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名言書くスレ
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【企業】経営者の名言【理念】
役に立ちそうなレスを転載するスレin名言板 その51
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 8

他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 17


1 :2019/06/03 〜 最終レス :2020/01/28
ここ以外の板にもいろいろ興味深い名言スレがあったので、
そこから興味深いレスを抽出してみた。

前スレ
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16
https://egg.2ch.sc/test/read.cgi/rongo/1543855957/

関連スレ
福田恒存の名言【読売文学賞・芸術選奨・芸術院会員
https://egg.2ch.sc/test/read.cgi/rongo/1541642094/
役に立ちそうなレスを転載するスレin名言板 その53
https://egg.2ch.sc/test/read.cgi/rongo/1553021138/

2 :

人は各々自分の流儀に従って考えねばならない。
なぜなら、人は自分のやり方によって常に真理、あるいは一生を通じて
役に立つ一種の真理を見出すのであるから。
ただ放逸に流れてはならない。自制しなければならない。
単なる赤裸々な本能は人間にふさわしくない。


財産を失ったのは、いくらかを失ったことだ。
名誉を失ったのは、多くを失ったことだ。
勇気を失ったのは、すべてを失ったことだ。
生まれなかった方が良かっただろう。


人はあまりにもつまらぬものを読みすぎているよ。
時間を浪費するだけで、何も得るところがない。
そもそも人は、いつも驚嘆するものだけを読むべきだ。


思案なんぞいっさいやめにして、一緒に世間へまっしぐらに飛び出しましょう。
あえて言いますが、瞑想なんかする奴は、悪魔にとりつかれ、
枯れた草原の上をぐるぐる引きまわされる動物みたいなものです。
その周りには美しい緑の牧場があるのに。


考えている事を考え抜くことができない時のみ、人は本当に考えているのだ。


私の理性と才能が、心よりも高く評価されている。
しかし心こそ、私の唯一の誇りである。これだけが私にとって、あらゆるもの、
あらゆる力、あらゆる幸福、あらゆる禍(わざわい)の源泉だ。


自然は絶えず建設し、また絶えず破壊する。自然の工場は及び難い。


私は何が詩人を作るかを感じます。それは、一つの感情に満ち溢れる心です。


息子の才能をねたまないのは、父親だけだ。


人間は昼と同じく、夜を必要としないだろうか。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツの詩人)

3 :

世間が求めているのは、感情ではなく礼儀である。


何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな。


(若さを保つ秘訣は)つねに大いなるものに喜びを感じることだ。
偉大なものはいつも新鮮で心を暖め活気づける。
ところがつまらぬ奴らは、つまらぬものにかまけて凍えているのだ。


人生に成功する秘訣は、自分が好む仕事をすることではなく、
自分のやっている仕事を好きになることである。


賢者にまるで過ちがなかったとしたら、
愚か者はまったく絶望するほかはないだろう。


近頃の作家は、インクに水増しをして書いている。


先祖から受け継いだ物でも、それをお前の真の所有にするには、
お前の力で獲得しなければならぬ。


能ある者は、そっとだまっていなさい。
そっとしておいても自ずから現れてくる。どんなに装ってみても、結局は人の問題だ。


人間は、本当に落ちるところまで落ちると、
もはや他人の不幸を喜ぶ以外、何の楽しみも持たなくなる。


どんな師匠も、巧妙や経験を、自分の弟子に伝授することはできない。

ゲーテ

4 :

各自がおのれの分をわきまえ、他人には他人の利益を認めれば、
永遠の平和はたちどころに成る。


詩というものは傑作であるか、さもなければ全然存在してはいけないものだ。


人間が据(す)えたものは、正しいにせよ正しくないにせよ、どうもぴったり合わない。
しかし神が据えたものは、正しかろうが正しくなかろうが、常にその所を得ている。


人を賛美するのは、自己をその人の水準に置くことになる。


バラの季節過ぎたる今にして初めて知る、バラのつぼみの何たるかを。
遅れ咲きの茎に輝けるただ一輪、千紫万紅をつぐないて余れり。


まだ日は明るい。男なら働くがいい!やがて、だれも働けない夜が来る。


「悪いこと」と呼んでいる事柄は「良いこと」の裏面にすぎない。


おお狂えるこの不幸者───どこまで狂いまわらねばならぬのか。


私は、自身がいかなる大家にも師事しない事を、
むしろ全てが自分自身の天才のおかげだと自慢している芸術家たちを知っている。
愚かな連中さ。それがどこででも通ると思っている。
自己の愚かさも知らず、世界は全く自分たちに迫らず、
自分たちの中から何も引き出さないと思いこんでいる。


折に臨んで判断力さえ欠けていなければ、記憶力が衰えてもたいしたことではない。

ゲーテ

5 :

ただ知るのではなく利用せねばならぬ。
ただやる気があるのではなく実行せねばならぬ。


希望は風雨の夜に早くも朝紅をさす。


確信したことを成し遂げる力は、誰にでも残っている。


自分を信頼し始めれば、ただちに生き方が変わるだろう。


人はたとえ自然に反抗する場合でも、自然の法則に服従する。
逆らってみようというときでさえ、自然とともに働くのだ。


大切なのは偉大な意欲を持ち、
それを貫くだけの技量と忍耐力とを持つことだ。


生活を信ぜよ、それは演説家や書物より、よりよく教えてくれる。


一人の人間が、あらゆる人生試練のうちの最も苦しいものを凌いで
自己を克服するときには、われわれは喜んでその人間を他の人々に示し、
そしてこう言うことができるのです。「これこそこの人の真骨頂だ!」と。


利益がなくなると、記憶もなくなる。


愛することが苦手な男は、せめてお世辞の言い方くらいは身につけておいた方がいい。

ゲーテ

6 :

自分の今行っていること、行ったことを心から楽しめる者は幸福である。


結局、天才に求められるのは、真実への愛である。


心の中の自我を抑えることができぬ者ほど、
自身の驕慢な心のままに、隣人の意志を支配したがる。


完璧な芸術家というものは、生来の素質よりも修業に負うところが多い。


最小のもののうちに、全体を見ることを知れ。


不可能と思えることであっても、まるで可能であるかのように扱うことだ。


小事に喜びを感じる人を見るならば思え。彼は既に大事を成し遂げたのだ。


何を滑稽と見るか、これほど人の性格を描き出すものは他にない。


節度を持った人だけが豊かさを感じる。


目的は手段を神聖なものにする。

ゲーテ

7 :

すべてを自分自身のおかげだと思うとしたら、それ以上進歩はできない。


他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。


自分自身に欠けていたものが息子に実現されるのを見ようとするのは、
すべての父親の敬虔(けいけん)な願いである。


芸術は、見るに堪えないものを表してはならない。


花を与えるのは自然であり、それを編んで花輪にするのが芸術である。


寛大になるには、年をとりさえすればよい。
どんなあやまちを見ても、自分の犯しかねなかったものばかりだ。


最も快い会合は、仲間が朗らかに敬意を表し合うような会合である。


太平の世における愛国心は、庭前を掃除し、
家業に勉励し、世務に努力するよりほかに道はない。


芸術家よ、創れ! 語るなかれ! 吐くひと息も詩であれ!


革命は決して人民の罪にはあらずして、政府の罪なり。

ゲーテ

8 :

一本の美しい木ほど神聖で模範的なものはない。


お前の特異性は、たやすくなくなりはしない。だからお前の特質を育てることだ。


死を考えても、私は泰然自若としていられる。
なぜなら、我々の精神は、絶対に滅びることのない存在であり、
永遠から永遠にむかってたえず活動していくものだとかたく確信しているからだ。


理性的なものは常に美しいとは言えまいが、
しかし、美しいものは常に理性的である。


夕方、私は千匹のハエを殺した。
それなのに、早朝、私は一匹のハエに起こされた。


活動的な無知より恐ろしいものはない。


目で見、耳で聞き、心に感じることは間違わない。間違うのは判断だ。


人間は社会の中でものを教わることができよう。
しかし霊感を受けるのはただ孤独においてのみである。


余は罪と同様に失策を憎む。分けても政治的失策は特に憎む。
それは幾百万の人民を不幸のどん底に吟呻(ぎんしん)せしめるからである。


才能は静けさの中で作られ、性格は世の荒波の中で作られる。

ゲーテ

9 :

慰めは無意味な言葉だ。絶望し得ない者は生きてはならない。


一時代の内部には、時代を考察する立場は存在しない。


私と同じように、生活を愛そうと試みたまえ。


詩作を理解せんと欲するものは詩の国に行かざるべからず。
詩人を理解せんと欲するものは詩人の国に行かざるべからず。


青年はその将来の見込みによって愛される。


国を鉄床にたとえよう。ハンマーは支配者、打ち曲げられる鉄板は民衆。
勝手気ままなめくら打ちに、いつまでたっても地金ができあがらねば、
鉄板こそ迷惑である。


私はいつも私の敵の価値に注意を向けてきた。


おまえの内部をさがせ、すると、おまえはすべてを見出すことができる。


自然に順応することができれば、事はすべて自(おの)ずからにして成るのである。


自由と人生は、毎日それらを改めて、征服する人のみに価値がある。

ゲーテ

10 :

なぜ私は結局、最も好んで自然と交わるのか。
自然は常に正しく、誤りはもっぱら私の側にあるからである。


何も出来ない日や時には、後になって楽しめないようなものを
作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい。


内面を熱望する者は、すでに偉大で富んでいる。


物事にやり直しがきけば、物事がうまく片付くだろう。


世界は粥で造られてはいない。君等は怠けてぐずぐずするな。
固いものは噛まねばならない。喉がつまるか消化するか、二つに一つだ。


意欲と愛は偉大な行為にみちびく両翼である。


常に現在の時間にしっかりしがみつけ。
刻一刻過ぎて行く時間には、無限の価値がある。


文学は堕落したというが、人間が堕落した程度で堕落したに過ぎない。


私は人間だった。それは戦う者だということを意味している。


ある種の欠点は、個人の生存のために必要である。
旧友が昔からの癖を脱ぎ捨てるとしたら、我々は不愉快になるだろう。

ゲーテ

11 :

人は多くを願うが、彼に必要なものはごくわずかなのである。
人生は短く、人間の運命には限りがあるのだから。


かの一なるもの永遠にして、多に分かたる、しかも一にして、永遠に唯一つなり。
一の中に多を見出し、多を一のごとく感ぜよ。
さらば、芸術の初めと終りとを会得せん。


太陽が素晴らしいのは、すべての塵を輝かせることだ。


我々はいろいろ理解できないことがある。
生き続けて行け、きっとわかって来るだろう。


ここで今これ以上骨を折っても無駄だ!バラならば、花咲くだろう。


世界中のことを知るよりも、自分自身を知ることのほうがはるかに難しい。


美は芸術の究極の原理であり、最高の目的である。


政治の力は(政策を)実行することであって、演説することではない。


われわれは結局何を目ざすべきか。世の中を知り、それを軽蔑しないことだ。


機知に富み、うちとけた言葉は永久に生命を持つ。

ゲーテ

12 :

どれほど深く苦悩にひたっていようとも、きみはやはり青春の幸に生まれた身。
勇気をふるいたまえ、敏捷なすこやかな歩みに。
友情にかがやくあかるい空へ歩をはこび、
思いやりのある善き人々の中にあるのを感じたまえ。
そのとき、生の晴れやかな泉がきみに湧き出てくれますように。


想像と理念、法則と仮説、
この区別を理解することのできない人間は惨めである。


いや遠くさまよい出でんとするか。
見よ、善きことはまこと近きにあり。
幸福をとらえる術を知れ、幸福は常に手近にあれば。


個人は何ものかに達するためには、
自己を諦めなければならないということを、だれも理解しない。


科学と芸術は全世界に属する。
それらの前には国境など消え失せてしまう。


若い内は誤謬も結構である。
ただそれを老人になるまでひきずっていってはならない。


幸福な人間とは、自分の人生の終わりを
始めにつなぐことのできる人のことである。


人間はひとりでいるということは良くない。
仕事を一人でするというのは、特に良くない。
むしろ彼が、何かを成就しようとするならば、他人の協力と刺激とが必要なのだ。


人をほめれば、その人と対等になれる。


人は口をきくや否やもう間違いを始めている。

ゲーテ

13 :

行く手に美しい希望があると、別れもお祭りのようだ。


あらゆる難関を乗り越えて初めて真の安息の日が来る。


さて今度はただちに内部へ向かうがよい。
内部におまえはひとつの中心を見いだすだろう。
気高い人ならそれを疑うようなことがない。そこには法則が存在するはずだ。
そして自立した良心こそ、お前の道徳の昼を照らす太陽なのだ。


才能は「静」でつくられ、人格は「動」で磨かれる。


建築は凍った音楽である。


いかにして人は自分自身を知ることができるか。
考察によっては決して知り得ないが、行動によってならおそらく知り得よう。
君の義務を果たそうと試みよ。
そうすればただちにどんな能力が備わっているかが君にわかる。


