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1 :2017/03/21 〜 最終レス :2018/02/26
            ____
           ./, - 、, - 、   ̄ ヽ
          ./-┤ 。|。  |――-、 ヽ
           | ヽ`- ○- ´ /  ヽ  |
           | -   |     ―   |  |
           |  ´  |    `ヽ  . |  |ヽ
  ∩      人`、 _  |    _.- ´ | .|  \
  |  ⌒ヽ /  \  ̄ ̄ ̄     ノノ       \
  1      |´      | ̄―--―― ´ヽ     _  /⌒\
  \_   _/-―――.| ( T )      `l     Τ(      )
       ̄       |   ̄        }      | \_/
             | 、--―  ̄|    /
水瀬いのりと石原夏織のうんち臭すぎ

2 :
http://img3.imepic.jp/image/20170321/703370.jpg?35d1dbc82477efbd8ca0c9e612e2f809

3 :
一昨日アウトレット付近にある温泉へ行ったら露天風呂に明らかに1人の量じゃ無いウンチがいっぱい浮いててビックリ。さらに店員の「ウチも被害者なんですぅ〜。」っていう発言にもビックリ。
今まで温泉好きだったけどちょっと怖くなったわ。

4 :
http://spa-tokyo.net/z-c-megu/index.html
新店できる

5 :
>>3 マジ?酒々井の湯楽?

6 :
すみれいきたい

7 :
酒々井湯楽もいきたい

8 :
真名井はよくあるぜ!

9 :
佐倉染井の温泉

凄い木の温かみが

10 :
成田ビューもらなかなか

11 :
笑顔の湯 千葉寒川点が2020年3月31日までらしい

12 :
笑顔の湯は3号店計画かもな。

13 :
未だに湯とろぎロス

14 :
佐倉 すみれ 入館制限かよ

15 :
>>14
なんで? そんな混んでるの?

16 :
ウクレレコンサートがそんなに大人気だったのか!?
いくらなんでも菖蒲湯やってますってだけで人が集まったりするとは思えん

17 :
いや、あそこの入場制限はそんな珍しくない
混雑させたくないらしい

18 :
まだ前スレが残っているし、過去ログリンクも貼ってない、荒らしが立てたスレッドだけど、ここでいいの?
まぁ自然に任せるけど

19 :
>>5
マジ。外の湯は泥みたいな色だから最初は分からなかったけど完全にウ○コだった。慌ててすぐ出たけどその後店員らが調べたらとても1人の量じゃない位あちこちにウ○コが発見されたらしい

20 :
それもはやテロじゃん

21 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

22 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

23 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

32 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

33 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

34 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

35 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

36 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

37 :
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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

42 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

43 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

44 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

45 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

52 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

53 :
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54 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

62 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

63 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

64 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

65 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

66 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

72 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

74 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

75 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

76 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

77 :
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78 :
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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

82 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

83 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

84 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

85 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

86 :
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91 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

92 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

95 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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