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山で自分に酔ってそうな人を見つけたら報告するスレ(4プッ


1 :2018/03/24 〜 最終レス :2018/09/05
 
■ご覧の皆様へ■

登山キャンプ板にはブログ宣伝を行う荒らしや業者が常駐しています。
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1500267844/1
「wi1d28jp」(栗城ハンター)などの悪質ポストは踏まずにNG登録とadblock導入を。
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1501582881/1
煽りはスルーで楽しく語りましょう。


※前スレ
山で自分に酔ってそうな人を見つけたら報告するスレ(3プッ
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/out/1505790992/

2 :


3 :
ラブピンクさんとエッチしたい

4 :
https://pbs.twimg.com/media/C9559LXVYAAq4sS.jpg

5 :
ビストロきっちょむ最強伝説

6 :
もう許してやれよ

7 :
>>4
これ面白かったわ

8 :
なんでビストロきっちょむでスレたてないの?

9 :
はい
過疎スレ名物
ここまでが ↑ 運営の自演で〜す
釣られるネラーゼロ 
バ〜カ
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●■ 運営のアフィ稼ぎ日誌 その6■●
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オレは登山板を管理する運営です
登山板のCM料(アフィ)で生計を立ててます
CM料を稼ぐためには 登山板の過疎は死活問題
6台の端末駆使し自演でネラーを釣り炎上させます
炎上のエサは他人の悪口を自演であおることです
バカクズネラーさんのお越しをお待ちします! 
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10 :
>>4
こいつ好き。一巻に一回登場させてほしい

11 :
>>4
こいつはこれまでの登場人物の中でも面白かった

12 :
体調必至の話題そらし

13 :
自演はほころびバレるもの
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14 :
1、
登山者は自信のなさから逃れるため、他人の羨望を求めて山を登る。
自慢し、賞賛されるのが目的である。

深刻な劣等感から、他人に優越しなければならないからである。

愛情欲求と見返してやりたいと言う復讐心が動機である。
肉親の愛情欠如と心理的離乳を完成できないのが原因である

15 :
2、
肉親の愛を知っている人は神経症にはならない。
なぜなら愛されるためには今の自分のそのままで何も不足はしていないと感じているからである。
強迫的に名誉など求めはいしない。
人を軽蔑しながら神経症的名声追及などしない。

実際の自分を受け入れることと親からの心理的離乳とは同時に起きる。
親からの心理的離乳を完成できず、何時までも心理的に依存している限り、
実際の自分を憎み続けなければならないのである,,

16 :
3、
神経症者は不安である。

その自分の不安から賞賛や名誉によって逃れようとする。
名誉を誇示することで自信のなさから逃れようとする。だから名誉やお金に強迫的になるのである。

名誉やお金がなくては居ても立っても居られない。
それが名誉に「強迫的」と言うことである。

17 :
4、
神経症が山に登る。自分が登りたいわけではない。
賞賛されるため、しなければいけないからするだけである。

登れなかった。
すると登れなかったかった自分に対する絶望と後悔が残る。

成功しても幸せになれない人である。
なぜなら何事も自分の意志でしているのでないから。

18 :
5、
神経症的になればなるほど自分の出来ないことをしようと焦る。
それはいよいよ自分の願望ではなく、他人の羨望を求めて行動するからである。

八ヶ岳に登よりも、キリマンジェロに登ったほうがみなから

「わー、すごい」と言われる。

そう言われて、幼児期からの憎しみや、苦しみを一気に吹き飛ばしたい。

皆から尊敬されるものであれば、自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。
というよりも神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなっている。

自分の適性と関係なく、自分がしたくない事でも、とにかく褒められたい。

人に見せるための人生を送っている人である。

19 :
6、
神経症者は「この山」に登らなければいけないと思い込む。
自分の体力にあった山に登ればいいのだが、神経症型の人はそうは思えない。

神経症型の人が「この山」に執着するのは親の価値観なのだろう。
小さい頃の親を始めとする周囲の人の期待の内面化である。
実は楽しく登ればどの山でもいいのである。

皆に賞賛される自分、脚光を浴びる自分、そんな自分でなければ気がすまない。

理想像への強迫的執着である。実際の自分がその様に能力が無いのだから、
自分がなれるもので満足するというのが心理的健康である。

20 :
わ〜すんげ論文
だれも見てないけど
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21 :
7、
神経症者は、「こう」ならなければ満足できないというものがある。
しかし実際の自分はその様になる能力が無い。
あるいは本質的に自分の適性に、それは向いていない。
それにもかかわらず、神経症者はその様な地位に向けて強迫的な努力をすることになる。
 
おそらく大人になっても小さい頃の挫折を受け入れられないでいるのであろう。
なんとかして自分を嘲笑したものを見返してやりたい、
なんとかして親の失望を取り返したい、そんなものが無意識の領域にあるに違いない。
親が深い失望のため息をついたことによって受けた心の傷かも知れない。
自分の臆病に対して仲間があざ笑った時の心の傷がいつまでも無意識の中に残っているのかも知れない 

「べつにこれ以上偉くならなくてもいい」と思えないということが、理想像への強迫的執着である。
実際の自分がその様に能力が無いのだから、
自分がなれるもので満足するというのが心理的健康である。。

22 :
8、
神経症者にとって実際の自分は軽蔑の対象でしかない。責める対象としての自分なのである。
もう一方に愛される自分、人々から尊敬される自分がいる。それが理想の自分である。

この理想の自分と実際の自分の緊張関係から強迫性が生まれる。

強迫的になってしまう人は誰からも教えてもらっていないのだろう。
小さい頃、優しく教えてくれる母親がいなかったのだろう。

神経症者はいつまでも名誉、賞賛を強迫的に追い求め、
ついに現実の自分の人生に満足することが出来ないままで人生を終わることになる。。

23 :
9、
神経症者は苦労すれば幸せになれると錯覚している。
神経症者は「負け犬の生き方はイヤだ」と言う。

他人を軽蔑しなければ生きていけないほど深刻な劣等感を持っているという事なのである。
それだけ苦しいと言うことなのである。

人を軽蔑しなければ生きていけない。

神経症的名声追及の過程には復讐的勝利への衝動が隠されている。

強迫的に名声を求める人は心の底に屈辱感を抑圧している。。

24 :
10、
神経症者には、見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが最初にあるから、
現実の自分には不可能としか考えられない様な大成功を求める。

見返すために必要な成功、それが自分に対する非現実的な期待である。
もともと無理なことを望んでいるのだから出来るわけがない。

現実の自分を無視してしまうのはまず見返してやりたいと言う、
復讐的な気持ちが無意識の領域で先行するからである。

例え成功をして見返したと思っても、その時点での屈辱感を癒すものでしかない。
自分のコンプレックスを処理しておかなければ、またすぐに惨めになるだろう。,

25 :
11、
神経症の人は名声さえあればすべてが解決できると思っている。
皆から賞賛を得ようとする。

心の傷が深刻であれば深刻であるほど人はその傷を認めない。
親から受けた嘲笑を無意識の領域へと追いやる。
逃避することで実際の自分を受け入れることが出来なくなる。
挫折を人は受け入れることを避けようとする。

