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ボルダリング22段


1 :2017/10/18 〜 最終レス :2018/02/26
 
■ ご覧の皆様へ
登山キャンプ板にはスパム荒らしや業者が常駐しています。
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1500267844/1-
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※前スレ
ボルダリング22段 [無断転載禁止]
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1506086553/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured

2 :
一ヶ月ぶりに登った。
強傾斜の4級が登れなくなっていた。くやしす

3 :
寒いと億劫だ

4 :
懸垂やった。

5 :
今日は走るど。

6 :
二週間に一度はボルダリングやるんだ。
そして...

7 :
7ゲットなら心願成就ッ!私は来年7億円ゲットして一流登山家になって女にもてまくる。てあッ!

8 :
うちのジム男の方が圧倒的に多い

9 :
懸垂やっててマメが潰れた

10 :
寒いときつい

11 :
はい いらない

12 :
「おじさん
 これ いらないね」

うんうん
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13 :
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 これも運営の防戦だね」

そう そう
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 平気なの?」

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15 :
富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静岡県
(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡エムゾネ小山町)
と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山であ
る。標高3776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰
で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知ら
れている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きなエムゾネ
影響を与えただけではなく、気候や地層など地質学

16 :
な影響を与えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火
山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。古来霊峰と
され、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視
されエムゾネた。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が
祭祀され、浅間信仰が確立された。また、富士山修験道の開祖
とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるよう
になり、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代
により多様化エムゾネし、村山修験や富士講といった一派を形成す
るに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏
季シーズンには富士登山が盛んである。日本三名山(三霊山)
、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。また、19
36年(昭和11年)エムゾネには富士箱根伊豆国立公園に指定さ
れている。その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、2
011年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25
年)6月22日には関連する文化財群とともに「富士山−信仰
の対象と芸術の源泉」の名で世エムゾネ界文化遺産に登録された。
日本の文化遺産としては13件目である。富士の山とは詠んだ
としても、「ふじやま」という呼称は誤りであり、愛媛県大洲
市柚木にある冨士山(とみすやま)とは字も呼び方も異なる。
富士山についての最も古い記録は『常陸エムゾネ国風土記』におけ
る「福慈岳」という語であると言われている。他にも多くの呼
称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もある。
また、『竹取物語』における伝説もある。「フジ」という長い
山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称さエムゾネれたとい
う説もある。近代以降の語源説としては、宣教師・バチェラー
は、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプ
リ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中
に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤

17 :
解であるとの反論がある。その他の語源説として、マレー語説
・マオリ語説・原ポリネシア語説等がある。明確に「富士山」
と表記されるに至るにおいては駿河国富士郡に由来するとする
ものがあり、記録としては都良香の『富士山記』に「山を富士
と名エムゾネづくるは、郡の名に取れるなり」とある。富士山に因
む命名富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各
地に「富士」の付く地名が多数存在している。富士山の麓とし
て静岡県に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・
富士河口湖町エムゾネ・富士川町があるほか、よくあるものとして
富士山が見える場所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見
市)、富士山に似ている山(主に成層火山)に「富士」の名を
冠する例(信濃富士など)がある。日本国外に移住した日本人
たちも、居住地付近のエムゾネ山を「○○富士」と呼ぶことがある
。詳細は「富士見」および「富士街道」を参照また、全国各地
には少なくとも、321座を超える数の富士と名の付く山があ
り、それらを郷土富士と呼ぶ。詳細は「郷土富士」を参照なお
、地名以外にも「富士」を冠しエムゾネた名称は多く存在する。詳
細は「フジ」を参照また、異名として芙蓉峰とも言う。詳細は
「芙蓉」を参照地質学上の富士山富士山周辺の地形図富士山の
構造図地質学上の富士山は典型的な成層火山であり、この種の
火山特有の美しい稜線を持つ。現在の富エムゾネ士山の山体は、大
きく分けて下記の4段階の火山活動によって形成されたものだ
と考えられている。先小御岳(せんこみたけ)火山小御岳(こ
みたけ)火山古富士(こふじ)火山新富士(しんふじ)火山こ
の中で先小御岳が最古であり、数十万年前の更新エムゾネ世にでき
た火山である。東京大学地震研究所が2004年4月に行った
ボーリング調査によって、小御岳の下にさらに古い山体がある
ことが判明した。安山岩を主体とするこの第4の山

18 :
御岳」と名付けられた。古富士は8万年前頃から1万5千エムゾネ
年前頃まで噴火を続け、噴出した火山灰が降り積もることで、
標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝永火口の北側1〜
2kmのところにあったと考えられている。2009年10月
に、GPSによる富士山の観測で地殻変動が確認された。これ
は1エムゾネ996年4月の観測開始以来初めてのことである。こ
の地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士宮市−富士
吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが蓄積している(活
火山である)現れとされている。プレートの観点からは、ユー
ラシアプレーエムゾネト外縁部で、北アメリカプレート又はオホー
ツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静岡構
造線)に南からフィリピン海プレートが沈み込む位置であり(
ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マリアナ島
弧を陸上に延長した交エムゾネ点)、3個のプレートの境界域(三
重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでい
るフィリピン海プレートのさらに下に太平洋プレートが沈み込
んでおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に
太平洋プレートに由来するものエムゾネである。富士山の火山上の
特徴は、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であるこ
と、日本の火山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出している
のに対し、富士山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山
が非常に多いことがある。富士山頂山頂エムゾネ火口を上空より山
頂火口山頂には火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。
これを囲むようにして8つの峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火
口の南西側に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士
山。標高3775.51m2014年4月1日改エムゾネ算)、火
口の北側には二等三角点(点名は、富士白山。標高3756.
23m2014年4月1日改算)が設置されている

19 :
造は、国土地理院によると、最深部の標高が3538.7m、
火口の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火エムゾネ
口底の直径は130mとある。登山道を除く8合目より上は、
富士宮市にある富士山本宮浅間大社の私有地であるが、県境と
市町村境界は未確定である。2014年1月の富士山世界文化
遺産協議会後の記者会見でも静岡県知事の川勝平太と山梨県知
事のエムゾネ横内正明は県境を定めないことを明言して

20 :
地理院がインターネット上で公開している地形図では2013
年10月から地図上の地点を指定すると住所、緯度・経度、標
高が表示される機能が加わったが、帰属未確定の地点の場合に
は近くの帰属エムゾネが確定している住所が表示されるという設定
になっているため、富士山頂(剣が峰)を指定すると静岡県富
士宮市として表示されることが山梨県などから指摘され、これ
を受けて富士山頂の住所表示については非表示になるよう変更
された。宝永山宝永山エムゾネと宝永噴火口宝永山(ほうえいざん
)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した側火山(
寄生火山)である。富士山南東斜面に位置し標高は2,693
mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開いている。これ
らを間近で見ることができる登エムゾネ山コースも整備されている
。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活動富士山の噴火詳細
は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了した約1万1千年
前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量に噴出し
た。この溶岩によって、現在の富士山のエムゾネ山体である新富士
が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に
顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,
500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規
模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こしてエムゾネ崩壊した
。新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前
〜約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜
約3,200年前の1,300年間と考えられている。山頂部
からの最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山エムゾネ
頂部からの噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの
噴火が散発的に発生している。延暦19年−21年(800年
−802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶
岩を噴出した貞観大噴火。最後に富士山が噴火した

21 :
年(エムゾネ1707年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達
し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった。また、宝永大
噴火によって富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火
山性の地震や噴気が観測されており、今後も噴火の可能性が残
されている。エムゾネ噴火の年代が考証できる最も古い記録は、『
続日本紀』に記述されている、天応元年(781年)に富士山
より降灰があったくだりである。平安時代初期に成立した『竹
取物語』にも、富士山が作品成立の頃、活動期であったことを
窺わせる記述がある。エムゾネ平安時代の歴史書『日本三代実録』
には貞観大噴火の状況が迫力ある文体で記載され、平安時代中
期の『更級日記』には、富士山の噴気や火映現象を表した描写
がある。宝永大噴火についての記録は、新井白石による『折り
たく柴の記』をはじめとした文エムゾネ書、絵図等により多数残さ
れている。その後も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが
、記述から見て短期間かつ小規模な活動で終わったものと推測
される。宝永大噴火以来300年にわたって噴火を起こしてい
ないこともあり、1990年代まで小学エムゾネ校などでは富士山
は休火山と教えられていた。しかし先述の通り富士山にはいま
だ活発な活動が観測されており、また気象庁が休火山という区
分を廃止したことも重なり、現在は活火山に区分されている。
2013年7月20日、産業技術総合研究所は、エムゾネ1999
年から約15年分の踏査データや地質調査データをまとめ富士
火山地質図第2版(Ver.1)として発表し、2016年に
は修正加筆が終了した。同時に、溶岩が流れ出す規模の噴火は
過去2000年間に少なくとも43回あったとしている。エムゾネ
山体崩壊の発生地震および噴火活動にともなう山体崩壊(岩屑
がんせつなだれ)が発生年代が不明確なものも含めて南西側に
5回、北東側に3回、東側に4回の計12回起きた

22 :
る。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動によるマ
グニエムゾネチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている
。主な発生歴約2900年前(御殿場泥流):東斜面で大規模
(約18億立方メートル)な山体崩壊が発生し、泥流が御殿場
周辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ
流下、山体崩エムゾネ壊の発生原因は不明。1331年の元弘地震
に伴い発生。1891年濃尾地震に伴い発生。災害対策火山噴
火予知連絡会(気象庁)−富士山のみを限定するものではない
が、日本の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて
見解を発表するが、噴エムゾネ火の日時を特定して発表することは
ない。定例会は年3回実施されるが、噴火時には随時開催され
る。2000年10月に富士山の低周波地震が増加した際は、
ワーキンググループが設置され、富士山に関する基礎データの
収集・整理、監視体制の検討、エムゾネ火山情報発信の方法などが
集中的に検討された。富士山ハザードマップ検討委員会(内閣
府防災担当)−噴火時の広域避難のために必要なハザードマッ
プの作成が、検討委員会を通じて進められている。富士直轄砂
防事業(国土交通省)−大沢崩れを源にエムゾネして発生する大規
模な土石流から、下流の保全対象を守る砂防事業を実施中。山
梨県は2015年6月11日、「富士山噴火時避難ルートマッ
プ」を作成した。「静岡市市長の田辺信宏は2016年1月2
2日の定例記者会見で、市消防航空隊が2013エムゾネ年、富士
山で滑落した登山者を救助中にヘリコプターから落下させ、こ
の登山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、市消防局
がヘリで救助できる山の高さに3200メートルと上限を設け
たことを明らかにした。」。地殻変動の観測国の機関(防エムゾネ
災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所
)及び大学(東京大学地震研究所)などにより観測

23 :
いる。国土地理院:地磁気観測点が、鹿野山測地観測所、水沢
測地観測所および江刺観測場に設置されている。また、山頂に
はGエムゾネPSの電子基準点。気象庁観測所:地震計(山頂、御
殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)、傾斜計
(太郎坊)、空振計(太郎坊、上井出)、GSP(太郎坊)、
望遠カメラ(萩原)防災科学技術研究所:火山活動可視情報化
システム(VエムゾネIsualizationsys

24 :
rVolcanicActivity)噴出物災害などへの対
策国土交通省、富士砂防事務所:静岡県、山梨県と連携し火砕
流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・検討
を実施しハザードマッエムゾネプが作成されている。しかし、山体
崩壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成である
。富士山と気象気候山頂は最暖月の8月でも平均気温が6℃し
かなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上1
0℃未満のツンドラ気候に分類エムゾネされる。太平洋側の気候の
ため1月や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪
トップ10を占める。観測史上最低気温は−38.0℃で最高
気温が−30℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃
を上回ることがない1日というのは北海エムゾネ道でも例がない。
富士山での気象観測かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣
ヶ峯に設置していた気象官署が富士山測候所である。現在は富
士山特別地域気象観測所となっており、自動気象観測装置によ
る気象観測を行っている。詳細は「富士山測候所エムゾネ」を参照
気象現象山体に強風が吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体
に降ることがある。2010年12月15日には、神奈川県の
西部から南部にかけて黒い砂が積もり、その状況から富士山の
砂が巻き上げられ、西風に乗り降り積もったと考えられるエムゾネ
と報道された。富士山北麓の一部農地(現在の山梨県富士吉田
市など)では、富士山の標高2600m付近に現れる農鳥(鳥
の形に見える残雪)の出現する時期によって、農作物が豊作に
なる・凶作となるという言い伝えがある。富士山では山岳波が
発生エムゾネすることもあり墜落事故も起きている(英国海外航空
機空中分解事故など)。富士山麓の自然環境富士山麓の天然記
念物として、「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」(天然記念物
:1926年2月24日指定、2010年3月8日

25 :
名称変更)、エムゾネ「富士風穴」(天然記念物:1929年12
月17日指定)などがある。伏流水白糸の滝(静岡県)富士山
に降った雨や雪は、長い年月をかけ伏流水として地下水脈を流
れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出す湧水として確認さ
れている例は標高16エムゾネ70m(富士宮口二合目付近)とさ
れ、その他山麓を帯状に分布している。富士山麓における湧水
の総湧出量は1968年で1日あたり154万立方メートル以
上だという。しかし、近年湧出量の減少が確認されている例が
ある。地域名称南東麓されていエムゾネ柿田川(日本三大清流)、
小浜池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい玉池(特別天然記念物)
、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭湧泉群北
麓忍野八海(国指定の天然記念物)またの、一部で駿河湾や富
士五湖の西湖(水深25m付近)で湧出エムゾネがあるとされてい
る。富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医
薬関連の製造業などの工業が活発に行われている。また、富士
山の伏流水はバナジウムを豊富に含んでいるため、ミネラルウ
ォーターとして瓶詰めされ販売されている。溶岩エムゾネ洞窟西湖
コウモリ穴入口富士山麓周辺には大小100以上の溶岩洞窟が
形成されている。その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静
岡県富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、
山麓周辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモリ穴(山エムゾネ
梨県南都留郡富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定さ
れている。その他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の
天然記念物に指定されている。植生富士山は標高は高いが、日
本の他の高山に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これ
は富エムゾネ士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火
が繰り返したために山の生態系が破壊され、また独立峰である
ため、他の山系からの植物の進入も遅れたためであ

