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ちょっとまってくれ、、


1 :2007/12/28 〜 最終レス :2013/11/05
俺、もしかしたら超能力?つかえるかも。

2 :
勝手に使えればいいじゃないか。
問題はその後だ。

3 :
いや、使おうと思ってつかえるもんじゃないんだ。
超能力なのかも不明だが。。

4 :
いや、使おうと思ってつかえるもんじゃないんだ。
超能力なのかも不明だが。。

5 :
すまn
2度かいた

6 :
そういうものだ。
自制も利かない。
屁をこいたら凄いくさかった。
ならば害虫退治に屁をここう。
でもいつでも屁が出る訳じゃない。
そんなものだ。

7 :
たまにあるのだが、寝てるときに夢をみるんだ。まぁみんなも見る極
普通の夢なんだが、
俺の場合、正夢になんだよね、、、一週間くらい前に夢を見たんだ。
うn
そんでもって今日、いきなり黄金伝説みてたら夢でみてたシーンその
まんまでてきたんだよね
よくあるじゃんってのもあるけど、俺の場合ここ一年で20回以上は、
正夢見てんだよね、、なんでだろ

8 :
良くある返答では「デジャブじゃね?」とかで心理学的などうでも良い討論に流れ込むことだが、
問題は、そんな夢が度重なることに自分自身が注意を寄せていることだ。
君自身がそんな力に興味があるのは確かなことであり、
深い部分は話さないが、そんな興味を持つこと自体、君にはそれなりの能力があるのだろう。
そして、問題はその力がある、で、その後はどうするのか?、だ。

9 :
正直、でっていうw
心理学やってる奴にだけは相談しん方がいい。

10 :
正夢、デジャヴ、予知夢
いろんな言い方があるっぽですね。。
実際、夢で事故の会う夢を見たんだ。昔の話なんだがね。
車が信号無視で俺に突っ込んでくる夢をね、んで俺は事故にあった。
幸い夢を見ていてなにげに夢であったなってのをとっさに思い出して
車にあたったものの打撲程度の傷ですんだんだ。
それでだ、いつも夢を見るとき(正夢等になるとき。
いっつも夢が俺視点じゃないんだ、、
夢を見てると、俺の姿が映ってるんだ、なんでだろう、さっきテレビで
夢にかんするやつやっててなんとなくスレ立ててしまった。
すまんの

11 :
俺も超能力あるなだけど、話するか?

12 :
なんだかいくつキーワードが入ってるっぽいな。
でも関知しない。
夢占いとかもあるね。俺もはまったことがあるが今ではどうだかと思う。
>夢にかんするやつやっててなんとなくスレ立ててしまった。

>すまんの
弱気になって減衰するなよ。軌道に乗せよ。
ところで、正夢見る人って、普段は空威張りの中身なし人間に多い気がするがどうよ?

13 :
2ちゃんでガチレスするのも何かと思うが、
超能力使える俺を主が予知夢つかって未来とか見るとどうなるか気になる俺ガイル

14 :
書き込めねーww

15 :
うn
正直こわいわ。。

16 :
>>13
俺なんか、俺を視る霊能者の愚痴や嘆きが俺の中に入ってきて、どうするんよ!?という感じだったりするが。
その人に神が降りれば話が合うが、その人が通常状態だと最悪の人間関係だ。

17 :
>>16
それこそ怖いな・・・

18 :
結構なところまでいってんだね君。
ってことはちょっと話しが会うかもと期待w
主の意見を是非聞きたいんだが、宗教信じてる奴と心理学者って
精神同じと思わね?

19 :
>>17
君は柔和な性格なんだな。そんな君がスレたてたのが不思議なくらいだ。
でも、気にせずいこう。君は悪い奴じゃない。
>>18
俺は、大抵の学問や宗教はそこそこ舐めてみたけど、(俺は中途半端な奴だけど)
どうもそれに打ち込むというのは「盲目」であるのとかわらないことじゃないかと思うよ。
それらを否定することはしないが、大切なのは姿勢というか自分をどこにおいておくか、というのかな。

20 :
>>18
宗教と心理学者カ、、同じなような気もするけど、ちょっと違うんじゃないかな?
ちなみに学生なんだが、ティーチャーに怒られる夢みたんだが、うまく回避したぜww

21 :
俺の場合は、たとえば値段を当てたり、トランプの数字を当てたりするとき
なにも考えずに頭に浮かんだ数字が当たることがよくあった。
でも当てようとすると当たらない。

22 :
>>19
俺、主とは違うが別の力があって、読心能力と未来予知の力が強いの
で、最初は勘違いと思った所から心理学やって、ひと段落ついたから今は宗教勉強してる。
その過程の中で出会った人達ってのが当然いる訳だが、この両者は
自分の世界に閉じこもりすぎってか、人の話を聞く耳持たない人ばっか。
それでいて自己主張が激しい。で、いつも人の心の裏をてきとーな統計学で計ろうとする。
俺はなんか、この機械みたいに人間を見るスタンスってのが性に合わん。
みんなどうよ??

23 :
>>21
やはり超能力はそういうもんなんですかねえ。
ほかのスレで鍛えれば習得できるとか色々書き込みがあるようだが
これだけは鍛え欄ないよな。。

24 :
>>23
鍛えれると信じていたが、無理なのか・・・・・?
てか俺も学生w

25 :
>>22
とりあえず漠然としか言わないが、その君の主張、その意見を発したい君の着目点は、
素晴らしいものだと思うよ。素晴らしいというか、美しいよね。同調しながらも憧れるというか。
頭の良さとかは実は無く、自分がどの立場を取りたいか、この意志の強さで
世間では試験で点数良くとれたりする風に仕上がったり、理解は深いけど人からは賢く思われないという風に仕上がったりするよね。
「人を機械みたいにみる」というのは、人間にまつわる普遍性を重要視しているわけで、
自分が「人類」という不特定多数、60億人の無名の一人としての貢献をするなら大切なことだけど、
あくまで自分としてやることがあるのなら、それら普遍的な算術は自分が生きる上では大した指標にはならないよね。

26 :
>>24
俺もわかんないけどww
予知夢に関しては鍛えようにもどう鍛えればいいのかわからないし
無理だとおもた
寝て夢みたらそれすべてが現実になるわけではないのでね。

27 :
>>25
こんな深い答えが返ってくるとは思わんかったw
てか、そんな葛藤や争いが俺自身にあって当たり前なんだろうね。
だから俺が他人に意見を聞くことは不毛、とすることもできるが、
それはそれで俺の中では事実として残るから価値はあるんだよねw
俺は答えよりも過程を大事にしてる所があるからね。
>>23
今思い出したが、鍛える方法あるよ、そういえば。

28 :
>>27
うん。
今言うべきことは、何だろう、、
自らの苦労よりも先だって行えることは、、
俺の場合、人に感動を与えることは、昨日までの苦労を無駄にしてでも価値のあること。
まあ、今は酒飲んでいるからこんなことが言えるんだけどね。
普段なら、保身の念が強すぎて何もかもはねのけて2ちゃんになんてこない。
>>26
俺の親父や彼女も予知夢系なんだけど、修行とかは好きそうじゃないな。気楽なのが良いんじゃない?

29 :
>>28
実は最初から思ってたんだが、俺の価値観とかなり近い、てか同じといっていい。
その立場云々ってのもね。ただ、その考え方が賢いって他者に言われると厄介だから
それについてはノータッチでいくけどさ、客観的なこと、それだけを他人はなかなか認めてくれなくて、
仮に勉強が出来ることを賢いとして、そいつがテストで良成績を出した時、
その出来が良かったとだけ受け止める人はあまりいない。そこに自分との対比やら何やらが入りやすい。
だけど俺はそこで特別な感情は抱かないんだよねぇ。
この違いって結構大きい気がする。
なんでかって言うと>>26 にも繋がるんだが、多分、俺と主に等しく言えることがあって、
力使う時に感情が入ると出来ないんだよね、だから常に虚無?ではないけど、
それに近い状態でいるようにしてる。だから、情緒的でいること=普遍的って固定概念?がある。
それは、ある特定の力を有するからこそ生まれる価値観なんだろうけど。

30 :
>>29
その「虚無」について、俺自身の言葉では言えないけど、
それについて俺が霊能者に降りた神に聞いた事から言うと、
そういう力(概して超能力とは言わないし、何かは今は明らかにしない)
を使う人達は、心を無にする必要がある、ということを言われたことがある。
俺も、情が絡むことや、例えば熱狂的にある特定分野に打ち込んで凄い業績を上げることが
「美しい」とは思わない。例えば、美大にいた俺が、そんな同輩を見て思ったことは、
胸焼けがする、反吐が出る、もうやめろ、というような心情であったよ。
とある霊能者にあってから(といっても過去に何人も会っているが)
自分の心にズガンとぶち抜くようなことを指摘されて、その「虚無」について
「俺にとっては虚無はデフォルトだが、どうやら世間では違うようだ」ということを
自分なりに考えつつあるよ。

31 :
>>29
俺は今大学生だけど、実質的な力でついてきたのは高校生の時からで、
よく悩んだのは、霊能が身に衝きつつある自分の姿と、
高校生としての普遍的な感情を持っている姿、どちらが正しく必要なのか、
かなり悩んで、答えが出ないまま現在に到ってる。
少し話しを反らすが、
その何人もの霊能者の中で、本物は何人いた?kwsk

32 :
>>31
最近に見てもらった霊能者が、力のレベルでは一番強かった。
(が、俺の父親と因縁のある人らしく、またそれも原因と結果の理由からか。。)
とりあえず、その人に過去に会った霊能者達にかけられた術を解いてもらった。
過去に会った人達、そのどれもが力は持っていたが、問題は、いわゆる宗教団体に属するとか、
営利目的で黒魔術を働くとか、根本的な術使用の動機の理由から、俺自身の人生からは関係のない因果を
振りかけられるものがあったのだろう。
逆に、君に力があるのなら、偽物に出会うことなどないとも思うよ。
君の方が上手だったりするし、その場合は自分で簡単に判断がつく。
前半部分の葛藤について。俺についてはまだ決着がついてない。
が、その最近あった強者の霊能者に関しては、神が降りたときと普通の時とでは全く別人格。
親父と因縁があるといったように、親父が霊的な処方を受けようとすると、神が降りてこないで
世間話で終わるという始末。その人が普段の時はどうしょもない修行のしゅの字も知らないような性格。
俺は霊能者(神の翻訳者)ではないので、彼ら彼女らの実情は知らない。
なぜそんなちぐはぐな意識の保ち方でいられるのかわからない。
が、どうみても彼ら彼女らよりも俺の方が至らぬ点は多いだろうと思う。

33 :
>>32
宗教団体とか、金とるとか、そーゆーのは全部インチキ、ってのが俺の経験。
力をもっているように話術で騙された可能性がある。
てのは、心理学やってた俺から言わせてもらうと、霊能で見える範囲のことって、
結構の部分、統計学でわかっちゃう。(人相学とか顔相学、臨床心理学で)
ただ、そーゆー奴らってのはおっしゃる通り、悪い?物をもってて、
人を不幸にさせる。詳しい原理とかは長くなるから省略するが結果、全く力が無いとは言えない。
聞くが、霊能者になりたいの??

34 :
>>33
俺は持病を持っている。
その持病を術をかけた時点でその場で取り払えるかどうかで一つのふるいにかけていたりする。
とりあえず、大学病院で検査の結果、原因不明と言われる、特定には競馬よりもギャンブル性の高いアソビを持っている。
心理学的な小細工も含めれば、プラシーボ効果を、この俺様に施せたなら、それはそれでOKだろ、という気楽な考え。
俺は霊能者にはなりたいとかそうことは思わないよ。
統計学が結構な鍵となっているようだね。
俺は哲学もやるが、悪いや不幸などの言葉には大して大きな意味を見いださない。
ちなみに俺の経験のほとんどは海外でのものだ。日本のものは数少ない。
俺の思考は英語であり、日本語には言霊はこもらない。
さて、君が証明したいことは何か?

35 :
なんも証明なんかできんよ。悪いけど。
媒体使っての透視はできません、できる奴はかなりのレベルってか神の域。
直接会わないと俺は見れない。
それと、今確かにいえることは、俺に求められていることは言論より体現だな。
だから俺が君に何かを提示しなければならないとなった場合、
どのような方法で霊視を行うか、そしてそれは万人共通にできることである
ことを言うことになる。が、それを君に理解させる為に必要な体現の要素が欠ける。
だから何も言えない、となった場合、疑いの目がかかる。
別に疑われてもいい、と俺が言うことは俺自身、納得がいかない部分もあるから説明できる範囲で言うと、
まず、この状況下において俺がしなければならないことは、
今から説明していくことになるであろう事象は、カント哲学や粒子力学、相対性理論などの観点から捉えても良いが、
それのみを基盤とした発言では全体を把握させることが出来ない。
だからまず、固定概念を捨ててもらわなければいけない。

36 :
いや、こんな真っ当な返答がくるとは思わなかったよ。
俺もエリート崩れだから学歴社会には劣等感を持ったまま芸術に進んだ身だからな。
逆に、だからこそ、文脈に誠意を見せない場合には・・の心は未だにあるのだがね。
俺は主にヒーリングの系統。芸術に進んだのもそれがゆえかと諦め、納得しつつもある。
俺に対して何とも言えないという場合、俺に直に会って見ればいい。
少なくとも俺が誇れることは、態度をどこでも変えないこと位かな。
「今から証明していくであろう」ということは、結構時間がかかるかな?
酒買ってきても良いかな?今、最後の一本なので。
理論や理屈が理解できるのならば話は早いと思うよ。
俺は元来懐疑主義者だったので、言いたいことはわかると思うよ。
ただ、理解してほしいのは、世間一般で霊能者気取っている人達が
このような理解をえていることはまれであるということだ。
君が解きたい世間の誤解と、実情の誤解にはまたギャップがある。

37 :
最後までつきあうよ。
というか、決着つくまで話そう。
俺の家まできてくれても良いよ。それはそれでドラマ性がある。
だが、今やはり酒買ってくる。
15分位留守にするのでよろしく。
連騰規制の解決のために適当な書き込みよろしく。

38 :
酒買ってきたのでOkよ。

39 :
先に誤解を招かないように説明を加えると、以下に続く文章はシンパシーを目的とした物ではない。
と書くことによってシンパシーを得れるようにする訳でもない。・・・・と、
永遠と続くからここで切るし、このような文章を書くと今後もシンパシーを得る為に書いている
と思われる可能性があるので最初にもってきた。
俺自身も懐疑主義者で、半分は自分の事を信じていない。又、高校生以前までは、完全にそのような世界を否定していた。
そもそも、このような力が着いた(と説明上、着いたとさせてもらう)起因はおそらく、
俺自身が過去に虐待、虐め、ヤクザに命を狙われるというのが同時多発的に発生した状況下で生活しており、
その結果、多大なストレスによって精神分裂病になったことと思われる。
ただ、精神分裂病になる以前、ビリーミリガンというアメリカで有名な多重人格障害者を認知しており、
彼の持つ12程の人格にある、イギリスの紳士、強姦魔とのギャップには知能的な因果もあると感じていた。
そして、彼の多重人格発生原因を考えると、ある特殊な状況下に置かれた(例えば父親に手をロープで縛られていた時、その時の恐怖から生まれた
)場合に発生すると考え、精神的ストレスを感じているであろう時にまず、知能を高くしたいと念じ続けた。
結果的には成功した。が、自己で自己の性格を選択する、という過程の中で、
偶然的に霊能が使える人格、というジャンルが確立した。この流れには一種の催眠術的作用もあると考えられるが、その真意は不明。
しかし、前述したように感情があると霊能は使えず、複数個の人格がある時では情緒不安定となり能力は皆無に等しかった。
故に、現在は自ら不必要な人格を消す作業に当たっている。
つまり、俺達のような存在は、俺の視点からすれば、今でいう統合失調症の亜種ではないか
というのが見解。
神の声が聞こえるというのも、心理学でいう幻聴として処理することもできる。
しかしそうなった場合、俺の中だけで発生している現象を他人は否定することが出来なくなる。
更に、そう過程した場合、俺が過去にカウンセリングを行っているが、
それが実際に行われた行為なのか媒体を使っては確認が出来ない。
よって第三者の介入が必要となる。
・・・・・・、ってことを君が会った霊能者に言ったらなんていうかじゃない?

40 :
仕方ない。
>>35
体現を誰から求められている?
俺の無意識から?俺の意識は君の立ち回りのをーキングパスの美しさしか求めていない。
言論で理解させられずに体現で理解させられるというのなら是非お目にかかりたい。
俺は上のものなら何でも受け入れるからな。
カントよりもプラトンの方がめんどくさいかもしれない。
粒子力学よりもquantumの量子力学、
いわゆる観測視点が決定されていれば観測結果は限定されない。逆もしかり。
または、シュレディンガーの猫みたいな観測者不在の元での不定的事象。
これらはどうでも良いと思っているので問題なしです。
じゃあ、「宗教団体」について話そうか。
この言葉に骨髄的に反射した訳ではないよね。例えば、層かとか統一とか俺の人生とは関係ないし。
馬鹿な知り合いがそれに敏感になって判断力失ったりしてたけど、
俺としては良い迷惑だよ。そんな判断力しか持ち合わせていなかったのかと。

41 :
>>40
後つげがましい説明になるからあまりしたくない。
が、その誰からってのは君といってないよね?
それが何かってのは結論だけ言ったら神、運命ってことになるが、これだけ合理的に来る相手に
観念的で、文系的な陰湿な言い回しはしたくないから、現段階では答え無いってことで。
粒子力学はタイプミスで君の書いた方で会ってる。・・orz
宗教団体ってのは固執してる訳じゃなくて、この板読んでるのは複数いる可能性もあるから、
宗教団体はいかんっていう総括的な言い回しのが大衆受けするって思っただけ。
だけど、上記の説明するのは余り好きじゃない。てのは、上から目線に見られるから。

42 :
>>39
それを読んで、俺が思ったことは、
「何でこの時点までで俺が十分な力を蓄えてくれなかったんだ・・・!?」ということだ。
君は誰かに慰めてほしい。また、保護されるべき正当な主張をしている。
君が心でつまずく地点で常に社会性というのがつきまとう。
それについて俺は良い解決法をまだ提示できない。
ビリーミリガンやサリーの花束は俺も高1くらいの時に読んだよ。
高2くらいで友達に学校で催眠術かけて先生にしかられたよ。

俺は、霊能者と会うとき、常に対決する意識でいる。
最悪の事態、文章にできないことにもなりうると。
だが、もちろん、物事はそれほど悪くは進まない。
また、俺が思っていたほど最悪の理解を示されることもない。
俺が確認できる「失敗した」と思えるような返答も帰ってこない。
だからこそ、「こいつは今後も話ができる」と思える。
例えば、君の方が俺より若い。だが、君の方が俺より経験が浅いとは言えない。
この辺は、わかる人にしかわからなく、わかる人でも、あとあと気づいたりする部分だ。
君はすぐにでもまっすぐになりたいと思いすぎてるかもしれない。
そこは逆に考えるべきかもしれない。それまでに、思い返す点がいくつかあるということに。

43 :
とりあえず、文章返答の早さからも、「思考」してないことは読み取ってよね。;)

44 :
>>42
俺には対決する意思はないな。でも、君がその気なる乗るしかないw
というのは、意識があったら使えないからね。
また陰湿な使い方をして悪いが、固定概念を捨ててもらわんと無理。
つまり、俺は今こう考えている、とかそういう意思は無い。
だから、何故俺が今君に対して返信をしているのかと聞かれたら応えられない

45 :
問題ない。
受け身は受け身。
それは弱み。

46 :
前にも書いたが、媒体を使って君が何を考えているかなんて分からんよ。

47 :
大体、酒、今500ml5本飲んでる俺が対決!?
そこで笑えよ。
どういう状態か。
また、取り込んでるそれが、本当に俺のそれなのか、まやかしなのか。

48 :
とりあえず、他人にわかりやすくしておこう。
俺は個々に、君の何かを試すためにいる訳じゃない。これは確かだ。

49 :
500ml5本飲んでいる、だけで状況を判断することは出来ない。
それが特殊な状況下かどうかも。それと媒体を使っては何も分からんよ。

50 :
問題は、君のカキコを見た俺がその言葉を信じるかどうかで、
仮に俺の何かを試している訳でなかったとしても、
試された側の立場としてのカキコをした方のが効率的と判断したのだろう。

51 :
大体俺は、自分の力もまだ存分に使えない馬鹿野郎だぜ。
ただ、度合いが大きいんでちょっと困ったことになってるだけだ。
凡人ができる位の努力や調査はしてありますよ。
師匠に修行をちらつかされることもあります。
そんな師匠をペテン師に見る俺がここに居ます。
ただ、わかることはわかります。
こんな素直なステートメントになにか言えれば、哲学板的に進められますがいかがなものか。
それとも、もっと感情込めていくこともできるが、どうだろう?
俺は俺で困っているよ!

52 :
先に言っとくが、本当に俺と話して、こーゆー世界理解するっていう場合、
今までやってきた平均で1年はかかったぞw
それをカキコだけでやるとなったら・・・(´д⊂)
まぁ出来る限りのことはするよ

53 :
てか、そういうことやってて、少しは出来るなら先に言ってよw
光は見たの?それか・・・所謂真理って奴か?

54 :
>>52
それなら話が早い。会おうぜ。
でも言っておく。俺は宗教勧誘じゃないし、そんな風に見られたら俺から断る。
・・・・
こういうところ、ネットだと難しいな。
念送るだけじゃ、君の今現在下向き気味の波長にはどうにもなりそうもない。

55 :
下向きねぇ。そうだとしたら原因は何だと思う?

56 :
今その原因を心の中で沢山叫んでるんだが、分かるかな?

57 :
>>55
君さ、(俺、霊能者じゃないよ。ヒーラー魔術師系だよ)
学業の部分で多少引っかかってたよね(ここは完全に文脈から心理学・哲学的)
ちょっと待って。
男女関係ではなさそうだと、俺の適当な勘が言ってた。
こういう部分、霊能者だとイニシアチブ取りやすいよね。俺にはさっぱり。

58 :
ためーしてもむだーよ。
だって、俺わかんないもーん。

俺は、俺が施すと心を決めたオブジェクトにたいしてのみ出来るみたいだ。
これは君の意地悪から学んだことだ。

59 :
答えだけ言うと、原因は男女関係だよ。
それと、下向きの波長も残念ながら・・・・・・orz

60 :
なら俺には霊能者の素質はないということでおkじゃまいか。

61 :
ただ、今、君が波長云々を言う前から体が震えているのは事実
仮に君が本当にヒーラー何とかって奴の可能性も考慮して、
もう少し継続してほしいな

62 :
同じ事をしてほしいか?
俺の唯一の現在の悩みを言ってみろ。

63 :
まあ、君がカキコしたと同時頃に身体反応があったのは事実。
俺も元は同級生に霊能者がおってそいつに心を見透かされた時からはじまった。
仮に君が本物なら、その刺激を与えて欲しい。何か変化があるかもしれない

64 :
俺には、ばくちを当てたりそういう人のなにそれを当てたりする能力はない。
大体、俺にそんな性格はない。
ただ、俺は、めちゃくちゃ正直だぞ?このご時世で言うには不適切に。
俺は俺で、ここの直の俺を眺めて感じてもらえればいい、ただそれだけ。でもまだ、未熟者。
実際、俺が、現在どんな能力持ってるか、まだ俺はわからん。
でも、性格の良い霊能者になかなか出会えないので、まだしくぶってるってかんじだよ。
実際の波動を感じたければさ、俺の。

65 :
本当の刺激は抱きしめることだろうが、
婦女子の漫画じゃない限り、そんなことはあり得ない。

66 :
今、何かを感じているかどうか、ただ寒いから体が震えているのか、
それとも別の要因かを検討している最中。
君が正直者か嘘つきかは何度も言うが媒体では分からんし、俺にとっては不要な情報。
ただ、本物であるなら情報交換したいものだな
65
意味が分からんからkwsk

67 :
俺は正直者。これはだれが証明してくれるのかな。
ほんとネットが氾濫したこの時勢では証明しがたくなったものだ。
俺の心では、「上昇を願う者があれば、我が身をおいてでも手助けすべし。」
これは完全。
でも、へんな宗教とも思われる。こんな社会も、俺が「解決」しなきゃいけない要因になっているとは!!

68 :
とりあえず、俺の頭の上の方が言う門では、
思考を要する会話をすすめよ。
と、言うことさ。

69 :
ところで>>1がいなくなったように思える。

70 :
何度もいうけど、媒体では判断できない。だから君を疑ってはいない、
ただ、少し信用する方に傾いているのは事実。
君が社会に対してそう感じているなら、江原にいつてどう思う?
ちなみに俺は君と同じよう、解決しなければと考えている立場だが。
そっちのジャンルでは門ってうのか。
俺は応答なしだな。単純に君の世界を吸収しようとしている。

71 :
今、研究して分かったが、どうやら体の振るえは寒いから起こってるのではなく、
別の要因によって発生していることはわかった。
これが自発的か多発的かは不明だが、これで君への信用は少し傾いたな
Tはとっくに寝てる

72 :
君がその門って奴に話しが出来る、聞けるとするならば、
俺も呼んでみるからそれについて君自信の門がなんというか教えてくれ。
俺にもわからんことだから頼んだよ。

73 :
どうでも良い。俺が理解出来ることを話して、俺が力を使えることを言ってくれ。

というが、


君の{無意識}・・・・結構、複雑だぞ?

74 :
一寸待って、IDが似ててわかりにくい。変えてくる。

・・アパート型固定複数IPだから心配せずに。俺は貧乏だ。

75 :
俺の無意識が複雑、というのは?
後、会話中、人の心理が俺の心に響くのは何故か知りたい。原理を。

76 :
良し、IP変更完了。
どうやって証明しようか。
おk
強い念を送ってSOS信号出しといた。
これが俺。

77 :
いや、門に聞いて。多分応えてくれるから。

78 :
というか、よく俺の心に響く言葉があって、
あなたは神になる、ってのが良く聞こえる。
これは真実なのか、それとも悪い気を起こさせないためなのか、何か。
後、よく頭部や背中に密室空間にも関わらず風が起こることがあるが、
何故かを知りたいね。

79 :
言語化するのに時間かかってるの?

80 :
>>75
うーん。
強者なら・・・(その場合結構魅力的な人であるひ・つ・よ・う・が・あるのだが・・・)
>>75
心理学的に聞きたいの?哲学的に聞きたいの?霊的に聞きたいの?
ドーーーーン
自分が納得出来る形で聞きたいの?
ちなみにおれは酔っぱらってこんな文章書くのにも、結構スペースキー押してるからね。


俺にわかること・・・・この酔っぱらった馬鹿野郎にもわかること・・・・

(これは君の願いを俺の生命よりも優先して。。)(変な宗教的に勘違いされそうないいまわしだな・・・)

げんりもくそもない・ただ、受け止めよ。なぜ断る?誰だおまえは?うんん

知らん。こんなもんだ。

81 :
強者なら・・・(その場合結構魅力的な人であるひ・つ・よ・う・が・あるのだが・・・)
意味が分からん。
説明方法は君がベストと思った物で頼むよ。
結局、納得したい形ってことになるだろうが、理解する努力はする。

82 :
だめだ@!!!!

君は頑張るしかない@@B
(俺の師匠は”頑張る”という言葉は嫌いだけど)
君はやるしかなさそうだ。
どうやったら、俺の所在を知られずに、俺の師匠の電話番号を知らせることが出来るんだろう・・・

83 :
っていうか、まともな緊張に戻そう。便所いったし。

84 :
師匠ってのは先祖か?別のものか?
ここはかなり気になる。
が、↑の回答ははっきりいって俺の予想通り。
俺が聞いてもこんな感じ。だからその先を知りたい。
ただ、何の為の頑張るなのか、その方向性を知りたい、というか俺の脳では理解できないようになってる。
まぁ、エゴなんだろうが、それを捨てたときなら知れるってことなのか?

85 :
・・・ってうか、酔っぱらって適当なこと書いてただけだ。
今なら大丈夫だ。

86 :
>>84
その「師匠」と、俺が今言うのは、

87 :
いや、酔っ払ってたかもしれないが、あたっていることは確かでそれは否定しない。
俺は自身の今後の為にも方向性は知りたい。というかそれが無いという可能性も捨ててはいないが。
>>86
とは?

88 :
その、俺の親父と縁のある霊能者の事だ。
本当なら俺自身ですべての事の決着がつければ良いんだけどな。

先祖について話すか。
先祖は。。良くも悪くも他人様によく働く者は居ないと思う。
俺と弟で何とかしなくちゃならない。
うーん、この師匠、俺自身も真偽がつかん。

89 :
師匠ってのは君の話だったのかw
俺自身のことを言ってるのかと勘違いしたよ。

90 :
ところで、記者とか変なメディア関係者には、
先祖末代までの何とかをかけとこうか。

91 :
>>89
君にも師匠がいるのなら、
こんな「2ちゃん」なんかで。。
ってかんじじゃないかい?

92 :
君が本物だと見込んで最後にみてもらいたい物があるんだが、
俺が3歳10ヵ月頃に体験したことの真意を門を使って教えてくれ。
これは場合によってはただ事ではすまない自体になりかねん。

93 :
俺は、霊能者じゃない。
霊能者が望みなら、俺の師匠は一流だ。
ただ、俺はそれに関与しない。

94 :
>>91
俺に師匠なんかいないよ
ただ、俺に話しかけてくる奴のことを君が師匠と言っているのかと思っただけ。

95 :
いや、霊能的なことでは全く無い。
そうじゃなくて、あれは考えられない。霊とかそういう問題では無い。
俺の存在について知りたい、というか何だったのかだな。

96 :
一人の人間の中に同じ一人の人間の過去と未来の精神やら魂っていうのか?
そういうのが入るってことはあるのか?

97 :
>>92は俺は完璧に酔っぱらっている状態でたたきつけられているのか or not


>>94
これだけは言える。
君に話しかけてくれる奴は少なくとも「師匠」じゃない。
変なリモートコンタクトをある他人とかじゃない限りは。
>>95
酒に酔いつつもしらふに戻ってみた。
新しいことを話し始めているな。

98 :
>>96
それについては心当たりがあるが、俺の師匠を紹介するのでは詐欺に見えるので、
どうしたらいいかわからない。

99 :
・・・(ここは、、、俺が思うには・・・)
惑ってしまったら、
自分で何とかしなくてはいけない。

これがやっかい。(社会的に)

100 :
新しい話ではなく、>>96 が三歳の時にあったこと。

101 :
ちょっと待って。俺の書いている文章、意味わからないな。

102 :
それが声やらその時の感じからして大体今の俺くらい。
一つの可能性として、俺は近々死ぬ、という可能性も出てくるわけで、
向こうの理論を使った場合は。しかし、そうすると、その起因は何で起こったのかが
明瞭にならない。

103 :
すると俺の存在が多次元的であった場合だけはすんなり上手く入る。
とすると、俺は何かしらの方程式やら、限りなく∞に近い概念を生まれた
時から持ってることになる。

104 :
>>100
それについては、俺が判断しかねる。
俺が捏造しても意味ないし、わからないことはわからないと言った方が良い。
ただ、その現象について、君が感心を寄せているのは確かなんだろう。
これについてはどうしたらいいものか・・・ネットってほんっとに面倒くさいな

105 :
ちなみに門は何ていってるんだ?
これが気になる。回答ではなく、意見が聞きたい、門の。

106 :
かつ、>>103が事実だった場合、俺の今までの人生の不可思議に全て
納得ができるし、俺が死を感じることがある理由も分かる。

107 :
俺に何かを啓示しているのが多次元的に存在しなくなった俺や、存在する俺
だったら更に納得できる。

108 :
>>106
俺が、(この酔っぱらいのバカ畜生という”コンディション”の俺が0)
出来る、俺の生命をかけた最善の対策は(俺は"問題解決についてはプロフェッショナルぜよ")
今の俺では今すぐ解決を導けない。でも、俺の師匠には口をきける。
ただ、俺がその人に口を聞く時点で、俺がどうなるかは知った事ではない(前参照)
ということだ。

109 :
チョpっと待って。新解法。
水を飲んで見る。

110 :
良し。水飲んだ。過去の俺の発言、意味不明だ。

111 :
>>107
okay.
少なくとも、君は、今の君の理解よりも進んだ理解の仕方を示してくれる人を
探している。
それについて、俺の師匠はもってこいだ。しかし、もし、俺の師匠すらも大して状況把握出来なかったなら、
俺は俺の師匠を見損うだろう。(俺は元来だれも信じていないし。)

俺(馬鹿)が思うには、まだ奥があるだろう、ということ。

112 :
馬鹿みたいな酔っぱらい状態を断ち切る。




良し。

113 :
つまり、今の段階で俺は理解してはいけない、ということ?

114 :
酔いは怖いよ。マジで。
意志と関係なく言葉がすすむんで。

115 :
後、馬鹿ってのはやめてくれ。俺は今君に教えを求めている立場なのに。

116 :
>>115
君、俺が思うには、君はとてもまじめだぞ。
これが間違いなら、俺は豆腐の角に頭を打ち付けて死んでしまった方が良い。
いやいや、酔いは霊能力を遠ざける。

良し。とりあえず、君が幼い頃に何が会ったのかは俺は知らない。
問題は、これをどうするかだ。
(どうしようもなくはない。)

117 :
まず、素直に。
俺自身の問題として
俺がどうにかするべきなのか、師匠に投げるべきなのかを迷っている。

。。。これは誠意とは関係ないよ。

118 :
君は師匠とは別に門が云々って話をしてただろ?
そいつを使って見ることは不可能なのか?
それと、豆腐の角に頭を打った方がいい。
てか、何故師匠に投げるべきかという選択肢があるのかが疑問。
ということはなんらかの回答を得ていると俺は推測してる。
しかしそれを聞いても答えが返ってこないということは、
俺自身が理解してはいけない、ということではないかと聞いている。
だから結論を出さないとも。

119 :
>>118
>しかしそれを聞いても答えが返ってこないということは、
これに関しては、俺の不摂生のほうが問題と思う。
俺は出し惜しみしたりしない。
そして、必要があらばこんな時分にでも師匠にメールしても、
そのリスクはすべて背負うつもりで居る。
今、なかなか結論が出ないのが、・・・・
1.俺が酔っぱらっているせい
2.君が知るべきでないせい。
もし、2なら、俺は反発するだろう。俺はそんな性格だ、
ただ、1を・・なんとか・・がんばって回復したいところなんだ!

120 :
すまん、俺達みたいなタイプの奴は、深夜、ちゃんと寝ないと力が出ないんだよ。
だからもう限界きてるから一回寝る。昼の12時か一時くらいに来るで
それまでに頼んだ。
駄目なら今日の深夜12時にくるで。

121 :


仕切り直しを願う。
この馬鹿みたいな酔いに水一杯飲んで意識を戻した。

122 :
>>120
了解。
もし、その時間にこれなかったら、こちらに都合の良い時間を伝える。
さもなければ、お互いに都合の酔い時間に目覚めるかもしれない。
本と、ごめん。俺の、この意味不明な酔っぱらい対応。
いつか、本来のかたちで応答したい。

123 :
すまんの・。・;;
いつのまにか寝てしまったよ、、
今日も夢を見たんだが、今日の夢は現実にはなりそうにない夢でホットシタ
内容はこんな感じ
友達5~6人と意味がわからないパラレルワールドみたいな夢だった。
その友達は嫌いな人ばっかだったんだけどね。
まぁこんな感じでした。
たまに夢のこと友達に聞くのだが夢見てもすぐ忘れるという返答がよく来るのだが
俺の場合、夢みたら絶対おぼえてるんだよね、、、、
どうしてだろ
うn・。・^

124 :
>友達5~6人と意味がわからないパラレルワールドみたいな夢だった。
↑意味もわからないパラレルワールドいった夢でした。。


125 :
俺も目覚めた

126 :
まだこないか?

127 :
・。・;

128 :
主、いたんだw

129 :
いるよw

130 :
主、なんか話そうかw
過去のカキコみた?

131 :
二日酔いだ。500mlを8本も飲んでいた。飲み過ぎだろ、どう考えても。
また、昨日の書き込みがきっかけで、生きてる間に絶対に解決しなきゃいけない
自分にとっての難題にこんなタイミングで取り組むことになってしまった。
しらふの俺が詐欺師やインチキ大口叩きと避難する酔っぱらった俺に、人権を与えるという難題。
いつまでも逃げていたかったこの問題に取り組むことで、
理性を持ったしらふの自分が、凄い不快な感情を出し続けてる。
しかし、どうやって解決するんだろう。きっついなぁ、これ。
というのが今の俺の状態。

132 :
やっときたな

133 :
俺は主観的には君が行った行為を感覚で感じていたから信じているが、
客観的にはまだ信憑性にかける。
そこで、おそらく今日来るであろう主に同じことをやって、
彼がどのような反応をするかで確かめよう。
ちなみに俺は君に対して震えていた、と説明したがあれは嘘。
第三者が同様の答えをした場合の保険としてそう説明した。
俺に起こった現象は俺の世界では特有の現象だったから、
主がどう説明したかですぐに真偽が分かる。
それでまずはそこからだな。

134 :
俺は主観的には君が行った行為を感覚で感じていたから信じているが、
客観的にはまだ信憑性にかける。
そこで、おそらく今日来るであろう主に同じことをやって、
彼がどのような反応をするかで確かめよう。
ちなみに俺は君に対して震えていた、と説明したがあれは嘘。
第三者が同様の答えをした場合の保険としてそう説明した。
俺に起こった現象は俺の世界では特有の現象だったから、
主がどう説明したかですぐに真偽が分かる。
それでまずはそこからだな。

135 :
まあ、しらふの俺は
俺がどんなこと出来るのかわからないし、
わからないことは無いことにしてしまいたい、
というような唯物論的な立ち位置が安全と感じる気があるからなあ。
覚えてる範疇では、というか俺は常に、
相手の返事をその後の自分の思考に含めないで自分勝手に話してるだけのような気もする。

136 :
やってみれば早い。
そこで自らが得た感覚が大事なんだろ。
まぁそれは俺の世界の方の話だからそっちは分からんけど。

137 :
うーん。昨日というか朝か、後半あたりの自分の発言がよくわからない。
でも、こんな理性のしらふの対応も、
「記憶にございません」と逃げてるだけのようで良くないことはわかる。
現在の因縁の状況が、なんだかよくわからない。
超短期間でしらふの俺と酔った俺の融合をしなければいけないのかな。
自分自身の課題が絡んでいるので、なんだか大変だ。

138 :
早い話、君が持ってる力っていうやつで俺を見ればいい。
俺の深層心理がどうなってるかを。

139 :
過去ログを読み返してみたけど、
ほんとに俺が「門」とか言っているんだな。
何、門って・・
酔いのせいで記憶が残らなかったのか、
この理性的ではないほうのモードに突入すると覚えていないのか、
判別がつかない。
うーん。今の俺には、どうやって力を使って深層心理を見るのかわからない。
というのが今の俺の悩み。

140 :
てか君は何がではるの?

141 :
できるのww

142 :
今の俺は何の役にも立たなさそうだな。
>てか君は何がではるの?
全くもってわからない。
何でだろ。いきなり言葉を忘れてしまったかのように
頭が空っぽだ。なら昨日まではどうやって生きてきたんだろ・・
何かの拍子に、感覚を忘れてしまったのかな。
なんだが嘘つきが弁明してるみたいで嫌な展開だが、
こんな状況すらも体験しておく必要があるのか。

143 :
まぁ、君が何とか魔術云々って言ってたから俺とはジャンルが違うだろうが、
俺達の方で大事なことは、頭で理解してることを芯で捉えれるかってことで、
意味を理解しなきゃいかんからね。
その何とか魔術って奴は何なの?kwsk

144 :
今の俺は、俺は大して何も出来ないよ、としか言わないんだろうな。
何が出来るというのを説明できるようになるには、
理性側の俺が、酔った俺を認めて、直視して、観察して、報告しないといけないんだろう。

145 :
変な言い回ししんでいいから、その魔術って何なのかkwsk

146 :
その何とか魔術とか、俺が語るべきものじゃないような気がする。
大体、それら何タラ魔術をしょって立つような欲も何も無いから。
第一、俺がなにかのジャンルにはまっているのかもわからない。
つまらない回答ばかりで申し訳ない。
なんだか、俺が俺について知らないことが、まだ沢山あるらしい。
でも、霊能者系の人達で魔術に興味津々な人達多いみたいだね。
多分、俺が魔術と昨日書いたのは、霊能とかいう風に自分を呼ばないなら
魔術とか呼んでおけば良いんじゃない?という適当なものな気がする。
呪術も魔術も情報操作も俺の中では同じものだし。

147 :
ただの統合失調症?なら勘弁してよw

148 :
別に魔術に興味はない。君がそれが出来るって言うから知りたいだけ。

149 :
別に魔術に興味はない。君がそれが出来るって言うから知りたいだけ。
なんでもいいけど、早くそれ使えるようにしてw

150 :
魔術をかけられた、というのは自分のそれとは別で、
それはそれで魔術とだけ呼ぶべきものなんだろうけど。
その魔術という何かの教典に従ったようなものを使う人達は魔術をする人と呼ぶべきだろうけど。
それらの魔術に関しては、俺はかけられたことがあるだけ。

151 :
てか、なんでそんなことに興味があるの?

152 :
鰯の頭も信心から
紙に付いたインクを信じるのが人類
洗脳された自分に違和感を感じているから
そんな事に興味を持つのではないか?
だから人生はゲームだと思うよりしかたがない(笑)

153 :
いきなりで申し訳ありません
お願いがあります

ここに飛んで
http://www.yoshimoto.co.jp/digi_mon/
茶色の枠で「ニュース.......マンスリーよしもとからのお知らせ」ってところがあるので
その枠の一番上の文章
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そしたら投稿フォームになるからそこのブサイク芸人の欄に『キングコングの西野』と入力して投稿してほしいです!

