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NHK土曜ドラマ ちゃんぽん食べたか


1 :2016/05/28 〜 最終レス :2020/04/21
2015年5月30日−8月1日放送

キャスト
佐野雅志:菅田将暉(少年期:大八木凱斗)
古田政美:本郷奏多
樫山  満:間宮祥太朗
菊田保夫:泉澤祐希
岡倉洋子:森川 葵
佐野喜代子:西田尚美
佐野雅人:遠藤憲一

スタッフ
原作:さだまさし『ちゃんぽん食べたかっ!」
脚本:尾崎将也
演出:清水一彦、川野秀昭
音楽:渡辺俊幸
制作統括:真鍋斎、谷口卓敬

2 :
















3 :
良いドラマだった

4 :
神社のシーン泣けた

5 :
ぇぇ
板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 706 -> 703:Get subject.txt OK:Check subject.txt 706 -> 706:Overwrite OK)2.20, 2.42, 2.51
age subject:706 dat:703 rebuild OK!

6 :
よし

7 :
懐ドラ板にきたかー
いちおつ

8 :
はぁ

9 :
よしゃ

10 :
はい

11 :
お願いだからソフト化して

12 :
スレ伸びてるから期待してしまったw
もう一年たったんだなあ

13 :
ここ数年やったドラマの最高傑作のひとつ。なんで賞をもらえなかったのか

14 :
役者がみんなハマってたな

15 :
やさしくてのんびりとしたさのまさしが好きだった
力みのないすだくんの演技がよかった
いろんな役をこなせる彼だけど、これは本当に役と一体化してるというか、
もともと持ってる落ち着いた性格とピッタリハマったというか
それこそ当時のスレでだれかが言った「すだまさし」が確かにそこに居た

16 :
昨日のスマスマで岡田義徳がバイオリンの弓持って、ほんの少しだけちゃんぽんの話してた
なんとなく嬉しくなってしまった

17 :
ちゃんぽん再放送まだー?

18 :
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19 :
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20 :
樫山が自分のベースを売って
雅志のバイオリンを質屋から出してくるとこ
1話目の調子のいい樫山を思い出すと
泣けてくる

21 :
>>20
そこ泣けた!

22 :
昨日放送のドキュメント72時間(長崎の花火の回)にさださんの弟が(偶然)出てたよ
今年の春にお母さん亡くなったと言ってた
再放送は木曜深夜

番組ページ↓
http://www4.nhk.or.jp/72hours/x/2016-09-28/21/25085/1199148/

23 :
夏ドラマは各局ともさんざんで、『花咲舞・・・』のような安易に二匹目のドジョウを狙った(しかも最初のシリーズとてそれ程名作だった訳でもない)ものが視聴率ではトップで、ほかには二桁行くものがほとんどないらしい。
評論家がサスペンスにしろラブストーリーにしろ、種が出尽くして新鮮味や意外性を出すのが難しいなどと書いているのも見るが、『ちゃんぽん・・・』など最初から最後までそれほど大した事件も意外な展開もない。
まして現在も大活躍中のさだまさしさんの自伝なのだから、結末も分かっているようなものだ。
けれどもこのドラマは9回ずっと楽しく見ることができた。むしろ強引な展開や無理なつじつま合わせがない所に好感が持てた。何気ない日常もしっかりした脚本や演出があって、
細部まできちんと丁寧に作ることで、なんでもない場面のひとつひとつも見るものを楽しませ心を温かくしてくれた。

24 :
1 05/30 5.6
2 06/06 2.8 -2.8
3 06/13 4.2 +1.4
4 06/20 3.0 -1.2
5 06/27 2.2 -0.8
6 07/04 2.4 +0.2
7 07/18 4.0 +1.6
8 07/25 3.5 -0.5
9 08/01 4.1

25 :
地味な作品だが、NHKの土曜ドラマ枠で放送されている『ちゃんぽん食べたか』が面白い。
起承転結のしっかりとした論理的なドラマを作る脚本家だ。そのためか、いつも少し引いた目線で登場人物を描いている。だから、
登場人物が感情を激しくぶつけ合うということも少なく、そういった場面があったとしても、大抵はコメディタッチでかわされてしまう。
そのため、どこか人を食ったようなすっとぼけた落語的な味わいが尾崎のドラマにはあるのだが、本作のおっとりとした空気は、
原作の持ち味と尾崎の作風がうまくマッチした結果、生まれたものだろう

26 :
土9のドラマは6%ぐらい取れてた

64は新設されたばかりだったから低視聴率なのは仕方ないが、
二発目のこのドラマも低いとなると土曜の10時という枠自体に問題があるんだろう

27 :
http://kandoraobasan.com/category510-1.html

28 :
http://sweetug.fc2web.com/gallery.htm

29 :
お買い物〜老夫婦の東京珍道中2009年2月14日
第46回ギャラクシー賞 テレビ部門優秀賞、月間ギャラクシー賞
第35回放送文化基金賞 テレビドラマ番組賞、演技賞(久米明・渡辺美佐子)
東京ドラマアウォード2009 作品賞優秀賞

どの人も、普通にさりげなく優しい。
孫娘の、淡々とした態度は、とてもクールだけど、
年寄りだからと言って、過剰な優しさを押し付けてなくて気持ちが良い

潜在的にある人間の悪よりも、潜在的にある善意の瞬間を繋いだような展開に、切なさと、微笑みが交互に味わえた作品でした。
どうしたらこんなに自然を切り取れるのかな、と羨ましい気持ちで見ました。

30 :
池端俊策:
オリジナルの作品が多くありその中で、前田さんの『徒歩7分』は頭抜けていると、全員一致の認識であり、
前田さんの作品に決定いたしました。作品は、数人の人物たちが延々と会話を続けるというつくりで、
限られた空間の中で、ある女性が自分の人生を告白していく話です。中身は悲劇的要素を含んでいますが、
脚本は喜劇的と言えるくらい、ユーモラスな世界観が描かれています。
悲劇性を帯びているのに、なぜかそれが笑えてしまう。絶対のない世界、
非常に相対的な世界のなかで生きている若い女性の、ある断片をスパッと描いたという鮮やかな作品だった。

「徒歩7分」は主人公の謂わばゆるめの悲劇的情況を饒舌で喜劇的とも思える会話劇に仕立てた作品であり、
そのユーモアに満ちた世界観と筆力は賞讃に価します。
現代を生きる意味を無限に相対化する作風は新鮮であり、今後の活躍を期待し、向田邦子賞を贈ります

「悲劇性を帯びているのに笑える。今の時代をうまくすくい取っている

「小さな世界のようでいて、大きな世界を描いている

31 :
<映画はドラマだ。アクシデントではない。(小津安二郎)

32 :
映画は谷崎潤一郎作品を思わせる。モダン画家アリス(アンヌ・パリロー)にはボクサー志望の恋人フランク(パトリック・オリニャック)がいた。2人はアツアツ。そこへひょっこりアリスの姉エルザ(ベアトリス・ダル)が訪ねてくる。
エルザはこの2人のセックスものぞくし、ことあるごとに妹を痛めつけるが、この姉妹どうやらレズビアン。姉の嫌がらせの怖さ、その毒の裏に妹への恋が感じ取れ、愛という厳しさでこの怖い姉をも映画はかばう。
ありきたりのストーリーで甘い。しかしこのフランス映画、そのフランスの底力を見せた。
姉がうまい。姉の顔に学校のいやな級長の冷酷さが感じ取れ、この姉の演技がこの映画を大人の映画にした。脚本もこの監督、そしてこれでもかと女の弱さ、怖さを押しつける。
姉が妹の恋人を奪ったうえに、妹の両手を縛ってこの恋人とセックスするうめき声を妹に聞かす。この姉妹、レズビアンに近いこともわかってくる。
この映画、男がバカみたい。筋肉豊かな若者で女の夜の相手にはもってこい。けれど自分の恋人の姉に誘われて断れぬあたりが、この映画、もすこし大人にならないと困る。テネシー・ウィリアムズくらいの描き方、もっと怖く谷崎文学に迫るべきだった
しかし最近の、セックスだけが見せ場になってきたふぬけたフランス映画の中では、やっとフランス映画だといううれしさ。とにかく姉が演技を見せた。姉のマスク、目、笑い、唇、
このすべてが女の監督、同じ彼女のその脚本でいやらしさ、怖さを出した。ありふれた脚本ながら残酷さは最近最高の描写。近ごろ多くの凡作とアクションものに疲れた観客は、この映画で目を覚まさせるといい

33 :
岡田書く前にプロットを提出して、それについて話し合うのはキライなので、基本的にはしていない。つまり、締め切りを待っているプロデューサーは、何の話が来るかわからない。」
中園「ハラハラドキドキの心でワクワクする」
岡田「ドキドキトワクワク」
中園「ハラハラもする。実は私、必ずハコ書きはします。そうすると、(書き直し指示されても)キズは浅いです。プロットがあると、楽しくないじゃないですか。」
尾崎「(プロットがあると)スイスイ書ける」
中園「失礼しました」
中園「尾崎さんの脚本って、(プロットを作って、原稿をプリントアウトして赤入れて直したりしているから)完成度が高いけど“華”がないナって。ホント、スミマセンね、上から目線で。
(しかし)「結婚できない男」を見たとき、“ウアW−すごいよ!”ものすごい大きな花を咲かせたナ、という気がして興奮してしまいました。」

34 :
総合
作品賞 @BOSSA白い春Bアイシテル
主演男優 @阿部寛A松本潤B櫻井翔
主演女優 @天海祐希A稲森いずみB堀北真希
助演男優 @竹野内豊A遠藤憲一B中井貴一
助演女優 @新垣結衣A大橋のぞみB戸田恵梨香
ドラマソング賞 「明日の記憶」 嵐
監督賞 光野道夫 石井佑介 星野和成 成田岳
脚本 尾崎将也
読者票
作品賞  @スマイルABOSSBクイズショウ
主演男優 @松本潤A櫻井翔B阿部寛
主演女優 @天海祐希A稲森いずみB堀北真希
助演男優 @中井貴一A横山裕B竹野内豊
助演女優 @新垣結衣A戸田恵理香B大橋のぞみ
TV記者票
作品賞  @白い春ABOSSBアイシテル
主演男優 @阿部寛A内野聖陽B櫻井翔
主演女優 @稲森いずみA天海祐希B高畑淳子
助演男優 @遠藤憲一A竹野内豊B小栗旬
助演女優 @大橋のぞみA新垣結衣B板谷由夏
審査員票
作品賞  @BOSSAアイシテルB白い春
主演男優 @阿部寛A内野聖陽B櫻井翔
主演女優 @稲森いずみA天海祐希B長澤まさみ
助演男優 @竹野内豊A遠藤憲一B千原ジュニア
助演女優 @大橋のぞみA田中美佐子B新垣結衣

