隠せずに、こう叫びました。
「あなたの癌は、このたった三日間で、目に見えて、かなり小さくなっています。
それに、すべてのリンパ節の腫れもひいて、以前の半分くらいの大きさです!」

P150〜
2006年の夏ごろでしたが、アメリカに住むもう一人の癌専門医から連絡をもらいました。彼はピーター・コー医師といい、
自然に癌が治癒したことに興味を持っていると言いました。
私は彼と数時間電話で話をし、特に、病状と自分の体験についての詳しい内容を教えました。
それから、私の病歴に関する書類を彼にファックスで送りました。
その中には私が病院へ運ばれた2月2日の医師の報告書も含まれており、「リンパ腫、ステージ4B」という診断と、
私の病状と見通しが記載されていました。
これらの書類を読んだあと、コー医師が最初に発した言葉は、「この書類を見るかぎり、あなたはすでに死んでいるはずです!」でした。

172 :
P167〜
私にとって、もはや死は、他の人が考えているのとは異なるものになりました。ですから、誰かが亡くなっても、
嘆き悲しむことがとても難しくなったのです。もちろん、親しい人が亡くなると、この世でもう会えないことを悲しみますが、
亡くなった人のためには、悲しまなくなりました。それは、彼らがもう一つの世界へと移動し、幸せだと知っているからです。
そこで悲しんでいるはずなどありません。

P265〜
自分が死んだ時は、まるで夢から目覚めたような感じでした。どこかに行ったような感じではなく、
覚醒して、三百六十度の視野と、完全な共感覚(複数の感覚が同時に認識されること)が得られたようでした。
自分に関わるあらゆるものが見え、聞こえ、感じられ、わかったのです。私は、自分の過去、現在、未来を同時に生きていました。
さらに、私に関係する出来事は、壁や空間を超えて、すべてわかりました。
ですから、医師たちの会話が聞こえ、兄が飛行機に乗っているのが見えたのです。


以上です。

 

 

 

173 :
>>167
> それから死の第三段階へ進む。この最後の段階で、あなたは「エッセンスとの全面的な溶け合い」を経験し、
> その経験から分かれて現れ、終わったばかりの物理的な人生を振り返り、
> あなたの言い方で言うなら「先(霊的世界)へ進むか、(物質的世界へ)戻るか」を決定する。

瞑想などによって同様の体験が起こります。

例えば、音が聞こえるとき音の中に完全に入ってしまいそれと完全に同化してしまうと、
私は消え、音だけになります。
それが音であることを認識する私がおらず、
音しかないので、つまり音以外がないので、
もはやそれは音ですらなくなります。
それは私のまったく知らないものです。

「エッセンスとの全面的な溶け合い」とはそういうことですよね。

ただしこれらの理解はそこから出たとき、
つまり振り返ったときに起こります。
その中にいるときは、私がいないとか、
音しかないとか、知らないものであるとか、
といった認識はありません。

認識する主体がないので当然です。

実は、このようなことはしょっちゅう起こっています。

自分の考え、つまり分類し判断することに忙しくて気づかないだけです。

その意味で、しょっちゅう死んでいるのです。

174 :
臨死体験は死んでいませんね。

あくまで臨死、つまり死と向き合いその場に居合わせている体験です。

体は機能を停止しているけど私がいるということは、
私は死んでいないということです。

まあ、エッセンスの中に入ったり出たりしている、
といったところでしょうか・・・。

175 :
現実とは脳が見る夢です。
脳が(あるいは体がと言った方がいいかもしれませんが)、
体験することはそれがどのようなものであれ
私という固体にとっての現実になります。

176 :
すべてが幻想であることが分かりますと、
私というものの方針について頓着する必要がなくなります。

こうでなければならないんじゃないかと思い煩う必要がなくなり楽になります。

私はどうでもよくなります。

こうでもああでもいいのです。

どんなに人と違っていても気にならなくなります。

自分の歌を歌い、自分の花が咲きます。

177 :
https://togetter.com/li/1052127



こんな新興宗教も世の中にはあるらしい
へぇ〜

178 :
一番正しい教えなんてありません。
釈迦が説いた教えは実は人生哲学であって宗教ではない。
だから釈迦は摩訶不思議は説いていない。それを後世のバカが宗教に
してしまった。だから仏教も正しい教えではない。
なぜ宗教なんてバカなことを現代人が信ずるの?
今は人間が月に行く時代。宇宙のことも物質のこともかなり分かって
来ている。なのに何にも分からなかった時代の無知蒙昧な人間の世迷言
を信ずるの?

179 :
>>178
「唯物論」が『一番正しい教え』だとでも思っている?

だとしたら、あんたが一番バカかもしれませんね。

いつの時代にも、「未知なるもの」があり、どの時代にも、最先端にいる人は「誰も知らないこと」
を解明するために心の汗をながしているのです。そして自身がたどりついた結論の「その先にもまだ何かある」と感じつつこの(この世の)人生を終えるのではないでしょうか?

180 :
>>179
>>178の文章から唯物論を導き出すお前のほうが超が付くバカwww

181 :
兄弟に対して怒る者、…ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
…祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、
そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、
それから帰ってきて、供え物をささげるようにしなさい。

182 :
「わたしは愚かである」
と認められる者こそ、
賢者である。

逆に「自分は賢者である」
と思っている者こそ、
愚者と呼ぶにふさわしい。

183 :
>>177

私も色々変遷してきました。

中学高校は平井和正とGLA、
大学は統一教会とプロテスタント、
社会人で「波動の法則」と「神との対話」、
後にクリシュナムルティの書物と出会い、
更に後に2chで仏陀の教えをストレートに受け継ぐと一部の人に言われる
原田雪渓氏の「自我の本質」や町野久義氏の「禅友に贈る書」と出会い、
禅というものを知り、
瞑想によって無色透明中立で未知のものを体験しました。