人間というものは、自分の欲するままにどちらに向こうと、
どんなことを企てようと、結局はいつでも、
自分にとってあらかじめ計画された道に戻ってくる。


ことにナポレオンが偉大だった点は、いつでも同じ人間であったということだよ。
戦闘の前だろうと、戦闘のさなかだろうと、勝利の後だろうと、
敗北の後だろうと、彼はつねに断固としてたじろがず、
つねに、何をなすべきかをはっきりとわきまえていて、
彼は、つねに自分にふさわしい環境に身を置き、
いついかなる瞬間、いかなる状態に臨んでも、それに対処できた。


阿呆、燃えているなら消せ。燃えてしまったなら、また建てよ。


一貫したものは環境においてでなく、自分みずからのうちに求めよ。

ゲーテ

14 :

真の知識は経験あるのみ。


人が必死になるとき、自然の摂理も動く。


三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、
知ることもなく、闇の中にいよ、その日その日を生きるとも。


奇跡は信仰の愛児である。


男は婦人の占めることのできる最高の地位に彼女を置こうとしています。
家庭の支配よりも高い地位がほかにありますか。


女というものは、その本分どおり早くから仕えることを習うのがよいのです。
仕えることによって、やがてはじめて治めることが、
また、家の中で分相応の力を持つことができるようになります。


誤謬を認識するのは真理を発見するよりずっとやさしい。
誤謬は表面にあり、その始末は簡単だ。
真理は深部にひそんでいて、だれもが探究できるとは限らない。


私の言う想像力とは、実在しないものを空想するようなあやふやなものではない。私
の考える想像力とは、現実の基盤から遊離したものではなく、
現実的な周知のものに照らして、物事を予想し、推測しようとする事なのだよ。
その場合、想像力は、この予想したものが可能であるかどうか、
他の既知の法則と矛盾しないかどうかを吟味するだろう。


礼儀作法は、各人がその肖像を映す鏡である。


決断と忍耐とは、最も高貴な性質である。

ゲーテ

15 :

すべての人に玄関を掃き掃除させれば、全世界がきれいになる。


今日をだらだらと無為に過ごす。
明日も同じこと。
そして次の日はもっとぐずぐずする。


聡明な人間は、旅することによって、最も見事に自己を形成していく。


人を現在の姿だけで判断すると悪くしかならないが、
こうなれるかもしれないという見方をすると、あるべき姿になる。


輿論(よろん)に於(お)いて人の誤解されやすいのには驚く。実に驚く。


人生とは石切り山みたいなもので、
そこから型を取り、ノミで削り、人物を形成するのです。


金銭を失うこと。それはまた働いて蓄えればよい。
名誉を失うこと。名誉を挽回すれば、世の人は見直してくれるであろう。
勇気を失うこと。それはこの世に生まれてこなかった方がよかったであろう。


その家に平和を見出す者は、
君子たると庶民たるとを問わず、最も幸福な人なり。


最後には、自己を制限し、孤立させることが、最大の術である。


国王であれ農民であれ、自分の家庭に平和を見出す者が最も幸せである。

ゲーテ

16 :

逸話集や格言集は社会人にとって最大の宝である。
もし前者を適当な場所で会話の中に混ぜ、後者を適切な場合に想起するならば。


時を短くするものは何か――活動。時を耐えがたくするものは何か――怠惰。


本の中には、それを読んで我々が学ぶためでなく、
著者が何かを知っていたということを
我々に知らせるために書かれたと思われるような本がある。


よろい戸を開けてくれ。光を、もっと光を!


言論の自由を呼号する者は、それを濫用しようとする人間のみである。


ひとりの人間を本当に心の底から愛しさえすれば、
他のすべての人まで、みんな愛らしく思えてくるものだ。


私の知っていることは、誰だって知ることができる。
しかしこの心だけは、私だけしか持つことができない。


焦らず、しかし休まず、星のように己がまわりを巡れ。


立派な目標と偉大な仕事をやり遂げる道は二つしかない。
体力と耐久力である。体力はほんの一握りの恵まれた人間のものである。
しかし厳しく身を守り、常に耐え抜くことは、
ごく弱小な者でもできるし、たいていの場合目標を達成する。
これは、彼の無言の力が時が経つにつれ、何ものにあってもへこたれないほど強力になるからだ。


信仰はその家の隠れた家宝である。

ゲーテ

17 :

美は憤怒(ふんぬ)の情を和(やわ)らぐ。


人間の最大の罪は不機嫌である。


偉大な先人と交わりたいという欲求こそ、
高度な素質のある証拠なのだ。


君が、自分の趣味をちゃんと確立すれば、
ほかのものを判定する尺度をもったことになり、
ほかのものを過大でなく、正当に評価するようになるだろう。


人間だけは、不可能と思われることを成し遂げることができる。
ただしそれには忍耐力がなければならぬ。


(我々の精神は)太陽と似ており、
太陽も、地上にいる我々の目には、沈んでいくように見えても、
実は、けっして沈むことなく、いつも輝きつづけている。


そうだ。私はただ一個の旅人、地上の巡礼たるに過ぎない。
君たちは、はたしてそれ以上のものたりうるか。


人はただ自分の愛する人からだけ学ぶものだ。


うまく使えば、時間はいつも十分にある。

ゲーテ

18 :

戦の前に敵を見くびるのは愚かなことであり、
勝利のあとで敵に追い討ちをかけるのは卑怯なことである。


幼児を抱いた母親ほど見る目に清らかなものはなく、
多くの子に取り囲まれた母親ほど敬愛を感じさせるものはない。


今の時代には、だれも沈黙したり譲歩したりしてはならない。


人間にとってもっとも尊ぶべきことは、
はっきり自覚した目的をもつことと決断、さらに実行なのである。


よろこびをもって仕事をし、成し遂げた仕事をよろこべる者は幸福である。


歌声はどこまでも遠くひびいてゆく。
どんなに離れていても言葉は心にとどくのだ。
たとえ肉声がどこかへ消えてしまおうとも。


真理を言うのに、二つの適切な道がある。
民衆には常に公然と、王侯には常に秘密に言うものである。


この世の全てのものは、泡沫にすぎない。


事物の儚さについて大騒ぎをし、
そして現世の虚しさの考察に耽っている人たちを私は気の毒に思う。
我々がこの世で生きているのは、
実に儚きものを不滅なものに成すためではあるまいか。


自然は一冊の書物である。不可解であり、しかも歴然と明白なるものだ。

ゲーテ

19 :

誠実に君の時間を利用せよ。


わたしは我慢ができなくなると、地球の辛抱強さを考える。
地球は毎日毎日くるくる廻り、毎年毎年大廻りをしているそうだ。
わたしにだってほかにどういう仕方がある?


大業を成し遂げようと思ったら、年老いても青年でなければならない。


いつまでも一つの土地に釘づけになるな。
思いきりよく元気に飛び出せ。そのためにこの世界はこんなにも広いのだ。


急がずに、だが休まずに。


一人の人を愛する人は、すべての人を憎むことができない。


生きているかぎり、頭をおこしていよう。
まだものを産み出すことのできる限り、諦めはしないだろう。


人間には多くの宝、多くの楽しみが与えられている。
しかし人生最大の幸福、最も豊かな収穫は、なんといっても善良軽快な心だ。


大きく分ければ、人間は二種類しかいない。


有為な人間は、すぐに外面から内面へ向かって自己を教養する。

ゲーテ

20 :

自分を実際以上に考えることと、
真価以下に見つもることとは、共に大きな誤りである。


偉大な幸福な人間とは、自分が自分であるために、
支配することも服従することもいらないという人間である。


もし勇気、汝より去らば、すべてのものは汝より去る。


名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。
財産を失ってもまたつくればよい。しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。


どれほど孤独に生きようとも、人はいつの間にか、
なんらかの債権者あるいは債務者になっている。


種をまくことは、刈り入れほど困難ではない。


もしあなたに夢見るものがあるなら、すぐにでも始めなさい。
ひたむきに励むだけで、心は熱く燃えてくる。
まず、第一歩を踏み出す事だ。そうすれば、夢は必ず達成される。


何をそう深刻に考えて、世間のことで頭を悩ましたがるのだ。
快活さとまっすぐな心があれば最終的にはうまくゆく。


たやすくなる前は、何もかも難しいものだ。


世界は君達に大きく開かれている。どしどし遠慮なく進むがいい。
大地は広々とつづき、空は広大無辺にひろがっている。

ゲーテ

21 :

趣味というものは、中級品ではなく、
最も優秀なものに接することによってのみつくられる。
だから、最高の作品しか君には見せない。


おまえは本気でやっているか?一瞬考えてみるがいい。


神と自然から離れて行動する事は困難であり、危険でもある。
なぜなら、我々は自然を通してのみ神を認識するのだから。


我々はどこから生まれて来たか。
――愛から。我々はいかにして滅ぶか。
――愛なきため。我々は何によって自己に打ち克つか。
――愛によって。我々も愛を見出し得るか。
――愛によって。長い間泣かずにすむのは何によるか。
――愛による。我々をたえず結びつけるのは何か。――愛である。


ほしいままに行動するのが金持ちの幸せなのだ。


私は現在に自己のすべてを賭けている。
──1枚のトランプに人が大金を賭けるように。
私は現在をそっくりそのままで、
できるだけ高価なものにしようと努力しているのだ。


忍耐は美徳だ。


真に賢明な思想は、幾度となく考え抜かれてきた。
しかし、それらを真に自分のものとするには、
体験として根を張るまで、自分自身で真摯に考え直さなければならない。


神は、移ろいやすいものだけを美しくした。


ひたすら没頭すれば、心に灯が灯る。

ゲーテ

22 :

青年たちが世界各地から集まって、
善のために固い盟約を結ぶ以上に素晴らしいことがありうるでしょうか。


忘恩はつねに一種の弱さである。
わたしは有能な人たちが恩知らずであった例を知らない。


救済法をあれこれ持ちだして、一体どういうつもりだ。
最上の救済法は、この現在の瞬間を精一杯生きる事だ。


私個人は多年人に噛みつかれることになれているので、
経験からこう言いたいと思います。
たとえ人の反対を受けても、自分の声がかき消されるなどという心配はさらさらない。
ただ焦ってはいけない。つねに行動を続け、時に語り合うこと。
そうすれば、われわれの考え方に賛成する人がしまいには結構たくさん出てきます。


人は各種各様の旅をして、結局、自分が持っていたものだけを持って帰る。


ためらいのひとつひとつが、それぞれの遅れをもたらし、
日々のことを後悔しつつ日々が暮れていく。


詩人の手がすくえば、水も水晶の玉になる。


どんな方法で世界を知ろうと、明と暗の両面があるという事実は変わらない。


咎め(とがめ)も効き目はあるが、励ましはさらに有効である。
非難の後の励ましは、夕立の後の太陽のようなものだ。


平和は人類最高の理想なり。

ゲーテ

23 :

生の歓びは大きいけれども、自覚ある生の歓びはさらに大きい。


あなたにできること、あるいはできると夢見ていることがあれば、
今すぐ始めなさい。向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です。


我々はつねに、自らを変え、再生し、若返らせなければならない。
さもなくば、凝り固まってしまう。


自由でないのに自由であると考えている人間ほど、奴隷になっている。


すべての人間が、自由を得るや、その欠点を発揮する。
強い者は度を超え、弱い者は怠ける。


常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば。


人はほとんど知らない時にのみ知っている。
知識とともに疑いが強まるのだから。
何でも知らないことが必要で、知っていることは役に立たない。


前進をしない人は、後退をしているのだ。


人間はどんなことにも耐えることができる。
普通の日々が続くことを除いては。


学問と芸術は、世界全体のものであり、
それらの前では、国境は消滅するのである。

ゲーテ

24 :

光が多いところでは、影も強くなる。


ある種の欠点は、個性の存在にとって必要である。


君の胸から出たものでなければ、人の胸をひきつけることは決してできない。


今日始めなかったことは、明日終わることはない。


身分不相応の生活をする者は、ぼろが出る。


愚者と賢者はともに害がない。半分愚者、半分賢者だけが一番危険である。


信用というものは妙なものだ。ただひとりの言うことを聞くと、
間違ったり誤解したりしていることがある。
多くの人の言うことを聞いてみても、やはり同じ事情にある。
普通、大勢の言うことを聞くと、まったく真相を聞き出すことができない。


まだ日が暮れない。働くのだ、飽くことなく。
そのうち誰も働くことのできない死が来るのだから。


人間の魂は、つねに耕される田畑のようなものである。
よその国から種を取り寄せ、それを選抜し、
蒔くのに時をかける注意深い園芸家であるのは屈辱的なことであろうか。
種子を手に入れ、選抜することが、そんなに早くできるものであろうか。


情熱は欠陥であるか美徳であるか、そのいずれかだ。
ただどちらにしても度を越しているだけだ。大きな情熱は望みのない病気だ。
それを癒しうるはずのものが、かえってそれをすこぶる危険にする。

ゲーテ

25 :

興味のなくなるところ、記憶もまたなくなる。


偉大なことを欲する者は、心を集中しなければならない。
制限の中に初めて名人が現れる。


自分を他の人の立場に置けば、我々がしばしば他の人に対して
感ずる嫉妬や憎悪はなくなるだろう。また他の人を自分の立場に置いたら、
高慢や独りよがりは大いに減ずるだろう。


気前がよければ、人から好意を受ける。とくに気前のよさが謙遜を伴う場合に。


どんな地位であっても、
実行、あるいは忍耐によって貴くし得ないような地位はない。


何事につけても、希望するのは絶望するより良い。
可能なものの限界をはかることは、誰にもできないのだから。


私はこう勧めたい。何も無理強いをせぬことだ。
何もできない日や時には、あとになって楽しめないようなものを
つくろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい、と。


大衆は有能な人を欠かすことができない。
しかも有能な人は大衆にとって常に重荷である。


ただ、はつらつとした活動によってのみ、不愉快なことは克服される。


みずから勇敢に戦った者にして初めて英雄を心からほめたたえるだろう。
暑さ寒さに苦しんだ者でなければ、人間の値打ちなんかわかりようがない。

ゲーテ

26 :

拒絶するのに多くの言葉を費やす必要はない。
相手はただ否という一言を聞けばよいのだから。


人間は、なんと知ることの早く、おこなうことの遅い生き物だろう!


