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飛鳥時代辺りの神社 古神道
【謎】考古学初心者雑談2【解明】
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東日本人は日本語苦手なチョン
縄文不細工蝦夷ちゃん名前と住所教えてよ

飛鳥時代辺りの神社 古神道


1 :2018/10/15 〜 最終レス :2020/05/16
どんなのだったのか教えてください

2 :
古神道は縄文系

鳥居は長江系

飛鳥は朝鮮系

三種類が有って全然違うよね

大神神社は蛇信仰、巨木信仰だから縄文系神道だよね

石上神宮は祓いの神道だから朝鮮系

3 :
鳥居は日本オリジナルだよ。

4 :
>>3
だよな

5 :
飛鳥時代までの土器や金属器や埴輪や文献などに鳥居を刻んだ絵や文様や
鳥居を象ったものや鳥居らしき記述が一切ないし、鳥居の遺物もない。

鳥居が登場するのは8Cの文献からで、当初はウエフカズノミカドという名称だった。

ゆえに奈良時代頃に日本で生まれたものだと考えられる。

6 :
神社に社殿が作られるようになる前からあると思うよ

7 :
>>3
>鳥居は日本オリジナルだよ。

日本の神社の鳥居と同じものはアジアでは雲南省とタイ山岳民族の稲作集落にしかないしね
つまり、

長江人=弥生人

で間違いない

弥生人は朝鮮人じゃない

天皇は一重まぶたの漢民族系朝鮮人
天皇は弥生人とは全く関係ない

アカ族と日本との不思議な共通点、鳥居。
https://www.cromagnon.net/post_85/


大阪和泉市の弥生時代の遺構から、アカ族の村の門に置く鳥とまったく同じ形の木彫りの鳥が見つかっています。

8 :
>>7
弥生人は長江人でも朝鮮人でもなく沿海州人だし、



弥生時代に鳥居があったという証拠は?


.

9 :
>弥生人は長江人でも朝鮮人でもなく沿海州人だし、

そんな事、専門家は誰もいってないよ



>弥生時代に鳥居があったという証拠は?

日本でも長江でも、オリジナルな鳥居は柱に鳥の人形が止まってるんだよ
だから鳥居という名前になったんだよ
弥生遺跡から長江と同じものが見つかっている

10 :
なんでそんなに改行すんの?

11 :
>>9
埴原和郎東京大学名誉教授。


ホンモノはこのようにすぐ提唱者の名前が出せます。

鳥居は8Cに登場した当初はウエフカズノミカドと呼ばれていて、鳥居とは呼ばれていない。

鳥居と呼ばれるようになったのはだいぶ後になってから。

12 :
>>11
>埴原和郎東京大学名誉教授。


埴原和郎は縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイド

新モンゴロイドはシベリアに長くいたので寒冷地適応している

と言ってるだけだよ

長江の稲作民は氷河時代にはシベリアにいて、間氷期になってから長江まで南下して稲作を始めたんだよ
だから長江人も弥生人同様に新モンゴロイドだ

13 :
>鳥居は8Cに登場した当初はウエフカズノミカドと呼ばれていて、鳥居とは呼ばれていない


オリジナルの鳥居は、長江も日本の弥生時代も全く同じで
2本の柱を綱で繋いで、鳥の人形を止まらせたもの
時代が経ってから、柱の上の鳥の人形を省略して、綱を木で代用したんだ

14 :
タイのアカ族と日本との不思議な共通点

遠い昔にどこかで見たような懐かしい風景が広がっています。

アカ族はこの国の先住民族ではなく、リス族同様に中国やビルマから
この国に移住してきた民族です。この国に入植した歴史は新しく、まだ100年ほどしか経過していないそうです。
この民族は他の民族同様に、中国の雲南省、ビルマ、ラオス、及びタイ北部にまたがって広く分布している。

現在、北部タイの山岳地帯には300余のアカ族の村があり、約5万人が暮らしている。
焼畑農業によって主食の米を作っているのは他の山岳民族と同じです。

伝統的にすべてものに精霊が宿り、精霊が人を幸せにも不幸にもするとしたアニミズムの信仰を続けているが、
近年、キリスト教の布教活動によって改宗した者も多い。


パトォー・ピー(精霊の門)
山頂に築かれたアカ族の村。

アカ族の村の入口には、パトォー・ピー(精霊の門)と呼ばれる
日本各地の神社にある鳥居にそっくりの門が建っています。
この門は必ず村の入口2ヵ所以上に築かれ、悪霊が村に侵入しないように結界の役目を果たしています。
峻険なドイ・メーサロンの山中は山岳民族の宝庫なのですが、もっとも多くこの地に居住しているのはアカ族です。

