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1 :2017/12/16 〜 最終レス :2018/02/21
【アフィサイトへの転載・誘導禁止】

富士山は、夏の暑さと冬の寒さを一日で体感する過酷な環境です。
>>2〜のテンプレを参考に「余力を残して登頂・余裕を持って下山」でご安全に。


■ ご覧の皆様へ
登山キャンプ板にはブログ宣伝荒らしや業者が常駐していま
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1500267844/1-
「wi1d28jp」(栗城ハンター)などの悪質スパムは踏まずにNG登録
踏んでしまった人は関連cookieを削除し、ネットショッピングは別ブラウザから。
 
■ 普段から対策を

ブラウザにadblockやuBlock導入+国内フィルタ全部載せが推奨です。
スマホは広告ブロッカーも多いのでお好みのものを(フィルタ追加できるものが効果的)

勝手な広告やスパイウェアをブロックして安全で快適なネットライフを♪
スマホ通信量の節約、時短にもなります。


※前スレ
144m 
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513231450/

2 :
うりゃあああああああああああああああwwwww

コピペラッセル まだまだじゃああああああああああああああああ



荒らしガンバ♪


ぷげっぷ

3 :
コピペラッセル代表する名峰であることから、コピペラッセル日本の各地に「富士」の付く地名が多数存在してい
る。富士山の麓として静岡県に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・
コピペラッセル富士河口湖町・富士川町があるほか、よくあるものとして富士山が見える場所を富
士見と名づけたり(例:埼玉県富士見市外に移住した日本人た
コ士見」および
コピペラッセル「富士街道」を参照また、コピペラッセル全国各地には少なくとも、321座を超える数の富士と
名の付く山があり、それらを郷土富士と呼ぶ。詳細は「郷土富士」を参照なお、地
名以外にも「富士」を冠した名称は多く存在する。詳細は「フジ」を参照また、異
コピペラッセル 名として芙蓉峰とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上の富士山富士山周辺の地
形図富士山の構造図地質コピペラッセル学上の富士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特
有の美しい稜線を持つ。現在の富士コピペラッセル










コピペラッセルwwwwwwwwwwww

4 :
(´・ω・`)富士山(223)なんて知らんがな

http://egg.2ch.sc/test/read.cgi/mac/1512190494/

5 :
元旦の初日の出に登る奴いる?
俺はありえないけどw

6 :
今の時期は難しいよ。

7 :
運が良ければ平気かもしれないけど、相当危険だと思うなあ。
7ゲットなら心願成就ッ!私は来年億万長者になって一流登山家になって女にもてまくる。てあッ!

8 :
 


NEW!
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門147m【お知らせ】
 
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513480822/1-15
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513480822/1-15


 

9 :
 


NEW!
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門148m【お知らせ】
 
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513568785/1-15
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513568785/1-15


 

10 :
ヤッホー

11 :
 


NEW!
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門149m【お知らせ】
 
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513684438/ 1-15
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513684438/ 1-15


 

12 :
  


NEW!
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門151m【お知らせ】

http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513846641/1-16

http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1513846641/1-16


 

13 :
        
ちょっとお知らせです。
          
【常駐荒らし】栗城ハンター(ワイエディ)【詐欺スパム】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1514205594/1-45
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1514205594/1-45
  

14 :
∩(゚∀゚∩)↑age↑

15 :
ふじさんにくますずいります?

16 :
なぜなの

17 :
いきるのだよ
信者絶対ダメ

れんとうでもいい
しんじゃだめ

18 :
 

New!
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門155m【新春special】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1514863126/1-17

New!
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門156m【新春special】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1514863126/1-22

 

19 :
  

    (U^ω^)
  C/   |
   し-し-J
 
 

20 :
   
 
 
NEW!
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1515478893/1-41
 
 
 

21 :
厳冬の富士は美しい

22 :
山野井と登山ライターと栗城ハンターとワイエディR!

お前らはなんで栗城さんを叩くブログ書いてんの?そんなバカはRよキチガイ

登山してる人で栗城さんを叩いてるのはワイエディだけ

【アフィサイトへの転載・誘導禁止】
■ ご覧の皆様へ
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23 :
 
 

■ご覧の皆様へ

ご注意ください。
  
・tEn0YqoT=ワイエディ(栗木ハンター)
http://hissi.org/read.php/out/20180206/dEVuMFlxb1Q.html?thread=all

・8MCJWKrGM
(ワイエディ MM8b-AHnm [123.255.130.90])
http://hissi.org/read.php/out/20180205/OE1DSldLckdN.html
・8MCJWKrG
http://hissi.org/read.php/out/20180205/OE1DSldLckc.html

常駐しながら板中でこの手の書き込みを続けています。
異常者のデマや成りすまし誘導はスルーで。


 

24 :
ネットカフェでランチ食うたびに

スレ立てしたろか? 藁

25 :
aやりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci

この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです

掻い摘んで説明すると

・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
 90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた

・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
 防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった

・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
 創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
 防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった

・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
 不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった

・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
 私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
 防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
 ※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る

・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った

つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕

詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/bouhan/1516500769/

26 :
は丘陵や河川などの自然地形がエムゾネ見られ、構成資産を成立さ
せる重要な要素となって存在しているものがある。B5須走浅
間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水が
、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。B6河口浅間
神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅エムゾネ中門をくぐると川
(水路)が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎ
の場となっていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B
12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、立体
的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の表面エムゾネの状態が
ほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリ
アなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B14人穴
富士講遺跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の土地には丘陵
や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重エムゾネ
要な要素となって存在しているものがある。B15白糸の滝構
成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資
産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。
ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木構成資産の土地には、
富士エムゾネ山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び青
木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社
叢林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A
富士山標高3,300m付近より上方の地域にコケ類・地衣類
が生育していエムゾネる。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口
登山道・草山部分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下ま
でにあたり、植物の垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる
。戦後、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ、道沿いはほ
とんどが人工林であるエムゾネが、天照教社から富士山麓山の村を
経て中宮八幡堂跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ・カエデ
などの落葉広葉樹の自然林が残っている。林の下には

27 :
ズタケ)が視界を遮るほど生い茂っている。・木山部分の植物
中宮八幡堂跡付近から新5合目エムゾネの森林限界(2,400m
付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯から亜高山
帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなどの広葉樹
からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わり、標高1,
600m付近で落葉樹とササがなくなるエムゾネ。・焼山部分の植
物森林限界である標高2,400m付近から上で、植

28 :
分布では高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月
上旬にかけていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサキモ
メンヅル、ミヤマオトコヨモギなどが見られる。エムゾネA3須山
口登山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(
標高1,440m付近)付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・
カエデ類)にあたり、林床にはササ類が密生している。幕岩上
部(標高1,680m付近)付近は、針葉樹のシラビソ・エムゾネ
−67−オオシラビソ・コメツガなどが多くなるが、森林限界
(標高1,700〜1,750m)に近くなるにつれて樹高が
低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したスコリアが厚く堆
積しているため、須山口登山道付近の森林限界は、他の登山道
よりエムゾネもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道2合8
勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分布
で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジ
アザミなどが、まばらに分布する。A4須走口登山道・木山部
分の植物植物エムゾネの垂直分布では、須走口登山道5合目(標高
2,000m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシ
ラビソ・コメツガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は
約2,700mで、他の登山道よりも高い。・焼山部分の植物
森林限界を過ぎると高エムゾネ山帯となり、オンタデ、イタドリ、
フジハタザオ、フジアザミなどが、まばらに分布する。A5吉
田口登山道標高1600m付近より下方の区域は、山地帯に属
する。自然林はごく少なく、ほとんどがアカマツ・カラマツな
どの植林地である。わずかに残エムゾネる自然林では、ミズナラ・
ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている。天然記念物「
躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在するのもこ
の地域である。標高1600mから2500m付近までの区域
が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベエムゾネ・オオシ

29 :
森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところ
には、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高250
0m付近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されない
。植物はほとんどみられない地域であることからエムゾネ、かつて
は「焼山」と呼ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る
場所としても、学術的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐
状に生育し、乾燥に強いミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソ
ウ・フジアザミ・ムラサキモメンズルなどが生育する。Aエムゾネ
6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖水辺植
物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙げられる。イ信仰B1富
士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林
・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在
してエムゾネいる。−68−B2山宮浅間神社構成資産の土地には
、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において
植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資産
の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地
内において植エムゾネ栽された樹木等が存在している。B4須山浅
間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。
B5須走浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林
・境内林などのほか、エムゾネ敷地内において植栽された樹木等が
存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御
師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内
樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社
)構成資産の土地には、丘陵をエムゾネ構成する社叢林・境内林な
どのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。
B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林や植栽等
の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及

30 :
生している。B保存管理又は公開活用をエムゾネ目的とした建造物
構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインでエムゾネ統一され
た案内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士
山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ
れた案内標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザエムゾネ
インで統一された案内標識等の整備が進められている。A3須
山口登山道なしA4須走口登山道富士山における標識類総合ガ
イドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が
進められている。A5吉田口登山道富士山における標識類総合
ガイエムゾネドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の
整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A
8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然環境や
適切な利用環境の保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り
入れ禁止区域エムゾネに指定された。こうした規制内容を説明する
ための説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の
川尻地区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は
旧五千円札(現千円札)の裏面に使用されている富士山と本栖
湖のイラストのモデルエムゾネとなった岡田紅陽の写真の撮影地で
ある。国道300号線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有す
る展望地がある。自然公園法の第2種特別地域として、観光施
設等も景観に配慮されている。イ信仰B1富士山本宮浅間大社
・渋沢用水(横溝川)神立山のエムゾネ北側部を流れる渋沢用水(
横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に源を発し、神立山の北半
部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮市中心部を

31 :
用水路である。開削時期は不明であるが水田開発を目的として
開削されたと考えられ、開発が進むにつエムゾネれ生活用水や防火
用水として使われるようになった。現在は水質悪化により生活
用水としては利用されなくなっている。・社務所−70−楼門
から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取り扱う
社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続くエムゾネ西廻廊の
西側に、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建て

32 :
る。・浅間大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)
に建てられたもので、直会や各種会合に利用されている。・神
田川ふれあい広場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境エムゾネ
内地の一部を児童公園として整備され、さらに平成6年から7
年にかけて親水広場を備えた「神田川ふれあい広場」として再
整備された。現在は、同時期に改修された神田川護岸も含め、
中心市街地の親水空間として市民の憩いの場となっている。広
場内エムゾネには、トイレ、各種遊具、ベンチ、時計、水飲み場等
の施設・設備が設置されている。・御手洗橋神田川ふれあい広
場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5mの御手洗橋が架
けられている。『大宮町誌』には、明治26年(1893)に
架けられたとエムゾネの記述がある。・弓道場第1駐車場西側に、
弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階立ての富士宮
市消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南西の端に建て
られている。・案内板・説明板本殿や湧玉池などが、文化財に
指定されていることをエムゾネ案内・説明する高札が建てられてい
る。・古神札納所拝殿東側に、古い神札を納めるための屋根付
きの箱が置かれている。・大金剛杖古神札納所西側に、大金剛
杖が置かれている。開山祭に使用されていた。・藤棚水屋神社
の南側に、藤棚が設けられていエムゾネる。・駐車場指定地の南西
部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車場が
整備されている。B2山宮浅間神社・案内板・説明板籠屋の南
側に、案内板等が建てられている。山宮浅間神社の由緒を記し
たもの、山宮浅間神社の概要と、市指定エムゾネ文化財であること
を記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「歩く博物館
」のコースであることを示すものの3本である。・手すり籠屋
から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されている。・
鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇にエムゾネ

33 :
利用する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗ト
イレが設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の
水道施設が設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南
側に、コンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベエムゾネ
ンチ休憩用のベンチが設置されている。・鳥居駐車場横の参道
に、コンクリート製の鳥居が建てられている。・燈篭コンクリ
ート製の鳥居から籠屋へ至る参道の両側に氏子等が奉納した燈
篭が並んで設置されている。また、籠屋北側鉾立石の左右にも
1基エムゾネずつ設置されている。・駐車場乗用車3台程を駐車で
きる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けら
れている。・石碑山宮浅間神社の由緒を記した石碑が、駐車場
の北側に設置されている。・石造物参道沿いには、道祖神、青
面金剛、観音エムゾネ等の石造物が置かれている。B3村山浅間神
社・社務所境内西側に、社務所が建てられている。・宝物殿社
殿の南西側に、宝物殿が建てられている。・村山公会堂社務所
の西側には、元村山地区の住民が、会合等で利用する公会堂が
建てられている。・トエムゾネイレ社務所北側に、トイレが設置さ
れている。・参道手すり氏神社へと登る参道脇には、アルミ製
の手すりが設置されている。・御神木柵県指定天然記念物のイ
チョウの周囲には、樹木保護のための柵が設置されている。・
御神木指定証県天然記念物に指エムゾネ定されているイチョウと大
スギが、御神木に指定された旨を示す札が、イチョウ周囲の柵
と大スギの幹に掲げられている。・石柱村山浅間神社が、大正
14年(1925)に縣社に昇格したことを示す石柱が、参道
入口左側に設置されている。また、昭和エムゾネ62年(1987
)に寄贈された「富士根本宮村山浅間神社」と刻まれた石柱が
、参道入口右側に設置されている。・児童公園六道坂入り口付
近に、すべり台等の遊具を備え、またプールを併設し

34 :
園が整備されている。・駐車場境内地西端に、参エムゾネ詣者用の
駐車場が整備されている。−72−・村山水道完成記念碑社務
所裏側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭
和33年に建立された。・説明板(富士山表口真面之図)麓の
吉原から山頂へ至る登山道と、途中のポイントとなる地名エムゾネ
、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置さ
れている。B4須山浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由
緒等についての説明版が、富士山須山口登山道保存会により、
鳥居脇に設置されている。・洞窟内説明板「須山胎内」と書か
れたエムゾネ金属板が、洞穴内部壁面に設置されている。・梯子須
山御胎内の北西側入口に、ジュラルミン製の梯子が架けられて
いる。・ベンチ・テーブル須山御胎内から登山道を80mほど
進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル1台が設置されて
いる。・蝋燭エムゾネ台須山御胎内の南東側入口に、木製の蝋燭台
が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩までの登山道脇
に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている
。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上部に
ついては、茶色と緑色エムゾネの地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類
総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一されてい
る。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が建てられ
ている。・神輿庫恵比寿大黒社エムゾネの東側には、例大祭で使用
される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社の北
側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋)県道1
38号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられている
。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天エムゾネ然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられ
ている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場

35 :
台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅エムゾネ間の杜内
には、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれてい
る。・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を
取り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を
保管する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西エムゾネ
南の役から太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24

36 :
れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住
宅旧外川家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗
資料等を展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富
士講エムゾネなどに関する理解を深めるよう活用されている。B9
山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎
内樹型の管理を行う施設として河口湖フィールドセンターがあ
る。溶岩樹型に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自
然共生室といエムゾネう研究機関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価
値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保に寄与している
。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・
富士吉田市教育委員会により設置されている。B14人穴富士
講遺跡(人穴浅間神社エムゾネ)・説明板、案内板洞穴の入口に、
人穴の由緒や市指定文化財であることを記した説明板、碑塔群
や洞穴内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられ
ている。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしC道路とそ
の他人工物構成資産の土地にはエムゾネ、日常生活を営む地域住民
が使用する生活道路や、富士スバルラインや富士山スカイライ
ンなどの観光道路をはじめてとして、電柱、看板、誘導標識な
どをはじめとする各種の建築物及び工作物が存在している−7
4−ア富士山山体及び登山道A富士山・エムゾネ救急搬送・荷物搬
送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道路等の施設で
ある。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道との交差部に
は、進入禁止柵・注意表示板が設置されている。A1山頂信仰
遺跡なしA2大宮・村山口登山道6合目以上ではエムゾネ、登山者
の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置され
ている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道脇
に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている
。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点より上エ

37 :
部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道
案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類
総合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。A4須
走口登山道登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロ
ープエムゾネ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤色
の帯が入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置され
ている。この標識は富士山における標識類総合ガイドラインに
沿ったデザインで統一されている。吉田口登山道が合流する八
合目より上部エムゾネは、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登
山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザイン
で統一された案内標識等の整備が進められている。A6北口本
宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖西側に位置す
る水力発電用取水口はエムゾネ、(株)日本軽金属蒲原製造所の工
場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所の
ものである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の南西部分
には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車場が整備
されている。B2山宮浅間神社エムゾネ乗用車3台程を駐車できる
駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けられて
いる。−75−B3村山浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐
車場が整備されている。B4須山浅間神社裾野市と須山振興会
によって、須山口からの登山道の案内図エムゾネが設置されている
。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車
6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には、御師住
宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示すエムゾネ解説板が
設置されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B1
2船津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備さ
れたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道に

38 :
の分布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散エムゾネ
策路的要素も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉
田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうもので
ある。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には
「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人
穴浅エムゾネ間神社)2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口
、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機
能を有していたと考えられる。B15白糸ノ滝市道・私道等の
道路、階段、曽我橋、滝見橋等がある。また、それらの付属施
設がある。危エムゾネ険を伴う区域には、護岸や落石防護ネットが
整備され、また、立入禁止の札が立てられている。県道沿い及
び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理小屋等の付帯施設が
ある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺望
C三保松原−76−なエムゾネし(3)周辺環境を構成する諸要素
@自然的要素構成資産の周辺には、山並み、河川をはじめとす
る各種自然地形が存在している。また、統一感のある山並み景
観を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在してい
る。ア富士山山体及び登山道Aエムゾネ富士山・宝永火口静岡県側
からの富士山の景観を特色付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東
側にある。宝永4年(1707)に発生したテフラの爆発的噴
火により、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰
石など新第三紀の基盤岩類、斑レイ岩、エムゾネ黒い玄武岩質スコ
リアなどを降らせた。記録によれば約100q離れた江戸にま
で火山灰が到達したが、溶岩の流下はなかった。活火山であり
、今後も噴火活動の可能性がある。・富士山特定地理等保護林
8合目から標高約2,400m付近にかけて展開エムゾネする約9
27haの保護林である。富士山の国有林においては第3次国
有林野施業実施計画、自然環境の維持、動植物の保護

39 :
、あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定されて
いる。富士山独特の地形・地質を持つ区域の植生として貴エムゾネ
重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区自
然公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主
体とした山頂部までの区域である。富士山の火山景観の核心部
を呈する区域であり、富士山の秀麗な山容、植物の遷移過程等
が保エムゾネ全の対象となっている。A1山頂信仰遺跡な

40 :
宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16
0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域
には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に
は、特別天然エムゾネ記念物に指定されているニホンカモシカや天
然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワ
グマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が
限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道・幕岩登山道の東
側50m、標高1,6エムゾネ50m付近にあり、新富士火山の中
期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩肌には
樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一面
に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図にも記録され
ている。古絵図には「まこ岩」エムゾネ「孫岩」の名で記述される
こともある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地
で修行したという言い伝えが残っている−77−(日本霊異記
)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側火山登山道
沿いには宝永山(標高2,698m)、エムゾネ二ツ塚(標高1,
926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの
側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火により
須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で
復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類はエムゾネ約160
種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域に
は、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には
、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念
物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグエムゾネ
マも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限
られ、生息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴
)須走口登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある
溶岩洞穴。開口部は腰をかがめなければ進めないほど

41 :
内部エムゾネは数名が立つことのできる空間が広がっている。・小
富士標高1,959mの側火山で、須走口登山道5合目からほ
ぼ北に600mほど離れた場所にある。延暦19年(800)
とそれに続く噴火により形成されたとされている。須走口5合
目から高低差エムゾネの少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪
れることができる。周辺は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・ト
ウヒ)に覆われているが、頂上部分はスコリアに覆われて樹木
がなく、山中湖・箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協
会によるコンクリートエムゾネ製の標識と、大正13年(1924
)に扶桑教によって建立された祠がある。祠内部に仏像が三体
あったというが、現在は残っていない。・鳥類相富士山域で観
察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸
生哺乳類富士山の山域には、6エムゾネ目14科35種程の陸生哺
乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されてい
るニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含ま
れる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少な
く、生息できる環境が限られ、生息数はエムゾネ少ない。A5吉田
口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本
栖湖北側・西側・南側の山は御坂層基盤により構成されている
。北側から西側にかけては、標高1100m〜1300m前後
の山が連なっている。また南側には標高1485エムゾネmの竜ヶ
岳が位置している。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・神田川−
78−湧玉池の湧水を水源とする神田川が、約1,000mを
流れ潤井川に注いでいる。かつては禊所より下流(下池)の部
分も含めて御手洗川と呼ばれていた。現在、護岸の一部はエムゾネ
、神田川ふれあい広場から下りる親水護岸として整備されてい
る。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間
神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間神社B7

42 :
浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11忍野
八海エムゾネB12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・
溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成
)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶岩洞
穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構成)B1
4人穴富士講エムゾネ遺跡(人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝な
しウ眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の周辺地域の地
下には、関連の遺構、遺物が良好に残されている区域があり、
それらは文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知さ
れている。また、かつエムゾネて登山者に利用された御師の家並み
など、文献史料に記載された多数の伝承地や名所等が存在して
いる。ア富士山山体及び登山道−79−A富士山なしA1山頂
信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神
社脇の舗装された道を登って南エムゾネ西から北東に進んでいくと
、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡はこ
こを北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点に馬
頭観音の碑が建っている(標高約590m)。昭和8年(19
33)に上原伸郎によって建てられたもエムゾネのである。・馬頭
観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはや
や道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈曲した経路の2
つが存在する。前者については明治以降に木材の切り出し・運
搬に使われた木馬道であると推測される。ここでエムゾネ以前に馬
が死んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられてい
る。・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡堂
跡手前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡が
あるとされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』でエムゾネ
は、「道の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも
平らな場所がある」と報告している。平成20年の調

43 :
場らしき地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異な
っており、両者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写
真図エムゾネ建物跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士
公園線が交差する地点から約60m南に下りた位置にある。周
囲はなだらかな傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。
むき出しになった岩石には一面に苔がむしている。東西4m弱
・南北6m弱エムゾネの方形の石列があり、その北東側に

