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舞台の批評・感想を!−3幕−


1 :2013/10/28 〜 最終レス :2018/05/16
観てきた舞台の批評・感想を書いてね。
フォーマットは、
■公演名
■スタッフ、キャスト、劇団
■劇場名、上演日
■URL
■批評・感想
過去スレは、
1幕(2010.11.03-2012.12.05)・・http://www.logsoku.com/r/drama/1288433454/l324
2幕(2010.08.24-2013.10.18)・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/13-199

2 :
■蜉蝣峠
■作:宮藤官九郎、演出:いのうえひでのり、出演:古田新太、堤真一、高岡早紀、劇団:劇団☆新感線
■新宿バルト9、2013.10.28−11.1
http://www.geki-cine.jp/kagerou/
■幕開けからウンコを食べたり、チンチンを切られたりショッキングな場面が続きます。 「天保の改革」というと19世紀中頃の飢饉の頃ですかね。 それにしても農民の衣装も凄い。 匂いが迫ってくるようです。 これが150年前の日常風景だったのでしょうか?
ある意味劇的です。 これを風景的劇的とでも言うのでしょうか。 最初からボルテージは上がりっぱなしです。 主人公闇太郎(古田新太)が偽者だとわかる後半のすべての謎が解き明かされてからはトップギアですね。
でもお泪と闇太郎の二人の愛と行く末に感動をしたいところですがそうさせてくれません。 闇太郎はただ一人ロボットのような科白や動きで、しかもお泪の両親を殺している。 生きたい!と闇太郎は何度も口にしますがその心の奥底が語られません。 
近親者を次々殺していく立派親分(堤真一)も何をしたいのかよくわからない。 まるで蜉蝣のように生まれ、生き物としての欲を追いそして蜉蝣のように死んでいく人々にみえます。 それでも作者、演出家、役者の三拍子揃った力強い面白さが溢れていました。

3 :
■シレンとラギ
■作:中村かずき、演出:いのうえひでのり、出演:藤原竜也、永作博美、劇団:劇団☆新感線
■新宿バルト9、2013.10.5−
http://www.shiren-to-ragi.com/
■ギリシャ神話、預言者、忍者くノ一、新興宗教、南北朝時代、化学兵器・・。 神話・歴史・物語・科学などから骨組を抽出・結合・肉付けしてあるので表面の流れが複雑です。 人椅子や人イヌなども漫画・SFですね。 ともかく凄い!
オイディプス神話以外の人間関係をマンガチックに表現しています。 これが舞台全体の印象を決定付けています。 王と家臣、教祖と信者、武士の棟梁同士などです。 しかしオイディプスとマンガチックを混ぜ合わせた舞台は咬み合っていません。
この噛み合せが悪いため、面白いのですが感動が分散された観後感を持ってしまいます。 父母子の劇的関係がマンガ的雑音で薄れてしまった。 これで上手くいった一例は手塚治虫の漫画だとおもいます。
前半の終わりにシレンとラギの関係が明かされます。 このため後半は緩みが生じてしまい流れが澱みました。 20分くらい削ぎ落としたほうがスッキリしたのではないでしょうか。 シレンの泣いたような笑顔で喋る科白は舞台に独特の雰囲気を出していました。

4 :
■SHIROH
■作:中村かずき、演出:いのうえひでのり、出演:中川晃教、上川隆也、劇団:劇団☆新感線
■品川プリンスシネマ、2013.10.19−31
http://www.geki-cine.jp/shiroh/
■ミュージカルとは驚きです。 歌唱がイマイチの役者でも流れに乗れば気にならない。 シローの熱唱は嫌味がなくて騒がしい舞台を上手くまとめていました。 天草四郎といえば「魔界転生」しか知りません。 歌で人を意のままにするとは正に歌界転生ですね。
ミュージカルは得るモノと捨てるモノがハッキリみえます。 松平信綱、柳生十兵衛、くノ一お蜜の存在感が際立っていたのは台詞が多いからです。 歌唱は言葉が全てではありませんから、相対的に台詞の力が強く浮き出てしまった。 しかも演技派に有利です。
そして「シランとラギ」>>3の教団もそうでしたが、キリシタンはまるで新興宗教です。 アラブ世界を映したり聖戦と言ったりもはやゴッタ煮です。 キリシタンの中身の無い自由はそのまま物語の弱さに繋がっています。 
しかしミュージカルである歌唱の力がこれら弱点を隠してくれます。 劇団の強さがあればこそ可能なことです。 そして舞台はロックのリズムにノッてごった煮的感動が出現するのです。

5 :
■甘露
■作・演出:西尾佳織、劇団:鳥公園
■三鷹芸術文化センター、2013.10.25−11.2
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage36204_1.png?1383461415
■広い空間をつまみ食いしているような舞台である。 奥まで行ってインスタントラーメンにお湯を入れたり、高い窓からデートをしたりだ。 声が響くので聞き耳をたてる必要もあった。 デート以外では劇場の使い方が成功しているとはいえない。
父娘や会社の同僚、同窓会の話があるので昔友達など人間関係はある程度わかる。 しかし興味のわかないストーリーである。 女教師の初めてのデート場面が記憶に残るくらいか。
内と外の関係に興味があるらしい。 肉体に関しての話題、特に口腔から肛門までの食事・排泄や臭いの話、国の内から外への亡命の話などある。 そして数万年後の人類の話が二度もでてくる。 種の生成滅亡も長い期間ではありうることを言いたいらしい。
チラシを読んだら「・・・感情より原初的な人間の性質を知りたい。 長いスパンを考えたい。 ・・」。 しかし恋愛や仕事、結婚のことで手一杯な感じである。 知りたいことや考えたいことが舞台とは関係のないところで演じられていたようである。

6 :
■ひかり−NOT HERE
■出演:櫻井郁也
■PLAN−B、2013.11.1−2
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage38926_1.jpg?1383461630
■肩を軸にして腕を動かす。 細部に行く途中で腕を展開する。 そのまま体全体に向かう。 基本はおおらかな振付にみえます。 カーボーイのズボンとインディアンのシャツ?。 西部劇を思い出す衣装です。 振付も乾燥的と言ってよいかもしれません。  
舞踏が原点のようです。 二度ほどのピアノ場面に振付が明るくなりました。 動きは素晴らしいです。 しかし盛り上がる場面はもう少しメリハリを付けてもよいのではないでしょうか? 顔の表情はオドロオドロしく盛り上がっていましたね。
櫻井郁也の名は聞いていたのですが観る機会がなかった。 今日が初めてです。 近頃は舞踏もご無沙汰していました。 久しぶりの充実した舞台で心が洗われました。

7 :
■エフゲニー・オネーギン
■指揮:V・ゲルギエフ、演出:D・ワーナ、出演:A・ネトレプコ、M・クヴィエチェン、P・ペチャワ、O・ヴォルコヴァ
■新宿ピカデリ、2013.11.2−8
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/
■草色で統一された舞台はA・ワイエスの絵を思い出させてくれる。 豊かな米国農村のようでMETはやっぱり欧州とは違うわね。
ワーグナは言葉=歌唱と音楽が別々に迫ってくるけど、チャイコフスキは言葉が音楽に乗って届く感じね。 どちらも歌唱の意味を噛みしめるだけの経験豊かな中身を持っているわ。 MET総裁が「チェーホフを観ているようだ」と言っていたけどある意味当たり。
1幕のネトレプコの純真さは化粧や衣装で誤魔化していたけど素敵よ。 3幕もロシア語だから余裕なの。 彼女は歌唱はお見事だけど言葉が浅いのよ。 でも舞台の面白さは科白がリアルなことにあるようね。 だからチャイコフスキーってこんなにも面白い!
当時の慣習が舞台の隅々に漂っているし、グレーミング公爵の短い登場にも重みがある。 そして高等遊民の楽しみや悩みが歌唱の中にしっかり表現されていた。 指揮者が学生の頃に原作を暗記させられたと答えていたけど、ロシア文学オペラ恐るべし!

8 :
■髑髏城の七人−アカドクロ−
■作:中島かずき、演出:いのうえひでのり、出演:古田新太、水野美紀、劇団:劇団☆新感線
■新宿バルト9、2013.11.5−8
http://www.geki-cine.jp/akadokuro/
■前半は物語の説明だけで終わってしまいました。 背景はチャンバラだけです。 後半に物語や人物の全容がみえてやっと面白くなります。 台詞に切れがあるのはチャンバラとの相乗効果もあるでしょう。 息切れするので言葉が短くなるからです。
天魔王と捨之介は織田信長残党で瓜二つという設定。 もちろん一人二役、しかも無界屋蘭兵衛は森蘭丸、牢人狸穴二郎衛門が家康とは嬉しい驚きです。 秀吉の関東攻めの合間にイギリス海軍に大阪を攻撃してもらうという天魔王の計画も楽しすぎます。
しかしストーリーで活かされるのは家康だけです。 天魔王の仮面や蘭丸のネックレスが信長の骨と聞いてゾクゾクしましたが何もおこりません。 後半、雑多で決まり通りの流れとチャンバラに終始します。 リズムある勢いの面白さはいつもながら素晴らしい。
そして生き残った捨之介はひょっとしたら天魔王なのでは? ダース・ベーダーは死んでしまったのか? ・・わからないまま幕が降りてしまいました。

9 :
■ザ・スーツ
■作:キャン・センバ、演出:ピータ・ブルック
■パルコ劇場、2013.11.6−17
http://www.parco-play.com/web/play/suit/
■まるで能舞台のようだわ、といってもブルック流のね。 ギターやアコオデオン・トランペットは囃子方。 音楽の比重が高いのも似ているの。 スーツとのダンスもシテの舞のよう。 衣服に意味をこめるのも能の話によくある。
妻の不倫を夫が許さない。 許して忘れろと友達から言われた夫は妻の元に急ぐが時すでに遅し。 妻は自死してしまう。 時代はアパルトヘイト時代のヨハネスブルクで俳優はすべて黒人。 洗練された明るい日常的衣装がとても似合っている。
まさにグローバル演劇だわ。 世界共通の話題である人種差別と愛する人の不倫をシンプルな舞台にして提供しているからよ。 そして国や人種を越えた抽象性のある感動を持っているの。 これこそブルック流グローバル演劇の素晴らしさね。  
しかも観客への目配りが多くて役者たちと親しみの有る対話をしているみたい。 パーティ場面ではなんと数人の観客を舞台に招待したの。 この劇場は舞台と観客の距離が近いこともあるから俳優との一体感はいつも以上だった。

10 :
■セールスマンの死
■作:アーサ・ミラ、演出:中島諒人、出演:鳥の劇場
■新国立劇場・小劇場、2013.11.9−10
http://www.beseto.jp/20th/program/tottori_prog01.html
■この芝居はいつも同じ観後感を持ってしまう。 「幸せは、同じ顔をしているが不幸は、みな違う顔をしている」。 逆である。 「幸せは、違う顔をしているが不幸は、みな同じ顔をしている」。 資本主義の現実である。 職業の不幸は人を同じ顔にしてしまう。
母と子は喪服姿である。 ビフは少年時代、大学時代と現在の3人が登場する。 喪服を基準に時間の流れを舞台に可視化できていて面白い。 時々観客に扮した変なオバサンが二人でてきて漫才をする。 唯一の笑いでホットさせてくれる。
鳥の劇場は初めて観た。 特に兄などはSCOTの舞台をみているような台詞の喋り方である。 身体が付いていかないので中途半端だが。 日中韓の複数言語の使用もそうだが鈴木忠志の影響が強い劇団にみえる。
しかしこの作品は強い。 ビフの現状はそのまま日本の現状に当てはめることができる。 そして資本主義の人への浸透力は舞台上の下手な(上手もあった)小細工を無意味にしてしまう。

11 :
■クリプトグラム
■作:デイヴィッド・マメット、演出:小川絵梨子
■シアタートラム、2013.11.6−24
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_t_131106_cryptogram_l_pm_poster_2.jpg
■均整のとれた階段のある白い応接間が印象的です。 10歳前くらいの子供が終幕まで台詞を喋る芝居は殆ど見たことがありません。 両親が登場しますが父親ではないことが直ぐわかります。 息子が父の帰りを待っているからです。
疑問を次々と質問する息子に男と母も翻弄されます。 愛しているとか約束という言葉が子供に向けられます。 子供への言葉は大人と同じことを実感します。 日本の親は余程でないと子供に使わない言葉です。 
男の喋り方は何かオドオドしています。 最初は子供に合わせているのかとみていましたが、そうではなさそうです。 何か隠しています。 男は自身の紹介を短く喋りましたが全体像はみえません。 一度だけ女に愛していると言ったようにもみえます。 男として。
男は子供の父を殺してしまったのではないか? 疑問のまま終わってしまいました。 チラシには粗筋もありません。 「作者が仕掛けた「暗号」とは・・」と書いてありますが、これは何か? 今もって暗号を含め他のことすべてが解読できていません。

12 :
■もう風も吹かない
■作・演出:平田オリザ、出演:青年団
■吉祥寺シアタ、2013.11.7−18
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage38215_1.jpg?1384124973
■セリフに脳味噌がピッタリくっついてしまった感じのする舞台だったわ。 役者の雑談から離れられないということね。 これと似ているのは小津安二郎の映画よ。 違うところは小津は波長が長いこと。 この舞台は波長が短い。 
この波長が上演時間120分を規則正しく脈打っていた。 途中10分程もたつく場面があって飽きが来たけど持ち直したようね。 20人くらいの役者の多くが椅子に座り時々出入りするくらいの静的な舞台も波長と同期していた。
どうも近未来の話のようだけど・・。 人を助けるとは? 海外協力隊員の内輪話を聞いていていろいろ考えさせられたわ。 それよりも上演時間全体や舞台全体をまるごと意識させる演劇的感動とは何か?を考えてしまう舞台だった。