15 :
アニミズムの信仰を続けているアカ族の村の入口には、上の写真のように必ず
パトォー・ピー(精霊の門)が設置されています。いまでは迷信扱いされ、村人からも忘れ去られようとしている存在のこの門ですが、昔は村を訪れたすべての人がこの門を潜って村に入らなければいけないとされていた。

その人について来た悪霊が村に侵入して悪さをするのを防ぐためである。

アカ族の伝統的な宗教の根幹とも言えるパトォー・ピーには、木製の鳥が数羽止まっていたり、
支柱に幾何学模様が刻まれていたり、竹で作った風車のようなものが取り付けられたりしています。

そして門の脇には、悪霊に対する強力な武器として、鉈や弓矢が置かれていることもあります。

16 :
パトォー・ピー(精霊の門)
http://archive.is/w4eo#selection-161.1-165.13 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322)


17 :
アカ族の風習には日本と不思議な共通点があります。

アカ族では、稲の種まきの始まる毎年4月に、村の出入り口に木造の「門」を作ります。
この「門」は日本人なら誰でも知っている見慣れた「門」です
垂直に立てられた2本の木。その上に水平に乗せた木は垂直の2本の木の間隔よりもやや長く、両端が少し反っています。
これらの門には縄が張られています。

そう、神社で必ず見かける「鳥居」と「しめ縄」にそっくりなのです。
この「門」には、木製の鳥が数羽載せられています。
日本の「鳥居」は「鳥の居る場所」と書きます。現在の日本の鳥居には鳥はみかけませんが、
「鳥居」の文字で分かるように、そのルーツには鳥が関係していることがわかります。

大阪和泉市の弥生時代の遺構から、アカ族の村の門に置く鳥とまったく同じ形の木彫りの鳥が見つかっています。
古代日本の鳥居には恐らく、鳥が据えられていたのでしょう。
アカ族のこの鳥居に似た「門」は神聖なもので、村人以外の人間は触れてはなりません。
村人たちは門が完成すると儀礼を執り行ない、その後この門をくぐり、村の中に入ります。

天の神が鳥に乗って降りてきて、邪霊や悪鬼を祓い、村人たちを守ってくれると信じられています。

なぜ幾千キロも離れた日本とアカ族に共通点があるのか?
誰しも疑問に思うはずです。

この謎を調べて行くと興味深い事実と歴史が浮かび上がってきます。
それは日本人のルーツにもつながっていきます。
http://www.cromagnon.net/blog/2004/07/post_85.php

18 :
倭族と鳥居

神社にある鳥居の起源って?これは昔から不思議に思っていたのだけれど、どうも東南アジアから東アジアに広がる“倭族”に共通した信仰・風習を起源としているようです。


「鳥居論---ニッポン人の鳥信仰とその出自」

鳥越憲三郎氏は「倭族」という概念で、中国南部や東南アジア、
それから朝鮮南部および日本に共通して残る習俗を括る。

その氏によって、雲南省やそこに隣接する東南アジア北部の山岳地帯に棲む
タイ系諸族(アカ・ハニ族など)に「鳥居」が見出されている。
それは左右二本の柱の上に笠木(横に渡す木)を載せたものだ。
ただし、これは「社(やしろ)の門」ではなく「村の門」(「ロコーン」と言う)だ。

「鳥居」の起源は、共同体(村)へ侵入する悪霊を防ぐ結界門だったのである
(「締め縄」とはそういう意味だ)。

 そして、果たしてその門の笠木には木製の鳥が止まっていた。

実は、吉野ヶ里遺跡を始め、わが国の弥生時代の遺跡からは木製の鳥が頻出している。
だが「鳥居」は残っておらず、どこにどう止まっていたのかは分からない。

「村の門」には左右の自然木に「締め縄」が渡されただけのものもある。
それらにはしばしば「鬼の目」がぶら下がっている。鬼の目とは竹で編まれた悪霊を追い払う呪具(「籠目」もその一つ)で、現代の日本の締め縄にも吊されている。(中略)


再び中国大陸に戻ろう。

南部に住む苗(ミャオ)族の村の中心には芦笙(ろしょう)柱というものが立ててある。
苗族の神樹・楓香樹で出来ている。

てっぺんに木製の鳥が止まるのだが、その柱には竜が巻き付いている。
しかも柱の上部には牛の角が左右ににょきと突き出している。

ここに正月(苗年)祭りのときには、一対の神聖な銅鼓(どうこ)が下がられていたはずだ
(というのも今ではもうほとんどの銅鼓が失われている)。

 実は朝鮮のソッテでも一本柱の場合、鳥杆に竜に見立てた綱が巻かれる。

芦笙柱、そしてソッテとはもう明らかだろう。神話的世界の中心にそびえる「世界樹」である。
文字通り、木である場合も、山である場合もある。そして、それは聖林となり、社となった。

