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   やっぱり夏って寂しい季節だよな。   
水着でおしっこおもらし
泥んこになったあの日
☆思い出の神戸三宮〜元町〜兵庫界隈70〜80年代
◆◆裸 足 の 思 い 出 ◆◆
女子でも強烈ビンタ張られる中学、高校
【体育】短パンにはハイソックス!【体操服】
荒井注がいた頃のドリフターズを語ろう
小学校の6年間ってホント長く感じたよね。
喫茶室@セピア板 V

昔見たり聞いたりした泣ける話を思い出し語ろう


1 :04/10/11 〜 最終レス :2020/05/04
このスレみたいにコピペを貼ってもいいし、自分の話でもいいです。
http://tear.maxs.jp/log_gokyu.html

2 :
2get

3 :
一週間ほど旅行に行って帰ってくると猫がいなかった。
親に聞くと、私が旅行に出た日にいなくなったそうだ。
心配していると次の日、帰ってきた。
でも、ぐったりしていて、病気だという事はすぐに分かった。
獣医に連れていくと保っているのが不思議だ、でももう保って
1日くらいだと言われ、ショックで泣き崩れた。
そしたら猫が苦しいだろうに、私の手を舐めて小さく「ニャー」
と鳴いた。
その日から、猫は1週間、生きた。
苦しそうでミルクもスポイドでしか飲めなくて、何もしてあげら
れない自分が悔しくて涙が出た。
なのに、私が泣くと猫のほうが、手を舐めて私を慰めてくれた。
最後は、私の膝の上で、ちょっとだけ苦しそうに鳴いて逝った。
病気になっていた事、気付いてあげられなくてごめんね。
旅行に行って、一番苦しい時に私を捜してたのにいなくてごめんね。
無理矢理頑張らせて、1週間も長く苦しませてごめんね。
みんなに言われたよ。
「あんたに会いたかったから、帰ってくるの待ってたんだよ。
あんたと、少しでも長く一緒にいたかったんだよ」
って。そうだね、きっとそうだったんだね。
苦しかったののに、私ばかり泣いてごめんね。
私のそばにいてくれてありがとうね。
今も、あなたが大好きです。

4 :
昨日帰りの満員電車でうんこ漏らしました。
その日はゲリだったのでヤバイかなぁ〜と思いつつ電車に乗ったんだよね。
自分が降りる駅の一つ手前で、なんと!人身事故で停車・・・
乗ってる間もうんこを我慢してたんで俺の顔は真っ青でやばい汗ダラダラだったと思う。
案の定、我慢できず脱糞、脱糞、脱糞、だっぷん・・・・・
まず、しゃがんでカバンに入っていたコンビニ袋を取り出しました。
俺の行動に周りはいい迷惑だったと思う。たぶんゲロを吐くと思われたと・・・
でも俺はなんのタメライもなくズボンとパンツを下げ、尻丸出しで
そのビニール袋に発射。。。
「ビチビチ ビチビチ ビチ〜」と俺の尻から
「ボサッ ボサッ ボサッ」と袋へ落ちる
悪臭と周りの人達の驚きの眼差し・・・そして罵声・・・。
俺は顔をあげられない・・・尻をポケットティッシュで拭き、俺はしゃがんだまま・・・。
約1時間そのままだった・・・
やっと電車が動いた時、いままで罵声を言ってた周りの人が
「よかったな、はやくうち帰って風呂入れよ^^」
ってやさしく声をかけてくれた。
俺はあまりの惨めさ、恥ずかしさで泣いた。
でも本当は感謝の言葉で大泣きしていた俺がいた。

5 :
あげ

6 :
今日のオマーン戦がこのスレに加わらないことを祈ろう・・・

7 :
FT Hong Kong 2 - 0 Malaysia
00:00 Kuwait ? - ? China
FT North Korea 2 - 1 Yemen
FT Thailand 3 - 0 U.A.E.
FT Tajikistan 2 - 1 Kyrgyzstan
HT Syria 2 - 1 Bahrain
FT Maldives 3 - 0 Vietnam
HT Lebanon 1 - 1 Korea Republic
FT Indonesia 1 - 3 Saudi Arabia

8 :
「ビチビチ ビチビチ ビチ〜」と俺の尻から
「ボサッ ボサッ ボサッ」と袋へ落ちる

9 :
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

       J('ー`)し
        (  )\('∀`)
        ||  (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。
┌─────────┐
│  個 人. 商 店  │
└─────────┘
 │  J('ー`)し     |
 │   (  )    ┌─|
 │   ||    │ i|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
   │
   │
   │
   │  J('ー`)し_____________
  / ̄ ̄ (  )  ('∀`)  
/      ||  (_ _)ヾ


10 :

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
///////ww   w  ww
//////w ww        J('ー`)し
/////w w ww. ('∀`)  □ノ(  )
////w w  w   ( ヘヘ    ||
///w  ww ww  w

給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた

         J('ー`)し         ワーイ コーラ ダ
          (  )ヽ□ ヽ('∀`)ノ クリームパン ダ
          ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


11 :
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた
       J('∀`)し
        (ヽロロ   ヽ('∀`)/
        ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

   J('∀`)し
t─┐ノ( ノ)        ヾ('∀`)ノロロ
  │■| |       .  (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


12 :

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に
止められた
──┐
   │                _[係]
   │   J(;'Д`)し       (`Д´ )
   │     (  )\('д`) ロロヾ(  ) 
   │     ||  (_ _)ヾ    / └ 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを
買わなければいけないと言われた。
──┐
   │                _[係]
   │   J( ;'A`)し       (`Д´ )
   │     (  )\( 'A`) ロロヾ(  ) 
   │     ||  (_ _)ヾ     || 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



13 :
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら

  ( '∀`) J('A` )し
  .(_ _)   (  )  .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|  
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