13 :
■夜会VOL.17
■出演:中島みゆき
■テアトル新宿、2013.11.9−
http://www.yakai-movie.jp/index.html
■BGMが鳴り続けているようで実際に歌っているようにはみえない。 CDを聞きながら別に撮った映像を見ているようだ。 音響は相当に手を入れている感じである。 舞台の臭いがしない。 
これだけの演技をするのに、中島みゆきは大きなマイクを手から離さない。 コンサートとしての「歌旅」「歌姫」とは雲泥の差である。
「夜会」は舞台で一度も観ていない。 実際の舞台はもっと良かったのではないかと思う。 この内容で舞台が上演されたとは少し信じ難い。
近頃は舞台を撮った映像を上演することが多くなった。 映像化する目的・方法はいろいろあってもよいが、編集度合は事前に公開して欲しいくらいだ。 舞台との差異が知りたいこともある。

14 :
■スパルタクス
■音楽:A・ハチャトリアン、振付:Y・グリゴローヴィチ、出演:M・ロブーヒン、A・ニクリナ、S・ザハーロワ、V・ラントラートフ
■イオンシネマ系、2013.11.13−17
http://www.theatus-culture.com/bolshoi/
■ソビエトを引き継いでいるような舞台だわね。 ハチャトリアンとグリゴローヴィチが結合して鋼鉄の舞台が出現するの。 重量級だけど切れ味は素晴らしい。 サーカスを見ているような場面もあったけど、豪快な振付に脳味噌がピクピクしたの。 
大きな石垣の背景と広い舞台がダンサーの肉体を解放していた。 そして夕焼けのような赤茶けた照明と夜明け前の薄青色の照明。 この二つの色でローマの闘いと愛に深みを与えていた。 
でも身体が物語を紡ぎだすのは難しいようね。 ダンサーの表情も硬すぎるし大味で緊張感が続かない。 もうすこし感情表現を導入すれば緊張が最後まで保てたかもしれないわ。 ボリショイバレエ団のフラグシップ作品だと納得。

15 :
■バレエ・リュス−ストラヴィンスキ・イブニング−
■音楽:I・ストラヴィンスキ、指揮:K・カッセル、監督:D・ビントレ、出演:新国立劇場バレエ団
■新国立劇場・オペラパレス、2013.11.13−17
http://www.atre.jp/13russes/
■三本立てです。 「火の鳥」は白い月、煌めく星々、澄み切った空気、でも登場した火の鳥は鶴か鷺のようです。 もっと火のような激しさがあるのかと想像していました。 淡白な舞台です。 物語を規則正しく消化したような舞台でした。
「アポロ」も澄み切った舞台です。 青を背景に階段のある黒い建物はとてもシュールです。 ギリシャ的?な白の衣装が映えます。 アポロと3人のミューズはマスゲームのような関係で踊ります。 首や手首など直角にする振付がとても面白い。
歌詞の面白い「結婚」の振付は農村らしい平凡さがあります。 しかし音楽が素晴らしい。 ストラヴィンスキーのエンジンがやっと全開した舞台です。 戻りますが2作目では既にダンスと音楽が拮抗していました。 
フォーキンもニジンスカも期待外れでした。 というより20世紀初頭のパリのバレエ界が酷すぎたのかもしれません。 ストラヴィンスキはさすがでした。 バランシンもよかったですね。 でもバレエ・リュスの雰囲気がどういうものか伝わってこない舞台でした。

16 :
■鼻
■音楽:D・ショスタコーヴィチ、指揮:P・スメルコフ、演出:W・ケントリッジ、出演:P・ジョット
■東劇、2013.11.16−22
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/
■面白さは予想以上だわ。 この理由は二つあるの。 一つは、歌唱と科白と舞台美術の映像と道具類がみごとに調和している。 二つ目として、官僚国家がリアルに描かれているから。
これはケントリッジの総合芸術力の成果ね。 南アフリカ出身なのにショスタコーヴィチを取り込むことでロシア風アヴァンギャルドで包み込んだ官僚国家ソビエトが出現するから驚きね。 ジャズ風音楽も風刺劇に向いている。
八等官の主人公は生活上どのような位置づけなの? 服のボタンを見れば国家機関のどの部署かわかるの? 警察官は教育費が不足している理由で賄賂を要求するの? ・・・これは尋常ではない! 新聞社の作り方、警察官のデモ排除用マントも凄い。  
このような作品をMETで観ることができたのは嬉しいわ。 ほかではちょっと無理かもネ。

17 :
■東海道四谷怪談
■作:鶴屋南北、監修:木ノ下裕一、演出:杉原邦生、出演:木ノ下歌舞伎
■あうるすぽっと、2013.11.21−24
http://www.festival-tokyo.jp/program/13/tokaido_yotsuya/
■黒白縦縞の薄汚い傾斜舞台はとても観やすい。 江戸時代に現代を被せたような舞台である。 小道具は江戸、衣装は今風だが刀を差している。 喋りは江戸と現代が混ざり合っている。 ラップミュージックもある。
二組の夫婦が二つの焦点にいるようだ。 物語が周りの楕円曲線上に描かれていく。 そのニ焦点にお岩と伊右衛門そしてお梅、お袖と与茂七そして直助がいる。 二組とも三角関係だ。 お袖とお岩の澄んだ声に女の悲哀が込められていた。
一幕は二組夫婦の展開。 二幕はお岩の狂乱と死。 三幕はお袖と直助の死。 そして伊右衛門と与茂七のチャンバラで幕が降りる。 休息を含め6時間もあった。 それなりのスピード感があるので長く感じさせない。
お岩の醜顔や怨霊も物語の一部に組み込まれ後味が薄い。 四谷怪談も忠臣蔵も背景でうごめいているようだ。 チラシにもポストトークで木ノ下も「これは群集(像?)劇である・・」と言っていたが、なるほど。
群像劇はあとからズシンと感動が来るのだが、しかしこれが弱かった。 どの場面も現代との距離が意識に上がってしまったのが原因である。 群像劇は結果として舞台上で一つの時代を形作らなければ感動が来ない。
三幕では構成を変えて、役者を周囲に座らせ中で演技をする方法を取っていた。 長時間の為変化を取り入れたのだとおもう。 面白いが前幕迄のリズムを崩すのは勿体無い。 通し上演の難しさだろう。 これも群像劇の効果を薄めていた。

18 :
■光のない。(プロローグ?)
■作:エルフリーデ・イェリネク、演出:小沢剛
■東京芸術劇場・シアターイースト、2013.11.21−24
http://www.festival-tokyo.jp/program/13/prolog_ozawa/
■高校美術部の文化祭に行った感じです。 写真や絵画の上に文章が書かれて展示されています。 読み難くてどうしようもありませんね。 「表象」と「ハイデッカー」の文字が網膜に残りました。 
どこからかゴリラ!が登場します。 近くで見ると迫力があります。 「くまモン」の人気の理由がこの時わかりました。 ゴリラは死んだ乳牛を床に並べて悲しみます。 これは狂牛病でしょう。 背景では手製電子ピアノ?が音楽を奏でています。
次にスクリーン一杯に海岸の映像です。 ゴリラがフラダンスを踊っています。 映像が終わり場内でもゴリラが踊りを続けます。 そして積んである袋の上に登りもがき苦しみます。 袋には原発事故汚染水が入っているのでは? ゴリラは沈んでいきます。 ・・。

19 :
■モモノパノラマ
■作・演出:藤田貴大、出演:マームとジプシー
■神奈川芸術劇場・大スタジオ、2013.11.21−12.1
http://www.kaat.jp/detail?id=32296#.UpKKINJxClo
■モモとは猫の名、そして舞台は中高校時代?の家族と友達の話のようです。 大事件があるのでもなく最後に猫の死に様を描きます。 前作の「COCOON」の激しさとは正反対、というよりアウェーから戻って来た感じです。
ホームでの話は劇団の地の姿を見せてくれます。 役者の過去に戻る言い回しで青春時代の風景を舞台に現前させていきます。 材木を組み立てて動かしたり、縄跳び・馬跳び・馬乗りがリフレインの替りです。 身体リズムがいつもより緩やかです。
4面の客席を意識して極めて平均化した動をします。 これで声が聞きづらい場面が多々あります。 この為集中力が欠けてしまい、自身の過去を重ねあわせながら寄り道をしてしまいます。 兄弟喧嘩の違いや猫ではなく犬のシロを飼っていたことなどなど。
モモではなくシロノパノラマといったところです。 たわいのない話ですが独特の身体空間で透明感ある物語に変容させてくれます。

20 :
■NORAノーラ
■作:H・イプセン、演出・出演:tg STAN(ティージースタン)
■あうるすぽっと、2013.11.27−28
http://www.norway.or.jp/norwayandjapan/culture/literature/ibsenfestival2013/#.UpgWfdK3NYE
■入場すると役者が観客と話をしていた。 この小道具は幾らしたとか・・、喋りながらそのまま劇に入っていく。 出演者4名は始終舞台にいて演技する他の役者を見つめている。 舞台の脇で着替えたり、水を飲んだりもする。 舞台照明も客席と同じである。
役者の視線の多くは観客に向けられる。 しかし違和感が無い。 安心感が漂っているからである。 全体の成熟度が高い。 ノーラの二度のダンスも面白い効果が出ている。 音楽もいい。 冗長度を生かしたプロの舞台を観ているようだ。
カネが十分にあればカネを意識する回数が日常では極端に減る。 人間関係が上手くいっている時も同じである。 ランクとの関係がこれだ。 ヘルメルとノーラの行き違いは両者の甘えから来ているようにみえた。 男女間の寛容度が無さすぎる。
後半客席の照明が暗くなった。 流れがシビアである。 仕事で良い部下を持った感じだ。 ところで終幕だがノーラが人形を例えに出した場面で幕を降ろすべきである。 だらだら延ばす必要はない。 よりドライになりコクとキレが出るはずだ。
初めて観た劇団だが気に入った。

21 :
■眠れる森の美女
■音楽:P・チャイコフスキ、振付:Y・グリゴローヴィチ、出演:S・ザハロワ、D・ホールバーグ、ボリショイ・バレエ団
■イオンシネマ系、2013.11.27−30
http://www.theatus-culture.com/bolshoi/
■ちょっとガッカリね。 金襴豪華だけど中身がボヤケている感じ。 背景に金色を使いすぎて華やかな衣装が沈んでしまっているし、舞台が広くて締まりが無い、そして物語に引き込む力が弱い。 
題名を知らないで観たらこれが眠れる森の美女?と疑問符がついてしまうわ。 オーロラ姫は眠っていたのではなく寝ていた感じだしね。 ホールバーグはヤンキー的で面白かった。 ザハロワはもう少し気が利いてもよいはず。 
技術的には申し分が無いけど。 ロイヤル・バレエhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/94が良すぎたのかしら? スパルタクス>>14のような鋼鉄の舞台なら隠せたけど、大味な作品が続くと少し心配になるわね。

22 :
■春興鏡獅子
■出演:中村勘三郎、片岡千之助、中村玉太郎
■東劇、2013.11.30−2014.1.10
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/23/flier.html
■弥生は舞の面白さが詰まっていますね。 心が和みますが同時に舞台の緊張も感じます。 それゆえ胡蝶の精には微笑むしかありません。 
「連獅子」の時のような舞台感動がありませんでした。 胡蝶の精で現実の面白さに戻されてしまったからです。 幼すぎたのだとおもいます。 子供の演出は難しいですね。
「連獅子」はhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/88

23 :
■ピグマリオン
■作:G・バーナードショウ、演出:宮田慶子、出演:石原さとみ、平丘大ほか
■新国立劇場・中劇場、2013.11.13−12.1
http://www.atre.jp/13pygmalion/
■A・アスキス監督映画の記憶が薄かったので心配だったが予想以上の面白い舞台だった。 しかし日本人が階級社会の言葉を翻訳して観る面白さは、イギリス人が英語の科白で観る面白さとは違うものである。
イライザの喋り方には東北弁?が少し混じっていた。 地方訛りなどを取り入れるしかない? 結局はイギリス人がこの芝居を観て感じる心の動きを想像できない。 もし日本語の脚本を書くなら井上ひさしかな?と考えながら観ていたが・・。
それでもこの芝居の面白さはヒギンズやイライザの好演、階級の壁を難なく飛び越えてしまう父、言語学の男女への限界を問う母など、他者への鋭い観察や行動である。 終幕の二人の対話場面は引き締まっていたし、ヒギンズの存在感はピカ一!
白い部屋の舞台美術は漫画キッチュだが、人物像が綺麗に映えて物語にメリハリを付けていたのも中々であった。