神経症の人は自分でない自分になろうと努力する。
努力の動機は「見返してやりたい」である。
復讐を動機とした努力は孤独への道である。

「見返してやりたい」と努力する人は神経症。
自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人n

26 :
12、
神経症者は常に人と自分を対立した者と思い、いつも人と張り合っている。
現実に利害が対立しているわけでもないのに、神経症者は物凄い対抗意識を持つ。
何ら現実に対抗しているのではないのに、強い対抗意識を持つ。
いちいち人と張り合わずにはいられない。

神経症的競走は現実の利害対立なしに競走することである。
神経症者が自分の目的が分かっていないから自分の価値を感じられないからである。

要するに自分に自信がなく、価値が見いだせずに、他人との比較においてのみ考えようとするからである。
神経症者は、いつも誰が「より」魅力的であるか、誰が「より」人気があるか、等を気にしていると言う。

とにかく神経症的競走をしている人は他人の成功、失敗が気になる。
他人の成功が面白くない。自分の価値を下げると感じるからである。
自分と他人を対立して考えるからである。
人が何処の山に行ったかが気になる/

27 :
13、
神経症的競走をする人は、負けたと思ったときに、
[あの葡萄は酸っぱい]と言う解釈で他人の優位に立とうとする。

神経症的競走をする人は、「敗者」につきものの感情を抑圧するということである。
葛藤に苦しみ、不安にさいなまれることになる。
いつまでも成長できないまま人を愛することができず、
いつも不機嫌に苦しむことになる。
神経症的競走をする人が、自分の心の葛藤を解釈で解決しようとしても無理である/

28 :
14、
神経症者は周囲に優位するばかりでなく
その優位を相手にも認めさせようとするから余計いがみ合いが激しくなる。

心のふれあいのない関係はお互いが必要なことがなくなった時に、
すごく残酷な形で終わりになる。神経症的競走はこんな関係なのである。

相手も優位しようとしている。その相手にこちらの優位を認めさせようとしているのであるから、
こちらの優位を認めるはずがない。
お互いに相手の優位を認めるはずがないのにその優位を認めさせようと激しくいがみ合うn

29 :
15、
神経症的競走心を持つものは人よりも成功したい、多くのことを成就したいと思うばかりではなく、
自分のしたことがユニークで例外的でないと気にいらない。
神経症者はスーパー・マンを目指す。
そして自分は人々の幸せに役に立っているという実感を求める。
社会に貢献できる喜びを求めない。

成功はその人に自信を与えない。

だから次々により大きな成功を求めさせるのである。
こういう人は常に皆に注目されていたい。
何時も周囲の人に自分を認めさせよう、認めさせようとする。

そして無理に自分の重要性を認めさせようとするから、かえって皆に嫌われる。
それが不安を増大させ、余計に自分のしたことの価値を誇張する。
自分のしたことの価値を誇張するのは自分が望むように相手が自分を認めてくれないからである/

30 :
16、
神経症的競走には復讐心が隠されている。
 
従って自分が成功することよりも他人が負けることが重要になる。
自分が幸せになるよりも、他人が不幸せになることが重要になる。

神経症的競走をする人は、私だけが成功しなければ気に入らない。
自分以外の人が注目を浴びると気に入らない。
それは自分以外の人に対する敵意である。
自分の満足が他人との関係で決まる。

神経症的競走をする人は成功することが怖い。その能力に自信がないからである。
そうなると残された道は他人の足を引っ張ることしかない。
要するに他人の足を引っ張ることが仕事になる。

復讐心を動機として努力して「俺は成功した」と思った時が
成功の恐怖の時であるn

31 :
ミア、いいおっぱいしてるな。
体調はもう楽しんだのか

32 :
臭すぎるよ
本当に耐えられなかった

33 :
ピンクデブじゃん。
ウエストがくびれたy嬢のほうがいい。

34 :
それより体臭がキツすぎる
あんなに臭い人間を初めて見たよ

35 :
https://kiccyomu.net/
成長した俺たちを見てくれ!

36 :
デブにはみえんが…

37 :

自演自演
過疎過疎
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38 :
ラブピンクの温泉動画まだですか?

39 :
臭すぎて無理
1回リアルで会ったことある人なら分かると思う

40 :

自演
運営
過疎
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41 :
17 、
何故、神経症者は山を登り、
見えざる敵と戦い続け、そんなに身構えて生きなければならないのか?
何故、深刻な劣等感を抱える者は、医療やボランティアに従事し、
感謝を要求せずにはいられないのか?
心の葛藤を解釈で解決しようとしても無理である。
心の底を見つめることの方が、解釈よりもはるかに重要である/

42 :
18、
神経症者は山登りには興味がないが、頂上にいたい。
神経症者の目的は自己実現ではなく、自己栄光化である。だからトラブルを起こす。

深刻な劣等感に悩んでいる人の最大の問題は、他者に対する優越にしか関心がないことである。
劣等感が強ければ、人と親しくなるよりも、人から尊敬されることを求める。
そして、常に相手に優越しようとするから人と親しくはなれない。

自分への失望があるだけに、他人に自分を尊敬させようとする。
普通の人より自分に失望している人のほうが、他人に尊敬してもらいたがる。
人に尊敬と感謝を求めるときには、人は無理を始めている。
そして、無理しているから尊敬と感謝がほしい。

実際の自分以上に自分を見せようとすることで、
実は実際の自分を自分が卑しめていることになる。

劣等感は成功によって消えるものではなく、逆に深刻になっている。
劣等感をバネにして頑張れば、成功しても失敗しても劣等感は強化される/

43 :
19、
人は劣等感を解消しようと努力すればするほど逆に劣等感を深刻化していく。
屈辱感を乗り越えようとして、「俺はすごいんだ」と、その場を心理的に収めるが何の解決にならない。
神経症的解決である。
過去の屈辱感が優越の願望を生む。優越する事で心の葛藤を解決しようとする。
優越することの障害となる人が出てくる機会が普通の人より多くなる。その人を許せない。
優越したいという神経症的要求を妨害する人が許せない。
そして努力の方向が不幸への道となる。
深刻化した劣等感を解消することが全てに優先するようになる。
劣等感は依存症のようなものである。
劣等感の深刻な人は優越感を求めまいと思っても優越感を求めないではいられない。
アルコール依存症のようである。いちいち人と張り合わずにはいられない。
競争に勝てばその時はホッとする。しかし心の葛藤は深刻化している。
競争に勝っても負けても劣等感は深刻になっている。優越がその動機だからである。
劣等感の深刻化したのが神経症である。
年齢とともに神経症は悪化する。神経症の冷酷な心理法則に従って、不幸な人はより不幸になる、
葛藤を安易に解決しようとした結果である。
人は自分の神経症がどんどん悪化しているのだと気がつかない。
優越感は地獄への切符である/

