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なぜアジアタッグはなくならないのか


1 :2018/04/29 〜 最終レス :2019/10/29
なぜアジアヘビーは長続きしないのか

2 :
それが必要だったから

3 :
アジアってどこか安っぽいイメージある言葉
それはプロレスのせいではないかと睨んでいる

4 :
歴史と伝統を匂わせる感じもあるな

5 :
カンナムvs小橋・菊地とか、秋山・大森vs井上・本多とか、ハヤブサ・人生vs本多・泉田とか、小橋・菊地vs渕・小川とか、90年代から見始めた身でも、それなりに名勝負は覚えているが…。

6 :
このタイトルだけは至宝だと思う。
エース以外の若手・中堅・ベテランとかで争うのも素晴らしい。
なので、色々な団体が挑戦できたり持ち回りできるシステムを作ってほしい。

7 :
アジアヘビーはなくなったのにな。

8 :
ガラケーでネットしてるようなゴミもなくなんねーなwww

9 :
ポンコツ
ロートル
戦力外
朝鮮人
前科者

達の墓場だからだよ。

10 :
>>6
ジュニアも含めてどの線で使っても違和感が無いのが凄い
三沢・小川みたいに瞬間的にはエースが絡む事もあるし
タッグだからハンデ的な組み合わせも出来るし

11 :
カンナムエクスプレス

12 :
>>9
今後そこに全日最強のカーベルが追加されるんだから面白いわ

13 :
>>7
初代の時点ではあくまでアジアヘビーが主役だったみたいだがそれがいつしかというのも面白い

14 :
>>5
80年代は極道コンビ、石川&佐藤、浜口&寺西とか
モロ前座だったけどな

15 :
むしろベルトとしては
インタータッグの方が古い。

16 :
>>14
それでも、大熊小鹿vs浜口井上(又は浜口鶴見かも?)の後楽園での試合は
馬場鶴田デストロンヤー ボボブラジル ケンパテラらを差し置いて
メインで組まれたんだよね。

17 :
最強タッグが成功したから根付いたじゃないのかな?
全日はタッグマッチが盛んだから日本人、外国人の
トップどころから中堅クラスまで名コンビが誕生した。
外国人なんかはカンナム、殺人魚雷なんかは全日本で
組み始めて海外でも試合してる。
ジャパン勢が来たり、馬場亡き後体制が変わろうとも
世界最強タッグリーグ戦のシリーズ名は変わらない。
長文スマン。

18 :
>>7
アジアヘビーは時を経て復活したんだが。崔領二が持ってるんじゃない?

19 :
馬場が、大木にインターヘビーを強制返上させる時に、代償として
アジアヘビーのベルトを上げちゃったから、流れが止まってしまった。

そういえば、元子夫人が生前にインターヘビー・PWF・UNのベルトは
馬場さんの私物だからと返還させたけど、インター・PWF・アジアの
タッグベルトは対象外だったのも不思議だね。

20 :
>>16
それに限らず極道コンビの時代は結構メインでもやってるんだよな
初防衛戦はいきなり蔵前での国際とのダブル戦だし
昭和での最後のメインでの防衛戦は80年の館山だったか

21 :
日本プロレスのシリーズは、
・1番手の外国人が馬場のインターヘビーに挑戦
・1番手の外国人と2番手の外国人が馬場&猪木のインタータッグに挑戦
・タッグ専門の外国人チームが猪木&吉村のアジアタッグに挑戦
が定番で、大木のアジアヘビーはタイトルマッチが組まれないシリーズも
珍しくなく、組まれても挑戦者は2番手の外国人なら良い方で、3番手
以下のロートル外国人が多かった。

猪木がUNヘビーを奪取してからは、ますます軽視されるようになり、
アジアヘビーは一貫して影が薄かった。

だいたい、日本プロレスの幹部が大木を繋ぎ止める為に力道山由来の
ベルトを巻かせただけだから、興行の目玉としての役割は期待して
いなかったのかも。

22 :
あの国際移籍未遂事件の時は猪木に代わってアジアタッグに返り咲いたばかりで下手をすれば現役王者のまま国際のリングに登場となりかねなかったんだよな

まあアジアヘビーは力道山所縁といっても死去の二年近くも前が最後の防衛戦で死去の時点では遺品として飾られたベルトやトロフィーの中にも無かったんだよな

結局は吉村から代わった猪木との王者の時にシングル王者に専念の理由で返上したが後の木村や猪木の場合と違ってこちらはむしろ自らのレギュラー降格宣言に等しくなったのも皮肉で

23 :
昭和46年の暮に挑戦した
ドリーファンクJR(当時NWA王者)&Dマードック組は
破壊力でファンクスに勝るとも劣らないと感じた。

24 :
猪木がいて勝てなかったチームに坂口がいて勝ったというのが大きいんだよな
決定戦の時のドリーはNWA以外にインタータッグの王者でもあったし
あるいは当初は吉村の代わりに坂口が入って決定戦をやる計画でもあったか

25 :
UNって猪木が持ち込んだベルトじゃないの?