24 :
■光のない(プロローグ?)
■作:エルフリーデ・イェリネク、演出:宮沢章夫
■東京芸術劇場・シアターウエスト、2013.11.30−12.8
http://www.festival-tokyo.jp/program/13/prolog_miyazawa/
■題名は>>18と同じで、チケット購入時に迷ってしまいました。 前回の美術系と違ってより演劇でしたね。 舞台には盛り上げた土で一面、出演は女性が5名、台詞は詩を読んでいるようです。 しかし流れも内容もよく理解できません。
終演後、演出家と松井周のポストトークがあったので出席しました。 やっぱり演出家もわからないようです。 ・・$¥。 >>18は文字で今回は発声の違いだと聞いて、ワカリヤスイ! それと太田省吾やテキストと身体の関係の話です。
なぜ太田省吾かというとこの舞台に安藤朋子も出演していたからです。 そう言えばチラシに出てました。 土の色や小道具、瓶や箱の存在感は太田省吾的でした。 照明も似てますね。
しかし役者の身体が違いました。 転形劇場より身体が鈍っています。 これはイェリネクの詩に身体の間が無いためでしょう。 テキストと身体の関係は古くて古いことだと話題にしていましたが、ともあれ今年のイェリネクはよくわかりませんでした。

25 :
■失踪者
■原作:F・カフカ、構成・演出:松本修、音楽:斎藤ネコ、振付:井手茂太、出演:MODE
■座高円寺、2013.12.1−18
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage39221_1.jpg?1386114920
■就職活動中の人が観たら身につまされてしまうストーリーである。 特に移民は桁外れの就活だ。 閉じた円環の作品から抜け出てアメリカに渡り就活をするなどカフカにとっては大事件である。 だからM・ブロートの題名「アメリカ」の方が好きだ。
2001年公演の「アメリカ」が素晴らしかったので再び劇場に足を運んでしまった。 芝居とダンスのコラボが最高だったのを記憶している。 しかし同じ芝居は最初に観たのが一番になることが多い。 残念ながら今回もそうだ。 これが「舞台の法則」である。
この「失踪者」版は重心を芝居に移しているようにみえた。 終幕のヒトラー?の演説はカフカにあわない。 そしてアウシュビッツ?行きの列車に乗る幕引きはやりきれない暗さがある。 アメリカへ行ったのに再び東欧へ・・。
カフカ三部作は芝居・ダンス・音楽の三拍子が見事に揃った稀に見る舞台である。 この三作品でMODEにも注目するようになった。 今回は「審判」「城」も大きく改訂したのかな? これも観に行こうかな? ・・でも「舞台の法則」がチラツイテ行けそうもない。

26 :
■ノーラ
■原作:ヘンリック・イプセン、演出:ラドゥ・アレクサンドル・ニカ、出演:ラドゥ・スタンカ劇場
■あうるすぽっと、2013.12.4−5
http://www.norway.or.jp/norwayandjapan/culture/literature/ibsenfestival2013/#.UqBJWdK3NYE
■舞台は出入口が三つある極端に遠近がある白い部屋でできているの。 とても簡素ね。 公演は2回だからお金はかけられない。 場内に入ると「家族と仕事と・・どちらが大事?」と、インタビュー映像が流れているのには意表を突かれたわ。
答えの半数は仕事。 理由は「仕事が無ければ家族を養えない」。 残りの答えは家族と両方が半々。 インタビューの結果がそのまま舞台の結論ね。 つまり仕事上罠に嵌るのを避けることができたことで、ノラが家を出る必然性が弱くみえてしまった。
ノラの表現があやふやだったのも一因だけど、現代はトルヴァルの仕事が優先するのね。 春に観た「ルル」がとても面白かったので期待していたけど、ちょっと雑な感じがしたわ。 スタンカ劇場のギラギラした深みのある存在感が不発だった。
クログスタの環境問題の話も突飛すぎる。 そしてノラのダンスはどうしようもなく下手だったけどこれは演技かしら? 女の子のほうが上手かったわよ。

27 :
■DANCE TO THE FUTURE ダンス・トゥ・ザ・フューチャ
■監修:デヴィッド・ビントレ
■新国立劇場・小劇場、2013.12.7−8
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/131207_001623.html
■若い振付家たちの9作品を上演。 ベスト3は以下のとおり(上演順)。 音楽の選択がとても重要にみえた。 ソロはよほど上手くないと目立たない。
・「FOLIAフォリア」(振付:貝川鐵夫)・・伸びやかさがあった。 音楽に縛られすぎている感もした。 黒長の衣装での動きはスペイン風景を現前させた。
・「CHEMICAL REACTION」(振付:小笠原一真)・・衣装も照明も面白い。 音楽と一緒に走る志向性が現れていて素晴らしい。
・「SIDE EFFECT」(振付:福田圭吾)・・鼓動のようなリズムに乗って細かい動作の中に強さも有り歯切れの良い楽しさがあった。
これ以外に「バロック孔雀の乖離後の憂鬱」(振付:アンダーシュ・ハンマル)は不思議な作品であった。 ある種の恍惚感を出したかったようだが中途半端な感じがした。

28 :
■石のような水
■作:松田正隆、演出・美術:松本雄吉
■にしすがも創造舎、2013.12.5−8
http://www.festival-tokyo.jp/program/13/water_like_stone/
■ストーカーは現代版イタコですかね。 舞台ではSF場面が日常場面とシックリ馴染んでいないようにみえました。 しかし科白に鋭さがあります。 この鋭さがSFと奇妙に繋がって不思議な混乱の生じる面白さが舞台にあります。
ですから姉妹や夫婦・友人間の会話に興味が集中しました。 映画監督や建築家は特殊な職業のため舞台にメリハリをつけています。 そして映画や建築の話も面白い。 しかし面白くなればなるほど逆に死者との対話が遠くなっていきます。
要はこの芝居は周辺がうるさすぎたのかもしれません。 A・タルコフスキの作品を参照したようですが、これはタルコフスキの直球に新たな変化球を加えた芝居です。 でも変化球が多すぎてしまい直球がよく見えない複雑な舞台でした。

29 :
■ノーラ
■演出:小野寺修二、出演:カンパニーデラシネラ
■あうるすぽっと、2013.12.7−8
http://www.norway.or.jp/norwayandjapan/culture/literature/ibsenfestival2013/#.UqQt-dK3NYE
■芝居の中のダンスは成功すればとても効果があるの。 この逆も然り。 台詞が多いこの舞台はダンスが言葉の意味に飲み込まれてしまった。 ダンスも芝居もどっちづかずという感じに陥ってしまった。
男のダンサーが5人。 ノーラは透明人間なの?、次に机、最後に5人の中の一人が担当するけど新鮮味が無い。 最初から一つで通したほうが物語の統一感ができたはずよ。 
でもストーリーが原作に近いから身体も科白も省略するしか無い。 省略しても言葉が引っかかってダンスは彷徨うばかり。 この彷徨が即興にみえてしまった。 ひょっとして即興だったの?
細かいけど手紙の扱い方が面白かった。 椅子を組み立ててポストにしたり、壁に書いた字が後で手紙だったりして、ここはいつもの冴えが発揮できた。 そして川口隆夫は科白を身体で消化していた。 でも台詞の多いダンスは難問ね。

30 :
■トスカ
■指揮:R・フリッツア、演出:L・ボンディ、出演:P・ラセット、R・アラーニャ、G・ギャグニッザ
■新宿ピカデリ、2013.12.7−13
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/
■2009年版と演出家が同じだから今回も基本は変わらないということね。 スカルピアもそう。 舞台美術も同じ。 前回との比較は・・、
1.見栄えの無い舞台装置が少し良くなった。 今回も良いとは言えないけど。
2.拷問や殺人場面の血の量が減った。 前回クレームが出たんじゃないかしら。
3.テ・デウム場面はより最悪になった。 L・ボンディは何を考えているのかしら?
4.P・ラセットはオペラ的というより芝居的な顔をしている。 ・・関係ないか。
5.悪役スカルピアがよりネットリしてきた。 役に慣れてきたのかしら?
・・こんなところね。 ハラハラドキドキは何回観ても同じ。 さすがトスカね。

31 :
「ギマランス歴史地区」行けなかったよ
メカスの「ウォールデン」も必見だけど行けるかな? 12月は忙しすぎる
どっちもレンタルしないだろうな

32 :
■くるみ割り人形
■振付・演出:P・ライト、出演:L・モレーラ、F・ボネッリ、G・エイヴィス、ロイヤル・バレエ団
■イオンシネマ系、2013.12.13
http://www.theatus-culture.com/roh/movie/
■今年も観てしまったわね。 振付・演出が去年と同じP・ライト。 ドロッセルマイヤのG・エイヴィスも同じだけど、クララ、ハンス・ペータ、金平糖は違ってた。 でも去年と比較すると全体の質が散けている感じね。 まとまりがなかった。
こんぺい糖のL・モレーラはミドル級だから重たさを感じてしまった。 でもさすがロイヤル・バレエね。 全ての場面が楽しかったわ。

33 :
■リア王
■演出:鈴木忠志、出演:SCOT
■吉祥寺シアター、2013.12.12−16
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage40036_1.jpg?1387078268
■様式をより前面に出してきたようにみえる。 もはや現代能に近い。 このため物語力が弱くなっている。 病院という設定もそうだ。 チラシに陳腐化しているとあったが。 シェイクスピアも遠のいた。 フランス王国やドーヴァ海峡はもはや記号である。
これらに代わり親子・兄弟の家族関係が一層強調されていて、現代の老人問題・家族問題を意識させられる流れである。 グロスターとエドガー親子の会話は感動した。 しかし三姉妹、特にコーディーリアの台詞は少なすぎるのでは。
SCOT版「リア王」は何回か観ているが毎回の感動振幅が大きい。 それは3カ国語、2カ国語、1カ国語があり、SCOTでは長すぎる2時間という上演時間にもある。 緊張するので観客の精神状態も影響するのだろう。

34 :
■忠臣蔵
■作:平田オリザ、演出:宮城聰、出演:SPAC
■静岡芸術劇場、2013.12.14−23
http://www.spac.or.jp/13_chushingura.html
■今流行りの「武士の家計簿」「武士の献立」で見るような管理部門が舞台。 その浅野家で家の将来のことを面白可笑しく議論するの。 
舞台では切腹という台詞を軽々しく喋っていたけどその心情がよく見えない。 就職や子供の塾通いの話と切腹や籠城の話が混在している所が面白いけどね。 先日、狂言切腹の「一命」を観たけど、もはや切腹を知らない武士が多いということかしら?
観ていて日本の死刑制度も考えてしまったの。 敵討ちが形を変えて存続しているみたい。 今でも日本人は敵討ちから逃げられないのね。 
ところで一力茶屋の踊りは雑だったけど楽しかったわ。 気楽に観れたけどいつもの身体的感動は少ない芝居だった。 平田オリザと宮城聰の微妙な差異がリズムを壊してしまったのかもしれない。

35 :
ベストテンの作品名を送ってね

36 :
■グッドバイ
■作:北村想、演出:寺十吾、出演:シス・カンパニー
■シアタートラム、2013.11.29−12.28
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_t_131129_sisugoodbye_l_pm_poster_2.jpg
■慌ただしい年末に一息つくことができました。 舞台美術は懐かしさのある漫画ですね。 ズバリ吹き出しも描かれているとは!? そして黄村先生の科白が60年代の風景を蘇らせます。 サルトルとボーヴォワール、学生運動と同棲・・。
先生が8人の愛人を持っているとは驚きです。 三舞理七の調べで愛人とは言えないことも然もありなん、でしょ。 先生の弱さはわからないこともないのですが、これでは太宰治や夏目漱石にも引っかかりません。
しかし先生のこのような弱さからのグッドバイは希望があります。 傾いた塀や電柱、おでんの屋台、そして茜の歌とギターは一瞬テント芝居を思い出させてくれました。 温燗を飲む場面は毎回ツバを飲み込んでしまいましたね。 ホットした後味でした。

37 :
■■ 2013年舞台ベスト・テン ■■
・ルル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/68
・あの記憶の記録・・・・・・・・・・・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/81
・駆込ミ訴へ・・・・・・・・・・・・・・・・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/82
・材料カエサル・・・・・・・・・・・・・・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/83
・わが友ヒットラー・・・・・・・・・・・・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/87
・MY FAVORITE PHANTOM・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/107
・毛皮のマリー・・・・・・・・・・・・・・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/175
・もう風も吹かない・・・・・・・・・・・・>>12
・ノーラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>>20
・ピグマリオン・・・・・・・・・・・・・・・・>>23
*並びは上演日順
*選出範囲は、したらば掲示板「舞台批評」とこのスレに書かれた作品
*2012年ベスト・テンは、http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/40
*2011年ベスト・テンは、http://www.logsoku.com/r/drama/1288433454/170

38 :
■バックコーラスの歌姫たち
■監督:モーガン・ネヴィル、出演:ダーレン・ラヴ、メリ・クレイトン、リサ・フィッシャ、タタ・ヴェガ、クラウディア・リニア
■ル・シネマ、2013.12.14−
http://center20.com/
■父が牧師で聖歌隊に籍を置いた人が多いのね。 彼女たちはステージ中央に立つことを目的としているようだけど本心は見えなかったわ。 米国の舞台業界に翻弄されている姿が先立ってしまうからよ。 それと監督が業界を深追いしなかったから。
メインに立つ必要条件として自分で作詞作曲ができること。 十分条件として時代の流れに乗れること。 それにしてもドキュメンタリは裏切らないわね。 60年代からの四半世紀にバックコーラスの流れが一つ追加されてこの時代がより豊かになった感じだわ。

