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おじいちゃん、おばあちゃんの思い出


1 :03/12/15 〜 最終レス :2020/05/08
無いよね?まだ・・・
私にとって、思い出といえばおじいちゃんおばあちゃんなんだけど。
血が繋がってなくても、近所のおじいちゃん、おばあちゃんでもOK

2 :
親戚のおばあちゃんのところに遊びに行くと、必ず風呂に入れてくれました。
15年以上前に貰ったぬいぐるみ、まだ大事に持ってるよ。
あと、多少スレ違いですが、
私は母方・父方ともおじいちゃんが居なかったので、
かなり年配の高校の時の社会の先生が大好きだったなぁ・・・

3 :
浪費家R

4 :
>>3
ゴメンナサイ。死んできます。
こんなスレ立てたらまずいかな、とは思ったのですが、
思慮が足らず立ててしまいました。
このスレは終了です。
死んでお詫びします。さようなら。

5 :
ええやん別に

6 :
たまにわけのわからない方言で喋ると思ってたがまさかチョソだとは思わなかったぜ

7 :
4,5歳の頃、父方の祖父母の家へ行った時に玄関に赤いバケツに金魚のおもちゃが入っていた。
それ見た時は「あれは誰かにあげるものだろうな。いいなあ。誰にあげるのだろう?」と
思ったら、後でおばあちゃんが「あれは○○(私の名前)にあげるものだから使っていいよ。」
と言ったのですごく嬉しかった。

8 :
じーちゃんごめんなさい。
悪気なかったのヤキモチやいの
だからジーちゃん家とびだしたの

ごめんなさいじーちゃん最後の時怖くてガンで
変わってる姿が怖くて呼ばれてもいけなかった・・・
急に気分悪くなってお家に帰ったらジーちゃん死んじゃった
布団でなにも言わないじーちゃん寝てるみたいだったほんとごめんなさい
ジーちゃん大好きありがとう
昔じーちゃんにかってもらった時計仕事で毎日だいじにつかってるよ

9 :
>>8
⊃Д`)

10 :
田舎に帰った小2の夏休み。
俺に口内炎ができていたのを知った祖母は、
何をトチ狂ったのか妙な箱型の機械を取り出し、
患部に電極をあて放電………。
後で聞いたら一種の電気治療に使うものらしいが、
特に治りが早かったということは無い…。

11 :
母が弟の出産の時、俺の面倒見てもらうため母方のばあちゃんちによく行った。
よくホットミルクを飲ませてくれた。
砂糖をたくさん入れるから少し甘すぎたけど、今となってはいい思い出。
ちなみに父方、母方両方の祖父母はみな元気です。

12 :
間違えて名前欄にsageと入れてしまいました。すみません。

13 :
>10
なんのプレイですか?

14 :
うちのおばあちゃんは冬生まれ。
私が凄く小さかった頃に、季節は秋だったのだが、
おばあちゃんに”誕生日プレゼント”と言って秋の花を手渡した。
もう10年以上前のこと。
おばあちゃんは今でも実家に帰るたびにその話をする。
今年のおばあちゃんの誕生日には、豪華な赤い花束でも贈ろうかな…

18 :
父方の祖母がさっき亡くなった。一昨年くらいから体調が悪かったようで
昨年も入院騒動があったりしてたが、今日実家へ行くか行かないかと
いうことで親だけ行くことになり、その親が帰っている矢先に倒れたらしい。
自分が最後に会ったのは去年の10月か11月頃だったかな、元気だったのに…
安らかに眠ってもらいたい。

19 :
うちなんて祖父は自殺でしたが何か?

20 :
小さい頃田舎でボール遊びをしてて、
大事にしてたボールを裏の山で無くして
結局見つからずに、しょげながら家に帰ったのを
おじいちゃんが見てて、
2〜3週間後おじいちゃんが見つけて、
俺の家に送ってくれたのが
すごいうれしかった。
広い山の中で小さなボールを見つけるのってすごい大変だったと思うが

21 :
祖父の遺言『時の政府を信用するな』

22 :
>>21
(・∀・)カコイイ!カモ?

23 :
>21
何があったんだ…その爺ちゃん…やっぱり軍隊?

24 :
漏れのじいちゃんは父が若い頃死んでて、
子供の頃じいちゃんと思ってた人は「ひいじいちゃん(明治18年生まれ)」だった。
夕方になるといつも相撲を見てたっけな。

25 :
75過ぎるととたんにボケまくり出すよな?

26 :
おばあちゃんの思い出。
食べ物は粗末にしちゃいけないよ、と教えてくれながら
炊飯器に残った米粒を集めて庭でスズメにやっていた。
美食家とかが一口食べて残してしまうとかいうのは
例えマンガの世界でも心痛む...


27 :
うちのばあさんなんか余計に米炊いて鳥にまいてますが何か?
そんな余分な金うちにはないんだからやめてくれ!!

