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末法燈明記の作者は最澄か?


1 :2017/11/15 〜 最終レス :2020/06/13
「末法には、ただ名字(みょうじ)の比丘のみあり。
この名字を世の真宝となして、さらに福田なし。
末法の中に持戒の者有るも、すでにこれ怪異なり。市に虎有るが如し。これ誰か信ずべきや」
『末法燈明記』

2 :
十二縁起(じゅうにえんぎ)は、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という。
また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。
順観と逆観の両方を行って、人間のありように関する因果の道理を明らかにした結果、因果の道理に対する無知が苦悩の原因であったと悟る。
その際には苦悩が消滅し、根源の無明が消滅しているため輪廻もなくなるとされる。

無明(むみょう、巴: avijj?, 梵: avidy?) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。
行(ぎょう、巴: sa?kh?ra, 梵: sa?sk?ra) - 志向作用。物事がそのようになる力=業
識(しき、巴: viññ??a, 梵: vijñ?na) - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
名色(みょうしき、n?ma-r?pa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
六処(ろくしょ、巴: sa??yatana, 梵: ?a??yatana) - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意
触(そく、巴: phassa, 梵: spar?a) - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。
受(じゅ、vedan?) - 感受作用。六処、触による感受。
愛(あい、巴: ta?h?, 梵: t????) - 渇愛。
取(しゅ、up?d?na) - 執着。
有(う、bhava) - 存在。生存。
生(しょう、j?ti) - 生まれること。
老死(ろうし、jar?-mara?a) - 老いと死。

3 :
35歳のシッダールタは、ガヤー地区(英語版)のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜の布施を受け、
体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)。
この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起と十二因縁を悟った。
悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかをその後28日間にわたって
考えた。
その結果、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。
3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた五人の沙門に説こうと座を立った。

4 :
パーリ律蔵の『マハー・ワッガ』(和訳:『南伝大蔵経』第3巻)
梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいる
ことを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)
釈迦がヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに無師独覚を話したが軽く受け流されている。
これは仏法を説いたことにはなっていない(ウパカは後、釈迦に帰依して出家した)。
…自らが阿羅漢であったことを表明した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法を為した。
このとき説かれた教えは四諦八正道であったとされるが、後代に編まれた経論、経解ほど中道、三十二相、三転十二行相など様々に脚色される。
5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。
また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。
伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。
釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五比丘に五蘊無我の修習を指導した。五人は阿羅漢果(四沙門果の第四)に達したとされる。

5 :
摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)
サンスクリット語ではマハーヴァイローチャナ、すなわち「偉大な光照者」。空海の開いた真言宗において、最も重要なブッダです。
弘法大師(空海)によると、あらゆる宗教における神や悪魔は、すべて大日如来の現れであり、大日如来の身体は宇宙そのものだといいます。
同時に、1粒の微塵の中にも大日如来は存在すると考えられており、大日如来は、白蓮華に坐して瞑想を行っている姿で、マンダラの中心に描かれます。
大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。
 大日如来の名前は、大日の智恵の光が、昼と夜とで状態が変化する太陽の光とは比較にならないほど大きく、この世の全てのものに智恵の光をおよぼして、あまねく一切を照らし出し、
また慈悲の活動が活発で不滅永遠であるところから、特に太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名づけられています。

大日如来(だいにちにょらい、または毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ))、梵名 マハー・ヴァイローチャナ(????????? [mah?vairocana])は、密教において信仰される尊格。

摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれる[2]。なお、宇宙とはあらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がり、および宇宙空間を指す

それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり。
(如来の説法は必ず文字によっている。文字のあるところは、六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)の対象をその本体とする。この六種の対象の本質は、宇宙の真理としての仏の身体・言語・意識の三つの神秘的な働きこそがそれである。

6 :
したい【四諦】

仏教で説く四つの真理(諦,サティヤsatya)のこと。四聖諦ともいう。仏教の開祖である釈迦は,ブッダガヤーの菩提樹下でこの四諦の真理を,あるいは十二因縁という縁起の法を悟ったといわれる。四つの真理とは苦諦,集諦(じつたい),滅諦,道諦の四つをいう。
苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦であるという真実
集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実
滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ
道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ
苦滅道諦, くめつどうたい)とは、「苦を滅する方法・実践修行がある」という真理。これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である。その七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程が八正道である。

大乗の『大般涅槃経』の四諦品(したいぼん)では、通常の四諦に
新しい大乗的な解釈を加えた、涅槃の教理的な四聖諦を説いている。
苦聖諦
この世の苦を明らかに徹見し、如来常住の真理を会得すること。
また常住の法身を信じないことが生死の苦の根源であると知ること。
集聖諦
苦の根源は煩悩妄執であることを徹見し、それに対して如来の深法は常住にして不変易であり、窮まりないと證知すること。また非法を先とし正法を断滅
することが生死の苦悩を受け集める原因であると知ること。
滅聖諦
苦の原因である一切の煩悩を除き、苦を滅することが悟りの境地であるが、
如来の秘密蔵(ひみつぞう)を正しく知り修智(しゅち)すれば、煩悩が
あっても除くことができる。また、衆生の一人一人が自己に内蔵する如来蔵(にょらいぞう)(仏性)を信ずる一念が苦を滅するということ。
道聖諦
仏道修行を通して一体三宝(仏法僧は差別なく一体である)と解脱涅槃の常住不変易を知り、修習すること。また如来が常住不変易であるから、三宝の一体、解脱は涅槃経の2つも常住不変易であると知ること。

7 :
八正道(はっしょうどう、巴: ariya-a??ha?gika-magga, 梵: ?rya-a????gika-m?rga)は、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のこと

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中無色、
無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智・亦無得。以無所得故。
菩提薩タ、依般若波羅蜜多故、心無ケ礙、無ケ礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、
究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、
能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
般若心経

8 :
観音菩薩が、
深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊はすべて〔いかなる本質、実体をも〕欠いていると明らかに見て、
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。

『解深密経』(げじんみっきょう、梵: Sa?dhi-nirmocana S?tra, サンディ・ニルモーチャナ・スートラ)は、中期大乗仏教経典の1つ。
原題は、「サンディ」(sa?dhi) が「結合・連結」、「ニルモーチャナ」(nirmocana)が「解放」(「解脱」)、「スートラ」(s?tra) が「経」、総じて「解放(解脱)へとつながる経」の意。
唯識派(ゆいしきは)もしくは、中国(唐)・日本の法相宗の所依の経典の一つで、唯識思想を初めて説いたといわれる経典である。また、序品を除いて、
ほとんどが『瑜伽師地論』第75-78巻に引用され、さらに『摂大乗論』『成唯識論』などに引用されて、後世への影響が大きい。

阿頼耶識あらやしき    仏教の唯識説にいう第8番目の識。識とは純粋の精神作用をいう。
すべての存在は元来実体のないもので,「空」であるが,万有は「識」の顕現
したものにほかならないとする唯識説では,思量の働きをする末那識 (まなし
き) が,万有を生じる可能力から成る阿頼耶識を対象として我執を起すとする
。阿頼耶識は万有を成立せしめる可能力をそなえているので,種子識 (しゅうじしき) ともいう。
《〈梵〉?laya-vijñ?naの音写と訳との合成》仏語。唯識説で説く八識の第八
。宇宙万有の展開の根源とされる心の主体。万有を保って失わないところから
無没識、万有を蔵するところから蔵識、万有発生の種子(しゅじ)を蔵する

阿頼耶識を煩悩ぼんのうをもつとするか、真如とするかは説によって分かれる。
サンスクリット語でアーラヤ・ビジュニャーナlaya-vijnaという。アーラヤは
住所、ビジュニャーナは認識の意味である。仏教の瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆ
いしき)学派(単に瑜伽行派または唯識学派ともいわれ、中国と日本では法相宗(ほっそうしゅう)とよばれる)のたてる根源的認識。

9 :
この学派は、眼(め)、耳、鼻、舌、身、意による六認識と、アーラヤ識を自我
と誤認する自己執着である末那(まな)識と、アーラヤ識との八識をたてる。前
七識が表層的、意識的であるのに対し、アーラヤ識は深層心理的、無意識的な
認識である。アーラヤ識は前七識とその表象、つまり自我意識、意識ある存在
者、自然などのあらゆる認識表象を生み出すとともに、それらの表象の印象を自己のうちに蓄えるから、種子に例えられる。アーラヤ識は種子として刻々に
変化しながら成長し、成熟すると世界のあらゆる現象を生み出し、その果実と
しての印象を種子として自己のなかに潜在化する。世界は外的な実在ではなく、個体の認識表象である。

〈涅槃寂静〉に関して小乗論師たちは,涅槃とは何か,釈迦の本質は何か,一
般修行者の究極的到達点である阿羅漢(羅漢)の境地とは何か,涅槃に至る過程は何か,などの点について詳細に研究し,その思索を発展せしめた。…

…〈般若経〉に説かれる空の思想を受け継ぎながら,空を虚無主義ととらえる
傾向を是正しようと,ヨーガの実践を好む人びとによって説かれ,〈あらゆる
存在は心がつくり出した影像にすぎない〉という禅定体験に基づいているとさ
れる。この説の特徴は,従来の6種の識(眼,耳,鼻,舌,身,意の六識)のほ
かに,あらゆる表象としての存在を生み出す根本識として,そのメカニズムを
担う種子を蔵しているアーラヤ識(阿頼耶識(あらやしき))と,根源的な自我
執着意識である末那識(まなしき)との二つの深層心理を立てたことである。
また,存在のあり方を認識主観とのかかわりによって遍計所執性(へんげしよしゆうしよう)(主客として実在視されたあり方),依他起性(えたきしよう)
(縁起によって生じている相),円成実性(えんじようじつしよう)(主客の実在視をはなれた真実のすがた)の三つに分ける三性説,およびそれを否定的に表現した三無性説も唯識説独自の思想である。…

10 :
楞伽経りょうがきょう
大乗仏教経典。
如来蔵思想と唯識思想の合流した後期大乗経典。三界唯心・法身常住などを説く。「入楞伽経」一〇巻など3種の漢訳が現存する。
人間の迷いの根源は,無限の過去からの潜在印象 (習気) によ
って,万物がただ自分の心の現れであること (三界唯心) を知らないでこれに
執着しているからであるという主張を中心に,仏教諸学派の学説を豊富に採用している。この経典は禅宗では特に重んじられた。

舞台をランカー島(スリランカ)にとり、そこの魔王ラーバナを教化するとい
う構想をもっている(これはインドの叙事詩『ラーマーヤナ』の主題を換骨奪
胎したもの)ところからその題名(ランカーに入る)を得た。五法・三性(さ
んしょう)・八識(はっしき)・二無我(むが)によって唯識(ゆいしき)説を説く
ことを標榜(ひょうぼう)しているが、全体として空性(くうしょう)説に基づき
、唯心(ゆいしん)、如来(にょらい)蔵を説くほか、種々の教説が雑多に述べら
れている。後期成立の経典として、大乗の総合を目ざしたものであろう。その
教理を「仏語心」(仏の教えの心髄)と称し、自覚聖智(じかくしょうち)によ
るその体得を強調している。後代インドで、中観(ちゅうがん)、瑜伽行(ゆが
ぎょう)両派から尊重され、ネパールでは九種大経の一つに数えられて、梵(ぼん)本が伝承された。

