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両晋の英雄について語る


1 :2006/10/25 〜 最終レス :2016/11/14
統一王朝である西晋 地方政権である東晋
そのどちらにも語るに値する英雄が多くいました。
そんな人達について語りましょう

2 :
東晋の皇帝のないがしろっぷりは異常

3 :
一応。
西晋演義
ttp://www.geocities.jp/shokatusei/liangjin/
解體晉書
ttp://jinshu.fc2web.com/
通鑑記事本末
ttp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm

4 :
後半の東晋の方が面白い人物が多いかな。
西晋の方は、三国志の余りという感じでイマイチ。

5 :
劉弘とかいるじゃん

6 :
東晋って内部はバラバラだったのによく百年近くもったなと思う
王導や謝安のおかげかな

7 :
バラバラのまま周王みたいな立場になったからこそ長生きしたんだよ
一度は中央に権力が集中しつつあった魏はその権力を臣下が握ると簡単に簒奪されてる

8 :
司馬炎て名前かっこいいじゃん

9 :
馬炎だったらどう?

10 :
誰か、桓温について熱く、熱く語ってくれ。

11 :
悪名だろうと歴史に名を残したいピカレスクヒーロー

12 :
 桓温が蜀に入った際、配下の兵士の一人が猿の子を捕まえ、それを追いかけてきた
母猿は百里余りも追いかけた後で死んだ。腹を割いてみると悲しみの余り腸がねじ切
れていた。桓温は怒ってこの兵士を罷免した。これが、断腸という言葉の語源である
とされている。

13 :
桓温は貴族や文化人の間では結構人気があったらしい
東晋を簒奪せんとする野心の強い人ではあるけれど
なんか憎めないところがある人物

14 :
諸葛亮の話とかも含めて
育ちが良いが故の教養が今ひとつ悪役になれない足かせになってるかんじだな
曹操と似たようなもんぁ

15 :
東晋の庾亮・冰・翼の庾氏三兄弟と、オイラが好きな陶淵明先生の曽祖父・陶侃は
英雄と呼べるのでしょうか?

16 :
西府軍を育て、桓温に引渡し、蜀、洛陽と制圧する基盤を作ったので、英雄でいい。

17 :
>>13
面倒見がよかったりしたのだろうか

18 :
桓温の頃の東晋は、三国時代の呉・蜀+αの勢力があったのに
何で華北を回復できなかったんだろう?
洛陽を足がかりにして、華北支配するっていうのは無謀だったのかな?

19 :
桓温に野心がありすぎたため、謝安が足を引っ張った。

20 :
まだ江南も熟し切ってない

21 :
桓温も北伐に失敗しまくっているな。南から北へ攻めあがる難しさが改めて
よくわかる。ほんとに朱元璋は天才だな。

22 :
前燕と前秦の対決がかなり熱い展開、個人的ベストバウト(桓温が若干かませ犬扱いになってしまうが)
何というか、前秦って官僚的でシステマチックな印象が強いんだよなあ
それだけ集権化されていて、非常に効率的な体制を作り上げていたことの裏返しであるんだろうけど
胡族政権といよりは、本家中国人以上に、ずぅっとシニフィケイションされた国家だと思う
苻堅の(苻氏全体に言えることだが)胡人であったがゆえの一種のコンプレックスのために、漢人以上にドラスティックな
中華復興を試みたのではないのだろうか?
これが後趙(石勒時代)、前燕(慕容皇、儁時代)あたりだとかなり毛色が違う
人的結合による統治、情に流される政権運営と言ったところか、乱暴に表現すれば
逆に前秦は理、理念、理想といった思想で成り立っている国であったと思う
情に拠った国は、政権中心メンバー間の結束が堅いときには爆発的な強さを発揮するが
一度結束が崩れれば驚くほどに脆く、感情的な行動に走りやすくなる
逆に合理性を追求した体制は、度重なる不測事態や蹉跌に見舞われようとも決して疲れを知らず、
目標を達成することに邁進し、驚異的な粘り強さを発揮するタイプの国家、集団
当然、国家には情も理もともに備えあわさなければならないものなのであろうが、
かたや燕は、各個人の情、愛憎に振り回されて国を傾け、こなた秦は君主の理念先行の統治のせいで
一族の離反をたびたび招き、最後は断末魔の長き苦しみの中で滅亡するに至った
いや、何が言いたいんだか、自分でもよくわからんが
慕容恪と慕容垂兄弟のツープラトンは向かうところ敵なしの最凶タッグじゃないかと


