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子供の頃、昭和特撮見て何考えてた
【東宝】ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
怪獣の鳴き声をテキスト定義するスレ
【これぞ元祖】ウルトラQ part25【空想特撮】
西城秀樹はウルトラやライダーを超えていた存在だったよね
【ブルコォン】トリプルファイター【デビラ〜】
【ウルトラシリーズ】一番強い(弱い)防衛隊を決めようぜ!
【スト脚】森永奈緒美【蒸れ蒸れ】
光戦隊マスクマン Part4
【蟹江】ブニョ【敬三】

昭和特撮で昭和文化を語るスレ 2代目


1 :
昭和の時代を感じられるものをまだまだ語りましょう

文化、小物、世相とか…

2 :
昭和時代ももう27年前になるんだな。
あの頃、21世紀は夢の未来な感じがしていたが、なってしまうとそうでもない。
宇宙に住んだり行ったりはまだしてないが
でも科学的な部分や生活に関しては、もしかしたら想像以上のことになってる部分もあるな。

3 :
21世紀にはチューブ内を車が走ると思ってた。

4 :
まだもう少し時間が掛かるようだw
ttp://blog-imgs-50.fc2.com/a/s/a/asahirom/20120816_189.jpg

5 :
交通科学館で見た短編映画ではリニアモーターカーは20世紀内で実現される予想だったよ。
あと10年ぐらいでやっと実現されるみたいだが。

6 :
小学校に入学したとき買ってもらった学習机の正面パネル(?)にはしっかりリニアモーターカーが描かれていたが、進級するにつれ恥ずかしくなり裏返しにした。

7 :
昭和で思い出すのはゴールデンウィークの天皇誕生日。
いまはみどりの日。
それいったい何なんだ?てな感じ。
昭和天皇誕生日じゃいかんのか?

8 :
11月3日は明治天皇の誕生日の祭日だったらしい。

9 :
考えると昭和時代から比べると休日が色々と増えたよな。
そもそも土曜日も昔は普通の平日だった。
うちの親父は某有名企業に勤めてたが昭和〜50年代まで普通に出勤してたな。
小学校の授業も普通にあった。

10 :
うちの高校は4月の新学期が他校より1日早く始まり、その代わり5月4日を
休みにしていた(だから必ず3連休になる)。

けっこう羨ましがられたが、いまではもっと休めるんだな。

11 :
うちの両親ともども、地方の製造業勤務だったが、祭日でもよく出勤してたな。
昭和40年代中盤から60年代ってほんとに大人がよく働いていた。

12 :
>>11
高度経済成長時代のサラリーマンは凄い勤勉。
休みなく働いてるイメージがある。
東宝社長シリーズ、クレージーキャッツの映画とか見てると当時のサラリーマン事情が垣間見える。
とにかく大変そうに見える。
自分もいまサラリーマンだけど、昭和40年代にサラリーマンはできない気がする。
そろばん片手に書類は全部手書き。ネットやExcel無いと仕事できねえよw

13 :
>>12
根気のいる時代だったのは確かだろうな。
もうすぐ春闘だが、賃上げが何%になるかでシミュレーションの結果が
変わってくる。総務では予想されたいくつかの数字で表を作っておくが、
想定外の数字で決まると大慌てで作り直したとか。

もっとも、その分、精度とかは大雑把だったと思うが。

14 :
>>7
現在4月29日と5月4日がそれぞれ何の日と呼ばれているか、
今年のカレンダーで調べてみることを勧めるよ。
「国民の祝日」でぐぐってもいい。
もう制定されて8年にもなるんだが。

15 :
普通のサラリーマンは犠牲者役以外はあまり昭和特撮作品ではメインな役ではほとんど出て来ない。
ウルトラセブンのフック星人回くらいか。

16 :
普通の事務員・営業マンというのなら少ないが。防衛隊員も一応、サラリーマンだろう。
スペクトルマンの公害Gメンなんて完全に公務員だし。
ウルトラQの江戸川ゆり子は新聞社。万城目とジャンボーグの直樹も
パイロットだがサラリーマンといえる。
ミラーマンの京太郎も新聞社員。

17 :
80がもろ教員だ。

18 :
つまり、第二種兼業隊員というやつか(教員の給料の方が高い)。

19 :
昭和40〜50年代は学校の陰湿なイジメ問題や過激な校内暴力などはあったのかな?
社会問題をカリチュア化して、割とビビッドに描いてたのは第2期ウルトラだと思うけど
ウルトラなんかでは、イジメを行うシーンはいくつかあった。
極めつけはムルチなんだろうけど。

20 :
タックの山中、マットの岸田なんてもろに

21 :
https://web.archive.org/web/20150419042601/http://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org173868.png
編集・しもかわすすむ
編集連絡先 〒836 大牟田市大字手鎌8-1 下川進 方
緊急連絡!
『怪奇大作戦』の「死を呼ぶ電波」「24年目の復讐」「こうもり男」「殺人回路」
「ゆきおんな」収録のビデオテープを所有されている方、上記の連絡先にご一報くだ
さい(ちなみに当方、「狂鬼人間」と未公開版「人喰い蛾」を所有しております)!


https://web.archive.org/web/20150419042120/http://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org173864.jpg

本人了承の元で不特定多数に公開された下川進の住所情報
#出典元
#宇宙船Vol,91/通巻93 朝日ソノラマ 創刊20周年記念特大号
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004803OSS/

https://web.archive.org/web/20150418152604/http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org271612.png
下川進責任編集の著書で不特定多数に公開された奥付&制作者連絡先
住所 836-0004 大牟田市手鎌8-1 下川進マデ
E-mail CQS02000@nifty.ne.jp

22 :
昭和特撮っていまみたいに細かい世界観設定がなくて勢いだな。
まさに昭和の経済成長の勢いか。

23 :
それなりにこだわってた思う。
そうでないのもあったとは思うが、数が多かったので玉石混淆だったのはたしか。

24 :
三丁目の夕日'64見てたら、昭和の時代はおおらかだったなと思えた。
もっとも1964年は自分がまだ生まれる前だけどね。
ウルトラマンも70年代後半のブームの時が初見。
あのウルトラマンブームよりリアルのブームの方がやっぱり凄かったのだろうか?