35 :
べっぴんさん見てたらチビまさしが大きくなって出てた
チビ高良健吾の役らしい

36 :
 脚本家の山田太一氏(79)が発売中の月刊誌「サイゾー」のインタビューで、
ドラマ界の現状について辛辣な言葉を並べている。

 NHK「あまちゃん」は「楽しく見ています」という山田氏だが、昨今の
テレビドラマについては「『いい作品を作ろう』というより『いい商品を作ろう』
という意識になっている」「視聴率のことばかり気にしている人たちや、
どこかから突っ込まれないかと気にしてばかりいる人たちが力を持っていると、
やっぱり作品を損ないますよ。営業や編成の人たちの意見も大事だけど、
ドラマの中心は作っている側にあるべきです」とバッサリ。
さらりと語っているが、ドラマ界の御大の言葉だけに、一言一言が重い。

 興味深いのはキムタクこと木村拓哉について語ったくだりだ。キムタクは10月から始まる
TBSドラマ「安堂ロイド」で未来からやって来たアンドロイド役を演じるが、これについて
「若い時に輝いていた人ほど壁が高くなるんです。方向転換は二枚目ほど難しい。
『南極大陸』(2011年)は少しだけ見ましたけど、『木村拓哉さんがやってくださっている』
という空気が画面から伝わってくる。そんなの見たくない」。
もちろん、山田氏は批判しっぱなしではなく、「活かす道はいっぱいある」
「汚れ役をやるというより、本当に汚れてしまえる世界を選ぶとかね」と言い、
「新しいキムタクさんを引き出すような役があればいいと思います」とも語っている。

37 :
影武者が家来達に石を投げられてる場面の松本清張の感想 (清張日記より要約)
『なんじゃアレはw 影武者の悲哀を出すんならもっと違った方法があるだろ』

38 :
野ブタでは)
「母親」がいない設定にすることで家族の風通しをよくしてる。
90年代に「家族が壊れている」ってストーリーが流行って、
ドラマでは家族を描きづらくなった。

お母さんのいる家族を普通に描こうとすると辛くなる。
でも「家族」を描くことをあきらめたわけじゃない。
すいかで出てくるハピネス三茶って下宿は昔のドラマの大家族のイメージ。
ハピネス三茶はヘンな居候ばかりがいる「家族」(笑)。
(今は)家族を描くのが難しいから「家族のようなもの」を描く。

―――
「PLANETS」の木皿泉インタビューより適当に抜粋してみた

39 :
「え、そんな偉人いないでしょう。だって一度圧政敷いてたら偉人になれなくない?」
「え、でもヒットラーとかさ、あるじゃん」
「ないよ! あんた、どこの国の人がヒットラーを偉人伝に載せるのよ」
「日本?」
「あんた、ほんと怒られるよ」
「ヒットラーって偉人じゃないの?」
「偉人じゃないよ! 偉人って偉い人のことだよ。あんた、ほんとちょっと気をつけな」
「えーっ。じゃあ、あれ何だっけな……女の人の何かで改心するんだよなあ……」
「何? 『女の人の何か』って何? 愛?」
「愛かそれに類する何か……」
「何っ? 『愛に類する何か』って何っ!?」
「(投げやりに)ああん、忘れちゃった。何かそれみたいだなって、すごい思ったんだよね、パパのあれが」
「黒く塗りつぶされた部分が多くて伝わんないよ」
姉妹の話の噛み合わなさも然ることながら、「改心した王様」とは何に出て来た話なのか結局わからずじまいのままべつの話題に移ってしまうところがすごい
ヒットラーの話は一応、このあとで妹がヨーロッパに行きたいと唐突に言い出すのとつながっているとはいえ、この会話自体は本筋とほとんど関係がない。
でも人間の会話とは往々にして、あいまいな記憶やたとえになっていないたとえに振り回されたり、唐突に違う話題に移ったりするもんじゃないだろうか。
そう考えるとこの場面はかなりリアルだ。
それに、姉妹がこういう他愛もない話を交わすぐらいには親密であること、また二人の性格や教養レベルの違いなんかも垣間見えてくる。
このあと妹が日本を発ってから依子が喪失感を抱く様子が強い印象を与えるのも、こうしたやりとりが先に用意されていたからだろう

40 :
昨夜が最終回だった。故郷長崎で思いがけなく開催の運びとなった「グレープ」のコンサート、
雅志と古田の二人がステージに歩き出したところで終わった。客席の入りも客の反応も何も見せず、プツンと終った。
でもそれが心地よい余韻となる終わり方だった

昨夜の最終回に散りばめられた回想シーンは、往々にして時間稼ぎになりがちなことも多いなか、このドラマではとても効果的に使われていた。特に雅志の子供時代の『かすていら』での映像は、
懐かしい時代の長崎の美しい風景をバックにしたものばかりで、詩情があって胸が締め付けられるようだった。
登場人物もみな温かく描かれていて、さださんが特別に良い人間関係に恵まれたのかも知れないけれど、温かい目を通して書かれた物語だからなのかも知れない。さださんは人をこういうふうに見る、
優しい人なのだろうなと思う。だから生み出される楽曲も優しく心に沁みる作品になるのだろうなと思わせられる。
悲しい運命や、主人公に冷たく当たる人など登場しなくても、十分良いドラマが出来上がるというお手本のような作品だった

41 :
 高校時代の楽しさと、何者でもない自分の将来に対する不安がおおらかなムードで描かれた、懐かしいタッチの青春ドラマだ。本作が面白いのは、主人公の佐野が、
器用で育ちのいい少年だということ。家は決して豊かではないが、幼少期よりバイオリンを習わせてもらい、音楽家になるための学費も払ってもらっている。
当時としては子どもに理解のある家族だったのではないかと思う。青春モノは大抵、落ちこぼれや劣等生、そうでなければ不良少年を主役にして思春期の不安やいらだちを描く。
しかし、本作は佐野がおおらかな性格で多才のためか、物語は妙に淡々としている。これは脚本を担当する尾崎将也のカラーでもあるのだろう

42 :
ゴーイングマイホーム
小津や向田目指したらしいね
小津ってまったりしてても独特の心地よいリズムみたいなもの感じる
これはかったるかった
向田のって眠くなったりしないし鋭い視点にドキッとさせられる
これは既視感あり新鮮味なし
笑いの部分は緩いのを狙ったみたいだがセンスは感じなかった

このドラマ撮影始まった頃、西田敏行が「監督の台詞が素敵すぎてアドリブを言う気にならない」
と言ったらしいけど、俳優にとってはそんなに魅力的だったのだろうか。

岡田惠和ははらちゃんの脚本書きながらこのドラマ見てたんだろうな
ところどころに揶揄するようなセリフが出てくる 連ドラの脚本はこうやって書くんだぜ〜是枝って感じかな

43 :
渡辺あやの脚本作品ほぼ全部見てるけど「淡々と日常を描いてる」作品ってあったっけ
「その街のこども」は二人の男女の会話劇だったから、話術が凄いなって舌を巻いたけど
自然だけど二人の人となりや生き方がじんわり透けて見える感じ

是枝が向田邦子のドラマが好きと言うから、 もっと人間の深層に潜むリアルな感情を描いた
どこかコミカルさもある会話劇 になるのかと思ってたら 意外とつまらないメソッドの連続って感じで
「歩いても歩いても」とか見てもそうだが 陰口、悪口とかの言葉遊びをしてるだけのかけあいしか書けないからね

44 :
ぼくはこういう映画があるのを知らなかった。TBSラジオでライムスター宇多丸(歌丸ではない)が熱弁をふるったのがきっかけで、観る気になった。
小林信彦「本音を申せば」『週刊文春』

何気ない日常の出来事を断片的で浅薄にしか描けていない『ワラライフ !!』に比べて、『その街のこども 劇場版』(2011年)の「一見ふつうの会話、ふつうの歩き・散歩というところから、
次第に、その、阪神淡路大震災という巨大な背景、要はふつうじゃない巨大な何か、大きな物語が浮かび上がってくる」

新しい映像演出、新しい脚本、演技。これは未曾有の大災害から生まれた、小さな、しかし確実に新しい創造である。
大森一樹さん(映画監督)

45 :
ドラマでありながらノンフィクションのドキュメンタリーのようであり。
更に二人の台詞まわしが全てアドリブのような自然さなのである。
この二人の役者、こんなに上手いのか?演技が。
実際は脚本家がいて上手く構成されているのは言うまでもないのだが、そんな作為をまったく感じさせない。
松本人志が『大日本人』で愚にもつかないフェイク・ドキュメンタリーを装っていたが、比べ物にならないぐらい。
ドキュメンタリー風に見せるドラマがこんなに上手く成立するんだと言う衝撃。
民放のドラマだってそういうことはやらないだろう。
演出的な意味の含め方もずば抜けている。
この辺りは宇多丸の評論を聴いて溜飲がさがったのだが、男女二人が10分交代で荷物の持ちっこをするのであるが、
その荷物というものが男女二人がそれぞれに背負っている"肩の荷"になっており、荷物を背負ってもらい、肩の荷のない方が自分の心情を吐露していくという。
物語の展開上、女の方が早く肩の荷が無くなるというのもものすごく示唆にとんだ演出。
明らかに演出なのにそれを感じさせない上手さ
別れ際、握手をしようと手を差し伸べる男を無視して抱きつく女。
苦しんでいる人がいたら手を差し伸べるのではなく、思い切り抱きしめるぐらいの勢いで助け合う。
たぶんこのドラマが災厄にたいする控えめかつ大胆な主張。
この男女、また来年、とか言ってもう二度と会う事はないだろうなという予感をさせる。
さらに作品を通して恋愛関係を持ち込む事もしていない。
このような一期一会の関係であっても、その時は本当にお互いに抱きしめてあげられる。
それが歳月によって風化させないための希望。

