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埼玉の温泉を語ろう28


1 :2017/02/15 〜 最終レス :2018/02/26
スパハブの出口での支払い時の出来事。
俺の前におばさんが並んでた。

おばさん「さっき入ったばかりだけどお湯が出ないから帰るわ。お代は払うのかしら?」
受付嬢 「お待たせしました!862円になります!」
おばさん「払わないといけないのね…?」
受付嬢 「その辺、私たちまだ何も聞いてないんです」
おばさん「お湯が出なかったわよ」
受付嬢 「すいません! ご不便をおかけしました!」
おばさん「サービスの割引はないのね?」
受付嬢 「申し訳ありません! まだ言われていないので862円になります!」
おばさん「そう・・・(嫌そうに払うおばさん)」

湯が止まり、風呂に入る気になれずに入館後すぐ帰る客から、
マニュアル通りに正規料金を払わせるスパハブが強気すぎたwww

あのおばさん、もう二度と来ないだろうなぁ・・・(´・ω・`)

2 :
>>1
末端バイトとやりとりしてるその婆も頭が悪すぎるw

3 :
カラオケで「イイね!」って言われたことない程のど音痴なんじゃない?
可哀想だから、そっとしておいてあげよ!

4 :
ONKEN21は相変わらず風呂盗撮してるな。

5 :
御満㋙の全開丸出しをおねげー

6 :
┻┳| 打刻妨害中 |┳┻
┳┻|_∧ ∧_|┻┳
┻┳|・ω・) (•ω•|┳┻
┳┻|⊂ノ     \つ|┻┳
┻┳|∪      し|┳┻

7 :
┻┳| 打刻妨害中
┳┻|_∧
┻┳|・ω・)
┳┻|⊂ノ    
┻┳|∪     

8 :
打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

9 :
打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

10 :
打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

11 :
打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

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打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

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打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

18 :
打者にとって”嫌な投手”とは、160キロの剛速球を投げる投手でもなければ、えげつない変化球を駆使する投手でもない。
それは「打てそうで打てない投手」である。打者の心理とはなんとも微妙で、それこそ1球1球によって変わってくる。
”嫌な投手”とは、そんな打者心理を見透かして打ち取ろうとしてくるタイプなのだ……。
野球のカウントは0−0から3−2まで12種類あるが、そのなかで打者有利のカウント、投手有利のカウントというのがある。
打者有利のカウントとは、1−0、2−0、2−1、3−1などだ。当然、打者は打つ気満々で、ある種イケイケの状態である。
投手にしてみれば見逃しでストライクを取ることがベストだが、少しでも甘く入ってしまえば痛打を浴びてしまう。
超一流と呼ばれる投手はそういう状況からでも簡単にカウントを整えてくるのだが、そうした投手はプロの世界でも数えるほどしかいないのが実状だ。
私の経験上、投手が狙い通りのコース、高さに投げられるのは、たとえば10球のうち5球あるかないか。