26 :
、宝永山周辺ではいくらか高山植物が見られる。山の上部では
タデ科オンタエムゾネデ属のオンタデ(御蓼)、山腹ではキク科ア
ザミ属のフジアザミ(富士薊)が自生している。中部山岳地帯
の高山の森林限界の上にはハイマツ帯が広がっているのが通例
であるが、富士山にはハイマツ帯は欠如し、その代替にカラマ
ツ林が広がっている。エムゾネ人間史富士山本宮浅間大社古代古代
より富士山は山岳信仰の対象とされ、富士山を神体山として、
また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と言わ
れるようになった。特に富士山の神霊として考えられている浅
間大神とコノハナノサクヤビメエムゾネを主祭神とするのが浅間神
社であり全国に存在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市に
ある富士山本宮浅間大社(浅間大社)であり、富士宮市街にあ
る「本宮」と、富士山頂にある「奥宮」にて富士山の神を祭っ
ている。詳細は「富士信仰」を参照古代エムゾネでは富士山は駿河
国のものであるとする考え方が普遍的であった。これらは「高
く貴き駿河なる富士の高嶺を」(山部赤人『万葉集』)や「富
士山は、駿河国に在り。」「富士山は駿河の国の山で(省略)
まっ白な砂の山である」(都良香『富士山記』)エムゾネ、「駿河
の国にあるなる山なむ」(『竹取物語』)など広く見られるも
のである。しかし「なまよみの甲斐の国うち寄する駿河の国と
こちごちの」(「高橋虫麻呂」『万葉集』)のように駿河国・
甲斐国両国を跨ぐ山であるという共有の目線で記された貴エムゾネ
重な例もある。それより後期の時代、イエズス会のジョアン・
ロドリゲスは自著『日本教会史』にて「富士山は駿河国に帰属
している」としているため、帰属は駿河国という関係は継続さ
れていたと考えられる。登山口は末代上人が開いた登山道を起
源とエムゾネし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われ
る村山口である。これにより富士修験が成立したと

27 :
第に他の登山道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須
走口が存在してる。神仏習合は富士山も例外ではなかった。山
頂部は仏の世エムゾネ界と考えられるようになり、特別な意味を持
つようになった。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年
銘である木造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本
尊であった。鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合に
よる「富士大菩薩」やエムゾネ「浅間大菩薩」という呼

28 :
れている。富士山頂の8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶこ
とも神仏習合に由来し、文永年間(1264年−1275年)
の『万葉集註釈』には「いただきに八葉の嶺あり」とある。そ
の他多くの書物で「八葉」の記エムゾネ述が確認できる。江戸時代
江戸時代になると、徳川家康による庇護の下、本殿などの造営
や内院散銭取得における優先権を得たことを基に江戸幕府より
八合目以上を寄進された経緯で、現在富士山の八合目より上の
部分は登山道・富士山測候所を除き浅間エムゾネ大社の境内となっ
ている。登山の大衆化と共に村山修験や富士講などの一派が形
成され、富士信仰を発展させていった。富士講の隆盛が見られ
た18世紀後半以降、新興宗教として旧来の登山道では発展で
きなかったために吉田口を利用する道者が目立つエムゾネようにな
っていたと考えられ、18世紀後半以降では、他の登山口の合
計と同程度であったという。富士参詣の人々を「道(導)者」
といい、例えば『妙法寺記』の明応9年(1500年)の記録
に「此年六月富士導者参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆導エムゾネ
者付也」とある。また、登山における案内者・先導者を「先達
」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士氏文書』、文
中に「永禄6年」とあり)などが確認されている。明治以後慶
応4年(1868年)に神仏分離令が出されると、これら神仏
習合エムゾネの形態は大きく崩されることとなる。富士山中や村山
における仏像の取り壊しなどが進んだ。富士山興法寺は分離さ
れ、大日堂は人穴浅間神社となり大棟梁権現社は廃されるなど
改変が進んだ。北口本宮冨士浅間神社では仁王門や護摩堂など
が取り壊されエムゾネることとなった。仏教的な名称なども改称さ
れ、「八葉」の呼び名も変更された。1883年(明治16年
)に御殿場口登山道が、1906年(明治39年)に新大宮口
が開削された。富士山は平成23年(2011年)

29 :
国指定文化財である「エムゾネ史跡」に指定された。史跡としての
富士山は複数の資産から構成され「史跡富士山」として包括さ
れている。指定範囲は静岡県は富士宮市・裾野市・駿東郡小山
町、山梨県は富士吉田市・南都留郡富士河口湖町・鳴沢村であ
る。このとき富士山八合目以上エムゾネの山頂部や各社寺、登拝道
(登山道)が指定された。その後富士山本宮浅間大社社有地の
一部、人穴富士講遺跡、各登山道が追加指定された。登山史富
士登山の伝承においては伝説的な部分が多く入り混じっており
、諸説存在する。富士山の登山史和暦西エムゾネ暦内容補足推古天
皇6年598年平安時代の甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神
馬に乗り富士山の上を越えたとする記述がある。諸国からが多
献上された数百匹の中から白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬
であると見抜き、同年9月に太子が試乗すると、エムゾネ馬は天高
く飛び上がり東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、
3日を経て都へ帰還したという。天智天皇2年663年役小角
が県は富、流刑したされた伊豆大島から毎晩密かに逃げ出し、
富士山へ登ったという伝説が残る。役小角は「富士山開山エムゾネ
の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマルセル・クルツの
『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改訂されたもの
の「世界初の登山」という記述がされていた。貞観17年87
5年平安時代の学者である都良香が『富士山記』の中で山頂火
口のエムゾネさまを記す。山頂には常に沸き立つ火口湖があり、そ
のほとりに虎の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなけれ
ば知りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者
に取材したと考えられる。なおこの約10年前には山頂噴火で
はないが有史エムゾネ最大の貞観大噴火があった。久安5年114
9年『本朝世紀』には末代上人が数百回の登山を繰りかえした
とある。回数は一致するものかは不明であるが、登

30 :
った人物として知られる。江戸時代に入ると富士講が盛んにな
り、多くの参拝者が富エムゾネ士登山(富士詣)をした。特に江戸
後期には講社が多数存在し、富士詣は地域社会や村落共同体の
代参講としての性格を持っていた。最盛期には吉田口だけで百
軒近くの宿坊(山小屋)があった。文政11年1828年気圧
計による高度測定の試みシーボエムゾネルトの弟子である二宮敬作
が登頂し、気圧の変化により高度測定を行った。伊能忠敬の測
量では2603m−3732mとされていたが、この測定では
3794.5mと算出されている。天保3年1832年高山た
つが女性として初登頂。女人禁制が敷かエムゾネれていた時代であ
る。嘉永6年1852年松平宗秀(本庄宗秀)が近世大名とし
て初登頂。富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主
人が記した「袖日記」という古記録に宮津藩主松平宗秀が富士
登山を行った記録がある。袖日記の6番によるとエムゾネ、宗秀は
江戸と宮津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろうと
思い始めたが、参勤交代の道程は幕府に指定されたルートであ
り、これを逸脱したコースを通ったり、たとえ社寺参詣であっ
ても寄り道することは許されないため、富士に登ることをエムゾネ
幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「
馬返し」と呼ばれる地点までであった。(馬返しというのは一
合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を下りて山に登
るという所)そこで宗秀は嘉永6年(1852)6月21日、
幕府エムゾネに内緒で登山を決意し、明け方から出発して山を登り
始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀の富士山登頂は、
近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。万延元年1
860年英国公使オールコックが外国人として初登頂。『古事
類苑』にオーエムゾネルコックの登山についての記録(富士重本が
寺社奉行所に提出した届出)があり、「英人富士山

31 :
ニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大
宮小休、村山泊に相成り、廿五日快晴致し、不士山六合目へ泊
り、廿六日快晴頂上いエムゾネたし…」とある。オールコックは7
月24日に大宮から村山に入り登山を行い、26日に登頂した
。明治4年1872年女人禁制が解かれる。明治時代になると
信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わって娯楽やスポーツとし
ても登られるようになり、欧米エムゾネの近代登山技術

32 :
られることになる。明治25年1892年英国人のウォルター
・ウェストンが登頂。翌年にも登頂した。その後本を出版し富
士山などの日本の山々を世界に紹介した。明治28年1895
年野中到が冬季初登頂。2月16日に御エムゾネ殿場口から単独で
登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を行った。大
正12年1923年皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の登山7
月26日の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬にて登山後、
8合目以上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参エムゾネ拝し金剛
棒に焼印などを行った後、御殿場口より下山された。大正12
年1923年秩父宮雍仁親王の登山8月20日の夜に御殿場口
から登山し、翌朝頂上に到着。奥宮を参拝後、下山。昭和2年
1927年中村テルが冬季女性初登頂1月1日に御殿場口エムゾネ
から登頂、男性2人と共に。昭和63年1988年浩宮徳仁親
王(当時)の登山。8月1日−2日の登山で、須走口から八合
目を往復した。天候の悪化で登頂は断念される。平成20年2
008年皇太子徳仁親王が登頂。8月7日に富士宮口を出発後
、御エムゾネ殿場口登山道に入り登頂。富士山を巡る利権争い山役
銭と内院散銭『冨嶽三十六景諸人登山』山麓の各地域には各登
山道があり、特に村山口と大宮口、須走口、須山口が古来の登
山道であり、その登山道を管理する地域の浅間大社が山役銭を
徴収していたエムゾネ。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、
争いを起こしている。特に内院散銭は相当額になるため、争い
の火種になりやすかった。例えば須走村への配分だけでも1年
で76両を越えたといい、一戸に約一両が配当される計算にな
るという。内院散銭のエムゾネ権利は、大名などに与えられた権利
を根拠に主に3地域によって争われた。「村山」と「須走」と
「大宮」である。村山においては、1533年(天文2年)に
村山三坊の「辻之坊」が今川氏輝により内院散銭の

33 :
連するカテゴリがあります。富士山への良好な眺望が得られる
128景233地点を、国土交通省関東地方整備局が関東の富
士見百景として、2005年(エムゾネ平成17年)に選定した。
羽田空港から西に向かう国内便などでは富士山の上空を通過す
る。その際、機長が富士山を案内するアナウンスをすることが
多い。また、新年のご来光を見るための遊覧飛行便も運行され
る。富士山の眺望の最遠は2013年現エムゾネ在、和

34 :
勝浦町である。那智勝浦の色川富士見峠(妙法山とは別)は、
富士山頂からの距離は322.9キロで、一番遠く最も西にあ
るとされる。また、眺望の北限は2017年1月16日に福島
県川俣町と飯舘村にまたがる花塚山(標高919エムゾネm)と日
本地図センターにより認定された(富士山からは308kmの
距離にある)。南東方向に約271Km離れた八丈島の三原山
からも眺望される。富士山の見える都道府県は、理論上可能と
されていた京都府から2014年に撮影に成功したことにエムゾネ
より、20都道府県となった。様々な表情の富士山富士山の表
情は、見る場所・角度・季節・時間によって様々に変化する。
富士と名が付く、いくつかの姿がある。画像富士山の姿解説赤
富士夏の朝、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。葛飾
北斎エムゾネをはじめとした画家が「赤富士」を描いた絵画を残し
た。紅富士雪化粧した富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。
「モルゲンロート」(ドイツ語Morgenrot)が用いら
れる場合がある。逆さ富士波立ちが少ない水面に映る逆さの富
士山の光景。エムゾネD五千円券の裏の図案に、本栖湖の逆さ富士
が使用された。竜ヶ岳(山梨県)から望む日の出時のダイヤモ
ンド富士(2015年12月5日撮影)ダイヤモンド富士太陽
が昇った時又は沈む時、太陽が富士山の頂上と重なり、富士山
の頂上付近がダイヤモエムゾネンドのように光る現象。富士山が見
える西又は東の場所から、年に2回見ることができる。影富士
朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出される風景。富
士山登山時に山の上部から、雲海の上に見られる場合がある。
笠雲笠雲とレンズ雲を伴う。富エムゾネ士山の頂上に傘をかぶせた
雲がある風景。その際は、次第に麓では曇りまたは雨になるこ
とが多い。「表富士」と「裏富士」『不二三十六景甲斐夢山裏
富士』現在も富士山の山小屋や登山道の道標として

35 :
「裏口」という表現がみられ、一般的にエムゾネ静岡県から見た富
士山を表富士、山梨県からの姿を裏富士として認知されている
が、これには歴史的背景がある。延宝8年(1680年)に作
成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」という表記が
ある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記エムゾネ述がある
。登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ四道ナ
リ、(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…〜〜『甲
斐国志』他の資料にも共通した記述がみられ、このように南麓
を表、北麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言エムゾネ
える。これとは別に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の
『富嶽百景裏不二』『冨嶽三十六景身延川裏不二』や歌川広重
の『不二三十六景甲斐夢山裏富士』など、作品名に採用されて
いる例がみられる。富士山の文化美術における富士山三峰型富
士のエムゾネ例絹本着色富士曼荼羅図狩野元信(伝)峰型富士の例
(上図)と同じ構図の実写富士は、ギャラリーに掲載富士山絵
画は平安時代に歌枕として詠まれた諸国の名所を描く名所絵の
成立とともにはじまり、現存する作例はないものの、記録から
この頃には富エムゾネ士を描いた名所絵屏風の画題として描かれて
いたと考えられている。現存する最古の富士図は法隆寺献納宝
物である延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』(東京国
立博物館)で、これは甲斐の黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖
徳太子が富士を駆け上エムゾネる姿を描いたもので、富士は中国山
水画風の山岳図として描かれている。楽焼白片身変茶碗銘不二
山(国宝)鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描
写法が確立し、『伊勢物語絵巻』『曽我物語富士巻狩図』など
物語文学の成立とともに舞台とエムゾネなる富士が描かれ、富士信
仰の成立に伴い礼拝画としての『富士曼陀羅図』も描かれた。
また絵地図などにおいては反弧状で緑色に着色され

