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【第三十七回】太平記part.37『正成自刃』


1 :2019/06/13 〜 最終レス :2019/10/25
第三十七回「正成自刃」
http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki37.html


前スレ
【第三十六回】太平記part.36『湊川の決戦』
https://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/nhkdrama/1549600341/

2 :
>>1
太平言乙

3 :
>>1


4 :
>>1  ようご決断なされましたな 乙。

5 :
>>1

足利直冬  乙

6 :
次の世も、いや七生までも生まれ変わって>>1を乙しとうございます!

7 :
正成自刃

8 :
正成自刃

9 :
>>1
洞院公賢が出てたんだな。
賢俊も三宝院賢俊の名前で出てた。

10 :
肥前松浦党、草野秀永ーっ!>>1を、乙ったりーっ!

11 :
今こそ置き文を皆で読もうではないか
「タダヨシ ヲ コロセ
 モモノイ ヲ ツブセ」

12 :
楠正成で大河やろうぜ

13 :
>>10
英永じゃなかった?

14 :
たぶんこの大河ドラマ版の太平記が最高すぎてこれからもし太平記のドラマが作られてもきっとこれは越えられないんだろうなと思う

15 :
肥前松浦党といえば大河ドラマ北条時宗

16 :
>>11
それは、最明寺殿…

17 :
気持ちで北条殿は倒せませぬ!

18 :
つべで見てるが公家共の嫌味のねちっこいことw

19 :
>>17
美しい者では長崎殿は倒せん
美しいだけではの

20 :
「コロセ・・・コロセ・・・」の念仏と言えば北条時宗の時の金色ケンワタナベ

21 :
だから上で最明寺殿いうとるやん……

22 :
最明寺入道殿を知らないのか

23 :
長命寺と道明寺なら知ってる。

24 :
最明寺入道殿は高時入道の曾祖父だな

25 :
義昭は滝藤賢一か

26 :
麒麟は太平記脚本か
判官殿みたいなムードメーカーが欲しいがいるんかね

27 :
吉田鋼太郎の松永弾正だな

28 :
>>11
正成、今の議、朕は聞かざりしこととするぞ!

29 :
あなや! 帝の御前ぞ。方々、ご用心あるべし

30 :
sageろよゴミくず共

31 :
>>29
綺麗な場面だったな
後醍醐も日野も美男子

32 :
出羽と越後と佐渡に津波ががが。越後新田党が

33 :
佐渡と言えば
承久の乱の順徳天皇
北条時宗に反発した日蓮
足利氏に反発した世阿弥

34 :
金鉱山の囚人労働

35 :
佐渡の守護職は北条氏だったかな

36 :
炎立つ 内裏 左近衛の陣
https://youtu.be/sIvTs-Y3Ye4

【小河ドラマ - 坊門清忠】
https://youtu.be/RvH-RDN_rkQ

藤原の血が脈々と受け継がれているねw

37 :
youtube なんて晒すなよゴミくず

38 :
藤木は藤が入ってるし先祖は藤原氏かもなw

39 :
公家なんて大半が藤原氏の流れでしょ?

40 :
分家しまくった上に、嫁や養子で藤原以外の氏族にもしこたま種を仕込みまくってるから
皇室含めてほぼ八割行くもんなあ。

41 :
>>38
藤木じゃなく
遠藤だよ

42 :
藤木じゃなくて遠藤?どゆこと??

43 :
本名と芸名では?

44 :
そういや田中裕子が標準語話してるドラマ見たことないわ

薩摩弁と山形弁

45 :
六平さんは鎌倉武士として転生してるね

46 :
正成自刃

47 :
徳川や秀吉・信長を以外の武士で、
正一位を授かったのは
正成と新田義貞くらいしかいない。
足利は独りもいない。
足利ざまぁみろ。

48 :
死後の顕彰で喜ぶのは子孫だけ

49 :
楠正成の存命中は従五位。
新田義貞は正四位。
2人とも明治政府の策略で飛び級昇進。
ちなみに尊氏存命中は正二位。

50 :
義貞を誅伐せられて尊氏卿を召しかへされて、君臣和睦候へかし

51 :
猿岩石きたー

52 :
 すいません 誤爆です

53 :
楠一族はいくらなんでも出自が不明すぎてあやしすぎる

54 :
被害者は小笠原さんと赤松さんか

55 :
高時はとうは思わぬ

56 :
>>53
そこは赤松や名和も同じw

57 :
悪党から成り上がりは
楠だけか

58 :
名和は悪党じゃね?
赤松も地頭職持ちながら悪党に分類されることが多いな、
定義は何よ

59 :
>>57
楠木氏も元御家人、得宗被官が最近の有力説じゃない

60 :
名和は長高だから高の字もらってるしそこらの悪党ではなかろう

61 :
何回も言っているが
三河の名族たる足助氏、足助重範の生母は楠木正成の叔母さん

要するに楠木正成と足助重範は従兄弟なわけだ 

ここに出自を探る鍵がある 

1331年の第一回目の挙兵に失敗して三河県豊田市に逃げてきたわけだが、そこの旧地名は楠村 


足助氏と繋がりがある点で、普通の家康ではないわけだが
北条だとか言っているんじゃ、何時までも見えてこない

62 :
名和は伯耆あたりの海運業者の元締めだろ

63 :
>>58
地頭職って、赤松は鎌倉幕府の御家人だったのか?

64 :
まーた三河屋かw

65 :
>>63
赤松は御家人で宮方に応じる前は六波羅の采配を受けていた希ガス

66 :
正成自刃

67 :
北条ガー
得宗被官ガー

いかにピントがズレているかだよな

足助氏は頼家の正室を輩出し、将軍以外では唯一昇殿が出来、北条が手を出せなかった名族
その足助氏に楠木正成の叔母が嫁入りした事実は、何にもまして出自を探る鍵がある

足助氏には安達盛長の娘が嫁入りし、霜月騒動当時、尾張の那古野荘の地頭だった足助氏の嫁(楠木正成の叔母とと同年代か?)は安達一族だった

つまり河内の安達氏の所領は、得宗被官としてではなく、この縁故で獲得した可能性もあるのである

68 :
楠木正成の書状がいくつか残ってるよね
そのうち一つを見たことがあるけど、字がすごくうまいのと
字の置き方と余白のつくり方のセンスが素晴らしかった

自分は人の書を読むのが結構好きで、天皇家から光明皇后から、
東博で茶の湯展とかあっても、高位の禅僧の墨蹟ばっかりついつい見ちゃうんだけど、
過去いろいろ見た中で、楠木正成の書に一番うなってしまった。
運びが柔らかだし、墨の濃淡もなかなか。人柄だろうね
明らかに、教養ある裕福な家の出という感じ。

過去見た中で、味わいもなく、くっそ下手だったのが千利休。
性格の悪さとバランスの悪さが前面に。そこはやはり堺の商人あがりかと。

69 :
もちろん空海の風信帖やら最澄やら,
三筆三蹟も穴のあくほど見たことあるんだけど、
楠木正成の人間性だけじゃなく、その知性とセンス・・・
本当に、さすがと思った。

70 :
他者の代筆を疑わないのか?佑筆に書かせて署名だけってザラだぜ。

71 :
https://i.imgur.com/W9oKRMN.jpg
ーー☆

72 :
尊氏はとらわれない自由な書体
さすが将軍

73 :
尊氏は達筆と下手クソの波多し
直義はやはり硬い
師直は適当
後醍醐天皇は以外に下手
貞氏はマジ達筆

いろいろな古文書を観た感想

74 :
恵源の親父殿が亡くなっている

75 :
遺影

76 :
アタックチャンスが言った「虎を野に放つ」って日本書紀で天智天皇の側近が(出家して吉野に行った)大海人皇子(のち天武天皇)のことを指していったものが語源だったんだね

77 :
さすが、金沢殿は博識だね

78 :
尊氏の直筆は漢字が極端に少なくボキャブラリーも貧弱。
当時は武家の棟梁でもこんなものなのか・・・?

79 :
ちなみにこれが最近見つかった尊氏直筆の文書
https://www.sankei.com/photo/daily/news/190301/dly1903010021-n1.html

80 :
綺麗な字じゃん

81 :
>>78
何も知らないのね。

82 :
知らないとは?

83 :
ショーケンが高橋是清に転生してたな

84 :
そういえば何かの大河では明智光秀に転生していたなw

85 :
そろそろ足利十五代将軍展だなあ

86 :
今頃放映するってことはずいぶんゆるいスケジュールで撮ってるんだな。
太平記なんて楠公が「ボクは死にまっしぇん!」と日替わりで転生しててスケジュール大変だったそうじゃないか。

87 :
>>78 
文治は直義に委任してたから
武芸の尊氏に語彙が伴わんでも仕方ないが…




     ==
第十五回  高氏と正成


公宗 『…これは治部大輔どの…、戦(いくさば)場でもあるまいに、そのむさむさした格好立ち…、』


――大納言様!足利殿は先ほど伊賀よりお戻りなられた由ゆえに、、、


公宗 『然れば着替えて出仕いたせばよきものを、、同じ坂東武士でも、得宗殿と足利殿では人と犬ほども作法が落ちられる…、、』


高氏 『……、』
 

88 :
>>80
だな。
尊氏自筆と言えば
篠村八幡宮文書や清水寺願文や鑁阿寺文書、
宇治川御判御教書とか結城三河守感謝状とかあるけど、
どれも味わい深い。
やはり源氏の棟梁だけある。

89 :
>>86
放映って再放送でもするの?

90 :
韋駄天だろ。馬鹿に説明するのは疲れるよ

91 :
正成自刃

92 :
>>87
何も見た事ないのね。
恥ずかしい事だよね。

93 :
尊氏はボキャ貧

94 :
尊氏は戦しか能がないアホと違うで
https://www.youtube.com/watch?v=if48AIqa37M

95 :
貞氏倒れた第9回辺りで必死に文書書き上げてたかな

あと後半回で菩薩かなにかの筆絵を
前半の高時の筆絵場面の懐古的な演じ…

96 :
https://www.youtube.com/watch?v=aGlArur7aeQ
お地蔵さんだよ
登子の台詞もいいよ

97 :
台詞はいいけど、登子やっぱり演技は大根だね。
それをそこそこ見れる仕上がりにしてしまうのが、この大河の凄さだけどさ。

98 :
坊門、最後はどうなったのかな

99 :
吉野で寂しく没した

100 :
>>96
映像右の文書も地蔵絵も
尊氏自筆ではないと思う
直義か家来の代筆だろ
ボキャ貧でひらがなしか知らない
尊氏のわけがない

101 :
葵の次は太平記の再放送がきますように七夕にお願いしました

102 :
>>100
手本があって、そこから書き写すくらいなら出来るだろw

103 :
流石に黙ってオレについて来いでは、
源氏の棟梁も将軍職も
務まらないと思う。

104 :
かきすつる藻屑なりとも
 このたびはかへらでとまれ 和歌の浦波

         源高氏

105 :
>>102
だよな
尊氏は漢字も知らぬ
ボキャ貧

106 :
尊氏なんて無能、どうでもいいじゃないw

107 :
尊氏みんなに愛されとるなあ(笑)

108 :
足利三兄弟
毛利三兄弟
高嶋三兄弟

109 :
さっき国会図書館の雑誌デジタル記事で在りし日の高嶋長男の写真を偶然見たばかりなんだが…

110 :
正成自刃

111 :
このドラマがBS再放送されない理由って何?

今上天皇の祖先の南朝に弓引いた主役だから?
ならば西郷や会津も同じ位置づけだから理由としては弱い

おっぱいシーンが不適切なら最悪カットしてもいい程度だし

112 :
字幕付きで見たいお…

113 :
後醍醐が京都放棄の決断が出来なかったのは立場的な弱さもあったんだよな

114 :
>>111
あのー皇統は北朝系なんですが…

115 :
かじゃはめもけに〜とか差別的な表現がちょこちょこあるから

116 :
だからどうした

117 :
>>115
冠者は妻設けに来にけるや

どこが差別??
ファミリー劇場では百姓にピーが入ってたけど

118 :
冠者は寝ぼけに金蹴るや〜♪

119 :
色々と芸能事務所の意向も絡んでるかもね

120 :
金蹴るやだと思ってたw

121 :
>>113
いやいや
坊門の愚策も愚策と
正成を責める意見に
後醍醐は賛同したと思うよ。

122 :
それ以前に、足利と和睦せよと言われて癪にさわったから、楠木の提言を無視したのでは?

123 :
尊氏が武家の棟梁と目されるようになったのはいつからか?建武の新政で鎮守府将軍になってから?

124 :
氏の長者は北畠から譲られた赤松じゃないか

125 :
源氏の長者、義満以前は村上源氏の久我氏

126 :
赤松なんて、円心以前の系図は実際のところ、かなり怪しいわけでw

127 :
有馬記念もプロ野球(当主が球団オーナー&大政翼賛会幹部だったおかげで戦時下でも開催できた)も有馬流赤松氏あってこそ
つまり円心のおかげ

128 :
中山グランプリ

129 :
>>122
それと新田義貞を全否定し
見切った方がいいと
怒る正成であった

130 :
戦略としては合ってるけど根っこの後醍醐と尊氏の哲学が合わないからね

131 :
後醍醐はもともと自分の子供に皇位を継がせたいがためにクーデター起こしたようなもんなのに
奇跡的にうまいこと言って調子に乗りすぎたんだな
足利のもとで成良親王に皇位を継がせておけばよかったのにさ

132 :
湊川の決戦

133 :
>>123
六波羅陥落して後醍醐帝が都に戻ってきたときは既に棟梁同然だったようだ
鎌倉陥落後の新田はワンチャンあったと思うんだが、二か月後に義詮に全部もっていかれた

あの時期にどんな行動をとっていたら京の足利、鎌倉の新田になれたのか

134 :
鎌倉幕府の旧御家人たちが自分らよりはるかに格下と思ってるであろう
新田に従う義理はないからどうやっても無理じゃない

135 :
足利三兄弟
毛利三兄弟
高嶋三兄弟
田村三兄弟
中村橋之助三兄弟

136 :
とうこ、わかごりょうを暗殺。これを北条の残党の仕業とする。
京の巨乳廉子に密書を送りまくり、公家一統の政治万歳と追従する。
それから、大塔の宮が信頼できんとかそれとなくディスり、廉子の皇
子を一人鎌倉に送ってちょうよと懇願する。
廉子マンセーしながら帝によしなにと、あくまで廉子に取り次いで貰
う体裁をとる。

137 :
こう考えることもできる。義貞は足利一門で若君千寿王の後見で鎌倉を陥とした。六波羅、鎌倉の陥落は足利一党により達成されたと。この2つの圧倒的な武功により足利は武門の棟梁に押し上げられたと。
こっちのほうが自然な流れよな。

138 :
鎌倉攻めの総大将はあくまで千寿王、義貞と岩松経家がその陣代というのが、真相でしょ?