25 :
自分は1964年生まれだが、新マン・エースが低学年で一次ブームはリアルタイムでは知らない。
77年〜9年のはアンダーグランドな子供とマニアの話で、社会的にはそんなに話題になっていなかった。
2次のころは世の中も騒いでいたように思う。
一次のころはもっとすごかったのか?
けれど、結局特撮が華やかだったのはその2回だけで、あとは当時を知る人が大人になり盛り上げて、
細々と今に至っているという感じかな。アニメに比べたら進化してないなあ。
将来的には絶滅危惧種かもしれない。

26 :
自分は月光仮面年生まれだが、第一次ブームはリアルタイムで知っている。
あの頃はTVもそうだが、オモチャ店は怪獣のソフビやプラモで溢れてた。
男の子はみんな怪獣かサンダーバードのプラモ作ってたよ。とにかく、
ヒーローより怪獣の方にスポットが当たってたね。
世の中も怪獣ブームに騒いでいたように思う。熱気があったな。
今思えばあのころは本当にすごかったのだな。TVのみならず映画も怪獣だらけ
だったし。

27 :
あと、昭和30〜40年代の特撮作品は海外ものの影響が大きい
スーパーマンやサンダーバード、シュービー号やタイムトンネルなど、
日本作品を超えるようなすごい作品が実際にTVでいくつも放送されてた
40年代初めのサンダーバードブームはけっこうすごかったと記憶する
男の子は必ずサンダーバード2号持ってたし、イマイのプラモはものすごく
出回ってたと思う
あの頃は、怪獣とメカとヒーローで日常生活が埋め尽くされてたと言っても
過言ではない

28 :
当時は「特撮作品」とか「特撮映画」なんて呼び方はなかった
「怪獣映画」とか「トリック映画」などと呼ばれていた
「アニメ」という言葉もなく「テレビまんが」「まんが映画」だった

29 :
>>27
昭和40年頃の特撮関連の玩具展開は、ソフビ人形が中心で、それにメカのプラモ、リモコン玩具が
メインで、今の戦隊やライダーの玩具展開みたいにガジェット系玩具があんまり無かったんだよね。
だからサンスタースパイメモとか、そういうものの方で喜んでた。
特撮のガジェット系玩具で大ヒットしたのは、やはり仮面ライダーの光る!回る!変身ベルトだろうな。

30 :
>>28
昔「東映まんがまつり」
最近「東映アニメフェア」

ただし今は三本立以上の上映形態はほぼ無くなった。
当時はまんがまつりやチャンピオンまつりで、賑やかしとして
テレビシリーズのブローアップ版上映があったのも懐かしい。
帰ってきたウルトラマンのツインテール編やシーゴラス編を劇場の大スクリーンで再度見るといった
今では実現が難しい贅沢を味わえたものだ。

31 :
東映まんがまつり… 懐かしい言葉だね
メインの長編アニメに、TV特撮作品編集ものがくっついてた
キャプテンウルトラ、マグマ大使、ウルトラセブン、赤影などを観た記憶がある
当時はカラーテレビがまだ普及してなかったのれ、映画のスクリーンで
初めてカラーの映像を見て、「おお、こんな色だったのか!」と美しさに
感動した覚えがある
昔はカラーの映像や写真は貴重だった  その意味で、駄菓子屋で売ってた
5円ブロマイドなどもけっこう貴重なものだったと思う

32 :
>>31
IDがなんかスゴイな。

33 :
ウルトラQ、ウルトラマン、マグマ大使の頃は、家のTVが民放1局と
NHKしか映らなかったので残念ながらリアルタイムではほとんど観ていない
そういう我らにとって情報源は雑誌の特集ページだった
ウルトラマンを初めて見たのは少年マガジンの巻頭特集
何かちょっと怖そうなヒーローだなと思うた
ウルトラマンはマグマ大使と放送時期が重なっていたので、学校では
ウルトラマン派とマグマ大使派に分かれて、どっちが強いかという激論を
交わしていた

34 :
昭和40年代初期はまさに怪獣ブームのど真ん中。TVも映画も、オモチャ店
も怪獣だらけ。ヒーローの影は薄かったように思う。
TVはウルトラシリーズやマグマ大使など、映画は東宝のゴジラと大映の
ガメラ、大魔神などがメインだった。
ガメラ怪獣は東宝のマルサン電動プラモと違い、日東からジェンマイの安い
ものが発売され、みんなよく買ってた。電動プラモ=お金持ちの子、
ジェンマイプラモ=庶民の子というイメーヂがあったのかな。
TVで放送局が映らなくて番組が見えない場合は、雑誌の特集ページや
朝日ソノラマのソノシートなどで情報不足をしのいでた。

35 :
当時のテレビ
わが家のは当然白黒テレビ。友人には東京オリンピックをカラーテレビで
観たという金持ちもおったが、カラーテレビが一般家庭に普及するのは
昭和40年代の中期ごろから。わが家がカラーテレビ買ったのも昭和45年。
白黒TVは真空管だったので、スイッチョを入れてから画面が映るまで1分
以上かかる。気の長いテレビだった。時々映らなくなると、テレビをバンバン
ぶっ叩いて直してた。

36 :
>>35
あの当時の白黒テレビは消した後にブラウン管のまん中に白い光の点がしばらく残るんだよな。
画面サイズも14や16インチが主流だった。

37 :
テレビもその後は予備電力使ってONにすればすぐ画面が出るようになったが、
パソコンを使い始めて起動に時間がかかるのを見ると、
まるで昔のテレビみたいで、時代が一巡した感があったな。

38 :
個人的に、初めて劇場で観た怪獣映画は昭和39年の「モスラ対ゴジラ」
この映画のゴジラは怖かった そしてすごかった 
大スクリーンで初めて観たゴジラは子供心に強烈な印象を残した
幼稚園のスケッチブックにはまっ黒なゴジラとモスラ成虫が描かれていた

この頃は映画館は海外ものの怪獣映画も上映してて、「吸血原子蜘蛛」や
「タランチュラの襲撃」「原子怪獣と裸女」「魔法の剣」などを観た記憶が
ある 怪獣だったら日本だろうが海外だろうが何でもありの時代だった

39 :
佐原健二がホテルで殴りあってるのが怖かった

40 :
この頃のアニメはテレビまんがと呼ばれてて、鉄人やエイトマン、パピイ、
スーパージェッターなどSF作品が多かったのが特徴
アニメと特撮ものは一線を画してたが「宇宙人ピピ」のような実写とアニメの
合成作品もあった  マグマ大使ではアニメ技法を多く取り入れていた

怪獣メインの時代の中で異色のブームだったのは海外作品の「サンダーバード」
あの作品はカラフルな色のレスキューメカが人気になり、プラモブームと
相まって大きな話題になった スティングレイ、キャプテンスカーレット、
シービュー号などの海外ものメカも人気を博した ミドリというメーカーの
シービュー号は男の子は一度は作ったものである

41 :
ゴジラはモスゴジ以降の作品は劇場でずっと観たが、昭和42年の初めに、
NHKで「ゴジラ」という作品が放送された。このゴジラであるが、自分が
これまで劇場で観てきたゴジラとは全く違ってた。衝撃的だった。

魚が骨になる場面が異様に怖かったが、全編を包んでいる不気味さ、戦争の
雰囲気などそれはすごい作品だった。子供心に鮮烈な印象を残した。
だんだん子どもたちのアイドルになりつつあった怪獣であったが、この
ゴジラ第一作だけは怪獣の本物の怖さが描かれていた。

42 :
ウルトラマン放送の頃、ウルトラマンが放つ光線の名前を友人に聞いて
ノートに書いておいた。そしたらそのノートを落としてしまい、落とし物
を教室で先生が生徒に示した時に「ス・ペ・シ・ウ・ム」とごていねいに
読み上げた。先生は意味不明な顔をしてた。

43 :
もっとそういう話聞かせて下さい!