人はいかに遇されるかによって、それなりの人物になっていく。


今の人間は偉大なもののあらさがしをしては喜んでいる。
偉大なものを攻撃すれば、その分、自分が偉く思われると信じているのだ。
ばかばかしい!偉大なものを尊敬してこそ、その分、自分も高まるのだ。


自分も犯したことのある過ちなら、人が犯しても好感をいだくものだ。


大切なことを、つまらぬものの犠牲にしてはならぬ。


発言し、活動しなければならない。
多数派に属するか、少数派に属するかはまったくどうでもいいことだ。


自分の方からできるだけ環境を支配するが、
環境からはできるだけ支配されない。
人間の最大の価値はおそらくそこにある。


大切なことは、大志を抱き、
それを成し遂げる技能忍耐を持つということである。
その他はいずれも重要ではない。


本気でものを言うつもりなら、言葉を飾る必要があろうか。

ゲーテ

27 :

自分だけが愛することができて、それより前にそこまで愛した人はなく、
それより後に同じ方法で愛する人がいないと信じられた時、
それが真実の愛のシーズンである。


小さい夢は見るな。それには人の心を動かす力がないからだ。


人間は努力する限り過ちを犯すものだ。


自由に呼吸するだけでは、生きているとは言えません。


人間はみずからが愛するものごとによって、形づくられる。


知ることだけでは充分ではない、それを使わないといけない。
やる気だけでは充分ではない、実行しないといけない。


何をやっているか知らないことほど恐ろしいことはない。


人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではない。


「やる気になった」というだけでは、道半ば。


その夢を失くして、生きてゆけるかどうかで考えなさい。

ゲーテ

28 :

考える事は知ることよりおもしろい。しかし、見ることには及ばない。


自分自身を信じてみるだけでいい。きっと、生きる道が見えてくる。


人は、全世界の問題を解決するようには生まれていない。
しかし、自分の限られた理解力のなかで、
自分がやらなければいけないこと、
そして、自制しなければいけないことは見出せるはずだ。


空気と光と、そして友人の愛。これだけ残っていれば、気を落とすことはない。


愛する人の欠点を美点と思えないような者はしているとはいえない。


私たちは、愛するものによって作られ、愛するものによって飾られる。


あの人が私を愛してから、
自分が自分にとってどれほど価値あるものになったことだろう。


恋人の欠点を美徳と思えないような者は、恋しているとはいえない。


僕はどうやらこの世における一個の旅人に過ぎないようだ。
君たちとてそれ以上のものだろうか?


天には星がなければならない。
大地には花がなければならない。そして、人間には愛がなければならない。

ゲーテ

29 :

目標から目をそらさずに、努力し続ければ、
最後にはかならず幸運が舞い降ります。


とにかく、とりかかれば心が燃え上がるし、続けていれば仕事は完成する。


自分を信頼しはじめたその瞬間に、どう生きたらいいのかがわかる。


愛することより愛されることのほうが難しい。


私たちの心は常に楽をしようとします。
でもそれに逆らって、何かを目指して頑張ると、
今度は心の中が幸せな気持ちでいっぱいになるように出来ているのです。


人が旅をするのは、到着するためではありません。それは旅が楽しいからなのです。


馬で行くことも、車で行くことも、
二人で行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。


王様であろうと百姓であろうと、
自分の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。


10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、
40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。
いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。


人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。できるけど、したくない。

ゲーテ

30 :

涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。


自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、
他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。


世の中のことはなんでも我慢できるが、
幸福な日の連続だけは我慢できない。


人生で一番楽しい瞬間は、誰にも分からない二人だけの言葉で、
誰にも分からない二人だけの秘密や楽しみを、ともに語り合っている時である。


われわれには理解できないことが少なくない。
生き続けて行け。きっとわかって来るだろう。


いつも変わらなくてこそ、本当の愛だ。
一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ。


二十代の恋は幻想である。三十代の恋は浮気である。
人は四十代に達して、初めて真のプラトニックな恋愛を知る。


心が開いている時だけこの世は美しい。


生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い。
何世紀も普遍の価値、普遍の名声を保ってきた作品を持つ、
過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。


自己の誤りから脱することは困難である。
往々にして偉大な精神や才能の人においてさえ不可能である。

ゲーテ

31 :

批評に対して自分を防衛することはできない。
これをものとせずに行動すべきである。
そうすれば、次第に批評も気にならなくなる。


気分がどうのこうのといって、何になりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんか湧きはしません。
今日できないようなら、明日も駄目です。
一日だって、無駄に過ごしてはいけません。


卑怯者は、安全なときだけ威たけ高になる。


肉欲を知らぬ動物はいないが、これを純化するのは人間だけである。


気持ちよい生活をつくろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、
滅多なことに腹を立てぬこと、いつも現在を楽しむこと、
とりわけ人を憎まぬこと、未来を神に任せること。


ひとつのところに執着するな。元気よく思い切って、元気よく出でよ!
頭と腕に快活な力があれば、どこに行ってもうちにいるようなもの。
太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる。
この世の中で気晴らしするように。世界はこんなに広い。


時を短くするもの、それは活動。時を耐えがたく長くするもの、それは怠惰。


自分にできること、あるいは夢に思い描いていることは、すべて実行に移すことだ。
大胆であれば、非凡な能力と不思議な力を発揮できる。


何ごともはじめは難しいということわざは、
ある意味では真理かもしれないが、より一般的には何事もはじめは容易だ。
最後の段階に登ることこそ一番難しく、これに登り得る人間は稀だと言える。


真剣さなくしては、この世で何事も成し遂げることができない。
教養のある人と呼ばれる人たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。

ゲーテ

32 :

鍛冶場では、火を吹き、鉄棒から余計な成分を除いて、
鉄をやわらかにする。純粋になったところで鉄棒を打ち、強い力を加える。
そしてほかの水の成分によって、鉄棒は再び強くなる。
同様のことが、人に対してもその師によって行われる。


人はいつも考えているものだよ。利口になるには歳をとらねばいけないとね。
だが実のところ、人は歳をとると、
以前のように賢明に身を保つことは難しくなってくる。


人間は努力しなければならないが、その故に失敗もするものだ。


財布が軽ければ心は重い。


あなたが私を愛してから、私はどれだけ価値のある人間になったでしょうか。


あなたの心の底から出た言葉でないと、他人の心に響くことはありません。


なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか?
見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ。
幸福はいつも目の前にあるのだ。


高尚なる男性は、女性の忠告によって、いっそう高尚になる。


名言集および格言集は、社会人にとって最大の宝である。
もし前者を適宜の場合に会話の中に織り込み、
後者を適切なときに記憶に呼び起こすならば。


意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。

ゲーテ

33 :

新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちがよいです。
人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちです。


専制政治が廃止されるや否や、貴族生活と民主政治との葛藤がはじまる。


喜んで行ない、そして行ったことを喜べる人は幸福である。


あらゆる階級を通じて、目立って気高い人は誰か。
どんな長所を持っていても、つねに心の平衡を失わない人だ。


愛人の欠点を美点と思わないほどの人間は、愛しているのではない。


本当に不幸なのは、できることを未完のまま放り出し、
理解もしていないことをやり始めてしまう人々だ。
彼らがやがて嘆くのも無理はない。


お前の本当の腹底から出たものでなければ、
人を心から動かすことは断じてできない。


ただ我々の曖昧で散漫な教育が、人間を不確かなものにするのだ。


自分の心を支配できぬ者に限って、とかく隣人の意志を支配したがるものだ。


青年は教えられるより、刺激されることを欲する。

ゲーテ

34 :

憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。
したがって、嫉妬がすぐに憎しみに変わっても不思議はない。


多数というものより気にさわるものはない。
なぜなら、多数を構成しているものは、少数の有力な先導者の他には、
大勢に順応するならず者と、同化される弱者と、
自分の欲する事すら分からずに従ってくる民衆とであるからだ。


我々が理解しないことは制御しがたい。


いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。
その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。


人間は常に迷っている。迷っている間は常に何かを求めている。


人間は、現在がすこぶる価値のあることを知らない。
ただ、なんとなく未来のより良い日を願望し、
いたずらに過去と連れ立って嬌態(きょうたい)を演じている。


我々が不幸または自分の誤りによって陥る心の悩みを、
知性は全く癒すことができない。理性もほとんどできない。
時間がかなり癒してくれる。これにひきかえ、固い決意の活動は一切を癒すことができる。


人生は、愚者に困難に見えるとき賢者には容易に見え、
愚者に容易に見えるとき賢者には困難に見える。


人にだまされることは決してない。自分にだまされるのだ。


もし私が忍耐をしなかったなら、誰が私に忍耐をしてくれただろうか。

ゲーテ

35 :

目標に近づくほど困難は増大する。


どうせ、人間はどんな瞬間にも満足はしないものだ。


本当の内面的な実在を持たないものは、生命を持たず、
偉大であることもなく、また偉大になることもできない。


若い男性と女性は、変化を好むものです。
そして、老いたひとほど変化を怖がるようになります。


私たちはみな、自分の理解できることだけしか聞いていない。


楽しんでいる時とか悩んでいる時にのみ、人間は自分自身を知る。
また、悩みと喜びのみが自分の求めるもの、
避けねばならないものは何かを教えてくれる。


重要なことはどこまでも、見知らぬもの、見知らぬ人に心をふれてみることだ。


若いうちの誤りは、きわめて結構だ。
ただ、それを年をとるまで引きずってはならない。


義務の重荷から我々を解放する事のできるのは、良心的な実行のみである。


世界を観察すればするほど、人類がその将来において、
賢明で思慮深く幸福な集団になれるとは思えなくなる。

ゲーテ

36 :

天才が天才としてなすことはすべて無意識になされる。


自分と似たものを愛し求める人もいれば、
自分と反対なものを愛し、これを追求する人もいる。


我々の犯すひとつの大きな誤謬は、
原因を常に結果の間近にあり、と考えることにある。


初恋が唯一の恋愛だ、といわれるのは至言である。
というのは、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、
恋愛の最高の意味が失われるからである。


人間こそ人間にとって最も興味あるものであり、
また、おそらく人間のみが人間に興味を感じさせぬものであろう。


革命前にはすべてが努力であった。革命後にはすべてが要求に変わった。


虚栄は軽薄な美人に最もふさわしい。


ひそかに清く自己を保存せよ。自分の周りは荒れるにまかせよ。


新しい真理にとって、古い誤謬ほど有害なものはない。


若い娘が学ぶことを愛し、若い男が教えることを愛する場合に
結ばれる青春時代の友情は、ひとつの美しい事柄である。

ゲーテ

37 :

実際の道徳の世界は、大半が悪意と嫉妬から成り立っている。


人は実際には、学術において何も知ることはできない。つねに実践が必要である。


結婚生活はすべての文化の始めであり、頂上である。
それは乱暴者を穏やかにし、
教養の高い者にとっては、その温情を証明する最上の機会である。


自分自身に命令しない者は、いつになっても下僕(しもべ)にとどまる。


真理はたいまつである。しかも巨大なたいまつである。
だから私たちはみんな目を細めてそのそばを通り過ぎようとするのだ。
やけどする事を恐れて。


年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。
すべての事情は変わって行く。我々は活動することを全然やめるか、
進んで自覚をもって、新しい役割を引き受けるか、どちらかを選ぶほかない。


人は青春の過ちを老年に持ち込んではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。

ゲーテ

38 :

焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。
焦りは過ちを増し、後悔は新しい後悔を作る。


臆病な考えや、不安なためらいや、女々しい足ぶみや、あわれな訴えは、
少しも悲惨を救うことができぬ。決して君を自由にせぬ。


性に合わない人たちとつきあってこそ、
うまくやって行くために自制しなければならないし、
それを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺激されて、
発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。