母は 「母ちゃんバカでごめんね」 と言って涙を少しこぼした

  ( 'A`) J('A` )し
  .(_ _)   (  )  .┌─
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄くく ̄ ̄ ̄|  
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


14 :
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって
一生懸命に勉強した。

||||\   ('Д`;) ベンキョウ ベンキョウ
 ──┐ヽ(   )
    │くく□
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた
     [大]_
     ('∀`)   J('ー`)し
      (  )     (人)
      ||     ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


15 :
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように
「野球、ごめんね」 と言った。
                 ('A` )
         J('A`)し    (  )
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ  ||
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ
俺は 「楽しかったよ」 と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった
                 ('ー`;;)
         J('A`)し    (  )
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ  ||
     // ̄ ̄ ̄フ /
   / (___/ /
   (______ノ


16 :
泣いた

17 :
遠距離恋愛中の彼氏の家へ初めて行くことになった。
彼氏の家に泊まることなんて初めてで緊張していた。
元々近くに住んでいて、彼氏が家の都合で実家へ帰って
しまって遠距離恋愛が始まった。いつも相手が私に会いに
来ていたので彼の暮らす街は初めてみることになる。
とにかくドキドキしたし楽しみだった。みどりの窓口で
切符を手配してお土産を買った。勿論有給も申請した。
準備万端で出発の日を待った。
しかし出発の10日前、彼から電話があった。
「新しい彼女できたから、その子を大切にしたい」
一瞬何がどうなったのかわからなかった。会ったら連れて
行きたいところがあるとかなんとか数日前にも話していたのに。
一方的に別れを告げられて、ワケがわからないうちに朝になっていた。
仕事の帰りに手配した切符を全部キャンセルした。キャンセル料
なんてどうでも良かった。体調が悪くて旅行にいけなくてキャンセルを
したことがあったけど、このキャンセルをするのが辛かった。あと、
部屋に残ったお土産も見ているのが辛くて全部捨ててしまった


18 :
あの……落としものですよ?
         .∧__,,∧
        (´・ω・`)
         (つ夢と)
         `u―u´
  あなたのすぐ後ろに落ちていましたよ?

19 :
>>3を猫の視点から語ってるいいコピペがあったんだが
見つからない!

20 :
>>4を他の乗客の視点から語ってるいいコピペがあったんだが
見つからない

21 :
うわああああああああああん

22 :
兄が玉砕したと聞いた時の驚きと悲しみは、私の全身の血を停止させ、足腰の力が急に抜けてしまった
老いた父母になんと報告すべきか? その悲嘆を想像するだけで私は動転した
あの頑健な兄が戦死するとは・・・・・ 神仏すら軽蔑したくなる内面の空虚な痛手
これは二百八十万の遺族だけが体験した無残非情な、終生忘れることの出来ない深い心の苦悩であった
父は兄に家業を継がせようと手塩にかけて愛育した
落胆は余りに大きく、急に物言わぬ人に変わった 母は人陰に隠れて泣く事が続いた
その年の夏
「陸軍伍長井上総一 昭和19年12月31日、ぺリリュー島○○地点において戦死確認」の公報が届いた
巷間で噂される通りの一枚の紙片であった 遺骨も無く、誰が末期の水を取ってくれたのやら、遺言があったのか
形見の品は遺されていたのか 何でもよい、最期の模様が知りたいのが肉親である 
やはり戦死した場所を見て、遺骨を拾ってみなければ諦めきれないのだ
戦死の公報受領後、旬日にして芝の増上寺において遺骨の引渡しを受けた
白木の箱に納められた兄の変わり果てた姿を見た父は、嗚咽しながら
「ご苦労さん!お帰り・・・」と白木の箱を撫でた 生きて帰った息子の肩を撫でるように・・・・
私は翌日、白木の箱をそっと開けてみた 中にはお粗末な位牌が入れてあるのみだった

「ぺリリュー島血風録」より

23 :
http://hisasouseki.hp.infoseek.co.jp/toki325.html

24 :
|!| l| l ;l|; ll! ! | !! | !::! |! | l| ! | |;i ! | l|;」| l|i !! i | l ; l|i ! | l|; ll! ! i | l! | l|;! |
!i|! ! l| ! |! ! l| ! :l| l ;l| ! l|;! i | l ; l|i; i|;; ! | l| l ;l|; ll! ! l|;! i | l ; l|i; i|;; i |! | | l
l|i !! i | l ; l|i ! | l|; ll! ! i | l! | l|; i ! |! |」| l|i !! i | l ; l|i ! | l|; ll! ! i | l! | l|;! |l
l; |;|! ! l| ! | |;i ! | l|; ll! ! i ! | l|; ll! ! ! |!|l|i !! i | l ; l|i ! | l|; ll! ! i | l! | l|; i ! |!
! | l| l ;l|; ll! ! l|;! i | l ; l|i; i|;; i |! | | l il| i ! !| l; |;|! ! l| ! | |; l|; !l| l ;l|| l ;l|; ll!
;l|; ll! ! | !! l! ! | !! | |; l|l| ! | |;i ! | |; l|;l|; ! | l| l ;l|; ll! ! l|;! i | l ; l|i; i|;; i |! | | l
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 /_____  ヽ    /  |  ・|・  | 、    \ .    l `- c`─ ′  6 l.
 | ─ 、 ─ 、 ヽ |  |   / / `-●−′ \    ヽ   <___     ,-′
 |  ・|・  |─ |___/   |/ ── |  ──   ヽ   |     ヽ ___ /ヽ.
 |` - c`─ ′  6 l   |. ── |  ──    |   |
 ヽ (____  ,-′   | ── |  ──     |   l
   ヽ ___ /ヽ     ヽ (__|____  / /
   / |/\/ l ^ヽ    \           / /
  | |      |  |     l━━(t)━━━━┥

25 :
【ロリ】中学生の妹のパンツをうpする喪男登場【変態】
http://love3.2ch.sc/test/read.cgi/motenai/1092982307/l50