23 :
劉裕が一番の英雄だ。

24 :
両晋時代の人物ベストテンでも勝手にやってみるか
戦術面
1 劉裕(北伐、海賊退治、僚友と骨肉の死闘といずれの局面においても勝利を収めている)
2 陶侃(地味な役回りながら、彼が江南を確保しなければ東晋は間違いなく短命政権に終わっただろう)
3 桓温(征蜀に成功し、北伐を何度も敢行した時代を代表する名門軍人にして政治家)
4 羊?(討呉計画の立案者であり、杜豫、王濬らの功績も羊?に由来するところが大である)
5 祖逖(弱者の戦術で、強大な後趙に孤独な戦いを挑んだ硬骨漢)
6 王濬(討呉戦の立役者、現場出身の叩上げは中央の貴族連中には使いにくかっただろうな)
7 希β鑒(北府軍の事実上の創立者、王敦、蘇峻の叛乱の鎮圧戦で活躍した)
8 苟晞(屠伯の綽名は伊達じゃない、石勒と拮抗した数少ない晋将)
9 劉牢之(劉裕の上司、北府軍の実力者でシ肥水の戦いでは最前線で奮闘し、勝利に貢献した)
10 謝艾(前涼の一武将、軍略に秀で後趙の大軍を幾度となく撃退した)
魏晋革命以降で、五胡は含まないようにしたが、小粒ぞろいになるかと思いきや
結構ずっしりした面子がそろったな
やはりと言うか、意外と言うか、叩上げの将軍が結構多い
あと、あんまり部下に持ちたくない曲者ぞろいだ、特に桓温、劉裕、劉牢之あたりは

25 :
最近劉裕に興味持って色々調べてるんですけど
彼の部下に王猛の孫である王鎮悪って人物がいますけど
劉裕はあまり王鎮悪のことを信用してなかったてのは本当なんでしょうか?

26 :
西東あわせて大晋150年。そう考えると司馬懿って凄い奴だな。
曹操とか劉備なんかとは格が違うよな。

27 :
続いたことが格とどう関係あんの?

28 :
むしろ褒めるは司馬昭

29 :
褒めるべきは、とうがいと鐘会

30 :
>>26
君にこの言葉を送ろう。
「(劉邦、劉秀に比して)曹孟徳や司馬仲達は問題にならぬ。寡婦に後見される孤児が
 天子になっているのにつけこんで、キツネが人をバカにしたようにして天下を奪った奴らだ。
 我輩(石勒)はそんなことはせぬ。(後略)」
……もっと非道いコトやりますもんネ!

31 :
そもそも王朝がどれだけ続くかは、創業よりも守成の問題でしょう。

32 :
むしろ褒めるのは王導

33 :
空気読まずにチラシ裏
戦略面でのトップテン
1 該当者なし、ずば抜けて功績を残した軍司令官はいない(強いて挙げれば王導)
2 王導(徐州にチ鑒、荊州に陶侃を配置し、後の北府−西府による東晋の防衛体制の雛形を形成)
3 劉裕(東晋延命、禅譲のお膳立てのために戦略立案→概ね成功したが北伐は画竜点睛を欠いた)
4 羊【示古】(討呉プランの立案と実施時期、国力差の見積もりは見事、実施者たりえなかった点が残念)
5 桓温(禅譲・名望のための北伐という観点で評価すれば十二分に成功、その志に疑問符がつくが)
6 王浚(早い段階で胡族の軍事力の組織化に目をつけ、婚姻政策等で強大な勢力を築き上げた
 八王の乱の終結、王彌・石勒討伐とその成果は評価されるべき、後にコケたけど)
7 張軌(端っこから領土経営していけば、多少面作戦しなくていいんじゃねえ?を実践した人)
8 杜預(羊【示古】の計画を引継ぎ、討呉を粘り強く主張し、見事に呉の平定を成し遂げた)
9 衛カン(征蜀戦の後始末?、拓跋部の弱体化、皇位継承に関する諫言等、政戦両面に秀でた謀略家)
10 謝安(シ肥水の戦い前後の人事、調整能力は王導に勝るとも劣らない手腕)
いかに適確な目標を確立し、配下の諸将に任務を付与し、戦う時期・場所を選定し、
友軍の軍備を整えさせ、敵軍の軍備を衰えさせるか、という観点で評価
ワースト勢にはこと欠かないんだけどね(八王の乱の時期の司令官はみんな該当するな)