われわれの本性は、怠惰へ傾いている。
だが、われわれは活動へと心を励ます限り、その活動の真の悦びを感ずる。


若くして求めれば老いて豊かである。


批判に対しては、身を守ることも抵抗することもできない。
それをものともせずに行動しなければならない。
そうすれば批判もやむなくだんだんにそれを認めるようになる。


生きている間は、なにごとも延期するな。
なんじの一生は、実行また実行であれ。


どうあろうと人生は常によいものだ。


努力する人間の困難な問題は、先輩の功を認め、
しかも彼らの欠点によって妨げられないことである。

ゲーテ

39 :

退屈は雑草であるが、いろんなものを消化させる薬味でもある。


気に入らないものは、棄てておくか、あるいは改善するかである。


30分ぐらいでは何もできないと考えているより、
世の中の一番つまらぬことでもする方がまさっている。


控え目な者は忍耐せねばならぬ。図々しい者は苦悩せねばならぬ。
図々しくても控えめにしても、結局負い目を受けることは同じだ。


ただの1日は間違いと失敗にすぎぬが、
それが積み重なって、ある期間になれば結果や成功がもたらされる。


現実を直視する心に本当の理想が生れる。


最善の努力をしてみよう。
その結果は努力しないよりもはるかによい結果が得られるはずだ。


諸君が賢明な返答を望むのであれば、
諸君は理性的に質問するのでなければならない。


思索なんかする奴は、枯野原で悪霊にぐるぐる
引きまわされている動物みたいなものです。
その外回りには美しい緑の牧場があるのに。


長い間考えこんでいるものが、いつも最良のものを選ぶとはかぎらぬ。

ゲーテ

40 :

今日という日にまさるものはない。


癖というものは抜けないものだ。おまえの特性の方を伸ばせばいいのだ。


長いこと考え込んでいる者が、いつも最善のものを選ぶわけではない。


毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように。


人は喧嘩する時、双方とも悪いと感じている。


人間も本当に下等になると、
ついに他人の不幸や失敗を喜ぶこと以外の関心をなくしてしまう。


親として、自分自身に欠けてたものを息子が実現していくのを見たいと思うのは、
全ての父親の慎ましい願いなのである。


この動揺する時代に自分までぐらつくのは災いを増すばかりだ。
おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中を作り上げて行くのだ。


人生において重要なことは、大きな目標を持つとともに、
それを達成できる能力と体力を持つことである。


人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。

ゲーテ

41 :

すべてをいますぐに知ろうとは無理なこと。雪が解ければ見えてくる。


一つのことが万人にあてはまりはしない。
めいめい自分にふさわしい流儀を求めよ。


我々は高みに憧れるが、歩き出すことには無関心だ。
山々を望みながら、平らな道を歩きたがる。


自分一人で石を持ち上げる気がなかったら、二人でも持ち上がらない。


道徳の時期は四季と同じく移り変わる。


愛よ、お前こそはまことの生命の冠、休みなき幸。


自分自身を知るのは楽しんでいる時か悩んでいる時だけだ。


貸し借りは友を失う。


欲望と愛とは、偉大な行為のための両翼である。


偉大な人間というのは、世間の出来事に左右されるのではなく、
世の中を左右してしまう人間のこと。

ゲーテ

42 :

あなたたち自身の中を探しなさい。
そうすれば、すべてを見つけることが出来るだろう。


美しいものは、世界のなかで孤立していることがあるものだ。


経験とは、人が経験することを望まないことを経験することにほかならない。


年をとることは秘術ではない。老年に耐えることは秘術だ。


人間は、どん底まで落ちると、他人を傷つけることにしか興味がなくなるものです。


紙から得た知識、または紙に書くための知識は、私はあまり興味がない。
学問の中にいかに多くの死んだもの、いかに多くのRものがあるかは、
自ら真剣にその中に入っていくまで分からない。


過去を知らないで現在を知ることは出来ない。


人間が自己の敵対者の長所を認めるとき以上に大きな利益はめったにない。
このことがかれに、敵対者にたいする明確な優越を与える。


自分を信じよう。そうすればどう生きるかがわかる。


人々は人間を実際以上に危険だと思いがちである。

ゲーテ

43 :

人間の過ちこそ、人間を真に愛すべきものにする。


自分のなすべき正当なことのみを行なえ。
そのほかのことはおのずからなされよう。


人間は重要なことを、決して十分にじっくりとは考えないものである。


人々は理解できぬことを低く見積もる。


大事を小事の犠牲にしてはならない。


どこに行こうとしているのかわからないのに決して遠くまで行けるものではない。


立派な目標と偉大な仕事をやり遂げる道は二つしかない。体力と忍耐力である。


現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。
人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう。


人間の運命よ。お前はなんと風に似ていることか。


ただ黙々と正しい道を歩み続け、他人は他人で勝手に歩かせておこう。
それが一番良いことさ。

ゲーテ

44 :

結局、自己の内に何かを持っているか、他人から得るか、
独力で活動するか、他人の力によって活動するか、というのはみな愚問だ。
要は、大きな意欲を持ち、それを成就するだけの技能と根気を持つことだ。
その他のことはどうでもいいのだ。


君の値打ちを楽しもうと思ったら、君は世の中に価値を与えなければならない。


自然の公然の秘密をうかがい始めた者は、
自然の最も貴い解釈者である芸術に対して、逆らいがたいあこがれを感じる。


真理に対する愛は、あらゆるところに良いものを見いだし、
これを貴ぶことを知る点に現れる。


詩作を知ろうと思ったら、詩の国へ行かねばならぬ。
詩人を知ろうと思ったら、詩人の国へ行かねばならぬ。


人はどれほど隠れて暮らしていようとも、
いつの間にか貸しか借りができるようになる。


考察においても行動においても、
到達し得るものと到達し得ないものとを区別しなければならない。
そうしないと、生活においても学問においても、効果が上がらない。


年をとることにも一つの取り柄はあるはずです。
それは、年をとってもあやまちは避けられないとしても、
すぐ落ち着きを取りもどすことができるということです。


権威は真理と同様に誤りを伴うものである。
それは、個々のもとのして消滅すべきものを永遠に伝え、
堅く保持させるべきものを拒み消滅させる。
こうして権威は往々に人類をして一歩も先へ歩かせぬようにする原因となる。


私達が神と自然から受けた最高のものは生命であり、
休息も静止も知らない単子(モナス)の自転回転運動である。
この生命をはぐくみ育てる衝動は、各人に生まれついていて破壊しがたい。
しかし生命の特性は自他にとって常に秘密である。

ゲーテ

45 :

道徳的であることをやめねばならぬ時、私達は力を失ってしまう。


自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である。


若いときは興味が散漫なために忘れっぽく、
年をとると興味の欠乏のために忘れっぽくなる。


「あいつらは党派を作って、けしからんことだ!もちろん、我々の党は別だが」


一人間の一生、それがなんだろう?
だが、幾千の人はひとりの人のしたことをとやかくとあげつらう。
一片の詩にいたっては更にささやかなものだ。
だが、幾千の人はそれを楽しんだり非難したりする。
友よ、ただ生きよ、詩作しつづけよl


地上のあらゆる所有の中で、自分のハートが最も貴重なものである。


根本悪とは、めいめいができるだけ自分のなり得るものになりたがり、
他の者は無であれ、否、いなければよいと思うこと。


人は自分の肉体あるいは精神についてよく考えてみると、
たいてい自分が病気であることを発見する。


特殊なものが、より普遍的なものを、夢や影としてでなく、
究め得ないものの生き生きとした瞬間的啓示として、表す場合こそ、真の象徴である。

ゲーテ

46 :

有能な人は、常に学ぶ人である。


無制限な活動は、どんな種類のものであろうと、結局破産する。


人はそれぞれ特性を持っていて、それを脱することができない。
しかも、自分の特性のために、しばしば最も無邪気な特性のために、
破滅するものが少なくない。


自発的に頼るというのはこの上なく美しい状態である。
そしてそれは愛なくして、どうして可能であろう!


完全は天のもの、完全なものを望むのは、人のもの。


全体によって活気づこうと欲するなら、
全体を極小のものの中にも看取しなければならない。


あらゆる民族の中で、ギリシャ人はもっとも美しく人生の夢を夢みた。


果たされた義務は依然負い目として感ぜられる。
私達は決して完全に満足するようにやったことはないのだから。


なすことは興味をひくが、なされたものは興味をひかない。


願望したものを持っていると思いこんでいる時ほど、
願望から遠ざかっていることはない。

ゲーテ

47 :

迷信は人生の詩である。従って迷信的であることは、
詩人にとって障りにはならない。


忘恩は一種の弱点である。
有能な人で忘恩だったというのを、私はまだ見たことがない。


叙情的のものはすべて全体としては、
きわめて理性的であるが、個々は少々非理性的であらねばならない。


豊かさは、節度の中にある。


人はみな、わかることだけ聞いている。


個々の人間は、一つの性格を完全なかたちで持ち得るものではありません。
それでは生きることができないでしょう。
生存するためには、人は雑多な性質を持たねばなりません。


最善をなそうと思ったら自分自身に安住しないで、名人の心に従え、
名人と共に迷うのは得るところがある。


音楽は最もよい意味で、比較的新奇を必要としない。
否、むしろ、音楽は古ければ古いほど、
人々がそれに慣れていればいるほど、効果的である。


自然の劇は常に新しい。なぜなら彼女は常に新しい観客を作るから。
生命は彼女の最も美しい発明である。
死は多くの生命を持つための彼女の技巧である。


真に行為する人間を作るものは、才能や、あれこれのことに対する技能ではない。
性格は人格にもとづくものであって、才能にもとづくものではない。

ゲーテ

48 :

学問と芸術を持っている者は、同時に宗教を持っている。
学問と芸術を持たない者は、宗教を持て!


全てをすぐに探ろうとするものか。雪が溶ければ、ひとりでに見つかるだろう。
ここで今これ以上骨を折っても無駄だ!バラならば、花咲くだろう。


運命は深い傷をおわせるものですけれど、大抵は癒ります。
心が人の心におわせた傷、心が自分におわせた傷は、癒らないものです。


ただちに内部に向かえ、そのなかに中心が見つかる。
どんな貴人もそれを疑いはしない。きっとそこに規則が見つかるだろう。
独立の良心こそ君の道義の日の太陽なのだから。


生き生きした天分を恵まれながら、
実際的な意図をもって手近なことを忘れぬ人は、この世の最もひいでた人である。


感覚は欺かない。判断が欺くのだ。


気高い人間が狭い範囲に教養を負うことはあり得ない。


歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である。


賢い人々はつねに最高の百科事典である。


人生は悪しき冗談なり。

ゲーテ

49 :

人が苦悩の中に黙している時、
私の悩みのほどをき口う力を、神様は私に与えてくださった。
いずれは同じ控え目な者は忍従せねばならぬ。図々しい者は苦悩せねばならぬ。
図々しくても、控え目にしても、結局、負い目を受けることは同じだ。


人は自然の法則に従っている。たといその法則に反して働いているような時でも。
自然の絶頂は愛である。愛によってのみ人は自然に近づく。


歴史家と詩人はどちらがまさっているかというような問いは、提出さるべきでない。
競走者と拳闘家が競争しないように、
彼らは競争しはしないのだ。それぞれに別な栄冠がふさわしい。


自分の持っているものを管理することのできる人は裕福です。
それを心得なければ物持ちであるということは煩わしいことです。


あけぼのの薄ぐらいうちにいち早く起き出して、
太陽を待ちこがれていたくせに、太陽が上って来ると、
自がくらんでしまう人のような気持を私は、学問において味わった。


小川は水車屋に親切であり、その役に立つ。
小川は進んで水車の車輸の上に落下する。
もし無関心に谷間をこっそり流れて行くのだったら、何になろうか。


名人気質は往々利己主義と見なされる。


なぜ、このように悪口が絶えないのか。
人々は他人のちょっとした功績でも認めると、
自分の品位が下がるように思っている。


実際は私達は、私達が批判し得ないような書物からのみ学ぶ。
私達が批判し得るような書物の著者は私達から学ばねばならぬであろう。


古い基礎を人々は貴ぶが、
同時にどこかで再び初めから基礎を築きだす権利を放棄してはならない。

ゲーテ

50 :

見識の代わりに知識を持ち出す人々がある。


一般的な概念と大きな自負は、ともすれば恐ろしい不幸をひき起こす。


我々の持っている天性で、徳となり得ない欠点はなく、欠点となり得ない徳もない。


人間の生活は初めと終わりを持つが、一つの全体ではない。


欠点を改め、過ちを償うことは、最高の幸福である。


乳呑児でさえ最初のうちは母親の乳房を進んで求めようとはしない。
しかし程なく喜んで乳を吸うようになるものだ。
君とて同じ事、英知の乳房が日増しに恋しくなるであろうさ。(メフィストーフェレス)


