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- 1 :2011/08/21 〜 最終レス :2016/09/25
- 京都守護職会津中将様御預新撰組
好評につき第2弾です
- 2 :
- ゲシュタポ
- 3 :
- 土方歳三の銅像など、新選組ゆかりの地として有名な東京都日野市の高幡不動尊。
その境内や参道で銘菓「高幡まんじゅうを」売っている「松盛堂」は
公明党の日野市議会議員、みねぎし弘行がオーナーの創価企業です。
こいつは自分のHPで創価学会名誉会長の池田大作や戸田城聖二代目会長のことばや、
聖教新聞のコラム欄「寸鉄」を紹介するような、政教一体の学会市議です。
邪教のはずの不動尊で商売をする恥知らずな創価学会員です。
http://www.e-giin.net/minegishi/
http://www.syoseido.co.jp/
- 4 :
- >1乙!
- 5 :
- >>1
乙〜
- 6 :
- 新撰組同人誌まとめて入荷しました!
http://www.mandarake.co.jp/information/2006/04/23/ngy03/index.html
- 7 :
- 孝明天皇御陵衛士
- 8 :
- 会津士族藤田五郎
- 9 :
- 尽忠報国の士芹沢鴨
- 10 :
- >>3 自分のHPというが、市会議員としてのHPですか。
純然たる自分のHPならば、自分の信仰することを書いて何が悪い。
別に不動様の境内で商売やっているわけではなかろう。
- 11 :
- 士道不覚悟
- 12 :
- 何も悪い事しとらんわ
- 13 :
- あらあらw
- 14 :
- 歳さん...
- 15 :
- 歳さまぁ
- 16 :
- 時代は沖田
- 17 :
-
- 18 :
- 沖田総司房良
惜しいかな病没す
- 19 :
- 沖田の顔の真相
- 20 :
- そら豆だーのお多福だーの散々な言われ様だが
ええじゃないか、人間だもの
- 21 :
- ヒラメ沖田の時代なのか?
- 22 :
- ヒラメ説は佐藤彦五郎長男俊宜が孫にせがまれて話して
その孫がテレビで紹介したことで知られるようになった
お多福肖像画は沖田の姉貴が孫が似てるつって書かせた
ところが具体的になにが似てるのかは一切不明だったり
別に沖田家には色白で小柄な男だったって話もあったり
はっきりいって沖田親戚筋の証言は今一あてにならない
ある程度参考になるのは八木為三郎が語った思い出話や
沖田のおじさんにあたるヒトの写真かな、共通点多いし
剣術の達人、冗談好き、感情的で短気ってのは確実だな
- 23 :
- 八木為三郎談
「沖田は女遊びはしてなかったようです」
近藤勇五郎談
「沖田は余り女遊びをしなかったかわりに、
ある医者の娘と恋仲になった」
- 24 :
- 沖田総司が清純だからとかってよりも
近藤や土方ほど力がなかったから
囲える相手も少なかったってだけだろう実際
助勤以下の連中は大概似たり寄ったりな感じ
大体手近な町娘と恋仲になってる
島田にせよ原田にせよ
- 25 :
- >>22
別スレからの受け売りでスマソなんだが
ヒラメ説を言ったのは
TVに出た時に司会者の強引な誘導尋問で言わされたそうだ
沖田家は目と目の間隔が比較的狭く、沖田だけは他の一族の人よりかは離れてたそれを無理矢理ヒラメ表現されたって流れだったそうな
自分の記憶では、TV出演したのは沖田ミツの子孫だったと思った
- 26 :
- >>23-24
こちらも受け売りでスマソだが、詳しい人曰く
「沖田と医者の娘との淡い恋バナ」は子母澤&司馬発信だそうだ
つまり、創作の可能性があるグレーゾーン
あの沖田家縁者ネタも怪しいらしい
あと、新撰組ピーク時は
幹部以上は大抵の生活費は経費で落とせたそうだ
妾の生活費全般も含むそうで、決して妾が持てないとかじゃなかったみたい
記憶違いだったらゴメン
- 27 :
- >>25
度々スマソ
ヒラメ発言は佐藤彦五郎の曾孫だったそうだ(Wikiより)
- 28 :
- 有名どころで血が続いてるのは斉藤と原田くらいか
近藤は養子だし
- 29 :
- 永倉さんはどうなんだろ?
- 30 :
- >>28
幹部だと永倉新八とか三木三郎の御子孫も存在するようだ
どちらも代々先祖について精力的な執筆活動とかしてるから
色々語り継げることとかもあるんだろうけども
普通は四、五代以上前になると赤の他人も同然だよな・・・
家はなんでも仙台藩士だか仙台浪人の子孫らしく刀とかある
しかし現代に何かストーリーが伝わっているわけでもないし
勿論、山南敬助がどうのこうのなんて話は無いwww
- 31 :
- 回りの人間は元新撰組の幹部って知ってたのだろうか
佐幕派の英雄として扱われるのは明治中期以降だし、斉藤が警部補してた初期なんかは元日本軍憲兵見るような扱いだと思うが
- 32 :
- 新撰組の子孫もだろうけど佐藤彦五郎さんの家族も戦々恐々だっただろうね
支援者だし、おのぶさんの旦那さんだし
- 33 :
- >>32
佐藤家が追求されたのは近藤や土方の主要な後援者いうよりも
農兵隊を率いて薩摩藩浪士の弾圧したり甲陽鎮撫隊に参加して
直接的に新政府側に抵抗したことが理由だな。
もっとも彦五郎は案外簡単に元の地位に復帰してたりもするな
実際問題として明治政府は旧体制側の手を借りなきゃにっちも
さっちもいかないことばかりだったろうし当然といえば当然か
- 34 :
- 昨日本屋をのぞいたら斎藤一にかんする単行本が平積みになっていた。
立ち読みしてみたけど、かなりの長生きだったようです。
西南戦争にも参加というからすごいものです。
- 35 :
- 同じ新撰組結成メンバーで組長だった永倉新八と同じ年に亡くなるのは何か因縁めいてるね。
- 36 :
- >>33
ありがd
彦五郎さんもなかなかやる人なんだww
- 37 :
- 近藤勇があっさり投降したのは彦五郎の代わりに首を差し出すためだったという説もあるな。
- 38 :
- >>37
まじですか?
- 39 :
- >>38
近藤と土方が親友として描かれることが多いが、本当は近藤と彦五郎が親友で、土方は親友の弟って感じなんだよな。
多摩の大物で、新選組のスポンサーで、近藤の親友である彦五郎が官軍に処刑されそうになれば、近藤が責任を被って身代わりに死ぬことがあってもおかしくない。
土方の最後の手紙が彦五郎あてだったのと考え合わせると、もしかしたら新選組の中心人物は彦五郎だったのかもしれない。
- 40 :
- >>39
自分もそういう話は聞いたことあるなぁ
新撰組が多摩郡と天然理心流のネットワークで支えられてるのは事実だし
近藤や土方の手紙が大抵佐藤に充てられてることから彼の存在感が大きいってのは間違いない。
少なくとも大河ドラマのキャラみたいなすっとぼけたおっさんじゃなかっただろうね
興味深い視点ではある。
ま、菊地明系の研究者だとまた余計な脚色やら妄想がはいるんだろうけどwww
- 41 :
- 彦五郎ってあまり注目したことなかったから意外だ
なんで一緒に浪士隊に入らなかったんだろう?家の事情かな?
菊地さんってあんまり良くないの?オススメの研究者が居たら教えてほしい
- 42 :
- 山南さんが切腹した報告も沖田さんが彦五郎さんにしてるしね
彦五郎さんは隊士じゃないが、中心にいた事は有り得る
- 43 :
- >>41
代官直属の多摩の名主だからね。
今でいえば多摩の郡長みたいなもん。
自分は参加できないから義理の弟の土方を名代として参加させたとか。
- 44 :
- >>39
遅らばせながら解説ありがとう
>>43
群長が不在になる訳いかないもんな
そりゃ京都には行けないわw
- 45 :
- >>41
新撰組研究者っていうと菊地明や釣洋一、山村竜也、伊東成郎・・・って名前が出てくる。
彼らの地道な研究活動で膨大な情報が明らかになり更新されてきたし高く評価はできるね。
全く参考にならないってことはない。
ただあの人たちは大学で専門教育をうけて研究機関に就職した学者とは全然違うからねぇ。
学問の世界では決して本流な存在ではないし、歴史学研究の基礎を理解してない人もいる。
菊地明も史実重視とかいうわりに大雑把な仕事って印象が強い。
最近は歴史学者が政治史や社会史のなかの研究対象として新撰組について論じてるけども、
基本にはやっぱり宮地正人の『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)があるね。
勿論、全てが正しいとはいわないけど本来ならばこの本こそ基礎文献とすべきでしょうね。
特に卒論で新撰組書きたいとかいう大学生とかは必読かな。
自分としては彼のような政治集団的性格を中心にもってくる新撰組の評価には疑問だけれども
それ以前に歴史学研究はどうあるべきかってことを説明し実践してくれてるし参考になった。
- 46 :
- ちなみに深谷克己『江戸時代の身分願望』とか平川新『開国への道』とかも興味深い。
今のところ大きなテーマとして身分論があってそのなかで新撰組や浪士組を論じることが多いみたい。
- 47 :
- 「幕末維新新撰組」って本に興味がある
密林なら中古でゲト出来そうなんだが、ガセネタばかりじゃなければいいなぁ
- 48 :
- レスありがとう
宮地さんや松浦さんの本は読んだけど、リアル視点で新鮮だったな
>>47
サイトが本になったやつ?
自分も欲しいけど、なかなか見かけないんだよね
- 49 :
- >>48
サイトもあるね
絶版してるから新品は買えないけど、密林なら入手可能だよ
黒鉄ヒロシの本も買えたw新撰組関連の本は多数あるから
ガセネタをドヤ顔で出してる本にぶち当たりそうで…w
自分は『一気に読める新撰組』は買う気は無いな
- 50 :
- 大学で卒論書いたものの感想として、
永倉新八『新撰組顛末記』新人物往来社、1998年
木村幸比子『新選組戦場日記』PHP研究所、1998年
平尾道雄『定本新撰組史録』新人物往来社、2003年
宮地正人『歴史のなかの新選組』岩波書店、2004年
古賀茂作・鈴木亨『「「新撰組」全隊士録』(講談社、2003年
新人物往来社編『新撰組史料集(コンパクト版)』新人物往来社、1995年
新人物往来社編『続新選組史料集』新人物往来社、2006年
菊地明ほか編『新選組日誌(コンパクト版)』上下、2003年
が、あれば新撰組自体の事実関係を調べるには十分だったね。
有名な新撰組始末記以下の三部作は内容が時代小説的なので意図的に参考にはしなかった。
- 51 :
- >>50
松本良順の自伝『松本順自伝』東洋文庫が抜けているのが痛い。
あれを読むと近藤勇の思考が劇的に変化する史料的根拠が解る。
- 52 :
- 続新選組史料集はアマゾン評価で最悪だよ。
新選組史料集も手紙類は読み間違いが多く、歴史の中の新選組で批判されてるね。
- 53 :
- >>51
ここにあげたのは、あくまでストレートに新撰組と銘打った本ってことで。
説明不足ならスマン。
卒論全体でみればより多くの史料や論文を引用したし氷山の一角って感じ。
松本順自伝はテーマに直接関係なかったので使わなかったね。
>>52
実際に宮地がそうだったように『史料集』に頼らなきゃいかん部分は多々あったし、
使い勝手がよく便利だったってのが、自力で論文を書いてみての正直な感想かなぁ。
ただ、解読ミスや解説不足以前に史料全文の掲載は最低やってほしかったと思うな。
あんなに書簡をブツ切りにされては何がなんだかわからない。
- 54 :
- >>50-53
参考にします、ありがとう「歴史の中の新撰組」って確か、別スレでも推奨してる人がいたなぁ
新撰組顛末記は必須みたいだが、未だ未購入…スマソ
以前から思っていたんだが当時の手紙や史料館にある文献やらを読める人を尊敬する
何故、あんな達筆過ぎる文面を読めるんだw
全く読めない自分には
一生かかっても解読は出来ん
- 55 :
- >>54
古文書解読の教本はわかりやすいの沢山売ってるから読んでみたら?
学者ですら辞書片手に読むのが普通だし。
気楽にマイペースで挑戦すればいつのまにか読めてるものだよ。
- 56 :
- ▲▲▲
- 57 :
- 菊地明の斎藤本ってどう思う?
- 58 :
- 伊東成郎の本って参考文献になる?
マクロなのと参考文献書いてないから使えないと思うのはオレだけかな?
- 59 :
- >>55
古文書解読本なんてあるんだ!w
知らなかった、ありがとう一応チェックして買ってみる
- 60 :
- >>58
伊東の研究を全否定するつもりはないけど、
確かに引用方法が雑で実証性という点で学者の書くものに比べて劣るね。
伊東にせよ菊地にせよ史料名だけポンと出して終わりということをよくするけど、
本格的な学術書を読んだことある人ならわかるだろうけど、あれでは出典を明らかにしたことにはなってないしね。
また史料だけでなく研究成果についても他人のものは、
肯定するにせよ批判するにせよちゃんと出典を記すべきなのは常識であり礼儀。
例えば菊地明は『新常識』で大和屋事件をめぐって暗に宮地正人の説を否定したり、
宮地が紹介したといっていい「彗星夢雑誌」を引用してるのにあたかも自分が新発見した史料のように紹介している。
研究者として無礼というか卑怯な印象すらうけた。
いわゆる「新撰組研究者」のなかには人の研究成果をまるで自分のものように書く人が多い。
新撰組本でしっかり研究史整理をしてる本なんて学者が書いたもの以外みたことないし。
連中には解読とか解説の誤りよりも先ずはその辺の態度を改めて欲しいよな。
- 61 :
- 宮地の意見が全てとは言わないが
彼が『歴史のなかの〜』で指摘したことはまったく活かされてないようだ。
- 62 :
- 伊藤哲也やあさくらゆうは?
- 63 :
- >>62
伊東哲也は評判悪いな。あさくらゆうはよく知らん。
>>57
立ち読みしたけど(買えよ!)よくも悪くも菊地さんらしい本だったな。
細かいようだが無理やり斎藤一を3番隊組頭と書く意図がよく分からん。
一貫して4番隊組頭なのは史料から明らかなのにね。
- 64 :
- >>63
自分で調べてないから本人も知らないんでしょ。
菊地は屁尻火の会長だから会員が調べたことをまとめてるだけ。
その美味しさに気付いたのが星亮一で、戊辰戦争を歩くや新選組を歩くを出して印税をひとり占めしている。
- 65 :
- >>64
ほうほう。その辺の裏事情?はよく知らなかったから参考になった。
原田左之助も9番隊組長とかデタラメ書かれてたし。
ざっと読んでの感想だけど職制関係で違和感のある記述が目立ったなぁ。
- 66 :
- 山村竜也の本って参考になる?
著書で参考文献一切書いてるのを見たことないが。
- 67 :
- 松浦令の『新選組』これ読まなければモグリでしょ
- 68 :
- >>67
松浦玲の『新選組』と宮地正人の『歴史のなかの新選組』とあわせて間違いなく研究史上画期となる本だろうな。
あれで新撰組のことだけ語る時代から歴史の大きなテーマのなかで論じる時代へ本格移行したって印象をうける。
ただ、松浦や宮地への反論がなかったらなかったで問題なわけで、
近藤勇の政治思想で全てを説明するような論調には実際「それは違うだろ」って思わないでもなかったな。
- 69 :
- というか…いままで新選組を政治で捉えた本って平尾道雄の新撰組史録くらいしかないでしょ。
戦前だと尾佐竹猛が一部出してるが量的には足りない。
いままでの研究家と称する作家はそういう感覚は知識的にないのではないだろうか?
- 70 :
- >>69
昭和8年に服部之総が新撰組のコラムを書いてるけど、これも新撰組を思想性から理解しようとしたものだったね。
確かに新撰組研究家とされる人は殆ど作家だから歴史学者たちの書くものと比べて正当な歴史学の知識は乏しいな。
具体的にいえばここで散々指摘されてるような引用方法の不備なんかにそれは現れてる。
ただ逆にいえば、
学問よりも創作に近い新撰組研究が氾濫してファンに支持されてる今の状況っていうのは歴史学者の責任でもある。
そういう状況を長年放置して受け入れてきたわけだしね。
まあ、結論として新撰組ファン自体がもっと関心を広げて歴史をみない限り、
一部の歴史学者なんぞがいくら頑張っても時代劇の延長線みたいな新撰組論こそ主流って状況は変わらないだろう。
- 71 :
- 秘密警察
機動隊→使えなかった
- 72 :
- 新選組研究家は出典の明示→自分の秘密と考えている。伊東の講演を聴くと「口外禁止」が多い。あと菊地のようにわざと出典名がわからないように書く場合がある(所蔵者の表題と違う等)。
- 73 :
- >>70でも書いたがファンのなかでそういうやり方を支持しない人が増えれば、
民間研究者も変わらざるを得ないんだろうけどねぇ・・・結局は。
こことか他のサイトみてると従来研究に違和感もつ人は増えてるようだし、
ディープなファンの考えってのは10年前より大分変化してるようだな。
こういう話題ってのは煙たがられることも多いからできてよかった。
- 74 :
- 最大の問題は近藤勇書簡集が市販されていない事だよ。
新選組を思想的背景を探ろうにも、これが無いから誰もできない。
できるとすれば研究家の肩書きをもつ人達だが、作家が多いという都合で売れる本=チャンバラ活劇本になるからね。
思想は無視されちゃうのさ。
噂では、書簡集を出すだけの準備は整っているが、利権絡みで足踏みする事数十年だとさw。
これでは、今後も世には出まいよ。
京都博物館だっけかなぁ、「史料から見る新選組」という本で、近藤勇の書簡多数が紹介されている。
俺はコレを見てるけどね。
- 75 :
- 近藤書簡は小島資料館が多く持ってるからね。ここが出さない限り出ないでしょ。
それよりか、新選組研究家は古文書が読めないから彼らに期待しても無理。
- 76 :
- >>74
近藤勇書書簡があれば近藤個人を理解する助けにはなるけど、組織としての新撰組の動きを理解する助けには左程も貢献しない。
書簡集つくれといったのは松浦玲だけど、あの人は政治思想史専門だけに理論先行集団って考えに固執し過ぎてるきらいがある。
あの先生の論考では実力組織としての新選組について多くは見えてこない。
『新選組』は核心をついてるようでついてない。もっと現実的で歴史的に深い問題まで突っ込むには至らなかったって印象だな。
近世史で蓄積された江戸時代の社会や軍事に関する研究成果がさっぱり反映されてないしね。
そもそも近藤勇や新撰組を生み出した歴史の大きな流れとはどんなものだったのかについては松浦みたいな近代史の学者よりも、
近世史の学者が書いた論文に多くのヒントが詰まってる。
どうせ出すなら近藤勇、土方歳三、小島鹿之助、佐藤彦五郎の関係文書を一冊にするくらいしないと意味無いと思う。
でないと菊地明の出した土方と沖田の書簡集と同じで、新撰組を組織レベルで理解するというところまではいかない。
この「経営者四者組」が各自の役割のなかで書き残したことを付き合わせていくことが可能な本こそ価値があるはず。
ま、既に新撰組に大きな商業的価値がついてる以上、刊行まで一筋縄ではいかないのは誰もが分かり切ってはいるだろうけど。
そういうなかで、
日野市立新選組のふるさと博物館は胡散臭い民間研究者ではなく宮地正人なんかの歴史学者と連携して頑張ってる印象がある。
問題の近藤勇書簡集編纂の中心にいるであろう小島家資料館も実際は十二分に努力してる印象が強い。
- 77 :
- ちなみに菊地明は古文書が読めないからどこが間違っているのかがいまだに分かっていない(誰かから翻訳してもらったのを載せてるだけ)。
日野も宮地さんの名前を借りているだけで実際は藤井和夫と西脇康が書いている。
政治史を勉強するなら国立公文書館の文書を探ると面白い。刀槍しかやらないと紹介されてる新選組がゲベール銃を下賜して欲しいという文書がある。これを山崎丞日記(続新選組史料集でカットされた部分)で見ると、そのゲベールを使って調練していたことが解る。
- 78 :
- >>77
>>76書いたものだけど、
藤井さんと西脇さんの仕事では何か決定的不都合があるのかな?
日野市(一部マツノ書店でも)で販売してる『史料フォーラム』や『歴史館叢書』を読んだけど、
宮地さんともども中心的にしっかり仕事してるし。
我ながら偉そうなこと書くけど、松浦さん同様に彼らの学説も全部同意というわけでもないが、
有言実行で積極的にアクションをおこしてくれた宮地さんは自分のなかでは評価高いな。
取調日記(内容的には雑記帳)という史料は自分も部数限定で印刷されたのを所持してるよ。
今じゃ入手困難ってことで今考えたらラッキーだった(笑)
洋式調練の個所は「生兵」とあるから新兵の教育法を何かの書物から写し書きしたんだろう。
新撰組=古臭い剣客集団って解釈が難しいのは軍事史を理解してれば分かるし自分も同意。
ただ、幕府の文書類だけでは実際どれくらいの数の銃砲が支給されたのか特定はできない。
伊藤哲也の「取調日記は名簿以外価値がない」というような書き方は支持できないけども、
あれだけの調練をそのまま実行してたと言い切れる史料がない。
近世軍隊的な第一次・第二次行軍録の内容、西洋嫌悪派の存在、調練日数削減の事実とか、
むしろ、洋式化にとってはネガティブな事実を伝える史料が多いことは無視できない。
勝海舟が幕軍関係史料をまとめた『陸軍歴史』に新撰組が確認できないのも気になる。
- 79 :
- ってことで自分は取調日記についてはもう少し慎重に扱うべきだと考えてる。
史料提供者の意向もあって背景がいまいち説明不足っていうのも少しひっかかるし。
そもそも字体からしてどこからどこまで山崎の筆なのかも曖昧。
- 80 :
- やはり陸軍歴史は幕府直轄軍が対象だから京都守護職支配の新選組では直接支配が出来ないから掲載されてないでしょね。
内閣文庫では確かゲベールや雷管、火薬の量も書いてたような…遠い記憶では無理か?
あくまでも推測だが新選組の幹部あたりはこうした調練は嫌がったような気がしている。
伏見の戦いでも白兵戦が確認できるしね。だから知識があっても使用に躊躇した気がする。
あと俺も宮地さんは好きだ。ただ日野の関係者が図録の件で問い合わせた際、自分は監修で書いてないことをカミングアウトしてた。
藤井&西脇は批判好きだが対案がしょぼくて批判対象と五十歩百歩だったりする。
日野で新選組かじっている人と知り合いだとこうした話がよく聞ける。
- 81 :
- 宮地さんが好きな理由は東大時代に暮地家文書(早川文太郎)や庄内藩関係文書を写真撮影して昔よく東大で利用したこと。宮地さんがいなかったら一般利用は結構面倒だった。
実際宮地さんの講演聞いたことがあるが人あたりは良い。
- 82 :
- 伊藤哲也の書きごとは一番。皆が見れない史料を発表する研究者で私しか見れない史料を歴史春秋に発表した。
- 83 :
- >>80
藤田さんと西脇さんは「学者の悪い癖」が目立つってことね(笑)
『歴史館叢書』に関しては監修という役割は書いてある通りだしね。
宮地さんが一連の特別展示に関係してること自体には変わりないし、
そういうことで直接的な執筆者のチョイスや構成もかなり良かった。
何れにせよ必携書か。
近藤勇と土方歳三は洋式化賛成派で嫌いってことはないでしょうな。
特に土方の関係文書からはかなり主体的で熱心な姿勢が確認できる。
二人の兄貴分の佐藤彦五郎と小島鹿之助が洋式銃砲採用に熱心だし。
あまり目立ってはいないけど近藤勇の短筒なんてのも残っているし。
永倉新八は松前藩帰参後にフランス式調練を教えてたとも語ってる。
主流派の洋式化に対する関心自体は高い。
ただ、彼らを政治的にサポートした参謀メンバーは洋風嫌いな人だった。
剣客に人材を求めてるからあからさまに銃砲に抵抗感を示すのも多かった。
そういう反洋式化の部下たちに幹部が時に妥協し時に弾圧しながら対応し、
どうにか調練を実施したって構図の方がしっくりする。
そういった戦闘手段に対する意識不統一が鳥羽伏見の戦いで顕在化して、
的確に銃撃戦で対処してたかと思うと無茶な白刃突撃をやってしまう、
そういう戦術の中途半端さを晒す一因になったんだろう。
鳥羽伏見の戦い時点で、
幹部に洋式軍隊の運用スキルが徹底的に備わってなかったとうなら分かるよ。
ただ幹部が調練を嫌がっていたというのは少し大雑把な意見じゃなかろうか。
- 84 :
- 鳥羽伏見敗戦以前に新選組には銃砲の調練が薄いのが原因だな。
近藤土方に統制が取れてないから伊東脱退等の一件も絡むかもしれない。
ただ、伏見での敗戦が新選組に銃砲の大事さを教えたのは事実だ。
- 85 :
- >>84
文章なんかおかしいぞ
- 86 :
- 要は鳥羽伏見までは新選組は銃砲に関して軽んじてたってことだろ。
旧幕府に掲載された新選組隊士の格好が甲冑という時点で洋式軍隊でないことは解る。
- 87 :
- >>82
伊藤哲也ウザいのでこのページを晒す。
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/veu00076
- 88 :
- 一番人斬った奴ってやっぱり沖田かな
- 89 :
- >>88
微妙。捕縛目的で斬る訳だから誰もが何人斬ったかは覚えてないでしょ。
沖田の時だけたくさん斬るべき人が現れるのもおかしいし…。
- 90 :
- >>89
沖田は元気だった時
脱走した隊士の粛清なんかも担当してたからな
人斬り率が高いのは仕方ない
斎藤も同様
- 91 :
- >>86
永倉新八が鳥羽伏見の戦争で着用した羽織が残ってるけど黒羅紗筒袖の陣羽織つまり幕府軍の洋式軍装そのものな件。
新撰組から紺色の筒袖と股引、剣付鉄砲を支給され大砲の運搬を手伝わされたって桑名藩士の証言もある。
明治初期に描かれた遠藤蛙斎の鳥羽伏見戦争の絵図では新撰組が小銃隊となってるし。
隊士の心理までは知らないが外観は同じく剣客を洋式銃隊に編制した幕府遊撃隊のようになってたと考えるのが妥当。
- 92 :
- >>91
あれは後年加工したもの。回想録にも白兵戦が確認できるから伏見戦争中に銃へ切り替えたと考えるのが妥当。
- 93 :
- >>91
羽織(勝沼戦争後チョッキに加工された)の裏書に元々黒羅紗筒袖陣羽織だったことが書かれている。
また背中に家紋入りという使用からして慶応二年秋に幕府が直轄軍を全面的に洋式銃隊化した際定められた服制と一致する。
新撰組が戦争で白兵戦をしてるとかしてないって話はしてない。
文久以降の幕府軍制改革に合わせて新撰組も段階的に一定水準まで銃隊化されていて当然ということをいってる。
- 94 :
- 銃隊編成を組む意欲は慶応年間にゲベール等を会津藩経由で下賜できるよう動いているので確認できる。
しかし銃隊の調練光景を述べたものはあっても反映されたかは微妙。
銃砲の知識はついたとは思うが銃隊としての機能は薄いな。
- 95 :
- 慶応年間まで待たずとも、
既に元治元年10月付の土方歳三書簡で全員参加の調練が報告されてるよ。
壬生寺の記録には慶応元年九月以降一月12回境内で調練していたとある。
つまり、活動期間の大半を通じて月の三分の一を割いた調練に努めていた。
それでも戦場では活かされなかったとするのは不自然。
敵味方の記録を整理すると新撰組の戦闘は白兵戦に依存したのではなく、
銃撃戦のなか隙あれば白兵突撃に転じる戦法だったという点で共通する。
つまり調練の成果は反映されていた。
ところが、あまりにも突撃の判断基準が曖昧というか大雑把に過ぎる印象。
例えば敵が少し引いたら銃を捨てて追撃したが伏兵を確認しなかったため、
逆に返り討ちにあったといった記述が永倉や島田の手記に度々出てくるし。
敵味方異口同音に彼らの闘志の強さを伝えるがそれが裏目に出たみたいだ。
戦争の不慣れもあるだろう。
何にしても、
鉄砲より剣槍が好きだから調練は反映されず無駄になったって事実は無い。
- 96 :
- 妄想は要らん
- 97 :
- 銃撃戦の記録がない限り認められないね。
甲冑着て白兵戦した記録はあるけどね。
新選組が本当に銃隊になったのは甲州鎮撫から。
- 98 :
- 斉藤ーは会津戦争で部隊を指揮してたみたいだけど、指揮官としても優秀だったんだろうか?
- 99 :
- 最後は如来堂で部隊は壊滅している。
- 100 :
- 市中警護では銃は意味無いからなぁ。
- 101 :
- ▲▲▲
- 102 :
- >>97
永倉新八の『浪士文久報国記事』や島田魁の『島田魁日記』に銃撃戦について書いてあるだろ。
それこそ有名な西村兼文の『新撰組始末記』にも銃撃戦で戦っていたことが記述されているし。
佐藤彦五郎の戦後直ぐの書簡からも新撰組敗因を銃器自体の有無ではなく銃器の性能に求めて、
近藤と土方が報告していたことが分かるし。
新撰組周りだけでも確認すると白兵戦だけでなく銃撃戦も展開していたことを伝える史料は多い。
それでも「銃撃戦の記録がない」と言い張るなら、それこそ妄想の域だな。
- 103 :
- >>89
少なくとも中隊長くらいまでなら無理なくこなせる人だったみたいだ。
土方みたいに参謀の役割はしてないからあくまで現場指揮官向きかも。
彼の最終的な進路選択からして理論や計算を物差しに動くというより、
自分の信念を物差しに動くような熱血漢って勝手な人物像があるwww
維新後会津藩士と徹夜で戊辰戦争のこと熱く語ってたって話もあるし。
クールていうより山賊見たいに豪快(失礼!)な印象すらあるなぁ。
- 104 :
- 西村兼文を使った時点でダメ。藤井和夫はおもいっきりフィクションと謳ってる。
- 105 :
- >>103
沖田と誰を語ってるん?
すまん読み取れん
- 106 :
- 家近良樹が一会桑と新撰組っての論文書いてたはずだが
まだ書籍化されてないのか見れなくて残念
- 107 :
- >>104
西村の始末記だけならまだしも他の史料にも
書かれてるんだし一定の信頼性はあるだろ?
俺も今新撰組と鉄砲の関係で卒論書いてるけど
似たようなこと考えてる人もいるもんなんだな
- 108 :
- >>104
そもそも『新撰組始末記』なる史料にフィクションという性格はないし。
もし藤井和夫という人がそう言い切ったのなら明らかに誤解をしている。
あれは馬場文英ら同時代の歴史家らの史料提供にも助けられて成立した、
あくまでも史書というべき書。
明治時代前半という近代史学が未完成で研究環境も劣悪な時代のなかで、
むしろ新撰組のみ対象にしてよくああまで調べたという印象すらうける。
無論新撰組と接触する慶応元年以前の記述は誤解に要注意ということや、
明治人らしい偏見にも注意っていうのは多くの研究者が散々言ってきた。
それはその通りだろう。
鳥羽伏見の戦いは情報には困らなかったようで特に詳しい項目の一つだ。
銃撃戦の一事については敢えて歪めるような理由も状況も確認できない。
新撰組を貶めるならひたすら白兵戦に徹して死なせるのがしっくりくる。
繰り返しになるが殆どの史料が白兵戦のみ銃撃戦のみって記述はしない。
新撰組は両者を組み合わせた戦闘方法だったと判断するのが無理は無い。
にしても西村の著作を引用したら全部「ダメ」なんて判断こそダメだろ。
全部正確な史料なんて存在しないし、全部間違ってる史料も存在しない。
そういう史料をじっくり読み解いていくのが歴史学のはずなんだけども。
それじゃ確実な史料って曖昧な単語で全部解決しようとする連中と同じ。
- 109 :
- >>108
誰もフィクションとは言ってない。
ただ全編を通して著書の思い込みが強く人名の誤りは当たり前、何を根拠にしてるかも不明。
こういうものを論文の根拠にするなら菊地明の本を根拠に使うのと一緒。
- 110 :
- 確かに西村の作品は何を根拠にしてるかわからない。京都の文書なんかはのちに高橋正意が修正してる。
- 111 :
- >>109
おいおい、藤井って人がフィクションっていってるんでしょ?
だいたい史料っていうのは書き手の考えが色濃く反映されるのが普通なわけで。
だから一つの史料のなかには事実を伝える記述もあれば誤った記述も存在する。
また引用するなら他の史料なり研究成果で裏付するっていうのがルールだしね。
一つの史料でなんでもかんでも判断できたら歴史研究なんて必要ない。
例えば銃隊化という事実関係を明らかにするための史料群の一つに始末記があって、
同じように「浪士文久報国記事」以下敵味方様々な関係者が伝え残した史料がある。
永倉の書く「暫ク炮戦故ニ勝負ツカス依テ会津新選組不残鉄炮ヲ捨テ切込ム」とか、
西村の書く「僅カ一重ノ竹柵ヲ要害ニ備へ此間ヨリ小銃ヲ以テ応発スレトモ」とかね。
それらの記述は時に一つの事実の肯定材料にもなるし、時には否定材料としても貢献する。
第一、何を根拠にしてるか分からないから調べるって作業から歴史研究が始まる。
その史料は何を根拠にしてるか分からないからこの史料は使ったらダメだだとか、
そんな史料をちょっとでも引用していたらばその意見は出鱈目という言動は厳禁。
歴史研究のスタート地点にすら立ってないってことを意味する。
また、菊地明という人の研究に読んでいて納得がいかない記述が多いと考えてる。
だから彼の本は使わない。だけど菊地の書いてる内容は間違ってますよとは書く。
そんな怠惰・無作法は論文書く場合は通用しない。
どんな学者の学説や史料の記述でも否定するならするでちゃんと引用しなきゃならない。
- 112 :
- 「浪士文久報国記事」では大砲の打ち合いで銃撃戦ではないね。
永倉が白兵戦から戻って来た際、鉄砲を使って中に引き込んだ記述だ。
西村兼文は基本的に思い込みが中心で同時代の人間にしては知識がなさ過ぎる。
現在西村の記述を思いっきり使う奴はいないね。恥掻くから。
- 113 :
- 斉藤は何で会津で降伏したの?
新撰組の保護者たる会津が降伏したんで従った?
土方と喧嘩した?
- 114 :
- >>112
先ず新撰組始末記をフィクションといっている人がいるの?
藤井というひとが言っているとか誰もそんなこといっていないとかどっちなの?
史料の本質は現代人も書く日記や手紙などといった文章と同じ。
筆者の性格・所属や世相さらには他者の加筆・修正など様々な成立事情がある。
同時代人だから全てを知っているとか正直丁寧に書くなんて可能性も殆ど皆無。
現代の物差しで単純に思い込みが中心だ知識がなさすぎるだということは簡単。
歴史研究はそれを他の史料や先輩の研究成果による知識で洗練して活性化する。
よって史料を「思いっきり使う(引用するの意味か)」行為自体に問題はない。
それをしなきゃ肯定材料にも否定材料にもできない。歴史研究が始まらないよ。
現在西村の記述を思いっきり使う奴はいないとか恥をかく状況があるというが、
ならば始末記を分析して随所で引用している平尾道雄や宮地正人らは何なんだ。
やはり彼らは研究仲間から馬鹿にされる存在ということか?そんなことはない。
歴史研究の世界にはある史料を丸々鵜呑みにする人物を非難する状況はあっても
その史料を利用すること自体に非難が生じる状況は無いし恥をかくこともない。
第一、根拠が分からないといって最初っから匙投げてる人に言えた義理はない。
ところで前回挙げた文久報国記事の記述は有名な永倉と島田の個所とは違うよ。
大砲だけで撃ち合ったなんて記述もないし読んだら分かっていそうなものだが。
君にとって新撰組が鉄砲で戦っていたらそんなに不都合なの理由はなんなのか。
その保谷徹の研究で銃撃戦の事実自体については最早疑う余地は無いわけだし。
- 115 :
- >>114
その保谷徹×、あの保谷徹○
保谷徹は近世特に幕末の軍事史に詳しい研究者で「新撰組と戊辰戦争」という論考もある。
新撰組のみならず幕府直轄軍全体の動きを理解するなら保谷さんの著作は必見だろう。
- 116 :
- >>114
藤井さんの考え=フィクション
オイラの考え=事実もある。
わからなかったかな?実在して会ってる人間の名前は間違えないだろう。その程度。また大砲の調練もしてたからこれも事実。
ただ、銃については扱い方は習っても実践したことなかった。伏見でとりあえず持ってみた。
こんな程度だろう。白兵戦は銃は使わない。邪魔だから。待機してたのだけ銃を持ってる。刀じゃ届かないから。
伏見行ったことあるの?御香宮の高台から集中砲火受けてる訳。鉄砲じゃ届かない。
で、兵站も考えたことある?弾があっても火薬がなけりゃ撃てない。
伏見の竹中丹後守は鳥羽と違い持ち直したけどそうした兵站がない。手紙出しても無視されたから直接行った。
この時点で伏見の防戦で撃った弾がなくなってるから銃は殴るくらいにしか役にたたない。
その銃もゲベールだろうから相手のミニエーには叶わない。
なにも一切新選組が銃隊にならなかったとは言ってない。甲州からは銃隊になってる。なおかつゲベールが役に立たないことを知ってるからミニエーを調達している。
ちなみに保谷さんは多摩農兵隊関連が多い。多摩農兵隊は代官管轄。新選組と一緒にしてはいけない。
また、西村のはドレを参考にしたか一切記述がない。参考には出来ても引用は危険。
第一どのくらい西村が新選組に詳しかったかも疑問。
- 117 :
- >>116
先ず始末記についてだが参考になっても引用は危険なんて言葉の使い方はない。
それにいきなり従軍体験話し始めてたがどうした。幕末からタイムスリップしてきたとかなのか?
史料にある記載を無視して鳥羽伏見では鉄砲は手に持ってただけの飾りでしたって言い張るんだな。
永倉は土方が御香宮に新撰組の鉄砲や大砲が届かないことにしびれをきらして白兵戦を命じたと書いている。
つまり銃撃戦→白兵戦というプロセスで戦闘が展開している。鉄砲は決してお飾りで持ってたものではない。
また攻撃は御香宮にむけたものだけではない。>>111で書いた記述も淀周辺での戦闘についてのもだしな。
そこでも銃撃戦→白兵戦→返り討ちという構図が確認できる。常に白兵戦と共に銃撃戦の選択肢があった。
西村がどれくらい新撰組に詳しかったかは三井両替店奉公人の日誌である「新選組金談一件」に詳しい。
それによれば西村が三井側に幹部の人物像から編制・給料事情まで細かい情報を提供していたことや、
幹部にかけあって金談撤回の根回しをしたりしていたことが分かる。
また馬場文英の『元治物語(元治夢物語)』からも分かるが西村は京都周辺の事情通らと緊密な交際があった。
西村が「金談一件」が開始する慶応二年九月時点で新撰組内部に入り込めるほど深い関係になっていたことや、
確かなネットワークをもち畿内周辺の情報を入手しやすい立場にあったこと自体は疑う余地は無い。
あと、自分は保谷徹「新撰組と戊辰戦争」については触れたが多摩農兵の話題なんて一切してないんだけど。
それに保谷さんは近世軍事史の専門家といえるけど多摩地域の農兵について多いというほど成果は無いだろ。
- 118 :
- 銃撃戦ではなく砲戦。この時点で誤り。それに史料って何?