28 :
"捨てる"じゃなくて鳥だろうと人間だろうと
食物が誰かのカラダに変わるんならいんじゃないの?
まあウチにも余分な金はないけど(つД`)

29 :
おばあちゃんには色々騙されたなぁ。。。
米一粒に7人の神様が住んでいて、
一粒でも残すと神様が泣くのだ、といわれた。
あと、嘘をついたら地面に向かって閻魔様に謝りなさいとかw
昔はいちいち謝ってた。
子供の頃、自分の世界には閻魔様もホトケサマも神様も居たけど、大きくなったら居なくなっちゃったな…

30 :
働き者だった祖父。
花とか綺麗なものが大好きで、頑固だけど暖かい人だった。
最期の言葉は母に言った「死ぬのって怖いなあ」
後から聞いて、傍にいられなかったことを激しく後悔した。
もう一度会って謝りたい。

31 :
>>29
>子供の頃、自分の世界には閻魔様もホトケサマも神様も居たけど、大きくなったら居なくなっちゃったな…
なんかマジでセピアな気分になったYO

32 :
おじいちゃんの家に遊びに行く度に
「また、おーきくなったなあ」
"たかいたかい"をしてもらった。
今のじいちゃんは重いもの持ちあげるなんて出来ないんだよな。
でも嬉しくて何回もやってもらった事をしっかり覚えてる。
もう25年以上前の事だけど。

33 :
私そういうことしてもらった記憶ないなあ。
私が生まれた時でどっちの親の祖父は68歳だったから。
私の父親は末っ子(一番上の姉と16歳差)、母親は中間子だった。
母方の祖父は結婚遅かった(31歳)。>>32

34 :
おじいちゃんが寿命で死んだ時、私は5年生だった。
人が死ぬということを初めて体験するわたしは、怖くてじいちゃんが寝てる部屋に行けなかった。
じいちゃんごめんね。大勢集まってる中に私が居ないこと気づいてくれてありがとう。
ばあちゃんが入院してた時、私は高2だった。
お見舞いに行ったらいきなり「あんた誰?」と言われて怖くなった。この前は普通だったのに。
それから怖くてお見舞いに行けなくなってしまってごめんなさい。
ボケちゃったせいで、看護婦に叩かれたとか、先生が自分を実験台にしてるとか思っちゃって
悲しかっただろうな。誰もそんなことしてないよ、ばあちゃん。
最期に手を握っていた私を見てくれてありがとう。目を開けるのも必死だったよねきっと。
なのに声かけられなくてごめんね。

35 :
今でも印象に残ってるが、
ばあちゃんが「闇のパープルアイ」ってドラマの中でヒロインが吐血したシーンを観て笑ってた。
不謹慎だよばあちゃん、あそこは笑うトコぢゃ無ぇよ・・・

36 :
いつまでも長生きしてくれ、おじいさんおばあさん
俺は場合幸せなことに四人ともまだ生きてるが、もし死んでしまったらつらいだろうな・・・
早く一人前になって晴れ姿を見せてあげたい

37 :
もう死んでて居ないけど、青森のじいちゃんばあちゃんと違ってすんごく優しかった。
戦争に行って明治天皇に勲章貰ったほど立派な人で、死ぬまで水彩画を描き続けてた。
あの時の俺にとってはよき理解者で頼りになる神様のような人だった。
なぁじいちゃん、何故アンタが死んだのか解んねぇよ・・・俺にとって唯一自慢できる存在だったのに。
やべぇカキコしてたら泣けてきた・・・(つД`)
>>36 わかるよその気持ち。早く定職に就かないと天国のじいちゃんに会わせる顔が無い・・・
ちなみに>>35で書いた事は仙台に居るばあちゃんの事だよ。
これがまた青森のばあちゃんに負けずに劣らない嫌味な人でねぇ・・・

38 :
>>37
俺今大学三年で、修士まで行く予定だからあと3年間は就職した姿を見せられない
でもそれ以上に問題なのはひ孫なんだよな
母方のじいちゃんなんか口には出さないけど俺が結婚してひ孫が出来るの滅茶苦茶楽しみにしてるっぽいし・・・
しかし俺の弟や従弟の方が早く結婚しそうな罠(鬱

39 :
>>38
>俺の弟や従弟の方が早く結婚しそうな罠
禿同。今の漏れもそんな気がしないでもない
モタ×2してたら追い越されるかもしれん。

40 :
>>39
従弟はともかく弟は絶対俺より早そうだよ、結婚
高身長イケメソ、性格がすこぶるいい弟に対して、10人並の顔、粘着質で暗めの性格の俺が勝てるわけが無い
勝ってるのは学歴だけ、互角なのは身長のみ
女にモテる性質は全部弟の方にいってしまったよ・・・
8歳違いの弟に先を越されるなんていやだぁぁぁぁ

41 :
考えてみたら思いっきりスレ違いだった
ごめん

42 :
私も妹と8つ離れてるけど妹は絶対19くらいでデキ婚しそうだと思ってる。
すでに一個下の従妹がデキ婚してるからひ孫は私の担当ではなくなった。
金は稼いでやるからな、じいちゃんばあちゃん!
この時代に食事にも困ってるなんてありえないよ・・
腰の骨折って入院したからって泣かなくていいんだよ、ばあちゃん。
じいちゃんの手術で病院通うんならついでなんだから弁当作ってって頼みなよ。
毎日じゃバカになんないだろうに。
つーか、うちの母、ばあちゃん泣かせんな。少ない年金から光熱費取ってんじゃねーよ。
終いにゃ追い出すぞ

43 :
俺が零歳、兄貴が一歳で親が離婚して、赤ん坊から幼稚園まで父方の婆ちゃんに育てられ
たんだけど、別れる時はいつも冬で雪がキラキラしてた記憶が。札幌だからだと
思うけど。
親父が再婚して新しい母親と迎えに来た時と、大学時代の最期の二回だけど。
迎えに来た時、日が照ってるのに雪の中で婆ちゃんボロボロ泣いて家の前で手振ってて、
俺も泣いてて、兄貴は達観してるのか大人しかった。
入院してた時の婆ちゃんの手は暖かくて、外はパウダースノーのいい天気なのに
寂しくて全然冴えない気分で。
1週間くらい点滴変えたり手握ってたんだけど、その間100回くらい俺が子供の頃道路に
取り残された話とか繰り返してた。多分記憶が混乱してたのと寂しかったんだと思う。
期末試験なんで俺が帰る時にもう最期だなと思って、やっぱ最期だったんだけど
5年間育てて貰ってその後累計三ヶ月くらいしか一緒に居なかったし、長い間
婆ちゃんは一人ぼっちで、何か試験なんかぶっちぎりで留年しても良かったかな
と今でも後悔。一つ上の兄は何かと婆ちゃんにはやさしくしてたんだけど
俺はちょっと人間としてどうなのか?事あるごとに昨日の事みたいに思い出す。
婆ちゃん何にも孝行出来ないでごめんでした。