11 :
如来蔵経にょらいぞうきょう
仏教経典。サンスクリット語でタターガタガルバ・スートラTathgatagarbhastraという。『勝鬘経』、『涅槃経』などと共に、中期大乗仏教を特徴付ける如来蔵思想を説く代表的な経典。
原題は、「タターガタ」(tath?gata)が「如来」、「ガルバ」(garbha)が「蔵」、「スートラ」(s?tra)が「経」であり、総じて「如来を内部に宿すもの(如来蔵)についての経典」という意味になる。
成立は、龍樹よりのちの、3世紀中ごろと推定されている。
すべての衆生(しゅじょう)が煩悩(ぼんのう)にまとわれているにもかかわらず、「如来蔵」すなわち如来たるべき本性(=仏性)を内に宿しているといことを、
〔1〕蓮華(れんげ)の台(うてな)に安坐(あんざ)する如来、
〔2〕蜜蜂(みつばち)に囲まれた蜜、〔3〕外皮に包まれた穀物、
〔4〕汚物中の金、〔5〕地中の宝蔵(ほうぞう)、〔6〕種子から生ずる大樹、
〔7〕ぼろにくるんだ仏像、〔8〕王子を懐胎する貧女、〔9〕泥模(でいも)中の鋳像という9種の譬喩(ひゆ)によって説く小部の大乗経典。
いわゆる如来蔵思想を最初に提唱した経典として重要。3世紀ごろの成立で、漢訳2種とチベット訳が現存する。

12 :
阿頼耶識
唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識のうち第8番目で、人間存在の根本にある識であると考えられている。
天台宗では阿摩羅識を加えて九識、真言宗ではさらに乾栗陀耶識を加えて十識とする。
ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる。
またそうして生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)する。
この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが、その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる。諸法の種子を内蔵している点からは「一切種子識」、
過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは「異熟識」、他の諸識の生ずる基である点からは「根本識」(m?la-vijñ?na)、身心の機官を維持する点からは「阿陀那識」、天台宗では末那識の別名)と呼ばれる。
心に積集、集起の2つの義があって、阿頼耶識は諸法の種子を集め、諸法を生起するので、心という。

阿摩羅識(あまらしき、梵:amala-vijñ?na、菴摩羅識とも)は、大乗仏教の論の一つ。
唯識思想(法相宗)では、八識を説く。 すべては阿頼耶識より縁起するとし、主に迷いの世界であるが悟りも阿頼耶識より生じるとする。 一方、心は本来清浄であるとする如来蔵思想があった。
これらの思想を止揚するため、天台宗や華厳宗などの法性(ほっしょう)宗は、この阿摩羅識を加えて新たに九識を立てた。
天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、
すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である。
なお、法相宗では玄奘がこの説に対し摂論を釈して、第八の阿摩羅識のみを立てて、それは阿頼耶識の果上に至りし時の名称であり、また阿頼耶識が無垢になったものであるとするので九識を別に分けて立てない。

13 :
乾栗陀耶識けんりつだやしき
確かに悪念は末那識から出るものですが、阿頼耶識はその悪念を経験として蓄積し、汚れる可能性があります。ならば、悪念のない無垢な阿頼耶識、というものがありうるはず。天台宗や華厳宗では、それを阿摩羅識という第九識とします。別名「仏性」と呼ばれるものです。

さらに真言宗では、個々人の仏性の奥にある真の根源として、第十識すなわち乾栗陀耶識を立てます。

@京都板じゃないよ:2017/10/29(日) 04:36:45.55 ID:Uz6a/Zgzk[2/3]
滅尽定(nirodha-sam?patti)では、有頂天にもとづき心と心所法は決められた間において止滅する。
大般涅槃経では、釈迦は入滅にさいして第一禅定と想受滅のあいだを上下し、第四禅定から出定したのち般涅槃に入ったとされている。
滅尽定は煩悩を滅して心を完全に清らかにした阿羅漢でなければできない禅定

生飯偈(さばげ)

偈文


汝等鬼神衆 (にょとうきじんしゅ)
あなたたち鬼や神たちよ

我今施汝供 (がこんせにょくー)
私は今あなたに施しをして供養します。

此食遍?十方 (しじきへんじっぽう)
この食事をあまねく全世界に行渡らせ、

一切鬼神供 (いっさいきじんくー)
すべての鬼と神に捧げ供養します。

14 :
懴悔文(さんげもん)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞう しょあくごう)

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむし とんじんち)

従身語意之所生(じゅうしんごい ししょしょう)

一切我今皆懴悔(いっさいがこん かいさんげ)

五大願(ごだいがん)
衆生無邊誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

福智無邊誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)

法門無邊誓願覺(ほうもんむへんせいがんがく)

如来無邊誓願事(にょらいむへんせいがんじ)

菩提無上誓願證(ぼだいむじょうせいがんしょう)


舍利禮(しゃりらい)

一心頂礼 万徳円満 いっしんちょうらい まんとくえんまん
釈迦如来 真身舎利 しゃかにょらい しんじんしゃり
本地法身 法界塔婆 ほんじほっしん ほうかいとうば
我等礼敬 為我現身 がとうらいきょう いがげんしん
入我我入 仏加持故 にゅうががにゅう ぶっかじこ
我証菩提 以仏神力 がしょうぼだい いぶつじんりき
利益衆生 発菩提心 りやくしゅじょう ほつぼだいしん
修菩薩行 同入円寂 しゅうぼさつぎょう どうにゅうえんじゃく
平等大智 今将頂礼 びょうどうだいち こんじょうちょうらい

15 :
歸命毘盧遮那佛 みょう びるしゃな
無染無着眞理趣 むうぜえん
生生値遇無相ヘ しょううじょうう
世世持誦不忘念 せえせえい

弘法大師 摶@樂
こうぼうだいし ぞうほうらく

大樂金剛  不空眞實 三摩耶經 般若波羅蜜多理趣品
たいらきんこう ふこしんじ さんまやけい

大興善寺三藏沙門大廣智不空奉詔譯


全文
http://shingon-kyo.sblo.jp/article/177959268.html

16 :
菩薩勝慧者        乃至盡生死
ほさっしょうけいしゃ    だいししんせいし

恒作衆生利        而不趣涅槃
こうさくしゅうせいり   じふしゅでっぱん

般若及方便        智度悉加持
はんじゃきゅうほうべん  ちとしっかち

諸法及諸有        一切皆清浄
しょほうきゅうしょゆう  いっせいかいせいせい

欲等調世間        令得浄除故
よくとうちょうせかん   れいとくせいちょこ

有頂及惡趣        調伏盡諸有
ゆうていきゅうあくしゅ  ちょうふくしんしょゆう

如蓮體本染        不爲垢所染
じょれんていほんぜん   ふいこそぜん

諸欲性亦然        不染利群生
しょよくせいえきぜん   ふぜんりきんせい

大欲得清浄        大安楽富饒
たいよくとくせいせい    たいあんらくふうじょう

三界得自在        能作堅固利
さんかいとくしさい     のうさけんこり

17 :
金剛手 若有聞此 本初 般若理趣
きんこうしゅ じゃくゆうぶんし ほんそ ふぁんじゃりしゅ

日日晨朝 或誦或聽  彼獲一切 安樂ス意
じつじしちょう こくしょうこくてい ひかきいっせい あんらくえっち

大樂金剛 不空三昧 究竟悉地
たいらきんこう ふこうさんまい きゅうけいしっち

現世 獲得一切 法自在ス樂
けんせい くぁきとくいっせい ほうしさいえらく

以十六大菩薩生 得於如來 執金剛位
いしゅうりくたいほさっせい とくよじょらい しゅうきんこうい

爾時 一切如來 及持金剛 菩薩摩訶薩
じし いっせいじょらい きゅうちきんこう ほさんばかさっ

等皆來 集會欲令 此法不空 無礙速 成就故
とうかいらい しゅくぁいよくれい しほうふこう ぶかーいそく せいしゅこ

咸共稱讚 金剛手言
かんきょうしょうさん きんこうしゅげん

18 :
善哉 善哉 大薩捶 善哉 善哉 大安樂
せんざーいせんざーい たいさった
せんざーいせんざーい たいあんらく

善哉 善哉 摩訶衍 善哉 善哉 大智慧
せんざーいせんざい まかえん
せんざーいせんざーい たいちけい

善能演説 此法ヘ 金剛修 多羅加持
せんのうえんぜっ しはっこう
きんこうしゅ たらかち

持此最勝 ヘ王者 一切諸魔 不能壞
ちしさいしょう こうおうしゃ
いっせいしょま ふのうくぁい

得佛菩薩 最勝位 於諸悉地 當不久
とくふほさ さいしょうい
よしょしっち とうふきゅう

一切如來 及菩薩 共作如是 勝説已
いっせいじょらい きゅうほさ
きょうさくじょし しょうせっち

爲令持者 悉成就 皆大歡喜 信受行
いれいちしゃ しせーいしゅ
かいたーいくぁんぎ しんしゅこう

19 :
毘盧遮那佛          毘盧遮那佛
ひろーしゃだーふー      ひろしゃだふ

毘盧遮那佛          毘盧遮那佛
ひーろーしゃだーふー    ひーろーしゃだーふー

毘盧遮那佛          毘盧遮那佛
ひろしゃだふ          ひろしゃだふ

毘盧遮那佛          毘盧遮那佛
ひろーしゃだーふー     ひろしゃだふ

毘盧遮那佛         毘盧遮那佛
ひーろーしゃだーふー  ひろーしゃだー

毘盧遮那佛
ひろーしゃだーふー

20 :
我等所修  三昧善     廻向   最上大悉地
がとうしょしゅ         えこう

哀愍    攝受願海中  消除    業障證三昧
あいみん           しょうじょ

天衆    神祇揶ミ光  當所    權現摶@樂
てんじゅ           とうしょ

弘法    大師摶@樂  三界    萬靈成佛道 一切 過去 般若
こうぼう            いっせい       かこ   ふぁんじゃ

聖朝    安穩撥恕諱@ 天下   安樂興正法
しょうちょう          てんげ

護持    大衆除不祥  滅罪   生善成大願
ごじ              めつざい

菩提    行願不退轉  引導   三有及法界
ぼだい            いんどう

同一性故     入阿字
どういつしょうこ にゅうあじ

21 :
百字の偈   百字により説かれた詩

菩薩勝慧者 (ほさっしょうけいしゃ)
<菩薩の勝慧なる人は> つまり勝れた智慧を持つ菩薩たちはと言う事ですが、これはここでは金剛薩?(こんごうさった)の事です。

乃至尽生死 (だいししんせいし)
<乃至(ないし)生死を尽すまで> 生まれたり死んだり、死んだり生まれたり輪廻転生迷いの世界、つまりこの世に永遠に、と言う事です。