44 :
ぼみを確認した。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、
このくぼみを便所跡としている。写真建物跡の写真図建物跡の
図面・4号建物跡富士山スカイラインと村山登山道が交差する
地点から北北東の方角エムゾネに約600mの位置にある。登山道
の西側には日沢が南北に走っており、北側と東側には斜面が迫
る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂っている。平場
は東西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石組が確認
された。南側中央部には石段がエムゾネ確認された。『富士山村山
口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたる
としているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使
われていた可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡
から北北東に約450mの位置(標高約エムゾネ1,985m)に
ある。周囲は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の
西側は、日沢に向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側に
は、東西約12m、南北約10mの平場がある。平場の南縁に
は石組が見られ、登山道を挟んで東西12mにわエムゾネたって延
びている。平場の北側の斜面にも石組が確認できる。・岩屋不
動岩屋不動は、役行者からの伝法で村山三坊が毎年年番で行っ
ていた札打ちや勤行等を行う富士峯修行の修行所の1つであっ
た。江戸時代の絵図には、高所にある洞穴と、その脇を流エムゾネ
れる滝の情景で描かれ−80−ることが多い。洞穴内には不動
明王が安置されていたという。慶長7年(1602)に書かれ
た「富士山持場之事」に記述があるが、宝永4年(1707)
の宝永噴火で堂室が消失したと言われている。また、文化13
年(エムゾネ1816)〜天保5年(1834)に執筆された『修
訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板葺きの建
物があり、登山者の休憩所であったことが記されているが、嘉
永7年(1854)の「富士山室小屋建立古帳面写」

45 :
室無之」と記エムゾネ載され、この時点では再び堂室が消失してい
ると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明となっていた
が、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確認した。不動
沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、地上から7mほ
どの高さの場所にあるエムゾネ。洞穴の内部は、高さ2m、幅6.
4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つことのでき
る程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかっている。中央
部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が多く転が
り、入口は半ば塞がれたようなエムゾネ状態である。最奥の向かっ
て左側については人工的に開削された可能性が残る。写真岩屋
不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須走口
登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,83
0m付近にある。冨士浅間神社の末社でエムゾネ、かつては中宮小
室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が
登山できるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花
開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土
地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和エムゾネ50年代
に倒壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する
工作物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残
っていない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間
神社の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入ったエムゾネ
自衛隊東富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内
のため、許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神
社と改名されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀ら
れていることから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄
3年エムゾネ(1690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ
、成立年代は江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の
噴火によって被害を受けたが、宝暦14年(1764

46 :
された。祭神は大日要命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合
わせて間口二エムゾネ間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠
舎が付いていたとされる。古絵図(小山町史)では、須走口登
山道から脇道にそれた場所に描かれている。江戸時代には、大
日堂に立ち寄ってから山頂を目指したとされる。建物は現存し
ないが、二重の石組みエムゾネに囲まれた建物跡に一対の灯篭(江
戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇には地蔵菩薩像と石碑
がある。昭和58年(1979)に石の祠が建てられ、毎年9
月に祭礼が行われている。写真神社跡の写真・下山道(砂走り
)登山道の南側に、下山道(砂エムゾネ走り)がある。須走口では
江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた。下山道は
標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登山道南
側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口)の「大砂走
り」と区別して、「砂走り」と呼ばれるエムゾネ。−81−A5吉
田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8
合目で須走口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合
」と呼ばれた。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建てる
ことが許されなかったことから、登山道最後の小エムゾネ屋場とし
て多くの小屋が建てられていた。写真小屋の写真A6北口本宮
冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連
遺跡中道往還は甲斐と駿河との交通路のうち、若彦路と河内路
の中間に発達したので「中道」と呼ばた。甲府市から国道エムゾネ
358号線を経て精進湖赤池交差点より国道139号に入り、
静岡県の富士宮市・富士市に至る道である。こうした交通の要
地であることから本栖湖周辺には中道往還に関連する遺跡が複
数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・浅間大社遺跡
(埋エムゾネ蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北500m・東西
200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複合

47 :
れている。・大灯籠昭和35年(1960)に奉納された大灯
籠2基が、第2駐車場南側入口に設置されている。B2山宮浅
間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間神社なしB5須
走浅間神社・須走護国神社−8エムゾネ2−西南の役から太平洋戦
争に至る期間の、須走地区の戦没者24名が祀られている。・
鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への連絡路であ
った鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌倉から放射状
に存在した複数のルートの一つで、当時エムゾネの御家人らが鎌倉
と自領との往還に利用した道である。また、生活必需品を運ぶ
商人や各国々に旅する人も多く、須走地区が、古くから富士北
麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されていた
ことがわかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅間エムゾネ神社B7
冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B
11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等について
は、洞穴本体あるいは富士山の関連として信仰の対象と位置づ
けられたものが多く見られ、周辺には社寺等の宗教的施設エムゾネ
がみられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社などの設置形態
は、洞穴と一体になって信仰が行われている事例である。・信
仰的意味を付された地形・空間B13吉田胎内樹型・参詣道吉
田口登山道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうもので
あるエムゾネ。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」
には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺跡
(人穴浅間神社)・中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道の
ひとつである。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝を
する習慣があエムゾネり、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道と
して中道往還を通っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境
内地から南へ下ったところに、人穴で修行する行者の食事や宿
泊の世話、洞穴や周辺の碑塔の建立や管理等を代々行

48 :
赤池家の跡地がある。エムゾネ・石鳥居県道脇の参道への入口に石
鳥居が建てられている。額束には「富士人穴」と刻まれている
。・参道参道は、県道清水富士宮線から石鳥居をくぐって進み
、浄土門と刻まれた石碑を右折して、境内地内の参道へ続いて
いる。石碑から階段までの参道エムゾネはかつての中道往還と重複
する。−83−B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人
文的要素富士山山体においては、登山道沿いに登下山者の緊急
避難や遭難者の救助、応急処置の機能を兼ね備えた山小屋が立
地している。富士山麓における構成資産エムゾネの周辺については
、山林、農耕地のほか市街地となっており、日常生活に関連す
る各種施設等をはじめとして、道路、橋、線路、電柱、看板等
の各種人工物が存在している。また、構成資産の公開活用を目
的した資料館等の施設が存在している。ア富士山エムゾネ山体及び
登山道A富士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登
山道・岩屋不動山小屋とその関連施設標高の低い地点から順に
、表富士宮5合目、雲海荘(6合目)、宝永山荘(6合目)、
御来光山荘(新7合目)、山口山荘(元祖7合目)、池田エムゾネ
館(8合目)、万年雪山荘(9合目)、胸突山荘(9合5勺)
がある。山小屋周辺にはバイオトイレ、自動販売機、ベンチ、
テーブル等が設置されている。・緊急・救急施設富士山は、高
山であり気候も急変することから、登山客の安全確保を目的と
してエムゾネ、富士山登山指導センター(山頂、富士宮口登山道新
5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登山道8合目)が設
けられている。写真救急施設の写真・救急搬送・荷物搬送区域
登山道にほぼ並行して、救急用・緊急用避難道としての役割を
持つ道路等のエムゾネ施設が設けられている。搬送にはブルドーザ
ーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等
が設置されている。・県道180号線富士宮富士公園

49 :
社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富士公園線」が
、村山口登山道跡と2エムゾネ箇所で交差している。交差する地点
は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5q進んだ地点と、高
鉢山駐車場から約700m下った地点であるが、道路沿いには
特別な表示等はない。また、この道路は富士山スカイライン、
富士宮口登山道を経て6合目かエムゾネら旧村山口登山道と合流し
、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5合目
駐車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線に沿って
東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近で交
差する。写真遊歩道の写真−84−・駐エムゾネ車場・附属施設4
50台収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設とし
て、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シ
ーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、
広告旗、バス停留所などがある。・林道富士山麓エムゾネには多く
の林道があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登
山道と交差する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山
小屋が建てられている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館
(7合9勺)、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺エムゾネ
)、日ノ出館(7合目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目
小屋)がある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、
椅子等が設置されている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7
合8勺、2合8勺)に、気象庁の避難小屋が建てられている。
富士エムゾネ山頂測候所に勤務する職員用の施設であったが、測候
所廃止に伴い現在は使用されていない。・救急搬送・荷物搬送
区域登山道の南西側に、救急用・緊急用避難道としての役割を
持つ道路等の施設が設けられている。搬送にはブルドーザーが
使われる。歩エムゾネ道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等
が設置されている。・下山道(大砂走)登山道の南西

50 :
原、馬返、太郎坊を経て、須山口登山道2合8勺に接続する経
路であった。明治22年、東海道線(現JR御殿場線)が開通
し御殿場駅が設置されたことにより、登山道が富士山東表口新
道本社浅間神社を通る現在の経路に変更エムゾネされた。御殿場口
登山道は須山口よりも距離が短い上に道も良く、関東方面から
の登山客の多くが同登山道を利用し、須山口登山道衰退の契機
となった。現在は、須山口登山道と接続する2合8勺から頂上
までの部分も、御殿場口登山道と呼ばれている。エムゾネ写真御殿
場口登山道の写真・須山口登山歩道須山浅間神社を起点とし、
弁当場、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車場、御殿庭を通り、宝永火
口の西側火口壁を抜けて富士宮口登山道六合目に通じる登山道
である。平成9年に富士山須山口登山歩道保存会が中心とエムゾネ
なって復興した。道筋の一部は裾野市と御殿場市の市境に沿っ
ている。宝永噴火後から明治時代までの須山口登山道とはルー
トが異なるため、区別する意味で須山口登山歩道と呼ばれる。
・須山口下山歩道須山口2合8勺から二ツ塚の西側を下り、四
辻分エムゾネ岐、幕岩上部、須山御胎内上部を通り、水ヶ塚駐車場
に至る道で、平成11年に富士山須山口登山歩道保存会が中心
となって復興した。道筋の一部(幕岩上部〜須山御胎内上部)
は宝永噴火後〜明治時代の須山口登山道と一致する。−85−
写真須山口登エムゾネ山歩道の写真A4須走口登山道・山小屋とそ
の関連施設登山道沿いに、山小屋が建てられている。上から順
に、御来光館(8合5勺)、胸突江戸屋(本8合目)、江戸屋
(8合目)、見晴館(本7合目)、大陽館(7合目)、瀬戸館
(本6合目)、長田山エムゾネ荘(6合目)、東富士山荘(5合目
)、菊屋(5合目)、吉野屋(砂払い5合目)がある。山小屋
周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置され
ている。山小屋周辺にはバイオトイレ、自動販売機、

51 :
、「大鏡坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側に、「池西坊」は現
在の児童公園の南側にあったとされる。児童公園から西へ道沿
いに宿坊跡のものとされる石垣エムゾネが残り、大鏡坊の入口跡と
考えられる痕跡を見ることができる。写真宿坊跡の写真・見付
跡(東見付、西見付)集落の出入り口となる東西のはずれに「
東見付」「西見付」と呼ばれる、村山に入る不審者を取り締ま
る関所があった。−87−西見付跡は村エムゾネ山浅間神

52 :
富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静岡県
(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡エムゾネ小山町)
と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山であ
る。標高3776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰
で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知ら
れている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きなエムゾネ
影響を与えただけではなく、気候や地層など地質学的にも