西村に関しては危険な思想だな?先入観ありすぎ。それなら西村の傍証取れる?間違いだらけなのは確認できるけど。
史学に先入観は禁物。西村の作品の成立時期も考えよう。オイラには子母沢寛の始末記の方が傍証取れるから好きだ。
- 119 :
- >>118
突然こっちが触れてない話題をこっちが言ったみたいに書くし。
そういったこっちの指摘したことへの弁解は何故かしてこない。
自分の言いたいことだけ史料なしに並べられても納得いかない。
いきなり傍証とれる?って何についての傍証のことなのだろう?
史料って何?とはどの部分のことについて言ってるのだろうか?
成立時期を考えよう→昭和の時代に「歴史をかくつもりはない」
って小説家の書いた本が好きだって流れになる理由も意味不明。
あなたが『新選組始末記』好きなのは勝手だけどだから何なの?
西村がどのくらい新撰組について知ってるか分からんというから
「金談一件」や「元治物語」から分かる新撰組との直接的交流や
畿内の知識人との交流をもつ西村の人物像をこっちは紹介した。
加えて報国記事以下の銃撃戦についての補強となる史料も紹介した。
こっち側がそういった行為を一切無視で西村の書くことが全てという
態度をとったというならまだしも態々歴史学研究の基礎方針まで紹介
させときながら「先入観は禁物」とか。言われる義理は無いんだが。
また「砲戦」という語句について誤解しているようだが「砲戦」とは
基本的に大砲と小銃の撃ち合いを意味する。先にあげた永倉の記述も
そう。大砲で決着がつかないから鉄砲を捨てて切り込んだなんて文章
は意味が通らない。
- 120 :
- 砲戦なんだから勝手に銃撃戦にしちゃダメだよ。
子母沢を小説家と言うけど、子孫からの聞き書きやら、古文書の紹介がある。その古文書は現存しているから確認は可能。これも先入観の強い証拠。
逆に西村のは大和屋砲撃をでっち上げ、安富才助を殺したり等、言い訳聞かない誤りがある。前にも書いたが西村作品がおかしいからと高橋正意が調べ直してる。京都府立総合資料館でそういった文書が確認できる。
結論として新選組は伏見戦争の教訓で銃隊を意識し、甲州戦争で実践したということ。西村の話でも大砲の調練が嫌だから屯所を移ってもらったとはあるが銃の調練のことは載ってない。第一誰が教えてたのかも重要だ。
そうした指導者もあやふやということでもおかしい。
- 121 :
- なんなら西村や永倉の記述だけでは物足りないなら他にも紹介するぞ。
薩摩藩本府一番大砲隊長中原猶介は伏見奉行所門前の戦いについて報告書に
「先手は会兵・新撰組と相見え鉄砲・槍刀相携えはや四・五十間の処まで」
接近してきたので反撃すると今度は敵が「柵門へ畳数十帖立て並べ楯に取り」
「互いに大小砲戦さらに寸隙」も無い激戦に発展したと報告書に書いてる。
桑名藩兵士の大塚九兵衛が「新撰組勘定方(小荷駄)」から「紺筒襦袢・袖細」
の軍服を着させられ「剣付鉄砲」を支給されて「大筒引き役」を手伝わされたが
薩摩藩と新撰組が激しい銃撃戦に発展したので脱走したという記録も残っており
保谷さんはこれらを引用して「新撰組と戊辰戦争」を書いている。
また島田魁の「日記」には「我軍橋本入口ニ胸壁ヲ築キ置キ互ニ砲撃ス」とある。
この「砲撃」の使い方もまた銃撃戦を伴うものであることは文脈からして明らか。
- 122 :
- >>120
当時の文字の使い方として「砲戦」は大砲および小銃による戦闘を意味するって知らないのか?
その子母沢が始末記をそのまんま引用しているどころか編制表部分をはじめ脚色していることは何も感じないのか?
また他の史料なら始末記のように情報の裏付けはとらなくてもいいと?なんだか明らかにそういう書き方だけど。
土方の元治元年十月の手紙や壬生寺の文書や「金談一件」に銃隊調練が記録されてることは無視するのか?
- 123 :
- >>120
また
西村が知りようのない大和屋のことや安富の末路と
精度の高い情報が入手可能な鳥羽伏見の戦いや調練
の記述を一緒くたに考えるのはおかしい。
また西村は「日々大砲小銃ヲ連発シテ調練」とハッキリ書いているが?
高橋正意という人物の情報ソースは隊士近藤芳助であり彼の証言と
西村の書いたこととの矛盾を指摘したことは分かるが、
その近藤芳助の証言だって別の史料で裏付けも必要ならば間違いもある。
- 124 :
- >>123
京都府立総合資料館と書いたのは近藤書簡に限っていない。高橋は維新史料の編纂をしていて西村作品を典拠としているのを修正している。
ちなみに橋本って伏見なの。おいらは最初から伏見までは刀槍部隊だと言ってる。
あと会津と一緒なら会津藩が銃隊だろう。甲冑着た銃隊なんか聞いたことがない。
- 125 :
- それと調練については認めるよ。山崎日記にあったから。ただそれが定着しなかっただけ。ゲベールだから複数に固まった攻撃方法だろうが知識があったから伏見以降、銃の大切さが分かったのだろう。
- 126 :
- >>124
新撰組が甲冑着てたとする史料の名は?また銃隊調練が定着しなかったとする史料の名は?
私見だと少なくとも同時代の新撰組周辺からはそのような記録は確認できないのだけど。
鎖帷子や剣術防具を部分的に着用する隊士は想定されるがガチガチの甲冑は考えにくい。
山崎日記(取調日記のことか?)くらいの情報量で調練があったことを認めるのならば、
鳥羽伏見戦争で新撰組が銃砲+刀槍で戦っていたという事実を認めることもできるだろ。
銃隊調練の事実自体だったらこっち側が上げ続けてきた史料だけでも十分証明が可能だし
鳥羽伏見における銃撃戦関係の諸史料中の記述についてもそれと同程度以上挙げてきた。
それで納得しないのはおかしいだろ。
具体的記述のある史料群ではなく不明瞭な記述の雑記帳一つで信じるという判断基準を疑う。
それに新撰組が大砲使ってたと書きながら刀槍部隊と書くのは矛盾しているんじゃない?
小銃は使わないが大砲は使う理由は何なんだ?それを証明する方がむしろ難しいんだが。
また、佐藤彦五郎が近藤・土方の戦争体験について触れた井上松五郎宛の手紙にもあるが
銃撃戦を経験したからこそ新式銃の必要性を感じて大量購入に動いたと理解したほうが、
よっぽど現実的だと感じるのだが。
- 127 :
- >>124
あと伏見は橋本→おいらは最初っから伏見までは刀槍部隊だといってる
って記述の意味が分からないんだが。何が言いたかったんだろうか?
そして、
大昔の高橋の研究については重視してさらに昔の西村の文章については
軽視する矛盾はどう説明するんだ?
何れにせよ同等に検証が必要なことは変わりないはずだが。
- 128 :
- 〉〉124はまず国語を勉強しろよ
〉〉127も外にがんばることあるだろwww
長文の応酬はこういうとこじゃウザいだけじゃん
- 129 :
- >>128
>>127だが、
なんかめんどくさい感じになってすまん。暫くはまた傍観者に徹するとするか。
一応弁解しとくが断じて無職さんではないぞwww
自分が結論として言いたいことは
@新撰組は鳥羽伏見戦争の段階で既に銃砲部隊としての性格も備え確かに機能してた。
A西村兼文の『新撰組始末記』は長らく基礎史料であったからこそ詳細な検証が必要で
決してあれが違うこれが違う→だから考慮には入れないと判断するのは間違っている。
ってこと。Aは常識として。@は頑なに拒まれたように受け入れ難い風潮は根深いか。
それだけも知れただけで満足だった。
- 130 :
- >>129
ウザい。>>124と同レベルにウザい。
どっちもどっち。互いに憶測と推測ばかり。
どちらも評価できないね。
- 131 :
- 土方のライバルって誰かな?山南か伊東甲子太郎?それとも長州か薩摩の誰かだろうか?
- 132 :
- 多摩の農兵隊発起人と、近藤らの間に結びつきがあったとすると、
新撰組が志士の集団だったとも言い切れなくなるのかな
近藤派が新選組を最終的に支配したことは必然だったのかも知れない
個人的には沖田林太郎が義弟を京に残して江戸に帰ったあたりが分からない
普通は行動を共にするでしょ。江戸帰府が当然の行動として期待されていたんでは
- 133 :
- >>131
土方が山南や伊東についてどう思っていたかははっきりとした
史料がないので分からんな
そもそも分離の時点で伊東らと近藤らの溝はどれだけだったのやら
- 134 :
- 御陵衛士結成の時点では平和的な分隊としか思えないな
少なくとも近藤と伊東の間では…
幕薩対立が決定的になってから(特に大政奉還以降から)不倶戴天の敵になったんでは
- 135 :
- 斎藤一が間諜だった説も、8か月も思想的な感化を受けずに間諜を勤められるものか、
と言う疑問があるんだよね。当初は連絡役くらいの意味合いではなかったのかしら
- 136 :
- そういえば近藤や土方は農民出身だけど、いつから名字帯刀を許されてたの?
- 137 :
- >>135
斎藤って伊東の建白書を仲間らと一緒に運んだり、伊東や藤堂と共に
要人に会ったりしてるよな。少なくとも伊東からは同士と認められてたのかもしれんね
- 138 :
- 斉藤に関して言えば、伊東一派分離時に女性問題を起こし、土方に睨まれそうになったためにこれ幸いと伊東一派と共に離脱。
その後、伊東一派についていけなくなり土方側に立ってスパイへ転身。
伊東一派粛清後は、山口次郎と名を改め新規隊員扱いで新選組へ復帰という説もある。
- 139 :
- そんな人間に臨時とはいえ隊長代理にするか?
- 140 :
- 斎藤一の書き事は伊藤哲也がいちんば
- 141 :
- 会津藩=親衛隊
親衛隊=ゲシュタボ
- 142 :
- >>136
戸籍上は名字なしのハズ
- 143 :
- >>142
近藤は浪人だから苗字付き。土方は苗字どころか名前も歳蔵。偽称してる。
- 144 :
- >>136
封建領主から公的な苗字帯刀を許されてるかいなかの違いはあるけど、
どの身分の家にも苗字はあったし多くは刀槍鉄砲など武器を所持した。
既に書いている人がいるけど近藤勇は農民から浪人になったタイミング
つまり道場主の養子になって公的な苗字帯刀が許される存在になった。
土方が公的な苗字帯刀し始めたのは浪士として浪士組に入ってからだけど
それ以前から帯刀していた可能性が高い。
というのも江戸後期の幕領は非常に治安が悪く自衛のために有力者層の子弟は
帯刀してしばしば治安維持に協力させられる状況が日常茶飯事になっていた。
土方の実家は豪農であり義兄の佐藤彦五郎は地元の治安を預かる名主だった。
そういう土地だからこそ当然武道の需要があったし士分願望が定着していた。
近藤勇とか土方歳三のように身分に関係なく苗字帯刀して稽古に励む青年は、
公式か非公式かはともかく江戸時代後期には既に関東中に存在していた。
- 145 :
- >>142
ありがとうございますm(__)
- 146 :
- 近藤が書いた掛軸が新しく発見されたが
何て書いてあるのかな
- 147 :
- >>144
土方の家は貧農。宗門人別をみれば明らか。だから奉公にだされてる。この時代裕福な農家は奉公に出すことはあり得ない。
豪農話は昭和の時期に作られた嘘。論より証拠に佐藤家には借金証文が多く残されてる。
あと刀は運ぶのはOKだけど腰に差すのは領外はダメ。また帯刀御免以外は2尺を超える刀は法に触れるので長ドスを差す者が増えている。
- 148 :
- >>147
貧農というのは水呑百姓のことをいってるのか?
近世において奉公人に出すっていう行為は貧富には関係ないことだよ。
むしろ奉公人として商家にやり出世させてそこで身につけた教養人脈で
地元に帰って行政・経済・文化などで活躍させるとかその商店において
出世させて何れ独立させるとか確かな将来設計に基づいて活用されてた。
いわば富裕層ないし中間層子弟の修行の場だった。
現代の高給取りの親が有名私大学に子供を入学させるような行為だった。
貧困層の人たちっていうのは都会に子供を奉公人として出す伝手もなく、
普通は帰ってこられても困るから人身売買の業者にうっぱらってしまう。
また誕生時点で早々に間引いてしまう(多くの神社に関係の絵馬が残る)
一家で「非人」(身分的な「非人」ではなく一時的無収入者という意味)
に落ちて領主が設けた非人小屋で救済をうけるっていうのが現実だった。
刀については何故そのような法令が出たかということは考えれば早い。
つまりそれだけ長刀や二本差をして武士のように外出する「心得違い」
が多く存在していた。それを完全に防ぐ手立ても幕府には無かった。
そもそも黙認せざるを得ないほど関東で盗賊が横行し一揆は多発する。
一揆は一揆で一揆の作法もなくなり明らかな暴力集団に変わっていた。
それでも幕府は身分差別で成りたっている社会なものだから帯刀行為を
在地の有力者層を除く農民たちには建前上禁止せざるを得なかった。
佐藤家と土方家は親戚関係にあるが当然金銭面のいきかいも多かったろう。
単に借用証文の束をどっさりだされても土方家が貧農だったとはいえない。
あなたの読んだ本がどれだけ土方家を大金持ちのように表現していたかは
知らないが少なくとも中間層以上の経済力をもった家柄であることは確実で
貧農というには周辺環境が立派すぎる。
- 149 :
- >>144
渋沢一族もそうだな
こっちは攘夷豪農→一橋家家臣→佐幕派残党勢力とこれまた凄い動きだが
- 150 :
- >>148
根本的に間違ってるね。
貧農とは書いたが水呑とは書いてない。隼人家は伍長。約30石の年貢高の百姓。
貧農だというのは佐藤家に借金証文が多く遺されてるから。これは隼人家の移転理由となった川の氾濫が起因している。
あと奉公に出すという概念を勘違いしている。
基本的に奉公に出すのは家計が苦しいから。裕福なら持参金付けて養子扱いにする。
多摩地域の宗門人別(多数)で伍長までやって奉公に出してるのは隼人家のみ。
また非人までドロップアウトするのはおかしいぞ。基本的にいまは宗門人別に掲載される身分の人間を問うているんだから。
ちなみに近藤の実家は豪農までいかないがそこそこの農家。コッチは貧農じゃない。
だから近藤周助が養子に貰い受けている訳だ。
土方家の話は捏造が多いのは事実。日野市立新選組のふるさと歴史館叢書読んだ方がいい。
- 151 :
- >>148
ちなみにこうした史料を所蔵しているのは土方資料館の隣に住んでいる土方智家文書。
ここの家に聞いてごらん?
ちなみに土方智家は石田村の組頭の家格(伊十郎家)。隼人家とは格が一段上。
- 152 :
- >>148
もひとつ。
百姓が帯刀して江戸の御府内に入れると思ってるの?
江戸市中はアチコチに番屋があり、刀でも差していようものならしょっぴかれるぞ!
いくら町奉行の同心が少なくても番太や岡っ引きまで混ぜればけっこうな人がいる訳だ。
近藤勇は浪人だから帯刀が許されてるが土方はOUT!博打したのと同様の罰を受けるから下手をすると島送りだな。
まぁ、裏技とすれば百姓マゲを辞めて偽の人別を作って他人のフリすると言う手はあるが、いくらなんでもそれは有り得ない。
もうひとつは金を番太に掴ませるかということもあるが、そこまで金持ちではない。
TVの時代劇を見過ぎるとこういった基礎知識がないのが現れる。代官領と違って御府内をナメちゃいけない。
ちなみに試衛館は御府内。道場の近くに番屋もあるでよ。
これらに関する法令は江戸町触集成に載ってるから。
あと反論するなら見逃されていたという根拠を明示してくれな。想像はダメよ。
- 153 :
- >>150-152
でた謎の上から目線の長文www
やたら上から目線で証拠連呼やつにロクなやつはいないな
変な体験談とか問題のはぐらかしとか煽り文しか書いてないし
その宗門人別帳に土方家の持高は39石7斗8合と書いてるが
これのどこをどうみたら貧農になるのやら。釣りっしょ?
- 154 :
- >>142
>>144
どうもありがとう
- 155 :
- >>153
まぁ調べてからモノを言ってちょ。ニートくん。
- 156 :
- 147から153へ。お前らいらないよ。特に147=153消えな。お前がこなきゃもうひとつの変な奴も湧かないよ。だから148から152も来るな(ノ><)ノ
- 157 :
- >>156
禿同
- 158 :
- >>156
同意
- 159 :
- バカばっか
- 160 :
- >>159
それも同意。
- 161 :
- 自演乙
- 162 :
- >>159
これだから新撰組オタは
- 163 :
- >>162
同意
- 164 :
- @子供の頃、天保山で十数人の海賊の頭を見つけて成敗する
A歳十四にして上方一の槍の使い手と言われる(江戸にも伝わっていた)
B剣術の修行で江戸に下るも(剣でも)負けしらず
C大人になり天保山でまたまた海賊(仇討ちらしい)と出くわすが一人で30人の海賊を捕縛
D隠れキリシタンを名乗る浪人衆100人相手に丸太を持って大暴れ
E内部Kで上司を捕縛(江戸時代ではまずありえない事)
F破戒僧退治の時傭兵20人を滅多刺しにする(30人逃亡)
G陽明学者としても当代一といわれた
H決起の時に命を預けるものが300人もいた
I跡部(水野忠邦の弟)は大塩捕縛の為鉄砲隊を派遣するが、弾を詰める度に大塩の槍の餌食になっていた
J潜伏後の大塩対策で跡部(水野忠邦の弟)が持ち出したのは大砲だった
K大塩は散々暴れまくった上で爆薬を体に付けて自爆(松永久秀・織田信長以来)跡形もなくなっていた
L跡部(水野忠邦の弟)は黒こげた遺体を見て「(もう)これでいいだろ大塩の遺体は・・・」と投げやりになった
M彼の死後、大塩は健在と全国で同様の乱が起きる(有名なのが生田万の乱)
N幕末の時、新政府軍に大塩がいるといい新撰組の原田(槍の名人)が平隊士に「(出会ったら)逃げろ」と指示を出す
O大塩の身長は7尺2寸(今で言うところの217センチ)髷を除いた身長でもゆうに200センチを超える偉丈夫
- 165 :
- >>164
153か?
- 166 :
- >>165
え?
ちがうけど
左之助のエピソードがあるコピペを探して張っただけ
- 167 :
- 会津小鉄と連携して、近藤・土方を金で口説いて
水戸派から会津派へ転向させたのは、斉藤一。
会津小鉄は京都の大親分となり、斉藤一は特高警察の産みの親と成った。
原田や相馬を斬ったのも、斉藤一。
見廻組・今井を坂本暗殺犯に仕立てたのも斉藤一。
御陵衛士の上司・伊東甲子太郎を殉難者として靖国合祀させたのも斉藤一。
- 168 :
- きゃーかっこいい!?
- 169 :
- >>167
嘘はいかんなぁ嘘は!!
- 170 :
- 新撰組の身長って、どうやって調べられたの?記録残ってる?
- 171 :
- >>170
永倉や斉藤は衣服が残ってるので推測できる。
- 172 :
- [3290]土方君とウミネコ by:近藤@日野新 m10/11 17:35 返信
何故か、第十六陸中丸の土方君の周りにウミネコが集まってきました。
「副長!お久しぶりです!と新選組隊士・野村利三郎の声が聞こえた気がしたのは私だけでしょうか(笑)
イタい……イタ過ぎる………(−_−メ)
- 173 :
- 博徒厨
- 174 :
- >>173
うっさいボケ
- 175 :
- 博徒厨の暴言は怖い怖い。
博徒って凄いよ凄いよ(笑)
- 176 :
- 博徒(笑)
- 177 :
- 久々に覗いたが一気にガキのたまりばになってしまったな
このスレある意味あんの?
- 178 :
- 近藤勇は七人の屈強の部下を引き連れ京都へ行く。
そこで伝説の任侠、会津小鉄の取り持ちにより
会津候の御預りとなり新撰組を確立したのである。
近藤勇は尊王攘夷をやり抜く。
まずは隊列に紛れ込んだ日和見主義者供の粛清だ。
そして、冒険主義者供の巣窟、池田屋に突入。
敵を膾に斬って捨て、尊王攘夷の正しい道を確立したのである。
我々はここから多くの事を学ぶことができる。
近藤勇の明神剣が炸裂し、公武の二統が汎化され、
尊王と攘夷とが汎化され、七生報国、破邪の剣と成った。
- 179 :
- 新撰組ファンの心理が皮肉じゃなく不思議なんだが
内輪揉めばっかのDQN集団によく夢見れるね?
- 180 :
- 好きな集団と全く同じ事をスレでやってるのか・・。
おお、もう・・・。
- 181 :
- 北斗の拳も聖闘士星矢も内輪もめばっかりのDQN集団だぜ。
- 182 :
- >>167
伊東甲子太郎の子孫として、怒りを覚える。
幕府の糞犬に成り下がった殺人、建造物侵入、強盗、逮捕監禁、監禁致死、現住建造物等放火犯どものせいで御陵衛士は散々な目にあったのだ。
斎藤の子孫と話をさせろ!!
- 183 :
- >>182
と、ふざけてみた。
- 184 :
- 藤田五郎は斉藤一の逆名跡。
明治七年頃、西郷隆盛食客として
相変わらずやりたい放題やっている斉藤一を
会津きっての正統派剣豪が斬り、名跡継承した。
会津藩の恥部を消し去る為である。
芹沢派浪士組のNO2は斉藤一。
近藤派新選組の監察部長も斉藤一。
伊東派御陵衛士の資金管理責任者も斉藤一。
- 185 :
- >>150
でも土方家って近所からお大尽って呼ばれるほど裕福だったんでしょ?
明治になって苗字の自由がもたらされたら、近所の人がこぞって土方にして、あの辺り土方だらけだよ。
- 186 :
- >>185
どっかのブログだかサイトだかで読んだ記憶があるけど
日野の土方家が多いのはガチだが、読み方は「つちかた」か「つじかた」ばかりらしい
「ひじかた」読みは土方さんの子孫家だけって聞いたけど、本当かな?w
近藤さんの実家(宮川家)が豪農じゃないって、初めて知った…
ずっと豪農だと思ってたw
- 187 :
- 普通に豪農だよ。釣られんな
- 188 :
- >>187
オレ切腹w
- 189 :
- >>164
完全にネタとはいえ上方のヘッポコ剣法が江戸で通用するとは思えんな
- 190 :
- 御陵衛士って実は伊東たちの専売特許的名称じゃないのね。
- 191 :
- 明治になって明治天皇が二回も
佐藤彦五郎宅で休息してるのは本当?
- 192 :
- 新選組ゆかりの地として有名な東京都日野市の高幡不動尊。
異教徒であるはずの高幡不動の敷居をまたぎ、その境内や参道で
「高幡まんじゅう」や「土方歳三まんじゅう」を売っている
創価学会員がいる。
公明党の日野市議会議員、みねぎし弘行は自分のHPに「ことばの道しるべ」と
題して、池田大作の言葉を紹介するような政教一致の市議会議員であり
高幡まんじゅうの製造販売で、何も知らない参拝客から金を巻き上げる
「松盛堂」のオーナーである。
http://www.e-giin.net/minegishi/
http://www.syoseido.co.jp/
- 193 :
- 昭和の新撰組は役立たずで終わり、平成新撰組はすぐ消えた
- 194 :
- 近藤勇の処刑は不当だったね
- 195 :
- 王政復古政府の信用は国内的にも国際的にも当時極めて薄弱なもので
そもそも天皇を絶対権力とする思想すら学者や志士を除き理解が薄い
徳川宗家はまだ機能していて事実上江戸時代の延長状況が続いている
というか明治という元号すらない。
実際権力の空白状態は日本列島各地のいたるところに広がっていた。
そのなかでの近藤処刑にしても当事者たちの人数だけの言い分があり
それが状況次第でまかり通る混沌とした国内状況が現実にはあった。
それでも結果論で無理やり正当不当の色分けをするのはちと苦しいか。
近藤が自ら投降をしてもそれでも彼一流の理論を敵方に説き続けたのは
彼の「草奔の志士」としての理論が天皇に弓引いた事実を反省せざるを
得なかった一方で復古政府に対する懐疑心抵抗心を捨てきれない心理も
強いという自己矛盾に対する複雑な心境からの行動だったのかもなぁ。
- 196 :
- 難しい話しないで
- 197 :
- 大抵の新選組ファンに共通してる特徴って史実気にする割に
いざ専門的なはなしになると難しい話しないでって逃げるとこだよな
ここで長文連発して議論するやつも呆れるが
そもそも学術的な話が理解不能なら学問版にスレたてなきゃいいのに
- 198 :
- ここや別スレの専門的な話は、個人的に凄く参考になるから有り難い
自分も史実を気にする新撰組ヲタだけど
専門知識のある人の話なんて、周りにいないし
本出してる自称専門家なんて、ここの人達に比べたら参考にもならんよ
- 199 :
- 同意
- 200 :
- 創価の店です
http://loco.yahoo.co.jp/qa/1062484760/
- 201 :
- >>194
新撰組を坂本中岡暗殺犯と決め込んでいた土佐もだが
新政府と協調路線派の旧幕府側にとっても目の上のたんこぶだっただろうから
近藤の処刑は避けられなかっただろうな
- 202 :
- 近藤の処刑というか死に対して、後藤は何か反応って起こしてる?
- 203 :
- 戊辰戦争期には既に体制批判や士分意識が強い志士たちは新しい政権や軍隊の厄介者だったしな
近藤勇と新選組の徳川宗家からの体の良い追放は大局的にみれば草莽排除の一環だろうし
本人たちも自分らの居場所がもう多くはないことは京都幕閣の解体あたりから気付いてたかもね
- 204 :
- >>202
近藤が土佐藩の様子を窺いに一方的に後藤に接近してたって感じだからなぁ
全く感知してないことも感想を抱かないこともないだろうけど
そもそもその頃は神戸とか西日本にいたはずだし
地理的にも役職的にも口出しとかできる状況ではなかっただろうね
- 205 :
- >>204
やっぱりそんな感じなんね
ということは、近藤の死後というか死んだ事に対しても
黙して何も語ってないのかな?
- 206 :
- >>205
後藤は近藤の財界に対するコネクションに驚かされたという話はあるようだよ
新撰組は会津藩を治安活動だけじゃなくて資金収集でもサポートしていた
そしてその任務の中心が近藤だった
下っ端の土佐藩士たちは新選組となかが悪いいから猪武者みたいに卑下するが
会ったら意外と如才ない男で意外だったようだね
逆に言えばそれくらいの印象しかもっていなかったようだ
- 207 :
- 以上、民明書房からの引用でした。
- 208 :
- 新選組ゆかりの地として有名な、日野市の高幡不動に参拝の折りには
お土産には松盛堂の高幡まんじゅう!
松盛堂の高幡まんじゅうは宗派・宗門を問いません。
公明党の市議会議員が経営してはおりますが、
仏敵、邪宗の皆様がお食べになっても、消して仏罰は当たりませんので
ご安心してお求めください。
http://www.syoseido.co.jp/
http://www.e-giin.net/minegishi/
- 209 :
- >>206
やっぱ佐藤彦五郎経由の多摩ネットワークが強かったのかね?
- 210 :
- >>209
近藤勇が財務管理ひいては組織管理の能力に長けていたのは
自分が現実に道場経営者だったってこともあるし
佐藤彦五郎たち交流のあった豪農商層の仕事に学ぶところは
もちろん多かっただろうね
ただ大坂財界とのネットワーク自体は
近藤勇独自の周旋活動によって構築されたものだった
志士になることで武士の身分を自己否定した脱藩浪士芹沢鴨の金策は
一方的に殴りこんで大義名分をおしつけるものだったけど
志士になること=武士になることと考えてた豪農層出身近藤の金策は
礼節を重んじて先ずは商人を屯所か旅館に呼びつけて丁寧に交渉した
つまり利害の一致を優先した
応じなければ時には恫喝や嫌がらせって強硬手段もとったようだけど
そういう計算のきいた交渉で大名なみの資金源の獲得に成功している
しかしお金が消えていったのは新選組ではなくその預かり主の会津藩
結局どこのお武家もそういうアウトローな力にでも頼らない限りは
軍事的にも財政的にもやっていけなかったって現実が見えてくる
例え幕府権力相手でも豪家が素直に金を出さなくなるくらい
民衆生活は逼迫したものになっててかつ大きな社会不安で動揺してた
その時代の閉塞感と改革希求の感情の狭間に新選組みたいな連中が生まれた
- 211 :
- >>210
山村竜也の作品のパクリか?
- 212 :
- 近藤の実家は豪農というほどの家でもない。
- 213 :
- >>212
土方よりはマシ
- 214 :
- >>211
山村竜也はここまで整理された文章は書けませんwww
- 215 :
- 板橋でさらされる近藤勇の首の写真が発見されたよ。
- 216 :
- 嘘つくなソース出してくれ
- 217 :
- 近藤も土方も武田騎馬隊の末裔で庄屋。だから旗本になれた。庄屋と旗本は
もともと同格だからね。
- 218 :
- 幕府直轄軍は基本的に旗本を指揮官にする決まりだから
局長の近藤勇は唯一旗本身分を付与されてる
士分付与では幕府軍制との対応が意識されているわけで
隊士の出自が問題にされてるわけじゃないし
浪人近藤家を遡って中農宮川家で評価するのも不自然だ
- 219 :
- 貧農出身の伊藤俊輔は上士になれなかったが名門武士の家柄の近藤勇は旗本になれた。
- 220 :
- >>219
伊藤博文は親父が農家から足軽家に養子に入って武士のはしくれになった
近藤勇は農家から剣術家に養子入りして仮にも武士となった
スタートラインは大して変わらないな
ってか伊藤さんは旗本どころか総理大臣になってますってwww
- 221 :
- これらのソースは民明書房刊
「今夜の志士は鍋」
- 222 :
- 多摩の豪農層はもともと上級武士だったから召抱えられれば必ず上級武士になった。
もともと同格なんだ。
- 223 :
- 同じ多摩の豪農・中農なのに新徴組連中は庄内藩の足軽格ですやん
幕府は「尽忠報国之有志」って資格で近藤勇らを採用してるわけで
そもそもそれ以前の出自ってものは関心にはしてなかったし
その傭兵集団を正規軍に組みこむにあたって
身分制軍団の職制と齟齬ないように役職に応じて身分を与えただけ
- 224 :
- NHK-BS時代劇ドラマ『新選組血風録』
幕末という変革の時代。その大きな流れに逆らって、「武士」であることに異様ともいえる情熱を傾けた男たちがいた。
剣の腕ひとつでひとかどの武士に成り上がった男たちは、新選組として日本の行く末を左右する苛烈な戦いの最前線に身を投じたのである―――。
司馬遼太郎原作「新選組血風録」は、混乱の時代を懸命に生きた新選組隊士たちの激しく切ない人生を、毎回読み切りの形式で描く<新選組外伝>。
時代劇初主演の永井大が、新鮮かつダイナミックなヒーロー土方歳三を演じる!
[ 2011年4月〜6月 NHK BSプレミアム放送 ]
DVD-BOX好評発売中 http://www.toei-video.co.jp/DVD/sp21/shinsengumi.html
- 225 :
- >>224
いらねぇ!
- 226 :
- NETの『新選組血風録』 は傑作なんだがなぁ…
- 227 :
- 新撰組がアウトローだのヤクザだのと扱われてるのは何か違う様な気がするけどさ。
基本的には民兵農兵義勇兵志願兵の類だと思うんであって。やっぱり内部粛清や一部一時期の乱行が悪いのか?
>>209
>多摩ネットワーク
今から見るとどうもその辺りの事情についてはピンと来辛いね。だいたい多摩は何が悪くて田舎扱いなんぞに……
- 228 :
- 多摩はいまでも田舎です。
- 229 :
- >>227
通俗的にヤクザと表現されるのは単純に内部抗争や乱暴狼藉など表面上の行為でだろうさ
ただ実際に探索活動や兵卒・陣夫の人材源としてアウトロー集団が活用されてたね
通常の軍役体制外の軍隊だから人員集めは剣術家の人脈やアウトローの人脈に頼ってた
まあ国自体が近世兵営国家なんて呼ばれる武闘組織の理論で組みたてられてたわけだしね
武士=戦士が民衆生活の平和保障してんだから年貢だせだの御用金だせと強要し
そのくせ下っ端であれば下っ端であるほど人命は軽視され逸脱者は容赦なく処分されてた
新選組はそういうヤクザより怖い支配の末端を担った
そんでもってそういう国家のあり方は現代までも繋がってたりする・・・・・・
長々失礼
- 230 :
- >>227
明治政府が徳川の気風が強く、民権運動も盛んだった多摩を疎んじて、
開発を後回しにしたため周囲より遅れたと言う説があるな。
- 231 :
- >>230
それでも山口県・鹿児島県の大部分よりは都会ですが、何か?
- 232 :
- >>227
新選組、というか京都守護職が新設される前、
京では天誅名目で攘夷志士が好き勝手に暗殺しまくってたのに
明治政府に都合が悪かったせいかその辺りが曖昧にされてた気がする
所司代だったかの武士4人が数十人がかりで嬲り殺しにされたり、
当時の攘夷志士なんて人殺しばかりしててろくなもんじゃなかった
それを考えれば新選組や見廻組の治安維持の功績は大きいと思うんだよね
連中は暗殺もむやみやたらにはしてなかったみたいだしw
- 233 :
- >>232
無秩序の暴力は怖いが公権力による暴力も怖いな
新撰組は新撰組で天下国家の名のもとに虫けらみたいに民衆を拷問死させたり
近藤局長御自ら先頭にたって無理やり軍資金や屋敷地を取り立てたりしてるしさ
権力者にとっては邪魔者をズバズバ殺してくれるから治安維持の要だろうけど
世の中の大多数を占める民衆にとってはどうだったろうなぁ・・・
飲んでないのに飲酒運転の罰金とられるならまだしも命までとられちゃたまらん
- 234 :
- >>233
悔しかったら剣で相手をねじ伏せればいいだろ?
それができないなら命と金を差し出せ
徳川の為だ
- 235 :
- 新撰組ってのは元々世直し勢(暴徒化した窮民層)を斬ることにはじまって
天下国家を乱す異人や浮浪を斬ることで地域社会の秩序回復を志すようになった
在地の有力者層とその取り巻き=草莽層集団が脱藩浪士集団と並ぶ人材源だったしな
いわば時代劇でいえば悪代官サイドの人間たちで構成されてたわけだから
もともと庶民に対しては手厳しかろうね
- 236 :
- リーマンショックも食い止められなかった糞日本史フリークども
原発ごときで二分して
なんかお前らの存在意義ねえな
新撰組って京都だっけ?
児童に車突っ込ませまくれよw
てんかんとか理由つけず新撰組にいた
糞京都とか、しねよ
- 237 :
- ?
- 238 :
- 「新選組に長州の間者が」っていうのは本でよく見るけど
新選組側の史料には出てきても、長州側の史料では見たことがないんだよな・・・
自分が知らないだけかもしれないが
そもそも、新選組の知名度ってどのくらいだったんだろう
史料だと新徴組と間違えられてる例をいくつか見たことあるけど・・・
- 239 :
- >>238
江戸幕府が浪士組および新撰組や新徴組を編制した主たる目的に浪士対策があった
幕藩権力の統制外で活動する在野の志士を一隊にまとめて教化するのが課題だった
つまり募集対象者は必ずしもガチガチの佐幕派だけでなかった
実際に浪士組の募集予定者名簿に坂本龍馬とか宮部鼎三とか反幕的志士が名を連ね
新撰組もまた然りで様々なイデオロギーの人間を殆ど無条件で受け入れていた
そういう背景を考慮すると「長州の間者」とされてるメンバーは
けっきょく幕府の教化を受けつけなかった人たちって考えるべきかも知れない
長州が意図的に潜り込ませたというより幕府の命令に従順な兵隊になり切れず
長州はじめ西南雄藩勢力に流れた人たちというか、、、
もっともスパイ活動のことが公の記録に残ること自体また珍しいっちゃ珍しい
殆ど誰にも悟られることなく潜入し任務を遂行したか消された人間もいたかもね
新撰組でも公文書に殆ど名前を出さない密偵が何人か確認されてるし
- 240 :
-
歴史秘話ヒストリア 新選組 土方歳三の生きる道★1
http://hayabusa2.2ch.sc/test/read.cgi/livenhk/1336566407/
- 241 :
- 白色テロリスト
- 242 :
- >>239
レスありがとう
浪士組については知ってたけど、なるほどそういう考え方もあるわけか
- 243 :
- >>233
>新撰組は新撰組で天下国家の名のもとに虫けらみたいに民衆を拷問死させたり
具体的にどういう事件の話よ?
ちなみに、池田屋事件の古高俊太郎は純粋な民衆とは言えないよ
古高は公家の近習を勤めていた人間だから
- 244 :
- >>243
横レスですみませんが学者により近世の武士や民衆の定義は十人十色なので
先ずどのような身分や職能の人間を「純粋な民衆」とするかは難しい話題ですな
自分の読んだ宮地正人氏の『歴史のなかの新選組』によれば
市井のあいだで新撰組の屯所牢が恐れられていたそうで大坂商人の藤井藍田など
慶応元年5月の京坂大手入れ事件で拷問の末死亡してしまった人もいたそうです
芹沢鴨愛妾お梅のように巻き添えを食らって殺された人もいましたね
ちょっと違った観点からいいますと当時の軍隊は「人狩り」をやるのが常でした
雑務にあたる陣夫や小者として百姓・町人を無理矢理動員する行為のことですね
大嶽浩良氏が調べた下野の記録のなかには土方歳三の率いる旧幕府脱走の軍隊が
村々の若者をみつけしだい武器で脅し強制的に使役したことや
人足に使われた男性たちを心配して寺社に千度参りする人々がいたことなどなど
生々しく悲惨な「カッコいい戦い」の現実も伝えられています
国家のためという大義の下に市井の人々の命がモノのように使い捨てられる
そんな光景は大戦下のみならず幕末社会にも存在し
新撰組もその「加害者」であり「犠牲者」でもあったと言えるでしょうかね
- 245 :
- 高幡不動尊の境内でまんじゅうを売る創価学会員。
東京都日野市市議会議員であり、高幡饅頭「松盛堂」オーナーである
峯岸弘行のプログです
http://www.komei.or.jp/km/hino-minegishi-hiroyuki/2012/05/
恩師のことば
2012年 5月 10日
人は困難に負けるのではない。
闘魂を失うことによって自らに敗れるのだ。
これ、小説「新・人間革命」の一節です。
池田大作、いやゴーストライターがこいつの恩師なんですね。
- 246 :
- また馬鹿な新撰組ヲタが
【横浜】土方歳三に憧れて・・・駅のホームで水色法被姿で模造刀を振り回した元JR職員を逮捕
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/dqnplus/1337081268/
- 247 :
- 洋装だったら逮捕されなかったということか・・・
- 248 :
- 何故新選組で近藤や土方、沖田ばかりを贔屓して
伊東や芹沢、山南を貶す人って多いんだろうね?