34 :
王導も凄いが王猛も凄い

35 :
戦術面で劉牢之を入れるなら、謝玄の方が良くないか?
劉牢之は北伐で連戦連敗して(それも失地回復に絶好の混乱期)、正直
内弁慶なイメージがある。
味方の晋軍相手なら無敵って点は、蘇峻に近い気がするぞ。
謝玄は桓温の麾下にいた頃から軍功を立ててたのだし、それで謝安が謝玄を
起用したときにも反論が出なかったのだから、劉牢之よりはふさわしいと
考えるのだが…。

36 :
>>35
対案出すのは全然構わない、どんどん批評していこう
謝玄は戦略面でも、北府軍の充実やヒ水の前哨戦の仕込み具合等で非凡な才能を発揮しているし、
戦術面では、やはりヒ水の戦いの立役者だからトップテンに名前を連ねても問題はないと思う
劉牢之はまさしく現場レベルの戦術という意味で推薦した
謝安(政略)−謝玄(戦略)−劉牢之(戦術)というラインで自分は認識していたので
しかし、謝安や王導の外交・調整能力はかなり面白い
政治的な中央集権を敢えて回避して、内部の結束力を高めるという奇策?
外敵が強大であればあるほど、脆弱な国内の派閥が結束する仕組み
東晋という時代だからこそできた離れ業だろうな

37 :
>>36
>劉牢之はまさしく現場レベルの戦術という意味で推薦した
ははあ、そういう意味で…納得。
あと、個人的には、二位と三位は逆でもいい気がするなあ。桓温の相手が
慕容恪・慕容垂・慕容徳や苻氏一族だったことを加味して。
桓温の戦術家としての能力は、劉裕と比較してもさほど見劣りしないと
思うのですよ。
劉裕の相手が、内紛でボロボロの後秦や駄目な二代目の慕容超ではなく、
全盛時の彼らであればどうだったろう、と考えることもある。
枋頭の戦いも、部下の補給の失敗に気づいて即退却を決定、ところが
察知した慕容垂・慕容徳に追撃・捕捉されて…という内容なわけで。
この前哨戦である林渚の戦いでは、慕容垂八万の軍を撃破してもいますし、
桓温の指揮能力は陶侃より上でもいいかな、と。
あと、戦術家というより軍政官とすべきべきかもしれませんが、劉弘の
評価がどの辺か知りたいかなあ。八王の乱時に荊州の安定を保ったこと、
その精兵が陶侃に後継者として譲られたことを加味して。
しかし余談ですが、陶侃と周訪のエピソードはひどいですねえ。
陶侃、
「一番良いあの場所に親を埋葬すれば宰相に、二番目に良いあの場所に
 親を埋葬すれば代々将軍を輩出するであろう」
と言われて、親友のはずの周訪に二番目をやるあたりが特に。
予言のおかげかはともかく、以後の周氏は周訪・周撫と名将を輩出して
功績をあげましたが…。
しかし、王導の権力の源泉はどこにあったのか不思議ですねえ。
王敦の乱とかピンチがあったにしても、明帝の顧命の臣になっているのが
わからない。いや、明帝が一度廃嫡されかけたときに、長幼の序を説いて
元帝を思いとどまらせてはいますが。
軍事力の裏付けがあったのか、と私兵を多く抱える江南の豪族を調べて
みても、孔氏とかの有力どころと王導は断絶してますし。
正直、王導の政治力は魔力めいて見えるのですよ、今のところは…。

38 :
両晋はよく言うけど、両漢っていうのは言う?