恒作衆生利 (こうさくしゅうせいり)
<恒(つね)に衆生の利を作し> 常に衆生の利益の為、利他行に励むと言う事です。

而不趣涅槃 (じふしゅでっぱん)
<而(しか)も涅槃(ねはん)に趣かず> 決して涅槃と言う理想の世界に入る事は無い。
菩薩と呼ばれる人たちは、充分にお悟りを開かれておりますが、自らにこの流転に住着して、どこまでも衆生を救済する為に、悟りの世界へは行かないと言う事です。
http://ameblo.jp/dogen1165/entry-11265101081.html

22 :
般若及方便 (ふぁんじゃきゅうほうべん)
<般若と及び方便> 般若と言うのは智慧の事で、方便とはあらゆる方法で、大慈悲を持って、どこまでも衆生を済度して行く事、方法便益(ほうほうべんえき)です。

智度悉加持 (ちとしっかち)
<智と度を以って悉(ことごと)く加持して> 智は般若、度は方便の事です。
智慧と慈悲方便を以って最高の悟りを実現する。


諸法及諸有 (しょほうきゅうしょゆう)
<諸法と及び諸有> 法と言いますと真理のことですが、 諸法と言いますとこれは全てのものです。
諸有は有情で、生きているもの、衆生です。

一切皆清浄 (いっせいかいせいせい)
<一切は皆清浄なり>  森羅万象の全てを清浄ならしむ 。
お経で言う一切とは例外なし、と言う事ですから、全ての存在を皆清浄になす。

23 :
欲等調世間 (よくとうちょうせかん)
<欲等を以って世間を調し>  欲と言うのは貪瞋痴(とんじんち)の三毒煩悩で、等と言うのは大日如来の持つ大貪、大瞋、大痴のことです。
大いなる意欲、全ての不正や苦しみを怒る、全てのものを愛してやまない、この大きな貪瞋痴で世間を調えて行くのが密教です。
一般仏教の様に、悟りに依って世間を調えて行くのとは違います。

令得浄除故 (れいとくせいちよこ)
<浄除する事を得しむるが故に>  そしてその大貪、大瞋、大痴を以って、そして世間を浄めて行く。

有頂及悪趣 (ゆうていきゅうあくしゅ)
<有頂(うちょう)及び悪趣>  有頂とは此の世の最上位である有頂天、悪趣とは地獄の底です。

調伏尽諸有 (ちょうふくしんしょゆう)
<調伏して諸有を尽くす>  地獄の底から天上界に至るまで、大貪大瞋大痴をもって調伏する、即ち諸々の有情の煩悩や悪行を無くする。

24 :
如連体本染 (じょれんていほんぜん)
<蓮体は本染にして>  蓮体と言うのは蓮の花の事です。この花は始めから赤い色に染められております。

不為垢所染 (ふいこそぜん)
<垢の為に染せられざるが如く> 真っ白な蓮華であるならば、世間の垢にも他の色にも染まりましょうが、大慈悲の真っ赤な蓮華は、決して他の色にも煩悩にも、染まる事は無い。

諸欲性亦然 (しょよくせいえきぜん)
<諸欲の性も亦然りなり>  諸々の欲の本質も亦同じである。
諸欲とは、貪り、怒り、愚痴の三毒煩悩の事です。
欲の本質は大日如来の持つ大欲なのですが、私たちはそれを自分と言う小さな我欲の中に閉じ込めて、自分が自分がと言う、小欲にしてしまっているのです。
不染利群生 (ふぜんりきんせい)
<不染にして群生を利す> 瑞「の人々の為に涛ュく人も三毒煩粕Yに染まる事は末ウいのである。
不染と言うのは小さな貪り、小さな怒り、小さな愚痴に染まらないと言う事です。
大貪、大瞋、大痴を持つ事によって、多くの人達を救っていく事が出来るのです。
群生とは多くの人、と言う意味です。

大欲得清浄 (たいよくとくせいせい)
<大欲は清浄なる事を得て> 大欲は清浄であると言う悟りは、顕教の悟りとは大きく異なります。
顕教は修行によって欲を無くす、密教は大きな欲で人々を救済して、何処までも生きて行くのが悟りだと言います。

25 :
大安楽富饒 (たいあんらくふじょう)
<大安楽にして富饒なり> 大安楽なる境地が富んで豊かと成る。
大欲によって大安楽の境地を得る事が出来るのです。

欲を否定的に捉えても、この世を作っているのは欲です。科学の進歩も、悟ろうとするのも全て欲です。
小さな欲は迷い、大きな欲は悟りです。

三界得自在 (さんかいとくしさい)
<三界に自在を得て> 三界の中に自在なる力を得る。
三界とは、欲界、色界、無色界と言う生死流転の世界です。
この中で自由自在な力を持つと言う事です。

能作堅固利 (のうさけんこり)
<能く堅固の利を作す> 生きとし生ける一切の有情に対する、揺るぎ無い利他を行じて永遠に生きて行くのです。

26 :
『四念住(しねんじゅう)』という修行法では、『身体は不浄である・感受は
苦である・心は無常である・すべての事物は無我である』という仏教の法印と
も相関する4つの命題を観想するものである。身体・感受・心・すべての事
物は『不浄・苦』であり、そこに煩悩を働かせて執着する意味や価値などないということを自分に教え込んでいくのである。
煩悩を引き起こさない無漏(むろ)の智恵を得るための修行法として
『四善根(しぜんこん)』というものがあるが、四善根では『四諦(したい)
』の苦・集・滅・道を分析的に繰り返し観察・思索することによって、煩悩を
断ち切るための無漏の智恵に近づいていくことができる
http://esdiscovery.jp/vision/es003/buddha2/buddhistic002.html

見道とはすなわち『真理を知ること=煩悩を断つこと』によって成り立つ即効性のある実践法なのである。
見所断の煩悩は、正しい智恵を知ることによってすぐに断たれるということから、ハンマーで石(煩悩)を叩き割ることに喩えられることも多い。
煩悩を断ち切る作用を持つ無漏の智恵には、『忍(にん)』と『智(ち)』の二種類があるとされる。
見道における無漏の智恵の生起の順序は複雑だがそれを示すと、
『苦法智忍(くほっちにん)→苦法智(くほっち)→苦類智忍(くるいちにん)→苦類智→集法智忍(じゅほっちにん)→集法智→集類智忍(じゅうるいちにん)→集類智→道類智忍(どうるいちにん)→道類智』の順に
十六個(十六瞬間)の智恵が生起して見所断の八十八の煩悩を断ち切ることができるのである。

菩提心の受持
https://www.tibethouse.jp/visit_to_japan/2016/pdfs/chapter3.pdf

27 :
一念の浄信をいただいたなら浄土へきっと参れる。如来の力で如来の浄土に参るのは自然である。
水の底に流るる如きものである。故に行き易い、参り易いのであるが、信心を頂く人まれなるが故に「行き易くして人無し」。

大信心は一超(いっちょう)にして凡夫が往生成仏する捷徑(ちかみち)である。
願力によりて往生するからである。

 仏陀迦耶(ぶっだがや)の菩提樹下で悟りを開かれた釈尊は、45年間にわたり教化伝道をされた後、クシナガラの沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で静かに入滅された。
その化導(けどう)を受けた仏弟子たちは、仏陀に対し限りない崇敬の念を抱いた。

 仏陀の肉身は滅しても仏陀の説かれた法(真理)は永遠不滅である。

仏の大慈大悲は人類を救うだけではない。広く一切の生きとし生けるものすべてを済度するという崇高な目的実現のために、仏はさまざまな姿形に変化して異類を済度されるのである。
こうした異類身の仏陀を、化身と称している。

28 :
『涅槃経』の一部には

 大慈大悲を名づけて仏性となす。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言えるなり。
 大慈大悲は名づけて仏性となす。仏性は名づけて如来となす。

 大喜大捨を名づけて仏性となす。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言えるなり。
 大喜大捨は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。

 仏性は大信心と名づく。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。
 大信心は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。

 仏性は一子地と名づく。・・・・是の故に説いて一切衆生悉有仏性と言へるなり。
 一子地は即ち是れ仏性なり。 仏性は即ち是れ如来なり。

 とある。

成仏とは、我々の中に蔵する仏性如来蔵を開発して、本来自性清浄の仏であることを自覚することである。
ただそれが凡夫にあっては無明煩悩の覆われて迷妄の生活を続けているが、仏教の究極の目的が仏になることであるから、たとえ成仏の時期に遅速はあっても、一切衆生は悉有仏性なのである。

29 :
至心廻向
懺悔随喜勧請福 さんがいずいきげんせいふく
願我不失菩提心 げんがふしほていしん
諸仏菩薩妙衆中 しょふほさびょうしゅうちゅう
常為善友不厭捨 しょういせんにゅうふえんしゃ
離於八難生無難 りよはつなんせいぶなん
宿命住智荘厳身 しゅくべいちゅうちそうげんしん
遠離愚迷具悲智 えんりくべいぐひち
悉能満足波羅蜜 しつのうまんぞくはらび
富楽豊饒生勝族 ふらくほうじょうせいししょ
眷属広多恒熾盛 けんしょこうたこうしせい
四無擬弁十自在 しぶかいへんしゅうしさい  (かいは、石へんです。)
六通諸禅悉円満 りくとうしょせんしってんまん
如金剛幢及普賢 じょぎんこうとうきゅうほけん
願讃回向亦如是 げんさんかいきょうえきじょし
帰命頂礼大悲   きべいていれいたいひ
毘慮遮那仏    ひろしゃだふ
(金剛界礼讃文 五悔・第五段)

30 :
(廻向総説)
懺悔随喜勧請福  懺悔し随喜し勧請したてまつる福をもって
願我不失菩提心  願わくはわれ菩提を失わず

まず、この偈文は金剛界礼讃という金剛界曼荼羅を拝む礼讃文の中の五悔(ごかい)の最後の文にあたる。
だから冒頭の懺悔と随喜と勧請というのはその前の三つの偈文を意味している。
懺悔(さんげ)とは、罪を悔いて告白することではあるが単に今生のことだけではなく、無始よりずっと
私たちは三界六道という迷いの世界で何回も輪廻して来たる間に様々な身と口と心に作ってきた無量無数の罪過がある
のだということにまで思いを馳せ、そのすべてを、仏菩薩がさとりを求めてなされたように、自分も今こうして懺悔いたしますということを意味している。

次に随喜(ずいき)とは、心からありがたく思うことではあるが、何にありがたく思うかということが大切なことで、
仏道に精進する者にとって、すべての衆生、さとりに向かって精進努力する人々、それに
すべての仏菩薩が行った良き功徳、他者に対してなされた善行、救済の善根功徳を心から喜び、自らもそうあらんと願うこと。