36 :
対して山頂が白く冠雪した状態で描かれ、特別な存在として認
識されていた。室町時代の作とされる『エムゾネ絹本著色富士曼荼
羅図』(富士山本宮浅間大社所蔵、重要文化財)には富士山と
その富士山に登る人々や、禊ぎの場であった浅間神社や湧玉池
が描かれており、当時の様子を思わせるものである。また、富
士山は三峰型富士で描かれている。凱風快晴、葛エムゾネ飾北斎作
江戸時代には明和4年(1767年)に河村岷雪が絵本『百富
士』を出版し、富士図の連作というスタイルを提示した。浮世
絵のジャンルとして名所絵が確立すると、河村岷雪の影響を受
けた葛飾北斎は晩年に錦絵(木版多色摺)による富士図のエムゾネ
連作版画『冨嶽三十六景』(天保元年1831年頃)を出版し
た。多様な絵画技法を持つ北斎は大胆な構図や遠近法に加え舶
来顔料を活かした藍摺や点描などの技法を駆使して中でも富士
を描き、夏の赤富士を描いた『凱風快晴』や『山下白雨』、荒
れ狂エムゾネう大波と富士を描いた『神奈川沖浪裏』などが知られ
る。また、歌川広重も北斎より後の1850年代に『不二三十
六景』『冨士三十六景』を出版した。広重は甲斐国をはじめ諸
国を旅して実地のスケッチを重ね作品に活かしている。『東海
道五十三次』エムゾネでも、富士山を題材にした絵が多く見られる
。北斎、広重らはこれらの連作により、それまで富士見の好ス
ポットと認識されていなかった地点や、甲斐国側からの裏富士
を画題として開拓していった。工芸品としては本阿弥光悦が自
ら制作した楽焼の茶碗エムゾネに富士山の風情を見出し、「不二山
」と銘打っている。50銭政府紙幣(1938年発行)岡田紅
陽が撮影した愛鷹山からの富士山がモデル。富士は日本画をは
じめ絵画作品や工芸、写真、デザインなどあらゆる美術のモチ
ーフとして扱われている。日本エムゾネ画においては近代に殖産興
業などを通じて富士が日本を象徴する意匠として位

37 :
美術をはじめ商業デザインなどに幅広く用いられ、絵画におい
ては伝統を引き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制
作された。また、鉄道・道路網など交通エムゾネ機関の発達により
数多くの文人・画家が避暑地や保養地としての富士山麓に滞在
し富士を題材とした作品を製作しているが、富士を描いた風景
画などを残している画家として富岡鉄斎、洋画においては和田
英作などがいる。富士山をモチーフとした美術品エムゾ

38 :
ヨーロッパでも多く流通しており、このことから富士山もヨー
ロッパで広く知られていた。1893年(明治26年)、日本
を旅行していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フ
ランツ・フェルディナント大公は、日記に次のように書いエムゾネ
ている。フジサン、フジノヤマ。いったい、この日本の象徴―
―ヨーロッパではふつうフジヤマと呼ばれる――を知らない者
などいるのだろうか〜ヨーロッパでもっとも好まれる日本工芸
のデザインとして漆器、陶磁器、和紙、金属などに描かれてい
るかエムゾネら、もう、わたしたちにはお馴染みだ。〜〜8月15
日付戦時下には国家により富士は国体の象徴として位置づけら
れ、富士は国家のシンボルとして様々に描かれた。戦後には国
体のシンボルとしてのイメージから解放された「日本のシンボ
ル」として、エムゾネ日本画家の横山大観や片岡球子らが富士を描
いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画題へのアン
チテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士を描く傾
向も見られる。深田久弥は『日本百名山』の中で富士山を「小
細工を弄しない大きなエムゾネ単純」と評し、「幼童でも富士の絵
は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている
」という。日本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨
大な富士山を豆粒のような人物(僧、西行法師)が見上げると
いう構図で、水墨画や彫金でもエムゾネ描かれている。千円札、旧
五千円札のモデルとなった本栖湖からの富士山近代では紙幣や
切手のデザインにも用いられている。富士山が紙幣のデザイン
に用いられる例は数多くある。古くは1913年発行の50銭
政府紙幣があり、愛鷹山からの富士山でエムゾネる。その後の19
51年と1969年発行の旧五百円札は大月市の雁ヶ腹摺山か
らの富士山を元にしている。1984年発行の旧五千円札と2
004年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの富士山

39 :
士山を描写した切手が郵便局から発売された。河エムゾネ口湖、西
湖、精進湖、本栖湖、山中湖(1999年(平成11年))葛
飾北斎(1999年(平成11年))オオマツヨイグサ・山梨
県(2005年(平成17年))文学における富士山富士山は
和歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』エムゾネ
の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。「田
子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
」(3.318)は山部赤人による有名な短歌(反歌)である
。また、この反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一
節にエムゾネ「…燃ゆる火を雪もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…
」(巻3・319・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る
)雪で消し、(山頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)
とあり、当時の富士山が火山活動を行っていたことがうかがえ
る。『新古今エムゾネ和歌集』から。富士の煙が歌われている。風
になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな西行
(#1613)都人にとって富士は遠く神秘的な山として認識
され、古典文学では都良香『富士日記』が富士の様子や伝承を
記録している。『竹取エムゾネ物語』は物語後半で富士が舞台とな
り、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの
岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたこと
になっている。それからその山は数多の士に因んでふじ山(富
士山)と名付けられたとする命エムゾネ名説話を記している。なお
、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言
い伝えられている場所が現存している。ほか、『源氏物語』や
『伊勢物語』でも富士に言及される箇所があるものの、主要な
舞台となるケースは少ない。富士は甲駿エムゾネの国境に位置する
ことが正確に認識されており、古代においては駿河国に帰属し
ていたため古典文学においては駿河側の富士が題材

40 :
が多いが、『堤中納言物語』では甲斐側の富士について触れら
れている。また、「八面玲瓏」という言葉は富士エムゾネ山から生
まれたといわれ、どの方角から見ても整った美しい形を表して
いる。中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が往来し、
江戸期には地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には鉄道
など交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受けてエムゾネ
、多くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるように
なり、新田次郎や草野心平、堀口大學らが富士をテーマにした
作品を書き、山岳文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。
富士山麓に滞在した作家は数多くおり、武田泰淳は富士山麓の
精神エムゾネ病院を舞台とした小説『富士』を書いており、妻の武
田百合子も泰淳の死後に富士山荘での生活の記録を『富士日記
』として記している。津島佑子は山梨県嘱託の地質学者であっ
た母方の石原家をモデルに、富士を望みつつ激動の時代を過ご
した一族の物エムゾネ語である『火の山―山猿記』を記した。また
、北麓地域出身の文学者として自然主義文学者の中村星湖や戦
後の在日朝鮮人文学者の李良枝がおり、それぞれ作品の中で富
士を描いており、中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。
太宰治が昭和14年(エムゾネ1939年)に執筆した小説『富嶽
百景』の一節である「富士には月見草がよく似合ふ」はよく知
られ、山梨県富士河口湖町の御坂峠にはその碑文が建っている
。直木賞作家である新田次郎は富士山頂測候所に勤務していた
経験をもとに、富士山の強力(エムゾネごうりき)の生き様を描い
た直木賞受賞作『強力伝』や『富士山頂』をはじめ数々の富士
にまつわる作品を執筆している。高浜虚子は静岡県富士宮市の
沼久保駅で降りた際、美しい富士山を見て歌を詠んだ。駅前に
はその歌碑が建てられている。「とあるエムゾネ停車場富士の裾野
で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ花の姥」富士山

41 :
富士山一帯の宗教施設や避暑、富士登山を目的とする観光客相
手の観光業も活発に行われている。しかし、富士山麓には温泉
地として成立する規模の湯量は湧出していない。エムゾネ富士山の
利用について、静岡県側が自然・文化の保護を重視するのに対
し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており、山頂所有権
問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題、世界遺産登録問
題等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の相違

42 :
が表面化している。富士山と観光富士登山富士登山には登山の
知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7月1日
の山開きから9月上旬の山じまいまでの期間、登山が可能であ
る。期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されて
いるエムゾネ。とくに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。詳
細は「富士登山」を参照その他の観光その優美な姿から、富士
山が見える場所は著名な観光地となっていることが多い。箱根
−箱根は富士山が望めるうえに、東京から近く温泉や歴史・美
術館や各種のエムゾネ乗り物が楽しめることもあり、年間を通じて
内外の観光客が絶えない。また、夏は避暑地としても有名であ
る。富士五湖−富士五湖は富士山周辺の観光地として著名であ
り、本栖湖の逆さ富士が日本銀行券に採用されている。白糸の
滝−白糸の滝は上流にエムゾネ川は存在せず、富士山の雪解け水が
溶岩断層から湧き出す非常に珍しい形成をしている滝である。
また、音止めの滝と共に日本の滝百選に指定されている。朝霧
高原−朝霧高原は富士山を綺麗に臨むスポットとして著名であ
り、その自然と広大な土地もあエムゾネり過去に第13回世界ジャ
ンボリーも開催されている。ダイヤモンド富士−ダイヤモンド
富士などがはっきりと拝める田貫湖や山中湖といったスポット
も有名で、特に写真撮影を目的として訪れる観光客もいる。ド
ライブ−富士スバルラインや富士山スカエムゾネイラインなどを利
用して、5合目までマイカーで上がることができる。シーズン
中はマイカー規制の期間があり、冬期は閉鎖される。富士山の
日(2月23日)2月23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」
と語呂合わせで読み「富士山の日」として制定しエムゾネている自
治体がある。2001年(平成13年)山梨県富士河口湖町(
当時は河口湖町)にて条例を制定。2002年(平成14年)
山梨県富士吉田市を中心に、山梨県の富士山麓10

43 :
恩賜林組合が了承。2009年(平成21年)12月21エムゾネ
日静岡県議会にて条例を全会一致で可決。同年12月25日条
例を制定。静岡県、山梨県どちらも、富士山は普段の生活に溶
け込み過ぎており、「あって当たり前」の空気のような存在で
ある。そのため「富士山の日」に、各自治体や県内企業などが
さまエムゾネざまなイベント等を催し、参加する事など通じて、身
近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルとしても名高い名峰
として再認識する機会としている。また併せて富士山の世界遺
産登録に向けた動きを地元から活発化したいとの期待も込めら
れている。静エムゾネ岡県教育委員会で、各市町村に対して201
1年(平成23年)より「富士山の日」を学校休業日とするよ
う要望した。休業日として組み込んだ自治体があるなか、麓で
ある富士市教育委員会では「特定日を学校休業日とすることは
なじまない」という理エムゾネ由で、2011年以降休業日として
いない。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提供
や、富士山こどもの国の無料開放、図書館や博物館などの社会
教育施設にも富士山の日にちなんだ事業実施を要請している。
なお、富士山の日を最初に宣言エムゾネしたのは、パソコン通信「
NIFTY−Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム
(FYAMAP)」で、1996年1月1日にネット上で発表
した。富士山ナンバー静岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸
支局管内の1市2町4村を対象とした、エムゾネいわゆるご当地ナ
ンバーとして2008年11月4日から富士山ナンバーの交付
が開始された。管轄支局が二県にまたがるナンバープレートは
珍しい。富士山検定「富士山検定実行委員会」が主催する富士
山検定が、富士商工会議所、富士吉田商工会議所エムゾネ、静岡新
聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・山梨放送、NPO法人富士
山検定協会の5者により行われている。地域間交流

44 :
湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流が昭和三十
二年以降静岡県富士宮市と滋賀県近江八幡市の間で続けらエムゾネ
れている。これは「近江の土を掘り富士山を作りその穴が琵琶
湖になった」という伝説からである。富士山頂の湧水を琵琶湖
へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注
ぐことを「お水取り」という。2014年には日本富士山協会
と中エムゾネ華民国山岳協会との間で、富士山と玉山の友好山提携
が締結されている。標高3,952メートルの玉山は台湾の日
本統治時代に新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。その他
他山の標高玉山(台湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日
本最高峰であエムゾネった。標高3,952メートル。雪山(台湾
)−日本統治時代は次高山と呼ばれ、日本で2番目に高い山で
あった。標高3,886メートル。北岳−日本で2番目に高い
山。標高3,193メートル。日和山(仙台市)−日本で最も
低い山。標高3メートエムゾネル。エベレスト−世界最高峰。標高
8,844メートル。文字この節には、一部のコンピュータや
閲覧ソフトで表示できない文字(Unicode6.0の絵文
字)が含まれています。和文通話表で、「ふ」を送る際に「富
士山のフ」という。文字コードエムゾネのUnicode6.0で
は、携帯電話などで使われていた絵文字も追加されたが、その
中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれている。続
けられている。これは「近江の土を掘り富士山を作りその穴が
琵琶湖になった」という伝説からであるエムゾネ。富士山頂の湧水
を琵琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士
山頂へ注ぐことを「お水取り」という[82][83]。20
14年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で、富士
山と玉山の友好山提携が締結されている[84]エムゾネ。標高3
,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に新

45 :
れ、日本の最高峰であった。その他[編集]他山の標高[編集
]玉山(台湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰
であった。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本エムゾネ
統治時代は次高山と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。
標高3,886メートル。北岳−日本で2番目に高い山。標高
3,193メートル。日和山(仙台市)−日本で最も低い山。
標高3メートル。エベレスト−世界最高峰。標高8

46 :
ートエムゾネル。文字[編集]この節には、一部のコンピュータや
閲覧ソフトで表示できない文字(Unicode6.0の絵文
字)が含まれています(詳細)。和文通話表で、「ふ」を送る
際に「富士山のフ」という。文字コードのUnicode6.
0では、携帯エムゾネ電話などで使われていた絵文字も追加された
が、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれて
いる。富士山世界文化遺産平成22年度第1回静岡県学術日本
政府が世界遺産一覧表への記載を推薦する「富士山」は、東ア
ジアの東端に当たる日エムゾネ本列島の本州島の中央部、日本の東
海地方の東部及び関東地方の西部に位置する。推薦する資産は
17個の構成資産(26個の構成要素(後述))から成り、現
行の行政区分に基づく各構成資産の所在地については以下に記
すとおりである。構成資産所在エムゾネ地No.所在地座標計測位
置緯度経度A静岡県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・
小山町)山梨県(富士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口湖町
)県境未確定地富士山(山頂剣ヶ峰)資産範囲及び緩衝地帯の
範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範囲をエムゾネ示す図面、並びに
資産近傍における法的保護区分を示す図面は以下のとおりであ
る。f)資産面積及び緩衝地帯の面積各構成資産の面積及びそ
の緩衝地帯の面積、資産の総面積及びその緩衝地帯の総面積に
ついては、以下に記すとおりである。構成資産面エムゾネ積:緩衝
地帯面積:合計:No.構成資産の面積(ha)緩衝地帯の面
積(ha)合計説明a)資産の説明1)資産全体の説明富士山
は、標高3776mと日本一の高さを誇る独立峰である。高度
を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲線を呈しエムゾネ
、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質成層火
山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面から
の実質的な高さは世界的にも有数である。富士山は

