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時々お外に出るひきこもり
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アルバイトしたいorしているヒッキー Part37
【1983年】昭和58年度生まれのヒッキー99
1989年(平成元年)生まれのヒッキー32
大人になるって?
一日中ベッドの上に横になってるひきこもり165年目

しくじり男 (´Д`) 自分史


1 :2019/11/01 〜 最終レス :2020/03/23
自分はなぜヒッキーになったのか?自分を見つめ直すためスレを立てました。
何か意見があれば遠慮せず書き込んで下さい

2 :
明日から俺の過去をさらけ出します

3 :
生まれついてのヒキコモリよ

4 :
そうですか。俺は親父が自営業やってたので親父の手伝いをしてた
親父が仕事を引退したら俺は仕事をせず引きこもりようになった

ところで何で自分史なんて書こうと思ったかと言うと
俺は腹を割って話せる人は誰もいなかったからだ
友人なんて居なかったしもちろん恋人も居なかった
親兄弟のも本心を話せなかった

俺はいつ死ぬか分からない
そんな時、俺のような人生を歩まないでほしい
しくじり先生の記録として後世に残したいと思ったからだ

5 :
俺は北国のド田舎で生まれた。家族は親父とお袋と爺さん婆さん、そして二つ上の姉だ
近くに同じような歳の男が居なかったので遊び相手は姉しか居なかった
親父は(確か)8人兄弟の長男なのでウチが本家ということになる

6 :
親父のきょうだいは(確か)8人と書いたが俺は親戚が来るたび部屋に隠れてた
本来なら挨拶するものらしいが両親はそんな俺を咎めなかった
俺が親戚が苦手だったのは多分お袋のせいではないかと思う
お袋は親父の兄弟の悪口ばかり言ってた。親父はそれに反論することもなかった

7 :
だから俺は親父のきょうだいの名前と顔がよく分からないし従弟もだ
お袋は3人きょうだいの長女だが人数が少ないので少しは分かる
こんな俺でも幼少期は普通の子供だった
従弟らと遊んだようだが俺には殆ど記憶がないのだ

8 :
長い

9 :
そうかいゴメンよ。次からは短くするから
ところで>>6お袋を悪く書いたが俺は誰も憎んでない
それだけは分かってもらいたい

10 :
実を言うと俺は6歳から下は全く記憶がない
何か衝撃的な出来事があって記憶が消されたのかもしれない

11 :
先月従姉の葬儀があった。葬儀会場で三人の従弟と話をしたのだが
俺の家で遊んだことを俺はまったく思い出せなかった
この頃が人生で一番楽しい時期だったはずなのにだ

12 :
俺は小学4〜5年生頃まではごく普通の少年だった
人と違うことと言えば汽車通学をしてたくらいだろうか

13 :
当時はJRではなく国鉄だった。今から30年前にその鉄道は廃線となった
それくらいの田舎だった。現在はそこから数キロ離れた集落で親父と二人で暮らしてる

14 :
俺はどういうわけか絵が得意だった
それ以外は普通だったのだが体育が苦手だった
遊び相手は姉しか居なかったので、そうなったのかもしれない

15 :
大人しい子供だったが小学4年生か5年生の社会の授業で
積極的に手を上げ解答したことを覚えている
なぜかこの時勉強が得意になってた。
この数年後、逆のパターンになり生涯苦しむとは夢にも思わなかった

16 :
ところで俺の初恋は3〜4年生の頃だったと思う
転校生のユミコちゃんだが、雰囲気は覚えてるが顔は忘れてしまった
なぜ忘れたかと言うと短い恋で終ったのとまた転校して行ったからだ

17 :
図書室で本を数冊借りた それを見たユミコちゃんは俺が賢いと思ったのか
「好き」と言って微笑んでくれた だが数日後残念な出来事があった

18 :
うがい用の黄色いコップが全員1個ずつあるのだが
ある日、間違えてユミコちゃんのコップでうがいしてしまった
するとユミコちゃんが来て「私のコップでうがいしなかった?」と聞いた
俺は「してないよ」とウソを言うと「あぁ、良かった」と言った
このリアクションに俺は熱が冷め彼女のことを何とも思わなくなった
その後いつの間にかユミコちゃんは転校していなくなっていた

19 :
ちなみに俺が初めて意識した女性は小学一年生の担任だった林先生だ
林先生はその日ミニスカートをはいて椅子に座り授業していた
真ん前の俺は林先生の足ばかりをずっと見ていた