つまり、半分以上は意図していないところに投げているというわけだ。それでも打者が10打席で3回ヒットにすれば褒められるというのはどういうことか……。
要するに、それだけ打者は打ち損じをしているということになる。
打者有利なカウントではバッターが精神的優位になるため、大胆に球種やコースを絞って狙い打ちしてくるケースが多い。
そうしたカウントで待つ球種は真っすぐがほとんどで、相手投手によってはスライダーに絞る場合もあるだろう。
ところが、狙っていた球種が来たにもかかわらず、打ち損じてしまうという場面は珍しくない。その大きな原因は、目を早く切ってしまうことにある。
ではなぜ、目を早く切ってしまうのか。力みや気負いもあるが、球種の見極めが早く、微妙に変化するボールについていけないことがほとんどなのだ。
私がコーチ時代、選手たちに「待っていた球が来たからといって、早く喜びすぎるな」とアドバイスしたことは何度もあった。
目を早く切ってしまうと、アゴが上がり、バットも的確な角度で出てこない。結果、ポップフライか引っかけての内野ゴロで打ち取られてしまう。
そうした状況で、打者が手を出してくるのは外寄りのボールが多い。逆に、打者有利のカウントでインコースを打ちにくるバッターはほとんどいない。
芯でとらえるのは難しいし、スイングしてもファウルになる確率が高いからだ。
だが、投手はそうした打者の心理に気がついていないことが意外に多い。
だから打者有利なカウントで「絶対にコントロールミスしてはいけない」と力が入り、かえって甘く入って痛打を食らってしまう。
では、0−1、0−2、1−2、2−2といった投手有利のカウントのときはどうか。このとき打者は、三振をしないように、追い込まれないように……と考える。
また走者がいる場合は、最低でも走者を進めたいと考えるだろう。そうなると必然的に待つ球種も多くなり、ゾーンも広げてくる。
我々は「引いて考える」という表現をするのだが、こうした状況は間違いなく投手が優位にある。
なかにはヤマを張って、読みが外れれば「ゴメンなさい」というバッターもいるが、大抵は来た球に反応するしかなく、フルスイングするのは至難の業だ。
打者にしてみれば、少々のボール球でも手を出さざるを得なくなる。そこに投手が気づくことができているかどうかだ。
つまりバッターにとって”嫌な投手”とは、そうした打者心理を理解している投手である。
打者有利のカウントで平然とスローカーブを投げたり、インコースにズバッと投げ込んできたり、あえてバッターが狙っているコースに投げ、ちょっとだけ変化を加えたり……。
要するに、そのためには150キロを超すストレートも、バットに当てさせない変化球も必要ない。
特に先発投手は、対戦するひとりひとりの打者に対して完璧な制球や配球などしなくてもいいのだ。
さて、松坂大輔だ。日本だけでなくメジャーでもあれだけの実績を残して活躍してきた彼なら、そうした打者心理を理解していないはずはない。
しかし、日本球界に復帰してからの彼を見ていると、故障の状態もあって一概には言えないが、威力のあるボールを蘇らせることに重きを置いてきたように感じられた。
かつてのように、ストレートで圧倒したいという気持ちはわからないわけではない。ただ今のボールを見ていると、そうしたピッチングで打者を打ち取るのは難しいと言わざるを得ない。
正直、スタイルを変えるという作業は簡単ではない。だがもう一度、一軍のマウンドで躍動したいのなら、発想の転換が必要かもしれない。
すなわち、打者心理を読んで、徹底的にそのウラをつくピッチング。それが、松坂が蘇る唯一の選択肢ではないだろうか。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

