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Viktor Ivanovich Belenko


1 :2016/09/05 〜 最終レス :2016/10/26
Виктор Иванович Беленко
前線拠点
Convair XB/B-36 Peacemaker [無断転載禁止]©2ch.sc
http://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/entrance2/1466520931/

函館が緊迫した国際情勢の舞台に立たされたあの日から40年も経ってしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=EIo9W-KRrjo
時の流れは早い
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Former_Soviet_Pilot_Viktor_Belenko%E2%80%99s_Military_Identity_Document.jpg

2 :
一体、彼はその時どんな心境で操縦桿を握っていたのだろうか。

3 :
https://www.youtube.com/watch?v=_aS0NCqttK8

https://www.youtube.com/watch?v=Zl_w54GmW2E
https://www.youtube.com/watch?v=N8_NEuWs-rM

4 :
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/15/Viktor_Belenko_Knee_Pad_Notebook.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/56/Air-to-air_right_side_view_of_a_Soviet_MiG-25_Foxbat_interceptor_aircraft.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f4/F-4EJ_%2813653569345%29.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/30/Hakodate_Airport_Hokkaido_Japan24n.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/99/USAF_Lockheed_C-5A_Galaxy_8024.jpg

5 :
F−35AライトニングU 
F−22Aラプター 
ラファールC 
Su−35フランカーE
サーブJAS39Aグリペン単座型 
F−15E 
F−16Cブロック50 
F/A−18E 
F−2A
MiG−29SファルクラムC 
F−CK−1A 
スホーイT−50 
ADAテジャス 
J−10 
J−20

6 :
瑞雲一一型 
瑞雲一二型 
流星一一型 
流星改一型

天空の城ラプタ 
F−14SEスーパークルーズステルストムキャット
UAV肉食無人歩行戦闘機ベロキラプター 
ロールプレイング戦闘機F−35FF13ライトニング 
グリペンNG 
格闘戦闘機ダッソーリオン・ラファール
JAS39HTTぐりペン 
デザイナーズ戦闘機F−22輪廻のラプタンジェ 
飛行隊戦車砲PaKFA(T−50)

7 :
イギリス第2軍
イギリス第8軍団 リチャード・オコナー中将
X第15歩兵師団スコティッシュ
X第43歩兵師団ウェセックス
X第53歩兵師団ウェルシュ
X第11機甲師団ブラック・ブル
X第4機甲旅団
X第31戦車旅団/第7王立戦車連隊C中隊 チャーチル歩兵戦車 サマセット軽歩兵連隊
イギリス第30軍団ジェラルド・バックナー中将
X第49歩兵師団ウェスト・ライディング
X第50歩兵師団ノーザンブリアン
X第7機甲師団デザート・ラッツ
イギリス第22層考慮団第4カウンティ・オブ・ロンドン・ヨーマンリー連隊第4大隊等
イギリス第1軍団ジョン・クロッカー中将
X第3歩兵師団アイアン
X第6空挺師団スタッフォードシャー
Xカナダ第3歩兵旅団

カナダ第2軍団ガイ・シモンズ中将
Xカナダ第2歩兵師団
Xカナダ第2機甲師団

イギリス
X第6空挺師団ペガサス
X第51歩兵師団ハイランド
X近衛機甲師団ザ・カーズ

8 :
ドイツ西方総軍 ギュンター・フォン・クルーゲ元帥
B軍集団 ギュンター・フォン・クルーゲ元帥兼任
――第7軍パウル・ハウザー大将
――西方装甲集団レオ・ガイル・フォン・シュヴェッペンブルク大将
―――第84軍団エーリッヒ・マルクス大将
――――第716歩兵師団
――――第352歩兵師団
―――第1SS装甲軍団ヨーゼフ・ゼップ・ディートリッヒ大尉
――――第1SS装甲師団「ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー」/第12SS戦車連隊 パンター中戦車 第101SS重戦車大隊第1中隊・第2中隊 第102SS重戦車大隊 W号戦車E型 ティーガーT重戦車 
――――第12SS装甲師団「ヒトラー・ユーゲント」
――――第21機甲師団 第125装甲敵弾兵連隊 ハンス・フォン・ルック大佐
――――装甲教導師団
――――第272歩兵師団
―――第2SS装甲軍団ヴィルヘルム・ビットリッヒ中将
――――第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」 パンター78両 W号戦車54両 突撃砲42両
――――第9SS装甲師団「ホーエンシュタウフェン」 
――――第10SS装甲師団「フルンツベルク」
――――第277歩兵師団
―――第47装甲軍団ハンス・フォン・フンク大将
――――第2装甲師団
――――第276歩兵師団
――――第326歩兵師団
―――第81軍団アドルフ・クンツェン大将
――――第711歩兵師団
――――第346歩兵師団
―――第86軍団ハンス・フォン・オブストフェルダー大将
――――空軍第16野戦師団
――――(第711歩兵師団) 第64高射砲連隊第2大体 8.8cm高射砲中隊4門
――――(第346歩兵師団)

9 :
ベレンコ中尉亡命事件
移動先: 案内、 検索

ベレンコ中尉亡命事件
ベレンコ中尉が亡命に使ったMiG-25P(同型機)
http://cdn-www.airliners.net/photos/airliners/5/3/8/2233835.jpg?v=v20
場所 北海道函館空港
日付 1976年(昭和51年)9月6日
概要 領空侵犯 強行着陸 亡命事件
犯人 ヴィクトル・ベレンコ
動機 亡命
対処 北海道警察が現場を封鎖し、ベレンコの身柄を確保。
ベレンコ中尉亡命事件(ベレンコちゅういぼうめいじけん)は、冷戦時代の1976年9月6日、ソビエト連邦軍現役将校ヴィクトル・ベレンコが、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で日本の函館市に着陸し、亡命を求めた事件である。ミグ25事件とも呼ばれる。

10 :
目次 [非表示]
1 経緯
1.1 ミグ25の本土侵入
1.2 強行着陸
1.3 警察と自衛隊間の混乱
1.4 アメリカへの亡命
1.5 自衛隊の非常態勢
1.6 亡命理由
2 事件の影響
3 亡命後のベレンコ
4 関連作品
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク

11 :
経緯[編集]

ミグ25の本土侵入[編集]

航空自衛隊のF-4EJ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ac/F-4EJ_(344_%26_321)_of_302_Sqn_fly_over_Misawa_Air_Base_during_Cope_North_exercise,_-30_Nov._1978_a.jpg
1976年9月6日、ソ連防空軍所属のMiG-25戦闘機数機が、ソ連極東沿海地方のウラジオストクから約300km北東にあるチュグエフカ基地から訓練目的で離陸。
そのうちのヴィクトル・ベレンコ防空軍中尉が操縦する1機が演習空域に向かう途中で突如コースを外れ急激に飛行高度を下げた。

これを日本のレーダーが午後1時10分頃に捉え、領空侵犯の恐れがあるとして急遽航空自衛隊千歳基地のF-4EJが午後1時20分頃にスクランブル発進した。

空自は、地上のレーダーと空中のF-4EJの双方で日本へ向かってくるMiG-25を捜索した。しかし、地上のレーダーサイトのレーダーは航空機の超低空飛行には対応できず[1]、
また、F-4EJのレーダーは地表面におけるレーダー波の反射による擾乱に弱く、低空目標を探す能力(ルックダウン能力)が低かった。

F-4戦闘機に付与されたルックダウン能力は、実用に供された戦闘機においては史上初めての試みであり、当時の先進国で一般的に運用されていた戦闘機の技術的な限界であった。
それを上回るルックダウン能力を備えるF-14/F-15は当時の最新鋭機であり、開発したアメリカでも実戦配備が開始された直後であったため、日本の空自における運用はまだ不可能な状態であった。

12 :
強行着陸[編集]

函館空港
http://www.airports-worldwide.com/img/w/hakodate-airport-01.jpg

そのためMiG-25は、航空自衛隊から発見されないまま北海道の函館空港に接近、市街上空を3度旋回したあと午後1時50分頃に滑走路に強行着陸した。
このとき着地点を誤って滑走路の中程寄りに接地したために、ドラッグ・シュートを使用したにもかかわらずオーバーランし、前輪をパンクさせて滑走路先の草地にあるILSローカライザーアンテナの手前で停止した。
燃料の残りはほぼ限界に近いほどに減っていたという。

着陸時の一部始終は空港敷地内で工事をしていた現場監督が撮影していた。監督は撮影しながら機体に近づいたが、ベレンコ中尉が銃を取り出して空に向けて発砲したため危険を感じてフィルムを差し出した。
のちにベレンコ中尉は、抵抗の意思がないことを示すためだったと証言している。また、当時学生だった航空機ファンの地元民が低空で飛ぶソ連機に気づき、
授業を抜け出し滑走路のフェンスを潜り抜け近づいたのが最初の接触だとの証言もある(その際も空中への威嚇発砲を受けたとのこと)。

13 :
警察と自衛隊間の混乱[編集]

なお、MiG-25の着陸後に空港の航空管制官が自衛隊にミグの着陸を通報したものの警察に電話するように言われ、
警察に電話したところ今度は自衛隊に連絡するように言われてしまう。これを受けて航空管制官がとにかく早く来るように警察に伝えたところ、
着陸から20分が経過した午後2時10分頃にようやく北海道警察の警官隊が到着した。その後函館空港周辺は、北海道警察によって完全封鎖された。

「領空侵犯は防衛に関わる事項であるが、日本国内の空港に着陸した場合は警察の管轄に移る」という主張から警察によって封鎖された現場から、
陸上自衛隊員は管轄権を盾に締め出された[2]。

14 :
アメリカへの亡命[編集]

6日当日の北海道警察による任意取り調べに、ベレンコ中尉はアメリカ合衆国への亡命を要望し、
併せて「当初千歳空港を目指したが、千歳空港の周辺は曇っていたため断念し函館空港に着陸した」と供述した。

ソ連側は当日中にベレンコとの面会と身柄・機体の早期引き渡しを要求したが、翌7日に身柄は東京に移送され、
8日にはアメリカが亡命受け入れを通告。防衛庁の事情聴収を経て、9日にはソ連大使館員がベレンコに面会し、
意志確認をするとともに翻意を促したが果たせず、9日中にベレンコは羽田空港からアメリカに向かい出国する。
10日には法務省から防衛庁に機体の管轄が移される。

15 :
自衛隊の非常態勢[編集]

時代背景的には、米ソデタント崩壊の直前という時期にあたる。緊張は緩和されていたとはいえ、予断を許していたわけではない。
また、ソ連軍(特殊部隊など)が「機体を取り返しに来る」や「機密保全のため破壊しに来る」との噂が広まり、
函館に駐屯する北部方面隊第11師団隷下の第28普通科連隊は作戦準備にかかった。