新選組は近藤や土方、沖田の私設部隊じゃないし
伊東達も居てこその組織だと思う。
新選組が好きという人と話をすると理不尽なまでに
後者の3人を貶す人が多くて非常に気分が悪い。
そもそも本当に新選組が好きなのか?と疑いたくなる。
- 249 :
- >>248
一般に歴史学としての新撰組と時代劇としての新撰組がゴッチャになりやすいしな
ふつうは高校の暗記勉強くらいの歴史教養しかないわけで
どうしても勧善懲悪的だったりトンデモ説的な評価に流れやすいんではないかなぁ
芹沢らを悪人と論じる人が多い理由も単純にそういうことだと思う
- 250 :
- 芹沢と山南は最近では人気者だろう。
芹沢は個性派悪役として魅力があるし
山南は大河の影響が大きい。
伊東が不人気なのはウラギリ者だからだろう。
新撰組モノの作品ではまず良く描かれない。
ヒトカドの人物だったのは間違いないんだが・・・
- 251 :
- 自分は強いて言えば伊東甲子太郎のオカマキャラが定番化してることに違和感があるかな
ピスメとか風光るとか薄桜鬼とか
史実に基づいて〜とか強調する作家に限って適当な仕事するってのが残念でしょうがない
- 252 :
- 伊東好きなんだけど、イマイチ扱いが悪いよね
大河の伊東は役者は良かったのに嫌なキャラで残念だった
衛士視点の作品も見てみたいな
- 253 :
- 近藤勇も伊東甲子太郎と同じく酷い扱いだな
敵味方を問わず気真面目で文武両道の人物だったと高く評価されてるんだが
必要以上に土方に頼りっぱなしな人物設定が残念だ
実際は土方が近藤出張中に仕事が処理できない早く帰ってきてと手紙だしたくらいで
近藤の組織内外での役割は司馬小説で描かれてるよりもっと大きかった
- 254 :
- 近藤と土方が、「あいつ気に入らない」で殺しちゃった人間だから、
二人を崇拝する人間は、無理やりにでも伊東を悪人にしたいのでしょう。
それでは記述自体が嘘まみれということになるのですけど。
近藤は、組を掌握してから隊士に臣下の礼を強要したり、
要人貴人を気取って政見を表したり、あまり良い記述がありませんな。
- 255 :
- 前から疑問だったんだが、土方を「鬼の副長」というのは
何がソースなんだろうか?
- 256 :
- >>255
たぶん土方歳三のことを鬼の副長と書いた史料は存在しない
新選組ブームのなかで何時しか生まれた架空の渾名だと思う
史料中では異口同音に利口だが気が強いとして紹介されてる
例えば新選組と接触した京都三井両替店の奉公人の日記には
近藤勇は穏やかな人物で土方歳三は秀才だが短気な人間だと
その印象が綴られているね
フィクションで知られる性格に近いところはあったみたいだ
ちなみに近藤勇の人物は文武両道で気真面目とされながらも
同時にリーダーになるだけあり強情な性格という評価が多い
彼も本質は気の強い秀才肌で敵を多くつくったのも納得かな
伊東甲子太郎は一般に知られる様な薄っぺらい人物じゃなく
やっぱり大物然とした気真面目な人物だったそうだけれども
少し真面目過ぎてやはり敵を増やすところはあったようだね
まあ三人とも総じて相当に我の強いところはあったみたいだ
そうでなきゃ武闘組織のリーダーなんてやってけないわけで
そもそも世に出る野心も抱かなかっただろうからね
- 257 :
- >>254
伊東を悪者にしとかないと近藤土方ヲタには都合が悪いもんなw
- 258 :
- 副長と参謀はどっちが偉かったんやろか
- 259 :
- ここ見てると勉強になる
どうも新撰組関連は捏造が多くてどこまで史実なのかよく分からないことが多くて困る
近藤は調べれば調べるほど、最初はともかく途中からこの人のどこにそんな人望が…と思うし
土方は多重人格か?って思うくらい言われてることバラバラ
永倉にさえ性格よく分かんないって言われたって本当なんだろうか…?
>>258
副長の方が偉いと何の疑いもなく信じてきたけど、これで違ったらショックだ
- 260 :
- たまには殿内や家里の事も思い出して下さい。
- 261 :
- 山南さんは格としては副長より偉いけど、ラインから外されてて実権がなかった、ってのは本当?
- 262 :
- >>261
西村兼文の史書『新撰組始末記』に芹沢粛清直後の人事として山南敬助の総長就任が唯一確認できるね
ただしそれ以外の史料では全て副長と書いているから山南の総長就任それ自体については疑わしいかな
ある時期から山南が近藤勇と衝突して意見が採用されなくなったとする史料は確認できる
>>259
副長は序列第二位で参謀は序列第3位だね
まあ近藤も土方も実在の人間だからね普段会ってる人間ですら分からないことだらけだし
相手によって接し方が異なればもたれる印象も違ったろうしね
百年以上前の人間を僅かな史料だけで理解するのは正直不可能に近くて
だからこそ面白いとは思う
- 263 :
- >>256
ありがとう
史料で見たことないと思ってたけど
やっぱ誇張?されたもののようだね
伊東も好きなんだよなぁ
- 264 :
- >>262
ありがとー。
山南さんもいろいろ言われるね。
尊王攘夷派だったから新選組についていけなくなったとか、大怪我して剣を振るえなくなっていたとか。
- 265 :
- 服部武雄最強説って根拠はなんなんだろ?
- 266 :
- 服部武雄が油小路で二刀流を遣い暴れまわったことは話題となり
その獅子奮迅ぶりを称える記録が数多く残された
たぶん服部最強説はそれらを根拠に何時しか定着したものかもね
もちろん強い弱いは主観のはなしなので沖田や永倉より強かった
とかはどうやったって分かりようもないことなんだけど
いわゆる達人と呼んでもいい剣士だったことは間違いないみたい
新撰組での序列は上位で慶応元年の7月つまり入隊一年足らずで
諸士調役の次席に任ぜられていて伊東一派ではナンバー2だった
そういうとこからも実力者だったことが分かるね
- 267 :
- 御陵衛士の人が明治に入って服部最強って言い残したんじゃなかったっけ
- 268 :
- 子母澤寛の『新選組始末記』には「京都浪士中第一の剣者などと言われた服部もいるし・・・云々」という一節があるね
もちろん子母澤は前に紹介されているような同時代を生きた人たちの手記だとか証言を前提としてそう書いたはずだけど
服部を直接「最強の剣士」と書いたのは子母澤がはじめてじゃないかなぁ
- 269 :
- でもそこまで強いなら撃剣師範になってそうだけど、そうじゃないんだよね?
- 270 :
- >>269
服部武雄の師範就任が確認できる史料は無いね
ただし教授(師範)っていう職制自体よく実態が分かっていなかったりする
例えば西村兼文の『新選組始末記』にある有名な十番組編制表が多々勘違いを含むものだと確認されていて
それと併記されている撃剣や柔術などの師範人事もどこまで実態に近いのか分からない
また元隊士近藤芳助の書翰に「撃剣教授心得」が確認できるから教育担当のスタッフ職制はあったようだけど
その就任者には始末記の人事表にはない鈴木直人や真田四目之進の名前があったりする
人事の詳細はもちろん何時から設置されていたのかとか心得というからには教授にも階級があったのかとか
諸士調役や勘定方のように独立した職制なのかそれとも兼任だったのかとか謎が多い
- 271 :
- たしか司馬も著作のなかで服部が一番強いと断言していたな
- 272 :
- 逆に一番弱かった隊士は誰なのかっていうね
- 273 :
- ソース司馬(笑)
- 274 :
- >>270
>有名な十番組編制表が多々勘違いを含むものだと確認されていて
これは初耳。どういうこと?
- 275 :
- 伊東って近藤を暗殺しようとした訳じゃないよね?
伊東本人が暗殺された11月18日も近藤を説得するつもりで
醒ヶ井まで出向いたみたいだし。
何にしても近藤や土方、総司ばかりが過剰なまでに
贔屓されて伊東や山南、芹沢、武田が理不尽な形で貶されるのは
我慢ならない。
- 276 :
- 話は変わるけど御陵衛士の中で一番強かったのは
新井忠雄だという話を聞いた事がある。
それについて触れている資料や書籍はまだ読んでないんだけどね。
- 277 :
- >>274
山崎丞の雑記帳とみられる『取調日記』なる史料が数年前に発見されてたんだけど
それによれば1865年6月頃つまり十番組編制が採用されていたとされる時期は
8番組までしかなかったことが確認された
まあ率直な疑問として島田魁『英名録』の1865年7月で134人という人数に
10番組編制をあてはめると20〜30人の隊士不足だったことになっちゃうしね
第一次や第二次の行軍録との整合性もとれないし一応前から疑問視する声はあった
- 278 :
- >>277
ありがとう
そいうえば、山崎の日記って活字化されてないんだろうか
- 279 :
- >>244
>自分の読んだ宮地正人氏の『歴史のなかの新選組』によれば
>市井のあいだで新撰組の屯所牢が恐れられていたそうで大坂商人の藤井藍田など
>慶応元年5月の京坂大手入れ事件で拷問の末死亡してしまった人もいたそうです
藤井藍田が開いていた私塾は勤皇の志士達のアジトになってたんだから、完全に
無関係な人間を拷問死させたわけじゃないじゃん
>芹沢鴨愛妾お梅のように巻き添えを食らって殺された人もいましたね
”巻き添えで殺してしまった”というのは、拷問死させたのとは全然違う
- 280 :
- 逆賊
- 281 :
- tesuto
- 282 :
- >>278
日野市が原文写真と翻刻文&解説文つけた冊子を発行したけど今は購入不可
現地の図書館などでコピーなら入手可能
名簿部分は『続新選組史料集』にもあるけど詳しい人には評判は悪いようだ
幕長戦争当時新撰組が幕府からどんな機能を求められ変化しつつあったのか
その辺が断片的にだけど分かる面白い史料だと思うよ
- 283 :
- >>282
ありがとう!
「新選組史料集」も絶版みたいだし、新しく史料集出してもらいたいなー
- 284 :
- 朝敵
- 285 :
- 永倉さんが55歳の時に日清戦争が起きて抜刀隊に志願したが断られたみたいだね
- 286 :
- 今日は沖田さんの命日ですね。
- 287 :
- って事は日露戦争の時はもう70歳くらいか
- 288 :
- 日清戦争と日露戦争の時は陸海軍の将軍や提督に永倉新八と同じ世代が沢山いたんだよね
土方歳三と一緒に北関東や東北で戦った立見尚文とか逆に宮古湾海戦で敵として対峙した東郷平八郎とか
もちろん職業軍人でもない老兵に用意された席はなかったけど
永倉はかつての攘夷志士として対外戦争には参加したくてしょうがなかったんだろうなぁ・・・
- 289 :
- 斎藤一の息子が確か海軍だっけ?
やっぱ誇らしい気持ちになったかねェ
- 290 :
- 斎藤一と永倉新八が旅順要塞に突撃してれば
もっと簡単に陥落させてたなだろうな
- 291 :
- この前、山南の墓を久しぶりに拝みに行ったら寺の人と話す機会があった
曰く、伊東とかも最初はここに埋葬されてたんだけど、
後に200名もの人が押し寄せて、伊東や藤堂の遺体を掘り起こして持って行ったらしい
よく改葬されたって本とかには書かれてるけど、正確には改葬ではなく力づくで持ってかれたみたいだ
山南とかの墓石もその時の騒動で大分ヒビとか入ったらしい(乱暴に扱われた)
寺自体も賊軍に協力したといわれて色々大変だったらしい
沖田の縁者も眠ってるけど、名前が記録帳からわざわざ削り取られたのって
やっぱり関係者だと分かると、その女性の家族が大変だろうだから配慮したのかな?
沖田関連の知識は全くないんだけど、やっぱり内縁の妻か何かだろうか?
- 292 :
- >>290
新撰組隊士ではないけど、伊庭八郎も加わっていればカオスだと思う。
- 293 :
- 緋村抜刀斎も加えよう
- 294 :
- >>291
沖田氏縁者の正体は永遠の謎かもねぇ〜
光縁寺はけっこう狭いところにあってびっくりした思い出がある
そこにボロボロになってひっそりと佇む山南敬助のお墓をみたら
同郷としては何か悲しくなったなぁ
永倉新八の手記によれば山南は伊東グループと親しかったとあり
現に伊東甲子太郎も山南の切腹を弔う和歌を残しているんだよね
それでも乱暴な扱いをうけてしまったのか・・・
- 295 :
- >>291
寺の人は「明里の墓」って言ってなかったかい
- 296 :
- >>294
伊東たちの遺体はまだ死んで数か月で新しかったから、他の新選組の人たちの遺体と区別出来たみたい
で、中身確認したりするのに邪魔だから墓石を引っこ抜かれたりしたんじゃないかと想像してる
自分はむしろよく山南たちの墓石残せたなと感動した
当時の住職がかなり出来た人だったらしい
独身の隊士は基本墓石一緒の合葬だったらしいが、山南は一応正面に単体で名前がのってるよね(横には他隊士の名もあるけど)
河合とか金持ちの例外除けば、芹沢でさえ正面に二人以上で名前がのってるのに、山南やっぱ慕われてたのかな?
そして真ん中にあった大石造酒蔵がほぼ単体?の墓なのに兄・大石鍬次郎の愛情を感じる
沖田縁者は単体の墓だけど、あれは昭和の末に問い合わせ多かったから建てたみたいなんで別物だな
>>295
明里とは言ってなかった
話ずれるけど、明里って作り話じゃなかったっけ?
- 297 :
- 埋葬方法の違いは武士としての序列の違いからきていると考えられるね
山南敬助の厚遇は単純に光縁寺の埋葬者のなかで一番格上だったことが理由で
芹沢鴨と平山五郎の合葬は二人が同じ隊長だったって説を信じれば説明できる
ただ個人的には芹沢と平山の同格説はちょっと疑わしくもあるけど・・・
- 298 :
- 自分も光縁寺の住職に明里って言われたな
山南厚遇は、そもそも光縁寺と壬生浪士組の繋がりが山南と家紋が一緒っていうのが
起点だったはずだから、関わり方の差じゃないのかね。
それ以前の隊士は壬生寺の方に埋葬されてるし
そもそも墓が当時あった場所ってすぐ隣にある線路の下あたりで、大正だかぐらいに
墓移動させたって聞いた気がする
御陵衛士の改葬は朝廷の命令で行われたはず。
衛士の一人が「死んだら泉湧寺に葬って欲しい」と言ったとかもあるけど
資金は公家あたりから出てたと思う。
- 299 :
- >>298
壬生浪士は8月18日の政変直後に新撰組の隊名と市中取締りの任務を与えられた
つまり幕府の京都出先機関(京都守護職)の末端組織として正式に位置付けられた
あくまで自論だけどもこの一連の役所化・京都定住化にともなう変化の一つとして
新撰組の菩提寺を光縁寺に設定したのかなぁ・・・と考えている
当時は身分を証明するために必ずどこかの寺院の檀家さんになることが必要だったけど
近藤勇は「拙者関東発足の時より忠天朝に奉し躬は幕府致し候」という思想だったから
自分たちの幕府役人としての身分が定まっていくにつれて勅願寺の壬生寺に葬るよりは
幕府所縁の知恩院末寺光縁寺が自分たちに分相応であると判断するようになったのかも
すなわち朝廷−幕府−新撰組という順序をただすための意図があった
そして人柄も良くて家紋が一緒という話の掴みをもつ山南敬助がその交渉役に抜擢され
万事話が上手くまとまった・・・そういうことだったんじゃないかなぁ
- 300 :
- >自分も光縁寺の住職に明里って言われたな
自分が行ったときは住職さん出かけてていなくて、家の方に対応された
だから言われたことが違うんだろうか…?
>そもそも墓が当時あった場所ってすぐ隣にある線路の下あたりで、大正だかぐらいに
墓移動させたって聞いた気がする
これは自分も聞いた
墓石自体は多分、当時の物なんだろうか
下手な本読むよりここの方がよっぽど勉強になる
長々チラ裏書いて申し訳ない。ROMに戻ります
- 301 :
- 本は読んだほうがいいだろうけどなwww
新撰組本つったって菊地明さんや山村竜也さんだけじゃないし
- 302 :
- 新選組の見廻りってどんな感じだったの?
やっぱりダンダラ羽織でガン飛ばしながらゾロゾロあるく感じかね?
- 303 :
- >>302
ダンダラ羽織は実際はほとんど使われなかった
4人1組で見回りしてたはず
ところであの有名なダンダラ衣装って発注したの結局誰なんだろうか?
本によって芹沢だったり近藤だったり…
- 304 :
- >>302
新徴組では一日二組が昼夜に分かれて江戸市中を見廻った
一組は肝煎以下25人で合印の袖章をつけ袴の股立ちをとり陣笠を被った本隊15人が二列に並ぶ
肝煎は馬上でそれに槍持や突棒・サスマタ等々捕物道具や雨具籠を持つ小者たちが何人か付属した
本隊に前後し変装した忍び廻り10人が一丁に1人づつ変装して従う
出発前に庄内藩屋敷の新徴組総括松平権十郎に挨拶して庄内藩警邏隊との合流などを打ち合わせた
見廻りの順路は決まっていて途中休憩する場所も指定されていた
正午出発組は午後八時に屯所帰営で午後六時出発組は午前一時に屯所帰営ってスケジュールだった
新撰組も似たような見廻りの仕方をしていたらしく2、30人一組で京都市中を見廻ったようだよ
たぶん馬上の局長か副長のもと二組26人ほか小者なんかが付属って編制かな
そのほか>>303のいうような少人数の警邏隊が町々に散らばって目を光らせていたのだろうねぇ
- 305 :
- >>304
そんな詳しい情報初めて知った!
どんな本に載ってるの?
- 306 :
- >>305
小山松勝一郎さんの『新徴組』(絶版)っていう本に書いてあった
新徴組はまとまった史料もけっこう多くてハッキリしたことが分かっているみたいだ
子母沢寛さんの『新選組遺聞』にある八木為三郎翁の証言によれば
隊服を着て槍をかついだ20人くらいの隊士が市中見廻りに出かけて行ったほかに
数人一組がブラブラと平服ででかけていったというから
新徴組と新撰組の市中見廻りは殆ど同じ内容でマニュアル化されていたみたいだね
また八木翁によれば近藤や土方はダンダラバの隊服を嫌っていたようで全然着ずに
だんだんと廃れていったと話しているね
近藤は赤穂義士の大ファンだったといから近藤も少なかず関わっていたかもだけど
個人的にはド派手なデザインは芹沢の発案じゃなかったかなぁと思う
- 307 :
- ま、当時にしてもキバツなセンスだったんだろうな。
だから近藤も土方も着なかった・・・
- 308 :
- >>306
ありがとう
その本、読みたいんだけど見つからないんだよね・・・
- 309 :
- 赤穂浪士の時代って何気に幕末より大分前だしデザインが古臭かったのかも
まあ、目立って仕方ないからダメだったみたいだけど
新徴組の人たちは何気に大半が生き残っているから、新撰組の幹部連中も上手いことやれば生き残れただろうか?
会津お抱え&京都で実際に薩長と戦った、だしやっぱり無理か…
- 310 :
- >>309
新徴組もけっこう亡くなってるよ・・・・・・
新撰組と同じく戦死や規律違反で命を落としたヒトは勿論多いけど
現代でいうPTSDのために発狂して仲間殺して自分も自殺したり
維新後の過酷な開墾事業に耐えきれず一家全滅等々
もちろん新撰組だって戦争終わって厳しい処罰をうけたわけだけど
彼らは基本的に独身者で戊辰戦争以後は幕府や会津からも解放され
刑期を終えたものも生き方を自由に選択することができた
けど新徴組は10年以上も家族ぐるみで権力に拘束されたぶんだけ
軍隊組織における消耗品としての絶望や悲しみに苦しみ続けていた
こちらもやはり生き残るには大変な境遇だったようだ
- 311 :
- 都内で毎年恒例的な新撰組のイベントとかやってます?
- 312 :
- >>74-76
近藤勇のことを、今以上に、もっと知りたーい!
- 313 :
- NHK総合を常に実況し続けるスレ 77536 五月雨
http://hayabusa2.2ch.sc/test/read.cgi/livenhk/1340491653/
- 314 :
- 今夜はヒストリー見忘れた
- 315 :
- ハッピ買った
良い色ですね
- 316 :
-
http://engawa.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1342291670/
腐女子がNHKドラマ「薄桜記」をゲームの「薄桜鬼」のパクリだと非難 無知を恥を晒す
http://togetter.com/li/337799
薄桜記と薄桜鬼
先>「薄桜記」(1959年、ヒロインは千春)50年前の産経新聞に連載された時代小説。
後>「薄桜鬼」(2008年、ヒロインは千鶴)女向けゲーム。
新撰組の吸血鬼設定
先>「バクマツバンプー〜幕末蛮風〜」2005年舞台。主演:大野智(ジャニーズ嵐)
後>「薄桜鬼」2008年、女向けゲームww
- 317 :
- 俺は30代男だが薄桜鬼のアニメはおもしろいよ。
乙女ゲ原作と思って侮るなかれ。
イマドキの40代から下の世代は
歴史に興味を持ったきっかけが
マンガやゲームだったヤツが多いだろう。
若者のことを笑えないよな。
- 318 :
- 夢枕獏か誰かの伝奇小説で新選組が吸血鬼って設定はあったような気が
- 319 :
- >>317
三国志なんかは光栄と横光から入ったヤツが多いだろうしな
俺もそうですが
- 320 :
- あと大河から入る人も
好きな役者が出演してたら見るよね
- 321 :
- ドラマの俳優でどのキャストが好き?
俺的には、近藤は原田泰造が一番顔が似てると思う。
- 322 :
- 山本耕史の土方歳三
- 323 :
- 歳さんは美しい
長州グロ肝キムチーナとぜんぜん違うもの!!
歳さんを返してほしい。
コンプ面長州
- 324 :
- 書き事は伊藤哲也が斎藤一の一番の書き手
- 325 :
- 「新選組血風録」永井大の土方歳三
- 326 :
- 458 人間七七四年 sage 2012/07/16(月) 15:33:44.79 ID:/z881tdx
変わる時代に逆らって 燃えてみようぜ二人して
愛よ恋よも良いけれど 命のやりとり 男じゃないか
近藤 土方 さむらいよ
粋な羽織をなびかせて 男男と風をきる
廓雀がさわぎます
誠の御旗が夜風に揺れりゃ 正義と正義の血の刄
武士だ誠だ近藤は 燃える男だ土方は
月も惚れますさむらいに 時代の流れはわかっちゃいるが
徳川守るは男意地 徳川守るは男意地
- 327 :
- >>322
私もそう思います。
- 328 :
- 堺雅人の山南敬介
オダギリジョーの斎藤一
- 329 :
- 新鮮グミ
http://www.youtube.com/watch?v=4i_RL1bdsAY
- 330 :
- 長塚京三の土方もなかなか
- 331 :
- 山本耕史の土方歳三
オダギリジョーの斉藤一
- 332 :
- なんだよ、結局、新選組!大好きだな、お前ら。
放送中は歴史ヲタがグダグダ言ってたが。
- 333 :
- 沖田は草苅正雄
- 334 :
- 当時、手記を読んでみると
新選組は悪知恵ゴロツキ集団としか思えない
ゆすりたかり乱暴狼藉、見せしめの切腹
何でもアリ
- 335 :
- 役所こうじの土方が好きだけど
低い姿勢からなぎはらう殺陣がワイルドで
でもちょっとかっこよすぎるんだよなー
山本耕史はいいかも
- 336 :
- >>334
何の手記?
- 337 :
- 永井の土方はどうにもゴツ過ぎると血風録を見て思った。
山本耕史のが土方のイメージに合ってると思う。
- 338 :
- 燃えよ剣の栗塚土方の死に顔は結構トラウマww
- 339 :
- 中川勝彦の沖田
- 340 :
- 新撰組を愛するみなさん
これどう思いますか?
ttp://koebu.com/user/uchiagehanabi2012
- 341 :
- 永井はどうしても
只野仁、サラリーマン金太郎のイメージ強すぎ
- 342 :
- るろ剣映画の江口洋介の斎藤一は?
悪くないとは思うんだけど、
- 343 :
- 【新選組】原田泰造・松田悟志・栩原楽人【誠】 2
http://kohada.2ch.sc/test/read.cgi/nhkdrama/1276591984/
- 344 :
- ほほ〜う幕府の犬が沢山おるわw
それはともかく、時代が読めなかったよな彼らは。
- 345 :
- >幕府の犬が沢山おるわw
ポシンタンにしてやるわ!・・・て世界世論が・・・
- 346 :
- 大河ドラマ新撰組のキャスト以外受け付けなくなった
三谷版のキャストが一番だ
- 347 :
- 我らが犬なら貴様らは影を這いまわるゴキブリだ。
ゴキブリが犬に敵うかー!
石川賢の漫画より
- 348 :
- ザ・ブームの近藤勇が結構良い味出してた
- 349 :
- >>342
試写会で見てきたけど良かったよ
剣技も迫力あったし、結構自分の中のイメージ通りだった
- 350 :
- >>349
それはるろ剣の斎藤一のイメージか、新選組の斎藤一のイメージかが気になるなw
- 351 :
- 何故新選組ファンの大半の人は近藤や土方、沖田ばかり
過大評価して芹沢や伊東、武田達のような粛清されていった
人物を過剰なまでに蔑み、悪人扱いするのだろうか?
新選組って近藤や土方、沖田だけの力で成り立っていた
わけじゃないと思うんだが。
それより何より芹沢や伊東のようなカリスマ性のあり、リーダー
シップ能力のある人物が蛇蝎の如く嫌われるのが非常に納得できない。
近藤や土方、沖田ばかり贔屓する人達って本当に新選組が好きなのかな?
- 352 :
- 引き続き書き込んで申し訳ない。
伊東って御凌衛士を編成してから近藤を
殺そうとしたわけじゃないよね?
何とか説得して自分の味方にしようとしていた
という話を聞いた事があるし。
土方が伊東達御凌衛士を壊滅したのも近藤の暗殺を
察知したからではなく、薩長だけではなく御陵衛士まで
敵になったら手に負えないからだよね?
無学な人が伊東を非難しているのを見ると気分が悪いな。
- 353 :
- >>352に釣られてみるが・・・
>土方が伊東達御凌衛士を壊滅したのも近藤の暗殺を
察知したからではなく、薩長だけではなく御陵衛士まで
敵になったら手に負えないからだよね?
察知したからじゃねぇの?
そのためのスパイ斎藤だったわけだし。
伊東が立派な人物だったのは間違いないが
土方の立場だったら伊東を斬ろうとするのは当然だろう。
結局、相容れない仲でした・・・
- 354 :
- >>353
御凌衛士から金を持ち逃げして、帰る場所が
新選組しかない斉藤が「伊東が近藤を暗殺
しようとしている」とでっち上げただけじゃないの?
勘違いしないで欲しいが、俺は斉藤が好きだ。
土方も好きだが自分と相容れない人間は消すという
考え方は理解できない。
- 355 :
- 新撰組の内情知ってる伊東に薩摩に近付かれちゃやばかったから暗殺とも考えられる
ずっと情報流していたならともかく、いきなりでっちあげ言っても信じて貰える組織じゃあるまいて
斎藤は直後に三浦のとこに匿われたり改名したり、やっぱり間者のほうがしっくりくるよ
- 356 :
- >>355
自分も同意
斎藤一が持ち逃げした金の正体が
水野弥太郎から高台寺党に提供された軍資金というのもポイントだね
油小路直前の高台寺党は水野の博徒集団を軍隊に編成する動きを見せ
実際に高台寺残党が赤報隊2番隊を編成するにあたり水野は加勢した
この伊東の高台寺党と水野の博徒集団の連合軍の形成は
反幕激派の武装蜂起に敏感になっていた新撰組にとって脅威な訳だし
間者の斎藤はこれを察知して直ちに新撰組に情報を流す
斎藤一は意図的にか元来そういう人柄だったのか分からないけど
女遊びに使う金欲しさで軍資金を持ち逃げしたという印象操作を行い
高台寺党に警戒されずに脱走に成功した
って考えるほうが突発的に遊ぶために金を持ち逃げして帰る場所が無く
新撰組に嘘八百で戻ったと考えるよりは自然だと思うけどなあ
- 357 :
- >>351
薄桜鬼・黎明録の芹沢鴨はやたら格好良いぞ。
土方や近藤を軽く上回っている。
- 358 :
- 新撰組腐女子の犯しがちな誤りを言うと、
・伊東甲子太郎は薩摩の子分ではない
彼は新撰組から独立する意思を示していたが、あくまでも円満な自立であり、近藤勇も(心中は別として)了解していた。
薩摩は、対話を呼びかける伊東をあまり相手にせず、伊東横死の時点までは新撰組の一派として警戒を解いていない。
これが変化したのは、新撰組による伊東ら高台寺残党暗殺と高台寺残党の薩摩への駆け込み、
そして高台寺残党による「坂本龍馬を殺したのは新撰組である」という証言以降の話。
この証言すら、伊東を近藤勇に殺された高台寺残党が、薩摩へ身柄保護を要請する際の口上だったと考えられ、
近藤勇が坂本龍馬暗殺魔として新政府軍の標的にされたのは、近藤の身から出た錆という面がある。
腐女子が語る「坂本竜馬サマを殺したのはあのにっくきカマ伊東なのよー」説には根拠がない。
- 359 :
- まず時系列整理しようや
話はそれからだ
- 360 :
- 伊東を貶めるのは、伊東を罠にかけた近藤や土方の行動があまりに悪辣だから。
- 361 :
- 新撰組ゆかりの地、日野市の高幡不動の名物、高幡まんじゅうは創価まんじゅう
法敵のはずの高幡不動尊の境内で饅頭を売る高幡まんじゅうのオーナーは
池田大作のことばを自分のブログで紹介する創価学会市議!
http://www.komei.or.jp/km/hino-minegishi-hiroyuki/
東京都日野市の市議会議員 みねぎし弘行 「ことばの道しるべ」
新しい仕事は自分の枠を破ることから始まる 2011.4.9
青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないこと。2011.2.23
人間として、確かな目的をもって、生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です 2011.2.16
挑戦なくところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する 2011.2.5
これ全部 池田大作先生のお言葉だ。政教一致の違憲政治結社、
この市議は高幡まんじゅう「松盛堂」の オーナーでもある。
http://www.syoseido.co.jp/
こいつが創価に入ったきっかけは、自分が消防団員であるにも
かかわらず実家が火事になり先代社長の父親が焼死した。
落ち込んでいるところを創価に折伏されたんだ。
- 362 :
- 「るろ剣映画見てきた。
プロローグシーンの斎藤一はくわえ煙草で切りまくりーの、新撰組隊士達は銃で撃ちまくりーの
砲弾が落ちまくる中での切りあい撃ちあいの、鳥羽伏見の戦いシーンはなかなか楽しめました。
- 363 :
- >>360
近藤は悪ってしちゃったら
結局伊東は悪と決めつけてる連中と変わらないがな
かつて芹沢鴨にしたように自分らも何時寝首を掻かれるかも知れず
来るべき将来も見通し難い現実に生きてた近藤と土方がとった正攻法を
悪辣呼ばわりする必要はないし
史料的根拠に欠けるフィクションのイメージで伊東を貶める必要もない
どうして片方上げたら片方下げなきゃ気が済まんのかと
こういう無駄な色分けの好きなのが大学教授とかにもいるから性質が悪い
- 364 :
- >>363
友好を装い酒をたらふく飲ませてよってたかって惨殺
正攻法じゃありません
その上、土佐の犯行として上司に報告し事件の隠蔽まで行う悪質さ
- 365 :
- 昔は、新撰組の扱い自体が悪役のイメージだったらしいからねえ。
悪口を言われて取り上げてもらっていれば、そのうち花咲くこともあるw
- 366 :
- >>364
人道的に正しくないってことを言いたいんか?
自分もごっついエグイやりかたしよるな〜とは思うけどな
歓談&酒食で相手の心身に油断を作り
夜陰に紛れ被害を最小に抑えた大勢での攻撃で確実に斬る
高台寺残党も報復戦で夕闇に紛れ
僅かな共を従えた近藤勇を物陰から狙撃して多人数で奇襲をかけ
また病床の沖田総司を狙って多人数で強襲を図った
どっちも戦いになれば自分らが死んだり怪我しない戦法を追求している
どっちも経験豊富な兵隊らしく軍事的な正攻法ですわな
幕末から平成に至る歴史の「結果」を知ってる俺らが「結果」を知らん
幕末のヒトらのやらかしたことを正義か悪か裁定すんは
俺は何かシラケちゃうんだけど他の人らはそうではないんかなぁ
どっちの立場にたっても共感できることがあるからなおさら
- 367 :
- >>366
同意。新選組が好きだけど、自分もそう思うよ。
- 368 :
- 新選組は好きだけど近藤と土方、沖田
の過剰な贔屓振りは好きじゃない。
- 369 :
- ttp://dl10.getuploader.com/g/Raiko/59/20121022_211419.jpg
ttp://dl10.getuploader.com/g/Raiko/60/20121022_211428.jpg
ttp://dl10.getuploader.com/g/Raiko/61/20121022_211436.jpg
- 370 :
- 11/9(119番の日・太陽暦採用記念日・ベルリンの壁崩壊・Firefox1.0リリース)生まれの有名人
1818年 ツルゲーネフ 1834年 近藤勇
1840年 黒田清隆 1876年 野口英世
1950年 梅沢富美男 1960年 石田えり
1962年 高倉あつこ 1974年 アレッサンドロ・デルピエロ
1984年 えなりかずき
- 371 :
- 油小路事件の日age
- 372 :
- 矢鱈と近藤、土方、沖田を過剰に持ち上げて
御陵衛士、芹沢一派、山南、武田達を貶める
輩を粛清する人が現れて欲しいな。
- 373 :
- >>372
近藤は過剰に持ち上げられてないだろ。
どっちと言うと毀誉褒貶の対象で、良いようにも悪いようにも書かれている。
賛美賞賛しかない土方が一番過剰なんじゃ?
新撰組ライターって、基本、土方ファンしかいないし。
- 374 :
- 土方マンセーのあの雰囲気は凄いよな
- 375 :
- 近藤も研究自体は言うほどされてないわけでもないけど、
土方や沖田の取り上げに比べて、局長である近藤がそれ以下ってのがなあ。
この間見た剣豪ランキングでも、
土方→沖田→斎藤→近藤の順だったし。
- 376 :
- 【芸能】永井大謝罪…ブログ読者に迷惑かけ反省 落札せずに物品を受けとった。ブログ掲載の謝礼は受け取っていない。物品は返却
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1355579713/
- 377 :
- 新撰組がWIKIで秘密警察に分類されていた
- 378 :
- そんな立派なものではありません。
町奉行所が無給で使う(その代わりに十手を光らせて町の住民からみかじめ料を脅し取る)ヤクザ、つまり岡引の一種ですよ。
- 379 :
- ___ ━┓
/ ―\ ┏┛
/ノ (●)\ ・
. | (●) ⌒)\
. | (__ノ ̄ |
\ /
\ _ノ
/´ `\
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___ ━┓
/ ― \ ┏┛
/ (●) \ヽ ・
/ (⌒ (●) /
/  ̄ヽ__) /
. /´ ___/
| \
| |
- 380 :
- 新選組って、幕府直参になるまでは会津藩が私的に編成した武装集団にすぎないから
秘密警察っていうよりは民兵だよね。
南米で金持ちとかが自衛用に組織してる。
法的根拠がないのに逮捕権行使とか取り調べとかしてるから京都の町人から何をするかわからない集団と恐れられた。
奉行所ならルールに従って公権力を行使するとわかるけど、新選組は行動基準がわからないから。
- 381 :
- 東京都日野市の高幡不動尊に初詣に行ったらご用心!
仏敵のはずの高幡不動尊で饅頭を売る創価学会市議!
http://www.komei.or.jp/km/hino-minegishi-hiroyuki/
東京都日野市の市議会議員 みねぎし弘行 「ことばの道しるべ」
新しい仕事は自分の枠を破ることから始まる 2011.4.9
青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないこと。2011.2.23
人間として、確かな目的をもって、生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です 2011.2.16
挑戦なくところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する 2011.2.5
これは全部 池田大作先生のお言葉だ。池田大作の言葉を自らのブログで紹介するような
創価学会員で公明党の市議が、実は高幡まんじゅう「松盛堂」のオーナーなのだ。
高幡不動の境内で 饅頭を売っているのは、仏敵のはずの創価学会員なのだ。
http://www.syoseido.co.jp/
- 382 :
- 俺も土方は好きなんだけど、彼は正しい事を
何一つしていないと思う。
- 383 :
- ジュテ━━━ム(゜∀゜)━━━!!!
- 384 :
- 土方総受
- 385 :
- 先月ラジオで歳三のことやってた
- 386 :
- >>381創価学会って、仏教じゃなかった?
- 387 :
- 創価のもとの日蓮宗は本来他の全ての仏教を否定しているからじゃね?
- 388 :
- 日蓮宗と創価はまったく別物だろ、創価はカルト。
- 389 :
- kど、この間の白虎隊、なんであんなに土方をとりあげたんだろう?
- 390 :
- >>389
この間見た剣豪ランキングでも、
土方→沖田→斎藤→近藤の順だったし。
そういうことだ
- 391 :
- 人気ランキングだね
永倉いないし
- 392 :
- 新撰組といったら、サガミハラハラの居住地。サービスですよ。
- 393 :
- 幕末の介さん=佐々木只三郎
幕末の格さん=粕谷新五郎
のコンビは譲れない
- 394 :
- NHKのヒストリー見てて思ったんだが、会津国境防衛戦って大鳥圭介の部隊に斉藤率いる新選組が参加だよね?
土方は仙台だよな?
- 395 :
- 母成峠が破られるまでは土方も会津でふんばってたはず
- 396 :
- あれ? 宇都宮で足をけがしてからは前線で指揮してないんじゃなかったっけ?
- 397 :
- 「新選組100話」を読んでいる途中なんだけど、
油小路事件における近藤と土方のやり方は如何考えても
人間の所業とは思えんな。
芹沢暗殺のやり口も最低だったけどな。
- 398 :
- >>397
命のやり取りに最低もへったくれもありませんが?
- 399 :
- 397はアルジェリアへ行って「人名は地球より重い」と
戦後日本民主主義教育の精神を彼の地へ伝えるべき逸材
まぁ撃ち殺されるだけだと思うけどw
- 400 :
- 全く同じ人が薩長は卑怯だと言うのは不合理
- 401 :
- >>397
それを卑怯だ何だといい始めたら奇襲側は常に卑怯という事になると思うんだが
池田屋事件も長州人はろくな武器も防具も身につけてなくて
新撰組は武器も防具も準備して討ち込んでるだろ
逆に天満屋事件は海援隊が準備万全の状態で新撰組に討ち込んでるから
剣術全然習った事が無い人が総大将なのに新撰組の方が死傷者多く出してる
どうしても襲われる側は不意打ちやだまし討ちになるだけ。
- 402 :
- >>398>>401
だからと言って近藤や土方の行いが正しいとは
言えないよね?