天に向かいそびえるもの、すなわち、神を呼ぶもの、依り代が世界樹の本質である(注)。
そして、鳥は神を運ぶ神使であり、依り代でもある。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=191832

19 :
中国少数民族には、太陽は鳥が引っ張ってくると言ういい伝えがある。

だから、太陽を引っ張ってもらう鳥に止まってもらうために鳥居がある。
鳥が太陽を引っぱってくれないと朝があけない。

実際に、鳥の模型を止まらせた鳥居もある。
少数民族の鳥居には、鳥の模型を止まらせたものもある。


太陽の船には鳥がとまってるよ



タイの山岳少数部族「アカ族」について

 「アカ族」はタイ北部の山岳地帯に暮らす少数民族で、日本と同じ稲作文化、精霊信仰を持ち
草木染めなどカラフルな色の民族衣装を着て生活しています。

 顔などは日本人そっくりで、村の入口には鳥居を思わせる門があり、
お歯黒の習慣を持っているなど日本と共通のルーツを思わせます。

一方で、婚姻制度は父系制で、代々父親の名の一部をとって子供に命名していく「父子連名法」により、
各自が50代以上にわたる祖先の系譜を暗記しているなど、母系制度が色濃く残っていた日本の農村とは異なる文化も見られます。 

■アカ族の村 
 人口約50,000人。メーサイを中心としたチェンラーイ県にほぼ集中して約120の村がある。
標高1,000m以上の高地の山頂近くの斜面にへばりつくようにして集落を形成する。
高床式の家に住み、男女の部屋が別々なのが特徴。

 女性の民族衣装は、銀貨や銀細工、ビーズ等をあしらったカブトの様な重い帽子を被り、
黒いミニスカートに脚絆という出で立ちで、帽子は作業中もおろか就寝時もこのままだ。
帽子を脱ぐと悪霊が頭から入ってしまうそうだ。

アカ族の女性は温和で素朴、優しくてサービス精神に富み、働き者で知られる。
   
 アカ族は最も奇妙な習慣をもつ山の民で、あらゆる物に精霊が宿ると信じている典型的なアミニズムである
村の霊、山の霊、光や風にも霊が宿るという。水の霊を恐れるために水浴をも嫌う。
   
 村の入口には、日本の鳥居と同様の門が築かれ、木製の男根と女性器の偶像が村の神様として祀られている。
これは悪霊や疫病から村人を守り、子孫の繁栄や穀物の豊作を祈願するものである。

奇祭として知られる村の大ブランコ乗りの儀礼は、豊作を祈って稲穂が風に揺れるブランコにイメージさせる 
「親感呪術」 という説と、身体を振ることで体内に住む悪霊を振り払う説と、
昔アカ族の村に女の子が生まれなかった頃、森の中でブランコに乗った妖精を見つけて村に連れてきたことをお祝いするという説があり、
祈祷とお清めの場でブタを殺して4日間儀礼を行う。

20 :
『稲と鳥と太陽の道』

 日本の神社には鳥居が立っている。なぜ鳥居というのか。組んだ木のてっぺんに鳥が居るからだ。
この鳥は他界から鳥の姿をした祖霊が幸福や豊饒をもたらすためにやってきたシンボルである。
日本神話では「天の鳥船」といって、そうした祖霊や幸福や豊饒を天空で運ぶ船さえ想定されていた。

 一方、竪穴式住居を脱した古代の家々は、それでも吉野ケ里遺跡や三内円山遺跡に見るごとく
掘っ建て柱に屋根をかぶせたようなもので、つねに柱が目立っている。
そうした家々のある集落では、その入口に1本あるいは2本の柱をゲート状に立てて、
その上に木彫りの鳥を止まらせる風習をもっていた。
いや、最初から鳥を置いたのではなくて、そんな高い柱や組み柱にはたいていどこかから鳥がやってきて止まった。
その鳥の来し方行く末は、古代集落にとっては祖先や未来の国である。
そこで木に鳥を彫って、それを柱のてっぺんにつけた。

 このような柱と鳥の関係を総称して「鳥竿」(とりざお)とよぶとして、
この鳥竿をつかった祭は日本にも韓国にもいっぱいある。
韓国ではソッテとかチントベキといって、やはり鳥を止まらせている。
ソッテは蘇塗とも綴るのだが、そのテはシンテ(神竿)やナッカリテ(禾竿)のテのことをさした。

その鳥竿のルーツをさらに追っていくと、中国に行きつく。萩原さんはさらに追いかけて、
それがミャオ族の習俗に出所していたことをつきとめた。ここまでが第1段の前段になる。