44 :
20、
神経症者の自己栄光化は心の葛藤を解決する手段なのである。
子供の求める栄光は親の劣等感の部分である。
親の子供への期待こそ親の劣等感の部分なのである。
劣等感のある親ほど子供が良い成績だと喜ぶ。
自分が好きでもない職業につこうと努力したりする。人の眼を意識した行動ばかりをする。
心の傷を癒そうと、自分の適性をRという犠牲を払って栄光を求める。
人を意識した行動を続けるために、本当の自信をつける機会がさらになくなってしまう。
それにも関わらず必死で自信を求めて居る。

虚勢によって人の上に自分を引き上げても残念ながら自信は出来ない。
周囲の評価をねらっていると、いつになっても本当の自信は身につかない。
神経症者は周囲から特別に偉い人として扱ってもらえることを期待する。
自分はいつも人より特別に扱われるような資格があると思っている。
自分が自分の生き方を納得していないから、周囲の人に偉大な人間として扱ってもらいたいのである。
自分が普通の人になってしまうと心の葛藤と直面しなければならない。
つまり普通の人になれば、屈辱感を味あわなければならない。
自己を栄光化することが出来れば屈辱感を味あわなくてすむ。

神経症者は虚勢を張って威張っているが、心の底では人が羨ましい。
周囲から「自分の事を何様と思っているのだろう」と思われる。
こういう人々は本当の自信をつける機会をもてないまま年をとってしまった人達なのである。
自己栄光化は、弱さの象徴である/

45 :
21、
神経症の核には深刻な劣等感がある。
つまり劣等感の深刻化したのが神経症である。
神経症者は自分の劣等感は意識できても自分が今神経症に向かって進み
どんどん悪化し恐ろしい状況に追い詰められている事に気が付いていない。
ますます自分の幸せのための行動を選択するのが困難になるのである。
社会的地位に関係なく劣等感や名誉欲や虚勢が動機で頑張れば頑張るほど劣等感は強化する。
失敗すると無気力になりより絶望した人間になる。
成功してもますます劣等感は深刻化しより怯えた人間になる。
劣等感の現象は視野の狭さと利己主義である/

46 :
22、
劣等感のある人は人と自分を強迫的に比較する。
他人に優越したいという劣等感と、恵まれた人が許せないという憎しみからである。
強迫的に比較する原因は孤独と敵意、そして抑圧された憎悪である。
目の前の人が変わるたびに標的が違ってくる。そのためいつも人と戦って生きている。
他人に優越することが全てを優先する。
こうしていつも見当違いの努力をして人生を消耗していく。
自分の前に現れた人に、自分の幸せを決められてしまう。
そして不可避的に嫉妬深くなる/

47 :
昭恵さんのおRに忖度突っ込んじゃダメ
電動式おちんちんちんちんちんちん入れて
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48 :
佐川でございます
忖度はございません
身長155センチちびちゃんでございます
運営でございます
自演ひとすじ佐川様と同じ体系
昭恵さんのまんまんは拝見いたしておりません
安倍ちゃんすら見てないのに!
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49 :
23、
神経症者の体験は始まりから屈辱感と深く結びついている。
成長期に不当に人と比較されて生きてきた。
比較で育てられたということは、支配されて育てられたということであり、
支配・被支配の関係で成長したということである。
比較され勝っていなければ責められて生きてきた。
そうなれば自我の確立どころではない。
その結果、自分自身の感情や願望を喪失し、物事を決める要因は
優越したいが中心にある/.

50 :
24、
人は他人に賞賛を求めなければ求めないほど、よりいっそう自由になり
自信を感じるようになる。
しかし愛情飢餓感があれば、どうしても他人から認められたい。
成功することで自分は受け入れられると思った人は、
どんなに成功しても不安で不幸という心理状態から抜け出す事はできない。
認められる事がそこまで重要だということは、そこまで依存心が強いということである。
そこで他人から期待したような反応が返ってこないと相手に敵意を抱く。
深刻な劣等感のある人は実存的レベルで誰ともコミュニケーションができない.

51 :
25、
深刻な劣等感のある人は敵意を隠す。
無意識で人が嫌いでありながら、人に嫌われるのを恐れて極端に人にいい顔をする。
嫌いな人にいい顔をする。嫌いな人から好かれようと努力する。
いい人と思われたくて人と円満にしようとする。
折れたぶんだけ憎悪がでる。
好かれないと生きていけないから嫌いでも逆にしがみつく。
そして防衛的性格として明るい人物を演じる。
憎しみを隠すための寛大さ、明るさである。
深刻な劣等感のある親は、子供が嫌いだけれども、子供に知られたくないし、嫌われたくない。
子供への愛情を誇示するが実は関係は薄い。

意識の上では心から子供を愛していると思い込んでいるが、
実は子供に抑圧された憎悪がある。
愛情を誇示するのは、子供を全然愛することができないからそれを補おうとしているのである。
そして子供のために自分自身を重要視していないことを誇りにしている。
ところが非利己的であるのにかかわらず全然幸福になれず人間関係にも悩み当惑している。
「非利己主義」とは神経症の最も重要な症候なのである。
見せかけの「非利己主義」の背後には強烈な自己中心主義が隠されているのである/

52 :
26、
神経症の母親は、子供は母親の「非利己主義」を見て、愛とはなにかを学ぶにちがいない、と信じている。
ところが母親の「非利己主義」は子供に期待どおりの影響を及ぼさない。
子供は不安に怯え、緊張し、なんとか母親の期待に沿おうとする。
はっきりとは認識できない母親の隠された憎悪を察知し影響される。
その影響は利己的な母親の影響と変わらない。いやそれどころか、最もタチが悪い。
「非利己的」を盾にした母親を子供たちは批判することができないからである。
美徳の仮面のもとに、愛のかわりに人生への嫌悪を教えこまれる。
偽装された愛に誤魔化されて子供たちは責められ続けるのである。
自分自身を愛することができる母親に愛された子供は神経症にはならない/

53 :
27、
深刻な劣等感のある人は人間嫌いである。
それは甘えの欲求が満たされていない、愛情飢餓感が強いことの当然の結果である。
全ての人に過大な要求が多い。
自分のことをこう見てほしい。自分のことをこう思ってほしい。自分のことをこう扱ってほしい。
神経症的要求である。
対象無差別にチヤホヤしてもらいたくてもされないから、すべての人は不愉快である。
人間嫌いになるのは当たり前である。
とにかく深刻な劣等感のある人は隠された怒りを持っている。

深刻な劣等感のある人の特徴は利己主義者である。
人から評価されたいから寛大な顔をする。嫌われるのが怖いから極端に非利己主義になる。
好かれようとして立派な行為をする。興味のない事でも、よく見られるための努力をする。
その結果、他人とどう接するか、ということががあまりにも重要になり、自身の感情を圧倒してしまう。
そして自分自身を見失う。
そうなると幸せになりたいのではなく、幸せに見られたいと思うようになる。