虹は人間の営為を映し出す鏡だ。
虹を見れば、人生とは色とりどりの陰にすぎぬということが、
よくよく納得できるはずだ。(ファウスト)


諺にもありますな、
「自分と竈といい女房は、金と真珠の値打ちあり」ってね。(メフィストーフェレス)


人が褒めてくれるんだって、半分は気の毒に思ってのことなんだから。
人にちやほやしてもらえるのも、お金があればこそなんだから。
結局なんでもお金次第なのねぇ。(グレートヒェン)

ゲーテ

51 :

友だちの欠点をあげつらう人々がある。それによって何の得るところもない。
私は常に敵の功績に注意を払い、それによって利益を得た。


最悪の日に生まれたものには悪い日も快いであろう。


この放棄と捕捉、逃避と追求の中に、実際一そう高い摂理が見られるように思う。


人という人は苦しむものだが、時には幸福な人もいないでもなかったということを、
万巻の書を紐解いて合点しろというのか。(ファウスト)


最高の幸福の瞬間にも極度な逆境の瞬間にも、私達は芸術家を必要とする。

ゲーテ

52 :

理解していないものは、所有しているとは言えない。


人間は、彼の制約されない努力が限界を定めないうちは幸福になれない。


しばしば言い慣らわされている色々の格言も、
後世になって与えられるのとは全く別な意味を持っていた。


人生の行路の秘密を明らかにしてはならないし、明らかにすることはできない。
そこには、すべての旅人が必ずつまずくところのつまずきの石がある。
しかし、詩人がその石のあるところを暗示する。


雷雨の来る前、やがて長い間一掃されてしまうほこりが最後に猛烈にまきあがる。


人間だけが不可能なことをなし得る。


人の霊は水にも似たるかな。空より来たり、空へ昇る。
再びくだっては大地にもどり、永久に変わりてやまず。


皆それぞれが自己の内部で完成されよ。


有能なものは、まちがっていても、毎日毎日、家から家へ働きを及ぼす。
有能なものが、本物であったら、あらゆる時代を越えて働きを及ぼす。


人間は見ることをやめないためにのみ、夢みるのだと、私は思う。
いつか内部の光がわれわれの中から輝き出て、
それでもう他の光はいらなくなるようなことがあるかもしれない。

ゲーテ

53 :

ああぼくの知ることは、誰でも知り得るのだ。ーぼくの心(ハート)はぼくだけが持っている。


芸術の品位は音楽においておそらく最も高貴に現れている。
それは、音楽には取り除かれねばならないような素材がないからである。
音楽は全く形式と内容だけで、その表現する一切のものを高め、気高くする。


人間は、生来のものであるばかりでなく、獲得されたものでもある。


若いよい頭脳が、他の人々によって既に認められた真理を認めると、
それによって独創性を失うもののように思うなら、
それは凡そ誤りの最も愚劣なものである。


神聖な真剣さだけが生活を永遠にする。


王様であろうと百姓であろうと、己の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。


恋愛と情熱とは消え去ることがあっても、好意は永久に勝利を告げるだろう。


フランス語は、書かれたラテン語からではなく、話されたラテン語から生じた。


独創的な人々に:某氏はいう。
「わしはどの派にも属さない。わしが競うに足るような大家は生きていない。
といって、わしは故人から学ぶほど、おろかものでもない。」
この意味を、正しく理解すると、「わしはお手製のばかものだ」ということになる。


お前が誰とつき合っているか、言ってみよ。
そしたら、お前が何者であるか、言ってやる。
お前が何に従事しているかを知ったら、お前が何になれるかがわかる。

ゲーテ

54 :

真理は人に属し、誤りは時代に属する。
それゆえ、並はずれた人について、次のように言われる。
「時代の弊風が彼のあやまちをひき起こした。
しかし彼の精神力がそれを離脱させ、光栄を得させた」と。


人間は自分に似た人とだけ、共に暮らすことができる。
が、そういう人とも共に暮らすことはできない。
なぜなら人間は、自分に似た人間のいることに、長い間我慢することができないから。


目が太陽のごときものでなかったら、どうして私達は光を見ることができよう。
私達の中に神自体の力が生きていなかったら、
どうして神々しいものが私達をうっとりとさせることができよう。


道理にかなったことをしようと心がけたことがないJばかりに、
全然あやまちを犯すことのない人がある。


美は、隠れた自然の法の現れである。
自然の法則は、美によって現れなかったら、永久に隠れたままでいるだろう。


自然観察ではいつも全てと同様に個を注意しなければならない。
何ものも内になく、何ものも外にない。内にあるものは外にもあるのだから。


古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的である。


生きてかつ愛さなければならない。命も愛も終わりがある。
運命の女神よ、この両者の糸を同時に切ってください。


真理と誤りが同一の源泉から発するのは、不思議であるが、確かである。
それゆえ、誤りをぞんざいにしてはならぬことが多い。
それは同時に真理に傷をつけるからである。

ゲーテ

55 :

条理のたたぬことが具体化されているのを見るほど、
恐ろしいことは人間にとって起こり得ない。


物事を凡帳面にとらないような美しい妻が欲しい。
だが、どうしたら私の工合を一番よくすることができるか、
よく心得ている妻が欲しい。


風に飛ばされた葉はしばしば鳥のように見える。


嫉むものは弱点をあわれまず、虚言をなすものは、
誠と信を望み得ず。これを肝に銘じ、断じて惑わされるな。


悪趣味な者に技術が結びつくと、これより恐ろしい芸術の敵はない。


すぐにやらねばならぬこともたくさんありますが、
節度を保ち、不自由に耐えねば、手に入れることのできないものもあります。
徳です。徳とは縁続きの愛も同様です。


前進する行動においては、個々の何が賞賛に値するか、非難に値するか、
重大であるか、徴小であるか、は問題でない。
全体においてどんな方向を取ったか、それから結局個人自身にとって、
身近な同時代にとって、どんな結果が生じたか、
そのため未来にとって何が望めるかが、問題である。


真理より偉大なものはありません。最小の真理でさえ偉大です。
私は近ごろ次のような考えに思い当りました。
たとい有害な真理でも、有害なのはほんの一時であって、
やがては、常に有用な、しかも大いに有用な他の真理に達するのです。
その逆に、有用な誤りは、有用なのはほんの一時であって、
いっそう有害な他の誤りに人を釣りこむものですから、有害です。


地上の子の最高の幸福は人格である。



彼女の愛は、完全になるためには、全く没我的にならなければならないことが、
彼女にははっきりした。実際ある瞬間には彼女はもうこの高さに達したように思った。
彼女はただ友の幸福を願い、もし彼が幸福であることを知りさえすれば、
彼を断念することができると思った。

ゲーテ

56 :

老人は人間の最大の人権の一つを失う。老人は対等なものからもはや批判されない。


役に立たぬ人とは誰か。命令することも、服従することもできない者。


誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、
強く孤独を感じるときはない。


自分に属するものから脱することはできない。たといそれを投げ棄てようと。


「私の絵をかいではいけません。絵の具は健康に害があります。」


人間が真理の中に住み且つ行為することを、神様が目ざしていたのだったら、
神様は世界の作り方を変えねばならなかっただろう。


予めおもんばかれば、簡単であるが、後になっておもんばかれば、複雑になる。


苦しみが残していったものを味わえ!苦難も過ぎてしまえば甘美だ。


自分の知っていることは自慢し、
知らないことに対しては高慢にかまえる者が少なくない。

ゲーテ

57 :

人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。
多く知るにつれ、次第に疑いが生じて来るものです。


外国語を知らないものは、自分の国語についても何も知らない。


鳥を見よ!木から木へ飛びせわしく木の実をついばみあさる。
鳥に問え。きっとぺちゃぺちゃと、口はばったいことを言うだろう。
高い自然のおごそかな秘密をついばむのだ、と。


最も恵まれた天才も決して成功しないだろう。
自然と本能だけで、非凡なものへ飛躍することは。


自分の好きなように世界を知るがいい!世界は常に昼の側と夜の側を持っている。


自然研究の与えてくれる喜びにまさるものはない。
自然の秘密の深さは測り知れない。
しかし、私達人間には、次第に進んで自然をうかがうことが、許され、恵まれている。
そして自然は結局測り知り難いという点が私達にとって永遠の魅力を持つのだ。


天国に一人でいたら、これより大きな苦痛はあるまい。


私の著作と生活との意味と意義は純粋な人間性の勝利である。


人間が、かつてできたことを今でもできると考えるのは、きわめて自然である。
未だかつてできなかったことを、できると思う人があるのは、
いかにもおかしいが、珍しいことではない。


合一しているものを二分し、二分されているものを合一させる、
それこそ、自然の生命であり、私達の生活している世界の永遠の吸気と呼気である。

ゲーテ

58 :

理論的意味での絶対なものについて、私は敢えて語ろうと思わない。
しかし、現象の中に絶対なものを認めて、
それから常に目を放さぬ人は非常に大きな利益をうけるだろうと、
主張することはできる。


すべて慰めが卑しむべきもので、絶望が義務だというような場合があります。
英雄を描くことを知っていた高貴なギリシャ人(ホメロス)は、
苦痛な衝動を受けている人物を泣かせることを決していといませんでした。
格言の中でさえ彼は「一夜多き人は善良なり」と言っています。


空はどこに行っても青いということを知るために、世界を回ってみる必要はない。


人が私たちのところに来るのでは、その人を知ることはできない。
人がどうであるかを知るためには、私たちはその人のところへ行かなくてはならない。


自由でないのに、自分は自由だと思っているものほど奴隷になっているものはない。


女の流す涙が多かろうが、少なかろうが、
それで海の水かさが増すわけではありません。
でも、幾千人の女のなかでもひとりでも救われるというのは悪くはありません。
幾千人の男のなかに実のある人がひとりでもいるというのは、まんざらでもありません。


見上げた男!彼を私はよく知っている。
彼は先ず妻を殴っておいて、妻の髪をすいてやる。


しかし、だれが他人に対する自分の優越を
時おり露骨な仕方で主張しないほど教養を積んでいるでしょう。


性癖に打ちかつことはむずかしい。
これに習慣が次第に加わって来て、根をおろすと、もう始末におえなくなる。

ゲーテ

59 :

棺を見て私が衝撃を受けるとでも、思いますか。
働きのある人は、不死の信仰を胸裏から奪い去られることはありません。


すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ。


知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、
学問は非常に阻止される。


沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ。


ユーモアは天才の一要素である。
しかし、それが勝ち過ぎると、天才の代用品に過ぎなくなる。
それは芸術の下落を伴い、ついには芸術を破壊し、滅ぼしてしまう。


空気と光と友人の愛。これだけ残っていれば、気を落とすことはない。


世界歴史の中に生きるものは瞬間を標準とすべきであろうか。
時代を透察し、時代に働きかけるもののみが、語り、且つ詩を作るに値する。


「大衆に逆らおうとするのはだれか。」私は彼らに逆らわない。
彼らの行くにまかせる。大衆は漂い、働き、ぐらつき、
ぶんぶんうなるが、結局は一つになる。


結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上である。
それは乱暴者を穏やかにする。また高い教養のあるものにとっては、
その温情を証明する最上の機会である。
結婚生活は解消し得ないものでなければならない
。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、
それに対しては、個々の不幸なんか、すべてものの数でもない。


適切な真理を言うのに二通りの道がある。
民衆にはいつも公然と、王公にはいつも秘密に言うものだ。

ゲーテ

60 :
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61 :

発明とはいったい何か。求められたものの結末。


大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする。


無秩序を忍ぶよりは、むしろ不正を犯したい。


人は言う、芸術家よ、自然を研究せよと。
しかし、ありふれたものから気高いものを、
形を成さないものから美しいものを展開させることは、小さいことではない。


死後の生の確信は私にあっては、活動の観念の中から生じて来る。な、
せというに、もし私が終生休みなく活動するとしたら、
今の存在の形式が私の精神をもはや持続できなくなった場合、
自然は私に存在の他の形式を指定する義務があるからである。


昨日が曇りなく公明であったら、今日は力強く自由に働け。
そうすれば明日にも希望が持てる。明日も同様に幸福であれと。


かの一は、永遠に一であろう。多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。
一の中に多を見いだせ。多を一のように感ぜよ。
そうすれば、芸術の初めと終わりが得られる。


いつも同じ花ばかりなので、
花よりほかの何かをお送りすることができたら、と思います。
しかし、それは愛についてと同じことで愛もまた単調なものです。


槌でもって壁を叩き、その都度くぎの頭を
間違えずに叩いていると思っている者が少なくない。

ゲーテ

62 :

思考する人間の最も素晴らしい幸福は、
究めうるものを究めた上で、究め得ぬものを心静かに称えることである。


仮説は、建築する前に設けられ、建物が出来上がると取り払われる足場である。
足場は作業する人になくてはならない。
ただ、作業する人は足場を建物だと思ってはならない。