そして勧請(かんじょう)とは、神仏の来臨を願うことをいうが、ここでは十方のあらゆる世間の迷暗を照らす灯りであり、
一切衆生の生と死と中有にわたる迷界をも照破する諸仏をお招きいたします、どうか、一切衆生のために無上の妙法をお説き下さいと願うこと。
これら懺悔・随喜・勧請という三つの功徳の福、つまり福業による功徳を、さとりと衆生と一切に廻向す。願わくばこの功徳力によって、
われ菩提心、つまりさとりを求める心を失うことのないことをと申し述べるのがはじめの二句、廻向総説である。

31 :
(常随仏学)
諸仏菩薩妙衆中  諸仏と菩薩との妙衆中にあって
常為善友不厭捨  常に善友のために厭捨せられず
離於八難生無難  八難を離れて無難に生じ
宿命住智荘厳身  宿命住智あって身を荘厳し

先に述べた菩提心には、自らさとりを求める上求菩提(じょうぐぼだい)と他の衆生を教え導く下化衆生(げけしゅじょう)の二つの意味合いがあると言われる。
上求菩提がここ常随仏学での四句の内容となっている。この上下の分け方については古来このように説かれるのであって、
かつて高野山にいた頃ある先生から、これは内外と分けられたものと考えたらよろしいと教えられた。自らの内にさとりを求め、外にはその教えを説き導くべしと解釈すべきであろう。

諸仏と菩薩との妙なる聖衆の中にあって、さとりへの導き手となる善なる修行者たちによって修行に邁進して厭い捨てられることなく、
心からさとりを求める。そのさとりを求めるために、仏を見ず説法を聞くことのできない境遇、例えば地獄や餓鬼、蓄生、視力や聴力がないなど
八難の世界に生まれることなく、無難に生まれ、自他の過去世を知る智慧を身につけて行いを正し徳を積み、ますます堅くさとりを求め精進することを誓願するということである。

32 :
(恒順衆生)
遠離愚迷具悲智  愚迷を遠離して悲智を具し
悉能満足波羅蜜  悉くよく波羅蜜を満足し
富楽豊饒生勝族  富樂豊饒にして勝族に生じ
眷属広多恒熾盛  眷属広多にして恒に熾盛ならん

菩提心のもう一つの願いである下化衆生、つまり他者を教え導くという内容に触れた部分がこの恒順衆生である。常に衆生にしたがって、教化しようとすることであるが、そのためには
自己の修養を積み愚迷を廃して大悲の智慧を具足していなくてはならない。そして、布施(恵み施し分かち合う)・持戒(規律ある生活)
・忍辱(苦難に耐え忍ぶ)・精進(善きことに努力する)・禅定(心の落ち着き)・智慧(世間の知識を越えた智慧)
・方便(人々を救い導く手立て)
・願(人々を救う誓願)・力(修行を実践継続する力)・智(あるがままに知る智)の十波羅蜜行を悉くよく修し、その徳ゆたかに富み栄えて善きところに生まれ、
多くの衆生を共に従えて、精進努力怠ることのないようにということであろう。

(普皆廻向)
四無礙弁十自在  四無礙弁と十自在と
六通諸禅悉円満  六通と諸禅とを悉く円満せん
如金剛幢及普賢  金剛幢と及び普賢との如く
願讃回向亦如是  願讃し廻向することもまた是の如し

ここまで述べてきた一切の功徳によって、法(仏法と論理に精通)・義(義、意味内容に精通)・辞(語句、言語に精通)・弁説(頭の回転早く弁舌に精通)の四つ
の無碍自在なる智、そして寿命・心・荘厳・業・受生・解脱・願・神力・法・智の十自在によって心の欲するままに何事も自由になし得る力を得て、
また神足(自在に欲するところに現れ得る能力)・天眼(通常見えない物を見る能力)・天耳(通常聞き得ない音を聞く能力)・他心(他人の心を知る)
・宿命(過去世の記憶をも思い出す)・漏尽(一切の煩悩を断つ智)の六つの神通力と、世間禅・出世間禅・秘密禅などの諸禅を悉く円満し、
この円満せるすべての功徳をあまねく一切衆生に廻向せん。これはあたかも、金剛幢菩薩が十廻向の法門を説くがごとく、普賢菩薩が普皆廻向の行願を
説くがごとくに、われもまた今ここにあまねく一切に廻向しますと申し述べるのである。

33 :
(礼仏帰敬)
帰命頂礼大悲  大悲毘盧遮那仏を帰命し、頂礼したてまつる
毘慮遮那仏

最後に、正しく廻向の文を誦持するにあたり、帰依する諸仏の総体である大日如来に帰命頂礼して、願わくばそのご加護をたれたまえと祈り願うのである。

…ごく簡単にこの豊富な内容を一口に述べるならば以下のようになるであろうか。

「自らを省みて、仏の存在に喜びを感じ、そこに至りたいという心を起こしたならば、常に仏に従って一心にさとりを得んがために学び行じ、
そして一切の生きとし生けるものたちと共にそのよくあらんがために精進努力し、それらすべての修行と善行によって様々な段階、過程を経て得た、
あらん限りの功徳を一切衆生に廻向します。そしてここに改めて、すべての仏を生み出す大日如来に帰依礼拝いたします。」


http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/230429457bc48fd615b3515ce075e431

34 :
ブッダの真理の言葉 第1章〜第26章 通読
https://www.youtube.com/watch?v=cQ0Wp_yT3hQ

ブッダの言葉・スッタニパータ 第一 蛇の章 1〜12 通読 1時間15分
https://www.youtube.com/watch?v=F1d7GMocWOw

ブッダの言葉・スッタニパータ 第二 小なる章 1〜14 通読 1時間3分
https://www.youtube.com/watch?v=WkuwXGyE9Ck

ブッダの言葉・スッタニパータ 第三 大なる章
https://www.youtube.com/watch?v=WVclUAUJi2E

ブッダの言葉・スッタニパータ 第四 八つの詩句の章 1〜16 通読
https://www.youtube.com/watch?v=R884Fvj_Cgs

ブッダの言葉・スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章 1〜18 通読
https://www.youtube.com/watch?v=VyUuiYoS6Fc

ブッダ最後の旅 第1章
https://www.youtube.com/watch?v=1LfWQ3Dybgk

2〜3章
https://www.youtube.com/watch?v=-q3kOQLKulE

ブッダ最後の旅 第四〜五章
https://www.youtube.com/watch?v=2xO-N1RzCRY

第六章
https://www.youtube.com/watch?v=WvMcxi_SnpE

35 :
1日目 午前 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=k5i9l5qyNd0

1日目 午後 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=qf-ZFKQl100

2日目 午前 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=wRDKSpNFUiQ

2日目 午後 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=Zbfyw7vJ0G8

3日目 午前 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=0DU3T9oNPhA

3日目 午後 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=m1Ix5uDIRyQ

4日目 午前 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=nIC1GUfk6kw

4日目 午後 ー『入菩薩行論』
https://www.youtube.com/watch?v=4q14BDqcddQ

36 :
ティク・ナット・ハン〜『涅槃(ニルヴァーナ)、自由への道』
https://www.youtube.com/watch?v=8iVtXoVccDk

中曲理趣経 初段_十七段
https://www.youtube.com/watch?v=TA2NMiJ_FUg

西室院 「理趣経」 中曲
https://www.youtube.com/watch?v=XTHNBVDRF5g

般若理趣経 百字偈
https://www.youtube.com/watch?v=mP91B2iBo20

真言聲明高野山悠久の風景
https://www.youtube.com/watch?v=wEjvZBxKQ0c

https://www.youtube.com/watch?v=B_9_UGA70MI

常楽会
https://www.youtube.com/watch?v=glNetV_Ud_Y

37 :
『華厳経』
https://www.youtube.com/watch?v=RlnxJFRbyw8

延命十句観音経
https://www.youtube.com/watch?v=wTUR70MQCEo

大悲心陀羅尼 Daihishindarani
https://www.youtube.com/watch?v=gbxgY8BquHY

消災呪
https://www.youtube.com/watch?v=QrLobQtYjqk

観音経、般若心経など
https://www.youtube.com/watch?v=65nkkXyRle4

真言宗 仏前勤行次第
https://www.youtube.com/watch?v=-k4oRLFXGSM

眞光院 福岡 糸島 お寺 法要 例祭 大随求菩薩 真言宗
https://www.youtube.com/watch?v=RxPEEWNSSew

水子供養の様子「般若心経・地蔵菩薩真言・光明真言・大師宝号・回向」常光円満寺
https://www.youtube.com/watch?v=kNv6k4Z2rJk

常光円満寺 年忌法要の様子 理趣経
https://www.youtube.com/watch?v=7A5Q4GDyWoI

チベットの般若心経を聴く(チベット語)
https://www.youtube.com/watch?v=BHiNY06lU3g

2011/04/29 東日本大震災特別慰霊法要 / Prayers for Victims of Tohoku Earthquake
https://www.youtube.com/watch?v=KdiOktArQ_k

38 :
波羅蜜(はらみつ)、あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた、はらみった) (パーリ語:パーラミー、サンスクリット語: パーラミター)とは、
パーリ語やサンスクリット語で「完全であること」、「最高であること」、を意味する語で、
仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸(とうひがん)、度(ど)等とも訳す。
『般若経』では般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、あるいは『華厳経』などではこれに4種を加え10種(十波羅蜜)を数える。
『摩訶般若波羅蜜経』は九十一波羅蜜を列挙[1]するが、全体としての徳目は六波羅蜜である。

六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ、梵:?atp?ramit?)とは、ブッダになりうる資質を獲得するために実践する六つの項目のこと。「六度(ろくど)彼岸」とも呼ばれる。
布施波羅蜜 - 檀那(だんな、D?na ダーナ)は、分け与えること。d?naという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、??la シーラ)は、戒律を守ること。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
忍辱波羅蜜 - ?提(せんだい、K??nti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、V?rya ヴィーリヤ)は、努力すること。
禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhy?na ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、Prajñ? プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。

39 :
十波羅蜜(じっぱらみつ)は、六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜(六波羅蜜の般若波羅蜜より派生した4つの波羅蜜)を加えたもの。
唯識論ではこの十波羅蜜を立てて十勝行と称す。華厳教学などでは、菩薩の五十二位の中
の十行のことともいわれる。また菩薩は十地において正しくこの十波羅蜜を順次に習得するという。[要出典]
方便波羅蜜 - 烏波野(Up?ya ウパーヤ、うはや、日本語訳:方便)は、巧みな手段で衆生を教導し、益すること。
六波羅蜜の行によって集めたる善根を有情に廻向せしめて彼と共に無上菩提を求むる廻向方便善巧、一切有情を済度する抜済方便善巧の2種類を修行する。
願波羅蜜 - 波羅尼陀那(Pra?id?na プラニダーナ、はらにだな、日本語訳:願)は、(彼岸すなわち仏の理想世界に到達せんと立願すること。
今日ではこれらすべての修行を完成せんと願う希望をいう。求菩提願・利他楽願の2つを修行する。
力波羅蜜 - 波羅(Bala バラ、はら、日本語訳:力)は、二義あり、一義に一切の異論及び諸魔衆の壊すことなきをいい、また一義に十力の行のうち、思擇力・修習力の2つを修行する。
智波羅蜜 - 智(Jñ?na ジュニャーナ、日本語訳:智)は、万法の実相を如実に了知する智慧は生死の此岸を渡りて、涅槃の彼岸に到る船筏の如く、受用法楽智・成熟有情智の2つを修行する。