20 :
その前に、大人の女の足は映画館で行われた実演興行でも観た
爺さんと婆さんを残し、数キロ離れた映画館まで家族4人でクルマで行った
あの頃は田舎でも劇団が巡業してくれた
時代劇や歌や漫才の他にラインダンスがあった
このラインダンスで初めて大人の女の足を見た
今の中高生は信じられないかもしれないが
膝上スカートをはく女は児童しか居なかった
それだけに初めて見る大人の女の足に俺は興奮した
だから林先生の足をずっとみていたのかもしれない

21 :
ここまでを<第1章>とします
ここまで読んだ人は非常に退屈だっただろう
しかし<第2章>からは共感できる内容になるはずだ

22 :
ネットは悪
絶対的に、顔を会わせて話さないと駄目
そうしないと、本心が伝われない

23 :
現実逃避を繰り返すのが、2ch・2ch
一番悲惨なのは、こんな場所で誹謗中傷を繰り返す人

24 :
元農水次官、長男殺害容疑で逮捕
ttps://www.jiji.com/jc/v7?id=201906nerima

25 :
>>22>>23>>24
呆れた人だ この自分史が完結してから判断して欲しかった
成功した人ならまだしも 底辺にいる人間がなぜ自分史を書くのか
その意味をなぜ分かってくれないのだろうか

26 :
当然俺は社会復帰を目指しています
どうか邪魔しないでください

27 :
´
   < 第2章 >
´

28 :
昨夜の書き込みは何だったんだろう?
酔っぱらって誰かのスレに書き込んだつもりだったのだろう
俺がうっかりしてsageずに書き込んだことが原因かもしれない
どっちみて誰も読んでくれないはずだから
ずっとsageて書き込むことにした

29 :
内観療法というのをご存じだろうか?
自分の過去を深く掘り下げることによって性格や価値観を変える心理療法だ

30 :
以前メンヘラ板の自殺を仄めかすスレに自分史を書いてはどうかと提案したことがある
すると反感をかってしまった

31 :
俺は中学入学から十年程前まで毎日自殺を考えてた
俺らに共通するのは自分嫌いと現実逃避だ
だから>>23が俺に対するメッセージではないことが分かる

32 :
話が脱線したが 今日から<第2章>を書くことにしよう

33 :
年齢知りたい

34 :
俺は58だよ
引きこもるようになってから15年以上経つかもしれない
親父の後を継いで工務店を営むつもりだったが
この性格なので親父の代で終わった

35 :
第2章は俺が普通と違ってきたことだ
それは二つ上の姉が中学に入学した頃と重なる
つまり俺が小学校5年生あたりから普通ではなくなった

36 :
前にも書いたとおり俺の遊び相手は姉しか居なかった
近所に同年代の男子がいない超のつく田舎だったからだ

37 :
俺が小学校5年のとき姉は内弁慶だと気付いた
家では男のように振る舞うのに外では借りてきた猫のように大人しい
母親もそんな感じだった

38 :
なぜ姉が内弁慶だと思ったかと言うと
姉と共に汽車通学していたからだ 駅の待合室で姉と会うことがあるのだが
家にいる姉とは別人のようだった

39 :
田舎の駅には駅員はおろか建物さえない
吹きっさらしのホームにベンチがあるだけだ
毎朝俺と姉はそこで汽車を待っていた

40 :
こんな田舎でも当時は通学に使うため小学生から高校生まで合わせて10人以上利用
していたと思う 汽車を待つまで唯一の同学年である男子とふざけあってた
彼の家はクマが出そうな山奥にあるし遠いので遊びに行ったことはない

41 :
それを姉は睨んで見ていた
学校から帰宅すると姉は母親に今朝の出来事を言いつけた
俺が恥ずかしい行動をしてたのかもしれない

42 :
姉は俺がしでかした事は何でも母親に言いつける人だった しかも盛って伝えるのだ
俺は口下手だったし姉は口が達者だったので言い返せなかった
今から思えば後から生まれた俺を親たちが可愛がるので嫉妬してたのだろう
待望の本家の長男と言うことで親からの愛情が俺に移ったを快く思わなかったのだろう
だが当時の俺はそのことを全く覚えてない

43 :
そんな状況なので姉が見てる前で同級生とふざけることが恥ずかしくなってしまった
元々俺は大人しい子供だったが小学5年生から輪をかけて大人しくなった
つまり姉と同じ内弁慶になってしまったのだ

44 :
お姉さんは優秀なの?