44 :
可愛いけど世話かかるさかりを自分が育てたんじゃぁ淋しかったろうな、ばあちゃん。
おまえは十分孝行したと思うよ。
それより、後悔すると分かってて何もしてやれない俺はどうなんだ・・・

45 :
>>44
あんたイイ奴だね〜。サンクス。
俺の場合、失敗して凹んでる時何かと理由を付けて行かなかったりしたのを後悔してる。
婆ちゃんの前でだけはいい子で格好付けたかったってのも有ったが…。
親父なんか1年間100万円以上使って土日に会いに行って面倒見てたのに
俺は何となく過ごすだけで月日を過ごしたっつーか。
後悔したくなければ、うざい自分の感情は切り離して、何度も会いに行く事だと思う。

46 :
昨年の正月、ばあちゃんが亡くなった。
その前年の年末、餅つきを手伝いに行ったんだよ。
田舎なんで、コンニャクとかも家で作るの。
しかも外で火を焚いてさ。
で、俺さ火を焚くの好きでね、火の番してたんだ。
無事、コンニャクもできて一服してたらさ
ばあちゃんが寄ってきて
「火ぃ見てんのもつらかんべ」  訳(火を見てるのも大変でしょう?)
って言うから
「火わすらと一緒だよ」  訳(火遊びしてるのと同じですよ。)
って笑って答えたら、ばあちゃんも「ヘヘッ」って笑った。
つきたての餅を食べて、車で帰るとき珍しくばぁちゃん縁側まで出てきて
ずっと、ずっと手を振ってるんだよ。
ちっちゃくって、なんかかわいくて、にこにこしてた。
ばあちゃん、俺はなんか気恥ずかしくて「ばあちゃん」ってちゃんと呼んだこと
無かったな。ばあちゃん孝行もできなかったな。
ばあちゃんの打ったソバ大好きだったよ。
もう食べられないんだね。


47 :
>>45
会いに行きたいけど金ないんだよ。電話とかすると母親が狂って怒るしな。
それすら言い分けだけど、毎日楽しみもなく暮らしてるって言うばあちゃんに何してやればいいんだろ。
まずは母親と喧嘩からはじめるか。

48 :
>>47
45とは違うけど・・・。葉書一枚でもさ、なんでもいいんだよ。それが楽しみだし生きる喜びに変わるよ。47のお母さんはお婆ちゃんと仲が悪いのかな。(´・ω・`)

49 :
あげー
帰りたいな。
春から就職だから、それまでは家でばあちゃんと過ごしたい。

50 :
(´・ω・`)バーチャン、、、。

51 :
おばあちゃんの作った、うどんが大好きだった。
おばあちゃんと一緒に、畑からスイカを取ってきて食べた。
なんで、頭が痛いのに車に乗っちゃったんだよ。
俺が二十歳になるまで、いや、もっともっと長生きするって言ってたのに。
何にもできないじゃんかよ。「ありがとう」くらい、言わせてくれよ。
スレ違いでスマソ

52 :
きっとお婆ちゃんは君の成長を天国で見守っているよ

53 :
おじいちゃんの家の玄関には靴べらがなぜか十数本あった。
それを使ってチャンバラごっこした。どこで憶えたんだかわかんないけど。
手加減無用でぶったたいてごめんなさい。女の子なのに。

54 :
お婆ちゃんはまだ生きている

55 :
じいちゃんは寡黙で頑固だけど情のある人でした。当時飼ってた犬が脱走した時も
見つかるまで一緒に探してくれたのはじいちゃんでした。体調崩して救急車呼んだ
時も担架に寝かされて運ばれるのが嫌で、ばーちゃんとねーちゃんが止めるのも聞かず
自分の足で庭まで出ていくような人でした。それから入退院を繰り返すようになり、
そろそろ危ないから・・と両親に言われて病院に見舞いにいった時、チューブをいっぱい
つけられて顔が膨らんだじーちゃんが俺に向かって「じーちゃん苦しいわ」と言いました。
そのとき初めてじーちゃんの弱音を聞きました。 別の日に母親が見舞いに行ってて、いった
家に帰ってきてた時にじーちゃんは病室で一人で亡くなりました。 みんなは一人で逝かせて
かわいそうだったって言ってたけど、俺は自分の汚いところ、弱いところを見せたくない
じーちゃんらしいと思った。 明治生まれの男を感じました。

56 :
おじいちゃんへ
漁師をやっていたときのおじいちゃん、
凄くかっこよかった 
俺もじいちゃんみたいになる!って猿のように喚いていたね
三年前やっと漁師になれた
でもじいちゃん俺が漁師になるまで待ってくれなかった
入院していたとき、本当は凄く苦しいはずなのに俺が来るといつもにこにこ笑っててさ、
母さんからもう助からないって何度も聞かされたはずなのに
「もしかしたら」とか「あの調子なら大丈夫だろ」って思ってた
俺はガキだったから、バカだったから、じいちゃんが死んでもちゃんとよく分かってなかった
いっぱい我が儘言った。 ごめんなさい 
再び報告します。 俺漁師になれました そして来月、結婚します。

57 :
いいスレだ・・・

58 :
脳梗塞で入院しているじいちゃんへ
来週いくからまっててね

59 :
>>56
おめでd

60 :
60get

61 :
>>60
ばか?