139 :
>>130
戦略が合っているって
どういう事?

140 :
>>139
上のレスにあるように正成の献策を入れて足利と和睦

141 :
宮方の侍大将なんて長くは続かないだろ。
ドラマで尊氏が後醍醐に言っている。
仮に義貞が時代の覇者になったとしましょう。次には幕府を創るに決まっています。武士とはそういうものです。
とな。

142 :
>>137
違うつーの、何回言っても分からん奴だな、鎌倉期を通して源氏の棟梁とみなされていた
足利氏の貴種性とは、三河で源頼朝と繋がっている事によるもの

北条はコレを恐れ続け、足利との姻戚関係を望んだ


三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)         ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む

143 :
幹部を頼朝が信頼する三河の母方縁者でガッチリ固めていたのは、北条も周知の事であり
安達盛長が頼朝に政子を紹介したように、実は北条も三河縁者であった
幕府を牛耳る立場になっても、このネットワークを乗り越えられず、結局はこのネットワークの頭だった足利に滅ぼされたのだよ



三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)

【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)

■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系

■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系

■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)

■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)

■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹

■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田)

144 :
三河屋に安価されるなんて可哀想

145 :
>>140
それはないわ

146 :
新田が鎌倉の主の可能性を探ってみたが、なかったわ/(^o^)\
それこそ時代が変わらないと無理。家康パターンしかない

147 :
義詮を籠絡して後の上杉状態になるとか

籠絡って変換候補に出てこないんだな

148 :
めっちゃ出てきたよ

149 :
>>146
家康の場合は、織田政権下での天下人の盟友としての立場、
豊臣政権下での事実上の関東の主&五大老筆頭という立場によって、
大きく権威付けされた上での天下取りだからなぁ。
いくら戦国期とはいえ、これらの段階を踏まなければ一大名レベルより上昇することは、
難しかっただろうね。

150 :
>>147
上杉はあくまで公方を補佐する管領(執事)だからなぁ。
自らが関東の主というわけではないし・・・。

151 :
どう見ても、家康は足利将軍家サイドの人間だが
奉公衆を管理していたのは政所だと思われるが、松平はその政所の御物奉行の家だ

本能寺の変の黒幕が家康だとすると、信長と秀吉の嫁と息子は、三河に逆らった刑で、真っ黒けの炭にされたわけだな

三英傑とやらで、家康を信長と猿吉を一括してはいけない
一英傑(家康)ニ間抜け(信長、猿吉)が正しい


室町幕府 三河国の日本支配構造

【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数

・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏

三河国の奉公衆一覧(全52家)

【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和

152 :
三河の家康は三河の足利将軍家サイドの人間で、室町幕府の最後のラスボスなわけだ

室町幕府を滅ぼす、天下を取るとは、室町幕府の最後のラスボス、家康を滅ぼして、初めて成立する

にも関わらずだ、そのラスボスを盟友と言ってみたり、五大老の幹部として温存させてしまうのは、流石は間抜け尾張の田舎者と言うしかない

153 :
三河屋の牽強付会ぶりったらw

154 :
>>150
こういうのを見ると北条の統制は上手かったんだなあと感心する。
関東の争乱を鎮めた伊勢新九郎も優秀

155 :
室町初期から中期の
将軍家と鎌倉公方の長年の戦を利用して
鎌倉公方を落として
関東支配できたのに
室町後期で戦国初期でも
立ち回りが下手くそ
新参者の伊勢北条にやられるとは
つくづく上杉家は残念

156 :
後北条も表向きは公方を推戴する形で関東の支配を進めたわけで、その点では上杉と同じ。
そもそも関東における管領=執権という認識から北条苗字を名乗っているわけだし。

157 :
伊勢北条は鎌倉公方ではなく堀越公方

158 :
堀越公方は推戴したのではなく滅ぼしたのでは?

159 :
成氏のアグレッシブさって凄い
おやじの持氏より戦つよいし

160 :
実は成氏って歴代の関東公方のなかで最も長命な人物じゃなかったっけ?

161 :
久し振りに観たくなったのでDVD出してきた
3連休中に完走するつもり

162 :
持氏と義教の対立に
右往左往する上杉憲実
この時期は面白い
持氏最期の画も鬼気迫るものがある

163 :
義政でもなく義視でなく政知の子孫が将軍に就くとか面白いよね

164 :
>>163
義政も義視も子孫が絶えている以上、仕方ないよ。

165 :
>>153
しかも三河屋って、都合が悪くなると逃げるしなw
未だに松下禅尼と足利頼氏が血縁的にどう繋がるのか、納得いく説明はないしw

166 :
正成自刃

167 :
三河屋にも自刃して欲しいw

168 :
関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏
名著なり

169 :
>>167
打ち首が妥当

170 :
鎌倉公方〜古河公方は結局最後まで将軍から偏諱を貰ってたんやね
成氏とか藤氏あたりはぱっと見、分りづらいけども

171 :
あと高基の前名の高氏っていうのは幾ら偏諱でもどうかと思う(´・ω・`)

172 :
茶々丸さんが生きてれば、丸く収まってた

173 :
鎌倉公方は、将軍から任命される正式な幕府の役職ではなく、鎌倉を留守にしている将軍の代理に過ぎない。
「鎌倉殿(公方)」の当初の正式な役職名は「関東管領」であり、上杉氏は「執事」であったが、やがて執事家が関東管領となり、本来の「関東管領家」が「鎌倉(関東)公方」となった。

なお「鎌倉公方」は鎌倉公方の自称、あるいは歴史学用語であり、当時の一般呼称ではなかった。当時は鎌倉御所ないし鎌倉殿と呼ばれていた。

174 :
というか鎌倉を留守にする将軍の代理という点では、厳密な意味での初代鎌倉公方は義詮。
ただ義詮は、京都に移った後も暫くの間は「鎌倉殿」と呼ばれているから、
最終的に鎌倉殿=鎌倉公方の意味になるのは、尊氏の死後。

関東執事→関東管領の呼称の変更も、京都の幕府本体における執事→管領の呼称の変更と
対応しているから、やはり尊氏死後の義詮期の話。
また管領・関東管領に呼称が変わる前の執事・関東執事も、幕府の職制というよりは
鎌倉期から続く足利宗家の私的な執事といったほうが妥当。

175 :
クジ引きの義教より、
鎌倉足利家が血統的にも将軍職にふさわしかった。

176 :
>>175
それはないw

177 :
それを言うなら赤松が擁立した直冬の子孫の方が

178 :
鎌倉公方を将軍にたてようものならば義満の直系が全力で反対するわな。感応の擾乱以上の大乱になること間違いなし

179 :
徳川綱吉が死んだあと、甥の家宣がいるのに、分家してから紀州の吉宗が将軍になれたはずもないのと同じようなもんやね
まだ吉宗の方が分家してから3代目だから持氏のケースより将軍宗家に血が近いくらい

180 :
>>179
足利将軍家は嫡男以外は出家させていた
くじ引きした義持の弟4人も全員出家して僧になっており
義教は天台座主まで勤めたのに将軍になるために還俗した
出家は俗世での出世は望まない意思の表れだったから
(嫡男に対して他意がない)家宣のケースとはちょっと違う

181 :
>>176
でも将軍は義政ではなく持氏。
の上皇の院宣が出たんだよ。

182 :
>>181
なんで持氏と義政が同じタイムライン上に現れるんだよ大丈夫か?w

183 :
義政じゃなくて義教だろ。その院宣は噂の域を出ない。持氏に対する治罰綸旨は史実で持氏は朝敵だ。
義教って義満の実子だぜ。母ちゃんは側室だけど一応藤原氏だし。持氏が義教に血統で勝ってるとこなんて1つもないんだけど。還俗は義満の愛息義嗣の先例があるから何ら問題ではない。
義教持氏の時代って尊氏義詮はすでに過去の人で室町殿と呼ばれた義満の影響が大きい。室町殿は公武に君臨した絶対権力。その実子義教の将軍就任に反対したのは持氏ただ一人だろ。

184 :
実際には6代将軍を青蓮院義円(義教)にすることは、義持の存命中から決まっていた
既定路線で、あの籤引き自体が茶番だという説が有力だけどな。
そもそも籤引きの対象となった4人のなかで、義持と同母なのは義教だけなわけでw

無論、義満には正室所生の子がいないから、義持・義教の生母も、他の3人の生母も、
いずれも側室だけど、側室のなかにもランクがある。
これは、後に義教の子供のなかで義政・義視よりも年上の政知が、彼らより下位に
置かれていることからも分かる。
義勝・義政・義視の生母も、政知の生母も、どちらも義教の側室だけどね。

185 :
>>181
その院宣は持氏がしかけたガセ。
持氏も義教に似たサイコパス。
その義教は義満の独裁型政治に憧れて、
義持の公家・僧侶や大名や鎌倉公方との
仲良し政治を破壊。
そのまた義持は義満大嫌いで尊氏・義詮の政治に憧れていた。
らしい。

186 :
義持が義満の花の御所(室町殿)を嫌って、義詮が直義から受け継いで使っていた
三条坊門殿を好んだのは事実のようだが、鎌倉公方と仲良しだったというのは疑問だな。

上杉禅秀の乱の際に義持が持氏を保護したのは、禅秀が義嗣と繋がっていたからだし、
その後は鎌倉府の力を削ぐために東国の有力武家を幕府直属の京都扶持衆に組み入れる
ことを積極的にやっている。

187 :
京都扶持衆の方々ってなんだか報われない立場よね(´・ω・`)

188 :
>>170
政氏に関しては、元服当初からこの名前だったのか、若干疑問だけどね。
生年から考えると、政氏が元服する頃はまだ享徳の乱の最中で、古河公方の嫡子が義政から偏諱を貰えたとは思えない。

189 :
持氏は調べれば調べるほどいい年して分別のない駄々っ子だな。無能尊氏といい勝負じゃん

190 :
尊氏は背中の出来物が原因で死に、4代将軍の義持は尻にできた出来物をかき壊した傷が原因で死んだ。
将軍が出来物の悪化で死んでしまうとは。やはり抗生物質は偉大だな。

191 :
家康は施術と気合いで治したぞ背中の腫物

192 :
>>189
持氏は禅秀の乱のときに、将軍家に助けてもらった恩義を忘れて、幕府に叛いたのだから、あの結末は当然だろう。

193 :
>>187
京都扶持衆って、公方・守護・探題などの地域権力から独立した存在で、将軍に直属する
武家という点では、在京義務のない奉公衆みたいなものか?

194 :
こう見ると、江戸幕府は完璧だよね

195 :
そもそも時代背景が全然違う江戸幕府と比較しようという発想が意味不明なんだが

196 :
京都扶持衆は正体バレバレのスパイってイメージがあるw
いつ殺される(攻められる)かわからない

197 :
話を太平記に戻すけど呉座や亀田の著作読んで思ったんだが
直義破滅の原因って打出が浜の後に高一族をほぼ皆殺しにしてしまった事だよな
師直、師泰兄弟までは尊氏も認めていた節もあるが一族虐殺となると話は別でしょ
足利家の初代から200年以上代々家宰を勤めてきた譜代中の譜代の家柄を事実上
根絶やしにしてしまったわけでその衝撃って相当だと思うよ
師直自身の功績も相当デカイし、些か調子に乗っていた部分まで考慮に入れても
一族郎党皆殺しの目に遭うような事はしてない
他の足利家の家臣や分家からしても功績を上げても逆らえば
一族全滅の憂き目に遭うなら、直義に付いていくのはリスクが高過ぎるしな

198 :
族滅とはいえ自分の側近ね高師秋一族は助けてるからな。
高一族の内紛という見方もある

199 :
高は師直が生き残ってたら管領になれたのにな。時が過ぎれば関東で大好きな下剋上ができたかも

200 :
>>196
勝手に京都扶持衆を討ったら、それこそ幕府への反逆と見なされるだろうけどな。

>>199
師直はそもそも管領の前身である執事だけど、ある意味、高一族が滅んで、尊氏・直義の
二頭体制も崩壊した結果として、管領のポストができるイメージだから、高一族が無傷なら
そもそも管領の制度ができたかどうか・・・。

201 :
師秋とかおるんかい。春夏秋冬制覇やな

202 :
高一族の春夏秋冬制覇は、太平記ヲタ的には結構知られた話だよ。

203 :
>>200
新ポストと言うより
執事も管領も職務は大体同じでは?

204 :
タダヨシとモロナオ。直の読みで決裂する

205 :
>>203
執事は幕府の役職というより鎌倉時代以来の足利宗家の私的な執事という面が強い。

そして二頭体制下では直義が担っていた(鎌倉時代には執権が担っていた)権限を将軍に
一元化した上で、それらを全体的に補佐する役職として、執事を発展させる形で
置かれたのが管領。

だから例えば所務(所領関係の裁判)など、師直段階の執事は基本的に関与しなかったが、
管領はしっかり関与している。

206 :
>>197
上杉能憲の先走り汁のせい

207 :
>>206
でも上杉能憲は後に優秀な関東管領になるんだよな・・・w

208 :
>>206
実際は能憲じゃないんだけどねw

209 :
上杉一族は何故みんな直義派なのか?

210 :
>>205
あのね
そんな浅い事は
このスレの住人なら
みんな知っているよ

211 :

ドラマ板で玄人気取りの痛いひとか

212 :
>>94
黒幕は石塔頼房か?上杉能憲、死罪www

213 :
正成自刃

214 :
当事者(三河人)の意見を求める癖を付けなあかんな
色々御託を並べているようだが、部外者に分かるのか?