46 :
本作の脚本を作りだすとき、ドキュメンタリーでは拾いきれない、些細な出来事をすくいとっていくというのが、
ドラマでする意義だと思っていたので、まず、主人公たちのひととの関わりかたを物語の主軸に考えました。彼女は、実は逆ナン好きとか、コンパニオンをしているとか、彼女と歩く男性も、
また違うベクトルで震災に対して思いを持っているという少し意外な人物背景にしたかったんです。
そんな、当時小学生だった子が、大きくなって出会うことが起こりうることが、奇跡的なことで、厳しいだけでなく、そこに希望をたくしました。寄りそって解決することではなく、自分の問題として捉えないといけないということを、
主演のふたりがきちんと理解してくれていて、話かけるのも怖いくらいの緊張感のある現場でした(中略)それこそ難しい話ではなく、あくまで個人的で、
日常のなかにある深いところで繋がりたいという印象を受け取っていただきたく、「その街のこども」というタイトルに決めました。言いたいことをきちんと明確に作れたと自信を持って言える作品になったので、出来るだけ多くのひとに伝わることを願っています』

47 :
渡辺あや舞台挨拶

・森山未來の主演は決まっていた
 関西出身の女優の一覧を見せられ、彼と一番似合わなさそうなサトエリを選んだ 

・居酒屋シーンはアドリブではないが、地声で自分の言葉のようにセリフを言って欲しいと伝えた

・サトエリを待つ間の森山のバット素振りは彼のアドリブ

・本読みの時に「ラストのハグはありえない」と二人に言われたが、本番では自然なシーンになった
 ハグの時の「ポンポン」はアドリブ

・会場に入らず、二人が別れたのは、二人で入るとそこで完結するふたりの話になってしまうから
 二人が別れて話の主役を街に戻すため

48 :
優秀賞となった『55歳からのハローライフ』は特に第5話「空を飛ぶ夢をもう一度」の火野正平の瀕死のホームレスの迫真の演技が絶賛された。生きることの意味を深く考えさせる作品となった。
2014年の大きな特徴として、死を見つめながら生きていくというドラマの多かったことが挙げられる。震災を乗り越えるに当たって、死を自分のなかに取り込むというふうに視点が移ってきたのだろう。木皿泉脚本の
『昨夜のカレー、明日のパン』(日本放送協会)は、文字通り死者と共に生きるという世界を描き、時代を象徴していたように思える。選に漏れたのは残念だった。
演技賞ということで言えば、『グーグーだって猫である』の宮沢りえの不思議なオーラを放つ存在感と、『坂道の家』の柄本明の鬼気迫る演技はあまりにも圧倒的であり、
群を抜いていた。テレビドラマは脚本が重要なのはもちろんだが、こうした素晴らしい演技に魅了されて初めて濃厚な時間を過ごしたと言えるだろう。

49 :
「がんばれ」とエールを送る時代から、自分に何ができるのかを考える時代に変わったと言うべきか。震災後を描いて最優秀賞をとった『時は立ちどまらない』は、被災しなかった者が被災者のそばで何ができるかと苦悩する姿を描くものであり、
震災後3年たった今だからこそ描けるドラマだという評が多かった。山田太一脚本のヒューマニズムを、すばらしいキャストを得て堀川とんこう監督がきっちりと美しいドラマに仕立て上げた。
 『あまちゃん』は、ドラマの虚構性を脱構築し、あえてドラマであることを露呈するようなメタ・ドラマの手法が新鮮で、宮藤官九郎の才能を感じさせた。
さまざまなキャラクターがそれぞれの存在感を強烈に感じさせる設定もおもしろく、多くの視聴者に元気を与えてくれた。大友良英の音楽は、そんな作品の力を象徴している。
 『半沢直樹』は、審査対象となった第一回に、その後展開するドラマのあらゆる要素が詰め込まれていることを改めて確認して、その完成度の高さに舌を巻いた。高視聴率をとったのには、
それだけの理由があったのである。主演の堺雅人の演技力も重要であり、堺あっての『半沢直樹』であった。
 満島ひかりが主演した『Woman』は、2010年のドラマ『Mother』のスタッフによる作品であるが、坂本裕二の脚本は今回のほうが優れていた。シングルマザーを演じる満島の演技が光っており、圧倒的な魅力をみせた

50 :
主役の二人の自然でしかもユーモアにあふれた演技が秀逸。こんな老人たちが実際にいて、どこかで生きているのかもしれないと思わせるリアルさを感じさせる。
老夫婦の絶妙なやりとりを通じて、「時の流れ」が浮かび上がる脚本も高く評価される。

51 :
韓国で開催されたドラマの国際コンクール「ソウルドラマ賞」で、NHKドラマ「お買い物」が単発ドラマ部門で優秀賞を受賞した。NHKからは初めての受賞。またこのドラマに出演した久米明さんが最優秀主演男優賞を受賞した

52 :
【脚本家のことば 前田司郎】
欲しいものがあるっていうのはとても良いことだと思います。歳をとってそれが無くなってしまうのは悲しい。幾つになっても欲しいものがあったほうが良い。そんなことを考えながら書いたような気がします。
書いたのはもうずいぶん前のことで、そのときの気持ちを僕は忘れてしまいましたが。おじいさんはカメラが好きで、それは若い頃から好きで、そして、
しばらくその気持ちを忘れてしまっていたわけですが、好きなもののことを忘れちゃうなんて悲しいことです。が、往々にして人はいろいろなことを忘れちゃうみたいです。だけど忘れていたことを思い出すのはとても素敵なことだと、出来上がったドラマを見て思いだしました

53 :
http://7tv7dorama.blog.fc2.com/blog-entry-7820.html

徒歩7分
第8話(最終話) 「ここが崖だわ」

54 :
文豪・島田雅彦が炎上を恐れず語る人生の嗜み方
人間だけが持っていると思われていた創造性も、 人工知能によって代行される時代が巡って来た。
人間界ではわりとヘタレや敗者も生き延びてこられたのだが、 人工知能が進化論の原則をよりシビアに踏襲するとしたら、
それこそ血も涙もない淘汰を行うだろう。
長い年月をかけて、思想や哲学を通じて考察されて来た人間の条件がこの先、大きく変わる。人間はこのまま奴隷か、
動物園の動物のようになってゆくと思われるが、
その前に人間を人間たらしめている理性と狂気について、 今一度考えてみるのも一興かと思い、本書を出すことにした。
愚行、虚栄心、性欲、破壊衝動、嫉妬……ビジネス書では ほとんど扱われないテーマばかりを選び、
酒場で放談する形式を取った。
民主主義崩壊前夜にあっては、酒場の放談こそが、検閲もなく、 最も言論の自由を行使でき、ヘタレが一番輝く場だからである。
炎上は避けられないだろうが、死なない程度に地雷を踏むのは武勇伝ネタを積み上げたいヘタレのプライドの現れなので、
どうか温かく見守ってやってください

55 :
文豪・島田雅彦が炎上を恐れず語る人生の嗜み方
人間だけが持っていると思われていた創造性も、 人工知能によって代行される時代が巡って来た。
人間界ではわりとヘタレや敗者も生き延びてこられたのだが、 人工知能が進化論の原則をよりシビアに踏襲するとしたら、
それこそ血も涙もない淘汰を行うだろう。
長い年月をかけて、思想や哲学を通じて考察されて来た人間の条件がこの先、大きく変わる。人間はこのまま奴隷か、
動物園の動物のようになってゆくと思われるが、
その前に人間を人間たらしめている理性と狂気について、 今一度考えてみるのも一興かと思い、本書を出すことにした。
愚行、虚栄心、性欲、破壊衝動、嫉妬……ビジネス書では ほとんど扱われないテーマばかりを選び、
酒場で放談する形式を取った。
民主主義崩壊前夜にあっては、酒場の放談こそが、検閲もなく、 最も言論の自由を行使でき、ヘタレが一番輝く場だからである。
炎上は避けられないだろうが、死なない程度に地雷を踏むのは武勇伝ネタを積み上げたいヘタレのプライドの現れなので、
どうか温かく見守ってやってください

本当に新しい男女を活々と表現していた。」「二人(引用者注:〈ぼく〉と〈真紀さん〉)は互いに異性意識から全く解放されていて、そのために却って男が、
女が、どこまでも自由に――つまり、豊かに、鋭く、描出されている

「なにひとつ事件らしい事件が起こらぬ日常を語るのが保坂氏の作風だが、これから作家生活を続けてゆかれるには、やはり小説らしい物語をつくる能力が――あるいは、それを試みてみようとする意欲が――必要ではないだろうか。

小説を読む時、日常の舞台をステップにして、それを一瞬でも超える歓びや充足感を味わいたい、と願う。(引用者中略)私はそうした感覚を味わえなかった。」「ここで終始くり返される会話は、あまりに日常的で散漫すぎる。」
「この(引用者注:登場人物の)女性の微妙な識閾を表わそう、という意図はわかるが、それがさまざまなお喋りの見解を通して出てくるところに、問題がある。これらの知的見解は、すべて正反対の意見も可能なのだ。

56 :
言ってみれば破綻だらけだ。エッセーから小説になりきっていない。細部がゆるい。タイトルに魅力がない。」「しかし、内奥にはなかなか凄いものがある。ヨーロッパ人の思考法の精髄をさりげなく取り出して並べる手つきがいい。
軽い展開の中に重い原石が散りばめられている。」「こういうものをありがたがるのは日本人のヨーロッパ・コンプレックスだという意見があったがそれは逆。もうヨーロッパに学ぶものはないと言い張る心理がヨーロッパ・コンプレックスである。」

人と人との関りの内にある微妙な温もりを知的な言葉で刻み込もうとした大作品であるといえよう。民族の歴史の孕む必然と個々の偶然との織り成す人間の生の光景が、幾つものエピソードを通して浮上する。」

物語づくりを)あえて底に沈めようとする作品」「安易な虚構のなかの人物の対立や波乱と違い、私たちの卑近な日常では、個人と個人の関係には、多くこういう言葉に置き換えがたい契機が働く。

彼等(引用者注:主人公とその友人)の会話、幾つものエピソード、食事や風景のこと、いずれもエスプリもどき、知性まがいの筆触しか感じられない

他者とのコミュニケーションというのは簡単ではない、ということを作者は描いているのだと判断した。」「コミュニケーション不全という普遍的なモチーフが、ペダンチックに単純に堕するのを、かろうじて防いでいる