上辺だけで2ちゃんねる否定する人なので、ちょっとした悪戯をしたいのでどうかよろしくお願いしますm(_ _)m

154 :
さて、12時になったわけだが、今日は誰かくるのか?

155 :
昨日の人くるのか?

156 :
おーーーーーーい

157 :
大井は静岡の先

158 :
そして愛知へ

159 :
運動不足のおまわりさんよマテといわれてまってたまるか!
おいらはブラボ〜だぞ♪ あっ泥簿〜の間違えm(__)m

160 :
俺は「昨日の人」だが、(酒は入れてみたが、理性は保たれている)
>>155
とりあえず来てみたよ。来ただけだけど。
>>151
興味という言葉を俺は使ってないのでわからない。
プログラム書くように、飛躍せずに論理展開してくれると回答できる。
>>152
なんだか、ここよりも哲学板っぽい内容だな。学哲厨無視して、向こうで話すか。
>>147
例えば、「実はそうなんだ。」と俺が書いた場合、それを信じて君が状況を構成しなおすとしたら、
文章、記号を信用しすぎるふしがあるのかな。
俺は、画面に映った模様に向かってキーボード叩いているだけなので、
過去に言ったとおり自分勝手に話しているだけだと思う。
恐らくね、「詐欺師」という人達は、言葉の意味を心にくっつけずに管理してる人達で、
人を騙すとかそういう部分が本質ではないのだろうなと、多少融合を進めたところ思ったよ。

161 :
昨日あたりまで……えぇと何だっけ。
今日は餅と納豆、トマトとピーマンのイタリア風炒め物、マグロとウニ食べて、
何だかよく分からない取り合わせだけど、いい年末だったなんて思う程度で。
ちょっとしたトラウマ解消を頑張ったつもり。

162 :
久々に来たが・・、彼は何処へw

163 :
名前欄に  !omikuji と入力すれば「おみくじ」ができるお♪ みんなも試してみて(本)
おいらは新年早々、縁起が良いぞー♪♪(本)
(●・ω・●)ノ

164 :
j

165 :
>>164
そうそう、そんな感じ。

166 :
>>165
(´;ω; `)

167 :
はよこい、昨日の人

168 :
シャクティパット

169 :
いつになったらくるんだ?

170 :
>>169
とりあえず、しばらくは別の人を会話に誘い込んでくれよ。
年明けのお休み気分もそろそろ抜け出す必要があるので、
俺は自分のコンディションを整えるほうに力を注ぐよ。

171 :
ついに仏教 VS 神道 ガチ対決!!
126 名前:番組の途中ですがアフィ禁止です(京都府) [] 投稿日:2008/01/04(金) 10:29:18 ID:zlwxoO/X0
巫女とか非処女ばっかじゃん、大嘘こいてんじゃねーよ糞神道
127 名前:番組の途中ですがアフィ禁止です(三重県) [] 投稿日:2008/01/04(金) 10:35:14 ID:mx/UD8+x0
>>126
当方現役巫女ですが処女ですよ。
見た目も見苦しくない程度の自信はあります。
うpでもなんでもやってやりますよ。
口だけで死人に名前付けて金取るような宗教に難癖つけられる筋合いないですよ。
http://namidame.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1199410158/

172 :
どうだ

173 :
まぁ昨日の人を俺は待つよ。俺も自分のペースを戻さんといかんからな。
板だけは残しておくよ。

174 :
            ,,,,,,,,,,
|           |!| :|i|
. ̄ ̄|     (゚д゚ )
     ̄ ̄|  へヽノ |
.        ̄ ̄|  ヽ
.           ̄ ̄|
        ,,,,,,,,,,    ̄ ̄
        |!| :|i|
|      (゚д゚ )
. ̄ ̄|   ノヽノ |
     ̄ ̄| < <
.        ̄ ̄|
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        ,,,,,,,,,,    ̄ ̄
        |!| :|i|
|      (゚д゚ )
. ̄ ̄|  へヽノ |
     ̄ ̄|  ヽ
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              ̄ ̄
|                ,,,,,,,,,,
. ̄ ̄|           |!| :|i|
     ̄ ̄|      (゚д゚ ) ・・・!
.        ̄ ̄|  ノヽノ |
.           ̄ ̄|< <
              ̄ ̄
|                ,,,,,,,,,,
. ̄ ̄|           |!| :|i|
     ̄ ̄|      ( ゚д゚ )
.        ̄ ̄|  ノヽノ |    ━┓・・━┓・・━┓・・━┓・・━┓・・━┓・・
.           ̄ ̄|< <     ━┛. ━┛. ━┛. ━┛. ━┛. ━┛
              ̄ ̄

175 :
俺は「昨日の人」だが、
世の中に、在野が協力し合う流れが必要かもしれないな。
このスレについてではなく、一般的に思ったこと。

176 :
今はまだ他人に力を使うことを禁止されてるんだ。
でも、最近いてもたってもいられなくなってきた。
本格的に修行に入るしかないのかな。

177 :
「昨日の人」に聞いてた者だが、
使っちゃいなw

178 :
開拓とは畑を耕すようなもので、種を植えたらしんがりを勤め、
光と水を蓄える時には、土を掘り起こしたりはしないのだろう。
境目を解決できた後、初速度の点けられた風に乗りはじめた者が
大地の恵みを空に運び、新たな種子はきらびやかに舞うのだろう。
76として書いていた俺は「昨日の人」なんだが、
トンネル突貫工事よりも畑を耕すかのような行いに自分らしさを感じる。
行動というものは、常に生身の人間がとるもので、それも一つの言語である。
言語化されれば伝わる中身は崩れていくが、
その言語で伝えなくてはならない場合は、伝わる分だけ伝えてみる。
複数言語の各々の特性とその使い分けというのかな。

179 :
ほぅ。

180 :
ていうか、俺のID、6 66なのに比べて77なのな。
いや、それが言いたかっただけ。では。

181 :
なる。
でも言いたいことは分かる。
で、それは76的にアリなの?

182 :
だから俺は「今は」伝えてる。
ということ。

183 :
人の意志を使えるのは今しかないしな。
何でもアリだと思うよ。
666の書き込みとかは、無邪気に「数字がそろってる!他では7がそろってる!」
ってはしゃいでるだけだし。無邪気さの裏にはなんにもない。無邪気だから仕方がない。
ちょっと別の話を挟んでみると、
「ゾーン」ってあるよね、神がかった時とかに、スポーツとか相場とかで
使われる言葉。凄い状態なんだろうけど、そうなるような未来が見えて、
それを実現してしまうという状態。(しかもこの話、疑問に全然関係ないという。)

184 :
関係ない・・・・ね多分(汗
やはり、知ってしまった以上、使い道が無いから伝える?しかない。
76は伝えたいと思わないの?
どこまで伝えられるか、というゲーム感覚が俺の中にあるのは確か。

185 :
そういや昔、8年以上前かな、深夜過ぎまで仕事してて
タクシーに乗って自宅に向かった。自宅の場所を告げて適当な話を運転手と交わした。
自宅付近にさしかかり、ここだと告げても運転手は通り過ぎていく。
少し離れた公園の脇に車をとめて、運転手は料金メーターをオフにした。
それから延々と神秘世界や宇宙人について運転手は語り出した。
一時間以上は車内で話していただろうか。区切りがつくと自宅まで送ってくれて
去り際に、近々催されるそういう系の展示会の情報を告げていった。
例えばこういうのが使い道がない記憶だと思うけどね。
伝えたらどうなるか!?というゲーム感覚は俺の中にもあるよ。

186 :
召喚。 。。何よ、召喚って。
しかもこれが書き込む内容なのかい?
形がほしいものがいる。
もうわかったから。というか、そういう風に取り組む先をころころと変えんでほしいのだが。
俺は好き嫌い激しいからな。しかも面食いだ。
まあ、芸術と光の接点には使えるかもな。で、読み返してみると、
なんという意味のわからない文章。こんなもん送信する必要ないだろ。
去りやがったよ。送信前に放置かよ。召喚とかバイアスかかった言葉嫌いなんだけどな。
とりあえず創作と召喚の関連性について追求するか。
それにしてものらりくらりと何やってるんだか。そして書き込むボタンを押す。

187 :
その展示会は気になるw

188 :
数々の秘密結社やミステリースクールの存在。
それら単体にはウェブ検索すればたどり着けるのだが、
もしくは実際に足を運べば、人はそこにいるのだが、
こういう場所では一向に浮上してこない。俺もそれについて話すつもりはない。
技術だけは色々とあがってくる。
後ろで守ってくれる人がいない場合、それ自体が地雷っぽくも見えるが。
でも人は、その代償こそを求め行動しているとも見て取れる。
自己の消滅に勝る恐怖などあるのだろうか。
恐怖の膜から抜け出るには、自己の消滅を意識するのが早い。
恐怖がこの上ない生の躍動に変わる。
うん。まだ少し悪想念変換までは届かないな。

189 :
人が倫理を考えはじめるのは、その言語ツールが当たり前のものとして普及した後だ。
ここに天地がひっくり返るような仕掛けがあるようなないような。
でも、そのことにはもう触れない。
倫理なんてものが死活問題になるのは、人は人としての生活をするしかないからか。
いや、そうなんだが、あえて疑問形で終止させよう。
イザナギの神話に紐解けるものがある、ふと思い浮かんだ。
別にオカルト話ではないよ。また、続きは書かないし。
というか、暗号解読は他の人に任せよう。

190 :
それは僕の為?それとも・・・・?

191 :
>>190
独り言みたいなものだが、
君が君の為になる部分を抽出できるかもしれない。
まだ受け取り手が決まっていない文章だよ。
伝達は、決めた相手めがけて飛ばせば、それ全体をそのまま受け取ってくれるとは限らないからね。
ほら、知ってしまったものは使い道がないので伝える?しかない
と君が言っていたでしょ。
俺はそういうものを、読む人の読み方で変形する物体として残してみるという
試みをやってみようとしてるんだ。
なんか難しい言い方しているけど、のほほんと何も考えないで書いてるよ、俺は。

192 :
>>190
俺が、「独り言みたいなものだが、
君が君の為になる部分を抽出できるかもしれない。」
と言っているのは、君の為だね。
直接話しかけるときはアンカーつけるよ。
また、他のスレに関係ないことは、このスレに置いていこうとかもしている。
このスレは他の人達が特定の目的で訪れる場所じゃなさそうだからね。
野良猫のネコご飯置き場みたいな。

193 :
そんな細かい説明はなくても分かるよ。
ただ、これって食いついてる人いるのか?
どうしてもそこは気になってしまう。
俺は76の言う通り、自分の為に成り得る、と思ったから書いてる。

194 :
食いついてる人いないでしょう。
俺が独り言言うのも自分のマイペースを保つためだな。
掲示板って情報を出し合うのが普通の流れだけど、
超能力とか霊能力って、情報が並べられたところでどうにもならん。
オカルト板なら同じ内容でも、巷に流れる情報の信憑性によって真偽を問えばいいけど、
こっちだと、自分の中でそれがわからないと意味がない。
他人の思考回路を観察することで、何か臭うかも、と。
なんか変なレベルで会話が成立していくというか。

195 :
というか、暗号化してないかこれ?w
その真意は問わないけどさ、個人的には面白いよ。
いいんだけどさ、過去にこういう人が居たっていう
やっぱし、76がどこまで知っているかは気になる。
その当たりのことよりも、個人的な体験談をもっと聞きたいな。

196 :
http://jp.youtube.com/watch?v=oOOSKFk4UNM

197 :
>>195
使い道のない記憶が思い浮かんだらね。

198 :
使い道のない情報だけが外に投げ出されて、客観的な世界が作られてゆく。
なんという虚構とまではいかないが、礼儀正しい世界。世界の輪郭線を引く場所はそこじゃないな。
ほしい能力が得られるのは、極論的には正しいかもね。
いらない能力は得ないという。
宿命って、定められた出来事というよりは、
現在を無理矢理引っ張っていっちゃう方向だよね。
どうでも良い話。ああ、バナナ落とされたことがあるな。変な場所に進入したときに。
体験談はオカルト板の波長になってしまうからなぁ。
たいして汚れてない空間に汚物を無理矢理取り込まなくてもいいかなと。

199 :
やはり倫理に勝る問題はない。
強化人間の集団が脅威なのか。
もうほとんど悪魔との契約だな。
でも俺もバナナとか落ちてきて、変わんねーじゃん。
ちょっと悪想念なんかを弄くってる場合じゃないかもな。
状況が把握出来てきた。
しかし、そういえばそれも通る道だったといわれたか。
人間が一番怖い。

200 :
過去の俺は何故か知っている。今の俺は知らないモードで気付き直す。
なにこれ。
こんな辺鄙な道筋だから、聞き分ける判断力が必要となる。
悟りのレベルも上げないと、エンコーディング中のセキュリティホールを突かれる。
ならば、宇宙に浮かぶあの機械仕掛けの要塞のようなものは・・・?
<<続かない>>

201 :
俺は、自分で能力に封印してるからね、今。
昔のが使えたんだよ、力は。

202 :
>>201
オンオフのスイッチを習得するのはとても有意義なことらしいね。
--下の文、関係なし。単なる独り言--
やはり直感で判断するのが、ぶれを生まない。
で、直感がつながる部分が、体内の感情が作る苦痛とかうわぁぁ〜とかいう気分。
直感が白と出してるのか黒と出してるのかが、
体内のつながる部分の見分けで反転してしまう。だから、素直に自分の感情は認識する。
直感で感じたものが、自分の非を炙るものなら、体内のそれを制御するのが先。
真偽の前に自己が拒絶してしまっているため。
これらができれば、情報議論のしどろもどろの波長とは無縁になる。
気が晴れる。健康。明るい。これで初めて準備万端。

203 :
>>202
直感についてはいつも他者に言うんだが、
なかなか理解してもらえない。
だからそこの説明詳しく!!

204 :
76だが、プロバ全規制なのでしばらくお休み。
松果体スレの俺の書き込みにもレスがついているが、
暗号解読すれば俺がレスしたも同然なので放置。
人が人と生きている。これから先も。

205 :
規制解除されてる模様。テスト書き込み。
しかし、せっかくだからペース落とすかな。
坂本教には笑ったよ。無邪気に命名にね。

206 :
現実とは、厳しいものと思う?
ヒーラーとしての君の意見が聞きたい。

207 :
人々を導いていく過程において重要なことは、無謬の言論は不毛であることに気付くことではないか。
如何に個人の精神に侵食する語彙を吐くことが自身に可能かを追究しなければ、誰も自らの言葉に耳を貸すことはない。ある男が問いかけた言葉が耳から離れない。
みんな、固定概念を捨てるべきだ。しかし、それ自身が固定化された概念であることに気付けない者を私は賢者と呼ぶに相応しいとは思わない。またある男はこう問いかけた。
何かがおこる前に話し合いで解決することが大事である。男は歴史から何を学んだのだろうか。その思想の延長線上に国際連盟があり、時代に対して無力であったことに気付かないのだろうか。
社会は少数の賢者と多数の愚者によって形成され、それが普遍的であり、必然である。しかし、賢者という存在は既存ではなく、社会が形成した時流によって誕生する新たな懸け橋であり、彼らがその世界に台頭した時には、また彼らも愚者と化す。
人類の方向性を決定付ける要因は、言論では有り得ない。それは、目に見え、肌で感じる体現された客観的事実であり、私達はそれを真理であると信じて止まない。賢者に必要なのは知識ではなく、教養の高さだ。
彼らの精神論こそ、愚者が飽食する餌なのだ。では何故、私達は理由を求め、それ無しでは進歩と調和は有り得ないのか。それは、人間が情緒的であることこそ、美徳であると理性が察している他なく、合理主義ほど不快なものはないことを私達は知っているからだ。
だから、観念を革新させるには言論による圧力ではなく、唐突な確信こそが必要である。そして、私達は弱者であり愚者であるという自覚を一人一人が持つことこそ、人類を進歩に繋げるであろう。個人が人類に英知を与えようなど多勢に無勢なのだ。
例え相手が個人であったとしても。

208 :
いやあ、ここ数日は実生活のほうで内省の連続だった。
進化のスピードが加速してるのどうにかならんものか。
やはり、未来と過去が順序壊れて意識になってくる。
これは俺の体のスペック低いパーツの取り替え時期がきているのかもしれない。
脳回路組み替えるだけでパーツ交換できるのは、人の体の便利なところなのかな。
>>206
走ってる滑車に乗って、風を感じているのなら、現実・厳しいーの次元なのかもね。
自分が滑車のスピードで走っているなら、風を感じているのは記憶にないかもね。
自発・受け身の話ではなくて。アクセスしている力の話で。
---
異国の喫茶店のテーブルで、異国の人が異国の言葉を互いに発している。
奇妙な光景。大きな声で笑っている。声を荒立てて口から何かを発している。
一体何をしているのだろう。目に入る絵と耳に入る音をぐるぐる巻きにして、一人で感情発している。
--これはプロバ規制で書き込めなかったときに送信しようとしたもの。内容については過去のもの。--
松果体のスレに書いていたときに俺は欲望と恐怖の牢獄という言い方を採用していた。
現実の柵という言い方もしていた。
直感に対する大気圏みたいなものだろうか。
場合によってはその牢獄の壁が鏡面のようになって、
人は外を見ているつもりが、自分の内部を外と思いこむ、鏡の中の奥行きを信じてしまう。
この時直感は柵の中を飛び回っているだけだ。この直感の示すものは自己の苦痛や非の部分だが、
本人はそれを柵の外の人や物から得た感覚と信じるというより確信してしまう。
次に、柵の外は見えていて直感も牢獄の外に飛び出る場合、
精度の話は置いておいて、とりあえず直感は何かを外から受け取って柵の中に帰ってくる。
直感が持って帰ってきたお土産が、自己の非などに反応してしまう場合がある。
外が見れることと、柵の中の自己の非の手当が出来ていることは別要素ということか。
自己の非の解決をしていなければ、直感のお土産に反応する自己の非の叫びを
外を見た内容と確信してしまう。これが真偽の判断が逆転してしまうと上で言った部分だ。
とりあえずはここまで。--

209 :
自分の中の課題を自分で見つける。
自分で自分の課題をクリアする。
現実で、次のイベントが、まるで用意されていたかのように訪れる。
課題クリアをコンボで発生させれば、怒濤のようにイベント発生。
うわ。書きたいが書いたらまずいのを感じるので言い方変えよう。
課題クリアなくしてイベント発生させる方法もある。
おそらく訪れる種類のイベントも、課題クリア型のイベントとは違う方向のものが。
しかし、トリッキーな複合技とかあったりする。
この特別型イベント発生が必要で、その特別型が進行中に、
課題が転がっていて、特別型イベントは完了させずに
課題だけ拾って(もしくはアイテムだけ拾って)正しい道に戻るという。
まるでゲームの話みたいだな。

210 :
俺が書くといかにも考えて書いたように見えるが、
俺は考えていない。エンコーディングはしている。
まずはイメージ、さらに下位言語ではベクトルだけ、
これをデコードしないでソースとしてつなぐ。
この瞬間に、スナップショットを撮る。ソース切り離す。
スナップショットを誰かが理解できる形に急いでエンコーディングする。
他の人がそれをデコードする。フィードバックから俺は何をエンコーディングしたかを知る。
意識での話。無意識では全部知ってるはず。意識の無意識補完を加速させる方法なのかな。

211 :
スナップショットを使わないエンコーディングには、
行動という言語が向いているのだろう。
ソース繋げたままTVキャプチャのように体現していく。
行動という言語は、行動の具体的な内容よりも
動作の一連性でベクトルを描くので、そこが伝達物となる。
ベクトルをデコードする人にしか伝わらないが、
逆にそのような準備が出来ている人達が先に受け取ることに問題は生まれない。

212 :
でも、現在のような意志の疎通方法が定着しているのは、
このようなコミュニケーション方法の弱点(未記述)をカバーするものでもある。
ただ、現在のようなもの、それだけになってしまっているのが
バランスの悪さを生んでいる。
語りかける、名前を指定して願望を割り込ませる、というのは
数ある手段のうちの一つであるが、それが唯一となっているのが現在か。
それを唯一としてしまうので、その他の手段は風景としてしまった。
風景は自分の持つ手段には無いもの、現在のそれが唯一なので当然か。
また、風景は、当たり前のようにわかっているので風景として管理下から除外している。
能力のほとんどは風景になっている。変な能力だけに限らず。
それでも、風景の一部である花壇のお花に水をあげてる人もいるだろう。
でも、それは、風景から自己の手段に補完したとは言えない状態かもしれない。
とりあえずはここまででいいか。

213 :
使い道のない情報だけが外に放たれる。
情報の完全公開のムードが出てきている。
個々人が使い道を持たせたかった念を、自己の手段に取り込むことで
その情報は使い道を終えて外に放たれる。
うん。悪想念変換にほんの少し進歩がみえたかな。

214 :
>>207
音楽、歌詞、メロディ、調性音楽、スケール、モード(旋法)、リフ、ソロ
      コピー、詩、散文、予言               経
美術、イラスト、コミュニケーションデザイン、記号論、クオリア
      タイポグラフィー         護符
             歴史とか全くいらないし。
        何か聞こえるなら。
           学んで、捨てれば、
                 元々芯はあるはずだから。

215 :
そう。偏見なんて全てなくせば良い。
使い道が限定されているように見えるのは、ステレオタイプが故。
余計な過去を引っ張ってこないで、自分で作っちゃえばいい。
それが自己の手段に取り込むということと思う。
超能力が「超」たる由縁を気付きで埋めれば「超」じゃない。
「超」が「超」なら、どこからが「超」なのかわかってなければ
全部をお花畑にしてしまう。
純粋に「超」の部分だけを「超」と扱えば良いような気がする。
飛躍を求めすぎる。できることさえ封じ込めて上の上だけ手にすることはできない。
エンターティメントだけの為に存在する力なんてないんじゃないかな。
やれることというのは、出来る努力と思索を全て含むと思う。
在野って、権威や権力を軸としないで、行そのものが軸なんじゃないだろうか。
人は、人間の体という最高の教材持ってるから、外から余計な知識を取り込まなくても
色々わかることができる。生まれてきて、いつから人はなげやりになってるんだろうか。

216 :
いくら頭で考えずにエンコーディングしているだけとはいえ、
これらもまだ思考の波長にいることは確かだろう。
いくらフウッっと色んな意見を覗き込んだりすることができても、
これらもまだ考えているという行動であるのは確かだろう。
考えることはしないで、それに身を任せればいい、という
しかし、人はやはり人を見て現実感を得るのなら、
他への影響は自己の解脱よりも、その様子の報告から生まれる気がする。
思考の波長の答えと、お任せ波長の答えが変わることさえも、
他に目撃されるのが、それもまたできることではないのだろうか。

217 :
リアルとファンタジーの違いなんだろうな。
とてもリアルである。
それは今までのリアルも知っている。
ファンタジーもファンタジーと知っている。
リアルとしてかなり地味だが、今までのリアルとは違うのも確か。
地味なのにこれをリアルにしてしまうと、ファンタジーが消えてしまうかもしれない。
デカルトが心身二元論を唱えた時には、科学が魔法のような派手なものに映ったのかな。
同じように奇跡的なパフォーマンスを受け入れて、リアルと幻想のバランスをとりたいと言うのか。
バランスの取り方が変わる。パラダイムが移動する。
徐々に浸透していくのは多くはあまり好きじゃないらしい。
よくわからないから、大きな違いを見たがる。
些細な部分に微少な違いがあるのが常だ。
それでも、大きな大きな違いだけを目のあたりにしたいという。
些細な違いが、大きな違いとなって現れることを望んでいる。
それは違うんだよね。
些細な違いに気付いたとき、意識は大きく大きく変わるんだ。

218 :
儀式は人間の知恵だと思う。
現代社会でも、ベンチャー企業などは何かを雛形化させたものを生み出して、活用している。
大規模な雛形になれば、流通など生活から切り離せないくらいに依存関係も生まれてくる。
システム化が目的なのか、標準化が目的なのかでも相乗効果のとらえ方は変わるけど、
儀式の前提条件から目を離したらいけないと思う。

219 :
変なことを書こう。
天国に行くのなら、今の生活を天国に出来なければ、行き着く先は別の場所だろうな。
語弊とかどうでもいいし。
ガラスの靴が足に合わないのは、そんな体になってしまった自分のおかげでしょう。
無理して痩せて履けたとしても、維持するのに居心地悪さを感じるなら、
変えるべきは体脂肪ではなく別のものだったのでしょう。
気付いたら、引っかかりを遡っていって、
全然遠いと思えてしまうような身近なことから始められるのでしょう。
抵抗感じる時は、まだ遡れるでしょう。
始める気持ちも、取り組む様子も、愛に満たされているはずだよ。
その光は、はじめから終わりまで心地よいものなんだよ。

220 :
面白い。

221 :
俺は君に同調を求めしはしない。ただ、ベクトルに関しては特に痛感する。
それ以外の話もそうだが。
全てを語ることは善でなく罪。現にその萌芽は現れているようで・・・。
なら俺だけがそこに気付き、一人で進化すれば良い、と思う昨今だったが・・。
久々にインターネットを繋いで、それでは面白くないと思った。
俺は否定はしない。全てに関して。ただ、何かに関して「あるべき姿」
を求める場合、否定は必要になる。
君はこの意味を良く分かるはず。何故なら・・・・、言うまでもないな。
ここまで書くのは、俺自身の周りでの事態があまりよろしくない、ということ。
助けは求めない。ただ、後に起こるだろう、滑稽な出来事を先に伝えた。
エンターテイナーとしては逃せない事態だろう。俺は既に失笑している。
一様言っとくが、その対象は君じゃない。

222 :
人間の体は、それだけで学べる良い教材だが、使いこなすのも難しい。
自分が自分の体を使いこなすのも難しく、他人がその他人の体を使いこなすのも難しい。
埒があかないときは、一人で進化する時期があってもいいと思う。
体は楽器のように、うまく奏でることができると、
人にも多くを伝えることができる。
自分の楽器は大切に扱う。手入れもする。パーツ取り替えたりもする。
課題は苦痛を伴うことも多いが、
課題が訪れない事よりは喜ばしい事だと思う。

223 :
結構きわどい課題などあるかもしれん。
どうしようもなく暴走したり、
死に際を垣間見たり、
課題をクリアできるということなど頭から離れている状態で
その課題をクリアしなくてはいけなかったり。
全ての力が無効化されたままクリアしなくてはいけなかったり。
何もいらずに、何にも頼らずに遂行できる、
自分からは見えないもの、自分だな、を駆使する。確信する。信頼する。

224 :
情報を受け取るというのは、これもまたトリッキーだ。
興味が沸いて情報を調べ始めた途端に、波長が崩れる。
崩れたままでは、知れば知るほど遠ざかる一方。
一瞬を活かす。一期一会は鮮やかな舞のようだ。
俺はいつもそういう部分ではジャズの即興を思い浮かべるのだが。
これは身のこなし。そして、無垢な心。それが瞬間をもう一個の次元に繋げる。
一瞬がいつ訪れてもひらりと舞うことができれば美しい。
また、その一瞬の波動には、同じ波動で舞い返さなければ衣が宙になびくことはない。
音痴は、ずれていくものなんだ。
舞って生まれた風に乗る。生まれた風に舞う。倍音が一瞬を重ねて上昇していく。

225 :
俺の書いた>>213は、悪想念変換というより、想念変換装置か。
これは、悪想念創出にも使える。
というより、そういうやり方で破壊の念を自己に取り込んでいくこともできる。
そっち方面は俺の方面じゃないけど、使い道はその人次第。
善も悪も気が向くだけ訪問してみればいいんじゃないのという姿勢。
ということは、悪想念「変換」には全然近づいてないじゃ〜んか。
こんな感じで俺は俺が何やってるかよくわかってない。
まあいい。こつこつとやっていこう。

226 :
想念変換装置の使い方を書こうとしたけど、やっぱりそれはまだ無理なんだよな。
全然大したものなんかじゃないにもかかわらず。
情報が公開されていく一方、
エンドユーザーは何も知らずに、何もできずに、何もせずに、
提供者から手取り足取り、アフターサービスまで尻ぬぐいまでしてくれるのが
当たり前というバランスが出来上がってしまっている。
この状態の中、むやみに情報をぽんと出してしまうのはまずい。
情報に限らないけど、それが探求心、好奇心、欲望を刺激してしまうと、
刺激された当の本人の魂の修行が始まる。今まで通り課題と言ってもいいが。
情報が課題を開始するトリガーになってしまう。
課題が始まれば、煩悩から苦悩から苦痛から不利益から失敗・絶望など、
その当人に降りかかってくる。それをクリアするためのものだから。
しかし、エンドユーザー主義で慣らされた現代では、
当人はその類の不利益に対して提供者にクレームをつける。
クレームでは済まないことにもなる。
>>206
>現実とは、厳しいものと思う?
こういう意味では現実は厳格であり、容赦ない。
情報によってトリガーかけられたら、試練はエンドユーザーに容赦なく降りかかる。
問題が起きるのは当人の自己の中だが、エンドユーザーは自己解決ができないというスタンスなので
自己の問題を引き起こしたトリガーに責任を求めようと人間は発明したわけだ。
この辺りが、諸々の根っこなのだが、やはり各々が自分で気付くまではどうにもならない。
その時期が訪れるまでは、暗号化して、準備のある人だけが受け取れば良いという感じか。

227 :
また、誤解を招かないように丁寧に触れておくと、
探求心、好奇心、興味、欲望、恐怖を刺激されて始まった課題によって
煩悩:苦痛、苦悩、迷い、恐れ、混乱、暴走、無念、失敗、失望、絶望、破滅、他
などが降りかかってくるというのは、あくまで刺激に引き寄せられた本人が
自らの手で、自らの行動で、自らの思考で、そのような因果を作り上げ、
自らがその因果に反応する、ということであって、
どこからともなく全く無関係、無因果のものが無から創造されて降ってくるという意味じゃない。
まあ、この書き込みはコーヒーの紙コップに
「中身が体の一部にこぼれると熱くて火傷します」って書いてあるのと同じことかな。

228 :
なんだか色々と一気にわかってきたぞ。
・・・・
ほら、また未来と過去が逆になっている。
わけわからん。

229 :
よくわからないが、今生きているのは過去の俺なんだろう。
って、やばくね?この発想。
まあ、頭おかしくなりようもないくらいに把握できているからいいんだけど。
まあ、今の俺に無力を感じるのはやむを得ない。修行に励むか。あらゆる修行。
楽しいね。

230 :
今生きているのが過去の自分だとすると、
やばいな、もう・・・あああ、言い方変えないと、
もう、ロボットみたいに動いてしまっている人達もなかには・・
はい。このレスは創作文学のネタです。そんな設定のSFとかあったらなー

231 :
大丈夫。これからはやり方変える。

232 :
良く分らない人の目には、全ては運。
逆に、運を感じたら、気付きが足りない所があるのを自覚できたってことだね。
さらに、気付きもコツを掴むため。
気付き自身に目を向けると、既述だが、もう波長崩れて違う物。
俺は感覚について言っている。これはもっとスポーツみたいな感じだ。
意識の動かし方という理屈のいらない、自分が制御する部分は運動の指令だけ、
スポーツみたいに意識を「こう」動かすんだ。というようなこと。
お医者さんができるのは、自己治癒を励ますことなの。

233 :
76に聞きたい。
最近、頻繁に情報の開示を求められる。
開示することは是か非か。

234 :
俺の見解としては・・・。
今、一番感じている、まぁ当初からだが「責任」がある。あらゆる意味において。
愉快な状況は見えているが、俺は今後も絶対に許さない。何故なら・・。
革新があれば別だが・・・・、笑
自分を受け入れる、受け入れない両者が居る。後者のが多くこの図式は当初から一貫。
もちろん、客観的な立場で、有識者として、高みから物を言うこともできる。
それは偽り。ピュアじゃない。
あえてそれはやらなかったし、それを求められたにも関わらず激高
一時、念で殺そうかと考えた時期もあったが、それは幼いと思いやめた。が・・・、

支障が出た。というかバグが出た。故意と思われる。現在のままでは完遂できない。
その為に開示をすれば完遂できるが、リスクが高すぎる。
俺は昔、媒体では・・・笑
すまないね。ここは色々と厄介。全てを提示するには幼すぎる。
初めから分かっていたこと。糸が解けた時、それは敵。
敵は・・・・どうすればいい?享受すべき?
役所の方々が多いようでwwwww頭が・・・w
自己陶酔ほど恐ろしいものは無い。

235 :
開示の方法は指定されていないはず。
開示を非として要求が途絶えるのなら非でいいんじゃないかな。
開示したい衝動があるのなら、
それが破壊のためか、愛のためかは自分が決断する場所なんだろうね。
核保有国が核を打つのは自滅が目的なのか。
自分自身を愛し労れる選択が、俺に射す光の示す先かな。
決断を保留させて耐えるという選択もあると思うよ。

236 :
だから、俺は愕然としたし、唖然としたね。
えぇぇぇぇ!?って気持ちが強かったしある種、悔恨。
逆説的に予想を裏切られた。
非常に簡単なクイズで、
君もそうだけど、俺と二人しか居ないようだね。
もしこの類に居るとすれば、ミスは有り得るのか!?しかも、でかいw
↑これが最大の謎。
だから見て欲しいな。やはり、他者の意見が聞きたいが、聞くまでもないかどうか。
そこが知りたいね。

237 :
敵がいるなら、
敵と同列に立たないで自分が一個上に進化してしまえばいいじゃない。

238 :
>>235
<それが破壊のためか、愛のためかは自分が決断する場所なんだろうね。
簡単に言えば、ダウンロードパッチが30%で自動的に解凍しちゃったってこと。
衝動の理由の根幹は、恐ろし。今はフリーは危険すぎるし、
俺の真の目的は、「勘違い」(君なら意味は分かるはず。)していることを気付かせること。
「勘違い」のままに成りそう、というのと、それを助長する媒体がある。
ちなみに上からは一週間、と出てるがね。
失礼な言い方だと、暇なんだよ笑
君のことじゃないよ、ごめんね。


239 :
>>237の俺の書き込みは>>236見る前だから。よろしく。

240 :
>>237
それは、その通りなんだけどね。
そこが人間の弱さなんだよ、多分。
だからこその今の対話、と思ってくれてもいいし、これは俺なりの結論。
火のついてないタバコのポイ捨てが有りなら躊躇しないが、
勿体無いし。タバコ買ったんだから、一様は吸えよwってのがある。

241 :
>>239
あっ、そうなの!?

242 :
「勘違い」、俺が正しく捉えているかは疑問だけど、
今の俺が意識でわかる分では、ずいぶん前から手遅れくさいという感じが。
真実の問いを投げかけた時に、異論も反論も返さずに、
まるで聞こえてなかったかのような動作を取ったりする相手は
もういないのかな、と。

243 :
>>241
まあ、でも敵については、慈悲かTame(手懐け)が求められるし
さもなければ、自分が超越するしかないとは、適当に口から出てくるよ。

244 :
>>242
その意識は正解すぐる笑
だからこそ、試したかったのだが・・・。
真実の一部を提示したにも関わらず、酔ってしまったからねぇ、自分に。
<真実の問いを投げかけた時に、異論も反論も返さずに、
まるで聞こえてなかったかのような動作を取ったりする相手は
もういないのかな、と。
俺は、退化、もしくは逆走したと思うが、どうでしょか?

245 :
>>243
超越はいつでも可能だが、実行の場が限定されてるのが・・orz
慈悲か手懐けは今から?

246 :
>>242
ずいぶん前、というか、何年も前のが正解。

247 :
>>244
退化や逆走で済んでいればまだなんとかなりそうだよね。
俺の印象派的な無責任な脊髄反射解釈では、
未来の分はもう消滅してる!!ああ、どうしよう!!
という感じだった。

248 :
>>245
>慈悲か手懐けは今から?
ここは結果よりも動作ベクトルなんだろうな。

249 :
>>247
それは・・・・・良いこと?
それが正解ならいいんだが・・・。とてもそうとは・・・・。

250 :
>>249
消滅を望んだ者には敬意をはらって、意思を尊重するしかないというのかな。
なんかこんな語弊と誤解が生まれそうな言い方しか今はできないけど。

251 :
ただ、ここで重大な課題と問題点があって、
ここで消滅を望まないことが「俺」にとって良いことなのかが分からん。
それは、現時点じゃなく、将来としての意味合いが強い。

252 :
>>251
つまり、俺にとっての意味はあるのか、ということかな。

253 :
「君」が消滅を望むことが君にとって良いことなら、
今、心にわだかまりは生まれていないと思うけどね。
なにかの「結果」が失望なりをもたらすことが考えられるときは、
その失望は受け取るしかないと思うな。美味しく。
「失望」は例だが。

254 :
消滅していってる者は、すぅっと、何のしこりもなく
その状態に入り込んでる気がする。

255 :
>>253
望んではいないし、普通にオナヌーしてるしね笑
結果は「失望」じゃなくて、俺自身に与える物はあると思う。
その与える物が荷物かもしれない、という懸念はあったし、警告もあった。
それでも、運命と勝負してみた。が・・・・、という感じかな。
頑張っていいのかなぁ。
で、結局開示の是か否かについてだが、君だって全てを提示してない。
理由は書く必要ないけど。そこだよ、そこ!

256 :
ん?いなくなった?
消滅するくらいなら無心になるな。
普段は無心のままだと生活できないが。

257 :
いるよ!

258 :
出しても・・・・・、いいの?

259 :
>>255
>頑張っていいのかなぁ。
俺の師匠の言葉に逃げるが、頑張るとは言わずにやれることをやればいいと思うよ。
>で、結局開示の是か否かについてだが、君だって全てを提示してない。
なんか俺は、俺に巧妙なトリックをあらかじめかけてるみたいで、
何も知らない俺がいる。だから、知らないふりどころか、「知らない」という確信がある。
わけわからないんだが、健康な心は保ててる。
俺は比喩の駆使でいくんだろうな。そして、開示の是非よりも、
平静を保ち、朗らかに穏やかにいるだけで、もう何か伝わるとも思う。

260 :
>>258
そう便所我慢できないような波長で出すのはお下劣だな。
出すときは美しくお願いしますよ。

261 :
>>260
情報のことです笑

262 :
>>259
君の隠してる部分も出すことになりそうなんだが、
それが良いことなのか、どうか。
それと、悪用が一番怖いが・・・。
自分と社会の戦い。

263 :
知ってますよ。比喩ですよ。
情報を排出したらやっぱりお下劣ね。
情報を○○する。
で、○○の部分で美しくなる形でお願いしたい。

264 :
やっぱり、トイレ覗いてる奴がいる?

265 :
俺が何を隠しているのか、俺が知らない状態だからなあ。
でも、最近の進化のスピードには滅入っているよ。

266 :
のぞき見は犯罪だろw

267 :
>>265
俺は、進化は最近してない。
停滞期に入ったな。意図的だけど。
今は最後の晩餐みたいなとき。

268 :
最後の晩餐は、「俺決定論」からいうと避けるしかないと。
俺の宿命がその晩餐より後にある。かもしれない。

269 :
避ける?とは??
俺はそれを超えるつもりは当初からあるんだが、
避けるというと、何か違和感がある。

270 :
そう。君が審判を下さない。
この選択肢しか「俺決定論」には残されていない。(冗談まじりで言ってるよ)
俺の師匠も俺が審判下すのを阻止した。(冗談交じりで言ってるよ)

271 :
俺の場合は、俺は何時まで経っても未熟で、トゲみたいなものに流れてったんだろうな。
暖かい愛のあふれた光につつまれて、そんな気分はまるく納められてしまった。

272 :
若気の至り・・・・・ですか?