師行ー師秋については、一覧を眺めて見ろ、ヒントが隠されているわな


高氏所領
・三河国額田郡菅生郷、三河国額田郡比志賀郷、三河国額田郡政所、三河国額田郡矢作東宿、三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)

■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(三河県岡崎市)郷司
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲る(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(三河県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進する

■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷郷司
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(三河県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する

■高師兼(室町幕府最初の三河守護) 
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔 
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)

■貞円 
・父は高師重、高師直・高師泰の弟 
・滝山寺(三河県岡崎市)大勧進

■三郎 
・父は高師秋
・滝山寺(三河県岡崎市)僧

■明阿 
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直の養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(三河県岡崎市)に総持寺を建立する
・三河国菅生郷(三河県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された

■いち 
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(三河県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持

215 :
高氏は御家人だろ
そもそも高氏の祖、高階惟長は頼朝から所領を与えられており、その孫重氏の兄貴は幕府から近江に所領を安堵されている
この近江の所領は、その後重氏に譲らて、政所からそれを認める下文も発行された


重氏は師氏のとーちゃんな

■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(三河県岡崎市)郷司
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲る(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(三河県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進する

216 :
三河屋さん、松下禅尼と足利頼氏の血縁関係について、辻褄の合う説明をお願いします。

217 :
フランキー堺の長崎やら柄本明の高師直など怖い人勢ぞろいの大河ドラマ

218 :
石原良純の脇谷義助やら柄本明の高師直やら赤井英和の楠木正儀やら高嶋政伸の足利直義など
うざい弟勢ぞろいの大河ドラマ

219 :
楠木正儀は確かに弟だが赤井の役ではない(´・ω・`)

220 :
>>205
>>211
必死でイタイのは
オジィサンあなただよ

221 :
弟3人衆を揃いも揃って激情型にしたのはドラマが作りやすかったから?
私本太平記でも正季はそんな感じだったけど、他2人は印象ない

222 :
おいおい、名脇役の義詮さんを忘れんなよ

223 :
二階堂道蘊、せっかく鎌倉炎上と六波羅陥落を生き延びたのにドラマでは最期が描かれず
いつのまにか居なくなってた 瞬間移動まで駆使できたのに

224 :
北条義宗が逝ったか…

225 :
>>220
三河屋の別人格乙w

226 :
>>223
そんなマイナーどころを突くなら上杉憲房(藤木悠)の最期を無視した方が問題

227 :
高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三河国滝山寺)

高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三河国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室)

高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師世(幕府執事)→いち(三河国総持寺住持)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師秀
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→明阿(高師冬妻、三河国総持寺開基)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師泰(初代幕府執事)→師武(国司師武)?

高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師夏
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師詮
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師直(幕府執事、三河守)→師永(秋里師永)?

高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→貞円(三河国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三河国額田郡比志賀郷)


高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→師兼(初代三河守護、師直猶子)

228 :
補足説明
高階惟長→滝口惟忠→大平惟行(三河国滝山寺)

大平惟行(三河国額田郡大平か?)
鎌倉中期の武士。本姓高階。法名行猷。義氏・泰氏時代の足利家執事。
嘉禄2年(1226)4月に坂上(大谷惟伴)と連署して滝山寺惣持禅院へ田地を寄進した「左衛門少尉高階」はこの人で、足利義氏の額田郡支配に中心的役割を果たした。
寛喜元年(1229)滝山寺常行堂の造営にあたり娘と一緒に大檀那となり、義氏に相談してこの堂へ料田3町8段を寄進。法華堂へも藤原俊継と惟行が秘計して田畠を寄進した。
なお、『吾妻鏡』にも足利義氏の椀飯沙汰などのとき馬を将軍に献上した人物としてしばしば登場。弘長3年(1263)8月24日没。

藤原俊継は初代伊勢氏の伊勢俊継な

229 :
三河屋さん、松下禅尼と足利頼氏の血縁関係について、辻褄の合う説明をお願いします。

230 :
なぜ高階氏が高氏になったの?

231 :
足利将軍展に行ってきた
夢想疎石、尊氏、直義が写経したのがあったが尊氏が一番字が下手だったように見えたな
あとは歴代将軍の木像が並んでたが、三代目だけ尋常じゃないオーラを放ってた

232 :
正成自刃

233 :
>>230
単純に氏姓(うじかばね)から苗字化したんじゃね?

234 :
高師氏はこのドラマではあんま出番なかったが時宗では神出鬼没で
鎌倉の表も裏も知り尽くしてるような不気味な役どころだったな
しかもやたら長生き

235 :
追加修正

高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→滝口惟忠→大平惟行(三河国滝山寺)

高階惟長(御家人)→惟重→義定(御家人、近江国辺曾村)
【師行流】
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→師有(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師秋(家時置文保管者)→三郎(三河国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師行→女(高師直室)

【師氏流】
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師泰(初代幕府執事、侍所頭人)→※師世(幕府執事)→いち(三河国総持寺住持)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師泰(初代幕府執事、侍所頭人)→師秀
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師泰(初代幕府執事、侍所頭人)→明阿(高師冬妻、三河国総持寺開基)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師泰(初代幕府執事、侍所頭人)→師武(国司師武)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師直(幕府執事、三河守)→※師夏
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師直(幕府執事、三河守)→師詮
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師直(幕府執事、三河守)→師冬(関東執事、三河守、室は高師泰の娘、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師直(幕府執事、三河守)→※師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師直(幕府執事、三河守)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師直(幕府執事、三河守)→師永(秋里師永)?
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→師茂→重茂(関東執事)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→※師久→※師景
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→貞円(三河国滝山寺)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師重(三河国額田郡菅生郷)→女(高師春室)→※師兼(初代三河守護、高師直猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→女(稲荷女房、三河国額田郡比志賀郷)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→※師兼(初代三河守護、高師直猶子)→※宗久(高師兼猶子)
高階惟長→惟重→高重氏→師氏(三河国額田郡菅生郷・比志賀郷)→師春→女(南宗継妻)

【頼基流】
高階惟長→惟重→南頼基→惟宗→宗継(侍所頭人、三河守護、室は高師兼の妹)→※宗久(高師兼猶子)


※は武庫川で殺害された8人

236 :
高階氏と言えば足利市の寺巡りで行った、
高階氏の菩提寺で高階惟章が建てた清源寺と
足利義氏が建てた光得寺を思い出す。
運慶の仏像は国立博物館に保管され、
寺には無かったけど、尊氏や貞氏や師直の
大きな五輪塔は一見の価値あり。

237 :
足利はガイじゃのう
三河必死な書きこみが
霧散する

238 :
ショーケンから根津に途中交代したけど
根津の新田の方が全然よかったな

239 :
地名じゃない苗字は珍しいよな

240 :
三河屋ってぜったい社会に出たことないよね
まして大学も出てないと思う
文章の書き方がアホすぎる
大学同期にいたスポーツ推薦脳筋君の方がまだまともな文書書いてたよ

241 :
>>239
朝臣だからかな。

242 :
徳川が立候補しててワロタ。しかも落選w

243 :
修正


高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→滝口惟忠→大平惟行(三河国滝山寺)

高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→義定(御家人、近江国辺曾村)

【師行流】高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→高重氏(御家人、近江国辺曾村)→師行→

師秋(土佐守、家時置文保管者)→師有(関東執事)
師秋(土佐守、家時置文保管者)→三郎(三河国滝山寺)
師冬(播磨守・三河守、武蔵・伊賀守護、関東執事、室は高師泰の娘、高師直猶子)
女(高師直室)

【師氏流】高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→高重氏(御家人、近江国辺曾村)→師氏(三河国菅生郷・比志賀郷)→

師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→※師世(幕府執事)→いち(三河国総持寺住持)
師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→師秀(尾張守)
師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→明阿(高師冬妻、三河国総持寺開基)
師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→師武(国司師武)?
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→※師夏
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→師詮(丹後・但馬守護)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→師冬(播磨守・三河守、武蔵・伊賀守護、関東執事、室は高師泰の娘、高師直猶子)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→※師兼(尾張守、三河守護、高師直猶子)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→師永(秋里師永)?
師重(三河国菅生郷)→師茂→重茂(駿河守・大和権守、武蔵守護、関東執事)
師重(三河国菅生郷)→師久(豊前守)→※師景
師重(三河国菅生郷)→貞円(三河国滝山寺)
師重(三河国菅生郷)→女(高師春室)→※師兼(尾張守、三河守護、高師直猶子)
師春→※師兼(初代三河守護、高師直猶子)→※宗久(高師兼猶子)
師春→女(南宗継妻)
師信→※師幸(備前守)
女(稲荷女房、三河国比志賀郷)

【頼基流】高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→南頼基→惟宗→宗継(備中・三河守護、侍所頭人、室は高師兼の妹)→※宗久(遠江守、高師兼猶子)



※は武庫川で殺害された8人(師直武蔵守入道・師泰越後守入道・師兼高刑部・師夏武蔵五郎・師世越後大夫将監・高備前・豊前五郎・高南遠江兵庫助『園太暦』)

244 :
何度見直しても万里小路藤房の出奔が描かれなかったのが意外
・・・脚本にその筋からの圧力があったのかねえ

245 :
>>241
>>239
でも高階氏が高氏と南氏に分かれて
不思議な苗字になったのは何故だろう?
足利の高階氏の領地は北部の名草郡辺りなので
謎が多いな

246 :
南部に東西南北がいただろ。あんな感じ

247 :
>>245
大高(だいこう)氏もおるで〜w

248 :
完成版
プリントアウトして、眺めて頭に入れよ


高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→滝口惟忠→大平惟行(三河国滝山寺)

高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→義定(御家人、近江国辺曾村)

高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→南頼基→惟宗→宗継(備中・三河守護、侍所頭人、室は高師兼の妹)→※宗久(遠江守、高師兼猶子)


【師行流】高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→高重氏(御家人、近江国辺曾村)→師行→

師秋(土佐守、家時置文保管者)→師有(関東執事)
師秋(土佐守、家時置文保管者)→三郎(三河国滝山寺)
師冬(播磨守・三河守、武蔵・伊賀守護、関東執事、室は高師泰の娘、高師直猶子)
女(高師直室)

【師氏流】高階惟長(御家人、陸奥国信夫郡)→惟重→高重氏(御家人、近江国辺曾村)→師氏(三河国菅生郷・比志賀郷)→

師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→※師世(幕府執事)→いち(三河国総持寺住持)
師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→師秀(尾張守)
師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→明阿(高師冬妻、三河国総持寺開基)
師重(三河国菅生郷)→※師泰(尾張守・越後守、河内・和泉・尾張・越後守護、侍所頭人)→師武(国司師武)?
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→※師夏
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→師詮(丹後・但馬守護)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→師冬(播磨守・三河守、武蔵・伊賀守護、関東執事、室は高師泰の娘、高師直猶子)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→※師兼(尾張守、三河守護、高師直猶子)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→女(渋川直頼(姉妹に足利義詮室)室)
師重(三河国菅生郷)→※師直(三河守・武蔵守、武蔵・上総守護、幕府執事)→師永(秋里師永)?
師重(三河国菅生郷)→師茂→重茂(駿河守・大和権守、武蔵守護、関東執事)
師重(三河国菅生郷)→師久(豊前守)→※師景
師重(三河国菅生郷)→貞円(三河国滝山寺)
師重(三河国菅生郷)→女(高師春室)→※師兼(尾張守、三河守護、高師直猶子)
師春→※師兼(三河守護、高師直猶子)→※宗久(高師兼猶子)
師春→女(南宗継妻)
師信→※師幸(備前守)
女(稲荷女房、三河国比志賀郷)



※は武庫川で殺害された8人(師直武蔵守入道・師泰越後守入道・師兼高刑部・師夏武蔵五郎・師世越後大夫将監・高備前(師幸)・豊前五郎(師景)・高南遠江兵庫助(宗久)『園太暦』)

249 :
>>236
足利義氏と運慶って時代が違うだろ
嘘つくな

250 :
>>230
似たような例で、室町幕府奉行人の清氏は、本姓では清原氏。

>>247
このドラマの北畠顕家の初登場場面で、師直が「大高」を「おおたか」と言ってしまう
ところがあったな。
まあ凡ミスなんだろうけど・・・。

251 :
正成自刃

252 :
>>245
>>246
佐竹氏の一族にも東西南北が揃っていたな。
現秋田県知事は、佐竹北家の出身だっけか?

あと南部氏の一族には、一戸から九戸もすべて揃っているw

253 :
古代まで考えると
高階氏って家柄で比較したら
足利や北条や上杉や北畠より上じゃね?

254 :
男系では源氏なんだが

255 :
あの雄族三浦が上杉の被官だからな
何が言いたいのかというと自力救済の世では実力がものをいうってこと。古の名前なんか役に立たない

256 :
正成自刃

257 :
数字ものだと二条三条四条まではなんとなく記憶にあるな
一条と五条以上の人名が出てこない

258 :
おいおい、九条は摂関家の嫡流だぞ

259 :
六条藤家も有名
南北朝に終了したが

260 :
>>208
重季らしいね
亀田俊和センせの本に書いてあった

261 :
>>254
高って源氏なの?

262 :
養子が入っても姓は変わらないよ

263 :
>>262
高階氏って源氏から養子を迎えているの?

264 :
長尾氏も南北朝頃に上杉氏から養子を取ったから上杉謙信も男系で本来の上杉氏なんだっけ?

265 :
>>260
長崎円喜の諱も、本当は高綱じゃなくて盛宗らしいね。
「宗」の字は時宗からの偏諱かな。

266 :
>>258
摂関家の嫡流は近衛家では?

>>259
村上源氏系の六条家は近代まで残ったよ。

>>262
でも畠山なんかは、元々は平姓だけど、足利から養子が入った後は源姓に変わってないか?

267 :
>>266
畠山の場合は養子猶子の類ではない

268 :
>>265
能憲と重季は別人だからね
念のため

269 :
一条や二条と呼ばれてる人でも摂関家の一条じゃない人もいるね。一条能保や歌人の二条なんとか.etc

270 :
>>269
一条能保の生前には摂関家の方の一条家はまだ成立していなかったよね

271 :
一条二条鷹司は幕府との政争でできた家

272 :
>>269
一条の家名を名乗る家には、他に常磐御前の再婚相手である一条長成の家系もある。

歌人の二条家は、もともと御子左流の嫡家なので、摂家の二条家との区別の意味で御子左家といわれることもあるね。

273 :
五摂家になり損ねた松殿さん・・・

274 :
日野俊基>坊門清忠>千種忠顕>北畠親房
公家の家格だと
こんな感じ?