45 :
いや、普通だと思うよ
三流の短大に入学にしたけど病気のため一年で退学したよ

46 :
第一章に書くのを忘れたけど
家族は爺さん、婆さん、親父、お袋、姉と俺と書いたが
親父の一番下の弟、つまりおじさんも住んでいた
俺より確か9歳上だったが中学を卒業すると家を出て高等専門学校に行った

47 :
そのおじさんと遊んだ記憶は殆どない
夏休み等で帰省すると俺をオモチャのように扱い身体を押さえつけ
ズボンを下げられたことしか思い出せない だが明るい人だったので憎めない人だった

48 :
遊んだ、と言えば親父と遊んだのは一度しか記憶にない
親父は大工の棟梁で経営者のせいか家のことは全く関心がない人だった
だが近所付き合いや親戚付き合いは大切にする人だった
親父の兄弟が家に来たとき姪の遊び相手をよくしていた
それを見かねた、お袋が息子の俺とも遊んであげればと言うので
一度だけ親父と相撲を取ったことがある

49 :
爺さんについても書くのを忘れてた
爺さんは多くの蔵を持つ大金持ちだったが相場で失敗し多額の借金をした
それで債権者から逃れるため北国の山奥に逃げ そこで農業を始めた
だが農業は無知だったのでかなり貧乏だったらしい

50 :
不運は重なるものだ その後ケガをし長いあいだ寝たきりになった
俺が小学4〜5年生の頃に爺さんは亡くなったと思う
火葬場で爺さんが荼毘に付された時「あぁ〜」という呻き声を聞いた
このことは誰にも話したことがない 信じてもらえないと思うからだ
俺は心霊現象を体験したことがないが後にも先にもこれだけだ

51 :
話が遠回りしてしまったが…
俺は小学校5年生から輪をかけて大人しい少年になったが
今の小学生と違い いじめられたことはなかった

52 :
自分で言うのも何だが俺は可愛い少年だった 汽車通学をしていたと書いたが
先の駅で乗ってきた高校生のお姉さんの膝の上に よく載せられて可愛がられたものだ
それも姉にとっては面白くなかったのだろう

53 :
俺にとって女とは姉のように裏表あるものだ
俺は女に ちやほやされるものだと勘違いしてた
これが後の人生で間違いを犯すキッカケとなった

54 :
ちょっと今酔っ払ってるから後で返信しますね
ごめんなさいよ

55 :
>>54
返信は最初から期待してないから いつでもいいよ
俺は日課を設けてるんだが それが済んでから2chをやってる
だから俺も すぐ返信できないからね
自分に日課を設けないと酒浸り生活に陥ってしまう
だからそうしてるんだ

56 :
小学校と同じ集落にある中学校に入学した
小学校は木造だったが中学校は鉄筋コンクリートの建物だ
暖房は石炭ストーブからファンヒーターになった
トイレもボットンではなく水洗だ
しかし和式だ 当時は洋式は町内に無かったはずだ

57 :
そして学生服を来た 勿論ブレーザーなんて洒落たものではない
だが女子の制服は今から思えば悲惨だった

若い人には想像できないかもしれないが
上は紺色のブレーザーだが下は紺色のズボンである

58 :
当時の俺は女子の制服が変だと思わなかった

小学生からずっと汽車通学をしていたので女子高生はセーラー服
女子中学生はズボンの制服と認識してたので違和感がなかった

59 :
ちなみに俺たちが通う高校は汽車で30分かかる隣町にある
>>52に書いた女子高生は隣町から更に30分かけてやってくる
つまり彼女たちは片道1時間かけて高校に通ってるのだ
それくらい俺の生まれた町は田舎だということだ

60 :
ズボンを履いてる女子ばかりなので小学生時代と違い
女子に興味がなくなってしまった
だが一人だけ気になる女子が現れた
隣の集落から通ってくる高橋さんだ

61 :
男子3名女子4名が隣の小学校を卒業し
我が校に通学するようになった
高橋さんを除く3人はパッとしないのだが
彼女だけ都会の雰囲気がする人だった

62 :
ははん。

63 :
だが恋愛どころではない出来事がすぐ訪れた
生まれて初めて「死にたい」と思うことがあった

64 :
当時の同学年は40数名だったと思う
それを2クラスに分けてた
つまり20数名で1クラスなのだが更に4つの班に分けてた
俺の班は確か女子3名男子2名だったと思う