53 :
な影響を与えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火
山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。古来霊峰と
され、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視
されエムゾネた。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が
祭祀され、浅間信仰が確立された。また、富士山修験道の開祖
とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるよう
になり、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代
により多様化エムゾネし、村山修験や富士講といった一派を形成す
るに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏
季シーズンには富士登山が盛んである。日本三名山(三霊山)
、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。また、19
36年(昭和11年)エムゾネには富士箱根伊豆国立公園に指定さ
れている。その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、2
011年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25
年)6月22日には関連する文化財群とともに「富士山−信仰
の対象と芸術の源泉」の名で世エムゾネ界文化遺産に登録された。
日本の文化遺産としては13件目である。富士の山とは詠んだ
としても、「ふじやま」という呼称は誤りであり、愛媛県大洲
市柚木にある冨士山(とみすやま)とは字も呼び方も異なる。
富士山についての最も古い記録は『常陸エムゾネ国風土記』におけ
る「福慈岳」という語であると言われている。他にも多くの呼
称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もある。
また、『竹取物語』における伝説もある。「フジ」という長い
山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称さエムゾネれたとい
う説もある。近代以降の語源説としては、宣教師・バチェラー
は、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプ
リ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中
に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤エムソ

54 :
御岳」と名付けられた。古富士は8万年前頃から1万5千エムゾネ
年前頃まで噴火を続け、噴出した火山灰が降り積もることで、
標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝永火口の北側1〜
2kmのところにあったと考えられている。2009年10月
に、GPSによる富士山の観測で地殻変動が確認された。これ
は1エムゾネ996年4月の観測開始以来初めてのことである。こ
の地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士宮市−富士
吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが蓄積している(活
火山である)現れとされている。プレートの観点からは、ユー
ラシアプレーエムゾネト外縁部で、北アメリカプレート又はオホー
ツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静岡構
造線)に南からフィリピン海プレートが沈み込む位置であり(
ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マリアナ島
弧を陸上に延長した交エムゾネ点)、3個のプレートの境界域(三
重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでい
るフィリピン海プレートのさらに下に太平洋プレートが沈み込
んでおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に
太平洋プレートに由来するものエムゾネである。富士山の火山上の
特徴は、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であるこ
と、日本の火山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出している
のに対し、富士山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山
が非常に多いことがある。富士山頂山頂エムゾネ火口を上空より山
頂火口山頂には火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。
これを囲むようにして8つの峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火
口の南西側に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士
山。標高3775.51m2014年4月1日改エムゾネ算)、火
口の北側には二等三角点(点名は、富士白山。標高3756.
23m2014年4月1日改算)が設置されている。火口

55 :
造は、国土地理院によると、最深部の標高が3538.7m、
火口の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火エムゾネ
口底の直径は130mとある。登山道を除く8合目より上は、
富士宮市にある富士山本宮浅間大社の私有地であるが、県境と
市町村境界は未確定である。2014年1月の富士山世界文化
遺産協議会後の記者会見でも静岡県知事の川勝平太と山梨県知
事のエムゾネ横内正明は県境を定めないことを明言している。

56 :
地理院がインターネット上で公開している地形図では2013
年10月から地図上の地点を指定すると住所、緯度・経度、標
高が表示される機能が加わったが、帰属未確定の地点の場合に
は近くの帰属エムゾネが確定している住所が表示されるという設定
になっているため、富士山頂(剣が峰)を指定すると静岡県富
士宮市として表示されることが山梨県などから指摘され、これ
を受けて富士山頂の住所表示については非表示になるよう変更
された。宝永山宝永山エムゾネと宝永噴火口宝永山(ほうえいざん
)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した側火山(
寄生火山)である。富士山南東斜面に位置し標高は2,693
mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開いている。これ
らを間近で見ることができる登エムゾネ山コースも整備されている
。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活動富士山の噴火詳細
は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了した約1万1千年
前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量に噴出し
た。この溶岩によって、現在の富士山のエムゾネ山体である新富士
が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に
顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,
500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規
模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こしてエムゾネ崩壊した
。新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前
〜約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜
約3,200年前の1,300年間と考えられている。山頂部
からの最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山エムゾネ
頂部からの噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの
噴火が散発的に発生している。延暦19年−21年(800年
−802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶
岩を噴出した貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝

57 :
る。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動によるマ
グニエムゾネチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている
。主な発生歴約2900年前(御殿場泥流):東斜面で大規模
(約18億立方メートル)な山体崩壊が発生し、泥流が御殿場
周辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ
流下、山体崩エムゾネ壊の発生原因は不明。1331年の元弘地震
に伴い発生。1891年濃尾地震に伴い発生。災害対策火山噴
火予知連絡会(気象庁)−富士山のみを限定するものではない
が、日本の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて
見解を発表するが、噴エムゾネ火の日時を特定して発表することは
ない。定例会は年3回実施されるが、噴火時には随時開催され
る。2000年10月に富士山の低周波地震が増加した際は、
ワーキンググループが設置され、富士山に関する基礎データの
収集・整理、監視体制の検討、エムゾネ火山情報発信の方法などが
集中的に検討された。富士山ハザードマップ検討委員会(内閣
府防災担当)−噴火時の広域避難のために必要なハザードマッ
プの作成が、検討委員会を通じて進められている。富士直轄砂
防事業(国土交通省)−大沢崩れを源にエムゾネして発生する大規
模な土石流から、下流の保全対象を守る砂防事業を実施中。山
梨県は2015年6月11日、「富士山噴火時避難ルートマッ
プ」を作成した。「静岡市市長の田辺信宏は2016年1月2
2日の定例記者会見で、市消防航空隊が2013エムゾネ年、富士
山で滑落した登山者を救助中にヘリコプターから落下させ、こ
の登山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、市消防局
がヘリで救助できる山の高さに3200メートルと上限を設け
たことを明らかにした。」。地殻変動の観測国の機関(防エムゾネ
災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所
)及び大学(東京大学地震研究所)などにより観測が行わ

58 :
いる。国土地理院:地磁気観測点が、鹿野山測地観測所、水沢
測地観測所および江刺観測場に設置されている。また、山頂に
はGエムゾネPSの電子基準点。気象庁観測所:地震計(山頂、御
殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)、傾斜計
(太郎坊)、空振計(太郎坊、上井出)、GSP(太郎坊)、
望遠カメラ(萩原)防災科学技術研究所:火山活動可視情報化
システム(VエムゾネIsualizationsystem

59 :
rVolcanicActivity)噴出物災害などへの対
策国土交通省、富士砂防事務所:静岡県、山梨県と連携し火砕
流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・検討
を実施しハザードマッエムゾネプが作成されている。しかし、山体
崩壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成である
。富士山と気象気候山頂は最暖月の8月でも平均気温が6℃し
かなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上1
0℃未満のツンドラ気候に分類エムゾネされる。太平洋側の気候の
ため1月や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪
トップ10を占める。観測史上最低気温は−38.0℃で最高
気温が−30℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃
を上回ることがない1日というのは北海エムゾネ道でも例がない。
富士山での気象観測かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣
ヶ峯に設置していた気象官署が富士山測候所である。現在は富
士山特別地域気象観測所となっており、自動気象観測装置によ
る気象観測を行っている。詳細は「富士山測候所エムゾネ」を参照
気象現象山体に強風が吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体
に降ることがある。2010年12月15日には、神奈川県の
西部から南部にかけて黒い砂が積もり、その状況から富士山の
砂が巻き上げられ、西風に乗り降り積もったと考えられるエムゾネ
と報道された。富士山北麓の一部農地(現在の山梨県富士吉田
市など)では、富士山の標高2600m付近に現れる農鳥(鳥
の形に見える残雪)の出現する時期によって、農作物が豊作に
なる・凶作となるという言い伝えがある。富士山では山岳波が
発生エムゾネすることもあり墜落事故も起きている(英国海外航空
機空中分解事故など)。富士山麓の自然環境富士山麓の天然記
念物として、「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」(天然記念物
:1926年2月24日指定、2010年3月8日追加指

60 :
名称変更)、エムゾネ「富士風穴」(天然記念物:1929年12
月17日指定)などがある。伏流水白糸の滝(静岡県)富士山
に降った雨や雪は、長い年月をかけ伏流水として地下水脈を流
れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出す湧水として確認さ
れている例は標高16エムゾネ70m(富士宮口二合目付近)とさ
れ、その他山麓を帯状に分布している。富士山麓における湧水
の総湧出量は1968年で1日あたり154万立方メートル以
上だという。しかし、近年湧出量の減少が確認されている例が
ある。地域名称南東麓されていエムゾネ柿田川(日本三大清流)、
小浜池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい玉池(特別天然記念物)
、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭湧泉群北
麓忍野八海(国指定の天然記念物)またの、一部で駿河湾や富
士五湖の西湖(水深25m付近)で湧出エムゾネがあるとされてい
る。富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医
薬関連の製造業などの工業が活発に行われている。また、富士
山の伏流水はバナジウムを豊富に含んでいるため、ミネラルウ
ォーターとして瓶詰めされ販売されている。溶岩エムゾネ洞窟西湖
コウモリ穴入口富士山麓周辺には大小100以上の溶岩洞窟が
形成されている。その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静
岡県富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、
山麓周辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモリ穴(山エムゾネ
梨県南都留郡富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定さ
れている。その他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の
天然記念物に指定されている。植生富士山は標高は高いが、日
本の他の高山に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これ
は富エムゾネ士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火
が繰り返したために山の生態系が破壊され、また独立峰である
ため、他の山系からの植物の進入も遅れたためである。し

61 :
、宝永山周辺ではいくらか高山植物が見られる。山の上部では
タデ科オンタエムゾネデ属のオンタデ(御蓼)、山腹ではキク科ア
ザミ属のフジアザミ(富士薊)が自生している。中部山岳地帯
の高山の森林限界の上にはハイマツ帯が広がっているのが通例
であるが、富士山にはハイマツ帯は欠如し、その代替にカラマ
ツ林が広がっている。エムゾネ人間史富士山本宮浅間大社古代古代
より富士山は山岳信仰の対象とされ、富士山を神体山として、
また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と言わ
れるようになった。特に富士山の神霊として考えられている浅
間大神とコノハナノサクヤビメエムゾネを主祭神とするのが浅間神
社であり全国に存在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市に
ある富士山本宮浅間大社(浅間大社)であり、富士宮市街にあ
る「本宮」と、富士山頂にある「奥宮」にて富士山の神を祭っ
ている。詳細は「富士信仰」を参照古代エムゾネでは富士山は駿河
国のものであるとする考え方が普遍的であった。これらは「高
く貴き駿河なる富士の高嶺を」(山部赤人『万葉集』)や「富
士山は、駿河国に在り。」「富士山は駿河の国の山で(省略)
まっ白な砂の山である」(都良香『富士山記』)エムゾネ、「駿河
の国にあるなる山なむ」(『竹取物語』)など広く見られるも
のである。しかし「なまよみの甲斐の国うち寄する駿河の国と
こちごちの」(「高橋虫麻呂」『万葉集』)のように駿河国・
甲斐国両国を跨ぐ山であるという共有の目線で記された貴エムゾネ
重な例もある。それより後期の時代、イエズス会のジョアン・
ロドリゲスは自著『日本教会史』にて「富士山は駿河国に帰属
している」としているため、帰属は駿河国という関係は継続さ
れていたと考えられる。登山口は末代上人が開いた登山道を起
源とエムゾネし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われ
る村山口である。これにより富士修験が成立したとされる

