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1 :2019/04/30 〜 最終レス :2019/06/18
LINEオリジナルキャラクターが嫌いな人いる?
タヌキ・ウンコニー・はんぺん・笹かまぼこ・サリー・部長・
ジェシカ・レナード・エドワード・チョコ・パンヨ

絵や写真やアスキーアートを貼る行為は禁止、新しいスタンプかわいい等という発言も厳禁!

2 :


3 :


4 :


5 :


6 :
はんぺんクソムーン厨男子こと入間は書き込み禁止

7 :
>>1-6
おまえはいくらたっても自身が立てたスレが「スレタイがファンスレと見せかけてのテンプレをアンチスレにすり替えた偽スレ」であることを理解できねえんだなこのクズが。
今の時代はな、LINEは約9割以上の日本人にとって生活の一部になってるのは事実なんだよ。おまえがLINEをいくら叩いたりアンチの活性化しようが無駄だコノ野郎。
今や国民的キャラクターの仲間入りしたブラコニサリムーンがでっかく描かれたLINE@のポスターを貼る店や施設が増えまくってるのは当たり前だし、おまえのわがままだけでもLINEが終わるわけにはいかねえからな。
今度こそおまえの家族・親戚や学生時代の同級生・先輩後輩がLINEを使ってるということを理解しとけ。オレの近所付き合いの若者やおばさん達だってLINEはすっかり日常に欠かせなくなったんだから。
あと、おまえの偽スレのせいでLINEキャラファンな住民達はこの偽スレを「スレタイ=ファンスレ」と思ってカキコしてしまう誤爆を起こす事例が増してきてるだろうがよ。
最後にひとつ重大なことだが、おまえはオレたちLINEキャラファンの史上最大の敵なんだからな。おまえが早くパソコンやスマホを捨ててホームレス生活したり交通事故に遭ってタヒねばLINEの文字すら見なくて済むだろ。ざまあみろはんぺん荒らし野郎w

8 :
このスレは、はんぺん荒らしことムーンアンチがまたまた立てた、ファンスレと見せかけてのテンプレをアンチスレにすり替えた偽スレなので完全に無効です
なお、正式なファンスレは以下のものになりますのでこの偽スレ自体書き込まず落としてください

【はんぺん】LINE FRIENDS【立入禁止】15
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/mascot/1514654217/

9 :
今の日本は約9割以上の人口がLINEを使ってるのが当たり前だっていうのに
このスレはどう見てもテンプレに「嫌いな人」「タヌキ」「ウンコ」「はんぺん」「笹かまぼこ」「禁止」「厳禁」と書いてある時点でアンチスレにすり替えられてる偽スレであることがバレバレなんだよねぇ〜
引き続きこの偽スレは例のストーカーどもを叱るためのコメントを書いたり容量限界になるまで大容量の長文・AAで埋めまくるための隔離スレとして活用しよう

10 :
                       //   __    `ヽヽ、
                      // , イ ´    ` ト 、  ヽ ヽ
                     // /  ./    ',    ヽ  ヽ '、
                    ,',' /  / j {     .',    ! ハ  ! !
\                  ,' j   l  l l     l |   |  .',  ! .!
  \                 ' .{ { ',{  { !    _j ,'   !ノ  j ,' ',
   ヽ               ' ',ヘ ヘ_,,-‐イ____!`ト 、 /ノ  ノ、,'  .',
     ヽ             ,'  Yヽ"フ ̄       ̄<`フ ノ  .ヘ
      ヽ            /   ヘ_ノ ィ"´``     "´`ヾ .レイ   .ハ
       .ヽ          '  イ  ´.', //// l ////// .ノ ノ    .∨┐
        .ヽ         ,' /   `ヽ、   、  _    ,ノイ    __ィ<ヽ"',
         ヽ       j  {      ヽ、   ̄  , イ     /`ヽ ヽ ヘ !
           \     ヘ ヘ       ハト _ ィ , - 、    ノ ヽ     ノ
            ヽr―ゝ-,_ヽイヽ_ノ    }   !     }   フ     /
             ', / / ヘ    ト _ノ   ヽ   ノ'''''"´ ./    ./
`ヽ 、           V   ヽィ  /     ` ト、  二-‐"    {    /!
  ヘ '、          .',     ヽ/                 ', '.   { .!
   ', ',          ト、     ',                  ', /   j j
   !            ヘ ヽ   ,!         ', "        j'    ',j
   j            V    ,'  ::c::      j     ...   .,'     j
    !            ハ   .,'   `´     /     ::c::   ,'     .!
    |             ハ .ハ        ノ !    `´  !      !
    .!              ∨ V       イ  ヽ     イ !      !
     !               ∨                  !      .,'
    j               ',´⌒     、           ヘ     /
    .',               .',        ト― 、      ハ   ノ
     .'                .',                ヘ ヽ_イ   _,,-―'"´
     ',                .',                 ヘ_,,, -‐"´
      ',                ', ヽ            _ イ"
      ',                       _,,, - 、 , イ
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       ',             ', /       イ/            ./
        ',             /   レ"   !/             ./
        ',            .l   /    ,'             /
         ',            !   ,'    ノ            /
         ヽ           ',  !    /           /
           ヽ            、   イ ヘ        ィ―'
            .`ヽ、         ノ!          イフ             , イ
               ` ト----― '" ヘ       イ              , イ
                         ヽ     {              , イ
                          ` ト-- ヘ           /
                       ☆10