実際に、函館駐屯地で開催予定だった駐屯地祭りの展示用として用意されていた
61式戦車、35mm2連装高射機関砲 L-90が基地内に搬入され、ソ連軍来襲時には戦車を先頭に完全武装の陸上自衛隊員200人が函館空港に突入、防衛戦闘を行う準備がされていた。

その時国籍不明機が3機西から来て、高射砲部隊は曳光弾を発射して迎撃準備をした。不明機を視認し発射しようとする時「友軍機」という連絡が入り、発射されなかった。
国籍不明機は航空自衛隊の輸送機であった。発射命令は文民指導部から全く許可を受けないで行われたため、教訓をまとめた文書は全部廃棄された[3][4]。

海上自衛隊は大湊地方隊を主力に3隻を日本海側、2隻を太平洋側に配置して警戒に当たり、函館基地隊の掃海艇は函館港一帯の警戒、余市防備隊の魚雷艇は函館空港付近の警備に当たった。
同時に大湊基地のヘリコプターは常時津軽海峡上空で警戒飛行に当たり、上空にはF-4EJが24時間哨戒飛行を実施した。

16 :
ロッキードC-5
http://cdn-www.airliners.net/photos/airliners/8/4/8/1265848.jpg?v=v40

この際、海上自衛隊の竜飛警備所内に、陸上自衛隊東北方面隊の対戦車隊が集結し、64式対戦車誘導弾と60式106ミリ無反動砲を用意して、
ソ連艦艇が強行侵入した場合の迎撃担当として待機していた。

実際にソビエト連邦外務省からは機体の即時返還要求があり、当時の最大野党でソ連から資金提供を含む様々な支援を受けていた日本社会党もこれに同調したが、
アメリカ軍は航空自衛隊の協力のもとで、9月24日に外交慣例上認められている機体検査のためにMiG-25を分解し、
アメリカ空軍のロッキードC-5Aギャラクシー大型輸送機に搭載して百里基地(茨城県)に移送した。機体には「函館の皆さんさようなら、大変ご迷惑をかけました」と書かれた横断幕が掲げてあった。

移送の際には、ソ連軍による撃墜の可能性を考慮して、空自のF-4EJ戦闘機が函館から百里まで護衛に当たっている。機体検査の後、11月15日に機体はソ連に返還された。
事件終結後、日本国政府は対処に当たった陸自に対して、同事件に関する記録を全て破棄するよう指示したが、これに対し当時の陸上幕僚長三好秀男は自らの辞意をもって抗議した。

17 :
事件の影響[編集]

この事件はパイロットの亡命要求であることが幸いしたが、仮に攻撃目的の場合でも、同様に航空自衛隊の防空網を突破されてしまう危険が露呈した。
このため、日本のレーダー網の脆弱性が批判され、日本の防衛能力は必要最低限にすら達していないという声が上がった。この事件を契機に日本における防衛論議の流れに変化が生じ、
それまでは予算が認められなかった早期警戒機E-2Cの購入もなされた。

一方のソビエト側は、レーダーサイトが敵機、味方機を識別するЯСС(Я - свой)暗号を変更せざるを得なかった。
また、当事件の調査のためチュグエフカ空軍基地を訪れた委員会は、現地の生活条件の劣悪さに驚愕し、直ちに5階建ての官舎、学校、幼稚園などを建設することが決定された。
この事件は、極東地域を始めとする国境部の空軍基地に駐屯しているパイロットの待遇改善の契機ともなった。

また、この事件によって低高度侵入の有効性と、ルックダウン能力の低い戦闘機の問題点が浮き彫りにされてしまったため、当のMiG-25自身を時代遅れにしてしまうという皮肉な結果を招いた。
MiG-25は高高度・高速侵入する敵機の迎撃が主目的で、低高度侵入する敵機への対処能力は空自のF-4EJよりさらに劣るからである[5]。後にソ連は、大幅に改良したMiG-31戦闘機を開発する事になる。

アメリカは、これまでMiG-25を超高速戦闘機として恐れており、それを意識する形もあってかF-15を開発していた。しかし、実際にはMiG-25はそれほどの脅威と呼ぶに値しなかった。
特にそれまで耐熱用のチタニウム合金製と考えられていた機体が、実はステンレス鋼板にすぎなかったこと、真空管などを多用した電子機器が当時の水準としては著しく時代遅れなことに驚愕し、対ソ連軍事戦略にも大きな影響を及ぼした。
しかし「真空管を使うのは時代遅れ」との説、「MiG-25をアメリカが脅威視していた」という説には異論もある。(詳しくはMiG-25を参照)

プラモデルメーカーの長谷川製作所は、折りしもMiG-25の1/72キットを販売した直後だったが、この事件以降売り上げが爆発的に増加した。
このため、数年後に他のメーカーがガンプラなどのキャラクター商品に集中していた時期も、長谷川製作所だけが従来の軍用機シリーズの販売に傾倒していた[6]。

18 :
亡命後のベレンコ[編集]

詳細は「ヴィクトル・ベレンコ」を参照

19 :
関連作品[編集]
『FUTURE WAR 198X年』 - 事件後に制作されたアニメ映画。ソ連空軍のボリス中尉が、最新鋭戦闘機「ブラック・ドラゴン」で西ドイツリーンベルゲン地方の空軍基地に強行着陸して亡命。ソ連はスペツナズを送り込み、ボリス中尉を殺害。機体も爆破するが、
これが原因でNATO軍とワルシャワ条約機構軍が全面衝突する。

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』 - 単行本20巻収録のエピソード「真夜中のパイロット!」は、ソ連の少佐がMiG-25戦闘機で亀有公園前派出所に不時着し、日本への亡命を希望するものの、「日本はあなたが思っているほど自由な国じゃない」と言う麗子の助言に
より、結局はソ連へと帰っていくという内容。

『ブラック・ジャック』 - 事件直後に描かれた第143話「空からきた子ども」は、ウラン連邦の空軍少佐と妻が、一人息子の難病をブラック・ジャックに診せるためVTOL戦闘機「レポール」で日本(ブラック・ジャックの家の前)に着陸するという内容。作品が掲載された『週
刊少年チャンピオン』の発売日は9月17日で、事件からわずか11日後だった。のちに『ブラック・ジャック 空からきた子ども』としてOVA化もなされている。

『ファイヤーフォックス』 - ソ連領内に侵入した米軍のパイロットが、ソ連空軍の最新鋭戦闘機「MiG-31 ファイヤーフォックス」を強奪するという内容の映画。原作小説の作者であるクレイグ・トーマスは、ベレンコ中尉亡命事件にヒントを得て小説を一気に書き上げ、
1977年に出版されベストセラーとなった。

20 :
脚注[編集]
1.^ 地上配備のレーダーは、地平線の影に隠れるような超低空飛行を行う航空機の捕捉は原理的に不可能であった
2.^ 佐々淳行『ポリティコ・ミリタリーのすすめ』 都市出版
3.^ ロッキード事件後の三木下ろしの最盛期であり、文官指導部からの指示は全くなかったという。
4.^ 『テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース スクープ映像の舞台裏 今夜一挙公開』TBS 2016年4月10日
5.^ F-4は初めてルックダウン能力を持った戦闘機であり、能力不足は当時の技術限界としてやむをえないものである。MiG-25は元よりルックダウン能力を持っていない
6.^ 日本プラモデル工業組合・編『日本プラモデル50年史 1958-2008』文藝春秋社 2008年 ISBN 9784160080638

21 :
参考文献[編集]
大小田八尋『ミグ25事件の真相:闇に葬られた防衛出動』学習研究社〈学研M文庫〉、2001年。
原田景『ミグ25事件:ドキュメント 怪鳥の航跡を全走査する』航空新聞社、1978年。
ジョン・バロン『ミグー25ソ連脱出:ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』高橋正訳、パシフィカ、1980年。

22 :
関連項目[編集]
マチアス・ルスト - 冷戦の最中に小型機でフィンランドからソ連領内を縦断、赤の広場に着陸した。

23 :
外部リンク[編集]
ミグ25事件(防衛白書(昭和52年))
NHKアーカイブス ミグ25 函館に強行着陸 - 日本放送協会(NHK)

24 :
カテゴリ: 冷戦
昭和時代戦後の事件
陸上自衛隊の歴史
航空自衛隊の歴史
ソビエト連邦の国際関係
ソビエト連邦の事件
1976年のソビエト連邦
1976年の日本の事件
函館市の歴史
日ソ関係
1976年の国際関係
1976年9月

25 :
歩兵戦車Mk.WチャーチルMk.W

シャーマンVCファイアフライ

チャーチル歩兵戦車
Mk.\
Mk.\LT
Mk.]
Mk.]LT
Mk.]T
Mk.\TLT
Mk.V
Mk.W
Mk.T
Mk.U
Mk.V
Mk.W
Mk.X
Mk.Y
Mk.[
Mk.[

イギリス装甲連隊編制
戦車3個中隊編制 中隊本部2両 各中隊隷下の5個小隊の内1個小隊3両
モーリスファルマンMF.7 ニューポールNG ルンペラー・タウベ

26 :
西部戦線のドイツ軍戦車部隊と保有車種・台数

第2装甲師団 パンター79両、W号戦車98両
第9装甲師団 パンター40両、W号戦車78両、突撃砲5両
第11装甲師団 W号戦車89両 V号戦車13両 突撃砲8両
第21装甲師団 W号戦車112両
第116装甲師団 W号戦車86両 V号戦車13両 突撃砲6両
装甲教導師団 パンター戦車88両 W号戦車98両
第1SS装甲師団 パンター戦車54両 W号戦車45両 突撃砲45両
第2SS装甲師団 パンター戦車78両 W号戦車54両 突撃砲42両
第12SS装甲師団 パンター戦車66両 W号戦車98両
第17SS装甲敵弾兵師団 突撃砲42両
第15戦車連隊第1大隊 パンター戦車4両
第25戦車連隊第1大隊 パンター中戦車9両
第25戦車連隊第1大隊 パンター中戦車11両
第27戦車連隊第1大隊 パンター中戦車79両
第29戦車連隊第1大隊 パンター中戦車8両
第36戦車連隊第1大隊 パンター中戦車10両
グロースドイッチュラント戦車連隊第1大隊 パンター中戦車79両
第3SS戦車連隊第1大隊 パンター中戦車6両
第9SS戦車連隊第1大隊 パンター中戦車40両
第10SS戦車連隊第1大隊 パンター中戦車4両

27 :
第510重戦車大隊 ティーガーT重戦車6両
第101SS重戦車大隊 ティーガーT重戦車45両
第102SS重戦車大隊 ティーガーT重戦車45両
第103SS重戦車大隊 ティーガーT重戦車6両
第205戦車大隊 その他の戦車51両
第206戦車大隊 その他の戦車46両
第213戦車大隊 その他の戦車36両
第302無線操縦戦車大隊 突撃砲10両
第100訓練補充戦車大隊 その他の戦車46両