57 :
働く女の琴線に触れるドラマ

 女同士の会話には「年とったら一緒に暮らそう」というフレーズがよく
出てくる。ドラマ「すいか」(日本系)は、そうした女の本音が通奏低音に
流れる物語である。主人公基子(小林聡美)は信用金庫に勤める34歳のOL。
同期の女性(小泉今日子)の3億円横領が発覚したのをきっかけに、彼女は
人生を変える。会社で粗末な扱いをされていると認め、過干渉の母親(白石
加代子)から逃れるために、古いアパートに引っ越す。そこには、大学教授
(浅丘ルリ子)、売れない漫画家(ともさかりえ)、ご飯をこしらえてくれる
大家さん(市川実日子)が暮らしている。
 女たちのささやかだけれど、愛ある触れ合いにグッとくる。ウソ泣きして
言い訳する女子学生には容赦しない浅丘が、道路で泣いている見知らぬ小林に
ハンカチを差し出す。お金を貸したことのない小林が、困っているともさかに
お金を貸す。小林は貯金で、自室ではなくみんなが集まる食堂にクーラーを
つける。ほどよい距離間の心地よい関係。
 小泉は横領したお金で倉庫一杯になるほどのブランド品を買っても満たされる
ことがなかった。彼女の気持ちがわかる小林は、「引っ越し祝いは何がいい」と
聞く上司に、「ほめて下さい」と、自分でほめる言葉を書いた紙を差し出す。
上司は紙を読みあげ、「君にはほんとに感謝してる」と、小林の肩をたたく。
泣けました。働く女にこんなに優しいドラマ、ちょっとない。(島崎 今日子)

58 :
独特の軽妙さが魅力の小説である。」「しかし一方で、その軽やかさと妙味が、作者の都合ととらえることもできてしまう。また、人生は悪くない、世界は思っていたほどこわくない、
というようなせりふが幾度か出てくるけれど、この小説のなかではやけに強く響くその言葉をくり返してしまうことで、語り口の軽妙さが徒になって、登場人物たちの人生も軽く思えてきてしまうのが残念に思った。」

義父とヒロインのテツコの同居生活は、消臭剤を撒きまくったみたいに性の匂いがかき消されていて、逆に気味悪いよ。」「奇妙でしゃれているだけでなく、もうすこし人物の厚みがあるとさらによかった

59 :
「坂元裕二のシナリオ講座」受講レポート
http://blog.livedoor.jp/scd_nom/archives/8115690.html
木皿泉のシナリオ講座」受講レポート

60 :
日常が変わらない事に不満を持っている人が
段々と日常の中にもある幸せに気づいていく

61 :
すいか

面白かったのは、展開が読めないところだよな。
ゴールが見えないというか、区切りがないというかね。
殆どのドラマはゴールが見えていてそこまでの過程を描いてるだけだから。
何とか大成物語とか、恋愛成就物語とかね。
非日常より日常描いた方が先が読めないってのが面白いな

62 :
かもめか・・・
木皿さんは、あの食堂はメニュー表示もない不親切な店だとか言ってたな
店員はコミュニケーションも取ろうとしないし、客側のフィンランド人の方から店に寄っていったご都合展開とか、批判的だったな

まあ「すいか」が現実的かどうかは別にして、
「すいか」は台詞に重きを置いた典型的なテレビドラマの作りだし、
(テレビドラマは元々ラジオドラマやっていた人が監督とかして始まったため)
「かもめ食堂」は映像に重きを置いた典型的な映画の作りなんだけどね。
(こっちもサイレント時代から映画が始まっているから、最初から台詞より映像重視だから。)
だからまるっきり違うよ

テレビ以前には、ラジオドラマを書いてたよね
台詞重視なのは確かではあるけど、
最近のテレビドラマの分かりやすさを求める基準に照らし合わせると、
じっくり集中して見る映画向きな脚本家だと思う

63 :
ソフト化はやはり無理なのかな
もう待ちくたびれた

64 :
他人とはうまくいくのに、ほんとうの家族とはうまくいかないというのは皮肉な話である。
『ここがホームシックレストラン』をはじめ、アン・タイラー作品で繰り返されるテーマである。

アン・タイラーの魅力はディテールの描写にあるので、あらすじを読んで面白さがわかるわけではない

普通なら重苦しくなるテーマを、アン・タイラーはユーモアをまじえて淡々と描いている

このユーモアは観察眼の鋭い彼女独特のものである

「人生」は雑誌の「ライフ」とかけているのだと思う。十五セントあればライフ(人生)が買えるのに十セントしかない。ディーリアも人生に何かが足りないと感じて家出したのだろう。
そして家から離れてはじめて、何かが足りないと思っているのは自分だけではないと気づくのである。
 ディーリアはちょっと世間知らずで優柔不断であるが、けっして無責任なわけではない。家出をしたのは、ただちょっと家庭を離れて身軽になってみたかっただけなのだ。この作品はそういう主婦の願望を描いた大人のメルヘンとして読むことができる。

65 :
山田 なるべく、ね。犯罪物はやらない、事件をなるべく起こさずにおもしろい
ドラマを書くというようなことを自分の中でルールとしています。そうしないと遊べなくなっちゃうから。
ちょっとしたことで遊びたいんですよ。喫茶店で主役が注文するシーンで、注文を取るウエイトレスに何かさせたいなあとか思っちゃうのね。
何度注文聞いても覚えられないとか(笑)。大筋とは無関係でそのシーンだけで終わるんだけれども、
「この人もたっぷり生きているんだ」という色づけをしていくと、ドラマ全体が変わってくる気がするんです。

山田 笑いには物事を相対化する作用がありますね。今、小説やドラマ界は純愛ブームに沸いていますが、あれは笑いとは正反対のところがある。
純愛の世界に相対化する視点なんてものが入り込むと読者は冷めちゃうから、書き手は笑いに踏み込めませんね。

66 :
和田「山田さんの最近の作品を見まして、若い役者さんがみんな同じトーンで話すというか、何でこんなふうになってるんだろうと」
山田「俳優さんのうまさが違ってきたのかな。ぼくが、これはうまく言えるって台詞を書いても、若い人の生理と合わなくなってきている。
ぼくは、自分の台詞は直さないでくれと言っていまして。アドリブとか語尾を変えるとかは、あってしかるべきなんですけど。書いてないことを表現したいと思ったら、
それこそ演技のチャンスじゃないかって。監督にも俳優さんにも失礼ですけど、変えてしまうと自分の作品じゃないような恐れがある。
それで(演技が)こなれる前に本番になってしまう。ぼくの台詞にリアリティを感じないのかな。二重性のある演技ってなくなってきましたね。“あれしていい?” “いいよ”と言っても、
やだよと思っていることはいくらでもある。こういう二重性が…。私の責任もあるけど、つくり方の問題もあるかな。悩みの種ですね」
和田「ひとつの意味を表現するという芝居は…」
山田「それは、昔よりうまいかも判らない。でも二重の意味を見るのも、芝居の面白さですよね。失礼ながら、演出の問題でもありますね」

67 :
現在ブロードウェイが大規模なスペクタクルや機械仕掛けのミュージカルに押され、ドラマやコメディがオフに追いやられている現実を前にサイモンは
『今の時代に私が20代の若者なら劇作家を志したりしない』と嘆く。しかし、70代の坂を超えて、なお、現役の彼は『まだまだ書くよ。今だって二つの芝居の構想を温めているのだから。』とも言っている。
現に今もブロードウェイのミュージックボックスシアターで『ディナーパーティー』がロングラン中である。ニール・サイモンに続くコメディ作家の登場が待たれる中、今もって彼のアメリカ演劇界における位置は不動である。
その理由はニ−ル・サイモンの劇作手法として彼自身が『良い劇の台本は3つの要素が必要で、よく書けた人物、しっかりしたプロット、そして始めから終わりまでおかしい台詞』であり、
『主人公が最悪の欠点をさらけだしている時でも、好感の持てる人物にする事』が大切と語っている事に尽きるだろう。それに加えて彼はいつでも登場人物たちに、
彼らが予想していなかった障害物や邪魔者を用意する。それによって彼らの暮らしが難しくなるだけでなく、滑稽かつ厄介な状況に追い込むのである。そうして『性格、気質が正反対な二人の人物をどうにも我慢のならない状況にさせ、
そこで火花を散らせる。その中で、二人とも強烈に自分の生き方が正しいのだと信じていなければならない。そして作家の仕事は、この信念を支えてやることにある。』

68 :
チェルフィッチュ
言葉以前の叫び、物語化する直前の身振り、意味になる前の無意識、世界のすべてに繋がる得体の知れないものが
そこにあるように感じられた

69 :
留守番電話で彼女の声を聞いたあとに次のような描写がある。
ソフィアの声は軽やかで気取りがなく、「さよなら」のあとにフッと笑う声が入っていた。
これだけで、彼女の少女っぽさの残る性格と彼に気があることを伝えてしまうところがアン・タイラーのすごいところだ。こうしたさりげない描写があちこちにあって、
じっくり味わって読みたいという気にさせられる。

アン・タイラーの小説を料理に例えるならコロッケ定食だろうか。ありきたりの材料を使って作るありきたりの料理。しかしアン・タイラーのコロッケは誰にでも作れるコロッケではない。
 彼女の非凡なところはまずそのユーモア感覚だ。たとえば、モーガンが金物店に入っていくところはこんな感じだ。
「カレン金物店」のダウンタウン店は、古くて暗い、薄汚れた建物だった。細長い店内には匂いがこもり、歩くとガタピシ音がした。
だからモーガンは、この店に足を踏み入れるとき、「入っていく」というより、
プールか何かのように「飛び込んでいく」という感じがした。---まず頭を突っ込み、足はブーツのそこが見えるまで外に残っていた。
まるで目の前のモーガンを見ているようで、思わず吹き出してしまう。こういうユーモア感覚は生まれつきのもので、努力して身につくものではないだろう。
 アン・タイラーはこういう感じでディテールをひとつひとつ積み重ねて人物を描き出すので、モーガンのような変わった人でも違和感を感じることはない。