「君は不死を信じているね。その理由をあげることができるかい?」
できるとも。その主たる理由は、私達は不死という考えを欠かすことができぬ点に存する。


「言え、どうしたらスズメを追い払えるかを」と園丁が言った。
「それに、毛虫や、さらにカプト虫の族や、モグラや、
ノミトビヨロイ虫や、貰バチや、ウジ虫ゃ、これら悪魔の子を?」
「そのままにしておけ。そうすれば、たがいに食いつくし合う。」


天才も不滅ではないということほど、凡人にとって慰めになることはない。


大小を問わず、性格とは、
人間が自分のできると感じたことを首尾一貫させることである。


どんな場合にも口論なんぞする気になるな。
賢い人でも無知な者と争うと、無知に陥ってしまう。


一切の生活、一切の活動、一切の技術に先だって、手のわざがこなければならない。
それはただ制限によってのみ得られる。一つのことを正しく知り且つ実行することは、
百通りのことを半ばにやるより、官向い教養を与えるものである。


愚か者と賢い人は同様に害がない。
半分愚かな者と半分賢い者とだけが、最も危険である。


鳥獣はその器官によって教えられる。
人間は器官を訓練し、支配する。

ゲーテ

63 :

適切な答えは愛らしいキスのようだ。


不正なことが不正な方法で除かれるよりは、
不正が行われているほうがまだいい。


支配したり服従したりしないで、それでいて何者かであり得る人だけが、
本当に幸福であり、偉大なのだ。


軍備をととのえながら防御を予定する状態に、
いかなる国家も堪え得るものではない。


文学は、人間が堕落するにつれて堕落する。


古人が既に持っていた不充分な真理を探し出して、
それをより以上に進めることは、学問において、きわめて功多いものである。


私のあやまちを隠すものは、私の主人である。たとえそれが私のしもべでも。


幾何学を知らぬもの、幾何学に疎いものは哲学者の門に入るを許さずということばは、
賢者になるためには数学者でなければならぬ、などということを意味しはしない。


すべての法律は老人と男によってつくられている。
若い人と女は例外を欲し、老いた人は規則を欲する。


それぞれが自分の戸の前を掃除せよ。
そうすれば、町のどの区域も清潔だ。
それぞれ自分の課題を果たせ、そうすれば、市会は無事だ。

ゲーテ

64 :

想像力は芸術によってのみ、特に詩によって制御される。
趣味のない想像力より恐ろしいものはない。


仕事の圧迫は心にとって極めてありがたいものだ。
その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。
仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。
そんな人はどんなに美しい天分も厭(いと)わしく感じる。


完成するためには能力のほかに何よりも機会が必要である。


もちろん、世の中に出ながら、孤独で通そうというのは、
常軌を逸した行為だと思われる。


ふとんの長さに従ってからだを伸ばさぬ者は、足がむき出しになる。


世の中のものはなんでも我慢できる。
幸福な日の連続だけは我慢できない。


常識は人類の護り神である。


詩的作品は、測りきれなければきれないほど、
理知でっかみがたければがたいほど、よりよい。


水車屋は、自分の水車を回転さすためだけに、
小麦ははえると思っている。


大衆に仕える者は、あわれむべき奴だ。
彼は散々苦労したあげく、だれからも感謝されない。

ゲーテ

65 :

人間は、宗教的である間だけ、文学と芸術において生産的である。


ランプの燃えるところには、油のしみがあり、
ロウソクの燃えるところには、燃えさしがある。
ひとり天の光は清く輝いて汚点をとどめない。


素材はだれの前にでもころがっている。
内容を見いだすのは、それに働きかけようとする者だけだ。
形式はたいていの者にとって一つの秘密だ。


反対者たちは、彼らの意見を繰返しておいて、
私達の意見を顧みなければ、私達を否定できると思っている。


人間は行きたいほうへ行くがよい。人間はしたいことをするがよい。
しかし人間は、自然が描く道へ、必ずまた戻ってくるに違いない。


自分を満足さすことは全くまれである。
それだけ、他の人を満足させたということは、一段とうれしいことである。


支配することは容易に学び得られる。治めることは学び難い。


何物も生み出すことのできぬ人にとってのみ、何物も存在しないのだ。


始終自分を他の人と同列に置こうとばかりしなかったら、
人々は互いにもっとよく知り合うだろう。


しかし、私達人間には、次第に進んで自然をうかがうことが、許され、恵まれている。
そして自然は結局測り知り難いという点が私達にとって永遠の魅力を持つのだ。
その魅力のため、私達は繰返し自然にひきつけられ、
繰返し新たな観察と発見とを試みるのである。

ゲーテ

66 :

優れた人でありながら、即席やおざなりには何ひとつできない人がいるものだ。
そんな人はその性質からして、そのつど対象に静かに深く没入せずにいられない。
そういう才能の人は、さしあたり我々の欲しいものが
めったに得られないのでじれったくなる。
しかし、最高のものはこうした方法でのみ作られるのだ。


ものを考える人間の最大の幸福は、探究できることは探究し終え、
探究しがたいことは静かに敬愛するということである。


世の中のいざこざの因(もと)になるのは、
奸策や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢だね。


精神の悩みを癒すには知力では役に立たない。
理性もあまり効果がない。断固たる「実行」のみが一切を癒す。


酒は人の心を喜ばす。そして喜びは、すべての徳の母だ。


我々はみな酔わねばならぬ!若い頃というのは酒がなくとも陶酔の時。
老いて酔えば再び若返る。それほどそれは素晴らしい徳。
毎日の生活の憂さは憂さを生む。その憂さ晴らしをしてくれるのが、
このぶどうの酒だ。


謙虚であることをわきまえている人は、最高のことを企てることができる。


興味の無くなるところ、記憶もまた無くなる。


思慮深い人は、決して敵を侮らない。


自由と存在は、日々それを新たに勝ち取る者のみが、受けるに値する。

ゲーテ

67 :

成就の扉の、開(あ)いているのを見た時は、己達はかえって驚いて立ち止まる。


人生は彩(いろど)られた影の上にある!


検閲を用い、要求するのは権力者であり、
言論の自由を求めるのは身分の低い人たちである。


人間はどんな荒唐無稽な話でも、
聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。
そして、それがすでにしっかり根を下ろしてしまう。
だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。


希望は不幸な人間の第二の魂である。


人間の最大の価値は、人間が外界の事情にできるだけ左右されずに、
それをできるだけ左右するところにある。


一つの才能を持って、一つの才能のために生まれた者は、
その中に彼の最も美しい生存を見出す。


愚者と賢者はともに害がない。半端な愚者と半端な賢者が、いちばん危険なのである。


幸福な瞬間の思い出を呼び返すものは、一つとして無意識ではあり得ない

ゲーテ

68 :

「R、そして成れ!」
──このことをお前がまだ体得しないあいだは、
お前はただ暗い地上の陰気な客にすぎないのだ。


溌剌(はつらつ)と前進してゆく人物は享楽に満足せず、彼らは知識を求める。


自ら創造し得るもの以外には何ら正当な判断を下し得ないものである。


人間らしく幸せにするため、愛は気高い二人を寄せ添わせる。
しかし、神のような歓びを与えるには愛は貴重な三人組をつくる。


心をよみがえらせる泉は、自分の胸中から湧いてこねば、
心身をよみがえらせることはできない。


すべて移ろい行くものは、永遠なるものの比喩にすぎず。


みずから勇敢に戦った者にして初めて英雄をほめたたえるだろう。
暑さ寒さに苦しんだものでなければ、人間の価値なんかわかりようがない。


人間こそ、人間にとって最も興味あるものであり、
おそらくはまた人間だけが人間に興味を感じさせるものであろう。


どんな読者を私は望むか。
私をも自分をも世界をも忘れて、本の中にのみ生きる無私虚心な読者を。


「よく見ると、およそ哲学というものは、常識をわかりにくい言葉で表したものに過ぎない」

ゲーテ

69 :

大学は生活に充分生き生きと働きかけないと言って人々は不平を言う。
しかし、それは大学に関係したことではなく、
学問の取扱い方全体に関係することである。


星のように急がず、しかし休まず、人はみなおのが負いめのまわりをめぐれ!


誠実に君の時間を利用せよ!何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな。


すべては等しく、すべては等しくない。
すべては有益であり、かつ有害である。
すべては語ると同時に無言であり、理性的であると同時に非理性的である。
人が個々の事がらについて表白することはしばしば相矛盾する。


それによってすべてを知るが、結局かんじんなことが何もわからないような本がある。


「明瞭さとは明暗の適当な配置である」ハーマン。傾聴!


月桂冠というものは、どこで御覧になっても、幸福よりも、苦悩のしるしです。


愛人の欠点を美徳と思わないほどの者は、愛しているとは言えない。


無知な正直者がしばしば最も巧妙な食わせ者の手くだを見抜く。


ある女が情熱的に愛されるのを見ている別の女は、
表面上しぶしぶ(しかし内心いそいそと)親友の役を引き受ける。
愛されている友達にかわって、自分がそおっと成り上がる、それも悪くない…
というひそかな思いをほとんど無意識にいだくからである。

ゲーテ

70 :

真の情愛が、若造をたちまち一人前の男にたたきあげるのだ。


私はこれまでの生涯、自分がどんなふうに愛されたいか、理想をいだいてきました。
そして、その成就をいつも妄想に求めたのですが、無駄でした。


われわれは知っている物しか目に入らない。


才能は孤独のうちに育ち、人格は社会の荒波の中で最適に形成される。


常にによい目的を見失わずに努力を続ける限り、最後には必ず救われる。


男は頭でこそ、家事のうまい女を嫁に…と探すが、
心では、空想では、別の魅力にあこがれているものだ。


行為の最中にも思考の余地がある。


経験したことは理解した、と思い込んでいる人がたくさんいる。


はるかな世界と、広い生活を、長い年々の誠実な努力で、絶えず究め、
絶えず探り、完了することはないが、しばしばまとめ、
最も古いものを忠実に保持し、快く新しいものをとらえ、
心は朗らかに、目的は清く、それで、一段と進歩する。


愛は支配しない、愛は育てる。

ゲーテ

71 :

ふたりの愛を深くするには ふたりを遠く引き離しさえすればよい。


涙とともにパンを食べたことのある者でなければ、人生の本当の味はわからない。


人間は利己的でなければならないほど、利己的な人間に隷属させられている。


死とは成熟した自然であり、哲学とは成熟した理性である。


どんなことにも、絶望するより希望を持つほうがよい。
可能なものの限界を測ることは誰にもできないのだから。


自分をひとかどの者に見せたくて、それが明るみに出ることがなければ、
誰だって人様を認めるわけがない。相手が沢山であろうと、一人であろうと。


蚕は糸を紡(つむ)ぐにつれ、だんだん死に近づいてゆくが、
それでも糸を紡がずにはいられないのだ。


偉大なことをなしとげるには、若くなくてはいけない。


自然は絶えず我々と語るが、その秘密を打ち明けはしない。
我々は常に自然に働きかけるが、それを支配する何の力もない。


どんなつまらない雑草でも花でも、懐かしい日記の一片となり得るのである。

ゲーテ

72 :

人間が本当に悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる。


誠実さと信念だけが人間を価値あるものにする。


生活をもてあそぶものは、決して正しい者になれない。


虹だって十五分続いたら、人はもう見向かない。


愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない。


女は決して自分の自然な姿を見せない。
なぜならば女は、自然から生みつけられたままでもきっと人から好かれるものだ、
といういうふうに考えることのできる男ほどのうぬぼれがないからである。

ゲーテ

73 :

外国語を知らない者は、自国語についても無知である。


人間は、努力をする限り、迷うものだ。


楽しく生きていきたいなら、与えるための袋と、受け取るために袋を持って行け。


自信を持つと、他人の信頼も得る。


人が旅するのは到着するためではなく、旅行するためである。


幸福は世にあるものだ。しかし我々はそれを知らない。
いや、知ってはいるが、それを尊重することを知らないのだ。


才能は一人で培(つちか)われ、性格は世の荒波にもまれて作られる。


自由に呼吸することは、人生を孤独にしない。


行動する者はつねに没良心である。省察する者以外、誰も良心がない。

ゲーテ

74 :

身分不相応の生活をするものは馬脚を現す。


誤りは人間しかない。人間におけるひとつの真実は、
誤りを犯し、自分や他人や当事者への正しい関係を見出し得ないことである。


人間は、たがいにぶつかりあいながら、水に浮んでいる壺である。


気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。


誤謬は真理に対して、睡眠が覚醒に対するような関係にある。
誤謬から目覚めて人がよみがえったように、再び真理に向かうのを見た。


今後どんなに奇妙に運命が私を導くかを、とにかく忘れて私は生きたい。


フランス人が礼儀と称するものは、典雅(てんが)にまでやわらげられた高慢である。


生涯の終着点を生涯の出発点と結びつけることができれば、
最も幸せな人といわねばならない。


信仰は、見えざるものへの愛、不可能なもの、ありそうにないものへの信頼である。


二つの平和な暴力がある。法律と礼儀作法がそれである。

ゲーテ

75 :