40 :
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさふもんぼんだいにじゅうご)(観音経 全文)
http://shingon-kyo.sblo.jp/category/4408129-1.html

『遺教経』
http://www.horakuji.hello-net.info/lecture/yuigyoukyou/1.htm

釈迦牟尼仏[しゃかむにぶつ]は、ブッダとして初めてなされた説法の際にアーンニャータ・コーンダーンニャを悟
りへと導き、その人生の最後にスバッダラを得度された。(釈尊はその生涯において、)教えを説く
べき者、仏道に導き引き入れるべき者は皆全て度し尽くして、サーラ樹の間において、今まさに涅槃に入ろうとされていた。
この時、時間は中夜であり、あたりはひっそりとして音もなかった。そこで(釈尊は入滅される前の最後に)、弟子達のために要略して教えの要をお説きになったのである。
「比丘達よ、私が入滅した後には波羅提木叉[はらだいもくしゃ]を尊いものとして大切にし、
最大の敬意を払わなければならない。

41 :
大般涅槃経)

第二十四章
アーナンダは、悲しみながら、比丘を集めた。
比丘が集まると、仏陀は、彼らに、こう説いた。

「比丘達よ、七科三十七道品を修めなさい。
すなわち、その三十七とは、四念処、四正断、
五根五力、七覚支、八正道、四如意足、である。」

「比丘達よ、この三十七道品を修めるならば、
多くの神々と人々に、多くの利益があるだろう。」

三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)とは,大般涅槃経、中阿含経などに
説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七の修行法のこと。道品とは修
行項目のことで菩提分法(ぼだいぶんぽう、巴: bodhipakkhiy? dhamm?,
ボーディパッキヤー・ダンマー)とも言う。
四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれる。

パーリ語経典長部の『大般涅槃経』では、
死期が迫っていることをアーナンダに告げた釈迦が、ヴェーサーリー周辺
の修行僧たちを講堂に集めさせ、「清浄な行いが長く続くため、多く
の人々の利益・幸福のため、多くの人々を憐れむため、人々と神々の幸福・利益のため」に、自分が知って説示してきた、そして、今後もよく保ち、実践・実修すべき「法」として、この七科三十七道品を(いわば遺言として)挙げた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81

42 :
四念処(しねんじょ、巴: catt?ro satipa??h?n?, チャッターロー・サティ
パッターナー)とは、仏教における悟りのための4種の観想法の総称。四念
処観(しねんじょかん)、四念住(しねんじゅう)[注釈 1]とも言う。三
十七道品の中の1つ。

・四念処
釈迦の初期仏教の時代から、悟りに至るための最も中心的かつ最重要な観想法
であり、仏教の主な瞑想である止観の内、観(ヴィパッサナー)の中核を成す観想法である
四念処の内容は以下の通り[1]。
身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
心念処(心念住) - 心の無常を観ずる(諸行無常)
法念処(法念住) - 法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる(諸法無我)

43 :
四正勤(ししょうごん、巴: catt?ro sammappadh?n?, チャッターロ・サ
ンマッパダーナー)とは、仏教における修行内容の1つ。「三十七道品」の中
の第2の行法で、4種の正しい努力のこと[1][2]。「四精勤」(ししょうごん)
[3]、「四正断」(ししょうだん)[4][1]、「四意断」(しいだん)[1]とも訳される。

四正勤の内容は以下の通り[1][2][3]。
断断 - 既に生じた悪を除くように勤める
律儀断 - まだ生じない悪を起こさないように勤める
随護断 - まだ生じない善を起こすように勤める
修断 - 既に生じた善を大きくするように勤める

四神足(四如意足)
(しじんそく、巴: catt?ro iddhip?d?, チャッターロ・イッディパーダー)
とは、仏教における修行内容の1つ。瞑想において自在力・神通力を得るため
の4種の基礎。「四如意足」(しにょいそく)[1]とも。「三十七道品」の中の1つ。

欲神足 - 優れた瞑想を得ようと願うこと
勤神足 - 優れた瞑想を得ようと努力すること
心神足 - 優れた瞑想を得るために心を修めること
観神足 - 優れた瞑想を得るために智慧を以て思惟観察すること

44 :
五根 (三十七道品)
悟り・解脱を得るための5種の能力・機根。
五根は、信根、精進根、念根、定根、慧根である[3]。
修行の根本となる5つであり、根の字は能力を指す[1]。念以外は、
その力が強すぎても、修行の妨げとなるため、それぞれの力が均衡にはた
らくことを瞑想修行を通して目指していく[1]。念は強ければ強いほどい
い[1]。 信仰と智慧、努力と禅定などは対であり、その力の発達には
均衡が必要である[2]。これらが、一個人の中で主導的な力となった場合、五力(ごりき)と呼ばれる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%A0%B9_(%

五力
(ごりき、巴: pañca bal?ni, パンチャ・バラーニ)とは、
仏教における修行内容の1つ。修行者を悟り・解脱に至らしめる5種の力。「
三十七道品」の中の1つ。
信力(巴: saddh?、梵: ?araddh?)
精進力(巴: viriya、梵: virya)
念力(巴: sati、梵: sm?ti)
定力(巴: 梵: sam?dhi)
慧力(巴: pañña、梵: prajñ?)

45 :
七覚支
(しちかくし、巴: satta bojjha?g?, サッタ・ボッジャンガー)とは、
仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。
念覚支(sati-sambojjha?ga) - 気づき。心で今の瞬間の現象を自覚すること
択法ちゃくほう覚支(dhamma-vicaya--sambojjha?ga) - 法の中から真実のものを選ぶ
精進覚支(viriya-sambojjha?ga) - 努力
喜覚支(p?ti-sambojjha?ga) - 喜びに住する
軽安きょうあん覚支(passaddhi-sambojjha?ga) - 心身に軽やかさ・快適さを感じる
定覚支(sam?dhi-sambojjha?ga) - 心が集中して乱れない
捨覚支(upekkh?-sambojjha?ga) - 対象に囚われない

46 :
八正道(はっしょうどう、巴: ariya-a??ha?gika-magga,
梵: ?rya-a????gika-m?rga)は、釈迦が最初の説法において説いたとさ
れる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。

正見(しょうけん, 巴: samm??di??hi, 梵: samyag-d???i)とは、
仏道修行によって得られる仏の智慧であり、様々な正見があるが、根本
となるのは四諦の真理などを正しく知ることである。
業自性正見(ごうじしょう-)[6](巴: kammassakat? samm??di??hi)[7] - 業を自己とする正見。
十事正見
四諦正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。
正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。
喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれ
るように、われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分
の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のない
ものと斥けることが「正見」である。このように現実を厭うことは、人
間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが、その世俗性の否定によ
って、結果として、真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである。正見は「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。 八正道は全て正見に納まる。

正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

47 :
正思惟(しょうしゆい, 巴: samm?-sa?kappa, 梵: samyak-sa?kalpa)とは、
正しく考え判断することであり、
出離(離欲)を思惟し
無瞋を思惟し、
無害を思惟することである。
このうち「出離(離欲)」とはパーリの原文では「nekkhamma」で、
世俗的なものから離れることを意味する。財産、名誉、など俗世間で重要
視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗
世間において渇望するものの否定である。これら3つを思惟することが正思惟である。

正語(しょうご, 巴: samm?-v?c?, 梵: samyag-v?c)とは、
妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、
両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。

48 :
正業(しょうごう, 巴: samm?-kammanta, 梵: samyak-karm?nta)とは、
殺生を離れ、盗みを離れ、性的行為(特に社会道徳に反する性的関係)を離れる
ことをいう。 この二つは正思惟されたものの実践である。

正命(しょうみょう, 巴: samm?-?j?va, 梵: samyag-?j?va)
殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである。

正精進(しょうしょうじん, 巴: samm?-v?y?ma, 梵: samyag-vy?y?ma)とは、
四正勤(ししょうごん)、すなわち「すでに起こった不善を断ずる」「未
来に起こる不善を生こらないようにする」「過去に生じた善の増長」「
いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである。

正念(しょうねん, 巴: samm?-sati, 梵: samyak-sm?ti)
四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態でいること

正定(しょうじょう, 巴: samm?-sam?dhi, 梵: samyak-sam?dhi)
正しい集中力(サマーディ)を完成することである。この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られるのである。

49 :
仏教のある時代に人間として生まれてきただけで、すごいことです。
十分に悟れる可能性があります。
経典では奴隷の少女、瀕死の老人、盗賊…さまざまな人がお釈迦さまの詩を一節聞いたくらいでワンサカ悟っています。
仏教の知識どころか字を読めない人もいましたし、修行もしていません。(一応、過去世からの長い修行の結果、お釈迦さまに巡り合い、無常・苦・無我の理を観察し悟ったとされています。)
…容姿や性格、体力知力がそれぞれ異なるように、私たちの悟りへの道順や近さは異なります。しかしやるべきことは一緒です。
悪を離れ、善を行う。自分を観察し清らかな心を育む。
その修行のために最低限の知識がいるとすれば、個人的には「業自性正見」を挙げます。
天野和公

四諦(苦・集・滅・道)、また、名(こころ)と色(もの)の性質は苦・無常・無我であると知っておくのも役立つと思います。
その上で、五戒を守り、止(精神集中の瞑想、禅定)と観(智慧の瞑想、観察)を実践することが、悟る(苦悩の原因である煩悩をなくす)ための王道ではないでしょうか。    願誉浄史

50 :
業自性正見(ごうじしょう-)  業を自己とする正見。
生きとし生けるもの(巴: satt?)は、
業(だけ)を自己の所有とする(巴: kammassak?)
業(だけ)を相続する(巴: kammad?y?d?)
業(だけ)を(輪廻的生存の)起原、原因とする(巴: kammayon?)
業(だけ)を親族とする(巴: kammabandh?)
業(だけ)を依り所とする(巴: kammapa?isara??)