62 :
泣けた

63 :
漏れのばあちゃんは、親父生む時医者から心配されるほど体が弱かったらしい。
だから、盆と正月に田舎に行くといつも「もう次は会えないんだろうねえ」が口癖で
思い残すことがないようにという気だったのか、めちゃくちゃかわいがってもらった。
漏れは覚えてないが、おふくろによると、田舎から漏れ達が帰るときは、ばあちゃん
いつも涙流してたらしい。
でも、そんな人だから体に気を使ってたのか、漏れが覚えてる限り、いつも元気で
病気してるとこなんか見たことなくて、90過ぎても自分のことは自分でしてたくらい
元気な印象しかなかった。
・・・そんなばあちゃんが、こないだ入院した。94歳の誕生日に見舞いに行ったら、
ベッドで管通されて寝てるばあちゃんが、なんだかすごく小さく見えた。寝てたけど
起こすのもなあ、と思ってしばらくばあちゃんのベッドの脇に立ってたら、ばあちゃん
目を覚ました。ちょこっと話をしたけど、ふとばあちゃんに「おばあちゃんが死んだら
○○(漏れの名前)のこと一生懸命守るからね。」って言われた。なんか、ばあちゃん
すごく遠くなったようで、ますます小さく見えて、いたたまれなくなった・・・。
おばあちゃん、そんなさみしいこと言わないで・・・。早く元気になってね。

64 :
うちのばあちゃんもそれ、いつも言ってた。
車で30分の盆正月と言わずいつでも会いに行ける距離なのに、
車を持ってないばあちゃんには遠く感じたんだろうな。
最近じゃじいちゃんまで言い出したよ。今度は飛行機で2時間半と実際遠いけど
まだまだ元気だと思ってたのに不安なのかな・・

65 :
ばあちゃんが亡くなって、実家へ帰ったら父親に『弔辞を読む人が数人いるんだけど、
最後に孫のお前も読んでもらう事になったから』と急に言われた。
弔辞なんてどういう事を述べればいいんだ?と全く無知だった私は、下書き用のノートを目の前に
悩んでいた。叔母に相談したところ、ばあちゃんの思い出を書きなさいとアドバイスをもらったので
昔の思い出をあれこれと巡らせてみた。
夏の暑い日に学校からヘトヘトになって帰った私に氷入りでグラスいっぱいの麦茶を
すぐに出してくれた事
お湯で溶いて冷やして作るゼリーを作ってくれたんだけど分量を間違えて固めにできて
『ハイカラなの、作り慣れね。』とちょっと照れながら出してくれた事
私の結婚に母親が猛反対で大喧嘩してる間に割って入って私を守ってくれた事
そして息を引き取る前までずっと『あの子は母親に出て行けって言われて可哀想だった』と
付き添いの叔母に言い続けていたという事
弔辞を書くより、ぼろぼろ涙が出てきて大変だった。
やっと書き上げたものをお寺で読み上げる時、また泣きそうになってしまったけど頑張った。
その傍らで父親が声を押さえずに泣き出した。
そんな泣き方をする父親を見たことが無いと、母親は言ってた。
あれから2年、弔辞を書くために引っ張り出した思い出はより一層私の心に
残っている。

66 :
いいスレだ!

67 :
自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家には
ばあちゃんしかいなかった。だから自然とばあちゃんっ子になった。
学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで
塩だけのおにぎりを作ってくれた。それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。
でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともに
しなかった。当然おにぎりも食べなくなった。親に反抗はしなかったけど代わりに
ばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。
それが中3のある日、突然旅立った。誰にもさよならを言うことなく風呂場で
静かに亡くなった。葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも
出来ない・・・そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。死んだ直後や通夜でも
泣かなかったに人目を考えず大泣きした。多分今までの人生の中であれ以上に
泣いたことは無かったと思う。
あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・

68 :
私の祖母は小学校2年生のときに亡くなった。癌だった。
幼稚園のときにおばあちゃんの家で食べさせてもらった豆ご飯おいしかったなぁ
美味しい美味しいって4杯も食べたらおばあちゃんにこにこ笑ってた。
よく散歩に行ったり、ゲートボールしたりしてて、すごい元気だったのに。
最後に会った時に、辛いのにエレベーターまで見送りに来てくれた。
病室で何を話したのかは覚えてない。
おばあちゃんは死ぬのを怖がっていなかった。
絶対天国に行くって、信じてたから。
悲しかったのにお葬式が始まっても泣けなくて。
しばらくしてお母さんがお年玉をくれた。(年末に亡くなったから)
おばあちゃんが取っておいてくれたお年玉だった。
そのとき初めて涙が出てきた。

69 :
昔、母方の祖父の家に見舞いに行き、少しボケてきて
体が不自由になった祖父を車椅子に乗せ川原へ散歩しに出かけて
暫くしてから家に帰り祖父をベッドに寝かせた時
私の手を握って「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」
と泣きながら何度もありがとうと言ってくれたあの時の
祖父の泣き顔と、強く握り締められた私の手の痛さとぬくもりを
祖父が亡くなって数年経つ今でも私は決して忘れた事はない。
そして、その時どんなにいい人もわるい人も
いつかは必ず死ぬことを改めて実感した。