44 :
>>42
ちびまる子(第1期)で、変質者(誘拐魔)に狙われたときの防御法を花輪君に教わったまる子が
それをノートに書いたら母親に見つかって怒鳴られたというエピソードを思い出したw
花輪君の説明→急所攻撃
まる子のメモ→おちんちんねらう

45 :
個人的には昭和40年代が自分の黄金時代(小〜中学校時代)であった
なので昭和30年代の作品については観た記憶がない
大人になって見直してみると、昭和30年代ヒーローもなかなか味わい深い
中には稚拙なイメージの作品もあるが、何もかも試行錯誤の時代ゆえ、
寛大な心で観ていってほしい

やはりTVヒーローの原点は昭和33年の月光仮面であって、この作品から
全ての特撮作品は始まった 月光仮面はやはり偉大な作品であると思う

46 :
その月光仮面だけど、お手本になったのはやはりアメリカのスーパーマン
かなと思う 全てのヒーローものの原点であると言えよう 
ジョージ・リーブス主演で日本での声吹き替えは大平透さんが
やった 日本での放送は昭和31年からで最高視聴率は74パーセント
後年再放送で観たが、なかなか面白かった 最近の映画版スーパーマン
のようにふわっと空に舞い上がるのでなく、だだだっと反動をつけて
えいやっと窓から飛び出すのが印象深い

スーパーマンを初めとする海外ヒーローは素顔を出しているものが多いが、
日本のヒーローは仮面ものが多いのが特徴ね  日本は仮面の文化

47 :
確か再放送で見たが、マンモスコングが家蹴っ飛ばすと、
ケーキの箱みたいに壁が四方に倒れてたような。
円谷とか見慣れた目にはチープに感じられたが、
あとあと予算がなくて安価なゼンマイ式のカメラで撮ってたとか知ると、
低予算でよくやってたとは思うね。

48 :
月光仮面の制作は初期は低予算で苦しい撮影だったらしい。
有名俳優はギャラが高いので当時無名の大瀬康一氏を起用、撮影スタジオも
なく制作会社社長の自宅をスタジオ代わりに使用など、涙ぐましい努力が
あった。人気が出てきてからは予算も増えて資材もいいものになっていったが、
当時の子どもたちが月光仮面を真似て高い所から飛び降り、ケガ人が続出した。
新聞や週刊誌が有害番組であると批判し、人気だったにもかかわらず制作は
終了となった。

これは人気ヒーロー作品の宿命。仮面ライダーなどでも同様のことがあった。
今でこそ特撮作品はその地位が確立されて有害番組などの批判は出ないが、
月光仮面当時は全てが初めてで試行錯誤の連続であり、このようなジャンル
の作品は他になかったため(前年にスーパージャイアンツがあるが、これは
劇場作品)当時の社会からの風当たりも強かったのだろう。そのことは
同時に、テレビというものの影響力の大きさを見せつけた実例であった。

49 :
昭和33年は東京タワーができた年で、月光仮面の映像にも建設中のタワー
がちょこっと映ってるらしい
長いこと月光仮面が日本初の特撮ヒーローだと思っていたのだが、実は
前年に宇津井健さんのスーパージャイアンツが登場してる
こっちは劇場作品だったようだが、チラッと映像を見た感じでは宇津井さは
けっこうがんばって演じているなと思った  しかしあの真っ白なモッコリ
タイツは、何かと話題になったものである  そういえば月光仮面も純白
なモッコリタイツであるのは共通している  しかしモッコリ度では
スーパージャイアンツの方が勝っていた(笑)

50 :
昭和30年代の子供向け作品を観ると
確かに稚拙というか、
野暮ったい印象はある。

でも、子供のために真剣に作ってる意気は感じるな。
とにかく、子供が観るものだからと
その規範になるよう造型されたヒーロー像には感服する。

51 :
1960年放送の「快傑ハリマオ」は個人的に好きな作品だが、第1話〜5話
のみ試験的にカラーで制作され、日本初のカラーテレビ映画となった。
第3部ではカンボジアのアンコールワットでロケを行い、日本のテレビ史上
初の海外ロケとなったのだが、現地の人に誤解され軍に拘束されかけたのを、
偶然に日本語を話す人がいて事なきをえたというエピソードが。
CGなんかあるわけもなく、当時の撮影はまさに命がけだったようだ。
また、当時のヒーローは人間的にも子どもたちのあこがれの的であり、撮影中
だったハリマオ役の勝木さんが見学の子どもたちに「君たち、ちゃんと勉強して
いるか?」と優しく語ってくれ、子どもたちが感激したという。
ヒーローというのは映像の中だけのものではないのである。

52 :
昔の日本人は大人を「演じてた」ってのに最近気付いたな

53 :
昭和30年代ヒーローは、月光仮面やハリマオ、遊星王などのように顔の
一部を露出したものも多い。スーパージャイアンツや海底人8823などは
素顔そのままである。
これはやはり、元祖スーパーマンが素顔だったためそれに習ったのかも知れない。
素顔の場合は表情を見せられるという利点がある。ハリマオの笑顔は印象が
強烈で、どんな苦難にも笑顔で立ち向かってゆくという気概が感じられた。
しかし七色仮面のように完全に仮面になっているヒーローもある。こちらの
場合、仮面に隠され素顔も表情も見ることはできない。だが一見無表情に見える
マスクも、見ようによっては様々な表情が感じられるから不思議なものだ。

54 :
主題歌では「月光仮面のおじさん」「七色仮面のおじさん」と歌われており、
おにいさんではない。そう、昔のおじさんは強かったのである。今の時代では
実に弱々しいイメーヂになってしまった「おじさん」という言葉であるが、
昭和30年代のヒーローはみんなおじさんであり、強く正しくカッコよかった。
子どもたちに知恵と勇気を与えあこがれを抱かせた。