- 403 :
- >>402
奇襲側が有利だから正しい!間違い!という発想自体がおかしいと思う。
単純に、「襲撃する側が有利になるなのはごく普通の事」というだけの話
ちなみに自分は官軍オタだがそう思う。
- 404 :
- スマソ誤字訂正
「襲撃する側が有利になるのはごく普通の事」でした
- 405 :
- >>402
味方の犠牲を最低限に抑えるという点で言えば
正しい指示だと思う。
- 406 :
- >>401
>剣術全然習った事が無い人が総大将
それどこの土方?
- 407 :
- もうさ、>>397とか>>402は新撰組にかぎらず歴史ジャンル自体
に興味持たないほうがいいと思うぞ。
人間には向き・不向きがあるからな。
歴史という分野で正しいとか正しくないとか現代人の価値観
で語る奴は今現在の事だけ見てればいいんだよ。
人間の歴史なんて人殺しの連続なんだからさ、ぬるい思考しか
出来ない奴には向いてない。
- 408 :
- 酒で酔わして仕留めるのは神話の時代からだからな。
スサノオ、ヤマトタケル、頼光、皆似たようなもの。
- 409 :
- >>406
悪いけど海援隊の総大将に比べたら、土方レベルでは10人居ても適わない。
いくら鍛えようが筋肉のつかない体躯、その類稀なる病弱さ、ひ弱さ、しかも結核まで併発
攻撃されたら痛いので武術は習わずジョギング(という名の逃げる練習)を極め
こちらが何一つ危害を加えずとも自主的に気絶し倒れてくれる時も。
もはや新撰組が束になってかかっても適う相手ではないな…
- 410 :
- >>407
そもそも「暗殺」というのは、スパイを送り込んで動向を探らせたり
油断しているタイミングを狙ったりする一連の駆け引きや作戦を含めた長期戦の勝負であり
剣術の腕を証明する場ではないという事を理解しない事には話が進まないもんな
- 411 :
- >>403>>405>>409
近藤や土方のやり方は奇襲より卑劣だと思うんだ。
奇襲自体は俺も間違っているとは思えない。
- 412 :
- >>409
それから君は言っている事が極端だ。
何故近藤や土方のやり方を非難するぐらいなら
歴史に興味を持つべきではないのかよく分からない。
近藤や土方のやり方を非難してはいけないの?
- 413 :
- >>412
ど見たら>>409が近藤や土方のやりかたを非難してるように見えるのよw
単に陸奥が凄すぎて土方とは雲泥の差だという話しかしてないだろw
- 414 :
- >>411
ごめん、官軍ファンから見ても「え…?幕末ではこれくらい普通の手法ですけど…?」としか言えんわ
新撰組で卑怯と騒ぐのであれば薩摩とかどんだけ卑怯扱いされるのか逆に怖いわw
- 415 :
- >>413
分かり難かったか。
何故俺が近藤や土方のやり方を非難するなら、歴史に
興味を持ってはいけないのか?と聞きたかったんだ。
- 416 :
- >>415
「分かり難かったか」とかではなく、君は大きく誤解してるw
自分=>>409は、>>407とは別人なんだけど
レスする相手をまちがって怒られても困るw
- 417 :
- >>411=>>412
だからさ、要は君は新撰組のことをちょっと知ってる程度なんだ
ろう?君が出した書籍名からして、新撰組に興味を持ってそれ程
経ってない人間が読む本だよね。
はっきりと言えることは、君が現代の価値観をもって正義感を
振りかざし、近藤や土方を批判したところで、歴史は変わらないと
いうこと。だから、本当に歴史が好きな人間はそんな無駄なことは
しないわけ。
それを敢えて学術板でやってる君は、単に自分の正義感に同調
する人間が現れるのを待ってるだけでしょ。
それって、歴史が好きなわけじゃないよね。道具にしてるだけ。
他の場所でやれば?
ここにいる連中は新撰組だけしか知らないわけじゃないから、
君の意見に賛同する奴は現れないかもしれないよ。
- 418 :
- >>417に完全同意
むしろ官軍ファン(>>414は自分の書き込み)目線から見ると新撰組は卑劣どころか愚直の域だと感じる
薩摩みたいにあちらと協力し、裏ではこちらと工作し、一応念のためあちらとも工作し…ぐらいまで
手をまわすと「卑劣」とか言われてもまあ「でも賢いでしょ?」としか言い返しようがないけど
新撰組ぐらいの手回しだと「普通」とは思うが「卑劣」という感情自体が出てこないわw
- 419 :
- >>416
大変失礼しました。心よりお詫びします。
>>417
勝手に他人の人間性や考え方を決め付けないでくれるか?
その言い方だと喧嘩を売っているようにしか思えない。
それから君は俺が持ち出した書籍は読んだ事はあるのか?
- 420 :
- >>419
>>417では無いが、とりあえず一度新撰組以外の幕末本とか読んで見ると良いかも。
自然と「あ、むしろこれが普通の時代なんだ」と思うかと。
ちなみ他の事件では、殺した後もフンドシに首を包んで辱めたり、
殺した美男の死体にバイセクシャルが萌え萌えしたりと
中々カオスな時代にござりまする
- 421 :
- >>419
じゃあ、どういう意図でああいう書き込みしてるのか?
>それから君は俺が持ち出した書籍は読んだ事はあるのか?
あるよ。随分と前に。
はっきり言って、現在では内容的に古いと言えるだろうな。
君は、その古さに気付いていない風なので、要するに新撰組に関する本でさえ
内容を吟味できるほどの読書量を確保していないという事が判る。
- 422 :
- >>421
だから決め付けるなって!!
いちいち腹立たしい奴だな。
- 423 :
- 反論せず、感情をぶち撒けているだけの時点で…
- 424 :
- そもそも近藤や土方はR必要がない人間を躊躇いもなく
殺し過ぎなんだよ。
芹沢や新見、山南、伊東、藤堂と俺の好きな人物が大した理由も
なく殺されているのが腹が立つ。
- 425 :
- 俺女腐女子ウザイ
- 426 :
- >>425
粛清されたら良いのに。
- 427 :
- >>424
そんなこといったら倒幕派なんて死んだらダメな人間殺しまくりだw
- 428 :
- >>426
アホな伊東腐女子はマジで自分のブログに引っ込んでホスィ
- 429 :
- >>428
黙れ。近藤と土方ばかり擁護しやがって。
- 430 :
- ハァ?擁護なんてしてないわw
言い掛かりとか、卑劣ダネ、俺女はww
- 431 :
- 結論:伊東腐ガキ(俺女)が一番卑劣
- 432 :
- 乙女ゲームのスレか何かと間違えて来ちゃったんでしょうかね
- 433 :
- >>422
人には質問しておいて、自分は質問には答えない、と。
それでいて、他人を断罪しているとは!
- 434 :
- 新撰組大嫌いな俺は伊東甲子太郎先生が大好き。
伊東一派に最期まで着いていった藤堂は素晴らしすぎる
斎藤一R
- 435 :
- >>372
同意すぎる
沖田の美化も嘘だからな
写真見てみろオタフク顔のからくり人形だぞ
伊東甲子太郎と武田かんりゅうさい大好きだ。
武田さんは時代遅れの武学に堪能だったが、まだ刀を持った兵隊が戦争するギリギリの時代に必要な男だったと思う
松原忠次も好きだな
- 436 :
- 俺女が学校から帰って来たようです
これからここは、俺女伊東腐女子の個人ブログになります
- 437 :
- >>436
私の事?その人とは別人だ
- 438 :
- 写真??w
- 439 :
- >>435
節子、それ写真でもなければ沖田の顔でもない
血縁者の絵や
- 440 :
- そもそも沖田美男子説は何がきっかけで浮上したんだろう?
八木家の方々も沖田は美男子だとは言ってないしね。
- 441 :
- 司馬じゃないの
なんかやたら可愛い可愛いと書いてたような気がする
- 442 :
- >>441
血風録?
- 443 :
- >>439
いやいや沖田の顔あるでしょ
下膨れみたいな顔してるやつを言ってるのだと思う
あれだけど結構マイナーなんだよな
- 444 :
- >>436
え?女で自分の事を俺呼ばわりしていて新撰組好きで、なおかつ学校に行ってる女がいるの?
マジでタイプだわ
ベッドの上で女にしてやりたい
「ほら俺の村正で刺していい?」
「俺…そういうの苦手…」
「うるせえよほら痛くしてほしくないなら丁寧に舐めろよ」
「ん…あぐぁ…んん…」
「へへへ尊皇攘夷ぜよ尊皇攘夷ぜよおおお!!」
- 445 :
- >>443
だからそれが439の言ってる親戚(甥だっけ?)をモデルにした絵なんだって
- 446 :
- >>445
そこまで熱弁するならソースを出すものだぜおぼっちゃん
局中法度の八を読め
熱弁を奮う者はsauceを出す事
- 447 :
- >>446
いやふつうにWikipediaにも書いてるけど
- 448 :
- こないだからかまってほしくて煽る子がいるねー
ひまだからいいけど
- 449 :
- 俺女見てたら捨てアドほしい
マジでタイプ
一緒に尊皇攘夷しようぜ
- 450 :
- 法学部の先輩に一人すごい美人いるんだけど、俺女をそいつの顔と想像して抜いてくるわ
写真もあるし
「尊皇攘夷しようぜ?」
「…いやだ…」
「どうしてだよ」
「…痛くするもん…」
「うるせえ!御用改めだ!おら服脱げよ!」
むんずと腕を引き寄せ、バリバリと服を剥ぎ取る
「へへへ可愛い乳房してんじゃんかよ、まずは座位で尋問してやるよ」
「…あ…あん…」
「ほら白状しろ!どこが気持ちいいんだ?」
「そんなこと…言えない…」
思いっきり牙突で突き上げた後、四つん這いにさせる
「ほら言えよ!」
「ああ!祇園祭の夜ぅ…もっと身体中に火をつけて…淫乱に情事て…万子が血祭りにいい!」
「ああ!ついに逝ったぜ…」
- 451 :
- >>450
不覚にも立った。
やっぱり法学部って思考力半端ないな
こういう情事を一度経験してみたくなった
- 452 :
- >>450
さすがチン道無念流の使い手だな
本目録の俺では足元にも及ばない
- 453 :
- 本スレの主旨から大きく逸脱するが続きを是非読みたいので適当なスレで引き続き頼む
俺女さんも一緒に移動してやってくれ
見られてると本人もやる気が湧くだろうから
- 454 :
- >>450 R田屋事件乙
- 455 :
- >>446
ちなみに局中法度って言葉も創作な
- 456 :
- >>455
本当は軍中法度だっけ?
- 457 :
- >>443
節子、それマイナーやない。めちゃくちゃメジャーや。
しかもそれが写真でもなければ沖田でさえない別人の絵や。
- 458 :
- >>445
確か姪孫がモデル
- 459 :
- つまりあんな下膨れの化物が近親にいるってことはブサは確定だな
- 460 :
- 姉のお孫さんに対し失礼じゃね
そういう発言に歴史への敬愛の無さを感じるわ
- 461 :
- >>459
実在した歴史上の人物を貶すような発言は駄目だよ。
- 462 :
- >>460
はあ?壬生浪嫌いの立場で来てんだよアスペかお前
時勢を見れない殺人集団のくせに
- 463 :
- 俺女と部屋で尊皇攘夷したい
捨てアド晒してよ
- 464 :
- >>462
あのー、アスペでもなければ壬生浪嫌いでも新撰組オタでもない倒幕派オタなんですけどw
- 465 :
- >>464
よっ!!征夷大将軍!!
なんじゃおんしも倒幕派でござったか
てっきり中川宮朝彦親王に洗脳された幕府の間者かと思った
これはすまぬ言いがかりをした
めんぼくない
- 466 :
- 此処のスレを見ていると龍馬のような心境になるな。
喧嘩なんかせずに薩長同盟しようぜ。
- 467 :
- 攘夷しようぜ!
- 468 :
- 生麦事件起こそうぜ!!
- 469 :
- ぐうとないと
- 470 :
- まさか流れが絶たれるとはな…。
もう少しコミュニケーション能力を培ってくれ。
- 471 :
- 近藤勇にような最期を迎えたい。
- 472 :
- >>471
辞世の句は格好良いと思うけど、その前の
動揺ぶりが情けなくないか?
- 473 :
- 永倉がいいな
我が生涯に一片の悔いなし
っていって死んだんだろ?
- 474 :
- ところで、原田左之助が馬賊の首領になってた話って、ソースはなんなんだろ?
- 475 :
- 子母澤寛の新撰組始末記だと思われ
- 476 :
- >>472
同意、流山にて投降する際に糞尿垂れ流して駄々こねたらしいよな
壬生浪のクズどもも大人しく伊東先生に従っていれば良かったものを。
剣だけ達者で学がない単細胞バカは簡単に洗脳されるからな。
会津のサイコパスカタモリの良いおもちゃだろこいつら。
壬生浪に先祖を殺された遺族として一生こいつら否定する。美化するなよ畜生
- 477 :
- >>476
まあここは新撰組マンセースレじゃないし語るスレだから肯定派否定派どっちも歓迎するけど、先祖って有名な人?差し支えなければ
- 478 :
- >>477
有名じゃないから知らんと思う
錦織有無之助
池田屋で逃げのびて水戸藩邸に駆け込んだのに門前払いされて、会津の糞に捕縛された。
それで、拷問されても素性を明かさずに頓死。
当時、妻が妊娠中で子どもが生まれる寸前だったのに壬生浪のクズどもが池田屋に不法侵入したせいですべてが狂ったんだよ
最近の壬生浪美化が本当にむかつく。
壬生浪のクズが美化される裏ではあいつら頭のおかしいカルト暴力団に殺された尊皇派が何人もいて、遺族は悲痛な思いをしているというのに。
会津の白虎隊も美化されすぎなんだよ
会津の人間はいまだに嫌いだ
- 479 :
- 先祖のことでそんな怒れるのか…庶民にはわからん
会津てか福島はあまりにも悲惨な境遇が今も続いてるからせめて関係ない人まで嫌わないであげてw
- 480 :
- 水戸藩邸?
ずいぶん遠いとこまで逃げたもんだな
- 481 :
- つーか、天狗党が潰された後の水戸が志士を匿うわけ無いじゃねーか
- 482 :
- >>480
錦織有無之助は水戸藩の武田耕雲斎や会沢正志斎と面識があったから駆け込み訴えたんだと聞いてる。
水戸藩の情勢が不安定だったのは理解しているから水戸藩には恨みはないが、
会津の時代遅れなクズ連中と洗脳された壬生浪の知恵遅れどもは許すつもりはない。
田舎もんの大根百姓風情が侍に憧れて狂ったのが壬生浪の連中。
清河八郎や伊東甲子太郎が壬生浪をコントロールしていれば隊士も無駄死にが減ってただろうに。
あんな糞みたいな鉄の隊規で隊士を束縛しすぎて殺して、まるで体罰するやつの脳ミソと一緒だな
暴力で人を服従できると信じてるのが頭の弱い証拠
見廻組の佐々木ともども地獄で泣き叫ぶ姿が目に浮かぶね
- 483 :
- >>481
何も知らないくせに声が大きいんだよ壬生浪脳
- 484 :
- >>479
怒れるというかうちの家は昔から先祖を敬う気持ちが強いのと、
親戚が集まったときに壬生浪のクズどもがのたれ死んでいく没落ぶりで盛り上がるのが毎年恒例だから普通だと思ってる。
正直、会津若松あたりは今でも閉鎖的な地域だなとこの前友人と行って思ったよ
よそ者に対する警戒心が強すぎるし、母親殺しや災害みたいな事が続くのも尊皇志士らの呪いじゃないの
会津のバカ先祖の悪行の数々のせいで可哀想なものだと同情するよ
それよりも壬生浪どもの墓が地震で粉々になればいいのに。
- 485 :
- >>424
あなたみたいに冷静な人が増えると嬉しいよ
本当に同感だね、結局、シエイカンとかいう三流道場の身内が一過性の権力を得て暴走しただけ。
芹沢の悪行がどうのこうのと理由をつけるが、
シエイカンの連中も大概だから。
芹沢なんてあれで結構良い人物談も多いのに、壬生浪美化のせいで芹沢、伊東らは特に悪くされすぎ。
それを短絡的な無知バカが簡単に影響されて喜んでるのが実状だからな。
壬生浪あの世で苦しめよ
お前の墓なんて一生行くことないわ
- 486 :
- これは酷い釣りwww
- 487 :
- 錦織有無之助は子孫がこんな馬鹿に育ったのを草葉の陰で泣いてるわ
- 488 :
- 話が逸れるけど永倉と近藤って矢張り不仲だったのかな?
- 489 :
- 永倉と斎藤が全く喋らなかったてのも気になる
- 490 :
- >>488
『浪士文久報国記事』や『新撰組顛末記』を読む限りでは
永倉新八は身分制度の縛りを超えた同志関係を何より尊重していた
近藤勇は新撰組を身分に基づき組み立てようとしていった
その組織論の違いが対立を生んで
近藤勇糾弾事件や永倉脱退騒ぎという事態に繋がっていったようだ
- 491 :
- >>490
ありがとう。
二人の考え方は根本的に正反対だったんだね。
新選組に上下関係はないという考えの永倉から
すれば大名気取りで白馬に乗ったり、武田の
おべっかを真に受けて調子になる近藤を苦々しく
感じていたんだろうね。
しかも甲州勝沼の戦いの後では近藤から「俺の
家来になるなら意見を聞いても良い。」なんて
言われたら腹が立つのも当然だよな。
確か松平容保に近藤の非行五箇条を提出
した際には、近藤が言動を改めなければ
近藤の切腹を要求していたような気がするし。
近藤の人間に反感を抱いていなければ、ここまで
やらないよね。
となると板橋に近藤と土方の慰霊碑を建てたのは
義理みたいなものだろうね。
伊東から斉藤と共に声を掛けられた際には本気で
新選組を脱退するかどうか迷ったんじゃないかと
さえ思えてくる。
- 492 :
- >>486
なにが釣りなの?
家系図も残っているし、縁戚周知の事実ですが?
というか錦織有無之助知ってるのか?ありがたいが。
- 493 :
- >>487
一生言ってろよ
非人の出のくせに
- 494 :
- こんなバカが子孫にいるなら斬られても当然の人物だったんだろう。
- 495 :
- 親戚周知の事実ってwアホだろこいつw
- 496 :
- >>494
人を見下してるお前はさらに最底辺
- 497 :
- >>495
日本語読めないの?どこに親戚って書いてるの?日本人じゃないの?壬生浪のゴミ好きなの?
- 498 :
- 風雲に出てた
- 499 :
- 予想通りの反応でワロタw
- 500 :
- >>499
あと釣り宣言と同じでヘタレがよく言う事
- 501 :
- >>498
その小説教えて!風雲ってタイトルなの?
- 502 :
- >>499 子孫も痛いのかも知れんがこいつはかなりの痛さだな
後からでは何とでも言えるし卑怯すぎる
- 503 :
- >>499 子孫も痛いのかも知れんがこいつはかなりの痛さだな
後からでは何とでも言えるし卑怯すぎる
- 504 :
- >>502>>503
2回も同じ事を言わなくても…。
- 505 :
- 大事なことだったんだろ
- 506 :
- >>491
>>490です
補足的に言えば
永倉は近藤を先述の諸史料で剣豪、志士として高く評価しているし
なにより彼の顕彰活動にリスクを負いながらも尽力した事実があるわけだし
近藤の人間性はやはり敬っていたのだと思うよ
剣術修行の邪魔になる藩重役の家柄を嫌い脱藩して身分下降した永倉新八
逆に剣術の腕で百姓から浪人と身分上昇した近藤勇
考え方に剣術への向き合い方のレヴェルでズレが有ったのは確かだね
新撰組という組織を同志関係で組み立てるのか主従関係で組み立てるのか
この対立も両者の「剣士としての生き方」の違いの延長線なのだろうね
幕末社会は自由に対する欲求と身分に対する欲求が複雑に交差していた
永倉は「自由」を求めながらも「武士」という身分に終始拘りを持っていたし
近藤は「武士」としての出世に拘りつつ肩書に左右されない「自由」な人間関係を重んじ
旗本取立以降も身分の貴賎を問わず多くの人間と広く交際した
永倉と近藤の不仲には新撰組や幕末社会の複雑性の矛盾の象徴みたいなところがあるね
- 507 :
- 大河で描かれてたかつては信じてたし、今も信じたいけど
信じきれない的な関係だったってことか。
- 508 :
- >>506
丁寧に有難う。
お互いの考えは正反対であっても、一目置いていなければ
あそこまで長い間付いていく事もしないだろうし顕彰碑も
建てないよね。
ただ、ここまで明確にお互いの目指す方向性が違っていれば
真の同志という関係には至らなかったのかなと感じるね。
客観的に見るとどちらが間違っているわけでもないし、どちらの
気持ちも分かるから非難できないな…。
考え方や目指す方向性が違っていても、同志として取り纏めれる
人物が隊内に居てくれたら良かったんだけどね。
伊東が新選組に居た時は隊内の粛清を諌めたりはしていたようだけど、
幹部や隊士同士の関係を取り持ったりしたというエピソードは残って
いないよね。
新選組隊内の人間関係を改善するべく力を尽くしてくれる人が
居てくれたら良かったなと思う。
- 509 :
- 錦織有無之助って存在するの? ググったらゲームの攻略サイトしか出なかったけど。
グーグルブックスでもまったく出ない。
- 510 :
- 池田屋事件を熱心に調べてる中村武生の本にも書かれてた記憶はない気がする……。
- 511 :
- >>507
小説だったか資料だったか忘れたけど、俺の読んだ書籍
では非行五箇条の一件以来近藤と永倉は気まずい関係になったと
記されていたような気がする。
1867年の元旦から3日続けて角屋で伊東、永倉、斉藤の3人が
門限を破って飲み続けた一件では、確か近藤は永倉一人を切腹
させたがっていたような覚えがあるんだよな。
何もかも曖昧な記憶で申し訳ない。
- 512 :
- >>509
ゲームに出てるのは別人設定すぎるよ…
宝蔵院流槍術の使い手で実家に
免許皆伝の書類まで残ってるのにそんなの一切触れられていない
それに幕末には珍しい尾張藩士なのに尊皇攘夷派で脱藩し、
水戸藩邸に世話になってたと伝わっている。
まさか自分の先祖がゲームに出ている事に驚きだし、ましてや実在を疑われているなんて寂しすぎるよ
壬生浪のゴミばっかり取り上げる社会が悪いんだがな
荒木又右衛門にしても赤穂浪士にしても復讐という人間のおぞましい陰湿さが美化される国だから仕方がないけどさ
戦争時にも自決を美化したりこの国も大概おかしいが、それが当たり前になりすぎていて誰も疑問をなげかけない
- 513 :
- 釣りくさいけど
新撰組は元々悪役じゃん
- 514 :
- >復讐という人間のおぞましい陰湿さが美化される国だから仕方がないけどさ
実在するかどうかもわからない先祖の恨みを未だに持ち続けて悪口雑言を吐く
やからが言っても説得力がないけどな。
- 515 :
- 話が逸れ過ぎ。
事実かどうか分からないし、新選組とは無関係な
内容が重視されて、新選組に関する書き込みが無視されるのは
良い気持ちはしないよ。
- 516 :
- そもそも新撰組は美化なんかされてないしなあ
恨みつらみをここに書き綴られてもねえ
- 517 :
- >>516
結構最近まで京都では嫌われていたよね。
- 518 :
- >>509
ただのゲームのキャラです
普通に考えてファンが知識を交換したり語り合う場所でだ
>>512みたいな罵詈雑言トーンの書き込みってのは場違い感が半端無いでしょ
この手は無視するに限る
何にでも極端なアンチもいればファンもいるってのがこの世の中
それをマジで一々騒ぎたてることほど非生産的なこともない
好きなら好きでいいし嫌いなら嫌いでいいけど
自分の居場所くらいは分かれよってこと、ただそれだけやね
- 519 :
- >>512
奇遇ですね。私の縁者に水戸藩のものがおりまして、当時在京しておりました。
錦織有無之助が実在の人物であるとすれば、知り合いであったかもしれません。
諱など現在伝わっているのでしょうか?
当時、それほど様々な志士が京都には集まっておりましたから、名前の残されていない志士がいてもおかしくはない、と考えています。
ゲームはどこかに名前が残っているものを取り入れたのでしょうか。
水戸藩邸といいますと上長者にあったものか本圀寺かと思われますが、尊攘派の根城として名高い後者でしょうか。
尾張藩で錦織といいますと、美濃国ではあるものの尾張藩の領地であった箇所に錦織という地名が存在するらしく、
そちらの出身の方となりましょうか。
- 520 :
- 自演してもだめ・・
- 521 :
- >>518
この手は無視に限るって言っておきながら出来てない貴様は壬生浪のファンなのか?
宣言通り以後スルーでよろしく頼むよ無知
- 522 :
- >>519
知り合いだった可能性はありますよね、水戸藩の方は大好きですのでとても嬉しい
諱は実家に帰れば分かるかも知れませんので、帰郷した際にもう一度詳しく聞いてみますね
あと水戸藩邸=本圀寺の方です!
さすが知識のある方は話が早いのでありがたいです
また錦織の名字に関しては、有無之助が当時出生した近隣に錦織という名が多いと聞いてます。
そのゲームについてはプレイしたことがありませんが、調べた限り確かに錦織有無之助の名が出ており驚いていました。
- 523 :
- >>513
人を心から信用しようとできない人間は不幸だと思うまで読んだ
- 524 :
- >>514
バカかよ、実在するかも分からないのは第3者のお前らだろ
うちには代々伝わっている由緒があるのだから実在の有無について論じる次元の話ではない
お分かりかね?頭の足りない人だまったく
- 525 :
- >>522
本圀寺でしたらその縁者も一時在住していた場所になりますね。
お墓は現在残っておりますか。もしかしたら参られたことはあるかも知れませんが。
贈位記録はもしかしたらあるも知れません。記録が少ない人物でも実は贈位されていたということはあるようなので。
特に殉難された人物の場合は、何か見つかる可能性はあります。
東京の国立公文書館とかに調べれば何か出てくるかも。
そのゲームは福岡裕次郎とか西条幸次郎とか鈴木四郎とか、かなりマニアックな実在人物は実名なのに、
広岡波秀とか望月亀弥太とかそこそこ知られてる人物はなぜか変名になってる不思議さがありますね。
子孫か親族に連絡とれる人物がいるので配慮したのかも知れません。
- 526 :
- >>525
ありがとうございます。
お墓は大阪の一心寺というお寺に今はあるのですが、私の曾祖父の代前までは京都の竹林寺という場所にあったと聞きます。(私が生まれてからは既に移されたあとでした)
そこのゲームを作ってる会社は結構調べておられるみたいですね
貴方の話を聞くまで誤解していたと思います。
もし協力出来ることがあるなら有無之助の情報提供をこちらはいつでもさせていただきたいです。
贈位があるかも知れないなんて夢のまた夢の話でとても恐縮いたしますが、少し調べてみたいと思います。
- 527 :
- あと紳士的な対応をしてくださった方がいて、ここでの己の醜態に気づかされた思いです…
不快にさせてしまった方々、本当に申し訳ありませんでした。
壬生浪と会津を今後とも好きにはなりませんが、もう少し柔軟に捉えていこうと思います。
また水戸藩と対馬藩を先祖に持たれている方々がみておられましたら、有無之助に代わり深く感謝申し上げます。
特に対馬藩の勝井五八郎さんの子孫の方は見ておられませんでしょうか。
- 528 :
- 私も会津藩側の史料は役に立っていることが多いので、そこは感謝しますけども、
ここ最近の過度な会津・新撰組押しは作為的なものが感じられてどうも好きには慣れませんでした。
幕末といえば戊辰戦争だ! みたいな偏重も感じられるように思え、「八重の桜」以降もっと酷くなっていくのではないかと危惧しております。
そういう中で子孫の方が声が上げられるのは悪いことではないと思いますよ。
- 529 :
- >>526
一心寺といえば行けなくもない距離なので、機会があればいってみようと考えております。
会津藩墓所としても有名なところということですが……。
竹林寺は六角獄舎の殉難者が祀られている場所でもありますね。
私は六角獄舎の事件に関しては国家=幕府が行った白色テロだと考えておりまして、未決囚を斬首したわけですから、重大な事件だと考えております。
対馬藩のことはあまり存じ上げないですね。先日亡くなられた大島渚さんのご先祖が有名ですが。
勝井騒動というのも初耳でした。
- 530 :
- 落ち着いたようでひとまずよかった
日本人は元々先祖を敬う気持ちが強いからな
あんたみたいな人も昔は結構いた
だけど今は先祖の墓参りもしやしねえ
- 531 :
- >>529
よくご存じですね
うちの家が先祖を強く敬うようになった一番の原因は曾祖父がそういう人だった影響なのですが、
曾祖父は有無之助の死語、会津や幕府、壬生浪どもが倒れ、有無之助もこれで浮かばれただろうと言うことで敢えて会津の者が多く眠る一心寺に墓を移しました。
生前やられっぱなしだった有無之助も死語の墓地では立場関係が逆転ですからね
元々は有無之助は明智光秀の家来の出ということで耿之介という名から「世の流れは有無を云わさず」という意味から変名を名乗りました。
その背景には尾張藩士の出なのに脱藩し、尊皇攘夷活動に身を投じたことを父の茂平から責められ
その後、勘当同然で家を飛び出しました。
そういう意味でも姿を眩ましたかったのは幕吏だけでは無かったのでしょうね。
- 532 :
- >>528
まったくの同感です。
かに雑炊を食べ終わりましたら再度来ます
- 533 :
- 実家に協力を願って書簡とか整理されてみてもいいかもしれませんよ。
史料が残ってるところがあるというのは大きいです。絶家になっていると残るものも残っていなかったりしますから。
幕末の志士で現在正当な評価を得られていない、あるいは評価を受けても忘れられている志士も大勢いると思われるのです。
そういう人々は後代の人が顕彰しないと、わからないままにされてしまう。
長州とか土佐のトップクラス、あるいは新撰組幹部クラスだけですからね、ほとんどの人が興味を持つのは。
仮にまとめても発表するところがないという状況はなかなか大変だと思われますが、形にすれば得られるものはあると思います。
新撰組と一口にいっても造反隊士とされている人には不当な理由で敵役にされて忘れられてしまっているものもいるわけで、そういう人の子孫や関係者の方が語って頂けると面白いと思われますね。
- 534 :
- >>532
何故わざわざ蟹雑炊って言ったw?
- 535 :
- >>509
唯一確かなことは、ここで「錦織有無之助」なる人物の存在を飽きずに熱弁してるヤツが、幾ら屁理屈こねても
証拠を一切示せてない時点で、それは虚構と判断するべきで、それが常識的にも学問的にも正しいこと
ネット上に口先だけで「うちには証拠があるから信じろ!」ってさ、これ森口尚史と同じやからね
一ミリも説得力ないですやんか
- 536 :
- >>535
信じない奴はスルーしとけば済む話をどうしてできないの?
- 537 :
- >>535 せっかく本人もへりくだって和やかなムードに戻ってたのに、空気読めよ低脳
一々これが証拠ですとか画像うPされ続ける方がうざいだろ
お前みたいな空気を読まないことを言い出すやつがいると、次から有益な情報を書きこむ人も減るだろ考えろ
- 538 :
- そもそもスレとほぼ関係ない話題
- 539 :
- ところで勝井五八郎といえば尊攘派を弾圧した人物、ということに現在なっているようですが、
尊攘派の錦織有無之助と交流があったのでしょうか。ちょっと興味深いですね。
- 540 :
- そろそろ新選組に関する話をしようよ。
新選組関連以外の話は幕末総合のスレッドですべき。
- 541 :
- 幕末無名志士たちの子孫が語るスレッド
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1360248190/
ということで新しいスレッドを立てさせて頂きました。
- 542 :
- >>541
GJ
- 543 :
- >>541
忝い。
- 544 :
- >>541
恭い
- 545 :
- 止まってますな。
- 546 :
- ここはゲームキャラを先祖といって盛り上がるスレ
- 547 :
- 新撰組はクズ集団に心から同意しました
会津は昔から村社会だったんですね
バカばっかり
- 548 :
- バカ以下に相応しい物言いだことで
- 549 :
- お恥ずかしい質問ですが。
東北転戦後や北海道転戦後に新撰組に入った人って、どういうルートで入ってきたんでしょう?
求人しても今更負け組に入ろうって浪人や町人はいませんよね?
- 550 :
- 結局は敗走して北上する途中で
諸藩藩士とか幕臣とか幕軍に属していて指揮系統を失った人たちを
編入していったんだと思うよ
桑名藩とか水戸藩とか
会津藩士も若松城に戻れなくなってやむなく新選組と共に
仙台を目指した人たちが編入されてた記憶がある
- 551 :
- >>548
それに一々構うお前は最早生物以下の存在だな
- 552 :
- 以下ループと予測
- 553 :
- 相馬主計って新選組最後の隊長として語られるけど、
隊長ってつまり局長の事だよね?
- 554 :
- >>553
その人って確かうろ覚えだけど、新撰組には珍しい示現流の使い手ではなかったか?
他に間者も含めると新撰組で示現流の使い手を三人知ってる
富山弥兵衛と度忘れしたがもう一人とその相馬主計。
富山はモノホンの薩摩藩出身で示現流の達人。
新撰組入隊時に、カルト壬生浪副長の土方らに「薩摩藩士はちょっと…」と引かれてた際に、
聡明な伊東甲子太郎氏が広い大きな心で「構わないでしょう」と後押ししてくれたお陰で入れた人。
結果として伊東甲子太郎氏が御分隊されてから、バカでマヌケで恥知らずな土方とかいう人でなしに疑われすぎて居づらくなって間者になってしまった不憫な人。
相馬主計は水戸の出身だったかで、元々の示現流の宗家は水戸にあったんだよね。
調べればすぐに出てくるが。
- 555 :
- >>547
あ、私も同意しときます。
ここは新撰組をマンセーするスレではなく、あくまでも新撰組を語るスレで昔からきてるのに、
理解できない頭の弱い一部が「よそでやれ」と追い出しにかかるあたり、新撰組と同じく閉塞的ですね。
だから有益な情報も途絶えて孤立(過疎る)する。
時流を読めない新撰組と似てるのに苦笑いしました。
それで反論も論理的ではなく、短文的外れな泣き文句の類いで哀れすぎます。
賢い者が淘汰され、バカばかりのさばる新撰組は現代社会の縮図のように映ります。
さようなら。
- 556 :
- >>555 同感すぎて何も言えんよ
- 557 :
- >>554
なんだかんだ言っても有益な情報をくれる貴方に感謝
富山って御陵衛士に参加したんだっけ?
- 558 :
- 朝鮮人のごとき自演ぶりに驚いた。
- 559 :
- >>558
肯定派ってそんな煽りしか出来ないから頭が悪いだの弱いだの笑われるのでは?
- 560 :
- このスレで新選組信者ぽいの書き込みってほとんどみないよな
新選組マンセーを叩く会話したいなら、大河板とか時代劇板のほうが
いると思うんだ
>>554
富山は御陵衛士が分離するときに一緒にいってるはず
うろ覚えだけれど、新選組に入る前江戸で伊東や篠原らと
面識があったような説もある
- 561 :
- 来週の大河に新撰組出るね
- 562 :
- 流れが止まったから下ネタでも言っておくか。
おっぱい。
- 563 :
- ちっぱい
- 564 :
- でっぱい
- 565 :
- 新選組研究の主な系統
│
├ 寺社の過去帳や当事者が遺した記録等の一次資料が必要だよ(一次資料原理主義)
│ ├ 寺社の過去帳以外は事実と認めないよ(超急進派)
│ ├ 過去帳が一番、当事者の主観が入った記録等が二番だよ(序列主義)
│ ├ どっちにしても一次資料があれば史実だよ(王道派)
│ ├ 一次資料は歴史研究の夢だよ、ロマンだよ(浪漫派)
│ ├ 昔は一次資料も少なかったよ(懐古派)
│ ├ 新しい一次資料がどこかにないかなあ(夢想派)
│ └ とにかく自分は一次資料が好きなんだよ(利己主義)
│
├ 一次資料はあった方がいいよ(現状肯定派)
│ ├ だって実際みんな史実が知りたいじゃん(単純理論)
│ ├ 一次資料がないと何ひとつわからないよ(悲観主義)
│ ├ ○○もそのうち一次資料が発見されるよ(楽観主義)
│ ├ ○○も一次資料があればいいなと願ってるはずだよ(心情派)
│ ├ 一次資料が発見されると話題になるから有利だよ(計量主義)
│ ├ 一次資料があれば論戦に勝てるよ(戦術論派)
│ └ 当事者からの伝聞などの二次資料でも実際は史実にされてるよ(功利主義)
│
├ 一次資料はどっちでもいいよ(中道派)
│ ├ 一次資料に有益な情報があるとは限らないよ(懐疑主義)
│ ├ 史実として一貫性があるならいいよ(完璧主義)
│ ├ 個性豊かなのが新選組研究の良さだよ(個性派)
│ ├ それより土葬の墓所の発掘許可申請だよ(難度重視主義)
│ └ とにかくかっこいい新選組が知りたいんだよ(審美主義)
│
- 566 :
- ├ その前に一次資料を検証してみるよ(実証主義)
│ ├ 一次資料の発見確率はこうなってるよ(確率論)
│ ├ 寺の過去帳だけが事実じゃないよ、主観の入らない記録類も遺されてるよ(古文書学派)
│ └ 一次資料の科学的分析を重視すべきだよ(科学主義)
│
├ これからの新選組研究を進めるには…(指導論)
│ ├ 関心を持ってもらうために土方歳三の写真を活用すべきだよ(宣伝主義)
│ ├ 沖田総司の人気はこのまま大事にすべきだよ(保守派)
│ ├ 斎藤一のことは赤間氏の記述が正しいよ(守旧派)
│ ├ 永倉新八の言い遺したことは矛盾が多すぎるよ(混乱派)
│ ├ 御陵衛士にももっと注目すべきだよ(アンチ新選組派)
│ └ 学術的なアプローチも必要だよ(改革少数派)
│
├ 一次資料は必要ないよ(一次資料否定派)
│ ├ とにかく絶対必要ないよ(超乙女主義)
│ ├ 伝聞等の二次資料だって苦労して取材されたものだよ(人道主義)
│ ├ 一次資料だけが新選組研究の全てじゃないよ(要素主義)
│ ├ 他にすることあるだろう(基礎原理主義)
│ ├ 一次資料見てても面白くないよ(快楽主義)
│ ├ でももし一次資料が出てきたら○○かも(虎視眈々派)
│ └ 一次資料の話だけしてたら研究者が喧嘩するよ(融和派)
│
└ 今の新選組ブームの中で一次資料だけ重視しても・・・(古典学派)
└ 昔からの研究者達の知識は凄いよね(新古典学派)
- 567 :
- 錦織有無之助とかいう雑魚ゲームキャラの自称子孫が発狂しているスレはここか
- 568 :
- 呼び込むなよ。
- 569 :
- 一心寺いってみたいんですがねえ。
かなり大きなお寺さんのようで、殆ど記憶はありませんが子供の頃いった事があるとも聞いてます。
有無之助の墓はどこにあるか分からないでしょうか。
- 570 :
- 自称有無之助の子孫()が墓穴を掘ってるという意味では、ここだろ。
- 571 :
- 銃を使っていたのは確実と言うより近藤などの農民出身説が事実ならそちらの方が
使い慣れていたはず?