第21装甲師団隷下
第22戦車連隊
第316無線操縦戦車中隊 ティーガーU重戦車3両
第503重戦車大隊 ティーガーT重戦車33両 ティーガーU重戦車12両

28 :
二式飛行艇一二型

二式単座戦闘機鍾馗二型甲

八輪装甲車 ハーフトラック 

5号戦車パンター 

ティーガーT重戦車 

パンツァーファウスト 

重機関銃 

拳銃 

T−34/76 KV−1 KV−2

第1ウクライナ方面軍 第2ウクライナ方面軍 第4装甲軍 第1装甲軍 南方軍集団 第8軍

29 :
oakley radar サングラス
AN/RPC−148無線機
H&K USP45自動拳銃
タクティカルナイフ
blackhawk社製CQCホルスター
コルト45自動拳銃カスタム
M84閃光音響手榴弾

ルノーR35 第3中隊第2小隊
フランキSPAS12コンバット・ショットガン
SPAS15
M3スーパー90

30 :
FLAUNT 機体全長105m 全備重量755t 全高(垂直尾翼頂部まで)約34m
RSBS Retractable spar buoy stabilizer 引き込み式円筒型安定ブイ
Fleet Air Ultra Naval transport
AV-8BハリアーU6機 胴体後部に第1〜第3格納甲板有 2機ずつ6機搭載
機体上面〜主翼部分キャンバーをスキージャンプとして活用しハリアー発進
派生型
戦略ミサイル母機 巡航ミサイルもしくは弾道ミサイル搭載
対潜攻撃機 着水による長期警戒が可能、敵弾道ミサイル潜水艦を攻撃
輸送機 完全装備の兵員2000名+弾薬資材・車輌を10時間以内に4000浬離れた地点まで輸送
機雷敷設機 航続距離6800浬で機雷113t搭載
自衛用空対空ミサイル搭載、などなど
クレーン搭載 上陸用舟艇などへの補給用途

ハイデマリー・W・シュナウファー Bf110G−4 扶桑皇国海軍

輸送機
グライダー
パラシュート降下兵
迎撃機
空挺戦車
成形炸薬弾

31 :
SU-76M軽自走砲
SU-122中自走砲

ノルウェー人部隊
ヴィーキング師団SS連隊ノルトラント 
第11SS義勇装甲敵弾兵士団ノルトラント
M4A1カービン
重砲50門以上 光景8.8糎以下の砲30門 機関銃約50挺 

FCM36軽戦車
デグチャレフPTRD1941対戦車ライフル
軽巡洋艦阿武隈
駆逐艦マックス・シュルツ
空母ヴィクトリアス
ブリュースターXA-32
重駆逐戦車エレファント
フェアリー フルマ―
M35手榴弾
局地戦闘機震電
レッジアーネRe.2000
戦艦ノースカロライナ

32 :
FNC
M16A4
SG550
L85A1
AR18
AUGA1
T91
FAL L1A1
M14
G3A3
XXXX

33 :
総戦力
M11/39中戦車
P26/40重戦車
アウトブリンダAB40装甲車
アウトブリンダAB41装甲車
L3/33軽戦車
L3/35軽戦車
L3/38軽戦車
M13/40中戦車
M14/41中戦車
M15/42中戦車
サハリアーナAS42偵察車
ビューラー/アンサルドM35 32口径47o対戦車砲
ブレダM35 20o機関砲
ベレッタM1934
マンリッヘル・カルカノM1891,M1891/38,M1891/41
セモヴェンテM40 75/18自走砲
アンサルドM39 32口径75o榴弾砲
アンサルドM39 53口径90o対空砲

34 :
陸軍歩兵師団編成
師団司令部
第1歩兵連隊/第1歩兵大隊(第1,2,3歩兵中隊/対戦車砲中隊/迫撃砲中隊)、第2歩兵大隊(編成は第1歩兵大隊と同様、以下同)第3歩兵大隊
第2歩兵連隊/第4、5,6歩兵大隊
黒シャツ連隊/第1黒シャツ大隊(第1,2,3黒シャツ中隊)、機関銃中隊、第2黒シャツ大隊(編成は第1黒シャツ大隊と同様)
砲兵連隊
工兵大隊
迫撃砲大隊
対戦車砲中隊
通信中隊
輸送、衛生、兵站部隊

35 :
その他
イングラムM10改
ジャマダハル
ノルマンディー級戦艦ノルマンディー
ダントン級ダントン
六脚夜間戦闘機CR.42G
アウトブリンダAB41/12.8p砲搭載型

36 :
ベルサリエリ部隊
アルピーニ部隊
カラビニエリ部隊

第617爆撃飛行隊「ダムバスターズ」ランカスターMk.TSP×31 トールボーイ爆弾

軽巡ハーマイオニー

37 :
――――――――――――――――――――――――――――空軍―――――――――――――――――――――――――――――――――――
戦闘機594機(398機は復座戦闘機) 爆撃機783機 偵察機419機(151機は水上偵察機)
フィアットCR.42
マッキMC.200/202/205V
フィアットG.50/55
レッジアーネRe.2000~2005

フィアットBR.20爆撃機
サヴォイア・マルケッティSM.79爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
カントZ.1007bis爆撃機
カプロニCa.311偵察爆撃機
カントZ.506B偵察爆撃機
IMAM Ro.43水上偵察機

38 :
その他
川西H6K5九七式飛行艇二三型
川西H8K2二式飛行艇一二型
W号戦車H型
T-34中戦車1943型
W号戦車E型
九五式軽戦車
SR-71LASRE

39 :
――――――――――――――――――――――――――――海軍―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主要艦艇 戦艦6隻 重巡8隻 軽巡14隻 駆逐艦58隻 水雷艇71隻 潜水艦117隻

その他
総排水量17,300トン 全長227.35m 全幅22.32m 出力153,000hp 速力34,59ノット 航続力18ノットで7,670海里
兵装 12.7p連装高角砲6基 25o3連装機銃7基 同連装機銃5基 搭載機:常用57機・補助16機 乗員1,101名

40 :
―――――――――――――――――――――――――――――――試作機――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ショートP..D.56超音速VTOL戦闘機
ショートSE.1型VTOL戦闘機
BACライトニング戦闘機
BACタイプ584型VTOL戦闘機
ホーカーP.1154型VTOL戦闘機
ホーカーP.1127型VTOL戦闘機
フォッカー/リパブリック共同開発D.24「アライアンス」可変翼VTOL戦闘機

41 :
―――――――――――――――――――――――――――――――決戦兵器―――――――――――――――――――――――――――――――――――
三式指揮連絡機キ76艦上対潜哨戒機型 あきつ丸搭載機
九州Q1W1陸上哨戒機東海11型
KV−1S重戦車
JS-2重戦車
V号突撃砲G型初期生産型
ドルニエDo217
零戦二二型

42 :
46サンチ砲搭載駆逐戦車

独陸軍飛行砲塔搭載戦車

米陸軍127o射程延伸誘導砲弾搭載イージス戦車

とある陸自の10式生体電磁砲戦車

人工人格搭載戦車

43 :
――――――――――――――――――――――――――――――ブリテンーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スーパーマリンスピットファイアMk.1
ホーカーハリケーンMk.1
ウエストランドライサンダー
ボールトンポールデファイアント Mk.1
ブリストルブレニムMk.1F

メッサーシュミットBf110C/D Bf110C
ユンカースJu87B/R Ju87B-2
ハインケルHe111P/H H-3 P-2
ユンカースJu88A A-5 A-1
メッサーシュミットBf109E E-3 E-4
ドルニエDo17Z Do17Z-2
CR.42

44 :
――――――――――――――――――――――――――計画機―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ベルD-188A垂直離着陸戦闘攻撃機
ロッキードCL-70垂直離着陸機
ブレゲー1116垂直離着陸機
ダッソーミラージュVX垂直離着陸機
フィアットG.91
フィアットG.95/6垂直離着陸機
フィアットG.95/4垂直離着陸亜音速戦闘攻撃機

45 :
三菱キ46U100式司令部偵察機2型
中島C6N1艦上偵察機彩雲11型
94式軽装甲車ホ号/37o砲
米第26騎兵連隊
九七式軽装甲車テケ砲搭載型
九九式艦爆一一型
九七式三号艦攻
オーダシティ
輸送機40機

46 :
YS-11重爆仕様
零戦難燃型
F-2ハイパー改
銀ヤンマ複葉練習戦闘機
ブラート装甲車
イタリア級レパント
フィリブス・ウニティス

47 :
試作機

VJ-101D垂直離着陸機
VJ-101C-X3垂直離着陸機
ハインケルVJ-101A6垂直離着陸機
フォッケウルフFw860垂直離着陸機
He231垂直離着陸機
西独伊共同開発機VAK191B/Mk.2垂直離着陸機
西独・米教導AVS(発達型戦術V/STOL戦闘機システム)垂直離着陸機

48 :
第1戦車軍(カトゥコフ戦車兵中将)
第11親衛戦車軍団
第45新鋭戦車軍団
第8新鋭機械化軍団
第85新鋭重戦車連隊(JS-2×21両)
その他の諸隊

49 :
第5新鋭戦車軍(ロトミストロフ戦車兵中将)
第18戦車軍団
第20戦車軍団
第28戦車軍団
第29戦車軍団
第5新鋭機械化軍団
第8機械化軍団
その他の諸隊
ベーケ重戦車連隊(ティーガー1重戦車34両、パンター中戦車46両、フンメル、ヴェスペ)

50 :
戦車師団
師団司令部(装軌車×35、装輪車×31)
戦車師団/師団司令部(装軌車(戦車含む)×10)
戦車連隊(連隊計戦車56両、装軌車101両、装輪車26両、人員約1070名)
連隊本部(中戦車×2、軽戦車×1)
・軽戦車中隊(軽戦車13両)×1
・中戦車中隊(中戦車10両)×3、
・砲戦車中隊(砲戦車10両)1
整備中隊
戦車連隊(※編制は上記戦車連隊と同様)

51 :
戦車旅団(※編制は上記戦車旅団と同様)

機動歩兵連隊(連隊計 装軌車222、装輪車87、人員約3030名)

連隊本部

歩兵大隊

歩兵中隊×3

機関銃中隊

歩兵大隊(※編制は上記歩兵大隊と同様)

歩兵大隊(※編制は上記歩兵大隊と同様

連隊砲中隊(連隊砲×6)