26 :
>>18
ありがとう、
よろしければ、あなたに差し上げます。
まだ少し、中身が残ってると思います。
もう、僕には使う事も 膨らます事もありません。
気が付いてくれて、どうもありがとう・・・・・さようならね。

27 :
>>25
dat落ちしてるぢゃん

28 :
5歳の貯金箱 新球場へおやつ代節約
▽広島の森島君 イベント心待ち
広島東洋カープの本拠地となる新球場建設を目指し、二十日に始まる「たる募金」を心待ちにする五歳の
熱烈なカープファンがいる。広島市安佐南区の森島宏太朗君。球界再編でカープの行方が心配になり、
おやつ代をためてきた。中区の基町クレド広場であるスタートイベントに参加して、大だるに入れる。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn04111904.html

29 :
子供の頃風邪を引いたり、お腹が痛くなった時
おばあちゃんがひたすらお経を唱えてオレのお
腹をさすってくれた。
なぜかよく治った・・・今でも不思議な感じ。
そんなおばあちゃんは今でも元気で生きてますが、
仕事が忙しくて・・・忙しくなくてもめんどうで全然
実家に帰ってない・・・
もうそろそろ寿命だと思うんだけど。
本当オレはバカだな。
おばあちゃんの時間も残り少なくなっているのに。
帰らないといけないのに。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

30 :
あげ

31 :
>>9〜15
泣いた。。
立派なお母さんだったと思うぞ。

32 :
保守

33 :
>>31
人間交差点って漫画に、プロ野球が東京五輪に変わっただけの、ほぼ同じエピソードがありまつ。
もちろんフィクションでつ。

34 :
今から二年前の三月、上司を事故で亡くした。
親の病気で仕事を辞め、看病や家の中のことで疲れ切っていた俺に仕事を
紹介してくれた友人がいた。
その職場で知り合った人が彼女だった。
当時二十歳だった彼女を見ていて、自分が不甲斐なく思えた。
腰掛け同然に仕事をしていた俺と、年一つしか違わない彼女を較べて。
(それは彼女が正社員だった、というのもあるからだろうが)
そこそこに仕事をこなせるようになってから、本当にやりたい事の話もした。
実際には医療関係の仕事に進むつもりだったし、学校に行くことも決めていた。
その話の最中に彼女が「自分のやりたいことを優先して」と言ってくれたのを今でも
よく覚えている。
その一ヵ月後、彼女は他界した。自動車同士の衝突事故だったそうだ。
後悔した。悲しみよりも。
あの人のために働きたい。役に立ちたい。もっと話したい。
そう思っていた矢先だった。
一年前にその仕事は辞め、今は医療機関で研修中だが、後悔は一層強くなっている。
あの時現場に居合わせていれば、彼女を助けられたかもしれない―と。
彼女が戻ってくるわけではないけれど、少しでも多くの患者を救いたい。
俺に道を示してくれた、彼女の言葉に報いる為に。
俺が今ここにいられるのも、貴女のおかげです。
ありがとう。ゆっくり休んでください

35 :
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたため
おばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。

36 :
俺が小学5年のとき親父が死んだ
過労死ゆえの朝の出勤途中に死んだ
親父は最期バスを途中でおり病院を求め、まだ開いていない
小児科に駆け込むと同時に事切れたそうだ。
たまたまバスで一緒だった部下がなぜ気づかなかったのかと
母と俺の前で泣いて詫びた。前日遅くに帰ってきたから俺は前日の
親父の顔を見てない。一昨日の屋根の雪降ろしで親父の頭に雪を投げて
怒鳴られた顔が最期の思い出だ。相撲の大巨人大内山のことを話してくれた。
親父とずっと喧嘩してて口を半年以上聞いてなかった姉は親父の死を聞いて
卒倒した。今まで家事など手伝いもしなかった姉が葬儀の準備や片付けは
率先して行い、眠りもせずに準備した。
学校の友達が葬式に来てくれて「ウス、元気だせよ」と言ってくれた。
火葬場に棺おけが入る瞬間すべてがよぎった。あれが走馬灯なんだと
走馬灯ってのは走ってるときには見えないんだと。走り終わって何か感覚的に
感じるものだと。
火葬場の職員が機械に点火し、棺おけが入っていく。姉と母は泣きながら抱き合っていた。
俺は叔父の手を振り払い、機械の入り口に駆け寄り
「ありがとうございました!・・・・・11年間育てていただきありがとうございました!!!
うっうっうっ」
そのまま火葬場から走って近くの森で号泣した。
人が死ぬときはいつも雨か寒い冬


37 :
小学校のクラスには俺以外に片親が2人いた。
一人は女子の佐藤。はっきりいってかわいかった。がでかかった。
でかすぎだ。気も強い。色白のくせに気が強い。美人のくせに
気が強い。しかも俺だけに特に強気だった。今思うと俺のことが好きだったに
違いない。てか今でも実はほれてる。
今思うと彼女の母の死は強烈だったに違いない。運動会で俺と隣の席で
俺が彼女を笑わそうと相手のチームばかり応援して「ばかー」とかやってるときに
教師に呼ばれた。楽しい時間から悲しい時間。それは強烈だったに違いない。
小学3年生のときだった。以後長女の彼女が幼い妹2人の面倒と親父さんの食事を準備してたらしい。
一度だけあった彼女の妹からバレンタインにチョコを貰った。彼女は妹からだと
いったが、実は彼女からだと思ってる。
まったくお前は気の強い女だった。