47 :
のほぼ中央に位置し、フィリピン海プレート、ユーラシアプレ
ートエムゾネ、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さ
らにその下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる
特異な地点に存在する。富士山は、新生代第三紀中新世のおも
に海底火山噴出物からなる地層の上に第四紀更新世に造り上げ
られた先小御エムゾネ岳火山とそれに重なる小御岳火山を土台とし
て、古富士、さらにそれを覆う新富士山の4層構造で構成され
ている。山頂部の火口はおよそ2200年前を最後に噴火して
いないが、フィリピン海プレートが北進しユーラシアプレート
を南南東方向から押しエムゾネ続けているため割れ目が発生するこ
とによって、山頂を通って北北西に向かう方向にほぼ直線的に
側火山が並び、有史以降も火山活動を行ってきた。富士山が過
去に流出した溶岩などの火山噴出物は、適度な粘度を持つため
に美しいコニーデ型の山容を形エムゾネ成しながら、山頂を中心と
して約15〜20km(最大約30km)の範囲に広がった。
山麓には数多くの風穴・溶岩樹型等の地形が見られ、溶岩流の
末端部では富士山の中腹以上への降水を起源とする豊富な湧水
(日量約450〜680万t、現在最大エムゾネの湧水は日量約1
00万tの柿田川)が見られる。富士山北麓ではこれらの湧水
や降水を起源とする湖沼が点在している。上記のような自然的
環境を持つ富士山は、古来自然物、特に山岳に対する信仰の伝
統を持っていた日本人に畏敬の念を抱かせ、日本エムゾネにおける
様々な宗教の融合した信仰の対象とされた。遥拝や山中での修
行のみならず、神仏の在所と考えられた山頂への登山という宗
教行為が一般化するとともに、山体及び山麓周辺に神社などの
宗教施設や風穴・湧水といった自然物・自然現象を起源とエムゾネ
する霊地・巡礼地が設けられ、登山のための道や施設及びそれ
を支援する包括的なシステムが作られた。標高約2

48 :
近の森林限界より上方は富士講(富士山信仰の集団の一つ)信
者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域ないし他界(死後世界)
と考エムゾネえられていた。北麓地域ではさらに、山体を上方から
順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」(森林地帯)、「草
山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「草山」)と死の世界
(「焼山」)を往復することでこの世の罪と穢れを消すという
富士登拝の区エムゾネ分と関連付けていた。森林地帯は神聖な地域
の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生活のために利用さ
れる地域でもあった。また、富士山山麓に見られる湧水は登山
前に身を清めるために必須のものであり、現代においても柿田
川をはじめ各所で「霊エムゾネ水」として取り扱われている。また
、富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を戴いた姿、周辺
の湖や海岸線などの展望地から眺めた景観などが時代を超えて
多くの人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的な創造意
欲を掻き立てた。富士山体のうエムゾネち、標高約1500m以上
の範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重な
り合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各
登山道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返
」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観点エムゾネからも不可能にな
る地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、
とりわけこの「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマ
サマ」と呼び、富士山の範囲とみなす地域もあった。景観的に
は山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」エムゾネと「山体
」の境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの
対象とされることが多い範囲である。2)資産の構成推薦資産
は、日本列島のほぼ中央に位置する富士山体と、周辺の浅間神
社や御師住宅、霊地・巡礼地である風穴・溶岩樹型・湖沼エムゾネ
、芸術作品の視点場(又は舞台)となった地点から

49 :
。富士山体の中には山頂信仰遺跡や登山道などの重要な要素が
含まれている。これらの構成資産が一体となった推薦資産「富
士山」は、山に対する固有の文化的伝統を表す物証であり、山
と人エムゾネ間との精神的な関係を生み出した景観の見本であると
ともに、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資産/
構成要素の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰
遺跡遺跡A2大宮・村山口登山道遺跡A3須山口登

50 :
4須走口登山エムゾネ道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨
士浅間神社遺跡、記念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖
遺跡A9本栖湖遺跡B1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B
3遺跡B4遺跡B5遺跡B6遺跡B7遺跡、記念工作物、建造
物B8建造物B9遺跡エムゾネB10遺跡B11遺跡B12遺跡B
13遺跡B14遺跡B15遺跡C遺跡A富士山(富士山体)富
士山本宮浅間大社山宮浅間神社河口湖村山浅間神社須山浅間神
社富士浅間神社(須走浅間神社)河口浅間神社白糸ノ滝三保松
原構成資産/構成要素忍野八海エムゾネ船津胎内樹型吉田胎内樹型
人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山中湖673)構成
資産の説明富士山(富士山体)・展望地点富士山には、山頂部
に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施設として機
能してきた登山道や山小屋といった宿泊エムゾネ施設、信仰の証と
して建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅間
神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・
鑑賞の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保松原は
、何度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地やエムゾネ富士山を
描く典型的な構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供す
る展望地点である。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一
つである「馬返」以上に該当する標高1500m以上の区域で
もあり、その中でも、他界(死後世界)と考えられた森林エムゾネ
限界より上方、富士山本宮浅間大社の境内地とされた八合目(
登山道を10区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに異なり
標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近づくほどより
強い神聖性を持つと認識されてきた。A富士山(富士山体)A
1山エムゾネ頂信仰遺跡A9本栖湖C三保松原(写真複数、地図挿
入)(改頁)登山道富士山には、麓の浅間神社を起点として山
頂に至る登山道が、複数存在する。12世紀前半か

51 :
かけての修行僧末代の活動がきっかけになったと考えられる大
宮・村山口登エムゾネ山道や、六合目から1384年の銘のある掛
仏が出土した須走口登山道などがある。吉田口登山道は、富士
講信者の登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多くの道者
(他の登山口の合計と同程度)によって利用された。また、1
200年の資料では、エムゾネ大宮・村山口及び吉田口の外、須山
口登山道を挙げて、それ以外には登山道がないと述べられてい
る。登山道沿いには要所要所に祠や石碑が設置され、随所に小
屋や石室が設けられており、富士独特の登拝システムを語る上
で、登山道は欠かすことのできエムゾネない構成要素である。A2
大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉
田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁)浅間神社・御師住
宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造された。古くか
ら富士山は遥拝の対象であり、山宮浅間エムゾネ神社などは古代か
らの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活発化を受け、律令
国家によって9世紀前半に富士山を神体とする浅間神社(後の
富士山本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火を鎮め
るための神社が祭祀された。11世紀後半の噴火エムゾネを最後に
火山活動が休止期に入ると、富士山を舞台とする修験の活動が
活発化し始め、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅
間神社へと発展していった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間
神社や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、登山口の起エムゾネ
点にも浅間神社が建立されるようになる。なかでも、北口本宮
冨士浅間神社は、江戸を中心に流行した富士講によって大いに
利用された吉田口登山道の起点であったが、その北には、富士
講徒の案内し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅が今も残
されエムゾネている。B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B
3村山浅間神社B4須山浅間神社B5富士浅間神社

52 :
神社)A6北口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河口浅間神
社B7冨士御室浅間神社(写真複数、地図挿入)(改頁)霊地
・巡礼地となエムゾネった風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀
後半から爆発的に流行した富士講の信者は、山頂を目指して富
士山に登るだけでなく、いわばオプショナル・ツアーのごとく
周辺の風穴や湧水地などを巡り、巡礼や修行を行っていた。富
士講の開祖とされる長エムゾネ谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で
修行をし、富士五湖を始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行
を行った。後の富士講徒はこれらの地へ参詣し、開祖に倣って
修行を行う者もいた。また、長谷川角行の八海修行になぞらえ
「富士御手洗(みてらし)元八エムゾネ湖」と唱えられた忍野八海
や、彼が北麓の洞穴で浅間明神を祀ったことにちなんで整備さ
れた船津胎内樹型や吉田胎内樹型など、特定の富士講にとって
の霊場・巡礼地となっている資産もある。B9山中湖B10河
口湖A7西湖A8精進湖A9本栖湖B1エムゾネ1忍野八海B12
船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡B15
白糸ノ滝(写真複数、地図挿入)(改頁)A.富士山(富士山
体)説明富士山には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、
信仰登山の支援施設として機能してきた登山道やエムゾネ山小屋と
いった宿泊施設、信仰の証として建てられた石碑などが存在す
る。推薦範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域
が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が9最も
高い。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つであるエムゾネ
「馬返」以上に該当する標高1500m以上の区域でもあり、
その中でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方
、富士山本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を10
区間に分割した目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約320
0〜エムゾネ3375m)以上と、山頂に近づくほどよ

53 :
性を持つと認識されてきた。八合目以上は、1779年以降、
富士山本宮浅間大社の境内地とされたが、この理由は八合目の
標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と呼び宗教的に意義付け
られている)エムゾネの底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づ
く。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信者(
富士山信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域
ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼこ

54 :
い、富士山体を一周すエムゾネる「御中道」が15〜16世紀ごろ
に富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1
561年及び1580年とされる)、その後「大沢崩れ」とい
う危険箇所を通るため富士講信者により修行の道として利用さ
れた。構成資産範囲内には、山エムゾネ頂信仰遺跡や登山道といっ
た、富士山の顕著な普遍的価値を語る上で重要な役割を担う、
次のような構成要素が存在する。A1.山頂信仰遺跡富士山山
頂部には、火口壁に沿っていくつかの神社など、宗教関連施設
が所在する。富士山への信仰登山が開始エムゾネされると、修験道
の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった
。道者は山頂周辺において「御来迎(仏の来迎と見なされたブ
ロッケン現象)」(のち「御来光(日の出)」)エムゾネを拝み、
内院(噴火口)に鎮座するとされる神仏(大日如来が本地仏と
された浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝し、火口壁にいくつか
あるピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する
「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうこエムゾネ
とが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ修
行僧末代により建立された施設(後の大日堂)が最初とされ、
その後、経典(12世紀末〜13世紀前半と推定されるものが
最古)・懸仏(1482年の銘のあるものが最古)・仏像等(
13エムゾネ02年の銘があるものが最古)の山頂部への奉納・埋
納や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、
大宮・村山口山頂部に大日堂(現在は富士山本宮奥宮が所在)
が、吉田・須走口山頂部に薬師堂(現在の久須志神社)が造営
された。18エムゾネ74年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀
釈の影響によって撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は
神社に改変された。しかし、山頂部に対する信仰自

55 :
ることなく、上記の行為は現代の登山者の多くが行っており、
これらを通じて富士信エムゾネ仰の核心が現代に受け継がれている
。A2.大宮・村山口登山道富士山南西麓の浅間大社を起点と
し、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登山道である。12世
紀前半から中ごろの、修行僧末代の活動により、富士山南麓に
おける登山が本格的に開始されエムゾネたとされ、14世紀初めに
は修験者による組織的登山が始まったとされる。15世紀以降
19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた3軒の有力宿坊が
村山浅間神社(興法寺)と登山道の管理を行うとともに所属の
修験者が登山道等を利用して修行を行っエムゾネた。また、一般人
の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と言う。)も開始さ
れ、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼羅図
」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19世紀初頭
の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,エムゾネ000人
前後、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の
外国人登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用
した。101889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場
口利用者の増加により衰退し、これへの対策として190エムゾネ
6年、村山を経由しない新道が建設されたため、大宮から現在
の六合目(標高2600m)までは登山道としての機能を失っ
た。この区間は一部除き登山道跡の推定は困難な状態である。
現在は1970年に標高2400m地点まで開通した自動車道
を利エムゾネ用しての登山が行われている。(推薦範囲は六合目以
上である。)A3.須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社
を起点とし、山頂南東部に至る登山道である。その起源は明確
ではないが、文字資料の中で1486年にその存在が確認でき
る。登山道おエムゾネよび山頂部銀明水は須山浅間神社及びその所
在地の須山村(現裾野市須山)により管理されてい

56 :
登山道のいくつかの宗教施設は村山の修験者の行場(参拝所)
としても使用された。道者については詳しい研究が進んでいな
いが、1800年(御エムゾネ縁年:富士山出現伝説に由来する6
0年に1回の記念の年)に約5,400人、1840年代前半
は年平均約1,700人、1860年(御縁年)は約3,60
0人であった。1883年、須山口二合八勺(標高2050m
)に接続する御殿場口登山道がエムゾネ開削され、1889年、東
海道本線開通による御殿場口利便性の向上は須山口よりの道者
を奪い、さらに1912年、一部が陸軍演習場となり使用不可
能となったため、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至
っている。二合八勺以下の登山道で当時エムゾネの道が確認できる
部分は一部のみである。(資産範囲は現在「御殿場口」の名称
で使用されている二合八勺以上の部分及び遊歩道として整備さ
れた旧須山口の一部である)A4.須走口登山道富士山東麓の
冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道エムゾネと合流し
山頂東部に至る登山道である。その起源は明確ではないが、六
合目からは1384年の銘のある掛仏が出土しており、文字資
料では1500年にその存在を確認できる。登山道は遅くとも
17世紀までに、冨士浅間神社及びその所在地の須走村がエムゾネ
登山道の山頂部までを支配し、散銭取得権の一部などを得てい
た。山頂部の権利については富士山本宮浅間大社と争いになり
、須走村は18世紀(1703年と1772年)、幕府に裁定
を求め、権利は幕府によって認められた。1707年の宝永噴
火のエムゾネ際、これらの施設及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け翌年には復興を完了
し、多くの道者を集めた。18世紀後半、他の霊場とセットに
された参詣の流行で道者数は年平均約1万人、1800年の御
縁年に23,エムゾネ700人とピークを迎えた。19