26 :
昭和46年暮れ、ワールドチャンピオンシリーズ
ドリーファンクJR&Dマードック組の戦績。

11月29日、横浜文体
ドリーファンクJR&Dマードック(2−1)猪木&坂口
尚、決勝はドリー(フォール)坂口だが、決まり手は、
今で言う「投げっぱなしジャーマン」
ヘッドロックに掛けられた形ではなく、真後ろから相手を抱えて
後ろに投げた。

12月1日、名古屋、アジアタッグ戦
猪木&吉村(1−1)ドリーファンクJR&Dマードック組
猪木組防衛。試合後、外人組、特にドリーが再戦を強行に主張。
受け入れなければ、その後のタイトルマッチを含む予定を
キャンセルして帰国するとまで言った。
なぜ、世界王者が、アジアのタッグ王座に、それほどまでに
固執するのか不明だが(苦笑)、最終戦の12月12日、
東京体育館で再戦が決る。しかし、その後、猪木が欠場、
坂口&吉村で決定戦を行う。
坂口&吉村(2−1)ドリーファンクJR&Dマードック
決勝の坂口のスーパーハイアングルアトミックドロップは
凄まじかった。マードックの尻を自分の肩に乗せて落としたのだ!

この3戦から見れば、日本の3選手の力は
吉村(1勝1分け)>坂口(1勝1敗)>猪木(1敗1分け)になる。

最終戦のアジアタッグは当初、発表されていなかった。
G・馬場対テリーファンクのインター戦では、
前売りが売れていなかったのだろう。

また猪木追放がなくても72年か遅くても73年の初めには、
坂口がアジアタッグ王者になっていただろう。

27 :
>>19
大木から奪った後の馬場は全く防衛戦を行わずアジアヘビーは大木に返還される前も三年以上宙に浮いてたんだよな
奇しくも同時期では国際から奪回した極道コンビのアジアタッグも一年以上防衛戦が行われていない
結局は改めての決定戦が行われたわけだが当時の馬場としては両アジア王座を同時封印する気持もあったのかもしれずあるいはこの時こそがアジアタッグの一番の存続危機だった可能性もある

それだけに遅ればせながらアジアタッグだけ決定戦をやった理由も気になるがあるいはヤマハの戴冠やオールスター戦の開催も影響したのか

28 :
>>19
馬場が巻いたのはインター・PWF・インタータッグで一番長いのはむしろインタータッグのはずなんだけどな

とにかくこうした「タッグは対象外」な扱いは力道山の死後も同じでインターの凍結は長く続いたに対しアジアタッグは問題にならずすぐに復活
そしてインター復活まで二年も唯一の王座の役割を果たしたわけで

29 :
大木は、ドクとのコンビでインタータッグを奪取→王座陥落した後に、
「自分はインタータッグより、力道山先生が保持していた事のある
アジアタッグが欲しい」と、極道コンビに挑戦しようとしていた。

実現はしなかったけど、大木らしいエピソードだと思う。

30 :
若手の育成と中堅層の活性化。
タッグ屋の売り出し等様々な販促ができるからな。
カンナムエクスプレス、ブリティッシュブルドッグス、マレンコブラザーズ、ファンタスティックス、ブラックハーツ、愛国仮面コンビ、ステイトポリスの人気外国人タッグ。
極道コンビ、フットルース、小橋・菊地の超世代同期コンビ、秋山・大森の同期コンビ等の日本人コンビのアピールの場にもなったからな。
世界タッグとは、違った面白さがあるよ。

31 :
>>29
二度目の陥落後だとするとちょうどアジアタッグの謎の空白期かな
その際の大木のパートナーが誰になったかと考えるのも面白い

インターのベルトもそうだが力道山が持ってた時のアジアタッグはトロフィーだったんだよな
皮肉にもベルトとしてのアジアタッグの第一号王者が大木自身
アジアヘビーも含めて結局大木は力道山が腰や手にした物を得る事は無かった