不幸であっても不幸と見られなければそれでよい。

こうして無理をして生きているからいつも抑うつ状態で、消耗していく。
人に対する反応だけになり、傲慢になったり、普通の人以上に気が引けたりする。
深刻な劣等感のある人は利己主義であるから損得勘定しかない。
相手に対する人としての興味と関心がないから、ずるい人からカモにされる。
利己主義者であるがよく騙される/

54 :
28、
深刻な劣等感のある人はどうしても他人から認められたい。
だから卑怯な人によく騙される。
深刻な劣等感のある人は自己蔑視し、周囲の人が立派な人だと勘違いする。
卑怯な人にとってこれほど扱いやすい人間はいない。
深刻な劣等感のある人は卑怯な人に批判され、搾取され、弄ばれても、
その卑怯な人に会えば頭を下げる。
自分を不当に卑しめ、誹謗し、辱める卑怯な人に、
劣等感に苦しむ人はニコニコしてお辞儀をする。

これは自己蔑視し、自分を憎んでしまった者の悲劇である。
自分を憎み、軽蔑してしまった者は、相手がそのように自分に対して不当な事をしても、
心の底ではそれが妥当だと感じてしまうのである。
自分は人から軽蔑され、卑しめられても仕方がない人間だと心のどこかで感じている。
成長過程で、「悪いのは自分」という解釈をしなければ、そこに存在を許されなかったのである。
小さい頃から責任転換するずるい人に囲まれて生きてきたのである。
周囲の人に責められて生きてきたから、自分を卑しめる人間に抗議できないのである/

55 :
電動は感電の恐れあり
オナニーは自身の手と
グラドル写真で
真摯に執り行おう
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56 :
29、
深刻な劣等感のある人は自己蔑視している。
自己蔑視の特徴の一つは、他人が自分を虐待するのを許すということである。
親から情緒的虐待を受けた子供は、大人になってから他人からの虐待もまた受け入れてしまう。
その人自身が虐待されることを無意識に同意しているからである。
馬鹿にされ、軽視された扱いをされることにその人が心の底で同意している。
自分で自分を軽視しているがゆえに、大切に扱ってくれることには違和感がある。
自己蔑視しているから、虐待されてもしょうがないと思っている。
こうなるとずるい人にいいように利用される。劣等感に苦しむ人はカモである。
利用されても迎合する。
しなくてもいいことをして燃え尽きる人、過労死をする人もいる。
苛められて自Rるタイプはこれである。
自己蔑視してる人は、悪い人に利用されるだけ利用されても迎合する。
自己蔑視してる人は淋しいから仲間になりたい。
悪い人は、相手がニコニコして迎合するからいよいよ相手を舐める。馬鹿にして弄ぶ。
自己蔑視してる人は、馬鹿にされて、舐められて、お金をもぎ取られて、死んでいく。

病んだ集団は誰かを犠牲にしながら維持される。
神経症家族でも犠牲になる人は、自己蔑視した人である。
愛情飢餓感が強いから、利用され馬鹿にされても、犠牲的役割を果たす。
自分の責任でない事にまで責任を感じてしまう。そして燃え尽きても誰も助けない。
ずるい人にとって自己蔑視した人は都合のいい存在なのである。

自己蔑視している人は、利用されることと認められていることとを間違える。

深刻な劣等感のある人は、搾取タイプの人に気に入られようとして必死にがんばる。
不誠実な人に気に入られようと心血を注ぐ。そして骨の髄まで搾り取られる/

57 :
>>39
お前、動画で臭い感じんのか!

58 :
>>57
いやすれ違ったことがある

59 :
30、
神経症的な人と正常な人の欲求は、それぞれ目標は似ているが、
その基礎と意味が全く違っている。

人に愛を求める気持ちは、自分がその人に対し愛があり、共通の何かを感じるから意味がある。

神経症的愛情欲求は、相互扶助的なものが欠けている。
神経症的な人は、あたかも物騒な動物に囲まれているように、
自分自身の愛の感情がごく乏しい。
はっきりいって、実は人の愛情を求めているのではない。
人が自分に攻撃的に出ないようにということだけに強い激しい関心をよせているのである。
そこでは相互理解、関心、同情など根底をなしている唯一の価値が
対人関係においてまったく欠けているのである。

同じように、才能の開花や能力の完成への意欲は、努力して求める価値がある。

しかし、完全性への神経症的欲求は、言葉は同じでもその価値は失っている。
変化のない完全であろうとし、またそのように見せかけようとするからである。
向上の可能性がないのである。
自分の中に改善の余地を発見すると、それが脅威となるので、発見を避けようとするからである。
唯一の、かつ本当の関心事は、
人の攻撃にさらされないように自分の弱点をごまかし、
他人へのひそかなる優越感を保とうとすることである。

神経症的な人はその人自身の積極的活動はそこなわれている。現状を錯覚し動きが止まったままである.

60 :
31、
神経症的傾向と正常との相違をみたら、同じ言葉を使っていても、その基礎と意味がまるで違う。
われわれはすべて意志力を高く評価する。重要な仕事に意志力を投入したら有意義な活力源となる。
しかし意志力の全能を神経症的に信じるのはひとつの錯覚である。
最大限の努力をしても、それがむくいられる限界があることを完全に無視しているからである。
さらに意志力の効果を証明すること自体が目的となるならば、意志力の価値は水泡に帰す。
意志力が一時的衝動を抑える働きをするが、この意志力が神経症的な人が真に浴する目標には
おかまいなしに彼を盲目的にし、狂気のようにする。こうなると事態はまさに逆である。
つまり彼が意志力を有しているのではなくて、意志力が彼を有しているというわけである。
神経症的傾向とはそれに類似した人間価値というもののカリカチュア(風刺画)である。
神経症的傾向には、自由と自然性と意味とが欠けている。また幻想的要素を含んでいる場合が非常に多い。
神経症的傾向の価値は、ただ主観的なものである。心の安定と問題解決という二つの保証をしてくれるところに
その価値は存する。
神経症的傾向はそれに類似している人間価値を欠いているばかりでなく、
その人の欲しているものを指し示すことすらしない。
もし彼がエネルギーのすべてを社会的特権や権力の追及に用いるとすれば、
彼としてはこれこそ自分の真に欲しているものだと信じ込むだろう。
彼はただそれらの権力とか特権とかを衝動的に求めさせられているのである。
あたかも自分で操縦していると信じ込んでいる飛行機で飛んでいるようなもので、
実際には遠隔操作で飛んでいるのである.