273 :
若気の至りというよりは、
自分には当たり前すぎて無視していたことが盲点になっていたんだろう。
盲点が視野に入ることで、
自分の中の一部分を丁寧に扱うだけでそれまでトゲを磨いてた因果が逆に働き出した、というのかな。

274 :
>>273
痛感した。
ありがとう。

275 :
今日は寝るは。
ありがとう、小僧の戯言に付き合ってくれて。

276 :
いやいや。
俺が師匠に言われる言葉を使いまわそう。
君はひとりじゃないから。
戯言なんかじゃなかったよ。気付きは些細なところで生まれるんだ。
おやすみ。

277 :
ありがとう、おやすみー

278 :
波動の舞で触れたジャズの即興。それは、美しいアドリブのこと。
アドリブは一期一会の場に最適化されたもの。
特有の技術分野にだけ適用できる形ではなく、何事にもアドリブで対処する。
アドリブがはまった(否:嵌った)ときは、「ゾーン」状態か。
無心で、煌めく波動が出ていることしか記憶に残ってないかもしれない。
50%は用意した物を並べながら、50%はアドリブで、
とかいうことはないんじゃないかな。
100%アドリブで生活することがいいのかな。変なステレオタイプでの生活ではなくて。
技術として見ると、波長が乱れ既に違う物。
なぜかな。技術は自分から切り離せるからかな。
技術的に超難解な複雑構造体は、とてもシンプルで一本槍な澄んだ心で置き換えられる。
同じ事ができるだろう。

279 :
紙一重という言葉、改造する必要があるかもしれない。
紙一重で分けられたものは、同一平面上(同一空間上でも可)
に存在することを強いられるので、紙一重を理解すると崩れた波長の違う物と親しくなってしまう。
意味的に波長を崩さずに理解すると、視覚イメージを遠ざけた意識にしてしまう。
イメージを放棄してしまうと、いくつかのできることを封印することになる。
そのうちに思い浮かんだら、この問題は解決しよう。

280 :
技術やファンタジーじゃないってことは、リアルだってこと。
リアルと対立するのはバーチャルではなくて、欲望の永久回帰かな。
10月15日生まれのフリードリヒ・ニーチェに開くThe Devil.のタロットカード。
神は死んだ。超人。Ressentiment。裏切りと破滅と崩壊の人生。
実体とシンボルを・・・うまく言葉にできないな。
すばらしい特攻、なのかな。よくわからない。

281 :
>>280の続き
自分に見えた光とバランスを取ろうとしてしまったのかな。
それより外の、体現の軸が均衡を司ったのかな。
さらに外から、象徴が生まれて生活して刻んだのかな。
とにかく、やることをやったんだろうな。

282 :
休符の前の音は気をつけなきゃいけないな。
なんでもいいから言葉足して、アボイドノートは休符の前から避けておこう。
でないと、次の音を勝手に乗せられてしまうから。
俺は本を読んだり体系的な知識をあまり参考にしないし、結構避けたがる。
何にも無い状態が一番何もかも有る、っていうのが好きだ。
でもたまに色々な知識に触れる。
触れている最中はもう、何もできない俺。波長が違うのね。出すときと入れるときと。
たまに本を買いあさったりする。でも読まない。置いておくだけで完了。
コレクションじゃない。ベクトルで十分。
逆に、いらん物も得てしまうのは、修行によって分別つけていかなくては。
精度や密度より大切なものがある気配。

283 :
>>282
<俺は本を読んだり体系的な知識をあまり参考にしないし、結構避けたがる。
欲求は皆強い。

284 :
欲求は人間的に解決すればいいんじゃないかな。
その欲求の存在を否定することもなく。
ただ、欲求を波動に繋げてしまうと、あんまり面白いことにはならないような。
人間的な面での本の使い方、はどうだろうな。
俺流だと、何もかもまず自分だけで作り上げる。
本を開いて、重複する点と異なる点を大雑把に把握。
その本は押し入れの中に行く。

285 :
>>284
俺がそれ以上、言うことはない。

286 :
ん。何か良い色じゃないな。
変な物に飲み込まれちゃ、だめだ。

287 :
陰の投影を外にする。
これは結局は陰陽を自己の中に保たないということか。
盛大な陰を現実社会に作り上げると、どうなるんだ?
直感で触れたように、鏡に映るものは陰。いや、それが陽なのか。
この場合、陰を見るから、より良い陰を投影するんだろう。だから、陽はどこにも映ってない。
陰と魂無しのロボットの関係は何だろう。
陰が陰を見るのだから、そこには何もない。何の陰なんだ?
やはり、光が目に見える時がくるのか。

288 :
2ちゃんの管理人のインタビューを別サイトで読んだ。
ジャガイモが育つ土地にはジャガイモを植え、
キャベツが育つ土地にはキャベツを植えるしかないだろう。
ここだったらカバラ方面を細かく分けていけばいいんじゃないのかな。
そんな命がけの特攻する人いるのかわからんが。
俺の善と悪に対する姿勢は以前の通り。
星の支配を越える人達は絶対数が少ないだろう。それでは神の視点から「面白い」は得られないだろう。
要は悪想念の投げ合いが循環なのだから、その波長が一番響く。「人間」相手の面白さはミュートされてるから。
では、情報がここで問題になるのは、「知って面白い」とかじゃ済まない類のものだからか。
知って世界が破滅するわけでもない。いきなり10億円もらったら、素行が荒れて自己破滅するようなものか。
で、匿名だから加害者は不在、というのは念では通用しないだろう。
いや、被弾ダメージ限界点無限大のこの手の救世主がいるのかもしれないが。それはその人に任そう。
光の種は適当に残せたかな。
人間に興味がない人がいる反面、俺はロボット相手に何ができるのかまだわからない。
手遅れなら、適所で今からできることをするだけ。過去を取り戻そうとはしない。
それでは、俺は気配をなくす。

289 :
ロボットには、新たなチップを入れなきゃバージョンアップしない。

290 :
何が俺にまたここで書かせているのだろうか。
真理はひとつである。真理は全てである。
真理が全てであるのは、上の2つも自己言及で含んでしまうものだ。
大体、この2方向に分かれるんだろう。分かれ方は役割分担によるもの、なのかな。
この世の法則、宇宙の法則、万物の法則、何でもかんでも、
真理はひとつの側にいれば、何か確固としたひとつの世界を絶対のものとするのだろう。
自分に降りてきたものが絶対のひとつを示すなら、それだけでやってもらわないといけない。
変な言い方だな。
例えば、その絶対のひとつの全部を聞かなければいけないのは、それを聞いた本人である。
そして、その絶対のひとつが影響を及ぼす他者は、似たような方向の世界にいるのかもしれないが、
やはり、その他者を通して本人に繋がる世界である。
さて、この辺からさらに良く分らない状態に。
俺の場合は、真理は全ての側に近いのか。
「ひとつが全部の世界」という次元が、めっちゃくちゃに重なり合っているのが普通となっている。
昔、なんか見える人に、俺の耳の辺りから左右にとんがりコーンみたいのが見えると言われたのに関係あるのだろうか。
だから?からなのか?全てはイメージというか形すらない感覚で、
言葉におこすのは俺が頑張ってやっているという。
だから、文章表現なり視覚表現なり聴覚表現なりを磨いて行かなきゃいけないのか?
真理は全て、という世界では、他人の言うこと全てを信じ、全てを嘘と捉え、
んんなんじゃこりゃ。自分一人にだけ耳を傾けるが、「知識」の類は何も聞こえない。
ちょっと違うかな。
知識が聞こえるのなら、それはかなり物質レベルの声なのか。
もっと違う言いようのないものだけが聞こえるということか。

291 :
トリップ違ってるし。まあいい。めんどいから、トリップいらない。
俺の文章のベクトル真似る人はいないだろう。

292 :
全てなら、何でもありということ、というわけじゃない。詳細はまだ不明。
まあ、全部の次元があるのなら、次元が存在できる場については何らかの共通点があるんだろう。
ただし、それらが「真理はひとつの世界」の中で同じ動作をするのかは決まってないんだろう。
要は、超複雑怪奇なそれを、そのまんまに捉える人がいるというだけだ。
何か具体的な行動を取る上では効率よくないし、
それでも、真理はひとつの人達が真理はひとつで生き抜く様に、
ありのままをそのまま生き抜く人もいるし、それもひとつの役なのか。
でも、複雑系とかとは違う気がするんだよな。向かう先が収束してるのは違う。
ここまで大きな話でなければ、万人共通するような決まり事とかは色々あるかもしれない。

293 :
要は、可能性を見いだすことができるかどうか、ということ。
そのためには、可能性を絞り、消し去る働きをする「ひとつ側」も
やれるところまでやらなければならない。
如何なる事態においても可能性を作り出せるのならば、
もうどうしようもない袋小路に叩き込まれるのが全体としては効率がいいのか。
全体側は、沢山の「ひとつ側」のチェックメイトを知ることで、
新しい可能性に気付いていく、というのか。共同作業なのは確実だろう。
こう見ると全体側は、試験前日までなーんにもやらずに遊んでる人みたいに見えるが、
そういう人間的な惰性に委ねた意識管理ではなくて、
全然関係なさそうな部分に休む暇もなく打ち込んでいるような意識なのかな。
この件は内容が薄いな。どうでも良く思える。

294 :
恐らく、これらを「決定論と自由意思」という枠組みで見るのはひとつ側。
なぜなら、なのか?思考という動作にパッキングしているから。
他の解決方法が除外される。
ということは、見たい世界が絞られている。
警戒心をほどいて身を任せられる位置が、その人の持つ波長なり色なり宿命なのかな。
しかし、現実社会はもう少し複雑な手すり棒を設けているのか。
なんか、俺の興味ない方向に進んでいるので、どうしようかな。

295 :
んんん。とある他の場所で同時刻に似たような書き込みがされている
ということは、星の影響以外考えられないのかな。
まあ、そう決定せずにさらに遠くに離れて見てみよう。
だから、何も見ずに、何も参考にせずに、無心の境地からイメージを言語化すると面白い。
こういうことを、多大な情報とキャッチアップしながら行うと、ものすごい労力がかかるはずだ。

296 :
俺のIDが数式化されているので、無駄に書き込み。

297 :
上で言った似たような書き込みのコピペ。言いっ放しでは無意味なので。
この時間帯で全板探せばもっとみつかるかもしれない。
289 名前:考える名無しさん :2008/03/09(日) 07:32:29 0
「すべての言葉は意味から作られた」何て事は当然で立証を求めるほうが可笑しいんだよ
思考の法則を論理と呼ぼう、とは言えるが論理という言葉が先に立ち後から意味を考えるなんてことは絶対にない。
物や風景などの場合には五感で捕らえたものが、その意味と成るわけだ。
川を見ずに川と言う名称がつく訳がないだろう、、
891 名前:考える名無しさん :2008/03/09(日) 07:06:05 0
チョーさんの論理を読むと十年位前の俺を思い出すよ。
皮が一つ剥けていない。
最高位のは二十歳前後の俺かな。
いずれにしても拠って立つところの検討がまったく為されていないんだよ。
決定論と非欠点論は互いに内包しあっている、というのはある唯物論者がもう一歩進めた形で五十年ほど前展開している。
チョウーさんのは五十年以上前の議論、というわけ。
まあこの現代文化環境だからなあ仕方ないところもあるけどね。
知の相対化ができていないんだ。
2ちゃんの哲学の程度が五十数年前の水準だとわかったからもう来ないよ。

298 :
宇宙のどこかからか24時間ずーっと連続して、どんどん新しい内容のラジオ番組が流れている。
この設定で、だれかSF小説を書けばいい。

299 :
2012年に、ラジオ番組が終わるということなのか?
それは、全ての別解釈を産むな。

300 :
如何なる神と神の仲が悪かろうと、
その神にとっての神まで登場してきてわけわからないことになっても、
そこに人間とかいう神と同列に立とうとする族があらそいはじめても、
ちょっとまってほしい。
どのグループに属そうが、争いたいもの達がひとつのグループとして見て取れるのは明らかだ。
戦争の敵国の国民全員が同じ意識を持っていると捉えてしまうもの達も、
ひとつのグループとして見て取れるのは明らかだ。
自己が消滅していないということは、わかることができることだ。
赤色と青色がわかる。このわかるという感触が自己の最底辺の確認可能な部分だ。
酒に酔い、自己が自己とわかる感触と、酒から冷め、自己が自己とわかる感触、
(ここ完全に俺の経験をつかっているな・・それか、俺が例を増やそうとしている)
この2つのわかる感触の違いから、双方共に自己に純粋に直結したわかるという感触からは
離れたものであることを知る、いや、知れ。(←この表現、俺の怠慢)
洗脳されることも同じこと。気付かぬうちに操られ、支配されることも同じこと。
自己に直結したわかる感触を失った時点で、全ては同じこと。
己を愛する純粋な気持ちは、自己が「わかる」ことを手放さないことだ。
その紛れもない心の中に、敵視すること、争うことなどのわかる感触はないはずだ。
何かを信じることは恐れをふさぎ込む動作にすぎない。
自己から最短でわかるということを失わないことが、
信じることも必要としない何よりも強い支えであるのは明らかだ。
(すぱっと言い切ったな〜 しかも今回に限りビューア使って書き込んでるし。よくわからん。)

301 :
色のわかるは色弱の方などに不公平な表現であった。反省。
俺がちょっと適当にやりすぎた。俺の大雑把が原因。青と赤の代わりに、○と□でもいい。

302 :
○と□では、目の見えない人に不公平な表現であった。何やってるんだ、俺。
○と□の代わりに、熱い冷たいでも、良い匂い、臭い匂いでも、こする音、叩く音でも何でも良い。
でも、狙いとしているのは、これら五感によるわかるではなく、意識的な抽象的なわかる感触だ。

303 :
いや、こんな内容で俺が最後によくわからん、って書いているのはおかしいだろ。
本当は良くわかっている。照れ隠しでよくわからんといっているにすぎない。没個性化したい願望が最後に混じっただけだ。

304 :
第三の目を開くだけでは効果がわかりにくいかもしれない。
俺の場合は、とんがりコーン(>>290)が初めから出てたのが大きかったに違いない。
しかし、言い換えれば、全てはなるようにしてなった、というだけと考えた方が自然だ。
とんがりコーンについては、きっかけに思い当たるものがある。
それが何であるにせよ、特殊なことをやってそうなったわけではない。
いや、めちゃくちゃに学業なり生活なりに果敢に挑んだことを特殊というのならば同じことになってしまうが、
これらのことは、気の持ちようで誰でもできる。
よく今まで自殺しなかったね〜とか、何か見える人に言われたことがあるが、
これは、上の方のチャクラばかり開いてたんじゃないだろうか。
狂気的な精神状態などは、そりゃあ上がったり下がったり振り回されたわけだが、
舵を取ることを放棄しないくらいの意思は、誰でも育てることはできるだろう。
毎日の生活と一時一時の身近な問題に着実に取り組むことで、
変なキラキラ魔法をくるるんとかけてもらわなくても、開けるし、悟れるし、気づける。
悟りも、よく言われる脳内麻薬系のものと、それとは違う系のものを経験したことがある。
脳内麻薬系は、状態は別の機会に書くとして、これは変なものに乗っ取られる隙を与えるだろ。
違う系は、これは確実に何かが開いたんだな。自分の過去を補完した感じか。
ものすごいストイックな努力の末に、その形而上学的な他人は全く無関係の問題の解答欄を
何百枚もを埋め尽くすような根気の末に、答えを全く別の形で導いたときに訪れた。
まあ、なんだかんだ言っても、何かが開けば、また一からやり直しの一年生なので、
社会のベテランの道を歩むのは難しい。価値観がぐるっと変わるから、今までのことを継続することにも
良心の意味合いで、考え直す必要が出てくる。今回は俺の感想文。

305 :
とある点を加速させようかな。
たとえ話。
過去に極悪邪悪を得たものが、善になったという。
ところが善行の中に、極悪邪悪で得た技法を用いているらしい。
聖なる光のもとで善に励んだ人が、悪になったという。
悪行の中には、善行で得た技法がうまく応用されているらしい。
戦火の中、生き延びたもの、漁夫の利を得たもの
自国を歩いて、敵兵と間違われ幽閉されて事なきを得たもの。
中立国の商人は、自国の兵と見られていたので、
両国に互いの物資を供給しながら、人は食うに困らなかった。
まあ、こんなもんは全て超越すればいい。

306 :
多分俺は、数学の一次変換みたいな技が使えるんだ。俺が使えるのはこれだけなのかな?
まあ、まず新技としてこ慣らしていくか、ゆっくりと。次はその後だ。
応用範囲は多岐に渡るな。しかし、見た目にはかなり地味。むしろ何も起きていない。
それ以前に使い方もよくわからない。あー、これは頭悪い書き込みだな。

307 :
わかる感触に近づくための一例。これが全てではないし、この「種」が全てでもないが、
思いつく度に例は増やしていこう。
昼下がりの喫茶店の穏やかな時の流れの中、俺の彼女が日本語の勉強を始めるべく問題集の本を開いた。
俺もその場にいるのだが、会話は英語で行っているので、このような状況が可能になる。
一面に日本語の動詞がこれでもかと敷き詰められたページを開いて、俺は彼女が圧倒されているのに気付く。
彼女は急に焦りだした雰囲気で、電子辞書を取り出し、一語一語の意味を書き込み始めた。
穏やかな時が切迫した空気にかわった。
こんなに沢山あったら無理だ、時間が足りない、と彼女は言い、電子辞書に打ち込む指が速くなる。
俺は、ちょっと待て、と作業を中断させ、彼女が情報量に圧倒されていたのを確認する。
彼女は圧倒されているのを認め、だからこそ急いで辞書を引かなければいけないと言う。
俺は、そんなことは今すぐやめて、まずその圧倒感を取り除こうと言う。
彼女は、そんなことしている暇はない、こんなに沢山やることがあるのだから、余計なことは言うなと俺に告げる。
俺は、辞書の意味なんて今は良いから、目に映る日本語の文字の羅列をただ眺めよう、と提案する。
意味の理解など放っておいて、一語一語の単語にゆっくりと目を向けて、ひとつずつ圧倒感を取り除いて、親しみを感じ取ろうと俺は言う。
そんなことしている暇はない、ああ、もう駄目だ、この喫茶店は居心地悪い、もう出よう、と彼女は席を立つ。

「わかる感触」は、目的の事柄に到達する前から使っていかなければいけない。
目的に到達できない原因を「わかる感触」で発見する。それを解消する方法を「わかる感触」で発見する。
その方法を実行するのを妨げる要因を「わかる感触」で発見する。実行結果、自分が何を得るのかを「わかる感触」で事前に知る。
この段階の例では感情についてはまだ考えない。
また、俺が直接日本語教えればいーじゃねーかというような問題は、別と考えた上での例。

308 :
逆を言うと、「わかる感触」が行き詰まった点で、物質的情報して誤認してしまう。
上の一行の文も、「わかる感触」で知ることができる。

309 :
であるので、わからないのであれば、素直に「今はわからない」と切断することが重要になる。
これができないと、気付かぬうちに何かに乗っ取られるのと同じことになる。
本物のそれは、言葉なんかでは説明できない。それを「わかった」上で、どのレベルで物質化して、
その影響がどこに及ぶかを「わかる」ことで、放出する情報の波形を整える。
もちろん、放出した情報が誤解を生むことも事前に「わかった」上で、放出直後から誤解にむけた配慮を
自分の行動ベクトルに加算する。
また、わかり続けると、言葉も発さずに行動を取るだけになる。

310 :
>>308で文字が抜けたのでもう一度書く。二度書くに値するとも思う。
「わかる感触」を手から滑り落とした時点で、物質的情報として誤認してしまう。

311 :
>>307の逆になりそうな俺の例を挙げてみよう。
何度も言うが、これが全てではないし、この類がわかる感触の全てではない。
一般的な生活に近い、とっかかりやすい例を記憶から探している。
俺が中学生のころ、母親は家庭教師をつけようと一人の中年の教師を自宅に呼んだ。
模試の結果が偏差値などと共に記されている紙をテーブルにおいて、教師と俺は面談をした。
元々、俺は家庭教師などは必要ないと考えていたが、物の流れでそうなるのなら
俺の役に立つようになってもらいたいと思っていた。
成績は中庸で、勉強に興味もなかったのだが、ひとつだけどうしても気になっている事が
あったので、その教師に質問をしてみた。
「英語がわかるという感じはどういう感じなんですか?」と俺はその時質問したと思う。
適当に暗記などで覚えて、文法覚えて、テストでそれらの知識を使い回しながら点数をとるのは
できるのだが、感触として英語をものにしたような手応えを感じることができなかったからだ。
「英語がわかるというのはね、文法を理解して問題文の読解ができれば大丈夫。
 それより君は、こっちの教科(別の教科。忘れた)の成績が良くないから、そちらをやろう。」
という返事が帰ってきた。
ああ、駄目だ、こいつわかってない。というような流れで家庭教師の話は無しにしたわけだが、
その後、全て自力で学習していくことになる。今言えば、このころから「わかる感触」を重要視していたわけだ。
教科や専門などは全く関係ない。「わかる感触」は職人の拘りとも似たようなものだが、
適用可能な分野に制限されない、人がいつでもどこでも何にでも使える力なんだろう。
もちろん、熟練となると別の話だ。

312 :
しばらく俺は内省モードで進む。
「恐れ」と「頑張り」の表裏一体構造。
恐れをなくす場合、限りなく0に近づくのだが、極小まで恐れを落としたときに
0と見誤ってしまうかどうか、これも真剣勝負の場所だ。
頑張りによる行動は、恐れを原動力にしている。
恐れが多いほど、頑張れる量は多いが、恐れの体積を超えて事を成すことはできない。
「どうしても、ここから先に手が出せない」という状態は、
頑張りが恐れの体積の境界線まで来ているのかもしれない。
恐れを無くし、頑張りが無くなり、無重力で行動を起こせる状態が皆が求めるもの。
言葉で言うように簡単にはいかない。
反比例グラフのような恐れの形は、0に近づくほど、距離が長くなる。
簡単に0にすることができない。
・・こういうことはあまりやりたくないのだが、時々、気付きの総精算でやることになる。

313 :
「どうしても、ここから先に手が出せない」という状態は、
「ここら辺りで満足だ。」という状態と現れるかもしれない。
無重力行動と頑張りによる行動は干渉し合わない。
しかし、同じ目的の行動において、意識が器用に平行線を描くのは難しいと思う。
恐れの無くしかたは、わかる感触の体得のしかたと似ているだろう。
感触の種類は異なる、俺の場合。恐れのほうが重労働。
感触の形を決めてしまわないのは、人により違うだろうから。
自分の迷路は自分で抜けることになる。ヒントは自分の中にしかない。

314 :
頑張りの根は深い。
生まれてからこのかた、今に至るまで、頑張りにより生活をしている人も多いだろう。
波長チェンジ。
無難、これが決断の決めてとなる行動は、頑張りによるものだろう。
波長チェンジ。
恐れは、必ずしも怖いという形相で確認されはしない。
波長チェンジ。
トラウマ、などと、わかる感触を働かせないで知ったつもりになれる言葉で、恐れを捉えない方がいい。
波長チェンジ。
俺の場合、恐れは、体内に、縦長の斜めになった多少曲がった棒みたいなのが、
体のどこかに釣り針みたいなのでざくっとえぐり引っ掛かっているように感じるんだが、
この感触は人それぞれだろう。この引っかかりが、行動の引っかかりに繋がっている、俺の場合。
恐れを取る完全な方法はまだ模索中だが、恐れがとれた状態をイメージすることは関係あると思う。
例えば人間は地球上でしか暮らしていないので、別の重力下での体の爽快感?をイメージできない。
恐れが取れたイメージは、生まれたばかりの頃の自分の体内の爽快感を頼りにしているのだろうか。
夢の中で、重なり合った曲線グラフみたいなのがいくつかグシャン、グシャンと小刻みに移動を続けて、
映像よりも深い情報や、特に不快な感情を覚えることがある。これが俺のいつも言っているベクトルにかなり近い存在に思える。
直感的に、これは恐れに関係あると感じる。

315 :
恐れをなくし、頑張りをなくすために使う想念は、
「頑張ることを一切辞めてしまっても、頑張っていたときの行動は取ることができる」
というものだろうか。
「全て失っても、あなたのしていくことは何もかわらないよ」
というものだろうか。
性能的に考えると、とにかく行動の到達できる上限や範囲を広げることがフォーカスのあたる部分だ。
これは>>307の例を真に理解することが助けになる。
こういう俺も、その例を書きながら十分にそれを自身の個別ケースに活用できないでいる。
ただ、おまじないで一時的に恐れを取り払う、応急処置のようなものは、恐れ壊滅とは相容れない。
愛の光に包まれることの意味は、その一時の感触を体に覚えさせることか。
愛の光〜〜。はい、いってらっしゃい。いってきまーす。→ここから、行ってしまった人は、覚えた愛を頼りに自分の迷路を抜けるんだ。
適当だが。

316 :
恐れと頑張り、特に>>312の内容から以下のことが想像つく。
では、ものすごく頑張ってすごい事を沢山やり遂げるには、ものすごい恐怖を心に植え付ける必要があるはずだ。
頑張らないと、そこまで行けないものなのか?という疑問で、上の一行を打ち崩してかまわない。
極端にわかりやすい例は、極端な誤解を生む危険もあるが、
60階建てのビル2つの屋上から、紐1本で2つのビルを結び、その上を綱渡りするようなものだ。
恐ろしさにいきり立って、怒濤の勇気と熱意で渡りきるのが頑張り。
頑張りを無くした場合については書かない。
好きこそものの上手という諺を関連させても良い。
誤解のリスクは甘んじて受けることになる。それでも頑張るよりは良い。
ルサンチマンも恐れのひとつの形相と気付く人もいるだろう。
恐れの一番の問題は、わかる感触で恐れの形がわかったところで一段階。
次の解消の段階になかなかたどり着けないことだ。

317 :
某教の懺悔も恐れ解消の働きをするのかもしれない。
それについていくつか書きたいことがあるが、そういうのはやめる。
俺が俺流をやる上で気にかけたいのが、想念の明白さだ。
明白なベクトルで十分だと思うが、イメージなり言葉なりが補助してもいいかもしれない。
ベクトルのために、イメージや言葉の辻褄が合わなくなっても良いだろう。いや、何も出来上がってないので知らないが。
涙流して泣いてすっきりするのは、どうなんだろう。
涙の呼び起こし方によるのかな。泣く部分はあくまで結果なんだと思う。
疑いというもの。恐れのひとつの形相だが、
・・・っと。それよりも、
某脳科学者が、現代人にとって恐怖を感じることがストレス発散になると言っていたな。
これは、面倒臭いな。現在頑張りで生きていることが前提となると俺は思う。
これは根底の恐れと、単発の恐怖の相対関係によって、どうにかなるんだろう。証明が目的ではないので、適当に進めていく。
もちろん、俺を含めほとんどの人が頑張りをどこかに持って生きているので、
普遍的な法則と言ってしまうこともできるんだけど、
それに則ってしまっては、頑張りをなくすことはできない。
悪循環とは言わないが、ある種の波長の上で規定された法則に従えば、
それは全て普遍的な法則となるのだが、その波長に個が固定されてしまう。
ロボットの人達も、これと同じようにして、ロボットになっていると言えるだろう。

318 :
普段と違うお香を焚いてみて気がついた。
いや、前から知識や表面的な体験としては知っているんだが、
この感触が意志の中核に繋がったのは今回が初めてだ。
嗅覚をうまく使うと、体内に引っ掛かった恐れの位置を移動できるのかもしれない。
一気に飛躍してみると、五感をうまく使うと、3次元より上のものを意図的に操作できる。
どういうことかな。
意識とベクトルの部分は、五感で操作できる異次元の部分の中にある、のかな。
嗅覚が、というのは、俺が普段ボリュームを下げている感覚というだけで、
人によっては五感の中の別の感覚がそれに該当するかもしれない。
まあ、アロマセラピーという体系もあるわけだが、(テラピーと呼ぶのは音痴に思える)
薬を処方すると、あらあら不思議、治っちゃいました、っていうのは
エンドユーザー主義だと思うから、その波長には乗らないわけである。

319 :
感覚操作でも瞑想でも何でもいいんだが、催眠ではない限りなくそれに類似したすべ
それが大切だと思う理由は、上の方のレスで支配という言葉が含まれる所が参考になるかもしれない。
ところで、無意識が一番強烈に繋がっている部分は家族である、
というのはどうだろうか。
これは、家族の一員ひとりひとりに良い影響を与えていくと、
自分の管轄する無意識も勝手に改善されていく、というものだ。
足の遅い人と二人三脚ならず三人四脚、五人六脚をしているようなもので、
(もちろん足の遅い人間が自分以外の人であると限った話ではない)
その中の一人だけが突っ走っても、他の構成員に負の念を生ませてしまう。
すると、突っ走る一人は、必然的に頑張らずには前に進まなくなる。
家族内の不調和が原因による事件や犯罪が何時の時代にも起きているわけだが、
くさびをつけられた足から、他の構成員を切断して、突っ走れる、というのは破壊の念の方向だろう。
それにしても、破壊の念というものは、物理的な事象が好きみたいだな。

320 :
構成員全員がムーンウォークで後退している家族の図を思い浮かべてしまった。
ええ〜〜っ、と思ったが、それも仕方ないだろう。

321 :
こんな時間に唐突だが、
あり得ないような世界が現実になってしまう強引な方法は、
あり得ないことをやってしまう人に会うことか。
これが一番強制的に凝り固まった固定概念を嫌でも取り払ってしまう。
すべてはイメージ。想像を超える事態を目の辺りにすると、それをイメージできるようになる。
実感を持って。疑いようもなく。
テレビとか映画を見て得た程度の実感じゃ、どうにもならないんだろうな。
名無し君が上で言っていた、観客を満足させるエンターテイナーが大衆の前に現れたとしたら、
それはそれは大変な事態がその後に起き始める、のか。
誰かがこういう設定でSF小説書けばいい。

322 :
逆を考えると、
最近の仮想物の氾濫は、骨身にしみる実体験を欠いてきた因果であるとも言えるわけか。
空想を現実にするには、仮想という媒体が必要になるのか。
なんだか当たり前のことを言ってるみたいだが、
イメージについてとしては、とても重要な点に思える。
ロボットは、空想が完璧に仮想の上に構築された状態か。
であるとすると、ロボットの人は、まず人間に戻るのが先決だ。
人間として当たり前の実感を体に覚えさせる。
空想とは何なのかをそのうち考えよう。
また、幻想は空想とは違う。想像は行為だ。質が違う。

323 :
暗号解読は難しい
わかろうとすることは、間違いなの?

324 :
>>323
暗号解読は、暗号を作成する立場になってみると、
暗号から何を受け取ればいいのかの感覚がつかめるかもしれないと俺は思う。
何故暗号化したかったのか、いつ、誰に、その暗号を受け取ってほしいのか、何故暗号でないと駄目なのかを
念頭に置きながら、些細な内容の暗号を自分で作ってみると、何らかの実感があるかもしれない。
間違いの是非を決めるうえで、自己ではない他人の判断を参考にするのは、
自分の中の「私君」を仲間はずれにしてしまう。
わかろうとすることに意識を向けるより、
小さな物でも「私君」がわかる事を探すように意識を向けるといいかもしれない。
例えば、桜の木という暗号が、近所の神社の境内に植えてあるとする。
小さい頃に眺めたそれから得た解読情報と、
日々の不満の中、仕事帰りに眺めたそれから得た解読情報と、
心の荷が降ろされて同じ青空でさえ新鮮な別物に見えるときに、それから得た解読情報は、
それぞれに違う情報であると思う。

325 :
>>324
ありがと。うん、すごく参考になったよ。
「情報」という言葉にも、固定概念で縛られて、身動きできなかったよ。
生きてる情報しか書いてないのかな。
暗号は、現在進行形の文字なのね。
ありがとう。また、来てもいいですか?
あと、私の知り合いの「名無し」って人からの伝言。
彼、人多すぎで来れないって。
>>317
もぎw


326 :
>>321
>名無し君が上で言っていた、観客を満足させるエンターテイナーが大衆の前に現れたとしたら、
>それはそれは大変な事態がその後に起き始める、のか。
私も、興味あります。あと、
>誰かがこういう設定でSF小説書けばいい。
これ、私が、書こうかな。
想像は、行為。
なら、想像を具現化する行為は、何?


327 :
>>325-326
君の「わかる感触」を使って決定していただいて結構です。
そして、人は君の行動が描くベクトルを読みます。
>なら、想像を具現化する行為は、何?
疑問を産めたということは、答えも自分で産めるでしょう。
わかる感触がヒットすると、
わかる度に
今まで培ってきた知恵が全て、一瞬で再構築されるイメージと爽快感を覚えるかもしれない。

328 :
>>327
ありがとう。

329 :
どうやら>>317の後半、
|もちろん、俺を含めほとんどの人が頑張りをどこかに持って生きているので、
|普遍的な法則と言ってしまうこともできるんだけど、
|それに則ってしまっては、頑張りをなくすことはできない。
|悪循環とは言わないが、ある種の波長の上で規定された法則に従えば、
|それは全て普遍的な法則となるのだが、その波長に個が固定されてしまう。
|ロボットの人達も、これと同じようにして、ロボットになっていると言えるだろう。
これ、頑張りに限らず、現在の問題点を突いているような気がする。
これでぐるんぐるんできるはず。
相対性理論を思いついた掃除のおばちゃんの話、という何かの例を書こうとしたが、
今あんまり頭が回らないので、その意志だけ忘れないように書き残しておく。

330 :
例については忘れた頃に書こう。
なんでだろうな。これに関しては前から強く思っていた。これは誰宛に書いているわけではないが。
国際情勢、国内でもいいのだが、そのような情報に翻弄されて
自分のやることから目を離す隙や暇が生まれることは、支配されているのと同じこと。
全くもってわかる感触が使われてない。
>>208の中段で書いた
>異国の喫茶店のテーブルで、異国の人が異国の言葉を互いに発している。
>奇妙な光景。大きな声で笑っている。声を荒立てて口から何かを発している。
>一体何をしているのだろう。目に入る絵と耳に入る音をぐるぐる巻きにして、一人で感情発している。
こういう状態だ。
>>322の重要性が高いな。
「わかる感触」の前に、「仮想の現実視」を剥がさないとだめか。

331 :
ウウム
どうせ足元のことをするのが精いっぱいなのだ。

332 :
>>331
足元のことは大切だと思う。
「どうせ」という部分、自分以外の別の物・人を天秤にかけたような位置から
自分の思いを作ってしまうのは、自分自身に対して失礼ではないかと俺は思う。
これは、(私は)が省略されていると捉えた場合。
次に、(お前は)が省略されていると捉えた場合。
足元のことこそが最重要なので、有難いお言葉だ。
俺が書いているものは、俺自身も意味不明なものが多々あり、
頭の中で、わかる感触がいくつかフラフラと浮かんでいるところに、
たまに、これだ!と気付いた一瞬に浮遊物を一直線に連結してざっと書き残す
というような感じです。
俺の彼女は俺をキチガイと呼び、最近覚えた日本語では「変な人」と呼び始め、
彼女は彼女で現実感の確保に大変なんだなあと日々感じているわけですが、
そんな普通の人である彼女を観察することでいくつかわかったことがあるのです。
目に入る、耳に入る情報を、自己に関連させて処理していると。
であるから、ある特有の単語は、彼女に関係ない事でも、彼女にまつわる過去の記憶を呼び起こさせ、
彼女は気分を悪くして、会話続行不可能という事態に陥るのです。
仕舞いには、俺が意味もなく「あ」と呟いたことに怒りをあらわしてきます。
これは俺の予測ですが、思考の裏に、なにか物語が常に展開されているのではないかと思うのです。
俺の彼女について言えば、あらゆる些細な不安の凝り固まった物が原因であるように見えます。
その状態では>>307の例のように進んでしまいます。
自然の多い大きなお寺を見に行ったり、今まで降りたことのない隣駅で下車して商店街を
歩いてみたりすることで、彼女にも幾分余裕が生まれてきたようです。
と、結論部分は書かないままですが、>331の書き込みをインスピレーションに意味不明な物を書いてみました。

333 :
心拍数を調節する生活を営むことは、自身をいたわることになる。
血圧の上がる食べ物を食べないようにすることだけが、
心拍数の維持の唯一の方法ではないと思う。
のんびりぐうたらに生活するということではない。
生活の内容は変えずに、穏やかな心拍数を保てるように、
空白の時間に新しい動作を追加していくのか。
動作数が増えるのに、心拍数は安定していくという。
より忙しくなるのに、より緩やかになるという。

334 :
>>332
「どうせ」の対象はもちろん自分のことですよ。
返事してくれてありがとう。
世の中主観で出来てるようなもんだから。
彼女の心の底まで聞きだしてみてはどうでしょう?
普通、表に出す気がない心の動きは、素知らぬ顔をしてやり過ごすものです。胸のうちがどれだけ荒れていても。
なにか一言で乱れた心をぶつけてくるなら、あるいはあなたに聞いてもらいたいという気持ちがあるのかもしれません。
喧嘩になっても責任はとりませんw

335 :
>>334
まあ、俺の彼女は俺の天敵のようなものです。
真逆の性格と価値観と能力を持っているので、一緒にいること自体も試練だと思っているわけですが、
変な言い方ですが、声の届かない相手、どんな対応をしても俺を呪ってくる相手、という感じです。
まあ、それだけ真逆なので、大抵の人はこの正反対の中間に分布されるだろうと色々な例に使っているわけです。
>喧嘩になっても責任はとりませんw
喧嘩は毎秒発生しているので問題ありません。
相手の望むことがこちらには丸見えで、それが煩悩の山だとすると、
邪念飽食の手伝いをするわけにはいかないので、困りものです。(もちろん、彼女には彼女の言い分があるでしょう。)
恐らく幼少の頃に、彼女が彼女の両親に対して持った愛の不足が根を引いているのはわかるのですが、
俺が彼女の両親よりも大きな愛を、両親という立場で彼女に与えなければいけないという、
わけのわからない解決方法に辿り着いたところです。

336 :
おっと、彼女は俺より年上です。
この事実が全てを滑稽にするのです。

337 :
確かに価値観の二極化が世間で起き始めたら、面倒臭いことになるんだろうな。
面倒を避ける一番楽な方法が、賢くなることか。
産業革命からの流れでは、物理的な面倒くささを解消する知恵が生み出されてきたが、
これからの新手の面倒くささは、何がどう面倒なのだろう。

338 :
花粉症ではないけれども、
季節がら安売りされてた洗眼液を買い、目を洗ってみた。
とてもすっきりした。
すっきりした後には、以前は随分疲れていたことが良くわかる。
疲労を疲労と自覚するのは難しいけれども、
洗眼液を急に欲しくなる気持ちにはしっかりと現れていたようだ。

339 :
>>335
煩悩を燃やしつくせ!
>大きな愛を与える
原因と方法が解ってるならいいじゃん?
飽食がさせて消えるものなら消してしまえ!
飽食の結果、もっともっとと望み始めたら・・どうなるんだろう。
つまり、ちょーガンバレ76かな。
丹波哲郎は、正反対の相手と一緒になり、お互いを調整しつつずっと暮らすのが人生の修行のひとつであると言ってたよ。
つまり、家庭の中で、ある部分では2極化を食い止めることにもなるのかも。
なんせ正反対の人と、朱に交われば赤くなる的な生活をするわけだから。
それもまた幸せの形かもねぇ。^^

340 :
>>339
正反対の相手という像は、己のエゴを浮き上がらせたり、
己が物質化して情報に起こした「答え」の有効範囲が有限であると知らしめられたりするのでしょうね。
精神的には内省の糧となる相手であり、
現実的には相反しない新たな共有価値観を見つけ出す動機になるのでしょう。
正反対の相手から学べることは多いですね。
煩悩や飽食で満たされた直後には、
短い時間であっても、煩悩が生まれるまえの空虚な気持ちを思い出すことになると俺は思います。
空虚で結構、と俺は思うのですが、その何もなさに手を余す人もいることでしょう。
であるので、何もない空虚な「気持ち空間」を、
何もないのに豊かである空間に変えるのがスマートかなと思うところです。
人の言動は、相手からの反応の受け取りまでを1セットとして
ブーメランを投げているようなものだと思います。
屈折板を置いて、新しい種類の反応に慣れてもらうことで、
個人が凝り固めた現実感も柔らかくなり、幅を広げるのではないかと思います。

341 :
>それもまた幸せの形かもねぇ。
幸せの形が見えてきたら、それを個人の宝箱にしまっておかないで
他の人にもわけてあげるのが良いのかなと思います。
わける物は、幸せが見えるまでの過程かな。

342 :
名無し君が上のほうで言っていた、情報の開示が「悪用」を招くという懸念、
この懸念については、名無し君の意見とは捉えずに、比較的一般的に行き渡った見解として考えるが、
人に情報を開示してもらわないとその情報の有用性に気がつかない人達は、
うまいこと悪用できるようになるまでに至らないだろうと思う。
まず、情報の意味を捉えられるかわからない。
次に、自己崩壊、自我崩壊などを通過するのだから、
精神的に強い、若しくは既に芯が確立されていないことにはここでとまる。
情報をまず自己の中で、そして他へ応用できるのかわからない。
ここから先、他だけを的にした精神では辛いだろうと思う。
ここまで来れば、道理に適ったことをするしかなくなる。善くも悪くも。
また、一般的見解が危険視するような「未来の悪用者」は、他人が開示しなくても、自分で発見するに違いない。
であるので、悪用への懸念は、自己を投影した自己の恐れのひとつの形相に過ぎないだろうと思う。

343 :
これは、「過保護とはなにか」という問題とそっくりかもしれない。

344 :
2ちゃんって、星の支配のもとでの、人間の感情の天気図なのだろうかとふと思う。
>>288で言われるような、情報提供者のステータスにバイアスを受けることなく、
書かれただけという情報の質を楽しむ、というのは両面マジックミラーだろ。
天気図に観測されるもの、星っぽいそれが、低気圧なのか高気圧なのか
どっちなのかは不明としても、前線は描かれるのか。。
描画される気流の閾値は、かなり高く設定(というより、そうならざるを得ないか)されているので、
四捨五入したようなメリハリのある図が浮かんでくるのか。
両面マジックミラーというのは、天気図として見た場合、情報の物質的内容などどうでも良い
ということからだが、これが成立するためには、情報の内容こそ全てと思う逆側も必要になる。
使い方、利益の得方はその人次第ということか。
星については、ゲーム的な超越によって、支配の解除ができる。
その解除の効力を維持するのは、精神的な頑丈さによる精神的な超越。
使う言葉が適当すぎるな。

345 :
俺の解析のテンションは張りが強いな。実践のテンションが心地良いか。
俺にまつわる問題なのか、解析という動作にまつわる問題なのか突き止めないが、
心地良いに、こしたことはないな。
そうすると、ほら、愛の光が差し込んでいるのが見える。

346 :
掲示板をぼんやりと眺めていたら、ひとつ閃いたことがある。
ここ数年で記号的な意味を持ちはじめた、自己に反射する鏡として作用する「w」。
笑のWからきたものではあるが、視覚的な作用としてはアジテーションを促すのだろうと思う。
これは、
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
サイン波として見れば、振幅の激しさが理屈でもわかる。視覚的には心拍数に直接作用する。
視覚的な言霊効果解除を「w」に施すとどうなるか。
草を苅るAAを添えるという文脈を利用した回避もあるのだが、別の方法を試してみる。
まず、単発レスによるサンプルを用意する。

347 :
>>346
記号的な意味wwwwwwwwww

348 :
記号的な意味wwwwwwwwww
記号的な意味vvvvvvvvvvvvvvv
記号的な意味〜〜〜〜〜〜〜
記号的な意味―――――――
記号的な意味_______
記号的な意味
記号的な意味。