世にどんな情報があろうとも、
自分と向き合うほか無いのですね。

184 :
>>178
> 一番正しい教えなんてありません。

同感です。

何事にも固執せずどのような教えも無しに生きるとき、
人は最も軽やかなのかもしれませんね。

185 :
>>181
>>182

聖書の一節ですね。

「自分は賢者である」と思っている人も、
「自分は愚者である」と思っている人も、
同じ土俵の中にいます。

怒ることや、ばかと言う事や、
そしてそれを悔い改めることなどは、
同じひとつの土俵で行われています。

たとえるなら御釈迦さんの手の平の上で飛び回る孫悟空です。

これらとまったく異なる次元を知る事で、
人生はとても楽になります。

186 :
>>1
キリスト教よりはイスラム教がベターだと思いますが。
そして天理教よりは日蓮系がベターだと思いますが。

187 :
聖書のみ

188 :
【富豪きどり、株主″】 マイトLーヤ『日本人の投機家たちは、高いビルの窓から、飛び降り始める』
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1529546724/l50


株は企業のもので、ギャンブル場のものではない、株式市場は廃止しろ!

189 :
貴様らのケツの穴からは
ウンコが出てくる。
どうだ、正しい教えだろ?

190 :
>>186
> >>1
> キリスト教よりはイスラム教がベターだと思いますが。
> そして天理教よりは日蓮系がベターだと思いますが。

ベストはなんでしょうか?

191 :
>>187
> 聖書のみ

井の中の蛙ですね。

192 :
>>189
> 貴様らのケツの穴からは
> ウンコが出てくる。
> どうだ、正しい教えだろ?

正しいです。

その程度ですか?

193 :
.

194 :
>>190
それが、ベストの宗教はどこなのか、現時点では答えが分からんのですよ…

ただ、キリスト教と天理教に限れば予選リーグで敗退ww

195 :
>>194

敗退の理由はなんでしょうか?

196 :
>>195
組織の論理優先で、肝心な救済力が大幅に低下しているからだと
総長氏がどこか別のスレに記載しているのを見たことがあります。

197 :
●ウンコ自体が神●

198 :
>>196

組織は組織となった時点で組織であろうとする力が救済力より優先されがちですね。

さて救済についてですが、
どのような宗教にも私は救われたという人がいます。

リンゴで幸せになれたという人もいれば、
マンゴーで幸せになれたという人もいます。

どっちが正しいという議論はいつも不毛に終わります。

では、リンゴもマンゴーも無しに幸せになることはできるでしょうか?

199 :
>>197

いやですから、それは正しいのですが、
その程度であれば、イエスは神の子であるという主張と同じ土俵です。

○○が神であるとか、○○が正しいとか優れているとか、
そういった次元を超えることはしないのですか?
という問いです。

200 :
200

201 :
::::::.'´.::::://   /    /   l     __/___l_         ヽ ::::::::::::::::::::   ___
:::::::::::::::,' _ .ノ    i   l l    '´7 ̄ ̄「`,'!  l      ヽ、::::::::::::::  /     ヽ
:.:.:.:.:.:.:..! `ーノ    , !   !人!、  ト、 ,'    l/l    | ,   !  !`.:.:.:.:.:.:.: / そ そ お \
:.:.:.:.:.:.:,l.. -‐'   , ,.イ ヽ l   >、!‐V=- 、  l/!  l /  !  i|  |.:.:.:.:.:.:.:./   う う  前  |
:.:.: : : :`!ー - ‐'ィイ |  |l l^`  / /⌒ヽ  `}!    l  ,l/! `メ、   !.: : : : /   な 思 が
:.: : : : : >!、 ,   !.! !  l l    {! l 。  !        lノ ィ=V、    i,!: : :l     ん う
: : : : .,ト、`<´...::!:l. !  ! |      ヽ _ノ           , '´`i,l| ,/ i | :   |.   だ ん
.: .  /`>-ヽ.:l.:l:.:l   l l      ー:::.        l.。 / 'i/   !、!     |.   ろ な
.:  / /.:l,ィ'´`ト、:.:.|  l |                  ー< /  ,'      ヽ   う  ら
  ,' /.:.l.:.l  l.:.:!.l..l  ! l             l:〉   /,/ /        ゝ
  ,   .:l.:.:l  l.:.:.l i、!    !                /ノ| /l       /
 ,   .:.:.:.:|  l.:.!ノ.レ|  i l        __     / l::lノlノ      /    お ・
 !  .:.:.:i.:l  ,L:ノ  l  | ト、       ´ー`'    /.:  l.:|        .|  で  前 ・
. l   :.:.:.:l:,!-<  `ヽ、l  | l:::.\       ,. '´|:.:.:i   l       |  は  ん ・
..!   :.:.:.l,ィ^ヽ、ヽ、 ヽl  :l. l .:.:.:.ヽ、   ,  '    l:.!:.:l   !       |  な  中 ・
.!  .:/.:.:/ \\   l l  l .:.:.:.i'´`´      l:l.:.:|  |       l         /
.  〈ヽ、/     \ヽ、.l :l l l`ヽ、ー-、      ll.:.:.:!  l        \____/
 /´`ヽヽ、     `ヽ、l l  ト、 ``.:.:l       l:..:.:.| イ|

202 :
究極と言うなら無宗教で道徳を勉強し
生きるしかない。ホントに神や不思議な
力があるなら特定の宗教だけが救われる
とか最高の人間になれるとかはない。

203 :
>>202

道徳が必要な理由はなんでしょうか?

204 :
>>201

なぜそう思いますか?