70 :
体験からくる微妙な感情をすくっていて、 「その街で生きている」感がすごく出ている いいドラマだった。
同じNHKが作っているんだから 朝ドラも、もう少し丁寧に作ってほしいな。
名所名物方言が出てくれば 地域感満点! ってもんじゃないだろうに

渡辺あやさんのお話の内容
(メモ等取ってなくてうろ覚えなので、間違いあればご容赦を。)
・2年前、井上ディレクターから脚本依頼のメールを貰ったのが始まりだった。
・「震災をテーマにしたドラマで、主演は森山くん」という事だけが決まっていた。
・最初は引き受けるかどうか迷った。
自分の中の辛い苦しい記憶を引き摺り出して来て話を作るという事ができるのか?
そもそも震災記念ドラマって何なんだ?というような事を考えた。
・ともあれ、NHK大阪局に出向いて、京田P、井上Dと3人で話をした。
すると「主人公の男の子が、同い年ぐらいの女の子と神戸の街を歩く話」
の像が急に見えて来て、大阪からの帰路には
「この物語は既に存在していて、あとはそれを見つけてあげるのが私のする事」
という心持ちになっていた。
・(他人の顔色を伺うタイプの男性と、直情的で一直線に行動する女性という
組み合わせについて問われて)
森山くんの共演者の女の子については、阪神間出身の女優さんのリストを3人で見て、
全員一致で佐藤江梨子がいい、という事になった。
当初2009年1月放送分のつもりだったが、2人のスケジュール調整の結果、 2010年1月放送分となった。
脚本の初稿で既に物語の形ができあがり、最終形までに大きな変更はない。
時間をかければかけるほど良い物ができると以前は思っていたが、 どうもそう言うものでもないらしい、と最近は思っている。
・最初の脚本読み合わせで、森山くんと佐藤さんから、 「最後のハグはやりすぎではないか。握手ぐらいでいいのでは。
あまりにもきれい事すぎ、NHK的すぎるのでは。」という意見が出た。
脚本を書いている自分には、ハグまでに感情が到達する所が見えていたが、
2人は、脚本の読み合わせだけでは、そこまで感情が行かなかったのだと思う。
しかし、時間をかけて一緒に街を歩き、撮影を重ねているうちに、 2人の感情がそこまで到達して、よい場面になってくれた。

71 :
欧米の某巨匠が
「時間を表現するのにわざわざ時計は映さない。人物が時計を見る演技でじゅうぶんだ。
映画はそれだけ繊細なテンポが必要だからだ」と言ってたんだけど三谷作品ってそれと真逆で
映さなくてもいい時計を映して、そのうえ凝った針やフタまで映して、
それが昔の映画のオマージュだというオチまで長々とつけたりする。
それを面白がるのが真骨頂というか楽しかったりするんだけど。
そういうのやりすぎ。間延びしすぎ。脚本が詰め込むのに薄まる不思議。有頂天ホテルの頃からその兆しはあった。以来観てない。

72 :
 少年群像映画は甘ったれると鼻持ちならぬ。この監督にはややその心配ありだ。ところがこれはスパッとやったよ。甘えは消し飛び記録タッチ。だからキャメラと編集が力を入れた。たるみを避けた。
なるほど編集はこの映画の大林宣彦監督自身だったのだ。二時間十五分。ガキのガンガン・ロックではたまったもんじゃないと用心。
ところがその昔のチャールズ・レイの少年群像映画『懐しの泉』だ。少年少年少年の青春を意識して会話にスピード。この子供映画、会話がスロー・テンポでさらに甘ったるくなったらおしまいだ。
この監督、尾道わが故郷に凝っていたが、今度はどういうわけか四国香川。けれどやっぱり同じだったよ。川あり橋あり自転車走る。この土地柄にしがみつき、それに日本、それにふるさとノスタルジィ、
それにキャメラ美を求めるのは木下恵介、続いて山田洋次、つまりは日本を“ふるさと”と愛するセンチメント監督。絵にすると古き童話画家の川上四郎、その寺あり山あり学校ありの感じ。
さて映画は一九六〇年。この時代を狙ったのもノスタルジィ。ロック、ついにバンド成功の少年たち一人ひとりの個性がよろしく、特に寺の息子が面白い。巧いとは言うまい。面白いのだ。
監督、ドキュメンタリィ・タイプで少年たちに早口でしゃべらせ、特にこの寺の子が早口で聞きとりにくいのが気になったが、
バイクで ころも(ゝゝゝ)姿でお参りにゆくシーンが面白く楽しい。ロック発表会でヤンヤの大騒ぎの中、老婆が手を叩いてのロックびいきは、ちょいとやりすぎ。
しかし監督の個性があふれた映画だ。思えば昔の松竹の清水宏監督がよく撮っていた少年映画を思い出し、フェリーニの『青春群像』までをも思い出した。要するに本当に映画好きなんだな 。大林監督バンザイ

73 :
このドラマはキャラクターを描かず、人間を描いてる人間ドラマ。
人間だから先の会話を読むってドラマでありがちな楽しみ方はご遠慮頂いてる。
キャラクターならたぶんキャラ通りのことを言うんだろう、するんだろうけど

74 :
今村昌平監督のこれは8年ぶりの作品です。脚本がなかなか粋で、どこかフランス映画的なものがある。人の通らないような沼の前の広い道に面して、ポツンと建っている散髪屋、ちょっと『髪結いの亭主』に似ていなくもない。
いい場所を見つけた、ああいうところは上手いし面白い。
もちろんのことカラーだけど、道が白っぽくて、沼が青くて、散髪屋も淡い色のペンキを塗って&#8212;&#8212;目立たないんです、カラーのきつさが。光はさんさんとして、モノクロみたいな感じなの。
きれいだよ、そういうところが偉い。今村監督、乱れなく、きれいに上品に撮っています。上手だね。
僕は今村昌平いう人が好きだから、楽しんで見ました。ちょっと、淡々としすぎておるかなぁ、とも思いましたけど。シナリオがよかったから、今村監督の柔かいところが出て、それがフランス映画の味になった。
舟大工が、うなぎを銛で突くのを教えてやる言うと、役所広司は「いや、僕は」なんて言って嫌がるの。そういう演出とシナリオ、デリケートだね。今、日本の映画でこのぐらい上手いシナリオ、なかなかありません。
今村昌平、冨川元文、天願大介、三人の共同脚本。原作が、吉村昭という作家の短篇小説ですね。この冨川元文は相当な映画ファンですよ。だから上手く書けたんだと思います。
大推せんとは言わないけど、最近の日本映画ではいい作品です。ただ、僕がちょっと肩を落としたのは、根本的にゾーッとする怖い場面がなかったから。作風が全く変わったわけではないけれども、エネルギーに圧倒されるということはない。
散髪屋に脅しがくる、あるいは女の旦那がどなり込んでくる。そんなとこ、意識的にさっぱりした感じに撮ったのかどうか……昔のねっとりした怖さはない。
殴り合いになって、割って入った女が悪い旦那を殴ろうとして、間違って散髪屋のほうを殴っちゃう、なんていうコメディタッチもある。
軽く行ってみようかな、という、この人にしたら新手かもわからん。でも僕は、この人、もっとコクのある映画を作れたと思うの

75 :
日本映画、北野武を別にして、あとはみんなひどい。『うなぎ』はでき過ぎた映画で新鮮味がない、ただ上手に上手に作った感じで。『失楽園』は、映画の歴史上の最低です。
『Shall weダンス?』は子供の映画だ。ただ、あの周防君にはアイディア賞はあげたい。
 けど、『Shall weダンス?』を見ても感じるのは、この映画は面白いだろう、見てごらん、と言っているの。『萌の朱雀』にはそういうところがないから好き。監督が、自分が喜んで作っている、そこが新鮮。
 武も、自分の好きに作っていますが、それは武のほうが『萌…』より上、ずっと上。やっぱりあの人は勉強しているからね、映画を。『萌の朱雀』の人は、
河瀬直美は、映画に慣れていない。だから新しいし、かわいい。その新鮮なところが美点で欠点なんだ
僕にはストーリーもわかりにくくて、ちゃんとはのみ込めなかった。説明がなさ過ぎる。
ビリー・ワイルダーでもジョン・フォードでもヴィスコンティでも、見る人に親切に教えているでしょう。私は私、というのが強過ぎる、そこが惜しい
いいカメラが邪魔もしているの。田村正毅の、自分の世界を作っちゃっている。この人が相当占領しているんです。この映画の感覚を。カメラマンが遊んでいるところもあるし、好きなように撮って、それはいいけどちょっと行き過ぎです。
 それと僕が一番困ったのは音響。これも偉いベテランが担当しています。タイトル部分から大きな音、破れピアノのような大音響でダダーン、ダダーン。その音、画面と合わないよ。柔かい緑のきれいな画面に、割れるような音でドカーンとくる。
監督は何も言えなかったのかもしれない、初めてだから。もっと静かな静かなピアノソロだったらよかったと思います

76 :
今度の『桜桃の味』も凄くいい、大好きな映画。
 この人の作品の面白いところは、どうなるんだろういうサスペンス。映画が終わっても、あれからどうなっただろう、と思わせる、映画的サスペンスです。じつに映画をよく知っている。
最初、主人公の男は町の中を車で走って、仕事を探しているような貧しい人がいっぱいいる場所で、誰かを探しているようなの。次々に男を呼びとめて、何をしているのか訊いたり、車に乗せて話したり。
 一体この男、何のためにこんなことをしているか。若い、可愛い顔の兵隊を乗せて、土の凸凹道をずうっと走って行く。主人公の中年男、若い男の子が好きなのかしらん、と思わされたりもするよ、見ていると。
 車で走って、ふたりの会話、外の景色が動いている。男の子降りられない、走っているから。怖がって、心配して乗っている。そういうスリルとサスペンス、何とも上手い、天才ですよ。
こんなハラハラする上手いつくり方、ヒッチコック以来です。そのサスペンスを、目で見て感じさせるつくり方。それが映画的だと僕は思います。
 そういう意味で、今回は特別に上手くなったなと見ました。と同時に、最近、僕の生涯で最高につまらない映画を見て腹が立っていたので
&#8212;&#8212;これを見ると何て行儀のいい映画か思いました。そう、『失楽園』。ああいう行儀の悪い、あとはどうなっても知らんいうような死に方、僕は怒っていた。
『桜桃の味』はみごとです。そこのところが。この中年の男、死にたいと思っていて、自分が死んだ後で墓に土をかけてくれる人を探しているんです。お墓の穴ももうちゃんと用意してある。そういうことがだんだんわかってきて……。
 この映画を見ると、生と死の問題をこんなにわかりやすく言ってくれる、僕向きに、童画のようにわからせてくれる、そこのところに感動します