349 :
>>348のものが回避用のものだが、効率的に働くかどうかはまだ疑問だな。
シーケンスを発動させて自律神経を制御するアイデアなのだが、手間が掛かりすぎるうえに、
見た目もそれほど凄くない。
やっぱり魔法がキラキラくるるんぱなのには、最後の一押しの意味があるのかもしれない。

350 :
んんん。わからない。なぜにいつも突然に。
偶然に連れられて俺はルバイヤートの詩を読んでみるのか?
ルバイヤートって何?知らないんだが。それよりも何故ブラウザのブックマークに入っている?
覚えてないんだが。
ブックマークしたんだろうとはうっすら覚えているが、その行動前後の流れがどうでもいいものになっている。
だから覚えてない。
先入観皆無、それ以前に予備知識無し。新たな情報に触れる準備は万端、とか言いたいんだろうか。
恐れについて色々書いてはいたが、こういう訳のわからない衝動にも警戒してしまう。
この警戒が何なのか、わかる感触で確かめようと思っても・・・駄目だ。さっさと読めよこのやろう、という
ドミナントコードみたいな傾きが優先される。なんか不本意なんだよな。

351 :
読み始めて、いきなりなにか、こいつ、やりやがったな、というような気配がする。
解き得ぬ謎
という詩のページのブックマークだったようだ。
序盤斜め読みでベクトルはわかったからこの書き込みをしているのだが、
この後、腰を据えて読むのかな。
なんで、こういう方面に進んでいくんだろう。例えば、このルバイヤートが突然浮上してきたりとか、
あまり俺の意志によるものだとかは言いたくないなあ。
さて、「謎を解こうとしても無駄」とかいう表面を持った詩をこれから俺は解読するのだろうか。
こういう「シナリオ通り」みたいな流れが訪れると、いつもギャグマンガみたいな生活だなと思ってしまう。
滑稽さが背押しするのはある。滑稽なのが好きなんだろう、多分。

352 :
まず、おもむろにウィキペディアで調べてみる。
大した情報を求めてるわけではないので、噂程度で十分。
ペルシアのダヴィンチですか。
ああ、また変な記号の連結が生まれた。
ダヴィンチにはちょっと思い入れがあるんですよね。
先入観皆無が破壊された瞬間です。
その反面、2ちゃん的な言い方をすると、何かフラグのような物がばんばん立ち始めている。
額の真ん中がピクンと痙攣した。一瞬。
何か俺が自分で勝手な想念作り上げているな。
で、ウィキペディアに載ってる4行x2の詩は何?
誰が何のために、そんなランダムに載せたかのように数ある長ーい詩の断片だけを載っけてるの?
と言う風に、生活を滑稽に仕上げるのはとても簡単である。
何のためにこの書き込みをしたのかは知らん。滑稽とハモってみただけだろう。

353 :
いや、とりあえず、やばいなこの詩は。解き得ぬ謎の詩は。
今この時分に現れたタイミングの良さがやばすぎる。
普通に誰がが今俺に話しかけてきたと言っても良いような具合にタイミング良すぎる言葉配置じゃなかろうか。
というか、語り口調の詩なんだな。
意味わかんないのもいっぱいある。楽しく思えてしまうのが、してやられたような気分だ。

354 :
これはすぐには抽出したいものを抽出できないかな。層がある。
表面的なところでは、固定された世界観、投げやり気味のトーン、開き直り
というような独特の色はあるが、大雑把に見れば読み始める前に>>351で書いた
>こういう「シナリオ通り」みたいな流れが訪れると、いつもギャグマンガみたいな生活だなと思ってしまう。
>滑稽さが背押しするのはある。滑稽なのが好きなんだろう、多分。
なんだか良くわからないが、読む前のリアルの感触が、読んだ後の詩の感触と同期しているという状態。
これはこれで良いのだが、俺が抽出するのは別の事なんだろう。
適当に放置しておいて、いつ訪れるか知らない閃きに任せる。
暇なときに眺めてれば、何とかなるだろう。

355 :
ルバイヤート、、何なんだこの強烈な鏡は。
今の感触を説明しようと思うんだが、とりあえず2重の層になっているのでどこからやろうか。
ちなみに、この2重の層は、抽出のための解読の層とは違うもの。
まず、俺は通常、何も見ないで頭に浮かぶことをこのスレに書き連ねている。
であるから、自分が口にしたことは、自分が作り上げたものである意識があるし、
作り上げた以上、その全容を知っている。わかったから放っている。
ルバイヤートを適当にゆっくり読んでいくと、「何、この俺」というような
・同じこと考えている人がいる。
・俺がこれを書いたのか?
というような困惑が生まれる。
・同じ想念体が降りてきてるのか?
・いや、人間って同じことしか考えられないんだろ。
・人間って狭いな。
このような困惑にすることもできる。
その外の層は、
・俺の理解がそのまんま、はね返ってきてるんじゃないか。
・なんという自作自演。
あまりうまく表現できていないが。

356 :
>>355で説く強烈な鏡。
しかもそれは、俺が暗号の定義とした内容。>>324で桜の木の例を用いたそれ。
俺はこの定義により、暗号は解読不可能であるという仕様を作り上げたことになる。
そこに現れる「解き得ぬ謎」から始まる四行詩。
それを解読しようとする俺。
さあ、俺が何もわかっていないことが今ここに「わかる」のである。
その、わかる→わかってない→わかる、の過程の中で「なんという自作自演」と発している。
そしてそれは、ルバイヤートの中で度々現れる「酒に酔い、愉しもう」という鏡に乱反射炸裂。

万華鏡。一滴垂らすと、全面にドバァ〜っと瞬時反映。
反映された像を万の数の鏡が瞬時反映。
もう、映像なんて見ている意味はない。うおぉぉぉ?で十分。それだそれ。
ところで誰がルバイヤートを俺に用意したんだ?俺だ俺。知らんし。なんだそれ。

うん。結構いいところまで来ている感じがする。

357 :
さらに恐ろしいことに、>>191で俺は既に
 >俺はそういうものを、読む人の読み方で変形する物体として残してみるという
 >試みをやってみようとしてるんだ。
こんなことを言っている。
わかってないのにわかってる。わかってるのにわかってない。
何にもわかってないときに全てわかっているが、
表現しようと行動するに至るまでの意識の領域には降りてきてない。
例えば今の俺、ようやく>>191の無意識状態と同等にわかることができた。
逆行しているようにも考えられるが、今は、表現することもできる。何を失い、何を得たのか。
第三の目を用いたわかる感触と知ったつもりの知識の違いとは別の次元の「わかる領域」の進退と思う。

人は「わかろうと」行動する仕様になっている。最初に全部「わかっている」という仕様であるにも関わらず。


358 :
人には自己を放棄しない限り、未来がある。
これ、「頑張る」と同曲線を描くもの。「頑張る」を選択すると最後は放棄することになる。
タロットにある塔の崩壊、その後、死そして再生。
最初は「頑張れ」。そして「R」。すると「よみがえる」。
普通に考えると、死んだ自己ともう一個の自己があるようだね。
万華鏡のなかで、これらはどうなっているのか?
大体、鏡張りの部屋の中で、壁が鏡であると認識するには光が必要。
壁に電球ぶら下がってたら、万華鏡にならない。
すると、光はどこにあるのか?

わかると楽しい。それは滑稽だ。なんだそれ?

359 :
光合成ってやばい。
笑うしかない。

360 :
>人は「わかろうと」行動する仕様になっている。最初に全部「わかっている」という仕様であるにも関わらず。
これは鉄板だな。もはや真理であろうとなかろうと、そんなものさえ凌駕する。
嘘だろうが本当だろうが、そんなことも関係ないくらいに素晴らしい鉄壁ぶりを発揮する。
人間のスペックによるボトルネックにあたるところが真実。→ならばどうしようか。←
ルバイヤートではこの辺りで終わりになるのだが、
それから七,八百年経った今、退屈凌ぎのおもちゃが尽きてきたか?どうなんだ?
一度見たドラマをもう一度みるのは、全部知っているのでつまらない?
推理小説読む前に犯人教えられたら楽しめない?
細部に目を当てて楽しみを増やす?
記憶が薄れるまで時を経たせて、もう一度新鮮に味わうのにも飽きた?
根本的に、視聴者・読者になるのをやめるのかい?
→ならばどうしようか。←

361 :
ベビーシッターは自分の中に探せばいる。
ベビーシッターがお世話してくれてることを誇りに思うのは意味不明な行為。
ベビーシッターにお世話されてる他人のお世話になる人って何なのさ。
ベビーシッターしに来たのに、我が身にベビーシッターがついているというギャグ構想。
ベビーシッターが次の学年の服を用意してくれている。
留年したら用意してくれていない。
赤ちゃん同士の会話にベビーシッターの話を含むのは変な人。
服があるのに同じ学年リテイクしてるからそんな話をしたくなる。
ベビーシッターされて恥ずかしいのかい?
恥ずかしがるからベビーシッターがついてるんじゃないか。
ベビーシッターしに来たのに、ベビーシッターしてもらって恥ずかしいことはないだろ。
恥ずかしくなかったら、こんなに馬鹿げておかしなことは他にないって思うだろうよ。

362 :
愛って何さ?
ベビーシッターしに来たのに、我が身にベビーシッターがついているというギャグ構想。

363 :
鏡張りの暗号書は解くことができない。書に実を求めることは決まっている。
鏡張りの暗号に映るものが、そのまま答えであるから。
鏡張りの暗号書は、開らかれるまで鏡であるとは知りえない。
閉じたまま、至る所に置いてあるので誰も手に取らない。

それでも解いてしまうのが暗号解読というものである。
では逆に、鏡ではない情報にはどんなものがあるか。ここは>>342にも関係してくる。
実は鏡ではない情報は非常に少ない。少ないと、意思の疎通に困るのだ。
鏡の合間をぬって、うまいことピボット運動しながら自由意志の感触を愉しむものが
仮想に凝縮されている。それは何か。万物の真理「ではないもの」だ。
我々は、良くも悪くも万物の真理である。面倒臭いから「真」と呼ぶ。この文章用のラベル。
真が真と向き合って、真真真真っっっっ!!と無限増殖無限増大していては、
意志の疎通になっていないのである。そこで真は考えた。
「俺を俺に見せてみろ!ただし、俺は俺だからお前は俺じゃない。」
適当だから精密に考えないで、進めることだけを考えましょう。これも真だと思います。
仮想がピボット運動のポイントになれるのは、真より次元が低いから
如何様にも扱うことができるためです。偽物は薄っぺらいから、ひらひらくるんくるん
引っぺがして、ぐるぐる回して、貼り付けて、プチプチつぶして、色んな弄り方ができるんです。
真が100人、向かい合えば真真真真真真ッッっっぅぁああ!!だけれども、
真が100人、仮想の低次元ウスッペラポンコツを弄くり回してみると、
真真(ryと無限共鳴する代わりに、無限通りの弄られ物体が出来上がりました。
おやおやおやおや〜?という感じです。

364 :
・・・自分で流れを止めてしまった。とりあえず、このお話はここで止めるのが良いんだろうか。
まあ、このベクトルが今後に続きを書くしおりになるだろう。
今はそれよりも鏡張りの暗号書の解読の方向だな。

365 :
頭のギアーチェンジ中。

366 :
平々凡々の普通の人が、能力者を見てみたいと思いました。(平々凡々なんて人がいるのなら)
空想したその広場には、能力者が賑わい、見せ物小屋のようでした。
平々凡々の普通の人は、やることが見あたらない休日の昼食後に、ふらっと寄ってみたいと思うのでした。
この願望は成り立たない。>>363を使って考えてみよう。
また、このような願望が持ってきてしまう未来も考えてみよう。

367 :
鏡張りの暗号書に、真理の解読を見るには、
自分が真理になること。

なんというか、当たり前だが凄いことなわけだ。

368 :
嘘でかためられた世界。
文脈を辿ると、そんな世界は自己の中に真理を見るためにあるかのように
俺に誘導尋問されていくのだが、「自分の中のわかる感触を使うしかない」ということだろう。
最近、ネット上の投稿なり送信なりフォーム書き込み欄の最後の部分に
画像形式で数字とローマ字が書かれていて、それを手動で入力する、とかいうのがよくあるが
スクリプトによるロボット書き込みを排除する、人間が目で見た文字を入力しないと送信できない、
これ、このアイデアは、暗号ロック解除の第一関門としてよく使われているのは間違いないだろうと適当に言う。
第三の目、わかる感触がそれだろう。ロボットになった人間にはわからない。
この目は、人間であれば誰でも持っている。
人間としての生活を、スクリプトに任せてロボット化していなければ、誰でもいつでも使えるはず。
大したものじゃない。ロック解除の一発目にすぎない。
どうやって第三の目に気付くのか。まあ、俺も人に開けてもらって実感の最終確認完了となったわけだけど、
どういう形で気付くのであれ、そこに向かった行動ベクトルのひとつの痕跡に過ぎない。
もう既に皆が気付いていることを、外から「それだよ」と言われれば実感と共に記号化できて物質化できるようになる。
目を開いたあとは、外から何か言われなくても自分でわかるようになる。
ということは、目ってなに?ってことだね。

369 :
>外から「それだよ」と言われれば実感と共に記号化できて物質化できるようになる
という>>368のもの、そのように気付く対象は第三の目だけではない。
煩悩も、その対象だ。
(煩悩:別にこの単語でなくてもいいんだけど、キーボードを打つ回数減らすために、2文字で済むこのラベルを使っている)
この考え方を裏っかえした意識では、「奇跡」を認識する。悲劇も奇跡。
目ってなに?という問いをそのままにしておいて、おなじ形で煩悩について見てみよう。
煩悩を実感と共に記号化できて物質化できるようになるとはどういうことか。
煩悩に最初は頑張れ、そしてR、すると復活するとはどういうことか。
煩悩を経験と共に差別化できて低次元に追いやることができるとはどういうことか。
煩悩に「っぅぅぁあ!」となって「俺は俺、お前は俺じゃない」とできて「弄くってやる」ことができるとはどういうことか。
スリムな体型の真ってなんなのか。
>>213で言った「使い道のない情報だけが外に放たれる。」
>>263で言った「情報を排出したらやっぱりお下劣ね。」
とはどういうことか。
真はどうやってスリムになるのか。

370 :
全知無能から無知全能へ移り変わる最中に、何を実感するのだろう。
というより、この馬鹿げた「全・無」はどういうことかわかっているのだろうか。
過去は今、外に展開している。未来も今、外に展開している。
何が変化すると、外が過去から未来へ、未来から過去へ変わるのか。
鏡に戻る。
真が真に無限共鳴しない場合に降りてきた。
そこでは、真が真に共鳴したいと言っている滑稽さ。
ところで、人類の暇つぶし、宇宙の解明は延命行為か。
延命乞いか。従属決意か。我を見失ったか?

371 :
真はどうやってスリムになるのだろうか。

372 :
大体俺の行動パターンは自分で読めてきた。
1.基本は何も参照せずに自力で何か思いつく。
2.思いついたものを形にまとめる。
3.どこからともなく、他の誰かによって作られた、2と同等のものが目の前に現れる。
4.2と3の相違点・相似点の確認をとることになる。
5.2と3を俺の意識から消すか、意識に残すかを選択する。
6.無心に戻る。
7.1へ行く。
この3が曲者なんだろうな。3の弄り方だけで色んな世界観を構築できる。
で、今回、目前に現れたのは、Simulated realityだ。
毎回毎回、前回前回を内包していくのか?結構退屈だ。

373 :
いや、5.は違うかもしれない。創発させて次元上昇も有りか。

374 :
>真が真に無限共鳴しない場合に降りてきた。
>そこでは、真が真に共鳴したいと言っている滑稽さ。
これだな。これの解釈を比喩にするしかなく、その比喩が物質として見える場合に
様々な低次元の争いが起きる。だからどうしたという所まではまだ浮かんでこないが。
また、これは>>372は無関係。
そしてまた、俺のやっていることは
>ところで、人類の暇つぶし、宇宙の解明は延命行為か。
>延命乞いか。従属決意か。我を見失ったか?
これを視ながら、これに当てはまるという合わせ鏡。
退屈だと言った時の意識はまだ。合わせ鏡の中にいたんだな。
どんどん訳のわからない根拠のない方面に進んでいくな。

375 :
なぜ俺が俺のやっていることをのほほんとやっていられるかというのは、
これの「次にやること」を既に決めていて、その「次のやること」へ向かっているだけだからである。
ここに行動ベクトルとは何たるかが垣間見える。
それら行動ベクトルをトレース紙に一枚一枚別々に描いて全部重ねて全部をいっぺんに見たものを
宿命と呼んでも良い。
見たものを、というか見ればどこかが真っ黒に重なっていたり、一点集中砲火されてたりする部分が
宿命と捉えられると思っても良い。
残念ながら、人の意識は「今」生まれて「今の次」死んでいる。
残念ながら、人の意識は「今」全知無能で、「今の次」無知全能になっている。
だから、「今」と「今の次」の境目で、上に飛ばす。

376 :
>真が真に無限共鳴しない場合に降りてきた。
>そこでは、真が真に共鳴したいと言っている滑稽さ。
これを真真解釈とラベルをつける。
もう一つの仮想次元が生まれるところは、真真解釈に用いる比喩によって、
(沢山の人が真真解釈に気がつき、それを各自が比喩に起こすので沢山の比喩=別解釈が生まれる)
それぞれの比喩の真偽・優劣を測定しようというところにある。
これは全く持って不毛で我を見失った次元なので、
人生をかけた暇つぶしのおもちゃとして俺は物質化してダンプする。
このおもちゃは壊しても問題ない。仮想のものは弄くられるのである。
おもちゃが壊れたら、brandnewのおもちゃを買ってくるに違いない。

377 :
おもちゃで遊びながら真真解釈に気がつき、
さらに、おもちゃは壊しても良いと気付き、
ところが、自分がおもちゃで遊んでいるという事実に
気がつかない場合、
俺が言えることは、鏡に虫眼鏡当てて覗いてみたら、目が焼け焦げる
これは仕方がない。>>188で書いた、
>でも人は、その代償こそを求め行動しているとも見て取れる。
気付くために実感するんだから仕方がない。

378 :
他人を救いたい、世界を救いたいというのは、
自分を救いたい、ということ。
ならばなぜ直接自分を救わずに、鏡の像を救おうとするのだろうか。
鏡の像を救うと、自分の像も変化すると勘違いしているのだろうか。

ちょっとニュアンスの違う比喩を使うと、
太陽は太陽系を救いたかった。
だから太陽は太陽を救った。
うはwww光合成ヤバイwwww
地球が太陽を救おうとしています。
ほら、太陽、もっとしっかりして。地球がアホになってきたよ。

379 :
今気付いたんだが、俺は名前欄に松果体スレで使っていた76を使っている。
専ブラで名前欄にマウスを持って行くと、>>76が出る。当然だ。
で、>>76番は真っ赤になっている。俺が76という名前を使うからだ。
レス番号76にマウスを持って行くと、当たり前だが名前欄76のレスが全部表示される。
>>76の書き込み内容とそれ以後が繋がっている。
偶然にしては上手いことまとめてくれたものだ。

380 :
それにしてもスレの前半部分は意味不明だな。
いや、まてよ。今も十分意味不明だ。
なぜ>>76でSOS信号と俺が言っていたのか、酔っぱらってるのもあるとは思うが不可解だ。
だが、>>379を書いた時点で>>76のSOSは補完した。ブーメランキャッチ成功。
次は、>>200
>過去の俺は何故か知っている。今の俺は知らないモードで気付き直す。
>なにこれ。
なぜ今を未来と呼ばずに過去と呼んでいるのか。そのベクトルはロボットいっぱいの方向じゃないか。
もうすでに、この過去が言う過去は別のものになっている。であるのでこの件はしばらく放置。

381 :
ああ、そうか。
過去の未来か。だから<<続かない>>なんだ。
すげえ。無意識ってすごい。

382 :
真実の問いを投げかけたときに、まるで聞こえていなかったかのような素振りを取る人は、
凄い偶然にも、その瞬間に、別の物に意識が動いてるんだ。
何度投げかけても同じ。同じ瞬間に別のものがフォーカスを奪う。
どうしよう。どうするか。できることは俺自身を変えることのみ。

383 :
逃避が意識にいない。
へらへらしてる人が怖く見える時、へらへらじゃないものが感じ取れるから怖く見える。
でも、意識の上には逃避は見えない。感情に出ないで行動だけに影響している。
無意識の逃避が「日常」か。非日常が聞こえないのが日常か。
逃避が縁遠いと、恐れをがっつり食らうのか。
日常が守られている、というより、逃避の軌跡が日常か。
恐れの対処法が2つあるのか。
わかる感触:知ったつもり→恐れの溶解:恐れ耐性
武装、耐性は逃避の形相か。
わかる感触と同じくらいの速さで恐れに無意識に気付きながら、無意識に逃避行動をとるのか。

384 :
武装をし、耐性があり、恐れに対して心拍数を上げず、別の感情を放つ。
恐れは事前に察知して、自動で回避する。
機械だな。

385 :
睡眠から目覚めるちょっと手前の、脳波がちょっと違う時、
もっと色々なズバッズバッとキレのある核心などを知っているのだが、
起きると憶えてない。
この脳波がちょっと違うとき、初めのうちはネガティブなことやうじうじしたことや
全然甘っちょろいことに振り回されるだけだと思うけど、
そのうちに、自分でそこを自由意志空間にすることができる。
キレの良い何かの真理かのような相手と、うおうおうおうおうおと戯れることもできる。
でも、疲れるようなお戯れでは、まだまだ俺も青っちょろいなと思えるのである。
目を開けて、覚醒した途端に、別ムード、別人格とまでは行かないが、全く別の心具合。

386 :
でも、目が覚めたらどっと疲れを感じた、っていうのは違う。
うおうおの疲れは、起きた時点で感じない。むしろさっぱりしている。
しかし、あぁ〜、疲れたんだよな、とは知っている。
起きていきなり、肉体的な疲れを感じたなら、心身、リズムを健康にするのが良い。

387 :
もっとくどくて不可解論理みたいなことを書こうとしていたのに、
こんな健康老人みたいなことを書いていたら、さっぱり忘れた。

388 :
さて、simulated realityだが、前回魔法のように現れたルバイヤートとは違い、
事務的な「事前感の調べ」を感じている。この事前感の調べとは、>>354で経験した
>なんだか良くわからないが、読む前のリアルの感触が、読んだ後の詩の感触と同期しているという状態。
これの事を、読んだ後の前、即ち、読む前という状態でのみ用いられる予想可能な雛形として
適当に事前感の調べと言っただけだ。
ルバイヤートの時は、登場から過ぎ去るまで、幻想的だった。ここに既に何かの真理があるのだが、
ごっちゃごっちゃになって訳がわからなくなるので、
ルバイヤートの時は、それはありえない形で姿を現し、予想できない実感を残していった、と言い去るのがいいだろう。
こんな幻想的な時空を内包してしまうシム観。長いから略した。シム観=simulated reality。この文章だけのラベル。
シム観だろうが、何だろうが、仮想だったら弄くれるので、弄くれない部分を探す。
それにしか、興味はない。
事前感の調べは事務的だ。

389 :
お茶碗一杯の白米を、箸で一粒一粒食べると満腹感は増すのだろうか?ということかな。
一粒を食べ、一粒をどかし、そこに見える幾何学模様に次に箸を動かす米粒を見る。
ルバイヤートに内包されてるじゃないか。シム観。
シム観について、大した情報は得ないまま考える。偶然を活かすことが大切。
偶然を使いこなさないと、>>224で言った
>興味が沸いて情報を調べ始めた途端に、波長が崩れる。
>崩れたままでは、知れば知るほど遠ざかる一方。
人間の限界を理解していれば、何が一体蜘蛛の糸になっているのかがわかるのかな。
とある情報サインが偶然訪れる。これは情報の精密度を照査することなのか?違う。
次の偶然への踏み台としてのサインだ。偶然として現れた情報だけに、何かがある。
シム観について何を書こうとしたか、忘れた。

390 :
ルバイヤートの発祥から世に広まった成り行きも、
>それはありえない形で姿を現し
>登場から過ぎ去るまで、幻想的だった。
となっているようだ。カガミかがみグルンぐるんだね。
どうも、シム観は俺のルバイヤートの理解を求めている。
でしょ、でしょ、だってそれ、僕、シム観の手柄だもん!とか言いたそうな雰囲気である。

391 :
偶然がきっかけで吉 祥.寺という街を昨日は一日中歩き回っていたのだが、
俺は初めてこの街に訪れたわけだ。
この街は俺の知らない場所であって、ひとつだけ前から頭にあったことは、
知り合いの外国人が、日本に住むという上で、妙にこの街に拘っていたということだ。
外国人が短期・中期滞在先として選びたい都市とは何か?これは、日本人が外国滞在の
時にも同じことが言えるものだが、なぜそこに?何を求めて?という問いの投影先になる。
具体的な街の事とか頭にないので、また、上の問題も突き詰める気もないので、
一気に飛躍した比喩としての問いに起こしてみると、「駆け落ち先はどこがいい?」というものだ。
色々な問題を内包した疑問だと思う。
今回脈絡もなく訪れることになった偶然として、理想郷、限られた時間、夢、シム観、煩悩
これらを糸口に俺は何かを得てきたのだが、街名とか具体的なので、詳細には触れずに今までの流れに戻る。
花見会場とか不用意に歩き回るものじゃないな。偶然突然だったから準備もしてないし。
精神統一して心を清めるとするか。

392 :
シム観のドレスを脱がして丸裸にする。水を頭からぶっかけて、化粧を落とす。すると、
「本当のことは、誰にもわからないよ。」
これだけ残った。
この弄くれない真理は何だろう。
これは無という真理ではない。
「わからない」を万華鏡で覗いてみたんだろう。
「わからない」を物質化して、存在させた。名をつけた。あるはずのないものを召喚した。
言い方なんて比喩なので何でも良い。あらゆることの逆転像をシム観としてしまう。
(厳密には「逆転」ではないと思う。上手い言い方が思いついたら言い換える。)
あらゆることのそれぞれ無関係かもしれない逆転像の紐達が、
ただひとつの存在、シム観としてひとつに結わかれる。絶対的な存在となる。
>>309で言った
>であるので、わからないのであれば、素直に「今はわからない」と切断することが重要になる。
>これができないと、気付かぬうちに何かに乗っ取られるのと同じことになる。

393 :
また、
シム観が「本当のことは、誰にもわからないよ。」
というのは、シム観は相当の嘘つきだ、ということ。(ここの部分、俺の頭が追いつかない。何故かはまだ説明できない。)
いや、というか、如何せん、実体のないシム観が嘘つきである、とか、何もないのに人格があるのが
とにかく、相当にやばいわけだ。論理層から離脱して、ベクトルも切断して離脱して、離れていた方がいい。
気晴らしに別の話をしよう。
最近の俺が何か書く上で、自分の過去レスにアンカーつけることが多い。
アンカーから引用した文章は、その当時の文脈での意味ではなく、
新しい文脈での新しい意味として機能させている。書いてると勝手に思い出して引っ張り出してくる。
デュアルイメージであるのだが、この二重構造、表現するのが難しいので体現してみている。

394 :
相当にやばい、真性キチガイの「シム観」であるのだが、
そのやばさは、
「お前、今俺、シム観がやばいと思っただろ?ははは!もう手遅れだ。そのやばさはお前自身のものだ!」
こんな感じで来る。
この奈落の底から戻ってこれなくなる人もいるかもしれない。
俺はだから、まず第三の目を開けと言うしかない。
わかる感触を持ってすれば、わかる感触の存在自体が、「わからない」を物質化した怪物から守ってくれる。
それか、シム観に、第三の目までを仮想化して実装させるんだ。
俺自身、言っている意味がよくわからないが。

395 :
ロボットの国の絶対神は、シム観になるかもしれない。
神とは既に、シム観が仮想化実装を始めている対象になっている。
未来のあらゆる現象もシム観の下では、シム神の思し召しとなる。
そして、超能力、霊能力ですら、シム観の下ではシム神の思し召しになる。
わからないままでは、無理なのだ。ここから先は。

まあ、そんなことをものともせずに、俺は行くのである。
幻想を掴み、空想を相手にしない。例えば、ルバイヤートの存在も意味も、無垢なのである。
無垢さはカガミかがみグルンぐるんに見ることができる。
カガミかがみグルンぐるんは、わかる感触で見ることができる。

396 :
偶然がとまらないのも困る。シム観わけわかんないし、ここらでペース落ちるかと思いきや、
e i n s o f の文字が。
文字が偶然現れるだけならどうでも良いんだが、シム観がバトンタッチしてるような内容の流れが好きじゃない。
それに、これは、俺はこれ関係について言及しない。
であるので、次の偶然まで省略。
それにしても、良くできてるものだな。これ偶然じゃないだろ?と内心思っている。

397 :
それに、「これ」に関して、情報が英語だけになってきている。
ルバイヤート→シム観→これ、
この流れにおいて、「これ」はけっこうクリティカルな情報である気はする。
ルバイヤート→シム観→
この文脈がなければ、「これ」が活きない。というより、
今は「これ」が活きるフィルターが前提で事が進んでいる。
そして、それが「これ」そのものになる。
このレスは俺だけが理解できればいいや。

398 :
いやあ、やばいねえ。笑ってしまう。
陰は陽の影で、影は陰の影だったとか。こんなのが何重にも重なっている。
単純な関係性の表記はもはや不能。
これ=あれ、なおかつ、これ≠あれ、である。
色即是空 空即是色
なんでもありで、なんでもなしだ。
さあ、シム観が幼稚なひよっこに見えてきた。自己主張して存在を求めたシム観の落ち度だね。
これ、どう料理すればいいのか、わからないなあ。

399 :
だから、人間は、自分の落ち着く先さえ見つければ、その判断と決意改め不動の心地が、真と成るものであり、それは本来ありえないものであることを身にしみるのです。
はい。わけのわからない文章が出てきました。
ではもとの流れに戻ろう。

400 :
いや、引っ掛かるなあ。何なんだこの文章は。
当たり前に見えて、うまく咀嚼しきれない。
これ、知ったつもりでは理解不完全に終わる文章だ。
わかった場合にしても、なんか突き放されたような感じもあるし、で、じゃあ今までは?これからは?と戸惑わされる。
なんか、とりあえず、びっくりした。

401 :
これは何の比喩なのだろうか。
今まで5千円くらいの楽器だけを大切に扱ってきたところ、ふとした拍子に120万円の楽器を手に入れた。
基本的にこの新しい楽器をもってすれば、歴代の偉大な音楽家達と同じレベルの演奏ができる。
今までの古い楽器は材質もあって、綺麗に響かせるのは難しい。この新しい楽器ならば良く響く。
軽く弾いてみただけでも、信じられないくらいの音量で響き渡る。響き渡ってしまうものなんだ。
新しい楽器はとても繊細で、弾くがままの些細な表現まで可能にしてくれる。
いや、触ったもの全てが響きながら発せられてしまうんだ。
古い楽器では気にならなかった演奏ミスや、些細な表現の荒さが、
新しい楽器では、拡大されて放出していく。ありのままに、隅から隅まで、聞こえ渡る。
歴代の偉大な音楽家達は、そんなセンシティブな超拡声器を操って、素敵な音色を奏でていたんだ。
古い楽器が新しい楽器へと移り変わり、弾く者がかつてのままだとすると、どうなのか。
人前で演奏するには適した楽器。人に聞かせる音色はもう奏でられるのか。
音が大きいから防音室で練習を重ねるのが先か。古い楽器でもっと上手くなるのが先だったか。
新しい楽器は、奏でた音色を決して上手く聞こえさせるものじゃない。持つまではそう捉えることも多くある。
そんなことに関わらず、今では新しい楽器がすぐに手に入る。

402 :
人に伝わらなかった思いは、そうあるべくして伝わらなかった。
古い楽器に守られていた心象。
人に伝わらなかった思いが、その意図が無くても伝えられた。
新しい楽器が急かすものは現象。
鏡のない防音室を、鏡張りのコンサートホールに建替える人。
憧れていた。欲しかった偶像。

403 :
シム観にしてもそうなのだが、いわゆる触らぬ神に祟りなしというようなもの、
霊能者だったら吐き気がするようなもの、劇場版アキラだったらテツオのようなもの、
いわゆる、精神的な浸食を試みるもの、自縛が故の自我の液状拡大を望むもの、
とにかく切断する。とにかく離脱する。第三の目に気付く前でも、切断する。離脱する。
>>300でいう
>己を愛する純粋な気持ちは、自己が「わかる」ことを手放さないことだ。
>その紛れもない心の中に、敵視すること、争うことなどのわかる感触はないはずだ。
>何かを信じることは恐れをふさぎ込む動作にすぎない。
>自己から最短でわかるということを失わないことが、
>信じることも必要としない何よりも強い支えであるのは明らかだ。
>>340でいう
>空虚で結構、と俺は思うのですが、その何もなさに手を余す人もいることでしょう。
>であるので、何もない空虚な「気持ち空間」を、
>何もないのに豊かである空間に変える
そう、シム観などの仮想次元をピボットの支点にしてしまわずに、
無心をピボットの支点に保つようにすることで、
いくら大雨が降っていようと、暖かな昼下がりの木漏れ日が自分に照らされるようにするのである。

404 :
シム観がバトンタッチした「これ」、e から始まるそれ、を「隠陽」とラベルをつける。この文章用のラベル。
とりあえず、このラベルを作らないと話が進めにくい。我ながら絶妙なネーミングに思う。
隠陽とはきりがない、
とりあえず人間のスペックのボトルネックを越えたものになるのかもしれない。
有を求めるからボトルネックを越えてゆく。
だからピボットは「無」にしておけば良いというのが今のところの処置か。
ボトルネックを越えた有と同じ質をもつ無はボトルネック内でもイメージできるという。
もちろん、>>312で言うように、(一部改変)
>限りなく0に近づくのだが、極小まで落としたときに
>0と見誤ってしまうかどうか、これも真剣勝負の場所だ。
有るもの無いもの捏造していくより、すぱっと無に落ち着いた方が支点としては良い感じなんだろう。
ところで、隠陽についてどうしようかなとうろうろしていたところ、
自分の本棚にそれらしき英語の本を見つけたのだが、前に言ったように今まで開いて読んだことがない。
開いてみると、色々書いてある。隠陽についても書かれている。
それ以上に、これ関係の言霊によるチャクラの開き方まで載っている。
いったん本を閉じて、えい!とページを適当に開いてみれば、
名前を書いてはいけない神についてのページが開かれる。
御見知りおきを、とご挨拶なのか何なのか。
そんなことより、外でサッカーしようぜ、
という具合にルバイヤート再登場である。
404 File Not Found.

405 :
最高のタイミングで文脈に死んで頂いたので、心置きなく文脈は復活することができました。
いやいや、文章書きながら困ったところでレス番に助けられた。

406 :
暖かな昼下がりの木漏れ日が自分に照らされたら、まず先に、自分自身に感謝しよう。
感謝に言葉はいらない。
暖かな木漏れ日を照らしてくれた、そして注がれた自分に ふわっ と
言葉のない明るい光を乗せて、胸の奥から頭の先へ ふわっ と感謝しよう。
体が居心地の良さを覚えるのである。
その後は自分以外に感謝しても何しても構わない。
暖かな木漏れ日の下に。

407 :
特に>>293、それに>>290>>292あたりは隠陽について書いていたように思える。
その頃は、隠陽なんぞ知りもしない、そんなコンセプト頭にないにも関わらず。
隠陽登場での事前感の調べは、あえて書いてなかったが、「もうそろそろ勘弁」というようなもの。
自分自身でも誤解しそうな内容だったので、書かずにいた。
が、隠陽を知ってしまったので、そのやむを得ない感触は、事前感の調べによる雁字搦めを表したほうが
その雰囲気が伝わるであろうというものだ。すなわち、隠陽とは、そういうものだ。
ここで持病が発生。まじ勘弁の意識の中、俺は本棚に手を持って行き、「虜人日記」を手に取る。
そういえば、まだ読んでいなかった。
ふと、小学生の頃の記憶を思い出す。
実家の庭には、野良猫がよく集まっていた。あるとき、白い猫の親子が居すわる時期があった。
4匹兄弟くらいの子猫のなかの一匹が、外見からも未熟児のような状態で、
明らかに知能も身体能力も劣っていた。目も見えていないようだった。
それでも健気に他の兄弟の後を着いていったりしていた。
俺はその未熟児の猫がなぜだか気に入り、暇を見ては餌をあげたり、遊んであげたりした。
自転車のかごにその猫を乗せて、町内を散歩に連れていったりもした。
猫がそのことで喜んでいるとは思えないので、完全に俺の自己満足ではあった。
ある日、俺は小学校からの帰り道、自分の家の前の道路に白いものと黒いものを見た。
近寄ってみると、車に轢かれたその未熟児の猫だった。
頭がぱっくりと割れて、脳みそがむき出されていた。横たわる胴体には、損傷はみられなかった。
脳みそをくちばしで突き、細かくなった黄色い破片をカラスは食べていた。
当時の言葉にできない、怒りとも哀しみとも判別つかない感情を、今でも思い起こすことができる。
その訳のわからない感情は、その場で俺にどんな行動も取らせなかった。

俺の勘では、このレスに含んだ情報を、俺は関連させて処理することになる。

408 :
この手に取った本、まったく知らないわけではないのだが、
また、別の本の引用として使われていたりする点で馴染みはあるのだが、
直接この本を読んだ事はないので、俺にとっては新しい情報である。
とりあえず50ページくらい読んでみたが、戦時を当然に生き抜く偶然。
生き延びたのだから今ここに本として読まれているので当然なのだが、
戦火の中、リアルタイムで偶然に出会い、死を免れて、また、そんな偶然を
大事に取らずに私的なことを書き綴っている様に考えさせられる。
偶然と煩悩と加護の形を考えさせられる。
逆に、煩悩とは何であり、偶然の手前、何がその偶然を選択させたのか
著者はその何に気付くことなく、リアルタイムを偶然に通過していく。
なんか感想文みたいになってきたのでやめた。
俺の文脈の流れからすると、隠陽まで俺を持って行った「偶然」、
この「偶然」に手をつける段階であるわけだ。

409 :
右脳だけで書いてしまうと、
説明全部省略して、
逃避により作られる「日常」と、
当然により作られる「日常」の違いが、偶然に現れている。
必然という概念は今は要らないな。統計的な観点は要らないな。
逃避と当然を煩悩の形で行き来する。
他人の煩悩さえ、自分の偶然に関与する。
素直であれば良い。
例えば、素直じゃない人に対して、
ああ、この人も本当は素直に違いないから許そう、とか良心の偶像化は素直じゃない。
うわ、素直じゃないな、気分悪くなった、これが素直な対応だ。
この違いだけで、煩悩の量は違い、偶然の質も変わる。
偶然を、偶然という言葉を用いないで解釈するのが、偶然に対して俺がいつかやることだが、
今はまだ、偶然という言葉を使って周りの埃を落としていくことくらいしかできない。

410 :
賢い人と賢くない人の違いとも捉えることができる。
この場合の賢い人とはどんな人なのかというのが、>>409との関係を決める。
賢い人とは言動の一致した人。
辞書の意味的には簡単に理解できるものだが、
ちょっとニュアンスが違うのが今考えているものだ。
人は、この先どうしたい、何したい、というのを
無意識に発しているのだと思う。どのような形であれ。
この発している方向や内容と、意識的に取っている現在の行動の方向と内容が一致
していることが、今ここで言う賢い人と考えている。
賢い人は、余計な因縁を引っ張ってこないのはもちろんのこと、
適時、適所に適当な言動をしているわけだ。
鏡を見たときに、賢くない人は、異物を見る。これが、鏡の像を操作しようとする理由になる。
賢い人は、鏡を見たときに、真真解釈により近い共鳴を見るのかもしれない。
賢くない人が賢い人を見た場合、破壊または支配・操作すべき対象に見える。
賢い人が賢くない人を見た場合、反面教師と映り、自己の内省の手助けとなる。

411 :
言動の一致における現実に言動として取る内容と、
言葉や行動の表面的な意味はまた、別物だ。
これだから混沌とする。
例えば、比喩や皮肉やアイロニーなど、
裏の文脈を考慮に入れた内容と、補足文脈無しで文面として理解できる内容は違うものとなる。
どのような形であれ、無意識に発せられている方向と内容こそが言動の一致における、一致する両端であり、
・・・おおっと。俺がわけわからなくなってきた。
A=無意識、B=言動(裏文脈上の)として、A=Bと言っているのではなく、
A  =  A
 \B/   :- (through)
こんな感じか。いや、わけがわからない。くそ、どう表現すれば良いんだ。
ああ、波長を逃してしまった。ということは、この件についてはまた別の機会に。

412 :
支配欲や、権力・権威への欲望、陶酔、念願
なぜこれら「GREED」が超能力や霊能力と密接に関係するのか、ということについて
説明してみようと思うのだが、今はまだ他にやることがあるので忘れた頃に。
善い念により、能力の存在に気がつくことが望ましいが、
善いことなら今からでも何もなくても、身の回りでも、能力など使わずにも実践できるというところ。
適当な難解な比喩が思いついたら、またこれに触れよう。

413 :
やっと見れたから記念カキコ。
おひさ〜

414 :
久しぶり。元気かい?
相変わらず俺は意味不明なことをやってるよ。

415 :
ライチ紅茶なるものを飲んでみた。独特の香りに紅茶の渋みがあって良い感じだ。
>>408から続いている「虜人日記」。320ページまで読み進めてみたが、
わかりやすく一言で表してみると、この本から得られるものは俺の今までの文脈から外れていない。
人は人であるけれども、人間について何もしらない。
人間について全くわかってない意識体が、人間生活を我が儘に送って、どうだ、これが人間だ、と居直る。
桃源郷から地獄まで短い期間で移り変わる中、人類文明の縮図のような展開を走り抜ける中、
生存できずに脱落していく者達。生還者である著者は、非常時ではありえないような揺るがない精神状態で
備え持った濁りの薄い観察眼で淡々と分析していく。
もし俺が今までの文脈を作ってこないでこの本を読み始めていたとしたら、
読み得た情報の内容は全く別の物になっていただろう。役に立たないものに。
このタイミングでこの本が飛び込んできたことに、とても有難く思う。
本の後半は、著者の内省にあたる。他人の内省は常に鏡となり読み手の自己を反射する。
言いたいことが沢山生まれたのだが、他言することはない。
この本を読む人それぞれが、同じだけの言いたいことを生んでいければ、それで良い。
とりあえず、こういう類の本は、事前に持っているフィルター如何で得るものが全く変わる。
だからこそ、俺は、今俺が得れたもの、そしてその前提にあったものに感謝したい。

416 :
俺の得ることのできた、この本にこの文脈の途中で出会う、という偶然を抜きにしても、
時代的なタイミングは大きくそこにある。
(説明したものは受け取られなくなるので、なるべく説明をしないように進めるが、)
敗戦の心情が未来に投射する展望と希望、
西洋文明を物質化した50年、
今我々の持つ心情を、著者のそれと同じキャンバスに投射してみよう。
まあ、何を書いても曲解されたり政治ゴシップに流れるのは逃れられないのだが、
生存は偶然に頼るしかない。俺はこのレスに、どんな含みも込めていない。
得た知恵を、人に押しつけることも許されず、人に伝えることも許されず、
人に同じものを発見させるのも許されず、このような場合、
「この位置を掘れ」と、地面にマーキングしておくことくらいしかできない。

417 :
---
王様の耳はロバの耳の話で穴に向かって叫んだときに、音が漏れなかったら話にならない。
しかし、人は漏れない穴が欲しいときもある。そんな漏れない穴になる相手を探しても、なかなか見つからない。
全く話の通じない相手が最適だ。
それは、つまり、相手の勘違いを利用していることになる。
話が通じていないということは、相手が勘違いしているということだからだ。

418 :
---
勘違いをする相手は、理解を行動にさえ表していない。逃避の行動さえとらないということだ。
しかし、これは、「肯定」と書き、「ひてい」と読む、というようなものでもある。自他を。

419 :
>>418
本文とは関係ないんだが、やっぱり無理みたいだ。
頑張った。俺なりに出来ることは最大限やった。だけど、勝てなかった。どうしようも出来ない。
こんなに心が痛むことは初めてだ。とても悲しい。
俺は、このまま何もしないべきなの?