205 :
どうやって幸せになるのか

206 :
>>203
最低でも、人に迷惑かけない。

207 :
科学はつまり観察日記まとめに過ぎず
その観察領域は(全域から見れば)無限に薄(ペラ)いという事実 - -;
ペラ部を超えた深い領域で分かった事など何ひとつ無い - -;
ペラ学者の中にはメタ異世界の存在を想像できない者さえ居る - -;

208 :
>>1
🙋 取り敢えず 究極(時空・因果無限遠)は不可知 w

209 :
犬なんてうるさい動物は地球上からいなくなればいいのに
せめて日本からいなくなればいい

210 :
AI上に自意識や感情を構築する愚か過ぎる(不可能な)夢は
いざ実現すれば「不吉な娯楽」以外には何の使い物にもならない 笑w 🙋

211 :
究極は不可知 👴

212 :
θ

213 :
>>205
> どうやって幸せになるのか

過ぎたことをいつまでもくよくよしないこと。

自分についてこうでなければならないと決め付けないこと。

意識を自分の内ではなく外に向けること。

214 :
>>206

人に迷惑をかけないで生きることができるのでしょうか?
良かれと思ってしたことでも、相手によっては迷惑と感じるかもしれません。

215 :
時間 空間 可能性 法則 摂理 意識 生命
の正体も誕生機序も明かせないのだから
どんな科学論理も究極的には不確定に沈む事になる - -;

216 :
>>207
> 科学はつまり観察日記まとめに過ぎず
> その観察領域は(全域から見れば)無限に薄(ペラ)いという事実 - -;
> ペラ部を超えた深い領域で分かった事など何ひとつ無い - -;
> ペラ学者の中にはメタ異世界の存在を想像できない者さえ居る - -;

深い領域とは例えば何でしょうか?

217 :
>>208

不可知であることをどのようにして確かめたのでしょうか?

218 :
>>210

「不吉な娯楽」とはどのようなものでしょうか?

219 :
>>211

不可知であることを確かめることができるのですか?

220 :
>>215
> 時間 空間 可能性 法則 摂理 意識 生命
> の正体も誕生機序も明かせないのだから
> どんな科学論理も究極的には不確定に沈む事になる - -;

これらの正体は何でしょうか?

221 :
>>216
深い領域とは例えば何でしょうか? ← ↙ こんな事ゃ 🙎

唯物論で意識(メタ現象)は解けない 分かってんやろ? 👴
意識誕生機序は? 🙋  生命誕生機序は? 🙋
時間誕生機序は? 🙋  空間誕生機序は? 🙋
法則誕生機序は? 🙋  摂理誕生機序は? 🙋
機能誕生機序は? 🙋  可能性誕生機序は? 🙋  
ペラ現実の基本構成要素の正体は何一つ明かせない w 🙌
つまり 現実は背後(不可知)の永遠無限メタ複合構造総体に因っている w 👴

222 :
>>217
不可知であることをどのようにして確かめたのでしょうか?
↑ 論理的に 🙋 時空・因果無限遠には辿り着けない 🙎

223 :
>>218 「不吉な娯楽」とはどのようなものでしょうか?
↗ 社会の要職は任せられないが
  厳重な管理下でのゲーム相手になら使えるかも?という意 🙎 w

224 :
不可知であることを確かめることができるのですか?  
↑ それさえ出来ない不可知領域から世界が生じていると思うしかない 🙎

225 :
>>220  これらの正体は何でしょうか?  ← 不可知が気に入らないならkamiとでも 🙎 w

226 :
爺の身体の9割以上は過去に
近所のスーパーで売られていたものだが
誰もその様に爺を認識しないのは
爺の意識・生命主体が存在するからw 👴

227 :
>>221

もっと深い領域は無いのですか?
誕生するとかしないとか以前の。

228 :
>>222
> >>217
> 不可知であることをどのようにして確かめたのでしょうか?
> ↑ 論理的に 🙋 時空・因果無限遠には辿り着けない 🙎

すみません、日本語が分かりづらいです。
論理的にたどり着いたのか、たどり着けないのかどちらでしょうか?

229 :
>>224

つまり確かめることはできないということですね。


>>225

つまりこれらの正体は分からないということですね。

230 :
>>228  論理的にも現実的にも辿り着けないよね? 😄 w
>>229  不可知は永遠無限に存在してるゆえに神秘は否定出来ない 😄 w

231 :
>>230

不可知が存在している、ということにはたどり着いたのですか?
どのようにしてその存在を確かめたのでしょうか?

232 :
>>231  時間や自己意識の正体は掴めんやろ? 🐼

時間機序 空間機序 可能機序 法則機序
摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序

これら ↗ 「不可知体」が現象基本原理だから
神秘領域を否定する論理は存在し得ない 🙋

233 :
>>232
> >>231  時間や自己意識の正体は掴めんやろ? 🐼

時間や自己意識というものがあるという前提ですね?

正体をつかむということ以前の話をしています。

なぜ、時間というものがあると思うのでしょうか?

234 :
>>232
> 時間機序 空間機序 可能機序 法則機序
> 摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序
>
> これら ↗ 「不可知体」が現象基本原理だから
> 神秘領域を否定する論理は存在し得ない 🙋

つまり、あなたは不可知が存在することに論理的にたどり着いたということでしょうか?
否定する論理が存在しないから不可知があると?

235 :
>>234
この無数の世界事象の如何なる根底にも辿り着けないし
(それらの根底が見つかるのも逆に壮絶奇妙だしあり得ないしw)
全方位の先の先は どうしたところで不可知じゃん? 🙇

時間機序 空間機序 可能機序 法則機序 摂理機序 意識機序 生命機序 創発機序 🙌

236 :
爺の身体を構成する素粒子群の殆どが
過去に近所のスーパーで売られていたものだが
自他共にそんな気がしないのは
爺の「意識生命主体」が存在するから 🙏

237 :
>>235
> >>234
> この無数の世界事象の如何なる根底にも辿り着けないし
> (それらの根底が見つかるのも逆に壮絶奇妙だしあり得ないしw)
> 全方位の先の先は どうしたところで不可知じゃん? 🙇

・・・ということに論理的にたどり着いたということでよろしいでしょうか?
あなた(人間)の頭が導き出した結論だということでよろしいですか?