65 :
担任の提案なのか校長の提案なのか知らないが
授業中に手を上げさせ生徒に積極性と協調性を求めてたようだ
授業中先生が簡単な質問すると生徒全員挙手するように仕向けた
それを班ごとにカウントするのである
最下位になった班は放課後残され 班のメンバー同士で反省会をやらされるのだ

66 :
それでいつも足を引っ張るのは決まって俺だった
俺は恥ずかしくて挙手できなくなってたのだ
僅か2〜3年前の>>15では積極的に手を上げてた俺がだ
大人の2〜3年前はつい最近の出来事だが
子供の場合は相当昔であり 別人になることだってある

67 :
ダチョウ倶楽部のギャグで上島がつられて手を上げるのがあるが
俺の場合まるで金縛りにあったかのように手を上げらえなかった
席が一番前の列なら分かる だがそうではなかったように記憶している

68 :
また全体主義学校の被害者にゃん

69 :
>>68
読んでくれてありがとう

70 :
女子3名男子2名の班ということなので
男は俺と大人しい男子だけだった
もし彼ではなく不良っぽい男だったら違った展開になってたかもしれない

71 :
>>52に女子高生の膝の上に載せらたと書いたとおり
俺は自分が可愛い少年だと思い込んでた
実際女子全員から俺は○○ちゃんと呼ばれていた
他の男子は○○君か呼び捨てだ
一人だけ苗字一文字で○ちゃんと呼ばれている男子がいたが
俺だけ下の名前でちゃん付けで呼ばれてた

72 :
ところが同じ班の3名の女子は挙手しない俺を非難した
今から思えば俺は女子をなめてたし頑固だった
俺のせいで放課後残されてるのに「先生の質問が分からない」と言いわけをしていた
全員挙手するくらいだから先生は難しい質問をしているわけではないのにだ

73 :
だからもう一人の男子が「テメエいい加減にしろ!」と言ってくれたら
気の弱い俺もしぶしぶ挙手してたかもしれない
だがもう一人の男子は父親が小学校の教員をしている大人しい男だった

74 :
ショックだったのはお嬢様だと思ってた女子の発言だ
その人は廊下を歩いてた知り合いの2年生男子に
「ちょっと叩いてやってよ!」と言ったことだ
その男子は状況が掴めなかったので困った顔をして去った
今から思えばそれくらい俺に腹が立ってたのだろう

75 :
こんな放課後が三日くらいあったように思う
学校帰りはいつも「死にたい」と思いながらトボトボと歩いてた

朝は同じ駅から汽車通学する男子に「○○ちゃん、しゃべれよ」と何度も言われた
たぶん担任からそうするよう言われてたのだろう

76 :
彼とは同じ駅から通学する唯一の同級生だが
特別親しいわけではなかった 
彼は頭が良かった 後に同じ高校に通うようになるのだが生徒会長になっていた
その頃は俺をちゃん付けせずオマエと呼んでた。当然そうなるだろう

77 :
読んでいますよ

78 :
>>77
ありがとう。明日また書きます

79 :
>>69
俺の学校も全体主義教師が多くてさ
社会主義国家がやってるようなマスゲームじみた
行事をなんどもやらされてよ
それでそんなクソ行事に参加したくない俺みたいなやつは
徹底的にヤキを入れられてた。バブルの時代ってほら、
社会党が政権とってたでしょ?その影響もあって
社会主義的な全体主義だったから、本当に義務教育は嫌だった。
バブルで大騒ぎしてる大人も痛い連中だなって
子供心に思ってたよ。日本は本当にクソ

80 :
>>79
自分が失敗したせいで連帯責任取らされたのかい?
俺はそれがきっかけで自分が嫌いになったんだよ

81 :
その頃担任の先生はクラス全員と交換日記をしていた
俺に日記の後その担任は「河原で一緒に大声を出さないか」と書いてきた
この先生とは本音を語れないと思った