420 :
>>419
全部が全部の人が慈悲と手懐けで明るく朗らかに何もしないでいることが役回りではないかもしれない。
例えば、上の意味不明な文章で、シム観は脅威と思った反面、それを逆手にとって
シム観を強力な武器に作り替えて使ってしまう方法も思いついたんだけども、
俺の場合、自分の「今」を考えた上で、その方向へは進まなかった。
武器を美しく使いこなす役回りの人もいると思うよ。適当だけど。
また、能力に目を向けすぎると、自分が人間であることも忘れてしまう。
能力だけの一元論では見落とすこともふえるのでどうにもならない。
人間としての知能の高さや肉体の強さや組織力や裕福さにおける競争は、
能力が視野にあろうがなかろうが、行われるのだと思う。
それに関しては、慈悲や手懐けだけでなく、兵法や戦略も必要になるのかもしれない。
いくら慈悲や手懐けで行こうとしても、争いを無意識に認識してしまうのならば、
それら戦術は通る道なのかもね。適当だが。
少なくとも、戦場に丸裸で慈悲を・・とか言いながら突っ立っていたら、可笑しいよね。
三種の神器は、鏡と玉と剣だっけ。
今のところ、まだ鏡の使い方しか知らない、俺は。

421 :
また、まず己を救うために心が痛むこともあり、戦うこともあり、過ちを犯すことも
必要な時があるのかもしれないね。
「自分で自分を救えていない人が他人を救おうとする」のは、
「自分が他人を地獄に引きずり込む」ことに見える。
己が救われない世界にようこそ、って感じで。
仮に、自分を救い終えて他人を救う人が10人いたら、
10人皆が同じ性質で色を持っているとは考えられない。
己を救う最中で、他の人にはない自分の良いところ、
持ち前の武器が磨かれるんだろうね。

422 :
私は、あなたの文章がよく分からないときが多いけど結構好きです。
「力」と聞いて、破壊を思い浮かべるのは、なぜ?
人間は、愛だと言う。
愛によって、破壊と選別が行われるの?
「力」とは、暴力だけではないよね。
パワーかエネルギーと言った方が適切なのかな?
ここに、トンカチがあるとする。
自分の頭を叩く人、誰かを叩くために使う人、それで釘を打つ人、
何事も使いようだと思います。「力」も、「頭」も。


423 :
鏡は、私は中1のとき気付いたよ。
だって、毎日使ってるから。
鏡、言葉、愛に基づいた思考。
今のところ、私の武器だ。
ここに、時と真実を味方にしたい。
それと、空の上からのご加護。
あの人は、何を期待しているのだろう。自分の足で歩いた分しか進まないのに。
ちょっと、お借りしたよ。あなたならわかる気がしたの。またねー。

424 :
>>422-423
心配事が生まれるのは何故だろうか。
例えば、俺はホラー映画とか好きじゃないんだが、
自在にそれよりもっと怖いものを頭で想像できる。
怖いものの作り方を知っている。
それに打ち勝ちたい。しかし、打ち勝てる以上の怖いものを想像してしまう。
怖い物や作品などを作ることができる。
しかし、作ってはならないものがあるのがわかっている。
怖いものを生産して社会貢献というのは違うと思っている。
そのうちに、心の中で、一番最初に手をつけるものが、その怖いものだと気付く。
そのうちに、その怖いものを想像するのよりも、もっと限りなく想像できるものがあるのに気付く。
それは、その怖いものを無力化するくらいに強力でもある。
君の場合は、破壊などの暴力的なものが、俺で言う怖いものに当たるのかもしれない。
自分に対して破壊や暴力が襲ってきたら、また、そのような心配が残っていたら、
まだ、破壊や暴力が自分の武器であると思っているところがあるのかもしれない。
適当だが。

425 :
なんというか、発想の転換で補うのは、付け焼き刃だ。
いや、発想の転換や創造力は俺も大好きなんだけど、
自分の心に根付くものに対しては、あんまり効かない。
例えば、君の親の葬式、などを発想の転換で別物にすることはできない。
自分が強烈に想像可能なものは、
自分が乱用できるものであり、自分の最大の弱点でもあるのかな。
今の自分にとって、一番勘弁して欲しい悲惨な状況のイメージに、
なにか自分ひとりで取り組めるものがあるかもしれない。
まだ、潰していられる暇があるのだから。

426 :
ん。なにか久しぶりに変なものが俺の体にくっついた感じがある。
自分でくっつかせたのか、どっかからかくっついたのか知らないが、清めるとするか。
放っておくと、この変なものの感触に慣れてしまう。
自分に要らないものだとしても、それを味わった実感がなければ
今がどうなのか判別つかなかったりするのは、何時まで経ってもこんな感じなのだろうかね。
要らないものを味わったあとでも、またその後どれだけ迅速に対処できるかというだけで、
分別ついた後も瞬間的に再び要らないものを味わっているわけだ。
味わうことなく分別をもとに対処できるようになるのだろうか。
まあ、唐辛子を舐めないことには、辛いっていう分別はつかないわけだな。
その後、物質化された唐辛子らしきサインを予測することで回避できるけど、
その新しい個体の唐辛子の辛さは、やはり舐めてみないと分別つかないな。

427 :
よし。さっぱりした。

428 :
心配事か……
いくら便利な道具があっても、それを使う人の技術が伴わなくては、使わない方が賢明な場合がある。
それは、ユンボで隣の建物を壊しちゃダメだろ…みたいな基本的な問題だ。
どうやら私は技術試験に合格した。これは、すごいことなのだ。ユンボを操るよ!
ただ、周りから見たらハラハラドキドキなのだ。技術の証明は現在進行形なのに、みな待てないみたいね。
こいつ、失敗するんじゃね?どうしてあんなやつが試験通ったんだ?俺の方が上手く扱える。
恐れや不安は、ストレスとなり、ストレスは、違った恐怖を生む。怒りだ。
私には、資格はあるのに、資格がない。資格がないのに証拠はある。証拠はあるのに、証明できない。証明できないに資格がある。
確実ではないのだったら自分で仕事をした方が確実だ。
そのうち、人々は好き勝手に工事を始めるでしょう。それでもいい、その方がありがたい。
ただ、困ったことに今のところ設計図を知っているのは私だけみたいだ。これも力かな?
人に設計図をコピーして渡したり、説明も、中身を見せることも出来ない。伝えるとはそのまま指示となる。
大工見習いAは、棟梁になる?じゃあ、棟梁の条件てなに?
私が恐れること、それは、こういうことなのだ。今の私は何も言えない。事実は公平であり不平等なのだ。
力には二種類の作用がある。「創造」と、「破壊」である。
そして、それらは常に相対的な判断に基づき、不安定な判断は、理性より感情に傾き、合理性より合理化になる。
私もみんなも猶予期間中なのだ。私はしばらく傍観者になろうかな。みんなが何を作ろうとしているか見てみたい。
創造が破壊となる条件。力が暴力となる条件。私の怖れは、みんなの恐れ。暴力は、怖いであって恐いわけではない。
自分の死、親の死は怖い。でも、他人の死は無関心は人類共通、共犯じゃないか。これが恐いの正体かな?
武器は弱点?弱点が武器なのに。事実と傲慢の線を誰かに引いてもらいたい気分だ。
そうだね、今、暇だから、また来るよ。つまらない話を聞いてくれてありがとう。


429 :
>>427-428
これは必然かな?
認識と感性。
ここまで僕が情緒的になることが、それを事実と証明しているんだろうね。
仮釈放中の受刑者みたいな。それでも咎められているんだよね、社会に。

430 :
>>427>>428の関連性がわからない。
名無し君の言うことは、ある特有の文脈を裏に持っているので、
それを知る人にしか良くわからない。
ということは、ななしさんがその意味を理解できる人なのかな。

431 :
>>430
伝えるのは、今じゃなくてもいい。
未来になって始めて分かることもある、ということかな。

432 :
>>431
俺としては、名無し君とななしさんの事の間に
俺のレスが絡まっているということに違和感があるんだけど、
名無し君とななしさんの2人だけでは駄目なお話なの?

433 :
>>428は、>>424-745に対しての感想だよ。
私は、長文になってズラズラ書くのが悪い癖だな。
決して荒らしに来た訳じゃないよ。
あと、名無し君のレスは、正直、意味不明だ。
76さんは、わかるひとかだから、何か話したくなったの。最近つまらなくて。
お邪魔してごめんなさい。
76さんの文章は個人的に好きだから、静かにロムするよ!
あと、名無し君は、知らん。
ではでは。

434 :
というか俺は、前から名無し君とななしさんを2つで1組で1個として捉えているんだな。
なぜかわからんけど、1個なんだよ。
いや、決して失礼な意味じゃないんだけど、感覚的に。
いや、気に障ったら、前言撤回する。
>>433
静かにロムすることもないし、お邪魔もしていないから気楽にしてください。
>>431
でも、名無し君は、絶対になにかいつも伝えたい衝動を持っているんだよ。
いつも照明弾を空中に炸裂させているんだよ。

2人が仲良くなると、万事解決、世界も解決とはならないのかね?
いや、この話題に拘るつもりはないけれど。

435 :
いやいや、この訳のわからない会話の中で、俺が個人的に救われた点があるよ。
俺の彼女、天敵、強引な性格、強行突破のみが手持ちカード、超感情的、白か黒かの両極端、
要求丸呑み請求か全破壊の脅迫、頭脳不明晰、負の要因に突っ走る、事後承諾のみ、勝負好きの勝ち知らず、
こんな彼女がまたしても深刻な爆弾を爆発させたばかりで、
いや、もう面倒臭いからその全破壊の脅迫を実行してもらおうか、としていたところなんだけど、
上の会話をしていく中で、考え直す気になった。
俺が折れれば済むことだ。今、変更可能な値は、思考・感情を制御できる俺の姿勢・行動だけならば、
俺が変われば被害は最小限に抑えることができる。と考えついたところです。

436 :
>>428
一段落目は、猟銃免許保持者は猟銃を持ちたがり、使いたがる、という問題かな。
核弾頭ミサイル技師でも良い。打つための免許じゃなくて、管理するための免許とも思える。
ゲートキーパーが門の開け閉めしたがるのには疑問があるかな。
二段落目の、設計図の保持は、
・・・
ていうか、ゲートキーパーで良いんじゃないのかな?
番人は厳守する物を知っているが、それを行使するのが目的ではないような。
もし仮に、番人が番人であることに不服であるならば、
使っちゃえ、ってことなのか、番人辞めて司令塔の門を叩くってことなのか。
門番が門番であるための知恵を得た後に、司令塔に配属替えってことなのかね。
司令塔と言っているのは、それを望んでいるのだと思うから。

437 :
ここから以前の流れ。
---
>>397で言っていた隠陽についての
>ルバイヤート→シム観→
>この文脈がなければ、「これ」が活きない。というより、
>今は「これ」が活きるフィルターが前提で事が進んでいる。
>そして、それが「これ」そのものになる。
これ、オートポイエーシスっぽいな。
それ以前に、>>363で言った真真解釈の
>真が真と向き合って、真真真真っっっっ!!と無限増殖無限増大していては、
これも、オートポイエーシスっぽいな。
>>390
>発祥から世に広まった成り行きも、
>それはありえない形で姿を現し
>登場から過ぎ去るまで、幻想的だった。
>となっているようだ。カガミかがみグルンぐるんだね。
これも、オートポイエーシスっぽい。
この用語出してきた成り行きは、
もちろん、これについて俺は知らない。
さっき、哲学板を覗いてみたときに、この単語が目についたので調べてみたら、心当たりがあった
というものだ。それだけであり、だからどうしたというものもない。
これをどう発展させるかを考えると、
「実践」することで、自らこれになる。
なんか綺麗にまとまり過ぎてきているな。
まとまるということは、どん詰まり、ボトルネックの内側駆けずり回り、という感じがする。

438 :
んん。鏡=オートポイエーシスであると区切りをつけて、
玉と剣に進んでみるかな。
隠陽を突き進むのは今は辛い気がする。
三種の神器なんて単語連想で例に持ち出しただけなので、
なにか意味を求めるようなものなのか定かではないけれど。

439 :
>>224
>舞って生まれた風に乗る。生まれた風に舞う。倍音が一瞬を重ねて上昇していく。
これすらオートポイエーシスっぽいな。
んんん。これらのことからどんな仮説が立てられるだろうか。
無心になって、何も参考にせずに、言葉にできない感触を表現してみると、オートポイエーシスっぽくなる。
そして、それを実践することで、さらに倍々に跳ね上がり、麻雀の役満状態になる。
これを人は何と呼ぶのか。

440 :
>>434
確かに名無し君は、いい友人だね、仕事?のよきパートナーかな。
ただ、
>2人が仲良くなると、万事解決、世界も解決とはならないのかね?
これは、ありえないw
>>436
おお、私の下らない思いの丈をわざわざ解読してくれて、ありがとう……
うん、そういうこっちゃ。
それに、ゲートキーパーは暇なんだよね。鍵を手にした今は、物足りない。
むしろ、門番なのに、鍵を持ってなかったのが不思議だわ。
いや、私が鍵だったのか??厄介な悪霊に取りつかれたもんだ……
これは、私のひとりごと。
ああ、昔はここは難しくて意味不明だったのに、何だか面白いね。
哲学が好きな人は、何事にも美意識を求める気がするから、
せっかくの流れを邪魔してやっぱりごめんなさい。
うむ、何を話したらいいのかわからないな。
しかし、76さんが何者か気になることは変わらない。また何かあったら来るのだ!ではでは。


441 :
>>434
若い。この一言に尽きるかね。

442 :
外出する用事の傍らに、なにか本を持って行こうかと、文脈の流れも手伝って
「ある異常体験者の偏見」という本を本棚から取り出して持ってきた。
まだそれほど読み進めていないが、もはや、この流れは決まっていたかのような展開だ。
真実の問いの構造についても触れられており、別種の「目」についても興味深い。
争いと人間と、知ったつもりと欲の形、視野フィルターと真実と恐怖、
予言の構造に人間の性質、色々と考えさせられる。

443 :
>>441
俺も、名無し君は、今俺が読んでいる本の著者達くらいの年齢に思えるんだよ。
でももし、人間の身体がその精神と同等に老化しているのならば、
色々な面での「ゆるさ」が現れる。これは身体に染み込んだ物への不可逆的な進退
とも考えられるのだが、
名無し君は、新しい身体に宿る現時代の物ではない、もっと以前の精神という存在に思える。
>>442で得た知識を交えると、ここでの話では「欠陥兵器」という人間の身体を使うしかないままで、
何が一体できるのであろうか、と思うわけだ。
予測可能の確定事項に従えば争いは起きない。結果がわかっていれば何をすることもないからだ。
そこで、確定数値への変換効率が魔法的な「精神力」という新たなサイコロを振り、
結局、争いを起こす構造に突き動かされている人間。
君はそれを欲望と呼ばずに「欲求」と言った。
それを得なければ存続できない、というものだ。
堂々巡りの円運動を崩してはならぬ、ということにもなる。
また、そもそも、「生存」というもの自体が、別種の「目」により脳髄に焼き付けられた拒絶反応ではないのか、と。

444 :
今のところ、とりあえず今俺に飛び込んできている本、
これについては考えさせられるばかりなので、俺の思考というよりも
本のなかから気にかかる部分を文脈に繋げていきたい。
今読んでいる本の著者が言うには、日本語では戦争は出来ないらしい。
戦争は、戦争語という言語によってもたらされるらしい。
命令をくだす責任者不在の命令語とでもいうのだろうか。
著者が「軍人的断言法」と呼ぶ詐術がそれにあたるらしい。
いくつか種類がある・・というより、この著者の独自の分析からの仮説にすぎないのだが、
その中でも、扇動の論理をつかうもの、人々の判断を規制することで、
自主的に術者が意図する決断を選ばせる、というものみたいだ。
事実、事実、問いかけ、事実、事実、問いかけ、というリズミカルに弁論することにより、
集団ヒステリーが引き起こされ、判断力低下・蓄積エネルギー増加という
エネルギー爆発寸前状態に持って行き、最後に標的を記号的に定めることで
耐えきれなくなった集団の誰かが引き金となって、一斉に爆発を開始するというものらしい。
爆発後、扇動者は騒動の煙に巻かれるように姿を消す。
書きながら怖くなる。著者は当時の見解で、イギリス人はこの扇動に罹りにくいらしい。
シェイクスピアの中で事細かにその扇動の様子が描かれており、それを既に学習しているからのようだ。
俺の今まで書いていた文章にも、人の判断力を低下させる要素があるかもしれない。
無意識にそのようなことをしてしまうのは大変なことだ。わかる感触について述べていたのにも関わらず。
扇動者が扇動者になるのは、爆発をさせ、的を攻撃するところにあると思う。
蓄積されたエネルギーを欲求不満のまま維持させずに、安らかな方向へ解放するすべはないものか。

445 :
この扇動の論理、まさしくも使う者の道徳と倫理次第となる。
美術の分野で、例えば、馬の絵があるとする。
しっぽがあり、胴体があり、足があり、首があり、
首から先は描かれていないとする。
このとき、見る者の脳は描かれていない馬の頭の部分を脳内補足し、
「馬」という絵として認識する。
ミロのビーナスが美しいと言われる由縁は、あの像に両腕が無いことがあげられるらしい。
像のとるポーズに合った腕を物理的に用意すると見栄えはせず、
両腕は見る者の想像、脳内補足させることで、美しいイメージとして記憶に残る。
この脳内補足は、扇動の論理の問いかけの部分の補足に当たり、
同じ論理を使いながら、非攻撃的な結果をもたらすことに成功している。
これらは俺の思考によるもの。
ここは本に戻る。
扇動を解除するためには、アンチ扇動とも呼べる、逆志向の扇動を、
扇動と同時に行う事が有効であると著者は言う。
ヘーゲルの正・反の構造を俺は思い出す。
しかし、ヘーゲルのように世界をこの単一構造で語るというものではなく、
あくまで扇動の動向に関してというのが俺の思うところだ。
合の向かうところもわからないままだ。

446 :
>>444にある
シェイクスピアの中で、は、シェイクスピアの作品の中で、
の書き間違いだ。
というリズミカルな、も、とリズミカルな、の打ち間違えだ。
今読んでいる本は、扇動の論理で終わることなく、さらなるものを提案している。
悪魔の論理、と著者は呼んでいるようだ。
絶対的真理にそぐわない態度・行動をしたものに、罪を犯した反省を強要するというものらしい。
この反省の強要が、判断の規制により自由意志領域が縮小したことを言われた本人に気付かせず、
やはり、自主的に術者が意図した決断を下すように働くらしい。
論の名前の由来は、聖書に出てくる悪魔による問いかけにあるようだ。
現実にこの論理が働くときには、絶対的真理ではなく、絶対化された自己が掲げられる。
できる・できない、という意思表明を請求し、言われた者はそのどちらに転んでも
倫理に反した、非人道的な罪を犯すことになるように仕向けるというもののようだ。
実例無くしては理解しにくい、俺の文章が拙いこともあるが、
探せば見つかるとは思う。
それにしても今読んでいる本、どうやら著者とどなたかの討論を一冊にまとめたもののようだ。
この本は真ん中くらいまで読んで、とりあえず置いておこうと思う。

447 :
でも、あまりにも中途半端なので一部引用してみる。
「それが正しいというのなら自らの体で生体実験をしてみろ、
 しないならば、おれの言葉を正しいとした証拠だ」
というもののようだ。生体実験とは、崖から飛び降りろとか、靴をなめろとか、
毒入りの水を飲め、などというどちらに転んでも言われた人が傷手を負うような
ものになるのが傾向らしい。
まあ、これらも論理層離脱、ベクトル離脱、切断できればいいのだが、
本に書かれているような軍隊の将校と二等兵という状況では、
離脱することすら重罪とされることが大いに予想される。

448 :
悪魔の論理の次には聖トマスの不信について書かれている。
それらは読んだが、とりあえずここらでこの本は閉じる。
出がけに抱えてきた本は2冊。一冊がこれ、もう一冊は同じ著者による
「人間集団における 人望の研究」という本。
別にこの著者が俺のお気に入りということはないのだが、文脈の流れというか、
思考の流れというか、そんな気分な俺の目が俺の本棚から感覚的に選んだ本という感じだ。
それにしても、沢山の本を買いあさる時期があり、全く読まずに本棚に置いておく、って
我ながら「揃えることで学んだつもりになっている」のかそうなのか、俺?馬鹿じゃないの?と
自分に問えるのだが、どうやらそうではない。
どうやらそうではないことを、偶然を辿るなかで感じている。
タロットカード(本)を本棚から一枚引く、というような感じか。
そのうちに、閃きに留まらず、本に留まらず、あらゆるものがその「偶然」のカードとなるのだろうか。
疑問文で終えると、上で言った扇動の論理を意識してしまって、どうもあれだな。
2冊目の本は、俺の文脈からは、誰もが第三の目を持った社会、
著者の文脈では学歴・地位・階級が意味を成さなくなる平等社会、
このデュアルイメージで俺は読んでいく。
序盤、どうもやはりなのか、ユダヤの話のようだ。

449 :
しかし、「虜人日記」がど真ん中、自身も敗戦後の捕虜生活を経験した著者が
平等社会に目を向ける、というより、
誰もが平等でしかなかった捕虜生活のなかで、著者の目に映った見逃せないもの、
無垢を実践に起こし倍音上昇することになった「質」は、
存在感大きく俺の目に映る。

450 :
「偶然」がまぐれ当たりなのか当然なのか、そんなことに驚かされるのにも疲れてきた。
そもそも如何なる文脈や俺の気分で、これから読む本を選ぶからといって、
何でもかんでも今ここで書いていることに繋げようとはしていないつもりであり、
この2冊目の本、「人望の研究」、あんまり関係のない方向へ話しが進むだろう、
気分転換の読み物になるだろう、と適当に思っていたのだが、
読んでいる途中でお茶を吹き出しそうになる。
中国思想が語られる中、眠たくなりながら読み進めていくと、
じゃあ、人望、人徳の徳ってなあに?という流れになってきた。
人徳が集団を治める、という流れである。
そこで西欧の儒教の解説書には、
「普通の能力とは異質で、同時にそれを超える特別な能力」をもってすれば・・(引用)
とあるらしい。それを著者は簡単に言い直し、
「異質の超能力をもってすれば・・」(引用)
昨今では超能力というと、スプーンを曲げたりするものに使われたりするので少々困る、と著者は言っている。
かくして、今読んでいる本は、言わば超能力についてと再定義され、再出発するという、
・・・俺の笑ってしまう驚きとその疲れとある種の幻滅は伝わるだろうか。

451 :
著者は、この”超能力”は、集団組織の支配・管理・運営(政)ができる能力、
という風に話を進めていくのだが、
俺は>>412で、
>支配欲や、権力・権威への欲望、陶酔、念願
>なぜこれら「GREED」が超能力や霊能力と密接に関係するのか
という具合に言っているのだが、
いや、ニュアンスも指すものの意味もちょっと違うはずなんだけど、
まあ、ものすごく分解していけば、繋がりがあるのはピンとくるんだけど、
俺としてはやはり不本意な連結でもある。
俺個人がそういう方面の話が好きではないことも相まって。
切り口は違う向きから、同じ対象へ。
俺の>>412はかなり不快な波長ではあるのだが。
なんかもっと適当に進みたい。偶然次第だが。

452 :
本を読むのが突然に面倒臭くなった。
今やらなくても良いことなんだろう。「九徳」の辺りでストップか。
「偶然」については探求をやめない。
別にこれといって俺から開始できることなどないのだが。
適当な言葉遊びの妄想でもしたくなった。
時間軸よりも上の次元ならば、時間軸を操作可能にするはずだ。
驚くようなまぐれ当たりの偶然は、決定論とか運命論的に捉えて言葉遊びすることもできるけれども、
俺はちょっと違うことを考えている。
過去の事象が原因で今起きる「偶然」
未来の事象が原因で今起きる「偶然」
偶然が上の次元の物ならば、簡単な理屈で説明することはできるはずはなく、
けれども、未来が原因となる、というような因果構造は可能になるはずではないかと。
妄想なんだが、俺はこの線を頭の片隅に残しておくのだと思う。

453 :
自己の未来は、他者の過去と考えると決定論的にもいけるかな。
運動を物質的にだけ捉えると未来の解釈に繋げにくいのか。
妄想のくせに、複雑でよくわからん。
ある人が木を植えた。それは、他の誰もが木を植えなかったから。
それは、木は植えられることになっていたから。
これが一応、未来と過去の事象の両方ともを原因とした形か。
しかし、まぐれ当たりの偶然が訪れたときに、それがまぐれとも言える「凄さ」というものは、
それを感じた本人、またはそう感じる他人の持つ視野フィルターが故であり、
「凄くない」偶然が訪れることを容易に推測していたからとも言える。
なんか上手く近づいていけないな。

454 :
偶然を追い続けると、しんどい。
どういうことなのか。
「それ」を偶然と捉える自己の意識は、「必然」として自己の、俺の言う「恐れ」を
選び抜いているからなのだろうか。
ダウジングと原理は一緒か。
関係ないが、先週テレビでやっていた「世にも奇妙な物語」を見た時に、これは使えると思い、
数日前に購入したホワイトボードを使いながら、番組を見ながらに
俺の天敵、彼女に決定論や運命論、それにシム観の解説をすることに成功した。
その次の日に、ダビンチの番組を偶然見かけたので、
それを利用して彼女に意思伝達の手段の解説をすることに成功した。
これを「成功」と捉えていたベクトルに過去の俺は乗っかっていたが、
その「成功」という扉をくぐり抜けたら、俺は別向きのベクトルに乗っかっていて、
今から見れば、その過去の俺は「失敗」を見事成し遂げたと言えることになる。
成功したと思っていたら失敗していた、何がどうなっているのか恐怖の片鱗を・・という部分のからくりか。
成功が予想つくということは、向きたいベクトルの念が有るから事前に成功と呼べるわけで、
恐らくその成功場面が何かのフラグ装置の可能性は普遍的に高いが、
フラグ装置を「成功」で通過後に自分が過去と同じ向きのベクトルでいられるかどうかは決定されていない。
個人的には成功でも失敗でもどうでも良いのだが、
自己の意志の向いている方向の同期先を何に合わせるか。
まあ、死ぬまで自己にベクトル持ち続けていたら不成仏霊と変わりがないじゃないかとも思うが。

455 :
>フラグ装置を「成功」で通過後に自分が過去と同じ向きのベクトルでいられるかどうかは決定されていない。
決定されていない、決定されている、戸惑うことも仕様に含まれる、
決定論      、運命論      、シム観
ここを考えることは出来ない、というのが本当のところか。
まあ、>>454最後の二行から、拘りやベクトルは無くしていけ、というのはわかる。
無くせないと言わせる感情が生まれるのなら、
その感情を料理する機会であるということか。
偶然はしんどいが、避けて通れぬ道であるか。
早いか遅いか、というか、となると、それは必然ではないか。
偶然=必然、
これを左右に分ける意識に問題あり、か。

456 :
76の言うことの意味は全て分かった。
結果論では無い、ということも。僕はその運命を流れるべくして生きてきたと。
分かっていたし、76氏も分かっていた。
だから見切りがついた。
得た。おそらく全てを得るための基盤。
陰と陽、正と負。今まではこの片方だけだったものが、両方になった。
初めから分かっていた。これはあくまで僕の為であり、誰かの為の行動ではないことも。
もう僕は縛られない。縛らない。
さて、僕はこれからどうなるんだろう?
どんな運命を辿っていくのだろう。
楽しみだ(笑)

457 :
とりあえず、名無し君へのレスは次の機会ということにして、別の事を書く。
なんていうのかな、現在進行形なのでレスをする必要も無いという言い方もできるのだろうか。
ここで書いていることなどには全く関係なく、自分の用事に必要な事を色々調べていたんだが、
大した用でもなく、パソコンにつなぐマウスでボタンが沢山ついてるやつとかを探していたんだが、
検索して色んなマウスの情報があるサイトを見ているうちに、
the Skeptic's Dictonaryというサイトのオッカムの剃刀のページに辿り着いた。
マウス情報散策からオッカムの剃刀へ。一体、どんなわらしべ長者なんだか。疲れる。
でも、まあ、ここに書くのだから、俺の文脈がバトンを渡した次なるものがこれなんだろう。
オッカムの剃刀そのものではなく、そのサイトのその情報。なにかとシンクロしている感じがあるんだろうな。
もう、この偶然について語るのさえ疲れてする気にならない。
そのページ下部にある「関連する項目:」に羅列された題目だけ見ても、俺には結構強烈に映る。
なんなんだろうね、ベクトルが様々な関連性のない情報を踏み台にしてぽんぽんぽんぽんって繋ぎ、飛び進んでいくというのは。

458 :
ページ最下端の左右のリンクさえ意味深に見える。
とりあえず俺がこれらのことから逃げようとしているのは伝わるだろうか。
逃げるというか、疲れてるときには勘弁してくれと俺は嘆いている。

459 :
そのサイトの他の項目やFAQも読んでみたが、オッカムのページ以外はどうでも良い感じかな。
逆に、他やFAQを読んだ後にオッカムのページを読んでみると、オッカムのページが上出来だったんだなと思ってしまう。
運動神経鈍そうな感覚というか、地縛霊っぽい感覚だ。
FAQに書かれている「確かなことは何もない」という命題から、「シム観」みたいな化け物に発展するモノがいる反面、
同じ命題から「懐疑論者」に身を落ち着ける、というのは、意外と眺めていて楽しいかもしれない。
これは面白いかもしれない。
「確かなことは何もない」という命題をもとに「創造」を行ったSimulated Reality。
「確かなことは何もない」という命題をもとに「破壊」を行った懐疑論。
破壊の方がちっぽけで可愛らしいという。

460 :
テスト

461 :
tesuto

462 :
助けて

463 :
久しぶりになってしまった。
記憶を辿れば、、
俺の天敵、彼女がバウハウスの展示会に行こうと言い出して、
ろくにデザイン知らないくせにバウハウスだなんてどんな風の吹回しだよと疑問に思ったが行くことにして、
案の定俺は煮え切らない悶々とした気分を抱えた状態で美術館をあとにして、
ついでに上野東照宮と谷中七福神にお参りしてきてから、なにやら風向きが変わった気がする。
俺のパソコンが壊れて使えなくなり、部品を買ってきて取り替えると別の部分が壊れ、
これが幾度となく繰り返されて、そんな状態では、しばらくネットからは離れた生活となり、
2ちゃんからは遠ざかり、別のサイクルにはまり出してきた感じがある。
さすがにこのスレ落ちてるだろ、と予想しており、
落ちていればそのまま遠ざかり、残っていれば何か書き込むか、というように考えていたのだが、
誠に残念なことにスレは残っていた。
おかしいな、地元のどこぞのお参り所で引いたおみくじは、大吉だったんだけどな。
そういえば、上野東照宮で彼女がおみくじを引き、
(俺は通常おみくじは引かない。上の大吉は風向き変更、パソコンぶっ壊れで偶然にも、しゃれで神頼みしたくなった)
そのおみくじの内容により彼女は痛いところを突かれた様子で、
俺には今まで成し遂げることの出来なかった、彼女の性格のある部分の更正が執り行われた。
日本語大して読めないくせに、そんな紙切れの謎めいた文字の羅列に何故彼女が心を動かしたのかは不明である。

464 :
はたして上野東照宮なのか、
芸大美術館までの大通り沿いにある古い木造建築物、これを一眼レフデジカメで撮ろうとしたら
なんとシャッター降りず、その後数時間デジカメ使えなくなったのだが、こっちのほうが原因か、
何であれ、とにかく、まだ色々と落ち着かない状態である。

465 :
谷中七福神ではなくて不忍池弁財天だったようだ。
弁財天だとは憶えていたが、グーグルマップで確認すると谷中七福神と表記されており、そう書いてしまった。
その後、地図を拡大してみると、違うじゃん、弁財天であってるじゃん、ということでした。

466 :
今度は彼女のパソコンが壊れた。
身の回りの物が壊れまくって生まれ変わる流れは、止められそうにないな。
金がもたない。

467 :
今度は鼻毛カッターが壊れた。眼鏡も厳しい状態になった。
なので、最寄り駅の反対側にある眼鏡屋に、眼鏡を買いに自転車で行ったのだが、
近道をしようと脇道に入っていったら、なんと道に迷った。
とりあえず勘で進んでいくと目の前に大きな神社が。○○八幡という名前の場所。
近所なのに知らなかった。ついでにお参りしてから眼鏡屋に向かった。
いつも始めてお参りする場所では、手を合わせてお初の挨拶をするだけなのだが、
ここ最近、挨拶回りが多い。

468 :
>いつも始めて
は、
いつも初めて、の変換間違い。

469 :
それにしても瞑想に入ると始まる額のジンジン感はどうにかならないものか。
これのおかげで力の入れ方をいつも確認できるという利点はあるが、以前はこんなではなかったぞ。
中高時代の毎週の座禅の時間にこんなものが現れていなくてよかったと思う。
俺自身への言葉。「離脱」は大切。風が強くてろうそくの火が消えそうであっても、
離脱して火をもとの強さに戻してさえいればよい、というようなことを俺は自分に伝えている。
火がある程度の強さで灯っていれば、ある種の「根拠のない自信」のようなものが
安堵と平穏をもたらして、何事にもポジティブにしか考えが運ばなくなる。
ある日のニュース番組に東国原氏と茂木氏が出演して、何かのトピックに大してクリップボードに書いていたが、
茂木氏が「根拠のない自信」と書いていたのを思い出す。
彼の情報源は「何」なのだろうか。文献だけでそこに的を当てるのは難しいのではないかと思う。

470 :
久しぶりに酒に酔った。
ところで、今日(もう昨日か)寝ていたら、膝あたりをトントントンって叩かれて起こされた感じがした。
そのことに不満を持ちながらシャワーを浴びていたときに首筋に触る感触が、おい、やめろよ、と。
ふと思いついたのが○○八幡にあったおきつね様の小屋?
これ、自分で悩んでないで、他人の助け借りてさっぱりしたいなとも思うが、取るべきアクションは何なのか模索中。

471 :
悪いものがついたとか、気の持ち方が屈折してきたという感じではない。
ただ、何かの歯車の回り方というか、空気というか、まあ、普通の俗的な言葉で言えば「運気」が前と違う。
前半戦終了で、後半戦は陣地替えして開始、なんか雰囲気違う、というような気分。
(空気が変わった、の比喩であり、試合とかは全く関係なし。)

472 :
台所の換気扇が壊れて、自分で直したら体調崩した。
全然関係ないが、俺は移転を繰り返すという鬱陶しい障害から長いこと抜け出せない。
このサイクルから何を学び取ることができて、どうすると課題クリアになるのか知りたい。
帰る場所がない、という問題を早々に解き明かさないと、嫌な現実になりそうだ。

473 :
表面の円形の部分を半円2つにわけて、それぞれ別の色を塗ったコマ、
それを回転させると中間混色を発生するというコマに、最近興味がある。
陰と陽が必ずしも黒と白でなくても良いとすると、別の面があるんだな。
陰と陽と弁証法と、中間混色。個々の解釈とか、合の解釈とか、そういうのはどうでもいいな。
卵子に到達する前に、変なくぼみに突進し始めてそこで朽ちる精子みたいだから。
陰陽と弁証法と中間混色の3つの色をコマにのせて回転させてみたい。
みたい、というか、この3つ同時に扱わないと、右脳が捉えているものを手から滑らせてしまう。

474 :
離脱とマイペースは似ているな。
マイペースって何かというと、生活しているときに常にテレビやラジオをつけていないこと
っていうのと似ているな。
別の話。
違う、って強く感じるのは、上で言った精子のような全面的却下、というような
そんなものがある。そんな感じだ。でも、見つけたいのは、違うと感じるものじゃなく、こいつだと感じるものだろう。
長いこと海外にいたときに、たったひとりだけ、そんな奴に出会うことができた。
そいつは俺とほぼ同年代、金色に照り輝く靴を履き、ピンクのパンタロンを纏い、黒い革ジャンの中には白いひらひらのついたシャツ、
空軍が持つようなサングラスをかけていて、長髪アフロヘアーだった。
「俺は橋の下で拾われた。」と言い、「毛むくじゃらな女性が好きで堪らない。」と聞かされもした。
キレているのは外見だけではないのは当たり前のこと。
自然と、普通の人とそうではない人についての話が始まるのは、これも当たり前のことなのかもしれない。

475 :
なあ、ここはお前のチラシの裏か?

