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埼玉でカブクワ採れる場所は?★6


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仲良く使ってね

前スレ
埼玉でカブクワ採れる場所は?★5 [無断転載禁止]©2ch.sc
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/insect/1467705906/

2 :
スマソ
今やり直しているんでちょっと待って
やり方思い出したので

ここも削除依頼出します

3 :
こちらでお願いします

埼玉でカブクワ採れる場所は?★6 [無断転載禁止]©2ch.sc
http://matsuri.2ch.sc/test/read.cgi/insect/1499131085/

4 :
 
  ,,,_ノ⌒ヽ
 (O O)_人_) ))

   ,,,
  (O O)
   | |
   | |_
   ヽ__)

  ,,, ,,,
(( (O O≡O O) ))
   ヽ ノ
   | |_
   ヽ__)

   ,,,
  (O O)
   | |
   | |_
   ヽ__)

5 :
 ̄(=∵=) ̄

6 :
ブラックは苦いので微糖のアイスコーヒーを買うんだけど
コーヒーの味はともかく使われてる甘味料の味がくっそマズイのね
ホットだと大丈夫なんだけどアイスは際立っちゃう
パッケには豆にこだわったこだわった書いてるけど豆はどうでもいから
砂糖とミルク成分にこだわってほしい

7 :
長瀞
コクワ♂×1
(´Д` )

8 :
紫外線ってすごい
日当たりのいい部屋のカーテンを開け放す生活をここ何年かしてたんだけど
網戸がある側の畳の縁は平気なのに、網戸がない側の畳の縁はボロボロに劣化してた
外出る時は日焼け対策しないと肌もこうなるんだよな怖い怖い

9 :
中に出すならお尻の穴に入れてっ!お尻の中に出してっ!あっ、あっ、…出てる…中にいっぱい…いやっ…ひどい…ひどいよ…

10 :
労働しまくりますっ

11 :
智光山公園行って来たけどヒラタ♂が2でカブトムシ♂♀合わせて39匹。
ノコギリは水牛型♂が1とノコ羽が7で♀が18でした。

12 :
なんか基地外が居着いたから次スレからワッチョイ必須だな

13 :
>>11
智光山って車で行っても大丈夫ですか??

14 :
>>13
車で行く方がいい。
くぬぎが沢山あるし樹液の匂いがしてるから探しやすい。

15 :
稲荷山公園でカブトムシが大発生してると聞いて行って来たけど
昨年誰方大量訪中した事で増えたようだな

16 :
http://i.imgur.com/bxOcBLG.jpg
これって♂♀ではないよね?

17 :
普通にノコギリ小歯型♂ですよ。

18 :
右側のアゴが変ってことですか?

19 :
昨晩子供と昆虫採集で彩の森行って来た。例年だとこの時期はカブトムシが多いはずなのに今年はノコギリクワガタばかりだった。

20 :
お尻は裸のお尻よりも
服の上から見る奴がすごい興奮するんだよなあ
特にマキシワンピみたいに柔らかい素材ガぴったりしてるお尻が最高

21 :
お盆は、あの世から死んだ人が戻ってきてるから、
川やうみの側にいくと、あの世に戻る時に
連れていかれるから注意しないと

22 :
カール・ルイス 9秒86

 ヘ(; `Д)ノ
≡ ( ┐ノ
:。;/

ベン・ジョンソン 9秒79

  ヘ(; `Д)ノ
 ≡ ( ┐ノ
 :。;/

モーリス・グリーン 9秒79

   ヘ(; `Д)ノ
  ≡ ( ┐ノ
  :。;/

タイソン・ゲイ 9秒77

   ヘ(; `Д)ノ
  ≡ ( ┐ノ
  :。;/

アサファ・パウエル 9秒74

    ヘ(; `Д)ノ
   ≡ ( ┐ノ
   :。;/

ウサイン・ボルト 9秒58

    ―= (゚ω゚ )
   ―= /   \
 ―=((⊂/)  ノ\つ
  ―=  (_⌒ヽ
    ―= ヽ ヘ |
     ―= ノノJ

23 :
ワッチョイ 0ef8-bq8x
ttp://hissi.org/read.php/insect/20170812/NVNUVWU3RjUw.html

24 :
age

25 :
シャワートイレが普及して、自分の肛門は清潔、と思ってる人もいるかもしれないけど、
入浴の時に石鹸つける前に肛門周りをまさぐって臭い嗅ぐと強烈だよ。
考えてみれば排便してそこに水を当てて軽く流しただけのこと。
よっぽど長い時間流さなければ完全には汚れは取れない。
ましてや大便の臭い。
シャワートイレのシャワー水に石鹸を混ぜてまず肛門を洗浄し、その後にリンスするシステムにしたら完璧だと思うが、
開発に取り組むメーカーはいないかな?