31 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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33 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

34 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

35 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

36 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

37 :
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38 :
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39 :
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40 :
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41 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

42 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

43 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

44 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

45 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

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メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

52 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

53 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

54 :
メッツを自由契約になった青木宣親外野手(36)がプロ野球ヤクルトに復帰することが30日、関係者の話で分かった。
3年総額10億円。古巣で7年ぶりの国内復帰となる。沖縄県浦添市で行われる1軍キャンプには2月上旬に合流する見込み。
ヤクルトの小川監督は「全面的に期待している」と話した。
ノリ・アオキがメジャーリーグに残したもの。
メジャー歴5年と148日(172日で1年と換算する)で2716打数774安打、打率.285、出塁率.350、長打率.387。33本塁打、219打点、377得点、98盗塁。
青木宣親が我々に残したもの。                                            
ポスティング制度を経ての「メジャー挑戦」。実際はブルワーズでの屈辱のテスト入団。控え選手から定位置の獲得。
ロイヤルズへのトレードとア・リーグ優勝。ジャイアンツでの死球禍。マリナーズでのマイナー降格からのメジャー復帰。
アストロズでの日米通算2000安打達成とブルージェイズへのトレード。自由契約からのメッツ移籍。そして、7年ぶりの日本球界=ヤクルト復帰。
ある意味、用意周到な「メジャー挑戦」だった。挑戦する数年前からメジャーの投手たちのビデオを見まくったとか、英語を勉強したとかいうことではない。
早くから和食のない食事環境を考えたり、日本文化なき町での生活を考えたりして、「メジャー挑戦」を具体的に想像し、「アメリカで生きる」ことを意識した。
1年目は「自分のスイングができなかった」。1年目、控えから定位置を獲得する過程で打率.288、10本塁打、50打点という数字を残した。
いずれもメジャー6年間で最高だが、これにはちょっとした錯覚もある。
同年の520打数150安打は「当て逃げしたのも含めての数字」。本人がきっぱりとそう言うには理由があった。
日本の投手たちよりも平均的な球速があり、手元で微妙に動いてくるメジャーリーガーの投げる球に「自分のスイングができなかった」。
必死に食らいつく粘りの打撃が持ち味であるイメージだが、1年目の55三振はメジャー6年間で最多である。
メジャーリーガーはとにかく、「自分のスイング」にこだわる。
中途半端に打たされるぐらいなら、「自分のスイング」をして詰まった方がいい。
最初は首を傾げたが、詰まった当たりが内野の頭を越え、内野手の間を抜けていくのを目の当たりにすると考え方も変わる。
1年目の内野安打は37安打。ロイヤルズにトレードされてジャスティン・バーランダーやマックス・シャーザーとの対戦が増えた3年目は、29安打に減った。
メジャーが肉体改造に本気になった時期と重なった。
青木の闘いは、イチローをはじめとする他の日本人野手がそうであったように、日本人の肉体と外国人の肉体の決定的な違いとの闘いでもあった。
メジャーリーグは2000年代の前半に一部の選手によるパフォーマンス向上薬品(PED)の使用が発覚して以来、サプリメント(補助食品)の扱いに敏感になり、
PEDを使わずに効率よく筋力を鍛え、関節の可動域を広げ、体の各部が連動するトレーニング法を追求した。
そのお陰だろう。20年前なら「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバル(昨季レッドソックスとジャイアンツ)のような太った選手もよく見かけたものだが、今ではかなり珍しくなっている。
大学時代からプロに匹敵する施設と指導者の下でトレーニングを積んできた選手たちは、オフになると専属トレーナーの下で厳しいトレーニングを自らに課すようになった。
パフォーマンス向上のための意識も自ずと高まり、たとえばバットスピードを上げるためには上半身だけではなく、体幹や下半身を鍛えることが常識となった。
昨年のワールドシリーズで対戦したアストロズとドジャースの若い選手たちが、単にパワーがあるだけではなく、いずれも均整の取れた体つきをしていたのは偶然ではない。
青木が「メジャー挑戦」をしたのは、そういう変革の時代の真っ只中だった。
「楽しんでしまった方がいいでしょ?」
鍛え上げられたメジャーリーガーたちと互角に戦うために、青木はオフの食事を見直し、トレーニングを変えた。
なかなか結果が出ず、守備固めで打席数が減ったり、ビジネス上の理由でマイナーに留まることを余儀なくされたり。
そんな時、「破顔一笑」という言葉が似合う彼は、「悔しいのは当たり前だけど」と前置きをし、可笑しそうに笑いながら、こう続けるのだった。
「どっちか選べってんなら、楽しんでしまった方がいいでしょ?」と。
彼の言う「楽しむ」とは、野球に対して真摯に向き合うことである。
そんなノリ・アオキ=青木宣親は、これから日本で何を残すのか。
青木だけではなく、東京ヤクルトスワローズにとっても、それは1つのテーマになるのではないかと思う。

55 :
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56 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

57 :
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58 :
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59 :
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60 :
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61 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

62 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

63 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

64 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

65 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                 
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人には毛頭ないだろうが……。再起に期待したい。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

74 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

75 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

76 :
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77 :
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78 :
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79 :
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80 :
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81 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

82 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

84 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

85 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。一方「1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

86 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                   
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさんの動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
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自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。
WBCの年に成績が落ちたということはあくまで結果でしかないが、まぎれもなく代表の試合に全身全霊をかけた日本野球の功労者。
ソフトバンクでの3年は厳しいものとなったが、プロ野球界全体として、その功に報い、心ゆくまで挑戦の機会を与えられていい選手と思われる。
もちろん、そんな情緒的なものに甘えるつもりは本人にはないだろうが……。再起に期待したい。

87 :
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88 :
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89 :
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91 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