32 :
「アジア」と付いているのにアジア人以外が持っていちゃダメだろw

33 :
>>31
>インターのベルトもそうだが力道山が持ってた時の
>アジアタッグはトロフィーだった
え?力道山のインターはトロフィーだったと言っているの?
最初からベルトだったよ。
テーズから貰えず日本で作ったものだが。

34 :
泉田&本田vsハヤブサ&人生のタイトル戦最高だった。泉田が人生を頭突きで大流血に追い込んだのはびっくりした。
全日本のなかでは目立たたかなかった泉田も他団体相手だとこんなに強いのか!って驚いたよ。

35 :
全日本に長年いてアジアタッグと縁が無かったのは、鶴田・百田兄弟・薗田ぐらい?

鶴田は最初からエリートコースだから挑戦していない。

天龍は羽田と組んで極道コンビに挑戦したけど奪取ならず。ロビンソンと組んで
馬場&鶴田のインタータッグに挑戦した後は、ランクアップして挑戦の機会が
無くなり、後年になって渕とのコンビで王者になった。

三羽烏では、渕が石川と組んで寺西&保永に挑戦したけど奪取ならず。後年に
前述した天龍とのコンビ、大仁田とのコンビで奪取。大仁田は退団前は挑戦
していないけど、後年に前述した渕とのコンビで奪取。薗田は挑戦経験が無いはず。

羽田は前述の通り天龍と挑戦したけど奪取ならず。

百田兄弟は前座だったから挑戦の機会無し。

国際勢だと、木村は格上扱いで挑戦経験無し。井上・草津・浜口・鶴見が対抗戦で
挑戦し、井上と浜口が奪取。原は国際崩壊後に井上・石川・マシーンとのコンビで
奪取。鶴見は崩壊後に原とのタッグで挑戦、剛とのコンビで王座決定リーグ戦に
エントリーするも奪取ならず。剛はこのリーグ戦出場のみ。高杉と菅原は無縁。

こうして見ると、中堅勢にとっては割と敷居が高かったんだな。

36 :
>>33
すいません
インターのベルトが別物だったようにとでも書くべきでした
大木がギリギリまで拘ったインターのベルトも実際は馬場から使われた三代目で力道山が巻いたベルトは元はWWAベルトだった二代目がPWFの初代ベルトになったんですよね
その意味でも皮肉な形だったわけですが

37 :
>>34
まさに泉田の生涯ベストマッチ
アジアタッグという背景が加わる事で一段と重みも加わる感じで

>>35
鶴田は凱旋帰国がいきなりインタータッグだったし
もしも駒が生きていたらどんな展開を見せたかも気になる
園田は原が失踪していなければ挑戦していたんだよな

38 :
>>37
原が失踪した長崎大会で、薗田がアジアタッグに挑戦する予定だったんですか?

39 :
>>38
佐藤と組んで挑戦の予定だった
あるいは失踪が無ければ石川の最強タッグ参加もありえたか

>>35
渕のアジアタッグ初挑戦は石川と組んで浜口・寺西との決定戦
力道山・吉村対オルテガ・ミラノや馬場・吉村対スナイダー・モラレスみたいにとにかくドローに終わった決定戦は歴史に残り辛い印象

40 :
>>30
マレンコブラザースとしての挑戦はなし
ジョーだけが小橋とのコンビで二度挑戦

41 :
>>30
>>40
それをいえばブリティッシュブルドッグスの
(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)
挑戦もない。
キッドとジョニースミス、デイビーボーイ・スミスとジョニースミスの
挑戦はあり。
キッドとDスミスだと、どうしてもアジアタッグ王者以上の
強さになってしまうんだろ。
かと言って、世界タッグには身体が小さいので、こちらにも
挑戦していない。

42 :
ジョーディートン&ビリーブラックが好きだった
今の新日もジュニアタッグとかネバー6人とかよりもアジアタッグ的なベルトを作っておけば良かったと思うわ
アジアタッグは東洋太平洋タイトル的なワクワク感がある

43 :
キッドとDスミスではアジアタッグ挑戦ないのか
WWFでタッグ王者だったからアジアタッグは失礼ってことかな

44 :
ブルドッグスは世界タッグに挑戦してるぞ

45 :
89スーパーパワーだったと思うが、ブルドッグスとカンナムの5番勝負があって勝ち越したチームに世界タッグ挑戦権が与えられるっていう企画。
当時はだいぶ格の違いがあってブルドッグスが4勝1敗で五輪コンビに挑戦権獲得し、秋田?で世界タッグ戦が組まれたと思う。カンナムに唯一負けた1敗もリングアウト負けだったかな。