70 :
スレタイ見た瞬間に、万感が胸に迫って涙出てきたよ・・・
祖父ちゃんごめん、こんな孫に育ってしまって・・・
あんなに大事に手塩にかけてくれたのに・・・自慢の孫だって言ってくれたのに・・・

71 :
まず父方のじいちゃん
黒ふちメガネかけていつも着物着て下駄をカラコロ鳴らして歩いてた。
いつも怒られてた気がする。頭ははげてなかったどこに住んでたかもしらない。
記憶に無いまま天に逝ってた。ばーちゃんは父が中学の頃亡くなったらしい。
母方のじいちゃん
お金持ちだった。顔出すと必ずお小遣いくれたっけ「おお○○か。こっちこい」とか言いながら。
いつも競馬してたような・・・
ばーちゃん
特に記憶に無いんだけど顔が怖かったな。母が先に逝った時、体調崩してて
葬式に出れなかったんだけど、49日の時めちゃくちゃ泣いてたっけ。
みんな天に召された。
祖父母は俺に対してどんな期待を持ってたんだろう。
ごめんよ答えられなくて、墓参りにも行かなくて。
俺そろそろ母に会いたいよ

72 :
70歳のおじいちゃんが、ある日いつものように電話をかけてきて、
「あした行くから」と僕をリザーブした。
そのつもりで次の日待っていると、ずいぶん意気消沈した顔で彼はやってくる。
どうしたのかなと思いつつも、いつものようにシャワーを浴びて
おちんちんを舐めていたのだが、いつもなら何とかして勃つおちんちんが今日はまったく勃たない。
15分そのままトライしていると、おじいちゃんが「無理なんだよ」と情けない声で言う。
「だって、きのうアキラ君の声を聞いたら無性にオナニーがしたくなって、
我慢できずに2回もしてしまったんだもの」。
それから、僕たちはガイドラインを作ることにした。
簡単なことで、会う2日前からオナニーを禁止するというものだ。
それにしても70歳でこの精力というか、生命力には驚いた。
驚いたけど、そのあと少しだけ尊敬した。
生きることとセックスすることはつながっているんだと実感した。

73 :
2年前、色々嫌な事があって、家出してて、漏れが帰ってきた時、
爺さんは、ちょうど退院したところだったよな・・・。
夜、もうすぐ桜が咲くから、見に行きたいとか、
早く就職しろとか行ってたのに、
2日後に老衰で亡くなるなんて早すぎやろ・・・
爺さん、もう桜散ったけど、今年も綺麗に咲いたよ・・・
俺もブラブラしてたけど、3回忌を前に仕事決まったよ・・・
生きてるうちに言いたかったけど、もう遅いけどね・・・

74 :
小学生の時熱がでて早退すると、おばあちゃんが自転車で学校まで迎えに
来てくれた。遠いのにお医者さんにも連れていってくれた。
家から小学校が遠くて近くに友達がいないので、夏になると学校のプール
まで自転車でおくってくれた。帰る時間になると、学校から少し離れた
ところで待っててくれた。
中学や高校に入って、帰りが遅くなると、駅から少し離れた街灯の明かりの下に
自転車を持っておばあちゃんが立っていた。いつ帰るかわからないから来なく
ていいよと言っても、運動になるからといって笑っていた。どれだけの間待ってて
くれたんだろう。。
大学で東京に行くことになっても、おばあちゃんのことだけが心配だった。
私がいない間に死んでしまったらどうしようと心配で仕方なかった。
でも生活にもなれてそんなことも忘れていた夏のある日、なぜかお母さんから
「おばあちゃんに電話してあげて」とメールが来た。
でもその時忙しくて、おばあちゃんは元気だったから明日でもいいかなと思って
電話しなかった。
そしたら次の日の早朝、おばあちゃんが畑で倒れて突然死んでしまった。
家に帰ったらもう通夜の準備ができていて、おばあちゃんは冷たくなっていた。
毎日毎日泣いた。どうして電話しなかったんだろう。
おばあちゃんへの感謝やごめんねの気持ちを手紙に書いたら14枚にもなった。
あんなによくしてもらったのに、苦労かけたのに何ひとつお返しできなかった。
3年たった今でも夏の青い空を見ると、この空の下のどこを探してもおばあちゃん
はいないんだな、、と思う。

75 :
やべっ
8行目で泣いた(ノД`)
ってか藻前ヨスギ

76 :
昨年の冬、祖父と祖母を続けて失くしました。
思い出をここで話そうと思ったけどやっぱ無理・・・。
寂しいよぅ・・・。

77 :
私が2歳の時、両親の離婚により父方の実家に預けられた
実家は農家を営んでおり、牛・豚・鶏の飼育もしていた
私も必然的に手伝いをするようになり、そん中で祖父母は非常に可愛がってくれた
決して裕福とはいえないものの、この生活が私には気に入っていた
中学にあがる頃になって祖父は「もう体がもたないから飼育はもう辞める」
と牛以外辞めてしまった
それから畜産の規模を縮小したものの、祖父はそれまで以上に働いた
それも跡継ぎである叔父の2倍も3倍も・・・・・・
「どうしてそんなに働くの?」と聞くと決まって「わぁ(自分)さ、これしか無ぇがらよ」が口癖だった
祖父は70歳で、朝5時〜昼〜夕方7時というハードスケジュールで毎日働いた
手伝いに行った私の方が疲れてしまうと「無理すんな!休め」いう
私は休まず働き続けている祖父の姿が未だにまぶたに焼き付いている
祖父に異変が起き始めたのは私が高校にあがる辺りだった
まともに飯を食わなくなったのだ(白いご飯に水をかけただけのものと味噌汁くらい)
あまりの拒食さから祖母をはじめ、父の兄弟も病院にいくことを勧めたが、
祖父は断固として行こうとしなかった
私も病院に行くようにかなり語気を強めていったことはあったものの、
心のどこかで、じいちゃんは体が丈夫だから平気だなと思ってた