ただし番組を観てるのは子どもたちなので、子どもを主人公にする特撮作品
もあった。「少年ジェット」や「まぼろし探偵」など。少年ジェットは精悍な
シェーンという犬を連れていて事件を追ってバイクでさっそうと現れる。
ウー、ヤー、ターと叫ぶミラクルボイスが武器だが、画面上で敵の
ブラック・デビルがボイスで地面が揺れてふらふらになってるのに、向こう
を歩いてるオバサンは何事もなく平然と歩いてるのが可笑しかった。
まぼろし探偵はバイクに乗れなかったためか、まぼろし号という空飛ぶ乗り物
に乗ってやって来る。若き日の吉永小百合、藤田弓子が出演してることで
話題となった。しかし、まぼろし探偵が出てくると必ず事件がややこしくなり、
初めから警察に任せた方が解決が早いであろうという事件も多かった。(笑)

55 :
<血湧き肉躍る主題歌>
昭和30年代ヒーロー番組の主題歌は印象深いものが多い。
月光仮面は誰でしょうのように子どもの視点で歌われている歌もあるが、
(月光仮面が現れる時に流れる「月光仮面の歌」がこれまたカッコいい)
文語調の勇壮な歌も多い。個人的に好きな「ジャガーの眼」の主題歌は
出だしが♪正義のために 決然立って もえる血潮を たぎらせる♪
という燃える歌である。小川寛興氏の曲はどれも素晴らしいと思う。
快傑ハリマオの歌は有名歌手、三橋美智也が歌っている。近藤圭子さんの
歌う副主題歌「南十字星の歌」がこれまた名曲。
他にも七色仮面の♪デンデントロリコ やっつけろ♪という意味不明の歌詞
もあれば、誰もが知ってる少年探偵団の歌も。

現在、これらの歌はほとんどがカラオケに収録されてて歌うことができる。
いい時代になったものだ。

56 :
>>55
> 現在、これらの歌はほとんどがカラオケに収録されてて歌うことができる。
でも機種によっちゃ演奏がコレジャナイだったりするからなあ。
以前ハリマオ歌おうと入れたら、流れてきた演奏聴いて絶望した。

57 :
>>56
 ハリマオの演奏はそんなに違和感なかったけどね。最近はなるべくオリヂナル
の演奏に近づけようとカラオケ会社も努力してると思う。
ハリマオの歌、DAMの方には作品映像が入ってて臨場感があるよ。この歌は
ほんまにいい歌だね。昭和30年代ヒーローソングの中ではベスト。

ハリマオだけど、フィギュアが超人ヒーロー伝説のシークレット(完成品)
と、ボクースのキャストキットでリアルなのが出てる。ボクースの方は自分
で彩色が必要だが、アロハシャツの模様が複雑なので苦労した。
DVDの最近出た方(第1部)が、カラー版が実にきれいになってる。
それと、マルベル堂のブロマイドにハリマオが10数種類ある。これは
けっこう貴重な写真だと思う。HPから購入できる。

ハリマオで残念なのは、主演の勝木敏之さん、ヒロインの近藤圭子さんが
インタビューなどで全く姿を見せてくれないこと。まだご存命だと思うので
当時子どもだった我々にもう一度姿を見せてほしいもの。ま、ご本人の
ご事情もあるかとは思うけど。

58 :
カラオケの話題だけど、最近は昔に比べてアニメ・特撮ヒーローソングが
本当に充実してる。昔はレーザーカラオケで特撮ソングなんてちょびっと
しかなかったからね。

昭和30年代ヒーローの歌はDAMとジョイサウンドでほとんど出てるので
演奏さえ気にしなければそれなりに歌える。入ってないのは「遊星王子」
「海底人8823」「忍者部隊月光」あたりかな。月光はけっこう有名ソング
なのでぜしとも入れてほしいところ。
月光仮面の歌はJOYに入ってるが、この歌はキーが高いので難しい歌だが
うまく歌えば月光仮面になれた気分になる。月光仮面はアニメ版の歌も
なかなかよい。個人的にはやはり「ジャガーの眼」が最高の曲だけど、
この歌前奏がやたらと長いので歌い出すまで待ちくたびれる。
ハリマオを歌う時にはぜしとも、ターバンを頭に巻いてサングラスをかけ、
やーさんっぽいアロハシャツを着て口元に笑いを浮かべて歌おう。(笑)

59 :
昭和63年当時、カラオケに入っていた特撮ヒーローは月光仮面だけだったわ(´・ω・`)

60 :
昭和54年ごろ、家庭用カラオケのテープに「海底人8823」があったのは覚えてる。
しかしそのころに存在を知った「快傑ハリマオ」は視聴するのに、30年近くかかった。

61 :
月光仮面は、「〜だれでしょう」しか入ってるの知らない。
「♪月の光を〜」の方、「月光仮面の歌」好きなんだけどな。

「正義を愛する者 月光仮面」が、OP(だれでしょう)はわかるが、EDも原曲のアレンジだと数年前に気付いた。
(そういえば!&そうだったのか!の目からウロコ状態)

>>57
リアル映像使ってるのもあるね。ああいうのは良いね。
他は裕次郎映画の歌くらいでしか知らないが、
例えば所謂“てれびまんが”の主題歌歌うと画面に出てくる、わけわからんへんてこアニメも何とかして欲しいw
「映画版あしたのジョー」の「美しき狼たち」なんか、ドラマ仕立ての映像になってたりするんだけどね。

62 :
>>60
 海底人8823ね。1960年の作品で原作と脚本は空の大怪獣ラドンで
有名な黒沼健氏。たしか第1話の始まりが、ベルトを落として倒れてる
8823を少年が救うというシチュエーションで、他のヒーローものには
あまりない展開。歌はけっこう有名だが、現在のカラオケ機器には入って
いない。ぜし入れてほしいね。
>>61
 月光仮面の歌(三船浩)はジョイサウンドの方に入ってます。この歌は
キーが高くてサビが歌いづらいので、最初から低めのキーで歌うとちょうど
いい。歌う時はサングラスと白覆面で。(笑) 作品中では、最初は三船さん
ではなく別の人が歌ってる。アレンジもちょっと違う。
アニメ版のこの歌も、歌詞は全く同じで旋律だけが違う。作曲の三沢郷氏の
手腕で素晴らしい歌に仕上がってる。CDには収録されてるが、カラオケ
には未収録である。TVでは時間の都合で短縮バージョンしか流れない。