39 :
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両晋 の検索結果のうち 日本語のページ 約 1,340 件中 1 - 100 件目 (0.33 秒)
Googleでは両漢の方が多かった。
ちなみに周、宋だと
両周 の検索結果のうち 日本語のページ 約 622 件中 1 - 100 件目 (0.48 秒)
両宋 の検索結果のうち 日本語のページ 約 815 件中 1 - 100 件目 (0.46 秒)

40 :
実際東晋は王氏が造ったようなものだね、特に王導の力が大きい
正に名前が表すように(琅邪)王を(江南)に導いた功績は計り知れないほど大きい

41 :
長沙王乂の時点で八王の乱が終結していたら、時代もかなり変わったと思うんだけど
彼の人となりを考えれば、専権を振るったであろう可能性はかなり低いし、
それ以上に、匈奴参戦の大乱戦はギリギリで避けられたんじゃなかろうか?
(成都王が没落すると仮定した場合での話だが)
いや、王浚が新たな火種に成り得るか、それじゃあ
政務面でのトップテン(この方向には若干疎いが)
1 杜預(泰始律令制定時の有力メンバー、杜武庫と称えられほどの実務能力の持ち主
 学問分野でも優れた実績を残しており、文官の頂点と言っても過言ではない)
2 張軌(戦乱渦巻く華北において、唯一人民と領土をまともに統治し続けた地方官
 張軌の地盤固めあればこそ、前涼は十六国最長70年の命脈を保てたのである)
3 劉弘(荊州勢力、ひいては西府軍創設の源流、軍務でも優秀だが本分は内政
 特に相次ぐ戦乱で荒廃した荊州の諸城を復興し、蜂起した諸勢力を最後まで
 抑えきった領土経営は見事、張軌一家とは甲乙つけがたい名地方官一族)
4 司馬炎(晩年の大ポカには目を瞑れば、天下統一、占田・課田制、戸調式の発令、
 軍縮政策、泰始律令制定等、目の付け所は悪くない、どこか歯車が狂ってた)
5 桓温(庚戌土断により、東晋の国力を改善……既得権益の破壊って結構
 難しいことだと思う、劉裕は政務面に関してはあくまで桓温のフォロワーにしか過ぎない)
6 王導(人材の発掘、育成、登用、適材適所への配置、さらには細部調整能力
 上位陣とは毛色が異なるが、人事・人間心理に関しては怪物的な才能の持ち主)
7 賈充(晋朝成立の功臣第一であるが、特に法律の運用に明るく、泰始律令制定
 の長に任じられている、実務より政治力の面で秀でている)
8 謝安(王導と評価項目は同じ、国家の危機的状況を何度もくぐりぬけてる点でも
 同等、調整型の政治家だが、度胸・決断力は十二分にある)
9 張華(文人として有名だが、賈后の専横した時期に朝廷をよく治め、また人材
 登用にも明るく、元康の安寧を築いた名望家……もっと評価されても良いよな?)
10 陶侃
  チ鑒
  祖逖(3名ほぼ同列、塢主の2名に関しては、流民集団を民政軍政集団に変換
 させた手腕を特に評価……)
正直言って、最後の3人はちょっと厳しいかも
もっと政治的に有名な人物いないかね?

42 :
賈充をほめた文を初めてみた
娘がアレだからか賈充って評価低いよな

43 :
賈充は本人自身も曹ボウを殺して責任は取ると実行役を押しつけた成済を結局単独犯として処刑してるし
人格はもうどうしようもない奴だったに違いない
それでも司馬昭司馬炎が使い続けたのは性格の悪さを上回る能力があったんだろうと予測

44 :
賈充の妻も性格悪い。

45 :
娘も最悪だったような

46 :
親父はまともな人物なのにな

47 :
母親の血か?