51 :
十事正見
布施の果報はある(巴: atthi dinna?)
大規模な献供に果報はある(巴: atthi yi??ha?)
小規模な献供に果報はある(巴: atthi huta?)
善悪の行為に果報がある(巴: atthi sukatadukka??na? kamm?na? phala? vip?ko)
(善悪の業の対象としての)母は存在する(母を敬う行為に良い結果があるなど)(巴: atthi m?t?)
(善悪の業の対象としての)父は存在する(父を敬う行為に良い結果があるなど)(巴: atthi pit?)
化生によって生まれる衆生は存在する(巴: atthi satt? opap?tik?)
現世は存在する(巴: atthi aya? loko)
来世は存在する(巴: atthi paro loko)
この世において、正しい道を歩み、正しく行じ、自らの智慧によって今世と他世を悟り、(それを他者に)説く沙門、バラモンは存在する。

52 :
>>1
平安時代の仏教書。1巻。延暦20年(801)最澄著と伝えるが真偽未詳。末法には無戒名の僧こそが世の灯として尊ばれねばならないと主張したもの。
本書は栄西,法然,道元,親鸞らの著書に引用され,鎌倉仏教の思想的基盤となった。

53 :
三時または五箇の五百歳は『大集経』に説かれる。
「大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、
次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
第一の五百歳 解脱堅固…インドにおいて伽葉・阿難等が小乗教を弘めた。
第二の五百歳 禅定堅固…インドにおいて竜樹・天親等が大乗教を弘めた。
第三の五百歳 読誦多聞堅固…仏教が東に流れて中国に渡り経典の翻訳や読誦、講説等が盛んに行われた。天台大師(智)が法華経を弘めた。
第四の五百歳 多造塔寺堅固…仏教が東に流れて日本に渡り聖徳太子以来多くの寺塔が建てられた。伝教大師(最澄)が日本の仏教を統一し大乗戒壇を建てた。
第五の五百歳 闘諍堅固・白法隠没…戦乱が激しくなり、釈迦の仏法が滅尽する。
日本では『末法燈明記』[1]では1052年(永承7年)に末法に入ったとされた

^ なお、日蓮等の鎌倉仏教の多くの祖師は『末法燈明記』は最澄の著述だと定めているが、現在では『末法燈明記』は最澄に仮託して書かれた文献、つまり偽典と説明されることがある。

54 :
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。
涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に違うことを示す。
諸行無常・諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。
無常と無我とを自覚してそれによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地であるとする。
いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すもの
仏教本来の意味からすると、涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれ(辺見)から解放された絶対自由の境地である。
これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない。この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれる

55 :
経典によれば、釈迦は縁起について、
私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。
と述べた。またこの縁起の法は、
わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
と述べ、縁起はこの世の自然の法則であり、
自らはそれを識知しただけであるという。
縁起を表現する有名な詩句として、『自説経』では、
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
— 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)
と説かれる。

56 :
初期仏教および部派仏教までの段階の縁起説は、迷いの世界(有為)のみを説明するものであり、悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかった。
この段階までの縁起説においては、悟りは縁起を超越し縁起の滅した世界であるとされた.
縁起(えんぎ、梵: プラティーティヤ・サムトパーダ、巴:パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。
全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。
仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる.
因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。
種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した

57 :
彼は神通力で兜率天に向かい、そこで弥勒(マイトレーヤ)から大乗仏教の空思想を学んだのだという。
また、他の人々にも、弥勒が直接『瑜伽師地論』(『十七地経』)を説くように要請し、無著がその解説をすることにした。これが唯識思想流布の端緒とされる。
彼は弥勒から日光三昧を教えられていたので、大乗の教義を容易に理解し、記憶することができたという。
無著
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%91%97

『瑜伽師地論』は、世親の兄である無著(asanga, ?????)が、兜率天に住む弥勒菩薩(maitreya ???????)の説を聞いて著したといわれている。

瑜伽行唯識学派
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。 とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、深層意識の阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、最終的には阿羅耶識もまた空であるとする

58 :
中台八葉院の「毘盧舎那仏」(Vairocana)を除く四仏・四菩薩の配置は、
『大日経』・入秘密マンダラ品にその根拠が見出され、また各尊に配当さ
れる真言は、『大日経』・秘密八印品で説かれる<「大威徳生」
「金剛不壊」「蓮華蔵」「万徳荘厳」「一切支分生」「世尊陀羅尼」
「如来法住」「迅疾持」>の真言にその出自が見出される。

http://electricwombworld.blog.fc2.com/blog-entry-288.html?sp

http://blog-imgs-90.fc2.com/e/l/e/electricwombworld/Ratnaketu.jpg

59 :
法光定? 光之瑜伽
https://www.youtube.com/watch?v=P5_LGRx3gO4

60 :
日光三昧というのは法光定とよばれ、ある特殊な禅定に入った状態でチャクラからエネルギーを一挙に放つものです。
(無著菩薩位登初地。證法光定。得大神通。事大慈尊。請説此論『瑜伽師地論釋』)
そのチャクラのエネルギーが第三者に光となって感ずるもので、初期経典にもブッダが同じような現象を顕した、あるいは空海様が清涼殿での八宗論議の際、大日如来に変身し
全身金色の大光明を放ち、帝(嵯峨天皇)を含めその場にいたもの皆平伏した等、仏典・論書にて伝えられていることであります。

たとえば、初期経典においてブッダが次のような神通を示したとあります。
「世尊隨其所應。而示現入禪定正受。陵虚至東方。作四威儀。行住坐臥。入火三昧。出種種火光。青黄赤白紅頗梨色水火倶現。
或身下出火。身上出水。身上出火。身下出水。周圓四方。亦復如是。爾時世尊。作種種神變已。於衆中坐。是名神足示現〜『雑阿含経』」
要するに、釈尊が火界定という三昧に入ってチャクラからエネルギーを発し、七光の色を放ち、上半身は火炎のように下半身は水のようになり、あるいは逆になったということです。
これはチャクラから放たれるエネルギーが凄まじく、全身が炎に包まれたように見えたということです。
水のように見えたというのは、しばしば身体が透明状になる場合があり、それが水として表現されたということです。

61 :
釈尊は、バーラーナシーのイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)で5人の苦行者を教化されたあと、ガヤー(ブッダガヤ)へ、ひとりで戻られます。…
そこで釈尊は神通力によって3500の奇跡を現し、火の行者であったカッサパ3兄弟を帰依させられたと伝わっています。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa18.html

62 :
後の仏教では、慈無量心を起こして慈心三昧にあれば、このようなことが可能だと言います。慈無量心というのは、あらゆる生き物への慈しみの心を言います。
その心を常に持ち続け、全身が慈しみで満たされるようになった状態が、慈心三昧です。そうなると、動物や虫など全ての生き物から愛されるようになると言います。

仏弟子群像(1)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa14.html
仏弟子群像(2)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa15.html
仏弟子群像(6)釈尊の実子ラーフラ(上)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa19.html

63 :
・智慧の行を完成し三明通を体得すると大法光を放つ(長阿含経・種徳経)
・四聖諦によって眼が生じ智が生じ慧が生じ明が生じ光明が生じた
・八勝処といわれるブッダが示した心理的段階の上位を、青・黄・赤・白と4色で表現しているが、
これはその人の心理的状態によって身心から放たれるエネルギーの色・波長を表している。
・ブッダが火界定に入って瞑想している時、麓から見ると山全体が燃え上がっているように見えた、他


日本では心の「悟り」ばかり強調されるので忘れ去られがちなのですが、心は身体と密接に関係があります。
身体の制御把握なくして心の制御把握はありません。
ですから、本来の(往時の)インド仏教において、クンダリニーヨーガは修行者にとって必修だったのです。

64 :
しかし、ブッダはクンダリニーを上昇させず、そのエネルギーだけを前面のプラーナルートにのせ、さらに頭の中のルートを開発した、とされています。
つまり、釈尊はアートマン思想を否定する新思想だけでなく、クンダリニーヨーガでも革新的な技法を開発したと言われる所以です。

なぜそれが判るかというと、後期大乗に至り、修定比丘らによって、中観・唯識理論とともに行法という形でクンダリニーヨーガが秘密仏教(密教)として組み込まれたため、その痕跡が理解されるからです。

日光三昧とは唯識理論に基づいたクンダリニーヨーガを修し、全身のチャクラから凄まじいエネルギーを発して、人々の煩悩を断ずるために修されたものだった、ということ

65 :
付法の八祖
真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩?が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。
大日如来(だいにちにょらい)
金剛薩?(こんごうさった)
龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
不空三蔵(ふくうさんぞう)
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
弘法大師

伝持の八祖
http://www1.plala.or.jp/eiji/Hatusou.htm

龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証している。
この因果関係を釈迦は「縁起」として説明している。(龍樹は、釈迦が縁起を説いたことを『中論』の最初の帰敬偈において、賛嘆している)

龍樹が密教を説いたかどうかや、第五祖金剛智との時代の隔たりから、龍樹と龍猛の同一性を疑問視する意見もある。

66 :
大正時代の河口慧海や寺本婉雅は、『八十四成就者伝』の龍樹伝が特異である
ことから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。
この説では、本来の龍樹を「古龍樹 (N?g?rjuna I)」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 (N?g?rjuna II)」と呼び分ける。
河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。
一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9

北伝仏教の系譜を汲む日本の仏教は、チベット仏教と直接の繋がりは無いものの、同じく大乗仏教であり、特に中国などでは廃絶した密教を保持するという点で共通する。
また、中国での受容を介さないインド直伝の大乗仏教であり、前述の通りサンスクリット原典に近いチベット大蔵経は、仏教学の上で貴重な資料となる。
このことが明治時代には能海寛ら仏教学者に注目され、日本人初のチベット探検者河口慧海に続いて、1900年代から大正時代にかけて多田等観、青木文教、
寺本婉雅ら日本の僧侶、仏教学者がチベットへ赴き、チベット仏教を研究した。

67 :
感興の言葉その1
https://www.youtube.com/watch?v=UEjNlx3T0fo
その2
https://www.youtube.com/watch?v=_1QLcx4dGpY
その3
https://www.youtube.com/watch?v=SnhCfLd1G7U

佛弟子の告白
https://www.youtube.com/watch?v=9XhVB3PklAk
その2
https://www.youtube.com/watch?v=Z5MiAB8VdnI
02
https://www.youtube.com/watch?v=NRpUjH8wq8M
03
https://www.youtube.com/watch?v=Co6dEV6KI_U
その3
https://www.youtube.com/watch?v=2p598ZdrBFw
その4
https://www.youtube.com/watch?v=i4RjajtIGIU

68 :
中村元「ブッダ最後の旅」
https://www.youtube.com/watch?v=kmXGXSKdgE0
https://www.youtube.com/watch?v=KpNegIvnOI8
https://www.youtube.com/watch?v=5wHJanFFJf4
https://www.youtube.com/watch?v=oeFvEXkWv8g
https://www.youtube.com/watch?v=gOjz9-dXAKQ
https://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg
ブッダの一生
https://www.youtube.com/watch?v=NU7qs38Jhpk
https://www.youtube.com/watch?v=pcZF3GNQ2yU
https://www.youtube.com/watch?v=CPDKcJBoakk
https://www.youtube.com/watch?v=7Vu0euBmpDQ