39 :
■始まりも終わりもない
■監督:伊藤俊也、出演:田中泯
■イメージフォーラム、2013.12.14−
http://hajimarimo.com/
■田中泯の肉体はモンスーンの湿気を持っていない。 それは存在のあり方にも影響する。 彼の舞台は存在と非存在の交互の連続として現れる。
観客は彼の身体を意識するが直ぐに忘れる。 そして再び意識する。 湿気が無いので観客の意識に粘りつかない。
これは伊藤俊也そして田中泯の人生を時代に重ね合わている作品である。 女が登場するが母なのか? 二人の時代は戦争と母親でくくられるのか? 残念ながら舞踏を観る面白さは少ない。 監督の意向が強い作品である。 舞踊と違う面白さは有るが。
題名はとても良い。 人間が「意識」を初めて意識するのは3歳頃である。 3歳までは意識が無いから始まりも無い。 終わりはどうなのだろう? 自死なら、老衰なら、痴呆症なら、難病でモルヒネ投与なら・・、・・終わりのない死については何も述べていない。

40 :
■いまだ知られざる寺山修司−わが時、その始まり−
■早稲田大学演劇博物館、2013.11.26−2014.1.25
http://www.waseda.jp/enpaku/special/2013terayama.html
■寺山修司の家に訪問したような錯覚におちいります。 書簡や日記帳、蔵書やレコードなど身近な物で構成されているからです。 彼の手書きも多いからでしょう。 中学生時代の母への手紙もあります。 山田太一との葉書の遣り取りも結構な量です。
中高生時代の写真もいいですね。 小学校から高校迄の時代は誰もが同じような人間関係を経験しています。 ですから写真の隅々まで雰囲気がわかるのです。 しかし俳句への接近は異常ですね。 そして短歌への方向転換もです。
50冊前後の蔵書は戯曲や演劇論、日本の芸能関係などは普通にみえます。 同時代人としては山口昌男が3冊ありましたね。
彼は教育学部に入学したが1年でネフローゼで入院そして退学しています。 今回はいつもと違い大隈記念タワーの10階での開催です。 ここからは彼を迎えた大隈講堂を含め早稲田の森が眼下にみえます。

41 :
■ファルスタッフ
■指揮:J・レヴァイン、演出:R・カーセン、出演:A・マエストリ、S・ブライズ、A・ミード
■新宿ピカデリ、2014.1.11−17
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/
■人間の三欲である酒・食・性すべてが喜劇へ向かっていくベクトルは強力で楽しかったわ。 そして巨漢の肉体が振動し歌手間で共鳴している舞台は素晴らしかった。 指揮者も演出家もヴェルディをこよなく愛している結果ね。
1幕はレストラン、2幕はバー、そして3幕はダイニングのお酒とご馳走で一杯。 千点以上の小道具が歌手を新鮮に修飾していた。 馬まで登場してホッとさせるところはさすがロバート・カーセン。
一転して3幕後半の星空の公園、そして饗宴へと澱みのない流れは言うことなし。 まさにヴェルディの総決算だわ。 「世の中すべて冗談、みな道化・・」がとても効いていたのは最高のファルスタッフということね。 正月疲れが吹き飛んでしまったわ。

42 :
>>31昨晩の日本テレビ「忘れられた皇軍」みた?

43 :
■トライブス
■作:ニーナ・レイン、演出:熊林弘高、出演:中嶋朋子、中村美貴、田中圭
■新国立劇場・小劇場、2014.1.13−26
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_140113_tribes_new_l_pm_poster_2.jpg
■チラシも読まないで劇場へ向かったのでストーリーに面食らいました。 聴覚障害者の弟ビリーと吃音者の兄ダニエルのいる家族の物語です。 ピアノをダイニングテーブルにするくらいですから音楽が深く関わっているのでしょう。
愛しているを手話で表現できるの? この科白の質問がよくわかりません。 愛というのは言葉以外も係わるものですから。 他の暴力的とも言えるビリーへの質問も、ひょっとして自分も同じようなことするだろうと身に詰まされながら観ていました。
前半は状況説明から抜け出ていません。 問題は後半です。 突然ビリーがヘソを曲げます。 言葉の遣り取りからくる人間関係に苛立ったのでしょう。 兄ダニエルとシルビアとの三角関係も考えられますが。 
次になんとダニエルの吃りが始まります。 突飛すぎます。 ダニエルとビリーの人間関係の深いところがよくみえなかったので一層の混乱です。 
聴覚や吃音障害を音楽と関連させ身体化するのかと観ていましたがあてが外れました。 終幕へ行くほど音楽が遠のいてしまったからです。
舞台には言語至上主義が見え隠れしています。 ビリーはこの主義に潰されてしまいましたが、ダニエルはこれから逃げようとしたのでは? 吃りはこの主義からの逃亡です。
リップリーディングや、生まれた時からの障害か人生途中からの障害者かの違い等々、興味を持って観ることができました。 題材は面白いのですが、しかし兄弟二人は冗長表現が有り過ぎて心の深みを読み取れなかった感があります。

44 :
■日常オフレコ
■KAAT・中スタジオ、2014.1.11−30
http://www.offreco.info/
■作家5人の作品展である。 多くは30年前に戻ったような刺激の無い作品が並ぶ。 作品よりも、むしろ中スタジオの裏側を見られたのがよかった。 例えば役者用更衣室やシャワー室などなど。 ここで観たダンスを思い出してしまった。
岡田利規lとキュレータのトークセッションがあるようだ。 これを見ないと展示会の本意がわからないのかもしれない。 KAATや演出家が絡んでいるから何かありそうだ。 つむぎねパフォーマンスもあったようだ。 しかし両方出席できなかった。
どうも中途半端な状態から抜け出せない。 ということで横浜美術館へ向かうことにした・・・  
■下村観山展
■横浜美術館、2013.12.7−2014.2.11
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2013/kanzan/
■観山の絵は小説の挿絵に適している。 「日野資朝」などはジュニア系小説向きである。 素直な感情が表れているからだ。 逆に心の深層表現は弱い。 「観音図」や「観音」、「弱法師」などはもはや漫画である。 
「鵜鴎図」は水しぶきには見えない。 「春秋鹿図」の鹿はまるで剥製だ。 しかし「竹林七賢」は逆をついていて面白い。 酒が入らないと観山らしくない。 「三猿」や「馬郎婦観音像」もこの系列でなかなかである。 観山の面白さがわかったような気がする。

45 :
■PLAY TO PLAY−干渉する次元−
■振付:金森穣、出演:NOISMノイズム
■神奈川芸術劇場・ホール、2014.1.24−25
http://www.kaat.jp/detail?id=32269#.UuMSdNKAZxB
■キレとコクが有り素晴らしいですね。 振付も新鮮です。 リーダー金森穣とメンバーの十分な意思疎通が舞台に現れています。
小道具に凝る舞踊団ですが、今回は半透鏡プリズム?を応用した衝立を中央に立ててダンサーを<分散>させています。 しかも舞台後方にも観客席があるとは! このため舞台奥の動きはよく見えない。
衝立の効果は疑問です。 集中力が衝立の動きに分散されてしまうからです。 全体が見えない不安不満もあります。 途中のスローテンポな場面が面白かったのはこの反動でしょう。 小道具抜きでダンスをしっかり見せてくれたからです。
しかし後半のダンサーの重なりあう蠢きや、黒タイツ黒スーツの近未来的な衣装での男女間の求め悩める姿は現代人の行く末を暗示しているようです。 深みのある表現を詰め込んだ舞台で満足しました。 これはノイズム流「春の祭典」ですね。

46 :
■ある女の家
■演出:小野寺修二、出演:カンパニーデラシネラ
■新国立劇場・中劇場、2014.1.23−26
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/140123_001624.html
■「ノーラ」から方向転換しているの? ダンス的感動は押し寄せて来ないわ。 ダンスというよりコント風パントマイムね。 出演者5人中二人が役者だったけど、このような内容ならダンサーより役者の方が一枚上手にみえる。 
舞台の道具も過剰、しかもシマリのない中劇場でアンバランスだわ。 この中劇場では演技に出入りするまでの歩数が有りすぎてシマリがなくなるの。 この歩数はマイムでも致命的よ。 デラシネラは小空間で密度の高い舞台を創るほうがいいと思うけど。
でも「ノーラ」>>29のどっちつかずは解消している。 次回はダンスの離見の見を観たいわね。

47 :
■ジゼル
■演出:P・ライト、指揮:B・グルージン、出演:N・オシポワ、C・アコスタ、ロイヤル・バレエ団
■イオンシネマ系、2014.1.28
http://www.theatus-culture.com/roh/movie/index.html#a4
■去年のロイヤル・バレエは「安定」で今年は「挑戦」なのかしら? 今年は新鮮だけど不安定感のある舞台が多いわね。 全世界を相手にするのは大変ということね。
オシボワは体調が悪いのかしら。 二幕は似合うけど、一幕から顔も青白いし見応えがない。 農村の娘にしてはちょっと痩せすぎかもね。 アコスタは余裕が有り過ぎ。 この二人の差が舞台に現実を招き寄せてしまいリズムに乗れない。 
感情表現もイマイチよ。 特にオシボワのオデコの皺は無くすこと。 そしてそろそろ新しい演出家で上演してね。

48 :
■又
■振鋳・演出:田村一行、出演:大駱駝鑑
■壺中天、2014.1.31−2.9
http://www.dairakudakan.com/rakudakan/kochuten4/mata.html
■静と動の比率が2:8くらいかな? 現代舞踏は動を多くしないと観客がついて来ないのかもしれない。 というより演出家は存在より動を重視しているのか? ともかくこれが上手く混ざり合っていて作品に統一感があった。 ダンサーは男4人女4人。
物語はあるようだがダンサーの身体を前にして観客が勝手に想像するしかない。 この想像力で時空を飛び回ることができるか?が舞踏の良し悪しがわかる。 この舞台では勝手に縄文時代迄遡ることができた。 これも存在を前面に出さない結果である。
田村一行はダンサーとしても舞台に立っていたが、四つん這いに歩く、衣装を食べるところ等々触覚感覚を伴っていて中々のものであった。 ひさしぶりの大駱駝鑑だが身体が生き返った観後感であった。

49 :
■シーザーの戦略的な孤独
■作・演出:矢内原美邦、出演:ミクニヤナイハラプロジェクト
■吉祥寺シアター、2014.1.30−2.2
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage404311.jpg?1391333592
■激しい動きと速い喋りが続いたあと、役者三人が椅子に座る場面があった。 この時靄が晴れたようだった。 身体の動きを伴わない台詞はこんなにもリズムがあり脳裏に響くのか! 俄然面白くなる。
その後再び動作が激しくなっていったが、この間の科白は生き生きとしていた。 そして「前向き!タイモン」が何故つまらなかったのかこの時分かった。 役者間での余裕の無い激しい身体動作と早口が言葉を壊してしまっていたのだ。
物語は近未来にみえる。 観ながらいろいろな作品を思い出してしまった。 「幼年期の終わり」「ストーカー」「燕のいる駅」・・、SFテーマは<新人類発生>と<境界越え>の二点であろう。 この二つはSFの定番である。
ところで演出家の挨拶文を読んで題名の意味するところが分かった。 人間関係から発生する孤独と、先の見えない境界を越える時の孤独の二つを表現したいようである。 なるほどシーザーは前者での孤独だったのかもしれない。
「前向き!タイモン」はダンスだったがこれも芝居への途中である。 次作もあの速さの動きと喋りで続けるなら、身体と科白の新しい関係を観せてくれ!

50 :
■FLYING BODIES
■監督:中野裕之、出演:青森大学新体操部
■アップリンク、2014.1.25−2.7
http://www.uplink.co.jp/movie/2013/21691
■体操部学生たちの溌剌とした動きは楽しかったですね。 でも映画の出来は良いとは思えません。 それは練習が本番の流れと切り離されていたことや、演出家ダニエル・エズラロウや衣装の三宅一生の意図がよく見えなかった為です。
海とそこの生物表現は素晴らしかったのですが、従来の新体操との差異が少なかった事も理由です。
今年正月、テレビで日体大「集団行動」の練習風景をたまたま観ました。 これが結構面白かった。 歩くだけで脇の下が赤く腫れ上がるのは考えられない練習量です。 しかし終盤に技術的完成の域に達しているのもかかわらず失敗が発生する。
この原因が学生たちにはわからない。 ここで監督は練習時に観客を招いてこれを克服します。 観客の力の凄さを見せつけられました。 この観客の力を受け入れられる学生の力も凄い。 日体大は軍隊方式のようで青森大との組織のあり方が逆です。
ですから青森大の学生たちや監督の「真の姿」が少しでも垣間見られたなら日体大と比較できて面白かったはずです。 残念ながらスポーツの肝心な部分を見せてくれない作品でした。

51 :
■リチャード二世
■演出:G・ドーラン、出演:D・テナント、RSC
■イオンシネマ、2014.1.10−2.9
http://www.theatus-culture.com/rsc/
■スピードとリズムがなんともいえないわね。 耳に心地良い科白はさすが本場シェイクスピアだわ。 祭り事が大部分の為かあっさり感もある。 これだけの出来事を詰め込んで2時間半の上演だから動きが取れないはずよ。
舞台はリチャードと貴族や民衆の溝がよく見えない。 そしてオーマール公の陰謀を許す場面、終幕の罪の償いのため巡礼を誓う場面ではボリングブルックの心の内が読めない。 王権神授説を含め物語情報を持っていることが前提のようね?
テナントのハムレット人気は分かる気がする。 今日の舞台でもダントツだった。 照明を駆使した何もない舞台が速いテンポを助長していた。 スワン劇場の雰囲気も良かったわ。