38 :
もう一人はジュンだ。
いきなり年賀状に「いつもごめんなさいと言っているマルはなーに?」
というふざけた挨拶を書いてよこした(答えは謝る)
ジュンの親父は書道の先生で彼が3歳のときに死別した。素直で悪い奴じゃない。
母もそんなジュンをかわいがり、メシを食わせたり泊まりにいったり来たりした。
俺が転校してからもしばらく付き合いがあったが、高校で地元を離れた俺は
しばらく付き合いがなくなってしまった。
高校の寮に友人から電話がかかってきた「ジュンが死んだ」
暴走族になっていたジュンは盗難バイクで
別の暴走族を追っていたパトカーに跳ね飛ばされ50m以上ふっとんで死んだ。
2ケツしてて後ろの奴は顔がなくなってしまった。がジュンの顔はキレイだった
と友人はいった。バカな奴。あの母さん一人きりだぞ。お前は一番やってはいけない
ことをしたな。
そんな俺も40を過ぎた。髪に白いものも目立ってきた。この間の人間ドッグの
結果が着たよ。腫瘍だと・・へへ。
みんな回りは結婚してガキ連れて歩いてる。この前中学の同級のヤッチとあった。
こいつに昔2000円騙しとられたことがある。弟が死んだといない弟の話を信じ込まされたことがある。
そんな奴がガキ連れて歩いてる!人間って歩くの?!
そんな過去あるのにイケしゃあしゃあと俺に声掛けてきやがった!しかも男の子連れて
俺いっちまおうかと。すんごいこといっちゃおうかって。その子に。
キミのパパにおじさん騙されたんだよ。この人おじさんからお金騙しとったんだよって。
脚色つけてすんごいこと言おうかって。キミは危うかったんだよ!キミの後の人格形成に
及ぼしそうなこと一杯言おうかと思ったんだから!!!!でもソレ考えてるうちにキミ達
勝手に行っちゃったよね!信じられないよ!関所のある時代なら関所破りで死罪なんだから!!
テケシも結婚した。すげぇヤンキーで俺を蹴ったことあるくせに。すんげぇ
モロストライクのかんわいい女の子肩車して楽しそうに奥さんと3人で歩いてた!歩いてた!
パンツ見えてんぞ!パンツ!変態が世間にうようよしてるこのご時世になんたること!
なんたるサービス!常識ないなら子供を生むな!SEXしたいならゴムしやがれ!
あ、親父、ジュン、じーちゃん、5年前に死んだポポ。なんでお前らそこにいるんだ。
なに笑ってるんだよ。何か言ってくれよ。ハハ、俺おっさんになった?そうでもないよな。
おい!なんか言えよ。おい待てよ!どこ行くんだ。俺も連れてってくれ!待てよっ!
暗い、何も見えないよ、待ってくれ待ってくれぇぇー
暗いよ怖いよママ

39 :
http://hebo2.boy.jp/flash/thx_dokuo.swf
さっき泣いた

40 :
最近ふと昔の思い出が走馬灯のように蘇る時がある…死ぬのか俺!?

41 :
>>40
大人として安定した時に起きるんだよ・・・・
あの頃の思い出は・・・な

42 :

場所にしても人にしても
想い出が切なく輝くのは想い出の中でだけなんだよね
想い出を大切にする人はそれがわかるから
後ろ髪ひかれつつも前にしか歩けない不器用な人が多い気がする

43 :
今までも、今も、そしてこれからも、心の底から好きな人が居ます。
毎日、その人の事ばかり考えています。
どうやって思い出を増やしていこう?
どうすればアノ人の思い出の中に残る事ができるだろう? と。
ついさっきまで一緒に居た事が嬉しい。
明日また会えると思うと嬉しい。
思い出に頼らないと、この先一人では生きていけないから。
その人とは絶対に結ばれない運命。
結ばれてはいけない運命。
ひ孫の顔を見せてあげられなくてゴメン、婆ちゃん。
家系を絶やす事になるけど許して欲しい、オヤジ。
孫の顔を見せてあげられなくてゴメン、おふくろ。
俺は、同性愛者だから。
好きな人とは一緒になれないんだよ。

44 :
昔、見たというよりも。実際起きた話ならあります。
ってかこのスレ止まってる?

45 :
幼稚園の頃から、仲が良かった親友が居ました。
いつも、俺たちは4人で遊んでた。
どんな時も、一緒に遊んでた。彼女についての相談をしたり
馬鹿言ったり、喧嘩したり。でも、そんな事やりあってるうちに
俺たちの絆は更に深まっていった。

46 :

ある日、いつものメンバーで遊んでる時、ゆうき(仮名)の具合が悪そうだった。
そいつは元気だけがとりえだったのに、その日だけは具合が悪かった。
日がたつたびにゆうきの具合が悪そうだった。俺たちは心配になって
体調を聴いたが『大丈夫。なんてことないよ』と、言っていた。
数日後ゆうきは学校を休むようになって、病院で入院していることを親に聴いた。
親からゆうきが難病に掛かっている事、そして治らない事、もう直ぐ天国に行くかもしれない事。
全部聴いた。俺たちは言葉が出なかった・・・。

47 :
俺たちはいつもより1人少ない、3人で御見舞いに行った。
プレゼントを持って。逢って元気付けてあげて又、一緒に遊ぶんだって俺は思った。
病室に入ってゆうきを見たら、全身チューブだらけでちゃんと顔を見る事ができなかった。
俺たちは『絶対良くなるよ』って言ったら
ゆうきは『まだ死にたくない』って言われた。面会時間が短かったから
プレゼントを渡して病室から出た。
病室から出た後、俺たちの涙は止まらなかった。
まだ、死んでる訳じゃないのに凄く悔しかった。
何で俺たちの親友がこんなに苦しまなきゃいけないんだと思った。
俺たちは何も出来なくて、ただ涙を流す事しか出来なかった。

48 :

そして俺たちは毎日の様に御見舞いに行った。
俺は親から貰ってる少ないお小遣いを貯めてゆうきの為にプレゼントを買って病院に行った。
いつもの病室だから迷う事なく真っ直ぐ進んで病室に入ると
ゆうきの姿は無かった。部屋の中の状態はいつものままなのにゆうきだけが居なかった。
頭の中が真っ白になって何が起きたのか判らなかった。
部屋の前でプレゼントを持って立っていると
後ろからゆうきの母親が来て俺に言った
『本当についさっき息が止まって・・来てくれてありがとう』って涙を我慢しながら俺に言った。
プレゼントはゆうきの母親に渡して俺は病院を出た。