238 :
一番正しい究極の教え

239 :
>>237
「不可知に論理の網を被せてその形状をなぞる 🙇」 ← これ気に入ってんょ 🙇

240 :
科学領域の外には
永遠無限メタ複合構造不可知総体の存在が必然演繹される 🙇

241 :
>>239
論理の網を被せてその形状をなぞれるなら不可知でも何でもないやろ

242 :
>>1
一番正しい究極の教えを疑え

243 :
>>240
演繹?

244 :
阿含宗について
阿含宗は阿含教を世に広めた所は正しかった。ただし出した人間が悪かった。故桐山靖雄は阿含経を出してる
ことを盾にして悪いことの方をしほうだいだった。悟りを得たときの分析法を間違えていた。
釈迦もキリストも阿含経が世に広まるまではとがまんにがまんを重ね、耐え、目をつぶっていたが、
とうとう人間界だけでなく、神々、仏々の界まで私物化しようとし、晩年に神々、仏々から襲撃をうけている。
だから、阿含宗は桐山から部分的には参考にしても今はおまいりはしちゃいけません。さらに黒幕だった
不動明王やイルミナティーもおまいりしてはいけません。この3体のいずれかに、キリストもヤーウェも
ガブリエル、アマテラスもルシファー、降三世明王、釈迦、アカシックレコードや宇宙(大日如来)などまで、
だまされることがあります。以前宇宙に大事なことが「そういうことはなかったんだ」と
言われ3日後に再び聞いたら「あったあった、ごめん」と霊媒師を通じて言われたことがありました。
彼らはいったん抹消され復活してくるところも抑えられ現在人格形成を修正中です。
また釈迦の骨がまつってあり釈迦もいますが、お釈迦様も悟ったときの分析法を少々間違え、
それによってその後の行動パターンも決まってしまってるので抹消はされないが、
そこは仏弟子達(舎利子やアーナンダ、毘沙門天や孔子も?)やキリストなどもとともに反省して直って
もらわなければなりません。そうしたらみんな阿含宗にいき徳を積み、その後解読された阿含経の7科37道品
をそれも改良してたどっていき悟りを開いたらいいでしょう。とにかく悟ったときの分析法は大事です。

245 :
高山市職員、死者の遺留金868万円着服容疑で逮捕 | 岐阜新聞Web
https://www.gifu-np.co.jp/news/20181204/20181204-95540.html

岐阜県警高山署は3日、身寄りのない死者の遺留金の一部約868万円を着服したとして、業務上横領の疑いで、高山市三福寺町、市職員の容疑者(32)を逮捕した。

 逮捕容疑は、11月19日ごろ、市内の自宅で同5日に死亡が確認された無職男性=当時(88)=の所持金品約915万円のうち、約868万円を着服した疑い。

 署によると、容疑者は同市の福祉課に所属。身寄りのない遺体を引き取る業務に携わっていた。男性が自宅で保管していた約915万円を署員から受け取っていた。

 署によると、11月30日、市の公用車の中に現金200万円があるのを別の職員が発見。
容疑者が受け取った金とみられたが、市役所に保管されていた約40万円以外の残りが見つからず、市が「遺留金が合わない」と署に相談していた。捜査を進める中で容疑者が横領を認めたため、3日、署で逮捕した。「間違いない」と容疑を認めているという。

 署は詳しい動機や使途などを調べている。

 逮捕前の3日夕、高山市は記者会見を開いた。市によると、30日に見つかった現金について職員に聞き取りを行い、署に問い合わせるなどして調べた。
本来は遺留品を預かった記録を作成し、金庫などに入れて保管するが、今回は行われていなかった。市は遺留金の紛失が分かるまで預かったことを把握していなかった。
西倉良介副市長は会見で「事実を重く受け止め、管理体制の在り方を再点検し再発防止策を講じる。申し訳ありませんでした」と謝罪した。

246 :
あと何日?

247 :
霊魂とは
現行科学でも不明な
意識誕生機序に関わる未知原理への名称かと - -;

248 :
ワールドメイトでは、宗教者としての、弱者救済の立場に立った、慈悲と慈愛の実行と、人道的見地に立った社会対応、
そして、社会良識に基づく誠実な対応という、3つのスローガンに基づき、福祉、教育、スポーツ、学術、芸術などの公益活動を、日本と世界で実践しています。
(社会福祉活動の具体例は、巻末をご覧下さい)
各地で野外祭事を行う際も、常に社会性を大切にして、地域に密着し、地域に貢献するよう努めてます。

http://www.worldmate.or.jp/about/policy/motto2.html


ワールドメイト側の言い分

249 :
>>239
> >>237
> 「不可知に論理の網を被せてその形状をなぞる 🙇」 ← これ気に入ってんょ 🙇

論理が網ではなかっらたらどうでしょうか?
被せることができなかったら?

250 :
>>242
> >>1
> 一番正しい究極の教えを疑え

すべては人間の認識できる範囲のことですね。

251 :
あと313日

252 :
論理が網ではなかっらたらどうでしょうか? ← 「網」は自由な文学表現 🙏
被せることができなかったら?       ← 腕次第かと 🙏

物理学は現宇宙下の物理の探究であり真理の探究には及ばない 🙇
洗脳ペラ解釈は言うに及ばず ペラ観測も全方位ー全能では無い 🙇
真理とは 不可知総体-永遠無限メタ複合構造総体機序原理 🙏

253 :
† 
30歳くらいで急にイスラエル・ユダヤの田舎(ガリラヤ地方)に現れて、3年ほど布教して
33歳あたりで処刑されただけの、いわゆる大工の息子が、未だに世界一の有名人。
全世界総計約30億人ともいわれるキリスト教を信仰する人間の数。

聖書は現在もベストセラー継続中。人名も文化も戯曲も芸術も近代憲法まですべてが聖書を参考にされ、
とりわけイエス・キリストの影響が散見される。彼が生まれる前に書かれた旧約聖書には、
数え切れないほどのイエス・キリストに関する的確な預言・・・・たった3年だけ活動した人を
ダンテ、ゲーテ、ダヴィンチ、ドストエフスキー、ニーチェ、パスカル、ニュートン、アインシュタイン、
そしてジョン・レノンが嫉妬するだろうか?
アメリカ大統領の宣誓式で新約の入った聖書を使うだろうか?
イギリス王室がキリスト教の洗礼式を行なうだろうか?
バチカン市国などという国家が存在するだろうか?
クリスマスが存在するだろうか?