農民が選んだ武器は火縄銃であり長柄(長さ5〜6m)の槍だと思う。
秀吉の刀狩で農民が剣を持たなくなったとは思わない。
しかし槍のほうが横一列に並んで持って走ったり射撃するだけで効果抜群で簡単だからだ。
畑を荒らす猪を退治するのに剣を選ぶ馬鹿はいない。
しかし彼らは剣を学び池田屋では恐らく短槍までを使っている小説などでは
弓術も操るこれはおかしい。
弓術は武士の最上の嗜みとされ短槍を学ぶ武士は上流のみである。農民なら杖術を操る可能性はあるが
”突き通す”など文献に見られこれの表現は明らかに短槍術の”繰り突き”の威力だ。
百戦錬磨の騎馬武者が短槍片手に”走って”突進し振り下ろす長柄をかいくぐり
瞬時にして数人の足軽を突き倒す。
戦国時代の武士のイメージだが彼らは騎馬武者の方のイメージに近く足軽ではない
恐らく帰農した武士さらには何か”使命”を持った”乱波”など影の軍団的要素も
十分あると思う。
- 572 :
- まァ、土方も刀と槍を持って戦ったけど洋モノには勝てませんでしたと言っていたからね。
槍も使ってたんじゃないの?
ちなみに芹沢暗殺のときなんかは本差ではなく脇差を使っていたのかもしれない。
- 573 :
- 兵農分離後の武士が持つ弓や短槍と農民が持つ長柄や半弓は違うものと考えていいでしょうね。
現在でも農家などに伝来います使用例ですが
長柄は陣形を組み打ちつけたりなぎ払ったり使う物。
短鑓はある藩の御留流を例に出すと短鑓術は左手で鑓に通した管を持ち右手で螺旋を描き前後させる繰り突き
穂先の形状も宝蔵院流の片鎌やなど十文字など斬ることもでき諸派に形が違います。
弓術も神事の礼射と実戦の武射があります。
鏃でも刃があって大きい軽装甲用
生け捕ったり骨を砕く鏑矢
刃がなく小さい貫通重視の征矢
接近戦になれば弓をはず鑓として使い手で投げるダーツのような打根
術を使うのが武士であり。
現在では失伝している流派も多数ありその術は普通は披露することもありません。
披露すれば対策されます。
剣は補助武器で剣術しかできないのでは武士とはいえません
剣は合戦では敵を討てば急いで抜いて首を刎ねるもの
- 574 :
- 大石鍬次郎は何を考えて加納道之助を
頼ったんだか…。
殺されるに決まっているだろうに。
- 575 :
- >>571
脇差は町民や農民でも所持できたよ。
それに西の備えとしての土地柄、武蔵国は天然理心流の他、甲源一刀流、柳剛流など剣術が盛んな土地でもあった。
槍もマタギが使うような熊槍があるけど長さは森の中で使いやすいようにせいぜい7尺ほど。
>>573
>剣は合戦では敵を討てば急いで抜いて首を刎ねるもの
鈴木史感はお腹一杯。
- 576 :
- あの場所で殺されるのもおかしい八坂神社や坂の下など歴史上定番とされる暗殺現場は
事実ならや当時あの場所は世の中の混乱で生活困難者である野非人、幕府の下部警察機構の非人手下
の受刑者、神人などなど目撃者だらけのはず、警察署の前で暗Rるだろうか?
死体があったなら死穢を恐れない彼らが死体を運んできた。
失踪した場合は犬神人に変装すればよい。彼らは白い布で顔を隠している
どちらにせよ犯人は知っているのは間違い。
借りに知らなかったら職務怠慢であり。
彼らの上司であるサムライに皆殺しにされだろう。
賤民とされた人々は知ってるだろうがその後の部落差別などの問題で
歴史の闇に葬られた、または封印されている。
賤民とされた穢多や非人その民たち以外に死体を扱える人がいない。
歴史を担っているのは彼らと言える。
- 577 :
- 鈴木史感というのを今日はじめて知ったんだが”具足と剣のみで敵に立ち向う”
これはまさに勇者の行いだ!
矢玉が尽きても剣一本で戦う士道に満ち溢れた侍が日本に溢れているのは非常によろこばしいと思った。
彼の説明が悪いと思う投石とあるが印字打ち術で使用する石は加工してあるので生身なら刺さる。
彼は知らないのか?
- 578 :
- 正しくは鈴木史”観”だな。
- 579 :
- 史を観るって意味か。なるほど勉強になった
- 580 :
- 跋
説明が足りないしかしおしい武士道は時代によって違う
弓は弓を射れば分かる。
剣は剣をふれば分かる。
簡単に答えがわかる。
- 581 :
- #新撰組が経営するコンビニ
http://togetter.com/li/468101
- 582 :
- >>574
大石鍬次郎は加納鷲尾を頼った訳では無くて一緒に脱走した三井丑之助が裏切ったために捕縛された。
三井は加納鷲尾を介して大石の情報を売る見返りに薩摩藩の探索方に取り立てられたようだ。
- 583 :
- 俺も新撰組はあまり好きじゃないけど冷静に考えると、彼らも酷だよな
時流がそうだったんだから必死に己の信念と向き合ったんだろうな
大石は人切り鍬次郎と言われるだけ憎まれてたんだろうね
あと小学生の頃に専門書で読んだのだが、永倉新八が維新後に橋の上で新政府側の誰かとスレ違った時、殺されるとひやひやしたって話があったな
- 584 :
- >>683
両国橋での出来事かな?だったら鈴木三樹三郎(三木三郎)
だな。
甲子太郎の弟だよ。
- 585 :
- >>584
書き込むスレ間違ってる?まだ600まで行ってないよ。
- 586 :
- >>584
ごめん。スレ間違ってるわけじゃなかったのね。
- 587 :
- チンパン組
- 588 :
- チンパン有無之助
- 589 :
- 新撰組は俺の青春
大河ドラマで影響受けて調べまくって風雲シリーズやりつくして小説読み漁ってた中学時代が懐かしい
- 590 :
- 谷右京ってナンバー3だったのかな
- 591 :
- 中村半次郎に勝てる新撰組は誰すか? タイマンで。
- 592 :
- >>591
そいつ金切り声あげて刀振り回してただけじゃん
永倉さんの相手じゃない
- 593 :
- 中村半次郎は、示現流の達人だからな。集団殺法の新撰組とタイマンなら
そんなに勝てるやつは、いないと思う。
- 594 :
- 示現流最強
- 595 :
- 新撰組は相手1人に対して3人で向かうのが基本ですから。
勝てなんぼの傭兵部隊だから。
- 596 :
- 映画版るろ剣の最初のシーンで斎藤ー率いる新撰組が銃で戦ってるの好き。
- 597 :
- 昨日燃えよ剣を読んでから新撰組に興味持ったんだけど
ほかにこれ読んどけって本ある?
- 598 :
- 壬生義士伝
- 599 :
- 新選組三部作(遺聞、始末記、物語)
- 600 :
- 近藤勇白書
- 601 :
- ありがとう
- 602 :
- >>590
どうも胡散臭いね。研究者が一人主張してるだけでしょう。
新徴組の本に登場するし。
- 603 :
- 仮に短期間でも隊長だったら、他の本で出てこないということはまずないです。
それでも居たといいたいなら主張した人が証明する方が先でしょう。でもそういう証明は行われてはいないようですね。
- 604 :
- >602
なんでも、マスゴミが捻じ曲げて報道したんだとか
- 605 :
- その研究者のサイトも参照しました。読んでもあんまり頷けない内容でした。
むしろ、自説の粗をマスコミのせいにして責任転嫁しているような印象を受けました。
なんでも正しいという訳では勿論ないですが、新聞は多くの人を相手にしているので、一人の研究者の発言を全部受け入れた形で記事にするのは無理があります。
それ故他の研究者にも話を聞いてみた、そしたら実際に否定的な評価が多かった、というだけの話のようにに思われますが。
なんでもマスコミが悪いという方向に誘導しようとしている意図が透けて見えました。相手は反対することができませんからね。
問題は幾ら文章を読んでも元の史料がどのような記述になっているのか全く分からないことです。
「同じ本の他所の記述が傍証になっている」だけでは説明したことにはなりませんからね。説明者だけに分かる内容ということでしょうか。公表者にはそうする義務があります。
今まで注目されていなかった知られていない史料を持ち出してきたのにもかかわらず、この図書館にある、読んでください、だけで済ます訳にはいきませんよ。
結局一つの史料を参照していることには違いがないのです。
八月十八日政変時点だと谷が余計居たという確証は薄い。誰でも読むことが出来る物を提示すると、七年史七十九頁所収の鈴木丹下「騒擾日記」は見逃してはならないでしょう。
実地見聞した会津の人間の記録ですから、谷右京が「大将分」としていれば書くのが当然のはず。ですがここには谷の名前はありません。
居たことを臭わせる記述も一切ありません。
- 606 :
- 複数の史料で在京を確認できていないのに、いたと判断することは難しい。
しかし、これはそういう状態で記事公表されたことには間違いがないでしょう。新聞が問題なのではないですよ。公表者に問題があるのです。
著者が誰なのか、どういう種類の史料であるのか分からない。所蔵場所だけ示して、それを説明する努力をしない。史料を隠してるのと大差ないですよ。
- 607 :
- へっけつ碑さま、ご苦労様です♪
- 608 :
- あさくらゆうさま、ご苦労様です♪
- 609 :
- 新選組友の会さまご苦労さまです。
- 610 :
- っていうかこれ、マジでどうするんでしょうね。
大問題でしょう。こういう調べの加減な状態で新聞公表なんかするとは。
研究者というのは脇を固めて発表するものだと考えておりましたが、ご自分のツテで情報公開しておいて新聞が悪いと言い張り、ミスを見返そうともされないのは問題です。
謂わば悪魔の証明です。反証するには谷右京がその短期間に絶対にいなかったという記述を博捜する膨大な労力がかかります。
ですが「頭分」としてはいなかったというぐらいならば可能です。
ttp://www.pref.kyoto.jp/net-tenran/image/k11yakutyu.html
こちらの役中日記を見ても「大将分両人」とあり鈴木丹下の記述と変わりないですね。
永倉新八も二人だと書いてます。一つは二次資料といっても、三点もあれば「頭分」だった、という御主張の一角は崩れますね。
- 611 :
- 大河板には「川崎尚之助」の専用スレがあるが、
そこでのあさくらは「尚之助の新事実を発掘してくれたあさくら先生!」と
尊敬のまなざしをこめて崇められているようだ。
大河放送まで川崎尚之助の贔屓が居るなんて聞いたこともなかったので、
多くは役者の長谷川博巳ヲタが中心のスレとは思うが
幕末史研究家なんぞ知らない人びとのようなので、
もう「あさくらセンセイさまさま」なのだろう。
- 612 :
- 谷右京は文久3年9月12日現在、新徴組。
- 613 :
- 幹部連中が土方のことを悪く言うことはなかったみたいだね。
コワモテで通している創作モノの土方像とは異なるのか?
- 614 :
- い
- 615 :
- 新撰組の中では土方は一歩下がって近藤を立ててたわけだしな。
最近の創作で土方が自己主張しすぎなだけ。
- 616 :
- 【歴史】新選組・芹沢鴨暗殺に新説…芹沢の無断行動が会津藩の怒りを買った?
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1379319572/
- 617 :
- ニュー速から戻ってきますた
- 618 :
- 「行方観光史学」にはならないようにね、あさくらさん。
- 619 :
- >>616
有栖川宮家に奉公しようとしたからってなんで暗殺につながりその理由が秘匿されているのか理解できない。
飛躍しすぎ。
- 620 :
- 441 :名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 23:20:13.80 ID:5u2eG8BL0
あ、ていうかこれあれですね。「文久浪士報国記事」文久三年六月頃にの大原卿が東下するから横浜で云々とかいう。今原本がないので引用出来ませんが。
大原卿の東下は前年のことなのでおかしな話だなと思ってましたが、よく考えたら有栖川宮の副使は大原重徳でした。
永倉は九月と六月を間違えてしまったのでしょう。その件に関してはちゃんと永倉が記していて、新選組ファンにもよく知られている事実です。
特にそれで問題になった、芹沢暗殺に繋がったというような記述もないので、恐らく公的なものだったのでしょう。ということで、芹沢鴨の独断行動だという説は間違い、という事になりますね。
442 :名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 23:44:33.55 ID:5u2eG8BL0
補則すると、大原は文久二年の六月に実際に東下していまして、中止とはなっていません。
有栖川宮の時も大原が副使になっていることから、永倉は一年勘違いして、文久三年九月なのを六月としてしまったんでしょうね。
恐らくは近藤勇も有栖川宮と共に東下する気は満々だったんですよ。
しかし、既に書かれていて、二十世紀の内に発表されていた事柄なのに、今から見つけ出して大はしゃぎするのもどうかという気がします。
その辺りをまともに検討した人もいなかったのは新選組研究の停滞を現していますが。
思想の不一致とか、会津中将の利害と芹沢暗殺は関係ないでしょう。十月十五日の建白を見たら分かる通り、近藤と芹沢は同腹です。
暗殺犯といわれる土方らと芹沢は初期の時点で不仲であり、その辺りが動機でしょう。
近藤が後ろで指示した、という決定的証拠もありませんしね。
- 621 :
- 443 :名無しさん@13周年:2013/09/19(木) 00:15:48.99 ID:EO1Z6lxM0
攘夷というのは当時殆どの人がそう思っていて開国を唱えるのは人でなしというぐらい公然とした世論だったのは周知の通りです。
八月十八日を境に公武合体派が台頭して、攘夷の火が消えた等というのは幻想です。
勿論会津中将も攘夷派です。あくまで幕府を立てたいので、苦悩したのでしょう。
だから別勅使随行を辞退し、結果として壬生浪士の東下も幻に終わったというのが、この話の実態です。
あと文久三年と元治元年で政治情勢が大きく変わりますので、池田屋前後の有栖川宮と長州の流れからこの話を見るのも正しくないように思われます。
という事で、この件はトンデモで終了で。
445 :名無しさん@13周年:2013/09/19(木) 02:16:14.25 ID:EO1Z6lxM0
>>442
捕捉の捕捉で恐縮ですが、文久二年六月の下向時の勅書改竄の件で、大原は文久三年二月二十三日から文久三年八月二十九日まで落飾蟄居処分になっています。
つまり文久三年六月下向なんてそもそも出来ない話で、永倉の間違いはこれで定まったも同然でしょう。文久二年に永倉等は江戸にいました。
大原復帰後第一の仕事が有栖川宮の副使なのです。壬生浪士が公的な御警衛として下向する話になっていた可能性は更に高まりました。
ですが、会津中将などの周旋で幕府が横浜鎖港談判しますのでとうことになり、下向自体がない事になってしまったんですね。
もっとも長州間者と呼ばれた人々の殺害がこの大原と関わっている事を永倉が記しているのは気になりますが。
この件に関して内ゲバが起こったのかも知れませんね。「新選組顛末記」にもこの話は載っています。
それで芹沢が殺された可能性もありますが、史料が無く(長州間者も多く経歴が謎)あくまで仮説ですし、その場合も会津中将は関わり知らぬところでしょう。
兎に角これだけこの記事が広まってしまったという事は、新選組研究史上でも極めて稀な、一大椿事だと言えましょう。
これほど多くの人が信じ込まされてしまったのですからね。
- 622 :
- 446 :名無しさん@13周年:2013/09/19(木) 03:20:29.53 ID:EO1Z6lxM0
これは推測の域を出ませんが会津公自身は勅使に随行出来ないので、守護職お預かりの壬生浪士を代わりに下向させると言う話にまでなっていたのかもしれません。
近藤勇の十月十五日の建白に以下のような一説があります。誰にでも知られている箇所です。
「既に去月(註九月)中関東におゐても鎖港之趣承知罷有候間左候得は漸々攘夷期限被仰出候其節蒙尊命当醜虜御馬前御奉公夫而已相待候」
だんだん攘夷期限も仰せ出されるので「尊命を蒙り醜虜に当たる」、則ちご命令を受け夷狄と戦う、とことんまで攘夷実行派ではないですか。
しかもそれが会津公の命令で、と言っている。そこまで話は進んでいたんです。
有栖川宮に会うというのが不逞だ、という意見も出るでしょうが、文久三年十月二十日のものだと推測されている近藤の佐藤彦五郎宛書簡には、
「会津公役所亦者御所町奉公等江日々御用ニ付罷出」とある。これを持っても比較的出入り自由であったと見るべきです。
しかも芹沢鴨暗殺後と思われますので、なお攘夷を唱えつつ、問題行動を起こした筈の(因子を消しても同種の団体と思われるのは日本の常です)団体が普通にしかも「御用」があって出入りできるのはおかしい。
つまり芹沢の件は問題にされていないと見た方がいいと思われます。同じ書簡の中で近藤は関東に帰ったらと仮定の話をしています。これはただ友に会いに行く訳ではなく、攘夷実行の暁には、という事でしょう。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/bakumatsu/bakumatsu-sinnsengumi.htm
447 :名無しさん@13周年:2013/09/19(木) 17:51:02.98 ID:EO1Z6lxM0
>>446
「御奉公夫而已相待居申」でした。訂正しておきます。
さて、「浪士文久報国記事」の該当の記述、以下に引用します。
- 623 :
- 448 :名無しさん@13周年:2013/09/19(木) 18:42:57.56 ID:EO1Z6lxM0
文久三亥年六月頃の㕝
既ニ大原左衛門督殿、御勅使トシテ相州小田原迄御下向コレアリ、
当所江徳川家茂公呼出シ、皇命ヲ相背依テ将軍職召上ケ、此時大原公御警衛、新選組江被仰付、
新選組ノ存意ハ小田原迄御警衛イタシ、夫ヨリ欠抜ケ横浜鎖湊イタス。
夫ヨリ攘夷ノ魁トモ相成、就テハ徳川公ニヲイテモ朝敵ノ罪迯れヘクト存、
此事件ヲ聞キ、一ツ橋中納言殿驚キ速ニ上京、御所表ヲ取繕、
対ニ御勅使御差止メニ相成ル。
引用元の本では句読点がつけられているのが気になりますが、それは置いておいても、重要な記述です。
解説の菊池明氏も有栖川宮の御警衛として下向する話になっていたのでは、と推測されていますね。
勿論この本の記述を全て信用するのは危険です。芹沢鴨が「御所表より召捕可申様」会津藩公用方から言われたという記述は実証しようがないので、採用するのは厳禁でしょう。
会津側の記録にそのような記述は残っていません。
ですが新選組の下向がどうも命令あってのものだった、というぐらいは可能です。芹沢鴨等が有栖川宮の元を訪れるのは格別奇妙なことではありません。
新発見の史料を丹念に考察せず公表されるからこういうことになるのです。新史料ばかりを用いずに既出の史料と照らし合わせる作業がないと事実を糊塗してしまうことになります。
もっともこの人物は以前もこういうことを何度か行っているものと存じますが……。
- 624 :
- 山南敬助は堺雅人が演じる前から好きな人はいた。
96年頃の歴史雑誌に山南のイラストが投稿されていたのを覚えている。
新撰組幹部には珍しい穏やかな性格で、且つ剣の達人という点が好まれたのではないだろうか。
- 625 :
- 穏やかというより優しい、かな。
親切者は松原・山南と言われてたみたいだしね。
- 626 :
- ところで>>623って新選組研究家というよりも学習研究社のライターのようにも見れるね。
どのみち研究家同士の内ゲバで2ちゃんに書き込むような奴はろくでなしが多いというのは
定説だがな。
- 627 :
- 因みに過去にこの2ちゃんに書き込んだバカとして伊藤哲也、あさくらゆう
桐野作人、河合敦、藤堂利寿か。
- 628 :
- 桐野作人って、どのスレに何を書き込んだの?
- 629 :
- 昔だがニフ板での抗争が2ちゃん日本史板に波及。
このときにyahoo日本史板で極左を煽ったバカがいて、その極左のドキチガイ
と会津キチガイの富岡史郎が抗争を激化させたとか。
- 630 :
- 内ゲバは置いといて今回のは説的にどうなんよ、妥当性は。
- 631 :
- 説的にって……新聞記事だけで必死になるのってどうよw
まっとうな奴なら学術論文でしょw
- 632 :
- でもこの発表者、基本的に新聞公表ばっかりだよね。
稀に書いてもかなり想像はいったもので信用ならん。学術的な分野で認められる説なんかね。
- 633 :
- そうそう、ここに書き込んでいる研究者さんはどうもその研究者に私怨があるみたい
だけど、その新聞発表とやらがうさんくさいと感じる以前に「なぜ新聞発表できるコネクション」
を持っていること自体を「疑」に思わないのかな?
つか、共同通信にコネを持っている時点で只者ではないと思うのが普通だと思うぞ。
- 634 :
- >内ゲバは置いといて
あんた?新選組友の会?それともヘッケツヒ?常磐会のヤクザ屋さん?
- 635 :
- 「只者ではない」、ってあんたw
- 636 :
- ここに書き込んでいるのは妬み嫉み僻みのルサンチマンです。
- 637 :
- 「只者ではない」、ってあんたw
- 638 :
- どうも関係者が書き込んでるスレのようですね。その割には歴史には興味なく、派閥闘争大好きな人ばかりなようですが。
- 639 :
- なんだ新撰組関連の内ゲバ。つまんね。
- 640 :
- なんだか論文がどうのとか書き込んでいるから今回は菊地・釣関係者と大学関係者
のみみっちい抗争が始まったか。
- 641 :
- わーい 本人登場
病院ガー体調ガーと愚痴る前に昼夜逆転の生活習慣改めたらどうですか?
- 642 :
- 新選組だけが好きな人って薩長土佐について
大して知らない癖に矢鱈非難するよね。
新選組がどれだけ非道を繰り返したかは棚に上げるしね。
- 643 :
- >>642
マジレスすると、組織体である以上は新選組に限らず残酷であり、それが
変革期の組織体であれば猶更。
- 644 :
- >>643
そうだよね。それにも拘らず、新選組擁護者は新選組
が残酷な事を棚に上げて、薩長土の行為が残酷だと
非難するのが理不尽。
- 645 :
- 天国の近藤勇先生、検索したところ、西暦による本日がお誕生日、おめでとうございます。
また、九州佐賀県東部生まれの私、偶然ですが、本日、
ついに51歳になりました。
局長近藤勇先生は、少し孤独だったかな?
しかしながら、私たちの今日があるのは、 皆々様のおかげです。
里<サト> 慎一郎(元東京都町田市民:若いころは民権資料館にも行かず、
反省しております。今、この年齢で世の中のありようを資料検索しながら考えたいものです。
何かネット検索し、得るものあれば、こちらに記します。)
- 646 :
- 『今宵の虎徹は血に餓えている。』局長のおことば
- 647 :
- まもなく11日か。
- 648 :
- 近藤局長の刀がコテツだったというのってガセでしょ。
- 649 :
- 「新発見」はオタクの一人相撲ということでFA
- 650 :
- 【幕末・前世】
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1384147629/
沖田総司の生まれ変わりらしいです
- 651 :
- エー…
虎鉄じゃないのー?(こてつ:正式な漢字、忘れた。)
なにかないか捜しながら、仕事してきます。
- 652 :
- ▼▼▼
- 653 :
- 【社会】真相・真実を知ってがっかりした日本史の逸話・エピソード1位「沖田総司は美形ではなかった」
http://uni.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1387453799/
- 654 :
- 死者の大半が内部での粛清とか組織としてどうなの?
- 655 :
- 報道のご意見だけで反論するのも失礼だと思い、「新選組を探る」購読しましたけど、酷いですね。
どこが「谷がこれ以上新徴組に在隊することはあり得ない」ないのでしょうか。
病気で脱退と言ってるのを三行半(おかしな表現ですね、離縁ではないんだし)だと書いてますが、ほんとに病気かもしれないでしょう。
しかもこの記述の根拠となっている史料を、参考文献から巧妙にオミットなさってるのは作為を感じます。
新徴組に関して御自身の不都合な史料を隠蔽なさってるのも、見る人がみれば丸分かりなのですが。
「柚原日記抄」知ってて記載なさいませんでしたね? もちろんこれは鶴岡市郷土資料館で普通に入手できる資料ですし、
小山松勝一郎も著書に於いて使用しています。
文久三年の九月十二日に、
「谷右京前同断〔新規御宛行〕三人扶持二十五両被下置且従来防御之術致鍛錬居候趣に付
攻守の利害火砲の得失等佐野三郎申合新徴組兵勢相立候様可致依之小頭過人被仰付別段二人扶持金十五両被下置云々」
というように防御(恐らく海防でしょう)の腕を買われて三人扶持二十五両+二人扶持十五両の新知行を与えられていることがハッキリしています。
あさくら氏の仰っている七月新徴組脱退説はどう考えても辻褄が合いません。不在の人間に給与支給という事も考えられませんし、随分と好待遇を受けていた事が分かるでしょう。
新徴組では砲術の腕が使えなかったという記述からして謎です。新徴組には砲術師範が早くから置かれていますし、小林登之助等砲術家も多く用いられていました。
文久期に置いては壬生浪士はそういう方面では出遅れていたといってもいいでしょうね。
- 656 :
- 新徴組、正確に言えば「砲術教授方」として谷右京の名前はちゃんと書かれているわけです。
この時点では江戸に居たと見た方がいいでしょう。当時江戸と京を往復するのには二週間近く掛かります。
単身かそれに近い人数で上京するならばもっとかかるでしょう。
谷の江戸出立を証明出来る史料はない訳ですから、これを史実だと言い立てのはどう考えても無理があります。
憶測に憶測を積み重ねたものは妄想でしかありません。
谷の在京を裏付ける証拠として出されている史料には「由」等の言葉が二ヶ所使われており、これは実見者が書いたものというよりも、
伝聞を書き記した風説書に性質が近いものではないでしょうか。
それでは何故谷の名前が記されたのか。あさくら氏が新史料として提示された「有栖川宮日記」の名簿からよく分かるでしょう。
「谷万太郎」の名前が既に現れています。浪士組(壬生に泊まったわけで、壬生浪士と混同されていた)の丹波の谷から、
ああ谷というのはあの谷だと誤記されたのではないでしょうか。万太郎は道場持ちですから隊内で優遇されて居てもおかしくはない、
だから大将分として記されたのだと見れば全てがしっくりいきます。勿論これは推測にしか過ぎませんが。
- 657 :
- 芹沢鴨に関しても随分憶測に憶測を積み重ねた記述でつっこみどころが多いのですが、
他の方が眩惑されないようにあらかじめ言って置きますと、「有栖川宮日記」は「ただそれだけことしか言わない史料」です。
付随して書かれている諸々のことはあさくら氏の考えにしか過ぎないということです。
「御警衛
御用之義御座候ハゝ(てと翻刻されておりますが)何事ニ不限被
仰付下度奉願候」
そう言って名簿を差し出した、ということが書かれているだけの史料なのです。宮側は厚遇したようですがそれも都合良く解釈しておられる。
宮が抗議した会津公側が起こったというのは全てあさくら氏の(根拠不明の)主張であると明記しておけば充分でしょう。
菊池明氏、山村竜也を批難されますが、それに近い憶測の積み重ねで物を言っておられる方だということ言っておかねばなりません。
- 658 :
- テスト
- 659 :
- 悪・即・斬
- 660 :
- >>655
この史料の性質を説明して置きましょう。
文久三年九月一日、大和の乱鎮圧の為、吉野下市村に着陣した郡山藩主松平甲斐守柳沢保申の営所に現れた会津藩士、
松坂三内と平向熊吉は軍監藪田極人より間者と疑われ、抵抗した結果殺害されます。死後会津藩士らしいと判明したので、
黒谷へ藩士大谷記八郎を寄越し、守護職へとその事実を報告したという次第です。
これは「七年史」上巻癸亥記四の七〜八頁にある記述ですが、八頁の方に次の一節が見えます。
「会藩の留守居手代木直右衛門、目付野村円蔵及び松坂が縁者、香坂右内等、
郡山に至りて、其の死屍を検すれば、果たして其人也けり」
あさくら氏が示された史料「文久元治亥子太平録」の記述はこの人員の名簿に当たるものなのですが、説明は一切ありませんでしたね。
確かに「三内身寄」として香坂の名前が見えますし、野村の役職も同じです。
ところが、この「太平録」によれば「御用仰せ付けられまかり越し候」という事ですから、
芹沢、近藤、谷はこの調査団のメンバーとして下市までくだった事になります。末尾に「壬生浪士頭」とある訳ですね。
ところがこのメンバー、調査団としては矢鱈と物々しい。「取鎮方」には畿内の諸大名が控えています。
しかも「二十六日爰元起」とありますからこの事件とは無関係で、八月に大和へ出陣していた大名という事ではないでしょうか。
事実これらの各大名家は維新史料綱要のデーターベースの八月晦日の件で引用されている会津側の「維新史料階梯雑誌」に、
「一揆出動に付き出兵仰せ付けられ候国々」として記されています。
とすると「壬生浪士頭」は調査団とは別個の記述だという可能性も出てきます。孤立した、脈絡不明の記述となってしまいます。
- 661 :
- 仮に調査団のメンバーとして壬生浪士頭が選ばれたとしましょう。(これ自体が未出情報で、要検討であることを予め記して置きます)
すると谷右京のアリバイは絶対に壬生でなければならない。でないと出動出来ませんからね。
調査団が何時黒谷に帰還したのか、それは不明ですが、「会津藩庁記録」の「公武御達并見聞集」には、
九月六日に手代木と野村、七日に香坂と河原善右衛門の書簡(百五十九〜百六十、百六十六頁)が転載されています。
(香坂と河原に関しては以前から大和へ出向いていた形跡が窺われますね(百十四頁))
それらを合わせると、六日に黒谷を出立後、同晩に伏見に宿を取り、七日に五条に到達している事が分かります。
そこから下市までだとさらにかかるでしょうし、書簡によれば別件の探索もやっていることになりますから、ある程度の日数は向こうにいたと見るべきです。
前述の通り、谷右京は九月十二日に新徴組から新知行を与えられている訳ですから、この日は絶対に江戸にいたでしょう。
数日で江戸と京を往復出来るのは当時でも超人です。あさくら氏は谷右京がギリアムの「バロン」のように大砲の弾に跨がって江戸に戻ったとでも仰るのでしょうか?
この程度の史料批判といえば烏滸がましいですが、史料検討ぐらいはなしてしかるべきであるのにも関わらず、
あさくら氏はご自分の発見を正しいものにしたいがために、検討の足りなさを露呈されました。
無名人物、悪名のある人物の復権を謳っておられますが、それが未検討なものであっては故人にも失礼になるでしょう。
参考文献として所在施設の明記などはされていますが、それがどれをどのように使って記述に反映させているか、多くが不明なので参考出来ません。
- 662 :
- >>654
どうなのって、珍しいことではないと思うよ。
いわゆる御家騒動といって江戸時代の武士社会で血を見る機会は内部抗争が大半だった。
そこに幕末の内憂外患が絡んできて藩内での抗争が一層激化する。
薩摩藩のお由羅騒動、長州藩の元治の内戦、殿様と家来が城を奪い合った結城戦争とかが有名か。
「徳川の平和」の裏で幕府や諸藩は数百年も内部抗争を繰り返してきた。
なるほど現代目線では異常なことかも知れないが
江戸時代しかも幕末の京都っていう特殊な空間に生きた新撰組のそれは
同時代的にはむしろ僅少な事例だと思う。
- 663 :
- 素晴らしい薩摩文化シリーズ
【示現流】
薩摩地方で盛んであった、剣術の流派。
先制攻撃を重視する流派であり、
相手が戦闘態勢に入る前に一刀で撃ち倒してしまうことを旨とする。
京都では、かの新選組も示現流の一の太刀を恐れたと言われる。
一方で日本史上もっともセコい流派であるとの評価もある。
剣術の試合はお互いに黙礼の姿勢をとってから始めるのが作法であるが、
大名も観覧する交流試合でのこと、薩摩藩の剣士が
黙礼をしている相手の頭をいきなり撃ち込んだというのだ。
会場は騒然となったが、薩摩藩士はドヤ顔だったという。
ルール上は問題なしという裁定で薩摩藩士が勝者になったが、
観覧していた大名たちは嫌な顔をして帰ってしまったそうである。
- 664 :
- 「新撰組で男色が盛んだ」
という事実を手紙に書いたのは誰だったっけ?
- 665 :
- >>664
近藤さん
- 666 :
- >>663
その御前試合がいつどこでかは解りますか?
- 667 :
- >>664
近藤勇が武蔵国日野宿の名士で懇意の中島次郎兵衛に宛てた手紙の一文だね。
時期は元治元年5月20日つまり池田屋事件直前のこと。
その直前に新撰組は将軍警護やそ将軍滞京の周旋などに大忙しだった。
その多忙さを理由に「女遊びの暇も無いので男色が流行ってるよ」と近藤は述べている。
本当だった可能性もあるけど、少しの事例を大袈裟に伝えた可能性もある。
ほんの冗談のつもりのホラだった可能性もある。
何れにしても裏付ける史料も無いので真否は分からない。
- 668 :
- 単に極く普通に男色が流行っている事実を報告した迄のことでは?
- 669 :
- (*`д´)♂"オイたぢはこげぃなコツをする為に剣の腕を磨いて来たとか?
(*`д´)♂"新七ドン、君命に背けば上意討ちじゃ
- 670 :
- >>668
文章としては以下で一まとまり。
一、さて先年府中宿において御同様始楼登り、妄遊つかまつること時々思い出し申し候。
就いては当節婦人戯れ候こといささかこれ無く、局中しきりに男色流行つかまつり候。
なお帰府の上申し上げ度。以上。
実際は単に男色流行を伝える文章じゃない。
女とやりたいけど最近は御無沙汰で男で代用してるやつもいるって話題。
つまり本来はみんな女とやってて男とはやってない。
- 671 :
- http://www.digital.archives.go.jp/ 国立公文書館データーベース(以下国公
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html 維新史料綱要データーベース (以下維綱)
旗本近藤隼人国用(以下近藤国用)が、新撰組に加わった浪士近藤隼雄であったとする説がありますが、あれは全くのデタラメですので、皆様取り違えなき様お願い致します。
一人の研究者が唱えているならいざ知らず、相川司氏の「新選組隊士録」にまで記載されてしまっていると言う、どう考えても由々しき自体なので、これを機会に訂正しておきましょう。
説を要約するとこうなります。旗本近藤国用は表向きは新政府軍に恭順していたが、一人二役を演じ、近藤隼雄と名前を変え新選組に身を投じ、歩兵隊を率いた。その後「新選組之頭」として戊辰戦争を戦い、仙台で官軍に投降した。
一人二役ですか。いやあ、小説の中ならともかく、実際に有り得る事なのでしょうか? 以下はその辺りの検証です。
「近藤隼人勤王願」という明治元年九月三日付、弁事御役所提出書類が国公で閲覧できますので、皆様確認下さい。「旧旗下ノ者本領安堵ヲ乞フ 近藤隼人」と同文のものですね。
勿論主張者の方は参照して居られます。その上でこれを家臣の偽造文書だと言い張って居られる訳です。まず内容を検討しましょう。
続きます。
- 672 :
- 慶応四年二月二十五日、近藤国用は江戸を出立し、同三月四日藤枝駅に着、大総督有栖川宮に勤王証書を送ります。
その後同二十一日家来が呼び出され差し出した所、舞阪駅から掛川駅まで官軍通行の際の兵食輸送警衛役に同姓近藤登之助とともにあたるように命令を受けました。
この辺りは維綱などでも確認出来るところであります。
もっとも、前者は家臣の名前で提出されています。主張者はそれ故に家臣が主君になりすましていた、というトンデモが形成されたのでしょう。
ところが後者はちゃんと近藤国用名義の登之助と同文請書が残されており、維綱同三月二十一日の件でも引用されてますね。
それからのことは、同じく国公の「旧旗下ノ者本領安堵ヲ乞フ 近藤登之助」とあわせて考えますと、賊軍が横行することを危険視した登之助は「其筋へ申立」、
五月中に同姓国用、力之助、分家の邦太郎に金指関門守衛の命令が下された事が分かります。
以上から考えて、登之助の意図を受けて国用は動いていたと考えられます。
二人は当然面識がある訳ですし(主張者は何故か隠しておられますが、近藤登之助は組合銃隊頭です。維綱慶応三年九月二十六日所収「陸軍歴史」のその縁で国用は銃隊に加わっていたと考えると妥当でしょう)、
登之助の文章中に出てくるという事は家来がなりすましていた、とするのは相当無理があります。
あるいは登之助が国用と示し合わせていた、か。しかし、それはあまりにも小説的であって、主張者の好きな「史学」的には認められませんよねえ。
第一「勤王願」には印鑑が使われているのが分かりますし、本人が提出したものであるという事は明白です。家臣が勝手に使っていた事がばれたら重罪です。
しかもこれは役所を通して提出された書類でありますから、間接的であっても有栖川宮や天皇を欺いたも同じ、当時の一般常識として到底許すべからざる事なのですが、その辺りは理解しておられるのでしょうか?