49 :

その後、俺たちは3人だけで遊ぶようになった
俺たちの仲間が居なくなって初めて気が付いた。友達の大切さを。
今迄本当にありがとう。絶対忘れないよ・・・

50 :
age

51 :
俺の4才上の兄は障害者
小児マヒで右足が不自由だだから俺が6才になるまで兄は養護施設にいた
俺が幼稚園の年長の時兄は家に戻り普通に学校に通い始めた
運動会の日母と応援に学校へ行った
兄の学年の徒競走が始まったが兄は自分の席に座り参加しなかった
当たり前の話なのだが幼い俺は兄が走らない理由がわからずなぜ走らないか母に聞いた
笑っているだけで答えてくれなかった
翌年兄と同じ小学校に入学した俺はまた運動会の日を迎えた

52 :
そしてプログラムは進行し5年生の兄の学年の徒競走が始まった
兄は見学席にはいなかったスタートラインに先生の肩につかまって立っていた
兄はその時期まだ足にギブスをしていたため歩く姿は頼りなかった
スタートの合図で一斉に走り出す5年生
兄はゆっくりとした足取りで歩き出した
いや一生懸命走っていた
俺はそんな兄の姿を見てられなかった
恥ずかしい、やめてくれ
と正直思った
でもその時グランド全体から拍手が起こった
兄の走る姿にみんなが声援を送っている
俺もみんなに合わせて拍手をした
ゴールした瞬間涙が出た
あとで聞いたのだが母が兄になぜ走らなかったのと弟が言っていたと話したと
兄は俺のために走ってくれたのかな
照れ臭くて聞いたことはないがそれは胸の中にしまっておこう
運動会の時期になるといつも思い出す

53 :
>>51-52
・゜・(ノД`)・゜・

54 :
>>51-52
その光景を想像して泣いた・゚・(つД`)・゚・
良いお兄さんだね

55 :
バイク乗ってると男っぽい?俺も免許取るから!
アトピーの子とか嫌だよね?もしそのことで誰かになんか言われたら俺がぶん殴ってやる!
パーマかけたけど似合わないよね?またかわいくなってるよ!
仕事中話しかけると無視するよね?みんなの前では恥ずかしいんだよ!
料理が苦手な女ってだめだめだよね?俺料理大好きだから!
ねぇ誰かいい人紹介してよ?早く俺の気持ちに気づいてくれよ・・・

56 :
保守

57 :
>>51-52
感動秘話agea

58 :
このスレッド、そのうち本になったりして…
良スレage

59 :
74 名前: 本当にあった怖い名無し 2005/03/31(木) 03:04:06 ID:dLG3ETwh0
5年前に飼っていた茶トラ猫。
姉が家出同然で出ていってしまって家の雰囲気が暗かったので、
私は家ではできるだけ明るく振舞っていましたが、
本当は、家族に仕事や恋愛の悩みを相談したりしたかったんです。
でも、そういう雰囲気じゃなかったので、
夜眠るときや、誰もいないときに、 その猫によく相談しながら泣いていました。
相談といっても、猫だから黙って私を見ているだけだったんですけどね。
その猫は、私のお布団の中が好きで、 毎日夜になると、ニョロニョロと入ってきては、
背中と腰の中間くらいのところにずっしりと寄りかかって眠っていました。
その子が病気でなくなって、裏庭に埋めるときに、 手紙を書いて一緒に埋めました。
「いろいろお話を聞いてくれてありがとう。オバケでもいいから時々会いにきてね」
みたいな内容を書きました。
つい2、3日前のこと。
相変わらずの人間関係からのストレスで貧血状態になり、横になっっていました。
うとうとしていると、猫がニョロニョロとお布団の中に入ってくる気配。
今は別の猫を飼っているので、そいつだ思って気にしてなかったら、
ちょうど背中と腰の中間の辺りに、寄りかかったのです。
ほんのりあたたかくて、ずしっと重い感じ。。。 ん? この重みは…!!
「…心配して来てくれたの?!」ってお布団の中をのぞくと、
すーっと重みが消えて、誰もいませんでした。
全然怖くなくて、むしろ死んじゃっても心配かけてる自分が情けなくて、
しくしく泣いてしまいました。
泣きながら眠ってしまったら、夢にはご飯を食べてる茶トラ猫がでてきました。
目が覚めてから、お線香をあげて、猫のエサをお供えしました。
長文スマソ。

60 :
209 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2005/04/11(月) 01:40:54 ID:lIgZScVj0
初めてここに書き込みします。
自分は亡くなった人、ではなく、猫に逢いたい。
もう死んでから何年もたつけど、また撫でてやりたい。
死ぬ瞬間までずっと見守ってました。
なにもしてやれなかった自分が情けないです。
多分、見ていられるのは嫌だったんじゃないかなと思います。
その瞬間はとても冷静でいられなかったから。
今でも時々おもいだして泣けてきます。
あの時、なにか言いたかったのか、何をしてやれば良かったのか。
答えがわからないまま過ごしてる。
今の自分に出来ることは、今居る猫を同じように天寿をまっとうするまで
世話することだけ。
なにか自分に言いたいことがあるなら、教えて欲しい。
214 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2005/04/12(火) 10:21:52 ID:iNFSWzhr0
209ですー。
自分は一応女性です。
猫はシマシマでしたが、白い所もあり、アメショーではなく雑種。
確かに大人しく聞き分けよい猫でした。
初めて飼った猫であり、自分にとっては親より偉い存在でした。
最後は猫エイズでしたが、十三年生きました。
自分も霊的なものなど見える方で、この猫の死ぬ日にちまで前もって
解っていました。
だから、この猫の最後を看取ることができたんです。
正直、見なければ良かった、とも思いましたが飼い主として、
家族として最後まで責任あるし、そうしなければいけないと思ったからです。
猫の名前は、まりりん、雄猫ですが、、。
そのあと、ちびこ、雌猫八歳が死んだとき、玄関に迎えにきてくれてました。
ほんとに優しい猫でした。