476 :
>>475
答えるのが難しい質問ですね。
『私は「ここはお前のチラシの裏だ」と思った』という内容を口任せに疑問形としたと捉えさせてもらいます。
あなたの思ったことは、あなたの思った通りだと思います。それ以上の情報は伝わっておりません。
もし、その疑問に文面以上の意味を含ませていたとするならば、
質問の背景となる事柄が私には伝わっておりませんので、回答のしようがありません。

というような事務的な返答を用意してみたが、どうだろう。

477 :
このスレ全然落ちてくれないな。
久しぶりに酒飲んだついでに過去を振り返ってみよう。
>>441の名無し君の文章については、今現在も詳細はわからない。
名無し君が俺と結構似た思考回路=他文脈をフロントラインに持ち込む、ということくらいしかわからない。
このスレには、名無し君やななしさんを除いて2人ほど他のスレの人達が書き込んでいる。
>>475については何についての催促だろうか。外野ならばどうでもいいが。
陰と陽で別けるとすれば、俺は確実に陽になる。これに弁証法を適用すれば、反を利用して合を求めることは必然になる。
>>9辺りから名無し君は心理学を卑下しながら、心理学の環境を手に入れていることを示唆しているが、
最近俺は、認知心理学、特にアフォーダンスについて何か手がかりを見つけた感触がある。
哲学は、、関係ないが、哲学の本ってお金が勿体なくて買う気にはなれない。

478 :
アフォーダンスは認知心理学ではなくて生態学のほうだったか。
他の調べごととごっちゃになった感じがある。

479 :
コンビニに追加の酒を買いに行ったらお茶目なお客さんがいた。
酒ショーケースの辺りに俺はいたのだが、その人は横のソフトドリンクの扉を開けながら
「ぼく、これを買うんだ!」と口走っていた。
多分、酒に酔っていたのだろう。
しかし、その人の良い面だったと感じ取った。
20代後半くらいの背広を着た社会人だった。
我々の社会は、少しいびつな形をしているよな。

480 :
この短時間で俺のIDが変化しているな。俺がIPを変えたからだ。
#のコテなどつけなくても文章からすうっと入っていけば、わかるだろう。

481 :
今度は76と名前欄忘れているし。

482 :
とりあえず、ニュートラルに戻しておく。
丹田に力を入れてはいるよ。酔ってるけど。ああ、右上。よし。
皆無。ここでクリック。

483 :
酒飲んで長々と書いた文章を消して全然別の事を。
エゴとは加速度でしかない。
エゴは自己の体積や表面積などではなくて、加速度の度合いでしかない。
よって、そのエゴは誰のエゴだなんて事は簡単に言い切れない。
エゴを表現するのが自分なら、その加速度が増したときに自己に入力される外部の要因が
加速度増加の直接的な理由ではないとは言い切れない。自分が玉なら、坂があるから加速度が増すというように。
エゴが強いと言われる人は、加速度の測定結果を虫眼鏡で拡大して細密に見ている人なのだろうか。
例えばこれをエゴルールとする。このエゴルールを知っている者Aは、加速度を受け取った相手Bをぼやかして言動を出力する。
エゴルールを知っている他の人は、その人Aがぼやかした相手Bを、そのぼやかし方から理解してしまう。
エゴルールを知らない人は何が起きているのかわからない。しかし、エゴルールを知る人にとっては、
かなり明白にメッセージが飛ばされているのだと思えてしまう。

484 :
以心伝心を解明しようということなのか。
恋愛ストーリーなどによく使われる、
プロットに支配されたよくわからないテレパシックな人物の繋がりを明らかにしようということなのか。
文学や言語学的な含みや示唆によって構造的に説明できるものではない、明らかにそこにあるメッセージ。
俺がこれを書くのも、俺のせいではないということか。

485 :
そして、中和させるために冷血な冷酷な尺度を用いて、全てを自己から切り離す。

486 :
>>479で俺に「ぼく、これを買うんだ!」って言った人が
至近距離にいた俺の存在に躊躇した結果、どうすべきか瞬時に計算した結果に取った行動であるのを憶えている。
突拍子もなく頭を剃ってスキンヘッドにした俺に会った親戚が、「その眼鏡に色がついていたら、あんまり目を合わせたくないよね」
と言っていたのを思い出すが、俺は心の中で「そうなんだ。美味しそうなジュースだね♪」と囁いていた。
俺に俺の外見についての責任なんて有りやしない。それはもう天使のような微笑みで、無言で返したつもりだ。
しかし、あの場で「ぼく、これを買うんだ!」って言わなければならない状況というものを理詰めで考えてみると、
どうも俺が原因であったのは逃げて通れないように思う。
俺は北米の生活が長く、目線の使い方がちょっと違う。
目をそらさない。じろじろというより相手を最初から最後まで見続ける。
これによって、北米の人がは北米慣れしている人に気が付くというとかいうこともある。
基本的に道ばたで話しかけられる率は高くなる。目に見えないルールを知っている者同士で繋がっているということか。
肌の色でもなく、直接的に発せられている言葉でもなく、相手を判別することができる。
ところで、思ったのだが、
まあ、名無し君との話で音楽をよく例に使っていたので今回も音楽を例に取ると、
凄い演奏家が別の奏者と即興のジャムセッションをするとする。
この時に、@基本的なことA応用的なことB表現に自己を絡めた芸術的なことC超能力みたいなこと
という段階の技術を用いて相手奏者の演奏に合わせるときに、CCCCというようなことは有り得ないと思うんだ。
@@@@AAABBCという様な感じでセッションは行われるのだと思う。

487 :
俺は昔、海外の大学にいた頃に、エッセイ(論文)の書き方について独りで悩んでいたことがある。
起承転結、序・本・結論はわかった。イントロのグラバーも分った。対話の技術もわかった。
しかし、最初の一文と次の一文がどのようなものであるのかは定義しないのかよ、と。
著者のクリエイティビティに与えられた自由であるとも言えるが、そんな戯言では満足しない。
何にも無い所に突如現れる最初の一文をなぜ重要視しないのか、なぜ定義を避けるのか。
現実的な人の発する言葉、初めの一言にはとてつもなく大量の情報が含まれているのにも関わらず。
酔っぱらっている俺にはなぜこんな事を書きたくなったのかいまいちわからない。
俺の知ったことではない。

488 :
最近寒いし、思考が生産的なものに繋がらないなあ、わかっちゃいるけどどうにもならない、と感じていたのだが、
冷蔵庫にしまい忘れたタバスコがテーブルの上に置きっぱなしにされているのを見つけた。
タバスコなら、、タバスコならきっと何とかしてくれる・・!!そんな想いがよぎる。
おもむろに口に向かって数滴垂らしてみたところ、何だろうな、この電気ショックみたいな辛さは。
タバスコ舐めながら物思いにふけたりするのは無理だな。一気に夏が訪れたよ。刺激に脳みそ包まれるよ。
オレオレ詐欺につられてATMに駆け込もうとしている人なんかには、
「ちょっとまって。もう一度よく確認してみて。」みたいに抑止するんじゃなくて
「ちょっとまって。タバスコ舐めてもう一度考えて。」なんてふうにしたほうが
強制的に我に返ることができるかもしれない。
今日は良い発見をしたと思う。

489 :
火事場の馬鹿力なんだろうな。いわゆる緊急事態が訪れる。体内のことで精一杯になる。
心臓が弱い人はやらないほうが良いだろう。詳しいことはわからないが、新陳代謝の類が突如、自動制御される。
効果を確認するために沢山舐めすぎた。舌が痛い。胃が燃えている。
ミント系のガムなんかでは、電撃が走るような刺激を感じない。
机の脚に足の小指をぶつけても、飛び上がるほど痛いが思考は吹っ飛ばない。
タバスコだと、今までの気分や思考まで吹っ飛ばされる。気の通りが良くなるような、猫の全身の毛が逆立つような。
味覚ならではの伝達情報というのが気に入った。

490 :
タバスコは過度に摂取しないほうがいい。
心臓だか肺だかどこかそこら辺がピリピリ痛む気がする。しばらく経ってから、ぐったり疲れを感じる。けっこうな代償だ。
気力は充填されたまま、というのは唯一の利点か。体力を精神力に変換したような感じだ。

491 :
何故これに行き着いたのか全然良くわからないのだが、
ト.マベ.チさんという学者さんが出演しているテレビ番組の動画を見た。
今までこの人の名前は知っていただけで、実際何をしている人で、どんな業績を上げてきて、
どんな考えを持っていて、どんなしゃべり方をするのか等まったく知らなかったのだが、
「ああ、実に爽快なトークだなあ」と思った。
なんだか小学生の感想文みたいな文章だが、「爽快」これ、この言葉ひとつで良いじゃないか、という感じだ。
この人は「超天才」などと番組では表記されているのだけれど、とにかく頭の良い人ということなんだろう。
そんな人のトークに「爽快さ」を感じる。途中で解説者が分かりやすく説明を入れたりすると「不快」を感じる。
なぜだろう。そのトークのなかで、解説者による噛み砕いた補足が余計な負荷に感じてしまう。
トークの最中に司会者が何度も「理解できないから」と話をとめる。
何故とめるのか意味がわからない。今面白いところじゃないか、と俺は「不快」だ。
脳内に蓄積されている情報、記憶として脳に残しておく方法と情報として取り出してきて使う方法に、
俺の変な比喩で言うと燃費みたいなものがあるように思う。より多くを知り、より速く正確に演算し、
よりナントカカントカな性質を次々と生み出していくには、脳内情報処理の燃費が良いにこしたことはないと思った。
記憶や理解が燃費効率高く処理されれば、自ら「爽快」に感じながら次のプロセスに移れる。
この人のトーク、脳から情報を引き出して即座に言語に翻訳して口から喋る、という脳の作業を声として聞いているのだが、
その旋律に「爽快感」がある。ということは、この人はもの凄く高い燃費効率で情報を脳に入れていると考えられる。というか感じる。
個人的な話では、この人の着眼点や姿勢も、良い意味で興味深いと思った。

492 :
で、この人の話の内容を俺の自我にからめて考えると、
上の上のほうから俺が色々書いていることは、俺自身も根拠不明で思いつくことを
何だか良くわからないベクトルのようなもので串刺しにして、それに沿ったものを書き足しているという感じだが
この人の脳内情報の直接操作的なやり方のほうが、
俺の現在の遠隔操作でしかも脳出口において情報の形状は不確定というやり方よりも効率が良い、と感じた。
恐らくこれは、俺がこの人の著書なりを読むことで、俺の脳内情報をこの人風の翻訳情報に置き換えていくことができる。
しかしそれは、表面的にいえば脳にデフラグかけるようなもので、構造的には既存のデータのみを別関数で扱うようにするというだけで、
自発的に未知の情報を新しいやり方で処理していけるということにはならない。過去の記憶を整理できるというだけだ。
この辺は個人の個性と才能で割り切って、アフォーダンス的な観点からその固定要因を活かせる形に仕上げていくのが良いだろう。
このレスは完全に俺が俺自身に書いてるだけの感想文だな。

493 :
適当にこの人の著書にどんなものがあるのか、解説なりレビューなりを見回してみた。
何も読む前に何もわかりゃしないのだが、>>492に書いた
>この辺は個人の個性と才能で割り切って、
>アフォーダンス的な観点からその固定要因を活かせる形に仕上げていくのが良いだろう。
この辺をもう一回ぶっ壊してくれるような刺激を得られるかな、と思った。
ぶっ壊したあとの形は既にわかる感じがするけれども、他人の言葉から見てみたい。何冊か読んでみるか。
あの喋りに感じられる波長に、さらにギターも弾くという趣味に、脳やら洗脳やらという興味の範疇が
ちょっと個人的に同調せざるを得ない感じというだけで、これまったく俺個人の趣味だろうな。
自己啓発本には興味はないけれど、あの脳みそが吐き出す文字の旋律を観察してみたい。
このレスも自己宛感想文だな。

494 :
さて、
発言というものが、まるで碁盤の目に置いていくような、
境界線が作られたり、トラップが設けられたり、詰んだりもするという、論理的情報空間に打つ碁石にも思えてくるのだが、
まず上で触れた著者の本を4冊ほど手に入れた。
時系列的に一番古いものをまず読み始める。「洗l脳.原a論」という本。
何故この本の名前を挙げるのかというと、今までの俺の書いてきた根拠不明のことや、
俺が書いている根拠不明な文章が、万が一良からぬ方向へ影響があるとしたときに、
それを事前に阻止するために、一連の流れとして繋げる先、としたかったからだ。
Escキーを押す、ことを何時でも出来るようにしておくということだ。
これは別に俺が今まで邪悪なことを書いてきたなどという意味ではなく、
俺すらも予想できない万が一のケースが起こりうるとするならば、という事態に備えたことだ。
何しろ書いている俺にとっても根拠不明であるならば、
その言動の論理的帰着先など俺がわかり得ていないので、非常に危なっかしいと考えることができる。

495 :
ここで気分を一転しよう。ほわんほわんほわんフにゃんふにゃんふにゅん ぴよ♪ ぴよ♪ぴよ♪☆
で、話戻ると、
この著者の本を読む傍ら、このスレとか全然関係なく同時進行で読んでいる本があるのだけれどね、
「内なる画家の眼」という本なんだが、要は右脳と左脳のギア変換のクラッチを習得するというのが
いわゆる絵を描くためには必要な脳内作業であるというような。ここではどうでも良い話なんだけどね。
俺の「根拠不明」は、右脳に比べて著しく低性能な俺の左脳、という辺りになにかある、と踏んでいる。
というより、アクセル踏むタイミングと、そのとき入っているギアの関係に、修正が必要である、と。
さらにいえば、エンストしまくりである。
そんな俺がこの著者について何を読み取ったかというと、
「絶対的なACCURACY」
言動において不正確な要素は作らない。この点において一貫している。定数として存在している。
もしくは、定数+関数であり入力される変数は外部の情報であり、出力は安全なものとして成形される。
というか、自らが変数となるようなことがないように勤めている。それでいて機敏。
この人は英語を学ぶ本も書いているようだ。それらは俺は買ってないけれど、目次だけアマゾンで見た。
目次見ただけで、え!?という感じだ。なぜならば俺も独自に抽象言語を発明・構築することで英語を得たからだ。
しかし俺はエンスト野郎である。「バーカ、バーカ、バーカ。一般的な教育で学べるわけねぇーんだべよオ?」
と、抽象言語を用意してまず日本語を自己から切り離し、抽象言語をコンパイラーとして機能させ、
日本語、英語、共に同列の上級言語に配置しなおしたのだが、確立した体系に沿ってる訳でもなくちぐはぐだ。
俺がヘンチクリンな雑種のオモシロ猫だとすると、この著者は凛とした白い毛並みの血統種で尾も白い。

496 :
ダジャレでまとめたところで「アンカー」について思うところを。
安全性・確実性を確率的な要素にしないという大前提において、全ての事柄は体系的に学ばなくてはいけない。
しかし、現状において、そのような実力を持つことができるのは限られた一部、頭の良いエリートの人達だけだ。
人間の前提要素が、人間を能力別に差別する要因として働いている次第である。
万民が体系を持つ、これが正確性を前提と考える人が他人に求める、推し進める方向であるはずだ。
心の闇など、扱うことに慎重にならなければいけないこと、例えるならばWindowsのレジストリを弄るようなことは
その分野において体系的に学んだものだけが行う事が望ましい。が、現実として、「安全処置をするという体系」
というひとつの「系」以外からそこへアクセスするものがいる。なぜならば、この「系」は人工的なものであり、
本来その闇へは、無数の手段により到達できるような地理空間となっている。このようなときには、人は
倫理により論理的な境界線を設けることを考える、のだろう。
著書の中で、黒沢映画が触れられている。この監督は天才だから無意識にアンカーを発見していた、というように
著者は言っているが、「天才」すなわち「例外」として除けておくという部分、ここに俺の頭がひっかかる。
無意識ならばアンカー埋めまくりでも、結果論として悪影響がなければ問題無し、しかも「例外」人物しか
そんなことはしない。これは、視聴覚芸術・デザインの立場からは、必ずしもその通りではないと思うのだ。
俺の思う現状としては、アンカーは素人でも埋めている、直接利益のみのために。そして素人はアンカーによる
因果の責任を取らない。因果すら頭にないままアンカー埋め込みを行っている者もいる。意識的な悪意を持たずに。
ここでどうしようかと考えるだろう。善意のバカ、地雷埋め作業員をどうするか。
本人達は、それは地雷ではなく朝顔の種だと思ってる。パルプンテ草の種かもしれないのに。実に不正確だ。
その流れで、この著者の最近の自己啓発本というものが挙がってくる。何のために、他人を、賢くしているのか、だ。
無線LANというインフラ整えるならば、通信の暗号化技術は同時に用意されると安全性が増す、と考える。
とりあえず、今言っておきたいことはこれくらいかな。

497 :
というまでもなく、
著者は、この程度の低レベルの「洗脳」は著者が問題視する「洗脳」ではない、
と言っているのだけれどね。
これはただカルト宗教に焦点を絞るために言及したのかわからないけれども。
危険レベルを判定する閾値をどこに設定するのかで、「被害妄想」になったり「確信犯」になったりしそうだ。
また、洗脳は人間関係の中で常に行われている身近なものとしたときに、
「そのこと」を知っておくことが良いのか悪いのか、「民間防衛」はどうなのか、良いのか悪いのか、
誰が判断すべきなのかを明らかにできる人がいるのなら、その人は既に術士として語っているとも考えられる。

498 :
んん。読み終わりまで残り5ページというところまで読んだが、
上で書いた俺が著者に対して感じた印象に、多少の修正をしたくなる感じがある。
喋りの顔と書きの顔にある種の差異があるように思う。
が、些細な点なのでこのままでいいか。
上4レス書いたときにはまだ40ページくらいしか読んでいなかったので、
かなり俺は想像で書いていたのだが、本の最後の最後でいきなりの個性的な主張、
何、そう来たか、と俺の想像がはずれていた部分がある。
しかし、取りようによっては大してはずれていない。
ただ、それでもやはりそっち方面で攻めるのか、と思ったのが哲学だ。
しかし、この本が書かれたのは8年前。結構、ちょくちょく進路を変えていくような癖が
ありそうな人なので、はたして現在の進路はどうなっているのだろうか。

499 :
やっぱり初期の印象のままで良いんだな。
テレビ番組動画は今年のもの、この本は8年前のもの。
正攻法をやめたんだ。

500 :
読み終わったが、色々なことが思いつきすぎて、どれに絞って何を書くべきかわからない。
即ち、
洗脳による我々の生活を相対化することができて、あらゆる視点から洗脳を考えることができるが、
どの立場をとった意見を絶対化させるのが良いのかを判断できるまでに、俺の脳の計算が進んでいない。
その問題の外側から、まずこの本は読んだほうが良いのかどうか、
どんな人が読んだらどんな知恵が得られるのかを話そうにも、
アンカーの件を理解した後としては、軽々しく内情をべらべらと語るわけにはいかない。
こんな時俺は、「俺」を盾にするので、
「この本は、俺の必読書リストに追加。」
これでおk。
俺の案としては、
この本を>>448であげた「人間集団における 人望の研究」という本にリンクすると、
さらに大きな全体像が見えてくるように思う。
これが意味することは、「同じ現象」をさらに別の視点から捉えている「人望の研究」ということ。
「洗脳」を相対化すれば「良い洗脳」も現れる、この辺りが今判断に微妙なところ。
俺の具体的な過去の文脈で言えば、
「変性意識」の目覚め → >>451 → >>412 OR >>383 それは >>342 ということだが >>497
無理矢理今の主旨に合わせて作りかえてみるとこんな感じか。
今の俺は、これら俺の文脈は、必ずしもそうとは言えない、という所まで相対化して、次を考えているところ。

501 :
あらゆるものを相対化することができるが、「現実」に目覚めているのならば
そのなかで相対化してはいけないものがある、というようなことを言っているのが>>292
本来の精神の健全性を考えたとき、閾値としては、軽めの洗脳も問題視すべきだと考えられる。
倫理としてはそのように、洗脳は悪と捉えて設定しておくのが良い。
しかし、>>242という事態である。
そのような事態において、「洗脳は悪」と絶対化していてはどうにもならない。
悪として絶対化できる洗脳は限界レベルの危険なものに定めておいて、
それよりは軽いレベルの洗脳は相対化して、トロイの木馬的に対処する、
というのことなのかな。全て俺の想像な訳だけど。

502 :
その辺のことを考えながら、次の本、8年後の記述、を開いてみる。
まえがきを読んでみただけで思わず大笑い。

自己啓発本www ちょ、おまww それちがうだろwwwww
エンジン入っちまったんだねぇ、彼は。他の本も開いてみる。
上のレスでの俺の思い悩みは徒労だ、というよりこれが8年という歳月!!!1
どうやらワクチンは完成したようだねw しかも毎月新刊発売というペースwww!!!
もう試合開始されているわけね。把握した。

503 :
この著者は、ある高いレベルの達観や悟り、チャクラが開いた等表現は沢山あるが、
それを得ていると俺は思う。番組や著書の帯に宣伝文句として書かれるように天才
であるからではなく、ひとりの人間としてその境地を開拓・獲得していると俺は思う。
ただ、尋常ではない、若しくは個性的な点がある。その表現能力だ。翻訳力だ。
著者の言う数学的な抽象思考、そして超並列的にn次元にランダム配置される記憶。
このような表現はただ難解に聞こえるが、それはその構造まで理屈で説明できる
という筋の通った表現であるからだろう。卓越した左脳的な能力を右脳とバランスを
取りながら使えているのだと、俺は思う。
達観や松果体を用いた時の状態を、上手く表現できない俺などは、ベクトルのような
などと、物理現象の説明とは折り合いを持てない形で言葉にするのが精一杯だった。
相対化することでビジョンに現れる数学的なn次元の抽象空間は、例えるなら
一人称視点であったのが、相対化を一段階進めるとルービックキューブの様な多面体構造
の世界を自分の眼の前に引っ張り出すことができてぐるぐる回転することもでき、
さらに相対化を進めると、自分の視界には収まりきれないような立体的空間の入れ子構造
みたいな、情報の関係性を見て取れるのがその抽象空間なのだが、
これを他の人に説明するのに比喩を使ったり、適当な言葉で実験的に言い表してみること
しかできなかったというのが、そこまで左脳の発達していない俺のような人だ。
左脳でこれを物理法則に則りながら翻訳するのは、しらふに戻った後のCPU使用率100%
のエンコーディングみたいなもので、このような作業に向いているか訓練されてないと辛い。
この相対化された空間は、著者の薦めるディベートや、俺がそれと同等だと思うものは、
楽器演奏による他人とのソロ演奏し合い、音楽のディベートのようなもので培われると思う。

504 :
また、こういう達観とか瞑想等により得たビジョンとそのコントロールは、右脳的な能力を
上手く使えることが必要だと思うが、ここで「言葉で話すのは苦手だ。そういうものだ。」と
俺のように居直ってしまう人もいるかもしれない。しかし、それは「言葉に論理性をもたす
のが苦手」であるという思いが既に洗脳状態にあるからだ、と俺は確信している。そして、
著者はその状態を解く方法も考案している。この意味で、俺はこの著者の本をさらに読むだろう。
画家や芸術家や職人など、「人とコミュニケーションが上手く取れないレベルまでに言語を
用いたやり取りを苦手とする」ことが「芸術に向いている」「職人の才能がある」などと解釈
されるのも、一種の洗脳であると俺は思っている。逆も然り。「会話が上手、絵のセンスがない」
=「芸術に向いていない」というのも洗脳だと思う。そして、「会話できない。文章かけない。」
だから「芸術に向いている。」これも洗脳状態にある。そしてこれは脱洗脳することで、誰でも
好きなように好きなことが自分でできる。個人の自我に対応したアフォーダンスなど無い。
この段落は純粋に俺の意見。
もうひとつ、俺がこの著者の本を読むであろう理由がある。俺に留まらず、多くの人が既にこの
相対化したビジョンを獲得していると思う。この人達は、既に色々知っている。ただ、上手く表現
できない。この著者のように左脳側からこの「同じ状態」を説明してくれるときに、我々は自らの
経験と言葉にできない知識を照らし合わせて、その瞬間から言葉で言い表す術を持つことができる。
上手く表現できないままでは、論理破綻した閉鎖した世界観を得てしまう可能性もあるし、
本来既に獲得している相対化したビジョンを自分で言い表せなかったがために、自分でも実際
何をやっているのかわからない状態に陥り、変なオカルトの「自分なりの表現で、これはこうで
間違いないんだ!」という居直りを決めてしまう可能性もある。そして、そのまま、外部から
介入してくる洗脳を許諾してしまうことも考えられる。
そのように身を追い詰める必要はなく、今の自分に与えられた不器用な武器だけで戦おうとする
必要も無く、自分の自由を限定していたそのような「理由」を解き放つことができるということだ。

505 :
ここでは主に相対化したビジョンを例としたが、とくに「相対化したビジョン」に具体的に拘る必要はなく、
「私の知っている神秘世界と秘密の脳内台所」に種類を拡大しても問題ないと思う。

506 :
>>503において、一部正しく表現し直しておきたい部分が見つかった。
>左脳でこれを物理法則に則りながら翻訳するのは、しらふに戻った後のCPU使用率100%
>のエンコーディングみたいなもので、このような作業に向いているか訓練されてないと辛い。
言い直すために、人間には右脳人間と左脳人間の2つがあるという、後に破壊する定義をしておく。
左脳人間にとって、この「物理法則に則って数学的に思考を記述」する行為は、観察・洞察した情報や
思考を数学にデコードするのであって、CPU使用率100%という余計な負荷は必要ないと推測する。
右脳人間にとって、観察・洞察した情報や思考を演算する最小単位は未知の粒子のようなもので、
果たしてこれが存在するのか、またはこれが本当に最小単位なのかもわからないままだが、
数学や物理法則に沿わせるためには、未知の粒子による演算結果をエンコードしなくてはならないので
余計なCPU使用率が負荷となって現れる。

数学で現実は演算可能。数学を相対化すると、ぼんやりながらまだ現実の中に何かあるのが見て取れる。
しかし、それを現実に還元不可能。右脳人間、左脳人間などと本来人間は分断されることはないと思う。
今後数学が発展するのならば、現在の数学を相対化した演算処理システムが架空のものとして脳内に
存在していても、現在の数学を用いて否定することはできないだろう。まだまだ、右脳人間、左脳人間が
互いの中心地点に歩み寄ることができる。

507 :
>>506の思考は、論理的に正しいと言えない。
それは、>>495で触れた右脳と左脳のギア変換を思考の途中で行っているからであり、
導こうとしている結論がどちらか一方の脳で完結するものではないことが予め意図されているからだ。
そこで絶対化された判断基準は、右脳の「未知の回路」でもなく、
その「未知の回路」と左脳の「論理的な回路」を繋げる「さらに未知の境界線」であるので、
それが何かを説明するという行為は、「今それを説明しようとすると全てを徒労な不毛なものに結論づけてしまう」
というくらいにしか考えられない。
ただ、論理的な体系の一部、一部というより9割のポーションだけを相対化する、という「ギアの使い方」は
ひとつのテクニックとして確立できるかもしれない。

508 :
これは、現在ある、あるひとつ体系全てを現実的には10割=1と考えるところを、
現在あるその体系ひとつ全てを9割=0.9と捉えることで、未来により定義された
全体像、10割=1が存在する、という仮定を行う相対化と考えられる。
と右脳側から適当に思う。

509 :
還元を行うという行為が論理的な行為だとすると、
ひとつの事象を還元するためには、その対象となる事象は既に10割でなければいけない。
そう考えると、時間は未来から現在に流れていると捉えても問題無い。
なぜならば、現在確認している事象は常に10割に満たない1未満の数であるからだ。
という風にクラッチを数回踏みながらドリフト走行してみる。

510 :
相対化ビジョンを既に獲得していながら、自分でそれが「相対化ビジョン」であると認識出来ていない場合。
これについて思うことを。
上で書いたように、自分でも何をやっているのか良くわからない状態、超人モード突入!!という気分的な
違いが我が身体に起こっている、というくらいにしか実感できないことが考えられる。確信はない。
@ここで何が問題であるかというと、それが「相対化」された「世界」であることを知らないままでいる。
Aすると、「自由」に「絶対化」できる「視点」を「選べる」ことに気が付かないままでいる。
Bすると、その超人モードのときに、事実「何」が「絶対化」されて「物を見て判断している」のか
 自ら知らないままでいる。
これの何がよろしくないかというと、一番大切な、「実は絶対化できる視点は自分で自由に選べる」という
「相対化ビジョン」の一番の旨み所を有効活用できない、ということだと思っている。確信はない。
弊害としては、Bによって、「超人モード」を提供してくれるのは、その「自分の管理下にない」「絶対化されたもの」
と捉えてしまい、自らその「自分の知らない絶対化したもの」を崇拝することで「超人モード」を維持・成長
させようというような方向性に頑張ってしまうということ。確信はない。
右脳の言うことに確信など持てるか、っつーの。

511 :
相対化ビジョンの別バージョンに、ビジュアルビジョンみたいな物もあるんだろう。
脳内に絵や写真や光の芸術をぱっと表示させるやつ。
こんな物は誰でもできる。今から「富士山」思い浮かべて3秒後に。はい、3,2,1,どうぞ!
今、一瞬脳裏に山みたいのがあったかもしれないというのが、記憶として残っているはず。
これをそのうちに一瞬ではなく持続的に表示する。そして、色もつける。
立体感とか周りの雲とか空の奥行きを感じたりする。そして、それをゆっくりと徐々に右方面から、
裏側のほうへと視界の対象を回転させたりする。地面側の裏側に回転させるとマグマとか見えたりする。
富士山にありえないような黄色い色とか塗ってみる。市松模様の富士山にしてみたりする。
音だって良い。まず、アー、という声を想像する。アーって言ってるやつを1人から3人にしてみる。
大合唱にしてみる。メジャーコードでアーって言わせてみる。マイナーコードで悲しそうなアーにしてみる。
アーって大合唱の音量を上げてみる。もっとあげてみる。下げてみる。
ぐるぐる回る富士山のてっぺんからアーって叫んでみる。
これらは操作だが、言語だ。確信はない。この言語に慣れると、普段の生活で、
ふと何かを見ると、ビジュアルなイメージが浮かんだりするかもしれない。
また、俺はポエムは、ビジュアルイメージとのとても良いたわむれ方法と思う。
フリースタイルのポエムならば、純粋にビジュアルビジョンを散文でディクテートする戯れになっている。
右脳情報を左脳情報に引き渡す、繋ぎつける練習になっているかもしれない。確信はない。
こんなこと書く必要あったのか知らないが、書きたい衝動に襲われたので。

512 :
また、こんな性格の人もいるだろう。
「私はいつも、色々なことに興味を持っているけれど、どれかひとつに打ち込む決心がつかない」
「その意見もあの意見も理解できる。でも自分はどの意見を自分のものとしたら良いのかわからない」
優柔不断などと洗脳語によって、自分はしっかりしてない人なんだと気落ちする人達。
確信はない。だが、こういう人達は相対化が得意な人達だ。そして「私」が相対化された世界の中にいる。
この、「どの立場も色々ある」という相対化された世界を自分の目ん玉から、目ん玉ビーム!というように
にょきっと自分の顔より前方の空間に、凝縮して持ってくる。そうすると、今まで持っていた「拘り」のような
「ひとつの立場に決められない」っていうわだかまりが、すっと消え失せたりするかもしれない。
やはり、その「曖昧に知っているもの」に「記号的な存在タグ」をつけれないと、「私」は「それの中」にいるから
身動き取れないというか、振り回されてしまう。「曖昧に知っているもの」に「記号的な認識」をテンポラリだとしても
つけることで、自分が絶対化視点の選択権を得ることができるのだと思う。確信はない。

513 :
で、さらに次の本、これはここで触れるには際どいのでスルーして、同じ著者のさらに次の本を読んでいるが、
なんていうかね、
ああ、同じ事を先に言われてしまった、負けた、圧倒的に負けた、、
しかも俺はその同じアイデアを未だ開発途上、、
前線で活躍してる人なんだから当たり前ではあるが、着目点が似ている人が居たということに喜び、
それは既にいわば使い古された知識でしかないと思い知らされる残念な気持ち、、
ということは、俺のやらなければいけないことが減ったとポジティブに捉えて、
さらなるブルーオーシャンを探す。。
ていうか、今まで俺が何か直感で書いて、その後に本や資料を挙げて、という順序でレスしているのだが、
もし俺が嘘をついていて、既に最初に本なりを学習した後に、「知らないけど」としらばっくれて
あたかもそれが当たった勘であるというように演出しているとか思われると嫌だな〜と思う。
毎回毎回、真剣抜いて直感実験勝負をしているのだが、・・・と、なんか本読みながら愚痴りたくなった。

514 :
ディベートについて書かれている本なんだが、この脳作業を実行してみると、
俺が上で書いた一部が間違っていることが判明した。これは間違いが無かったことよりも嬉しい。
>>503での
>この相対化された空間は、著者の薦めるディベートや、俺がそれと同等だと思うものは、
>楽器演奏による他人とのソロ演奏し合い、音楽のディベートのようなもので培われると思う。
ディベートとソロ合戦は、大きな大きな意味では同等だが、脳ギア変換手順が異なる。詳細は脳内実験中。
ソロ合戦ではなくラップバトルならば、ディベートと構造的にもっと近くなる。
が、論理的な複雑さではディベートがやはり一番か。
ここで、発案ということでブレインストーミングという脳ギアの使い方にデザイン系の人は
より慣れているのだが、これもディベートの脳ギアとは全然異なる。
これはもっと、バレーのトス上げてるところで、ネットを360度ぐるぐる回転、わけわからん
本では、不完全性定理を決めの落とし技としてかなり使っている感じがあるが、
ディベートでもソロ合戦でも絵を描く脳でもどの技でもどのギアでも、
波動拳波動拳しょーりゅうーけん波動拳なのか、
昇竜拳昇竜拳波動拳昇竜拳はどーうけんなのか、
というような脳ギアの違いそれぞれ、わけわからねえ
にもかかわらず、どのギアにせよコマンド入力成功すれば、
脳内に相対化ビジョンまたはビジュアルビジョンは同じく現れる。
このビジョンは、これらギアコマンドの習得とは別物であるようなかんじと、
本の後半のほうにはあるが、それには同意。これは瞑想、、だけじゃないと思うんだが
まだまだ全部保留。さあ、ぐっちゃぐちゃだ。

515 :
うおおおおおおおおおっいっしゃい!!
何という即効性。
わかる。わかる。 わかる! わかるぞーぉ!!
今まで考えていたことが論理コンテナにカプセル化されて
そのカプセル自体に移動・入れ替え・移転を可能にする
情報空間的エーテルみたいな空白空間が認識出来ることを!!
一を聞いて十を知る。一を聞いて二億五千万を知る。
こっれは、広大なブルーオーシャンのゴールドラッシュが始まるな!!
十を聞いてそのうち一は誤解する俺なので、本来意図されていない可能性を
見出している可能性もある。その辺は後に修正していくとして。
とりあえず、俺は右脳が強くて左脳が弱い人の立場から進めて考えてみる。
どんな新しい技法を習得するにも、俺は上の上のほうで言っている
「わかる感触」を、次のステップにいくか、まだ不十分かを判断する武器にしている。
このしっくりくる、ぴたっとはまる、カッチリとはまる感覚がOKを出せば、
知識が記憶から忘れ去られてしまうことなく、現在起動中OSの常駐デーモンとして
すぐさま働き出す。
習得中の脳ギアのハマリを確かめるのに、頭部の感覚でシュビビビビッ!
キメの細かい炭酸飲料の刺激みたいのをどの辺で感じるかで、意識的に「操作」してみたりする。
わかる感触がOKを出すビジョンが現れるまで脳内相対化ビジョンに落書きしまくる。
ただ、右脳よりなのが原因なのか、今のところ俺のわかる感触は、理解をビジュアルイメージに
落とし込めたときに感じる確率が高い。このわかる感触は、なんかもっと運動神経のような
トリックをマスターする時のような感覚に近い。

516 :
>>492でいう
>恐らくこれは、俺がこの人の著書なりを読むことで、
>俺の脳内情報をこの人風の翻訳情報に置き換えていくことができる。
>しかしそれは、表面的にいえば脳にデフラグかけるようなもので、
>構造的には既存のデータのみを別関数で扱うようにするというだけで、
>自発的に未知の情報を新しいやり方で処理していけるということにはならない。
>過去の記憶を整理できるというだけだ。
この辺がそのまま書いてあってゾッとしたのだが、これを俺が書いたのは、この著者について
番組動画の内容「だけ」しか知らない時だ。右脳優先処理は、未来に得る情報をも書き綴る。
現実事象を9割と捉える、いわば不完全性定理+時間軸によって
時間は未来から現在へ流れているのなら、そんな現象にも疑問は生まれない。
いわば、右脳だけ超発達させるだけでも十分だ。
ただ、出力方法が随分と限られ、能力制御が神任せになる。
現実処理は左脳と同期をとらないと無理だ。能力制御は相対化ビジョンを得ないと無理だ。
論理的には無理と100%とは言い切れないが、その0.1%を万人が求めるのは効率悪い。

517 :
心理学系の本も同時進行で読んでいるのだが、俺が今まで書いてきたことのなかで
事前に幾つか補足・修正しておきたいところがある。柔らかく表現できないのは、
俺の誤解を招く表現に原因があったため、他人ではなく俺自身に釘を刺すためです。
俺は人の脳と心をOSやコンピューターの構造に例えることがあるが、機械であるという意味で
使っていない。連想先として身近なところで思いつける似たような構造ということでその表現を使っている。
心を機械のように扱うという意味では全くない。この文章を読む人にとって、パソコンが身近にある
という条件は、必然的にほぼ100%の確率で前提となっていることがOS等を比喩として使う理由だ。
パソコンを使わなくては、この文章を読むことはないからだ。
比喩は連想先との構造の相似を用いて、対象の特徴を描写するが、連想先と対象の現実での扱いが同じ
ということでは全くない。また、構造の相似が対象と連想先の関係性を作るが、その似ている割合は100%
ではない。特に連想先の物が、現実ではある特定の意味合いを多く含んでいる場合、例えば、
「機械=人間として扱わなくて良いもの」、この様なときに、注意深く比喩を構成しなくては意図しない結果を
生んでしまう可能性がある。
「人」について俺が思うこと。人間関係は情によって繋がるものではない。利害によって繋がるものでもない。
この辺は、あらゆる視点を相対化したときに俺の念頭に入る。では、何によって繋がっているかというと
それが「愛」なのだろうけど、それは論理よりも抽象度が高く、情よりもボリュームのあるものであり、
利害などは個々人を相対化した視点からは確認できない。
意識で論理的・詩的に簡単に文章に落とし込めるような低レベルのものではない、少なくとも
「相対化ビジョン」くらいには解説不能なものであると思っている。
これらの俺の意見は、俺の中で相対化してはいけないものに含まれる類に思う。
でも、まだなんにも確信をもって言い切ることはできない。ここで言い切ったりするのなら、
俺の意図が先行しているのであり、そんなものは「本当に絶対化されるはずのもの」であるわけがない。

518 :
相対化と言わずにメタと言っても良いのかもしれないけれど、
メタと言ってしまうと、上で言った「機械=人間として扱わなくて良いもの」のように
「メタ=今、盛んに言われている定義」に繋がってしまうリスクが高いのと、
メタにより外に出される、または内に入れられる世界は2次元であるマトリックスを
想像されると、ちょっと違うんだなということで相対化と言っている。
「相対化」の直感的な連想先が「宇宙」だとしても、そのリスクは少ないという計算。

519 :
催眠術の本も急遽、読みまくっているのだが、
今までの俺の文脈を体験として持った上で催眠の知識に触れてみると、
この分野の視点・関心・技術・知識から、神秘的な出来事の8割方は説明がつくと容易に想像つく。
しかし、これだけ沢山の人が催眠術に興味を持ち、知識を得ているにも関わらず、
この神秘領域にむけた仮説や解明の動き、また何故その方向性の世論が出来上がってないのか理解に苦しむ。
まじで、学びを虚勢する洗脳の威力はすさまじいということなのか?
それか、学んでる人に限って利己的で、グランドスケールな意識構築に興味がないのか?わからない。
また、潜在意識がらみで俺のいう「わかる感触」を持ち出すが、
自分で感じる感覚など信用がおけるのか、という原始的な疑問が浮上する。
スポーツの場合は、その感覚に従えば、結果が物理的運動として具体的に残るので
結果論として信用がおけると言えるが、抽象的な判断において、その信用がどうなっているのか
まだ、もうすこし考える必要がありそうだ。

520 :
なにはともあれ、この分野は、まだひとつの文化カテゴリとして確立されておらず、
ひとつの世界観フレームとして認識されていないのだろう。
フレームと言わないのならば、モードでも良い。チャンネルでも良いし波長でも良い。
デカルトが心身二元論という世界観フレームをひとつの文化カテゴリにした時も、
初期の少数の人間による難解な思考と意見は、万人から見て特別際立った波長とは
認知されなかったのだろう。同様の思考をする人達がある一定数の大人数に到達した
ときに、万人が一斉にその大人数が作り上げた新しいコミュニケーションによる
ネットワーク構造を把握して、難なくその考え方を自発的に使えるようになったのだと思う。
この考えには、百匹目の猿を当てはめた。

521 :
んんん。
上のほうを読み直していたのだが、>>474
>離脱とマイペースは似ているな。
>マイペースって何かというと、生活しているときに常にテレビやラジオをつけていないこと
>っていうのと似ているな。
これ、すげ〜。って、自分で思ってしまった。
このときは、催眠の知識も、洗脳の知識も持っていなかったのに、
相手が掛けてくる催眠暗示により、自分が変性意識に持って行かれるのを、
自らキャンセルする方法を体得している、ということに他ならない。
そして、そのテレビやラジオ、あらゆる洗脳装置をリアル環境から排除することで、
自らの身体に合ったリズムを保ち、自発性を維持し、不要な洗脳に掛からない習慣を持つ
ということを言っている。
学問とか術とか、人に教わったり学校で学んだりそういう風に「ひとつの現象」を捉えると
とても難解で途方に暮れるような長い道のりに感じるけれど、
今の自分に必要なことを、自分で発見して、判断を偽らずに探求することによってでも
同じような成果を生むことができるようだ。

522 :
デカいの ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
デカいの ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
デカいの ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
ブチ込んだ ブチ込んだ ブチ込んだ アォー
パラッパッ ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
エロッ ブチ込んだ  最後までブチ込んだ
エロッ ブチ込んだ  最後までブチ込んだ
ブチ込んだ ブチ込んだ アォー

523 :
さて、マルチのageで報告されているもののようだが、構わず行こう。
誤帰属でアンカーをトリガーされてしまった人が居たとしても、
人間はランダム性にも支配されているということが言えるだけだ。
心理学や催眠術の本を暇さえあれば読んでいる。何冊か読み終わっている。
しかし、ある時点から何冊か同時進行で読んでいる本全部を読み進められないような
無意識からのストップが掛かっている。
大体、こういう無意識ストップが俺に生まれるときは、まだ得ていない類の情報が
原因となっていることが経験から言える。今回のそれは、え・ぬえ/るぴ.い だろう。
本来それはローマ字で書かれるもので、心理学系統のカテゴリで発見することができる。
日本語では神経なんたらかんたら、という名前がついている。
内容については、スケプティック ディクショナリーのものをリンクしておこうかと思う。
これが「何」であるにしろ、俺が即座に思いつくのは古代修辞学の弁論法などを
細かく記したもの、手の動きや声の出し方や、もうまじでどうでも良いくらいのお作法を
体系化して詰め込み教育する物の催眠術版といったようなものか。
説明(略)
もし、えぬえるぴいマスターと禅マスターが対決したら、禅マスターが勝つと思う。
ここから話を神の見えざる手に繋げると、
・・うーん、駄目だな。全体像が見えすぎて、こつこつと話を建設していく流れにならない。

524 :
逆に考えてみようか。
えぬえるぴい的な分析からすると、
目の動き方などから、相手が今どのような思考モードを使っているかが判別される。
これを知れば知るほど、「霊能者」の人達が、「霊視」している最中の目の動きが、
そのどの思考モードにも当てはまらないということに気が付くかもしれない。
観察するまでもなく、「霊能者」にラポール作られて自分が変性意識状態に
入ってしまっていては、気付くものも気付きはしないだろうけど。
松果体使って、目なんて半目で「開いているだけ」だよ、と言っても良いかもしれないけど、
アインシュタインが思考実験している最中の目の動きも、きっと同じだろうと思ったりする。
ところで、ディベートコンテストが映されている動画を見てみたが、
お経速読み大会みたいだな。ギター速弾き大会でも可。
ところで、意識が認識できる視覚(+聴覚?)情報は、0.5秒以上の長さがないといけないらしい。
速読み、速弾きすると、絶対にこの閾値が下がると思う。