52 :
■ソチ冬季オリンピック開会式
■監督:コンスタンチン・エルンスト
■フィシュト五輪スタジアム、2014.2.7
http://www.sochi2014.com/en
■広い会場で照明と映像を駆使する場合はテレビで見ても奥行きが感じられないので効果がわかりません。 オリンピックはこの二つをふんだんに使うのが今後の流れですか? しかし今回の開会式は物語が弱かったですね。
原始の鯨から聖ワシリー大聖堂のような風船、ペテルブルク行進、ロシアアバンギャルド、大戦、ロケットやジェット機、そしてモスクワの横断歩道の人と車・・。 テーマであるロシア史の表現が淡白だったのが原因でしょう。 批判反省は無く賛歌も抽象的です。
2012年ロンドンオリンピック開会式での産業革命の煙突公害、子供病院GOSH、国民保険サービスNHSの展開とは雲泥の差です。 とくに1990年以降のロシアがハッキリと表現されていなかったのがボヤケの原因です。
S・ザハロフ、I・ワシーリエフ、A・ネトレブコなどロシアバレエ・オペラの第一人者が出演していましたが会場が広いので歌手の方が影響がありますね。 これも含めロシア音楽の重さが前面に出ていてさすがです。
又IOCバッハ会長の演説が具体的で記憶に留まりました。 他に聖ワシリー大聖堂を背景にボリショイ・サーカス団などが踊る場面、聖火の点火場面の二つが印象的でした。

53 :
■ARCHITANZ
■新国立劇場・中劇場、2014.2.11−12
http://www.a-tanz.com/A4_outside_ol-01.jpg
■2月度は4作品を上演。 
・OPUS131(振付:アレッシオ・シルヴェストリン)・・両足立ちのようなアティチュードはギリシア女神の姿なのか? このパターンが最後まで崩れないで続く。 ベートーヴェンもアタッカだと言っている。 しかし連続から来る心地よさは少ない。  
曲の粘りが強すぎて女性ダンサーが鈍く感じるからだ。 二人の男性ダンサーはこの粘りから自由にみえる。 これがポリフォニーを破壊するユニゾンなのか? 古典主義を行ったり来たりしているような舞台であった。
ところで「OPUS」「25年目の弦楽四重奏」と舞台や映画で上演されているが作品131は流行りなのか?     
・マノン・寝室のパ・ド・ドゥ(出演:ロバート・テューズリ、酒井はな)・・さて舞台に目を移すと、・・既に終わっていた。
・火の鳥のパ・ド・ドゥ(出演:同上)・・もっとジックリと観たかったな。
・HAGOROMO(振付:森山開次、出演:津村禮次郎、デワ・アリット)・・最初、三者の差異に違和感があったがどんどん引き込まれていく。 それはガムラン音楽がとても効いていたからだ。 能のリズム感をより積極的に感じさせている森山の動きも面白い。
セルリアンタワー能楽堂などでの津村禮次郎とダンサーの共演は聞いていたが、初めて観ることができて嬉しい。 本日の収穫である。

54 :
■花子について
■演出:倉持裕
■シアタートラム、2014.2.5−16
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_140205_hanako_l_pm_poster_2.jpg
■生霊ダンスの「葵上」はオドロオドロしていません。 ダンサーが巧すぎるからです。 生霊の取り付くしまがなかったのでしょう。 布や衣装と風の効果は上手い。 そして黒光りのタイルのような床は現代の寂しさが表れていました。 
「花子」は狂言DNAが進化して現代社会に溶け込んだようにみえます。 背景の零細企業や溶接工は画期的です。 溶接場面をここまで描くとは前代未聞です。 社員や家族の生活も結構リアルに感じました。
「班女」の待つ女と待たない女の違いは愛の存在有無だと言っています。 しかし愛より待つことが目的化するのは情報社会の必然でしょう。 現代は待って待ちながら人は死を迎えるのです。 片桐はいりの硬さのある女の無念が2作品を豊かにしていました。
個々の作品が繋がっているというより、男女のもつれが一つ一つ地層のように積み重なっていくような舞台でした。 ところで斜めの大きな壁はこの劇場の基本形になりそうですね。 舞台の凸型欠点がみえなくなり新鮮さがあります。

55 :
■しあわせな日々
■演出:藤田康城、出演:ARICA
■横浜赤レンガ倉庫1号館ホール、2014.2.14−16
http://aricatheatercompany.com/shiawase/
■舞台は瓦礫の山。 この瓦礫がウィニのゆっくりな喋りに彩りを添えたようね。 そして祝祭的日常に持って行くことができた。 でもこの芝居は途中でとても疲れてくるの。 なぜ疲れるか? もちろんそれは身動きがとれないから。
多くの舞台は早口かつ詩的な喋りでこの疲れを乗り越えるの。 今回のユックリ感は有りかもね。 転形劇場出身の彼女は身体にある種のリズムが刻み込まれているのかもしれない。 ウィリもウロウロしていてよかったわよ。
新訳と美術や照明がベケットの豊かさを再び持ってきてくれた舞台だった。 でも、雪が残っている港は風が冷たい!

56 :
■A LOUER/フォー・レント
■出演:ピーピング・トム
■世田谷パブリックシアタ、2014.2.17−18
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_130217_peepingtom_l_pm_poster_2.jpg
■血色の緞帳と市松模様の汚れた床を見て胸がドキドキしました。 異様さはありますが違和感が伴う舞台です。 感動は少ないですね。 寄せ集めのような流れが高揚感を遠ざけています。 そして場面間の繋ぎ方が荒いからでしょう。
役者たちのドタバタ動き回る軽喜劇調が悪夢への入口を閉ざしています。 ダンサーたちのクニャクニャ踊りは大したものですが、やり過ぎです。 でも最初に登場した召使の踊りや日常の身振りはキレも存在感もあって参りました! 女優二人もいいですね。
歌う場面が数回ありましたがこれも素晴らしい。 世田谷住民たちも抑えが効いていました。 材料は揃っているのに大事なモノをポロッと落としてしまったような、もったいない感じがする舞台でした。

57 :
■さいあいシェイクスピア・レシピ
■作・演出:スズキ拓朗、出演:tamagoPLIN
■シアター・トラム、2014.2.21−23
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_140221_tamagoplin_l_pm_poster_2.jpg
■子供向けかな? 中身は万人向けね。 芝居に踊りに歌に演奏に手品やパフォーマンスそして書道とぎっしり詰まっているの。 衣装や美術を含め手作り感が一杯。 このハンドメイドが温かみと賑やかさのある舞台を出現させているのね。 素敵だわ。
交通事故で母を亡くした父と娘の日常生活に、娘と野菜たちのシェイクスピア劇を上演する劇中劇もアッと驚く面白さがある。 シェイクスピアの解釈も遊び心と豊富な媒体で表現されて、楽しさの中にホロッとさせられる場面もあり目が離せない。
父と娘の現実の厳しさもコミック的に演じられていたけど、終幕に父が首をつるのは内向きすぎる。 もう少し社会に向けてのアッピールも必要ね。 でも多くの表現方法を取り込んでいながら上手くまとめあげているのは素晴らしい。 楽しみな劇団になるわね。

58 :
■白鳥の湖
■指揮:A・バクラン、演出:牧阿佐美、出演:長田佳世、奥村康祐、新国立劇場バレエ団
■新国立劇場・オペラハウス、2014.2.15−23
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/swanlake/
■休憩後のオディールの登場から俄然良くなったわ。 そして畳み込むようなリズムで終幕まで突っ走った感じね。 王子はなかなかのハンサムで素敵だったわよ。 これからが楽しみね。 二人とも物語を重視すると言ってたけど、これもこれからね。
舞台は湖が遠くに見える高台の洞窟の中で踊っているみたい。 湖が遠いので物語が離れてしまったわ。 これは何とかしなくちゃ。 城内を含め新国特有の抽象的客観的な舞台の作りだから物語を醸し出すのは大変ね。
このためか音楽にとても依存して観ることになるの。 今回は音楽が物語を紡ぎだしているのがよくわかった。 ひさしぶりにチャイコフスキを堪能した感じね。

59 :
■アルトナの幽閉者
■作:J=P・サルトル、演出:上村聰史
■新国立劇場・THE PIT、2014.2.19−3.9
http://www.atre.jp/14daltona/
■幕開きからフランツの登場前迄はつまらない。 過去を語る力が弱い感じだ。 これは原作が現代と状況がズレているからでは? しかしフランツと彼の部屋が舞台に出現した途端、一気に別世界に飛べた。 
別世界とは去年観た「熱狂」「我が友ヒトラー」、そして「あの記憶の記録」の時代である。 この作品はあの記憶のもう一つの物語に位置づけられる。 しかし前3作品とは違う。 科白がすんなり脳味噌に入らない。 言葉と役者の間がリニアではない。
後悔の念に駆られる?フランツだが父は責任を回避している。 「戦争はただ人をRだけのことだ」と。 クルップよりみえ難い。 二人が自死する理由は幾つか掲げられるがまとめられなかった。 ヨーロッパ上流階級からみたあの記憶が見えない。
成程ヴィスコンティ的雰囲気も微かに感じられる。 これはブルジョア出身サルトルから発散されているようだ。 父とベンツでスピード体感を味わったこと、そしてポルシェで自殺をする終幕も劇的である。
長女レニの衣装も頂けない。 カーディガンが場違いにみえる。 カーディガンは家族の匂いがする。 演出家は家族を出したかったのだろう。 でもドイツ富豪の戦争の傷跡が貧弱になってしまった。 ヨハンナの衣装も台無しである。
ところでフランツがソビエトから逃げる場面でプロパガンダの幕が降りてきた。 観客に文章を読ませるとは最悪である。 高揚感がここで途切れてしまった。 ここは科白で通さないとリズムが狂う。

60 :
■ジュエルズ
■振付:G・バランシン、出演:ボリショイ・バレエ団
■イオンシネマ系、2014.2.26−27
http://www.theatus-culture.com/bolshoi/movie/
■「エメラルド」「ルビー」「ダイアモンド」の三部構成。 落ちぶれた街のキャバレーで踊っているような美術や衣装ね。 作品名から言ってもこれは想像できる。 1967年作だけど50年前の古さが犇々と感じられるわね。 
でも音楽と振付の写像関係は揺るぎない。 さすがバランシン。 そして女性ダンサーの鋼鉄の靭やかさには脱帽ね。 「ルビー」が一番気に入ったわ。 「ダイアモンド」はバランシンの力が入り過ぎた。 「エメラルド」はまあまあね。 
古さが感じられる他の理由に女性ダンサーの笑顔があるの。 ロイヤル・バレエ団は作られた笑顔だけど、ボリショイ・バレエ団は日常の笑顔なの。 観ていて日常生活が出てしまうのよ。 これが舞台に時間を持ってきてしまうのね。

61 :
■もっと泣いてよフラッパー
■作・演出:串田和美、作曲:越部信義他、音楽監督:ダージリン
■シアターコクーン、2014.2.8−3.2
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/14_flapper.html
■1920年代のシカゴが舞台です。 踊り子たちを好きになるのですが、男たちは銃殺や自殺、牢獄されるという悲恋の物語です。
彼らは真摯に踊り子に近づきます。 女たちもこれに答えるのですが唯一、踊り子ジルとボクサーのチャーリは違います。 二人はベットシーンまであるのに愛の姿が見えて来ません。 お互いのぶっきらぼうな態度が物語を湿らせています。
「上海バンスキン」は時代や民族から来る憂慮と束の間の庶民の幸せが上手く表現されていました。 この作品は時代も民も抜け落ちています。 空想のシカゴだからしょうがないのでしょうか?
児童が観ても楽しい場面が多く有りました。 観客層を広げすぎてしまったようにみえます。 これで当り障りのない場面が散らばってしまったのでしょう。 主演松たか子はキム・ヨナたちに囲まれた浅田真央のようでした。

62 :
昨晩の野村萬斎と市川猿之助のSWITCHインタビューは
二人の舞台の思いや考えが簡素に語られていて面白かったよ

63 :
■ルサルカ
■作曲:A・ドヴォルザーク、指揮:Y・ネゼ=セガン、演出:O・シェンク、出演:R・フレミング、P・ペチャワ、MET
■東劇、2014.3.1−7
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/
■妖精が王子に恋をする神婚説話と言ってよいのかしら? 人間になるための条件として喋れなくなるの。 オペラでは考えられない! でもこれを逆手に取って歌手も物語も減り張りを持たせることが出来たようね。
舞台は森や池に湿度感が漂っているし、旋律もスラブ系が感じられていつもと違う。 1・2幕はこの雰囲気に引き込まれてしまったわ。 でも3幕まで続かない。 ルサルカと王子は並の近代西洋様式へ収斂されてしまったの。
「自然からはみ出た人間」、「呪われた人間、呪われた情熱」が恋しいのよ。 でもパリやヴェネチアでは作れない面白さがあったわ。 ドヴォルザークの苦労の跡が見えるような作品ね。 フレミングは素敵だった。 適役よ。