主張者が同例として出している加藤平内の場合はその類いの書類がなく、存在するのは家来が提出した物だけであり、しかもその書類の中にもあきらかに含みのある表現がされています。
加藤平内で、維綱、復古記など参照。
続きます。
- 673 :
- http://www.archives.metro.tokyo.jp/ 東京都公文書館データーベース(以下都公)
さて、この後近藤国用のアリバイはどうしょうか。纏まった史料がないため、断片で説明しなければならないのが辛いところですが、
状況から考えて、京都に到着した、と見るべきではないでしょうか。維綱で確認出来るところでは同年十月二十三日に兵食輸送の護衛は罷免されています、
実はこの時期に近藤国用と交流を持っていた公家がいます。正親町三条実愛事、後の嵯峨実愛です。この時期はまだ京都で留守をしていました。
「嵯峨実愛日記 原題続愚林記」第二巻p392 明治元年十一月二十六日の件、
「近藤隼人江過日音物答礼蒸菓(五十入)一折賜之」とあり、以前のお礼に蒸し菓子を送ってる事が分かりますね。交流は前からあったと見えます。
これだけでは面識はあったか分からない、と言われるならば、翌十二月一日の件である、p394〜395を御覧下さい。長いですが、重要なところなので引用します。
「戸田熊之丞同三郎四郎同直之丞(以上大垣末家)同松三郎(宇都宮末家)等来面賜熨斗昆布末広一本ツゝ各進上太刀馬代(有差)等
此次近藤隼人(有由縁者也)同上賜又同前同人太刀馬代太刀進綾一反鯛一掛等以上皆此度大夫席被 仰付候輩也」
との事で、確実に面会していることが分かります。「大夫」というのは中下大夫のことでしょう。早期帰順した旗本が選ばれています。
続きます。
- 674 :
- 都公を参照して頂ければ、「中下大夫上士名簿・全」に「コ之部 近藤隼人」という記述が見つかります。
大垣分家戸田熊之丞、三郎四郎、直之丞も同じく見つかります。宇都宮分家戸田松三郎は見つかりませんが、主張者が依拠している「士族家来之儀申出候控」の中に見つかります。
つまり、この人々は旗本仲間という事になりましょう。勿論顔を知った者同志ですから、代理人が立てられる筈がありません。正親町三条実愛は疑ってもいません。
顔がそっくり同じ替え玉がいたのだなどと言い出そうものならそれこそ「影武者徳川家康」の世界になります。
東京に移動した後も、近藤国用と正親町三条実愛は交流を続け、「嵯峨実愛日記 原題続愚林記」三巻にも、一度面会し、一度面会しようと思ったが合えなかった記述が見つかります。
そして、この巻のp209を御覧下さい。明治三年二月十日に「遣使於近藤隼雄許先達類焼ニ付賜手焙一口中達奉書二帖等」とあり、初めて「隼雄」の名前が現れます。
国用の家が焼けたらしく、寒中の心遣いをしていることから、それなりに親密だったのではないかと言うことが伺われますね。この後、近藤国用が引っ越ししたのもこれと関係があるのではないでしょうか。
そうして、これをもって旗本近藤国用が浪士近藤隼雄だという説は崩れ去るわけです。
続きます。
- 675 :
- ところで、浪士近藤隼雄とはどういう人物なのでしょうか。これが全く分かりません。
川村隼人、近藤芳助の兄という説も眉唾(というか芳助の出自も怪しいのですが)で断片的なものしか存在しません。
諱すら分からないのですから、近藤国用と同一人物だなどと言いようがない。加瀬俊一の例のように、同時代に同姓同名の人などいくらでもいます。
慶応四年二月三日に飄然と原某と共に新選組の金を借りに来たという記録が維綱のデーターベースでもヒットする「新撰組金銭出入帳」に残されているのが最初です。
新徴組のように体系的な名簿が残っていないかぎり、幕末の浪士の出自は多くが謎です。探し出せる部分はありますが、それを無理にこじつけてしまうと今回のような愚行をしでかすことになりますね。
ましてや今回の主張者はその体系的な記録が残っている新徴組のメンバーですら誤解したのですからねえ。
平潟口官軍に降伏したことは確かですが、この際の新選組残党がどの藩兵に捕まったか等という事も探せる限りでは見つかりませんでした。
明治元年の十月十七日以前には降伏したものと見るのがよろしいのではないでしょうか。
少なくとも分かるのは、その時から静岡藩御預になって、謹慎させられていることです。
主張者は国公にある「宥典録」だとしておりますが、これは正確には間違いです。
「記録材料・御宥典達書・下案・其三」が正式なタイトルなのですが、「下案」となっており、また正月ということしか分かりませんが、明治三年あたりではないでしょうか。
ttp://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?REFCODE=A07060043100&IS_STYLE=default&image_num=84 47コマ
とにかく、暫くの期間は身動きがとれなかっただろう、ということは確かです。近藤国用はその間確実に西京-東京間におりました。
「徳川旧藩無宿浪士」復古記十三巻「平潟口戦記」 p545と書かれているにも関わらず、身分を隠していたからだと断定するのは無理があります。
維綱でヒットする「新撰組中島登日記」の「歩兵頭取」は新選組の軍制化と見れば納得できます。
「御預引渡降人名簿」も見ましたが、「旧幕臣」扱いはされていません。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?REFCODE=A07060041700&IS_STYLE=default&image_num=106 19コマ
続きます。
- 676 :
- また家督相続に関しては噴飯物です。常識的に考えて、倅がいるのですから隠居し、完全に名前を隠した上で参戦するならわかります。しかし、エア自分から家督相続など前代未聞の珍説としか思われません。
普通に改名したのでしょう。しかもその改名時期は明治三年とは断定できない。二年中の可能性も高いです。
動機推察の土佐藩士の天誅せいで〜とかはこじつけの最たるものです。依拠されてる史料が先ず不明ですし、土佐藩は東海道軍ではなく、東山道軍なのは常識でしょう。
また、家臣の帰農を近藤家だけの問題としておられるのも、非常に歴史観の狭さを感じさせられます。
同じ板倉小次郎の触下士族でも、武蔵国江戸久松家のような例がある訳ですから、旗本家来の帰農というのはもっと大きな当時の社会問題でしょう。
近藤国用は自分と同名の浪士がいることなど知りもしなかったでしょう。逆は必ずしも真ならずで、浪士近藤隼雄の方が旗本の縁類を名乗った可能性ならば残されていますが。
そういえばこれは五兵衛新田のご説の核となるものでしたね。身分を隠している筈なのになぜ率いれるのだという訳で前提からおかしいのですが、歩兵隊を率いた旗本の参加はありえない以上、大きく検討する必要が出てくるでしょう。
主張者=あさくら氏は、この文の最後で「史料批判もされずに」と書かれてました。
ところが、検討してみればよく分かるように、ご自身が史料を見て考えることを怠っておられました。
「幽霊の代人」と仰いますが、実在した近藤国用を「幽霊」にしてしまったのはあさくら氏です。
現代人が古人の事を考えてみても、多くは妄想ですが、これは非常に失礼な妄想といえるでしょう。
今まで上げた史料は全てネットで閲覧が可能なものです。物によってはコマ番号まで記しました。
それだけでも近藤国用については多くが分かるのに、史料批判の名の下に先行研究者を罵倒する人物が、このようなトンデモ説を唱えておられたとは恐れ入りました。
そう言う状態のまま、数年も放置され、隊士名簿にまで記載されてしまうと言う有様が、新選組研究の現状なのでしょうね。
- 677 :
- >>671
なんか知らんが、雑誌か然るべきサイトに書けよ
ここで長文オナニーすなや
- 678 :
- どうせ過疎スレですし、紙媒体で公表するほど建設的なことでもないのでね。
「然るべきサイト」に書けば富岡氏のような目に遭うことでしょうて。
ネットでは全てが閲覧できると言うのも強みでしょう。「嵯峨実愛日記」も「復古記」も近代デジタルライブラリーで容易に見れますよ。
- 679 :
- ええな
- 680 :
- なんだ、キムチの方が騒いでいるのか。
- 681 :
- あれほど山村ガー、菊池ガーと騒いで叩きまくっていた割に、情けないっす。
板橋や大和屋の件なんかより酷いですよ。珍説を作り出し流布しているわけですから。
おそらく氷山の一角でしょう。
- 682 :
- >>674に関して、捕捉訂正。
類焼したのは近藤登之助邸のようですね。「武江年表」に、十二巻に「同四日、本郷春木町続近藤邸出火」とあります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952986 196コマ
都公でも翌五日付で「近藤登助」名義の届け出の公文書が確認出来ます。登之助とは同族意識が強かった国用と親交のある嵯峨実愛が事件を聞きつけて手炉を送ったと考えるのが妥当でしょう。
- 683 :
- 最近新撰組の勉強をしだしたものなのですが、
どうして新撰組は、会津藩預かりになったのに
京都見回り組に新撰組を入れる事を、会津藩は拒絶したのですか?
会津藩と新撰組の関係がよくわかりません。
- 684 :
- ここは質問コーナーではなく、キチガイ研究家とバカファンとが
いがみ合うウジ虫スレです。
- 685 :
- >>683
幕府側からの最初の申し出は、幕府の目明し程度として新選組を引き抜きたいというものでした。
会津側として、貴重な実働部隊(というか汚れ役)の新選組を引きぬかれてはたまらないですから、
断るのはむしろ当然でしょう。
なお、新選組が正式に幕臣になった際には、幕臣であるにもかかわらず引き続き会津の指揮下に
入っています。会津側が新選組を配下にとどめておきたいと考えていたことがわかりますね。
- 686 :
- >>685
なるほど。ありがとうございます。
会津の動きってどうも読めない。
幕末は難しいですね。
学生時代日本史勉強しそびれたので今更独学してます。
- 687 :
- 見回り組は代々続く生粋の武士。出の分からない浪人たちと同列は無理だったんでしょ
- 688 :
- 永倉さんの出自を忘れないでください
- 689 :
- 新撰組のオーナー的存在と言えば京都守護職の会津藩主・松平容保を連想し易いけど
京都町奉行や大目付を歴任した旗本・永井尚志も初期の頃から近藤勇を可愛がっていたみたいだね
新撰組とは函館戦争でも一緒に戦って降伏している
- 690 :
- 新撰組は京都憲兵隊だ
- 691 :
- 秘密警察だろ。市民の活動を弾圧するのが仕事で、革命時には真っ先に標的にされる。
- 692 :
- 芹沢鴨が暗殺された時、平山と同部屋に女を連れ込んでるのが不思議だったのですが
当時は遊郭などで相部屋で別の客同士がついたて一つ隔てて寝るのが割と良くあることだったようで
芹沢らもそういう感覚だったのでしょうかね
とばっちりをうけたお梅さんはかわいそうでした
- 693 :
- あと、江戸時代は素人女と恋愛するよりも玄人女と遊ぶ方が粋で男らしいとされていたようなので
沖田あたりは当時の感覚でいうとあまりイケてない男だったのかもしれないですね
「江戸の下半身事情」って本に江戸時代の性倫理が書いてありましたが
当たり前の事とはいえ現代とは全然感覚が違いますね
- 694 :
- >>671
あさくら氏、重ねてとんでもないことをしてますね。
こうなれば文章名も公表するしかない。心ある方がいらっしゃれば是非参照ください。
「慶応四年新撰組隊士伝―下総流山に転機を迎えた男たち」所収、「近藤隼雄―五兵衛新田に現われた旗本、幽霊の代人」の頁129〜130に当たる箇所になります。
「京都在任時代の是用の動向を少し追ってみると、京都大学付属図書館に長州の志士でありスポンサーでもある岡本三右衛門との書簡の存在から、
京都状勢についての相当な役割を担っていたことが想像できる」
いやはや。とんでもない事実誤認です。史料も碌に読めていないことが証明されました。
これは以下のURLにある書状です。
ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kanren/doc/shaku/764180.html
近藤遠江という名前から恐らくは遠江守である近藤是用を連想されたのでしょうが、
この書状の主とは全くの別人です。
詳細は不明ですが「下官」、「当地者神職之愚老を始」、「当社」などの言葉からこれは旗本ではなく、豊後国国東郡草地村在住の神官であったことは分かります。
また「主税」という名前の倅もいたことが分かります。どうみても近藤是用とは繋がらないのにもかかわらず、書状の内容も確認せず、同一人物認定を行った――これは由々しきことです。
歴史に携わる人間としては許しがたいことです。到底熱心にやって間違えた、というようなレベルではないこじつけが行われている事が分かります。
こういう状態で人のことを悪くはいえないですよ。山崎日記で記号を使った、でしたっけ? これはそれ以上に悪質かつ重大問題ですよ。
しかも今までそれをまともに検討する事が行われていない、こういう状態で本当にいいのでしょうか。
研究者の内ゲバとか言われる人もいましたが、それだけで済ましては行けない気が致します。
- 695 :
- またオナニーか。
- 696 :
- どうもあさくら氏が実証的で、学問的な研究者だということにしたい人は多いようですねえ。
私から言わせれば実証とは正反対の、菊池明氏以上に問題がある(なぜなら菊池氏は珍解釈はしますが、それは本の中で留まってるので)人物です。
- 697 :
- このスレとか研究者スレの最初に膨大な富岡氏こと伊藤氏に対する誹謗中傷が書かれていたのに、
いざあさくら氏が批判されると、しかも史料に「ちゃんと」あたって批判されるとこの有様ですからねえ。
- 698 :
- >>697
お前も伊藤同様にうざいだけだ。
- 699 :
- なんだかねえ
- 700 :
- >>697
そこはあさくら同様に、でしょう? ははあ、なるほど。
- 701 :
- と、私怨君ががんばるのであった
- 702 :
- 「事実の指摘」と「私怨」の区別も付かないらしい。やれやれ。
というか、この勢いでレス流ししようとしてる方がいるんですかね。
- 703 :
- どう読んでも私怨だろう
- 704 :
- おやおや、上手い具合に擁護する方が出てくるわけですなあ。
悔しかったら>>671-676、>>694を論破すればいいだけでしょう。
出来もしない訳ですから話になりませんなあ。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
- 705 :
- >>704さんよ。言動がまるで厨房だよ。
- 706 :
- >>704って何者?
- 707 :
- >>704の厨房発言を楽しみに保守
- 708 :
- 【幕末・前世】Part2
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1390396152/
土方歳三の生まれ変わりも出現
>>704か?
- 709 :
- みんなのマイブーム>>704w
- 710 :
- >>708
胡散臭さ窮まりないな。
二人とも創作物の影響を受けた成りきりに過ぎんだろ。
- 711 :
- 松山幾之助と松崎静馬って同一人物なんですかね?
- 712 :
- BS11とことん歴史紀行見た人いる?無駄も多かったけど結構良かった
中村武生って人の解説良かった。次の山南忌で講演してくれないかな
- 713 :
- あげ
- 714 :
- 手代木直右衛門勝任の私兵部隊A
- 715 :
- 天国におられます新撰組の皆々様、21世紀も元気ハツラツのファンの皆々様、
本年も近藤勇様(身長190cmくらい、らしかった。)
の生誕日が参りました。西暦換算でもって、
1834年11月9日誕生。よろしければ、確認のための再検索をされますと、
いっそう理解が深まると思います。
なお、京都市内、僕の記憶によれば『K6』 様において、京都育ちとお見受けするご年配男子の来店客さんと、
従業員さんが、わたくしの前で、親指・人差し指を用いて「ヨヨヨイ…」をやって見せて下さいました。
その節は、たいへんありがとうございました。
突然でビックリしましたが、新撰組さんに、ちなんだ「お囃子」みたいなものらしい。
勉強不足でめんぼくありません。
- 716 :
- 近藤や土方も手代木だけは怖かったろうな
- 717 :
- 龍馬の内通者だった伊東甲子太郎が油小路で近藤一派に暗殺されたのって近江屋の3日後の慶応3年11月18日だしな
新撰組も見廻組に仕事いって焦ったやろ
しかも、近藤さん
うっかり反手代木派の山本覚馬と会食中だったりと色々ヤバい事に
- 718 :
- なるほど。山本覚馬さんと、ですか。
- 719 :
- なんで一介の会津藩江戸詰藩士の手代木&佐々木ブラザーズ に清河暗殺の依頼が来たんだ?
よっぽどコネが太かったのか
- 720 :
- >>719
逆だろ
あまり幕府との関わりが無い+腕っぷしが強い
- 721 :
- >>720なる程
そりゃいかにも幕臣がやったら発覚したとき問題になるしな
それを見越して腕を売り込む辺り 頭良いな〜
佐々木ブラサーズ
- 722 :
- >>721
俺、毎日出勤で赤羽橋とおるんだけど
あーここで清河が殺られたんかと思うと
なんか感慨深いよ
内縁の妻だった人も可哀相だったよな…
- 723 :
- >>722清河の死で発足した
新撰組
見廻組
新潮組が 池田屋 近江屋 薩摩藩邸焼き討ちをやらかして、戊辰戦争が勃発するんだから、正に清河の死が導火線だよな
- 724 :
- >>723
そもそも浪士組を作った時点から戦犯確定なんだがなw
仲の良かった山岡鉄舟なんかにはもっと色々と語って欲しかったな
- 725 :
- >>724
しかも認可を出した幕府にしたら政府公認のボランティアが外国人居留地を焼き討ちしようとしたんだから、そりゃ暗殺せねばと思うわな
てゆーか、本当は芹沢と近藤が清河暗殺を指示されたのに
山岡の鉄ちゃんが葵の代紋を振りかざしたからビビって取り逃がすとか
実際暗殺した手代木兄弟と違って 殺し屋にはなれなかったか
- 726 :
- >>725
一応その後に芹沢も近藤も立派な(?)暗殺者に成長してるじゃないか
まあ身内殺しのほうが得意だったけどな
しかし同じ超貧乏でも生まれが良い山岡はやっぱ考え方が違ったんかね
新選組の中でも永倉なんてずーっと浮いてる感じだし
- 727 :
- https://twitter.com/ius8sui/status/264334142181879808
よく見たら、あさくらさんのブログは2006年の記事!未だにいるってことか!おそろしい! 伊藤哲也なる名前でコメントしてくる人がいるらしい。このメアドに注意。VEU00076◎niftyどっとcom (◎は@に置き換え)
https://twitter.com/tukaohtsu/status/285728728850518016
すい @ius8sui 2012年12月30日
伊藤哲也という方は斎藤一の単語に反応して微妙な書き込みをするようですね……。微妙というのは、情報をちらつかせつつ、確実な部分は明言しないというところ。
大塚@歴声庵 @tukaohtsu
老婆心ながら、彼とは関わらない方が賢明です。一言言えるのは「私には見れない史料」などと言うのは、存在しないと同義語ですね。@ius8sui 伊藤哲也という方は斎藤一の単語に反応して微妙な書き込みをするようですね……。
0件の返信 0件のリツイート 0件のお気に入り
4:46 - 2012年12月31日
すい @ius8sui 2012年12月31日
@tukaohtsu そうですね……不快な印象を与える方のように見受けましたので、以後気をつけたいと思います。ありがとうございます。よいお年を。
- 728 :
- http://ameblo.jp/new8-1915/entry-11808517990.html
9. 広津家の住所
岡山での広津家の住所が2箇所。1回、転居したのでしょう。と、活字化済。京都で廣津家が八重と記念写真を撮っています。
岡山転居時に3回。うち、1回は転居後に撮影されたようです。
伊藤哲也 2014-04-04 02:37:57 >>このコメントに返信
10. Re:広津家の住所
>伊藤哲也さん
除籍謄本も取得していますし、把握していますが、講演の時間内で、余り細部までは触れる時間は有りません。
それについては何人もの方とも相談の上、こういうないように致しました。あまりコマコマ言われるのも、とても不快です。他にも知っている人が居ることを、認識されたし!
岡山から新八参上 2014-04-04 07:14:55 >>このコメントに返信
11. Re:広津家の住所
>伊藤哲也さん
広津が岡山に住んでいた事だけで充分でしたが、神戸事件にもチョット触れるために、日置下屋敷の場所に触れただけです。
親切心も度を過ごすとお節介や、嫌味に成りますので、発言にはお気を付け有られたし。
岡山から新八参上 2014-04-04 07:44:06 >>このコメントに返信
12. Re:広津家の住所
>伊藤哲也さん
活字にしたから、そんなに偉いのか?上から目線は失礼すぎます。物の言い方を考えろ!
岡山から新八参上 2014-04-04 20:08:14 >>このコメントに返信
13. Re^2:広津家の住所
>岡山から新八参上さん
講演の時間が限られていたこと。
その関係で詳細なことに触れることが出来なかった部分があるのも致し方ないと思います。こちらは、不愉快な思いをさせてしまい失礼しました。
伊藤哲也 2014-04-05 01:20:51
- 729 :
- 御覧になれば分かるように、>>727と>>728で行われている伊藤氏批判にはあさくら氏の存在が背景にいます。
あさくら氏とリアルで仲のいい、言ってみればあさくらシンパ(大塚@歴声庵氏、岡山〜氏)が利害関係で伊藤氏への攻撃を行った例でしょう。
すい氏に関してはそこまでではないようですが、ツイッター辞められていなかったらまあ似たような感じになっていたのではないでしょうか。
あさくら氏と伊藤氏の中が犬猿であるから、この両名は伊藤氏を白眼視する行動を行った、という事になります。
特に岡山〜氏の謎の逆ギレは理解できない。伊藤氏は謝っているにも関わらず、それに対する返信もなしです。まあ党派性で動くと言うのはこういうことでしょう。
ネットではまあこう言う感じですが、このスレを見れば分かるように、曲解、誤解に満ちた意見をいかにも正しいという風に広めておられるのはあさくら氏ですね。
参考文献を提示しても後追いできないように書くのも、あさくら氏のやり方ではあります。
例えば「平田宗高従軍日記」を平田九十郎と表記するのを批判しておられましたが、なんと「探る」では九十郎表記をやっておられる訳です。
それと比べれば伊藤氏は、地味ではありますが大庭久輔を発掘したり、色々仕事はしておられるのに、ネットでこう言う連中が幅をきかせてる事もあって、意図的に無視される。
- 730 :
- http://twilog.org/ius8sui/date-121102
すい氏のコメントはこの辺りの流れですね。何度も連投されたならまだしも、この程度で大騒ぎとは、ちょっと馬鹿馬鹿しいです。
先入観でものを見るということの典型ですよね。
- 731 :
- あとついでに付記しておけば、このスレでは何故かあさくら氏を批判すると場違いだと叩かれ、場違いであるにもかかわらず、伊藤氏を批判すると同調者が増加するという流れになるようです。
面白いですね。
- 732 :
- どっちもまともな学術的バックグラウンド持った専門の研究者(大学教授とか)じゃないからな
ただのアマチュアという点では漏れらや喪前らと同レベルだよ
目くそ鼻くそ
- 733 :
- 内山彦次郎暗殺に関しては、新撰組はシロなのか?
動機もあるし、関係者の証言もあるしだが、無関与説が有力だよね。
永倉の顛末記は、そんなに脚色多かったのか。
- 734 :
- あれは永倉の現存しない手記の中で、やったという記述があるらしい。
そのページだけの写真が残っているとのこと。
- 735 :
- 「酒田県下旧新徴組取扱金処分方伺」
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000002575&ID=M0000000000000103157&TYPE=&NO=
page10に「同上(元治元年十月依願永暇) 谷石水」の文字があります。
同じく砲術教授方の佐野三郎兵衛は八月に、小林登之助(彼の場合は大砲組編成のためでしょう)は谷石水と同月に永暇を願い出ています。
谷右京騒動、一件落着しましたね。かの御仁がどれほど適当な事を言っているか、証明されたと思います。
相田名簿では辞めた日付は定かなりませんでしたが、公文書で新徴組に所属していた期間を裏付けられては、いかんともしがたいでしょう。
今後訂正されるか、以後も誤ったまま通されるかというところに、歴史研究家としての誠意が問われると思われますが。
それにしてもこれは興味深い史料で、沖田林太郎の寄留先が同じく新徴組の立花英行方と言うのは面白いですな。
- 736 :
- しかしよくよく考えて見れば、公文書好きのかの御仁が、上記文書を知らない訳がないのです。
これはやはり、都合が悪いので意図的にオミットされたと考えて宜しいでしょうな。肝心な谷右京の新徴組在隊中に脱退届を提出した云々も巧妙に「史料隠し」を行っておられました。
意図的にない事にする手法です。
近藤隼雄の一件についても、ここで指摘したにも関わらず、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14137450649
>実際は新選組と言うより近藤隼雄率いる組合銃隊が大部分の部隊で
という風に未だに信じ込んでいる人がいます。近藤国用は仙台で近藤隼雄が捕まっていた前後の時期に京都にいた訳で、別人であることは明白です。
>「オカルト」な新選組史
と人のことは笑えないですよ。
- 737 :
- 質問スレで書いたらここに行けて言われたので
新撰組に最近興味を持ったのですが
・近藤は芹澤が好きでできる事なら殺したくはなかったが、土方が殺せ殺せといったから仕方なく殺した。
・山南が逃げたときに、捕まえない目的で、あえて沖田を派遣した。
・山南は逃げようとしたけど、追っ手の沖田を発見すると自ら出てきた
・沖田が山南を発見したのは偶然である。そもそも
・油小路の時に、藤堂を逃がそうとしたけど、逃げずに襲いかかってきてために殺した
・土方の写真は二枚しかなく、そも市村鉄之助が届けなかったら沖田と同じで今に至るまで顔はわからなかった。
・新撰組は今に至るまで正式には名誉回復は一度もしていない。(反乱軍の榎本や西郷や江藤新平は全員してる)
これは全部事実(もしくは定説)で間違いなくですか???
- 738 :
- >>736
会津藩必殺【手代木直右衛門勝任】公用人 [転載禁止](c)2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1416114262/
ここで時代背景を勉強しようとレスしましたが?
- 739 :
- 107 名前:もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q [sage] 投稿日:2015/03/30(月) 23:49:56.85
>>106
暗殺犯新選組説がその後の文化にどんな影響を与えたか知れば、洗いなおしの重要さが分かります。
- 740 :
- 新撰組?ああ、封建制も終わろうかという世に外国の脅威に何の役にも立たない剣術で士分に取り立てられる事を夢見た
百姓のDQN小倅どもかwww
- 741 :
- >>737
自分の知ってる限りだとこんな感じ(詳しい方の捕捉ヨロ)
・芹沢暗殺は会津藩も一枚かんでる説が濃厚
・山南切腹関連は一次資料が少なくて何とも言えない(証言の矛盾多数)
・油小路で藤堂を逃がそうとしたのは本当
・土方の写真で出回ってるのは加工済みのもの(明治時代に既に土産物扱い)
・新選組の名誉回復については
明治7年(1874)8月の新政府布告および翌8年の東京府知事許可を持って
永倉新八・斎藤一の両名により板橋に近藤勇他新選組隊士の墓碑建立=名誉回復
※この碑には蝦夷地での入隊含めほぼ全ての隊士の名がある(斎藤一除く)
- 742 :
- >>741への異論部分というか
>・油小路で藤堂を逃がそうとしたのは本当
逃がそうとしたのは永倉の新撰組顛末記だけの記述で他の同時代文献と異なっており
諸説の一つでしかないんじゃ
>・土方の写真で出回ってるのは加工済みのもの(明治時代に既に土産物扱い)
加工というより当時の写真複製方法だと、原本は1枚だけで
コピー機みたいにどンどん画像に細かいゴミがついていくので
修正が必須だったのだと思う
>>737
市村が佐藤家に持参したのは全身像の1枚のみ
バストアップの写真は、隊士であった粂部が松本良順から借用し(これも複製)
複製したものだった、現物は湿板写真なので、市村が届けずとも松本ルートで
土方の顔写真というお墨付きのものが残った可能性も高いと思われます
- 743 :
- http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/62705746.html
これの2つ目の刀指してる写真
これはなんなの?
作りもん?
- 744 :
- 組長以下の隊士は、訓練やパトロール等がメインだったのだろうが
近藤、土方は、立場上屯所にいることが多かったのだろうか?
来客も多かっただろうし。
- 745 :
- ↑予算は現地調達だし、土方達は屯所で留守番でない。
- 746 :
- >>743
合成です
本物の写真の顔部分だけ切り貼りしてるだけ
- 747 :
- 自分の事をKさんと呼ぶ名古屋市昭和区名誉棄損事件犯人
犯罪者確定被告人 スーパーアル バイト店員 梶谷(51)名古屋 簡易裁判所 で絶賛裁判中♪(*^_^*)♪
- 748 :
- ttp://ameblo.jp/new8-1915/entry-12014964759.html
岡山の新八氏、人の褌ですね。
安富に関しては足守藩出身であるという史料がありますから、まあ間違いはないのでしょうが、
その主唱者が作家のあさくら氏、と言うのは気になるところです。
「歴史人」の対応にえらくお怒りのようですが、近藤隼雄、谷右京(もちろん、この二人は氷山の一角です。非常に甚だしい例です)に関してあさくら氏のトンデモな説が流布されているのには不思議とスルーしておられますねえ。
安冨に関しては正しい史実と言い立てる割に郷土と関係ない人物についてなら、まるで無視という実情は情けないですよ。
歴声庵氏に関してもこのスレは見ておられるのにも関わらず、近藤隼雄、谷右京の傍目で分かる間違いについては何故か不問としておられるようです。
これは歴声庵氏の言う利権ではないのでしょうか?
ttps://twitter.com/e3mib/status/589186324160118784
>新選組の特集だ!!って嬉々と買ってる子がフォロワーさんにもいたりするけど、ちゃんと、自分で見極めないといけないよーって、
>いつも思う。
>正直、研究家を侮辱してるよねー。
>安富才助の墓を見つけられたのは、あさくら先生なのだが。
おやおや、選民意識ですかね。しかし問題ですね。やはりといっていいかこの方も近藤隼雄、谷右京の明確な誤りについては無視しておられます。
歴史雑誌を読む人を小馬鹿にしておられるようですが、ご自分もそれと大差ないということに気付かれてはどうでしょう。
- 749 :
- 安富に関しても足守藩出身に関してはあさくら氏登場以前から知られている事実ではありました。
まあ早い話、あさくら氏がインディーズ出身だから賞賛されているという面はあるでしょうな。
商業憎しの主張が背景にあるという訳です。
- 750 :
- しっかし、この岡山の新八氏、今回の歴史人もそうですが霊山歴史館、伊藤哲也氏への批判と、あさくら氏のスポークスマンのようなことばかりされていますね。
コメントも誹謗が多いようですし、近寄りたくない御仁ではあります。
偉人の子孫だからとちやほやされる例が多いですな。「便所の書き込みみたいな」2chで批判されたと「便所の書き込みみたいな」ことをツイッターで書き散らしておられる某元勲の御子孫にしてもそうですが、
先祖の功業を本人のオプションのように考える発想は止めた方がいいですね。
- 751 :
- 反省します。m(_ _)m
- 752 :
- 何が厄介といって、こういう新八氏やえみさんのような変な玄人もどきの発言が問題なんですってば。
大概以後、こう言う連中が松浦・宮地大明神の威光を笠に着て、商業誌などの書き手をネットでボロクソにいった流れがございます。
それで何が来たか。商業誌などでも見るべきものを書いていた人も新作を発表しなくなり、結果としてあさくらゆうの天下です。全くやりきれないところでしょうねえ。
大河以降新選組研究が進展した何てのは彼らの都合の良いいい訳であり、実際はなんでもあさくら氏の発言が、それが重大な誤りを含むものであっても、そのまま受け容れられようになった。
事実はまあそんなところです。
- 753 :
- https://twitter.com/be_ruf
おっと、以前はツイッターを止められたと書いたが、誤りでした。すい氏ご存命のようですね。
イナトキ氏とかもそうですが、この人々も伊藤哲也氏を完全にシカト、あさくら崇拝という流れなようで、みたいものしか見ない感じが致します。
- 754 :
- 横槍ですみません、どちらが正しいかただの歴史好きにはわかりませんが、
こんなところで騒いでもなんの解決にならないような
きがするのですが。
- 755 :
- 新選組関係のことで何が正しくて何が間違ってるのかなんて誰もわからんさ
日記や手紙なんかの一次資料でさえ日付間違いや勘違いがあるんだしw
京都博物館で学芸員の目を通した資料はやっぱりしっかりしてる
研究者としての素地がないあさくら某なんて足元にも及ばない
- 756 :
- そりゃそうですよねえ。
何が正しくて何が間違ってるか分からないのに、事実は一つだ断言する連中にはおかしなものを感じます。
そういう人が歴史雑誌批判を行う理由は、まず事実を取り上げないことと表だっては謳っているものの、実際は「自分にとって都合の良い事実or都合の良い人物の主張を取り上げないから」なのです。
上で記した新八氏、えみさん、歴声庵氏なども大雑把にまとめればこれになります。
近藤隼雄や谷右京の事実をなぜこの人たちが無視し続けるかも、つまるところそれでしょう。公文書や「嵯峨実愛日記」はネット上でも読めるのですけども。
斎藤一の名簿の時も、異口同音に文句を垂れ流している人々は存在しましたねええええええ。あれも傍目からみて滑稽でしたよ。
都合の良い敵を見付けだして槍玉に上げ、そんで結束を高めると。集団ですねえ、利権ですねえ。
事実、事実と拘るならば、先ず谷右京、近藤隼雄です。そうではないという明確な史料が存在し、しかもなおそれを隠す印象操作がなされたのですから。
勿論この二つとて、所詮は紙の上での事、誰も実際に見た訳ではないのですから、事実とも言えないともいえましょう。それは安富才助、斎藤一の件でもしかりです。
史料による絶対の事実を奉じつつ、また実証と叫びながら、都合の悪い史料による絶対の事実は無視をする。
それだって安富才助、斎藤一はそれぞれ別件なのに対して、谷右京、近藤隼雄は同一人物が唱えておられるのですから、遥かに分が悪いと言えましょう。
こういうわけで、事実厨、実証厨がネットに蔓延ったのも、宮地・松浦大明神に責任がないとは言えないと思います。
- 757 :
- 絶対の事実は「」付きの方がいいですね。所詮彼らの唱えている中で、の話です。
- 758 :
- あのな、学会で認められるにはまず「論文」の形にして発表しなきゃなんだよ
で、それなりの学会誌が掲載を認めてはじめて議論の俎上に上がることができる
それ以外は他人(研究者)が検証できない=単なる個人説に過ぎない
>>756の言ってる「事実」とやらは何一つこういうプロセスを経ていないだろ
ブログや個人誌での発表なんてアカデミックなレベルでは誰にも相手にされないぞ
新選組の自称研究者はこういう最低限のことすら知らないから始末に負えん
これくらい覚えとけカス
- 759 :
- >>758
はいはい学会厨お疲れさん。
私は>>756で学会で認められる事が「事実」である、などと言っていませんけどねえ。
寧ろ学会で認められることが最上である、それだけが「事実」であるとするような妙な考えが入ってきて、新選組研究は衰退した、とまでいいたいのです。
その辺りが松浦・宮地両御大の責任であるというのが概要な訳です。
在野なんですから好き勝手にやればいいのです。そこにまで学問のお作法であれこれ言われるようになったというのは妙なことです。
学会が学会のグラウンドでやればいいではないでしょうか。
ですからその意味でもこの方の仰ってることは頓珍漢なことと言わざるを得ません。
それにそもそも私の批判の対象である「新選組を探る」「慶応四年新撰組隊士伝」は論文ではなく、文芸書形式の出版、あるいは限りなくインディーズに近い出版の本です。
つまり貴方のいい方の「ブログや個人誌での発表」にあたる訳であり、その周辺で批判されているに過ぎません。
斎藤一や安富才助が間違っている云々もあなたのいい方を借りるなら確定された「事実」ではない訳です。その辺はスルーなさると?
それにしてもこういう史学を大上段に振りかざしてしたり顔をする輩が増えたことだと思いませんか。
あと史学とかうるさく言う方に限って、あさくら氏の研究発表は嘉納しておられる傾向がありますね。
更にそういう型に限ってなにも新味な事を言わない。飽くまでネットだけの感じですが。
- 760 :
- 第一、新選組関係で>>758が指摘する意味での「事実」がいかほどあるでしょう。また、どれほど学会の研究者が、「事実」を掘り下げているでしょうか。
当たり前です。学会の学者は新選組の隊士や関係者が、どこの出身だったとか、どんな人生を送ったかには関心がないからです。彼らが感心を持っている「事実」はずばり政治の動静であって、個人調査ではないのですよ。こんなことは論文を幾らか読めば分かることです。
ところがそう言った学者が在野の研究者の探した>>758のいう「プロセスを経ていない「事実」」を参照して書く事は多々あります。>>758の謂いならば、それは学会誌に書かれた時点で「事実」となってしまう訳です。
だからねえ、皆さん。そもそもゲームの規則が違うのですよ。違う事を理解していない変な人々がネットで在野の研究者を批判しまくった、それにより業界全体が固着化し、
研究者が現れなくなった、先ず「学会」の二文字に畏縮してしまうのでしょう。
- 761 :
- 在野の研究なんてしても無駄だ、と言うのを玄人もどきのしたり顔が口にするようになったという訳ですねえ。
寧ろ皆さん学会を忘れましょう、などと私はいってあげたくなるものですよ。
まあ学術本被れの玄人もどきが私には一番の批判対象ですね。
実際個人調査に強いという触れ込みのあさくら氏を幾人かの研究者が安易に信じてしまうのはそのせいなのでしょうねえ。
何か知らないがそれで調子に乗ったのか、学会に目配せをするような発言をするようになった訳ですが、実情はまあこの通りと言った訳で。
- 762 :
- >>759
なんか誤解してるようだが自分は特定の誰かを擁護も批判もしていないぞ
(むしろあさくら某なんて蒙昧無知な臆病者の最たるものだと思ってるw)
新選組の「自称」研究者にろくなのがいないのは確かな事実だろ
ちゃんと大学院出て研究者と名乗れる人間ていうのはそれなりの積み重ねがあるわけ
今の新選組は資料の検証が透明性のあるプロセスで行われてないのが一番の問題
資料を公開しないで一人で抱え込む=一番信用されないタイプの研究者が多い
学会はそう甘いとこじゃないぞ
- 763 :
- 名古屋市昭和区の犯罪者確定被告人スーパーアル バ イ トのナマエを暴露♪♪♪♪♪♪
梶
谷
こ
う
い ち
( チ ビ デ ブ ハ ゲ の 5 1歳★ )
名 古 屋 簡 易 裁 判 所 に て 公 開 処 刑 継 続 中 で すっ(*^_^*)♪ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆♪♪
- 764 :
- 文京区の方、ご苦労さんw
- 765 :
- ところで、ここに書き込んでいる面々って菊地明の子分とか伊藤哲也の犬
とかってホント?
しかも、創価学会と法政大学系の労働組合団体を怒らせたってホント?
>>764
文京区の方って誰?
- 766 :
- >>762
確かに新選組関係では出典を示されない事が多いのは、認めますけどねえ。
それなりに参考になりそうな資料が発掘されていても、所在地がわからないのでは話になりません。
あさくら氏も同種の批判を行ってはいますが、実際著作あたってみると分かり辛いタイトルが記載されていたり、所在が分からないものも多いです。
しかし、そもそも研究者は隊士や関係者がどこの出身で、とかいうようなことに関心は薄いのでは。
当然学会誌でもそういう類いの研究が扱われることは滅多にありません。
>>765
あさくらゆう氏の子分の方でしょうか?
近藤隼雄と谷右京に関してはどうなんですか。説明して頂けますか。
- 767 :
- >>765
のような書き込みが多いですねえ。菊池氏、伊藤氏の指示でこの掲示板に書き込んでいるという割には、
あさくら氏側の批判を一切行わない。頭隠して尻隠さずとはこの事でしょうな。
- 768 :
- なんだかねえ〜あさくらだろうが菊池だろうが伊藤だろうが、学術厨だろうが
結局2ちゃんでヲナニーこいているせんずり君だろ。
ところで文京区の人について漏れも知りたい。
富岡や諸橋に続く痛い奴が誕生か。
- 769 :
- 結局、ここに書き込んでいる「文京区の人」って諸橋嘉久みたいなコンプレックスの塊か
- 770 :
- おやおや、話題そらしですか。
- 771 :
- >>770こと文京区の人がやってきました。
- 772 :
- まあ谷右京は今後語られることはないでしょうなあ。
掘り出しておいて、あれはまずかった過去、であるかのように放置される。
新選組と関わりがあったにしろなかったにしろ、一人物であったのは間違いないのに、妙な紹介をされたせいで、
こういう扱いを受ける事になった訳だ。
- 773 :
- 近藤隼雄にしても幸い近藤芳助の兄との扱いが多いようで、旗本説が主流になってはいないようです。
取り上げているのはあさくら氏とその取り巻き、利害関係でその連中から蛇蠍視されている松下氏ぐらいといったのが現状ですね。
まあこれはいいとして流通している説の中にも怪しげなものは多いのですけどねえ。
- 774 :
- だれか...いるかな?