275 :
>>274
そのなかだと日野が一番下じゃないか?
名家は時代が下ると羽林家とほとんど同格のようなイメージになるけど、
鎌倉・南北朝あたりだと完全に羽林家>名家だったし。

276 :
五摂家分立時のそれぞれの家の人物って、いずれも西園寺公経の縁者なのね・・・。
さすが幕府と太いパイプを持つ関東申次w

公経─女子─九条教実
公経─女子─二条良実
公経─女子─一条実経
公経─女子─女子(近衛兼経室)
公経─実有─女子(鷹司兼平室)

277 :
西園寺は皇室両統にも中宮を入れ権勢絶大

278 :
>>274
上位は坊門ではないか?。
鎌倉末期や南北朝の日替わり群雄割拠は
置いといて出目を遡ったら。。。
さりとて武家以上に落ちぶれても公家は
家格に敏感だったかもしれないな。

279 :
>>274
俊元って分家のまた分家ぐらいじゃなかった?

280 :
日野を上位にもってきてるのは無知の証拠

281 :
>>273

282 :
>>273
松殿さんは義仲と親密だったし仕方ないね

283 :
日野俊基はもし生きてたら三木一草みたいな扱いを受けて
一時この世の栄華を極めるも・・・・という運命だろうなあ

284 :
正成自刃

285 :
資朝「なぜ俊基は知名度があるんだろ?」

286 :
>>276
違うぞ
頼朝の三河の母方縁者に繋がる事で、三河国の知行国主、関東申次になれただ


三河国分国主、知行国主

1191年07年:九条兼実(知行国主)、嫡男の嫁は一条全子(坊門姫の娘)
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守) 、孫が水無瀬信成(父は藤原親兼(室に足利義兼の娘)、後鳥羽院の命で養子入り後に水無瀬殿を譲られる)娘
1200年03月:七条院(分国主) 、姪は坊門信子(源実朝室)
1227年11月:七条院(分国主)、再任
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の玄孫、すぐに四条隆親と交代
1240年12月:四条隆親(知行国主)、再任
1254年04月:平敦朝
1288年02月:西園寺実兼(知行国主)、関東申次
1301年02月:持明院統(伏見院)(分国主)
1303年04年:持明院統(伏見院)(分国主)
1321年06年:日野俊光(知行国主)、辞退
1321年06年:西園寺実衛(知行国主)、関東申次
1324年01月:持明院統(花園院)(分国主)

287 :
三河国は頼朝の母方縁者の影響下にあったわけだな

北条は、足利氏がその母方縁者の血を引くゆえに、三河守護を譲らざるおえなかった

288 :
>>285
俊基の処刑された地が鎌倉だからじゃね?
佐渡で消えた資朝との違いじゃね?
でも同族で同じ行動をとっていたのに
不公平だよな。

289 :
違うな、榎木孝明の山伏姿に萌えたのよw

290 :
山伏コスプレは一色右馬之介もやった

291 :
榎木と大地じゃ顔面偏差値がダンチだろう

292 :
正成自刃

293 :
師泰が犬養毅に転生してたな

294 :
ちなみに犬養毅は安藤サクラの曾祖父

295 :
日野資朝はドラマにさえ出ていないはず

296 :
一応出てるぞwww

太平記5
http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki5.html
新井量大(万里小路宣房) 佐藤文裕(日野資朝) 堤勝巳(赤橋家家臣)

297 :
>>296
マジ?
サンキュー

298 :
>>283
万里小路卿のように建武政権に幻滅して自ら政権を去るかも知れない。

299 :
赤橋家家臣と同列の資朝さんw

300 :
今日のテレビ朝日「やすらぎの郷」に文観が出てた

301 :
>>294
ついでに高師直の息子のところに嫁いだのが安藤サクラ

302 :
玉木文之進の娘が、弟子の乃木希典の息子に嫁いでるだから混乱するな

303 :
>>293
初代義貞は高橋是清に転生しています。

304 :
日野俊基の謀反を
六波羅探題に密告したのは佐々木道誉。
日和見主義のとんでもないヤツ。

305 :
>>304
あれは結局そういうことだったの?

306 :
天秤にかけといて行けそうな方を掴んでそれらしく振る舞う判官マジック
傍目には節操なく寝返りしてるように見えて本人の信念はある意味徹底している
何だかんだ形の上では寝返ってても結局は尊氏に背いてないところも面白い

307 :
資朝の遺児が仇を打つ逸話は有名よな

308 :
寝返ると背くって
同義語じゃないか?

309 :
>>307
阿新丸だな
父の資朝も相当な
婆娑羅だったらしい

310 :
資朝の弟はかの有名な三宝院賢俊な

311 :
まあ道誉は、尊氏に決断を促すように仕掛けたりすることはあっても、尊氏の立場が
不利になるように動くことは、基本的にないからね。

312 :
佐々木道誉は信念があったとか、尊氏が不利になる事はしなかったとか、
お花畑の評価が高いがドラマの道誉像に洗脳され過ぎだろ。
場当たりがたまたま上手く行ったにすぎない無節操武将だろ。

313 :
私本太平記はそう書かれてたししゃーない

314 :
正成自刃

315 :
正成自刃

316 :
>>312
実際道誉が尊氏期〜義満初期の室町幕府に相当な貢献をしていることは事実。
足利一門ではない外様守護のなかで、いわゆる「三管領四職」に名を連ねているのが、
佐々木京極と赤松だけというのも、幕府創早期の貢献度による部分が大きい。

317 :
 室町幕府黄金期っていつごろ?

318 :
>>316
そんな事は誰でも知っている

319 :
>>317
義政死後

320 :
全盛期は義満期

321 :
足利家長の権力が最大限に高まったのは義満の頃だろうけれど
ただ義満の権力って幕府に立脚する物だけじゃないから
そこが室町幕府の黄金期かどうかは分らんな

322 :
尊氏にとって、道誉は分からず屋の足利一門よりも、むしろ頼れる存在だったのだろうな。
直義を都から追い出すための狂言出兵のときに頼ったのも、道誉とその娘婿の赤松則祐。

桃井「これは奇妙でござりまするぞ。同じ日に、将軍は近江に、若殿は播磨に、足利宗家の全軍を率いて出ていかれた。まるで都を挟み撃ちにでもするかのような分かれ方じゃ!」

直義「佐々木や赤松と話はできているのじゃ・・・。」

323 :
>>321
政治的に一番安定していた時期というなら義持期。
ただ義持期の政治的な安定は、義満期の施策によって準備された面が強いのも事実。

324 :
>>322
分からない事があれば、当事者たる三河人に聞けと言っただろ

答えは、優遇されたのは為義の血を引いているから
三河に所領を貰っているをみても、準一門待遇で出世したのは明白


源義家→為義→女(佐々木秀義の正室)→定綱→信綱→京極氏信(初代京極氏)→満信→宗氏→高氏(道誉)→高秀(三河国額田郡下和田郷領主)→高詮(三河国額田郡下和田郷領主、三河国渥美郡領主)


そして尊氏の頭の中をこうだ
為朝は我が先祖(難太平記、梅松論)


源義家→為義→為朝→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏

325 :
>>321
政治的に一番安定していた時期というなら義持期。
義持期の政治的な安定の理由は、義満期の権力集中によって綻びた政策を
否定し公家・寺神・地方武家との関係を改善した面が強いのが事実。

326 :
くそもう我慢ならねえ京を火の海にしてえ都が憎い。必ず復讐してやる覚悟していろ!

327 :
直冬さん、落ち着いて、都の菓子をどうぞ

328 :
佐殿はいずこじゃ!

329 :
くらげ丸さんやめてくだされ

330 :
最近の有力説だと六条判官は八幡太郎の子

331 :
六条判官って、ダメヨシのこと?

332 :
>>331
検索すると写真がが出てくるw

333 :
そういえば清盛の序盤は、ダメヨシvsミキプルーンだったな。

334 :
今日発表された来年の大河の尾野真千子の役が、太平記の樋口可南子にそっくり

335 :
浅間山が噴火した。新田荘は大丈夫か?

336 :
>>334
石そっくりの役はないの?

337 :
>>336
ナイナイ岡村の役かな

338 :
【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青と6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青と6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B清水(東京都葛飾区青と6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高橋(東京都葛飾区青と6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
D長木義明(東京都葛飾区青と6−23−20)
※日曜日になると必ず風俗に行くほどの風俗好きである
E高山犬子(東京都葛飾区青と6−23ー18)
※顔と根性がが異常なくらいひん曲がっている
F九●●(東京都葛飾区青と6−26−5)
※還暦低学歴不細工で犯罪者顔のキツネ目の男/警察に通報したら完全にビビってしまい急に涙目になってオドオドしてブルブルと震えていた

339 :
そりゃ朝敵の子を跡継ぎにはしないよな

340 :
>>338
通報しました

341 :
>>339
朝敵の子とは?

342 :
小泉家なんて、国会議員三代目って言ったって、もとは鳶の親分だから悪党みたいなもんだよな。

343 :
総理大臣を出した家で家格が高いのは、皇族の東久邇宮を除けば、近衛、西園寺、細川がベスト3かな。

344 :
ウルトラセブンの子孫が細川首相なのか・・・

345 :
まぁでも、細川幽斎は血統的には佐々木氏系の大原氏だって言うけどね

346 :
総理まであと一歩なら野中広務が居た

347 :
>>343
はあ?
細川は公爵かよ?

348 :
>>341
朝敵は義親。その子(といわれる)為義

349 :
正成自刃

350 :
https://www.youtube.com/watch?v=DIQmiuot_4c
正成自刃

351 :
>>345
和泉上守護家じゃないの?

352 :
>>347
つうか勲功華族だらけの近代の爵位と家格だけで家格は語れないでしょう。

あと西園寺も首相在任中は公爵じゃなくて侯爵だったわけだが?

353 :
>>344
細川忠興は、元々は和泉上守護家の出身であるが、顕氏の子孫に当たる細川奥州家の
養子になった経歴があるので、近世の熊本藩主家は、系図上では顕氏の家系の名跡を
継いだ形になっているな。

354 :
>>345
将軍義晴の落胤(義輝異母兄)説に一票

355 :
>>350
湊川を無視して六甲山に山城築城は
現実的には無理だったと思うな。

356 :
>>343
西園寺以外は、カスでワロタ

357 :
すげえ自演臭

358 :
というか近衛文麿と細川護煕は実の祖父と孫だろw

359 :
尊氏のまわりをウロチョロしてた細川なにがしはなんか出自があやしいよな。

360 :
それをいうとアレがすっ飛んでくるぞw

361 :
アレはこのスレには要らない人

362 :
>>359
斯波等と違い、細川仁木は家臣扱いだからな

363 :
一門を政治に関わらせちゃ駄目だわ
家臣団でやらないと

足利でのその失敗を徳川では生かせた
ただ最後は一門の徳川斉昭がしゃしゃり出て幕府を滅亡させちゃったけど

364 :
>>363
無知の知ったかほど
恥ずかしいヤツはいない

365 :
北条は一門で独占してたが随分長持ちしたな
足利も15代続いたし

366 :
>>364
納豆臭いレスすんなよw

367 :
>>363
>>366
反論出来ないかよ

368 :
>>359

難太平記
>細川・畠山などは義包(義兼)の下から分かれたようである。

当時ですら間違っているからな
あやふやなんだが、一つ言えるのは被官ではなく弱小ながらも足利一門として見られていたんだろう
ただ仁木は被官として吾妻鏡に登場する


足利氏所領奉行番文『倉持文書』
上椙三郎入道
倉持新左衛門尉
設楽太郎兵衛入道
梶原太郎左衛門尉
小嶋三郎
有富三郎
明石二郎左衛門尉
大炊助

『滝山寺縁起』
伊勢(藤原)
板倉
大平(高階)
大谷(坂上)
小野田
和田


足利宗家被官の資料に細川は出てこない
足利宗家の菩提寺は滝山寺、細川の菩提寺は隣松寺、菩提寺も違う

369 :
仮説だが、細川、戸賀崎と仁木は生母が違うか、実は細川、戸賀崎は養子入りしたのではないか
細川、戸賀崎と仁木は別行動をとっている


村積山の毒石
村積山(奥山田町 256.8メートル)は、花園山とか、その麗姿から三河富士とか呼ばれているが、山頂に、真福寺(天台宗)の開祖物部真福が、同寺の守護神として村積神社がある。
鎌倉時代には細川氏の守護神となったと伝え、近世には奥殿藩主大給(おぎゅう)松平家の祈願所となった。
この神社正面左側の一段低い所、石の玉垣の中には、しめなわの張ってある「毒石」と呼ばれる2つの岩(右が約1メートル、左が1.3〜1.4メートル)が立っている。
これにさわると病気になるといって村人に怖がられ、玉垣にすら触れる者がないという。
昔、那須野が原(栃木県)にあって人や動物が触れると病にかかったり死んだりするという殺生石の破片が、村積山頂に飛んできたものだという。
あるいは、細川氏の祖細川義季(右)と、一族の村積神社神官である弟義宗(左)の墓とも言われており、村人に大切にさせるために毒石と称したとの説もある。
豊田市隣松寺に所蔵されている『細川家御由緒』には、この毒石は「神霊石」とか「石神」とか書かれ、細川氏の守りの石塔であることが書かれており、墓とは書かれていない。
なお細川町蓮性院にも類似の伝承をもつ石がある。権水(ごんずい)城(3つの細川城のひとつ)のすそ(イタチの道)にあったもので、三本石塔と言われる石碑と共に蓮性院に移された。
供養塚との説もあるが、不完全な五輪の塔である。動かしたり、さわったり、不浄にすると祟るといわれるが、けが程度かあるいはオコリを震うという。これが細川頼之の墓ではないかとの説もある。

370 :
大給松平氏は、三河物部氏とも加茂次郎の子孫とも言われるが
仮に細川は同族とすれば、現代において加茂次郎の子孫が日本の上層に君臨しているわけだ
歴史のロマンだわな 


細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html


現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)

公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子

武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)

細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)

氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)

大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)

氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)

371 :
細川は定禅の家系が嫡流だったが和氏三兄弟のほうが出世しちゃった

372 :
ほんと、三河屋って頭腐ってる

373 :
このドラマの細川は役者の芝居がクサイ、という貫禄がなさすぎでホント小物に見える。

374 :
正成自刃

375 :
>>373
細川顕氏役の森次晃嗣さんの事?
全く真逆で良かったと思うけど。

376 :
仁義なき戦いでいう槙原政吉(田中邦衛)役だったからな、森次さんは

377 :
頼春でてた?尊氏の側近の

378 :
>>377
男山八幡で戦死したんだっけか。
頼之パパだよね。

379 :
>>376
尊氏が水を賜り寝返らせ

380 :
いや、森次晃嗣はやっぱ芝居がヘタだった。
高橋悦史の桃井の迫力に較べるとダンチ。

381 :
>>377
たけし軍団の芹沢名人がやってたでしょ>頼春

382 :
反尊氏で主戦派の頭目として描かれてる桃井と実質的には足利被官の細川じゃ、そりゃ演技プランも演出も違うんだから演者の迫力は違って見えて当然だわ。

383 :
正成自刃

384 :
頼之から細川京兆家は栄えた

385 :
>>380
そもそも俳優としての格が全く違うし

386 :
>>382
だな。
森次を必死に責めるヤツの程度が知れる。

387 :
>>385
格が違ってどういう事?