57 :
ス道路の完成により、新五合目(標高約2000m)以下の登
山道の利用はほとんどなくなり、一部道としての確認ができな
い区間がある。(推薦範囲は現在も利用されている新五合目以
上である。)A5.吉エムゾネ田口登山道北口本宮冨士浅間神社を
起点とし、富士山頂東部を目指す道である。15世紀には、富
士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一般の人々の間にも
広まっていた。吉田口は14世紀後半には参詣の道

58 :
宿坊もでき始め、大勢の人々がエムゾネ登るための設備が整うよう
になった。16世紀から17世紀、長谷川角行が吉田口を利用
して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食
行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山本道をこ
の吉田口と定めた。このため、富士講のエムゾネ信者が次第に増加
した18世紀後半以降は、最も多くの道者(他の登山口の合計
と同程度)が吉田口登山道を登って山頂を目指している。しか
も、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道で
ある。(推薦範囲は登山道全体である。)11法エムゾネ的保護、
修理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に名勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に(富士
箱根)国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下
に名勝、ついで特別名勝に指定された。1969年に国がエムゾネ
大沢崩れに対する砂防事業に着手(継続中)。1996年に国
・県が台風による森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中
)。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として
指定される予定。A6.北口本宮冨士浅間神社説明富士山の遥
拝所エムゾネに祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源
とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀
半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。その後、15
61年に現在の東宮本殿、1594年に西宮本殿、1615年
には本殿が建エムゾネ立された。富士講とのつながりが強く、17
30年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内
の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が
形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の本殿に唐破風
付向背をつけた形式でエムゾネ、正面と側面に挿肘木の腰組をもっ
て支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本殿・
西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本

59 :
部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して、それぞ
れの時代の装飾的特色がよく表エムゾネされている。北口本宮冨士
浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属
しており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられ
ていた。社殿の背後には登山門があり、この神社を起点として
富士山頂まで吉田口登山道が伸びているエムゾネ。富士講や吉田御
師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。法的保護、
修理・整備の経緯1907年に東宮本殿が古社寺保存法の下に
特別保護建造物に指定された。1929年の国宝保存法制定に
伴い、本殿は国宝とされた。1950年の文化財エムゾネ保護法制
定に伴い、東宮本殿は重要文化財とされた。1953年に本殿
及び西宮本殿が文化財保護法の下に重要文化財に指定された。
1952年に東宮本殿の解体修理工事が行われた。1962〜
63年に西宮本殿の解体修理工事が行われた。1973〜エムゾネ
74年に本殿、西宮本殿及び幣殿の部分修理工事が行われた。
1981〜82年に東宮本殿の部分修理工事が行われた。19
97年に本殿の部分修理工事が行われた。文化財保護法の下に
他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。A7.
西湖エムゾネA8.精進湖A9.本栖湖説明富士山の火山活動によ
って形成された堰止湖である。富士山周辺の湖を巡って修行す
る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、長谷川角
行の水行からいつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられ
たのが、後述エムゾネの山中湖及び河口湖とこの3湖である。また
、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。12特
に本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写真の
撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)であ
る。富士山は、プロ・エムゾネアマ問わず多くの写真家に愛され、
撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を

60 :
岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影
された「湖畔の春」という写真は有名である。この写真は、1
984年に採用された五千円札エムゾネ及び2004年に採用され
た千円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広がり
一体の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔の春」
に撮影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残している。法
的保護、修理・整備の経緯文化財保護法エムゾネの下に名勝として
指定される予定。B1.富士山本宮浅間大社説明社記によれば
806年に、富士山により近い遥拝所であった山宮浅間神社か
ら現在の地に移転されたことを起源とする神社で、古くから富
士山南麓地域の中心的神社であった。現在全国にエムゾネ約130
0社ある浅間神社の総本宮であり、広く信仰されている。創建
当初は遥拝のための施設であったが、15世紀ごろ登拝が盛ん
になるにつれて、富士山本宮浅間大社は村山浅間神社(興法寺
)とともに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が周辺エムゾネ
に建設された。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築
されていく中で、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期
をおさめ統一政権である江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、
1604年現在の「浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った
社殿エムゾネが造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取得
における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理・
支配を行うようになり、1779年、幕府による裁判によりこ
の八合目以上の支配権が認められた。明治政府によりここは国
有地とされたエムゾネが、1974年の最高裁判決に基づき、20
04年浅間大社に譲渡(返還)された。浅間大社境内には富士
山の湧水を起源とする湧玉池がある。浅間大社は、富士山の噴
火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖なる水源の山とし
て崇める考え方から、エムゾネ豊富な湧水量(日平均1

61 :
持つ湧玉池のほとりに置かれたとする説が有力である。なお湧
玉池は、浅間大社内に所在する富士山の湧水を起源とする池で
ある。16世紀前後、湧玉池は浅間大社により道者が身を清め
る場と位置づけられたとされ、エムゾネ同時期の絵図や旅行記でそ
の様子が確認できる。この水垢離は1920〜30年代まで行
われた。現在でも湧水を聖なる水として利用する人が多くいる
。法的保護、修理・整備の経緯1907年に本殿が

62 :
法の下に特別保護建造物に指定された。エムゾネ1923〜26年
に本殿・拝殿・楼門等の補修が行われた。1929年の国宝保
存法制定に伴い、本殿は国宝とされた。1933〜34年に楼
門の修理を行った。1936年に袖廊・廻廊を附した。195
0年の文化財保護法制定に伴い、本殿は重要文化エムゾネ財とされ
た。1951〜52年、1970年、1988年に本殿の屋根
の修理等が行われた。1969〜70年に本殿の屋根の修理等
が行われた。1987〜88年に本殿の屋根の修理等が行われ
た(部分補修)。2005年に本殿の屋根の修理等が行わエムゾネ
れた。13文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山
として指定される予定。B2.山宮浅間神社説明富士山本宮浅
間大社の社伝によれば、浅間大社の前身とされ、拝殿・本殿等
が位置すべき場所に石列でいくつかに区分された遥拝所が設置
されエムゾネるのみという特異な形態は古代からの富士山祭祀の形
を止めていると推定されている。この遥拝所の主軸は富士山方
向を向いている。具体的な創建年代は不詳だが、発掘調査では
神事に使用されたと推定される12〜15世紀の土器が出土し
、文献上ではエムゾネ1551年にその存在が確認できる。また、
遅くとも1577年までには浅間大社との間で「山宮御神幸」
といわれる儀式が開始された。これは4月と11月に神の宿っ
た鉾を持ち、浅間大社と山宮浅間神社を往復する行事である。
現時点では神が4月にエムゾネ旧跡に戻るという解釈と、山にいる
神が4月に田の神として里へ降りるという解釈がある。この行
事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神幸」に使
用される経路を御神幸道という。道には1691年に置かれた
距離を示す石碑が少なくとも四エムゾネ箇所残っているが、正確な
道筋は現在確認されていない。法的保護、修理・整備の経緯1
985年に富士宮市の史跡に指定される。文化財保

63 :
他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B3.
村山浅間神社説明12世紀前半から中ごエムゾネろの修行僧末代の
活動が創建の起源とされており、1868年の神仏分離令まで
は神仏習合の宗教施設として興法寺(富士山興法寺または村山
興法寺)と呼ばれていた(資産範囲には浅間神社と寺院である
大日堂が含まれる)。富士山における修験道の中エムゾネ心地であ
り、14世紀初めには、その活動が組織化された。15〜16
世紀には一般の道者の登拝も増加し、その様子が16世紀の制
作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。186
8年、神仏分離令により浅間神社と大日堂は分離され、1エムゾネ
906年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、
修験者の活動は1940年代まで継続された。また、村山の修
験者の影響を受けた地域では現在でもその宗教行事が継続され
ている。法的保護、修理・整備の経緯2001年から2003
年にエムゾネかけて富士宮市教育委員会により発掘を含む調査が行
われた。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山と
して指定される予定。B4.須山浅間神社説明須山口登山道の
起点として遅くとも1524年には存在していた神社である。
1707年、エムゾネ宝永噴火により社殿は登山道も含め大きな被
害を受け、現在の社殿は1823年に再建されたものである。
神社は村山浅間神社(興法寺)の修験者とも関わりを持ち、1
940年頃まで境内で修行の一環としての祈祷が行われていた
。法的保護、修理・整エムゾネ備の経緯文化財保護法の下に他の文
化財とともに史跡富士山として指定される予定。14B5.富
士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807年に社殿を造
営したとされ、須走口登山道の起点となった神社である。16
世紀には地元支配者(武田氏)エムゾネの保護を受け、山頂部の散
銭取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝

64 :
壊し1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し
、2009年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。
神社には富士講道者が多く立ち寄り、2エムゾネ0世紀前半を中心
に登拝回数の達成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約
80基造営した。法的保護、修理・整備の経緯2006年に社
殿が小山町の有形文化財となる。2009年に本殿・参道の修
理が行われた。文化財保護法の下に他の文化財とエムゾネともに史
跡富士山として指定される予定。B6.河口浅間神社説明古く
から富士山に関わる祭祀は南麓の浅間神社が執り行っていたが
、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも
浅間神社が建てられることとなった。それが、富士山を望エムゾネ
む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかった河口浅間神社であ
る可能性が高い。浅間神社を中心とした河口の地は、甲府盆地
から続く官道の宿駅という役割に加え、富士登拝が大衆化した
中世後半から御師集落として発展を遂げた。しかし、江戸にお
けるエムゾネ富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛により
、河口の御師集落としての機能は、19世紀以降衰退してしま
った。ただし、河口浅間神社は、現在も富士山と密接に結びつ
いた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信
仰を語る上でエムゾネ欠かすことのできない資産である。法的保護
、修理・整備の経緯文化財保護法の下に他の文化財とともに史
跡富士山として指定される予定。B7.冨士御室浅間神社説明
冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場
をしつらえたのが最初エムゾネとされ、富士山中に祀られた最初の
神社であるとする文献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村
山であるが、北面の二合目、御室浅間神社が鎮座する御室の地
にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたようである。
山中という厳しい条件の下に所エムゾネ在するためたび

65 :
、1189、1275、1475、1525年と加修され、1
564には地元領主による大修理が行われている。現在の本殿
は1612年建立と認められ、その後も1698年、1867
年に修復が行われていた。1973−7エムゾネ4年には里宮の地
にそのままの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみ
や)が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとさ
れる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点と

66 :
けられる二合目の本宮と、土地の産土神としてのエムゾネ里宮が一
体となって機能してきた神社である。法的保護、修理・整備の
経緯1973〜74年に吉田口登山道二合目にあった本殿が里
宮の地に移築された。151985年に移築された二合目本殿
が文化財保護法の下に重要文化財に指定された。文化財保エムゾネ
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予
定。B8.御師住宅説明御師は、道者に宿や食事を始め登拝の
ための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うこ
とを業とした。富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道
の起エムゾネ点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の
傾斜面に沿って大規模な集落を形成した吉田の御師である。御
師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設
け、敷地を流れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。
玄関から奥へエムゾネ客室が続き、最奥部には神殿が設けられてい
る。1768年に建てられ最古の部類に数えられる旧外川家住
宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最盛期の御
師住宅の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。186
1年に新築された小佐エムゾネ野家住宅同様、富士講の流行に伴い
増加する宿泊者に対応するため、旧外川家住宅では1860年
代に離座敷が増築された。法的保護、修理・整備の経緯197
6年に小佐野家住宅が文化財保護法の下に重要文化財に指定さ
れた。1979年に小佐野家住エムゾネ宅の屋根の修理等が行われ
た。1996〜98年に小佐野家住宅の腐敗修理等が行われた
。旧外川家住宅が文化財保護法の下に重要文化財に指定される
予定。B9.山中湖B10.河口湖説明富士山の火山活動によ
って形成された堰止湖である。富士山周エムゾネ辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、長谷
川角行の水行からいつの時代も変わらず巡拝の対象

67 :
られたのが前述の3つの湖とこの山中湖及び河口湖である。こ
の巡礼行為について、具体的に湖沼のどこで修行エムゾネや巡礼が
執り行われたか、またどのルートを辿って各湖を巡ったかは、
定まっていなかった(少なくとも、明らかになっていない)も
のの、人々の信仰心を駆り立てた湖沼の水そのものを核心とし
て、周辺地域も含めた範囲が文化財とされている。また、エムゾネ
景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。法的保護
、修理・整備の経緯文化財保護法の下に名勝として指定される
予定。B11.忍野八海説明富士山の伏流水による八つの湧水
地で、それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わる巡拝地であ
ったエムゾネ。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れを祓った
。長谷川角行が行った富士八海修行になぞらえ「富士御手洗(
みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、18
43年に富士講道者によって再興されたとされる。法的保護、
修理・整備のエムゾネ経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法
の下に天然紀念物に指定された。16B12.船津胎内樹型説
明1617年長谷川角行が富士登拝の際、北麓に洞穴(船津胎
内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考え
られる)を発見し、浅エムゾネ間明神を祀った。1673年には富
士講道者によって現船津胎内樹型が発見され、浅間明神が遷宮
された。富士登拝の際に、樹型に入って身を清める風習があり
、洞穴内外の地形空間に宗教的な意義付けが行われるとともに
、奥には富士講にとっての富士エムゾネ山の祭神である木花開耶姫
などが祀られている。法的保護、修理・整備の経緯1929年
に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定された。
B13.吉田胎内樹型説明1892年に富士道者によって整備
された「お胎内」である。富士講講徒はエムゾネ、昼までに御師の
家に着き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士山に登