11 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

12 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

13 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

14 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

15 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

16 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

17 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

18 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

19 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

20 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

21 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

22 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

23 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

24 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

25 :
                       //   __    `ヽヽ、
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`ヽ 、           V   ヽィ  /     ` ト、  二-‐"    {    /!
  ヘ '、          .',     ヽ/                 ', '.   { .!
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    .!              ∨ V       イ  ヽ     イ !      !
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     .'                .',                ヘ ヽ_イ   _,,-―'"´
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         ',            !   ,'    ノ            /
         ヽ           ',  !    /           /
           ヽ            、   イ ヘ        ィ―'
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                       ☆25

26 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

27 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

28 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

29 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

30 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

31 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

32 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

33 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

34 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

35 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

36 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

37 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

38 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

39 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

40 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

41 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

42 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

43 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

44 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

45 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

46 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

47 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

48 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

49 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

50 :
                       //   __    `ヽヽ、
                      // , イ ´    ` ト 、  ヽ ヽ
                     // /  ./    ',    ヽ  ヽ '、
                    ,',' /  / j {     .',    ! ハ  ! !
\                  ,' j   l  l l     l |   |  .',  ! .!
  \                 ' .{ { ',{  { !    _j ,'   !ノ  j ,' ',
   ヽ               ' ',ヘ ヘ_,,-‐イ____!`ト 、 /ノ  ノ、,'  .',
     ヽ             ,'  Yヽ"フ ̄       ̄<`フ ノ  .ヘ
      ヽ            /   ヘ_ノ ィ"´``     "´`ヾ .レイ   .ハ
       .ヽ          '  イ  ´.', //// l ////// .ノ ノ    .∨┐
        .ヽ         ,' /   `ヽ、   、  _    ,ノイ    __ィ<ヽ"',
         ヽ       j  {      ヽ、   ̄  , イ     /`ヽ ヽ ヘ !
           \     ヘ ヘ       ハト _ ィ , - 、    ノ ヽ     ノ
            ヽr―ゝ-,_ヽイヽ_ノ    }   !     }   フ     /
             ', / / ヘ    ト _ノ   ヽ   ノ'''''"´ ./    ./
`ヽ 、           V   ヽィ  /     ` ト、  二-‐"    {    /!
  ヘ '、          .',     ヽ/                 ', '.   { .!
   ', ',          ト、     ',                  ', /   j j
   !            ヘ ヽ   ,!         ', "        j'    ',j
   j            V    ,'  ::c::      j     ...   .,'     j
    !            ハ   .,'   `´     /     ::c::   ,'     .!
    |             ハ .ハ        ノ !    `´  !      !
    .!              ∨ V       イ  ヽ     イ !      !
     !               ∨                  !      .,'
    j               ',´⌒     、           ヘ     /
    .',               .',        ト― 、      ハ   ノ
     .'                .',                ヘ ヽ_イ   _,,-―'"´
     ',                .',                 ヘ_,,, -‐"´
      ',                ', ヽ            _ イ"
      ',                       _,,, - 、 , イ
       '.              } .', .,        /             /
       ',             ', /       イ/            ./
        ',             /   レ"   !/             ./
        ',            .l   /    ,'             /
         ',            !   ,'    ノ            /
         ヽ           ',  !    /           /
           ヽ            、   イ ヘ        ィ―'
            .`ヽ、         ノ!          イフ             , イ
               ` ト----― '" ヘ       イ              , イ
                         ヽ     {              , イ
                          ` ト-- ヘ           /
                       ☆50