388 :
史実の桃井直常と細川顕氏、それを演じた高橋と森次をごっちゃにするなってことだろ

389 :
>>386
アンチがいるほどの俳優とも思えないんだが・・・
単に演技が気に入らなかっただけだろ
そういうことはよくある

390 :
>>389
形勢がいい方に味方するという、この時期の武士の典型として描かれてたな。
自分的にはコメディパートとして観てたけどな。

391 :
>>377
細川三兄弟揃い踏みの回があったはず。

392 :
細川と平野だっけ、薪割り楽しそうだったな。

393 :
>>392
違うよ顕氏と齋藤利泰

394 :
齋藤利泰さんはもう…

395 :
つうか平野って誰?

396 :
>>390
古典太平記や難太平記でも
激情派の桃井直常
温和で日和見の細川顕氏とあるしな。
両者の演技、脚本、演出とも最高だったな。

397 :
>>396
それでも森次は威厳がない
高橋と比べたら格が劣る

398 :
いちいち面倒くさい野郎だなw

399 :
30年近く前のドラマなのにな

400 :
>>385
>>397
上杉家か役者に何か恨みでもあるのか?

401 :
高橋悦史の桃井は怖かった

402 :
なぜそこで上杉が出てくる?

403 :
正成自刃

404 :
>>401
いつも怒ってるイメージしかないw
師直がクーデター起こした時に説得に行ったはずの道誉が
さっさと向こうについてしまってまたいつもの寝返り癖でござる!
と言った時は笑った

405 :
>>201
>>202
高師春
高師夏
高師秋
高師冬

当人達はお互いに自分の名前をどう思っていたのだろう?

406 :
「春、秋、冬ときたら、ワイは夏やろなあ…ほら!やっぱり!」とか。

407 :
高師一
高師二
高師三
高師四

408 :
というか顕氏ってああいうキャラだわそもそも
良いキャストだよ

観応のときに節操なさすぎて、貴族日記にここまで書かれた御仁
かれこれ言詞の及ぶところにあらず、末代これをいかんせん

409 :
息子の清氏もやらかしたし。尊氏に忠実な頼春の家系だけが栄えたな細川は

410 :
>>408
そでも森次晃嗣はやっぱ芝居がヘタだった。
キャラの問題ではない。
高橋悦史の桃井の迫力に較べると分かる。
お前はもしかしてドラマ観ていないダビンチ。

411 :
粘着うぜえ

412 :
ニュー速に後醍醐天皇スレか立ってて、太平記ネタがかなり多く書き込まれていた

413 :
刺客差し向けられてあやうく難を逃れた時、
「おのれ〜、この桃井をねろうたな。タダで済むとは思うなよ!」
と見栄をはる時の迫力は凄かったな。
いい役者を亡くした。

414 :
桃井はそもそもそういうキャラだからな
その迫力で直義を巻き込んで死なせたのだから迫力芝居が適切

415 :
今NHKでの昭和天皇役って義詮だろw

416 :
桃井って、あれ何を目指してあんなギラついてたんかねえ。家柄的には岩松より下、懐具合も細川より下って印象だけど。

417 :
あんなショボくて小物くさかった細川の子孫がなんで今の日本を代表する名家ヅラしてんのかって話。

418 :
師直を殺した張本人なのに
武闘派の石塔頼房は天寿真っ当。
役者は大根。

419 :
石塔(石堂)って結局なんのことなんだよ

420 :
>>416
直義派筆頭だったら家格的上位にあった斯波高経あたりが親分になってもいいくらいなのにね。
まぁこの人は政略的には場当たり的であっちいったりこっちいったり。
桃井のような一貫したものはなかったけどね。
そんな高経が息子の代には幕府の重鎮になり、桃井も最終的には幕府に帰参したんだろうけどフェードアウト。
結果的に要領のよさが明暗分けたなぁ。
山名や大内なんかもそうかな。

421 :
石塔は地名だろ

422 :
>>421
どこの?

423 :
>>419
太平記
観て読んで学習してみてね。

424 :
石塔氏家系図(清和源氏足利流) | 日本秘境探訪
http://syakeassi.xsrv.jp/4233

現滋賀県である近江国蒲生郡石塔邑発祥ともいわれる、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)満季流ともいわれる。ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)足利氏族などにもみられる。

425 :
>>424
ありがとう、自宅帰って
太平記ざっと読んで、鎌倉室町人名辞典引いたけどやっぱりWikipedia以上の記載がなく
地名辞典では茨城と滋賀があるけど疑問なのよね

426 :
膨大な足利飛び領地に近江や常陸がある?

427 :
初代石塔頼茂の子である国阿上人は播磨出身とも記載されてるし、色々わからん

428 :
>>409
清氏の父親は和氏じゃなかったか?
顕氏の子孫は奉公衆で戦国期まで残っていたはず。

429 :
>>405
足利将軍家は夏だけ揃わない。

足利義春(義晴)
足利義秋(義昭)
足利義冬(義維)

430 :
石塔家は南北朝の足利で
かなり重要な位置にあったと思うけど、
あまり知られていなんだね。
その上、清和源氏で足利庶流なのに・・・。
不思議です。

431 :
石塔のピークは奥州総大将になった時

432 :
一色って細川に滅ぼされたのね なんか悲しい

433 :
>>432
滅ぼされたのは丹後守護の家系だけでしょう?

434 :
戰に敗れ直義邸で逆切れする尊氏。
[石塔]頼房、ワシはソチを許さん!
特と、下がれ!
この場面の尊氏カッコいい。

435 :
>>434
疾くじゃないかな
早くってことだから

436 :
「特と下がれ」じゃ意味不明だし、何度聞き返しても「疾く下がれ」だよねw

437 :
石塔は固有の所領もほとんど無い血筋だけの連中ってイメージ
直義に取り立てられた最右翼だね

尊氏に上杉達はそち(直義)が取り立てるまで誰にも相手されない連中
と言われてたけどまさにそれ

直義死後も新田の残党と組んで尊氏に潰されるとかまさに無能

438 :
逆に誉めるなら忠義を忘れない天晴れ

439 :
石塔頼房って93歳まで生きたんだな。
それだけですげえ。

440 :
尊氏の上杉無能呼ばわりは、演出とはいえ少し違和感あったな。

実際は、元来嫡子じゃなかった尊氏、直義兄弟を物心共に支えてたのは上杉だったはず。高義が在世中は、尊氏、直義の足利家中での序列なんて、下手すりゃ足利尾張家当主より下だったんじゃないかな。

441 :
自分の母方の従兄弟達なのにね

442 :
>>437
石塔は最初は尊氏に取立てられ、
その後に兄弟分裂後に、
直義方に寝返ったはず。

443 :
>>442
畠山国氏(尊氏派)のせい
奥州の足利一族はもう少し仲良く、、、
九州も一色追い出してるしまあ仕方ないね

444 :
>>434
>>435
>>436
お前ら
本当に太平記
好きなんだなwww

445 :
このスレの住人はみんな太平記好きでしょ
じゃなきゃ何でいるんだって話になる

446 :
足利一門にも権力闘争はあるよ。
血統が良いだけで偉そうにしてる吉良や斯波を見たら下の者たちはムカつくだろう。
その闘争に打ち勝ったのが細川と上杉。

447 :
本放送で見てたけど、足利が上方へ攻め上る時、三河で「今川殿も久しぶりよの」って台詞入れた所で、
ああ、このドラマはこういう部分も良く描けているなって改めて思った。
脚本家と時代考証担当の連携が良かったのかな。

448 :
一色紗英っていたよね?

449 :
>>447
良く覚えているなあ
台詞まで詳細に記憶しているのが
凄い
相当好きなんだな

450 :
良く出来ていない
今川は2代目の時、吉良荘(今川荘があった)を追い出されている
つまり遠江で尊氏と合流し、一緒に三河に入らなければならない

451 :
みんな何周してるの?

452 :
あのシーンの鶏が好き

453 :
犬に追われる尊氏、それを見て大笑いしてる高時

454 :
>>448
ポカリのCMといえば一色紗英
大河的には
徳川慶喜のかけおち話がウザかったが

455 :
>>451
DVD持ってるヤツなら何十回と観てる

456 :
千寿王殿、次は奥州へ参りますゾ

457 :
高時の愛妾の茜、存在が不気味だったな

458 :
正成自刃

459 :
>>446
当事者でもないのに、中の裏事情が分かるのか?


矢作は尊氏の意思伝達の地、知立八橋は最終決断の地、重要な八橋の軍議が省かれているのは、やはり当事者ではないと言うしかない
尊氏が、吉良で坊さんやっている一門の長老たる吉良貞義の元に、かーちゃんの兄貴を向かわせ、貞義の考えを確認するシーンな

俺なら八橋の軍議は三河県知立市八橋の浄教寺で行われたとし、住職も登場させる
そして、再び登場させる
そのシーンは宗良親王が東国に逃げる際、浄教寺を訪れるシーンだ
宗良親王と知らずに追い返してしまい、住職は後悔する
このセンチメンタルなシーンは、部外者では描く事が出来ないだろう

部外者、アイゴー

460 :
三河県知立市の昔話


浄教寺のかんぬきのない山門

昔、南北朝時代のころ、後醍醐天皇の皇子、宗良親王が、吉野から東の国の遠江(とおとおみ)に下る途中のことです。
三河の国の八橋を通りかかったとき、賊に追われて、数人の家来とともに身を隠すところが無く困っていました。
逃れ逃れて浄教寺の山門にたどりつきました。
寺男が山門の近くにいました。
家来があたりをうかがうように寺男にそっと近づいて、「もし、浄教寺のお庭番のお方、私どもは旅の者です。賊に追われて困っています。一晩この身をかくまってくださるまいか。」
と、頼みました。
突然の頼みに寺男はうさんくさそうに、「せっかくのお頼みではあるが、見ず知らずの人を、この寺に泊めるわけにはまいらぬ。そうそうに立ち去ってくだされ。」
と、相手にしてくれません。
それでも家来は、「決してあやしい者ではない。身分の尊いお方である。いまここで身をあかすことはできないが、東の国へ行く途中である。どうか一晩だけかくまってくだされ。」
と、必死に頼みましたが、寺男はがんとして聞き入れてはくれません。
「身分の尊い方と申しても、そんなことわかったものではない。泊められぬといったら泊められぬ。さっさと立ち去れ。」
頼み続ける家来に向かって、山門のかんぬきをはずして、振りかざしながら追っ払いました。
親王と家来たちは、夜つゆにぬれながら、暗闇のなかに消えていきました。
しばらくたって、その人たちが、宗良親王とその家来たちであったことがわかりまし。尊いお方を追い返してしまった事を大変すまなく思いました。
それ以来、再び訪ねて来られてもいいように、山門のかんぬきをはずしてまっていました。それからというものは、山門の建て替えがあっても、浄教寺の山門にかんぬきがかけられたことはなかったということです。

461 :
>457 高時がきっちり死んだのを見届けてから喉突いてた
    私だけ死ぬのはごめんや という風にも見える
  

462 :
>>447
本放送
凄い

463 :
>>462
本放送の最高視聴率34.6、平均26.0やぞ
当時はみんな見てた

50%弱の政宗や信玄ほどではないが

464 :
真田広之の太平記が最高すぎて今後もし太平記がドラマ化か映画化してもたぶんこれは越えられないんだろうな

465 :
予算的にもあの規模で連ドラは無理だろうけどね

466 :
脚本家が劣化しすぎ
創作能力が無さすぎ
歴史への敬意がまったくない

467 :
>>462
別に凄くもないでしょ
DVDで何回も観ているこのスレの住人も沢山いるし
みんな太平記好きなんで
じゃなきゃ何でいるんだって話になる

468 :
当時小田茜はゴクミ宮沢りえに続く美少女と言われてたのに・・・

469 :
大河太平記は豊かで栄えていたころだから冒険が出来たし
太平記をやること自体が冒険だった

今は縮小の時代だからいろんなものに媚びなければいけない
後醍醐帝の描写とかは当時より難しいのではないかな

470 :
「師直!口を慎め!」

師直のあのセリフは今だったアウトだろ。
2ちゃんでNHKが猛烈なバッシングに遭ってる。

471 :
>豊かで栄えていたいた頃

頭が悪い奴だな
日本は今が一番豊か、建国以来さいこうに豊か
企業の内部留保は過去最高
個人資産は過去最高
国は世界一の対外純資産保有国
国の財政は既に健全化し、実質約200兆円

472 :
大河に勢いがあった頃だしな
今やらなかったらいつまで待ってもできないとゴーサイン出したスタッフは
ある意味正解だったな
あの時やれてなかったら多分今でもやれてない気がする

473 :
じゃあ続太平記はムリスジだな。

474 :
>>470
史実だし尊氏がそう行って諌めているセリフもあるんだから現代だとしても問題ない
師直のセリフに師泰がケラケラ笑って応えている、っていう描写だったら右翼も怒るかもしれんけど

475 :
俺は
「師直、白湯をもて」
が好き
破綻した京都復興会議で歌詞をポリポリ食べてるの最高

476 :
師直「やはり武家は武家、公家は公家で暮らしたほうが
よいのです……かつて源頼朝公が京を離れ、
鎌倉に武家だけの国を開かれたのは、
ゆえがあるのでございます」

477 :
うむ、頼朝公は稀有なお方でござった…

478 :
>>463
と言う事は
ここの住人の平均年齢は70くらいだなw
ここはジジババの住処w

479 :
>>478
小学生で本放送見てた40の俺はスレ年少組だったりするかな

480 :
というか自分もそうだが、大河「太平記」に一番思い入れが強い世代は、子供時代に
本放送を見た世代だと思うけどなぁ。
ちょうど歴史に興味を持ち始めた頃に、この大河を見てしまって、物凄く強烈な印象を
植え付けられたわけで。

そしてそれ以降、これを上回る大河についぞ出会ったことがないと思っているw

481 :
10代だけど厨房の頃戦国時代に興味あったんでツタヤで大河ドラマ借りまくってたんだが
その時に太平記を何となく借りてどハマリしたよ

482 :
こども心に
判官殿の家来は大変だろうなとは思っていた

483 :
>>479
41だけど
政宗信玄春日局で
戦国時代にハマって
熱が落ち着いたころに太平記で南北朝に
北方健三の小説へって感じだった

484 :
爺が多いから朝方のスレが盛り上がるのか

485 :
北条朝時
北条 宗方

486 :
北条朝時
北条 宗方

487 :
このスレには三○屋含め数人キチガイがいると思ったら
老人ボケなのかな
仕方ないね

488 :
というか、そもそも今の2ch住人の大半は30〜40歳代だと思うけど。

489 :
>>478
70代はパソコンできないだろ
40代50代の初老が多いんじゃね?
だから本編よりもDVDオレ沢山見ている
なんているジジィが多いん
30代以前はほぼ皆無だろ

490 :
>>481
TUTAYA利用する10代って今時
貴重だよな
年齢サバ読むにも
ほどほどになwww

491 :
少なくともこのスレは50代が中心だろ
草燃えるなんていう40年前の大河を知らないと
にわか扱いされるレベルだし

492 :
>>491
ギリ50 初めて内容がちゃんと理解できたのが草燃える(小5・早生まれ)

493 :
本当は関東に幕府を開きたかったんだよ
だけどもう京が政争の焦点になっていて離れられなかった

494 :
ここは60代の老人が多数でしょ
50代の老人は僅かだと思う

495 :
真田広之の大ファンだったS50年生まれ

496 :
>>494
高時はそうは思わぬ!