68 :
穴については、古くから冨士山北口御師団が管理している。法
的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保
存法の下に天然紀念物に指定された。B14.人エムゾネ穴富士講
遺跡説明富士講の開祖長谷川(藤原)角行が修行したとされる
溶岩洞窟の人穴と富士講信者による約230基の碑塔群が残る
遺跡である。「吾妻鏡」では人穴探検の様子が描かれ、「浅間
大菩薩の御在所」とみられていたとされている。この内容エムゾネ
は遅くとも1603年までに、浅間大菩薩の霊験譚として説話
化され、その存在が広く知られていた。富士講関連の文書によ
れば人穴は16世紀から17世紀にかけ、長谷川角行が修行に
より浅間大菩薩(富士講では仙元大日神とする)の啓示を得た
場でエムゾネあり、入滅した場だとしている。また、角行は人穴を
「浄土(浄土門)」と述べ、これらの結果人穴には熱心な富士
講信者が参詣し、修行を行う者も見られた。また、信者は人穴
への分骨埋葬などを望み、墓碑、供養碑、記念碑などを建立し
た。1942エムゾネ年付近が軍用地となり、人穴の浅間神社や周
辺の住民は一時移転した。1954年神社は現在地に復興され
たが、冨士講自体が衰退したことで参詣者はみられるものの1
964年以降碑塔の建設は行われていない。法的保護、修理・
整備の経緯1999年エムゾネに富士宮市の史跡となる。文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予
定。B15.白糸ノ滝説明富士山の湧水を起源とする数百の流
れを持つ滝である。滝の名前は湧水(日平均15〜16万〜)
の噴出が数百条の白糸が垂れてエムゾネいるように見えることをそ
の起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連の文書によれば長谷
川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地とされ、富士
講を中心とした人々の巡礼・修行の場となった。また、景勝地
としても有名であり、和歌・絵画の題材エムゾネにもな

69 :
法的保護、修理・整備の経緯1936年に史蹟名勝天然紀念物
保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定された。C.三保松原
説明三保松原は、万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「羽衣」
の舞台となった。15〜16世紀以降富士山を描エムゾネく際の典
型的な構図に含まれる景勝地として数多く描かれ、歌川広重等
の作品をはじめ海外にも広く知られている(又は海外に影響を
与えた)芸術作品の視点場、又は舞台となった場所

70 :
の調和を図る景観保全が行われており、景観全体の真実性は確
実に保証されている。白糸ノ滝においては、長谷川角行の修行
地がどこであったかを明確に示す文献はないが、富士講講徒が
滝壺で修行したことはエムゾネ講徒の記録及びその挿図で確認でき
る。船津胎内樹型及び吉田胎内樹型の中には祠などが祀られ、
穴自体を神聖視する精神、宗教空間としての機能は現在も受け
継がれている。入洞者の安全のため、船津胎内樹型の入り口部
分は改変が加えられているが、エムゾネそれ以外の形状・位置の真
実性は、自然崩落の場合を除き、確実に継承されている。人穴
富士講遺跡においては、碑塔のほとんどに建立者、講の名称や
年号(創建年号や関係者の死亡年号)などが記載されており、
真実性に疑いの余地はない。444.保エムゾネ全状況と資産に与
える影響a)現在の保全状況「富士山」の17個の構成資産に
ついては、すでに多くの修理や整備の事業が適切に行われてお
り、自然的な要因に基づく一部の資産を除き構成資産の保存状
況も良好である。特に神社の建造物及び境内につエムゾネいては、
所有者である宗教法人により適切な維持的措置が恒常的に行わ
れており、保存状況は良好である。1)資産全体の保全状況(
1)主要な展望主要な展望としての構成資産は、本栖湖と三保
松原であり、展望点及びそこから展望した山体の大部分でエムゾネ
ある。展望面に関しては本栖湖の場合構成資産に含まれており
、三保松原の場合は展望点より山体まで距離の距離が約45q
と遠方であり、かつ、その間のかなりの部分が海面及び人口密
集地(富士市市街地)であるため、展望点より山体までの範囲
は構エムゾネ成資産に含めてはいない。現状においてこれらの資産
範囲及び展望面は三保松原の一部を除き良好な状態を保ってい
る。これらの資産範囲については、信仰の核心である御中道よ
り上の範囲は文化財保護法(特別名勝及び名勝)及

71 :
法(特別保護エムゾネ地区及び第1種特別地域)により厳密に保全
され、下部(標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外
)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、普通地
域)及び森林法(保安林)により重層的に保護されている。ま
た、展望面の周辺部にエムゾネついては自然公園法(特別保護地区
、第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安林)、景
観法に基づく景観条例、景観計画により保護されている。これ
らの法令の許可制に基づく保護により、景観面に関して資産に
影響のある開発は厳重に管理さエムゾネれている。また、資産範囲
及び緩衝地帯に含まれていない三保松原の展望面についても海
面において実質的に開発行為は起りえず、市街地においても景
観法に基づく景観条例、景観計画により保護されているため、
特に問題は生じない。(2)登山道(遺エムゾネ跡(site))
これらの構成資産は富士山体及びそこに所在する登山道である
。これらの構成資産については、真実性及び完全性が担保でき
る部分が史跡に指定されるとともに、その大部分の範囲が特別
名勝に指定されている。これらの構成資産についエムゾネては、県
が、各史跡及び特別名勝としての保存管理計画を策定し、構成
資産の所在する市町村とともに確実な保存管理に当たっている
。したがって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体を
なす周辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指エムゾネ
定地内で行われる現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(以下
、「現状変更等」という。)については、文化財保護法の下に
許可制に基づき厳重に規制されている(富士山体の保護措置に
ついては次項で詳しく述べる。)。(3)神社・御師住宅(記
念工エムゾネ作物・建造物群・遺跡(site))これらの構成資
産はいずれも社殿などの木造建造物を中心としている。それら
内のいくつかは、富士山本宮浅間大社本殿などのよ

72 :
化財に指定されており(御師住宅は指定予定)、その他の建築
物や境内地はエムゾネ史跡の構成要素として保護されている。これ
らの木造建築物については、これまで損傷の程度に応じた適切
な修理が行われてきた。したがって、それらはすべて45良好
な状態を保っている。具体的には、建造物の全体を解体して行
う全解体修理、軸組をエムゾネ残したまま壁や屋根などの修理を行
う半解体修理を実施しているほか、部分的な修理と

73 :
替修理や塗装修理などを定期的に実施してきた。建造物は自然
災害等により幾度かの損傷を被ってきたが、そのつど旧態に復
旧され、その歴史上の価値は確エムゾネ実に継承されている。さら
に、指定地内で行われる現状変更等については、文化財保護法
の下に許可制に基づき厳重に規制されている。また、重要文化
財である建造物のみならず、史跡等に指定された神社境内に存
在する個々の歴史的建造物の保存修理事エムゾネ業を行うに当たっ
ては、文化財保護法の下に、それらの歴史に関する調査、伝統
技法に関する調査、地下遺構に関する発掘調査、破損状況及び
その原因に関する調査など、事前の学術調査を周到に行い、そ
の結果に基づいて、所有者・学識経験者・行政経エムゾネ験者等か
ら成る修理及び整備委員会における保存修理や環境整備の方針
の決定及び指導に基づき実施している。また、それらの修理完
了後には、修理に係る記録をまとめた修理工事報告書を刊行し
ている。さらに、重要文化財である建造物については、火エムゾネ
災による焼損防止のために自動火災報知設備及び各種の消火施
設・避雷施設を設置し、防火・消火に関する組織の運営につい
ても万全を期している。また、建造物の所有者である宗教法人
及び市並びに個人は、県又は各市町村が策定した保存活用計画
に基エムゾネづいて、それらの確実な保存管理に当たっている。ま
た、建造物の軽微な補修等の日常管理については、所有者の依
頼により、専門の建築技術者によって実施されている。(4)
その他信仰関連遺跡(遺跡(site))これらの構成資産は
、湖沼、風穴エムゾネ・溶岩樹型、滝・湧水、石造工作物(人穴の
碑塔)である。これらの構成資産については、その自然的価値
から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名勝及び天然記念
物に、富士五湖が名勝に、風穴・溶岩樹型及び忍野八海が天然
記念物に指定されていエムゾネるとともに、その一部が

74 :
されている。これらの構成資産については、県及び市町村が、
各史跡等の規模・形態・性質・立地・環境等に応じて保存管理
計画を策定し、確実な保存管理に当たっている。したがって、
各史跡等を構成する諸要素及びエムゾネそれらと一体をなす周辺の
地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で行われ
る現状変更等については、文化財保護法の下に許可制に基づき
厳重に規制されている。2)構成資産の保全状況(A)山体(
眺望の対象である富士山、ある文化的伝エムゾネ統を伝承する物証
である、連続性のある資産としての富士山)登録範囲における
自然的環境については、おおむね良好な状態である。資産範囲
の上部は文化財保護法(特別名勝)及び自然公園法(特別保護
地区及び第1種特別地域、第2種特別地域)によエムゾネり厳密に
保全され、下部(標高1500〜2000m以下、特別名勝範
囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、普
通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護されている
ため、景観および文化的価値のどちらの点においても資産エムゾネ
に影響を及ぼす行為は発生しない。た46だし、山体西側には
山頂部付近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩
れ(以下、「大沢崩れ」という。)が、約1000年前より継
続して発生している。このため山体西側の一部でかつての信仰
に関エムゾネわる道(御中道)の通行等が禁止されている区域があ
る。山頂及び登山道周辺では、多くの人々によって行われる登
山行為に起因する廃棄物・し尿が発生するが、山小屋組合など
により適切に管理・除去されている。なお、山腹において、山
小屋の維持・エムゾネ廃棄物の撤去のためにブルドーザーが通行す
る道路があるが、使用は必要最小限にとどめられている。山頂
部周辺の文化的環境についても、現時点における保全状態は良
好である。ただし、降雪・強風等に常時さらされる

75 :
模な変更は常時行われエムゾネてきた。(A1)山頂信仰遺跡現時
点における保全状態は良好である。(A2〜5)登山道富士山
は脆弱な火山地質であるとともに、雪崩・強風等に常時さらさ
れるため、登山の開始以降登山道小規模な経路の変更は常時行
われていた。したがって、継続エムゾネ的な観点における保全状態
について明確に述べることはできない。しかし、現在も登山道
として使用されている部分については毎年登山期前に県、地元
保存会(須山口)又は山小屋組合により整備が行われ、適切な
状態に保たれている。(A6)北口本宮エムゾネ冨士浅間神社北口
本宮冨士浅間神社は定期的な維持修理が行われており、現時点
における保全状態は良好である。(A7〜9)西湖・精進湖・
本栖湖すべての湖とも現時点における保全状態は良好である。
中でも本栖湖は、訪問者の体験を損ねないようにエムゾネ、展望地
点から富士山を見た展望線と展望地点区域の周辺環境の維持に
配慮した良好な保存管理が行われており、現時点における保全
状態は特に良好である。(B1)富士山本宮浅間大社定期的な
維持修理が行われており、現時点における保全状態は良好エムゾネ
である。湧玉池は全般的には良好な状態であるが、二つの池の
うち「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているため
、「湧玉池保全再生会議」が設置され、対策が検討されている
。(B2)山宮浅間神社現時点における保全状態は良好である
。(エムゾネB3)村山浅間神社現時点における保全状態は良好で
ある。(B4)須山浅間神社現時点における保全状態は良好で
ある。(B5)富士浅間神社(須走浅間神社)現時点における
保全状態は良好である。(B6)河口浅間神社現時点における
保全状態は良エムゾネ好である。47(B7)冨士御室浅間神社現
時点における保全状態は良好である。ただし、漆塗装の磨耗退
色が著しい部分がある。また、本宮本殿の脇障子版

76 :
合目所在時に毀損にあっており、今後、修復・修繕の検討が予
想される。(B8)御エムゾネ師住宅旧外川家住宅は2006−2
007年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点における保
全状態は良好である。小佐野家住宅は、所有者らによって日常
的な維持管理が行われているほか、補助事業などによって文化
財としての保護に必要な修繕やエムゾネ設備の整備が進められてき
た。(B9〜10)山中湖、河口湖どちらの湖とも

77 :
ける保全状態は良好である。(B11)忍野八海天然記念物と
して指定されている範囲は水面に限られており、私有地が隣接
しているため、周辺環境を含めた保全状エムゾネ態に課題がある。
しかし、忍野村が景観計画を策定し、周辺環境を含めた保全を
行っている。(B12)船津胎内樹型現時点における保全状態
は良好である。(B13)吉田胎内樹型内部の溶岩の盗掘や人
の侵入による破壊を防ぐために本穴入り口は施錠エムゾネされてお
り、現時点における保全状態は良好である。(B14)人穴富
士講遺跡碑塔群はおおむね良好な状態であるが、一部の碑塔に
修理が必要である。(B15)白糸ノ滝現状では滝壺周辺に売
店があるなど景観面において課題がある。このため、富士エムゾネ
宮市が中心となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定を
行い、今後適切な整備がなされる予定である。滝の自然崩壊に
ついては特に対策は採られていない。(C)三保松原現状では
1960〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図
るたエムゾネめ、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、
景観に影響を与えている。また、松原においてもマツクイムシ
(マツノザイセンチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤
注入・散布による予防措置及び植林、枯れた松の除去が実施さ
れている。現エムゾネ在これらの対策により、資産の現状を保ち、
将来においてはより良好な保全状態となることは確実である。
なお、三保松原の象徴的存在である羽衣の松は1707年の宝
永噴火とその前後の地震により初代とされる松が失われたため
、現在の松(樹齢約6エムゾネ50年)を指定した。しかし、この
松も台風による幹の損傷で樹勢が衰え、2010年10月にそ
の交代が行われる(三代目は樹齢約300〜400年と推定さ
れている)。また、現在静岡市が保存管理計画の改訂を行って
いる。なお、資産範囲・緩衝地エムゾネ帯範囲には含ま

78 :
三保松原の富士山方向の対岸に当たる富士市の工業地帯におい
ては、現在使用していない高煙突の撤去が静岡県の政策(富士
地域煙突ゼロ作戦)として実施されている。48b)資産に与
える影響の要因1)開発の圧力資産及びエムゾネその緩衝地帯にお
いて、建築物又は工作物の建設、土地の形質変更、木竹の伐採
等の等の行為を行う場合には、文化財保護法、自然公園法、都
市計画法、森林法、河川法、海岸法及び関係市町村が定める条
例(景観法に基づき策定された景観条例等)の下エムゾネに、それ
らの規模、形態・構造に関する規制(建築物又は工作物に関し
ては、それらの高さ・色彩・意匠等の規制を含む)が行われる
ため、資産の価値を著しく低下させるような開発は起り得ない
。「富士山世界遺産両県協議会」(設置予定・仮称)ではエムゾネ
、両県の知事・市町村長を中心に、許認可・保存に関わる国機
関も加わり、開発の状況を把握し、コントロールのあり方につ
いて検討を行う予定である。開発計画のうち、現在北麓(山梨
県)においては都市計画区域用途地域または都市計画区域外で
は5エムゾネha以上、都市計画内(用途地域外)では10ha以
上の計画については、山梨県内の組織である「山梨県土地利用
調整会議」に事前協議書が提出され、知事の同意が必要とされ
ている。その同意を得た後で、個別法令の許認可を担当する部
署での手続きエムゾネを行うことになっており、一元化した組織か
つ統一した基準での開発のコントロールが行われている。こう
した大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定規模以上の開
発行為については、「富士山世界遺産両県協議会」へ報告がな
され、必要に応じて個エムゾネ別法令の許認可を担当する部署に対
して助言等がなされる予定である。また、各市町村の景観計画
の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努めることとしてい
るほか、世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産