またモーセを苦しめたエジプトのファラオ、古代イスラエル王のダビデ、息子ソロモン、あるいはネブカドネザル、
キリストを裁いたピラト総督、ヘロデ王、同時代のバラバ、サロメ、アグリッパ王、パウロ、 後の時代の
アウグスティヌス、ルター、ヤン・フス、フランチェスコ、マザー・テレサ・・・・みな実際に存在した。
歴史上の事実である。

信仰者数12億人ともいわれるイスラム教においても、旧約の聖書は啓典とされ、
イーサー(イエス)は偉大な預言者であり、wikiによれば、「イーサーは殺されることも磔にされることもなく、
生き続けて天国に上がったとされる。イスラームの伝承では、イーサーは最後の審判が近づけば地上に戻り、
司法を復活させて偽のメシア(al-Masīḥ ad-Dajjāl 。偽メシア、反キリスト) を打ち負かすと考えられている。

いずれにせよ、実際に我々が使用しているイエス・キリストを分水嶺に存在する西暦ひとつをみても・・・・

もしイエス・キリストの存在が嘘で未だに世界最大の影響力を示し続けているというなら、
あるいはそのほうが天文学的な確率の奇跡と言わねばなるまい。

254 :
>>1
完全なる愛の神を信じ、感謝づくめで生きる事。を教える宗教。

255 :
あと312日

256 :
>>252
> 論理が網ではなかっらたらどうでしょうか? ← 「網」は自由な文学表現 🙏
> 被せることができなかったら?       ← 腕次第かと 🙏

いえ、そういうレベルの話をしているのではないのです。
どのよな論理か?ということではなく、そもそも論理というもの自体がどうなのか?ということです。
論理が網ではなく、被せることができなかったら?というのは、論理それそのものを問うているのです。

257 :
あと309日

258 :
あと307日

259 :
論理は主に「言葉」で表現される
細かく言えばいうほど、穴が開くのが言葉の性質です

260 :
論理を持たなければ論破されることもない^^

261 :
>>254
> 完全なる愛の神を信じ、感謝づくめで生きる事。を教える宗教。

確かめるのではなく、信じるのですか?

262 :
>>253

人間の認識を基準とするのですか?

263 :
>>256 論理は理知性の中枢でおま 🙇
不可知に論理の網を投じ その領域をなぞる 🙇  名文ゃw 🐼

264 :
>>260
もちろん、本当にそういう神が存在するのかを「確」信することが大事だと思いますよ。
真剣に意識して、その認識を求めれば、神は証拠、確証を与えてくれると思いますし、
それが信仰や宗教の意義だと思います。

つまり最終的には「信じる」というより「知る」レベルになることだと思います。

265 :
>>263
> >>256 論理は理知性の中枢でおま 🙇

それはそうかもしれませんが、そういう話をしているのではないのです。

> 不可知に論理の網を投じ その領域をなぞる 🙇  名文ゃw 🐼

なぞることができるものということですね。

266 :
あと303日

267 :
なぞることができるものということですね。 ← 理・知・感性次第やろねw 🙇 メタ感性

268 :
あと302日

269 :
あと302日

270 :
あと301日

271 :
ペラ論がペラ洗脳に加えてペラ文明を牛耳る現実から
ペラ論が現実総体を把握可能とする妄想が芽生える事も頷けるが
その領域はメタ構造総体の無限に矮小なペラ領域に過ぎないという超現実構造w 🐼

272 :
あと301日

273 :
あと300日

274 :
あと299日

275 :
インターネット掲示板に書き込まれている事を都合よく曲解して
名誉毀損だなんだって言い掛かりをつけて見境なくスラップ訴訟を仕掛けてきたら
かなり危ないカルト教団かな?


例えば
元信者が過去の教団の様子や行事を
当時を思い出しながら書き込む


都合が悪いと思った
教団シンパかスタッフか盲目的狂信者が
コピペ荒らしでスレッドごと丸々潰す
これを数ヶ月に渡り延々と繰り返す


元信者が
「コピペで荒らしたりスレッド丸ごと潰すのはよほど都合が悪いからだ
議論させたくないからだ
いつまでもそういう態度だとお前の所属する教団は反社会的カルトだとみなされても仕方がないぞ」
と書き込む


教団の顧問弁護士、
元信者の件の書き込みを都合よく切り取り編集して
「当団体を反社会的カルト教団と名指ししましたね?
名誉権の侵害に該当します
つきましては訴訟して損害賠償を請求しますので個人情報の開示をプロバイダーに請求します」

276 :
あと297日

277 :
あと292日

278 :
あと110日

279 :
あと108日

280 :
>>1
神は全知全能なり、神は完全に愛のみなり

281 :
あと94日

282 :
信じるとは何か?
絶望の淵で信じられるものは何か?