現在は魅力ある女神なり


なんでも知らないことが必要で、知っていることは役に立たない。


目的が近づけば近づくほど、困難も増す。


僕はどんな時でも自分の好む時に、
現世という牢獄を去ることが出来るという自由感を持っているのさ。


功ばかりでなく誠実さが人格を保ってくれるのです。


本当の自由な心とは「認める」ということである


中途半端にやる習慣を脱し、全体の中に、善いものの中に
、美しいものの中に、決然と生きることを心がけよう。


どこか遠くへ行きたいとあこがれ、あわただしく飛び立とうとしているようだが、
きみ自身にも他人にも誠実であれば、せまい巷(ちまた)もさながら自由の別天地だ。


およそ完全に矛盾したことは、
愚者にも賢者にも等しく神秘的に聞えますからね。
あなた、学芸の道は、昔も今もおんなじだ。

ゲーテ

76 :

キリスト教は計画的な政治革命であったが、
それに失敗してからは道義的なものになった。


同じ経験を繰り返して話をする人に言えることだが、
彼らは経験すべきことの半分も自分が経験していないことを、
いつまでもわかっていない。


人はほとんど知らないときにのみ知っている。
知識(が増える)とともに、疑惑が強まる。


たいていの人間は大部分の時間を、生きんがために働いて費す。
そして、わずかばかり残された自由はというと、
それがかえって恐ろしくて、それから逃れるためにありとあらゆる手段を尽くす。


人が流行と称するものは、瞬間的な伝統である。
そしてあらゆる伝統は、流行と同列になろうとする一種の必然性を備えている。


天上への途はとざされている。
眩そうに上を見て、雲の上に自分に似たものがあるなどと空想するのは
馬鹿もののすることだ。(ファウスト)


白樺の幹や枝にはもう春が息づいているし、樅(もみ)にさえ春の気配がある。
どうして我々のからだにも春が働きかけてこないことがあろうか。(ファウスト)


涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない。

ゲーテ

77 :

長いこと忘れていた戦慄が己を捉える。人間の一切の苦しみが己を捉える。(ファウスト)


人に欺かれるのではない、自分で己を欺くのである。


人間というものは望んで得たものをしっかりと握ってはいないで、
愚かにももっといいものが欲しいと憧れ、
一番すばらしい幸福にもすぐ慣れっこになってしまうのです。(メガイラ)


大層ぽっちゃりしているね。
東洋人なら高い値をつけそうなやつだ。(メフィストーフェレス)


悪い便りは、どんな美しい使者をも醜く見せるというのに、
お前は一番醜い女のくせに、好んで悪いたよりばかりを
持ってきたがるのだ。(ファウスト)


保身が利己主義の鉄則だ。感恩も思慕も、義務も体面もないのだ。
悪徳の勘定書が一杯になると、隣家の火事で自分も
焼き殺されるということを考えないのだ。(皇帝)


人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は、自分自身を嫌う心である。


全く君方の演説は、下手に光っていて内容は空疎
、秋の枯葉の間を吹きわたる湿った風のように気持の悪いものだ。(ファウスト)

ゲーテ

78 :

この一大事業が完成するには、
幾千の手を指図する一つの精神があれば足りる。(ファウスト)


不可能を欲する人間を私は愛する。(マントー)


おん身、不死にして天上に在りて、三つの名称、三つの姿を具え給う者よ。
地上にてはディアーナ、天上にてはルーナ、
地下にてはヘカテーと呼ばるる神よ。(アナクサゴラス)


人格を保とうとなら、手柄だけでは足りません、
忠誠ということがなければ。(パンタリス)


立法者にしろ、革命家にしろ、
平等と自由を同時に約束する者は、空想家か、さもなくば詐欺師だ。


もう何年も前にびくびくもので西も東もわからぬ新入生としてここを訪れて、
髭の先生方を信用して奴らのおしゃべりを有難がった所だが。
(奴らは古い本を手にして知ってる事や
知っていても自分で信じてない事を言って僕を騙し、お互いの生活を台無し)


神様、お裁きください。この身はあなたにお任せ致しております。(グレートヒェン)


私らも根っからの馬鹿ではなかったから、少しは悪いことも時にはやったものだ。
ところが今では世の中がまるで逆になって、
獲物が何一つ、しっかりと捕まえられない。
(成り上り者(第一部・ワルプルギスの夜より))


幽霊に足が無いということは、とうの昔に証明済みのことではないか。
しかるにお前らが我々人間並みに踊っておるとは
全くもって怪しからん。(尻に霊を見る人第一部・ワルプルギスの夜より)


反逆皇帝が出てきたということは、余の利益になる。
今にして初めて余は、余こそ皇帝だということを感ずる。(皇帝)

ゲーテ

79 :

およそ哲学というものは、常識をわかりにくいことばで表現したものにすぎない。


好いたお方を探しに来た土地だ、
化け物さえありがたいのですね。(メフィストーフェレス)


あらゆる理論は灰色で、緑なのは生命の黄金の樹だ。(メフィストーフェレス)


猿にも富籤(とみくじ)が買えたなら、
猿もわが身を仕合せと思うだろうが。(メフィストーフェレス)


法律や制度というものは、永遠の病気の様に遺伝して、
ずるずるべったりに親から子、子から孫へと伝えられ、
国から国へとおもむろに移り動いていく。(メフィストーフェレス)


ファウスト「君は一体何者なのだ?」、
メフィストーフェレス「常に悪を欲し、常に善をなす、あの力の一部です。」


わたしの言葉は耳に聞こえなくても、胸の内には響くはずです。
姿をいろいろと変えて、怖ろしい力を揮うのがわたしです。(憂い)


いのちというものは血の中に動いてるのだが、
その血が最も活発な動きを見せるのが青年ではありませんか。(得業士)


私があやまつと、だれでも気づく。うそをつくと、だれも気づかない。

ゲーテ

80 :

ライプツィヒは良いところだ。小パリと呼ばれるもむべなるかな。
ここに住んでいると洗練されるからねぇ。(フロッシュ)


人間という、この世の小さな神さまは、昔からずっと同じ性質で、
天地創造の日以来、奇妙なことをやり続けています。(メフィストーフェレス)


己は神々似ておらぬ、成程よくわかった。
塵の中にうごめき、塵を喰って生きていて、人の足に踏まれて埋め殺される蛆虫、
己が似ているのはその蛆虫なのだ。(ファウスト)


マシだということは、まず大抵はうぬぼれと短慮ということなのですよ。(ファウスト)


過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じではないか。(メフィストーフェレス)


おこがましくも博士だのと名乗って、もうかれこれ十年間も
弟子どもの鼻面を縦横無尽に引き回してはきたものの、、、
さて、とっくり分かったのが、人間、何も知ることは出来ぬということだとは。(ファウスト)


さようでございますな。技芸の道は長く、人生は短し、で。(ワーグネル)


正直のところを申さば、これほどの美人があろうか。
こういう美人が出てきたのでは、どれほど弁舌が冴えていても、
どうにも形容の言葉がない。(天文博士)


この国が危難の中から危難の中へと生み落した、自由の精神と限りない勇気を持ち、
自らの血潮を流すことを厭わない人々に―抑えがたい神聖な志操を
持って戦うすべての人々に戦勝を得させよう。(エウポリオーン)


ここはまあなんたる牢獄だ。
自分も退屈し、学生たちをも退屈させる。(メフィストーフェレス)

ゲーテ

81 :

ねえ、不正なものは、どんなに立派なものにしろ身のためにならないんですよ。
これは聖母様にお供えしてしまおう。
そうすれば天国の蜜が頂戴できるんだから。(グレートヒェンの母)


時よ止まれ、汝は余りにも美しい!(ファウスト)


ローマ帝国なんか気にすることはないということを、毎朝神に感謝しろよ。
己も自分が皇帝や宰相なんかでなくって、
本当によかったと考えているんだ。(ブランダー)


よろしい、底の底を究めてみようか。
君のいわゆる虚無の中に万有が見出されるだろう。(ファウスト)


悪魔は年寄りだ、歳をとったら悪魔の言うこともわかるでしょう。(メフィストーフェレス)


望んでいたものを手に入れたと思い込んでいるときほど、願望から遠く離れていることはない。


この小さなおてんば娘を引っ張っていって、手籠めにしてやろう。
自分の楽しみ、喜びのために、あばれるこの娘を抱き締めて、
いやがる口に接吻してやるのだ。
そうしてぼくの力と心意気を見せてやるのだ。(エウポリオーン)


永遠に生きて働く生成するものが、愛のやさしい柵でお前たちの周囲を包み、
揺らめく仮象となって漂うものを、
お前たちは渝(かわ)ることなき理念で繋ぎとめるのだ。(主)


ひとりの人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません。


最高なことは、一切の事実は既に理論であるということを理解することであろう。
空の青い色は色学の原則をわれわれに示している。
現象の背後にものを求めようとするな。現象そのものが学理なのだ。

ゲーテ

82 :

どんな賢明なことでも既に考えられている。
それをもう一度考えてみる必要があるだけだ。


不正なことが、不正な方法で除かれるよりは、
不正が行われている方がまだいい。


処世のおきて:気持ちの良い生活を作ろうと思ったら、
済んだことをくよくよせぬこと、滅多なことに腹を立てぬこと、
いつも現在を楽しむこと、
とりわけ、人を憎まぬこと、未来を神にまかせること。


「完全は天ののっとるところ、完全なものを望むのは、人ののっとるところ。」


最上のこと:もはや愛しもせねば、迷いもせぬ者は、埋葬してもらうがいい。


あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。
前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔を作る。


山と谷を越え、迷いに迷いをかさねたのち、再び広野に出るが、
そこはまたあまりに広すぎて、いくばくもなくまた新たに迷路と山を求める。


批評に対して自分を防衛することはできない。
これを物ともせず行動すべきである。
そうすれば、次第に批評も気にならなくなる。


賢い人々は常に最上の百科全書である。


何かを非難するには、私は年をとり過ぎている。
だが、何かをなすだけの若さは、いつでも持っている。

ゲーテ

83 :

本で読んだ真理も、われわれはあとで自身で考え出さねばなりません。
頭のはちの中は種子がいっぱいはいっていますが、
それにたいして感情が初めて培養土と培養ばちの役をするのです。


なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする。


頭がすべてだと考えている人間の哀れさよ!


鉄の忍耐、石の辛抱。


虹だって十五分も続いたら、人はもう見むかない。


何事につけても、希望するのは絶望するのより良い。


すべての階級を通じて、一段と気高い人は誰か。
どんな長所を持っていても、常に心の平衡を失わぬ人。


人が実際の値打以上に思い上がること、
実際の値打以下に自分を評価すること、共に、大きな誤りである。


仕事の圧迫は心にとってきわめてありがたいものだ。
その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。
仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。
そんな人はどんなに美しい天分もいとわしく感じる。


利己的でない好意的な行いが、最も高い最も美しい利子を生み出す。

ゲーテ

84 :

三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることもなく、やみのなかにいよ、
その日その日を生きるとも。


博学はまだ判断ではない。


集会:ある大きな集会からある時、静かな学者が帰宅した。
「いかがでした?」と尋ねるとー
「あれが本だったら、わしは読まないだろう」と彼は答えた。


キリスト教は、政治的革命を企てたが、失敗したので、
のちに道徳的なものになった。


この世の、すべてのものは、泡沫にすぎない。


誉めれば間違いだし、謗ればなお悪い。君がそのことをよく理解していない時には。


これですべての片がついたね。私はお前のもの、お前は私のもの。
私たちはこんな風に結ばれ合った。これが最も望ましい状態だ。(ファウスト)


国王であれ、農民であれ、家庭に平和を見いだせる者が、最も幸せである。


自由だと勘違いしている者より悲惨な奴隷にされる者はいない。


ゲーテ

85 :

人口が増えて、皆それぞれに生活を楽しみ、それのみか教養を身につけ、学問をする、
結構なことに違いないが――結局謀反人を養い育てるだけのことではないか。(ファウスト)


起て、学徒よ。誓って退転せず、塵の世の胸を暁天の光に浴せしめよ。(ファウスト)


人間の声を聞くと、忽ち胸糞が悪くなる。
神々になろうと一生懸命だが、
いつになっても一箇所で足踏みをしているという哀れな代物だ。(ネーレウス)


物事に拘泥せぬ心から出た善行は、大きく実るものでございます。(ファウスト)


神様というのは、信ずる人次第だ。
だから神様は、ああもたびたび嘲りの対象になった。


試練は年齢と共に高まる。


太陽が照れば塵も輝く。

ゲーテ

86 :

人類ですって?そんなものは抽象名詞です。
昔から存在していたのは人間だけです。
将来も存在するのは人間だけでしょう。


奇妙な身振りをして、人は浮き身をやつす。
何かになろうという人はなく、みんなもう何かになったつもりでいる。


今日と明日の間には長い期間が横たわっている。
君がまだ元気なうちに早く処理することを学べ。


人間のあやまちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする。


気分がどうのこうのと言って、なんになりますか。
ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。
・・・きょうできないようなら、あすもだめです。
一日だってむだに過ごしてはいけません。


人が苦悩の中に黙している時、私の悩みのほどを言う力を、
神様は私に与えてくださった。


われわれはだれにも汚れた生活境遇を望むべきではない。
しかし、偶然それに落ち込んだものにとっては、
汚れた生活も、性格と、人のなし得る極限との試金石である。


社会が死刑を命じる権利を放棄すれば、すぐにまた自衛が登場する。
血の復讐がドアをノックする。


人が君の議論を認めない場合も、忍耐を失うな(コーランから)


若者よ、精神と感覚ののびるうちに、心せよ、
芸術の神は君の道づれにはなるが、君を導くことはできないことを。

ゲーテ

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88 :
>>87
貰ったけどアプリは速消し

89 :
昭和美人
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90 :

砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。


君という人間は君の行為自体の中に宿っている。
君の行為こそ君なのだ。もうそれ以外のところに君はない!