64 :
レネも逝ってしまったね
気に入っている作品は、
古いのでは「ミュリエル」、新しいところでは「六つの心」
「あなたはまだ何も見ていない」は観てないけど

65 :
■神なき国の騎士−あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?
■作:川村毅、演出:野村萬斎
■世田谷パブリックシアタ、2014.3.3−16
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_140303_kaminaki_l_pm_poster_2.jpg
■闇の世界からやって来たような大駱駝鑑と「偽りの光」と闘い「闇を受け入れる」ドン・キホーテのコラボは面白い。 でも芝居に入っていけません。 シラケが全体を覆っている感じです。 原因は・・ 
1.筋が粗くて流れに乗れない。 萬斎が得意とするリズムが舞台に作れなかったのが一番の問題です。
2.東日本大震災が見え隠れしているので現実世界に戻されてしまう。 現実のリアルが舞台を越えてしまうからでしょう。
3.「学芸会の練習か?」の台詞のように、座頭市・子連れ狼・木枯し紋次郎などのモノマネやハムやオニギリの食料の扱い方は学芸会並ですね。
4.「わかり易さの罠に嵌る」と言っていたが、まさに舞台は罠に陥ってしまった感があります。
5.太古の闇と原発の闇の関係がよく見えません。 これを上手く繋げないとアヤフヤになるのではないでしょうか? 
6.「神」という言葉は歴史や意味がこびり付いているので判断停止状態になってしまいます。 「神々は胸の内にある」は宙ぶらりんの終幕です。 そして「生きることだ!」の終わりの始まりは円環を描いていますが芝居としては物足りません。
・・大震災や原発のような目の前の現実を表現する場合<わかり易さの罠に嵌まり>ます。 しかし舞台化の前進しか道はありません。

66 :
■ロスト・イリュージョン(失われた幻影)
■原作:H・D・バルザック、振付:A・ラトマンスキ、音楽:L・デシャトニコフ、出演:パリ・オペラ座、ボリショイ・バレエ団
■イオンシネマ、2014.3.5−6
http://www.theatus-culture.com/bolshoi/movie/
■バレエ作品なのにバレエの練習風景があるなんて面白い! 本番上演もあるの。 もちろん観客も舞台上の客席に座っているのよ。 このように劇中劇がふんだんに使われているのも、ドラマティック・バレエならではの構成だわ。 
ロマン主義末期のパリが舞台だからロシアの雰囲気は少ない。 でもテンポはボリショイ風ね。 というより意味あるしぐさに振付をつけるから必然的に速くなってしまうの。 音楽も背景を的確に捉えているし、小粒だけど素敵な振付も沢山詰まっていたわ。
心情も顔だけではなくて身体全体で表現しようとしていた。 さすがドラマティック・バレエ発祥のロシアね。

67 :
■虚像の礎
■作・演出:中津留章仁、出演:トラッシュマスターズ
■座・高円寺、2014.3.6−16
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=985
■主人公の劇作家が人々の心の扉を開き政治などの争いを解決しくストーリーである。 彼は話し合いともう一歩踏み込み深く考えることでお互いの心に共感を芽生えさせていく。 その共感は名付けえぬものとして人々に信頼と希望を与える。
劇作家が演劇に表れるある種の感動を論じているようにもみえメタ演劇と言ってもよいかもしれない。 兄弟や恋人の周りに貧困・移民・テロの現実が被さり前者は隠されてしまったが、この二つが混ざり合い深みのある舞台が現れているのは確かである。
繁栄は肯定するが繁栄への過程がとても大事な時代をどう生きるか?がテーマの背景にある。 宗教家が一度だけ登場して混乱させたのも、終幕にテロの襲撃が音楽に聞こえないか?という矛盾に満ちた台詞もこの問の答えが未決だからである。
舞台はダイニング・リビング・応接室のある二階建ての部屋構成で物語にもしっかり対応している。 舞台中央からの役者の入退場もリズミカルにみえる。 充実の二時間半であった。

68 :
>>67補足 「前者は隠されてしまった」の前者とはメタ演劇を、「この二つ」とは劇作家具体的活動とメタ演劇のこと。 読み返さないで上げてゴメン。

69 :
■ケレヴェルム
■振付・演出:関かおり、出演:関かおりPUNCTUMUN
■シアタートラム、2014.3.14−16
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage42629_1.jpg?1394845976
■誰もが考えているけど誰も上演しないような舞台です。 なぜなら目に見えるような失敗を最初に考えてしまうからです。 でもそれを乗り越えているので「次代を担う振付家賞」を受賞したのだとおもいます。
月夜の晩の静寂な湖の上で、ヒトという生物が言葉ではなく身体で対話をしているような舞台です。 音楽が無かったせいか闇も深く感じました。 次作品がどのように変化していくのか楽しみです。
会場入口に香気を放すと掲示がありました。 木の匂い、次に甘さのある匂でしたが気のせいですかね? よくわかりませんでした。 匂いはとても触覚的ですので舞台に影響します。 実験的には面白いはずですが・・。

70 :
■悪霊
■演出・構成:三浦基、出演:地点
■KAAT・大スタジオ、2014.3.14−23
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage41416_1.jpg?1395012203
■スタジオは運動場だ。 雪も降っている。 役者たちはトラックを走り、雪の積もったフィールドで絡み合い掴み合いのたうち回っている。 時々流れる正教会聖歌?の断片や、銃声の響きがロシアの風景と広さを想像させてくれる。
チラシに人物相関図が載っていた。 苦手な図だがドストエフスキではしょうがない。 ロシア人はみな同じ名前にみえてしまう。
骨組みとして役者に分散する台詞や身体動作がポリフォニーに向けてどのように繋がっていくのか? 肉付である政治と宗教つまり無政府主義と革命、無神論と信仰をどのように譜面に落としていくのか? ・・「どうあがいても わだちは見えぬ、」
役者が距離間のある動きで大味になっている。 走り回ることは舞台の時間を空回りさせているのと同じである。 「荒野のなかを、堂々めぐりする羽目か。」 この走りで政治の言葉が上滑りしてしまい宗教との合体を弱めてしまった。
舞台にポリフォニーが見えない。 でもドストエフスキにどっぷり浸かっている者なら感じるところが有ったはずだ。 カーテンコールでの拍手に力が籠っていたのはこれが観客に残ったからである。

71 :
>>70 「ドストエフスキーと愛に生きる」を渋谷で上映してるけど、
翻訳家スヴェトラーナ84年の人生を描いている作品なの
彼女の人生が織物で言う柄で、ドストエフスキーは地のような内容ね
翻訳に興味があれば薦めるわ  作品サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/

72 :
■宅悦とお岩
■作・演出:岩松了
■下北沢駅前劇場、2014.3.7−23
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage42058_1.jpg?1395139444
■舞台上手に現代、下手に江戸の時代差のある幕開きは素敵だったわ。 どっぷりの四谷怪談じゃないのね? 青春群像劇かな。 芝居裏側の稽古風景を覗けるのも楽しい。 活きの良い台詞がリズムある舞台を作っていて心地良い。
でも後半は錆びついてきた感じがするの。 ヤクザの女に手を出す一件が目立ちすぎたんじゃないかしら? お岩役(名前忘れた)の尾上への非難もちょっとヒステリックだし、小道具の滝沢の不可思議な行動も理解できなかった。
登場しない演出家の妻を作家の安藤があれだけ持ち上げるのも戴けない。 現実的な物語から外れてしまい統一感の無い舞台になってしまったのね。 このため男と女の思いやりやホロ苦さが起ち上がらなかった。
「カスケード」http://www.logsoku.com/r/drama/1288433454/58 は既に3年前。 今回は二匹目のドジョウを狙ったようだけどハズレね。

73 :
■ARCHITANZ、3月公演
■新国立劇場・小劇場、2014.3.20−21
http://www.a-tanz.com/dance/architanz2014.html
■2月>>53に続き3月も4作品を上演。 香港バレエ団が2作品に登場したが20世紀に戻ったような懐かしさがあった。 小劇場の上演のためか舞台が少し狭い。 香港バレエ団のパワーが一層狭くさせていた。 面白かったのは「CASTRATI」。
・BOY STORY(振付:ユーリ・ン、出演:香港バレエ団)・・加山雄三「旅人」、ブラザースフォア「500マイル」、「サンフランシスコ・ベイ」・・、70年頃の音楽と香港バレエ団若手ダンサーのなんともいえないレトロな青春気分が漂う。
・THE SECOND SYNPHONY(振付:ウヴェ・ショルツ、出演:酒井はな他)・・劇場が窮屈である。 このため中肉中背のダンサー4人の体重を意識してしまう。 シューマンの交響曲2番でなんとか逃げることができた。
・CASTRATI(振付:ナチョ・ドゥアト、出演:香港バレエ団)・・ナチュ・ドゥアト独特の高揚感が得られない。 香港バレエ団の荒削りの動きでナチュもタジタジである。
・MOPEY(振付:マルコ・ゲッケ、出演:酒井はな)・・笑いを誘う短品である。

74 :
>>31 近くのGEOへ行ったら「ギマランイス歴史地区」あったぜ  ・・これもいいけど、
L・カラックスの「ホーリー・モーターズ」 http://holymotors.jp/ は演劇の匂いが一杯で最高!

75 :
■シンフォニー・イン・3ムーヴメンツ
■指揮:A・バカラン、演奏:新国立劇場オーケストラ、出演:新国立劇場バレエ団
■新国立劇場・中小劇場、2014.3.18−23
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/symphony/
■3作品を上演。 気に入った作品は「暗闇から解き放たれて」。
1.「暗闇から解き放たれて」、振付:J・ラング
名前は聞いていたがジェシカ・ラングは初めてである。 ダンサー間の位置と動きは複雑で微妙だ。 糸を引くような細かさが見え隠れしている。 舞台にはホンワカ雲が漂っていて面白い。 照明はもう少し明るくてもいい。
全体に彼女の目が行き届いているのがわかる。 まだ吹っ切れていない感じがする。 暗闇から解き放たれたい思いがある。 一度吹っ切れればパワーが全開して次の段階へ飛躍できるだろう。 
2.「大フーガ」、振付:H・V・マーネン、音楽:L・V・ベートーヴェン
これはビックリ! これほどの音楽と男性ダンサーの不協和音は想定外だった。 衣装のヒラヒラパンタロンにベートーヴェンがネットリと絡み付いている感じだ。 拳を握りしめるような力を描き続けるダンサーの姿にもこれが浸み渡っている。
比して女性ダンサーの衣装は素晴らしい。 髪型や簪もピッタリだ。 音楽を軽やかに受け流している。 男性ダンサーをも気にしないような挑発的動きはとても面白い。 
3.「シンフォニ・イン・スリ・ムーヴメンツ」、振付:G・バランシン、音楽:I・ストラヴィンスキ
「ウェスト・サイド・ストーリ」を思い出してしまった。 バランシンのNYCBを引き継いだ流れを感じるのかな? 登場人数の多さがどうも活かし切れていない。 騒がしいだけになっている。 バランシンの無機質感の良さが出ていない感じだ。 
同時にジェシカ・ラングの作品が人間的な匂いを放っていることを再確認してしまった。

76 :
■死の都
■作曲:E・W・コルンゴルト、指揮:J・キズリンク、演出:K・ホルテン、出演:T・ケール、M・ミラ、A・ケレミチェフ
■新国立劇場・オペラハウス、2014.3.12−24
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dietotestadt/
■愛する妻マリーが亡くなり、妻と瓜二つの踊り子マリエッタに出会うパウル。 「欲しいのはそのカラダ、愛するひとは別にいる」。 彼の心はマリーへ、肉体はマリエッタへと二元論的な愛に苦しむパウル。 日常世界から出られない一幕はシンドイわね。
でも詩的になってきた二幕目からは少しずつ引き込まれていくの。 それはパウルが身勝手だけど真面目だから。 しかも歌手T・ケールは宗教的な声をしているからよ、ちょっと細いけど。 パウルとマリエッタの精神面に寄り添う曲もさすがコルンゴルトね。
背景に宗教が絡むと悩むわね。 「肉体の秘蹟」とは何か? 「聖血の行列」との関係は? 「ヤン・ファン・アイクの絵のようだわ」と言うマリエッタの科白では、聖母ではなく「アルノフィーニ夫妻像」を思い出してしまった。 
床と両壁は妻マリーの遺品で一杯。 動けない歌手たちはより精神性に向かうしかない。 独特な良さがあったけど、途中での観客の拍手は一度も出来なかった作品と言えば当たりかしら? 地中海性気候の土地には合わないのは確かね。

77 :
■日本橋
■作:泉鏡花、演出:齋藤雅文、出演:坂東玉三郎、高橋恵子、松田悟志
■東宝シネマズ系、2014.3.20−
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/24/flier.html
■科白も役者の動きも、そして衣装も音楽も一切が明治時代からやって来たようです。 江戸・明治の作品はよく観ますがこのような感覚に出会ったのは久しぶりです。 人々の対話の中にも当時の時間が流れているのを感じます。
お孝玉三郎のあの独特な喋り方や声も生きていました。 それは競争相手清葉が存在することにより緊張感が出たのでしょう。
巡査や火消?、甘酒屋や飴屋の印象も残りました。 芸者の着物や髪型に視線を向けさせるのも面白い。 作品を厚くしています。
「天守物語」「海神別荘」「高野聖」と異形の作品が続きましたが、明治時代という異時空を出現させてこれほどの目眩を観客に与えるとはさすが泉鏡花です。 演出家や出演者のコラボの良さはもちろんです。