62 :
第に他の登山道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須
走口が存在してる。神仏習合は富士山も例外ではなかった。山
頂部は仏の世エムゾネ界と考えられるようになり、特別な意味を持
つようになった。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年
銘である木造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本
尊であった。鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合に
よる「富士大菩薩」やエムゾネ「浅間大菩薩」という呼称が確

63 :
国指定文化財である「エムゾネ史跡」に指定された。史跡としての
富士山は複数の資産から構成され「史跡富士山」として包括さ
れている。指定範囲は静岡県は富士宮市・裾野市・駿東郡小山
町、山梨県は富士吉田市・南都留郡富士河口湖町・鳴沢村であ
る。このとき富士山八合目以上エムゾネの山頂部や各社寺、登拝道
(登山道)が指定された。その後富士山本宮浅間大社社有地の
一部、人穴富士講遺跡、各登山道が追加指定された。登山史富
士登山の伝承においては伝説的な部分が多く入り混じっており
、諸説存在する。富士山の登山史和暦西エムゾネ暦内容補足推古天
皇6年598年平安時代の甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神
馬に乗り富士山の上を越えたとする記述がある。諸国からが多
献上された数百匹の中から白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬
であると見抜き、同年9月に太子が試乗すると、エムゾネ馬は天高
く飛び上がり東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、
3日を経て都へ帰還したという。天智天皇2年663年役小角
が県は富、流刑したされた伊豆大島から毎晩密かに逃げ出し、
富士山へ登ったという伝説が残る。役小角は「富士山開山エムゾネ
の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマルセル・クルツの
『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改訂されたもの
の「世界初の登山」という記述がされていた。貞観17年87
5年平安時代の学者である都良香が『富士山記』の中で山頂火
口のエムゾネさまを記す。山頂には常に沸き立つ火口湖があり、そ
のほとりに虎の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなけれ
ば知りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者
に取材したと考えられる。なおこの約10年前には山頂噴火で
はないが有史エムゾネ最大の貞観大噴火があった。久安5年114
9年『本朝世紀』には末代上人が数百回の登山を繰りかえした
とある。回数は一致するものかは不明であるが、登山を多

64 :
った人物として知られる。江戸時代に入ると富士講が盛んにな
り、多くの参拝者が富エムゾネ士登山(富士詣)をした。特に江戸
後期には講社が多数存在し、富士詣は地域社会や村落共同体の
代参講としての性格を持っていた。最盛期には吉田口だけで百
軒近くの宿坊(山小屋)があった。文政11年1828年気圧
計による高度測定の試みシーボエムゾネルトの弟子である二宮敬作
が登頂し、気圧の変化により高度測定を行った。伊能忠敬の測
量では2603m−3732mとされていたが、この測定では
3794.5mと算出されている。天保3年1832年高山た
つが女性として初登頂。女人禁制が敷かエムゾネれていた時代であ
る。嘉永6年1852年松平宗秀(本庄宗秀)が近世大名とし
て初登頂。富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主
人が記した「袖日記」という古記録に宮津藩主松平宗秀が富士
登山を行った記録がある。袖日記の6番によるとエムゾネ、宗秀は
江戸と宮津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろうと
思い始めたが、参勤交代の道程は幕府に指定されたルートであ
り、これを逸脱したコースを通ったり、たとえ社寺参詣であっ
ても寄り道することは許されないため、富士に登ることをエムゾネ
幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「
馬返し」と呼ばれる地点までであった。(馬返しというのは一
合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を下りて山に登
るという所)そこで宗秀は嘉永6年(1852)6月21日、
幕府エムゾネに内緒で登山を決意し、明け方から出発して山を登り
始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀の富士山登頂は、
近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。万延元年1
860年英国公使オールコックが外国人として初登頂。『古事
類苑』にオーエムゾネルコックの登山についての記録(富士重本が
寺社奉行所に提出した届出)があり、「英人富士山ヲ測量

65 :
ニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大
宮小休、村山泊に相成り、廿五日快晴致し、不士山六合目へ泊
り、廿六日快晴頂上いエムゾネたし…」とある。オールコックは7
月24日に大宮から村山に入り登山を行い、26日に登頂した
。明治4年1872年女人禁制が解かれる。明治時代になると
信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わって娯楽やスポーツとし
ても登られるようになり、欧米エムゾネの近代登山技術が取り

66 :
た。それらは第三者に委ねる内済という扱いとなり、その内済
にて「他の者に小屋掛けさせなエムゾネいこと」「薬師堂の入仏は
須走村が行うこと」「内院散銭は一番拾いを大宮と須走で6:
4で分け、2番拾いは須走が得るものとする」という決定とな
り、以後これらは遵守された。安永の争論安永元年(1772
年)に、須走村が山頂の支配権は同村のエムゾネ支配にあるとして
浅間大社を相手として訴えた争論が安永の争論である。またこ
れをみた浅間大社側の富士民済も反論を起こした。さらに吉田
村と浅間大社とで支配地域を確定する争論もあったため、ここ
に大宮・新規参入である吉田と須走の争いの決着エムゾネが望まれ
ることとなり、勘定奉行なども関わる大論争となった。安永8
年(1779年)に持ち越されることとなった。結論は徳川家
康が富士山本宮浅間大社を信奉していたという幕府側の配慮が
あり、勘定奉行・町奉行・寺社奉行のいわゆる三奉行によエムゾネ
る裁許で、最終的に富士山の8合目より上は、富士山本宮浅間
大社持ちとすることが決定された。この2者の争論を起因とす
る裁判により、これまで曖昧であった山頂の支配権やその他権
利の所在などが、江戸幕府により明確に定められることとなっ
た。エムゾネ富士山と眺望特別名勝としての富士山富士山は昭和2
7年(1952年)10月7日に「名勝」に指定され、同年1
1月22日に「特別名勝」に指定された。山梨県側は富士吉田
市・船津村(現・富士河口湖町)・鳴沢村・中野村(現・山中
湖村)の範囲エムゾネが指定された。静岡県側は御中道に囲まれる
地域全部および富士宮口登山道(富士宮市)と御殿場口登山道
(御殿場市)を挟む標高1,500m以上の地域、またこれと
重複しない一合目以上御中道に至る富士宮口登山道および須走
口登山道(小山町)がエムゾネ範囲となっている。富士山の眺望ウ
ィキメディア・コモンズには、各地点からの富士山の眺望

67 :
連するカテゴリがあります。富士山への良好な眺望が得られる
128景233地点を、国土交通省関東地方整備局が関東の富
士見百景として、2005年(エムゾネ平成17年)に選定した。
羽田空港から西に向かう国内便などでは富士山の上空を通過す
る。その際、機長が富士山を案内するアナウンスをすることが
多い。また、新年のご来光を見るための遊覧飛行便も運行され
る。富士山の眺望の最遠は2013年現エムゾネ在、和歌山県

68 :
勝浦町である。那智勝浦の色川富士見峠(妙法山とは別)は、
富士山頂からの距離は322.9キロで、一番遠く最も西にあ
るとされる。また、眺望の北限は2017年1月16日に福島
県川俣町と飯舘村にまたがる花塚山(標高919エムゾネm)と日
本地図センターにより認定された(富士山からは308kmの
距離にある)。南東方向に約271Km離れた八丈島の三原山
からも眺望される。富士山の見える都道府県は、理論上可能と
されていた京都府から2014年に撮影に成功したことにエムゾネ
より、20都道府県となった。様々な表情の富士山富士山の表
情は、見る場所・角度・季節・時間によって様々に変化する。
富士と名が付く、いくつかの姿がある。画像富士山の姿解説赤
富士夏の朝、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。葛飾
北斎エムゾネをはじめとした画家が「赤富士」を描いた絵画を残し
た。紅富士雪化粧した富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。
「モルゲンロート」(ドイツ語Morgenrot)が用いら
れる場合がある。逆さ富士波立ちが少ない水面に映る逆さの富
士山の光景。エムゾネD五千円券の裏の図案に、本栖湖の逆さ富士
が使用された。竜ヶ岳(山梨県)から望む日の出時のダイヤモ
ンド富士(2015年12月5日撮影)ダイヤモンド富士太陽
が昇った時又は沈む時、太陽が富士山の頂上と重なり、富士山
の頂上付近がダイヤモエムゾネンドのように光る現象。富士山が見
える西又は東の場所から、年に2回見ることができる。影富士
朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出される風景。富
士山登山時に山の上部から、雲海の上に見られる場合がある。
笠雲笠雲とレンズ雲を伴う。富エムゾネ士山の頂上に傘をかぶせた
雲がある風景。その際は、次第に麓では曇りまたは雨になるこ
とが多い。「表富士」と「裏富士」『不二三十六景甲斐夢山裏
富士』現在も富士山の山小屋や登山道の道標として「表口

69 :
「裏口」という表現がみられ、一般的にエムゾネ静岡県から見た富
士山を表富士、山梨県からの姿を裏富士として認知されている
が、これには歴史的背景がある。延宝8年(1680年)に作
成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」という表記が
ある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記エムゾネ述がある
。登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ四道ナ
リ、(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…〜〜『甲
斐国志』他の資料にも共通した記述がみられ、このように南麓
を表、北麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言エムゾネ
える。これとは別に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の
『富嶽百景裏不二』『冨嶽三十六景身延川裏不二』や歌川広重
の『不二三十六景甲斐夢山裏富士』など、作品名に採用されて
いる例がみられる。富士山の文化美術における富士山三峰型富
士のエムゾネ例絹本着色富士曼荼羅図狩野元信(伝)峰型富士の例
(上図)と同じ構図の実写富士は、ギャラリーに掲載富士山絵
画は平安時代に歌枕として詠まれた諸国の名所を描く名所絵の
成立とともにはじまり、現存する作例はないものの、記録から
この頃には富エムゾネ士を描いた名所絵屏風の画題として描かれて
いたと考えられている。現存する最古の富士図は法隆寺献納宝
物である延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』(東京国
立博物館)で、これは甲斐の黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖
徳太子が富士を駆け上エムゾネる姿を描いたもので、富士は中国山
水画風の山岳図として描かれている。楽焼白片身変茶碗銘不二
山(国宝)鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描
写法が確立し、『伊勢物語絵巻』『曽我物語富士巻狩図』など
物語文学の成立とともに舞台とエムゾネなる富士が描かれ、富士信
仰の成立に伴い礼拝画としての『富士曼陀羅図』も描かれた。
また絵地図などにおいては反弧状で緑色に着色された他の

70 :
美術をはじめ商業デザインなどに幅広く用いられ、絵画におい
ては伝統を引き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制
作された。また、鉄道・道路網など交通エムゾネ機関の発達により
数多くの文人・画家が避暑地や保養地としての富士山麓に滞在
し富士を題材とした作品を製作しているが、富士を描いた風景
画などを残している画家として富岡鉄斎、洋画においては和田
英作などがいる。富士山をモチーフとした美術品エムゾネは当