48 :
妻の血かもねえ。
妻って、郭淮の姪だよね。

49 :
権謀術数、策略面でのトップテン
1 王導
  江南諸豪族間の微妙な温度差を見抜き、そこにつけこんで分断を図り、まんまと主導権
 を獲得した手腕を評価して(その後の政権中枢内においての不倒翁っぷりも加味)
  陳敏、周馥を利用するだけ利用して、後にボロ雑巾のように使い捨てにした江南豪族連
 合を向こうに回しての、冴え渡る知略の応酬はさすが王導と言わざるを得ない
2 衛カン(字伯玉)
  征蜀の締めくくり、鮮卑拓跋部弱体化工作、後継者争い、その全てにおいて卓越した
 献策、謀略を見せつけた、晋朝きっての謀略家(策士の最期はああでなければならん)
3 賈充
  衛カンと双璧を成す、西晋初期を代表する謀臣、朝廷の権勢を一挙に掌握し、娘を
 恵帝、斉王攸に嫁がすなど朝政を恣にした(恵帝の嫁争いを衛カンとしてるなあ)
4 謝安
  巧みな政界遊泳術、桓温の簒奪をギリギリで阻止するという大博打を打った老獪さと
 クソ度胸を評価して、下駄の逸話といい生まれながらのタヌキ親父なのだろうか
5 賈南風
  外戚楊氏の族滅、愍懐太子の謀殺、賈氏一党による政治の壟断など、謀略の限りを
 尽くして、政治闘争に明け暮れた賈充の娘にして恵帝の皇后
6 桓温
  殷浩失脚〜北府圧倒までの権力掌握の過程はお美事、しっかり成果を後の北伐に
 生かせてる点が素晴らしい、策略と軍事が見事に噛合っている
7 劉裕
  劉毅攻略や対桓玄クーデターとか、割かしペテンが利く方だけど(劉牢之が桓玄に降るのも
 制止しているし)、謀略の人という印象が薄い、いや簒奪劇はしっかりやってるけどさ
8 東海王司馬越
  軍事は二流以下だが、地道な外交調略と果断な状況判断によって、何とか八王の乱を
 終結させた八王最後の一人、その死後の西晋の崩壊っぷりを見れば、晋に残ってたのが
 この程度の人物でしかなかったという事実に愕然とさせられる程、八王の乱の被害は甚大
 だったわけで・・・・(この程度というのは、人間性や軍事的才能の面での評価)
9 顧栄
  江南豪族の筆頭格、顧栄らの協力がなければ王導、司馬睿も東晋を成立させれなんだろう
 ことは想像に難くないが、恩を売ったつもりが相手が悪すぎたと言うべきか、しかし要所要所での
 判断はかなり的確だと思われる、特に酔っ払って左遷のくだりとか、相当強かな人物かと
10 桓玄
  劉牢之を謀殺したり、速攻で禅譲劇を強行したりと父親譲りの謀略家
 あるいは劉裕さえいなかったら、もっと高い評価を受けていたかも
八王の乱の時に湧いて出てきたような寒門出身の謀臣とか、確かに知恵はあるんだろうが
その謀略が全くその後の政策戦略に生かしきれていないから、はっきり言って評価できないな
清談家とか老荘思想かぶれは問題外
しかし、頭良くても杜預とか政界遊泳に疎い奴もいるしなあ、勿体無い

50 :
衛カンはやっぱ嫌いな奴多いんだろうか?
個人的には、「この座が惜しゅうござりますな」の後継者選定時の諫言とか好きなんだが
ケ艾暗殺も史書では酷い言われようだが、実際問題、ケ艾の功績がこれ以上
積み重なることになったら、遅かれ早かれ破滅は時間の問題だったろう
時機を見計らった、衛カン最高の「仕事」だったと考えれなくもないのでは?
鍾会って衛カンより若かったんだな、そう言えば
自立を企ててなかったなら一体どうなったことやら

51 :
>>50
>鍾会って衛瓘より若かったんだな、そう言えば
>自立を企ててなかったなら一体どうなったことやら
衛瓘の如く賈后に消されていたか、あるいは賈后に上手く取り入っても
その後趙王倫に殺されていたか、はたまた劉寔のように政界の荒波を
見事泳ぎきったか……。
もしかしたら、子や族子なんかとつるんで八王の乱を散々引っ掻き回し、
まるで盧志と劉弘と王浚と張軌を足して4で割らないような、とんでもねぇ
タマになってた可能性も、この男なら全く否定できないのが怖いところ。