51 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

52 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

53 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

54 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

55 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

56 :
きょうもぼのぼのアニメスレを荒らすストーカーども
悪いけどそのスレのスレ主はオレではないんでな、あとあんなふざけたあだ名こそオレに無縁なワード満載だからなバーカ

306 風の谷の名無しさん@実況は実況板で 2019/06/15(土) 16:11:16.97 ID:UJtULZxo
>>1
これはどういう意味ですか

307 風の谷の名無しさん@実況は実況板で 2019/06/15(土) 16:12:10.34 ID:UJtULZxo
>>3だったか
自分がスレ主ではないと冷淡になる馬鹿

309 風の谷の名無しさん@実況は実況板で 2019/06/15(土) 20:13:05.87 ID:UJtULZxo
ネットではオラついた文章
○○○○そっくりだな

311 風の谷の名無しさん@実況は実況板で 2019/06/15(土) 21:53:34.59 ID:/r/kr4hk
○○○○○○の○○だった事と住所に「○」の字が付く事から「○○○○○○○○」
それが○○○○

57 :
きょうも斉木楠雄アニメスレを荒らすストーカー
ライオンのごきげんようの「なにがでるかななにがでるかな」のパクリかよクソがw

349 風の谷の名無しさん@実況は実況板で 2019/06/15(土) 07:06:27.96 ID:87H7wGDE

○○○○世代は元ネタわかんないだろうな

58 :
>>57
はい不正解!
やっぱ学研のおばちゃん知らないんだなw

59 :
昨日やっとdat落ちしたばかりの最終回まであと1回な偽スレを通報しようとする、時間の無駄遣い大好きクソヨンしん野郎信者

174 名無し募集中。。。 2019/06/15(土) 10:32:17.80 0
○○○○にこのログ送っておくか

60 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

61 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

62 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

63 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

64 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

65 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

66 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

67 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

68 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

69 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

70 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

71 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

72 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

73 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

74 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

75 :
                       //   __    `ヽヽ、
                      // , イ ´    ` ト 、  ヽ ヽ
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      ヽ            /   ヘ_ノ ィ"´``     "´`ヾ .レイ   .ハ
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        .ヽ         ,' /   `ヽ、   、  _    ,ノイ    __ィ<ヽ"',
         ヽ       j  {      ヽ、   ̄  , イ     /`ヽ ヽ ヘ !
           \     ヘ ヘ       ハト _ ィ , - 、    ノ ヽ     ノ
            ヽr―ゝ-,_ヽイヽ_ノ    }   !     }   フ     /
             ', / / ヘ    ト _ノ   ヽ   ノ'''''"´ ./    ./
`ヽ 、           V   ヽィ  /     ` ト、  二-‐"    {    /!
  ヘ '、          .',     ヽ/                 ', '.   { .!
   ', ',          ト、     ',                  ', /   j j
   !            ヘ ヽ   ,!         ', "        j'    ',j
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    .!              ∨ V       イ  ヽ     イ !      !
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     .'                .',                ヘ ヽ_イ   _,,-―'"´
     ',                .',                 ヘ_,,, -‐"´
      ',                ', ヽ            _ イ"
      ',                       _,,, - 、 , イ
       '.              } .', .,        /             /
       ',             ', /       イ/            ./
        ',             /   レ"   !/             ./
        ',            .l   /    ,'             /
         ',            !   ,'    ノ            /
         ヽ           ',  !    /           /
           ヽ            、   イ ヘ        ィ―'
            .`ヽ、         ノ!          イフ             , イ
               ` ト----― '" ヘ       イ              , イ
                         ヽ     {              , イ
                          ` ト-- ヘ           /
                       ☆75

76 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

77 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

78 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

79 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

80 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

81 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

82 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

83 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

84 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

85 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

86 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

87 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

88 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

89 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

90 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

91 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

92 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

93 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

94 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

95 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

96 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

97 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

98 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

99 :
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

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