61 :
>>9-15
泣いた。俺も母子家庭なんだ。母親を大切にしたいと思った。本当にありがと

62 :
http://www.tebichi.com/tebichi/clms/01mt/clms/040527.html
これは泣ける

63 :
親父がサラ金で借金つくって逃げた。
遠の昔に別居していた母さんと住む事になった。
友達にも母さんにも明るく振る舞ってるけど正直まいってる。
あんたは強い子やなとか言っとるけどずっと一緒に暮らしよった親父やぞ!!と言いたいけど言えるわけもなく。彼女に当たってしまいました……
いつものようにまた喧嘩かなと思いました。
でもそいつは
私でよかったら支えちゃるし助けてあげる。
でもあんたはお母さんの支えになってあげないかんやろ?
がんばろうや。辛いことあったら私が支えになっちゃるし聞いてあげるきん。 がんばろ?
俺の片想いから必死にアプローチで付き合ってくれた彼女の言葉です。
馬鹿みたいに泣いてしまいました。
長くてすいません

64 :
いや寒いんだけど

65 :
寒いね

66 :
小学4年の時、何かの事情でお祖父さんと二人暮しの女の子がいた。
ある日、そのお祖父さんが倒れて救急車で運ばれた。その子が泣き叫ぶ姿が印象的だった。
お祖父さんは結局そのまま亡くなってしまった。
ちょっとして学校に出てきてが、友達や先生が心配してもダンマリ。
先生が「可哀想に、みんなで励ましてあげないといけないよ。」と言った途端、
「私、可哀想なんかじゃない!可哀想なんかじゃないから!」と泣き叫んだ。
不思議にそれ以降のその子の思い出は無い。転校でもしたんだろう。
彼女は可哀想なんかじゃない、幸せの形は幾通りもあるのだ。
そう思いたくて仕方がなかった。

67 :
別に泣けないが

68 :
321 名前: 大人になった名無しさん 投稿日: 2005/08/31(水) 23:29:39
俺、中学の時ばーちゃん死んだんだけど、ばーちゃん、じーちゃんのことすごく愛してたんだろうな
じーちゃんが先に死んだせいか「早く死にたいじーちゃんのとこに早くいきたい」ってよく言ってた
俺ばーちゃんのこと大好きだったから毎日会いに行って「俺の結婚式でて嫁さんと曾孫みるまで死んだらダメ!」って言ってた
結局じーちゃん死んでから二年後にばーちゃんも死んだんだけど、
葬式の時、俺宛てに手紙があって読まれたんだけど、ただ一言「○○約束守れなくてごめんね」
泣いた。人前で泣くのは恥ずかしいって思ってたけど号泣した。
結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。
明日、結婚します。近くで観ていていてください。
貴方達のような夫婦になりたいです

69 :
アッツ島守備隊が全滅した事を知った天皇陛下は、「山崎部隊は最後までよくやった。自分は嬉しく思うと打電せよ」 と仰った。
「無線機は破壊しているので受信されません」と答えても、「それでも電波をだすように・・・」と仰るのであった。
大本営はアッツ島に向けて打電したが、アッツ島から返信が来る事はなかった。

70 :
>>69
 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン 

71 :
>>68
幸せになれよ!

72 :
 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 
 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

73 :
 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。

74 :
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
人々を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。
そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。
そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。

75 :
 小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの開店セールの
 チラシが入っていた。
 そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
 焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら弟を
 一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は閑散とした客  誰一人としていない店頭で一生懸命呼び込みをしながら焼きそばを小さなホットプレートで  焼きつづける電気店主夫婦・・・
 子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く勇気  が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
 それから月日は経ち電気屋は無くなった。

76 :
>75
なんか可哀相だな…(つд`)

77 :
彼と半年前別れました。
思い切り憎まれて別れました。
・・・・余命宣告を今日受けました。
間に合ってよかった。
たとえ憎まれても、彼の記憶の中では元気なままの私で残れる。
辛さや苦しさをぶつけるよりも、この道を選んだことを
悔いていません。
こうちゃん、大好きだよ。ずっと好きだよ。
ひどいことたくさん言ってごめんね。
あなたを傷つけてごめんね。
結婚しようって言ってくれてたのに、こんな形で裏切ってごめん。
誰よりも、あなたの幸せだけを願っています。

78 :
>>77
がんがれ

79 :
私が小学生の時、野良猫が家になついて子猫を生んだ。メス一匹とオス三匹。
内、オス二匹は病気やら事故やらで死んだ。
生き残ったメスとオスはアンとトラって名前を付けた。
私たちはメチャクチャ可愛がった。
アンは女のくせにおてんばでった。いつも一緒の布団で寝ていた。
ある日、親父がアンを勝手に避妊手術に出した。
帰ってきたアンは・・・、手術の失敗で障害猫になっていた。
歩くこともできず、食べることもできずにそれでも一生懸命生きようとしていた。
私はアンに生きていて欲しかったから、一生懸命世話した。
えさを細かく切って食べさせたり、親にはダメって言われてたけど、
家の中に入れて温めた。
その甲斐あってか、アンは次の春には歩けるようになり、えさも自分で
食べられるようになった。
それに安心しちゃって、私はアンの世話をあんまりしなくなっていた。
月日は流れて、また冬がやって来た。アンは、弱っていった。
そして・・・アンは死んだ。最後の日は不思議と元気があり、自分で
えさをがつがつ食べたのだそうだ。
死因は、えさがのどに詰まったことによる窒息死。
私がアンの世話をサボらなかったら・・・。
ごめんアン、とても苦しかったでしょ??ごめんね。
あなたが苦しみから解放されたことだけが、唯一の私の救いです。」