61 :
32a、
神経症的傾向は、人が自分の人柄や理想像について抱いているイメージを決定する。
神経症的な人はいずれも自己評価がしっかりとできず、
自己を過大評価したり過小評価したりして動揺している。
神経症的傾向に気づくやいなや、なぜある人は、自己のある点は自覚して
ほかの点は抑圧しているか、あるいはなぜ彼は、ある性質をいやに自慢し、
ほかの点は理由もなしに軽蔑するかがわかるだろう。
たとえば、もし彼が自立できないと感じて、自分の人生に充実感と方向づけを与えてくれる相棒を要するとすれば、
彼は愛の力を過大評価するのみならず、自分自身の愛する能力を過大評価するであろう。
彼は人にぶらさがりたい欲求を、まちがえて人を愛する偉大な能力だと勘違いし、
この錯覚された能力に特別の誇りをもつであろう。
以上のような愛する能力に信念をもっていると、それはやがてその信念の生みの親たる神経症的傾向
それ自体と同じくらい強迫的となるであろう。
これらの資質に対する誇りは傷つきやすく弱々しいものであり、かっこうの口実に利用される。
その基礎は弱く狭い基盤の上に立てられ、非常に多くの錯覚的要素を含んでいる。
このような資質への誇りは実は現存する自分の資質から生じているのではなく、
むしろ神経症的傾向を増進するような資質に由来している。
事実、彼は愛する能力をほとんどもっていないが、この能力に対する彼の信念は、
彼が自分の性格的虚偽を認めまいとするためには必要なのである。
自分は実は愛する人を求めているのではなく、お返しする能力もないくせに
自分のために専心尽くしてくれる人を求めているのだ、と気づくことである。
こう気づくと、彼の安定感は大いに脅かされるので、彼としてはこの点を人が批判すると、
恐怖と敵意を混じえて、反動的行動をとるのである/

62 :
33b、
一方、たとえば、ある人物はいかなる状態に陥っても独力で克服し、いかなる犠牲を払っても
自給自足的たらんとする神経症的傾向があるならば、彼は自分がやり手で、自力的で、
他の何人をも必要としないことに過度の誇りをもつであろう。独力で自分のことを処理できる能力に、
信念をもつことになる。彼はほかの何人をも必要としないプライドがあるので、
人の助力や助言がないと成功できないなどと言われると、腹を立てるのである,。
うぬぼれがこのように傷つけられると、不安や敵意が生じ、それが対人関係をだめにしてしまう。
そのため彼は一層強く自己防御手段に執着せざるをえない。
一方、ある人物は自分の論理や推測に安住しているとする。
彼は自分の論理的業績を過大評価するばかりでなく、自己の論理力、判断力、推理力などに
特別の誇りをもつ。人に対する彼の優越感は、自分の知能は優秀であるとの確信に由来する。
彼は理知の力の優越性に信念をもつ。彼は自分の賢明な判断を疑われるとひどく怒る。
こうして神経症的な人は、神経症が生んだ偽りの信念を守るために、
自分の嘘に気づかないようにするための努力を続けなければならない。
自分の神経症を守るために自他に言い訳をしながら生きて行かなければならない/

63 :
>>55


インチキ下山屋 くりパインスタイルww
https://i.imgur.com/fT3JVSv.jpg

64 :
34a、
神経症の禁止抑制の中でインポテンツ、電話恐怖などは具体的行為でわかりやすい。
人生全般においては自己主張、自発性、人への要求、親交など特定の禁止抑制は自覚できる。
しかし、広範囲における禁止抑制はもっと重要であるにもかかわらず、自覚できない。
どの方面で禁止抑制を受けているのかわからない。それは巧妙に隠されその存在や影響に気がつかない。
禁止抑制の意識下はさまざまなかたちぼかされる。最もあるのは合理化である。
たとえば禁止抑制で会合などで話ができないのに、自分は会合嫌いだとかつまらないとか簡単に割り切り、
人の招待を断るいい口実をいくつも用意していたりする。
神経症に由来する禁制は広範囲に及ぶものである。
これをはっきりさせるために神経症的傾向にとりつかれた人と綱渡りの曲芸師とを比較してみよう。
曲芸師は綱から落ちないように左右にわき目をふらず一心に集中している。
わき目をしないの禁制ではなく、危険を意識的にさけている。
神経症的傾向にとりつかれた人もコースからはずれないよう用心深く歩くが、ここに重要な相違がある。
彼にとっては危険回避は無意識的である。つまり強度の禁制のためによろめくことすらできずにいるのである。
こういうわけで、相手に依存する人は自分自身の独立独歩的行動が禁制されている。
人生を窮屈に考える人は所有欲に禁制をもつし、さらに自己主張や大志を抱くことにも禁制をもつ。
理性で自他を制御しようとする人は、強い感情は感じまいとする。
名声に強迫的に憧れる者は、公衆の面前で話したり踊ったりすることに禁制を感じる。
名声を危うくするかもしれないような行動は、どんなものでもそれから遠ざかっていようとする。
彼は最初の出だしがまずいと、それに堪えられず頭も働かなくなる。
これらの例はいずれも原因は同じである。すなわち感情や思考や行動の自然の発露が妨げられている。
曲芸師の綱渡りは練習によって得た自発的な行動である。誰にもできるものではない。
神経症的な人は自分に決められた領域がおびやかされでもしたら、その恐慌たるや、
曲芸師が足をふみはずした時のそれとまさに同様の激しいものがあるv

65 :
35b、
それぞれの神経症的傾向は、それぞれに不安を生み出すばかりでなく、
それぞれの行動型、自他のそれぞれのイメージ、それぞれのプライド、それぞれの弱点、
それぞれの禁制などをも生み出すのである.

66 :
36、
さまざまな神経症的傾向は相違なる傾向同士がときには衝突する。
たとえば賞賛されたい欲求と支配欲との衝突。
それぞれの神経症的傾向は葛藤の芽を宿している。
ただ神経症的傾向が類似している場合には、葛藤は制御しやすい。
もっとも、制御のためには抑圧や回避など、個人にとっては多大な犠牲が要求される。
しかし、本質的に相容れないいくつかの神経症的傾向が出てきた場合は、話はまったく別である。
その状態はちょうど相矛盾する命令を発している二人の主人に絶対服従を求められている召使いに例えられる。
もし彼の従順さが絶対的独立欲求に劣らず強迫的なものであれば、
永久に解決不能の葛藤状態に陥るであろう。
そこで彼は妥協的解決を求めるが、くじけてしまうこと必定である。
ひとつの解決を求めるといつもその反対に出合うからである。
これと同じ行きづまりは他人を支配したいという強迫的欲求が他人に依存したい欲求に結びついている場合や、
創造力を阻むところの他人を利用しようとする欲求が、優者すなわち保護者として賞賛されたい欲求と
同じくらい強い場合にも起こるのである。
事実このように相互矛盾的傾向が共存する場合、いつも停滞、行きづまりの状態が起こる。
恐怖症、抑うつ症、アルコール中毒などの神経症の症状は、このような葛藤から生じる。
この事実をよく認識すればするほど、症状の直接解釈だけをしても始まらないことになる。
神経症的傾向相互間の葛藤に由来する症状の下部構造についての予備知識なしに
その症状を理解しようとしても無駄である/

67 :
37、
神経症的傾向の影響を大きく受けるのは自己評価だけではない。
名誉欲の強い人は人を評価するのに、その人の有する名声だけに判断の基準をおく。
自分よりも多くの名声を博しているものは自分より上位に考え、
自分より名声の少ない人は見下げようとする。真の価値についてはお構いなしである。
強迫的なお人好しは、強そうに見える者には、たとえぶしつけな厚かましい者であっても、
それにぞっこん惚れ込みやすい。
他人を食いものにせずにいられない人間は、どうぞ私を利用して下さいという人間には好感をもつが、
一方そういう人間を軽蔑もする。つまり強迫的におとなしい人物を馬鹿者か偽善者かどちらかとみなす。
強迫的に依存的な人は、強迫的に自立的な人間を自由奔放だと羨望の眼をもってみる。
しかし、実は後者は別の神経症的傾向にとりつかれているにすぎないのである/