26 :
秩父側はいいよ
温泉も自然も活気もある
登山趣味なら聖地みたいなもんだしドライブ、ツーリング趣味なら毎週のように通う場所
社寺仏閣好きも集まってくる
飯も上手い
家族で果物狩りとか釣りとかも人気
秘境や酷道好きもなに目当てか知らんがよく訪れる

対して北東側は……
北関東と南関東の干渉地帯
何も特色がない

27 :
私ってほら煽り耐性ゼロだから荒らしにどうしても反応してイライラしちゃうの
でもそれって別に普通でしょ
荒らしをスルーなんてできる人のほうが頭おかしいし、だいたいが50過ぎたオッサンだよね
だからワッチョイ入れてよ、えーんえーん

28 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

29 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

30 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

31 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

32 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

33 :
.

34 :
.

35 :
.

36 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

37 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

38 :
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41 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

42 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

43 :
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44 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

45 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

46 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

47 :
.

48 :
.

49 :
.

50 :
.

51 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

52 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

53 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

54 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

55 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

56 :
.

57 :
.

58 :
.

59 :
.

60 :
.

61 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

62 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

63 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

64 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

65 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

66 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

67 :
.

68 :
.

69 :
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70 :
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71 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

72 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

73 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

74 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

75 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

76 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

77 :
.

78 :
.

79 :
.

80 :
.

81 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

82 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

83 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

84 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

85 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

86 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

87 :
.

88 :
.

89 :
.

90 :
.

91 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

92 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

93 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

94 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

95 :
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

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思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、
オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。
古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。
試合終了は11時をとうに回っていた。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。
日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、
イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。
福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。
福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。
勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。
その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。
広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、
大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。
そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。
福本と広瀬は、NPBの盗塁数1位と2位だ。広瀬は盗塁数では福本とは大差が開いているが、
300盗塁以上の選手での成功率は1位、福本の成功率は6位だ。
もちろん福本の成功率も低くはないが、盗塁数を稼ぐために確実性を多少犠牲にした印象は否めない。
では、イチローはどちらの考え方なのか?
イチローは走れば80%以上の極めて高い成功率で塁を奪っていた。
広瀬叔功と同様「必然性のある状況で」のみ確実に盗塁したのだ。
イチローは日米ともに、1度しか盗塁王のタイトルを取っていない。
ここに「必然性がなければ走らない」彼の矜持を感じる。
全盛期のイチローは「一、二、三、帰ってくる」が大の得意だった。
特に初回にこれをやられると相手のダメージは大きい。イチローのキャリアでは5試合あった。
1回ではなく試合途中の先頭打者のケースや、盗塁以外で進塁したケースなど、
類似の展開で得点した事例を含めれば、20試合を優に超える。
そして'15年と言えばイチローは41歳。この年齢で「一、二、三、帰ってくる」をするとは驚異的だ。
イチローは単に安打をたくさん打っただけではなく、
塁に出れば非常に危険な存在になって、チーム、相手投手を脅かしたのだ。
そんな中で、イヴァン・ロドリゲスは12回走って6回の成功にとどまっている。
イヴァン・ロドリゲスは2001年、華々しいデビューを飾ったイチローにとって、最初の壁となった選手だ。
4月17日のレンジャーズ戦。イチローはこの時点で打率.333、
マリナーズのルー・ピネラ監督が「やつは毎日マルチ(安打)だぜ」と驚いて見せた活躍だった。
この日もイチローの打撃は絶好調。
まず1回裏に先頭打者として中前打で出たが、レンジャーズの捕手イヴァン・ロドリゲスは二塁で刺した。
イチローは続く2回も2死から左前打で出塁したがまた二塁でアウト。
まるで「メジャーをなめるな!」というような、強烈な洗礼だった。
この日のイチローはさらに2安打したが、以後は走らなかった。
イチローは試合後、このようにコメントしていた。
「(メジャーに入って)ロドリゲスから盗塁するのは大きな目標でした。
でもこんなスローイングを見せられると、なかなか難しいですね、今日に関してはごめんなさいと言うしかない」
'08年、そんな「足の全盛期」のイチローをイヴァン・ロドリゲスは2回も刺している。
この年、4月24日のオリオールズ戦の1回に四球で出塁してラモン・ヘルナンデスに二塁で刺されたイチローは、
以後15回連続で盗塁成功。
しかし5月20日のタイガース戦の1回に中前打で出て、イヴァン・ロドリゲスに二塁で刺された。
イヴァン・ロドリゲスは先発ジャスティン・バーランダーと示し合わせて剛速球を投げさせ、イチローを封殺したのだ。
しかしイチローも負けてはいない。
6回に遊撃内野安打で出塁すると、二死後、このバッテリーから盗塁を奪っている。
イチローはここから14回連続で盗塁成功すると、7月6日に再びイヴァン・ロドリゲスのタイガースと対戦。
この試合は延長15回という死闘になったが、イチローは延長13回1死から四球で歩くと、二塁に走った。
しかしイヴァン・ロドリゲスはまたイチローを刺した。
まさに決勝点をめぐる必死の攻防だったのだ。
イヴァン・ロドリゲスとイチローの対決はこれが最後になった。
イチローは「記録に残る男」と言われるが、その記録ひとつひとつには「野球のドラマ」が紐づけされている。

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