63 :
だんだん昭和特撮ヒーロー・カラオケトピになってきましたが(笑)、昔は
歌えなかったヒーローソングが最近はほとんど入ってるのはいいことですね。
ただ、有名な歌なのになぜかどこにも入ってない歌とか、全く有名でないのに
「こんな歌が入ってるの〜?」っていうのはあるよね。

こないだジョイサウンド歌ってたら、「妖星ゴラス」の「俺ら宇宙のパイロット」
や「大巨獣ガッパ」の歌が入ってたのはびっくりした。なんともマニヤック。
個人的に入れてほしい曲は、昭和30年代なら「忍者部隊月光」だね。あれは
名曲。あと、「ガメラの歌」「怪竜大決戦」「ワタリ」などの特撮映画の
歌を入れてほしい。「宇宙大怪獣ギララ」の「月と星のバラード」もいい。
TVものなら「魔神バンダー」とかレアかな。

64 :
昭和30年代は東宝の怪獣映画でも、有名怪獣の多くが出そろった時代。
ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ、バラン、アンギラスなど。
怪獣映画以外にも「地球防衛軍」「妖星ゴラス」「海底軍艦」などのSFもの
や「マタンゴ」などの怪奇もの、「ガス人間㐧一号」などの変身人間シリーズ
など数多くの作品が作られた。
東宝の特撮作品は、昭和30年代に花開いたと言っていいだろう。ワタシは
昭和30年代の東宝映画はリアルタイムではモスゴジだけしか観てないが、
後年リバイバルやTV放送等で全部観た。どの作品もパワーに溢れた作品で
素晴らしい。作品の詳細はまた後日。

65 :
東宝と肩を並べ特撮映画を制作してたのは大映。東宝のゴジラ以前に
「虹男」「透明人間現わる」という作品を発表してるし、その後
「宇宙人東京に現わる」「鯨神」「風速七十五米」「釈迦」などの特撮
映画を制作した。やがて、この流れは昭和40年代になってガメラという
ゴジラに匹敵する知名度を持つ大怪獣を生み出す。

昭和39年公開予定で撮影が進められてた作品に「大群獣ネズラ」という
のがあるが、これは撮影に生きたネズミを使ったため撮影がうまくいかず、
また衛生上の問題で近隣からの苦情等が発生しやむなく中止となった作品。
少しだけ撮影されて予告編も作られたそうだがそのフィルムは現存せず
幻の作品である。もしもこの作品が成功してたならば、大怪獣ガメラでなく
大怪獣ネズラが生まれてたかも知れないね。(それも観てみたいが)

66 :
>>64
 変換不可能文字が入ってました。「ガス人間第一号」ですが、正式題名の
第という漢字は昔の省略した方の漢字になってます。

67 :
昭和30年代の特撮は映画とテレビでは明らかに隔差があった。
特に東宝特撮映画は映画だからできるスペシャルでゴージャスなものだった。
そういう差が無くなってきたのはやはりウルトラQ以降なんだろうね。

68 :
>>67
 それは言えますね。いかに特撮映画の方が予算がかかってたかが分かる。
それは映像を見ても一目瞭然。とくに東宝特撮のち密さはすごい。
妖星ゴラスの、あのジェットパイプ建設場面のリアルで細かいミニチュア
ワークは見ていてため息が出るほど。しかも美しいカラー映像であるし。
個人的にはこの映画、昭和30年代特撮映画の中でも最も秀逸なできばえ
であると思う。地球を動かすという壮大なお話も含めて。

同じ時期、TVでは低予算でモノクロ映像のヒーローものを作ってたのだから
その格差にあ然とする。しかしながら、その低予算の中でも素晴らしい魅力的な
ヒーローを創り出していった制作会社もすごいと思う。

69 :
「妖星ゴラス」(1962年)とともに、個人的に好きな東宝作品は「海底軍艦」
(1963年)かな。あの海に潜り、空を飛び、地中までも進んでゆく万能戦艦の
イメージは圧倒的なものがある。太平洋戦争の雰囲気がほのかに感じられ、当時の
時代感覚がよく分かる。当時日本人の心には、まだ戦争の傷跡が残っていた。
それが特撮映画にもにじみ出ている。
この作品もミニチュアワークが素晴らしいが、驚くほど短期間で撮影されている。
音楽がまた素晴らしく、東宝特撮にはなくてはならない伊福部昭氏。個人的に
いちばん好きな曲は、真琴が神宮寺大佐と再会する時に流れる「真琴のテーマ」
これは名曲。轟天号発進シーンの曲も素晴らしい。
この海底軍艦の万能戦艦というイメージは、後の円谷プロのマイティジャックに
世界観が引き継がれた。

70 :
キカイダー01の主題歌を歌いながらスカートめくりをしたのが思い出
「見える〜go-go」

71 :
仮面舞踏会を作詞したちあき哲也さんが亡くなった

72 :
ここの平均年齢いくつだよ?(´・ω・`)

73 :
「妖星ゴラス」は本当にすごい映画。円谷英二による東宝特撮映画50本目の
集大成であり構想3年、製作費3億8千万円、製作延日数300日、特撮パートが
全体の3分の1を占める超大作である。
何といっても地球を動かすという壮大なSFスペクタクル。実際にはあのような
ジェットパイプでは地球を動かすことはできないらしいが、映画では素直に
信じてしまう。
映像の中で明らかな嘘は、地球から夜空の月ゴラスに吸い込まれるのが見える場面。
月が吸い込まれるようになったら、もうその時点で地球はゴラスに引っ張られて
ダメだという。怪獣マグマはナゼかウルトラQのトドラに酷似。
ウルトラマンに登場するジェットビートル機の原型が登場する。宇宙船隼号の
乗組員が「万歳!」と叫びながらゴラスに呑み込まれるシーンは悲壮。
この作品の音楽は伊福部氏ではなく石井歓さん。「俺ら宇宙のパイロット」は
なかなかの名曲。この歌、なんとカラオケに入ってるのでみんなで歌おう。

74 :
>>73
調べてみたけど、昭和37年当時の公務員初任給が17000円程度。
現在が約20万円程度だから、現在に換算すると約40億円程度の製作費になるんだな。
たしかに超大作で当時は映画会社も力があったんだなと思う。
ゴジラ54も公称製作費が約1億らしいが、昭和29年になると、公務員初任給が6000円程度。
ゴジラ54の製作費も30億円程度の換算になる。
ちなみにGFWが今のところ平成ゴジラ最大の製作費で20億円程度だから、いかに凄いかよくわかる。