77 :
努力賞日本映画。そのような現地ロケの日本映画。いろいろとあちらの風景も入れ、日本人商社の出張員がああなればああなる画面は、見ていると実際にこうなるかと日本人としては身にもつまされ、なまなましい同情とガンバレの日本びいきも沸きかねない。
このように日本映画がセットを離れ、しかも大作気取りを避けて主役を四人に組ませてのアイディアと撮影には大いに拍手ものだが、とにかく日本人独特の説明べたが最初から始まって、映画自体にこれがつきまとう。それを演技で補っているのだが、
これまたすべてオーバー・アクトの四人組となってしまったのが惜しい。真田広之が、抜群とはおおげさだが気分満点の好演を見せようとし、それが画面ににじみ声援いっぱいというところなのに、ここぞと気張りすぎた。
主役四人全体が気張りすぎた。つまりオーバー・アクト。これはひとえに監督の滝田洋二郎の、いうならば観客への御親切ごころがうらめに出たというわけだ。なぜ、も少し押さえなかったのか。
これは原作・脚本(一色伸幸)が心して、深刻になる日本独特のお涙を避けたからであろうが、この良さが説明までをも呑気に走らせたきらいが、この映画をマイナスに落としている。
真田はじめ岸部一徳、嶋田久作、山崎努の四名の個性個性個性をあまりにも鮮やかにと思ってか、この四人がいうならばレコード盤の早廻しとなって、私は途中三回四回、演技を台詞を押さえろと心のうちで叫んだ次第。
けれども、日本映画がこのように浜田毅の撮影監督でジャングルとその土地を実感させて撮影。そのキャメラの動きはすばらしい。
さてこの四人、裸身でさらに私たちをくすぐらせるか。このあたり、どこかいつの間にかさらり身をかわされて、立派なラストが物足りないよ

78 :
教育思想・哲学といえるのかわからないが、思ってることがある。
いまや、メディア帝国時代だということだ。
子供たちはセレブや有名人でなければ、尊敬はしない。
無名で、サラリーマンの教師なんて、
尊敬している生徒は極めて少ないだろう。
偉大な人物なら、こんなところで、教師はやってないだろ、
という固定概念が子供たちに蔓延している。
教師と生徒が良好な関係を築くためには、
この「有名でなければ偉大ではない」という
固定概念を変えなければならない。

79 :
三島:チャップリンでは「殺人狂時代」が好きだ。「ライムライト」は大嫌い。
荻:三島さんはやはり濡れたのが嫌いなんだ。
三島:大嫌い。
荻:「しのび泣き」(ジャン・ドラノワ)なんてのは濡れたところと乾いたところの境目みたいなものだけれども。
三島:ああいうものは許容できる。ガイガー検査器をあてると、許容量のリミットだね。
荻:映画というものがすぐセンチメンタルに湿ってくるということ、これも考えなければならない問題でね。
三島:「二十四の瞳」は困った映画ですね。木下恵介さんのああいう傾向は買えないな。
荻:あの人は一歩退いて自分をいじめることができる作家だ。乾かすこともできる。湿らすことも……。
三島:だけど日本人の平均的感受性に訴えて、その上で高いテーマを盛ろうというのは、芸術ではなくて政治だよ。
荻:しかし映画はそのポリシーが……。
三島:あるのだね。(中略)国民の平均的感受性に訴えるという、そういうものは信じない。進歩派が
「二十四の瞳」を買うのはただ政治ですよ。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より

80 :
木下恵介の脚本は必要最低限の台詞だけで情景描写などは記されていないから
脚本を読んだだけではおもしろくないと久我美子だかが言っていたね。
吉田喜重もシナリオ書きだけはまったく参考にならなかったと

81 :
 “小津のように電灯の時代になってもあくまでもランプを売るという徹底した懐古趣味はない”

 “黒澤のように、それなら次は電灯だとまっしぐらに前進する強さもない”

 “溝口のようにそもそもランプより行灯のほうがいいという居直りもない”

 “成瀬のように、ランプが駄目なら仕方がない、次は細々と電珠を売るかという諦念もない”

 “木下恵介は、ランプの時代の終わりを呆然と見つめるしかない。そこに木下恵介の悲劇があったように思う。”

82 :
脚本ポールオースター、スモーク、私とてオリバー・ストーンやビム・ベンダースは好きでない。けれどこのような二人も紹介する義務があるのでペンを執るが、うれしくはない。
ところで最近の親友と申したい監督に、香港生まれのサンフランシスコ移住のウェイン・ワン監督。親友といってもじかに話したこともない。好きな映画を見せてくれた監督は私には親友だ。
この監督に「ジョイ・ラック・クラブ」というアメリカ在住の中国女性四人の女の映画があった。小説の映画化だった。
映画はフランスのジュリアン・デュヴィヴィエを思わせる運命の回転扉のようキラキラと廻ってゆく。たばこ屋の主人の別れた女房(ストッカード・チャニング)もゾッとするほどうまい。
この出演者でこの安っぽい小説はダイヤモンドによみがえった。絶対おすすめしたい。見とれてほしい。

脚本、監督、ポール・オースター。この人、作家でしょう、自分で書き下ろしたんですね、脚本を。これは初めての監督作品。『ルル・オン・ザ・ブリッジ』、タイトルからいかにも作家らしさが出てるでしょう。
キザ100%なのね。ルルなんて、一般の人にはわからない名前、それをタイトルにすることに、この作家の気取りがある。
面白いストーリーだけれども、よく出来ていないの、映画がね。監督が作家だから、作家的、つまりページで描く。原稿に書く文字、それのほうに負けて、映画が映画にならないの。
画で見てわかる作り方ではなく、筋書きが説明する。いかにも文学者の映画です。

83 :
山田洋次監督の「学校」。この監督は数年前から学校を撮りたいと言っていた。長い間の希望。それで飛びついて見たところ私の頭が錯覚した。五十年前のやさしい映画と見えてしまったからである。
イギリス映画の「オルランド」を見、その他、朝から晩まで外国の映画を見て回る目には、この山田監督の作品は小学生の作文に等しかった。
けれどもこれこそが狙いのことが少しずつわかってきた。これは日本中の学校に行けなかった人、または今でもいいから学校に行きたい人に見てもらいたいと思って作ったのに違いない。
悲しいシーンになると雪が降ったりすると吹き出すのだが、この監督が大まじめに作っていることに気がついてくる。みんな泣いてもらいたい、みんな今からでも学校に行って勉強してもらいたいと
画面の外からこの監督は穏やかに囁(ささや)いていて、誰もがわかりすぎる映画にしていることを承知する必要のある映画であった。
気持ちはわかるが乗れなかった。学校へのすすめ。実は中学しか出ていない私には最も見たい映画であったのに、映画の感覚にあまりにもズレたこのやさしさがつらかった。
誰が文句を言おうと、これが私の映画、その監督の信念を知りながら、この感覚のズレにしばし息が止まった。
西田敏行、田中邦衛、みんな力演だ。けれどあまり一方すぎてカゲがないと人間ばなれする。私の最も好きになりたい映画、私の最も愛する監督、それだけにこのやさしすぎはどうにかならなかったのか。

84 :
「松竹の映画は、社会のことを描いても、政治のことを描いても、経済のことを描いても、よい。ただしそれは、典型的な日本の小市民たちが、
茶の間でしゃべるような、日常的な表現の範囲内において、である」と。
 森崎東監督は、この松竹という映画会社の中で、いわば異端の人間であった、という風にいっていいであろう
彼はここで『なつかしい風来坊』「愛の讃歌』『吹けぼ飛ぶよな男だが』『喜劇・一発大必勝』『男はつらいよ』などの山田洋次監督作品の、脚本共作者となる。
まだ、山田洋次監督の庶民喜劇路線が世にいれられず、その作品に、反俗的なうっ屈感がわだかまり、それが映画に、ある骨太な居直りの精神のようなものを、秘める作用をしていた時代である。
 この時代の山田洋次監督作品の「反俗的なうっ屈感」と「ある骨太な居直りの精神」のようなものを、森崎東が大きく支えていたのであろうことは
、森崎東がいた時代の山田作品と、彼が訣別した後の山田作品とをくらべてみれば、よくわかることである

85 :
映画監督としての森崎東作品の特質は、一見松竹大船調の「小市民的な喜劇 映画のような、平明なドラマ仕立てをふみながら、実は日本の下層庶民の、図太い生活力のバイタリティを、 ユニークな映像表現の底に、エネルギッシュに泌めているところにあった。
 その底意とは、ごく簡単にいってしまうならば、「松竹大船調の伝統的な小市民映画路線を踏みながら、実はむしろそれを大きなテコとして、正統な庶民喜劇として、とでもいうべきものであった。
自己の主張を映画の中に押し出していく精神の正当さ」とでもいうべきものであった。
 政治に「裏切られ」、資本の論理に「裏切られ」、労働運動の論理に「裏切られ」た彼の、孤立した戦いを支える、最後の、そして正当な「拠りどころ」が、「異端な精神の正当で大衆的な表現」として、
そこにはあるように、私には思われたのである。そのように孤立した自己の、
他ならぬ「映画による映像表現という形での自己の確認と主張」が、きわめて大衆的で、なおかつナイーヴで、そして骨太な映画作りを、ユニークに支えているように、私には思われたのである。
 だが、京大出のインテリゲンチャとしての彼の、もろもろの「裏切り」に対する無念の思いは、一方で『喜劇・男は愛嬌』『女生きてます・盛り場渡り鳥』『野良犬』『黒木太郎の愛と冒険』といった作品系譜では、
むしろ観念的で図式的で、抽象的な表現と作品構造をとって、露出する。それもかなり生硬な形でのメッセージとして、露出するのである。
この問題に関して、「そんなことでは困る!」という私と、「いや、それでいいのだと思う!」という彼とは、実は何度も議論を重ねてきている歴史(?)を持っている