525 :
意識が認識出来ないということは、
無条件に無意識に書き込まれている、と考えると大雑把すぎるだろうけど、
「今何が起きているかわかってない」けど、「それが今後の気分に影響している」場合、
意識の管轄にない部分に、判断を委ねている状態と考えて良いだろう。
否が応でも無意識に書き込まれるが、意識が光の速さで追いかけていって、
計算・演算は俺におまかせ、っと無意識から情報を意識に渡す。
無意識3秒ルールとでもいうのだろうか。3秒以上無意識に放置したら、
もう意識からは簡単には手が出せないよ、というものがあるかもしれない。
さらに、マーフィーの法則のように、バターをつけたトーストは、
如何ともし難く、バター面を下にして床に着地する。
無意識に落っこちた情報は、バターで汚染されている可能性が高いかもしれない。

526 :
ついでに書いておくと、
>>498で危惧した、
>ただ、それでもやはりそっち方面で攻めるのか、と思ったのが哲学だ。
>しかし、この本が書かれたのは8年前。結構、ちょくちょく進路を変えていくような癖が
>ありそうな人なので、はたして現在の進路はどうなっているのだろうか。
そして、>>499
>やっぱり初期の印象のままで良いんだな。
>テレビ番組動画は今年のもの、この本は8年前のもの。
>正攻法をやめたんだ。
まさに、これへの答えみたいな物が、
この著者の本、金色の本の193ページの1〜3行目に書いてあって
わろたよわろた。勘とかいうレベルじゃないね。
でも、確かに、>>494で挙げた本を、俺も身近な人に読ませてみたところ、
難しすぎてわからない、読めない、無理、いらない、
こんな感じに終わってしまった。
さらに、本というものは、老眼鏡が必要な人へはさらにハードル高いものとなる。

527 :
この著者の本、白い表紙にでかでかと洗脳って書かれた本、
これは本を読むのが苦手な人にも、比較的抵抗少なく読むことができて、
内容も、実践的なことが多々あって面白いかもしれない。

と、ここのところ、俺はこの著者の著作に触れていることが多い。
それについて、次のうちのどちらが正しい理由だろうか。
@俺がこの著者の考え方に同調しているからである。
Aこの著者の話題を盛んに持ち上げることで、本当のところ、俺が感心を抱いている先を隠蔽している。
答えは@もAも両方同時に正解である。そんなことできるのか?というようなことも
その白い本に書いてある。>>380で俺が言うブーメランキャッチも別の言い方で説明されている。
そんな技術を自力で思いつくなんてそれは大変なことだね、という意見と
そういう技術を体系化して論理的に既にまとめてしまっているなんて大変なことだね、
という両方の意見を俺は持っている。ちなみに養老さんは、この2つの見解を
縦のソフトウェア(東洋的。体感的に習得。)と横のソフトウェア(西洋的。記述可能な形で共有。)
という風に別けている。これらの諸々の言説は「ダ・ヴィンチ」でひとつに繋がる。
いや、そんなことよりも、俺が今気に掛けていることはもっと雨雲掛かった内容で、、
と困っていたのだが、おお、そうだ、ここは超能力板だった、と思い出して焦点を戻す。
>>451で触れた著者も「超能力」を独自に定義していたが、この著者も、さらに別の著書で
「超能力」について定義しているのを見つけてしまったんだな。
”人の脳は、特殊な状態におくことで、強烈な能力を発揮することがある、それが超能力”
というようなことが書いてある。原文そのままではないが。
ちなみにこの著者は、別の著書では「超能力」に対して否定的である。(←俺の表現)
(大体、相対化ビジョン使える人間は、どんな立場からも物を言えてしまうから、
一個人の主張として捉えるべき方向性など、見えない。)

528 :
誰も彼もが「一個人として捉えるべき方向性」など「見えなく」するようにでもなったら、
それこそ、エスパーな人間関係が必要になる。見る場所を変えるんだね。
しかし、これについては俺もまだアイデアがまとまっていないので、言いっぱなしにしておく。

529 :
>>524最後で触れた、
>速読み、速弾きすると、絶対にこの閾値が下がると思う。
これに「速聴き」はどうだろうか、とも考えた。
上のディベート動画を見た後に、普通の英語動画を見たときに、
おお、なんだか時間がゆっくり流れているようだな、と感じたからだ。
別に日本語でも良いと思うのだが、
英語のオーディオブック(小説などを音声で録音してあるもの)が結構無料で
手に入るので、いくつも手に入れて実験してみることにしたのが先週。
まずは、再生速度を200%で数時間聞き続けた。
ピロパペポロポピ、と最初は脳みそがびっくりしてストレス溜まって肩とか痛くなったが、
気合いで続ける。次の日に200%で聞いてみると、前日より聞き取れる。
そこで280%で再生してさらに数日間耳を慣らす。これは結構辛い。これも数時間聞き続ける。
それでも、単語は聞き取れるようになる。意味のイメージはまだ追いつかない。
また200%にしてみると、かなり楽に聞き取れる。
100%にしてみると、すんごいゆっくりに感じる。
ここで、日本語での小説朗読の音声ファイルを手に入れて200%で聞いてみる。
ああ、わけがわからない。全然聞き取れない。
日本語だろうが英語だろうが、個別に倍速再生の訓練は必要のようだ。
そこで、英語小説280%で再生しながら、日本語の本を読むということをやってみる。
これは、脳みそおかしくなる。なんとか着いていこうとするが、大変だ大変だ。
次の日に体調崩して倒れる。
無意識を拾うために役立つかは疑問だな。ただ、話すスピードが上がる。
ディベートや速弾きで大切な部分は、「入出力」自体のスピードではなくて、
「入力後、何を根拠に出力を選択・判断・創出するか」の動作のスピードなので、またちょっと違う。

530 :
うーん。同時進行で読み進めている本が9冊にもなってしまった。
数日後には2,3冊増えるので、どうしたらいいんだろうと悩む。
単に”お勉強”している訳ではないので、速く読んで全部憶えて、とかする意味がない。
ひとつ読み始めると、合わせて読んだほうが良さそうな本が閃いて、同時進行になる。
その連鎖で数が増えていく。しかし、同時進行のほうが脳内処理としては効率が良い。
一方、全体として、全部の進行が遅れるのは確実だろう。
これらのことはNLP的な捉え方で説明できるかもしれない。
そのNLPがなぁ・・読めば読むほど「そんなこと知ってるわボケ」「あぁ〜なんかこざかしいなぁ〜」
と思えてしまうが、反面、既に体得しているということなので、
NLP的な心理作用の説明の仕方を経験に絡ませて学んで行けばいいだけで楽と言えば楽だ。
それでもなかなか俺の興味の範疇に近いNLP本を一冊見つけた。
「天.才達 のN/LP.戦,略」という本だが、まだ読み込んでいない。
このNLPの人達っていうのは、他人の思考プロセスのコレクターなんだね。
で、集めた他人のプロセスを、自分に憑依させるという。
NLP系は、なんというか、
俺は瞑想または「考える人」の銅像状態で長年思考やアイデアを発展させていたが、
それら全てNLPでした!と、言われちまったよ!
「思考活動」は「NLP」であると定義を塗り替えられちまったよ!
といったところか。言った者勝ちみたいだな。
ところで、催眠術の内容と8割くらいは内容が被る。
そういう意味では、NLPを習って実行するのは大した事じゃない。
偉人の思考プロセスをモデル化するのもそこまで凄い事には思わない。
NLPの新技法を自分発の思考方法から開発できてなんぼのもんじゃ、と俺は思う。
しかし、偉人・成功者にブランド価値が生まれるのなら、
ファッションとして憑依の思考回路を選ぶ人も増えるだろう。
「俺はエジソン回路を憑依中だせ!」ってな具合に。
残り7〜冊は別分野の本だが、現在文脈の構築に頭を悩ませているので
無理矢理今絡ませなくても良いだろう。

531 :
えぬえるぴいについて思うことを乱雑に。
気付きの記号化 ー しかし、記号論の用語を用いずに、独自の用語で説明している。
これは、複数の異なる体系を、それというひとつの体系として認識させるためか。
いわゆるマニュアルになっていく内容は天才達の思考活動を分析したものなので、
天才の劣化コピーを生産できれば完成形か。天才ありきの二番煎じが限界。
マニュアルに順応するように調教される。
自分の頭を使って解法・新案を発想・発案するやり方を忘れていく。
創造の苦しみを経験することなく、表面的な成功結果を条件付けされていく。
順応の結果、快苦で言えば苦である創造作業を避けるようになる可能性。
この「創造の苦しみ」を「成功の兆し」と条件付けするためには、
えぬえるぴいを学ぶ以前に「創造の苦しみ」の経験があり、
その結果「成功」を得た体験がなくてはいけないと思う。
何のために有能になるのか?
自己制御=メタな部分で公式(マニュアル)への順応が決定されているので、
極めて物質的で”枠内”の成果・結果・目的にしか、得た有能性は活かされないのではないか。
また、快苦における快を選択するという人の習性により、
”枠内”だけで終止する世界観ができあがる可能性があるように思う。
”枠内”とは、超越のない空間。体系内。
ただ、えぬえるぴいレシピーを構築する側に回れば、創造力などを失うリスクはないかもしれない。

532 :
複数の異なるマニュアル的な思考プロセスがモジュール化されて、
それの組み合わせにより個性を表すということにも繋がるかもしれない。
これも枠内で起きることだろう。
最適解への思考自動化ということにでもなれば、思考は人間特有の活動ではなくなる。
最適解が必要とされる、個人に投げかけられる問題は、
その個人のいる時間・場所他の環境が提起することができる。
そのときに、まだ人間の自由意志として残っている部分はどこだろう。

533 :
>思考は人間特有の活動ではなくなる。
人間特有ではあるか。意志が介入する特有の活動か。
意志すらも次元の低い概念に思えてくる。
悟りの境地を迎える人間は何のために時を過ごしているのだろうか。
創造なんていう行為すらも、胡散臭い行為に思える。
見える部分だけを還元していけば、単調な行為の複合体であり、自動化可能で意志はいらない。
閃きや啓示の部分、枠内から外に飛び出す部分が、含有率0.1%未満で必要不可欠な部分。
生命とは枠内から飛び出すことで、枠内で収まるということは死である、
という感覚にどういう説明がつけられるか。

534 :
枠内から外に飛び出すということは、
枠をまずは作るということであり、
その後、枠を己の外に認識するということで、
この形態自体が生命である、
というのが今思いつくことかな。

535 :
そして、このことすらNLPや旧約聖書に内包される。
この枠すらを超越するのが生命か。
生命の形態を超越するとどうなるんだ?
無意識に考えさせておこう。

536 :
とある宗教と、とある陰謀系の思想の対立は
日本における「空気」が読める読めないという概念を巡る争いと同質だろう。
空気はひとつの体系であり、和やハーモニーは全体像であり、
個人主義や効率主義は部分として認識されやすい。
これらをゲシュタルトとして同一と認識する高抽象度の視点がある。
多くの人がその抽象度の視点を得る前に、
複数の主義間を連結する、抽象度の高いインターフェイスとして働く人が
現れるのかもしれない。
実は空気というものは和やハーモニーという主義体系に限った現象ではなく、
より高い抽象度で他の主義体系においても、その空気は観測される。

って、何に関連付けて書かれているのか意味わかんないな。

537 :
では、和やハーモニーという日本的な連帯主義は何なのか、
フラクタルだろうか。
これを善しと言う人には裏の思惑があり、
これを悪しという人には裏の思惑があるだろう。
そういうものじゃ、ないんだよな。そういう次元じゃ。
未来に死を念頭におくと、枠内での循環を求める。
死に対して従順でありたいという想いであり、
より賢く未来を受け入れるという、
死ぬ前に墓石を買って用意するという良い子ちゃん。
生命に対する冒涜であるといえるだろうか。

ちょっと離れて行ってるな。もう少し超能力に戻ってこないと。

538 :
例えば、スポーツ選手が身体の故障により、選手生命を閉ざされる。
キャリアにおける死を目前に控える。
生まれながらに奴隷の人達は、
キャリアにおける死を受け入れた上で人生を始める。
死とは越えてはいけない境界線であり、
境界の枠内で循環を作ることになる。
コイルのように循環の強度を深めていく軸が生まれる。
世界観や人生観といった枠の存在は、この強度によって保たれる。
死が人生である、と転倒した状態。
これが破壊されると世界の終わりである、死である、と考えが進む。
このへんがカラクリだな。

539 :
ブラックホールか。
ぐるぐる巻きコイルの強度が際限なく強まると
全てを飲み込むのか。
LHCを連想してしまうな。
スイスと日本、等間隔にもう一点地球上に点を打つとしたら、
アメリカ南部か。
なんだろ、これ。単なる俺の妄想遊びだ。
またSFのネタが増えたか。嗚呼、馬鹿馬鹿しい。
なんでこう俺は脱線してしまうのか。

540 :
上で挙げた著者(俺がこう表現する場合、もはや常に同じ人物を指すと言って良いだろう)
が対談をしている記事をネットで見つけたので読んでみたが、
「人間は部分関数である」ということを言っているようだ。
この著者について何もしらない時に俺が>>495で直感により表現した
>言動において不正確な要素は作らない。この点において一貫している。定数として存在している。
>もしくは、定数+関数であり入力される変数は外部の情報であり、出力は安全なものとして成形される。
>というか、自らが変数となるようなことがないように勤めている。それでいて機敏。
これについて直感を演繹的に発展させる前に、以下の真偽を決定する必要がある。
@以前から「俺自身」が、「人間を関数」として見るような観察の仕方をしていた。
A「この著者」の風貌を観察することにより、何かしらの原因によって、
  >>495では「人間=関数」的に描写するのが適切だと俺が判断した。
どちらが事実であっても俺は困らないのだが、どちらが事実かによって、
捉えるべき問題の形成の仕方が異なってくる。

541 :
ここでまた別な俺の勘だが、この著者は「魔術的なものを科学的に焼き直して存在させる」
というようなことを試みていると考えて良いのではないかと思う。
数学におけるヒルベルト・プログラムのような構想があるのだろうか。
この問題の外部に移動して考える。
で、その場合、
「この著者のような視点をとることを、自己のアイデンティティとして
受け入れることができる人間が、どこにどれくらい存在しているのか」
という問題が少なくとも俺には生まれる。
>>383で俺が問題にしている「他人が変な閉鎖的な場に閉じ込められている様子」
というのは俺でなくても誰でも別の言葉で感じたり思ったりするところだと思う。
これらは、著者の言う「バイオパワー」という概念によって、
綺麗に整頓しながら表現することができるはずだ。
ここで俺が同時に念頭に入れておきたいことがある。
ソクラテスが「無知=ignorance」という概念・状態をこの世に存在させたことにより、
あらゆる全ての行為や判断は、
・「無知」の存在の「ネガティブ・スペース(外部)」
・または「無知」の存在の因果
として捉える手法を人間は手に入れたと考えることができる。
>>508で右脳側から定義した10割=1という全体像はこの世が「現在」である限り
存在することはなく、言い換えれば「全」や「完璧」のイデアと捉えることが出来る。
完璧なシステムが常に不完全性定理の性質を前提に持つならば、
イデアとは常に内部矛盾のない状態であり、その時、
「無知」は何になるのだろうか。
存在としての「無知」は、「バイオパワー」という存在と非常に親和性が
あるように思うという勘から考えている。

542 :
全ての行為や判断が、『「無知」が存在するが故の「無知」に由来する現象』であるとして、
これを著者の用いる用語で再構築するならば、無知とは盲点であり
それは「スコトーマ」という言葉によって存在を与えられている。
無知から盲点への再定義によって、その存在は、
絶対的な存在から相対的な存在へと転換されているのならば、
観察者はその存在の外側に立つことが可能になったということだろう。
「無知」は、あくまで自己はそのシステム内に居て、
自己では発見不可能な内部矛盾として存在する。
完全な視界というイデアはシステム外から(俯瞰視点から)観測できる状態であって、
「盲点」という概念は常に「完全というイデア」を意味に付属させていることから、
盲点を探す、盲点の詳細を記述するという指令に対して自己は自己に
盲点が存在する系の外に出る方法を無意識に探させるバックグラウンドサービスを起動させる
と俺は捉える。
ここで、半ば冗談だがエニアグラムの「完璧主義者」を考える。
エニアグラムはカバラ数と関係があるみたいだが、アーキタイプという、
生得論的には遺伝的な先天的な要素と考えられる性質で、別の分野ではアプリオリのような、
俺の文脈で言えば「如何なる条件においてでも無知に属さない」類の、脳に存在する情報か。
この「完璧主義者」は完璧のイデアからはほど遠く、名称が失敗している感が俺にはある。
「単一「系」からアプリオリに抜け出すことの出来ない檻の中の人」とでも表現しておく。
もし、このような人格的な性質を先天的に持つ人間が本当に存在するならば、それは大変なことだろう。
人格=状態ではなく、人格=先天的な性質であるのなら、
人間の性質としての例外的な存在となりうるのではないか。
アプリオリに系から抜け出せない性質をアプリオリに所有している人間は、
どう考えても他のアーキタイプとは別格に扱われる必要があると思うのだが。

543 :
言い換えると、
「完璧主義者」は「無知」をアプリオリに所有し、
尚かつ、『「無知」を相対化させる手段』をアプリオリに「無知」として所有する人格。
「無知」のフラクタル構造という人格、鏡の中の鏡の中の・・自分、f(x)において、xにはf(x)が代入される、
f(f(f(f(f(…)))))という人格か。
「無知」を「無知に属さない情報」として持つので、自己言及そのものという存在か。
社会が人間関係における気象図であると考えるとき、バイオパワーは気圧帯のようなものだろう。
洗脳という意識の構造の観点からは、非常にメタな部分の洗脳であるのだと思うが、
その洗脳により取得した世界観は、他者と共有され、それが気圧帯の様に外部からは見える。
バイオパワーを別観点から見ると、
バイオパワーは「価値」を作り上げる。そして、その「価値」は気圧帯内部の人間にとっての
メタフィジカルな存在となる。ここで、「価値」が「人間の存在意義」の前提になる、
という因果をもたらす関数が生まれ、この関数によって自己言及的に気圧帯は支えられる。
バイオパワー内の「価値」とは、「盲点」の反対であるのだろう。
それは、その気圧帯内部では「真理」というよりも「在るべき完全形」、「イデア」として存在する。
気圧帯という閉じた系に居ながらその系が提示するイデアを観測できる・・・・という部分に
その気圧帯というシステムは、人工的であると仮定する余地が生まれる訳だ。
この疑似イデアは、共産主義的気圧帯内部での「夢のような超越的人物像」でもよくて、
カルト内部においては、「教祖=解脱者」であってもよくて、
疑似イデアは、これらのようなあからさまに胡散臭い気圧帯に限らず、
「一般的な」社会通念に存在している、ということだろう。
「社会システムが疑似イデアにより作られている」という点が、肝だろう。
この「問題」を認識するものは、社会から冷たい目で見られるという優れた関数が働いている。
この辺りから、陰謀論に連結を図ることもできるな。しかし、重要な点は陰謀論の論点には無いと思っている。

544 :
・バイオパワーによって作られた気圧帯は、
 バイオパワーの外側に位置する存在によって設けられた。
・群集の相互インタラクションにより、
 バイオパワーの気圧帯はその境界線を築き、頑丈にしてきた。
この2つの考えが浮かぶ。どちらかだけが正しい、または、どちらも正しい、
または、どちらも間違っている、の判断はできないが、
前者はID論的、後者は進化論的な視点だろうと思う。
陰謀論は一貫して、前者の仮定を用いるようだ。
例えば、我々の社会は、我々の社会を超越した人々によって支配・管理されている、と言う具合に。
ここで、俺が深く考えずに思うことは、
もし、陰謀論者がID論を主眼とする宗教を信じていることが前提であるならば、
前者の様な論理転回は、法則としての世界観は同じものを採用しており、
陰謀論が真実であるときには、ID論が真実であることを提唱していることになる、ということがある。
ID論が真実であっても、それは人間によるものであるのならば、超越的な存在が人間の外にいるという
ID論の定義とは異なると考えたときに、
いや、同じ人間であってもその超越的な境遇に立つ人間になることは、
いわゆる人間にとっては不可能であるとして、人間を2種類に分割することもできる。
陰謀論者がID論を肯定すると、選民思想に行き着く。
これは、陰謀論における陰謀者の考えではないのか。
進化論にしても、自然淘汰、自然選択を深く考えるほどに、
ID論が不利になるような理屈は生まれないように思うのだが、
とりあえずここまで。

545 :
イデアは到達不可能でなければならないにも関わらず、
疑似イデアには到達方法が存在する。
疑似イデアはバイオパワー気圧帯の発生理由でもあり、
存続理由でもあり、発生結果でもあり維持後の事象でもある。
疑似イデアは到達可能ではあるが、イデアのシミュラークラみたいな、
イデアを元型にもったインスタンスのようなものなので、
気圧帯内部の人間は、疑似イデアに到達不可能であることを望む。
到達不可能を望みつつ、到達を夢見ることを願い止まない。
気圧帯内部で疑似イデアを体現するような者は排除される。
気圧帯外部で疑似イデアを体現するような者は、
気圧帯世界観を助長する要因として敬われる。

自己が繰り広げる「世界」の「登場人物」となる、
自己から与えられた「存在権」とでも呼べる認識についての考えを含まないと、
気圧帯内部のリアリティは把握しにくいかもしれない。

546 :
気圧帯内部の人間にとって、
気圧帯の外側の領域に抜け出ることはそもそも不可能であるという認識により、
外側の疑似イデア体現者は、気圧帯内部の人間が成り得る不可能な存在である。
選民思想をトップダウンではなくてボトムアップで用いた考え方なのだろうか。
選ばれる人間の質を一元的に評価する次元がないのなら、これも選民思想のひとつの形であるだろう。
登場人物は常に気圧帯内部にいる。
自己が存在を許す他者、自己が自己と同質の生命体であると認識する対象は、
自己が接触を持ったことのある生物に限られる。
@自己と、自己と同一と見なせる他者と、自己・他者の存在意義となる価値である疑似イデア
Aそれら人間が活動できる気圧帯という閉鎖空間と、その空間の存在の前提である疑似イデア
Bひとつの気圧帯と、気圧帯外部の世界
C疑似イデアと、イデア
この連立方程式か。
それとは別にして、「登場人物」という軸から、自己を包んでいる気圧帯から抜け出る技がある。
気圧帯外の人間を自己の登場人物にすることができると、
自己の所属する気圧帯が広域なものへと変化する。

547 :
>>545で触れた、
>気圧帯内部の人間は、疑似イデアに到達不可能であることを望む。
>到達不可能を望みつつ、到達を夢見ることを願い止まない。
これを気圧帯から独立した関数として利用することができる。
独立した関数として利用するには、function(疑似イデア, ターゲットセグメント)
といった形で2つの要素を関数に持たせれば、現存気圧帯の有無や種類に囚われることなく
新たな閉鎖空間を作ることが出来る。
この関数の性質を考えてみると、
あえて漠然とした喩えで言うならば「猫じゃらしの棒」といったものだろうか。
猫をじゃらすのも目的次第、ということだ。この目的次第の可能性を広げるためには
アフォーダンスのような視点が有効だろう。対象物:猫と環境:居間において、
猫をじゃらす理由は、対象物を楽しませるためだけではなく、環境:居間における
対象物:猫の位置を移動するという目的でも行う事が出来る。
また、疑似イデアにイデアを感じる気圧帯内人間ということで、
現実的には低いレベルの目標:疑似イデアに対して、
到達不可能であると認識させながら、到達したいと夢見させることで、
対象の人間を、その目標未満の質に自主的に抑えるように働かせることもできるだろう。
通信の帯域制限やCPUの稼働率の制限といったような役割として関数を働かせることが出来る。
リミッターを外したい人間がいるとするならば、
自分は何かしらの気圧帯に所属していると何はともあれ仮定し、
気圧帯外部の(=今の自分からは現実離れした)人間を登場人物として
認識することにより、その気圧帯が掲げる「凄さ・偉さ」などの疑似イデアを
確認・再定義することがまずできるだろう。
この考え方は、俺の言う著者の用語である「コンフォートゾーン」の定義方法と
少なくとも同じベクトルを向いているものだと思う。
今俺が言える違いは、著者は「現実離れした成りたい自分」を掲げるように言っているが、
俺は「別世界の登場人物」に接続することで気圧帯脱却を言っているということか。

548 :
>自分は何かしらの気圧帯に所属していると何はともあれ仮定
する理由は、気圧帯という閉じた系の内部にいる自己は、
その系の輪郭を認識することはできず、内部矛盾も認識することが出来ないので、
概念として認識出来る「気圧帯」という一時的な「論理構造」を介して、
気圧帯の外側に降り立つという行為と同じ意味だ。
成りたい自分を思い描くということは、目標に制限もなく環境まで設定できるのが良い。
しかし、バイオパワーの疑似イデアに囚われた思考力から、
どの程度の「現実離れ」を思いつく勇気と弛緩を得られるのかは、本人任せか。
別世界の登場人物に接続するのは、まず現実的にそんな機会が無いのが問題だ。
バイオパワー下の意識では、そんな相手に嫉妬はすれど、自己と同一であるという認識を
持つことは難しい。しかし、それが出来れば、相手のいるレベルの気圧帯程度までは
自動的に持ち上げられると想像する。
ところで、「ルサンチマン」というものも、
「バイオパワー気圧帯内部における疑似イデアに向けた重力または引力」
という風に単純に捉え直すことが出来るのではないだろうか。

549 :
>別世界の登場人物に接続するのは、まず現実的にそんな機会が無いのが問題だ。
これは逆に、世襲制という形で実行されていると思う。
単に代を継ぐだけでなく、リミッターのはずれ具合もそのようであるということだな。
生得論における環境が持つ力のひとつだろう。

550 :
>>541で参照した>>383は間違い。>>382が正しい。
また、>>547で挙げた猫じゃらしの目的の例として、
「猫の移動」よりも、
「猫にドタバタ走り回らすことで、床をひっかき傷で柔らかくすることが、
 裸足で居間を歩き回るおじいちゃんの足のツボ刺激に役立ち、健康維持に働く」
というような複雑で奇抜な例のほうが対比としては良いかもしれない。

551 :
少し砕けて、別の観点からバイオパワー気圧帯というものを描写してみよう。
2ちゃんでは、よく○○厨という人の呼び方をするのを見かけるが、
この厨というのはひとつのバイオパワー系であり、気圧帯だ。
○○厨と呼ばれる人間は、
その気圧帯内の疑似イデアに非常によく引っ張られているお手本のような存在だろう。
しかし、厨呼ばわりされないから自身はその気圧帯に取り込まれていないとは言い切れない。
「真面目」という言葉は、疑似イデアに従順である姿勢と考えることも出来る。
「勤勉」であるということは、バイオパワー内の疑似イデアに向けた取り組みを
何よりも優先していると捉えることも出来る。
「将来の夢」は往々にして、バイオパワー気圧帯内部での疑似イデアの表明に過ぎない。
「仲間」は、自己の所属する気圧帯内部の人間のことであるとも考えられる。
全部適当だが。

552 :
人間は、
「あなたが生命であることを証明せよ」
という問題に取り組んでいる、それも人類史全てに一貫して。
このように捉えて良いのだろうと俺は思う。
ここで方法論が多岐に渡る。
別に数学的証明でなくても良く、
生き様に非生命には一致しない要素を生活の中に描写するのでも良く、
考えられる方法全てにおいて、生命であることを否定できない要素を見せることであり、
そんな要素に該当する方法を用いることも、その証明になるという風に思う。
「魂の問題」の問題は、
評価対象を還元し、そこから生まれた沢山の部分を再度組み合わせた時に、
もちろん初期の対象からは何かが欠けた状態に出来上がるのだが、
この還元主義的な方法により特定出来る欠けた要素を根拠に、
何をさらに解明できるのか、ということではないかと思う。
この「方法」という思考関数では、「欠けた部分」という返り値しか演算できないかもしれない。
この方法を念頭に置き、『「人間」が「己が生命であることを明らかにする」』ことも頭に入れて
あらゆる人間による産物、創造物、創作物を見ると、
@シミュレーションや人工物
A1生命体として全力で思いの丈を形にする
B生命維持を助ける物
というような分類を思いつく。
Bは食べ物や住居や医療などに始まり、証明活動を可能にするための物であるだろう。
@の低レベルの意図は生活を豊かにしたり、研究を発展させたりということになるが、
そもそもは、生命体・生命現象の偽物をボトムアップで作り上げて本物生命と比較し、
差分を抽出するという、上で言った方法に準じた物だろうと思う。
または、生命体を作り上げるという方向性か。
Aは、「何かを作っている者」が生命であることを条件に、生命だからこそ出力できる内容を
あらゆる個人の固有ケースから描写しまくるというものだろう。この類は芸術に限るとは限らないが、
芸術の抽象的な意義はここから導けるだろう。

553 :
生命という概念が、特有の世界観フレームによる産物に過ぎない
ということも考えられるかもしれない。
この考えにおける非生命と、「生命の証明」における非生命は違うものであるだろう。
この仮定による生命・非生命の可能性を、「生命の証明」に絡ませることは出来ない。
様々な学問分野における生命の意味も、また違うものだろう。
学問領域がそれぞれのバイオパワー気圧帯であると考えれば、
それぞれの領域が求めるものは、その気圧帯内部での価値であると考えられる。
バイオパワーに属する前に、人間であり、この普遍的な観察視点からの生命
が俺の言っている生命ということだろうか。
学者の意見も、井戸端会議のおばちゃんの意見も、
「生命の出力」という同じ質の意見であるという視点か。
「学者のほうが真面目に勉強して物知りなので、もっと意味のある意見だ」と言う場合は、
そのような価値が生きる前提となっているバイオパワー気圧帯内部のお話であることがわかる。


554 :
上の著者がいう「コンフォートゾーンの定義による、未来の自分による現在の自分の操作」
というようなものは、引き寄せの法則や、NLP的な意識の明瞭化、
それらは、無意識が扱う情報のコントロールというような解釈で一致するのだと俺は思うのだが、
これらの無意識の働きを、それぞれの法則として学習する以前から、
人は、そこまでの水準ではないにしろ、同様の働きを無意識にさせていると考え、
「芸術家」というものを考える。
上で書いたAを「人間レベル」で実行する人について思うことがある。
人間らしさの追求ということになる。
より多く・純粋に・メリハリのある形で「人間らしさ」を出力できるように
ひとりの人間としての状態、それを取り巻く環境を、無意識に操作していくことになる
という可能性が思いつく。
ここで無意識に求められた己の状態と環境は、何と表現すればいいのだろう、
幸せな安定した環境ではなく、苦悩に満ちた環境であるのではないだろうか。
「生命が試される」問題への回答が「生命らしさ」であるからだが、
本当に「こう」ではくてはならないのだろうか。不遇すぎる。
大体、人生経験豊富という状態は、
過酷だったり例外的だったり、逆に規則に従った憶えであったり、
Aの帰結は、多角的に生命を試すというものに繋がるしかないのだろうか。
「生命を試す」という方法論からは抜け出せないままだ。
芸術であっても、芸術的才能などという具体的なものは、
Aよりも@における、何らかの真理や未解明の法則のシミュレーション又は関数の発明
という領域で評価されるだろう。最近では、既存の科学的法則・自然法則の芸術的応用方法といった
歩幅を狭めた進み方もあるようだが。
何が言いたいのか良く分からないが、Aは危険であるという思いが飛び出た。
しかし、危険はAの在り方である可能性が高い。
唯一の在り方なのか、在り方のひとつなのか。
@でもBでもない人達は、自ら過酷な状態・環境を呼んでしまうという仮定を、
カルマなんていう概念で説明するより、画期的な解決方法があるはずだ。

555 :
一瞬思ったことを、理路整然と書こうとしたら、全然駄目になった。
しかし、一瞬思ったことは書ける。
>>554
>過酷だったり例外的だったり、逆に規則に従った憶えであったり、
>Aの帰結は、多角的に生命を試すというものに繋がるしかないのだろうか。
経験を俯瞰視点から見れば、試すことは厳しい内容だけではないじゃないか、ということだ。
これを理屈で実況しようとしたら、うまくいかない。
あらゆる経験を「経験」と抽象化すれば、どんな内容であれ経験の色になる。(パラメータになる)
経験とは、どんなのも全部ひっくるめて経験と呼ぶ、という抽象化だ。
もう、この時点で「絶えず危険度が増していく」という速度も方向性すらも無くなる。
ここで問題は消滅してしまったのだが、ではなぜ俯瞰する前にはその疑問を抱いたのかが問題になる。
俯瞰した時点で経験がパラメータを持つ関数になってしまったものだから、
以前は関数でなければ「何」だと思っていたのかが問題だ。
危険と思ったということは、安全を操作できなかったわけだ。
危険であったにしろ、一度経験して学んだことは全て知っているとすると、
知っていることについての危険は回避できるので危険ではない。
常に自分にとって未知の空間・事柄に踏み入れる・手をつけるという状態か。
すると、俯瞰したときには、これらの未知のものはどこへいってしまったのか。
寄り道に逸れる。
>知っていることについての危険は回避できるので危険ではない。
回避の仕方を知っている危険でも、人は怠けて回避しないので、まだ危険である。
こんなやり方で生命の証明をすることは、馬鹿げている、しかし、やめられない、ということか。
命の危機ではないから、危険を回避しないのか。
命の余裕を尺度にすると、危険を呼び寄せる。巷でよく言われるような内容に繋がったか。
・未知のことは俯瞰視点からは未知ではない。
・経験は関数。パラメータは経験の内容。
・経験は自己が感じる。
この3つが同時に有り得る世界を考える。
俯瞰視点には、怠けの要素がない。自己の周囲の事柄は、見えているので、
見えた時点で対処する。経験する内容を関数に入れて、それを体験する。・・・
全然関係ないが、俯瞰視点はID論を肯定し、監視系のシステムを設け、
休みやレクリエーションはOKだが、単純な怠けは駄目にするという路線を
社会に作り出すのだろうな。
怠けるほうが危険であるという認識か。
人間らしさ(怠け)に人間が挑戦するというのが、さらに人間らしい(枠の外に出る)のか。

556 :
俺の言うような砕けた意味合いで、では進化論的な物の考え方はどうなるのだろうか。
・「人間」というひとつの関数に収束―俯瞰視点型
・「我、個人」という具体性に収束ー進化論方面の見方?
なんだか色んなことが思いつくが、思いつきを忘れないように散文的に考える。
どちらかひとつでなければいけない、ということはないだろう。
盛んに争われるのは、「現実」がどちらを絶対的に行使しているかということで、
物の見方としては対立するものではないと思う。
しかし、両方でなければいけないと考えると、両方可能にする新たな物の見方を使うか、
俯瞰視点を用いて、両方とも「物の見方」と相対化して同質とみなすことになるのだろうか。
この論理で行くと、進化論的には、俯瞰視点は在ってはならない。
または、それらの人間は俯瞰視点の方面に枝分かれした別種となるか。
同じ人間でありながらそれらの人間を別種とみなす場合、
バイオパワー気圧帯内部の人間が外部の人間を、不可能な存在と見なすように、
ボトムアップの選民思想的な考えとなるか。
より体も心も遺伝子もより主観的に方向付けされるのが進化論的で、
より客観的に方向付けられるのが俯瞰視点的か。
ヒエラルキーという形で人間を層別に分別して捉えるのは、
その段階まで進化・進歩したかどうかということで進化論的か。
俯瞰視点的には、個の概念の相対化レベルを変えるわけで、
これを行っている人間は枠の外にいる。
ある比較的複雑な行為Aを行うということにおいて、
進化論的には、
Aを行うのに十分な進化・進歩を遂げているかで、Aを行う資格や権利を与える。
俯瞰視点的には、
行為は経験関数なので、行為を取り、結果得るものを予め関数に代入することで
A「は」行われるので、Aを行うにあたって力学的な障害は無い。
犬や猫というペットと暮らす人というのをそれぞれの視点で見ると、
進化論側は、犬や猫といった動物への適応性と相互援助力を、人間の特徴として強くしていく。
俯瞰視点側は、犬や猫や人の間に生まれる関数、
一段階下げれば、犬関数や猫関数と一緒にいる人間関数、ということで
「で、ここから何がしたいの?」という次なる条件待ちの状態になるか。
自然や生物学的な根拠が必要になるという点で、自然や現実が進化論の存在の前提になっているのか。
進化論的な視点のみで、「思考」できるのだろうか。
頭の使い方を模索しているうちに、俯瞰視点に出会ってしまうと思うのだが。

557 :
進化論的な物の見方は、後付け論である、ということにどのような例外が考えられるか。
未知については、
自然淘汰や競争の勝者・敗者や、突然変異という解釈を用いることになる。
文明編集のしんがりであり、人間としての体感ではフロントエンドの進化論的見方。
文明編集のさきがけであり、人間としての体感ではバックエンドの俯瞰視点的見方。
パワーゲームに勝てる生残りがバイオパワー最後部で危険を専ら相手にする進化論側。
そのようなワーストケースは事前に対処済みである俯瞰視点側。
でも、ワーストケースが起こるときには起きる。
段々、人の性格の違いみたいになってきたな。広げ方がいくらでもある。
どうでもいいことだが、
ゲームのラスボスみたいな「価値」の門番は、進化論側の観点を持っていて、
Mr.Xのような正体不明の存在は、俯瞰視点側の観点を持っているといえるだろう。

558 :
国盗り合戦は前者、監視社会は後者、
両方の過激な部分を合体させた超絶極悪冷酷マシーンが陰謀論的な影の黒幕か。
この様なときに、
鋼の肉体に、不死身の身体に、不敗の能力を求めて、
最終的には「虫」みたいに超特化した遺伝子を目指すのが進化論側か。
超絶極悪冷酷マシーンを俯瞰して、斬新な解決方法を編み出して対処するか、
そんな超絶マシーンは考慮するに値しないと結論を出すのが俯瞰視点側か。

559 :
俺は「虫」には、なりなくないな。
構造が機械みたいだし。
非「主観的」な俯瞰視点のほうが人間の温かみがある、というのが
いったいどうなっているのか。

560 :
「虫」に話を持って行ったところで、
バッタの大群化と脳内物質の関係についての記事が目に入ってくるものだから、
バリアフリーの床を段差なくスムーズに走行しているような気がしてくる。
と書くと車椅子を想像するしかないが、人間の意識が車椅子に乗っていて、
ガタンと揺れることなく段差を通過すると、
今までの気分も先入観のフレームも維持したまま別の空間に移動してしまう。
要素が継承される。
逆の例を挙げると、百段の石段を登ったところに神社があり、その神社に来ると、
「ああ、神社に来たなぁ〜」と心もリフレッシュして、神社という空間に入り込む。
百段の石段というバリアが意識にも肉体にも抵抗を生むが、その抵抗が「別空間」
のバウンダリーになっている。ドラえもんのどこでもドアでその神社に来ても、
その臨場感は味わえないだろう。
ところで、
別に書こうとしていたことがあったはずだ。
相対化ビジョンは結構論理的なものだと思うが、ビジョンと俺は呼んでいるので視覚的なものだろう。
しかし、この視覚はリアルな視覚じゃない。俯瞰視点時の情報形成で、体感的にはバックエンドのものだろう。
フロントエンドはリアルを体感するので、相対化ビジョンなど見えない。
書こうとしていたことは、
相対化ビジョンを理解することよりも、リアルにそれを感じることが主旨である
というようなことか。
ビジョンでありながらリアルでは視覚としては認識出来ない。
しかし、このビジョンの論理構造を利用した感覚をリアルに感じることができるのかもしれない。
「違和感」として感じる。これは五感ではない。論理からの差異だ。
この差異が、五感の別の感覚に翻訳される。
このメカニズムは「共感覚」っぽい。例えば、視覚情報を触覚で感じるというような。
で、違和感の表現には「バイオパワー」がかなり有用そうに見える、というところか。

561 :
この「違和感」を文学的に処理してはいけない、と思う、フォーカスを留めておくために。
解釈によるカタルシスや余韻なんかに用はない。
まだうまく言えないが、
まず、「感覚は日常言語を用いなくても表現できるものだ」と俺は思っている。
そこで、この「違和感」というもの、日常言語では表現できないので別の五感に頼ってくる代物、
「これ」は何なんだ?
「これ」を『「これを表現できない心情」という余韻』に置き換えて終わらせるのは目的が違う
ということなんだろう。
ここで催眠術の知識を持ってくることになる。
術者が被験者のリズムに同調したうえで、術者が手を挙げると被験者も手を挙げる
というものだ。
情報の伝達として考えると、
日常言語による伝達は、
人A - 日常言語 - 人B
- ではなく矢印にしようと思ったが、要らぬこじつけが必要になりそうなのでやめた。
催眠術の手を挙げる動作の伝達は、
@人A - 人B
無理に日常言語で用いた構造に当てはめれば、
A人A - 身体リズム - 人B
となり、リズムが「意思を運ぶことの出来るコンテナ」=言語であるように見える。
@と想定したときと、Aと想定したときで、世界観が随分変わる。
この違いによる意見の別れにより、要らぬ仲違いが起きているのではないかと思ったりする。
言っているのは催眠術の話ではなく、「違和感」の話だ。

562 :
手を挙げる動作の伝達で、
催眠術による変性意識が生まれていない場合は、
人Bは、人Aが「手を挙げた」という情報を受け取る、
又は、人Aが「怒った」という情報を受け取る。
「人Bが手を挙げる」という情報は伝わっていない。
動作や感情はコンテナに入れられる情報なんだろう。
コンテナがリズムなのか変成意識なのかはわからないが、
コンテナに情報が乗せられたときに、主語が欠落している。
主観的になっている。一人称視点になっている。フロントエンドになっている。
「感覚・五感」というものは極めて主観的なものだろうと思う。
氷に触って冷たいという感覚は、相手に同じ環境で同じ氷に触れてもらわないと伝わらない。
目には目を歯には歯を、が生息するレイヤーだ。
これら「感覚」を伝達する言語レイヤーが存在する、ということで良いんだろうか。