78 :
そんな祖父も高3の春入院した
しかし、私は別段気にならなかった じいちゃんは丈夫だからと思ってたから
心配することもないと思っていたが、父に連れられ一度見舞いに行ってみると
血色もいいし、「退院したらまたバリバリ働くぞ〜!」と非常に元気だった
ところが、予定の3週間の入院を終え、実家に帰ってきたと思っていた矢先に
病院を移転するという話・・・なんで元気になったのに病院変えてまで再入院する
必要あるんだよ?と私は全く腑に落ちなかった
転院まで一週間家にいるということで、祖父は畑に少し顔を出したり、
散歩に行ったりした 再入院するということなので私も心配して一緒に歩いた
丁度その頃、家の裏では八戸新幹線の陸橋工事をしていたのだが、祖父は
「すっかり変わっちまったなぁ、ここも・・・わぁが婆と2人で耕した土地が今じゃ新幹線通る
言うがらなぁ何か寂しいもんだ」と私に言った 私は「そうかなぁ・・・?」と返事しただけだった
それが祖父との最期のやり取りになってしまった

79 :
入院してからも私はあまり心配してなかったので、見舞いに行こうとは思わなかった
ただ、骨粗しょう症で通院していた祖母が毎日見舞いに行き、その日どうしていたか
漠然と聞くのみで、私はといえば期末考査だーダルィな状況だった
期末考査一日目を終え帰宅すると、叔父が慌しく服を着替えていた
何かあったの?と尋ねると、急に爺のの容態が悪くなったらしいんだじゃ・・・
ハァ?何言ってんのさ 昨日だって見舞いに来た婆ちゃんにソバ食ってけ言ってた
らしいじゃないの?
結局それから家に誰も帰って来ず、私は一人で帰りを待った
父から「今テストやってるんだからおめーは勉強しとけ」と言われた訳だが、
どうも落ち着かない 叔父の慌てぶりが気になってしょうがなかったからだ
深夜0時過ぎ 電話がかかってきて「爺死んだじゃ・・・・・・・・」
正直、訳分からなかった 死んだって・・・・・・嘘でしょ?だってオラ転院してから一回も
見舞いに行ってないんだよ!!!そんなヤバイなら俺も連れてってもよかったじゃないか!!
初めてだった 一度も父に怒ったことが無かった私が父に向かって罵倒したのは
それに認めたくなかった あんな頑丈な体のじいちゃんがそんな簡単に死んじゃうなんて
一時間後、真っ白な顔をして祖父が家に帰ってきた・・・
安らかに眠ったその表情を見て私は、声を上げて泣いてしまった
何で一度も見舞いにいってやらなかったんだ俺は!!もう後悔ばかりが胸を打って
涙が止まらず苦しかった 人の死に目にあったのも初めてだったので
人が死んだときはこんな苦しい思いしなきゃならないんだと痛く感じた
その後父から祖父は、完治することが出来ない病気をもっていたと聞いた
もう罵倒する気は起きなかった

80 :
祖父が亡くなった後すぐ、父は30年間勤めた会社を退職した
「体がもたねんだじゃ」という父だったが、私には祖父の残した農業を繋ぎとめておきたい
のだとよく分かった 
テストも無事終わり、私も休日父と共に畑に向かった・・・
この畑で汗水流して働いていたんだなぁと思うと、次から次へと涙がボロボロ
父もいつの間にか嗚咽を漏らしていた もう仕事どころではない
じいちゃん子だっただけに、私もその死は非常にきつかった
と、同時に残された祖母を大事にしていかなければならないと強く決意できた
あ〜いかん!!カキコしてたら祖父の元気だった頃思い出して、ボロボロだ
無駄に訳分からん内容+ヘボイ長文で申し訳ない

81 :
>>77-80
うっ…読んでたら涙が止まらなくなった。
私もおばあちゃんっ子だからここの板読んでると辛いよ。
おばあちゃんがいなくなったら私どうなるんだろう。
絶対耐えられない。辛い。怖いよ。
おばあちゃんがいなくなる事が怖くて、ひたすら 
“時なんか過ぎなければいいのに”
…と強く思う今日この頃。
お願いだから遠くになんか行かないで欲しい。


82 :
昨年亡くなったばーちゃんのこと。
ばーちゃんには子供ができなくて、私の父を養子として迎えていたため
孫も私達3人姉妹のみ。特に末っ子の私をじーちゃんもばーちゃんもかわいがてくれた。
3人姉妹の末ともなると、姉からの厳しいしつけ(別名いじめ)があった。
私に見たいテレビがあっても私にはチャンネル権はなく
横から来て歌番組に変えてしまった。
そんな時は祖父母の部屋に行って、マンガ見させてもらったなぁ・・。
あと、姉の分のポテチを私が食べちゃったときにはばーちゃんは
「私が食べたことにしといてやるから」って言ってくれた。
 
 理容師の妻になることになったとき、ばーちゃんは「いつか私の顔を
剃ってくれい」と言ってた。でも、してあげられなかった・・・。
去年の冬、突然脳梗塞で倒れてそのまま逝ってしまった。
ごめんね、ばーちゃん。何も孝行してあげられなかったよ。
孝行の代わりって言っちゃおかしいけど
幸せになれるように頑張るよ。
 人って亡くなって姿が無くなったとしても、いつまでも心の中に
生き続けるんだな、と最近思うようになった。