86 :
山田洋次監督の「男はつらいよ」喜劇、実はあんまり好ぎではない。葛飾柴又という東京下町の古風な郷愁を残す風土にテキ屋のフーテンの寅というズレた仁侠気質の庶民アウトローを配し、それを下町人情をからめた、にくめぬ笑いで色あげするという構造。
近ごろ、まったくステロタイプ化してしまった日木の喜劇映画の中にあって、このシリーズには、人肌の温もりをもった手作りの味、寄席でいい落語をきいた時みたいな、好ましいよさがあることは、大いに認めたい。
 しかし、総体に、ほどよく出来上りすぎているのである。同一趣向のギャグの相当にあざとい反復使用と、同じ劇的シチュエーションの、あくことないくりかえし。そこからはこの練達の作者の「このくらいにやっておけば、
庶民大衆は泣き笑いをしてくれるものさ」とでもいったような思いが私には感じられてしまうのである。
それに、寅さんは、周囲の下町庶民の人情といたわりに温かく包まれて、いささか過保謹児童(?)でありすぎる。そして、毎回のその失敗や、その失恋が、ほろにがい笑いと涙を生むための、ほどよい軽妙な小道具でありすぎる。少なくとも、過去に「なつかしい風来坊」とか
「運が良げりゃ」といった、手作りの巧さを生かしながら、なかなか心に泌みて残酷な切れ味をも、もった喜劇を作っている山田洋次監督であるだけに、これをいいたい気がするのである。
さてこのシリーズ第三作は、シナリオ共作者として、テレビ以来の寅さんの生みの親の一人でもある、先に「喜劇・女は度胸」を初めて監督した、森崎東へのバトン・タッチである。しかも今度はシナリオ作者に、その当の森崎東の名が連なっていないあたりが大へん微妙だ。
 劇的趣向の中心は、まったく、興行的にも大成功した過去の二本のシリ一ズの踏襲である。ただし、微細な演出のニュアンスは、だいぶ違う。いつもはスローテンボで抒情的ににはじまるプロローグに、突然、
蒸気機関車の爆走とローカルな民謡、そして騒々しい酒宴のケンカをもってぎたのがダイナミックで面白い。

87 :
それがタイトル前のエピソードで、やがて木格的にはじまる第一エビソードもいい。常連の森川信、三埼千恵子夫婦と、
義弟の前田吟らに見合いをすすめられ、相手への希望を聞かれて、最初は、「オレみてえなヤクザもんには、来てくれるって人さえあれば」なんていってた寅さんが、
酔うほどにだんだん手前勝手な注文をならべ出すあたり。それと、見合いの相手の春川ますみの仲居が、旧知の女でついにはその逃げた夫を探してやったすえ、どんちゃん騒ぎの大盤ふるまいで叔父夫婦に大迷惑をかけるあたり。
 いつも寅さんの行状を、山の手風の品のいい笑いと軽妙なショット割りでとらえ、もう一つ深刻な局面がくる前にスッと視点を変えてしまうスマートな山田洋次式演出と少し連って、寅さんのおかしな行状を、じっくりとキャメラで迫いつめて、
やがて、笑いの先にある、愚直なもの悲しさみたいなものまでもジワジワとしぼりだしてやろう、といった姿がいいと思った。
 これは「喜劇・女は度胸」に濃厚にあった、喜劇に必要なのはソフィスティケーション醸成のためのデリk−エトな話術なのではなく、
むしろ縦の構図を重視して演出した人間くさい図太いバウタリティと価値観の素朴な衝突と葛藤だ、とでもいいたそうな居直りに通じるものだ。
 ただし、話がメインになる第二エピソ−ドの新珠三千代の湯の山温泉の美人の宿屋の未亡人への片想いの部分になってくると、例によってのルーティンになってしまってくりかえしの寅さん人情話となる。やっぱり「またか!」という感じだ。
 トータルな計算としては、定例のシリーズ三本目の仕事、という制約を、新人が自分なりの演出で、いっしょうけんめい作ったというところか。が私には、その自分なりの、武骨さが好ましい。
あんまりピューリタニズムを固守して、次から長い沈黙に入ったりしないで、その図太い無骨さを武器に、森崎東監督に、愚直なまでのチャレンジをしてもらいたい気がする。
 現代日本の映画作りが、トータルにあげ得る成果とは、そういう形のものなのだ、と私は思う。

88 :
喜劇映画で笑えるということは「幸福」なことだ。だがこの国では、喜劇にすら涙がつきまとう。
 ナンセンス、アナーキー。それらのボキャブラリーで松竹喜劇をとらえようとしたら必ず、松竹喜劇を、おくれたダメな喜劇として斥けることになるだろう。だが、それでは進んでいるとは何なのか。なるほどキートンの喜劇は素晴らしい。
あの、秩序、常識、日常的感性を逆なでして、まったく異次元の空問を作りあげ、我我の常識を笑殺してしまう素晴らしさ。それは、認めよう。だが、あれはキートンの世界なのであって、このジメジメとした日本の出来ごとではないのだ。
キートン的アナーキーさで日本の喜劇をウンヌンするのは決定的に間違っている。松竹喜劇が可笑しいのは、我々がキートンのようにすらなれないという、
共同体にがんじがらめになったぶざまな姿を取上げているからこそなのだ。松竹喜劇のよさは、それが進んでいるからではなく、むしろおくれているからなのである。
松竹喜劇は大作の陰に隠れて存在し続けてきた。東映やくぎ映画というもっとも情念に満ちた映画群からも遠くにあった。東映やくざ映画には、
もちろん当時こちらも昂揚したけれど、あれはある意味では、イージーな作品である。見ている側の感情の高ぶりを作品世界の上に、
あまりに簡単に重ね合せることが出来たから。東映やくぎ映画は一種の"ぬり絵"である。高倉健の、鶴田浩二の、そして藤純子の一挙一動に、見る側はいともたやすくおのれの”想い”を重ねあわせてしまうことが出来た。
だが、松竹喜劇のあのジメジメとした体裁の悪さに、だれがおのれを重ねあわせることが出来るだろうか。今日、松竹映画がもっともラジカルであるという逆説は、
それらがもっとも遅れている、もっとも我々の中のジメジメした共同体的感性と地続きにある、という一点でである。東映やくざ映画、
さらに最近の東映のB級アクションの数々のアナーキーさ、あるいはまた日活口マン・ポルノの、日本人の感性をむきだしにした
"下品さの魅力"などに一歩も二歩も遅れた所にこそ、松竹喜劇は成立している。松竹喜劇の特色は、もっとも"遅れている"所にこそあるのである

89 :
松竹B級プログラム・ピクチュアの世界は、決して、ハツラツとした破壊的衝動に満ちたものではない。
むしろ、そこに、つねに家族があり夫婦があり、親子があり、四畳半があり赤ちょうちんがある。舞台もまた東京の下町、
川崎など京浜工業地帯といった揚末が多い。どこを探しても真新しいものはない。しかし、くりかえしいえば、この真新しいものがないということが、松竹喜劇の特色なのである。
だがそれでいて松竹喜劇は、現在日本のさまざまな常識、日常的感牲を壊していこうとしている。その方法は必ずしもラジカルとはいえないが
、"人間なんてそんなものさ""しょせん人生とはそうしたものさ"というもっともらしい常識的感性から飛びだそうとしている。
瀬川昌治作品に出てくる心やさしいストリッパー(太地喜和子)、森崎作品の"新宿芸能社"に集ってくるストリッパーたち(倍賞美津子、安田道代、吉田日出子)、
あるいはまた山田監督作品の"馬鹿"や野村芳太郎作品の"為五郎"たち。そのどれもが、日本的共同体から一歩ずれた"ならず者"であり"はみだし者"であり"道化"である。
彼らは、自らが常識のワク内(家族、夫婦、親子、会社など) から飛びでることで逆に、今日、我々観客が、
いかに常識にがんじがらめになって生きなければならないかを実に鮮明に浮きあがらせてくれる。彼らはキートン映画のヒーローのように素晴らしく異次元の空間からやってくるわげでもなく、
またいわゆる人情喜劇の中に安住しているわけでもない。松竹喜劇を人情喜劇と定めづけてしまうのはたやすいことだが、それはおそらく間違いだ。もし、瀬川作品が人情喜劇として徹していれば、
それはちょうどチャップリン映画の"人間とはこういうものだ"という終り方で、ひとつの「完成品」としてしあがるだろう。しかし、瀬川作品や森崎作品は、
それがことごとく「成功作」ではなく、むしろ「失敗作」であるがゆえに魅力的なのであり、このジメジメとした笑いと涙の共同体・日本の中で、己れを笑える地点にまで突走ることの困難さを教えてくれるのである

90 :
昨年今年と、しかし、この松竹喜劇も作品数は減っているし、作品の活力も失なわれているのは事実だ。前田陽一の『三億円をつかまえろ』も以前の『喜劇・ああ軍歌』に比べるべくもないし、森崎監督もついに松竹では作品をとらずに東映で作ることになってしまった。
時代自身が六八〜六九年に持っていた価値ビン乱の活力を失ないつつある反映でもあるだろう。また、"ならず者"とか"道化"とかいう価値ビン乱者が、
この"抑臣的寛容"の時代にあっては、それ自身ファッションになってしまい、なんら反体制的ではなくなってしまったためだろう。
だからこそ私がいまだ"もっとも遅れている"松竹喜劇に期待しているのは、それが簡単に反体制的意匠・感性をナルシズムにまぶすこともせず、どこかにある一点を突破しようと、
あいもかわらずストリッパーやチンピラ(『街の灯』)、中年男(『喜劇・男の腕だめし』『三億円をつかまえろ』)といった、さえない男たち女たちを主人公にすえて、笑いと涙の弁証法をく りかえしているがゆえである。
そう簡単に涙を流してはいけないと同様に、そうたやすくなんでも笑いの対象にしてはならないのだ