46 :
その最終戦である武道館の伝説興行でカンナムが初めてアジアタッグ奪取
またブルドッグスとはその年の最強タッグ最終戦のセミで最後の対戦

47 :
>>46
武道館はシリーズ最終戦じゃなかった。
90年代序盤まで全日が最強タッグ以外で都内大会場を使うときは最終戦じゃない場合が多かった。

48 :
四年後の同時期では初の四天王対決の二日後の仙台が最終戦だったか
その間の小山で小橋・菊地がアジアタッグから転落だったので武道館の時点では三冠の三沢も含めてまだ全員がタイトル保持者

そして最終戦ではメインの六人タッグで菊地がシリーズ有終の美
ちなみに同日では新アジアタッグ王者の仮面コンビがブッチャー・キマラに勝利
またカンナムと秋山・大森の対戦も

49 :
>>35
他には高千穂&クツワダが王者
天龍は高千穂と組んで挑戦もあり
越中は三沢と組んで原&井上に挑戦

永源、浅子、志賀はあったかなあ
復活以降そう長くはいなかったが伊藤、肥後、林は無いね

50 :
ミツヒライは、日プロ時代も含めて挑戦した事が無かったんだろうか?

番頭格のベテランだったけど、小柄だったから自らがタイトル戦線に
絡もうとは思わなかったのかな。

51 :
デザインは誰がしたんだ?全然今でも通用するし同時期に作られたベルトの中でも郡抜いたセンス放ってる

52 :
えー、野暮ったいじゃん
嫌いじゃないけど

53 :
風格があるベルトだよね。くすんだ色合いも渋くて良い味出してる。

54 :
>>49
浅子は菊地と組んでカンナムに挑戦
それがカンナムとしても最後のアジアタッグ

志賀は分裂前最後の決定リーグに人生と参加

55 :
>>53
渋いイメージとしては80年代に王者テーマとして使われたトム・スコットのストリート・ビートの使用も大きい

56 :
浜が三冠巻いた時は違和感があったが、
アジアタッグに関してはインディ団体のの雄が巻いても許せる。(説得力がある)
そこが素晴らしい。

57 :
曙に浜と組ませてアジアタッグを取らせたセンスには脱帽した

58 :
韓国台湾プロレスとも試合すればいい

59 :
ジュニア用にしたり爺さん用にしたり色々便利なんだよな

60 :
それぞれのタイトルを別個に作る必要もないし
全日本が長く四大タイトルのみでこられたのもアジアタッグがあればこそ

61 :
価値なんてとっくの昔からないんだからそのうちカーベルが取りそうw

62 :
ベルト化されてからのアジアタッグの価値が最も高かったのはやはりUN上陸までのNET中継の看板王座時代か

63 :
>>42
相手はエース・小橋だったんだよな
初挑戦は元王者でもあるキニスキーが立会いで

64 :
>>45
正確に言えば、ブルドックスの3勝1敗1分だった模様

>>48
秋山大森が売り出された頃、タイトル戦に限っては結局カンナムは一度も負ける事なくアジア返上したんだよね
(ノンタイトル戦では秋山組にも何回か勝たせてたが)
もう中堅にはシングルでも勝てるくらい格上げされた後の秋山がチャンカンで何故かクロファットにだけ負けるという謎のブックもあったけど、あれは点数調整か何かなのかねえ

カンナムの方は世界タッグに一回だけ挑戦した時がピークでクロファットが持ってたジュニアヘビーも小川のクイック丸め込みであっさり明け渡し、
無冠になったその後はまた秋山らの若手を売り出す為のジョバー役にまわってしまったな(悲)
もうあの時はWWFに行く気を固めてたんだろうけど、結果的に馬場死亡以降のゴタゴタになるまで全日に継続参戦してたらかなり違ってたかもしれない
世界タッグがジョニーエースどころかジョニースミスまで巻くレベルにまで安売りされるなんて思ってなかったわw