それは自分のスピリット
人間は通常、時間軸の中で生きている
ところが、時間が全く存在しない世界がある

そんな所に自分の身を置いてみると、人間の五感の中では説明のつかない世界があることがザラにある

と言ったことはこのぐらいにして

夜、月を眺めていて何を感じるか?
とかシンプルなことで良い

人智を超えたものが夜空で輝く
人間と言う生き物は説明をつけたがるし、それは人間である以上構わない

朝には太陽が出て、夜には月が出る
太陽も月も人間が考えの及ばない所にあり、存在している

人間は時間に対しての知覚があるから、どうしても時間の知覚から生と死を考えてしまう

283 :
人間と言う生き物は、何かが存在するのか存在しないかについて考えたがる生き物

考え方の世界なので、どの人の考え方に優劣があるなんてことは一切無い

考え方に特別な決まりなど何も無い

例えば、何かが存在するしない以外の考え方として、
存在する、しないの枠の外はどうなっているかを考えたりしても良い

時間も実は存在する、しない以外のところにあっても構わない

死後の世界は存在する、しない以外のところを考えてみるとか

神は存在する、しない以外のところを考えてみるとか

存在する、しないは実は人間の脳が考えていること
この考え方だと信じたほうがより良い

存在する、しない以外の世界で物事を考えてみるのも構わない

284 :
時間軸を元に考えてみると、果たして時間とは何なのかと言うことになる

それは人間が生きていく上で、生命維持活動に必要なものだから脳のメカニズムの中に始めからセットされている

あくまで生命維持活動を行う上で脳が必要と判断し、例えば、脳が身体を休ませたいと考えれば、眠りに導く機能が働く

しかし、人間の生と死を考える時は、脳が持っている機能が邪魔をする

脳が「そういうことは考えなくていいから、さっさと寝て身体を休ませるのが先」
と言った機能が働く

ところが脳には唯一と言っていいほどの弱点がある
脳は、生命維持活動をどのように人間に指示していくと、脳自体が自らの死の時期はいつになるかもわかっている

ところがこれを人間に分からせないようにしないと、生命維持活動には良からぬ結果を出してしまうので、時として苦しませ、時として幸福感を得たりさせる

285 :


神は存在するし、存在しない
何をおかしなことを言っているのだ?と思われるが、そもそも神自体が、人間の考えがちな「存在する」、「存在しない」と言った人間の思考空間の中では説明の出来ないことから考えてみると、この「存在する」、「存在しない」の中で一生が終わる

それでも構わない
なぜなら人間と言う生き物は、とにかく自分の知らない世界を知りたがる生き物だから


人間として生きて行く以上、存在は確かめだがる
これは人間なのだから自然な思考

自然な思考なのだが、人間の思考と言うのは自分の考えている以上に周囲の環境から影響を受けやすい

そこから脱却するために信仰が有る

人間の凄いところは、人智を超えたものを自分の中においているところ

286 :
神に敬意をはらうことの意味

人智を超えたものは、少し探せばどこにでもある
夜、月の輝きそのものが人智を超えている

木が立っている
この木の存在そのものが人智を超えている

人間以外にも様々な生き物が生きている
そして生きていることさえも人智を超えている

時の流れで考えてみるのも良い
木は何故、秋に葉を落として、冬に葉が無い状態となるのか?

それは、雪が降って、葉がついた状態だと、大雪などで雪が木に沢山積もってしまい、重さで根ごと持っていかれたら自分が倒れるから

人間の脳だけが考えているなんて事では無いし、木も時間の移り変わりを知っていて、自分が何を準備すれば良いかを考え、やるべきことを確実に行っている

木も自らの生命維持機能を備えている

少し、話を戻して

この宇宙を創造主を人類は追い求めたがる

そして神は存在する、いや科学的に証明されていないからなどと人類が考え続ける

答えは
そう言ったことは神のみぞ知る

287 :


90日

288 :
あと87日

289 :
あと80日

290 :
90年代のワールドメイトの雰囲気についての参考資料

http://kyusai020826.web.fc2.com/saibandata/nemoto2.html

291 :
>>260
そうかもしれない
人は答えやオチが欲しいが
人生と自然にはオチはない

292 :
「人生に意味がない」と考えるのが好きな人が大勢いるが
誰かが意味を用意してくれるわけじゃない

自分なりに意味を見つけて、自分に合った人生を送るのが良いかもしれないね

こういうと「自分なりの意味が間違ってたらどうするんだ?」と聞く人がいるかもしれない

じゃあどこから見て間違っているとみなすのか?
絶対に正しい意味を知っているのだろうか

誰も知らない。
だが自分なりに意味を見つけて、自分の人生を生きる。

これで人に迷惑をかけるかもとか、心配するのはわかるつもりだ。
それは他人が「俺の人生の邪魔をするな」と思っているからだ。
近くてもぜんぜん関わらない人生を生きていると
目の前にいてもまったく会話もしないだろう。
そういう人たちがどう生きても、関わらないんだから「自分なりには間違っていない」

全人類は、共通して正しいこと「絶対に正しい教え」があると思い込んでいるのかもしれない

人に迷惑をかけないように、めんどっちいからルール決めてしまおうぜと思う。
そう思う気持ちはわからないでもないが、天地自然にそういう効率はない。
天地自然はただそこにあって、生まれては消えていくのを繰り返しているだけである。

293 :
人間は心があるため、物事に区切りがなければどうすればいいかわからない。
だから分類したがり、意味を欲しがり、オチですっきりしたいわけだ。

だが天地自然にそういう区切りはない。
人間が中途半端で気持ち悪いと思って、ちょっとだけ横にずれてくれませんか
そうすると重なってわかりやすいんです、と思ったところで、自然にはそういう調節はない。
はがれかけた皮などは中途半端にはがれ、人間がいれば「これくらいははがしてしまっていいな」とはがせる。
だが自然だからはずれそうになったまま、ずーっと過ごしても構わない。

人間が勝手に決めたルールは、自然のままではないということだ。

人間が勝手に決めたことと、現実にはズレがある。
そこを埋まらないから宗教信者はキチガイと言っても意味がない

294 :
神は自然なら、中途半端を放置できるのはなぜなのか。
神を想定せずとも、はがれかけた皮などが中途半端に残っているのが普通だ。
人間のように、まっすぐでないと気持ち悪いから、中途半端に残らないでくれるかといっても自然が中途半端でも平気だ。
その程度のカオスは許し、ただ、存続さえしていればいいのだ、