52 :
捜索隊(隊計 装軌車(戦車含む)×91、装輪車×12、人員約700名)
軽戦車中隊(軽戦車×10)×3
砲戦車中隊(砲戦車×10)
整備中隊

機動砲兵連隊(連隊計 装軌車×89、装輪車×73、人員約1500名)
砲兵大隊/砲兵中隊(機動九〇式野砲×4)×3
砲兵大隊/砲兵中隊(10p溜弾砲×4)×3
砲兵大隊/砲兵中隊(10p溜弾砲×4)×3

53 :
速射砲隊(隊計 装軌車×45,装輪車×87、人員約340名)
速射砲中隊(47o速射砲×6)×3

防空隊(隊計 装軌車×105,装輪車×63、人員約1010名)
高射砲中隊(7.5p高射砲×4)×2
機関砲中隊(20o機関砲×6)×4

工兵隊(隊計 装軌車×122,装輪車×50、人員約1150名)
工兵中隊×6

整備隊(隊計 装軌車×15,装輪車×152、人員約780名)
整備中隊×3

轢重隊(隊計 装軌車×100,装輪車×216、人員約770名)
轢重中隊×4

54 :
その他の諸隊

55 :
イタリア/レ・ウンベルト級



155o溜弾砲

機械化歩兵

戦闘爆撃機

制空戦闘機

前線航空管制官


中戦車

56 :
海上機動第二旅団(定員5458名)
旅団司令部
機動第一大隊
大隊本部
第一中隊
第二中隊
第三中隊
追撃中隊
砲兵中隊
作業中隊
機動第二大隊(第一大隊と同様)
機動第三大隊(第一大隊と同様)
機関砲隊
戦車隊(九五式軽戦車9両)
通信隊
衛生隊
工兵隊
輸送隊

57 :
第三十六師団(乙編制)(定員13658名)
師団司令部
歩兵第二百二十二連隊(海上機動反撃連隊)
第一大隊
第一中隊
第二中隊
第三中隊
第一追撃中隊
第一砲兵中隊
第一作業中隊
第二大隊(第一大隊と同様)
第三大隊(第一大隊と同様)
機関砲中隊
戦車中隊(試製軽戦車9両)
工兵中隊(水陸両用自動車9両)
通信中隊
衛生隊
歩兵第二百二十三連隊
第一大隊
第二大隊
第二大隊
砲兵大隊
工兵中隊
通信中隊
補給中隊
衛生中隊

58 :
歩兵第二百二十四連隊(歩兵第二百二十三連隊と同様)
戦車隊(軽戦車17両)
通信隊
轢重隊
海上輸送隊
兵器勤務隊
経理勤務部
野戦病院

59 :
最上 新造時

五式戦 四式戦 雷電 紫電改 中島キ84甲四式戦疾風 紫電21型 五式戦1型 
F6F P-51 F4U P-47 F6F-5 P-51D F4U1-A

M1A2SEP
レオパルド2A6
T-80U
メルカヴァMk.4
チャレンジャー2
ルクレールシリーズ1
10式
99式G型
アージュン
C1アリエテ
T-90

60 :
――――――――――――――――――――――――――――――――――――隼―――――――――――――――――――――――――――――――――
一式戦一型
一式戦二型 タイ王立空軍
一式戦三型甲
一式戦三型乙 三号爆弾
一式戦四型 五十九戦隊 七十七戦隊 六十三戦隊

バッファロー
ブレニム
ハリケーン
トマホーク
スピットファイア
P−51
P−47D
P−40K
P−39D
B−24
スピットファイアMk.VC
P−38L
ハリケーンMk.UB

61 :
―――――――――――――――――――――――――――――――バルバロッサ作戦―――――――――――――――――――――――――――――――
北方軍集団(フォン・レープ元帥)
第16軍、第18軍、第4装甲集団(ヘプナー上級大将)

中央軍集団(フォン・ボック元帥)
第4軍、第9軍、第2装甲集団(グデーリアン上級大将)、第3装甲集団(ホート上級大将)

南方軍集団(フォン・ルントシュテット元帥)
第6軍、第11軍、第17軍、第1装甲集団(クライスト上級大将)、ルーマニア第3軍、ルーマニア第4軍 ※ルーマニア2個軍は作戦開始後に編入

OKH予備
第2軍(ヴァイクス上級大将)

国防軍最高司令部(OKW)総長カイテル元帥 陸軍参謀本部第一部長パウルス中将 
陸軍総司令官フォン・ブラウヒッチュ元帥 陸軍参謀総長フランツ・ハルダー上級大将

62 :
MG34機関銃
3.7cm対戦車砲Pak35/36
15cm重野戦溜弾砲 sFH18
15p重野戦溜弾砲 sFH18M
Kar98小銃
8p迫撃砲 GrW34
10.5cm軽野戦溜弾砲 LeFH18
10.5cm軽野戦溜弾砲 LeFH18M
10.5cm軽野戦溜弾砲 LeFH18/40
BMW R75/ツェンダップ KS750サイドカー付オートバイ
Sd.Kfz250装甲兵員輸送車
Sd.Kfz251装甲兵員輸送車
35(t)戦車
38(t)戦車
38(t)戦車A型
8.8cm対空砲FlaK18
8.8cm対空砲FlaK36
8.8cm対空砲FlaK37
Sd.Kfz231八輪重装甲車
Sd.Kfz232八輪重装甲車
Sd.Kfz262八輪重装甲指揮車
Sd.Kfz233火力支援型八輪重装甲車

63 :
T号戦車
U号戦車
U号戦車F型
W号戦車
W号戦車D型
W号戦車E型
メッサーシュミットBf109F戦闘機
ハインケルHe111中型双発爆撃機
ハインケルHe111H-2中型双発爆撃機
ハインケルHe111H-3中型双発爆撃機
V号戦車
V号戦車E型
V号戦車F型
V号戦車G型
V号戦車H型
V号突撃砲
V号突撃砲B型
ユンカースJu87Bスツーカ

アドルフ・ヒトラー フェードア・フォン・ボック中央軍集団司令官 ハインツ・グデーリアン

64 :
―――――――――――――――――――――――――――――――ソ連軍――――――――――――――――――――――――――――――――――――
北部方面軍(ポポフ大将)
第7軍、第14軍、第23軍、第1機械化軍団、第10機械化軍団

北西部方面軍(クズネツォフ大将)
第8軍、第11軍、第27軍、第3機械化軍団、第12機械化軍団、第5空挺軍団

西部方面軍(パブロフ大将)
第3軍、第4軍、第10軍、第13軍、第6、第11、第13、第14、第17、第20機械化軍団、第4空挺軍団

東西部方面軍(キルポノス上級大将)
第5軍、第6軍、第12軍、第26軍、第4、第8、第9、第15、第16、第19、第22、第24機械化軍団、第1空挺軍団

南部方面軍(チューレネフ大将)
第9軍、第18軍、第2機械化軍団、第18機械化軍団、第1空挺軍団

最高総司令部予備(配備中)
第16、第19、第20、第21、第22、第24軍、第5、第7、第25、第26機械化軍

65 :
PPAh41短機関銃
マキシムPM1910重機関銃
82o迫撃砲PM36
82o迫撃砲PM37
82o迫撃砲PM41
82o迫撃砲PM43
モシン・ナガンM1891/30小銃
デクチャリョーフDP機関銃
シモノフPTRS/PTRD14.5cm対戦車ライフル
76.2o野砲F-22
76.2o野砲F-22USV
152oカノン溜弾砲ML20(M1937)
BT-5快速戦車
BT-7快速戦車
45o対戦車砲M1932
45o対戦車砲M1937
122o溜弾砲M-30(M1938)
BM-8カチューシャ
BM-13カチューシャ 132oロケット弾

66 :
T-34中戦車
ポリカルポフI-16戦闘機
スホーイSu-2軽爆撃機
T-26軽戦車
T-26軽戦車1931年型
T-26軽戦車1933年型
T-26軽戦車1937年型
T-26軽戦車1939年型
KV-1重戦車
KV-2重戦車
ポリカルポフI-153チャイカ複葉戦闘機

イォセフ・スターリン アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー ゲオルギー・コンスタノヴィチ・ジューコフ
ミハイル・エフィモフヴィッチ・カトゥコフ

67 :
―――――――――――――――――――――――――トピックスーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
九七式中戦車改
九六式装甲作業機
STZ−3トラクター
コンクリートトーチカ
T−34極初期型中戦車
カチューシャ

W号戦車長砲身型 M13/40中戦車 Sd.Kfz250/3無線指揮車
Sd.Kfz.135/1
Y号戦車E型ティーガーT M4シャーマン中戦車
ダイムラーMk.U

信濃丸

三菱一〇〇式司令部偵察機二型

ライトニング水雷艇
MAS魚雷艇
PTボート
オーサ型ミサイル艇
スパルヴィエロ級ミサイル艇
ミサイル艇わかたか

68 :
ラム巡航戦車

大型巡洋艦アラスカ級:基準排水量28,888トン 全長246.4m 最大幅27.7m 喫水9.72m 
主缶バブコック&ウィルコックス式重油専燃缶8基 主機/軸数ゼネラルエレクトリック製2段減速式ギヤードタービン4基/4軸
出力150,000hp 速力33ノット 航続距離15ノットで12,000浬 
兵装30.5p50口径3連装砲3基、12.7cm連装両用砲6基、40o4連装機関砲18基、20o単装機銃34挺 
搭載水上機4機
乗員1,800名

ダグラスA−20ハヴォック

ミリタリークラシックス28、29,30,31,32

69 :
イギリス第1機甲師団 UK 1st Armoured Division “White Rhino”レッド・ジャーボア 師団長:ルパート・スミス少将
戦力
兵力2万3000人、総車両7,000両、装甲車両2,600両 
チャレンジャー1戦車221両 ウォリアー歩兵戦闘車324両 スコーピオン偵察戦闘車40両
M109自走砲60両 M110自走砲12両 MLRS多連装ロケット・システム12両 リンクス攻撃ヘリ33機
ガゼル武装ヘリ16機 輸送ヘリ39機
師団司令部
―第7機甲旅団(戦車重編成)旅団長:パトリック・コーディングレイ准将 レッド・ジャーボア
――ローヤル・スコッツ近衛竜騎兵連隊(670人)●チャレンジャー戦車×57
―――連隊本部:チャレンジャー1主力戦車×1