52 :
やっぱり桓温が一番魅力的

53 :
そうだな、1人選ぶなら桓温

54 :
賈充て、鍾会のクーデター騒動で、便所を抜け出して生還した人だったか。
なにかと只者じゃない感じはする。

55 :

桓温は田中角栄的なリーダーだったんじゃないかな。
桓玄はかんり能力はあるが詰めが甘いホリエモンタイプか。
桓沖は大納言秀長のようなシブくて頼りになる弟
チ超は桓温が軍事政略両面でブレーンとして重用していた人物で
禅譲論者だったため史書などでは謝安の引き立て役のように書かれているが
能力はかなりあったんじゃないだろうか
謝氏一族では名将謝玄の叔父の謝石のイメージがよくつかめない
謝玄の補佐役として武功があったらしいが、乱暴で貪欲と記されている
謝氏一族にもいろいろいたということか

56 :
個人的に、郗超は実務能力高かったと思うよ。人物鑑識眼もあったと思う。
苻堅侵攻の際、謝安が謝玄を起用して「一族を起用するとは」と批判が
起こったとき、対立者でありながら「いや、謝玄は成功する」と謝安の差配に
賛成だったし。
「謝安の引き立て役」みたいに見えるのは、「簒奪者の味方だし悪く書いちゃえ」的な
部分もあったんじゃないかな。
なんていうか、晋書って実務能力の高い人をあまりよく書かない傾向があるように思う。
実務能力が低くても、清談ができれば名臣扱いされるというか。
あの北伐に失敗した殷浩でさえ、清談ができたおかげで同情的に書かれてるからw

57 :
鐘会はともかくケ艾をR必要はあったかなあ
寒門のやっこさんじゃ宮廷遊泳力は……

58 :
魅力第一は桓温

59 :
桓温は「竹馬の友」や「断腸」の語源に関連する人物だからね
なんかタイプ的には曹操に似てるような気がする
皇帝になる気まんまんの曹操みたいな

60 :

曹操ほどの厳しさが無いだろ
気前がいいかんじがする。
こういう社長の会社で働いてみたいな

61 :
>>57
衛カンは功績云々より仕返しが怖いからケ艾を殺したらしいよ

62 :
>>61
まあそうなんだけど、トウガイもちと調子乗りすぎた感がある

63 :

桓温は、紙の使用を普及させたとも言われているな

64 :
桓温って色んな逸話持ってるね

65 :

桓温の若い頃のエピソードからは、後年の躊躇は想像できないな

66 :
横槍で申し訳ないんだけど質問してもいい?
西晋の馬隆ってかなり奇策を弄するのに長けてたの?
それと諸葛亮の兵法も学んでいたとも聞いたのだけどそれは事実なんですか?

67 :
【これ何て】 蘇峻 【エロゲ?】
http://hobby9.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1173936959/

68 :
私は劉裕が一番英雄だと思います。

69 :

桓玄が、正式に荊州諸軍事に任命されるのってかなり後になってからだと
思ったけど、桓沖の死後、桓家の西府軍への影響力ってどうやって
保持されていたんだろうね?
ちなみに謝玄も若い頃政府軍の幕僚を経験しているんだね。
けっこう東晋の人間関係って、複雑でイメージがつかみにくい。
友達のような顔して、殺し合いするみたいなところがあるよね。

70 :
桓温には是非簒奪をなしとげてもらいたかった。
創業者としてこれほど魅力のある人物もそうはいまい。

71 :
実は腐ってるのは桓温側ではなく、東晋政府の方なんだよねぇ。
東晋政府→名門勢族が官職独占、家格が少しでも劣ると下働きで一生を終える
西府→名門のみならず、実務能力のある寒族も登用。中央よりよほど公平
なわけで。謝安を名宰相と呼ぶのも、少し抵抗があるなぁ。
やってることは、悪い言い方をすれば既得権益の保持だから。
贅沢をやって人の非難を受けたエピソードを見ても、人情の機微に
通じていたとは考えにくい…。
孫恩・盧循の乱が、どうして中央政府のある揚州では猖獗を極めたのに、
西府のある荊州では飛び火してもすぐに鎮静化したのか、そういう点を
考えると、桓温に簒奪されてた方がマシだったと思う。
でもその場合は、
すぐに桓温死去→桓玄が幼いため後継者争い勃発→前秦侵攻→苻堅ウマー
になるんだろうねw