そこに、人間が絶対に正しいと思っている意味というものはないのかもしれない。

295 :
いったいどのように生きるのが正しいのか。

自然が、人間にとって気持ち悪い中途半端があっても、それでかまわないという余裕をもつことではないだろうか。

人間が絶対に正しい「型」を求めるのは、ある程度区切りがないとどうしようもなからだ。
ある程度区切りがあるということは、ある程度は正しいということであり
どこまでも細かく決まっていなければキチガイとする考え方とは対立している。

それを裏付けるかのように、絶対に正しいものにこだわるなという人生訓がある。

296 :
なんでもかんでも細かく決まっていると思うのは、人間の錯覚ではないだろうか。

完璧な理屈を知らなくても、スポーツはとりあえずやってみることから始まるように
案外、やっていればなんとかなる面もあるのではないだろうか。

何とかなったところが、論理的に破綻するほどおおざっぱで、考えるところがないからといって
考えるところがないものをキチガイ呼ばわりするのは、正しさを強要する気持ちである。

すごく細かくきまっていないと人は気持ち悪い。
だが、あまり細かすぎると「絶対に正しいことにこだわるなかれ」と、抽象的な面から説教を食らっている。

なぜこんな説教を食らう必要があるのか。
人生の本質は、厳密に意味が決まって分類されて
絶対に正しい「たった一つの答え」で決まっているのではない、ということではないだろうか。

あまりにも忙しい人生(企業で奴隷並みに扱われ、自主性が欠如した生活)を生きていると
企業が勝手に用意した、企業だけに都合がいい社会が人生かと思えてくる。

しかし、仕事ができなくなったり、必要なくなって、人生を考えざるを得なくなる。

企業で奴隷にされていたのが本当に人生なのだろうかと。

297 :
スポーツで素人が完璧にルールを覚えるまでやらせてもらえないことがないように
人生は、とにかく生きていればだいたいはいいのではないだろうか。

そういうことでまとめれば
一番正しい教えとは、実は、厳密に決まっていないということではないだろうか。

完璧とは一つしかないことを意味するが、誰もが知っているように、答えが一つにならないことが多い。
どれがいいのか、決めてくれる理論を探したところで、死ぬまでにはわからないだろう。
完璧にわかるまで何もしないということは、永遠に何もしないことにつながりかねないのである。

正しさについて考えるときは、完全に正しい「完璧な」ものがないという事実から
考え直してみてはどうだろうか。

自分がどんなに正しいと思っていようと、他人が間違っていると言おうと
完璧はないのである。
完璧を探すのではなく、どこにも完璧がないこの世界でどう過ごすべきかを考えるべきだろう。

298 :
自分なりに生きていいのである。

まだそこまで思えていない人のほうが多いため、自分の中で「大体でいい」としておく。

人とは、とくに専門的ではない会話さえできれば、意思の意思の疎通は間に合う。
人間関係でかわされる会話とは、テストの問題文ではない。
人の問いかけに対する返事が、ノーベル賞をとれるような完璧な回答をする必要はあなたにはないのだ。

あなたには博士号をとれるほどの完璧なことなどいえなくてもいいのだ。

299 :
企業奴隷の人生が終わった後や、すでに一人で生きていくしかない人は
今までの他人の都合で完璧を求められていた考え方を外すことになる。

「こうでなければいけない」があなたを苦しめてきたのだから。

最低限のルールが守れれば、博士号をとるほどのことなど言えなくてもいいのだ

考えてもみよ
頭が悪い人は普通の人ほど賢いことも言えない。
だが今まで生きてきたのだ。
その人が完璧を求めて間違うたびに自分を罰したりはしていないだろう。

もともと頭が悪いことを自負していることもある。
大したことがわからないなりに、とにかく生きていられたらいいくらいにしか思っていない。

博士号をとるほどの人でも、そのくらいおおらかに考えてみてはどうだろうか。
案外、人生とは、自分が思っているほど負担がかからないものなのかもしれない

300 :
例として、自分を鍛えるとき
過剰に苦しまないとレベルアップできないと信じている人は、わかっていないことになる。
学習方法も時代が進むにつれて、そこそこわかってきている。

今は、私たちは過剰な苦痛を感じなくても、物事を学習できるのがわかっているのである。

なぜ私たちは今まで、学習とは拷問並みに苦痛を感じなければいけないと信じていたのか。
教えるほうの精神が未熟か、実力はあっても人を教えることがそもそもできない人だったからである。

今は、人は正しい学び方で学べば、たいていのことは身につくことがわかっている。

こういうと本当かと疑うかもしれない。
これが本当であることは、学生で最高レベルの学力を持っている人は大体経験していることである。
たとえば東大生は、自分なりに学習法を編み出して自分に施していたから東大に入れたことを、身をもって知っている。
このことを本気で疑っているということは、あなたは東大生のような勉強法をとれなかったのかもしれない。

これからは、正しい勉強法をやってみよう。
たいていのことは覚えていられるだろう。

正しい勉強法という言い方が気になるなら、身につくような勉強法をやってみよう。
今まで勉強がただの苦痛にすぎないと思っていたのなら、それは間違った学習法でやっていたからである。
教えるほうが、そもそも教えることができないため、あなたたちをちゃんと導けなかったのである。

実際に、学校教育は、生徒が勝手に学ぶのをひたすら待つしかできないやり方なのである。
生徒が勝手に学ばず、成績が上がらないまま卒業すれば、見捨てるのだから。

301 :
ただの苦痛だと思っているなら、あなたは「一番正しい教え」を他人から強要されている。

その経験から、他人が目の前にいないときでも自分に「一番正しい教え」を実行することを強要している。
自分が「一番正しい教え」を知らなければ自分を悪い奴だと思い、
「一番正しい教え」を自分に施せなければクズではないかと思ってしまう。

そう思うように育ってきたのだ。

だからこれからは「一番正しいこと」があるという前提を捨てなければならない。
「一番正しいことがどこかにある」と思ってしまうとまさに論理が破綻する。

答えが一つじゃない世界で、一つの答えを見つけようなど、できそうにない。

仮に、この世にある多くの答えの一つを、正しいとみなすと、それに合わないことが悪に見える。

さっき言ったように、自然に区切りはない。
人間が苦しいから悪といっているだけで、巨大な力で岩が壊れようと自然は悪いとは思っていない。
ただ岩が壊れただけである。
だが人間は骨折すると痛く、痛ければ悪いと思ってしまう。

そういう分類はないんですよ、というのがヒントになる。

厳密に論理が成り立たないものは狂っているとか、人間が勝手に思っているだけではないだろうか?