68 :
38、
神経症的性格構造というものは、見せかけ、自己欺瞞、錯覚のために不安定で脆弱である。
神経症的性格のその機能障害はそれと気づきうるものである。
神経症的な人は自分の頭痛や暴飲暴食をそっちのけにして、万事これでよしと言い張るが、
実は深いところでは何かが根本的にまちがっていて何かが故障していると感じている。
彼は問題の原因について無知であるばかりでなく、好んで無知であろうとしている。
彼の神経症的傾向は彼にとってはれっきとした主観的な価値をもっているからである。
彼にとって神経症的傾向が必須不可欠のものであるほど、また実際価値が疑わしいほど、
人はその性格傾向を懸命かつ頑強に固守し、正当化しようとする。
批判に対して寛容でありえず、一層おのれの正しさを主張するであろう。この自己正当化は、二次的防御と呼ぶ。
二次的防御の目的は問題点の弁護だけではなく、神経症的性格構造全体の保存にある。
それは神経症を援護するために、神経症のまわりに設けられた地雷地帯である。
それはすなわち、一切のものは本来正しくまちがいなくかつ不変である、との信念である。
自己正当化の鎧で身を包んでいる人は、自分の権力欲を弁護するために、それを正当化し、
正義化し、是認するばかりか、自分のなすことには、些細なことでも間違いや疑問点を認めることができない。
二次的防御はいつも正しくなければ気のすまない人によくみられる。二次的防御はかくされているので、
道徳論とか科学論などのかたちで現れることもある。自分という人間は生まれつきこうなんだ、という
個人的信念を有している場合がしばしばである。したがって、万物は不変なり、とみるのである。
二次的防御は分析操作も歯が立たないほど強い。現状維持をしようとすればするほど、彼の防御態勢は頑固になる。
二次的防御は「善」「正」「不変」などのお題目をしかるべく組み合わせて単調に繰り返しているのである/

69 :
39、
神経症的傾向は精神障害の中心である。
神経症者は神経症的傾向が自分の生活の原動力であることを普通気づいていない。
神経症的傾向は、それ以前の人間関係で生じた障害や葛藤の産物なのである。
そして神経症的傾向とは、人生初期における苦難からの脱出方法なのである。
それゆえ自他に対する関係がまずくとも、これで人生に打ち克っていけるのだとの希望をもつところのものである。
しかしそれでいてまた、神経症的傾向は非常に多種多様な障害を生み出す。
自他についての錯覚、脆弱性、禁制、葛藤などを生み出す。
そして神経症は、人生初期の苦難の解決法であると同時に、将来の苦難の源泉ともなるのである/

70 :
体調が荒らしてるとしたら、すごいな。

71 :
隊長がやってんのかwww

惨めだねぇ

72 :
体調
荒らし行為はいけませんよw

73 :
体調
そんなに荒らすって淋しいんですか?

74 :
なんだ。カメラのアフィリエイトまでしだしのか。

75 :
コイツは女としか登らんな。

76 :
また、今回も偉そうだな
丹沢だからとか言いやがって

77 :
車だとピストンしないでミツマタみたら、
権現山登って回って降りてくるのが普通のルートだと思うけど、
地図見たら同じ破線でも道迷い注意とか初心者不可とか書いてあるから、
ビビって降りてきちゃったんだね!

偉そうなこと書いといて随分ヘタレですね(プ)

78 :
プップップー
偉そうにすると嘲笑われるなら
お前らは大爆笑されてるな

79 :
とりあえず風俗店で働いて金貯めろ。スタッフな。
https://sp.fenixjob.jp/kanto

80 :
>>78
おまえもな

81 :
>>4
すみません、作品名を教えてもらえませんか

82 :
>>81
ゆるキャン△

83 :
>>82
あざっす。最近のはなしかな。読んでみよう。

84 :
40、
虚勢を張る人は、まだ子供の頃の甘えの欲求が満たされていない人なのである。
他人の注目を集めたくてしかたのない人であり、
他人から特別に扱ってもらいたくてしかたのない人なのである。
虚勢を張っている人同士で結びつき、お互いに自分の虚栄心を満たす。
お互いに憎みあいながらも、お互いに心の底はウソをつき合って関係をつづける。
心の底で嫌いな人を、意識の上で好きになっているので離れられない。
自分に自信がないと、自分を軽蔑するような人に惹かれる。
心の底に抑圧された敵意があると、極端に迎合的な態度になったり、
馬鹿ていねいな態度になったりすることがある。
相手を嫌いであるという感情が抑圧されていると、
逆に、これみよがし相手に好意を示すような態度をとる..

85 :
41、
幼児期における根本的な害悪は、本当の暖かさと情愛との欠如である。
子供は、内心で自分が望まれ愛されていると感じる限り、時折の体罰とか、
外傷的とみなされているものに、多く耐えられるものである。
いうまでもなく、子供は、愛情が本物か偽物かを、敏感に感じ取る。偽物にはだまされない。
子供が十分の暖かさと情愛とを享受できない主な理由は、
両親が神経症であるために、温かさや情愛を与えられないことにある。
温かさの根本的欠如は、カムフラージュされていることの方が多い。
神経症の親は一生懸命子供のためを思っていると主張する。
将来における激しい不安定感の基礎を、何にもまして作り上げる雰囲気は、
いわゆる「理想的」な母親の教育理論や、「心配しすぎ」や、自己犠牲的な態度によって、醸し出される。
神経症の親のさまざまな行為や態度は、子供の敵意をかきたてずにはおかない。
他の子供へのえこ贔屓、根拠のない非難、約束の不履行、
過度の甘やかしからあざけるような拒否への予測しがたい変化、
そして、一時的な思いやりのなさから、子供の正当な要求に対する絶え間ない干渉。
たとえば友人関係を妨害し、子供自身の思考を馬鹿にし、子供の興味とその追求を邪魔する。
要するに、意図的にではないにせよ、結果として子供の意志を台無しにするような親の態度である。
子供が日ごろから愛されていると確信していれば、時折罰を受けても、
親が子供を傷めつけたり、卑しめるために行っているのではないと感じる限り、子供は傷つかない。
嫉妬は、大人にとっても子供にとっても、恐るべき憎悪の原因になる。
兄弟間の嫉妬と、片方の親への嫉妬が、神経症的な子供において重要な役割を果たす。
それが後年の生活に長く影響を与えることには、全く疑いがない,