79 :
記載の可能性のある文化資産にエムゾネ相応しい周辺市街地を創出
するために適切な景観の保全・改善の施策を実施することとし
ている。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては、い
ずれにおいても資産への影響を最小限に留めるよう関係機関・
団体と調整を行うことし、実施する場合エムゾネにも事前に十分な
協議を行うこととしている。(1)観光開発(ホテル・ゴルフ
場・スキー場)緩衝地帯に位置するホテル等については、自然
公園法に基づき、高さ・色彩・意匠等の規制が行われており、
既存施設の改築についても同様である。特に山体エムゾネの五合目
以上、本栖湖からの展望線の核心部は自然公園法の特別保護地
区、第1種特別地域となっており、新規の構造物の建築は禁止
されている。また、富士山北麓(山梨県)では新規の10ha
以上のゴルフ場開発については凍結されている。(2)廃エムゾネ
棄物処分場又は清掃工場現時点で計画なし。(※演習場内の解
放地に御殿場市・小山町広域行政組合によるゴミ処理施設の計
画あり。)(3)工場又は工業団地現時点で計画なし。(北口
本宮冨士浅間神社の南600mの地域に、工場進出の計画あり
。)エムゾネ(4)道路整備緩衝地帯においては、北口本宮冨士浅
間神社と御師住宅との間を走る国道138号の拡幅が計画され
ている。当該道路計画においては、市、県、国等の関係機関と
有識者からなる「富士北麓地域交通円滑化対策検討会」におい
て、計画案のエムゾネ検討を行うなど、当該神社の社叢や周囲の景
観に調和した道路の意匠・構造とすることとしており、当該資
産の価値の保護に影響はない。49県道山中湖忍野富士吉田線
の新倉トンネルは、河口湖畔と富士吉田市中心部をトンネルで
結ぶ計画である。河口エムゾネ湖湖畔の渋滞解消、火山防災のバイ
パスとすることを目的としており、当該資産の価値の保護に影
響はない。また、道路改良事業として、線形改良、

80 :
ど来訪者の安全性向上を図ることを目的とした事業が行われ、
景観に配慮した内容とするようエムゾネ調整している。2)環境の
圧力資産の価値を著しく低下させるような自然的環境の変化と
して、山体の形状を変化させる噴火及びそれに伴う噴石、火砕
流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、降灰後の降
雨による土石流などによる登山道及び周エムゾネ辺の資産の損傷が
予測される。「大沢崩れ」が約1000年前より始

81 :
その幅は年1.6mの割合で拡大している(富士砂防・S45
〜H20の38年間で約60m・3400メートル地点・52
3万〜・年13.8〜の土砂が流出)。ただし、エムゾネ噴火・地
震等がなければ少なくとも200年後までは富士山の景観に大
きな変化はないと予測されている(「富士火山」P407〜)
。酸性雨を含む大気汚染が引き起こす被害については、現段階
では確認されていない。白糸ノ滝では、滝自体の浸食によエムゾネ
り年2cmの割合で後退しており、10年程度の間隔で自然崩
壊が発生する。砂嘴である三保松原では20世紀後半に土砂供
給源の川での土砂採取が活発になり、堆積活動が減少したこと
で海流による海岸浸食が進んでいたが、現在は土砂採取の禁止
等にエムゾネより、堆積活動が回復している。また、三保松原にお
ける松にはマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)による被害
が見られる。これに対しては、薬剤注入・散布による予防措置
及び植林、枯れた松の除去を資産の所在する静岡市とNPO法
人が行っておエムゾネり、被害の拡大を防止している。3)自然災
害と危機管理資産の所在地域における自然災害としては、第一
に富士山特有のものとして山体及び側火山からの噴火及びそれ
に伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、
降灰、降灰後の降雨にエムゾネよる土石流などが予想されるととも
に、数年単位で発生する山体における雪崩(特に大量の水分を
含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢崩れ及びそれに伴う土石流
、強風、雨水による浸食などが考えられる。また、富士山を含
む駿河湾沿いの地域はM8クラエムゾネスの海洋プレート内地震の
発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋側における一
般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予測され
ている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高潮などの
被害がある。これらについてそれぞれ以エムゾネ下のよ

82 :
状変更等に関する諮問を行い、その答申を経て許可することと
している。したがって、資産の現状を変更する場合には、学術
的かつ厳密な審査に基づく許可を必要としている。また、国立
公園(特別保護地区及び特別地域)の現状変更については、あ
らかエムゾネじめ環境大臣の許可を得なければならない(法第13
条、第14条)。特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然
記念物、重要文化財、史跡の管理と修理に対しては、必要に応
じて国が経費を補助し、技術的指導を行うこととしている(法
第35条・第エムゾネ47条・第118条)。国立公園の管理と保
護は国が費用を負担する(法43条)。また、管理団体が管理
と保護を行う場合、国が必要な情報の提供又は指導・助言を行
う(法42条)。資産範囲の国有林については森林施業計画に
より皆伐は年5haにエムゾネとどめるなど景観への影響を最小限
に留めるよう適切に保護・管理されている。加えて国有林の大
部分である保安林は指定施行要件(保安林の種別ごとに異なる
。)に合致しない伐採等には都道府県知事の許可が必要である
(法34条)。2)緩衝地帯緩エムゾネ衝地帯の全域においては、
文化財保護法、自然公園法、景観法(それに基づく景観条例及
び景観計画)、森林法、砂防法、海岸法、又は関係各県・市町
村が定める条例等の下に資産の周辺環境について万全な保全措
置が講じられている。緩衝地帯の範囲にエムゾネついては、資産か
ら眺望できる山の稜線のほか、法律・条例等に基づく境界、地
籍境界、行政界、道路等の明確な境界などを考慮しつつ、資産
の保護に必要不可欠な範囲を定めた。山体の緩衝地帯について
は富士山を周辺ないし構成資産から展望した際、エムゾネ資産範囲
を含め良好な景観を形成する範囲を基準としている。この範囲
の中には演習場を挟んで、三保松原以外のすべての構成資産が
含まれる。緩衝地帯において行われる建築物及び工

83 :
・増築・改築、土地の形質変更等に係る行為、木竹の伐採エムゾネ
については、許可制や届出制に基づく規制を設けており、これ
らの行為に関する重要な事項については、特に関係各市町村の
景観審議会等による調査、審議に基づき、関係市町村が事前に
適切な指導や助言を行うこととしている。なお、緩衝地帯設定
の考エムゾネえ方や、行為規制等の詳細については、本推薦書の付
属資料及び別添参考資料を参照されたい。緩衝地帯は大きく3
つの方法により保護措置が講じられている。一番目は自然公園
法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に基づく各市町村の
景観条例及びエムゾネ景観計画(静岡県富士市・富士宮市ほ58か
)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用事業指導要綱
(山梨県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御殿場市・小山町
)である。三番目の地域に関しては将来的に二番目の保護措置
に移行する予定であるエムゾネ。なお、三保松原などいくつかの資
産においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よりも狭く
設定されているため、緩衝地帯の一部は文化財保護法により保
護されている。これらの地域では適用する法令等に違いはある
が、緩衝地帯において行われるエムゾネ建築物・工作物の新築、増
築、改築、土地の形質変更等に係る行為については、許可制な
いし承認制・届出制に基づく規制が定められ、資産の周辺環境
の万全な保護措置が講じられている。緩衝地帯に適用される諸
法令等の概略法令名対象地区規制内容許エムゾネ認可文化財保護法
三保松原(一部)現状変更文化庁長官の許可自然公園法(国立
公園)山体・静岡県・山梨県工作物の新築等、ごみ捨て又は放
置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等環境大臣の許
可(特別地域)、届出(普通地域)自然公園法(エムゾネ県立自然
公園)県立自然公園条例三保松原(一部)工作物の新築等、ご
み捨て又は放置、木竹の採取、土石の採取、車馬の

84 :
県知事の許可(特別地域)、命令景観条例及び景観計画(景観
法に基づく)富士市・富士宮市静岡市・忍野村・山中湖村エムゾネ
・富士河口湖町建築物の新築等、工作物の新設等、開発行為、
土石の採取・堆積等(高さ・色彩・形状を規制)市町村長への
届出勧告、指導・要請(問題があった場合)景観条例(自主条
例)富士吉田市建築の新築等市長への届出勧告、助言・指導土
地利エムゾネ用事業指導要綱裾野市・御殿場市・小山町

85 :
業市長・町長の承認森林法(保安林指定施業用件)保安林(土
砂流出防備保安林)(保健保安林)(水源涵養保安林)立木の
伐採(原則択抜※水源涵養保安林除く)県知事の許可砂防法(
静岡県砂防指エムゾネ定地管理条例)砂防指定地(富士宮市等)施
設又は工作物の新築等、竹木の伐採等、土地の形状変更、土石
の採取・集積又は投棄等県知事の許可海岸法三保松原(海岸の
水際線から50mの範囲)土石の採取、施設等の新設、土地の
掘削等海岸管理者(静エムゾネ岡県河川砂防管理室)の許可県有林
管理計画山梨県県有林なし(水土保全林)(森林と人との共生
林)立木の伐採皆伐〜禁伐59(資源の循環利用林)なお、緩
衝地帯の外側に広がる市街地のうち富士山の主要な眺望(北側
では河口湖・山中湖北部から眺エムゾネ望した富士山、南側では三
保松原から眺望した富士山)に若干の影響を及ぼす範囲につい
ては、日本政府が自主的に保護する範囲として「保全管理区域
」を設定している。F資産に影響する可能性がある個別の開発
計画企業立地促進法に基づく静岡県東部エムゾネ地域基本計画(静
岡県及び14市町)2009年2月策定市町村森林整備計画(
富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)2006年4
月策定e)資産の保存管理計画又はその他の保存管理体制構成
資産のうち、史跡又は特別名勝・名勝、特別天然エムゾネ記念物・
天然記念物に指定されている土地及びその範囲に立つ建造物(
重要文化財含む)については、1919年に制定された史蹟名
勝天然紀念物保存法及び1950年以降においては文化財保護
法に基づく段階的な指定により保護措置がとられ、史跡等エムゾネ
の管理団体である各市町村と静岡県・山梨県が個別に保存管理
計画を策定して適正な保存管理に当たっている。さらに、20
11年には、資産を構成する重要文化財、史跡、特別名勝又は
名勝、特別天然記念物又は天然記念物について、静

86 :
県がエムゾネ文化庁、所有者である宗教法人・個人、史跡等の管理
団体である各市町村との調整の下に構成資産の全体を対象とす
る包括的保存管理計画を策定し、保存管理全体の整合を図る予
定である。上記した各構成資産の保存管理計画の概要と資産全
体を対象とすエムゾネる包括的保存管理計画の全文については、本
推薦書付属資料−として添付している。1)保存管理計画各構
成資産の保存計画の策定状況については、本推薦書の7.資料
、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すとおりである。特
に静岡県・山梨県教育エムゾネ委員会は、文化庁及び関係各市町村
の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産富士山包括的保
存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総括的な保
存管理を行う予定である。包括的保存管理計画に定める基本方
針は、次の5点である(別添参エムゾネ考資料)。(1)構成資産
の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(3)
経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管理体
制の整備と運営包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に
基づき、管理団体である県・市町村が個エムゾネ々の重要文化財、
史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保
存管理計画を利用し、具体的で適切な保存管理に当たる予定で
ある。これらの保存管理計画を要約したものについては、付属
資料に示すとおりである(別添参考資料)。「富エムゾネ士山」を
総体として保全するためには、構成資産のみならず緩衝地帯を
も含め、資産に影響を及ぼす人工物などを適切に制御していく
必要がある。そのため、構成資産の本質的な価値に負の影響を
与える可能性のある人工物や開発については、たとえそれエムゾネ
が緩衝地帯におけるものであってもできる限り抑制することと
し、やむを得ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模
とするとともに、色彩等の観点から景観にも十分配

87 :
01年度より国内の大学の研究者及びイコモス会員を含む富士
山世界遺産両エムゾネ県協議会の助言者及び両県協議会も含まれる
予定である)の助言・指導に基づいて行われている保存・管理
技術は、高い水準を維持する予定である。重要文化財、史跡、
特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物を維持する
ための措置として簡単エムゾネな修理又は復旧を行う場合は、事前
の届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行っているため
、管理技術の水準はきわめて高く保たれている。資産の見回り
や清掃等の日常的な維持管理については、静岡県・山梨県教育
委員会から嘱託された文化財保エムゾネ護指導員(静岡県3名、山
梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)のほか、地域
住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。表
技術者の資質向上のために行われているおもな研修h)来訪者
の施設と統計構成資産の大部分は、周囲エムゾネに展開する景勝地
とともに日本を代表する優れた名所として国内のみならず海外
に広く知られており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自
然の姿を求めて来訪する観光客でにぎわい、現在も国内有数の
観光地となっている。図富士山への登山者数の推エムゾネ移(各登
山口推計登山者数)静岡県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計
吉田口合計図富士山への来訪者数の推移(7・8月における各
登山口五合目への入れ込み数推計)66図主な構成資産の来訪
者数の推移(推計等)富士山では、山頂へ7〜8月の登山エムゾネ
期に約29万人(1999〜2009年平均)が登山し、自動
車でアクセス可能な各登山道の「五合目」(自動車道建設以前
の五合目とは一致しないため「新五合目」と呼ばれる)には、
同期間に約250万人(1999〜2009年平均)が訪れ、
近年エムゾネは外国人がかなりの数を占めるようになっている(外
国人の数に関する統計は取られていないため、正確