71 :
ヨーロッパでも多く流通しており、このことから富士山もヨー
ロッパで広く知られていた。1893年(明治26年)、日本
を旅行していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フ
ランツ・フェルディナント大公は、日記に次のように書いエムゾネ
ている。フジサン、フジノヤマ。いったい、この日本の象徴―
―ヨーロッパではふつうフジヤマと呼ばれる――を知らない者
などいるのだろうか〜ヨーロッパでもっとも好まれる日本工芸
のデザインとして漆器、陶磁器、和紙、金属などに描かれてい
るかエムゾネら、もう、わたしたちにはお馴染みだ。〜〜8月15
日付戦時下には国家により富士は国体の象徴として位置づけら
れ、富士は国家のシンボルとして様々に描かれた。戦後には国
体のシンボルとしてのイメージから解放された「日本のシンボ
ル」として、エムゾネ日本画家の横山大観や片岡球子らが富士を描
いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画題へのアン
チテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士を描く傾
向も見られる。深田久弥は『日本百名山』の中で富士山を「小
細工を弄しない大きなエムゾネ単純」と評し、「幼童でも富士の絵
は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている
」という。日本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨
大な富士山を豆粒のような人物(僧、西行法師)が見上げると
いう構図で、水墨画や彫金でもエムゾネ描かれている。千円札、旧
五千円札のモデルとなった本栖湖からの富士山近代では紙幣や
切手のデザインにも用いられている。富士山が紙幣のデザイン
に用いられる例は数多くある。古くは1913年発行の50銭
政府紙幣があり、愛鷹山からの富士山でエムゾネる。その後の19
51年と1969年発行の旧五百円札は大月市の雁ヶ腹摺山か
らの富士山を元にしている。1984年発行の旧五千円札と2
004年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの富士山である

72 :
士山を描写した切手が郵便局から発売された。河エムゾネ口湖、西
湖、精進湖、本栖湖、山中湖(1999年(平成11年))葛
飾北斎(1999年(平成11年))オオマツヨイグサ・山梨
県(2005年(平成17年))文学における富士山富士山は
和歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』エムゾネ
の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。「田
子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
」(3.318)は山部赤人による有名な短歌(反歌)である
。また、この反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一
節にエムゾネ「…燃ゆる火を雪もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…
」(巻3・319・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る
)雪で消し、(山頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)
とあり、当時の富士山が火山活動を行っていたことがうかがえ
る。『新古今エムゾネ和歌集』から。富士の煙が歌われている。風
になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな西行
(#1613)都人にとって富士は遠く神秘的な山として認識
され、古典文学では都良香『富士日記』が富士の様子や伝承を
記録している。『竹取エムゾネ物語』は物語後半で富士が舞台とな
り、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの
岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたこと
になっている。それからその山は数多の士に因んでふじ山(富
士山)と名付けられたとする命エムゾネ名説話を記している。なお
、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言
い伝えられている場所が現存している。ほか、『源氏物語』や
『伊勢物語』でも富士に言及される箇所があるものの、主要な
舞台となるケースは少ない。富士は甲駿エムゾネの国境に位置する
ことが正確に認識されており、古代においては駿河国に帰属し
ていたため古典文学においては駿河側の富士が題材となる

73 :
が表面化している。富士山と観光富士登山富士登山には登山の
知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7月1日
の山開きから9月上旬の山じまいまでの期間、登山が可能であ
る。期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されて
いるエムゾネ。とくに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。詳
細は「富士登山」を参照その他の観光その優美な姿から、富士
山が見える場所は著名な観光地となっていることが多い。箱根
−箱根は富士山が望めるうえに、東京から近く温泉や歴史・美
術館や各種のエムゾネ乗り物が楽しめることもあり、年間を通じて
内外の観光客が絶えない。また、夏は避暑地としても有名であ
る。富士五湖−富士五湖は富士山周辺の観光地として著名であ
り、本栖湖の逆さ富士が日本銀行券に採用されている。白糸の
滝−白糸の滝は上流にエムゾネ川は存在せず、富士山の雪解け水が
溶岩断層から湧き出す非常に珍しい形成をしている滝である。
また、音止めの滝と共に日本の滝百選に指定されている。朝霧
高原−朝霧高原は富士山を綺麗に臨むスポットとして著名であ
り、その自然と広大な土地もあエムゾネり過去に第13回世界ジャ
ンボリーも開催されている。ダイヤモンド富士−ダイヤモンド
富士などがはっきりと拝める田貫湖や山中湖といったスポット
も有名で、特に写真撮影を目的として訪れる観光客もいる。ド
ライブ−富士スバルラインや富士山スカエムゾネイラインなどを利
用して、5合目までマイカーで上がることができる。シーズン
中はマイカー規制の期間があり、冬期は閉鎖される。富士山の
日(2月23日)2月23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」
と語呂合わせで読み「富士山の日」として制定しエムゾネている自
治体がある。2001年(平成13年)山梨県富士河口湖町(
当時は河口湖町)にて条例を制定。2002年(平成14年)
山梨県富士吉田市を中心に、山梨県の富士山麓10市町村

74 :
恩賜林組合が了承。2009年(平成21年)12月21エムゾネ
日静岡県議会にて条例を全会一致で可決。同年12月25日条
例を制定。静岡県、山梨県どちらも、富士山は普段の生活に溶
け込み過ぎており、「あって当たり前」の空気のような存在で
ある。そのため「富士山の日」に、各自治体や県内企業などが
さまエムゾネざまなイベント等を催し、参加する事など通じて、身
近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルとしても名高い名峰
として再認識する機会としている。また併せて富士山の世界遺
産登録に向けた動きを地元から活発化したいとの期待も込めら
れている。静エムゾネ岡県教育委員会で、各市町村に対して201
1年(平成23年)より「富士山の日」を学校休業日とするよ
う要望した。休業日として組み込んだ自治体があるなか、麓で
ある富士市教育委員会では「特定日を学校休業日とすることは
なじまない」という理エムゾネ由で、2011年以降休業日として
いない。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提供
や、富士山こどもの国の無料開放、図書館や博物館などの社会
教育施設にも富士山の日にちなんだ事業実施を要請している。
なお、富士山の日を最初に宣言エムゾネしたのは、パソコン通信「
NIFTY−Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム
(FYAMAP)」で、1996年1月1日にネット上で発表
した。富士山ナンバー静岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸
支局管内の1市2町4村を対象とした、エムゾネいわゆるご当地ナ
ンバーとして2008年11月4日から富士山ナンバーの交付
が開始された。管轄支局が二県にまたがるナンバープレートは
珍しい。富士山検定「富士山検定実行委員会」が主催する富士
山検定が、富士商工会議所、富士吉田商工会議所エムゾネ、静岡新
聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・山梨放送、NPO法人富士
山検定協会の5者により行われている。地域間交流富士山

75 :
ートエムゾネル。文字[編集]この節には、一部のコンピュータや
閲覧ソフトで表示できない文字(Unicode6.0の絵文
字)が含まれています(詳細)。和文通話表で、「ふ」を送る
際に「富士山のフ」という。文字コードのUnicode6.
0では、携帯エムゾネ電話などで使われていた絵文字も追加された
が、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれて
いる。富士山世界文化遺産平成22年度第1回静岡県学術日本
政府が世界遺産一覧表への記載を推薦する「富士山」は、東ア
ジアの東端に当たる日エムゾネ本列島の本州島の中央部、日本の東
海地方の東部及び関東地方の西部に位置する。推薦する資産は
17個の構成資産(26個の構成要素(後述))から成り、現
行の行政区分に基づく各構成資産の所在地については以下に記
すとおりである。構成資産所在エムゾネ地No.所在地座標計測位
置緯度経度A静岡県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・
小山町)山梨県(富士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口湖町
)県境未確定地富士山(山頂剣ヶ峰)資産範囲及び緩衝地帯の
範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範囲をエムゾネ示す図面、並びに
資産近傍における法的保護区分を示す図面は以下のとおりであ
る。f)資産面積及び緩衝地帯の面積各構成資産の面積及びそ
の緩衝地帯の面積、資産の総面積及びその緩衝地帯の総面積に
ついては、以下に記すとおりである。構成資産面エムゾネ積:緩衝
地帯面積:合計:No.構成資産の面積(ha)緩衝地帯の面
積(ha)合計説明a)資産の説明1)資産全体の説明富士山
は、標高3776mと日本一の高さを誇る独立峰である。高度
を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲線を呈しエムゾネ
、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質成層火
山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面から
の実質的な高さは世界的にも有数である。富士山は、日本

76 :
。富士山体の中には山頂信仰遺跡や登山道などの重要な要素が
含まれている。これらの構成資産が一体となった推薦資産「富
士山」は、山に対する固有の文化的伝統を表す物証であり、山
と人エムゾネ間との精神的な関係を生み出した景観の見本であると
ともに、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資産/
構成要素の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰
遺跡遺跡A2大宮・村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺

77 :
神社)A6北口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河口浅間神
社B7冨士御室浅間神社(写真複数、地図挿入)(改頁)霊地
・巡礼地となエムゾネった風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀
後半から爆発的に流行した富士講の信者は、山頂を目指して富
士山に登るだけでなく、いわばオプショナル・ツアーのごとく
周辺の風穴や湧水地などを巡り、巡礼や修行を行っていた。富
士講の開祖とされる長エムゾネ谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で
修行をし、富士五湖を始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行
を行った。後の富士講徒はこれらの地へ参詣し、開祖に倣って
修行を行う者もいた。また、長谷川角行の八海修行になぞらえ
「富士御手洗(みてらし)元八エムゾネ湖」と唱えられた忍野八海
や、彼が北麓の洞穴で浅間明神を祀ったことにちなんで整備さ
れた船津胎内樹型や吉田胎内樹型など、特定の富士講にとって
の霊場・巡礼地となっている資産もある。B9山中湖B10河
口湖A7西湖A8精進湖A9本栖湖B1エムゾネ1忍野八海B12
船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡B15
白糸ノ滝(写真複数、地図挿入)(改頁)A.富士山(富士山
体)説明富士山には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、
信仰登山の支援施設として機能してきた登山道やエムゾネ山小屋と
いった宿泊施設、信仰の証として建てられた石碑などが存在す
る。推薦範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域
が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が9最も
高い。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つであるエムゾネ
「馬返」以上に該当する標高1500m以上の区域でもあり、
その中でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方
、富士山本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を10
区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約320
0〜エムゾネ3375m)以上と、山頂に近づくほどより強い

78 :
性を持つと認識されてきた。八合目以上は、1779年以降、
富士山本宮浅間大社の境内地とされたが、この理由は八合目の
標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と呼び宗教的に意義付け
られている)エムゾネの底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づ
く。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信者(
富士山信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域
ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼこの境域