86 :
42、
子どもの性格形成にとって有害なのは、不服や異議を感じたり表現したりすることではなくて、逆にこれを抑圧することである。
批判や抗議や非難を抑圧し、子どもが一切合切を自分のせいにして、自分は親の愛に値しないと感じる。
このような雰囲気の中で育つ子どもが、敵意を抑圧するのは、無力感、恐れ、愛情、罪悪感などのためであり、その影響力は様々である。
有害な条件下に育つ子どもの、その無力性は、脅かしや、赤ん坊扱いや、子どもを情動的依存状態にとどめておくことによって、
人為的に強化される。子どもが無力にさせられればさせられるほど、親への反抗を感じたり示したりしなくなるし、それだけ反抗が延期させられる。
こうした事態においてのモットーは、
「私はあなたを必要とするから、敵意を抑圧する」である。
子どもが怯えれば怯えるほど、敵意を表さなくなり、敵意を感じさえしなくなる。
この場合のモットーは、
「私はあなたがこわいから、敵意を抑圧する」である。
愛情が敵意を抑圧する理由になることがある。
神経症の親は、どんなに子どもを愛しているかとか、徹底的に自分を犠牲にして育てているだとか、大げさな言葉を使う。
子どもは愛情の代用品にしがみつき、従順であることによって得られる報酬を失うまいとして、反抗を控える。
この場合のモットーは、
「私は愛情を失うのが怖いから敵意を抑圧する」である。
また、敵意とか反発心を抱いた場合、罪悪感を感じるように育てられる。子どもは、親に対して怒りを感じたり、
これを表出したり、親の決めた規則を破ったりした場合、自分はだめな子どもなのだと、自分から考えるように育てられる。
モットーは「敵意を抱いたら悪い子になるから、私は敵意を抑圧する」である。
小児期の不安は、神経症の必要条件ではあるが十分条件ではない。
しかし、生活条件が不安を減少させる性質のものでなければ、不安は持続するだけでなしに、
次第に増大し、神経症を構成するすべての過程を始動するようになる.

87 :
43、
敵意と不安という反応が、他人一般への敵意と不安とに発展する。
自分は大事にされているのだという確信がないから、本来は害のないからかいでも、残虐な拒否として受け取る。
他の子どもたちより容易に心が傷つき、自分を守ることも下手である。
これらの要因は、
「自分が敵意に満ちた世界でたった独りで無力である」
という感情を作り出し、これを助長する。
この態度は、神経症が極めて発達しやすい温床となる。この態度は、神経症において基本的な役割を果たすから、「基本的不安」と呼ぶ。
これは基本的敵意と分けがたく混じり合っている。

このような種類の雰囲気を作り出す神経症の親は、通常、自分自身の人生に満足しておらず、満足のゆく夫婦関係を持たず、
そのために、子供を自分たちの愛情の対象にしがちである。
神経症の親は、情愛への要求を、子供の上になげかける.

88 :
44、
基本的不安とは、自分を虐待し、騙し、襲い、辱め、裏切り、嫉妬する外界に、
自分がただ独り、弱小で、無力で、見捨てられ、危険にさらされている、といった感情である。
神経症者は、基本的不安や基本的敵意の存在が自覚されていることはめったにない。
神経症者は、自分が全ての人間を怖がっていることなど想像もつかず、不安とは何のことかわからないという顔をする。
すべての人間に対する不信が、「人間は誰でもいい人たちばかりだ」という上っ面な確信によって覆われ、
不信を抱きながらも、他人と上辺だけは友好的な交際を続けることもある。
人間全てに対する根強い軽蔑感が、他人をすぐ誉める態度によってカムフラージュされることもある。
健康な人が不幸な体験を、それを克服できる年齢になってから持ったのに反し、
神経症的な人は、もっと初期の全く無力な時代にこれに巡り合ったために不安を抱くようになったのである。
基本的不安は、孤立を意味し、それは自己弱小感と同時に起きるから余計耐えがたい。
また基本的不安は、自信の基礎の弱体化を意味する。
基本的不安は、他人に依存したいという欲求と、他人に対する根強い不信感と敵意ゆえに依存不能、との間の葛藤の芽を内に秘めている。
基本的不安は、本質的な弱さゆえに、一切の責任を他人に負わせ、保護され、世話されたいという欲望を持ちながら、
他方では、基本的敵意ゆえに、このような欲望を充たすべくあまりにも他人不信が強すぎることを意味する。
結果的には、安心感を得るために、人生のエネルギーの大半を消耗しなければならない.

89 :
45、
神経症者が基本的不安から身を守るための方法は4つ、
情愛と屈服と権力とひきこもりである。
情愛を獲得することは、不安に対する強力な防御になる。
モットーは、「あなたが私を愛するなら、私を傷つけはしないだろう」である。
第二は、あらゆる人間からの要請に屈従し、怒りを買うようなことは一切避けるという形をとる。
自分自身の要請をすべて抑圧し、他人についての批判を抑圧し、自己を守ることなく他人の酷使するにまかせ、
無差別に他人に力を貸す。自分の行為の根底に不安があることを自覚せず、
自分の行為が、没我や自己犠牲の理想に基づくと信じており、極端な場合には自分自身の欲求を一切放棄する。
モットーは、「私が屈従すれば私は傷つけられずにすむだろう」である。
神経症者は、いかなる情愛も信じられないから、彼の屈従行為の目的は、情愛の獲得ではなくて、保護の獲得にある。
人によっては、徹底的に屈従しないと安心感をもてぬ者がある。
不安が著しく強く、他人の情愛への不信があまりにも激しいため、情愛の可能性などは一切考えに入らない。
不安から身を守る第三の試みは、権力や成功や、財産、賞賛、知的優越性などを、勝ち取ることによって、安全感を得ようとするものである。
モットーは、「私に力があれば、私を傷つけられるものはないであろう」である。
第四の防御手段は、ひきこもりである。自分の物資的要求や精神的要求に関して、他人から独立することである。
情動的に他人に無関心になり、他人によって傷つけられたり失望させられたりしないように試みる。
自分の情動的要求を枯渇させるのである。無関心のひとつの表れは、自分自身を含めて、何事をも本気に受け取らない態度である。
ひきこもりと、屈服の方法は、自分の欲求を諦めるという点で共通している。
しかし、自己の欲求の諦めは、屈服の方法にとっては良い行いをし、他人の欲求に応じて安全感を売るためであるが、
ひきこもりは、良い行いをするという考えは全く存在せず、自己の要求の諦めは、他人から独立するために他ならない。
モットーは、「私がひきこもれば何者にも傷つけられないであろう」である。
これらの防御手段は、快感や幸福への欲望充足の必要のためではなく、
安心感への要求によって促されるものなのである,

90 :
過疎だな運営

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●■ 運営のアフィ稼ぎ日誌 その6■●
********************************
オレは登山板を管理する運営です
登山板のCM料(アフィ)で生計を立ててます
CM料を稼ぐためには 登山板の過疎は死活問題
6台の端末駆使し自演でネラーを釣り炎上させます
炎上のエサは他人の悪口を自演であおることです