72 :
桓温って確か謝安と謝玄のことを絶賛してたよね。
まさか後に謝安によって王朝簒奪の夢を阻止されることになろうとは思いもしなかったんだろうな。

73 :
桓温が簒奪に成功して新しい王朝を開いていたら、
かなり歴史上画期的な、例えば南北統一を達成したりとか、
そういう業績を残す王朝になっていた予感。

74 :
桓温が晋を簒奪しなかった真相
桓温が晩年の時に、突然一人の尼僧が遠方から来て、桓温に旦那となってもらい、屋敷に逗留した。
この尼僧は学才も挙動も常人とは違っていたので、桓温は鄭重にあつかい、屋敷内に住まわせた。
ところが尼僧は、入浴の時にはいつもきまって長い時間をかける。
桓温が不審に思って、覗いてみると、尼僧は裸になって刀を持ち、腹を裂いてはらわたを取り出し、
首を切り落として手足を細かくきざんでいた。桓温はあっと驚いて引き返したが、部屋に帰ったころ、
尼僧は浴室から出て来た。姿はもとのとおりになっていた。
桓温が正直に見たままを話すと、尼僧は答えた。
「お上(晋朝)に取って代わろうなどとする者は、きっとあんな姿になってしまいますよ」。
ちょうどこの時、桓温は帝位を奪おうと企んでいたところだったので、尼僧の言葉を聞いて意気消沈した。
この為に行動を慎み、臣下の本分を最後まで守り通したのであった。
尼僧の教えを信じた桓温は幸いに身を全うしたが、その子の桓玄は謀叛を企てて、彼女の予言通りに亡ぼされた。

75 :
>>71
>なわけで。謝安を名宰相と呼ぶのも、少し抵抗があるなぁ。
>やってることは、悪い言い方をすれば既得権益の保持だから。
でも、謝安以前の陳郡謝氏って、ほとんど寒門みたいなもんだよ?
陳郡謝氏が超一流の貴族扱いされるようになるのは、謝安登場以降。
でも、「桓温に簒奪されてた方がマシだったかも」というのには同意。
「楚の文帝(桓玄)の北伐」とか、ちょっと見てみたい気もする。

76 :
桓温が簒奪していたら後世でのイメージはもっと悪いものになっていただろうな

77 :
陶侃が好きなんだけどやはりあの性格だと人付き合いはきつそうだよな
見るにはいいけど上司や友達にはしたくないというか

78 :
陶侃、近くにいたらかなり鬱陶しそうだしな。

79 :
真面目マシンだよな
夏でも姿勢崩さず勤勉に政務したり博打は豚飼がする遊びだとか言って川に投げたりとか
でも晋で一番かっこいい軍人のひとりなのは間違いないね