497 :
>>495
同志よ

498 :
>>494
50代の老人は当時社会人になったばかりぐらいか

499 :
>>496
太守!

500 :
帝と田島だけのドラマなのにとても見応えがあって良かった

501 :
そろそろスレチやめろ。おまえらの自己紹介なんて誰も興味ないからSNSでやれ

502 :
>>500
田島とは?

503 :
俺は本放送の時は中学生で太平記はおどろおどろしい
怖いイメージであまり見ていなかったけど
大人になってDVD観て感激したパターン
今の俳優の年齢は
真田広之が58歳
高嶋政伸が52歳
片岡鶴太郎が64歳
沢口靖子が54歳
柄本明が70歳
陣内孝則が61歳
武田鉄矢が70歳
原田美枝子が60歳
片岡仁左衛門が75歳
近藤正臣が77歳
大地康雄が67歳
樋口可南子が60歳
宮沢りえが46歳
柳葉敏郎が58歳
後藤久美子が45歳
こう思うとこのままの年齢で役でも再度できると思うので
スピンオフ企画とかNHKにやって欲しいな

504 :
まだ自己紹介やってんのかよカスw

505 :
子供が見ると辛いかもねえ。
高校生くらいなら理解できたかも。
しかし再度やっても
大地康雄の忍者はきつそう。

506 :
>>505
当時でも既にキツかった

507 :
そういや大地さんあんま見ないなあ
それ以外の人はテレビで定期的に見るけど

508 :
>>505
本放送当時小学生だったが、歴代大河のなかで最高にハマった作品が「太平記」だけど。
ちなみに、大河自体は両親・祖父母の影響で、物心ついたときから見続けている。

509 :
>>508
自分も同年代で足利出身で
足利市民のみなさんのエキストラで出た
期待していた場面はカットされていたけど・・・
とにかく驚いたのは最終回
確か2時間ぶっ通しだったと思うが
弟をRのが最終回とは
こんな凄い地獄が最後とはと思って
一時、トラウマになった

510 :
>>507
大病してたんじゃなかったっけ?

511 :
爺の近況報告会まだやってたの?きっしょ

512 :
>>507
ゴクミとか見るか?

513 :
正成自刃

514 :
仁左衛門さんはもう75か、、、若く見えるから驚き
後醍醐の時45くらいと考えればそんなもんか

515 :
ゴクミの娘は偶にテレビ出てたような気が

516 :
仁左衛門と同年代だがパソコンはかなり使えますよ。
70代でも今やパソコンは必需品。
高齢者をバカにしないで欲しいです。

517 :
>>514
序盤は神々しかった帝が、だんだん俗物ぶりを発揮していくのが印象的だったな。

518 :
大河に出る天皇って後白河くらいだから

519 :
70代の人はマイコンブームの時に30代くらいで、「マイコンを使うにはプログラム技術が必要」とか煽られてついうっかりBASICだのマシン語だのかじってしまった人もいそうだしな。

520 :
老いぼれ達の近況報告会キモ杉
お前ら消えろw

521 :
>>518
源平がらみで安徳天皇も意外に登場回数が多い。
ある意味で歴代天皇の中でも一番非業の死を遂げた天皇。
無理心中の道連れとか、かわいそうすぎる。

522 :
安徳帝は唯一の見せ場があるからね。
北条時宗に後嵯峨上皇と亀山天皇が出ていたな。赤マフさんが後嵯峨院を恫喝してたw

523 :
Under the sea♩

524 :
「帝は神のような御方」という尊氏に対して、後醍醐帝が「尊氏は愚かじゃの。朕は人じゃ」と答えるシーンも印象深かった。

525 :
自己紹介や昔台詞の思い出話って
かんべんしろよカスジジィw

526 :
>>521
幕末の孝明天皇も比較的よく登場する気がする。

527 :
正親町天皇と後陽成天皇もちらほら見る

528 :
まあ当然のことながら、大河で取り上げられることの多い、
源平合戦期、織豊期、幕末期の天皇はよく登場するということですな。

529 :
歌舞伎その他伝統芸能系以外がキャスティングされる天皇ってのは少ないよね

530 :
後醍醐、光厳、光明、後村上が出た大河は貴重だな。歴代大河でも太平記しかない。

崇光と後光厳は出てたっけ?

531 :
>>530
出てない。後光厳擁立時のごたごたは見てみたかった気もする(道誉もからんでいるし)。
でも正統性がほとんどないまま無理矢理即位した後光厳の直系が比較的短期間で断絶して、
皇統が持明院統の嫡流(崇光天皇の系統)にもどってくれてよかった。もしあのまま後光厳の系統が続いていたら、
天皇の権威はかなり怪しいものになっていただろう。

532 :
江戸時代初期の後水尾帝と明正女帝も結構回数多くない?
明正はドラマでの自分の初見はテレビ版の柳生一族の陰謀だったな
最終回の2つ前ぐらいの回

533 :
爺の近況報告会やっと終了か
キモかった

534 :
>>528
戦国・織豊物はあまり天皇を登場させない雰囲気がある。

>>530
>>531
この大河は正平の一統自体をスルーしている。

535 :
>>521
大河「

536 :
>>521
大河「義経」では、安徳天皇のが守貞親王(後高倉院)と入れ替わって壇之浦で死なないという、トンでも設定だった。

537 :
安徳天皇は下関のご当地キャラ化しているようだ。
https://backnumber.dailyportalz.jp/2013/09/04/a/img/pc/18.jpg

しかしこの2人にこのセリフを言わせるとはブラックにもほどがある。

538 :
太平記〜花の乱の間が必要だな
後円融天皇や後小松天皇をやらないと

539 :
足利義満か細川頼之をぜひ、、、

540 :
>>537
鬼や
まあ、鎌倉なんか嫌な思い出しかないであろう静御前をこき使う鎌倉市もたいがいだが
逆に信玄なんか大っ嫌いであろうにご当地で持ち上げる信州佐久地方とかもあるな

541 :
安徳天皇なんてスレチやめろ。おまえらの天皇話なんて誰も興味ないからSNSでやれ

542 :
>>532
柳生一族の陰謀にも若い頃の真田さん出てたよね

543 :
正成自刃

544 :
>>541
崇徳上皇はOK

545 :
>>538
後円融のドMとドSが入り混じったキャラ演じられる役者なんていないだろう。

546 :
>>531
広義門院「義詮に頼まれたから仕方なくやったんだぞえ。」
義詮「すいませんでした…」

崇光流を猶子にした後小松院のファインプレーですな。これがなかったら崇光流と後光厳流で両統迭立になていたかもしれない。持明院統が真っ二つに分裂か?

547 :
>>546
ファインプレーというより、後小松上皇の息子の称光天皇には皇子がおらず、後光厳流はそこで断絶が確定していたから、
後小松院は持明院統での皇位継承を維持するなら、皇統を崇光流に戻すしか手はなかった。

でも崇光流が続いてくれていてよかった。もしそれがなかったら、称光天皇で持明院統の皇統は断絶し、
現在の皇室も存在しなかったことになる。

548 :
>>544
太平記や平家物語を牛耳る悪霊の大親分

549 :
>>547
ちなみにこのところ現皇室の皇位継承問題(もし悠仁親王に男子の跡取りができなかったらどうするか)にからんで
話題になることが多い戦後に皇籍離脱した旧皇族11宮家の大元である伏見宮家と現在の皇室が枝分かれしたのがこのとき。

崇光天皇の孫で伏見宮家(世襲親王家)3代目だった貞成親王の第一王子彦仁王が称光天皇の死後
(後光厳流の断絶後)に即位して後花園天皇となり、この系統が現在の皇室につながっている。

一方で第二王子貞常親王は伏見宮家の4代目となり、この系統が世襲親王家として続き、
明治維新後、そこから派生して久邇宮、東久邇宮、竹田宮など様々な宮家が創設され、
1947年に皇籍離脱するまで存在していた。

550 :
桃井直常がいつも直義の屋敷に居候してて図々しい野郎だなと思ってたけど
直義も尊氏もけっこう重臣の屋敷に泊まってるから、あれは桃井さんの自宅だったのかも知れないな
申し訳ありませんでした

551 :
>>544
崇徳上皇もスレチだろ。おまえらの太平記と関係ない天皇話なんて誰も興味ないからSNSでやれ
カスレスすんなクズ

552 :
イキってるばかりじゃなく面白い話してくんないかな

553 :

こういうバカいるよね
日本史板じゃねーし

554 :
>>551
部外者か?
これ見て関係ないと言えるか?


正室
皇嘉門院(三河国吉良荘本家、兄弟の九条兼実は三河国知行国主)


・兵衛佐局 - 法印信縁女、源行宗養女  ←源頼朝の親戚(吾妻鑑)、三河の藤姓熱田大郡司家出身か? 


・三河権守・源師経女   ←源頼朝、足利義兼の従姉妹 

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→女(崇徳院妾)


崇徳院は三河サイド
崇徳院は尊氏に味方したと思えなくもない

555 :
まーた三河屋か笑

556 :
天皇の自慢話まだやってたの?きっしょ

557 :
アレに反論される奴www

558 :
三河屋よりつまらない奴がいるとはな
下には下がいる

559 :
>>551
天皇家ネタを長々やるのはアレだが、とりあえず太平記ファンなら崇徳の怨霊の話はアリだと思うぞw

560 :
>>547
ライバルの系統を養子にするってファインプレーだろ。後円融や後光厳まで遡れば男系男子はいたはず。それをしなかったってのは後醍醐の教訓があったからだろ。
あと下の>現在の皇室も存在しなかったことになる。
↑これはさすがに飛躍しすぎ。この時代は男系男子がたんまりいるのに断絶するわけがない。バックには北山殿もいるしね。

561 :
成良親王が光明天皇の皇太子におさまったところで後醍醐が闘争から手を引いていたら、
自分の血を後世の皇室に残せたかもしれんのに(´・ω・`)

そもそも後醍醐が鎌倉幕府転覆を目指したのって
自分の子どもを後継にできない立場から脱却するためだったんじゃないのか

562 :
廃太子になった上、処刑(毒殺)された可哀想な成良さん

563 :
>>559
崇徳上皇はアリっていうか、
ドラマに出ていたよ

564 :
それは崇光さんじゃ・・・

565 :
>>560
後光厳や後円融の皇子で、あの段階で存命していた人物はいないわけではないけど、
全員仏門にいたから、皇位継承候補にはならないでしょう?
あの場合、伏見宮系か旧南朝系の皇族かの二者択一だけど、この場合流石に旧南朝系から
天皇を出すのは、幕府も朝廷の公家たちも絶対嫌だっただろうし。

>>564
崇光天皇って大河「太平記」に登場した?

566 :
>>565
よく覚えてないけど
すくなくとも崇徳さんは確実に登場していない(´・ω・`)

567 :
>>566
そりゃ流石に怨霊を登場させるさせるわけにはいかないからな・・・。

568 :
>>565
いったん臣籍降下して臣民になった者が皇族に復帰して天皇になった例(宇多天皇)と
(天皇の血を引いているものの)臣民として生まれ育った者がのちに皇籍を与えられ、天皇になった例(醍醐天皇)はあっても
いったん出家して仏門に入った者が還俗して(俗人に戻って)天皇になった例はないからね。
いったん仏門に入った者は皇位継承者の候補にはならない。

光厳天皇第二皇子の弥仁親王はもともとは出家する予定だったが、その前に正平一統の混乱が発生し、
急遽即位して後光厳天皇になった。

ちなみに基本的に明治維新前は天皇家にしても他の宮家にしても、嫡子以外の男子は出家して仏門に入るか
(=皇族ではなくなり、結婚して子孫を残すこともできなくなる)、後継ぎのいなくなった他の宮家や五摂家などに
養子に行くかして、皇族の数が無制限に増えることを防いでいた。

569 :
崇徳さん、全話に出てたじゃん。ほら、尊氏の後ろにも、後醍醐の後ろにも…。
その目は優しかった(たぶん

570 :
いったん出家した後に還俗して即位というパターンには、天武天皇が一応いるにはいるが、
あの時代の朝廷で共有されている意識のなかでは、先例として引き合いに出してよいのは、
平安以降の先例だからな。

尤も後光厳即位の際には、継体天皇の先例とかを二条良基あたりが口にしているから、
緊急事態の場合はアレかも知れんがw

571 :
>>563
確かに
全話に出てたな

572 :
>>562
後村上「力こそが正義 いい時代になったものだ。」

573 :
>>568
中川宮さんしょんぼり(´・ω・`)

574 :
>>572
同母兄二人とも足利が殺してくれたおかげで即位できた後村上はラッキーボーイ

575 :
北畠も義良が即位して漁夫の利を得た感じかな?

576 :
>>565
崇光天皇は出ていないな。

>>571
ドラマ内ではなくオープニングで出演。

577 :
>>537
崇徳さんも讃岐のご当地キャラにしたら成仏あそばすかも?

578 :
大不敬でござるぞ!

579 :
安徳天皇はええのんか?

580 :
早良ぬ神に祟りなし

581 :
>>576
え?どこで出ているの?