83 :
俺のジイさんは元軍人だった。
終戦直後は生活に困窮していたらしくて、
あの頃バアさんのミシンで食わして貰ったとよく言っていた。
俺が前の会社に就職する時、
 手に職を付けておいた方が良いのじゃないのか。
 会社はいつ倒産するか分らない。
 俺など国が倒れたのだから。
と言って忠告してくれた。
俺は業界でも大手と言われている会社に就職したのだが、
やがて経営不振が続いてリストラされた。
人生を長く生きて来た人の言葉には重みがあると今にして感じる。

84 :
うちのじーちゃんももうそろそろ危ないような気がする。(今年で91です)
ここ見てたら今年の夏休みは田舎に帰って顔を見ておこう、と思いました。

85 :
足を骨折した上に、痴呆が始まったから、
もう病院から出てこれなくなったおばあちゃん。
何年も入院してたのに、俺は殆どお見舞いに行かなかった。
仕事が忙しいとか、なんとか理由を付けて行かなかった。
子供の頃、あんなに俺を守ってくれた人なのに・・・
返しても返しきれないほど、恩があるはずなのに・・・
2週間前、肺炎になり、もう長くないからと言われ、
久しぶりにお見舞いに行った。
呼吸器を付け、本当に苦しそうにしていたけど、
俺が顔をのぞき込み、「おばあちゃん、○○だよ」と言うと、
本当に嬉しそうに、にっこり笑ってくれた。
もう喋れないくらい衰弱していたのに、笑ってくれた。
そばにいた母が言った、
「あんたを待ってたんだよ。どんなに惚けても、あんたの事だけは忘れなかったからね」
ごめんなさい、おばあちゃん。
何一つ恩返し出来なくて、ごめんなさい。
あの日の笑顔は一生忘れません。
今日、お通夜です・・・・

86 :
小さい頃、じいちゃんの禿げ頭をしゃもじで叩いてごめんなさい。
先日ママンから初めて聞きますた。

87 :
いつものんびりとみんなを癒してくれた、大好きなジィちゃん。
いるだけでくつろげたっけな。
ジィちゃんはその日、NHKで大相撲見てた。
いつもの風景のはずだった。
だけどいつも元気なジィちゃんが珍しく、
「頭が痛い」
と漏らしていた。
深く考えず、じゃあカゼ薬でも飲んで寝てなよ。と遊びに行った私。
その夜友達と遊んでいると家からしつこく電話がかかってくる。
どうせ帰って来いとうるさく言われるんだろうな…うざったくてシカトした。
2時間後、ふと携帯を見るとものすごい不在着信の数と
留守番電話のマーク。
何かあったのかな?
「ジィちゃんが危篤です!アンタどこにいるの!!今○○病院だから早く来なさい!!」
……え??何この伝言。
危篤?嘘でしょ。夕方元気だったじゃん。
半信半疑のままとりあえずタクシーで病院に向かった。
到着した私を出迎えたのは、
「霊安室へどうぞ」
無機質な看護婦の声。
まだ信じられないまま霊安室へ向かった。
何だか足元がおぼつかない。
霊安室に横たわる真っ白なジィちゃんを見て、
私の頭の中も真っ白になった。

88 :
ごめんね死に目に会えなくて。
電話にちゃんと出てればよかった。
遊びになんて行かないで一緒にいてあげればよかった。
救急車もっと早く呼んであげればよかった。
そしたら大好きなジィちゃん、もしかしたら今も生きてたのかな
5年前の出来事。
やだ本当に泣けてきた。

89 :
>>87
ばか。なんのための携帯電話だ。
じいちゃんのこと忘れんなよ。

90 :
>>89
うん。今でもジィちゃんのこと、すごくすごく大事です。
だから、
ものすごい後悔してる。
とても苦しい、心の痛み。
脳内出血だったから本当にあっという間だった。
人って、あっけないんだね…
だから今は周りの人みんなを大事にしたいと思っています。
本当にごめんね、ジィちゃん

91 :
その気持ちをずっと忘れちゃだめだよ。
でも過去はもう修正できないんだから、それを教訓にして前向きに生きなよ。
それが一番の恩返しなはず。

92 :
>>91
はい、ありがとうございます。痛みを忘れずにがんばりますm(__)m

93 :
俺もじいちゃんの死に目にあえなかったなぁ。
ある朝、ご飯を食べた後、突然倒れてそのままだったらしい。
会社に「亡くなった」という電話が来たときは、全然実感がなかった。
でも、
実家に帰って、亡くなったその姿を見たとき、泣けて泣けて、どうしようもなかった。
親戚と飲んでいたお酒のせいもあり、
「なんで、もっと優しくしておかなかったのだろう。」
「なんで、あのとき、こうしてあげておかなかったのだろう。」
「なんで、…」
というように、後悔ばっかりが、頭のなかをぐるぐる回っていた。
4時間くらい、酒を飲みながら、泣き続けていた。
(あとで親父が言っていたが、ヘンになったと思ったらしい。)

94 :
翌日、遺体を棺桶に入れる際、じいちゃんの体を持ち上げた。
その時、「なんて軽かったんだ。」と、また泣けてきた。
火葬場で棺桶が焼かれるとき、また泣けてきた。
遺骨を壺に入れるとき、また泣けてきた。
とにかく泣き続けた日々だった。