78 :
■初めてなのに知っていた
■作・演出:坂手洋二、出演:燐光群
■ザ・スズナリ、2014.3.16−31
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage42090_1.jpg?1395915689
■デジャヴを発病した「患者」を隔離政策として瀬戸内海?孤島の療養所へ送り込む話のようだ。 そこではデジャヴで未来予知の研究もしている。 「・・初めて見る海なのに懐かしい感じがする」。
海を見たこともない人がなぜ初めての海を見て感動するのか? 星空も・・、初めてなのにそれが何であるか知っているからである。 夢や無意識、暗黙知、精神病などを素材にデジャヴを拡張・発展させ能などを射程に入れている作品である。
しかし素材が絡み合って何が言いたいのか分かるようで分からない。 能の説明が何度もあった。 どうしても能とデジャヴの関係性を論じたいようだ。 この強行が芝居をつまらなくしている。 能の知識など無くても能のような芝居はできるはずである。
題名の通りである。 能は「初めてなのに知っていた」ような芝居を作って欲しかった。

79 :
■ヒネミの商人
■作・演出:宮沢章夫、出演:遊園地再生事業団
■座・高円寺、2014.3.20−30
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage41442_1.jpg?1396173286
■日常を少しばかりずらしていく科白が続きます。 役者の動きも突然にユックリ歩いたり静止したりします。 たとえば印刷工場を営む主人安西は無造作に懐から札束を取り出したりします。 このような不条理が重なり劇的な舞台が出現します。
しかし物語は無意味や非論理的な結果に終わりません。 後半に安西が印刷工場で贋札作りをしていたことがわかります。 銀行員渡辺も見破れない。 信用だけで成り立っている紙幣は科学技術的に100%同じだと偽札でなくなるということですか。
このためか安西もカメラ屋砂原も罪の意識を見せません。 また安西は姉から連帯保証を頼まれています。 土地を提供しますが土地に生えている草木一本でも担保から外してくれと「ヴェニスの商人」の現代版を渡辺に披露します。
安西の娘と同級生である銀行員渡辺の娘の「ヴェニスの商人」の部活練習もワサビのような効果があり面白い。 「紙幣の信用」と「土地の担保」の二つの話に不条理的風景が被さり、現代社会の不思議な姿を見事に浮かび上がらせた舞台でした。

80 :
■マニラ瑞穂記
■作:秋元松代、演出:栗山民也
■新国立劇場・小劇場、2014.4.3−20
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage41642_1.jpg?1396606422
■前半は状況説明で終わってしまったようにみえました。 フィリピン史など背景を知らないと物語に到達できない歯痒さがあります。 九州地方?の方言も舞台を豊かにしていましたが聞き取れなくてイマイチ流れにのれません。
観後にからゆきさんを調べたら明治時代が最盛期だったことも驚きです。 しかしナゼ多くの日本人が命懸けでフィリピンで生活や仕事をしたのか舞台をみても納得できなかった。 日本の行方を案じる国家正義がすべてを覆い隠してしまったからでしょう。
日本領事館から出られない女衒とからゆきさんでは限界があります。 領事館の外の話は説明のようになってしまうからです。 革命軍兵士や米兵とからゆきさんの恋愛も付け足しです。 群集劇の難しさですかね。
ところでシズが登場するとキーンと高音が鳴るのは何でしょうか? 終幕に秋岡が女達の声が聞こえると動揺する場面が有りましたが、この声と同じなのでしょうか? とするとシズは初代からゆきさんなのでは?
手ぶらで劇場に行くのが好きですが、これを許してくれない芝居でした。 追記ですが領事館長高崎が流れに乗った滑らかな動きと喋りで舞台をまとめていたのが目につきました。

81 :
■SAI
■演出:三上宥起夫、出演:湘南舞踏派、平安舞踏派、三上賀代
■KAAT・大スタジオ、2014.4.5−6
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage42809_1.jpg?1396781644
■コンパクトにまとめられていてとても楽しめた。 70分の上演時間に無理無駄がない。 音楽も様々で面白い。 読経はリズムがあるのでネットリ感が弱まりダンスも軽やかになる。 色彩衣装も目立たないが白塗りに合っていた。
舞台芸術の目標の一つに<今この時に死を超えられるか!>がある。 それも役者やダンサーの身体を通してそれを自身の身体で受け取れるかどうかである。 「とりふね舞踏舎の最高作・・」とチラシにあった。
一般市民の舞踏集団のためかギコチナイ動きもあったが、死を越えることが出来る何かが感じられたことは確かである。 ニ作品の上演だが三上賀代+工藤丈輝+若林淳の「献花」が都合で見れなかったのは残念。 でも二人は三上とは似合わないだろ?

82 :
■イーゴリ公
■作曲:A・ボロディン、指揮:G・ノセダ、演出:D・チェルニアコフ、出演:I・アブトラザコフ、M・ペトレンコ、S・コツァン
■東劇、2014.4.5−11
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/index.html#program_06
■舞台はロシアというよりいま話題のウクライナが正解かしら? イーゴリ公にプーチンが重なってしまったわ。 ロシア万歳しか言わないんだから。 前半は国家と戦争でウンザリ。 でも後半のイーゴリ公の心情はキエフからキプチャクの流れになった。
捕虜になったイーゴリ公の心の変化が芥子畑に表現されているの。 歌詞には鳥や動物、川の名前が一杯。 「韃靼人の踊り」もやっぱいいわね。 でもキャスト・スタッフの多くはロシア人だから限界もあるわね。 繊細さが無いのよ。 物語を硬くしちゃうの。
結局はイーゴリ公の心情変化の理由が理解できなかった。 METというよりボリショイ劇場を観ているようね。 バレエ>>14と同じでロシア的楽しさは満喫できたわ。

83 :
■ヴォツェック
■原作:G・ビュヒナ、作曲:A・ベルク、指揮:G・ノイホルト、演出:A・クリーゲンブルク、出演:G・ニグル、E・ツィトコーワ
■新国立劇場・オペラパレス、2014.4.5−13
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/140405_001608.html
■幕開きは演劇的オペラだったけど終幕はオペラ的演劇に変わっていく面白さがあったわ。 音楽が歌唱を科白に変換してしまうからよ。 「指輪」の科白を歌唱にするのとは似て非なるもの。 現代音楽の変換機能が効いているのね?
部屋が宙に浮いていて、しかも舞台は水が張られているとは驚き! 部屋が奥から観客席に近づいてくる時は目眩がしてしまったわ。
「貧乏」という歌詞がどれほどあったか数えきれない。 しかもラングやムルナウのドイツ表現主義映画に登場するような人々ばかり。 床の水も日本と違って乾いた絶望感が漂っている。 子供の透き通った声も地獄の天使ね。
抽象的なリアルと言ってよいのかしら? これが終幕に近づくほど煮詰まってくるの。 貧乏という言葉が言葉のまま迫ってくるのね。 だから迫り切れない前半はとてもしんどかった。 マリーの率直な声が聖母のように聞こえてよかったわ。

84 :
■グローブ・ジャングル
■作・演出:鴻上尚史、出演:虚構の劇団
■座高円寺、2014.4.4−13
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage42045_1.jpg?1397381425
■「エゴ・サーチ」が良かったので再び劇場へ足を運びました。 ネットワークのトラブルでロンドン迄追いかけて復讐する話です。 そこに幽霊の登場や劇中劇桃太郎の上演など飽きさせないストーリーになっています。 グローブ座にも掛けている題名でしょう。
でも復讐を諦めた時の佐藤の心情が上手く表現されていなかったのは心残りです。 この作品は読売文学賞戯曲シナリオ賞受賞の再演のようですが、幽霊のお陰で味わい深い終幕になっていることで納得できました。
これは「エゴ・サーチ」の時計の針を戻した作品です。 なぜなら「第三舞台」の匂いが残っていたからです。 躍動感がありました。 次回は再び時計を進めた作品を観たいですね。
「エゴ・サーチ」は・・http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/199

85 :
■ぬれぎぬ
■作・演出:広田淳一、出演:アマヤドリ
■シアター風姿花伝、2014.4.1−23
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage41731_1.jpg?1397991700
■殺人犯を反省に導く仕事をしている更生相談員が主人公である。 妻も同じ仕事をしている。 反省をしない殺人犯との遣り取りに引き込まれてしまった。 なぜ人を殺してはいけないのか?
逆に殺される立場になったらわかる。 相手の身に成り切ることが肝要だろう。 しかも殺人は抑圧下での出来事である。 殺人者にはこの深い抑圧を解かないと反省もできないはずだ。 などなど考えながら観てしまった。
そして妻の妊娠中絶を知った殺人犯は態度を少し和らげる。 ・・。 <悪と自由>三部作の第一作とのことである。 中絶迄描いたから次作は法や国家そして近代システムや戦争へと拡張するのかな? でもチラシを読むと次作も巷の話になりそうだ。   
舞台は特区?とかがあって死刑や婚姻制度などが崩壊しているようだ。 都合が良すぎる背景である。 物語構築は自由になるがその分テーマが複雑になり観客が混乱してしまう。 もっと<抑圧>をかけないとリアルな<悪と自由>が描けないだろう。

86 :
■あのっ、先輩・・・ちょっとお話が・・・
・・・ダメ!だってこんなのって・・・迷惑ですよね?
■作・演出:土田亮一、出演:シベリア少女鉄道
■座高円寺、2014.4.16−20
http://www.siberia.jp/nextstage.html
■プレトークで、都合で出演できない役者3人の紹介があったの。 幕が開いたらなんとその役者が登場するのよ! 舞台の流れとは関係のない動きや科白で観客を笑わせるの。 他の役者は無視しているけどニヤニヤするし・・・
混乱しながら観ていたけどこれも芝居に組み込まれていたの。 騙された!? でも面白い異化効果ね。 高校生と先生、彼らの恋人が登場する学園モノよ。 後半、彼らの悩み事の化身として?先の3役者が怪獣になって暴れるの。 これと戦う話のようね。
でも怪獣との戦いもバカバカしくて・・・ダメ! だってこんなのって・・・迷惑だわ。 観客席から笑い声の消えたのがダメな証拠よ。

87 :
■ハルナガニ
■作:藤野千夜、脚本:木皿泉、演出:内藤裕敬、出演:薬師丸ひろ子、細田善彦、菊池亜希子、菅原大吉、渡辺いっけい
■シアタートラム、2014.4.7−27
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_140407_harunagani_l_pm_poster_2.jpg
■粗削りの舞台である。 役者の動きは雑で、台詞も素人が喋っているような場面がある。 演技なのか地なのかわからない。 このギクシャク感が無調音楽のようになり次第にシュールな舞台が現れてくる。 ストーリーもこのシュール感を助長している。
夫は死んだ妻が見えず、妻は死んだ夫が見えない。 訪ねてくる女子会社員には夫が見え、同じく友人は妻しかみえない。 息子は全てが見える。 5人全員がほぼ舞台に居るのでややっこしい。 訪問者二人は科白が無くてもダイニングに座っている。
夫と妻はお互い見えないのに意識した動きを取り始める。 結局は誰が死者だか分からない。 生と死が入混じってしまう。
芝居が持っているカタルシスを得られた。 死者との出会いで生と死の絶対距離を取り払い、日常生活を可笑しく幸せにそれでいてどうしようもないという諦観も匂わせていたからである。

88 :
■ニジンスキー
■演出:荻田浩一、出演:東山義久、安寿ミラ、岡幸二郎
■銀河劇場、2014.4.23−30
http://www.gingeki.jp/special/nijinsky.html
■人名辞典でニジンスキーを引いてそれを読んでいるような舞台でした。 人間関係など細かい経歴や年号まで取り込んでいるからです。 科白はまるで解説です。 つまり独白ということになります。 前半は対話が無いに等しい。
歌も7曲ぐらいありましたか。 対話が少ない代わりに歌詞が心情を表現しているようにみえました。 主人公のニジンスキーはもちろん、そしてコロスが4,5人踊ります。 でも両端の壁が迫っていますし、中央に仮舞台が突き出ていて踊り難くみえます。
DANCE ACTとありましたが、リーディング劇に歌と踊りを組み合わせた感じです。 終幕は対話が多くなりまとまってきます。 再演とのことですから、初演の失敗点を取り除いているはずです。 これで全体の流れにリズムが感じられたのかもしれません。
ニジンスキーファンなら物足りないですね。 でも分かり易い内容なので高校生のバレエ・リュス入門としては最適でしょう。

89 :
■ファスター
■音楽:M・ハインドソン、振付:D・ビントレ、出演:新国立劇場バレエ団
■新国立劇場・オペラハウス、2014.4.19−27
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/carmina_faster/
■スポーツをダンスに変換・記述しているような舞台である。 演算子が介入するので言語的なダンスである。 オリンピックはそのまま西欧近代の流れである。 言語とオリンピックが一つになりこの流れを踏襲している作品にみえた。
バスケット、フェンシング、走り高跳び、水泳、陸上トラックなどなどの種目が登場する。 どれも綺麗に処理されている。 D・ビントレーというひとは石橋を叩いて渡る人のようにおもえた。 この作品も最高点ではなく、まずは合格点を狙っている感じだ。   
■カルミナ・ブラーナ
■音楽:C・オルフ、振付:D・ビントレ、出演:新国立劇場バレエ団
■最高点を狙うにはこれをやるしかない!と企画者は危ぶんだのではないだろうか? 果たしてこれで最高点になった。 音楽・ダンス・衣装・美術・照明すべてが上手くまとまっていて舞台芸術の真髄が現前している。
中世宗教の化身の神学生と現代に通じる性が不連続で合体したような奇妙な感覚に引き込まれていく。 そして合唱が決定的感動を呼び寄せたのは言うまでもない。 満足である。