65 :
>>63
エースはアジアタッグ取る時に売り出したギロチンエースクラッシャーをその後あまり使わなかったな、あまりウケなかったのかね

小橋エースはタイトル戦の前にノンタイトル戦でカンナムに連敗(ファーナスのフランケンとクロファットのタイガーで、二試合共にエースがフォール負け)するという前フリ試合をこなした後、
タイトル戦ではギロチンエースクラッシャーを初披露してリベンジ勝利という売り出しアングルまでやってたのに

普通のエースクラッシャーより威力は確実に痛そうなのに見た目が地味なのがまずかったのかな

66 :
>>64
カンナムとして最後の最強タッグで当時アジアタッグ王者の秋山・大森に負けたんだよな
王者組としてはまさにギリギリの関門突破という感じで

67 :
>>66
無冠になった95年後期〜95年最強タッグ〜96年の全日離れるまで参戦したシリーズは、若手の成長要員に戻ってたよね

94年最強タッグは四天王組、ハンセン組、ウイリアムス組の4強には負けたがそれ以外には取りこぼしなく全勝で過去ベスト成績で
その辺りからブッチャーキマラやエースパトリオットスパイビー辺りの1.5軍クラスの外人タッグにも勝てるようになり
クロファットは個人でもジュニアヘビーを保持しながら95年中盤に世界タッグ挑戦、ここまでがご褒美

その後は秋山どころかモスマンのようなデビューしたての若手に善戦させる壁役まで96年辺りにはやってたからね
もう一度あそこまでやっちゃったらアジアに戻るのもおかしいし、カンナムとしては全日去るしかなかったわな

でもそのせいでアメリカで交通事故にあって結果的にそれが後々影響して二人とも一線引く事になるとはねえ…
クロファットはノア分裂後の全日がヤバイ時に一時呼ばれたけど足がかなりヤバイ事になっててジョバーしか出来なくなってたから悲惨だった
(それでもドーム大会では第一試合のバトルロイヤルとはいえ優勝したのは最後の花道だったのかな)

68 :
アジアって結局、なんだかんだで歴史長いし、馬場などの大物も過去には大抵巻いたことがあるとか、団体のトップレスラーですら若手やジュニア選手と組んで気が向けば話題作りに参戦出来るとか、色んな便利ポジにあるからそう簡単に無くならないんだろうね

69 :
新日出身選手が獲ったことあったっけ?

70 :
>>69
現チャンピオン…

71 :
>>69
一番古いのは仲野と高野俊二のコンビ
この時点ではまだ全日本デビュー同士の王者も誕生していない

72 :
>>71
その前1986年にスーパーストロング・マシンが
阿修羅・原とのコンビで取っているよ。
それ以前は、新日から全日のリングに上がった
選手はいないから、ないと思う。

73 :
やっぱり、歴史があるベルトなんだよな。

日本プロレス時代はそうでもなかったけど、全日本時代は
「上を目指す」という理由で返上されるケースが多かったから
軽視される傾向があったけど、90年代にカンナムなどの
外国人チームが王者や挑戦者となり活況を呈したのと、
全日本が分裂してからは他団体の選手や、天龍・大仁田など
全日本OBが王者になったから、脚光を浴びるようになった。

これからも、日本プロレス界の「渋い脇役」として大いに
活用されてほしい。

74 :
全日のトップが巻くわけでもなく、他団体に流出してもいいし売り出したい若手やら
テーマがなくなったベテランが巻いてもいいし使い勝手のいいベルト

75 :
秋山永田は歴代最強王者
と言い切ってしまおうと思ったけれど
アジアタッグ始まりのほうのレスラーの実力わからないな

76 :
>>71>>72
1番古いのは85年の保永

77 :
単独としては保永だよな
意外にも完全な全日本入門の第一号はその三年後の川田
石川は一応フリーからの入団の形だし

78 :
こんな豪華カードがアジアタッグ選手権で実現してるんだよな

79 :
>>78
https://youtu.be/FgfeLwYUFac

80 :
>>75
アジアタッグの時代は大きく3っつに別れる
@日本プロレスの看板タイトル時代
力道山〜1966年秋まで(代表チームは力道山&豊登、G・馬場&吉村)
A日プロにインタータッグが導入されて、二番手タッグ王座になった
1966年秋〜73年春まで(猪木&吉村、坂口&吉村)
B全日で復活して若手、中堅用のタイトル
まぁこれも、2000年夏以降に、ノア勢が大量離脱して
格が落ちたが。