75 :
何ですかこの自演書き込みの連続は?
本人は気付かれていないと思っているのでしょうか? (笑)

76 :
>>74
予算的にも東宝特撮はすごかったということだね。初代ゴジラだって、一時は
上層部の反対で企画が没になりかけてたとか。それを実現にこぎつけた、
しかも外国のダイナメーション方式でなく着ぐるみ方式で新たな特撮を生み出した
円谷英二を初めとする東宝スタッフは偉いと思う。ゴジラ第一作にはその
思いが全て込められている。あれをしのぐ怪獣映画はない。ゴジラの大ヒットが
その後の多くの東宝怪獣を生み出すきっかけとなった。
考えてみれば、東宝がなければウルトラマンも生まれてなかった。東宝から
いろんなものを借りてできたものだから。
その偉大なる東宝が来年久々にゴジラを公開する。期待したい。

77 :
ずっと昭和30年代の話題が続いてきたので、昭和40年代のことも考察
していきたいと思う。
第一次怪獣ブームは「ウルトラQ」「ウルトラマン」の影響で巨大な「怪獣」
が登場する特撮TV番組が相次いで制作され、子どもたちを主体として
爆発的に怪獣がブームとなった社会現象だった。時期としては1966年(昭和41年)
から1968年(昭和43年)頃である。前にも書いたが、この頃はTVも映画も
雑誌もオモチャ店も怪獣、怪獣、怪獣のオンパレード。まさに怪獣の時代だった。
この時期、東宝のゴジラに対抗して大映のガメラが誕生している。同時期に発表
された大魔神の3部作も強烈なインパクトがあった。
大映は「大群獣ネズラ」の企画が頓挫し、新しい怪獣を追求した結果生まれた
のがガメラ。ネズラも観てみたかったけど、怪獣はやはり哺乳類より爬虫類の
方がしっくりくる感じがする。このガメラは初めて劇場で観た時、ゴジラとは
また違った怪獣のイメージを感じた。

78 :
「大怪獣ガメラ」は当時劇場で観た。モノクロ作品だったが、なかなかの
大迫力であった。北極の氷をかきわけて出てくるその巨体、車の急ブレーキ
にも似た鳴き声、巨大な亀を思わせる(劇中では亀の怪獣というセリフはない)
大怪獣であった。
北海道の灯台にその姿を見せた際、ピンチの子どもを受け止めて救う。この
場面でガメラは子ども好きであるという性質を見せるが、これはゴジラには
ない一面である。「ガメラが助けてくれたのよ」という劇中のお姉さんの
セリフに対して、近くに座ってた子が「そんなことあるか!」と大きな声で
言ってたのを思い出す。

そして中盤で子どもたちがびっくり仰天したのは、ひっくり返されたガメラが
手足を引っ込め、火を吹いて空中に舞い上がった場面。そう、ガメラは空を
飛べるのだ。そのグヮラグヮラという回転ジェットの効果音は、いつまでも
忘れられない素晴らしい音であった。この奇想天外な設定は、ゴジラにはない
大きな魅力であった。

79 :
ガメラ映画はシリーズ化し、第2作は昭和41年4月公開の「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」
であった。同時上映は「大魔神」という豪華な組み合わせ。今作からカラーと
なり予算も増えたせいか、凝った特撮場面が多く見られた。
個人的に一押しの場面はバルゴンが大阪城で虹光線を出し、それを追うように
ガメラが回転ジェットで飛来するシーン。虹光線にガメラが触れるたびにバチッ
というスパーク音が響き、雄大で美しい場面であった。対決もすさまじいもので
お互い流血のすごさ。バルゴンは横に長い怪獣なのでシネスコ映画の横長の画面は
ピッタリであった。
この映画はガメラシリーズで唯一、子どもが出てこない作品。バルゴン登場までの
ドラマ部分がかなり長く、途中で退屈してしまった子もいたとか。湯浅憲明特撮監督
はそのあたりが不満だったそうだ。映画はヒットしたが、特撮に予算を使いすぎて
赤字だったらしい。
その反省を踏まえ、いよいよ次作でガメラシリーズの最高傑作が登場することになる。

80 :
「ガメラ対バルゴン」の音楽は水戸黄門でおなじみの木下忠司氏。勇壮で
ドラマティックな音楽が生まれた。
この作品、徹底した悪人が登場して殴り合いをしたり、障害者を殴りつけたり
子どもに見せるにはちょっと酷い描写が多い。怪獣同士の戦いもお互いに血を
流してやや残酷とも見える演出。昭和41年当時の社会通念は、今の時代とは
かなり違ってたと思う。

81 :
「いちばん面白い怪獣映画は?」と聞かれたら迷わずこの作品。
「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」昭和42年3月公開。
バルゴン映画の反省をふまえ、怪獣登場を早い時間にし、戦いの場を陸、海、空
と様々な所に設定し、テンポ良い物語に作り上げている。人間ドラマと特撮の
リズムもよく、怪獣が多く出てくるので観ていても面白い。
この作品からガメラは完全に人間の(とくに子どもの)味方、ギャオスは完全に
敵というキャラクターの明確さが出ている。子どもたちにとっての圧巻は、ガメラ
が英一少年を背に乗せて空を飛ぶシーン。これは日本全国の子どもたちの願望で
あったのを実現した世紀の名場面。この世界観はゴジラにはない。

この作品は、いちばん偉いのは子ども。子どもが怪獣の命名から作戦指揮まで
全てやってのける。子どもにとってはまさに夢の映画。東宝の怪獣ものは全て
大人が主役なのとは対極的である。これこそまさに大映特撮のポリシー。
ラスト、ギャオスを倒して去ってゆくガメラに手を振る英一少年。それは
まさに、日本中の子どもたちの代表であった。素晴らしい映画である。

余談だが、当時劇場でこの作品を観てた時のこと。近くの席に座ってた男の子
が「ガメラってすごいよな。手を切られてもまた生えてくるんだよ。」
と言った。ふーん、そうなのかと思って観ていたら・・・ ちゃうやん、足が
生えてくるのはギャオスやん、うそつき。人の言うことは信用できない。

82 :
何ですかこの自演書き込みの連続は?
本人は気付かれていないと思っているのでしょうか? (笑)