国民の味方のフリしてダマシにかかる公明党と同じね
バカクズネラーさんのお越しをお待ちします! 
******************************

91 :
46、
この激しい不安からの解放感と安心感とは、ひとつの方法だけでなく、
互いに両立しないいくつもの方法によって同時に追求される。
そのために、神経症者は、全ての人に愛されたいと望み、他人の全てに屈従しようとする欲求に駆り立てられながら、
同時に、自分の意志を他人に押し付け、人々に無関心であろうとする要求に駆り立てながら、
人々の情愛を渇望することになる。
このように、どうにも解決のしようがない葛藤が、神経症の中心をなすことが、最も多いのである。
最も頻繁にぶつかりあう試みは、愛情獲得への衝動と、権力獲得への衝動である。
個人の欲望と、社会的要請との葛藤が、不安を生み出し、この不安を軽減しようとする試みが、
様々な防御傾向を発達させる場合にだけ、神経症が生み出されるのである,

92 :
>>91
くさいマン子がどうしたって?
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●■ 運営のアフィ稼ぎ日誌 その6■●
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オレは登山板を管理する運営です
登山板のCM料(アフィ)で生計を立ててます
CM料を稼ぐためには 登山板の過疎は死活問題
6台の端末駆使し自演でネラーを釣り炎上させます
炎上のエサは他人の悪口を自演であおることです

国民の味方のフリしてダマシにかかる公明党と同じね
バカクズネラーさんのお越しをお待ちします! 
******************************

93 :
47、
神経症において、実際に最大の役割を果たす二つの衝動は、情愛への要求と、権力と規制への要求である。
神経症者が感じていることを、あえて言葉にしてみるとこうだ、

「私は何も欲しくない。ただ、人々が私に親切にしてくれて、序言を与えてくれて、
私が貧しく、無害で、さびしく、他人を喜ばせよう、他人を傷つけまいと、
懸命になっているのを、理解してくれればそれでいい。」

当人が自覚したり感じたりするのは、これだけである。
自分の傷つきやすさや、潜在的な敵意や、強引な要請が、
どんなに他人との人間関係を損なっているか、彼は自覚していない。

神経症的な人は、他人を愛することができず、しかも、他人の愛情を強く必要とするジレンマに陥っており、
しかもそのことを知らない//

94 :
48、
愛の能力が完全に欠けている神経症者でも、折々情愛深くなれることがある。
大切なのは、情愛がどのような態度から発するかである。
情愛が、他人に対する肯定的な態度の表出であるか、それとも、
相手を失いはしないかという恐れや、相手を自分のいいなりにしたいという欲求などから、生まれたものであるか。
言いかえれば、表面に現れた態度は判断の基準にならないのである。
相手に対して完璧であることを容赦なく求めたり、
「不完全なるものに災いあれ」といった調子で、敵意にみちた要請をするのは愛ではない。
個人が、相手を何らかの目的のための手段に使っている場合、これも愛とは相容れない。
愛と、情愛への神経症的要求との違いは、愛において情愛の感情が第一義的であるのに対し、
情愛への神経症的要求においては、安心への要求が第一義的で、
愛しているという錯覚は二次的でしかないという点にある。
神経症者が自覚するのは、自分が誰かを好きであり、信頼しており、あるいは、その人に夢中になっているということだけである。
しかし、神経症者が自発的な愛と思い込んでいるものは、自分に示された好意への感謝とか、
何らかの人物や事態によって掻き立てられた、希望や情愛の反応にすぎない。
神経症者は、この人物を愛しているのだと錯覚する。
このような期待は、神経症者が、権力のある著名人や、自分より自信を持ち、
しっかりしてると思われる人物から、親切にされるだけでも掻き立てられるし、
誰かから愛とは無関係に性的に接近されることによっても、掻き立てられる。
神経症者の人間関係の多くが、愛のカモフラージュの下に続けられる。
つまり、実際には自分の要求充足のために、相手にしがみついているのにすぎないのに、
自分が相手を愛しているのだと主観的に信じるのである。
自分の感情が混じりけのない情愛なのだという確信が、あてにならない証拠に、
自分の願いが叶えられ得ないとなると、たちまち相手に対して憎しみを抱く。
愛の本質である、感情の信頼性と確実性とが、情愛への神経症的要求には全く欠けるのである...

95 :
49、
神経症者の愛の能力の欠如の特徴は、
相手の人格、特性、限界、要求、願望、発達などを、完全に無視することである。
そうした態度が生じるのは、神経症者が、不安ゆえに、相手にしがみついているためである。
溺れそうになって他人にしがみつく人は、他人が自分を抱えて泳ぐ能力があるかどうかなど、考えないものである。
他人を無視することは、他人に対する根本的な敵意(軽蔑と嫉妬)の表出でもある。
神経症的な人の防衛手段が、情愛への衝動である場合、
彼は自分に愛の能力がないことを自覚できない。
そして、自分が他人を必要としていることを、自分が特定の個人や人類全体を愛しているしるしなのだと誤解する。
彼は、自分の欲する情愛を手に入れることに、少なくとも一時的には成功することもあるが、
実はその情愛を受け入れることはできない。
どのような情愛であっても、神経症的な人は、表面的な安心感や幸福感を感じても、
心の奥底では、これを信じないし、新たな不信や恐れさえ抱く。
彼は、誰も自分を愛することはできないのだと確信しているから、他人の情愛など信じない。
自分は愛されることがないのだという感情は、意識的な確信となっている場合も多く、
これは、どんな現実の体験によっても覆すことができない。
他人を本当に好きになれる人なら、何の疑いもなしに、他人が自分のことを好きになってくれると信ずるものである。
不安が本当に根深い人は、他人が提供する情愛を、不信を持って眺め、その裏に何か悪巧みが潜んでいるに違いないと直ちに思い込む。
相手が情愛をあからさまに示すと、嘲られているように受け取る。
こういう人間に、情愛が提供されると、不信が湧くだけでなく、強い不安も掻き立てられる。
他人の情愛に身を委ねるのは、あたかも蜘蛛の巣に引っかかることであり、
他人の情愛を信ずるのは、あたかも人食い人種の中にいて油断することであるように、感じられるからである。
他人が自分に情愛を抱いているという証拠がわかると、依存の恐れが掻き立てられる。
他人の情愛なしに生きられぬ人にとっては、情動的依存は本当の危険を意味するから、
僅かでもそれに似たものが生じると、心の中に必死の抵抗が起きる//

96 :
過疎だな運営
Rがどうしたって?
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オレは登山板を管理する運営です
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CM料を稼ぐためには 登山板の過疎は死活問題
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炎上のエサは他人の悪口を自演であおることです
国民の味方のフリしてダマシにかかる公明党と同じね
バカクズネラーさんのお越しをお待ちします! 
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97 :
なんだ この過疎
おRがどうしたって?
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98 :
どうしてんだ運営
この過疎はRが痒いんだよ
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99 :
なんなんだこの過疎
運営 しっかり仕事しろ カス
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100 :
体調の荒らしが酷すぎるからワッチョイすれ立てたわ。

【ワッチョイ】山で自分に酔ってそうな人を見つけたら報告するスレ(4プッ [無断転載禁止] ・
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