79 :
い、富士山体を一周すエムゾネる「御中道」が15〜16世紀ごろ
に富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1
561年及び1580年とされる)、その後「大沢崩れ」とい
う危険箇所を通るため富士講信者により修行の道として利用さ
れた。構成資産範囲内には、山エムゾネ頂信仰遺跡や登山道といっ
た、富士山の顕著な普遍的価値を語る上で重要な役割を担う、
次のような構成要素が存在する。A1.山頂信仰遺跡富士山山
頂部には、火口壁に沿っていくつかの神社など、宗教関連施設
が所在する。富士山への信仰登山が開始エムゾネされると、修験道
の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった
。道者は山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なされたブ
ロッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)エムゾネを拝み、
内院(噴火口)に鎮座するとされる神仏(大日如来が本地仏と
された浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつか
あるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する
「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうこエムゾネ
とが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ修
行僧末代により建立された施設(後の大日堂)が最初とされ、
その後、経典(12世紀末〜13世紀前半と推定されるものが
最古)・懸仏(1482年の銘のあるものが最古)・仏像等(
13エムゾネ02年の銘があるものが最古)の山頂部への奉納・埋
納や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、
大宮・村山口山頂部に大日堂(現在は富士山本宮奥宮が所在)
が、吉田・須走口山頂部に薬師堂(現在の久須志神社)が造営
された。18エムゾネ74年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀
釈の影響によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は
神社に改変された。しかし、山頂部に対する信仰自体は変

80 :
ることなく、上記の行為は現代の登山者の多くが行っており、
これらを通じて富士信エムゾネ仰の核心が現代に受け継がれている
。A2.大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間大社を起点と
し、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登山道である。12世
紀前半から中ごろの、修行僧末代の活動により、富士山南麓に
おける登山が本格的に開始されエムゾネたとされ、14世紀初めに
は修験者による組織的登山が始まったとされる。15世紀以降
19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた3軒の有力宿坊が
村山浅間神社(興法寺)と登山道の管理を行うとともに所属の
修験者が登山道等を利用して修行を行っエムゾネた。また、一般人
の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と言う。)も開始さ
れ、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼羅図
」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19世紀初頭
の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,エムゾネ000人
前後、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の
外国人登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用
した。101889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場
口利用者の増加により衰退し、これへの対策として190エムゾネ
6年、村山を経由しない新道が建設されたため、大宮から現在
の六合目(標高2600m)までは登山道としての機能を失っ
た。この区間は一部除き登山道跡の推定は困難な状態である。
現在は1970年に標高2400m地点まで開通した自動車道
を利エムゾネ用しての登山が行われている。(推薦範囲は六合目以
上である。)A3.須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社
を起点とし、山頂南東部に至る登山道である。その起源は明確
ではないが、文字資料の中で1486年にその存在が確認でき
る。登山道おエムゾネよび山頂部銀明水は須山浅間神社及びその所
在地の須山村(現裾野市須山)により管理されていた。ま

81 :
登山道のいくつかの宗教施設は村山の修験者の行場(参拝所)
としても使用された。道者については詳しい研究が進んでいな
いが、1800年(御エムゾネ縁年:富士山出現伝説に由来する6
0年に1回の記念の年)に約5,400人、1840年代前半
は年平均約1,700人、1860年(御縁年)は約3,60
0人であった。1883年、須山口二合八勺(標高2050m
)に接続する御殿場口登山道がエムゾネ開削され、1889年、東
海道本線開通による御殿場口利便性の向上は須山口よりの道者
を奪い、さらに1912年、一部が陸軍演習場となり使用不可
能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至
っている。二合八勺以下の登山道で当時エムゾネの道が確認できる
部分は一部のみである。(資産範囲は現在「御殿場口」の名称
で使用されている二合八勺以上の部分及び遊歩道として整備さ
れた旧須山口の一部である)A4.須走口登山道富士山東麓の
冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道エムゾネと合流し
山頂東部に至る登山道である。その起源は明確ではないが、六
合目からは1384年の銘のある掛仏が出土しており、文字資
料では1500年にその存在を確認できる。登山道は遅くとも
17世紀までに、冨士浅間神社及びその所在地の須走村がエムゾネ
登山道の山頂部までを支配し、散銭取得権の一部などを得てい
た。山頂部の権利については富士山本宮浅間大社と争いになり
、須走村は18世紀(1703年と1772年)、幕府に裁定
を求め、権利は幕府によって認められた。1707年の宝永噴
火のエムゾネ際、これらの施設及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け翌年には復興を完了
し、多くの道者を集めた。18世紀後半、他の霊場とセットに
された参詣の流行で道者数は年平均約1万人、1800年の御
縁年に23,エムゾネ700人とピークを迎えた。1959年

82 :
宿坊もでき始め、大勢の人々がエムゾネ登るための設備が整うよう
になった。16世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用
して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食
行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山本道をこ
の吉田口と定めた。このため、富士講のエムゾネ信者が次第に増加
した18世紀後半以降は、最も多くの道者(他の登山口の合計
と同程度)が吉田口登山道を登って山頂を目指している。しか
も、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道で
ある。(推薦範囲は登山道全体である。)11法エムゾネ的保護、
修理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に名勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に(富士
箱根)国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下
に名勝、ついで特別名勝に指定された。1969年に国がエムゾネ
大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)。1996年に国
・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中
)。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として
指定される予定。A6.北口本宮冨士浅間神社説明富士山の遥
拝所エムゾネに祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源
とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀
半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。その後、15
61年に現在の東宮本殿、1594年に西宮本殿、1615年
には本殿が建エムゾネ立された。富士講とのつながりが強く、17
30年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内
の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が
形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の本殿に唐破風
付向背をつけた形式でエムゾネ、正面と側面に挿肘木の腰組をもっ
て支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本殿・
西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿とも

83 :
元ヤンがビュルビュルするから待ってて

84 :
他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B3.
村山浅間神社説明12世紀前半から中ごエムゾネろの修行僧末代の
活動が創建の起源とされており、1868年の神仏分離令まで
は神仏習合の宗教施設として興法寺(富士山興法寺または村山
興法寺)と呼ばれていた(資産範囲には浅間神社と寺院である
大日堂が含まれる)。富士山における修験道の中エムゾネ心地であ
り、14世紀初めには、その活動が組織化された。15〜16
世紀には一般の道者の登拝も増加し、その様子が16世紀の制
作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。186
8年、神仏分離令により浅間神社と大日堂は分離され、1エムゾネ
906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、
修験者の活動は1940年代まで継続された。また、村山の修
験者の影響を受けた地域では現在でもその宗教行事が継続され
ている。法的保護、修理・整備の経緯2001年から2003
年にエムゾネかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む調査が行
われた。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山と
して指定される予定。B4.須山浅間神社説明須山口登山道の
起点として遅くとも1524年には存在していた神社である。
1707年、エムゾネ宝永噴火により社殿は登山道も含め大きな被
害を受け、現在の社殿は1823年に再建されたものである。
神社は村山浅間神社(興法寺)の修験者とも関わりを持ち、1
940年頃まで境内で修行の一環としての祈祷が行われていた
。法的保護、修理・整エムゾネ備の経緯文化財保護法の下に他の文
化財とともに史跡富士山として指定される予定。14B5.富
士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807年に社殿を造
営したとされ、須走口登山道の起点となった神社である。16
世紀には地元支配者(武田氏)エムゾネの保護を受け、山頂部の散
銭取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火

85 :
、1189、1275、1475、1525年と加修され、1
564には地元領主による大修理が行われている。現在の本殿
は1612年建立と認められ、その後も1698年、1867
年に修復が行われていた。1973−7エムゾネ4年には里宮の地
にそのままの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみ
や)が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとさ
れる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位

86 :
進撃やワンピやコナンがキャラ売りしてないとでも??

87 :
進撃やワンピやコナンなどは他の人が描いてても人気は出てたと思うよ
進撃作者がうまる描いてたら人気は出なかったとは思うが

88 :
穴については、古くから冨士山北口御師団が管理している。法
的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保
存法の下に天然紀念物に指定された。B14.人エムゾネ穴富士講
遺跡説明富士講の開祖長谷川(藤原)角行が修行したとされる
溶岩洞窟の人穴と富士講信者による約230基の碑塔群が残る
遺跡である。「吾妻鏡」では人穴探検の様子が描かれ、「浅間
大菩薩の御在所」とみられていたとされている。この内容エムゾネ
は遅くとも1603年までに、浅間大菩薩の霊験譚として説話
化され、その存在が広く知られていた。富士講関連の文書によ
れば人穴は16世紀から17世紀にかけ、長谷川角行が修行に
より浅間大菩薩(富士講では仙元大日神とする)の啓示を得た
場でエムゾネあり、入滅した場だとしている。また、角行は人穴を
「浄土(浄土門)」と述べ、これらの結果人穴には熱心な富士
講信者が参詣し、修行を行う者も見られた。また、信者は人穴
への分骨埋葬などを望み、墓碑、供養碑、記念碑などを建立し
た。1942エムゾネ年付近が軍用地となり、人穴の浅間神社や周
辺の住民は一時移転した。1954年神社は現在地に復興され
たが、冨士講自体が衰退したことで参詣者はみられるものの1
964年以降碑塔の建設は行われていない。法的保護、修理・
整備の経緯1999年エムゾネに富士宮市の史跡となる。文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予
定。B15.白糸ノ滝説明富士山の湧水を起源とする数百の流
れを持つ滝である。滝の名前は湧水(日平均15〜16万〜)
の噴出が数百条の白糸が垂れてエムゾネいるように見えることをそ
の起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連の文書によれば長谷
川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地とされ、富士
講を中心とした人々の巡礼・修行の場となった。また、景勝地
としても有名であり、和歌・絵画の題材エムゾネにもなってい

89 :
ある。法的保護、修理・整備の経緯1922年に史蹟名勝エムゾネ
天然紀念物保存法の下に名勝に指定された。18b)歴史と発
展山容の形成富士山の原型は、40〜10万年前、周辺の火山
とともに活動をはじめ、先小御岳火山が形成された。その後こ
れを覆うように標高約2500mの小御岳火山が形成された。
さらエムゾネに約10万年前、そのふもとに古富士火山が誕生し、
爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体崩壊を繰り返し、小
御岳火山をほぼ山体に納める形で3000mを超える火山に成
長した。約1万年前には大量の溶岩を噴出する形で現在の富士
山(新富士火エムゾネ山)が成長を始め、古富士山を覆いつくし、
約5600〜3500年前に現在の規模となった。繰り返され
た溶岩の流出によって何層にもわたる溶岩層が形成され、その
先端部には山体への降水を起源とする湧水が各溶岩層の隙間よ
り湧出する形で各所にエムゾネ形成された。富士山北麓においては
これらの湧水や降水が北側の山地との間の低地にたまり、湖や
湿地が形成された。また、溶岩層の中には数多くの風穴、溶岩
樹型が形成された。山頂からの噴火は2200年前の噴火を最
後に起こっていないが、歴史時エムゾネ代になっても北西〜南東方
向に連なる側火山からの噴火を続け、1200年前から後には
少なくとも800〜802年、864〜866年、937年、
999年、1033年、1083年、1435〜1436年、
1511年、1707年の九つの時期のエムゾネ噴火が確認されて
いる。神々しい山容と「鎮爆」このような噴火や溶岩の流出を
繰り返す富士山は恐ろしくかつ神秘的な山と考えられたために
、古くから遥拝の対象であったが、日本における古代国家の統
治システムがほぼ整った8世紀後半以降は、繰りエムゾネ返す噴火
を鎮めるため、富士山そのものあるいは富士山に鎮座する神を
浅間神として祀るようにもなり、各地に遥拝所としての浅