現在の秋山&永田は、@、Aの代表チームはおろか
Bの1989年時点のカンナムや、1999年時の
高山&大森にも勝てないと思うよ。

81 :
Aの時期ではNET中継の開始で事実上の看板タイトルにもなっているのも大きい

Cといえるのが武藤以降だが小鹿の弟子である大日本コンビやSMOPといった強豪やアイディアを多く出してる点ではBの時期をも大きく凌ぐ

82 :
そもそもなくす訳無いし全日が手放したら速攻で新日大日が手挙げるだろ世界タッグより欲しい団体多い

83 :
メキシカンがアジアタッグ獲っちゃいけないの
武藤全日に来てたダークオズ&クエルボ良かったが
世界タッグだったな

84 :
挑戦だけなら五年前にドラゴ&アルヘニスがやってたな

85 :
>>82
そもそも日プロ崩壊後に復活提唱をしたのは新日本なんだけどな
結局は現在まで続く本家の復活を後押ししただけの意義に

86 :
歴代王者チームでもっともショボかったのは誰だろう。

関係ないが「アジアタッグっぽい組合せ」とかいうスレは面白かったな。

87 :
極道コンビが本当は強かった事は解るのだが、長らく外人相手に
ジョバーをやっていたから、どうしてもショボく感じてしまう。

余談だが、Gスピの鶴見と高杉の対談の中で、高杉が「最初のうちは
ジュニア戦線でチャンスを貰えたけど、その後は前座要員=
大熊さん・小鹿さんクラスに固定された、みたいな事を言ってた
けど、どう考えても極道コンビ>>>>>高杉だと思う。

88 :
ショボイというかガッカリしたという経験は浜口に代わって寺西のパートナーが保永になった時
浜口が駄目ならここは邦昭だろうと思っていただけに
しかもそのチームに対して石川・渕が負けたと聞いた時は更にガックリ

それだけに翌年の同時期に今度はそれぞれインタータッグに挑戦までしたマシンと原が取ったので逆にビックリした

89 :
>>86
最近の全日を見ていないせいもあるが
野村直矢&青柳優馬組なんて
なんだ?このチームは!
と思ってしまう。

日本プロレス時代なら
最後の小鹿&松岡だろう。

90 :
小鹿・松岡は極道コンビのプロトタイプみたいなもんだったな
後楽園での防衛戦もここからだし

91 :
オーツブラザースとかどうだったんだろ?

俺が知ってるジェリーオーツは、特徴の無い、員数合わせの
外国人だったからな。

92 :
ジェリーはジョニー・スミスの最初のアジアタッグ挑戦パートナーでもあったんだよな

93 :
>>89
どんなに若輩でも生え抜き同士のチームが出てくるとやはり嬉しい

94 :
>>67
1994最強タッグの三沢・小橋戦
1995新春ジャイアントシリーズの川田・田上戦
この2つは、好勝負だった。(名勝負ではない)

ただ、三沢組との試合で、実況の福沢が『まさかの予感』とか、言っていたが、まさかが起こる予感は全くなかった。
川田組との試合の方が、勝てないまでも、30分引き分けの可能性を感じたんだがな。

残念なのは、その後パトリオット&エース組を破って世界タッグに挑戦したのに、大したインパクトを残せず。
その後に挑戦した、パトリオット&エースに対して、川田が『カンナムよりは強かった』って言って、カンナム株を落としてしまったこと。

馬場が大型の選手が好きだったから、カンナム<パトリオット&エースになったのかな?常々、『(カンナムは)身長、体重が足りない』って言ってたし。
三沢体制下なら、カンナムの扱いはもう少し違ったんじゃないないか?と思ってしまう。

長文すまん。

95 :
その意味も合わせて興味深いのが97年の最強タッグ開幕戦でのウルフ・スミスの三沢・秋山とのフルタイム試合

その時の勢いのまま翌年のアジアタッグ挑戦で秋山・大森の長期政権をストップ
その年最後での転落までアジアタッグに絡み続けヘッドハンターズとの注目の防衛戦も

96 :
たしか、一番初めのチーム紹介では、ラクロス・スミス組だったね。
たしか、ゲームの発売に合わせてキャラ変更したんだっけか?ラクロス→ウルフ

97 :
その時の最強タッグはセガサターンのロゴが入ってたんだよな

それを破ったのが本田・泉田だったが最強タッグには出場できず

98 :
もう五十台に突入の現王者の永田
でもベルトになってからでももう少し上なんだよな

99 :
そういえば分裂後の最初の決定戦にも出てたんだよな永田

100 :
とりあえず100get


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