88 :
明である)。富士山体においては、国内外から来訪する観光客
や登山者等の利用者の安全と利便を確保するとともに、秩序あ
る良好な風致エムゾネ景観を維持及び形成することを目的として、
「富士山における標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須
走口県計吉田口(年間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中
湖・忍野八三保松原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺
海周辺総合ガイドライエムゾネン」作成し、統一された

89 :
よる四ヶ国語(英・中・韓及び日)の道標や解説板を設置して
いるほか、富士山体の主として緩衝地帯には駐車場・トイレ・
資料館等の便益施設が整備されている。今後とも、適切な計画
の下に順次整備していくこととエムゾネしており、「ビジターセン
ター」などのガイダンス施設の充実も行われる予定である。自
動車による訪問者の管理については、土日や休日等登山者が突
出して増加する日に、仮設トイレ・臨時駐車場等を設置すると
ともに、登山用の自動車道は自家用車のエムゾネ通行(登山道ごと
に異なる、最も利用数の多い吉田口(富士スバルラインを利用
)で最大12日間)を規制しシャトルバスによる代替輸送を行
うことで環境への負荷と混雑を軽減するようにしている。この
日数は山麓の駐車場の整備に従い(2011年にエムゾネ吉田口に
1400台の駐車場を整備)今後拡大(吉田口で15日)する
予定である。登山者の安全管理については、4箇所の案内施設
(山頂、富士宮口、吉田口、富士スバルライン終点)と3箇所
の救護センター(富士宮口に1箇所、吉田口に2箇所)がエムゾネ
対応を行っている。南麓では静岡県によって30名の「富士登
山ナビゲーター」が登山指導・案内・通訳業務を行っており、
北麓では富士吉田市条例によって、登山下山の案内を行う約2
30名のガイドが「富士吉田市案内員組合」に登録している。
さらエムゾネに吉田口の山小屋では、民間の気象予報会社と連携し
山岳気象情報を共有している。事故に対しては県警察山岳救助
隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場合により自衛隊の
出動も要請する。また、気象条件が一般の登山を行うには危険
となる冬季はエムゾネ登山道・山小屋を閉鎖(山梨県側は10月初
旬、静岡県側は11月末より翌年7月初旬)することにより十
分な装備と経験を有する者以外の登山は不可能である。冬山登
山者は各登山口所轄警察署(御殿場署・富士宮署・

90 :
)に登山計画書の提出エムゾネを推奨されている(また、おおむね
11月末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道は閉鎖され、
山梨県側も積雪・凍結等の状況に応じて段階的に閉鎖される。
)山体以外の構成資産については、おおむね来訪者数に応じた
駐車場・トイレ等を整備しておエムゾネり、今後、これらをさらに
整備する予定が立てられている。i)資産の整備・活用に関す
る方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びその周辺を対
象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域住民による活
用の取組をも取り込んで計画的に実施しエムゾネている。こうした
諸計画に基づき、富士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉
田市歴史民俗博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博
物館」の活用や、富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニ
ーズに適切に対応する拠点の整備を検討するなどエムゾネ富士山の
適切な保全・管理・活用を図っていく。加えて、富士山につい
ての市民向け講座の開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体
験学習などの情報発信施策が定期的に実施されている。個別の
資産については、「遺跡」である特別名勝又は名勝、天然エムゾネ
記念物、史跡をはじめ「記念工作物」・「建造物群」である重
要文化財に指定されている建造物については、一部を除き所有
者・管理団体が年間を通じて一般に公開している。なお、登山
については、登山期間(基本的に7月1日〜8月31日)が公
開時エムゾネ期に当たる。この時期以外の登山も禁止されてはいな
いが、道路・山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件などによ
り専門家以外の登山は困難である。j)専門分野・技術・管理
に関する人的措置68静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を受け
た文化財保護エムゾネ指導員(以下、「指導員」という。)が定期
的に文化財を巡回・点検し、両県教育委員会に対して保護に関
する助言を行っている。静岡県・山梨県は、指導員

91 :
に基づき、所有者や関係市町村に対して文化財の保存管理に関
する指導を行っているエムゾネ。このように、将来的に良好な状態
の下に資産を維持していくための体制についても万全を期して
いる。6.経過観察(モニタリング)の体制a)保存状況を計
測するための主たる指標構成資産である「遺跡」・「記念工作
物」・「建造物群」をはじめ、エムゾネそれらの緩衝地帯について
は、顕著な普遍的価値の確実な保持、修理又は復旧、維持管理
、防災及び危機管理に関する体制の充実及び技術の向上を目的
として、4章に掲げた保全状況及び資産全体に与える影響に対
し、次に掲げる主な観点の下に適切な指エムゾネ標を設定し、定期
的かつ体系的な経過観察(モニタリング)を実施する予定であ
る。@「3.記載のための価値証明」に記された資産の価値と
真実性及び完全性が維持されているか。A「4.保全状況と資
産に与える影響」に記された諸要素(開発・環境エムゾネ問題・自
然災害・観光・その他)が資産とその緩衝地帯にどのような影
響を与えているか/与えたか。B「5.資産の保護と管理」に
関連して、資産とその緩衝地帯及びそれらを取り巻く周辺の広
い地域が、相互に呼応しつつ資産の顕著な普遍的価値に関エムゾネ
する知識を発信する場として適切な発展を遂げているか。設定
するおもな観察指標については、以下の表に示すとおりである
(予定)。表観察指標一覧表※斜字は富士山を守る指標(20
10年度改定予定)から指標周期記録組織(1)資産の視覚的
結aエムゾネ)視点場における景観阻害要因数毎年両県びつきの保
護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山環境教育開催数・
参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提供数毎
年両県c)主要地点での観光客の入込み数毎年両県d)登山者
数(5合目以エムゾネ上)毎年市町村e)登山者数(8合目以上)
毎年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐採

92 :
の整備形態〜)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の
数毎年両県b)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環
境省c)生活排水クリエムゾネーン処理数毎年両県(3)個別資産
の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量毎年両県a)自然公
園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積
毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(森林の整備
形態〜)毎年両県69d)廃棄エムゾネ物の不法投棄量

93 :
お、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法等に関する内容
の詳細については、本推薦書参考資料である包括的保存管理計
画において具体的に記述している。b)資産の経過観察(モニ
タリング)のための行政上の体制定期的エムゾネ報告を含む経過観
察(モニタリング)については、以下の表に示すように管理団
体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委員
会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行のた
めの作業指針』(2008年)第5章に基づき、エムゾネ年度ごと
に情報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ご
とに保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通
じて世界遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタ
リング体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名エムゾネ
資産及び緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文
化庁組織代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名:
記念物課課長3.指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県
教育委員会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長
:山エムゾネ梨県教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺
産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況
報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされる諸事項に
関し、現時点及び過去における資料・情報については、静岡県
・山梨県・及エムゾネび資産の所在する市町の下に適切に収集・保
管されている。それらの一覧表については、以下のとおりであ
る。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報)
番号編著者標題対象資産年要約707.資料a)写真・スライ
ド・画像一覧表Noフエムゾネォーマット標題撮影年月撮影者・編
集者著作権保持者著作権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護の
ための指定に関する文書などc)資産関連資料d)資産管理機
関住所e)参考文献8.連絡先a)申請書作成者連

94 :
理組織・官庁c)その他の組織エムゾネd)公式ウェブサイト9.
署名構成資産の分析(1)番号構成資産候補名所在市町村文化
財指定状況保存管理計画策定状況H21.10.30学術委員
会評価分析結果備考富士山両県未着手分析結果A:富士山の価
値を証明するのに必須の資産C:富士山エムゾネの価値を証明する
のに不可欠ではない資産平成21年10月30日の各県学術委
員会(両県合同開催)での評価A:顕著な普遍的価値を有する
資産B:顕著な普遍的価値についてさらに調査等が必要な資産
C:顕著な普遍的価値を有しない可能性がある資エムゾネ産保留:
評価を保留平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨
県学術委員会資料3世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原
案−1−世界文化遺産富士山包括的保存管理計画原案目次第1
章目的と経緯1目的2計画策定の経緯(1)各県におけるエムゾネ
検討の経緯(2)学術委員会・保存管理計画検討部会組織3計
画の位置付け(1)行政計画との関連・連携(2)計画の実施
第2章構成資産の概要1構成資産の一覧2資産及び緩衝地帯等
の範囲3構成資産の概要(1)富士山山体及び登山道A富士山
A1エムゾネ山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山
道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神
社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B1富士山本宮浅
間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B
5冨士浅間神エムゾネ社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B
8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津
胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人
穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保松原第3章保
存管理の基本方針1顕エムゾネ著な普遍的価値及び周辺環境等を構
成する諸要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素@富士
山山体及び登山道A信仰B眺望(2)顕著な普遍的

95 :
する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、植栽樹木
B社寺の境内に含まれる歴史的エムゾネな建造物及び工作物等以外
の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境を構
成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2保存管
理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺環境
を含めた一体的な保全(3)経過観察のエムゾネ実施(4)整備・
公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資
産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2)
信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の
制限についての考え方(2)地区区分についてのエムゾネ考え方(
3)指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1
種保護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章
緩衝地帯の保存管理1現状の把握2保存管理の基本的な考え方
(1)緩衝地帯の設定と行為規制(2)都市計画との調整エムゾネ
(3)住民生活との調和3具体的な施策第6章経過観察の実施
1顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要素2負の影響を与
える要因の観察第7章整備・公開・活用1基本方針2整備と公
開・活用第8章保存管理体制の整備と運営1保存管理体制の整
備とエムゾネ役割分担2地域住民等との連携・協働3持続的運営の
ための定期的確認付章1保存管理に関する事業計画一覧表−4
−第1章目的と経緯1目的富士山は、日本を代表し象徴する日
本最高峰の秀麗な円錐形成層火山として世界的に著名であり、
日本人の自然エムゾネに対する信仰の在り方や日本に独自の芸術文
化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の在り方及び芸
術活動などを通じ、時代を超えて、一国の文化の諸相と極めて
深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず
、人間と自然との良好エムゾネで継続的な関係を示す景観の傑出し
た類型として、世界的にも比類なき顕著な普遍的価

96 :
岳であり、世界文化遺産に値するものである。富士山は、有史
以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形の独立
成層火山であり、その山体は南エムゾネの駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強
く秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代から現代に
至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成さエムゾネれ、山

97 :
なった比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目
以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分
布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形など
は、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてエムゾネきた。日
本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命
脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士
登山の特徴を成している。このように、富士山は日本人の自然
に対する信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化エムゾネ
的伝統を表す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示
す傑出した類型となっている。また、富士山の秀麗な姿は古く
から芸術活動の対象となり、その結果生み出された「万葉集」
の和歌などの文学作品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作
品はエムゾネ、日本国内のみならず海外にも広く知られ、様々な影
響を与えてきた。それらの作品群は、地球上の特定の地域にお
いて独自の文化的伝統が形成・発展するのに当たり、富士山が
重要な源泉となった極めて強力な関連性であることを示してい
る。このようエムゾネな価値をもつ「富士山」の構成資産は、山梨
県と静岡県の二県にまたがって分布している。これら一連の構
成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確実に保存し、
確実に次世代へと継承するためには、両県共通の考え方を基に
、各構成資産全体を一エムゾネつの資産として包括的に保存管理し
ていくための方法を整理していく必要があることから、個別の
構成資産についての保存管理計画に加え、構成資産相互の関係
性を保全し全体の価値を継承していくための包括的な保存管理
計画を策定しておくことが必要エムゾネである。そのため、山梨県
・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市町村、
関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山」包
括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存

98 :
観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各エムゾネ市町村)整備計画
等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的
保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎と
し、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備
に係る理念・基本方針とその具体的内容についてエムゾネ明示する
ため、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員
会及び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。
学識経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管
理計画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置したエムゾネ
。原案を検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通
認識を得るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェ
クトチーム」(表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会
議」(表)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効
果的エムゾネかつ確実な保存管理を行うためには、地元関係者など
幅広い方々の協力・助言が不可欠であることから、関係自治体
・地域住民・観光関係者・神社関係者などで構成する「山梨県
保存管理計画策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力
者部会」を設エムゾネ置し、連携を図った。さらに、二県学術委員
会のもとに設置した「包括的保存管理計画検討部会」における
検討とあわせ、文化庁の指導・助言の下、201■年■月に策
定した。(1)各県における検討の経緯両県の経緯(包括的保
存管理計画検討部会とエムゾネ学術委員会)2007年11月29
日平成19年第1回包括的保存管理計画検討部会・包括保存管
理計画の必要性・国内の世界遺産における包括的保存管理計画
の事例2007年12月26日平成19年第2回包括的保存管
理計画検討部会・目的と経緯・エムゾネ構成資産の概要・保存管理
の包括的な基本方針2008年3月17日平成19年度第2回
学術委員会・包括的保存管理計画検討部会の審議結

99 :
年6月19日平成20年度第1回包括的保存管理計画検討部会
−6−・包括的保存管理計画の役割・構エムゾネ成要素と本質的価
値の明確化2009年5月20日平成21年度第1回包括的保
存管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、
緩衝地帯、保存管理区域について2010年3月19日平成2
1年度第2回学術委員会・保存管理計画の考え方エムゾネについて
山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1回山梨県保
存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年12月9
日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県保
存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議エムゾネ
結果・山梨県保存管理計画の基本方針2008年2月21日平
成19年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・各県保存管理計
画検討部会の審議結果2008年4月16、17日現地調査2
008年5月1日平成20年度山梨県保存管理計画策定ワーキ
ングエムゾネ・山梨県保存管理計画の策定について2008年6月
10日現地調査2008年6月30日現地調査2008年7月
22日平成20年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・構成
要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法と考え方2009
年4月24日エムゾネ平成21年度第1回山梨県保存管理計画策定
協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状について・山梨
県保存管理計画策定協力者会議について2009年6月19日
平成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会・各資産候補
の概要について・構成エムゾネ資産、緩衝地帯、保存管理区域につ
いて2009年8月26日平成21年度山梨県保存管理計画策
定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況について
・山梨県保存管理計画の策定について2010年3月16日平
成21年度第3回山梨県・静岡エムゾネ県学術委員会・保存管理計
画の考え方について2010年6月30日平成22

100 :
山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日
平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計
画について−7−2008年1月23日エムゾネ現地調査2008
年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会
・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計
画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・
静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会のエムゾ


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