70 :
――――偵察小隊:スコーピオン軽戦車×8
―――――4個戦車中隊:●チャレンジャー1主力戦車×14両〔本部(×2)、小隊(×3)4個〕
――クイーンズ・ローヤル・アイリッシュ軽騎兵連隊(650人)●チャレンジャー戦車×57
―――連隊本部:チャレンジャー1主力戦車×1
――――偵察小隊:スコーピオン軽戦車×8
―――――4個戦車中隊:●チャレンジャー1主力戦車×14両〔本部(×2)、小隊(×3)4個〕
――第40野戦砲兵連隊(800人)●M109自走砲 (155mm)×24
――第21工兵連隊(600人) ◆CET戦闘工兵車 支援車両群:ベドフォードTM4-4野戦トラック
――スタッフォードシャー連隊第1大隊(840人)●ウォーリアー歩兵戦闘車×45
――第1クイーンズ近衛竜騎兵連隊第1大隊 ●シミター偵察戦闘車×16
――第101防空中隊(100人)●ジャベリン携帯SAM×36、●スパルタン装甲車×40 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


71 :
7667876
―第4機甲旅団(歩兵重編成)旅団長:クリストファー・ハマーベック准将 ブラック・ジャーボア
――ローヤル・スコッツ連隊第1大隊 ●ウォリアー歩兵戦闘車×45 
―――本部・付中隊 ●ウォリアー×1
――――3個歩兵中隊 ●ウォリアー×14〔本部(×2)、小隊(×4)3個〕
――――火力支援中隊 ●ウォリアー×1 
―――――偵察小隊(シミター×8)
―――――対戦車小隊(ミランATM×20)
―――――迫撃砲小隊(81mm迫撃砲×8)※対戦車小隊と迫撃砲小隊に兵器搭載車として配備されたFV432とスパルタン装甲車は地上戦前にウォリアー×16〜17両と交換された
――ローヤル・フージリアス連隊第3大隊 ●ウォリアー歩兵戦闘車×45 
―――本部・付中隊 ●FV510ウォリアー×1
――――3個歩兵中隊 ●FV510ウォリアー×14〔本部(×2)、小隊(×4)3個〕
――――火力支援中隊 ●ウォリアー×1 
―――――偵察小隊(FV107シミター×8)
―――――対戦車小隊(ミランATM×20)ランドローバー(4×4)主力汎用車
―――――迫撃砲小隊(81mm迫撃砲×8)※対戦車小隊と迫撃砲小隊に兵器搭載車として配備されたFV432とFV103スパルタン装甲車は地上戦前にFV510ウォリアー×16〜17両と交換された
[@p-0

72 :
678678
――第14/20キングス軽騎兵連隊(670人) ●チャレンジャー1戦車×57
@――第2野戦砲兵連隊(850人) ●M109自走砲×24
――第23工兵連隊(600人)
――第46防空中隊(170人) ●ジャベリン携帯SAM×36
――第26野戦砲兵連隊(420人):M109自走砲×12
――師団支援ヘリコプター群(各種ヘリ×39)
――第32重砲連隊(780人)●M110A2自走砲(203mm)×12
――第39重砲連隊(680人)●MLRS×12
――第12防空連隊(600人)●レイピア自走SAM×24
――第32機甲工兵連隊(1,050人)◆スキャンメル・コマンダー(6×4)戦車輸送車・チーフテンAVLB戦車橋(27両配備)
――陸軍航空軍団第4連隊 ●リンクス攻撃ヘリ(TOW)×33 ※その他にガゼル武装ヘリ×16
――第16/5クイーンズ・ローヤル槍騎兵連隊(680人)●スコーピオン偵察戦闘車×24 ※他にFV107シミター×24、FV102ストライカー自走ATM×16
8976897

73 :
0-^0-^0-
アメリカ陸軍第3機甲騎兵連隊
3rd Armored Cavalry Regiment “Brave Rifles”連隊長:ダグラス・スタール大佐
〈第3装甲騎兵連隊の戦力〉兵力:4272人
連隊本部・1/3機甲騎兵大隊・2/3機甲騎兵大隊・3/3機甲騎兵大隊―各本部・付中隊、3個機甲騎兵中隊M3×12 M1A1×9
戦車中隊:M1A1×14 野戦砲兵中隊:M109自走砲×8 
4/3機甲騎兵大隊(航空)―本部・付中隊UH-60×18,EH-1H×3,OH-58A×1機,2個攻撃ヘリ中隊AH-1×7,OH-58×4
3個空中騎兵中隊/AH-1×4,OH-58×6 化学防護中隊偵察小隊:M93フォックスNBC偵察車
支援大隊-本部・付中隊、医務中隊、整備中隊、補給・輸送中隊、M916(6×6)牽引トラクター+装輪式工兵作業車(4×4)
● M1A1エイブラムス戦車×129両,M3A1ブラッドレー騎兵戦闘車×108両,M2A1ブラッドレー歩兵戦闘車×14両
● M109自走砲×24両 ヘリコプター×74機(内訳:AH-1×26) 支援車両多数

74 :
アメリカ陸軍第24歩兵師団 24th Infantry Division (Mechanized) ‘’Victory Division’’ 師団長:バリー・マカフリー少将
〈第24歩兵師団の戦力〉兵力:25,000人 総車両数:8539両 装軌車両:1793両
● M1A1エイブラムス戦車×249両、●M2A1,M3A1戦闘車×218両、●M113×843両、●M901自走TOW×91両
●M110自走砲×24両 ●M109自走砲×90両 ●MLRS×36両 ●ヘリコプター×90機(AH-64×19)
※地上戦時には軍団から第212FA旅団の増強を受ける
第1リバティ旅団
4/64機甲支隊、●A戦車中隊(M1A1×10、M2A1×4) ●C戦車中隊 ●A歩兵中隊(2/7歩兵支隊M1A1×4 、M2A1×9)
2/7歩兵支隊、●B歩兵中隊(M2×13)●C歩兵中隊●D歩兵中隊●B戦車中隊(4/64機甲支隊)●E対戦車中隊(M901×12)
3/7歩兵支隊●A歩兵中隊、●B歩兵中隊、●C歩兵中隊、●D戦車中隊(4/64機甲支隊から)●E対戦車中隊●
1/41野戦砲兵大隊:M109 155mm自走砲×24、1/5防空砲兵大隊A中隊(一)(M163バルカン/スティンガー)

75 :
師団司令部―1/5防空砲兵大隊(―)―第3工兵大隊
師団砲兵(―)●第13野戦砲兵連隊A中隊(MLRS×9)
師団支援群
航空旅団 ●1/24航空大隊(攻撃) AH-64×19、2/24航空大隊 ●2/4騎兵大隊(+)M1A1×14,M3×40,AH-1×8
第2バンガード旅団
1/64機甲支隊(M1A1×30,M2A1×26,M3A1×6) 2個戦車中隊,A歩兵中隊(3/15歩兵支隊から) C歩兵中隊(3/15歩兵支隊から)
3/69機甲支隊A戦車中隊 B戦車中隊 C戦車中隊 E対戦車中隊(3/15歩兵支隊から)
3/15歩兵支隊B歩兵中隊、D歩兵中隊 A戦車中隊チーム(1/64機甲支隊から)、B戦車中隊チーム(1/64機甲支隊から)
3/41野戦砲兵大隊 M109 155mm自走砲×24
1/5防空砲兵大隊B中隊(―)(M163バルカン/スティンガー)

76 :
第197スレッジハマー歩兵旅団
・ 2/69機甲支隊 ●2個戦車中隊 ●A歩兵中隊チーム(1/18機甲支隊から/M113装甲車×14,M901×2)
・ ●歩兵中隊(2/18歩兵支隊から/M113装甲車×14,M901×2)
・1/18歩兵支隊 ●3個歩兵中隊(各M113装甲車×14,M901×2) ●1個戦車中隊(2/69機甲支隊から) ●E対戦車中隊(M901×12)
・2/18歩兵支隊 ●3個歩兵中隊 ●1個戦車中隊(2/69機甲支隊から) ●E対戦車中隊(M901×12)
・4/41野戦砲兵大隊M109 155mm自走砲×24
・1/5防空砲兵大隊C中隊(―)(M163バルカン/スティンガー)

77 :
アメリカ第101空挺師団 101st airborne division(air assault)’’screaming eagle’師団長:J.H.ビンフォード・ピーイV少将
兵力:1万7132人 総車両数:4029両 総ヘリコプター数:358機
●105o榴弾砲M102×54門、●155mm榴弾砲M198×16門(軍団砲兵からの増援)、●AH-64×37機
●AH-1F×36機、●UH-60×130機、●UH-1×36機、●EH-60×8機、OH-58C/D×63機、●CH-47D×48機
師団司令部―1個防空大隊、1個工兵大隊、1個通信大隊、1個軍事情報大隊
・師団砲兵―1個野戦砲兵大隊
・第1オールウェイズ・ファースト旅団―4個空挺歩兵大隊、1個空挺野戦砲兵大隊、1個射撃中隊、1個防空中隊
・第101航空旅団―8個航空大隊、1個騎兵大隊
・第2ストライク旅団―1個空挺歩兵大隊、1個空挺野戦砲兵大隊、1個防空中隊
・第3ラッカサン旅団―3個空挺歩兵大隊、1個空挺野戦砲兵大隊、1個防空中隊 ※この図は一部を省略済

78 :
アメリカ第82空挺師団 82nd airborne division ‘’all American’’師団長:ジェームズ・ジョンソン少将
〈第82空挺師団の戦力〉兵力:1万6300人 総車両数:3,600両 ●M551シェリダン×56両 トラックなど多数
●105mm榴弾砲M102×54門 ●ハンヴィー×1400両 ヘリコプター×113機 LAV軽装甲車×15両
・師団司令部―1個機甲大隊内訳A〜D4個中隊、1個防空砲兵大隊、1個工兵大隊、1個通信大隊、1個軍事情報大隊
・第1デビル旅団―3個空挺歩兵大隊(各大隊本部・付中隊、偵察小隊、81mm迫撃砲小隊、対戦車中隊、3個空挺歩兵中隊)
・第2ファルコン旅団―3個空挺歩兵大隊
・第3パンサー旅団―3個空挺歩兵大隊
・師団支援群
・第82航空旅団―2個航空大隊、1個騎兵大隊(スカウト)AH-64攻撃ヘリ×20、UH-60×41、EH-60×3、OH-58,AH-1×12
・師団砲兵―3個空挺野戦砲兵大隊、105mm榴弾砲×18

79 :
フランス第6機甲師団 6th light armored division ‘’Dauget’’ 師団長:ベルナール・ジャンビエ准将
〈フランス第6機甲師団の戦力〉兵力1万2000人(兵站支援2000人)
●VAB装輪装甲車×約280両、●AMX30B2戦車×44両 ●AMX10RC偵察戦闘車×96両
●ERC90偵察戦闘車×24両 ●155mm榴弾砲×18門 ●対戦車VAB(hot)×24両 ●ガゼル攻撃ヘリ×98機
●ピューマ輸送ヘリ×44機 ●大型輸送車両×300両
師団司令部―第6外人部隊工作連隊(6reg)、第6兵站支援連隊(6rcs)
指揮所ルージュ(紅)ウエスト戦闘団―第1外人部隊騎兵連隊(1rec)、第1スパヒ連隊(1rs)、第2外人部隊歩兵連隊(2rei)
第3戦闘ヘリコプター連隊(3rhc)※ヘリ合計76機(第5戦闘ヘリ連隊から増強)、第11海兵砲兵連隊(11rana)
指揮所ベール(緑)イースト戦闘団―第4竜騎兵連隊(4rd)、第3海兵歩兵連隊(3rima),第1戦闘ヘリコプター連隊(1rhc)
※一部省略済