- 775 :
- この特徴的なねっちょりした言葉使いの人、実生活でも超キモそう
- 776 :
- おやおや、近藤隼雄や谷右京の話をされても何故か黙るのに、個人攻撃ですか。面白いですねえ。
- 777 :
- https://twitter.com/e3mib/status/591745768978980864
恵美(えみ)@5/3LINEスタンプ発売
>@e3mib
>@komusai06311 治安維持組織という側面もあるけど、副業だったと思っています。思想家集団だからこそ、内乱が多かったのだと。
>新選組本だと、オススメは松浦玲さんの『新選組』です。
>私もいい本だと思いますし、史学科出身の方は勿論、研究家(新選組好きではない研究家も)良本と→
思想的なことを言えば、ただの新選組ファンよりは凄い的な流れを作ってしまったのは松浦玲氏に責任がありますね。
- 778 :
- 史学()それですよ。素人研究に喧嘩をふっかける割には大した功績は挙げていない史学()の内実は愚かでしょう。
- 779 :
- 兎に角まともに私に反論してきたいのであれば、谷右京と近藤隼雄の説は間違いではない、という事を実証しなさい。
それもできないようならば、史学()と言うのはその程度のものだということでしょう。
- 780 :
- 学歴コンプレックスにまみれたキモヲタか、気の毒に…
- 781 :
- まあ私の目論見はこのスレを回転させる事にもありますからねえ。
連中が好き勝手に他サイトで暴れているのの抑止力として2chを使う戦法でして。
- 782 :
- >>780
例えば、恵美さんののように史学()となんの縁もないような方が、史学()史学()といい立てるのは変じゃあありませんか、という事でもありますな。
- 783 :
- 結局、文京区の人って学歴コンプレックスって訳ね
- 784 :
- >>777
どうでもいいけど、関係の無いファンのツイッターをリンクするのは止めれ。
さもないと通報される可能性大。
- 785 :
- 2ちゃんで谷右京がどうたらと書いても無意味すぎ。
それより、史学()と唱えながらアカデミズム賞賛をしたり、学術関連で指摘
した人を叩いたりと相矛盾しすぎて痛すぎたよ。
悪いけど、無関係のツイッター晒しをやる以上は外のねらーと大差ないし
菊池氏にもはるかに及ばないね。無論、松浦氏など足下以下でしかない。
まずは自分の学歴コンプレックスを直してから書きごとをすることだ。
- 786 :
- やれやれ、晒しなどは2chでは日常茶飯事では。
私は別に他の人々より飛び抜けて優れているなどと言うつもりはないですよ。
ただの2chねらーに指摘されるあさくら氏というのが重要なところです。あ、あさくら氏もねらーでしたか。
後、わたしは一貫してアカデミズム批判的ですのでねえ。他の方と勘違いなさっているのではないでしょうか?
- 787 :
- しかしそれにしても引用することの何が悪いんでしょうかね。誹謗なら兎も角、私が行ったのは批評です。
批評にはその元の発言を引用する責任が生じるものでしょう。まあ藁人形論法がお得意な方なら、そのままの発言では引用しないでしょうが。
- 788 :
- >>785からは菊池氏<松浦氏という構図が透けて見えますね。
- 789 :
- 結局、こいつは私怨厨のコンプレックス厨か。
第二の諸橋嘉久誕生だ。
- 790 :
- やれやれ、私怨だのコンプレックスだの、昔の2ch風の煽りですねえ。
諸橋氏の譬えも古いですし、余程ご老人なのではと思われますな。
- 791 :
- キモ
- 792 :
- >>791
名古屋市昭和区の犯罪者確定被告人スーパーアル バ イ トのナマエをお知らせ(*^_^*)
梶
谷
こ
う
い ち
( チ ビ デ ブ ハ ゲ の 5 1歳★ )
名 古 屋 かん 易 裁 判 所 に て 公 開 処 刑 継 続 中 で すっ ( * ^ _ ^ * ) ♪
- 793 :
- キモ〜
- 794 :
- (*^_^*)名古屋市昭和区の犯罪者確定被告人スーパーアル バ イ トのナマエをお知らせ(*^_^*)
梶
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こ
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( チ ビ デ ブ ハ ゲ の 5 1歳★ )
名 古 屋 かん 易 裁 判 所 に て 公 開 処 刑 継 続 中 で すっ ☆
- 795 :
- >>790
結局、認めているのですね→諸橋嘉久氏と同じ私怨厨
そういえばこのスレですが、トニー谷に対する質問者と回答者
の文脈が酷似しているのはうがちすぎですかね・・・と書いてみる
- 796 :
- おやおや、書いてもいないことを読み込むゲスパーが多いスレですねえ。
>>795
しかしこのトニー谷の比較、加齢臭がします。
そこかで見た記憶のある方の可能性がありますなあ。
- 797 :
- >>796
m9(^Д^)9mプギャー!! プギャ――m9(^Д^)――!! m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーッハハハヒャヒャヒャヒャ,
- 798 :
- 諸橋嘉久で検索したが、自己中心的なのはここの私怨厨に似ているね。
まあ、こちらに書き込んだアカデミズムとやらの主張もわからんでもないが
それにしても自己正当化のキモさはある意味笑えるよ。
とりあえず、俺の見解だけど、あさくらゆうは実証的なのは認めるが
手法と解釈に強引すぎて荒っぽい部分が見受けられる。
菊池明は黎明期の実証的な部分は手堅かったか、その内に自分で調べることを
止めてしまったのか、内容に統一性が見受けられない。
ゴーストライターを使い回ししているのは煤けたし、その一人が伊藤哲也という
のも本人がカミングアウトしていたので理解した。
松浦玲は思想史家としてのスタンスから新選組を見つめ直していたが
あくまでも近藤勇と新選組を攘夷結社としてのスタンスで見つめ直した
ことと研究家について手厳しい指摘を行っていた。
宮地正人は流石に史料編纂所にいただけに史料の精査を行っただけでは
なく、あえて図書館でも閲覧できる史料をつかって、平尾道雄以来の
新選組研究について一石を投じた。
まあ、こんなところか。
- 799 :
- >>798
何か、平尾氏→宮地氏などこの辺りの説はネットで似たようなことを唱えている連中は多いですからねえ。
そうはいっても同感だと思うところもあるのですが、ゴーストライター云々とまで書くと胡散臭いですなあ。
私もまあさんざん暴れさせては貰いましたが、ブログ等で菊池氏らばかりが叩かれ、同程度には問題があると思われるあさくら氏が持ち上げられているのには、バランス的な問題で妙なところがあると思ったので、ここでも書かせて頂いた次第なのですよ。
- 800 :
- 799だけど。
>ブログ等で菊池氏らばかりが叩かれ、同程度には問題があると思われるあさくら氏が
菊池の問題は折角の新選組研究を頓挫させてしまい、
宮地の詰問に答えられなかった。
それだけの話だよ。
それと史料の引用が甘く、あさくらに劣らずの強引さがあるから呆れられる。
しかも見解について佐々木克のように過去の反省もなく、そのまま突き進む訳でも
なく、自分の殻に閉じこもってしまったからファンも引いてしまっただけだよ。
ここは菊池の反省すべき点だ。
あさくらは強引だが、手堅いのも事実だから読者層はその手堅さを買っている。
それをブロガーは評価しているだけ。
図書館で所蔵されている史料を駆使しているから「後追い」ができるし
だからこそ批判も可能だ。
平尾→宮地は当然であろう。
新選組を草莽結社としての見解に対し、先行研究の批判を行ったのが宮地だからね。
- 801 :
- 799だけど
まあ、菊池に辛口だから俺も「あさくらガー」と突っ込まれるが、
今までの菊池の手法に問題があったのも事実だ。
そして菊池を中心とした碧血碑の体質に問題があったのも事実だ。
そこから新たな研究の見解が生まれれば相乗効果で新選組だけではなく
幕末史研究に進展が見られ、アカデミズムも呻るような見解が出てくれば
菊池も罵倒ではなく評価の対象となっただろう。
いかんせん、宮地の批判から逃げたのは不味かった。
本来は宮地クラスに批判されるのは先行研究を認めているという評価
でもあったのだが、直接対決を避けた形となってはブロガーから嫌悪
されても仕方ない。
取り巻きに人を得られなかったのも菊池の不幸だが、その取り巻きを利用
して本を作らせては菊池の見解なのか、そうでないのかが不明確となる。
歴史哲学に一本気がないから読者から飽きられた。
それだけだよ。
- 802 :
- まあ、碧血碑が内部で閉じこもって外部の批判を受け付けない体質であるというのは確かに納得しますけれどもねえ。
十年一日で変わらず、というような状態であるのは菊池氏の最近の傾向であるというのは否めません。
しかし「維新前後之雑記」の古高俊太郎供述などを発掘した功績は否定出来ないと思われますが。
他の研究者でいえば万代修氏なども案外過小評価されている嫌いがありますね。
しかしあさくら氏もこちら谷右京ですとか、近藤隼雄のような例は強引というよりも、もう創作というべきではないか思える訳ですが。
実際後追いしてみれば分かるのですが、参考文献を上げてるものの、それと実際の収蔵史料名が間違っていたりなどして、探すのに手間取る件も多いです。
谷右京が七月の病気願を出した史料も隠されていましたしねえ。
戸籍等もそうですよね。子孫の許可がないと取得できず、しかもその子孫とあさくら氏が仲がいい場合、批判・事実否定するために取得する訳ですから、話がややこしくなることもあるでしょう。
- 803 :
- 後あさくら氏は他者の研究の欠陥を多く批判されている訳ですから、その分研究に問題が出て来た場合は強く非難されても仕方ないでしょう。
菊池氏などはその分閉じてやっているだけなので、批判が外に出てくることは少なかろうと思われます。
あとブロガーというのもそこまでやってる方と言うのは少なくて、単に「尻馬に乗って批判」という例が多いのが実情ですわな。
安富才助とか斎藤一の件もまさにそう言う感じが多かったので、批判対象にした訳ですよ。
- 804 :
- 宮地氏の菊地氏に対する詰問といえば大和屋事件なのでしょうが、あれも絶対やっていなかった、とまで断言できるものなのでしょうか。
壬生浪士がやった可能性は限りなく低いが、やっていないという決定的証拠もないため、断言はできないとするのが正しい意見の表明の仕方であるように思われます。
会津側の史料が重要視されていますが、身内なので嘘を書く場合も起こってくる訳です。
そもそもあれだけで首を取ったように批判し続けるというのも、また十年一日ではないかと私などは思う訳ですが。
- 805 :
- >>797
(*^_^*)名古屋市昭和区の犯罪者確定被告人スーパーアル バ イ トのナマエをお知らせ(*^_^*)
梶
谷
こ
う
い ち
( チ ビ デ ブ ハ ゲ の 5 1歳★ )
名 古 屋 かん 易 裁 判 所 に て 公 開 処 刑 継 続 中 で すっ ☆
- 806 :
- 保守
- 807 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 808 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 809 :
- 保守
- 810 :
- 765 :革命的名無しさん:2015/04/24(金) 23:09:10.13 文京区の方、ご苦労さんw
766 :日本@名無史さん:2015/04/25(土) 10:12:11.38 ところで、ここに書き込んでいる面々って菊地明の子分とか伊藤哲也の犬
とかってホント?
しかも、創価学会と法政大学系の労働組合団体を怒らせたってホント?
>>764
文京区の方って誰?
767 :日本@名無史さん:2015/04/25(土) 17:10:00.08 >>762
確かに新選組関係では出典を示されない事が多いのは、認めますけどねえ。
それなりに参考になりそうな資料が発掘されていても、所在地がわからないのでは話になりません。
あさくら氏も同種の批判を行ってはいますが、実際著作あたってみると分かり辛いタイトルが記載されていたり、所在が分からないものも多いです。
しかし、そもそも研究者は隊士や関係者がどこの出身で、とかいうようなことに関心は薄いのでは。
当然学会誌でもそういう類いの研究が扱われることは滅多にありません。
>>765
あさくらゆう氏の子分の方でしょうか?
近藤隼雄と谷右京に関してはどうなんですか。説明して頂けますか。
768 :日本@名無史さん:2015/04/25(土) 17:13:26.72 >>765
のような書き込みが多いですねえ。菊池氏、伊藤氏の指示でこの掲示板に書き込んでいるという割には、
あさくら氏側の批判を一切行わない。頭隠して尻隠さずとはこの事でしょうな。
- 811 :
- 272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/21(木) 15:21:42.98 ID:npD8kJ/30自分達は捏造やトンデモで山口から鹿児島から貶しまくるのに
それ指摘したら訴えてやるってか(笑)
ところで高橋は何の為にそんな騒いでるんだ?
筆者でもあるまいに(笑)
273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/22(金) 17:11:15.18 ID:kRZ3rqoK0それって倉敷の婆さん?
274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/23(土) 07:59:18.86 ID:gtyzh9NV0倉敷のばあさんかどうかは知らないが
以前に密林¥装]者を★のホムペで名指しで恐喝したら
その人が実は埼玉の保守系政党関係者の大物で、友人が「法政大学全学連」
の元委員長だったからさあ大変!
因みに法政大学全学連とは
http://blog-imgs-54.fc2.com/t/o/r/toriton/cyukaku.jpg
の関係者で、かつて宮崎十三八もここの関係者にシメられたのは有名。
ついでだが、戊辰戦争研究会で★に媚びていた会津史学会の某女性も
そこの団体にニラまれているとか。
275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/23(土) 08:11:23.36 ID:gtyzh9NV0あと、自称新選組研究家で「先生」と呼ばせている奴も痛いのがいるな。
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1313935210/l50
ここで宮地正人や松浦玲を批判しているけど、松浦は宮地が
過去に新選組研究家を批判したのが気に入らないらしい。
当人はその研究会にいて宮地・松浦が「常識的におかしい」と批判したのが
ムカついているけど、結局は妬み嫉み僻みがにじみ出ていて大笑い。
- 812 :
- 276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/23(土) 17:54:41.67 ID:ziifrvtF0
>>274サヨクと会津は仲良さそうなのにな(笑)
まあサヨクにも色々いるんでしょう。
>>275その新撰組研究ってどうせ史実の新撰組じゃないんでしょ?
277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/24(日) 08:16:36.80 ID:3RP2qcO60
>>276
会津はどちrかというと体制迎合の保守的てはある。
但し、在特会と対決している中核派系のようなバカサヨは会津戦争を
薩長体制側と戦ったとかで褒めているが、他の左翼識者から言わせると
「天皇マンセー会津を褒めて頭おかしくないか」
とバカにされている。
278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/24(日) 08:25:38.97 ID:3RP2qcO60
>>276
極右系の識者から聞いた話だけど、いまそこに書き込んでいる奴は以前も
ライターをコキおろしていたが、実は某新選組研究家のゴーストライターでもあり
その新選組研究家が主宰しているファンクラブの単なる手下だって。
しかも自分が世界一イイイイイイイ!!!!
と信じている痛い奴とかで。
自分は史実を追っているから偉い!tかで普通のファンもバカにするから
ファンからも白眼視されている。
しかもその普通のファンのツイッターをリンクして荒らし誘導しているから
始末が悪い、
もう2ちゃんでしか書けなくなったので、からかうと面白い。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)
- 813 :
- おやおや、歴声庵さんなども含めて全く的外れな意見、お疲れ様です。私は碧血碑関係者ではありませんよ。
と、いうようなことを書くと、嘘だという声が巻き起こってくるのでしょうが、それはこちらの知ったことではないですね。
しかも、御自身が気に食わない政治嗜好の人物と一緒くたにまでしての批判には情けなくなるものです。
寧ろ私などが、↑↓を書き込んでいる方々の検討が逆につく、という次第でしてねえ。ねえ、鴉軍団の皆さん。
この界隈の人々の常套句に「歴史研究を思想で語るな」がありますけれども、これは「歴史を左翼思想で語るな」でありまして、
自身の右掛かった政治嗜好に気付けないようでは、お里が知れるというものですね。
明治維新批判論に関しては私もそうだ、と言って置きますよ。ほら、吠え付いてきなさい。
宮地氏松浦氏の意見が全て正しく、従来の新選組研究がそれによって全否定されたのだ、というような見解を私は否定したまでです。
また宮地氏松浦氏もかならずしも正しい事ばかり言っている訳ではないということです。彼らの台頭によって伸びなくなった可能性もある、という訳でしょう。
279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/24(日) 21:11:49.93 ID:IxELzMa90
つまり会津は左右グチャグチャなわけね(笑)
新撰組オタは昔からタチ悪いからな。
何にせよ会津プロパガンダは反日サヨクだよ。
個人ブロガーも社民支持だったり反原発だったりな。
280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/25(月) 09:52:42.18 ID:+bti2lA90
>>279
本当の左翼は天皇マンセーで体制迎合の会津を嫌うが、
今の安倍政権批判に会津を利用しているだけだから、
サヨクの知力も低下している。
>>275
のリンク先を見たけど、菊池明主宰の新選組同人誌「碧血碑」会員らしきメンバーが
書き込んでいる形跡があるけど、あんなところで書き込んで意味があるのかな?
- 814 :
- 面白いのが、他のスレまで出張して批判されているにも関わらず、近藤隼雄や谷右京に対する反論がまるでないということです。
結局の所、ここが肝でしょう。
- 815 :
- 後、ここまでの私の主旨はあさくら氏批判なのですが、何故か貼り付けておられる方は主に松浦氏宮地氏を批判しているように改変して投稿されているのも特徴ですねえ。
- 816 :
- と碧血碑の方がおっしゃっています。
- 817 :
- と鴉軍団の方がおっしゃっています。
- 818 :
- 碧血碑だか鴉軍団だか知らんが、谷右京って何者?
- 819 :
- >谷右京
あさくらゆうによって、文久三年の7〜8月に局長の一人だったと主張された人物
だが、その時期の新徴組の隊士名簿から、同時期に江戸にいたことが判明している
しかも元治元年までの在隊が確認されており、局長であった可能性は極めて低い
- 820 :
- つまり、谷右京とやらがあさくらとか鴉軍団とか歴声庵とかが発見したから
碧血碑会員が妬み嫉みで2ちゃんに書き殴っているという訳だ。
いつもの新選組ヲタの抗争か。
- 821 :
- >>820
意図的に頓珍漢な発言を書き、相手を白けさせて書き込ませなくする手法ですね、わかります。
- 822 :
- ゲルマニア @wolfen_red_39 · 2 時間2 時間前
@spiars26
ハハッ、笑わせないでくれよwwお前だって本当は分かってんだろw
もし分かって無いとしたら治療が必要なレベルだがなwそうやって今後も必死に知的ぶって醜態を晒し続けてろよ(失笑)
- 823 :
- >それは…(^_^;)少ない史料で、事実に近づこうとしている研究家に失礼です。
>私の尊敬する先生は、自分の足で調べてらっしゃる先生ですし、私が調べている人物は創作にも描かれていない人達なので、そこはちょっと否定させてください。
>いえいえ(^_^;)創作だとしてしまうと、何でもありになってしまいますからねー(^_^;)
>妄想癖を出してる某研究家たちを否定している研究家も新選組研究をされてる人達にはいるのですよ。それを聞く耳持たず勝手なことばっか書いてますが。
「足で調べ」ているというのが売りなのは分かります。しかし「足で調べ」たからと言って事実にたどり着けるとも限らないのが歴史研究です。
しかし、こういうのを見ると、あさくら氏のキャンペーンが見事功を奏しているといえましょうな。
菊池氏・山村氏あたりは信用出来ない、あさくら氏は信用出来る、という風に頭から決め込んでいるから、以上の発想が出来る訳です。こう言う方に限って調べているといいつつ、ネットでも出来る程度の調査も不十分な方が多いのですが。
こう言う発言者が頻繁に見受けられるので、そこまで菊池らも悪くはないのではないか、寧ろ怪しげな事を書いているのはあさくら氏なのではないかと言う批判をぶつけた所、あさくら氏の身内らしき人々が出て来て碧血碑関係者呼ばわりされる始末な訳です。
山村氏を糞尿糞尿と呼んでいたあたりを見てみるに見かねてという訳ですよ。いわば逆を張っただけなのに、なぜそう言うここまで碧血碑関係者連呼が始まるのか。面白いものです。
因みに私が書き込んでいる御仁連を推定したところ、それらしい人々の書き込みが途絶えました。
後、このつぶやきの人などは一度あさくらの後追いをされてみたら宜しいかと。必ず変なところに気付きますよ。
上記の人は一つ伊東成郎氏が史料の扱いに不備があるとか叩かれていましたが、それなら豊後国神官の書簡を旗本の書いた書簡に変えてしまったあさくら氏はどうなるのでしょうね。
なぜ過去の界隈の人々は「信用できない」と頭から決めてかかっている集合は叩くのですが、「信用出来る」とされている人物がとんでもないミスをしでかしていてもなぜか不思議とスルーするわけです。
自明のものとされている事物を疑うのが学問ではないのでしょうか。
- 824 :
- >かつ、新政府側だったんでしょうね。最後まで新政府軍に加担した者の場合、手紙とか破棄されてる事がほとんどなので、それこそ明治を生き抜いていないと残っていないんですよ(^_^;)一次資料がないから、妄想癖持ってる研究家が蔓延んでおります(^_^;)
と、追加。
- 825 :
- ヘッケツ君ががんばっているage
- 826 :
- どうでもいいが、書き込みから碧血碑関係者以外の何物でも無いと思うけど、なんでそこまd
あさくらに執念深いのか気になるな。
- 827 :
- 素人くささじゃどっちもどっちだけど
よりバカだとおもうのはあさくらかな
キモヲタ臭プンプン
- 828 :
- こちらに書き込んでいるあさくらガーと叫ぶ碧血碑関係者はどうでもいいが
ようするに自分で著書を出せなくで悔しいから2ちゃんで書き込んで
ウサをハラしているだけか。
黒子のバスケ事件のような事をしでかさないでくれ。
他の碧血碑関係者に迷惑だかさ。
もっとも、その碧血碑会員をyahoo!知恵袋で罵ったり
他のスレで「あいつは間違っている」と
書き込んでいるのはバレバレだけに笑えるよ。
- 829 :
- ここは、あさくらのアンチスレでも
へっけつ君の独り言スレでもないので
夢スレあたりに自分でスレでも立てて吐き出せよ
いちいち全レスしてきてキモくて書き込みも出来ねぇよ!
- 830 :
- 大方、あさくらって奴に肘鉄喰らったんだろ。
本当にキモいな。バモイドオキ神でもあがめているのかよ。
- 831 :
- >>828
>黒子のバスケ事件のような事をしでかさないでくれ。
この譬えで何方か丸分かりですよ。頭隠して尻隠さずですね。
>>829
おやおや、私が来るまでは半年近くも放置されていた過疎スレではないですか。
急に盛り上がると今まで熱心に書き込んでいた振りをされますねえ。
- 832 :
- >>828
>もっとも、その碧血碑会員をyahoo!知恵袋で罵ったり
>他のスレで「あいつは間違っている」と
>書き込んでいるのはバレバレだけに笑えるよ。
ここあたり、自己申告も同然でしょう。お疲れ様でした。
- 833 :
- へっけつ君プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━!!!!!!
- 834 :
- 本当にキモヲタだな、へっけつ君とやら。
諸橋のようにループレスに陥るなよ。
ところで、あさくらとやらに執念深いのはMなのか。
- 835 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 836 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 837 :
- おやおや、相変わらずのお得意の叩きですか。
- 838 :
- というか、個人叩きなら自分でブログ発信でやったら?へっけつ君。
完全なスレ違いだし、粘着するからキモがられるんだよ。
君以外の全ての人のお願い。
- 839 :
- しかし面白いのは碧血碑に憎悪を燃やしておられる方等少数に過ぎないのに、その一員だと認定してこられる方が多い、ということです。
これは特定の人々が書き込んでいるからに間違いないでしょう。
対してあさくら氏などは谷右京を共同通信で拡散されたわけですから、批判が起こるのも自然のように思えますけどねえ。
川崎尚之助も、実は結構怪しげなとこはあったりしますわな。
- 840 :
- >>838
新選組ネタはでありますし、その研究者ネタでありますし、このスレの流れを踏襲させて頂いただけです。
このスレを最初から読み返しなさい。
- 841 :
- へっけつ君すごいデンパだな
- 842 :
- 以下の方には流石に負けますけどねえ。
340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/18(木) 09:55:36.08 ID:Ei/QZqpi0.net
諸さん、今こちらのスレだけど
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1313935210/
新選組研究グループで有名な碧血碑関係者で、菊池明からも疎んじられた
奴が一生懸命暴れているよ。
どうも碧血碑会員と揉めて菊池の元で本を出せなくなった関係から
本を出す奴をかたっぱしから吊し上げているので大笑い。
過去に奴は諸さんを罵ったことがあるけど、なんだか諸さん以下のレベル
でしか語れなくてツマンネ奴みたいだわ。
まあ、監察だけして書き込むのは止めた方が良いね。
- 843 :
- というか、へっけつ君って諸恥以下という事が証明されているじゃん。
- 844 :
- これも張らないと片手落ち。
333 名前:諸橋 嘉久 :2015/06/18(木) 10:34:56.63 ID:N2ogT7il0
碧血碑と言う事は、榎本武揚を過大評価して居る白痴
白刃を翳して「退く兵は斬る!」と叫んで督戦して居た土方歳三
土方歳三は味方である筈の蝦夷共和国軍兵に背後から、狙撃されて死亡した。
降参を許さない土方歳三を榎本武揚が配下の兵に暗殺を命じたのである。
通説の通りに土方歳三が騎馬で敵に向かって突撃したのならば、スナイドル銃の餌食にされて、落馬して首級を挙げられてしまう筈だ。
榎本武揚は江戸で開陽丸に大砲を増設させて、江差沖で座礁・沈没の原因を増やした白痴
成る程、白痴へっけつ君という訳だ。
- 845 :
- >>823
>山村氏を糞尿糞尿と呼んでいたあたりを見てみるに見かねてという訳ですよ。
ttp://www.tbs.co.jp/program/history_20080216.html
見るに見かねてもなにも
ただの事実じゃないの?
- 846 :
- おやおや、やはり相変わらずの人々ですねえ。だいたい碧血碑と言われて某同人を連想する人など数知れてますよ。
それに対してこのアンチ連のヒートアップぶりを見れば、お寒い実情が分かるというものでしょう。
>>845
それをしつこく蒸し返しておられる方がいるわけでしてねえ。
- 847 :
- なぜか知りませんが2chの方は昔から会津嫌い連が屯してるようで、見れば分かるとおりそういう連中が事実を覆い隠しているような感じはありますわな。
伊藤氏の批判が書かれてもスルーだったのに、あさくら氏の批判を書くとやたらと突っかかられるところから見ても、一部の派閥の人々が書き込んでいるのが丸分かりでした。
- 848 :
- >>847
だから伊藤氏が嫌いなわけでもあさくら氏が好きでもないの
ここにいるみんな
あ ん た が キ モ い の
いいかげん
理解してくれよ・・・
- 849 :
- それでは次回は「近藤勇の処刑指令者が岩村精一郎」という根拠なきデマを完全論破するというところからはじめさせて頂きましょうか。期待して下さいね。
これは横倉日記の単純な誤読から起因しているものでしてね。
- 850 :
- 後は意図的に岩村を貶めるために作られた根も葉もない話なのです。
- 851 :
- へっけつ君があさくらゆうという奴に「中だし」されたことは
理解しました。
か わ い そ う に
- 852 :
- 【京都】祇園祭・宵山恒例の新選組パレード中止、四条通の歩道拡幅工事に伴う渋滞で [15/06/16]・2ch.sc
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1434436081/
- 853 :
- 今日沖田総司忌か
現地は雨なのかな
- 854 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 855 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 856 :
- さて、先ずは岩村指令者説を主張される方が、有利になりそうな資料から提示していきましょうか。
一つずつ取り上げていき、反証を行うという方法です。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110005943572
に翻刻されている「岩村高俊自伝草稿」(87頁)よりの引用となります。
「総州流山ニ於テ賊魁近藤勇ヲ捕ヱ、土藩上田楠次板橋ノ本営ニ護送ス(近藤ハ幕府新徴組ノ隊長、曾テ京都ニアリ正義ノ士ヲ害ス已ニ我カ坂本・中岡等彼レガ為ニ死セリ)
之ノ首ヲ刎シ京師ニ送リ三条河原ニ梟ス」
まるでここだけを読むと、岩村が坂本・中岡暗殺を根に持ち、近藤を処刑したかのように見えてしまいます。
しかしよく考えますと、近藤の首を京都に送ったのは北島秀朝だということ事実ですし、三条河原に梟首した際に、岩村が関わっていない事もまた明白です。
上田楠次の行動も書かれているわけですし、これが東山道軍全体の行動を記したものであり、岩村個人の履歴を書いた物ではないことが理解できます。
ところでこの自伝草稿、他にも興味深い記述があります。1頁戻って頂いて、近藤処刑の約二ヶ月前に行われた赤報隊相楽総三の処刑の際の記述です。
「相楽惣藏ナル者官軍先鋒隊ト僞称シ掠奪ヲ事トス。軍監ヲ出シ暴徒ヲ捕フ、惣藏其他巨魁ノ者ヲ斬リ、其餘ヲ放ツ」
同じく監察であった、原保太郎の談話「原保太郎君口演速記録」には面白い記述があります。
(http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html 以降特記がない限り、同データーべース収録の史料を使用します)
「ところが相楽の隊と云ふものはどういう訳でありましたか、あとから丁度岩村……其頃精一郎と云ひました、それがあとから来て、
処分をしまして、相楽の隊の重立った者は大抵あすこで斬首したと云ふことであります。それは私共が別れて後のことでございます」
という風に、相楽総三処刑指令者が岩村であったかのように述べられている。こんな話は聞きません。大体相楽が岩村だけの独断で処刑されたというのが怪しいところであります。
「東山道総督府日記」にも、はっきりと総督府の命令で下諏訪に於いて相楽等を処刑したとありますし、原の談話は後年のもの考えられ、責任を他者にかぶせている節も見えますので、岩村指令者説は随分と怪しい、といわねばなりません。
- 857 :
- それではお待ちかねの「横倉喜三次日記」(仮称)の読み込みからスタートします。
引用はもちろん岩村指令者説を唱えておられる方の「慶応四年新撰組近藤勇始末」153頁から行いましょう(笑)
「同二十五日正午頃、板橋宿ヨリ平松氏日根野氏より
急使矢野和助、早追ニ而到着ス。右者御預りニ
相成居候、大久保大和守御吟味之上、家来両人共ニ死
罪被仰付之間、拙者ニ太刀取可致御沙汰ニ付為迎
相越候ト申。依而此段、大監察北(岩)村精一郎殿江
申上候處、即刻御印鑑并御書付御下ヶ致し相成ル」
さて、これを現代日本語訳致しますと、以下になるでしょうか。
「同二十五日の正午頃、板橋から平松日根野両氏の急ぎの使いとして、
矢野和助が早追いで到着した。話を聞くと、お預かりとなっていた大久保大和守が、
家来の二人ともに死罪を命じられ、私に太刀取りをするようにという御沙汰なので迎えのためやってきたということらしい。
なのでこのことを大監察の岩村精一郎様へ話したところ、直ぐ様印鑑と書類を下しになった」
一読すれば理解して頂けるかと思いますが、当時横倉は江戸の鳥取藩邸にいます。基礎的なところとなりますが、
「因州上邸へ御轉陣」(東山道総督府日記)
「夜ニ入、因州邸へ御着陣ニ相成ル。依而中の御門并大番所固メ被仰付。御殿内大広間三間ニ宿泊ス」(横倉喜三次日記)
そして、岩村精一郎もまた横倉と同じ場所にいる事もよく分かるかと思います。
対して、同じ岡田家臣の平松外史郎・日根野順平の両人は板橋におり、まだ、この時鳥取藩邸に来てはいません。行ったのは使いの矢野和助です。
それをあさくら氏は加筆訂正を行ったはずの「新選組を探る」251頁では、
「總督府より命を受けた日根野は、さっそく介錯人を即断即決で横倉喜三次を指名した。さっそく日根野は家中の平松外吏郎を連れ板橋を発った。
横倉のいる鳥取藩邸に着いたのは正午頃だった」などと書いてしまっています。
勿論、これは誤読です。些細な、といわれるかも知れませんが、あさくら氏は更に誤読を積み重ねて、「岩村精一郎近藤勇処刑指令説」を作り出しました。
- 858 :
- これも詳しい方ならばお分かりでしょうが、日付を再確認致しますと、4月24日、総督府は本陣を鳥取藩邸に移動、翌25日に近藤勇は処刑されます。
単純な話として、鳥取藩邸にいる岩村精一郎が板橋の近藤勇の処刑を指示出来るはずもありません。携帯電話やメールで命令した、とでも仰りたいのでしょうか(笑)
またあさくら氏は「探る」249頁で近藤勇の処遇のための会議があったなどと書かれますが、これは出典不明です。恐らく推測を事実であるかのように表現したのだと思われますが、
実際のところ、何日に近藤勇の処刑が決定されたのは不明です。またあさくら氏はその会議のあった日も場所も暈かされていますが、24日〜25日には岩村は鳥取藩邸にいた訳ですから、
参加できるのはそれより前でなければなりません。
ここで横倉日記を再確認してみましょう。
「私に太刀取りをするようにという御沙汰なので迎えのためやってきたということらしい。
なのでこのことを大監察の岩村精一郎様へ話したところ」
~~~~~~~~~~~~~~~~
横倉は、近藤勇の斬首の太刀取をするために、任務を離れることになった。それを岩村精一郎に告げたところ、外出の許可が降りた。
お分かりでしょう、つまり、岩村精一郎は近藤勇処刑の指令者ではないのですよ。
また岩村の総督府内での身分変遷は書記(東山道総督府監察方記録 明治元年)→監察並応接係(岩村高俊自伝草稿等)→4月25日付けで監軍として信州松代に派遣(東山道総督府日記)です。
(参考)「百官履歴 下巻」 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874653/71
大監察と書いてしまったのは横倉の筆のミスでしょう。中堅ではありますが、指示を出せる身分ではなく、使い走りのような任務が多い事は「総督府日記」からもよく読みとれます。
第一処刑日には総督府を離れているので、責任者とも言い難い。この後歴史に名高い小千谷の会談があるので、「あの岩村が」と色眼鏡で見られやすい、という訳です。
- 859 :
- という訳で、あさくら氏は自分に都合の良い誤読・曲解を行っていることが丸分かりです。そしてそのことは「探る」を読んだだけでは分からず、わざわざ絶版の「近藤勇始末」まで購入し、
原文まで確認しなければならない。こんなことは私のような物好きでもなければやらないでしょう。結果として多くの方にとっては史料隠し、大和屋であれほど某人物の方が批判しておられたはずの部分引用に等しいと思われます。
ところで、岩村は近藤勇処刑命令者ではない。だとしたらそれは誰なのでしょうか?
勿論、推測の域を出ませんが、もしかしたらという人物ならば、提示する事が出来ます。
また、処刑が決定した日は本当に24、25日頃で間違いないのでしょうか?
次回からはそこを論じていきましょう。
- 860 :
- 付記しておけば鳥取藩邸の総督府から板橋から命令がいって、そこから横倉の元に太刀取りの依頼が行ったのだなどという反論があれば、それはナンセンス極まりないと言っておきましょう。
同じ鳥取藩邸にいるのですから、岡田家の他の家来を介して横倉に伝達すれば良いだけです。わざわざ板橋から早追いで伝令する必要などありません。
ところで、この日の正午頃、誰がどこにいたのかを抑えるのは重要です。しかし、全てを答えてくれる史料がある訳ではないです。
主要登場人物で分かるのは、
鳥取藩邸にいた人物
横倉喜三次
岩村精一郎
移動した人物
矢野和助
板橋にいた人物
北島千太郎
日根野順平
平松外史郎
脇田頼三
この辺りですね。史料には書かれていない人物を推測する必要があります。
- 861 :
- 鳥取藩邸とは丸の内の上屋敷ですか?
- 862 :
- >>861
そうですね。一応原史料を引用しておきますと、川越藩の「松井康英家記」4月21日の条には、
「大名小路因州邸へ見分として会計方小監察其餘三藩申合罷越候」とあり、丸の内の大名小路の上屋敷と確認できます。
地図で確認して頂ければ分かります通り、板橋と丸の内は馬で行ってもそれなりの距離になります
つまり、岩村指令者説はトンデモな説となるわけです。
- 863 :
- 「岩村精一郎 近藤勇」などと予測検索が出てしまうぐらい、この説は人口に膾炙してしまっていました。
その根拠とされている横倉日記の読み込みが足りなかったがために、まともに批判される事すらなく、史実であるかのようになってしまいました。
ただ日記に名前が出ていたから、岩村を指令者に仕立て上げたという訳でしょうねえ。これを見ても、まだ「手堅い」等と仰る方はでてくるのでしょうか。
- 864 :
- 後、あさくら氏は「近藤勇始末」118頁で、
「この前日(四月二十四日)、東山道軍は東北方面への進軍準備を進めるため、本体を板橋より忍方面に移す準備を行っていた。
そのため、当初は蕨に進軍する予定だったが急遽事情が変わり、江戸城近隣である丸の内の因州邸へ移転した。理由は不明だ」
などとしれっと書いていますが、本当でしょうか。ちなみに「探る」ではもっとアバウトな表現となっております。何れも出典ははっきりしません。
「松井康英家記」(念のため書いて置きますが、上記データーベース収録となります)を参照している中で気付いたのですが、
四月二十日の条で総督府執事達が引用されておりまして、もう既に「不日因州上邸へ御轉陣ニ付」とあり、準備を進めています。急遽変更説は間違いだといわねばなりますまい。
これは重要なところです。次回にも繋がりますが、近藤勇の処刑日の問題と深く関係してくるからです。
兎に角、どこを叩いても埃が出ますね。今までこれが放置されてきたのが不思議でなりません。とんでもないですよ。
- 865 :
- 処刑日ではなく処刑決定日、でした。
- 866 :
- 捕捉ですが、なお想定される反論のために岩村精一郎が近藤勇の処刑指令者ではない、という事を全方位的に否定しましょう。
考えられる反論としては、岩村は横倉に処刑指令書を渡し、だから近藤が処刑されたのだ、というものです。
はてさて、それはどうでしょうか?