83 :
この昭和42年こそ、第一次怪獣ブームが最も盛り上がった年。
映画の方は「ガメラ対ギャオス」「ゴジラの息子」「キングコングの逆襲」
そして日活と松竹が怪獣映画に参戦した「大巨獣ガッパ」と「宇宙大怪獣ギララ」
が公開。TVでは「キャプテンウルトラ」「仮面の忍者赤影」「忍者ハットリくん
+忍者怪獣ジッポウ」「怪獣王子」「ウルトラセブン」「ジャイアントロボ」
「光速エスパー」が放送されていた。どの作品にも怪獣が登場する。
また「タイムトンネル」「サンダーバード」「原潜シービュー号・海底科学作戦」
などの海外特撮番組も同年に放送され、とくにサンダーバードはイマイの
プラモデルブームを巻き起こし、怪獣に負けない熱気があった。怪獣とスーパー
メカ。思い起こせば本当にすごい年だった。

ウルトラセブンが始まる時、友だちに「ウルトラセブンって体の模様はどんな
感じなん?」と聞いたら「ウルトラマンとだいたい同じやで」と教えてくれた。
後日セブンを見たら「なんや、全然違うやん」 友だちの言うことはあてにならない。
セブンはリアルタイムで観ることができ、スペル星人の回も覚えている。

84 :
ちなみにこの昭和42年、わが家ではレコードプレーヤーを購入。やっと
レコードが聴けるようになった。んで、やはりウルトラマンの歌が聴きた
かったので父親に「ウルトラマンのレコード買ってきて」と頼んだら、
買ってきたのがキャプテンウルトラのレコード。これちゃうねんともう一度
頼んだら、今度買ってきたのは東芝レコードの「科学特捜隊」。かなり
近くはなったけど、このレコードには科特隊の歌と科特隊宇宙へのドラマが
入ってるねん。肝心のウルトラマンの歌は入ってない。まあそのレコードは
見開きがネロンガとバルタンとウルトラマンの壮大な写真で、現在では
レアなことはレアなんだけど。で結局、ようやくやっとウルトラマンの歌
のレコードを買ってきてくれた。やれやれ。

しかしマニアックな話、多くのレコードで流通してたのはAタイプと呼ばれる
やや高年齢の子どもの合唱団が歌ってるバージョン。テレビではそのバージョン
は第1話とアントラーの回しか流れてなく、テレビでの多くはBタイプという
やや低年齢の子ども合唱団が歌ってるバージョンだったと・・・
そんなことはずっと後年になって初めて知ったのであった。

85 :
昭和42年にはもう一つジャンルの異なる特撮番組がスタートしている。
7月から始まった「コメットさん」である。コメットさんといえば大場久美子
さんのを思い出す人が多いかも知れないが、大場さんのは第2期(昭和53年)
で初代は九重祐三子さんが演じた。原作は鉄人やジャイアントロボの横山光輝氏。
1話〜19話はモノクロ、第20話からカラー制作になった。途中から住み込んでいる
家庭の両親役が交代。
内容は、ベータ星からやって来た宇宙人のコメットさんが魔法のバトンを使って
様々な事件を起こしたり冒険をしていくもの。2人の子どもたちがメインとなり
より子どもの心に添ったファンタジックな特撮作品である。特撮もコマ撮りの
人形アニメや合成、セルアニメ等様々な技法を駆使している。
個人的に好きなエピソードは78話の「いつか通った雪の街」 このお話は市川森一氏
脚本、山際永三監督の豪華スタッフ。不思議な雪の街に迷い込んだこうじ君の冒険
がファンタヂックに描かれる。

大場久美子版のコメットさんはファンタジーな雰囲気ではなく恋愛ものにテーマが
変更された。ウルトラマンタロウやレオ、刑事犬カールなどの客演もある。
九重版、大場版の両方とも主題歌がカラオケに入ってるので、ファンの人は
歌ってね。なお、九重版の主題歌は2種類あるが最初の歌はレコードの存在も
確認されてなく幻の主題歌となっている。

86 :
ここに書きに来ることじゃない

87 :
昭和42年の夏、町に貼ってあった映画のポスターを思い出した。それは
「長篇怪獣映画 ウルトラマン」であった。この作品は「キングコングの逆襲」
の同時上映であったが、なぜか観に行った記憶がない。大スクリーンで
ウルトラマンの活躍がカラーで観られたのに、なぜ行かなかったのだろう。
今となっては分からない。
この年の冬、小生は肺炎で入院し、ウルトラセブンは病院のテレビで観た記憶
がある。病室では少年画報で怪獣王子のグラビアを見ていた。駄菓子屋で赤影、
キャプテンウルトラなどの5円ブロマイドを買っていた。近所の駄菓子屋兼
プラモ屋でマルサンのシュピーゲル号、ウルトラホーク1〜3号を買った。
またイマイの「サンダーバード・パノラマセットNO2」も置いてあり、
自転車の後ろにくくりつけて買って帰ってきた。この箱は小松崎茂氏作画の
素晴らしいもので、今でも捨てずに残してある。

88 :
>>87
いつもレスを拝見してます。
自分は昭和50年代産まれなので、特撮ファン視点で昭和30〜40年代をリアルに体験した証言はなかなかに興味深いです。
昭和60年代まで連載続けて下さい。

89 :
話が昭和41年に戻るが、当時「ウルトラマン」は放送局が映らず見えなかった
が一度だけリアルタイムで観たことがある。それは昭和41年の8月7日、
「大爆発五秒前」のラゴンの回だった。ちょうど夏休みで親戚の伯母さんの
家に行っており、そこで視聴した。テレビは白黒テレビであったが、迫りくる
大迫力のラゴン、大波をかぶるホテルの場面などを覚えている。なぜかウルトラマン
との対決シーンは覚えてないのだけど。

この頃、読売テレビでは「バットマン」「快傑ゾロ」なども放送されていた。
バットマンは後年の劇場版のようなダークなものではなく、コミカルな内容で
あった。登場するバットモービルは60年代テイストで実にカッコいい。

90 :
>>88
 読んで下さってありがとうございます。私の子どの時代の経験の中で特撮
に関することを思い起こして記述しています。昭和文化を語るというところ
までは及ばないかもですが、主に昭和40年代以降の覚えていることを記載
していきます。少しでも参考になれば幸いです。
残念ながら、さすがに昭和30年代は東京オリンピック前後の記憶しかなく、
それ以前は覚えていません。昭和30年代ヒーローについては映像や文献で
見るしかできないですね。個人的には昭和40年代が最も楽しい時代でした。

91 :
「長篇怪獣映画 ウルトラマン」って新作じゃないけど、
時代が時代だけに別に不満は持たれなかったのかな?