80 :
いつも自分はお母さんと喧嘩ばっかしてた。
いつもお母さんに頼って生きていた自分は、
目覚まし時計でおきれず、起こしてもらってるのだが、
時々、起こすのが遅い。
そういうときも全部「早くおこさねえのがわりいんだろ!!!」とか言ってた。
お母さんも反抗して「だったら自分でおきなさい!!」とか言って喧嘩。
一回警察に呼ばれたときもお母さんにすげえ怒られたし、
家に帰るのが遅いとわざわざ探して友ダチがいるのに帰らせれるし、
ぶっちゃけ自分はそんな母親が大きらいだった。
ある日、ちょっと大きい喧嘩をした。
母「何であんたはおにいちゃんと違って何も出来ないの!!!もうちょっと子供らしくしなさい!!」
自「あんたのせいなんだよ!!!
  兄ちゃんには、私立行かせるのにウチにはいかせてくれない、
  いつも仕事でろくに授業参観にもこない!
  いつも、ウチを保育園でヒトりぼっちにさせて、母親ずらしてんじゃねえよ!
  あたしはあんたの事母親だともう思ってねえよ!!!
「あんたの事、母親だと思ってねえよ!!」
この一言を聞いたとたん、いつもは口うるさいお母さんが黙った。
言い過ぎたかなとは思ったけど、それはそれでもういいと思った。
どうせ愛されてない子供に言われただけなんだから。
そう思った。
すごい勢いで自分の部屋にこもると、少しお母さんのことがきになった。
ちょっと様子をみてみよう・・・
母親が泣いていた。
あんなに強い母が泣いていた。
そして独り言でこんなことを言っていた。
「私のせいだ」
目頭が熱くなった。
こんな母親みたことない。みたくない。
すぐに、部屋にまた戻った。
気分転換にTVでもみようか・・・
おもしろくない、そういえばまだ見てないビデオ録画したのあったな。
そうやって探すと母親の字で自分の名前が書かれたビデオがあった。
なんだろうと思ってみてた。
そこには、
幼い頃の自分が、大事そうに微笑んでる母親の腕の中にいた。
ビデオの中のおかあさんはとてもやさしくて、
なんども自分をビデオに写して、自分の名前を呼んでくれていた。
そしてビデオでこんなことをいっていた。
「大すきよ。
 多分私の子だから何度も反抗するでしょう。
 だけど、あなたは私の大好きな子よ。ずっとずっと」
何年間も流してない涙が自然と出てきた。
その日自分はお母さんに「ありがとう」といえた。

81 :
 昨年の夏休みの話
  会ったこともない遠い親戚の葬式。親父が出席するはずだったんだけど、
 どうしてもいけなかったので俺が代わりに出席することになった。
 新幹線乗って田舎町へ。
 周りも見たことない人しかいないので、重い空気に沈鬱していた。
 葬式が終わり退出しようとしたとき、出口で見知らぬ婆さんに突然腕をつかまれた。
 けれども、つかんだきり何も話さず目を丸くしているだけ。
 かなりの高齢だったのでぼけているのかと思い、何でしょうかと質問すると、
 ○○さん?○○さん?としかいわない。やはりぼけているのだろうかと思い、
 周りをみても誰も知り合いがいる様子にない。この人も俺と同じく遠縁のひとらしかった。
  婆さんは俺を見ながら「あんれえ帰ってきて下さったん、まっとっ…」と黙り込んでまたしばらく動かない。
 すると今度は婆さんに食事に連れて行かれた。お腹も空いていたので一緒に食事をすることに。
 食事中、婆さんは昔話ばかりしていた。食事の後も俺はあちこちに連れまわされた。
 この建物はいつ作られただとか、あの建物はなくなったのとかそういう話ばかり。
 俺は特に語らず、聞き手になっていた。
  帰りの新幹線の時間もあるので、婆さんにそのこといって別れようとすると引止めにかかられた。
 もういってしまうのか、今度は直ぐに帰ってくるのかと聞き取りにくい方言で何度も俺に聞いてくる。
 めんどくさかったので、また直ぐに会えますよと返事をしつつ別れることになった。
 婆さんは駅まで一緒に行くといい、途中何度も行かないでくれといわれ、引きとめられた。
 結局、新幹線には乗り遅れた。散々な目にあったと思い帰宅。
  数日後、また親戚の葬式の連絡。今度は親父がこの間よりも近い親戚なので俺にも来いという。
 バイト仲間にまた葬式かと冷やかされて葬式にいった。
  そうしたらなくなった人はあの御婆さんだった。
 驚きつつも、そうか、亡くなったのかぐらいにか思っていなかった。
 葬式の喪主は婆さんの弟がおこなっていて、どうやら婆さんはずっと独身らしかった。
   
 
 
  
 
 


82 :
式後改めて喪主の人に会いにいくと、婆さんの弟は俺をみて驚愕し、
 また○○さんと間違えられた。
  亡くなった婆さんにもそういわれたことを教えると、いつ会ったのだときかれ、
 まえの葬式で会い、食事やら散歩したことを話した。そうしたら弟の爺さんが泣き出して、
 少し待っていろという。しばらくして爺さんが写真を持ってきた。
 