アメリカ第2海兵師団 師団長:ウィリアム・M・キース少将
〈第2海兵師団の戦力〉兵力:2万5000人以上
●M1A1戦車×196両、●M60A1戦車×53両、●M2歩兵戦闘車×59両、●AAV7水陸両用強襲車×248両
●LAV軽装甲車×159両、●野砲×120門、●MLRS×10両
・第6海兵連隊(機甲戦力)
・第8海兵連隊(機甲戦力)
・タイガー旅団(第2機甲師団第1旅団)
・第10海兵連隊(砲兵戦力)
※一部省略済

80 :
アメリカ第1海兵師団タスクフォース(地上戦時) 師団長:チャールズ・M・マイアト少将
〈第1海兵師団の戦力〉兵力:約2万人
● M60A1戦車×133両、●AAV7水陸両用強襲車×271両 ●LAV軽装甲車×139両 ●野砲×120門 ●TOW×239基 
●81mm迫撃砲×86門
パパ・ベア支隊:第1海兵連隊戦闘団(機甲戦力)
リッパー支隊:第7海兵連隊戦闘団(機甲戦力)
タロー支隊:第3海兵連隊戦闘団(突入戦力)
シェパード支隊:第1軽機甲歩兵連隊(戦果拡張戦力)
グリズリー支隊:第4海兵連隊戦闘団(突入戦力)
X線支隊:(ヘリボーン戦力) キング支隊:第11海兵連隊(砲兵戦力)※一部省略済
第2SANG機械化旅団 ●総兵力:約5000人 ●V150S装輪装甲車:約500両

アメリカ海兵隊軽装甲歩兵連隊 兵力:824人 LAV軽装甲車102両
〈大隊の戦力〉●lav-25戦闘車×51両 ●lav-at自走対戦車ミサイル×16両●lav-l兵站車×14両
●lav-m自走迫撃砲×8両 ●lav-c2指揮・統制車×7両 ●lav-r回収車×6両 
※一部の軽装甲歩兵中隊は3個軽装甲歩兵小隊(LAV−25×4)の編成をとっていた。

SS第503重戦車大隊(大隊長 フリッツ・ヘルツィSS少佐)
大隊本部/本部中隊(偵察小隊、対空小隊含む)
第1中隊(3個小隊)ティーガーU重戦車6両
第2中隊(3個小隊)ティーガーU重戦車6両
第3中隊(3個小隊)ティーガーU重戦車6両
整備中隊

81 :
haganai
第1夜間戦闘航空団
航空団本部:bf110またはhe219×3機
第T飛行隊
飛行隊本部:bf110が2機he219は1機
第1中隊:bf110が6機、he219が3機
第2中隊:bf110が6機、he219が3機
第3中隊:bf110が6機、he219が3機
第U飛行隊
飛行隊本部:bf110が3機
第1中隊:bf110が9機
第2中隊:bf110が9機
第3中隊:bf110が9機
第V飛行隊
飛行隊本部:bf110が3機
第1中隊:bf110が9機
第2中隊:bf110が9機
第3中隊:bf110が9機
第W飛行隊
飛行隊本部:bf110が3機
第1中隊:bf110が9機
第2中隊:bf110が9機
第3中隊:bf110が9機

82 :
{{#if: きょうは何の日?の話題


今日は何の日 9月6日



フェルディナンド・マゼランらの艦隊が初の世界一周を達成(1522年)
メイフラワー号がアメリカに向けて出港(1620年)
『仮名手本忠臣蔵』初演(1748年 - 寛延元年8月14日)
マッキンリー大統領暗殺事件: ウィリアム・マッキンリー米大統領が狙撃される。これがもとで9月14日に死亡(1901年)
第二次世界大戦: 御前会議で帝国国策遂行要領を決定。10月下旬までに米英に対する日本の要求が通らない場合は開戦を決意すると決定(1941年)
朝鮮人民共和国建国宣言(1945年)
スワジランドがイギリス保護領から独立(1968年)
PFLP旅客機同時ハイジャック事件(1970年)
ベレンコ中尉亡命事件(1976年)
バルト3国がソ連から独立(1991年)

83 :
できごと[編集]
フリギドゥスの戦い、テオドシウス1世がエウゲニウス(画像; ?-394)を破る
ビクトリア号
マゼランとビクトリア号の航跡
ビクトリア号がスペインに帰還(1522)、人類初の世界一周達成
三十年戦争、ネルトリンゲンの戦い
中国初の国境画定条約、ネルチンスク条約締結(1689)。画像は1734年頃の中国地図
『仮名手本忠臣蔵』初演(1748)。画像は歌川国貞画(1850頃)
マッキンリー大統領暗殺事件(1901)
カロル2世
ミハイ1世
ルーマニア王カロル2世が退位・亡命、息子のミハイ1世が復位(1940)
394年 - フリギドゥスの戦い。ローマ帝国皇帝テオドシウス1世が対立皇帝エウゲニウスを破る。
1492年 - クリストファー・コロンブスが、大西洋横断前の最後の陸地となるカナリア諸島・ラ・ゴメラ島を出港。
1522年 - フェルディナンド・マゼラン一行の5隻の船のうち唯一生き残ったビクトリア号がスペインのサンルカール・デ・バラメーダに帰還。人類史上初の世界一周を達成。
1634年 - 三十年戦争: ネルトリンゲンの戦い。9月7日まで。
1689年(康熙28年7月23日、ユリウス暦8月27日)- ロシア帝国と清がネルチンスク条約に調印。中国初の国境画定条約。
1748年(寛延元年8月14日)- 人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が大坂竹本座で初演。
1791年 - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの歌劇『皇帝ティートの慈悲』がプラハで初演。
1885年 - 東ルメリ自治州がブルガリア自治公国との統合(英語版)を宣言。(統一の日(英語版))

84 :
1901年 - マッキンリー大統領暗殺事件。ウィリアム・マッキンリー米大統領が狙撃される。これがもとで9月14日に死亡。
1916年 - クラレンス・サンダース(英語版)がテネシー州メンフィスで、史上初めてのセルフ式食料雑貨店ピッグリー・ウィッグリーをオープン。
1919年 - 帝国美術院創設。
1937年 - 岸田國士・久保田万太郎・岩田豊雄の発起により劇団「文学座」が創立。
1939年 - 第二次世界大戦: 南アフリカ連邦がナチス・ドイツに宣戦布告。
1940年 - 国民の非難の声を受けルーマニア王カロル2世が退位し再び亡命。息子のミハイ1世が復位。
1941年 - 第二次世界大戦: 御前会議で帝国国策遂行要領を決定。10月下旬までに米英に対する日本の要求が通らない場合は開戦を決意すると決定。
1945年 - 第二次世界大戦・ニューギニアの戦い: ニューブリテン島、ニューアイルランド島方面の日本軍の今村均陸軍大将と草鹿任一海軍中将がセントジョージ海峡内の
英空母グローリー上でオーストラリア軍への降伏文書に署名。
トルーマン米大統領が「降伏後における米国の初期対日方針」を承認し、マッカーサーに指令。
1946年 - アメリカ合衆国国務長官ジェームズ・F・バーンズが、シュトゥットガルトで共産主義勢力への対抗と本格的経済再建への着手などを演説し、ドイツ政策の見直しを表明。
1952年 - カナダ初のテレビ局CBFTがモントリオールに開局。

85 :
1953年 - フランス映画「禁じられた遊び」(ルネ・クレマン監督)が日本初公開。
1965年 - インド軍が国境を越えパキスタンに侵攻し、公式に第二次印パ戦争が開戦。
1968年 - スワジランドがイギリス保護領から独立。
1970年 - PFLP旅客機同時ハイジャック事件。パレスチナ解放人民戦線 (PFLP) が5機の旅客機を同時にハイジャック。
1976年 - 冷戦: ベレンコ中尉亡命事件。ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に着陸し、アメリカへの亡命を求める。
1978年 - 米コロラド州のメサ・ヴェルデが世界遺産に指定。
1979年 - 阿蘇山の中岳が噴火。観光客3人が死亡。
1983年 - 自衛隊が傍受した大韓航空機撃墜事件の際のソ連軍機の交信記録が国連安保理で公開。
1984年 - 韓国大統領全斗煥が訪日。韓国の国家元首では初の公式来日。
1989年 - 日本の静止気象衛星「ひまわり4号」打ち上げ。
1991年 - ソビエト連邦がバルト三国の独立を承認。
1991年 - ソ連第二の都市レニングラードの名称が、1924年以前の名称のサンクトペテルブルクに戻される。
1995年 - ボルチモア・オリオールズのカル・リプケンが、ルー・ゲーリッグの2130試合連続出場記録を塗り替え。
1995年 - 坂本堤弁護士一家殺害事件: 坂本堤弁護士一家の遺体捜索を開始。同日中に夫妻、10日に長男の遺体を発見。
1997年 - ダイアナ妃の国民葬(英語版)がウェストミンスター寺院で行われる。
2008年 - 北京パラリンピックが開幕。
2013年 - 田中将大が世界新記録となる開幕21連勝を達成[1][2]。

86 :
9月6日
移動先: 案内、 検索
2016年9月(長月)
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
365日
各月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

9月6日(くがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から249日目(閏年では250日目)にあたり、年末まであと116日ある。

87 :
できごと[ソースを編集]
フリギドゥスの戦い、テオドシウス1世がエウゲニウス(画像; ?-394)を破る
ビクトリア号
マゼランとビクトリア号の航跡
ビクトリア号がスペインに帰還(1522)、人類初の世界一周達成
三十年戦争、ネルトリンゲンの戦い
中国初の国境画定条約、ネルチンスク条約締結(1689)。画像は1734年頃の中国地図
『仮名手本忠臣蔵』初演(1748)。画像は歌川国貞画(1850頃)
マッキンリー大統領暗殺事件(1901)
カロル2世
ミハイ1世
ルーマニア王カロル2世が退位・亡命、息子のミハイ1世が復位(1940)

ソビエト連邦の最新鋭戦闘機・MiG-25が日本に飛来。(1976年)