90 :
■冬物語
■音楽:J・タルボット、振付:C・ウィールドン、出演:E・ワトソン、L・カスバートソン、S・ラム、S・マックレ、ロイヤル・バレエ団
■イオンシネマ、2014.4.29
http://www.theatus-culture.com/roh/movie/index.html#a7
■冬物語のバレエは初めてじゃないかしら? シシリア王レオンティーズの嫉妬と怒りが迫ってくるわ。 でも大きな柱・彫刻・ワンピース風衣装など、ローマ風の背景が王の感情を詩的に押さえて舞台が弛まない。
二幕の収穫祭はダンサーの統制が取れていない感じ。 もっとメリハリをつけなきゃ。 三幕はコンパクトにまとまっていたわ。 長すぎる二幕の時間を三幕に少し移すべきね。 三幕の物語により深みを出せるはずよ。
「バレエ表現に<説明>は入れられない」と振付家も言っていたけど変換が大変。 でも細やかな振付で素晴らしかったわ。 レオンティーズがパーディタのネックレスを見て娘だと悟る場面はジーンときちゃった。 モノで<見せる>唯一の場面でもあるし。
「・・すべてを許し、そして解放される・・」、シェイクスピア後期三部作のテーマは感じ取れたわ。 英国バレエ団の底力ね。 本を読んでから観たほうがいいかもよ。 

91 :
■五右衛門ロックV
■作・中島かずき、作詞:森雪之丞、演出:いのうえひでのり、出演:古田新太、三浦春馬、蒼井優、劇団☆新感線
■丸の内東映、2014.3.29−
http://www.geki-cine.jp/zipangpunk/
■前二作は観ていません。 演劇的余白が無かったですね。 相当カットしたのでしょう。 これで中身が凝縮し過ぎてしまった。 でも歌詞がストーリーにピッタリ寄り添っていて盛り上がりましたね。 早いテンポはまさにロックを聞くより観ているようでした。
前半は新しいキャラクタがタイミングよく次々と登場するので、その都度物語の奥に分け入るドキドキ感が持てました。 しかも空海の秘宝を追い求める物語も想像力が沸き起こります。 堺商人やポルトガル商人?を絡ませたのも厚みが増しましたね。
五右衛門の云う「若い役者に台詞を譲る」に、明智心九郎と猫の目お銀も見事に答えています。 秀吉の朝鮮出兵などを批判して「自分の国は外から見るとよくわかる」の通り、ポルトガル?へ旅立つ終幕も力強さがありました。
しかし深い悲しみや不安などの心情は描かれていません。 ただ心九郎とお銀の恋心が微かに見えただけです。 「本作は頭をからっぽにしてお楽しみいただける作風となっております・・」とチラシにありましたが、その通りの作品です。

92 :
■NHKバレエの饗宴2014
■NHKホール、2014.3.26
http://www.nhk-p.co.jp/concert/20140329_151331.html
■去年が面白かったので今年もEテレで見てしまった。 NHKの映像・音響は技術も技能も確かである。 近頃舞台作品を映画などでよく観るがNHKよりも質が落ちる。 今年は6作品を上演。 気に入った作品は残念ながら無かった。
□「スコッチ・シンフォニー」、振付:G・バランシン、音楽:F・メンデルスゾーン、出演:スターダンサーズ・バレエ団
バランシンとメンデルスゾーンの組合せは初めてかな? ダンサーを通しての音楽は良かった。 でもダンサーとバランシンの関係は平凡に感じた。 振付・音楽・ダンサーの組合せに何かが不足しているようだ。 うまく表現できないが・・
□「3月のトリオ」、音楽:J・S・バッハ、チェロ演奏:古川展生、振付・出演:島地保武・酒井はな
振付は面白い。 島地の動きが良い。 酒井は一歩退いているようだ。 この為二人の関係が少し疎遠にみえる。 チェロが粘っても二人の心は近づかない。 これで彼らが対等になったら作品は完成だろう。
□「THE WELL−TEMPERED」、音楽:J・S・バッハ、ピアノ演奏:若林顕、振付・出演:首藤康之、中村恩恵
二人の精神は親密だ。 神聖さも漂っている。 前作品の島地と酒井の固さが再び過る。 上演企画者は「3月のトリオ」と比較しろと言っているようにみえる。 振付は「3月のトリオ」の方が新鮮味があった。
(続きは>>94)

93 :
(>>92の続き)
□「ドン・キホーテ第1幕」、原振付:M・プティパ、演出:貝松正一郎、出演:貝松・浜田バレエ団
初めて見るバレエ団である。 群衆も衣装も振付もこのゴチャゴチャしたところが、なるほど大阪を感じる。 繁華街の道端で上演しているようで楽しい。
□「ラ・シルフィードからパ・ド・ドゥ」、振付:A・ブルノンヴェル、音楽:H・レーヴェンショルド、出演:吉田都、F・バランキェヴィッチ
吉田はまさに自然体といってよい。 <悟りを開いている>ようにみえる。 相棒のバラキュヴィッチは人工体だ。 残念ながら悟りを開くには程遠い。
□「ベートーベン交響曲第7番」、振付:U・ショルツ、出演:東京シティバレエ団
いわゆるシンフォニック・バレエというものらしい。 しかしこの曲はリズムはあるが機械というものを思い出してしまう。 つまりロボットである。
インタビュで「ヘトヘトになる」とダンサーが答えていた。 これはヒョットしたらヘトヘトになって楽しいぞ! しかしそのように見えなかった。 最後まで機械で押し通したのが立派である。

94 :
■清教徒
■作曲:V・ベッリーニ、指揮:M・マリオッティ、演出:L・ペリ、出演:M・アグレスタ、D・コルチャック、M・クヴィエチェン
■東宝シネマズ日本橋、2014.5.9−15
http://www.opera-yokoso.com/program/index.html
■舞台上の建物や部屋は骨組みだけなの。 門や窓や塔は意匠で作り込んでいるし、回り舞台で四方から確認できるからイメージは壊れない。 中まで丸見えよ。 これで空間を越えた歌手同士の遣り取りや演技ができるの。 素敵な構造ね。
この幾何学的で色彩の無い風景と、分かりきった事のようで深く立ち入らない歴史背景で歌唱と演奏に集中できたわ。 広いバスティーユ舞台の合唱団の動きも整然ね。 特にアグレスタは隠れる場所が無いので諦めからくる余裕が感じられたのかもね。
娘エルヴィーラが騎士アルトューロに捨てられたと勘違いするが最後は結ばれる他愛のない物語だったけど、これら散らばりの有る余裕で結構楽しめたわ。 新しいコレド室町内の館だけあって設備もよかった。

95 :
■マルコ・スパダ
■作曲:D・F・E・オベール、演出:P・ラコット、出演:D・ホールバーグ、E・オブラスツォーワ、ボリショイ・バレエ団
■イオンシネマ系、2014.5.14−15
http://www.theatus-culture.com/bolshoi/movie/index.html#a7
■ロシアのフルコースを食べて胃が凭れた感じね。 美味しかったけど。 でも音楽がバレエに妥協しすぎている。 これで舞台全体に古き良き時代を漂わせることができるの。 当時のワーグナーより人気があった理由じゃないかしら?
ホールバーグは飛び抜けた上手さだけど、若さのみで踊っているようにみえる。 鋼鉄のボリショイ・バレエ団に似合っているわ。 でも彼自身の個性をそろそろ出す時期ね。 今シーズンを観終わって感じたことがあるの。
それはボリショイ・バレエ団は帝政ロシアの時代が恋しいのよ。 ソビエトの肉体でロシア帝国の夢を見る。 自信を取り戻してきたから、強くて大きい時代に戻りたいということのようね。

96 :
■テンペスト
■演出:白井晃、出演:古谷一行、高野志穂
■新国立劇場・中劇場、2014.5.15−6.1
http://www.nntt.jac.go.jp/play/tempest/
■舞台は工場内の仕掛倉庫のようです。 遠くまでダンボールやクレーンが見えていて壮観ですね。 役者の流れに合わせてダンボールを棚ごと移動したり、生演奏の動きも工場倉庫で働いているようで面白い。 布の使い方や照明もよかった。
一番嫌いな劇場ですがその欠点をすべて克服していました。 この劇場が活き活きしているのを初めて見ました。 しかも芝居内容とは無関係な場所のようでビータ・ブルックの何もない空間を思い出させます。
前半は少し眠くなりました。 休息を挟んで後半は俄然生き返りました。 リズムがピッタリ合いだしたからです。 前半はもっと硬さが有ったほうが入り易いかもしれない。
古谷一行は「台詞を喋っている」ような喋り方で面白い。 科白を忘れてしまうのではないかとハラハラする場面もありました。 しかしそれがテンペストが持っている肝心な何かを齎しています。
白井のオセロ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/24134/1278496293/139 を一年前に観ていますが、彼の劇場の使い方が近年素晴らしくなっていますね。 次作も楽しみです。

97 :
■バレエに生きる
■監督:M・イヨネスコ、出演:P・ラコット、G・テスマ
http://www.alcine-terran.com/ballet/
■「マルコ・スパダ」>>95をみてラコットをもっと知りたくなっちゃった。 文化村での上映を見逃したことを思い出して早速DVDを取り寄せたの。 ラコットが踊っている姿をみると、ほんとうに彼はバレエが好きなんだなっておもう。 
作品はラコットとテスマーの履歴書を映像化したような内容。 二人から見た20世紀後半のバレエの歴史が語られていて、100分の短さだったけど感慨にひたることができたわ。 
彼は組織というものが何か知っていた。 組織に対していつもチャレンジを投げかけたの。 そして具体的テーマは<古典の再生>。 この明確な目標があったからテスマーを含め多くの人々との出会いと別れができたのね。

98 :
■リア王
■作:W・シェイクスピア、演出:J・A・シーザ、出演:演劇実験室◎万有引力
■座高円寺、2014.5.16−25
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage43450_1.jpg?1400926036
■リアと末娘コーディリア、グロスターと息子エドガー、この二組の父と子の話が出揃った後半から面白くなりました。 シェイクスピアの「リア王」と言うより「父子物語」ですね。 そしてリアがとても元気じゃないですか!
音楽劇とあったのですが、謎のオペラ歌手が歌い役者たちは歌いません。 ここの劇団員たちの歌唱は見たことがありません。 芝居の中の歌は状況に合えば少しくらい下手でも関係ないでしょう。 どんどん歌ってほしいですね。
またゴネリルが舞踏家工藤丈輝とは驚きでした。 他の役者とは違った存時感を持っていました。 目が喋りすぎていましたが。 ところで万有引力のシェイクスピアは「リア王」しか観たことがありません。 次は「夏の夜の夢」をどうですか?

99 :
■コジ・ファン・トゥッテ
■作曲:W・A・モーツアルト、指揮:J・レヴァイン、演出:L・ケーニッヒ、出演:S・フィリップス、I・レナード、D・ドゥ・ニース
■東劇、2014.5.24−30
http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/
■重唱の流れにリズムがあり物語が澱まない。 しかもアリアを引き立たせている。 舞台美術も簡素にしてこの流れを壊していない。 ワーグナーはこの作品を酷評したらしいけど、多分嫉妬ね。
フィオルディリージとドラベッラの性格の違いをそのまま歌手自身が持っていて面白いわね。 作品の感想を聞かれて前者は「一生後悔するだろう」、後者は「独身で生きる不安があるからしょうがない」と言っていたけど、舞台と現実が混ざり合っている。
時代の違う作品だと誰もが言っていたけどそうは見えなかったわ。 古さが感じられない。 しかも舞台芸術の目的の一つ「新しい何かに生まれ変わる幸せ」を持っている作品だから。 さすがモーツアルト、恐るべし!

100 :
■カヴァレリア・ルスティカーナ
■作曲:P・マスカーニ、指揮:R・パルンボ、演出:G・デフロ、出演:L・ガルシア、谷口睦美、W・フロッカーロ
■道化師
■作曲:R・レオンカヴァッロ、指揮:R・パルンボ、演出:G・デフロ、出演:G・ポルタ、R・スターニシ、V・ヴィテッリ
■新国立劇場・オペラハウス、2014.5.14−30
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/cavalleria/
■二作を続けて観ると感動が薄れてしまう。 似たもの同士だから。 しかも舞台背景が同じギリシア?遺跡のため、あとで思い出しても混乱するからよ。 作品の位置付や上演時間でこのペアになっているのなら少し保守的ね。
「道化師」のストーリーはよく考えられている。 ヴェリズモに合っている。 しかも劇場遺跡での劇中劇は面白い! 舞台上の芝居と現実の境界も消えて複雑な構造だわ。 でも面白さが漏れてしまっている。 何故かしら? 
歌詞に日常生活の言葉が多いから<日常の間>というのが発生するの。 これが演劇を呼び寄せてしまい、オペラ的感動を遠ざけてしまうから。 演劇的ストーリーをオペラ的に移行できなかったからよ。
むしろ母の力が強く表現されている「カヴァレリア・ルスティカーナ」のほうが色濃いキリスト教を背景にイタリア的オペラ的感動があったのは確かね。 ところで旅回の一座を眺めているとイタリア映画をいろいろ思い出しちゃった。 哀愁漂う舞台美術だった。
日本の歌手が外国歌手に混ざるとイタリア語の癖がないからとてもきれいに聞こえる。 特に谷口睦美、吉田浩之の歌唱が記憶に残ったわ。


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