82 :
前にも書いたが2〜3年前は積極的に挙手する生徒だった
それが意固地に手を上げなくなったのだから
困った問題児だと担任は思ったことだろう

83 :
俺は姉の影響を受けて急に内弁慶になったのだが姉を憎んでなかった
悪いのは全て自分だと思ってた

俺がちょっと悪さをすると姉は血相を変えて母に言いつけた
明らかに盛っているのだが口下手な俺は言い返せなかった

84 :
そんな姉でも良いところがあった
母と姉もそうだが俺は何故か絵を描くのが得意だった
しかも三人の中で一番上手かった
俺が書いた絵を両親に見せては褒めてくれた
それと姉はクラシックギターを買って貰ったのだが
上手く弾けないので投げ出した
そこで俺が試しに弾いてみると独学で「禁じられた遊び」を弾けるようになった
姉は驚き両親に「○○は天才だ」と言って褒めてくれた

85 :
とにかく姉は良いことも悪いことも何でも母に告げ口する人だったので
学校で苦しんでることなんて相談できなかった
母は家事だけでなく親父の仕事の手伝いを時々していたし
親父とはほとんど口をきいたことがなかった

86 :
>>80
「なぜそれをするのか?」を説明できない教師の言うことは
一切聞きませんでした。鼓笛隊ってあったべ?これを
よく社会主義的な日教組じみた教師がやっててよ。これも
一切無視。メロディオンも笛も一切弾かない。だって
そんなのやりたくねえもの。そうしたら・・その後は
お分かりでしょ?俺はこんなクソが人の上に立ってる
クソ国家では生きられない、小学生のその時点ですでに
こうなる将来を予測してたよ

87 :
話しの書き方がおもしろい

88 :
>>86
当時の俺は将来の予測なんて考えなかった、というより考えたくなかった

89 :
俺の家は凄い田舎にあった。親父は個人事業主だった
何人も大工を雇ってたが中には荒くれ者もいた
長男の俺はこんな田舎で家を継ぐのが嫌だった

90 :
俺は都会に行きたかったが、それを言い出せない状況だった
だから将来のことなんて考えたくなかった

91 :
同級生たちは俺が金持ちの息子だと思ってたようだ
使用人が多く居たからだろう
現場は1〜2か所しかないのに運転手や事務員まで雇ってたので
手元に金が残らず食事はいつも質素なものだった

92 :
そんな状況も知らず同級生たちは俺を羨ましく思ってた
「金持ちの息子のくせに、みんなの足を引っ張りやがって」
そう思われてるんじゃないかと勝手に想像してた

93 :
みんなの足を引っ張ったのは中1の挙手の件だけではない

小学5〜6年生の時もあった
体育の授業でサッカーをやってたのだが近くにいる俺はボールを追わなかった
みんなに注目されながら走ってる姿が恥ずかしく思えたのだ
試合後一人の男子にこっぴどく叱られた思い出がある

94 :
それと運動会のリハーサルで男女2列で行進する練習があった
その時俺は先頭を歩かされたのだが先生が「左」と言ったのに俺は右に行ってしまった
隣の女子もつられて右に歩いてしまったのだ
そんなことが何度かあり「□□は困ったやつだな…それにしても暑いな」と先生は
汗をぬぐいながら言った 
後ろで同級生たちに「○○ちゃん何やってるんだよ〜」と言われてしまった

95 :
俺は上下の判断は分かるのだが咄嗟に「右、左」と言われると間違えてしまう
何故そうなってしまったのか自分でも分からない
その後の運動会の記憶がないので多分先頭を外されたのだろう

96 :
左右盲という症状では

97 :
その運動会の話分かる・・・・・
先の鼓笛隊の話もそうだけど、こういうのを
仕切ってるのがまた「嫌らしい優等生」でさ、
特に先公に絶対服従していい気になってる優等生女子な。
俺も散々このクズ先公と鬱陶しい優等生に
いびられたわ。よって貴方のように運動会の
予行演習(あの行進な。社会主義のマスゲームを気取ってるらしい)で
吊るし上げられたし、強制的にくだらない歌を歌わされる
合唱も、みんな大嫌いになった。

98 :
>>96
早速ググってみました。俺は場合ハシを持つ手、茶碗を持つ手と
頭の中で整理してから左右を確認してました

99 :
>>97
いつも読んでくれてありがとう。共感できる人がいて嬉しいよ

100 :
こんな俺でも中3までいじめられることがなかった
小学生の頃から不良のような奴はいたが仲間内で遊んでるだけで
弱い者いじめなどなかった。それと子供の自殺も聞いたことがなかった
自殺とは大人がやるものだと思い込んでた


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暗い おとなしい 元気がない 声が小さい3
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昼夜逆転して寂しい人の会話スレ1023
ダイエットするヒッキー Part3
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