563 :
「ひとつになる」
これが変成意識でもありリズムでもあり、
感覚言語伝達レイヤーである、というと、陳腐な物語みたいだな。
しかし、一般的にはこの言葉によって最も的確に表現されているのだろう。
加害意識も被害意識も一人称視点には無い。
守りも責めも、個の保守も拡大も侵入も侵害も無い。
関数の取る要素数がひとつ少ない。
そんな関数が走る環境とは何だろう。
その関数の親関数は何だろう。

564 :
「虫」と関数、、
関数の演算結果は節、
外骨格と言語コンテナ、
サナギの中はドロドロの液体、
正体は神経か。
関数を発動しまくる環境が、神経によって指揮されているのか。
フラクタルは当たり前みたいだな。
脊椎動物と無脊椎動物は、靴下を裏返すような関係なのか。
虫の神経はサナギの中、
靴下裏返すと、
人間にとっての「ドロドロミキサーを手に負える神経」は、人間の身体の外にあるか。
遺伝子ってzipみたいに圧縮されているのだろうか。
圧縮されているとすると、
遺伝子のどの部分がどの値だとどのような特徴を持つ、という風に解明していくのは無理がありそうだ。
遺伝子組み換えなんて表面的な値を変更すると、データの展開時にバグの嵐になるんじゃないだろうか。
そもそも遺伝子は、本当に解明されてきているのか?
サナギはやばいな。
サナギのメカニズムは神秘というより核心なんじゃないのか。

565 :
虫、高機能すぎるな。意味がわからない。

566 :
大福とおはぎの違いなんだよな。
寿司とカリフォルニアロールの違いでも良いけど。
虫にとっての体内エネルギーの意味や意義や価値は、
人にとっての体内エネルギーのそれとは違うと思うんだよな。
食わないと死ぬっていうのは別次元のことに思う。
この意味や意義や価値を同じと思うから、
人は虫を、人より下等だと考える。これが間違っていると思うんだよな。
寝ながら考えると理性の枠に嵌らずに、
予想外の思いつきとそれに対する
「おお、絶対にこれが正しいぞ」とかいう判断(感覚)が発生するので、
これについて寝ながら考えてみたが、
(もちろん本当に正しい訳がない。単なる「これだ!」っていう感覚の話)
・人間の持つイメージ - 外骨格
・考え方は外骨格の一部でイメージよりも具体的・局所的
・虫には確固としたイメージがあり、揺るがない考え方がある
・サナギモードは明らかに内部矛盾の解決法だろう
・羽とかいって、3次元空間における序列を無効化してるよね
・こいつらかなりtheoretical(虫のこと)
・セオレティカル・ビーイングが進化なんてする訳ないだろ
なんだこれは・・
前に進化論側が虫と言ったが、違うようだ。

567 :
論理が真理とかいって、遺伝子が真理って言ってるだけなのか。
遺伝子が展開される演算回路には従わないと何も発生しないわな。
この回路を「抵抗」皆無の状態で通過するのが論理か。
やばい。全然関係ないイメージが沸いた。
すっぴんの女性がメイクをするのに化粧部屋に入った。
出てくるまで扉を開けたら駄目だよと言っている。
10分経っても出てこないのでガチャって扉をあけると、
部屋の中にはドロドロの液体が詰まっていた。
鶴の恩返しじゃないか。くだらん。
あーあ、いつもこうやって脱線して本題の続きを逃してしまうんだな。

「イメージは外骨格となり、考え方まで与えてくれる。」
ということが言えそうだ。
俺が酔っぱらってる時に言ったりしてる「右上!」とか、外骨格についてっぽいな。>>482とかか。
なぜイメージの話になっているのか。
論理からの差異が、またその形を形成する
ということについての手がかりが得られたようだ。

568 :
生物学方面は何か特殊だな。哲学と一番距離があるんじゃないだろうか。
別に哲学に拘る必要はないけれど、「人が思考する」ことを不可侵なエリアに設定していない ー
フロントエンド本意な感じだな。本意というよりフロントエンド主体か。
世界ありき、か。現実的って言うのか。
虫を知るために、この世界観しか使ったらいけないのか?それは不便だ。
虫を知りたいから生物学、昆虫学、っていうのも変だよな。
虫はそんな個々の世界観に関わらず存在しているんだから、
どんな角度からでもアプローチできる存在だと思うんだが。
この世界観って独自ルールでエゴだよな。
やっぱりエゴを減らそうとすると、数学とか論理とか関数だけになってしまうのか。
エゴを減らしたい理由は、カタルシスが「我、満足」で終わるのはもううんざり、ってことか。

569 :
ところで、
上の著者の持つ見解と、陰謀論系のものに書かれている見解で、
明白にぶつかり合う対象がひとつある。
ロックというものなんだが、基本的には音楽であるけれども、
問題はそんな小さなところにはなさそうだ。
上の著者は、ロックはエンジェル側のものと言い、
もうひとつのほうは、人々を堕落させるために仕組まれた悪魔のもの、というように捉えている。
この違いを知った瞬間に、「この件には近づかないほうが安全だ」と感じたのだが、
危険ということは、俺が「生命の証明」のAとしたことであり、これに同一性を感じたわけだ。
とはいえ、この件については疑念を感じていて長いこと話には持ち上げなかったのだが、
非常にシンプルに表現する方法を探していた。
ロックとは、どのような神経回路なのか。
ロック=「〜せずにはいられない」
ここまで抽象化すれば、
エンジェルだろうが悪魔だろうが、それすらが要素になる。
これの何が問題なのか。
進化論的な説明は、バイオパワー気圧帯内部に限った力の浸透過程
に適用されるのではないかと推測しているのだが、
ロックというバイオパワーは、かなり広域に広がっている、地球を包み込むくらい、
ということが問題なのだろうと思う。本当に地球を包むのかは知らないが。
ひとつのバイオパワーが全域を包み込んだら、それが唯一の世界に見えてしまう。
更なる問題は、ロックという神経回路は、「ロック音楽」とは見えていないことだろう。
ロック音楽に興味のない人も、十分にこの神経回路の中にいるということになる。

570 :
Aと関連させたことから、芸術についてまず考えてみる。
芸術、特に美術。音楽はあからさまにロックで通じるので美術。
芸術と言ったときに、イデオロギーに関するツールではない芸術が
頭に浮かぶのならば、芸術=ロックの代入が完了しているように思う。
イデオロギーは、もろにバイオパワーそのものを指しているが、
バイオパワーという概念よりも具体的なインスタンスだろう。
イデオロギーなどが持つ疑似イデアが掲げるイメージを補佐するものではないもので、
それでも芸術と言えるもの、
抽象化度合いを整理すると、まず感覚言語伝達レイヤーを用いた物という視点があり、
そのレイヤー内で特に「〜せずにはいられない」メッセージや衝動にフォーカスした視点が
ジャンルやカテゴリを問わずに芸術と呼べることになっていると思う。
「〜せずにはいられない」の主語も述語も要素なので変幻自在だ。
ただ、この関数だけは繰り返し用いられる。
この、要素ではないが機能している部分を神経回路と俺が適当に呼んでいる。
この、抽象的なロックの概念というのは、
エラン・ヴィタールという概念による影響が考えられそうだ。
ロックは音楽発ではない匂いがする。
しかし、音楽を隠れ蓑に、芸術・文芸・あらゆる領域に行き渡ったように見える。
ロック音楽を認めなかった人も同様に影響を受ける。
ロック音楽を嫌う人がいれば、嫌える要素を認識してしまったということで、
音楽だけを蔑み、その他の分野では肯定的にその要素を認識してしまう。
「〜せずにはいられない」というイメージは、
枠内の飽和状態や抑圧状態も含んでしまう。論理に従わない抵抗値も含まれる。
この関数を一人歩きさせれば、
強迫感を見出せるバイオパワーを探索して見つけ出し、
その自身とは深い関係のない輪の中に入り込み、ロック関数発動 - 爆発
というように、自身の生命の躍動からは乖離した行動にも繋がるように思う。
快感の脳内物質が出る本当の根拠がすり替えられてるっていうか、
「必要に応じた結果の分泌」を、「快感を得るための人工的な分泌」、という風に変えられているのか。

571 :
ロックが世間で語られるようになったということは、
主に語られるのは具体的には「ロック音楽史」についてではあるけれども、
巨大なバイオパワーの神経末端であるので、
この神経全体が相対化される時期がきているのかもしれない。
芸術に関しては感覚言語伝達レイヤー全体に移るという風に簡単に予想できる。
芸術以外の分野に関しては、社会の深いところまで浸透している神経が、
それぞれどんな形で各々の全体像として現れるのかを感じ取れると、
それが先見性として後付けで認識されるのかもしれない。

多少ずれるが、
複雑な物ほど、シンプルで小粒でありながら高機能な関数が核にある
と俺は思う。
自由意思が許される枠内での、自由の形の総計が大きいほど全体は複雑に見え、
取れる形の自由度が上がると言うことは、型を規定する関数の柔軟性が高いということで、
その関数はシンプルであり、且つ高機能である、ということか。
全体と部分という分け方ではなくて、全体と核という分け方だな。
そこで、全体が複雑化していく傾向に「ある」と言い切れるのかは、わからない。
全体が複雑化するということは、核の関数が洗練されていくということになる。
この「全体」を相対化されてしまうと、「関数の影響後の形の美」が吟味されるようになると予測する。

572 :
おお、そうか。
虫より人間のほうが洗練された関数を核に持っている可能性がある。
もはや洗練というより抽象化次元の違う関数を持っている可能性がある。
「イメージ」はかなりやばい、柔軟で高機能な関数っぽい。
虫の「イメージ」は、虫の核の関数の中に定数化されて存在しているのか。

573 :
イメージ固定なら、バイオパワーの疑似イデアに真摯に向かうということで、
やっぱり虫は、進化論側か。
んん。どこか、捻れてるぞ。
フロントエンドとバックエンドが砂時計みたいによじれた形になっている。

574 :
話題にあげたいことが幾つかあるのに、
文脈というリネアな流れのベルトコンベアに乗せるにはタイミングが合ってない、
と考えを練り直している間に、
過ぎ去る時間というベルトコンベアに乗っかった更なる気になる問題が
ストンストンと問答無用に意識に積み上げられていく。
寝て起きると、別の疑問が待っている。昨日は居なかったのに。
朝の目覚めを新たな疑問が迎えてくれる。迎えてると思いきや、後をつけてくる。
夜になっても疑問は頭にあるままだ。放っておくと、この疑問が仲間の疑問を呼んでくる。
朝になれば疑問の実がなっている。ハーベストするしかない。寝ている間に卑怯な奴。

この疑問に彩られたミステリアスな廻廊探求ストーリーは、
いや、まてよ?とクライマックスで大間違いに気が付く壮大なスペクタクル、
というのが大間違いで廻廊と言っているんだから縁をぐるぐる回っているだけじゃないか。
と、切り落とす箇所を探しながら文学的な表現に避難しながら休憩している
のは自明のこと。
旋律的に繋がっていた脳内ニューロンが、和音的な繋がり合いを見つけてしまったそうです。
というのもそもそもおかしい。
事の発端は、俺の左脳は右脳に比較して弱いから左脳を開発してみようということで、
右脳にお手々を引かれながらよちよち歩きを左脳にさせたところ、
「発見したのは右脳的な世界です」とか言ってる左脳。
そんなことは事が始まる前から知ってることだろう。あなたのお手々を引いてた
あなたのお手々を引いていた・・
こういう事を考えた後に神経科学の本を読むと、なぜか思考結果の答え合わせのようになってしまう。
思考と神経細胞の構造が同一と見なせる。思考の根拠は細胞の構造に見つけることが出来て、
細胞の構造はそのまま思考の形として使うことができるようだな。

575 :
ならば疑問とは何なのか。「なぜ?」って何なのか。
「因果関係」というのは抽象レベルとしてそれほど高くないと音叉がポーンと澄んだ音色を奏でている。
抽象度が上がると細胞の構造に近づくって、「それってむしろ具体的じゃね?」
と矛盾を発見。砂時計型に捻れたジオメトリを認識。
ニューロンの繋がり方を再定義するのが「なぜ」っぽい。「なぜ」が出てきたら新しいネットワーク構造を
作りたがってる。これを放置したままだとどうなるのか。関係あるか分からないがボケの逆の状態が
発生しているような気がする。今まで思い出せなかった、思い出そうとも思いが寄らなかった過去の記憶
が、わりと簡単に呼び起こせる。もちろんそれぞれの記憶は断片的なものだが、
記憶が感情を生むから、その記憶が記憶だと思っているのか?
今のところ俺の勘では、感情は論理回路を通過する時の抵抗により生まれる熱、浪費されるエネルギーが
感情の器官によってエネルギーを手玉に抑えている、放流している、その機構ではないかと思っているが、
記憶が感情を生むことが出来る。記憶とは何か。
aviムービーファイルとflashムービーファイルのどちらが記憶に近いか。全部俺の単なる想像。
ラスターデータとベクターデータのどちらのほうが記憶に近いか。
記憶は、体験を関数としてスナップショットを取ってある、というものじゃないのか。
洗練された関数じゃないから、論理に合わない現実も無理矢理論理式で書き込まれ、
それを再生すると、回路の抵抗から熱として消費されるエネルギーが観測されたりする。
今ニューロンの発散回路が点滅している。ここから広げる話題の種類がいっぱい手元にある。
脳の演算を実況してる分には、何を書こうかと悩むことがないので楽で真っ直ぐだ。
この様な意味合いで、以前に挙げた「虜人日記」は感銘を受けた、というのはある。
ここで虜人日記を持ち出す必要が無いことが、持ち出した理由になっていたりする。

576 :
俺がかつて得意で、俺が非常に嫌っている、俺が問答無用で軽蔑している「暗記」。
暗記に対してかなりの、論理から外れた熱を発する形で、
俺は暗記という物を関数化させて記憶していると言える。
流行りの認識で言えば、データベース型の知識。
インデックスに持たせた情報の塊。
これはラスターデータ、ビットマップそのものなんだろうな。
「俺」が「暗記」に対して「敵意」があるというのが面白い。
どんな変な風に関数化させて俺はスナップショットを取ったのだろうか。
洗練された関数に書き直して記憶しておこう、
とバックエンドからはポジティブに捉えることしかできない。
「暗記の関数を書き換える」ということは、
日常言語で言えば「暗記に対する認識を変える」ということだろう。
we can changeと言ったところで、
具体的に何をどう操作すれば何が変わるのか分かってなければ何も変わらず、
ポンコツ回路が熱を発しているのを「熱くないよ?」と誤魔化すことができるだけだ。
俺が敵意を持った暗記を味方につける発想が、新関数のモデルになるだろう。
しかし、自分に都合ばかり良く定義しても、そのエゴは論理回路の抵抗になる。
「暗記というもの」を担当する脳細胞が、俺の脳内の他の関数群、細胞群と
相互に恩恵を与え合う形が良い。そんなふうにデザインする。
で、このような発想の方向性は、自己と他者との関わり合いにもフラクタルで当てはまる
ということが、論理回路の発熱をさらに下げる。
これを書いている間に右脳側は暗記に対してOKサインをもう出しているが、
左脳側は時間がかかるんだよな、具体的な土木・建築行為だから。

577 :
「暗記」関数の書き換えについては、俺個人の固有ケースとなるから他の人には
あまり役に立たないだろうし、余計なステレオタイプを産み出す可能性があるので、
文脈操作の為だけに部分的な点を話にあげようかと思う。
個人の固有ケースは、他人に不快感を与えるから、なるべく端折ってみる。
まずは既存の(今のポンコツ認識の)暗記関数の検査みたいなことをざっとしながら、
この記憶が記された時の環境を探ってみると、暗記の対極に位置する物(その記憶時)が見つかった。
それが、算数・数学であったのだが、これへの認識も洗練された物に書き換えないと、暗記の認識も
上手く書き換わらないことを見つけ出した。小さい頃のことだな。
この頃に既に俺の中で「数学」が数学ではなくなっているのを発見した。数学とは書いているが算数の時代か。
論理はできるが数学はできない、という状態が生まれていることを発見する。この認識をデバッグする。
このデバッグをバックエンドで行っている傍ら、フロントエンド(現在・現実)では、
初等教育で学ぶ辺りの概念を調べてみる。例えば、ピタゴラスの功績など。
この辺りの知識を、なぜ初等教育では数日から数週間という短期間で通過しているのか
という疑問が見えてくる。ピタゴラスは小学生レベルの知能だったのか?そんなことは有り得ない。
しかし、その数週間で学ぶものをその後の教育の前提とされる。能力リミッターの存在を確認する。
日本の教育がやばい→でも、出来る奴は出来るだろ?→では、進化論を採用しようか。
というのが見えてくるが、この問題はやっかいなことになるからよけておき、デバッグに戻る。
ここで>>571で挙げた
・複雑な物ほど、シンプルで小粒でありながら高機能な関数が核にある。
・全体が複雑化するということは、核の関数が洗練されていくということになる。
この考えを持ち出す。
初期の教育で、核がズタズタなものに形成されれば、
・取れる形の自由度が上がると言うことは、型を規定する関数の柔軟性が高い
の逆であるので、その後の能力・才能の「のびしろ」(自由度)はかなり制限される。
数週間で最重要事項をスルーする教育では、むしろ核が無い構造体を作り上げる。
核の無い身体では、精々、機能主義的な部分分割・専門性特化、そういうものにしか成り得ない。
それらは、「本体」に接続する「モジュール」だ。モジュールは進化する。物だから。
進化させる「人」が別にいるから。
デバッグに戻る。このリミッターとして働いている初期の記憶をどうするか。
俺に限定して言えば、今現在の知識・知能をもって、核となる初等教育部分を全部書き換える。
ピタゴラスの定理なんて、数日で通過できる物ではない。「人は何故生きるのか」という哲学的な問いを
考え尽くすくらいの深さで、初等教育で学ぶ項目ひとつひとつ考え尽くす。これらは初等ではない。核だ。
そして、楽器を弾きこなすかのように身体に馴染むまで、ひとつひとつの項目を多角的に考察し、書き換える。
子供の頃の記憶の探索中、もうひとつ数学の認識を歪ませた物が見つかった。個人的なもの。
設問が「日本語」であることだ。論理は十分出来ていたので、日常言語は曖昧であることを既に知りすぎている。
従って、設問が理解できない。そんな曖昧な言語を用いながら問われても、何を答えて欲しいのか見当がつかない。
設問を数学として考える前に、設問文を哲学的に多角的に考察してしまっている。日常言語が解釈の歪みの鍵となっている。
こんな感じで俺は、俺のポンコツ関数を書き換えていけると思うが、「自分」で「自分」の認識を変えていくために、
これにもコツを掴んだり発見をすることを「自分」で発明しなければならない。この行為は、自分=自分である場合、
自己言及で本来実行不可能であるはずなんだ。

578 :
「自分=自分」の閉じた回路を何かしらの方法で一時的に「自分、自分」とすることができるんだな。
この状態を使いながらデバッグする。これに慣れてくると、自分の「無知」を一瞬「既知」として捉えることが出来、
これをさらに洗練させていくと、教育は他者から与えられるものではなくて、己によって気付き築くものになり、
これをさらに洗練させていくと、ピタゴラスが定理を発見するように、如何なる他人も知り得ないことを己が発見することができる。
しかし、これらの行為を継続するためには、己が核でなければならず、その核の関数は洗練されてなければいけない。
自分ののびしろが少なくなってきたと感じたら核の関数を見直す、というサービスでも走らせておけば良いのか。
常に真実だけを評価する目を別に持っておくというのも良いか。
と、こういう風に左脳は右脳を見つけるマヌケなんだよな。第三の目なら右脳でも左脳でもないが。
人工透析みたいなものなのかな。自分の血管を他の物に繋いで、血が循環しているときに、
どこからどこまでが自分だかわからない。
この透析機を流れる血が「真実」であり、これを介して「自分=自分」を抜け出すトリックを編み出す。
人間ならそれができる。でも、自分が人間ではないと思っている人達がいるのも事実か。
例えば、↑この文章の「人間」という単語は「血である真実」であり、2つの異なる意味空間を
この単語によって繋げている。これは、血が現在体内にあるのか(ひとつの意味空間)、
透析機にあるのか(もうひとつの意味空間)というような関係性だ。
非常に数学的であると思う。一見無関係に見える事柄を、それぞれでは異なる意味合いの同じ言葉を介して
それぞれの意味空間を移動できる。「意味空間」すら「イメージ」によって異なる空間次元に移動できる。
この辺から訳が分からない。が、空間把握能力に繋げる文脈はできたかな。無理があるが。

579 :
・・なんで俺は空間把握能力に文脈を繋げているんだ?
これについて問題に挙げたいことはまだ対して何も思いついていない。
文脈の方向性を修正して別の内容に繋げるか。←俺のエゴを認識。
エゴを重ねると熱をもつので俺の意志は却下される。
俺は無実だ。別に空間把握能力にフォーカスを移さなくても良いと思う。←まだエゴ湧き出る。
そんなの専門家にませておけばいいじゃん。傍観してればさ。←逃げ道を探すエゴを捕獲。
↑こんな文章書く意味ないでしょ。汚らしいし。←メタに逃げたエゴを捕まえた。
頭おかしいと思われるよ。矢印とかキモイしやめなよ。←エゴの断末魔だな。思考を俯瞰できないエゴが個の矛盾に陥っているだけ。

空間把握能力について考えると頭が真っ白になる。自己言及の実体がこれか。

580 :
しまった。自分で自分に暗示をかけてしまったようだ。
>空間把握能力について考えると頭が真っ白になる。
これを取り消す文の並びを考えなきゃいけない。アホだ、まじで。俺は。
書いてるときも読み直すときも、多少俺は変性意識状態に入っているのだろう。
一連の流れを期間をあけて何度か読み直したのが、かえって定着させたようだ。
気付いたってことは、放っておけば勝手に解けるか。
どちらにせよ、文章の終わりの形は気をつけないといけないな。
ついでに何か別の事を書いておこう。

(これって、>>579のエゴが生き残ってるんじゃ?)
↑これをやりはじめると、きりがない。

レストランで店員を呼ぶ話にしようかと思ったが、この話は奥行きを持っているので、
「情報公開」について考えてみるか。これなら、かろうじて文脈に乗っている。

581 :
まず、何を公開されようが、そこらかしこにトリックが存在していると考えるのは置いておき、
日本に比べて米国などでは、様々なことを一般に公開している空気がある。
公開された物が既に偽装された物だとか、というように考えるのはしないということ。
あくまで核のフラクタル状の出力という文脈は踏んでいる。
MITなどではオンラインで授業が聴講できたり、授業内容や使用する資料などを表記していたりするが、
もちろん全ての授業についてではないし、断片的に公開されているとも言えるのだが、
公開側としては、「授業内容が全てではない。そこに集まる学生の質が教育の質である。」
というようなことを表明していたりする。
集団が作る変性意識からバイオパワーの形成という風にも捉えることができるが、
そのパフォーマンスは公開された知識自体には関係がないので、この見方で納得すると、
知識については何も知らないまま、この問題を解決したと思ってしまう。
陰謀論は娯楽として俺は捉えているが、その論理展開のメインの武器となる理論には
面白いものがあるとも思っている。
例えば、「何かを隠したければ、それを当たり前に堂々と公開することだ。」など。
正確には陰謀論が、過去の大戦から借りた理論であるようだが。
常に「関数」を頭に入れておく。関数こそが存在のあるもので、情報やデータは要素なので
代替がきくために、あまり重要ではない。定数なら暗記的なラスターデータなので、要になる。
隠したい情報を公開することで、その情報は隠される。このブラックボックスを解けばいい。
解けばいいという風に解く物ではないんだな、このブラックボックスは。日々成長している。
そこでまず、情報公開していない社会との違いを考える。
情報は隠蔽します、という社会。日本では粉飾や隠蔽が、情報を「隠す」手段になっている。
定数的な暗記情報を知られてしまうと、優位が崩れてしまう。核がないから当たり前だ。
核は俺の文脈の核で、核兵器じゃない。
ダジャレにも意味があるか、と思うが、やっかいな問題に繋がるのであまり興味ない。
情報隠蔽の次元と情報公開の次元が違う。次元というのは、「公開」というブラックボックスが
日々成長し、多様化していくので、これはもうひとつの軸になってきていると俺は捉えた。
さらに、「公開」は、それを自己の核のフラクタルから「そのまんま隠されてないじゃん」と、
捉えることも可能にするのかな。認知の方法で、隠れたり現れたりする。
しかし、ならば認知科学を勉強しようと考えても、そこからこの「認知」は手に入らない。
核がない構造体には、仮に公開情報が見えたとしても、モジュール的に咀嚼してしまう。
俺はナントカ教にはあまり興味がないんだが、ここ最近書いていることは、
それを肯定していたりするんじゃないか?とか自問自答するが、
俺は偶像もフラクタルにするので、それ自身もあれのインスタンスと考える。
「公開」には一字一句一文に、別解釈に流れるトリックがかけられているようにも思うが、
それ自身を出力の多様性(自由度)として捉える視点も、ある。
核のある社会だからといって、全員が全員、同じ真実を共有していないようにも感じる。
有耶無耶に終わるかどうかは、自己の核に対応した情報を手に入れるかであって、
手に入れた情報は自己の核の洗練に使われるのだろう。
核の無い構造体では、対応した情報=真実などわからないんじゃないかと思う。
そこで、物理法則など人間が居なくても存在する普遍的なもの「だけ」を真実とし、
真実を判別できない自己を世界から分離し、その結果は、
「あなたの身体は真実ではないことが証明されました」ということになるのではないかと思う。
なんか、重いな。レストランの話のほうが軽いじゃないか。

582 :
「陰謀論」という「ジャーナリズム」の神経回路は、その通り「報道」であるんだな。
そして、報道には報道のロマンがあり、ロマンは事実や真理とは相容れないのは言われるまでもない
というのが報道する者の中だけで理解されているが、それは報道する内容ではない、ということなんだな。
さすがフロントエンドで駆け回るだけのことはある、というのかな。
バックエンドからフロントエンドの己を解説することはないということだな。
アクセス規制で随分長いこと書き込めなかった間に、文脈は勝手にどんどん進んでいってしまった。
それらが極論に結びつきやすいのは、帰納によって断定を繰り返す度に参照する判断回路に原因がありそうだ。
また、報道の外部としての報道ということで、非報道という認識が生まれ、報道内容が自分の意見と重なり、
自分の意見を報道として伝達するという転倒が起きているのかもしれない。
真っ当な報道は、報道の意義を軸に伝達を展開するものだろうと思うが、報道から非報道へ移行する動機は
常に真っ当な報道など無いと懐疑することに起因するようである。移行した先が非報道であるのならば、
その意義は真っ当ではない報道の意義の外部ということになり、
真っ当ではない報道を、非報道の立場からその意義を持って批判するという状態にあるように見える。
そうなると、報道は非報道と等しいということにすら成り得る。意義をパラメータで見ずに真偽でみると、
真っ当な報道の意義を不在にしたまま、全てはひとつに収まってしまうとも考えられるということだろうか。
文章で書くと、非常にわかりにくいな。
歪んでいない報道とは、完備された情報のインフラだと思うが、そもそも意図なく情報は飛ばないので、
そんな無重力のインフラは有り得なく、人間個人のリアルな体験でさえ観測視点を持たずには
そのリアル環境から情報を受け取ることもできないだろうし、
真の報道を追い求めると無我の境地で環境と一体となり、所詮お星様や精霊とお話しする電波に
なってしまうことは、自明である、そして、電波は報道とは呼べない、ということになるのだろうか。
んんん。こんな内容になってしまったか。他に書こうとしていたことが、この内容に玉砕されてしまい、
書くことが無くなってしまった。不必要な猫じゃらし棒がゴミ箱へといざなわれる。

583 :
「真っ当な報道の意義」を不在にさせないためには、「真っ当な報道の意義」を伝達内容に
する必要があると思うが、伝達内容は「真っ当な報道が真っ当でない報道になった由縁」
になることが多く、初心として頭にあった「真っ当な報道の意義」は、そのような由縁を
伝達していく間に意識から離れ、何時しかその初心を忘れてしまい、由縁の伝達が心になり、
その時、「真っ当な報道の意義」は本当に不在になってしまうのだろうと思う。
報道にはあまり興味がない。
しかし、興味のないことをささっと終わらして興味のあることへ繋げようと考えると、
意識は先に飛んでいて、ここを見ずにいる状態になるというのがわかる。
そのように通過する時間がリミッターがはまった自己となるので、
「報道」からも、たこ足配線がいっぱい伸びてる視点を持ち直す。

帰納ゲーム。帰納を真偽判定に使うからおかしな事になると思うのだが、
おかしな事になっていることに対して何をどうしたいという思いを俺が持っていないので
陰謀論的唯人脈論、というのを仮定して考えると、それは神経回路に似ているなと思える。
この世に存在するのは人間ではなく、人脈という神経だけである、というユーモア。
唯脈論と言いたいところだ。猫にだって猫脈はあるのさ。しかし、地球の存続と滅亡は
人間によってのみ決定され、その地球と宇宙は人間と一体である、という論調から、
脈があるのは人だけになり、唯人脈論。
人は滅亡したい衝動を抑えられない。それは唯人脈論から人を引いた唯脈論が
もとある形であるというのを知っているからだ、と、なんだか適当な作り話しか浮かんでこないな。
帰納ゲーム的にはソースが無ければ得点無しということになる。
特殊報道理論から一般報道理論へというのが、原型から実物へ、
バックエンドからフロントエンドへ、というなかで
フロントエンドの振る舞い方が常に定義しにくいのだな。
報道を、人間にとって普遍的な行為というところまで遡ると、
時・事物を絶対軸にとった視野フレームから捉えた対象を言葉で他者に伝えること、
一段階進ませると、出来事を不特定多数に伝えること、となるか。
こう見ると、唯人脈論の「人脈」は、時・事物を長いこと眺めていると、
それらをつなぎ合わせる糊のように、または補色のような脳内フィードバックとして
自然と浮かび上がってくるのだろうな。すると、存在と要素の概念が生まれてくるか。
初めは時・事物が存在だけという世界だったが、
どうやら脈が存在で時・事物が要素だぞ、というように。

584 :
ちょっと、 ちょっとちょっと

585 :
随分長いアク禁だったな。三ヶ月か。
>>582で触れた陰謀論、というと陰謀論を報道する人、というのがいたりするのだが、
その近辺のある著者が書いた「ナントカカントカ世界をナントカ技術」という本を読んだのだが、
第六章後半辺りで「おやっ?」と思えたりしたのだが、
俺はただ、ネットの可能性というものを再確認した、という感じかな。
インターネットはまだ、在るべき姿に成長しきってないのだろうな。
成長しきると、量子的な現象がネットではなくリアルで起き始めるのかもしれない。
寝て起きて外に出ると、みんな昨日とは違う、でもその因果がわからない・・という具合に。
さて、上のほうでは9冊とか書いていたが、今では30冊を越えているが殆ど読み切っていない。
いざ手に取ってみると「後回し。」となる。衝動買いではないんだけどな。流れに乗らない。
そうするうちに衝動買いもしたりするのだが、
皮肉にもそんな風にして手に入れた本が、どうやら繋がるようだ。
「整l体.入i門」という本を半分くらい読んだところで少し考え、「回r想.の,l野q口y晴u.哉;」
という本を手に入れて読み始めた。知ってる人には今更、という種類の本だと思うが
俺は知らなかったので今知ることにした。
後者の本は、この板の人達なら楽しめる内容であると思う。
色々な沢山の断片的な知識がこれによって繋がってきた感じがある。
どうでも良いことだが、面白いことに「上の著者」も9月7日生まれで、この本の「先生」も9月7日生まれか。
この日に一体何かあるのだろうか。それとも「俺」がこの日につまずくだけだろうか。
閉じてはいるが公である。でもやはり直接的には閉じているので不用意に大っぴらにするものでもない。
しかし、公からアクセスが出来るだけの作りにはなっている。
そんな階段を登る道がまだ残っている、という風に思える。

586 :
希望が見出せないことに勝る辛さなどあるのだろうか?
この希望が見出せないこと、とは普遍的客観的な視点から物事を見たときに感じられる苦痛であると思うが、
その反対は願いが叶わない辛さだ。あらゆる障害や失敗はこちらに分類され、
これは局所的主観的な視点から得られる苦痛であるだろう。辛抱や離脱すれば解決する事も出来る辛さだ。
離脱とは、その主観視点を放棄することを指している。
前者においては、そのような回避型の行動が解決に繋がらない。
例えば、大きな話は置いておき、小さなこんなことに打ち込んでみようよ、または映画でも見ようよ、というように
客観視点から主観視点に移動すれば一種の解決ではないかとも取れるが、
その行為で解決されているのは主観的な己の苦痛であるので、客観視点の己は放置されたままだ。
客観視点で視野を変えるということは、新たな要素を見出すことであり、回避などの運動系統の働きではなく
肝臓の働きのように、要素の融合や創造が求められる。
人と比べた時の、自分の有り様が辛いと言うと、さらに別の要素、世界を構成する別種の環境が現れる。
比較が可能であるということは、どういうことなのかという問題だ。
理屈としては局所的な(この場で採用したケースを前提とした)関係が生まれている。
現実的には、その関係の上に世界があるのだから局所的であるとは分別できない。
ぶっ飛んだ例を挙げると、日照権の問題だ。この位の例でないと、比較の問題から凡庸な解釈へ崩れ落ちてしまう。
家の前に背の高い建物が建ったから辛いという問題ではなく、
光の行き交う道筋でフォーマットされた空間に己が存在していなければならないという問題だろう。
現実的で局所的な関係というものは、以前に触れたバイオパワーという概念によって
その姿を認識する事ができる。関係内における重力がバイオパワーならば、
関係内外における輪郭や不可侵セクタを指し示すものがコードであり、それらの媒体である
関係そのもの、フォーマット済みの空間、これに焦点が当たるのだが、この3つめの辛さは
光の常時接続経路が遮断できないということ、ネットワークの存在そのものが悩みの種になっているといえる。

と、ここまでが文脈に繋げる本を持ち出すための前置きであるのだが、
久しぶりにもかかわらずいきなり始めて、何故文脈に繋がるのかというと
一行目を自己言及的に打破することができるものだからだろう。
「LリIンNクKドED 」。邦題も別についているのだろうが、手持ちの本は原書のこれであり、
これによって漸く、本の名前をネットワークに繋げないようにする心にも説明がつけられる。
本の内容を追っていくことなどせずに本を文脈に繋ぐことしかしないが、
繋ぐことに意味があるというあたりで、自己言及的累乗効果を確認できたということ。
それ以外の視点からでも、この効果がとても良く感じられるということ。
こうなってくると、俺が語る必要もなく、ネットワークが勝手に○を作り上げていく。
逆に、絶望しない○は、累乗される関係によってでしか人に与えられることがないのかもしれない。
○に最適な言葉が見つからない。

587 :
>>586
頭のお病気

588 :
【大阪】「特別秘術に感染した、どうしてくれる!」・・・無銭飲食の高校生を逮捕 [3/15]
高槻署は15日、高槻市内の焼肉店「ブルガーレ」で無銭飲食をしたとして、高校生5名を逮捕したと発表した。
高校生らは同市内の焼肉店で食事をした後、
「肉を食べたら特別秘術に感染した、どうしてくれる!」などと因縁をつけ、支払いを免れようとした。
店長が「そんなに早く発症しない」と言うと、高校生らは、
「クラリタプラーナ、クラリタプラーナ」などと大声で叫び、店内を歩き回ったらしい。
その後、別の店員の通報で駆けつけた警察官が5人を逮捕した。高校生らは、
「特別秘術になったと言えば代金を踏み倒せると思った。特別秘術がどんな病気か知らなかった」
などと述べているという。

589 :
ミーがチェックしてるとこ先回りでチェックしてんじゃねーよ

590 :
このタイミングで書き込んで、あれって言えばあれなんだが、
>>587
それは正しい。俺も読み直してみたが、ちょっと事前に宣言されているべき内容が少なすぎる。
これは、俺が頭の中である程度まとまっていて、
その内容のどれだけの部分が、再度文字起こししないと理解不能かを確認していなかったということだ。
故に、「客に己の思うところを当然のように期待する態度」は「頭のお病気」で間違いないと思う。
ちなみに、俺も、読み直していきなりは意味が理解できなかった。
>>589
俺よりもうまい事を言っているので、ただタダ尊敬します。
その立ち位置は学びたいと思う。
随分と長いアク禁だったので、付け足すことよりも、付け添えたいことのほうが先に来てしまったようで。
まあ、今のうちは人力でアクセス操作をやっているけれども、そのうちに、効率重視になるだろうと思っているので。

591 :
なるほど。

592 :
昔は面白かったけど最近のは面白くないね

593 :
だな

594 :
http://www.youtube.com/watch?v=hV-r_B-8ZvA

595 :
面白さの即効性と効用。

596 :
待ってみるわー

597 :
何故か鹿島が優勝する

598 :
【専門】ADD/ADHD専門スレッド part71【総合】:優しい名無しさん:
成し遂げたいと思っている目的   破壊 :*:・( ̄∀ ̄)・:*:
s●ra●yu●a ●井●佳@ @tetsuoiida 発達障害丸出しでいても、自分にぴったりのご縁って、あるものですよ。それが何時ごろくるかは分かりませんが。下手すると老年期に来るかも。 20時間前
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/mental/1296575069/83-93

599 :
http://beebee2see.appspot.com/i/azuYvYzBBQw.jpg

600 :
なるほど。微弱な振動が観測されたということか。

601 :
時代の最先端にはそれにまつわる情報がない。
未来は過去の情報に溢れているが、遠い過去には未来の情報がない。
過去ほど時代の先端ではないのだろうか。

602 :
こっち来て見せて

603 :
ちょっとまってるんですけど76さんはどこいっちゃったの?
だいぶまちくたびれてきました

604 :
http://junko717.exblog.jp/
I, I have a dream
A dream of you and me
We’re flying high above
We’re soaring over sea
Bless me with some wings
For I, so want to fly
These precious white wings
Will take me soaring high
To the sun that lights the day
(Tsubasa wo kudasai, tsubasa wo kudasai…)
To the clouds that drift away
Only then will I be free
Past the city lights and haze
Through the autumn trees ablaze
In the sky, I am truly free
Just you and me
I, I have a dream
We’re high above the trees
The wind is in my hair
The ocean breeze takes me
Tell me, what can I do?
To earn, earn me some wings?
Some precious white wings
To help me live my dreams
To the sun that lights the day
(Tsubasa wo kudasai, tsubasa wo kudasai…)
To the clouds that drift away
Only then will I be free
Past the city lights and haze
Through the autumn trees ablaze
In the sky, I am truly free
Just you and me

605 :


606 :
まだ?

607 :
やっと500くらいまで読んだ
休憩で下まで来てみたけど
76さん最後のカキコからもう2年以上たってるね

608 :
では、ひとつ。
自分に偽ることなく何年にも渡って検証していることのなかで、
そのなかのひとつくらいは責任を持ってしても断言できそうなことがある。
それは、
どうも自分で発見した知、自分が無から創造した知を言葉や形に残すと、
その考えに至るためのより一般的な手順、即ち既存の知識や必須の経験の積み重ね、
本来、
その初頭の一言を発するために、現実的にはどうしても必要になるはずの事物象、
その初頭の一言が現実的に存在するためには通常なくてはならない前提知識を、
後から
知り得たり学び得たりする機会やプロセスとして付け足される。
しかし、ここまでをわかったとしても、自分の意志で制御できることは増えていない。
体感時間的に、先に進むことはできる。何のために?わからない。
この時間が相対的な自分の時間内であることは言うまでもない。
俺がどこからともなく形にした知のことを自分が発見したと言えるのは、
自分が知っている外界の物事には存在していないというだけで、
自分の知らないところでは俺よりも先に同じようなことを発見している人もいるし、
発見される知も先からある。創造される知も、外側では初めから在る。
ただ、ポイントは俺が人より先に何かを知るかではなく、
初めにまずいきなりわかってから、それを知った証を後から拾うという破綻した順序であり、
この不可解な破綻プロセスを俺がわかるまでは、実際的には、何も知れていない。
不可解な流れが観測できようとも、その現象を自分の意志で制御できなくては、
その不可解な流れが本当に存在していようが、本当は存在していなかろうが、どちらも変わらない。
少なくとも、この不可解な流れを意識せずにはいられない俺は、この流れが存在することを
何かを持ってして示し、この世界に確かに存在するということを定めなければ、
俺の言葉は、妄想か作り話か狂人の戯言か、そのような在っても無くても良い物として消えてしまう。
何かの存在があると先にわかっている。
ならば、それがわかるに至る学びの過程は現在用意されている最中だ。
俺が俺の観測したものを信じるよりも確かに受け入れるならば、
その不可解なプロセスに沿って、わかった経緯を後から手に入れれば良い。

609 :
続かないのか
邪魔しないように待ってたのに

610 :
ポーズの取り方をその都度変えながら、各地で休み無くずっと続いているので、
それらの俺のレスを全部回収できたら、このスレの容量の3倍くらいにはなる。
ここで待たれる、ということは、ここでの俺のひんやりと熱い姿勢がお望みと察するので、
そのようなポーズで以後、いつかはわからないが期待に応えることは出来るかもしれない。
とにかく簡潔に言うと、物語は、一時も絶えることなく今もずっと続いている。から、希望を持ってわくわくして問題なしだ。

611 :2013/11/05
順調に進めております。調子は上々です。

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