80 :
>>66
『晋書』巻57列伝27の馬隆伝に「隆依八陣圖作偏箱車」ってあるから、そこからの連想じゃないの?
直接に諸葛亮は出てこないけどさ。

81 :
この時代の人物たちの能力評価が結構気になる
三国志末期の人物達って、軒並み微妙な評価だからねえ(杜預なんか特に)
自分なりに評価する基準としては
A指揮采配:実員指揮能力、リーダーシップ
B権謀術数:政略、戦略、謀略に関する知識能力
C行政実務:官吏としての政務能力、将兵としての部隊の管理能力
D外交調整:対人コミュニケーション能力、交渉術、社交性に関する能力
E戦技戦術:一戦闘員としての戦闘能力と戦術常識、つまり戦争センス
A〜Eを最大値100で評価する
5項目のうち、CとDが高い人物は外交折衝能力に秀で、BとDが高い人間は他国への内応、
諜報活動に長けている、と言った感じで得意分野が新たに形成される感じ
何か、光栄方式で統率だけで戦闘能力が左右されるのは気に喰わなかったから考えてみた
A+C:大規模な工事や、戸籍調査等多くの人間に関わる国家的事業に携わった人が特に高い
A+D:連合軍や同盟を結成した際に、その主導権を握った人物等
A+E:両数値が高ければ高いほど戦闘能力に秀でる
B+C:政略に長じる、内部抗争や政権争いで勝ち上がった人物
B+D:調略に長じる、他国勢力への切り崩し等に功績のあった人物
B+E:兵法計略に通じる、奇策を用いて勝利を収めた武将等
C+D:国家間の外交交渉に活躍した人物、外交政策の指針を定めた人物等
C+E:兵力を集めるのに秀でた人物、何度壊滅しようとも軍容をその都度復活させる不屈の武将等
こんな感じで評価していってみたいなあ

82 :
コーエーの杜撰な評価のせいで、
ゲームから知った(ゲームでしか知らない)層が
この時代の人物を誤解してるんではないかと思われる節はある。
杜預はあれでもまだましな方だけど、
陳騫や張華なんかは悲惨なことになってるからなあ。
以前、晋代の人物評価スレがあったけど
そこではそれなりに分析評価されてたな。

83 :
>>82
張華とか、光栄三国志だと政治が80ぐらいだったけど、彼の
西晋代の事跡を知ってれば、絶対に90は点けるよなぁ、普通。

84 :
視点が偏っているからな。

85 :
なにせ文鴦ですらまともに評価されているとは言い切れないくらいだし

86 :
武力90やっけ
個人には98くらいでいいよ

87 :
俺も演義と柴錬で文鴦を知ったクチなんだけどさ。
後に晋書読んだんだが、270年代に河西鮮卑討伐で活躍した
文俶って同一人物なんだよね?
「勇は三軍に冠する」猛将が指揮官としても大成したのかと思うと
感慨深いものがあったなあ。用兵の面でも評価してあげたい。
最期は東安王に謀殺されちゃったし、波乱に満ちた生涯だったね。

88 :
>>87
東安公が殺した理由が「祖父の仇」ってのがドラマだよな

89 :
東晋の時期って、雲南、貴州あたりの異民族地域はどれぐらい治められていたんだろう。

90 :
自分の知る限りでは成漢の頃には東晋の王遜やケ嶽が活動しているみたいだね。
それぞれ一定の成果を挙げたようだけど、恒久的な支配には至らなかったのかな。
別の方面からも調べてみる必要がありそうだな…

91 :
◆司馬懿◆司馬家の人々◆だけじゃない◆
http://hobby9.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1189574680/

92 :
>>87
そもそも俶が諱。

93 :
誰の諱?

94 :
>俺も演義と柴錬で文鴦を知ったクチ
俺なんか今ここで段部の文鴦とは違う人の話題なんだと気付いたクチ
段文鴦がんがれ

95 :
西晋と東晋のそれぞれの最盛期だと、経済力はどちらが上だろうか?

96 :
のびねえなあ・・・

97 :
>>95
東晋の時代のうちなら、まだ西晋の方が上だったんじゃないかな。

98 :
最期に溺れ死んだ孫恩は水仙になったとされたらしいけど、
信徒からは神様扱いになったのかな?

99 :
逃走中に捕らえられるのを恐れて、自ら身を投げたという説もある。
反乱軍自体は、孫恩死後も活動を続けていたから、
精神的な柱にはなっていたかもね。

100 :
桓温って、そんなに酷い悪党かなぁ…。
成漢の李勢を殺さずに諸侯として扱ったりとか、かなり寛大だと思うけど。
これが劉裕の場合、
慕容超→処刑
姚泓→処刑
劉毅・諸葛長民→敗亡
なわけで、「逆らう奴はブッR」だもんなぁ。
もし簒奪に成功していなかったら、「董卓以上に残忍」だの
「戦いを喜びRことを好んだ」だの、大悪党として書かれたのは
間違いないだろうねぇ…。


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