92 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

94 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

95 :
松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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松坂大輔が行くところ、常に黒山のひとだかり――。                              
沖縄・北谷で行われている中日のキャンプの風景だ。
きついランニングメニューのあとでも、ファンの求めに応じてサインをする姿に、プロの原点をみた気がした。
日本復帰後、ソフトバンクの3年間でわずか1度の登板にとどまり、未勝利。
推定年俸1500万円プラス成績に応じた報酬で入団した中日での選手生活は事実上のラストチャンスになるかもしれない。
だが、当人に悲壮感はない。全盛期の球の威力はないものの、肩など肉体面の憂いがないようで、順調に調整を続けている。
野球評論家の権藤博氏は横浜(現DeNA)が1998年のドラフトで、松坂を1位指名しながら抽選で敗れたときの監督だ。
そのときからほれこみ「松坂ウオッチャー」ともなっている権藤氏は16日、60球を投じた松坂のブルペンの様子を視察して「わからない」と話した。
この「わからない」は否定的な意味ではない。
権藤氏の考え方はアマチュア時代から、大事な試合を勝ち抜いてきた松坂のようなタイプの投手の力は練習では測れない、というもの。
スター選手の真価がみえるのは唯一、1軍という最高の舞台でスポットライトを浴びたときだけ、という。
その点、肩が癒え、いつでも投げられる状態になっている松坂に関しての「わからない」はむしろ、1軍のマウンドへの期待を込めたものといえる。
15日、韓国・起亜との練習試合が行われた日。松坂は通常のブルペン投球の時間を避け、遅い時間に一人、ひっそりとブルペンで調整した。
森繁和監督は「ゲームがあるときに自分が投げたらどうなるか、みなさん(報道陣)の動きもみていたと思う。ゲーム後に投げると聞いていた」と話した。
松坂の行動は他の選手たちに気をつかってのこと、と思いやった。
この日が久方ぶりのブルペン。自分が投げると報道陣もファンも殺到し、試合の方の注目度が薄くなる。松坂はそこに配慮したのではないかと森監督はいうのだ。
フリー打撃など打者登板について松坂は14日の段階で「ゲームで投げられるようになるまで、どれだけ投げれば大丈夫、というのがある。
そこからあまりずれないようにしたい」と調整プランを明かした。
一方「(キャンプ中)1回バッターに投げられればいい。野手の迷惑にならないように」と、タイミングを見計らう意向を示していた。
自分の存在がチームに与える影響を常に気遣っている。
山本昌氏や谷繁元信氏、和田一浩氏らが引退したあとの中日でビッグネームといえるのは岩瀬仁紀のみ。
観客動員も伸び悩み、1月に亡くなった星野仙一元監督から「こんなにナゴヤドームにお客さんが入ったのは(近ごろ)みたことがない。
甲子園もコボスタも満員です。ガラガラなのはここだけ」と叱咤(しった)激励されたこともあった。
昨年のオールスター第1戦、ナゴヤドームで行われた野球殿堂入りの表彰式の場でのことだった。
松坂を取り囲むファンの人垣は、いかに中日ファンがスターに飢えていたかを示すようでもある。
その輝きにすっかり魅せられた様子だったのが、15日にキャンプを視察した白井文吾オーナー。
松坂に対し「ファンを大事にしなくちゃいけないという使命感を彼は持っている。
それによって、ファンに支持されることが自身のプレーと密接な関係があることを自覚している」と話した。
ファンの声援がいかに力になるか。ファンとのつながりが、自身の活躍につながって相乗効果を生むという「プロの原理」を知っているというわけだ。
いかに疲れていても「嫌な顔ひとつせず」にサインをしている松坂に、ドラゴンズかくあるべし、と得心したようだった。
使命感という言葉で思い出したことがある。2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。
すでに西武からレッドソックスに移籍していた松坂に出陣前に聞いたことがあった。
この時期に代表として活動することにはリスクもあるが、それでも出場するわけは?
「日本代表の試合には常に出ていたい」というのが松坂の答えだった。
常に代表選手として選ばれる選手でありたい、選ばれたからには出るのが当然、という口ぶりだった。
06年の第1回大会以来、3月という通常なら調整の期間に行われるWBCにピークを合わせることへの懐疑的な意見が、メジャーではびこっていた。
それでもためらいなく出る、という松坂の気概に心を打たれたものだった。
09年のWBCで、2大会連続で最優秀選手に輝いた松坂だったが、レギュラーシーズンは4勝6敗と、前年の18勝3敗から大きく成績を下げた。
以降、松坂は2桁勝利をあげられないままだった。メジャーでWBCへ慎重な姿勢をとる「消極派」が持ち出す事例の一つとなっている。

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