 その写真には俺が写っていた。
 
 写真は白黒でかなりぼろぼろであったが、ゲートルをまいて国民服を着た俺がたっていた。
 そして隣には十代後半に見える女性がいた。良家のお嬢さんに見える。
 爺さんは話してくれた。その女性はあのお婆さんで隣の俺そっくりな人は○○ということ、
 戦争が終わったら結婚するはずだったこと。終戦後その人は帰ってこなかったが婆さんは帰ってくるといい続けたこと。
 婆さんは戦後の農地改革で家が没落し、結婚を薦められても頑なに拒否したらしかった。
 お婆さんが死ぬ直前弟であるその人に、やっとあの人が帰ってきてくれた、今度は直ぐ戻って来るんだと嬉しそうに語っていたらしい。
 弟のお爺さんは死の直前に幻覚をみているのだとしか思っていなかったが、そうじゃなかった、
 あの人の生まれ変わりが最後に会いに来てくれたんだと号泣しながら語り、
 俺に何度もありがとう、ありがとうと言っていた。
 俺も涙が止まらなかった。
 お婆さん、今頃おれのそくっりさんと天国で寄り添っているのだろうか。
 またいつか、お墓に花を添えに会いに行くよ。

83 :
>>81-82
んっ? なんか画面が曇ってる・・・

・゜・(ノД`)・゜・

84 :
>>75
なんかグッとくるもんがある…

85 :
テス

86 :
テス

87 :
テス

88 :
テス

89 :
近所の人の話。
そこのお子さんがまだ小さくてやっと喋りだした頃の事。
奥さんもまだ若くて小さい事でその子を殴ってしまっておでこの所に傷が出来ちゃったの。
このままじゃ旦那に怒られると思って、すぐに友達を呼んで相談したんだ。
まだうまく喋れないし転んだ事にしようって話になって友達は帰った。
夜、旦那は帰るなりその子に『どうしたの?この傷』って聞いた。
奥さんは急いで『転んだ』って言おうとしたんだ。
なのにその子が『ころんだ』って言った。
意味が分かってるのか。
たまたま言ったのかも分からないけど確かに『ころんだ』って言ったんだ。
奥さんは泣きながら本当のことを旦那さんに言ったらしいよ。

90 :
僕の家は昔から貧乏だった・・・。
それは家族での外食が3ヶ月に1回あれば良いほど。
ある日母がパート先の知り合いから動物園の招待券をもらってきた。
僕と妹はそれはもう飛び上がるほど喜んだ!
次の休みの日に母が奮発してお弁当を作ってくれた。
動物園に行って待ちきれず俺が招待券を出すと、
それは優待券だった・・・。
その時僕らは合わせて780円しか持っていなかった。
帰りの電車賃ギリギリだった・・。
近くの公園で弁当を食べることにして動物園には行けなかった。



母さん?あの時の玉子焼きすごく美味しかったよ。

91 :
↑ダメダメ

92 :
今日正社員の面接行ったのね。もうこれで11社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、母さんごめんなさい。

93 :
ttp://www.asahi-net.or.jp/~tc2t-ymd/mazuzi/mazushienikki.html
まずしちゃんカワイソス。・゚・(ノД`)・゚・。

94 :


95 :
すてきなお袋もったお前は幸せ者だ

96 :
>>92
がんばれ!。応援しています。俺も学生期間が長くて仕事に就いたのが20代後半でした。
ずぅっと親のすねかじりでした。母と父に感謝です。

97 :


98 :
ゴジラVSモスラなんだが
最初は悪い奴みたいだったバトラ。けどゴジラに真っ向勝負挑んでモスラに助けられる。そんで更正(?)
で、モスラと一緒にゴジラを弱らせて封印しに行く訳だが…
泣いた。
安っぽいかもしんないけどこーいう話に弱いです

99 :
アゲ

100 :
前さ、研修医やってたときの話なんだけど
主治医のサブみたいな形で、ある入院患者さんにつかせてもらってたんだ。
患者さんは気さくなおじさんで、検診のたびに話し込んでた。
お見舞いに来るのは大抵奥さん。
毎日夕方に仕事終えて来てさ、洗濯物持って帰ったり、世間話とかしてた。
奥さんもすごい良い人で、おじさんと同じくらい明るかった。
そして、たまに息子もお見舞いに来てた。
若くて今時のストリート系の感じの格好しててさ、ムスッとしてて結構怖かった。
俺とは一切目を合わせてくれなくてさ、なんだかめんどくさそうだった。
どっちかというと、母親から言われて、嫌々お見舞いに来てる感じだったかな。
ある日の夜中さ、おじさんの容態が急変しちゃったんだ。
元から病状は思わしくはなかったんだけど、おじさん、気力でカバーしてた。
俺も初めての経験でさ、すごいあわてたけど、
ナースと力合わせて、主治医が来るまでなんとか頑張った。
主治医はすぐに家族を呼ぶようにって、指示を出して処置を始めた。
それくらい、おじさんの容態は急を要してた。
奥さん飛んできたよ。髪なんかもクチャクチャでさ、もう目が真っ赤だった。
おじさん、だめだった。心停止から帰ってこれなかった。
あんなに元気だったおじさんが、こんなに急に死んじゃうなんて、
医者の卵として恥ずかしいけど、なんだか信じられなかった。
奥さんにご臨終を告げると、奥さんおじさんにしがみついて泣き叫んでた。
つらかった。
そのとき息子が病室に飛び込んできた。
驚いたことに、彼は警察の制服を着てた。汗だくだった。
「とーちゃん!」って叫んだけど、奥さんの様子を見て悟ったと思う。
がっくりうなだれて、黙ってしまった。
彼の肩口の無線から、少しノイズみたいな音が漏れてた。
しばらくして、かれは崩れ落ちてた奥さんを抱き起こした。
椅子に座らせて、俺たちを向き直り、
「いままで親父をありがとうございました!」と大きな声で叫んで、深々と頭を下げたんだ。
顔を見せたときには、歯を食いしばって必死で涙をこらえてた。
顔が真っ赤だった。
たぶん警察官ってこういう人たちなんだと思った。
制服を着ている以上、彼らは職務を全うしなければならないんだと。
だけど、隠せない親子の感情とせめぎ合わされるんだろうって。
ふてぶてしいと思ってたけど、彼はあのお見舞いのとき、警察官らしかったのかもしれない。
なんか思い出してので…。長文ごめんなさい!


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