探しているものは、たった一輪のバラやほんの少しの水の中にも見つかるはずだ。


僕の命を救ったのは、他でもない。このささやかなほほ笑みだったんだ。


やはりお前は、お前の生命を投げ出させるものによってしか生き得ないのだ。
死を拒否する者は、生命をも拒否する。


人類が最後にかかるのは、希望という病気である。


おとなは、だれも、はじめは子供だった。
しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。


人間はね、急行列車で走りまわっているけれど、
何を探しているのか自分でもわかっていない。


人間であるとは、まさに責任を持つことだ。
自分には関係がないような悲惨を前にして、恥を知ることだ。


ぼくがこれほど、あなたに執着しているのは、
たぶんあなたを、自分で勝手につくりあげているからだ。

サン・テグジュペリ

91 :

生きながらえるためには、服従すべきであり、
存在しつづけるためには、戦うべきである。


計画のない目標は、ただの願い事にすぎない。


もし誰かが、何百万もの星のなかのたったひとつの星にしかない一本の花を
愛していたなら、そのたくさんの星をながめるだけで、その人は幸せになれる。


歩みだけが重要である。
歩みこそ、持続するものであって、目的地ではないからである。


真実の愛は無限です。与えれば与えるほど大きくなる。


一滴の水が、どうして己を大河と知るであろうか?
だが大河は流れているのだ。
樹木を作る細胞の一つ一つが、どうして己を樹木と知るであろうか?
だが、樹木は伸び広がっているのだ。


どこにでも好きな方に歩いていける。ぼくは自由だ… 
だが、この自由はほろ苦かった。
世界と自分が、どれだけつながっていないかを思い知らされた。


真の意味でぼくを豊かにしてくれたのは、ぼくが受け取ったものより
多くのものを与えた場合だけだった、ということを認めなければなりません。


征服とは、おまえの内部に、おまえを通して、おまえ自身を築きあげることである。


人間は自分がすでに自分のうちにいだいている世界にしか気づかぬものである。

サン・テグジュペリ

92 :

僕にあっては飛行機は自分を創り上げる手段だ。
農夫が鋤(すき)を用いて田畑を耕すように、
僕は飛行機を用いて自分を耕すのだ。


手に入れたものによってと同様、失ったことを惜しむもの、
手に入れたいと望むもの、喪失を嘆くものによっても、
導かれ、授乳され、成長させられる。


労働の一部は身を養いますが、他の一部は人間を築きあげるのです。


みんなぼくを信頼してくれているのだ。
もし歩かないとしたら、ぼくはならず者だ。


人間は固い水晶に穴を穿(うが)ちながら、ゆっくりとすすんでゆく。


人は、障害に向き合った時、自らを発見する。


私が疑うことのできぬ唯一の勝利は、種子の力の中に宿る勝利だ。
黒い大地の中に蒔かれた種子は、すでにして勝者だ。
しかし、小麦に宿るその勝利に立ち会うためには、時の流れが必要なのだ。


少年は生活に直面することを恐れない。
嫉妬、裁判、人生の悲しさ、これらがすべて苦にならない。


大地を耕す事を通じて農夫は少しずつ自然のあらゆる秘密を引き出す。
その鍬によって掘り出した真実は普遍的です。

サン・テグジュペリ

93 :

船を造りたかったら、人に木を集めてくるように促したり、
作業や任務を割り振ることをせず、はてしなく続く広大な海を慕うことを教えよ。


生命力のあるものは、生きるために、創造するために、
自らの法律を生活するために、あらゆるものをけちらかすものなのだ。
それは防ぎようのないことだ。


他人の心を発見することで、人は豊かになる。


星が空で光っているのは、
皆がいつか、自分の星を見つけて帰ってくるためなのかなぁ。


愛とはなによりもまず、沈黙のなかで耳を傾けることである。


他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい。


心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
肝心なことは、目には見えないんだよ。


真の贅沢というものは、ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ。


完全に孤立した人間は存在しない。


でも、人に感心されることが、なんで、そうおもしろいの?

サン・テグジュペリ

94 :

ものごとの意味は、それ自身に内在するのではなく、
ものごとに対する我々の姿勢のなかにある。


機械は人間を偉大なる自然の問題から分離させないであろう。
むしろさらに深刻な問題で人間を悩ませることであろう。


人間たちはもう時間がなくなりすぎて、
ほんとうには、なにも知ることができないでいる。
なにもかもできあがった品を、店で買う。
でも友だちを売ってる店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない。


人間は充実を求めているのであって、幸福を求めているのではない。


本当の贅沢というものは、たったひとつしかない。
それは人間関係に恵まれることだ。


ぼくたちは、たとえどんな小さなものであろうと、
自分の役割を自覚したときにだけ、幸福になれる。


利害を越えた究極の目的を人と共有する時、
初めて心のままに生きることができる。


本当の愛は、もはや何一つ報酬を望まないところに始まるのだ。


愛とは、互いに見つめ合うことではない。ふたりが同じ方向を見つめることである。


いったん出来事のうずの中に身をおいてしまえば、
人はおびえないものだ。人を不安にさせるのは、未知のことだけだ。

サン・テグジュペリ

95 :

愛と所有の陶酔とを混同してはならない。所有の陶酔は最悪の苦しみを伴う。
人々は愛に苦しめられるのだと思っているが、
そうではなく、その反対のものである所有欲に苦しめられるのである。


これほどたくさんの星があっても、夜明けの香り高い一杯の
コーヒーをぼくたちに用意してくれるのは、この地球だけだ。


人間は、障害にむきあったときに、自らを発見するのだ。


わかるだろうか・・・人生には解決なんてないのだ。
ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。
そういうエネルギーをつくりださねばならない。解決はそのあとでくる。


事件の渦中に入ってしまうと、人間はもはやそれを怖れはしない。


人に好かれるには、同情しさえすればいい。
でも、ぼくはめったに同情しないし、同情しても隠すことにしている。


あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう。


真理とは発見するのではない。創造するのだ。


ほかの人たちが成功したことなら、自分もきっと成功できるはずだ。


心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。
心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある。

サン・テグジュペリ

96 :

努めなければならないのは、自分を完成させることだ。


地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。


ひとりの人間の死とともに、未知の世界がひとつ失われる。


完璧がついに達成されるのは、何も加えるものがなくなった時ではなく、
何も削るものがなくなった時である。


不思議なことが多すぎると、それに逆らおうなんて気がしないものだ。


人間であることは、自分の意志をそこに据えながら
世界の建設に参加しているのだと感ずることである。


雷雨や、濃霧や、雪などが、ときどききみに難儀をさせるかもしれないが、
そんなとききみは、自分以前にこれに出会った人たちのことを思い出すのだ、
そして自分に言ってきかせるのだ、他人がやりとげたことは、自分にも必ずできるはずだと。


生命の歓喜が、ぼくにとっては、この香り高くて熱いひと口、
この牛乳とコーヒーと小麦粉の混合物に、集中されているのであった。
それを通じて人は、平和な牧場とも、異国風な耕地とも、収穫とも合体し、
それを通じて人は、全地球とも合体するのであった。

サン・テグジュペリ

97 :

61ひとは一度なにかを選び取ってしまいさえすれば、
自分の人生の偶発性に満ち足りて、それを愛することができる。
偶然は愛のようにひとを束縛する。


人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。


長い年月、人は肩を並べて同じ道を行くけれど、
てんでに持前の沈黙の中に閉じこもったり、
よしまた話はしあっても、それがなんの感激もない言葉だったりする。
ところがいったん危険に直面する、するとたちまち、人はおたがいにしっかりと肩を組みあう。


人は発見する。おたがいに発見する。おたがいにある一つの共同体の一員だと。
他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする。
人はなごやかに笑いながら、おたがいに顔を見あう。
そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に。


何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない。
旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、
ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、
あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。


物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。
人はそこへ孤独の自分を閉じこめる結果になる、
生きるに値する何ものをも購うことのできない灰の銭をいだいて。


未来とは、あなたが予知しようとするものではなく、自分で可能にするものだ。


あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、
そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ。


心の中に一輪の花を持っている。
この世の中に花はたくさんあるけれど、自分が大事にするたったひとつの花がある。

サン・テグジュペリ

98 :

自分の内側を見てみても、ぼくは自分以外のものと出会ったことがない。


救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ。


心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ。


純粋論理学は精神の破滅です。


砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。


技術学校の劣等生でも、自然やそこに行われる法則についてなら、
デカルトやパスカル以上のことを知っている。
だがはたして、彼に、あの二人と同じほどの精神力があるだろうか?


今日では、種族全体に活を入れるために、
少量の血を流すなどいうことはなくなっている。
飛行機と爆弾とでなされるようになってから、
戦争は、一種血まみれな外科手術でしかなくなってしまった。


つまり、ぼくらは解放されたいのだ。
つるはしをひと打ち打ちこむ者は、自分のそのつるはしのひと打ちに、
一つの意味があることを知りたく願う。
しかも徒刑囚を侮辱する徒刑囚のつるはしのひと打ちは、
探検者を偉大ならしむる探検者のつるはしのひと打ちとは、全然別のもの。


人は彼らに教育は与えるが、修養は与えない、
教養の意味を、もっぱら公式を鵜呑みにすることだと
信ずるような厄介な意見が行われることになる。


なぜ憎みあうのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、
同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、
各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、
これがおたがいに憎みあうにいたっては言語道断だ。

サン・テグジュペリ

99 :

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、
ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、
そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、
なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。


おたがいにコンクリートの壁で作った隠れ家の中にひそんで、
仕方なしに毎晩毎晩編隊を送っては、相手の心臓部を爆撃し、
その生命の根源を破壊し、その生産と流通を不随ならしめる。
勝利は最後に腐るほうの側にある。
しかも双方とも、たいていは同時に腐ってしまうのだ。


戦争はぼくらを欺く。憎悪は、競争の昂揚に、何ものをも加えはしない。


イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう?
すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。
しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。
それに人間は、いたるところぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。


人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。
人間であるということは、自分に関係がないと思われるような
不幸な出来事に対して忸怩たることだ。
人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。
人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、
世界の建設に加担していると感じることだ。」


現代技術のあまりにも急速な進歩に恐れをいだく人々は、
目的と手段を混同しているようにぼくには思われる。
単に物質上の財宝をのみ希求している者に、
何一つ生活に値するものをつかみえないのは事実だが、
機械はそれ自身がけっして目的ではない。


人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、
それに向って挑みかかる者にとってはすでに未知ではない、
ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと。


もとより人間を、左翼の人と右翼の人、せむしと非せむし、
ファシストとデモクラートに、区別することはできよう。
しかも、このような区別は、非難しがたいものなのだ。


ただ、本然というものは、諸君も知られるとおり、
世界を単純化するものであって、けっして混沌を創造するものではない。
本然というのは、全世界に共通なものを引き出す言葉なのだ。

サン・テグジュペリ

100 :

戦争を拒まない一人に、
戦争の災害を思い知らせたかったら、彼を野蛮人扱いしてはいけない。
彼を批判するに先立って、まず彼を理解しようと試みるべきだ。


理屈はどんなことでも証明する。
世界に起る不幸を、せむしたちのせいだとかたづける男にも理屈はあるのだ。
ぼくらがもし、せむしに対して宣戦したとしたら、
ぼくらはやがて、彼らに対して激昂する理由を見いだすだろう、
つまりぼくらは、せむしたちの罪悪に復讐して戦うわけだ。


生きる、ということは徐々に生まれることである。


愛と所有の陶酔とを混同してはならない。所有の陶酔は最悪の苦しみを伴う。


僕がこんなに、あのバラのことが気になるのは、
バラが僕のことを愛してくれたからじゃない。
僕が、バラのことをたくさん世話したからなんだ。


僕ら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。
理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。


君が自分でなじみになったものに対して、
君はずっと責任があるんだからね。君は君のバラに対して責任があるんだよ……。


君が君のバラのために失った時間こそが、
君のバラをかけがえのないものにしているんだよ。

サン・テグジュペリ


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