95 :
あの日以来、人に対して優しくなった気がする。
気持ちだけかも知れないけど。
人が亡くなったときに、もう後悔をしたくない。

96 :
>94 その気持ち分かるよ。私もおじいの体を拭いてあげるときに
すっごくちっちゃくなってたの見て、ショックだった。
普段寝たきりだったから布団から出てる顔しか見たことなかったんだよね。
私が小さな頃、よく入っていったひざはもうガリガリで見る影もなかった。
 亡くなったときに後悔しないように、人に対してやさしくしなきゃ。って
思うよね。


97 :
お願い
日露戦争当時に作られたキャリッジクロックの持ち主の方を探しています。
真鍮製で裏に陸軍歩兵中尉 贈 横山一君、
右側面の下に日露戦役、左側面の下に満州守備、
さらに裏面下に紀念と刻印してあります。
横山さん御本人か、御子孫の方、思い出の品をどうか探し出して御落札して下さい。
正面と、右横のガラス2枚は取り替えてあります。
寸法は縦15センチ横8センチ奥行き7.2センチです。
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h14476881

98 :
戦争体験者で、しなくてもいい苦労を沢山してきた
じいちゃん。
基本的に昔人間で気難しい所もあったけど普段はニコニコしている人だった。
ただ三年前同居してから重度の痴呆に。
よく父さんも母さんも、オムツを外そうとしていたのを怒っていた。
勿論憎くて怒るわけじゃないけど、24時間介護は尋常じゃない。
それでも、時々子供に帰ったような笑顔で笑ってくれるのが嬉しかった。
私は痴呆でも、どこか、じいちゃんだからと一線を引いていたけれど
もっと、もっと、一緒に過ごせば良かったな。ただ受験とかで一緒に住んでいても
顔も会わせない時も会ったし・・・後悔してる。
夜でも度々怖いと言って手招きしたのに、「大丈夫だよ」と言うだけだった。
夜は怖いんだよね。怖くなくなるまで一晩中でも傍にいてあげれば良かったよ。
今更遅いよね。天国には婆ちゃんもいるし、仲良く、楽しくして欲しいな。
次に会えるのはお盆だから、それまで胸張って会えるような生活するからさ。
ね、じいちゃん。

99 :
じいちゃんがトイレ入った後に俺も入ったら、床にクソが転がってた
ことがあったな。
そんな思い出しかない。

100 :
今も生きてるばあちゃん、一緒に住んでたからかよく怒られた。
なんでこんなにだらしないのとか、台所使ったら片付けろとか、
夜中まで起きてるなとか、ステレオタイプの叱り文句はすべて
使われたなあ。でも、ボタン付けてくれたり大学いも作ってくれたり、
料理の仕方教えてくれたりと、何かと助けられた大好きなばあちゃんだ。

101 :
小さいころからじいちゃんっ子だった俺
何処へ行くときもいつも自転車の後ろに乗っけてもらってた(らしい)
そのじいちゃんが、俺が高校生のときに入院した
本人には告げてなかったが、癌だった
もって半年と聞かされた
でも病院へ見舞いに行くと、いつも
「よぅ来てくれたなぁ。婆さん、小遣い渡してやってくれ」
と俺への気遣いばっかで泣きそうになった
余命半年と言われても、じいちゃんは頑張って一年生きた
じいちゃん、最近墓参り行ってないけど、試験終わったら顔見せに行くからな
俺はどうしょうもない馬鹿のままだけど、どうかこれからも見守ってて欲しい

102 :
子供の頃、物置兼車庫の奥に一台の古びた乗用車がおいてあった
ダットサン17型フェートン 祖父ちゃんが海軍少佐任官記念に購入したものだ
自動車なんか高嶺の花の時代 当時の少佐の俸給でも非常に高価な代物だった
祖父ちゃんはスマートな海軍を地で行くようなお洒落な人物だったと聞く
手元に一枚の写真がある
念願の自動車の前で、祖父ちゃんと祖母ちゃん 子供の頃の親父が写っている
濃紺の軍服をパリッと着込み、咥え煙草で微笑んでいるのが祖父ちゃんだ
その祖父ちゃんは昭和19年、フィリピンのスリガオ海峡で戦艦扶桑と共に戦死した
戦艦扶桑は火薬庫引火で大爆発を起こし、艦長以下生存者は全くいなかったそうだ
無論、遺骨などは無く 愛用のカメラや家伝の刀も海の藻屑
残されたのは代えの軍服と短剣 そして例の自動車ぐらいのものだった
戦後、残された自動車は親父の運転で奮闘する
近くの航空基地からドラム缶数本ごと運んできたガソリンを使い
闇市の買出し 親父の仕事 そして家族旅行
本当に家族の足となり長らく走り回った 

103 :
時は流れ、家族の足の役目は新しく購入したブルーバードに取って代わり
役目を終えたダットサンは、車庫で休眠に入った
俺が小さい頃は既に休眠状態だったが、たまに祖母ちゃんが車庫の外に引き出して手入れを行っていた
俺もよく手伝わされた
働き通しに働いた、傷だらけの車を入念にクロスで磨き上げ エンジンをかけ
そしてその後、祖父ちゃんの思い出を懐かしそうに俺に語るのが常だった
将来俺にこの車を譲るよ、とも言っていた
その時の祖母ちゃんの顔は本当に嬉しそうに見えた
しばらくして祖母ちゃんが亡くなり、車はある好事家へと売られていった
俺は泣き叫んで嫌がったが、結果的にはよかったのだろう
その後その人からも離れ、今はとある自動車博物館へと展示されている
綺麗に手入れされたその車を見に行くたびに、祖母ちゃんの、そして写真の祖父ちゃんの面影が浮かぶ


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