582 :
全クレジットの横で微笑んでるよ

583 :
>>561
それもだけど、政治を古代の天皇一極集中に戻したかったのよ。
ドラマで後醍醐も言ってたじゃん。全国六十余州、あまねく朕のなんちゃらかんちゃらって。

584 :
>>582
探したけど映像ないよ

585 :
後醍醐天皇は子供にはあまり愛着無さそう

586 :
>>581
最初の一発目で大天狗が出てくるだろ
それが崇徳上皇
古典太平記をトコトン読め
そしたらあのイントロ映像の凄さが分かる
かつてオープニングまで
拘ったそんな大河はなかった
となみに滝は源氏の頼朝がかつて決起した伊豆の滝だし
まだまだオープニングだけでも
探ると裏ネタあるぞ

587 :
>>585
なにしろ側室が20人以上、産ませた子供が30人以上という皇室史上屈指の絶倫天皇だから、
子供のことなどいちいち覚えていられなかったのでは。

588 :
確か醍醐天皇の次に子が多かったと思う

589 :
嵯峨天皇がいるけど
50人って本当かな

590 :
女性関係では宮中に遊女を呼びこんだり、自ら遊郭に出かけていた後水尾天皇もなかなかすごい。
結局、30人以上の子供を作り、58歳で後の霊元天皇を産ませている強者。

591 :
そもそも皇子時代には拉致監禁までしとるからなぁ

592 :
OP最後の山野は鎌倉かな?

593 :
景行天皇の80人とかは古すぎか?

594 :
大化の改新より以降じゃないとね

595 :
大雨で横浜市金沢区がやばい…

596 :
金沢殿、では勝手にお逃げなされい!

597 :
金沢家の官僚は足利政権でも活躍したらしいけれど
やっぱり「黙れ!残党」呼ばわりされたんかね

598 :
それがしの孫達はの、極楽寺口で闘うておるのじゃ
励ましてやらねばのぅ…

599 :
金沢文庫
大丈夫?

600 :
金沢殿、息子に刺された時「オヨヨッ」という声にきこえて笑いそうになった

601 :
>>600
前にも書いていたよね。

読まなきゃよかったよ。シリアスなシーンなのに。

602 :
金沢殿の最期のシーンは、当時出演していたCMとの兼ね合いで、自ら自害は避けたという説があるらしい

603 :
>>602
救心?

604 :
金沢殿は合ってたなあ
六波羅陥落の使者のシーンとかあのうろたえっぷりがもう最高

605 :
赤橋もよかったぞ
自らの家柄と妹の嫁ぎ先と板挟みで大変

606 :
金沢の祖父ピーターは冷静沈着だった
赤橋の曾祖父カイヤは毒殺された…

607 :
>>606
時宗キャストは
オマージュが多かった
原田美枝子とか西岡徳馬とか

608 :
>>605
最後の出陣前に別れを言いに来て高時と言葉を交わすシーンは泣いた

609 :
>>604
そういえば金沢殿は、かつて六波羅探題南方として、京都滞在歴もあるんだよね。
そして貞顕の探題在任中に嘉元の乱が起こるのだけど、その際も自分が二月騒動のときの
北条時輔の二の舞になるんじゃないかと、恐れおののいていたなんて話もあるw

610 :
赤橋は寝返り者じゃ
高時はとは思わぬ

611 :
↑少し落ち着いてから書き込めばw

612 :
>>610
太守!

613 :
>>603
心臓を刺し貫かれて、救心もなにも…。

614 :
>>613
じゃあ長く悶え苦しむような演出のほうが良かったと?

615 :
BSプレミアムで再放送されるとして、乳首丸見えのシーンはカットされるのかな?

616 :
ボカシでは?

617 :
楠木正成の生首もファミリー劇場ではカットされてたな

618 :
つべとDVDしか見たことないけどリアルタイム放映だと生首晒してたの?俺が見たのは右馬介が正行に首を届けて正行が首を確認して目をそむけるとこでギリギリ首が見えないくらいだった

619 :
>>615
BSならいけるでしょ
乳首ダメならそこら中の映画がカットされまくりになる

620 :
複数箇所あるしなw

621 :
DVDだとそのままだよ

622 :
>>597
登子もいるし大丈夫だったんじゃね?北条残党の有能官僚は建武政権にも参加してるしね

623 :
>610 時々使う「高時はそうは思わぬ」かw
    赤橋は去ってから「永の別れに参ったのじゃ」と。

624 :
>>622
確かに将軍の御台所が北条残党のトップみたいなものだからな。

625 :
中先代のときは残党勢は難しい立場だったな
建武政権の官僚に登用された二階堂道蘊までつかまえて斬首だし

626 :
元々建武政権は躓いていたが、北条残党の優良官僚まで排除してしまったからさらに手詰まりになった、かも

627 :
晴天を衝け、か…

628 :
>>626
しかし結局、南北朝が完全に分裂した後になってから、南朝と北条残党が結び付くのも皮肉だよなw

629 :
大仏の残党達はぶちギレたろうな
南朝とか不倶戴天

630 :
北条時行が新田と組むくらいだから…
旧怨を思い出す暇もないほど生き残りに必死な時代

631 :
大将の個人的感情より、とにもかくにも子分の飯を食わせないといけないからな

632 :
結局、主流派から弾き出された奴等が足利憎しの呉越同舟で結んだだけなんだろう。

633 :
反権力に対する権威にはもってこいの南朝

634 :
しかし南朝と組まなければ何の権威もない北条残党も憐れだなw

635 :
女系でもいいから頼朝の直系を残しておくべきだったな。鎌倉でも京でもいいから。

636 :
>>635
だから藤原頼経に頼家の娘をやって将軍家に頼朝の血を繋ごうとしたでしょ
残念ながら死産の上、本人も死亡して頼朝の血は絶えた

637 :
三寅の兄弟は摂家の当主が3人もいたのにな

638 :
実朝に子がいないのが悪い

639 :
>>630
違和感を感じるとか、部外者か?
北条時行の嫁は熱田大宮司の娘で、その親父は南朝サイドだった

実は、後醍醐天皇の本拠は三河だったわけだが、立券者、寄進者は尊氏の先祖



■三河国高橋荘・高橋新荘

豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した


・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?


・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる

640 :
出たよ相変わらずの三河屋w

641 :
>>639
三河屋、石堂氏のルーツ語ってよ

642 :
煽るなよ、ハゲ

643 :
>>635
>>636
頼朝の同母妹である坊門姫の血筋で、鎌倉将軍は最後まで繋がるのだから、良しとしようよ!

644 :
N国党・立花孝志

なぜマツコDXを責めてるんですかとよく言われるんですが、
うちの党に投票してくれた有権者をバカにしたからですよ、ふざけた人じゃないかとかいって。
気持ちが悪いとか、そういう表現をテレビでやった、公共の電波を使って。
ユーチューブ/Awm6hsAsYwk

人の悪口を言ってたくさん稼いでるわけです、この人の年収なんて何億ですよ、国民の声、無視して。
そういう人が、NHK見たくない、受信料払いたくない人を、気持ち悪いなんて批判するから。
ユーチューブ/bcC3wONlBf4

JRPtelevision・朝堂院大覚

N国党と、分けのわからん、ホモかゲイか分からん、何とかいう太った女性が、
攻撃を立花から受けて、それが炎上してる、というのが新聞の一面にも載ってる。
内容を見ると、この太った女が、N国の立花が気持ち悪いと。
立花は気持ち悪くない全然、こいつが気持ち悪いんだ、この太った女が。
名前、わしゃ知らんのだけど。
時々、テレビ出てるのを見て、気持ちの悪い奴だなと思ってたんだけど。
これが、立花は気持ち悪いと言ったようだが、そりゃお前じゃないのか。
まあ、それはそれとしてですね、この程度がタレントなのか、芸人なのか。
日本の国の品格が著しく傷つくような人間をだね、なぜMXテレビは使うんだ。
https://youtu.be/YmPyADiuqu
http://o.2ch.sc/1jasv.png

645 :
鎌倉幕府をぶっ壊す!

646 :
己に世を変える力があるとお思いか?

647 :
>>643
頼朝の直系つってんだろハゲ

648 :
>>646
そのシーン、すごく良かったな

少しずつそれが・・・

649 :
お前らの好きなシーンベスト3あげてって

650 :
高氏が一門衆に敵は北条だと宣言したあと、家時の置き文を読み上げるシーン

太守と守時との永の別れ

直義との戦に敗れた後、尊氏に対して師直が心の底から改心するシーン

651 :
「おとうどをコロジタァーっ」の直義毒殺シーンかな
所々に直義の思い出カットを入れれば、もっと盛り上がったと思う。

652 :
>>651
>思い出カット
いかにもで
お花畑で
ダサ過ぎ

653 :
尊氏と直義が光厳上皇に後醍醐ラブを熱く語るとこだろ

654 :
>>653
あれは地味にぐっとくる名シーン
ただ直義は呆れてるだけだけどw

655 :
>>651
そんな回想がないからこその神シーンだと思う
涙、鼻水、唾と顔中の汁をだしまくる真田広之と、それを浴びまくりの高島弟がすごい

656 :
>>655
いやあ弟も汁出しまくってから死んだからどっこいどっこい

657 :
ここの人ほど覚えてないんだけど、正成が舞を踊って尊氏がそれをわざと見逃して部下からいいんですか?って言われて舞くらい自分でも踊れるって言ったシーン
あと馬が横倒しの状態から起こして騎乗した真田広之すげーのシーン

658 :
命惜しむな、名こそ惜しめ!のとこ

659 :
>>657
冠者は寝惚けに金蹴るや〜ぁ!

のところですねw

660 :
運は天にあり
鎧は胸にあり
手柄は足にあり

661 :
>>657
大事なもののために死するは負けとは申さぬものと心得おり候
車引きの矢文がいい

662 :
お尋ねにお答へ申し候。
戰は大事なもののために戰ふものと心得をり候。
大事なもののために死するは負けとは申さぬものと存じをり候。
それゆゑ勝ち目負け目の見境なくただひたすら戰ふのみにて御座候。
どうかお笑ひ下されたく候。
 車引き

663 :
正成自刃

664 :
守時と登子の別れの場面も泣ける。

そなたは足利殿と共に生きよ。生きて、足利殿と、わしのできなんだみごとな武士の世を作ってくれ。
足利殿にできねば、千寿王殿にやらせてくれ。それが登子の役目ぞ。

665 :
右馬介が直冬の許に特攻して説得するが返り討ちに遭うシーンも泣けた
その後の尊氏が一人右馬介はどこじゃと探し回るシーンも

あと古典太平記通りだけど後醍醐が死ぬ間際遺言を遺すシーン
かっこよすぎて痺れた

666 :
朕も肩凝りじゃ!

667 :
正成、今の議、朕は聞かざりしこととするぞ

668 :
皆に命じおく…朕亡きあと、義良がもと、天下を鎮むべし…朝敵足利をすみやかに討ち、天下を太平ならしめよ…これ、朕の妄念なり。これ思うゆえ、朕は、吉野の苔にこの身を埋めるとも、魂魄(こんぱく)常に都の天を望まんと思う…よいか…!

669 :
尊氏と判官殿の会話シーン全部好き

670 :
新田荘は大丈夫か

671 :
来年の大河もこのくらいキレッキレのセリフの応酬を書いてくれるのだろうか・・・

672 :
>>655
自分も回想なんかはいらないな
大河の意味がなくなる、くどい

673 :
池端ならやってくれる。敵は本能寺にあり!なんてありきたりなセリフは使わないだろう。尊氏と光秀が裏切りを決めたのは共通で丹波篠村だったろ?

674 :
「師直、舞ぐらいワシでも舞えるぞ」
「は、はーっ、なるほど」

675 :
護良に
内通してるの右馬介に
ばらされる判官の場面かな

676 :
新田義貞のテーマ?のかかってるシーンはだいたい好きだ
稲村ケ崎、箱根竹の下

677 :
最近の大河って板の間で足がキュッキュなるのあまり聞かない気がする
いつもBGMかかってて無音が少ないのかなあ

678 :
讃岐守殿も、よいお世嗣ぎをお持ちよのぅ

679 :
>649
時宗の念仏行列が鎌倉に入ってくるところ
高時と守時の別れ
赤松と高氏の京都での別れ

680 :
それはそうと
勾当の内侍、阿野廉子、二条の君、西台、登子
やるなら廉子だな、やっぱり

681 :
高氏生母だろ

682 :
>>680
まあ個人の好みだが、自分が太平記に登場する女性でセックスアピールを強く感じるのは
勾当の内侍がトップ、次点が花夜叉。

683 :
花夜叉様が一番好み

684 :
>>682
廉子が海に突き落とした小宰相はダメ?

685 :
まだエロ紹介やってんのかよマスカキジジィw

686 :
正成嫁「おーい!」単独クレジットだぞw

687 :
…あ…顕子…

688 :
藤夜叉・顕家「…」

689 :
虎女と呼んでくだされ(はあと

690 :
>>686
正成ではなく、義貞の正妻では?

691 :
義貞の正妻?

692 :
義貞の正室は一度きりの出演だったかと

693 :
あめくさんの義貞妻はえらくコミカルだったな
あの奥さんだとそりゃ内侍に行くわなと納得だった

694 :
朴訥な亭主と空気読めない嫁ってお似合いに見えたよなあ

695 :
史実では義貞の正室はずっと地元にいて京に来たことはなかったのかな?

696 :
直義の正室・渋川氏娘も一度きりだったような。尊氏が良い碁盤をゲットしたぜ!と朝一で直義邸に特攻した時に挨拶してたと思う。直義は迷惑そうだったw

697 :
「太平記」には義貞の子供は出なかったけど、史実では子供がいるわけで、
それを産んだのは正室だろうから、夫婦愛はそれなりにあったのだろう

698 :
子供の有無=夫婦仲というのは、こういう身分の人だと必ずしも言えないと思う。
無論、不仲だったという話もないが・・・。

699 :
そもそも尊氏が正妻の子じゃないので

700 :
貞氏の正室は病んでる感じだったな
児玉清が申し訳なさそうにしてた

701 :
再来年の大河はエリア的に新田が一応関係あるな

702 :
>>698
子作りは義務だからな昔は

703 :
子作りというより、世継ぎを残す、だな

704 :
女は政略結婚の道具になる

705 :
おしん再放送に桃井刑部が。

706 :
>>705
大高もかなり先に出てくる

707 :
神戸新聞NEXT「連載:北マンスリー」2019/09/18
時は南北朝時代。後醍醐天皇らの南朝方と足利尊氏らの北朝方に分かれての戦いが約60年続いた。丹生山が、戦いの舞台となるのはその初期の1336年だ。(中略)
城のほとんどが「寺院のそばにあった」事にも注目する。(中略)
大きな領地と商業権を持っていた当時の寺院。「寺院の一角を借りて城にし、大部分の兵士は寺にいたのではないか。当時の状況から寺院の協力がなければ戦いをする事は困難だった」と説明する。

708 :
>>697
楠木正行はよく出てたのにね。差別だね。

709 :
このドラマの楠木正行の登場シーンなんて、ほんの僅かじゃなかったか?