92 :
なお脚本家の會川昇は、オークション等で必死こいてピープロ作品の台本を落札していったそうです
そういう趣味に対する貪欲さや熱意ある姿勢も見習うべきと思うのですが、いかがでしょうか?

https://web.archive.org/web/20150419042601/http://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org173868.png
編集・しもかわすすむ
編集連絡先 〒836 大牟田市大字手鎌8-1 下川進 方
緊急連絡!
『怪奇大作戦』の「死を呼ぶ電波」「24年目の復讐」「こうもり男」「殺人回路」
「ゆきおんな」収録のビデオテープを所有されている方、上記の連絡先にご一報くだ
さい(ちなみに当方、「狂鬼人間」と未公開版「人喰い蛾」を所有しております)!
*****************************************


https://web.archive.org/web/20150419042120/http://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org173864.jpg

〒836-0004 福岡県大牟田市手鎌8−1 下川進
本人了承の元で不特定多数に公開された下川進の住所情報
#出典元
#宇宙船Vol,91/通巻93 朝日ソノラマ 創刊20周年記念特大号
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004803OSS/

https://web.archive.org/web/20150418152604/http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org271612.png
下川進責任編集の著書で不特定多数に公開された奥付&制作者連絡先
住所 836-0004 大牟田市手鎌8-1 下川進マデ
E-mail CQS02000@nifty.ne.jp

作品研究のために熱意ある行動をとる會川昇センセイや雑誌ライター達の姿勢を見習おう

ってテンプレを脚本スレに掲げようじゃ無いか

どうだ、素晴らしいだろう?

93 :
>>91
 当時、私も含めてウルトラマンの本放送を視聴できなかった子どもたちは
けっこう多かったのではと推測します。なので本放送を観ていない子の
ためにアピールする意味もあったのかと。本放送が終わって数ヶ月という、
時期的にまだウルトラマンが忘れられないうちにもう一度という感じ
でしょうか。
また「作品自体はテレビ作品の再編集版であった。だが当時はまだカラー
テレビの普及率が低く、白黒で見ていた当時の多くの子供達の間では、
カラー映像で動くウルトラマンとウルトラ怪獣の対決を目にする事が
出来るという事で人気を博した」という記載がWikiにありますね。

ウルトラマンの本放送をカラーテレビで観たという人は、よっぽどの
お金持ちの家庭だけだったでしょう。当時の子どもたちはふだんは白黒
テレビを観ていたので、「カラー」というものに憧れがあったと思います。
なので映画館の大スクリーンで登場した、美しいカラーのウルトラマンや
大怪獣に大いなる感動を持って観ていたのでしょうね。

94 :
昭和42年公開の特撮映画なんですが、小生が劇場に観に行ったのは
「ガメラ対ギャオス」「ゴジラの息子」「大巨獣ガッパ」「宇宙大怪獣ギララ」
でして、「キングコングの逆襲+長篇怪獣映画ウルトラマン」だけ観に行って
ないんですよね。学校への道にはウルトラマンのポスターも貼ってあったのに、
なんで行かなかったのか理由は不明です。一生の不覚ですな。

他の作品の感想ですが、ギャオスは前述のとおり最高傑作。息子ゴジラは
ちょっと顔がヘンだったかな。ゴジラがついにパパになり、かつての威厳は
どこへやら。ギララとガッパはけっこう面白かったですよ。当時は松竹とか
日活とかの映画会社がどうとかいうのは全く気にしてなく、単に怪獣が出て
活躍してくれればよかったみたいです。

95 :
「大巨獣ガッパ」だが、この怪獣映画は他の作品とちょっと違う印象を受けた。
まず、ガッパはむやみに建物などを壊さない。進路にあるものを退けるのみ。
ストーリーはイギリスの怪獣映画「怪獣ゴルゴ」(1961年)を下敷きにし、
連れ去られた子どもを捜しに親怪獣が日本にやって来るというものである。
ラストの再会場面は涙なくしては見られない。こういう怪獣映画は他にない。

美樹克彦の歌うエレキサウンドの主題歌「大巨獣ガッパ」はなかなかの名曲。
当時レコード買ったね。カラオケにも入ってるので歌ってみよう!
副主題歌の「がんばれ仔ガッパ」はお涙ちょうだいソング。劇中でも流れたが
この歌を聴いてると涙が出てきます。ええ歌ですわ。

96 :
怪獣映画以外の特撮映画も思い出してみると・・・
劇場で観た作品でよく覚えているのは、昭和41年7月公開の東映作品、
「大忍術映画ワタリ」である。同時上映は漫画映画「サイボーグ009」であった。
どちらの作品も少年マガジンに連載していた。金子吉延氏演じるワタリと
牧冬吉氏演じる爺のコンビは、翌年の仮面の忍者赤影にそのまま受け継がれた。

内容的には、子どもが主役で忍術や特撮も素晴らしく、大変面白い作品であった
と記憶する。しかし原作者の白土三平は試写で「こんな映画を上映させるわけには
いかない」と激怒し席を蹴って帰ってしまったという。まあ個人的には原作は
知らんので、映画が面白ければそれでいい。
作品中には翌年の赤影に登場する悪役俳優がズラリ勢ぞろい。どの人もすごい
演技であったのだが、中でもその演技のすごさに驚いたのは悪忍者のボス的存在の
大友柳太朗氏。ワタリの忍術をことごとくはね返し、それはすごかった。
音楽は小生の好きな小川寛興氏。♪ワ〜タ〜リ〜♪と歌う主題歌は印象深い。
この歌、残念ながらカラオケには入っていない。いい歌なのにな。

同時上映の「サイボーグ009」も実に面白かった。この時の009は赤い服
ではなく、純白の服に赤いマフラーであった。個人的には今でも009は
♪赤いマフラ〜 な〜び〜かせて〜♪なのである。

97 :
良スレ

98 :
自分は完全にウルトラ二期しか知らない世代ですが、この書き込みを見て
一期時代の熱気、こどもたちの気持ちがまるでそこにいるかの感じます。
完全に受けて目線の正直な気持ちが、書かれているのでものすごく興味深
いです。はっきり言って、作りて目線の文章水増しのプロの評論より読ん
でいて楽しくて価値があると思います。

99 :
>>98
 それはどうもありがとうデッス。
月光仮面と共に生まれてからずっと昭和の時代を、特撮作品やアニメと共に
見てきました。その体験を思い出して書き留めています。
ただし、昭和40年代以降はよく覚えてるんですが、さすがに昭和30年代
は東京オリンピックの頃ぐらいしか覚えてなくて、その当時の特撮作品に
ついては映像や文献で見るしかないです。
記憶が頼りなので間違いもあるかとは思いますが、今後もボチボチ書いて
いきますのでよろしくデッス。

100 :
あ、この内容、前の記事に書いてありましたねえ
だんだんボケてきましたな〜(笑)


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