91 :
大都会の裏通りにあるしがないストリッパー斡旋所の「新宿芸能社」を舞台にして、図太い笑いの底に庶民の哀しみと抵抗を秘めながら、
身体を張って生きる日本の底辺の女たちの生活を描いていこう、というこの二本のシリーズ風喜劇の狙いは、大へん正当なものである。バイタリティたっぶりに、
日本人の生活とむ情の核にあるものを、喜劇的に抽出していこうという姿勢の、映画作家森崎東監督の体質とも、ぴったりと合った素材だ。
 しかし、『喜劇・男は愛矯』にもみられたように、森崎喜劇は、彼がかえって体質に合った素材にぶつかった時、えてして映画化のブロセスに性急な短絡現象がおこる、という不思議な傾向がある。「これこそがおれの畑だ」
とばかりに、せっかちに映画化に突進しすぎて、映画として映像化するのに必要なもろもろの細部の手順を、すっ飛ばしてしまいがちなのである。
 まず、具体的に克明にその人間の生活の細部を描いていくことから、その中にある矛盾や混乱が表面に出てぎて、初めて映画のドラマは笑いを生む、というプロセスが短絡してしまって、
まず最初にカリカチュアライズされた、テーマの諷刺的な絵解きの枠組みが設定され、それにのって登場人物が繰り人形のように動かされる形になってしまうのだ。
 従ってドラマの進行は生き生きとした具体性を失い、ダイジェストされたヤマ場の峰だかを縫ってすすむことになりやすい。キャメラは、ロングでじっくりとある環境の全体像を見つめた上で、その中で動く人間に視線をしぼっていく姿勢を失って、
アップとバストのショットばかりで、書割りのようにデフォルメされた背景の前の人間を、テレビ中継キャメラのように、一木調子で追っていくことになりかねない。
 人物の心理や、それがからまって生じる劇的シチュエーションは、もっぱらセリフによって説明されてしまって、画面が、ドラマティックに沸騰してこない。といった風に、総てが裏目、裏目に出てしまいかねないのだ。

92 :
──その渥美氏の芸がやがて『男はつらいよ』で寅さんという役柄に収斂していってしまうのを、ストリップ劇場の頃から渥美氏を観てこられた監督は、どのように感じられましたか。
瀬川:だから、あの人は品行方正になっちゃって。まあもちろん芝居がすごい幅の広いレパートリーを持っている人だからね。
ただ、寅さんっていう役になりきっちゃったら、一定のああいうパターンでしか芝居ができなくなっちゃったでしょ。
ぼくは、あれでやりましたよね、『喜劇 初詣列車』(東映製作、1968)で。あの人はね、ああいうしっちゃかめっちゃかなところがあるんですよ。それがすごい面白いんでねえ。
『初詣列車』の時はなんか、そういうのをやりたいなと思っていてね。たまたまその頃はヒッピーとかも流行っていて。だからぼくは『初詣列車』っていうのが一番好きなんですよ。
渥美がボディ・ペインティングの中で泳ぐのを財津一郎とやったり、そういうストリップの時の渥美の一面を出したいなと思ってやったんです
──たくさんの睡眠薬をチャンポンにして飲んでラリってしまうというシーンもありますね。
瀬川:ああいうのをねえ、こういうのやってよ、って与えるといっくらでも膨らませるんですよ、彼は。そういうドタバタのネタをいっぱい持っているから。
長髪のカツラを後ろ前で被ったりとか(笑)。でもそうやっていて、
昨日のことを思い出すとかっていう風に繋げないとね。それだけやっていると、またドタやってる、っていう風になるからねえ。だからそうならないようにいろいろ工夫はしましたけれどもねえ。
このあいだ、渥美さんとねえ、浅草で座付き作家をされていた井上ひさしさんのね、浅草時代の対談を読んでいたんですけどね、やっぱりああいう土壌が今はなくなっちゃっているから、
もう渥美さんみたいな喜劇役者はもう育たないですね。素質があるにしてもね。吉本興行なんかが一生懸命やっているけれどもあれは使い捨ての芸人を養殖しているだけであってね
http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_181116.php

93 :
 いつか河原畑寧さんに喜劇論を僕がしたら、あんたはそう理屈っぽくいうから洋次に劣るわけで喜劇なんか理屈じゃないと。私が喜劇というので思い浮かべるのは、
彼が新聞記者時代にサツ回りしていったら労務者がつかまっていて婦人警官がどんぶりものをすすめている。いいから食べなさい。お金取らないのだからと。食べないというんです。
「どうして食べないのかと思いますか」といわれたので「銭を払わなければならんと、その労務者が思ったのでしょう」といったら「と、みんな思うでしょう。そうじゃないんです。
しきりにすすめられた あげく、労務者がいうには「だって、『はしがねえもの』といった」と。(笑)洋ちゃんの世界でやれるものですよね。ナンセンスに無限に近い。
 河原畑さんは、それが喜劇だという。頭で作り上げたものではなく理屈抜きのものなんだというわけです。洋ちゃんは、それができる、というかその能力があるんですね。
僕はそれをすぐ、そこで笑われたのは労務者ではなくて親切づらして形骸化されたモラルであるところの婦人警官であると、どうしても思ってしまうわけですよ。
でも、そういう理屈の作業を経て笑いは出るわけじやなくてナンセンス的な効果で笑うわけですね、だって、はしがないものという。
でも、僕はなおかつ笑われるのは誰かというふうに考えてしまうんですね。笑われたのは労務者の方じゃなくて、婦人警官の方だろうと。その発見の喜びみたいなものが笑いを支えるのだろう。
 だから、寅さんの中で語られるものもそうですよね。寅さんの中で無機質的にナンセンス的にドッ 来るものの中には必ずそんな人問の中に残っている
楽しさみたいなものであって、逆にいうとそんな人間を生息させない疎外状況というもの、管理状況というものに対して笑うことができるから、よけい楽しいということなわけでしょう

94 :
キネマ旬報」の2006年1月上旬新春号(No.1446)評論家、文化人が選んだベスト・テン
第一位 男はつらいよ
第二位 寅次郎相合い傘
第三位 寅次郎夕焼け小焼け
第四位 寅次郎忘れな草
第五位 続・男はつらいよ
第六位 望郷篇
第七位 知床慕情
第八位 寅次郎ハイビスカスの花
第九位 柴又慕情
第十位 口笛を吹く寅次郎
第十位 寅次郎紅の花
読者によるベスト・テン投票
第一位 寅次郎相合い傘
第二位 寅次郎夕焼け小焼け
第三位 知床慕情
第四位 男はつらいよ
第五位 続・男はつらいよ
第六位 望郷篇
第七位 寅次郎あじさいの恋
第八位 柴又慕情
第九位 寅次郎かもめ歌
第十位 寅次郎夢枕

95 :
初期の作品は寅さん自体からにじみ出る寅さんの魅力があったけど、後
期の作品は寅さんとからむ人たちによって寅さんをいい人にみせようと
うシナリオと演出のあざとさを感じる。
渥美さんが精気も元気も茶目っ気もなくなって、「寅さん」になろうと
するのが痛々しい後期になるほど、寅さんがもてるというのもどうなん でしょう。
寅さんシリーズは大好きだけど、あたしがみるのは25作目までね。
「かもめ歌」あたりから山田洋次さんも思想も入り始めたし

初期の頃は寅の町内の鼻つまみ者的部分もきちんと描いていて楽しめた。
中盤以降は映画の世間的高感度が劇中にも反映されているかのように、
登場人物たちにも最初から好感をもたれているかのように描かれているのがつまらない

もちろん初代おいちゃんがサイコ―なのはもちろんだけど 三代下条おいちゃんよりも二代松村おいちゃんのほうが
味があると思う 。全般的に下条おいちゃんは善人・いい人すぎるよ

96 :
1991年度キネマ旬報ベストテン
11.夢二
12.ワールドアパートメントホラー
13.泣きぼくろ
14.おいしい結婚
15.戦争と青春
16.風、スローダウン
17.福沢諭吉
18.あさってDANCE
19.老人Z
20.遊びの時間は終わらない
20.スキンレスナイト
20.時が乱吹く
23.アイ・ラブ・ニッポン
23.就職戦線異状なし
25.真夏の少年
26.上方苦界草紙
26.土俗の乱声
28.ゴジラ VS. キングギドラ
28.菊池
28.渋滞

97 :
山田洋次「最初から映画を作る前にイメージがあって、それに俳優さんを近づけて映画を作るのは意味がないとおもっている。それは一つの観念の産物にすぎなくなってしまいますからね。目の前にいる俳優さんが、これを演じたら、どういうことになるか、
というところで、映画が生まれてくるんです。渥美さんは、その意味でぼくにとっては、貴重な俳優さんですよ。」

98 :
特に山田演出と違うのは、絵作りだろう。こういう撮り方は山田洋次はしないだろうなというようなカットがけっこうあった。
たとえば、お志津さんの弟と対決のシーン。森崎東の画面といのは、東映作品(たとえば『キーハンター』とか『仮面ライダー』とか)の対決シーンなのだ。オーバー・テンションのギャグとして見せようとしているのだろうが、
こういう意図的すぎる演出というのはなんか・・・ちょっと『男はつらいよ』ではないような気がした。たぶんこのシーンを山田洋次が撮るとしたら「対決」ではなく「いざこざ」として撮っただろう。
これが『男はつらいよ』でなければ、森崎東の画面のほうが好きなのだが、やっぱりこのシリーズのなかの一本としてみると、違和感を感じたかな。
あと音楽の趣味もどことなく違うのかな。あと、その音楽の入れのタイミングとかも。

撮影監督のこのシリーズをずっと撮ってきた高羽哲夫。高羽に変わってカメラをまわしたのが長沼六男だが、個人的にはどうも好きになれない画面づくりだ。カメラがセットのなかにあるときはいいのだけど、
カメラがロケに出たときはのカメラ位置が被写体にちかくていやだ。泉ちゃんが満男に「愛している」と強制的に言わせるシーンも、もうちょっと離れてアップを撮ってほしいものだ。あのカメラの距離だけでムードぶちこわしだ

99 :
池ノ内青観が昔好きだった女性に会い、そして別れるシーンなど、じい〜〜〜〜〜っときてしまう。山田洋次の演出のすごいところは、感動させるシーンを、そのシーンで感動させるのではないところなのだろう。そのシーンはほとんどさりげなく撮っているのに感動するのである。
これがハリウッドの映画だったら、感動させるシーンはそのシーンで感動させるのである。しかし山田洋次の場合は、そこまでの段階で、すでに感動にいたらる要素をさりげなく注入しておいて、
そこにきたらその感動を解放してあげる蛇口をあけてやる。そうしたら一気に感動があふれ出しくるのである。でも、そこで行われるのは蛇口をあけるだけなので実になんでもない芝居だったりする

100 :
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