「近藤勇始末」153〜154頁より引用です。
「同人(石原甚五郎)并和助同道、早追ニ而、仕置之場所、同所江戸ヨリ之入口字一里塚ト申處へ到着ス」
というように丸の内から直ぐ様横倉は宮里一里塚の刑場へ到着しております。
これ、不思議だと思いませんか? 横倉に指令書を渡したのだとすると、まず板橋の本陣へ行く筈です。その上で下知が行われ、処刑の準備が行われなければならないでしょう。
仮にも軍隊で上官からの指令なしで動くことはあり得ないですよねえ。
近藤はといえば「黒羽二重ノ紋付羽織ヲ着し坐す」とありますから横倉の到着時点で既に刑場にいました。
更に「検使監察方脇田頼三」とある通り、その時点で、処刑とその後検使が行われることが決定していました。
岩村が横倉に処刑の指令を出したとすれば、おかしな話です。なぜならこの時点で、板橋本陣は岩村が横倉に文書を渡したことを知りようがないからです。
あさくら氏は岩村か横倉が携帯かメールで、本陣に指令を伝えたとでも仰りたいのでしょうか。
つまり岩村の出した指令書というのは、横倉の離隊に関するものだったと解釈するべきです。
横倉は非常に頭のいい人です。重要な情報は全て文章の内に表現されております。それを読み解くのが歴史家の努めである筈です。
今の感覚で情報が直ぐ相手に伝わると読み、その文章が書かれた時点の状況を考慮しない。こういうことを「歴史哲学がない」というのですよ。
- 867 :
- >岩村精一郎が近藤勇の処刑指令者ではない、という事を全方位的に否定しましょう。
全方位的に証明しましょう、の誤りでしたね。意味が逆になってしまいます(笑)
しかし、この事実ではないと断言できるトンデモな説が、史実のように受け容れられ、聞くところによりますと、芝居にもなってしまったそうですから、
とんでもないと言えるでしょう。しかもこれは新人物系ではなく「実証を追求する」人々が真に受け、流布してきた説でもありました。
確かに今までの話は、マイナー隊士の話とは言えるでしょう。しかし今回は新選組局長、一番のトップの死に関わる、重大な誤謬でした。
特に岩村精一郎を悪辣な存在に仕立て上げていたのは、こういう人々にとっては許し難いことではないでしょうかねええ。
大和屋事件を事実だと言い張る人々を批判する人々が、今後これを批判するかが見ものなところですね。
「近藤勇始末」は近藤隼雄の同姓同名人物のコジツケから始まり、岩村精一郎に対しての悪意からの根拠ないデタラメ説で終わる著書な訳ですが、
そこに到るまでもいちいち検証してみますと、埃はまだまだで出て来そうです。
「歴史のなかの」新選組本だなどと過大評価がされている実情は今後どんどんと変えていきますよ。
ここで書いたことはフリーなので、それこそ碧血碑の皆さん方なりなんなりと著作等で使って頂いても構わないですよ(笑)
- 868 :
- >大和屋事件を事実
「大和屋事件壬生浪士犯行説」を事実、と正確にいっておきましょうかねえ(笑)
- 869 :
- >>866
>宮里一里塚
「平尾一里塚」の誤りであったと謹んで訂正致しましょう。
間違いを正さないで、言い張ったままでいると、後々大変な事になりますからね。
詫びとして、あさくら氏の例の本の原史料誤読で甚だしいものを紹介しましょう。
「近藤勇」153頁の横倉日記となります。
「石原甚五郎儀打首等有之候ハバ、太刀取致度ニ而、
兼々願ニ付、幸ひ此度三級も有候之事。壱級太刀取致
し候而者如何哉ト申聞候ハバ、願度由ニ付」
と来て>>866の「同人并和助同道」に繋がります。これはまあ、訳せば以下の通りになるでしょうか。
「石原甚五郎が打ち首等があれば、かねてより太刀取りをしたく思っていたところ、
幸い今回は三人も死罪になるという事なので、その内の一人の太刀取をしてはどうだろうか、
と(人に)言われ、参加したいらしいので」
石原は横倉と矢野和助に同道したという意味です。
これがあさくら氏の文章ではまったく違う意味に化けてしまっているのです。
「近藤勇始末」124頁
「同じ家中の石原甚五郎が是非、大久保の太刀取りを譲っていただきたいと願ったにも関わらず、横倉が断った」
「新選組を探る」252頁
「実際に介錯役が決まった折、同家中の石原甚五郎に介錯役を譲って欲しい旨懇願されたが横倉は断っている」
お分かりでしょうか。石原は三人の死罪があるので、その内の一人の太刀取りをしたいといったのであって、近藤の介錯を譲ってくれ、
とはいっていません。まあ、結果として残りの二人は赦免されたので石原の出る幕はなかったでしょうが、あさくら氏は書かれていないことを読み取っています。横倉は「断って」などいません。
そしてそれは単なるミスではなく、横倉が他人の手よりも自分の手で近藤の介錯を果たしたいと願ったという、ドラマチックなストーリー作りのためであり、
意図的な誤読と呼べるものでしょう。さらに非情に命令を下した岩村という話を更に補強していることになります。
更に同道した石原の存在も文章の中では完全に無視されています。これはもう小説に近い改変と言えますが、生憎小説家ならもっとうまくやりますよね。
- 870 :
- 横倉日記はどこで読めるの?
- 871 :
- >>870
揖斐川歴史民俗資料館で原蔵しています。翻刻ならば複数の本で行われているようで、
私は著者批判のために敢えて著者の本(「慶応四年近藤勇始末」)から引くという手法を用いましたが、後々指摘しますように翻字に怪しい箇所があったりします。
直ぐにでも書店で手に取れるものだと、「新選組日誌 下」(新人物文庫)をご覧になられるのが早いと思います。
ただし、岩村精一郎の記述の箇所はありません。
菊地明氏が省略したのだと思われますが、全体の流れから言ってもさしたる部分ではないので、正解だと思われます。
- 872 :
- あと原題がそもそもないようなので、「横倉日記」というのはあさくら一派の呼称であり、一般的には「横倉喜三次(の)覚書」のタイトルで流通しているようですな。
- 873 :
- >>871
トンクス
古文書ちょっと読めるから原本にあたりたいんだ
問い合わせしてみるよ
一番知りたいのはあの清綱の菖蒲作り長脇差を選んだ経緯なんだが
天覧に供されてること考えると本人の差料だったのかね
- 874 :
- 記事がおもしろいのでageておこう。
どうでもいいけど、歴史に詳しい千葉の某商工会副会長に問い合わせをしたら
微妙な笑いで対応しておもしろい話をして戴けました。
- 875 :
- あと、総司忌にも参加した際に。このカテの話をすると
スタッフの人が「申し訳ありませんが、2ちゃんねるの話題は避けて
頂けますか」と注意されました。
「別に間違えたことは描いていませんよ、あのスレは」
と述べると
「迷惑しているのです!」
とピシャリ!
何故でしょうか?
内容に齟齬はないのに?
- 876 :
- とりあえず、今度大出氏に逢うことになっていますので、
このカテをプリントアウトしてお見せします。
これだけの記事を2ちゃんで埋もれ差すのはもったいないですから。
- 877 :
- >>876 同意
- 878 :
- 「近藤勇始末」51〜55頁、金子家文書の「甲州客十人」を佐藤彦五郎らだと断定した箇所など大分怪しいです。ググると、これもなぜかニュースにしていたようですね。
訪れたという記録はあるようですが、二次史料であり、時期的な面で外れがある可能性があるとも考えられるわけです。
「探る」ではばっさりとカットされていますね。
胡散臭いことこの上ないです。
- 879 :
- >はズレがある、でしたね。
「大久保隊の構成は旧新撰組の大久保派と、近藤隼雄率いる歩兵隊とで構成されている」同書67頁
「大久保は近藤隼雄の歩兵隊に命じ、飛地山にも大砲を据えた」同書85頁
そもそも近藤隼雄が歩兵隊を率いる旗本であったという説からして完全な創作なのですから、これらの記述は信用出来ません。
これらの出典となっている金子家文書等を都合よく意味を読みかえて使用している可能性が高いという事です。
わざわざそれらを再確認しないと、読者は事実であるように勘違いしてしまう危険性があります。
- 880 :
- >>878
いやはや、これに関しても、「今昔備忘録」まで確認する必要が出て来ましたね。
前後の文脈や、「欄外」とされている箇所が本当に彦五郎が近藤土方に刀を渡した数日後を差しているのか、分からない部分が多いです。
どちらにしても「甲州客」を彦五郎達だと断定するのはおかしいと言えましょうな。
まあ、削除したことが全てを物語っているとは思えますが……。
- 881 :
- 『慶応四年新撰組隊士伝』あさくらゆう著 土方54頁おかしい。
市村のも変だ。安富の墓を見つけたのは、安富家の人。
- 882 :
- >>881
その本他にもおかしいところありましたか。これは総当たり式に見ていくしかなさそうですね。
安富に関しても本当に間違ったことを書いていないのか、検証する必要性は出て来ました。
- 883 :
- >>882 『新選組を探る』だと全ての項目にわたり誤りが確認できます。
- 884 :
- >>883
確かに「探る」は居ながらにしても、かなり間違っている事が分かる本ですからねえ。
この本の書き手が、今まで相手側にばかり非があると主張する口振りが上手かったので、また書きぶりがごちゃごちゃとマニアックで情報量が多く、参考文献を書いているようで、実はどこを使っているのか分からないという有様だったので、
多くの人がそれを批判する事なく、見過ごされてきた状態が続いていました。
あれだけ、間違いだ、間違いだと他の歴史家を批判してきた歴声さんも、利害からか横倉や佐藤彦五郎来訪の怪しさに関しては全くスルーしておられるようです。
岡山の方々とかも完全に言うがままですね。
- 885 :
- >>884 「探る」も読者に漏らしたくない参考&引用文献を書いていません。「探る」が誤りの固まりでしたが何故か放置が続いています。
以下、岡山のーーからのコピペ。
一度は「安富姓の墓石群」を発見しましたが、残念な結果に終わりました。
しかしその安富家の方が今回「岡山新選組準備会」の代表に成られた「安富誠」さんでした。
あさくらゆうさんと共に、安富誠さんをお訪ねしたのは、平成20年の5月29日の事でした。
それからもあさくらさんと2人で、また安富さんとの3人でと、ローラー作戦の墓探しと平行しての資料調べにと、時が経過していた7月8日に、安富誠さんの親戚の方が、才助の墓を発見したとの一報が入り、7月13日に成って三人で現地に出向いて確認致しました。「
・・・・・
墓石が見つかっても文字が読めなかった。何故に才助のと断定したのでしょう。川崎尚之助と同じように本当は無縁なのか、否か。
- 886 :
- 松浦氏、宮地氏はそれ自体は確かにそれなりに実はある仕事を行われたわけではあるのですが、ここで批判の対象になっている人物はなぜかそれの継承者であるようなしぐさを取りはじめ、
松浦・宮地両氏の新選組ファンの(一部の)層での過度な神格化に乗っかって、この御仁までがそれに類する仕事をしていると錯覚させたという側面は大きいところですねえ。
実際は以上見た通りのものです。間違った箇所を上げようと思えば、枚挙の暇はないぐらいですよ。
- 887 :
- >>886
それにしてもこの岡山の〜氏は、しつこく何度も安富の件を蒸し返されますな。
安富才助の場合、近藤隼雄のように、同姓同名の別人ではないのか、
足守の出身だとして、死因が書かれた史料がある訳でもなし、阿部十郎の江戸での暗殺説を否定できるのか、というところには焦点がありましょうな。
墓があるからといって、埋墓であるとは限らないわけですし。
西村兼文もこれまた宮地氏の批判以来えらく評価を落とされていますが、万代さんが紹介されましたが、
伊藤浪之介の処刑(国立公文書館内閣文庫 京都府史料「政治部 刑賞類1」)など裏付けがとれるものもある。
元より史料館もインターネットもなかった時代に調査を行い、あれだけの物を書いた西村の功績は大きいです。西村にも遥かに及ばない、ここで取り上げた人物に批判される筋合いは一切ないでしょうね。
横倉喜三次の日記誤読の件は兎に角広く知らしめらるべきですな。
- 888 :
- インターネットをちょっと使えるぐらいの連中が西村の悪口を言っているのを見ると、多少は不快な気分にはなるものです。
書かれた時代を考慮して差し引くと、西村の記述は奇跡的と言えるほど正確なものが多いです。
そういえば某鴉の方は西村の記述を参照して大和屋事件を書く事を批判されていましたが、
当人はといえば「近藤勇始末」の丸写しで、「岩村精一郎近藤勇処刑指令者」説を唱えておられました。
実体はと言えば、前者の犯人は不明です。後者は日記の誤読から来ているので、完全にありえません。一部の西村への不当な批判が間違いであることは明瞭に分かります。
- 889 :
- >>887
訂正入れておきます。
西村は処刑と書いていますが、「政治部 刑賞類1」では伊藤は取調中病死となっています。
原典を読んで頂くのが一番早いかと思われますが、細かい部分は異なるものの、大体のアウトラインは事実に添っていることが分かります。
当時のインフラでここまで書けたのは凄い事だと思われますね。
- 890 :
- >当人はその研究会にいて宮地・松浦が「常識的におかしい」と批判したのが
>ムカついているけど、結局は妬み嫉み僻みがにじみ出ていて大笑い。
との発言が書かれていましたけれども、あさくら氏の「探る」330頁では、
「今回の本で常に念頭に置いたのは「常識を踏襲しているか」ということだ」などと発言されています。
おやおや、不思議な偶然があるものですねえ。「常識」で言うならば、あさくら氏の説は毎度「常識」はずれで突飛な訳ですがねえ。
これなども宮地松浦の継承者=あさくら、などという図式があるからな訳です。
- 891 :
- この土方かっこよすぎ
https://twitter.com/PARLIAMENT100sh?s=09
- 892 :
- 【歴史】池田屋事件「階段落ち」は創作 幕末の転機、真相に迫る [転載禁止]・2ch.sc
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1436357486/
- 893 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 894 :
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 895 :
- 相変わらずあさくら氏は他人の批判ばかりなようですなあ。
- 896 :
- きょぅゎしんせんぐみけんてぃだったょぉ〜
- 897 :
- そのあさくらって人
芹沢鴨の出身についても間違いがあるらしい
色々発見があって芹沢村出身説自体が否定されてるようだ
- 898 :
- 東日本大震災の影響もあるんだけど
今全国各地で郷土史や古文書がブームなんだよ
あと、放置土蔵を持ってる旧家とかからも
けっこう新史料が発見されたり
史料批判のひとつもできないようなああいう素人は淘汰されてくだろうな
- 899 :
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13146781318
おやおや、この「gosunboushiさん」なる方もあさくら氏を引き合いに出し、批判しているようでは、新選組検定を笑えませんよ。
どこからみても2chの方のようですが、こちらで出ている意見はなぜか意図的にスルーなさるのですからねえ。
- 900 :
- 歴声さんも、あれだけ事実とは違う事を言ってるからあいつ等はおかしい的な言い草で相手側を批判されてきたにも関わらず、ここまであさくら氏に間違いが指摘されているのに、
それをなかったことにされているようですねえ。つまり、派閥闘争(碧血碑を中心とする層批判)を行われている訳であって、事実と違うからおかしいというのは槍玉に上げるための口実に過ぎない、という事が明瞭に理解されましょうな。
ところであさくら氏の間違い、創作、勘違いはこれからも続々と出て来そうな予感はありますよ。
- 901 :
- 保守
- 902 :
- かーめん かーめん かーめん かーめん
かーめん かーめん かーめん かーめん
かーめん かーめん かーめん かーめん
かーめん かーめん かーめん かーめん
かーめん かーめん かーめん かーめん
かーめん かーめん かーめん かーめん 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
- 903 :
- 副長が和宮様をめとりました
- 904 :
- 副長おめでとー
- 905 :
- 新選組局長芹沢鴨 芹沢村芹沢貞幹の三男でないことが新史料により判明
http://gaagle.jp/gagazine/print.php?kiji_id=5294 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:2744277f3f7991ba9e7b8de54bfbc04f)
- 906 :
- >>903
>>904
ババア消えろ
ここは大河スレじゃねえ
あんな馬鹿馬鹿しい新選組創作大嫌いだ
- 907 :
- >>906
わりと好きだったけど
- 908 :
- >>907
主役がやる気のない作品なんてよく好きになれたな
- 909 :
- おやおや歴声さん、ここで批判はまるで無視して都合の良い話に作り変えていますねえ。
伊藤哲也氏の事を指していっているのでしょう。名前を出さずとも推定はできますからねえええええ。
ncocb @ncocb 24 分24 分前
ほー>恩給関係文書からは、斎藤がトキヲと結婚した年月日も新たに判明した。一般的にトキヲとは再婚だったと認識されているが、最初の婚姻だった可能性が高い。
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大塚@歴声庵 @tukaohtsu 20分20分前
@ncocb きっと、この発表を受けて、今まで再婚説を唱えていた人からの反発が始まり、明日から新選組研究の界隈は大荒れになりそうです(^^;)
4:55 - 2015年9月5日 · 詳細
会話を非表示
0件のリツイート 0件のお気に入り
ncocb @ncocb 15 分15 分前
@tukaohtsu いや、僕も斗南藩だかで初婚して、その後トキオという人と再婚した、という話をそのまま真に受けていたので意外でした。
反論しそうな人って誰ですかね?菊池某さんとかかな?
0件のリツイート 0件のお気に入り
大塚@歴声庵 @tukaohtsu 5 分5 分前
@ncocb ここで個人名を出すと、また匿名掲示板で叩かれるので、ご容赦下さい。個人的には、反論と言うより、自分達の利権を守る為のバッシング。
そして、自分では本を出せない人物が、他人が新説を出して評価される事に対して、嫉妬で粘着すると書いた方が正しいのかもしれません。
- 910 :
- 本を出している人物の他人への嫉妬から批判というのであれば菊池氏等に対するこの方の発言などが真っ先に上げられますからねえ。
その問題は見事にスルーしておられる訳です。
- 911 :
- そもそも事実かそうではないかという話をしていたはずが、いつの間にか嫉妬云々の問題に置き換えられているんですなあ。
- 912 :
- 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 913 :
- 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 914 :
- >>910
おっと、「本を出していない人物」でしたね。
少なくとも私がこのスレでやったのは史料を読んで批判する、という単純な事にしか過ぎないのですが。
今回の史料もまあそれ自体としては良い物でしょう。しかし、再婚説否定の絶対的根拠としては薄い気も致します。
そこまで当時の戸籍は完璧なものではありませんし。
ところであの写真が使用されていますが、あれは所有者の許可は下りているのでしょうか。これは伊藤哲也さんにお聞きしたいですね。
- 915 :
- ここまだ書けます?
沖田総司の恋人だった医者の娘って
近藤勇の養子近藤周平の許嫁、岩田コウでは?
近藤周平って谷三兄弟の三男で
小説やドラマみたいに気弱ってわけじゃなかったみたいだし、若いけど剣の腕もそこそこだったようだし、ついでに顔も良かった
でも若い割に女癖と酒癖が悪過ぎた
岩田コウは大阪の裕福な医者の娘で
姉は谷三兄弟次男谷万太郎の妻になった岩田スエ
万太郎も美男な上に剣と槍が使え、しかし女癖と酒癖が悪くコウの姉スエは苦労していた
明治後、万太郎の女癖酒癖に我慢出来なくなったスエはとうとう万太郎と離婚
そんな姉の姿を見ていたコウは万太郎に似ていた周平(千三郎)と結婚するのを嫌がり、沖田に逆プロポーズしたんだけど沖田は師匠の養子の許嫁(夫婦養子みたいな形でコウも養女になっていた)を自分の嫁にするわけにいかなかったので慌てて断る、コウ自害を図る、幸い助かる
言い伝えだとコウはその後裕福な商人の家に近藤の口利きで嫁いだとなってるけど、本当は自害して死んでしまったんじゃ?公縁寺の沖田氏縁者は岩田コウでは?
周平と一緒に近藤の養女になった時は文久3年数え13歳位でしたか
周平が近藤の養子から離縁となったのも結局いくら近藤が注意してもだらしない女癖酒癖が治らなかったからだとも聞きますが
因みに谷三十郎は大酒はしたが真面目で謙虚だったと聞きます
粛清されたのは嘘で、大酒の上での事故死か急病死ですよね
- 916 :
- 沖田が「医者の娘」に関して「あの娘は可哀想な事をした」と近藤勇の2番目の養子になった近藤勇平の前で涙をこぼしていたという話は子母澤寛の新撰組三部作の中での話ですが、近藤勇平に対する聞き書きなので、これは創作の疑いは薄いですよね
近藤勇の妻、つねも「周平さんも女の事がなければあんな事にならなかったのに」と言っていたそうですが「あんな事」とは離縁の事ですよね
因みに維新直後周平は東京に来てつねと勇平の元を訪ねてますね
その時既に女連れだったそうですが
かなりの美男だったと勇平が証言しています
また谷三兄弟が板倉家から暇を出されたのは次男万太郎の女性問題だと聞いています
- 917 :
- >>914 このように書かれているぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/veu00076/57126613.html
- 918 :
- やはり原本所有者は許可していないようですなあ。
>>869
ですが、「由」を「伝え聞いた事情。間接的に聞き知ったこと」ではなく、 「物事の内容。事の趣旨。むね」と解釈するならば、
「その内の一人の太刀取をしてはどうだろうか、と聞くと、参加したいらしいので」
という意味になり、主語は横倉になるでしょうね。多分こちらの解釈が正しいのでは無いかと思いますが、そうだとすると、
「実際に介錯役が決まった折、同家中の石原甚五郎に介錯役を譲って欲しい旨懇願されたが横倉は断っている」というのは完全に事実と相反する記述になりましょうな。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/227493/m0u/
- 919 :
- 土方歳三と違い、谷万太郎は写真を見ても美男とは全く思えないんだが。
現在と当時と美男子の基準が違うけど、それでも美男とは思えん。
- 920 :
- 大塚@歴声庵 @tukaohtsu 10月18日
@moritorixx 横から申し訳ありません。I 氏の発言は、I 氏が「遺族がそう言っている」と言っているだけに過ぎず、実際に藤田氏が、どのような発言をしているかを確認された方が良いかと思います。
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総子 @moritorixx 10月18日
@tukaohtsu しっかりと確認せずに発言してしまい失礼いたしました。削除させていただきます。
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大塚@歴声庵
@tukaohtsu
@moritorixx こちらこそ出過ぎた発言を失礼いたしました。正直、この辺が新選組研究の面倒臭いところですね。
良くも悪くも、昔から活動している研究家が、新規参入を嫌っている節があります。ですから研究家経由ではなく、史資料の原本に当たる必要性が、他の時代よりも強いと思います。
1:35 - 2015年10月18日
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総子 @moritorixx 10月18日
@tukaohtsu おっしゃる通りかと思います。一つの事実に対して様々な見解がありその中から与えられる情報を鵜呑みにするのは良くないですね。
また何かありましたらご指摘頂けると幸いです。ありがとうございました。
- 921 :
- おやおや、この方は十年一日同じ事を繰り返していますねえ。「史料批判」などと言えば一端にまともなことを言っているように見えるような風潮は笑うべきです。
事実この方がちゃんとそれをしているのを見たことがありません。
戊辰役時の宇田栗園を「元歌人」とか書いていました。彼が和歌を作り始めたのは晩年の明治期のことであって、その当時の肩書きは医者か漢詩人でしょう。
「他の方」とはあさくら氏のことなのでしょうが、最近この方には史料提示の不備、読みの間違え等の指摘が出ていることを見事にスルーしておられますね。
都合の悪いことは語らないという訳なのでしょう。伊藤氏も少なくとも会津図書館の京都合戦記などに付いては出典は明記して居られたはずですが。
大塚@歴声庵 @tukaohtsu 2 時間2 時間前
他の方も言っていますが、「私にしか見る事が許されない史料」などと言う、史料批判をされていない物には、史料としての価値が無いと言う自明の事を、何故か一部の新選組研究家は理解出来ないみたいなのですよね。困ったものです(汗)
5件のリツイート 3件のお気に入り
大塚@歴声庵 @tukaohtsu 2 時間2 時間前
ちなみに先程のやり取りは、斉藤一(藤田五郎)の画像についてです。どうも一部の新選組研究家は、自分の既得権益を守ろうとして、資史料の囲い込み(他の人が見られないように)したがるのが嫌なんですよね〜。
- 922 :
- 歴声さんが面白いのは御自身が写真の原本所蔵者も知らず、また複製写真を所持しておられる御子孫の意向も知らないにも拘わらず、
伊藤氏の発言だから信じられないと言う方向に持っていこうとしていることです。
更に重要なのは、歴声さんが複製写真を新聞や著書に引用した当人でもないということです。にも関わらず擁護する訳です。
これは立派な派閥が形成されている、という証左でありましょうなあ。
- 923 :
- 大塚@歴声庵 @tukaohtsu 22分前
それを踏まえて書きますが、資料を独占したいと言う矮小な功名心により、多くの研究家に役立ててもらおうと、資料を広く公開しようとしている子孫の方々に、嫌がらせをするような、恥知らずで卑劣な行為はやめなさい。
大塚@歴声庵 @tukaohtsu 23分前
勝ち誇っておる所を申し訳ありませんが、本家の方達とは挨拶済みですし、本家が分家から許可を得て公開しているのも聞いています。そして何より、本家の方々から貴方の所業についても聞いているのですよ。ついでに言うと、このやり取りもご承知です。
- 924 :
- これを事実としましても、片一方の意見だけのようですねえ。
本家の方々は上で出ている研究者と仲がいいと聞きます。それゆえにその研究者は自分と対立している伊藤氏のことを否定的に伝える当たり前でしょう。
一つの見解だけからしかみないのは歴史家らしくありませんね、歴声さん。
- 925 :
- あいつは悪い評判の人物だ、子孫の方も皆怒っています的な風な話に持っていくのが件の研究者は得意ですからねえ。
それに歴声さんも人に信じて貰いたいならば具体的に書きなさい。雲を掴む様な話を信じるお人好しはそういないですよ。
- 926 :
- この辺りいかにもなといった感じですねえ。もう11年前でしょうそれも。最近は目を見張るような研究は出て来ていません。
こういったいい方をしていれば無難という風潮が蔓延ってしまったのは批判しておく必要があるようですね。
大塚@歴声庵 @tukaohtsu 17分前
@naishimasahiko あと、何よりこれまで新選組の存在を無視気味だった、大学研究サイドが新選組研究に乗り出した事により、それまで感情重視だった新選組研究が、正常化した面もあると思います。詳しくは今度お会いした時にでも、とてもネットでは書けない事もあります(^^;)
大塚@歴声庵 @tukaohtsu 19分前
@naishimasahiko 飲み会にはいつでもお誘い下さい(^^;) ただ、カラオケは少し苦手かも(^^;)
冗談はさておき、憎しみの旗振り役の面も多少はあった、新人物往来社(歴史読本)が倒れた事により、少しずつ情勢は動いているのかもしれません。
会話を表示
- 927 :
- 歴声さんの発言ですが、これに関しては転載は控えておきましょう。権利関係はややこしいですからね。
しかし、どちらにしろ口だけの話では決着が付かないというのは確かでしょうな。
- 928 :
- まあ少なくともこの問題に関しては伊藤氏が文責をもって公表される予定らしいので、
その際歴声さんはスルーせず、しっかり読んだ上で反論する責任が生じたことになりますね。
- 929 :
- この人はアマチュアのなかでは頑張っている人だと思うけどな。
- 930 :
- 書体研究
- 931 :
- てっしーが長官だと
近藤さん達は毎日が胃痛だな
- 932 :
- 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 933 :
- 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 934 :
- 新撰組のファンスレ探してるんですがここでいいんですか?
- 935 :
- せやで
- 936 :
- >>915
亀レスだけど、自分も近藤周平の許嫁が医師の娘岩田コウというのが事実なら
>>915-916の説もあり得るかなと思う
そんなに続けて医師の娘と知り合い色恋沙汰になるか?同一人物なのでは?という気もするし
近藤の養女なら近藤家の恥でもあるから、「沖田縁者」として俗名を伏せたのも理解できる
まあ何かしらの新資料が出てくる事を願う
- 937 :
- ちょい訂正
×そんなに続けて医師の娘と知り合い色恋沙汰になるか?同一人物なのでは?という気もするし
これは、近藤勇五郎が沖田が医者の娘と恋仲になったが、近藤に諭されて手を切った。という人物と、
沖田に振られて自害未遂した近藤の養女(が医師の娘岩田コウと考えた場合)が別人物だとすると
沖田は医師の娘2人と続けて色恋沙汰を起こしてしまったという事になり、少し不自然かなと思う
新選組局長の養女が、新選組幹部と色恋沙汰の果てに自害となれば身内の恥なので
岩田コウは他家に嫁に行かせたという事にしてひっそり弔った可能性はないのかな?
それと、沖田氏縁者を弔った酒井意誠は大阪の人のようだが
大坂出身の岩田コウが沖田氏縁者なら、岩田氏つながりで何らかの関係があってもおかしくはないかもしれないなと。
- 938 :
- 歴声さんは面白いですねえ。
最新の研究で芹沢鴨が有栖川宮に仕官しにいった云々と仰っていますが、それは既に二年前の話です。
最新の研究ではあさくら氏の芹沢鴨説、有栖川宮の件も含めて、殆ど否定されそうな勢いのことはご存知でしたでしょうか?
以下のコメント欄で面白いことが書かれていますよ。念のために言っておきますが書かれたのは私ではありません。
ttp://chishikizatsugaku.com/?p=1081
- 939 :
- それにしても、ここまで創作に満ちた芹沢鴨像を某市が大々的に喧伝していたとは驚きましたねえ。
これはもう芹沢鴨の生まれがどこかという話以前の問題でして、そもそも最初から過去帖の字すらまともに読む事ができなかったのですから本家の方々にも失礼な話です。
件の御仁の古文書解読能力に疑問符を持っておりましたが、やはり正しかったようですね。
これに関しては歴声さんはスルーされるでしょうねえ。横倉日記誤読の件などこの方のお好きな戊辰戦争期の話ですのに、何故か無視を決め込んでおられましたな。
都合の悪い情報はなぜか不思議と無視され、あさくら氏研究は素晴らしいという話だけが出回るのですから妙な話です。もっとも最近は少しばかり状況が変わってきたようですがね。
- 940 :
- それよりも件の御仁の芹沢鴨像に集中的に批判が行われている現状を察知して、敢えて一昔前の「芹沢鴨の最新説」を持ち上げられた可能性もありますな。
戦略好き策士気取りである歴声さんがいかにもやりそうな話です。いやはや。
- 941 :
- こういうのもある
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=1HJUlwbTLrsJ&p=%E7%84%A1%E4%BA%8C%E7%84%A1%E4%B8%89+%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89&u=traverser.blog.com%2F31%2F
- 942 :
- 問題が指摘されてるのが一件や二件どころではないのが大変ですな。
弘法も筆の誤りはある、多少の誤りならば誰でもします。ところが件の御仁といえば他人の筆の誤り(菊地明氏、伊東成郎氏、山村竜也氏、伊藤哲也氏、宮川禎一氏、霊山歴史館)にはすぐに文句を付ける癖に、自分が指摘されてもそれを認めないのです。
しかし信者連は件の御仁が行った批判の指摘ばかりをネットで広め、件の御仁の間違いについては不思議なくらい無視をしてきました。問い詰められると自分は研究者じゃない、素人だとくるのですよ、こう言う輩は。
それならば件の御仁の批判を鵜呑みにするのもお止めなさい。笑止千万とはこの事ですな。
- 943 :
- 共同通信も伊藤氏の見解を配信するようになったようですね。これまで一方に偏っていた訳ですから、目出度いことです。
http://this.kiji.is/46136600887115780
- 944 :
- >>633の御仁(恐らく誰かは分かりますが)も涙目でしょうなあ。何度も張っておきましょう。
>つか、共同通信にコネを持っている時点で只者ではないと思うのが普通だと思うぞ。
>つか、共同通信にコネを持っている時点で只者ではないと思うのが普通だと思うぞ。
>つか、共同通信にコネを持っている時点で只者ではないと思うのが普通だと思うぞ。
- 945 :
- ちょっと無理があると思う点
・正式な許嫁がいるのに、表面上は無関係な沖田の「縁者」として葬るか?
・姉が離縁できたんなら妹も破談にできたのでは?
・もし結婚前に自殺してたとしたら遺骸は
実家の裕福な医者のほうに引き取られたのでは?
沖田氏縁者については戒名の格が思いのほか高めなので、
内縁関係くらいの存在だったと思ってるけど
- 946 :
- >>945
「蒼き戦士新選組」という本ご存知ですか?
ちょっとは参考になると思いますよ
- 947 :
- >>946
ぐぐったけど表紙とタイトルがキモくてちょっと遠慮したい
- 948 :
- 沖田は堅気の娘から後家、子供が居たなんて話まであってバリエーションが豊富だな
刃傷沙汰まで起こす子もいてなかなか私生活も激しそうだね
しかし、ただ片思いしてて求婚を断られたからっていきなり自Rるかなあ
もうちょっと立ち入った事情があるような気もする
火のない所に煙は立たぬということで、元気なころは人並かそれ以上には遊んでいたんでないか
残ってる逸話から判断すると、原田の方が身持ちが固いような気もするしw
あまり遊郭にはいかなかったようだという話や、清童なんて記録もあるけど
医学者の記録なんであくまで性病に感染していなかった位に考えた方がいいのかなと
- 949 :
- >>947
確かに表紙はあれですが、「沖田氏縁者」についての史料が載ってる唯一の本ですよ。
- 950 :
- http://chishikizatsugaku.com/?p=1081
あさくら氏の芹沢鴨論が全面的に批判されているようですねえ。しかも具体的なものばかりです。
千葉さなの件であればあれ程威勢良く宮川氏を批判したあさくら氏も、この件については表向き一切沈黙を貫かれているようです。
2013年末、「新選組を探る」を出された頃、暫くして不自然なほどこの本が画期的なものであり、松浦玲、宮地正人両氏に連なる画期的な研究であると賞賛するものでした。
そしてその評は驚くほど芹沢鴨の事に偏重していました。新選組のイデオローグ芹沢鴨の云々というものでありました。ところが今になってこの本がそれほど注目されていないことからもよくわかるように、定着することはありませんでした。
定着したのは芹沢鴨がそれほど悪くない的な程度でしたな。それもそのはず、あさくら氏のいう「壬生浪士」と「新選組」には画期がある、等という説を裏付ける史料は皆無なのですからね。イデオローグ云々を証明するものも勿論ありません。つまり空想を語っていたのですね。
そしてその出身地、他の細々とした件を怪しむ声も増えていきました。
それに対してこの時にあさくら氏を持ち上げた方も具体的な反論はされてないようですね。
歴声さんも一切黙りです。
- 951 :
- >暫くして不自然なほどこの本が画期的なものであり、松浦玲、宮地正人両氏に連なる画期的な研究であると賞賛する声が溢れかえりました。
と訂正しましょう。
ともあれ過去帳の文字の読み違えを行い、それ自体はまあいいとしても、それを芹沢鴨と同一人物だと断定した件はもうちょっと知られるべきではないかと思われますな。
歴声さんにこの辺り聞いても自分は詳しくない、素人だといって黙りでしょうなあ。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
- 952 :
- それから谷右京、近藤隼雄、横倉喜三次日記の誤読の三点セットですな。今の状況であればこれらの件も再注目されることになりましょう。
- 953 :
- 新選組関係で「馬鹿」を批判したいと思っている馬鹿は先ず松浦氏、宮地氏の著書を持ち出すのですよ。
この二書は重要なものでしょう。そのことは何度も言っています。ところがこの二書辺りを笠に着て説教を垂れられる御仁連を批判すると、宮地松浦氏を批判したことになる。
勿論場合に応じては両氏の記述で不備なものがあれば指摘すれば良い訳ですが、それすらもこういう御仁連は許せないようですな。会津観光史学が許せないのは分かりました。
しかし行方観光史学は許せるのでせうか?
- 954 :
- このスレもそういう御仁連の荒らすままでしたが、横倉日記の指摘辺りから風向きが確実に変わって参りましたな。
芹沢の件もでましたし、件の御仁を担いでの会観批判は寧ろ不毛でしょう。
- 955 :
- しかし、現在の新選組研究は研究家、歴史家と称す名ばかりの民間愛好家による、小説から波及した解説本が「研究本」として流布している現状だ。
- 956 :
- 皆はひの新選組まつり参加した?
- 957 :
- そんなんあるんか
- 958 :
- 【社会】池田屋事件、近藤勇の第一声「御上意」か 会津松平家の資料・2ch.sc
http://daily.2ch.sc/newsplus/1466224250/
- 959 :
- 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3)
- 960 :
- 【新選組】原田泰造・松田悟志・栩原楽人【誠】 2
http://nhk.2ch.sc/test/read.cgi/nhkdrama/1276591984/
- 961 :
- 今更だがあの浅葱の羽織りって池田屋事件以降廃止されてたんだな…
どの創作があの羽織り=新撰組ってイメージを定着させたんだろ?
- 962 :
- へー!
廃止ってこたぁよほどの理由があったのでござるかね
- 963 :
- こさえて1年程度で着なくなったとは聞く
- 964 :
- 悪目立ちしたんじゃないか?
その後は真っ黒だし
- 965 :
- 「真っ黒」も手紙一つしか根拠ないからな?
- 966 :
- 斉藤一の新しい写真が出たと聞いて
- 967 :
- 斎藤さん凛々しいな
- 968 :
- 古いスポック写真(絵か)もパーツの一つ一つを見ると似てるのに
パーツを組み合わせてどうしてこんなに違うものになるのか不思議で仕方がない
- 969 :
- 【歴史】斎藤一の写真見つかる 53歳当時、新選組生き残り★3・2ch.sc
http://daily.2ch.sc/newsplus/1468579834/
- 970 :
- (´・ω・`)
- 971 :
- (~人~)
- 972 :
- 来週東京行くんだけど訪ねておくべき
資料館や史跡ってどこがありますか?
- 973 :
- >>961
あの羽織ってとりあえず作ったけどほとんど使われなかったって聞いた事ある
考えたらあんな目立つもの身に付けてたら任務に支障きたすだろうし
身に付けてたとしたら大名行列みたいに並んで市中を見廻りしてた時とかしか想像出来ない
- 974 :
- ○ 「第12回なめがた新選組まつり」「芹澤鴨・平間重助・お梅追善供養祭」 (茨城県行方市)
開催日: 9月18日(日)
※詳しくは「新選組!茨城玉造隊隊長のブログ」「まちづくり市民劇団●玉造座」HP、「新選組茨城玉造隊」facebookへ。
- 975 :
- ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。
- 976 :
- あげ
- 977 :
- 手代木長官がまんま某内務人民委員で笑た
- 978 :
- >>974
新選組局長芹沢鴨 芹沢村芹沢貞幹の三男でないことが新史料により判明
http://gaagle.jp/gagazine/print.php?kiji_id=5294 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:2744277f3f7991ba9e7b8de54bfbc04f)
- 979 :
- 斉藤一の目付きが怖いな
まさに近代の武将と言う感じ
- 980 :
- どれが一番古いのかわからんが、小説になる前の新選組や
吉川英治が小説にする前の宮本武蔵はどんなイメージだったんだろう
もしかして誰も知らない無名の存在だったんだろうか
- 981 :
- 最古の新撰組小説は、たしか明治の終わり(大正だっけ?)の頃に
内藤なんとかだっけか
- 982 :
- ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
- 983 :
- たぶん子母澤寛(本名:梅谷松太郎、旧姓:内籐松太郎)
の新選組始末記が一番古い
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%81%B8%E7%B5%84%E5%A7%8B%E6%9C%AB%E8%A8%98
- 984 :
- マジレスしておいてやると
明治の頃に粗製乱造された講談本
- 985 :
- 本当はキモメンだった沖田総司をイケメンにしちゃったと言われてるのは
子母澤寛(本名:梅谷松太郎、旧姓:内籐松太郎) ←こいつ?
- 986 :
- ヒラメ顔で目が離れてる、ってのは別にキモメンって意味じゃねえぞ
- 987 :
- 剣の稽古が厳しいとか激怒して隊士を引きずったとか
なんとなくヤンキー臭いイメージある
- 988 :
- なんとなくどころか明らかに江戸時代のヤンキー・DQN・ビーーバップハイスクール・クローズ・ワーストでしょ
現代のドラマや小説だとボクシング部とか空手部が巣窟だけど、昔は剣術や柔術の道場が溜まり場なだけ
つまるところCRSや関東連合の江戸時代版
CRSとか徘徊する地域も新撰組と同じだよね
- 989 :
- 北川景子みたいな美人でソツがない(結婚もしてコメントも割と知性を感じる風な)
感じの人は割と叩かれてたりするよね
沢尻みたいな美人だけど性格的に不器用で世渡りが下手なのとか
澤さん吉田さんみたいな実力者だけどルックスに難ありみたいな
隙がある人は持ち上げられてる印象
- 990 :
- 誤爆すまん
- 991 :
- うざい
- 992 :
- 誤爆すまん
- 993 :
- 最近「採れたて野菜の新撰組」のCMを見ないな
潰れたのかな?
- 994 :
- ググッたら全部LAWSONに変わったらしい
- 995 :
- 【埼玉】ナマズ料理でまちを元気に 「吉川に来て、ナマズ、ウナギ食わずなかれ」、近藤勇も舌鼓 [無断転載禁止]・2ch.sc
http://daily.2ch.sc/newsplus/1474209289/
- 996 :
- 歳
- 997 :
- >>986
>ヒラメ顔で目が離れてる、ってのは別にキモメンって意味じゃねえぞ
それじゅうぶんキモメンだろw
- 998 :
- >>997
「どっちかというと顔が平べったくて、目はよってない感じです」って意味だ
- 999 :2016/09/25
- 1000
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