88 :
394年 - フリギドゥスの戦い。ローマ帝国皇帝テオドシウス1世が対立皇帝エウゲニウスを破る。
1492年 - クリストファー・コロンブスが、大西洋横断前の最後の陸地となるカナリア諸島・ラ・ゴメラ島を出港。
1522年 - フェルディナンド・マゼラン一行の5隻の船のうち唯一生き残ったビクトリア号がスペインのサンルカール・デ・バラメーダに帰還。人類史上初の世界一周を達成。
1634年 - 三十年戦争: ネルトリンゲンの戦い。9月7日まで。
1689年(康熙28年7月23日、ユリウス暦8月27日)- ロシア帝国と清がネルチンスク条約に調印。中国初の国境画定条約。
1748年(寛延元年8月14日)- 人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が大坂竹本座で初演。
1791年 - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの歌劇『皇帝ティートの慈悲』がプラハで初演。
1885年 - 東ルメリ自治州がブルガリア自治公国との統合(英語版)を宣言。(統一の日(英語版))
1901年 - マッキンリー大統領暗殺事件。ウィリアム・マッキンリー米大統領が狙撃される。これがもとで9月14日に死亡。
1916年 - クラレンス・サンダース(英語版)がテネシー州メンフィスで、史上初めてのセルフ式食料雑貨店ピッグリー・ウィッグリーをオープン。
1919年 - 帝国美術院創設。
1937年 - 岸田國士・久保田万太郎・岩田豊雄の発起により劇団「文学座」が創立。
1939年 - 第二次世界大戦: 南アフリカ連邦がナチス・ドイツに宣戦布告。
1940年 - 国民の非難の声を受けルーマニア王カロル2世が退位し再び亡命。息子のミハイ1世が復位。
1941年 - 第二次世界大戦: 御前会議で帝国国策遂行要領を決定。10月下旬までに米英に対する日本の要求が通らない場合は開戦を決意すると決定。

1945年 - 第二次世界大戦・ニューギニアの戦い: ニューブリテン島、ニューアイルランド島方面の日本軍の今村均陸軍大将と草鹿任一海軍中将がセントジョージ海峡内の
 英空母グローリー上でオーストラリア軍への降伏文書に署名。トルーマン米大統領が「降伏後における米国の初期対日方針」を承認し、マッカーサーに指令。

1946年 - アメリカ合衆国国務長官ジェームズ・F・バーンズが、シュトゥットガルトで共産主義勢力への対抗と本格的経済再建への着手などを演説し、ドイツ政策の見直しを表明。

89 :
1952年 - カナダ初のテレビ局CBFTがモントリオールに開局。
1953年 - フランス映画「禁じられた遊び」(ルネ・クレマン監督)が日本初公開。
1965年 - インド軍が国境を越えパキスタンに侵攻し、公式に第二次印パ戦争が開戦。
1968年 - スワジランドがイギリス保護領から独立。
1970年 - PFLP旅客機同時ハイジャック事件。パレスチナ解放人民戦線 (PFLP) が5機の旅客機を同時にハイジャック。
1976年 - 冷戦: ベレンコ中尉亡命事件。ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に着陸し、アメリカへの亡命を求める。
1978年 - 米コロラド州のメサ・ヴェルデが世界遺産に指定。
1979年 - 阿蘇山の中岳が噴火。観光客3人が死亡。
1983年 - 自衛隊が傍受した大韓航空機撃墜事件の際のソ連軍機の交信記録が国連安保理で公開。
1984年 - 韓国大統領全斗煥が訪日。韓国の国家元首では初の公式来日。
1989年 - 日本の静止気象衛星「ひまわり4号」打ち上げ。
1991年 - ソビエト連邦がバルト三国の独立を承認。
1991年 - ソ連第二の都市レニングラードの名称が、1924年以前の名称のサンクトペテルブルクに戻される。
1995年 - ボルチモア・オリオールズのカル・リプケンが、ルー・ゲーリッグの2130試合連続出場記録を塗り替え。
1995年 - 坂本堤弁護士一家殺害事件: 坂本堤弁護士一家の遺体捜索を開始。同日中に夫妻、10日に長男の遺体を発見。
1997年 - ダイアナ妃の国民葬(英語版)がウェストミンスター寺院で行われる。
2008年 - 北京パラリンピックが開幕。
2013年 - 田中将大が世界新記録となる開幕21連勝を達成[1][2]。

90 :
目次 [非表示]
1 できごと
2 誕生日
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 誕生花・誕生石
6 フィクションのできごと 6.1 誕生日 (フィクション)

7 脚注 7.1 注釈
7.2 出典

8 関連項目

91 :
誕生日[ソースを編集]
1D line.svg
ラファイエット
アメリカ合衆国の記念切手
アメリカ独立戦争とフランス革命双方のキーパーソン、政治家ラファイエット(1757-1834)誕生。右画像は生誕200周年の記念切手
画家マリー=ガブリエル・カペ(1761-1818)。画像は自画像(1783)
画家ジョヴァンニ・ファットーリ(1825-1908)。画像は自画像(1854)
化学者ジョン・ドルトン(1766-1844)。原子説を提唱
建築家槇文彦(1928-)誕生。画像は幕張メッセ(1989)
指揮者、岩城宏之(左; 1932-2006)
漫画家、永井豪(1945-)

1644年 - フアン・カバニーリェス、オルガニスト、作曲家(+ 1712年)
1757年 - ラファイエット、アメリカ独立戦争に参加した軍人(+ 1834年)
1761年 - マリー=ガブリエル・カペ、画家(+ 1818年)
1766年 - ジョン・ドルトン、化学者、物理学者(+ 1844年)
1825年 - ジョヴァンニ・ファットーリ、画家、版画家(+ 1908年)
1860年 - ジェーン・アダムズ、女性活動家(+ 1935年)
1884年 - 西村伊作、教育者(+ 1963年)
1888年 - ジョセフ・P・ケネディ、在イギリスアメリカ合衆国大使(+ 1969年)
1890年 - 綾部健太郎、政治家、第53代衆議院議長(+ 1972年)
1896年 - マリオ・プラーツ、美術史家、文学研究者(+ 1982年)
1910年 - 黒柳朝、教育者、エッセイスト(+ 2006年)
1912年 - ジャック・ファット、ファッションデザイナー(+ 1954年)
1913年 - 石本茂、政治家、看護師(+ 2007年)
1923年 - 大石慎三郎、日本史学者(+ 2004年)
1925年 - ジミー・リード、歌手(+ 1976年)
1926年 - 星新一、作家(+ 1997年)
1928年 - 槇文彦、建築家
1928年 - エフゲニー・スヴェトラーノフ、指揮者(+ 2002年)

92 :
誕生日[ソースを編集]
1D line.svg
ラファイエット
アメリカ合衆国の記念切手
アメリカ独立戦争とフランス革命双方のキーパーソン、政治家ラファイエット(1757-1834)誕生。右画像は生誕200周年の記念切手
画家マリー=ガブリエル・カペ(1761-1818)。画像は自画像(1783)
画家ジョヴァンニ・ファットーリ(1825-1908)。画像は自画像(1854)
化学者ジョン・ドルトン(1766-1844)。原子説を提唱
建築家槇文彦(1928-)誕生。画像は幕張メッセ(1989)
指揮者、岩城宏之(左; 1932-2006)
漫画家、永井豪(1945-)

1644年 - フアン・カバニーリェス、オルガニスト、作曲家(+ 1712年)
1757年 - ラファイエット、アメリカ独立戦争に参加した軍人(+ 1834年)
1761年 - マリー=ガブリエル・カペ、画家(+ 1818年)
1766年 - ジョン・ドルトン、化学者、物理学者(+ 1844年)
1825年 - ジョヴァンニ・ファットーリ、画家、版画家(+ 1908年)
1860年 - ジェーン・アダムズ、女性活動家(+ 1935年)
1884年 - 西村伊作、教育者(+ 1963年)
1888年 - ジョセフ・P・ケネディ、在イギリスアメリカ合衆国大使(+ 1969年)
1890年 - 綾部健太郎、政治家、第53代衆議院議長(+ 1972年)
1896年 - マリオ・プラーツ、美術史家、文学研究者(+ 1982年)
1910年 - 黒柳朝、教育者、エッセイスト(+ 2006年)
1912年 - ジャック・ファット、ファッションデザイナー(+ 1954年)
1913年 - 石本茂、政治家、看護師(+ 2007年)
1923年 - 大石慎三郎、日本史学者(+ 2004年)
1925年 - ジミー・リード、歌手(+ 1976年)
1926年 - 星新一、作家(+ 1997年)
1928年 - 槇文彦、建築家
1928年 - エフゲニー・スヴェトラーノフ、指揮者(+ 2002年)

93 :
1930年 - 西村京太郎、推理作家
1930年 - 小林昭二、俳優(+ 1996年)
1930年 - ダニエーレ・バリオーニ、テノール歌手
1932年 - 岩城宏之、指揮者(+ 2006年)
1932年 - 小川安三、俳優
1932年 - 東海林修、作曲家、編曲家
1940年 - 田中俊幸、元プロ野球選手(+ 2008年)
1940年 - 戸塚宏、教育者
1942年 - 石山建一、元野球選手
1943年 - 三遊亭円遊(5代目)、落語家
1943年 - ロジャー・ウォーターズ、ミュージシャン(ピンク・フロイド)
1944年 - 山田正雄、北海道日本ハムファイターズ球団ゼネラルマネージャー、元プロ野球選手
1945年 - 大川茂、歌手(元ハイ・ファイ・セット)
1945年 - 永井豪、漫画家
1945年 - 長谷川法世、漫画家
1946年 - 大島理森、政治家
1947年 - 瀧野欣彌、元総務事務次官、内閣官房副長官
1948年 - サミュエル・ホイ、俳優・歌手
1949年 - 柏原寛司、脚本家
1949年 - 末木文美士、仏教学者
1950年 - 市毛良枝、女優
1951年 - 西野義和、元朝日放送アナウンサー
1954年 - カーリー・フィオリーナ、実業家
1957年 - 日下秀昭、俳優
1957年 - 加藤知子、ヴァイオリニスト
1958年 - 鈴木雅之、演出家、映画監督
1959年 - 吉俣良、作曲家、編曲家
1960年 - 大江千里、シンガーソングライター、ミュージシャン
1961年 - 黒岩彰、元スピードスケート選手
1961年 - 永澤俊矢、俳優