69 :
カーラチャクラ灌頂伝授会前行法話
https://www.youtube.com/watch?v=9R2_Rt8iEP4
https://www.youtube.com/watch?v=FSoE7LekH1M
https://www.youtube.com/watch?v=9X_F7irVg_E
https://www.youtube.com/watch?v=HYXx_RDJ6mY

アーリヤデーヴァ菩薩瑜伽行四百論
https://www.youtube.com/watch?v=Mr7ylwWCxpc
https://www.youtube.com/watch?v=Kj3iMaW3PbY
https://www.youtube.com/watch?v=AwcloOK1xnk
https://www.youtube.com/watch?v=tZmdbQnK5Wc

4日目・如意輪ターラー菩薩の許可灌頂
https://www.youtube.com/watch?v=pqdfIpY_D7Q

ブッダパーリタ註 初日
https://www.youtube.com/watch?v=pzO_KVgCMhk
ブッダパーリタ註 2日目
https://www.youtube.com/watch?v=NLXcaAasU0k
ブッダパーリタ註 3日目
https://www.youtube.com/watch?v=vbykXVflRxM
ブッダパーリタ註 4日目
https://www.youtube.com/watch?v=nq09ezXNZJY

70 :
チベット人の若者たちへの法話 1日目
https://www.youtube.com/watch?v=xpJ9wSEo5xI
チベット人の若者たちへの法話 2日目
https://www.youtube.com/watch?v=qsp1-eoYjWI
チベット人の若者たちへの法話 3日目
https://www.youtube.com/watch?v=avFw3CxlmMU

ダライ・ラマ法王による大日経伝法灌頂会@大本山大聖院 2006
https://www.youtube.com/watch?v=G0wIh3MvIBw

心を訓練する八つの教え
https://www.youtube.com/watch?v=KQ53XKnSIS8

ダラムサラ法話会
https://www.youtube.com/watch?v=l5Uz2avpC7I
https://www.youtube.com/watch?v=nksalnyWMqI
https://www.youtube.com/watch?v=_aN-h8-WLfo
https://www.youtube.com/watch?v=3oOuHj04EW8

ツォンカパ菩提道次第広論
https://www.youtube.com/watch?v=XheEcLVFEfU
https://www.youtube.com/watch?v=K9v_5tWErW8
https://www.youtube.com/watch?v=LHh7WdWFJgw

滅尽定
https://www.youtube.com/watch?v=mqDJVhRzuiY

真我
https://www.youtube.com/watch?v=fEyi4DtJ4J0

71 :
高知県香南市夜須町羽尾の禅寺「まきでら 長谷寺」、「延命十句観音経」。42文字の短いお経をただ何度も唱えることでご利益がえられるとされている。
https://www.youtube.com/watch?v=CyI1cE1cKTE

光明真言
https://www.youtube.com/watch?v=80GMMTYA2n4

72 :
真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としていること

秘仏公開〜三井寺 天台密教の至宝
https://www.youtube.com/watch?v=IhsvNASx4FE
https://www.youtube.com/watch?v=gNkDU-p0Jao

https://stat.ameba.jp/user_images/20131211/21/chupa-0119/49/b7/j/o0320036912777671323.jpg

http://www.tendai.or.jp/daihoue/profile/images/jikaku/07.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/79/Chisho_Daishi_%28Konzoji_Zentsuji%29.jpg/300px-Chisho_Daishi_%28Konzoji_Zentsuji%29.jpg

73 :
尼僧の告白
https://www.youtube.com/watch?v=UwitV7XO0sI
https://www.youtube.com/watch?v=9mvC67fo9ow

74 :
真言宗と天台宗 平安の祈り〜大本山 須磨寺
https://www.youtube.com/watch?v=FhhOh06nVkw

75 :
https://www.youtube.com/watch?v=OFDJU4CA2YY

https://www.youtube.com/watch?v=5sbRuUC6ocE

ウインドチャイム
https://www.youtube.com/watch?v=Ygcm7J8dmGc

https://www.youtube.com/watch?v=ZdU-jRH-DNw

ティンシャの調べ〜Tingsha healing tibetan 〜
https://www.youtube.com/watch?v=ddhMTzMXa74

Gayatri Mantra ガヤトリーマントラ Namaste
https://www.youtube.com/watch?v=tnVlRixTcZw

Shanti Mantra(シャンティマントラ)
https://www.youtube.com/watch?v=bAFlCR312Y4

Deva Premal - Gayatri Mantra (2 hours)
https://www.youtube.com/watch?v=BSmToj9VZ4s

76 :
普礼真言
オン・サラバ・タターギャタ・ハンナ・マンナ・ナウ・キャロミ
オーン。一切如来の御足を敬礼することを我なす。

護身法
浄三業:オン ソウハンバ・シュダ・サラバタラマ・ソワハンバ・シュド・カン
オーン。自性清浄なる一切諸法よ。我もまた自性清浄なり。

大金剛輪陀羅尼
ノウマク・シッチリヤ・ジビキャナン・サラバ・タタギャタナン・アン・ビラジ・ビラジ・マカ・
シャキャラ ・バシリ・サタ・サタ・サラテイ・サラテイ・タライ・タライ・ビダマニ・サンバンジャニ・
タラマチ・シッタギリヤ・タラン・ソワカ

加持飲食陀羅尼(無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼
ノウマク・サラバ・タターギャタ・パロキテイ・オン・サンバラ・サンバラ・ウン

蒙甘露法味陀羅尼
ノウマク・ソロバヤタターギャタヤ・タニャタ・オン・ソロソロ・ハラソロ・ハラソロ・ソワカ

布施一切施餓鬼陀羅尼(毘盧舎那一字心水輪観陀羅尼)
ノウマク・サマンダ・ボダナン・バン

77 :
色欲を断つ(文殊滅淫慾我慢陀羅尼)
クリクリテイノウ・ウドウドテイノウ・ドコドコテイノウ・クタクタテイノウ・ジャビトジャビトテイノウ・
クタコクタコテイノウ・ウシュウシュテイノウ・ヤビジャヤビジャテイノウ・トコタ・クタタ・ソワカ

経や真言を間違えた時
オン・コロコロ・ジャヤ・ボッケイ・ソワカ

痔[注 63]を治す(仏説療痔経呪)
タニャタ・アランメイ・シリ・シリ・マカシツ(シツ)・サンバト・ソワカ

滅飲酒罪真言
オン・サマンダバロキテイ・ソワカ

吉祥浄土変真言
ハラ・ドボウ・オン・ボッケン・シュタン・シリー

随求。滅悪。穢土を浄土となし、地獄の苦しみを救済し、吉祥あらしめ給え。

78 :
回向文

願以此功徳 普及於一切
我等與衆生 皆共成佛道

願わくは、この功徳を以(も)って 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生(しゅじょう)と 皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを

79 :
阿弥陀如来大呪(十甘露呪、無量寿如来根本陀羅尼):ナウボウ・アラタンナウトラヤヤ・ノウマク・アリヤミタバヤ・タタギャタヤ・
アラカテイ・サンミャク・サンボダヤ・タニャタ・オン・アミリテイ・アミリトドバンベイ・アミリタ・サンバンベイ・アミリタ・ギャルベイ・
アミリタ・シッデイ・アミリタ・テイセイ・アミリタ・ビキランテイ・アミリタ・ビキランタ・ギャミネイ・アミリタ・ギャギャナウ・キチキャレイ・
アミリタ・ドンドビソバレイ・サラバラタサダネイ・サラバキャラマキレイシャ・キシャヨウ・キャレイ・ソワカ
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E7%9C%9F%E8%A8%80_%E4%BE%9D%E7%94%A8

80 :
殆ど一人の記者が記述している。
例えせば、レストランのメニューがあるので注文したのだが、
厨房がない。みたいな状態で記者は行き止まりの場にいるので在ろう。
釈尊滅後の教義学者が並べ立てたお品書である。
ここから行き先が判らないでしょう。

81 :
理趣経+阿弥陀如来根本陀羅尼
https://www.youtube.com/watch?v=a54RGMzv6pA

82 :
六波羅蜜
https://www.youtube.com/watch?v=suip4g37lLU

無我を知らぬ無知
語り得ぬものは沈黙せねばならない
https://www.youtube.com/watch?v=vM-RvqE_2ds

83 :
智の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。
「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。
華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている[5]。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。
これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」の章とされている。

84 :
[5]
「華厳経如来性起品」を参照(『大乗仏典12 如来蔵系経典』に収録。高崎直道訳注、中央公論社のち中公文庫)

85 :
中村元によれば、中論の主張する縁起は、有部の縁起論とは著しく相違するが、後世中国の華厳宗の法界縁起の思想には非常に類似しているという。
法界縁起の説においては、有為法・無為法を通じて一切法が縁起していると説かれるが、その思想の先駆は中論に見いだされるという。

86 :
華厳教学の存在観。究極的な縁起のあり方。すべての個々の事物・事象の中に一切が含まれるという形で、あらゆる存在が互いに関連し合って生起していること。
諸事象の真実の姿を真如といい,その本性にそなわっている起の性質,すなわち動きという性能が外界に顕現した結果を縁起という。
森羅万象がその根本の真実の姿に関係して,一即多となっているのが法界であり,それらが相即相入していることを説くのが法界縁起である。
真如がまさっている場合を浄縁起といい,無明がまさっている場合を染縁起という。

87 :
ゆいしん‐えんぎ【唯心縁起】
仏語。一切の諸法は一心の縁起によって顕現したものであるということ。

一心
宇宙の事象の基本にある絶対的な真実。真如 (しんにょ) のこと。
また,仏陀の救済を信じる心は,その本質が仏陀の心そのものであって,このような信仰を得た人は,凡夫でありながら仏陀の心をそなえているので,このような心を仏凡一体の一心と呼ぶ。
仏語。あらゆる現象の根源にある心。
唯一絶対の心。すべての現象の根源としての心。真如。
絶対なる全を表す。すなわち、万有の事象の基底にある絶対的真実。
仏教の最初期の文献には、このような意味の一心はなかったが、大乗仏教の文献に頻繁にみられるようになった。そこでは、あらゆる現象の根源に存在する心とか、衆生に内在する真実なる心識の意味で用いられた。
『華厳経(けごんきょう)』に「現象界は虚妄であり、それはただ一心のつくりたるものである」と述べられているが、この一心の実体について後世の学僧は、如来蔵(にょらいぞう)とか仏性といい、
さらに阿頼耶識(あらやしき)とも考えた。また、一心は禅定(ぜんじょう)と同義にも用いられる。この場合の一心は心を一つにすること、一つの対象に心を向ける意味である。したがって心の動揺を静めることをいい、
坐禅(ざぜん)時の精神統一を一心で表したり、念仏時に阿弥陀(あみだ)一仏を念じ、他の仏を念じないことを一心で表したりする。