90 :
社が建立され、国家の宗教政策の一端に位置づけられるように
なった。また、富士山の神々しく秀麗な姿と周辺の自然環エムゾネ
境が芸術の対象とされるようになり、日本最古の歌集である『
万葉集』(8世紀半ば)や日本最古の物語とされる『竹取物語
』(9世紀後半)をはじめとして、数多くの和歌・物語など文
学の題材となったほか、現存最古となる『聖徳太子絵伝』(1
1世エムゾネ紀制作)をはじめ、数多くの絵画作品の題材として取
り上げられるようになった(表参照)。特に12世紀後半以降
、日本の政治的中心が京都から鎌倉に移動し、この二つの都市
を結び富士山南麓を通る街道の交通量が増加したことで、富士
山の情報は多エムゾネくの人に記録され、広く知られるようになっ
た。修験道―日本古来の山岳信仰と外来宗教の習合―また、1
2世紀頃より噴火活動が沈静化したことで富士山は日本古来の
山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が習合した「修験道」の道
場ともなり、修験者がエムゾネ山中に分け入り、霊力を獲得するた
めに修行する山へと変化していった。当時一般的であった神仏
習合思想(本地垂迹説)により、山頂部は仏の世界(又は仏が
神の形となって現れる場所)として認識され、山頂部に至るこ
とが重要な意味を持つようになエムゾネった。この結果15〜16
世紀には登拝する山として一般に広く知られ、修験者に引率さ
れた武家・庶民等による信仰登山が盛んになった。登山口の設
置はいずれも室町時代のことで、14世紀から15世紀後半に
開かれたとされている。このころには参エムゾネ詣の道者のための
宿坊もでき始め、大勢の登山者が登るための設備が整い始めた
。登拝の大衆化―富士講―17世紀前半、約150年にわたる
日本国内での戦乱状態が終了し、江戸幕府の下で治安が安定し
経19済的な発展もあってより多くの人が富士山エムゾネを目指す
ようになった。このような中で18世紀後半、16世紀に

91 :
山体や周辺の風穴などで修行し、宗教的覚醒を得た長谷川角行
から始まったとされる富士信仰が江戸(現在の東京)を中心に
「富士講」と呼ばれる信仰集団を形成して大いに盛んになエムゾネ
り、より多くの人々が登拝するようになった。富士講や他の登
拝者(合わせて「道者」という。)は原則として固定的・継続
的関係を持った「御師(宿坊を経営する神職)」の家や宿坊に
宿泊し、祈祷や宗教的指導を受け、湧水で水垢離をとり、浅間
神社エムゾネに参拝した後、頂上を目指した。登山道には茶屋や山
小屋が建てられ、多くの登拝者の活動を支える施設が体系的に
整備されたのもこの頃である。また、富士講においては長谷川
角行ら指導者の言動にならって周辺の風穴や湖沼・滝なども修
行の地とされエムゾネ、ここにおいて富士山と周辺の宗教施設・霊
地・巡礼地は庶民の信仰の場として定着し、山の結界が開放さ
れる二ヶ月間に年平均1万〜2万人の人々が信仰を目的とした
登山を行うようになった。芸術作品の多様化とジャポニスム芸
術面においても、とりエムゾネわけ江戸時代(17〜19世紀半ば
)には、文学、絵画、工芸、庭園等のモチーフとして多岐にわ
たって取り上げられ、三保松原と富士山を描いた絵画など多様
な表現が追究されるようになった。(表参照)特に、葛飾北斎
の「冨嶽三十六景」に代表されエムゾネる浮世絵の数々は、西洋の
画家たちに文化的衝撃を与えた。19世紀後半には「ジャポニ
スム」という芸術上の画期的な転機を惹き起こし、印象派の作
品に影響を与えるとともに、その富士山を含んだ構図は海外に
おいて日本のイメージの一つとされてきエムゾネたのである。日本
を訪れた外国人が富士山からインスピレーションを得て記述し
た紀行文の中でも、富士山のアイコン的側面を綴ったものが多
い。近世以前も富士山は日本一有名な山であったが、19世紀
後半の開国によって日本が近代国家としての体制エムゾネを整

92 :
につれて、日本を代表する山から日本を象徴する山へと変貌し
た。廃仏毀釈と登山の利便性向上19世紀半ばより、明治政府
を中心に行われた日本の近代化・西欧化政策は富士山にも影響
を与えた。政府が神仏分離や修験道禁止の方針を打ち出しエムゾネ
たことや、これを契機に発生した廃仏毀釈の運動により、仏教
的施設は神道系の施設に再編されたが、1872年の(信仰の
山における)女人禁制解禁の影響もあり富士山への登拝は

93 :
ないし拡大した。19世紀末以降の鉄道・自動車道の開通も、
登山エムゾネ者の利便性を格段に向上させた。南麓へは1889年
に東海道線が開通し、北麓へは1900年前後に馬車鉄道と中
央線が開通したことによって、東京からの登山がさらに活発に
なった。自動車道としては、1929年に北口本宮冨士浅間神
社から馬返(エムゾネ標高1450m)まで自動車専用道路が開削
され、1937年には大型バスによる輸送も始まった。第二次
大戦以降、日本の価値観や経済状況の変化により、富士山への
登山は信仰を中心としたものから、富士山への憧れを主な動機
とするものに変化したエムゾネ。また、1964年に中腹までの自
動車道として、北麓の富士山スバルラインが、1970年に南
麓の富士山スカイラインが開通し、これ以降、中腹(標高23
00〜2400m)を起点とした登山が主流になった。この結
果富士山への登山者は急増し、エムゾネ年平均20万〜30万人に
達するに至った(2007年からはさらに増加し年間35万〜
43万人)。これらの登山者の行動様式の中には富士山への信
仰の核心が受け継がれており、加えて、現代的な富士山信仰の
形態として、静岡県の柿田川のように、エムゾネ新たに富士山との
関わりが明らかになったことが、環境保護活動の活性化につな
がった例などがある。最近の保全の歴史20富士山体は文化財
としては、1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法により、山
麓の幅広い地域が名勝に仮指定された。これとほエムゾネぼ同じ範
囲は、1936年に自然公園法により国立公園の一部として指
定され、現在も保全の対象となっている。さらに、第二次世界
大戦後の1952年には、新たに文化財保護法によって、御中
道以下500mより上及び一部の登山道などが名勝としてエムゾネ
(同年、特別名勝として)指定され、1966年には指定区域
を拡大した。山梨県は1978年(のち、1999年及び

94 :
ホネはどこに行ったんだよ

95 :
マジか〜
俺将棋ファンだけどハチワン読んでも何も感じないわ。虚無感しかない
月下の棋士は好き

96 :
テラフォの戦犯は中国チームとジョセフ

97 :
金木さんなんなのあれ
テコ入れなんでしょうか?
かなり不快です

98 :
うらたろうがあの後500年位時代が過ぎればカギューならぬ柳生十兵衛は出てきたかもね

99 :
」童謡巌谷いわや小波さざなみ(明治−大正)「富士山ふじさ
ん」(「ふじの山」)海野うんの厚あつし(明治−昭和)「背
せいくらべ」随想・随エムゾネ筆新井あらい白石はくせき(江戸)
「折おりたく柴しばの記」田山たやま花袋かたい(明治−昭和
)「富士を望む」小島烏水こじまうすい(明治−昭和)「すた
れ行く富士の古道」、「不二山ふじさん」永井ながい荷風かふ
う(明治−昭和)「日和ひよりエムゾネ下駄げた」太宰だざい治お
さむ(明治−昭和)「富嶽百景ふがくひゃっけい」大町桂月お
おまちけいげつ(明治−大正)「富士の大観」中村星湖なかむ
らせいこ(明治−昭和)「少年行しょうねんこう」北村きたむ
ら透谷とうこく(明治)「富嶽ふがくのエムゾネ詩し神しんを思お
もふ」深田ふかだ久弥きゅうや(明治−昭和)「日本にほん百
名山ひゃくめいざん」小説落合直文おちあいなおぶみ(江戸−
明治)「たかねの雪ゆき」夏目漱石なつめそうせき(明治−大
正)「三四郎さんしろう」「虞美人草ぐびじんそエムゾネう」泉鏡
花(明治−昭和)「婦おんな系図けいず」「春しゅん昼ちゅう
」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」徳富とくとみ蘆花ろか(明
治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜんと人生じんせい」(随筆
)永井ながい荷風かふう(明治−昭和)「新帰朝者日記」エムゾネ
橋本英吉はしもとえいきち(明治−昭和)「富士山頂ふじさん
ちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−平成)「岳麓点描がく
ろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじゅん(大正−昭和)「
富士ふじ」武田百合子たけだゆりこ(大正−昭和)「富士日記
ふじエムゾネにっき」新田にった次郎じろう(大正−昭和)「強力
伝ごうりきでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙蓉ふようの人ひと
」「富士ふじに死しす」「着氷ちゃくひょう」「冬山ふゆやま
の掟おきて」「富士ふじ山頂さんちょう」川端康成かわばたや
すなり(明治エムゾネ−昭和)「東海道とうかいどう」白井喬

100 :
らいきょうじ(明治−昭和)「富士ふじに立たつ影かげ」国枝
くにえだ史郎しろう(明治−昭和)「神州纐纈城しんしゅうこ
うけつじょう」松本まつもと清せい張ちょう(明治−昭和)「
波なみの塔とう」芹沢エムゾネ光せりざわこう治じ良ろう(明治−
平成)「我が入道にゅうどう」「人間にんげんの運命うんめい
」幸田文こうだあや(明治−平成)「崩くずれ」27詩歌伝柿
本かきのもとの人麻呂ひとまろ(飛鳥−奈良)「柿本集」山部
赤人やまべのあかひと(奈良)エムゾネ「万葉集まんようしゅう」
高橋たかはしの虫むし麻呂まろ(奈良)「高橋虫麻呂たかはし
のむしまろ歌集」藤原ふじわらの清きよ正ただ(平安)「清き
よ正ただ集」在原業平ありわらのなりひら(平安)「業平集」
藤原ふじわらの公きん任とう(平安)「エムゾネ公きん任とう集」
藤原ふじわらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首」
「名号みょうごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね
(平安−鎌倉)「明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわらの俊
とし成なり(平安−鎌倉)「(藤原兼ふじわらのエムゾネかね実ざ
ね)右う大臣家だいじんけ百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹
後守為忠朝臣家百首」慈じ円えん(平安−鎌倉)「拾玉集」西
行さいぎょう(鎌倉)「新古今和歌集しんこきんわかしゅう」
源実朝みなもとのさねとも(鎌倉)「金槐和歌集きんかいエムゾネ
わかしゅう」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「安嘉門院あんかもんい
んの四条しじょう五百首ごひゃくしゅ」万里ばんり集九しゅう
きゅう(室町)「梅香無尽蔵」堯ぎょう恵え(室町)「下葉和
歌集」水無瀬みなせ氏成うじなり(安土桃山−江戸)「水無瀬
殿富エムゾネ士百首」清水浜臣しみずはまおみ(江戸)田安宗たや
すむね武たけ(江戸)「悠然院様御詠草」林羅山はやしらざん
(江戸)「丙辰へいしん紀行」石川いしかわ丈山じょうざん(
江戸)加藤枝かとうえ直なお(江戸)「うけらが花」賀茂


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