94 :
1961年 - ポール・ワークター=サヴォイ、ミュージシャン、a-haのギタリスト
1961年 - 竹田団吾、衣装デザイナー
1962年 - 黒澤浩樹、空手家
1962年 - 小熊英二、社会学者、慶應義塾大学助教授
1962年 - パンツェッタ・ジローラモ、タレント、エッセイスト
1963年 - イワン・ハシェック、元サッカー選手
1963年 - ROLLY(元ローリー寺西)、歌手、舞台俳優
1964年 - ワタナベシンイチ、アニメ監督、演出家
1965年 - 高橋紀成、プロデューサー
1965年 - 堀池巧、元サッカー選手
1965年 - クリストファー・ノーラン、詩人、作家(+ 2009年)
1967年 - セルジオ・ファリアス、サッカー指導者
1967年 - 園田康博、政治家
1968年 - 秋山浩保、政治家、千葉県柏市長(第6代)
1968年 - 川上量生、実業家
1969年 - 伊藤理佐、漫画家
1969年 - 小村徳男、サッカー選手
1969年 - メッセンジャーあいはら、お笑い芸人(メッセンジャー)
1969年 - 東川公則、騎手
1969年 - 稲田容子、ライフル射撃選手
1970年 - 片岡英彦、プロデューサー、国際NGO世界の医療団の広報責任者
1970年 - 甲田哲也、実業家
1971年 - 宮内美澄、テニス選手
1971年 - 若林志穂、元女優
1971年 - ユーリ・オメルチェンコ、オリエンテーリング選手
1972年 - チャイナ・ミエヴィル、ファンタジー作家
1973年 - カルロ・クディチーニ、サッカー選手
1974年 - ティム・ヘンマン、テニス選手
1974年 - 寺川能人、サッカー選手
1975年 - 谷亮子、柔道選手

95 :
1975年 - デレク・リー、元メジャーリーガー
1976年 - マイケル中村、プロ野球選手
1976年 - 塩屋大輔、元プロ野球選手
1977年 - 氷川きよし、歌手
1977年 - 南辻史人、俳優
1977年 - 吉川英梨、作家
1978年 - 澤穂希、女子サッカー選手
1978年 - 宮崎充登、元プロ野球選手
1978年 - まんぼう、マジシャン
1979年 - 原信生、元サッカー選手
1979年 - 片山伸次、大相撲力士
1979年 - 田中充、元プロ野球選手
1980年 - 日向悠二、キャラクターデザイナー
1981年 - 阿部勇樹、サッカー選手
1981年 - マーク・ティーエン、メジャーリーガー
1982年 - YUI(品田ゆい)、タレント
1982年 - 赤松真人、プロ野球選手
1982年 - 後藤伸也、元プロ野球選手
1983年 - 阪本麻美、グラビアアイドル
1984年 - クリスティアン・ラウフバウアー、フィギュアスケート選手
1984年 - リュック・アバロ、ハンドボール選手
1985年 - 水野晃樹、サッカー選手
1985年 - 坂克彦、プロ野球選手
1985年 - 木下康太郎、フジテレビアナウンサー
1985年 - 長濱慎、俳優、モデル
1985年 - ケール・オージ、元プロ野球選手
1985年 - ミッチ・モアランド、メジャーリーガー
1986年 - ダニルソン・コルドバ、サッカー選手
1987年 - みなかみ菜緒、声優
1988年 - 藤田玲、俳優

96 :
1988年 - アーノルド・レオン、メジャーリーガー
1989年 - 千々木駿介、バレーボール選手
1990年 - 塚本舞、グラビアアイドル
1990年 - 李芷菁、フィギュアスケート選手
1991年 - 小関翔太、プロ野球選手
1991年 - 市川知宏、俳優
1991年 - タイラー・オースティン、プロ野球選手
1993年 - サビーナ・パキエ、フィギュアスケート選手
1994年 - 井澤美香子、声優
1994年 - 福地亜紗美、女優
1994年 - 山田詩織、タレント
1995年 - 藤原薫、俳優
1996年 - 本郷理華、フィギュアスケート選手
1997年 - つくし、プロレスラー
2006年 - 悠仁親王、皇族
生年不明 - 詩月カオリ、歌手
生年不明 - 若月さな、イラストレーター
生年不明 - Des-ROW(右寺修)、作曲家
生年不明 - IRUMA RIOKA、シンガーソングライター
生年不明 - 袴田めら、漫画家
生年不明 - 安澤千草、ナイロン100℃、女優

97 :
忌日[ソースを編集]
歌人、在原行平(818-893)没。 立ち別れいなばの山の峰におふるまつとしきかば今かへりこむ――小倉百人一首
室町幕府第11代将軍、足利義澄(1481-1511)
フランスの財務総監、ジャン=バティスト・コルベール(1619-1683)没。コルベルティスム(英語版)と呼ばれる重商主義政策を行った
化学者フレデリック・エイベル(1827-1902)没。火薬の権威であった
詩人シュリ・プリュドム(1839-1907)没。 身体は幸いなるかな!横たわれば安息があり、死すれば虚無がある。
作曲家ハンス・アイスラー(1898-1962)
声楽家ルチアーノ・パヴァロッティ(1935-2007)

893年(寛平5年7月19日) - 在原行平、歌人、公卿(* 818年)
952年(天暦2年8月15日) - 朱雀天皇、日本の第61代天皇(* 923年)
972年 - ヨハネス13世、第133代ローマ教皇
1335年(建武2年8月19日) - 諏訪頼重、南北朝時代の武将
1335年(建武2年8月19日) - 諏訪時継、南北朝時代の武将
1357年(正平12年/延文2年閏7月22日) - 西園寺寧子、後伏見天皇の女御(* 1292年)
1511年(永正8年8月14日) - 足利義澄、室町幕府第11代将軍(* 1481年)
1559年 - ガロファロ、画家(* 1481年)
1566年 - スレイマン1世、第10代オスマン帝国スルターン(* 1494年)
1631年(寛永8年8月10日) - 本多忠政、姫路藩主(* 1575年)
1683年 - ジャン=バティスト・コルベール、重商主義者、フランス財務総監(* 1619年)
1685年(貞享2年8月8日) - 青山忠雄、浜松藩主(* 1651年)
1729年(享保14年8月14日) - 松平基知、白河藩主(* 1679年)
1775年(安永4年8月12日) - 宗義蕃、第9代対馬府中藩主(* 1717年)
1782年 - マーサ・ジェファーソン、アメリカ合衆国のファーストレディ(* 1748年)
1831年 - ウィリアム・ジョーンズ、第4代アメリカ合衆国海軍長官(* 1760年)
1860年 - ゲオルク、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公(* 1779年)
1869年 - ジョン・アーロン・ローリンズ、第29代アメリカ合衆国陸軍長官(* 1831年)
1902年 - フレデリック・エイベル、化学者(* 1827年)
1907年 - シュリ・プリュドム、詩人(* 1839年)
1911年 - 下瀬雅允、発明家、日本海軍の軍属(* 1859年)

98 :
1920年 - 嵐璃寛 (5代目)、歌舞伎役者(* 1871年)
1923年 - 木下淑夫、鉄道院の官僚(* 1874年)
1931年 - 橋川正、歴史学者(* 1894年)
1937年 - ヘンリー・ハドリー、作曲家(* 1871年)
1939年 - オットー・ブレンデル、天文学者(* 1862年)
1939年 - 浜田国松、第30代衆議院議長(* 1868年)
1940年 - 麻生久、労働運動家、衆議院議員(* 1891年)
1945年 - ジョン・S・マケイン・シニア、アメリカ海軍の大将(* 1884年)
1949年 - 楊虎城、中華民国の軍人(* 1893年)
1950年 - オラフ・ステープルドン、小説家、哲学者(* 1886年)
1957年 - 山田わか、社会運動家(* 1879年)
1962年 - 柏尾誠一郎、テニス選手(* 1892年)
1962年 - ハンス・アイスラー、作曲家 (* 1898年)
1963年 - 宮島清次郎、実業家(* 1879年)
1966年 - マーガレット・サンガー、産児制限運動家(* 1879年)
1966年 - 篠原陸朗、政治家(* 1883年)
1969年 - アルツール・フリーデンライヒ、サッカー選手(* 1892年)
1978年 - マックス・デキュジス、テニス選手(* 1882年)
1994年 - ニッキー・ホプキンス、ミュージシャン(* 1944年)
1998年 - 黒澤明、映画監督(* 1910年)
2005年 - 河合斌人、実業家(* 1918年)
2005年 - 宮下信明、元プロ野球選手(* 1924年)
2007年 - ルチアーノ・パヴァロッティ、テノール歌手(* 1935年)
2007年 - イ・エジョン、女優(* 1987年)
2008年 - アニタ・ペイジ、女優(* 1910年)
2008年 - 寺内大吉、小説家、増上寺法主(* 1921年)
2011年 - 真田雅則、元サッカー選手、コーチ(* 1968年)
2014年 - 山口洋子、作家、作詞家(* 1937年)
2015年 - 砂田圭佑、政治家(* 1933年)

99 :
記念日・年中行事[ソースを編集]
統合前の東ルメリ自治州とブルガリア自治公国 ニコライ・パヴロヴィッチ(ブルガリア語版)画『統合されたブルガリア』 ブルガリアの統合(英語版)(1885)
スワジランドの位置 伝統的な家屋 スワジランドの独立記念日(1968年独立)
第二次印パ戦争、破壊・放棄されたパキスタンの戦車
独立記念日(スワジランドの旗 スワジランド) 1968年のこの日、スワジランドがイギリスから独立した。
統一の日(英語版)(ブルガリアの旗 ブルガリア) 一旦ブルガリア自治公国と東ルメリ自治州に分割されたブルガリア公国が1885年のこの日に統合(英語版)されたことを記念。
防衛の日・パキスタン陸軍の日(パキスタンの旗 パキスタン) 1971年の第二次印パ戦争にちなむ。9月7日は陸軍の日、9月8日は海軍の日。
妹の日(日本の旗 日本) 「兄弟型姉妹型」研究家で漫画家の畑田国男が1991年に制定。毎年「日本妹大賞」が発表・授賞され、これまでに有森裕子、岩崎恭子、きんさんぎんさんの妹である蟹江ぎんなどが受賞している。
ホシヅルの日(日本の旗 日本) SF作家、星新一をしのぶ日。
黒の日(日本の旗 日本) 「く(9)ろ(6)」の語呂合せ。1989年に創立40周年を迎えた京都墨染工業協同組合が制定し、翌年から実施。伝統染色の黒染めをPRし、黒紋服や黒留袖の普及を図る日。
鹿児島黒牛・黒豚の日(日本の旗 日本) 「く(9)ろ(6)」の語呂合せ。鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が1998年に制定。
松崎しげるの日(日本の旗 日本) 松崎のデビュー45周年を記念して、松崎の日に焼けた黒い肌にちなんで、日本記念日協会に申請し、2016年に認定される[3]。
MBSラジオの日(日本の旗 日本) MBSラジオのFM周波数が90.6MHzであることから、日本記念日協会に申請し、2016年に認定される[4]。

100 :
誕生花・誕生石[ソースを編集]

誕生花
ナスタチューム(キンレンカ)
クルマユリ

誕生石
サーペンティン


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