88 :
>>70
無心定には、無想定と滅尽定とがあり、いずれも心・心所を全く滅する定である。四禅(四静慮)・四無色・滅尽の九定は、異心をまじえずに次第を追って順次に修得するときは九次次第、無間禅と名付けられる。
四禅と四無色定の上に、滅尽定すなわち、想受滅定があり、九次第定と呼ばれる。
無想定は、凡夫や外道が無想の状態を真の悟りと誤認して修めるものであるが、滅尽定は、聖者がその定の境地を無余涅槃界の静けさになぞらえて修めるものである。
無想定では、第四の禅定にもとづき知覚の粗いはたらきがなくなり、滅尽定では、有頂天にもとづき心と心所法は決められた間において止滅する。
九次第定とは、パーリ語仏典では9つの定を置く形で説明が保たれており、第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定、空無辺処(定)、識無辺処(定)、無所有処(定)、非想非非想処(定)、想受滅となり、この最後だけが釈迦が初めて到達した仏教に特徴的な定とされる。
十地経の第七では、「(波羅蜜にある)かの菩薩」なる者が、第六の菩薩の地(くらい)において初めて、「あらゆるまよいの存在が滅尽する定(滅定)」に入定し、第七の菩薩の地において、その定に入定してはまた出定するようになるとする。
入中論』の月称(チャンドラキールティ)の注釈も、十地における滅尽定は第六地から第八地にかけて入定するということであるとしている[8]。ツォンカバの『密意解明』でも同様である。

89 :
妙覚
真の悟り、微妙(みみょう)・深遠な悟りのこと。また、仏の無上の悟りのこと。一つ前の等覚の位にいる菩薩が、さらに一品(いっぽん)の無明を断じてこの妙覚位に入る。しばしば、仏の位と同一視される。
2. 菩薩の五十二位・四十二地の最上位で、菩薩が修行して到達する最後の階と。
妙覚の位に達した菩薩は、煩悩を断じ尽くし、智慧を完成させるとされる。天台教義の六即と対応させると、別教の菩薩五十二位の最高位である「妙覚」は、円教の「究竟即」に相当する。
等覚
等覚(とうかく、とうがく)とは、菩薩が修行して到達する階位(菩薩五十二位)の52位の中、下位から51番目に位置する菩薩の極位をいう。
その智徳が略万徳円満の仏である妙覚とほぼ等しく、一如になったという意味で等覚という。 三祇百劫の修行を満足し、まさに妙覚の果実を得ようとする位。一生補処、有上士、金剛心の位といわれる。
十地(じっち、じゅうじ)は、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第41番目から第50番目の位をいう。
十廻向の上位であり等覚より下位にあたる。 上位から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の10位がある。
仏智を生成し、よく住持して動かず、あらゆる衆生を荷負し教化利益する様子が、大地が万物を載せ、これを潤益(にょうやく)することに似ているから
「地」と名づく。
法雲地(ほううんじ)
智慧波羅蜜を成就して修惑を断じ、無辺の功徳を具足して無辺の功徳水を出生して虚空を大雲で覆い清浄の衆水を出だすためにいう。
平等の原理と差別の人間とが一体となった、平等即差別、差別即平等の真如の世界。
善想地(ぜんそうじ)
力波羅蜜を成就して修惑を断じ、十力を具足し一切処において可度不可度を知り、よく説法する位。
一切の修行を完成した大慈大悲の菩薩が、真理の世界から具体的な事実の世界に働きかけ個々差別の衆生を救済する。
【不動地】菩薩の十地(じゅうじ)の第八位。修行が完成し、自然に菩薩行が行われる状態。
【遠行地】方便波羅蜜を成就して修惑を断じ、大慈悲心を発し二乗の自度を遠離する位。十十無尽の境地に入る。この位は第二阿僧祇劫の行を終えたとする
【現前地】. 菩薩十地之第六地名。真如本性顯現之位,亦是最勝般若顯現之位

90 :
不動地(ふどうじ)
願波羅蜜を成就して修惑を断じ、無相観を作(な)し、任運無功用に相続する位。大慈大悲の心を起す。
遠行地(おんぎょうじ)
方便波羅蜜を成就して修惑を断じ、大慈悲心を発し二乗の自度を遠離する位。十十無尽の境地に入る。この位は第二阿僧祇劫の行を終えたとする。
現前地(げんぜんじ)
智慧波羅蜜を成就して修惑を断じ、最勝智慧を発し染浄の差別なきを現前せしめる位。不退転の位で決して後戻りせず、必ず仏になる確信を得る。
難勝地(なんしょうじ)
極難勝地ともいい、禅定波羅蜜を成就して修惑を断じ、真俗二智の行相互いに違異なるを和合せしめる位。四諦の法門の外に大乗の法門を学び、利他行に取り組む。
焔光地(えんこうじ)
焔慧地ともいい、精進波羅蜜を成就して修惑を断じ、智慧を熾盛に光らしめる位。個々の物に対する執着心を離れ、その功徳として四方を照らす。
発光地(はっこうじ)
忍辱波羅蜜を成就して修惑を断じ、諦察法忍を得て智慧を顕発する位。精進の結果、その功徳として光を放ち十種の法明門を行う。
離垢地(りくじ)
戒波羅蜜を成就して修惑を断じ、毀犯の垢を除き清浄ならしめる位。十の善を行い、心の垢を離れる。
歓喜地(かんぎじ)
菩薩が既に初阿僧祇劫の行を満足して、聖性を得て見惑を破し、二空の理を証し大いに歓喜する位。仏法を信じ、一切衆生を救済しようとの立願を起こし、ついには自らも仏になるという希望を持ち歓んで修行する。

91 :
十廻向(じゅうえこう)
菩薩修行の位階である52位の中、第31〜40位まで。上から入法界無量廻向・無縛無著解脱廻向
・真如相廻向・等随順一切衆生廻向・随順一切堅固善根廻向・無尽功徳蔵廻向・至一切処廻向
・等一切諸仏廻向・不壊一切廻向・救護衆生離衆生相廻向の10位。十行を終わって更に今迄に修した自利・利他のあらゆる行を、一切衆生の為に廻施すると共に、この功徳を以って仏果に振り向けて、悟境に到達せんとする位。
十行(じゅうぎょう)
菩薩修行の位階である52位の中、第21〜30位まで。上から真実・善法・尊重・無著・善現・離癡乱行・無尽・無瞋根・饒益・観喜の10位。菩薩が、十住位の終に仏子たる印可を得た後、更に進んで利他の修行を完うせん為に衆生を済度することに努める位。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・方便・願・力・智の十波羅密のこと。

十住(じゅうじゅう)
菩薩修行の位階である52位の中、第11〜20位まで。上から灌頂・法王子・童真・不退・正信・具足方便・生貴・修行・治地・発心の10位。十信位を経て心が真諦(しんたい)の理に安住する、という意味で「住」と名づく。あるいは菩薩の十地を十住という説もある。
十信(じゅうしん)
菩薩修行の位階である52位の中、第1〜10位まで。上から願心・戒心・廻向心・不退心・定心・慧心・精進心・念心・信心の10位。
仏の教法を信じて疑心のない位。
なお、十信を外凡、十住〜十廻向までを内凡あるいは三賢と称し、十信〜十廻向までを凡と総称する。
また十地と等覚を因、妙覚を果と称し、十地〜妙覚までを聖と総称し、凡と相対する。

92 :
「 九次 第定」 は韻 文 であれ散文 であれパ ー リ経典 が成 立 した時に は既 に,経 典
の どの部分 にも同 じ九 つの内容が 同 じ名前 と順序で確立 していた.項 目の幾つか
が略説 され たものや別 の述 語で再分類 された もの もあるが,そ の場合 も九 つの 内
容,名 前,順 序 に異 同はない.よ って 「 九次第定 」は,パ ー リ経典成立 まで に成
立 していた こ とは明 らかであ る.一 方 この説 は釈 尊の悟 りに基づ く想受滅 を頂 点
としてい るので,そ の成 立は釈 尊以前 には遡 れない.よ って 「 九次第定 」 は,遅
くともパー リ経典編纂 に着 手す るまでの弟子 たちに よるもの,より自然 な理解としては,経典 の記述通り,釈尊自身によるものと考えられる.

93 :
法相宗と華厳宗
https://www.youtube.com/watch?v=zb4bB1pPg5c

天台宗
https://www.youtube.com/watch?v=0HJnghDMcik

94 :
密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)は、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁が、腐敗した真言宗総本山金剛峯寺の内紛に深い憂いを持ち、
金剛峯寺内の自所「密厳院」において3余年に及ぶ無言行を敢行、その直後、一筆のもとに書き上げたと言われる偈文。
宗教家としての自覚自戒の源として真言宗系寺門に広く護られる。
興教大師の作といわれていたが、桑原康年の研究論文により新義系二派(真言宗豊山派、真言宗智山派)では作者不詳が通説となっている。

95 :
我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏(まと)はれて衆罪(しゅざい)を造る
身口意(しんくい)の業 常に顛倒(てんどう)して 誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋(けんりん)して施を行ぜず 意(こころ)に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚(ふんに)を起して忍辱(にんにく)ならず 多く懈怠(けたい)を生じて精進ならず

96 :
心意(しんに)散乱して坐禅せず 実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途(るてんさんず)の業を作る
名を比丘(びく)に仮って伽藍(がらん)を穢し 形を沙門(しゃもん)に比して信施を受く
受くる所の戒品(かいぼん)は忘れて持せず 學すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪(えんの)したもう所を慚(は)じず 菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語して徒ら(いたずら)に年を送り 諂誑詐欺(てんのうさぎ)して空しく日を過ぐ

97 :
善友に随がはずして癡人(ちじん)に親しみ 善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ 名聞(みょうもん)を欲して他愚を誹る(そしる)
勝徳(しょうどく)の者を見ては嫉妬(しっと)を懐き(いだき) 卑賤(ひせん)の人を見ては驕慢を生じ

98 :
富饒(ふにょう)の所を聞いては希望(けもう)を起し 貧乏の類を聞いては常に厭離(おんり)す
故(ことさら)に殺し誤ってR有情の命 顕は(あらわ)に取り密かに盗る他人の財
触れても触れずしても非梵行(ひぼんぎょう)を犯す 口四意三(くしいさん)互(たがい)に相続し

99 :
佛を観念する時は攀縁(はんねん)を発し(おこし) 経を読誦する時は文句を錯る(あやまる)
若し善根を作せ(なせ)ば有相(うそう)に住し 還って輪廻生死(りんねしょうじ)の因と成る
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)知ると知らざると犯す所の是の如くの無量の罪 今三宝に對して皆発露(ほつろ)し奉る

100 :
慈悲哀愍(じひあいみん)して消除せしめ賜え 乃至(ないし)法界の諸の衆生 三業所作(ざんごうしょざ)の此の如くの罪
我皆 相代って尽く(ことごとく)懺悔し奉る 更に亦 その報いを受けしめざれ
南無 慚愧懺悔(ざんぎざんげ) 無量 所犯罪(しょぼんざい)


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