710 :
母ちゃんとセットでちらほら見たな正行

711 :
正行って、総集編だと子役の登場シーンはあるけど、成人後のシーンは全カットなんだよなw

712 :
正成の首を届けるとこもカットなの?

713 :
真空下における着陸船の噴射制御は、今でも超高度な難易度があり、当時の技術では不可能。
https://www.voynich.com/moon/index.html

【世堺教師マITLーヤ】

いわゆる科学者や専門家たちの絶望的な望みは、
人間の目が捉える証拠を否定するのには役に立たないことが証明されるだろう。
signs/670
物質的住居の名残はまだ残っており、例えばウサギのような小動物は月面に存在します。
60wbw5/ou99he.html
実際にはどのUFOも太陽系外からは来ておりません。それらは私たち自身の太陽系の惑星から来ます。
pzytyf/jeczme/88eb4r.html
http://o.2ch.sc/1jjs2.png

714 :
>>492
wwwwww
草生えるwww

・・・いや、ごめんなさい。

715 :
>>712
そのシーンが総集編にあるかどうか分からんが、そのシーンで出てくる正行はまだ子役のはず。

716 :
正行が子役、成人後と出てたのに対して義貞の息子は一切出てこない
少々残念

717 :
ストーリー展開上、どうでもいい

718 :
正行は四条畷の戦いで華々しく戦死する話があるけど、義貞の息子達は正直どうでもいい存在だよなw

719 :
成人した正行は知らないやw後村上に拝謁するところかな?

720 :
親房の「おどれはこの戦で必ず死んど、否、Rや」と言わんばかりの嫌味にちょっと引いた

721 :
義貞の息子3兄弟は、それだけを取り上げた本も出版されてる
このドラマでは存在自体はっきりしなかったのが少し残念

722 :
新田三兄弟と後南朝やな
数年前によんだ
たしか脇屋義助の息子にも触れてたような気がする

723 :
公家の奴等は嫌みがねちっこいからなあ…

724 :
脇屋義助の最期くらいは描いてほしかったな
出まくってた割りにいつの間にかフェードアウトしてしまった

725 :
そういう話するとまたましらの石や千種のフェイドアウトについてブツブツ言ってくる奴が来る

726 :
殿ノ法印もどうなったか

727 :
義貞の息子だってかっこいいシーン作れたはず

天下の為には 朝敵 なり。我が為には親の敵なり。
只今 尊氏 が首を取つて、軍門に曝さずして、いつの時をか期すべきや

こう叫んで尊氏を蹴散らして追い回すのが武蔵野合戦

次の笛吹峠の銀漢高くすめる夜に というのも美しい
どこかで10分くらい捻出できなかったものか

728 :
だからこの大河は尊氏が主人公の原作だって口を酸っぱくして何度も言ってるだろチンカス共よ

729 :
30年近く前のドラマに対して粘着する哀れな新田厨

730 :
>>725
ドラマ的に超重要人物である親房卿だって、いつ死んだかには、一切触れていないわけでw
登場人物のセリフで死んだことに言及された千種のほうがまだマシなくらいだな。

731 :
>>725
そんな不可解なフェイドアウトのわりに
その後2回も大河主役務めてる怪

732 :
傷のない模範大河のように自慢するもんだからいろいろ突っ込まれる

733 :
創作エピソード入れなくてもネタが多すぎて入りきらない南北朝
もいっかい大河やらんかな

734 :
太平記リターンズ 南朝のその後

735 :
北朝崇光流対後光厳流のほうが見たい

736 :
>>733
かける費用は増えていても、陳腐なキャスティング、劣化した脚本とゴミが増えるだけじゃないのか・・・

737 :
一休さんは天皇になれたかもね

738 :
ははうえさま~ 

739 :
一休さん、皇位継承なら「ああ、面倒くさい将軍様は朝敵にしちゃおう」 チーン

740 :
一休さんは後光厳流の数少ない男子だったのにな。還俗して立太子すればよかったのに。今の秋篠宮さんのように皇太弟として。

741 :
平安期以降の朝廷の先例では、一度出家した皇子が還俗して即位するのはNGだよ。

742 :
>>741
後光厳天皇自体が古墳時代の継体天皇まで先例を遡って、治天の君からの指名(譲位)も
三種の神器もないまま強引に即位した(させられた)いわくつきの存在だから、
後光厳流を絶やさないために、飛鳥時代の天武天皇(一度出家してから還俗して即位)を先例として、
一休さんを還俗させて帝にという荒業もやってやれないことはなかったかもしれない。
北朝が掟破りを二度もするのは気が引けたか。

743 :
よそでやれ低脳

744 :
>>742
継体天皇では誰もが納得する先例としてマズいからこそ、広義門院を治天に見立てているわけだが?

745 :
>>744
全く先例がない、皇族ではない(もちろん皇位についたことはない)女性を治天の君に見立てて、
その院宣で天皇を即位させるのも、古墳時代の継体天皇を先例として即位させるのも、
どっちもどっちの掟破りの荒業。

746 :
まあ先例先例つってもライバル系統の崇光流を猶子にするのは苦渋の決断だろ。これは後醍醐を反面教師にしたんだよ。持明院統が分裂すると、また天下が大乱になるとな

747 :
後花園を後小松の猶子にして即位させるのを最終的に決めたのって、崇賢門院だろ?

748 :
>741 愚かな!!

749 :
崇賢門院なら義満あたりの圧力かな?

750 :
判官殿が今テレ朝に出てるぞ

751 :
>>749
後花園が皇位継承者となる遥かに以前に、義満は死んでいるぞw

752 :
そもそも彦仁王(後花園天皇)の誕生自体が義満死後だし・・・。

753 :
>748 叡山へお戻りを

754 :
名和長年、子細確かめい!
身は二品の親王ぞ、征夷大将軍なるぞ!

755 :
仔細

756 :
細かくて草

757 :
子細でも間違えではなくね?
脚本では仔細だ、という関係者かな

758 :
というか子細のほうが一般的だろ

759 :
??「二品の分際で偉そうに…」

760 :
所詮は東夷であろう!

761 :
宮方の役者良かったなあ
北畠親房、大塔宮、坊門清忠

762 :


763 :
はて、まろには東夷の腹の内は読めませぬ。お上は御心が広すぎるようにござりまする

764 :
護良は都にて死せし者、足利は死者に鞭打つかと・・・。

765 :
阿野廉子は三位局らしいけど従三位なの?
たまに歴史の本とか読んでたら岡松一品とかって表現有るけど、
廉子も品位持ってたりするの?

766 :
>>765
嘉暦3年(1328年)に義良親王を出生。元弘元年/元徳3年(1331年)3月[2] には従三位に叙され、三位局と称した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%87%8E%E5%BB%89%E5%AD%90

767 :
即位する前の後醍醐が鎌倉幕府の親王将軍になっていたら面白かったのに(´・ω・`)

768 :
一応、後醍醐も坊門姫(頼朝の同母妹)の血は引いているか。

769 :
親王将軍は持明院統の血が濃いからな

770 :
>>767
うーん、、、ソッコーで京に送還だなw

771 :
北条政子って二位尼だから正二位か従二位だね
こんな身分鎌倉では鎌倉殿しか無理じゃない?
実際に尼将軍って異名で呼ばれてたか知らんけど納得できるわ
将軍並の格式だもん

772 :
>763 護良!!!

773 :
清盛の嫁はんも二位尼でっしゃろ?

774 :
>>769
持明院統の血を引く親王将軍は最後の2代のみ

775 :
せめて護良が足利ほどの器量なればのう…

776 :
護良に器量がありすぎると後醍醐帝本人にとって脅威だという気もするけどね。

777 :
正成自刃

778 :
護良を失脚させることに関しても、廉子派が如何に策謀しようとも、最終的に決断したのは後醍醐だよな。

779 :
大塔宮は独断で武士たちに所領宛行をやったのが後醍醐の逆鱗に触れたらしいな。じゃあ征夷大将軍にするなよとw

780 :
まあ建武政権は綸旨万能主義だから・・・。

781 :
中先代の乱は北条時行があわよくば鎌倉に幽閉中の護良を将軍に立てようとしたの?将軍護良、執権時行の体制

782 :
中先代は京都の第一撃では後醍醐帝暗殺して持明院統に戻そうとしたのだから
そこから護良を立てるかなあ

まあ南北朝だからなんでもありだがw

783 :
西園寺公宗と北条泰家の暗殺未遂事件か

784 :
まあ護良が時行の手に落ちた場合、何らかの取引材料に使われる可能性はあったかもね・・・。

785 :
>>778
尊氏も積極的に参加していた。ドラマでもやってるしね。後醍醐的には尊氏を敵に回したくなかったのだろう

786 :
ドラマ的には、あれは積極的に参加していたということなのか・・・?

787 :
尊氏以外の足利一党はノリノリだった様な

788 :
望むと望まざると、まろは帝の子。そちは武家の棟梁。
それゆえ、あい争うた。そして…負けた…むなしい…限りじゃ…

789 :
護良親王は後醍醐の統制を逸脱気味だったらしいし
独自の支持勢力もあったということは、
仮に護良親王が尊氏との争いを制していたら、
親王が武家を束ねる政体ができてたのかな
室町幕府じゃなくて護良幕府(仮)ができていたりして(´・ω・`)

790 :
悪人扱いだからか、足利さん祀った神社はトンと見つかりませなんだなあ。

791 :
>>789
宮や公家が武家を束ねられないのは証明済み
尊氏に代わる新たな武家の棟梁を担ぐだけ

792 :
というか一口に武家と言っても、鎌倉御家人系の名門武家と、畿内悪党系の新興武家とは、
この段階では完全に別物だからなぁ。

そして建武政権期の抗争では、前者が足利支持で、後者が大塔宮支持。

後の観応の擾乱では、前者が直義派、後者が尊氏派になる。

793 :
いうても関東の大族はほぼ尊氏についてたような
武蔵野合戦から笛吹峠あたりで直義派って小者ばっかりのはず

794 :
尊氏は東西を一つに纏めようとしたんだよ。だがまだその時ではなかった。戦国期くらいぐちゃぐちゃにならないと無理だった

795 :
結城は何故北畠になびいとるのか?

796 :
宮方が勝利すれば事実上の関東の主だから

797 :
>>795>>796
結城といっても奥州の白河結城のほうでしょ
本家との対抗もあるのでは

798 :
天下を率いるのは肩が凝る

799 :
結城宗広の母がアレだったでござる

800 :
>>798
くたくたになり

801 :
>>797
三木一草はいずれも鎌倉段階では日の当たらないような立場だった連中だからね・・・。

802 :
>>797
三木一草はいずれも鎌倉段階では日の当たらないような立場だった連中だからね・・・。

803 :
>800 ポン(鼓

804 :
はてさて、公平とは疲れるものよ・・・。

805 :
公平が北条のアイデンティティだろう

806 :
そのことなら長崎円喜に任せてある!
円喜に問うがよかろう!

807 :
そのことなら長崎円喜に任せてある!
円喜に問うがよかろう!

808 :
高時はそうは思わんけどな

809 :
太守は長崎の不正を知らなかったよなw

810 :
故なき沙汰にて一笑にふし参上つかまつりましてござりまする!

811 :
恩赦か。護良も許されただろうか?

812 :
この頃の作品のOP映像が一番良かったな
CGとか必要ないと思うんだけど

813 :
真田尊氏が刀を振るうところと一番曲が盛り上がる部分で滝をバックに
騎馬軍団が疾走するところは何度見ても痺れる>OP

814 :
>>812
湊川の戦いの回に出てきた錦の御旗の御座船なんか明らかにCGだってバレバレだよなw
また放送当時のCG技術では仕方のないことではあるが・・・。

815 :
ゴジラが出てきて踏み潰しそうだったよな

816 :
明治からは践祚→即位→大嘗祭の順番かな

817 :
今日の北朝の新帝の即位式を見て、南朝の末裔たちの思いはいかなるものか。

818 :
南朝の末裔は皇室典範の枠外だな
つまりは合法ではないということさ

819 :
義満が早死にしなければ南朝後胤が宮家として残ってたのかもしれないのかな

820 :
生き残っていても、義教さんが殲滅するよ

821 :
義満的には南朝の後村上皇統を宮家にして徐々にフェードアウトさせたかったのだろう。もちろん皇位は北朝のままね

822 :
間違えた、後村上じゃなくて後亀山ね

823 :
後醍醐院流なる幻の宮家があったらしい

824 :
 
一休さん 其の三
http://mao.2ch.sc/test/read.cgi/ranime/1558854689/

208 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい [sage] :2019/10/20(日) 15:27:02.83 ID:???

さよちゃんだと子供じゃなくて孫くらいの年齢じゃないのか
将軍様孫おったし


209 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい [sage] :2019/10/20(日) 17:12:01.09 ID:???

さよが足利義満の養女となれば後小松天皇の子の一休と釣り合いが取れるカップルになる


220 :名無しか・・・何もかも皆懐かしい [sage] :2019/10/22(火) 23:04:07.11 ID:???

さよの両親は戦乱で死んだということになっているが
さよの本当の実父は足利義満で母親が伊予局

しかし足利幕府の将軍が後小松天皇の女御と男女の関係になった

しかも伊予局が南朝側につながるというだけにそれが発覚したら大事件

足利義満と伊予局はそれ以降面識の無い関係であるということにして別れた

そしてまもなく伊予局はさよを出産

伊予局は足利幕府の圧力で千菊丸を連れて宮中から追放されることになった

足利義満は伊予局との関係が発覚するのを恐れ
さよは百姓夫婦に預けられた

一休とさよが異父の兄妹というのが本当のこと
 

825 :
だからなんだ

826 :2019/10/25
>>820
義教だけでなく、北朝に仕えてきた公家たちも、今さら南朝の系統を皇族として
遇するのは、嫌なのが本音だっただろうね。

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