302 :
あと76日

303 :
https://i.imgur.com/w9uDTVg.gif

304 :
あと71日

305 :
あと68日

306 :
306

307 :
あと55日

308 :
あと53日

309 :
あと43日

310 :
あと28日

311 :
あと15日

312 :
http://wmdata.main.jp/jittai.html


ざっと見て見ましたが
ワールドメイトさんにかなり都合の悪い記事ばかりですね

なぜワールドメイトさんは
このサイトの主催者に
「こんなの事実無根です!」
場合によっては
「名誉毀損案件です!」

記事の削除を要請しないのでしょうか?

早く警告文でも送って削除させた方がよくありませんか?

313 :
あと5日

314 :
☆★☆★☆★☆ 一番正しい究極の教え
  
     /                        \
           /        /                   \
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       /      / /  |     l| \           ヘ   ヽ
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     /      ン'^⌒` | :l     j '^´ ̄` \ i    |     ,
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    │ |   l   _,.ニ.,,_ | l:{  /  _,ニ..,,_   i    |    |
     |  :|   | ,ィfひ「ハ`  |ハ /   fひソハ\  i    ,'   │
     |   l   /( {::::::ノリ   j/    l:::::::ノリ )〉 j    /     |
    │ lハ   | ` `ー '         `ー '゙  '゙ /   /      l
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      l  l', \ヘ                    // /ハ }   j ,'
.     V{ l',   l\                 // ノ ノ ノ  //    神なんて実在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
      ヽl ',  lハ     `ー'⌒ ‐-‐'     / __  イ   //  < 基地外の妄想だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
.          \い个:.、                   / , / //    宗教は欺瞞だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
           \ |l:: .._         _. イ  /〃/        
             `ヽ ー≧ュ.. __..  ‐ ´  |/ ´ '′
                 V}       /{__
               __/く_  _ -‐=彡  V\__
             /:::::/∧{ /∧      /:::::::::::\

315 :
あと3日

316 :
遺族の個人情報漏えいの疑い 県警巡査を再逮捕/埼玉県(テレ玉) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190424-00010003-teletama-soci

病死した女性の遺族の個人情報を第三者に漏らしたとして、川越警察署の25歳の巡査が地方公務員法違反の疑いで再逮捕されました。
この巡査は、別の病死した男性の遺族に遺体の搬出に費用がかかるとうそを言い、現金をだまし取ろうとした詐欺未遂の疑いで逮捕されていました。

再逮捕されたのは川越警察署刑事課の巡査糸井祥太容疑者(25)です。警察の調べによりますと糸井容疑者は去年11月、川越市内の63歳の女性が自宅で病死した際、
検視を担当していましたが、ことし2月、女性の遺族の住所や名前などの個人情報を、携帯電話のショートメールで40代の男性に教えた地方公務員法違反の疑いが持たれています。

40代の男性は去年10月、川越警察署の管内で起きた傷害事件の被害者で事件の担当だった糸井容疑者と数十回メールのやりとりをしていました。
警察の調べに対し糸井容疑者は「間違いありません」と容疑を認めていて、警察は犯行の経緯や動機を詳しく調べています。

317 :
あと1日

318 :
令和5日目

319 :
【13細目に】ワールドメイトは、どこから検討しても、カルト教団ではありません。 【抵触せず】 ・
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1539529113/


0001 神も仏も名無しさん 2018/10/14 23:58:33

日本弁護士連合会消費者問題対策委員会は、「宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準」(13細目)を作成し、違法行為になりかねないような、宗教的活動について警鐘を鳴らしています。
ただし、この基準に従うと既存の仏教等でも、「人権侵害」と見なされる可能性が出てくるため、宗教界からは、基準の妥当性について批判が噴出しています。
しかし、それほど宗教全般に厳しいこの基準に照らしても、「ワールドメイト」は、一項目も抵触しておりません。

おわかり?



=↑==================↑=

矢印より上がコピペ

320 :
またワ一儿ドメイ卜?

321 :
そこから出て、あれこれするからしんどいんです。

322 :
憲法、信教の自由により未成年であろうがその自由が認められている
背教者は未成年勧誘は問題と辞めた後に主張する
全て後出しの屁理屈では社会では通らんでしょうね

そんでもって、信仰の問題で未成年時に親から強制されたとの理由で、
仮にも親を訴えるアフォ、こんなアフォが世の中に存在するのか?とさっきから聞いている


            今 だ 回 答 な し (  笑 

323 :
>>1
神の全知全能を信じる事。

神の完全なる愛を信じる事。

上記による、完璧・必然的最高恵みと導きのみ人生を信じる事。

324 :2019/06/08
つまり現世とは、決して楽々な人生ではないけれど、
最も喜び深く、感動的な人生が与えられているということを知る事。

【^J^】< 自己命題で潰れる唯物論は? 三流ばい!>(^こ^) K
☆★ 幸福の科学 未来予言 スレッド ★★
外道の独り言 11
結局宗教って何なの?
創価学会は世界最悪のカルト
☆★『幸福の科学』統合スレッドpart870★★
ヱホバ神さま
深見東州著『運命とは、変えられるものです!』
天使の避難所
【三位一体】仁義(愛)から福者を目指す1【籐円寺】
--------------------
【CP/M】Digital Reseachを語るスレ【DR DOS】
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