21 :
ミャオ族は中国江南に居住する民族で、中国では古くから三苗とよばれた。
3つの言語集団がいた。その後はタイ北部にまで広がった。
移動した連中はまとめて「百越」とよばれた集団である。

 民族上は少数山岳民族グループに分類されているが、いまでも150万人か200万人くらいがいる。
しかし古代中世のミャオ族は文字をもっていなかった。移動の記録や歴史の記録は古歌や伝説や習俗にしか残っていない。

 そのミャオ族では、新年になるとジーユイニャオという鳳凰に似た木彫の鳥をとまらせる柱あるいは竿を立てる。
芦笙柱(ろしょうばしら=トン・カー)という。楓香樹であることが多い。
その上のほうに牛の角のような横木をつけた(写真を見るとすぐわかるが、鳥居の原形に近い)。
新年、その芦笙柱を左まわりで踊る。

 なぜそのようになったかという伝説が「跋山渉水」という古歌にあって、
カササギあるいはツバメの先導でこの地にやってきたことをあらわしているのだという。
この到着地はのちのちまで神聖な場所になり、カー・ニンとよばれる。
カーは芦笙のこと、ニンは場所である。村の“へそ”にあたる。

 この神聖な場所は東西軸を重視する。そもそも中国では純潔チャイニーズの漢民族は天空の中心の北極星(太極)を信仰して、
そのため南北軸を重視する。風水も、天子や宮殿が北を背に南面することを基本とする。
一方、江南のノン・チャイニーズの少数民族は繁茂する植物の象徴である太陽を信仰して、
太陽の昇降する東西軸を重視する。

 これでわかるように、ノン・チャイニーズのミャオ族の村の“へそ”に立つ芦笙柱は、
太陽が依り坐す柱なのである。太陽のトーテム・ポールなのだ。

22 :
太陽は季節や時間とともにコースを動くので、その季節や時間を感じることが大切になる。
そこで暦のようなものが生まれるのだが、文字をもたないミャオ族は、
この季節と時間の“しるし”を鳥の去来で学習していった。また、それを教える者を鳥官といった。

 さらに、このような太陽信仰を支える鳥の存在と去来を忘れないように、
芦笙柱を寿ぐ数々の祭では、男はニワトリの羽根や茅萱(ちがや)の輪を差し、
女は鳥の羽根の衣裳で身を飾った。これが鳥装である。
いいかえれば、村のシャーマンたちは鳥装によって鳥霊になり、太陽の行方と合体するわけである。
たちまち日本の鷺舞や鶴の舞といった各地の祭りがおもいあわされよう。

太陽と鳥と弓はひとつのものなのだ。

23 :
ミャオ族は稲刈りした稲を高倉に収める。梯子は丸太を刻んだもので日本の弥生時代のものに酷似している。
 ミャオ族にはイネ文化もモチ文化もトウモロコシ文化も雑穀文化もある。
しかし、そのうちのいくつかは日本の社会文化によく似たものをもっている。
稲を保存する高倉、高床式の住居、チガヤを稲に見立てる田植え行事、正月のモチ月、羽根つき、竹馬、おこわ、
チマキ(粽)、なれズシ、糯稲の麹でつくる酒、鯉や鮒の水田飼育、鵜飼いなどである。

 そのほか、正月料理を男主人がつくり、最初の3日間は女性は家事をしない風習、
その料理を家の者たちが10日ほど食べつづけること、新年の辰の日(元旦)に2個の丸餅を台状の脚の低い椅子にのせて大地に酒をそそぐ儀礼なども、どこか日本の正月に通じるものがある。

 萩原さんはこうしたミャオ族の儀礼や生活をつぶさに観察して、
しだいに中国原産のジャポニカを日本に運んだのはミャオ族ではないかと考えるようになった。

おそらく中国江南地方の稲作の技能をもったミャオ族の一部が、なんらかの事情で長江から山東半島と朝鮮半島をへて
日本に来たのではないか。

24 :
吉野ヶ里遺跡の紹介:門と鳥形|吉野ヶ里歴史公園

弥生時代の土器等に描かれた高床建物や重層建物の屋根の棟飾りや軒飾りには、鳥の姿が描かれていることがあります。
また弥生時代の遺跡からは木製の鳥形が出土しており、当時の習俗的シンボルであったと考えられます。
鳥への信仰は現在でも穀霊観念が明確な東南アジアの稲作民族に広くみられることから、
弥生時代に穀霊信仰が存在したと推察されます。

当公園においては佐賀県神埼市の「託田西分貝塚遺跡」の出土例に基づいて復元した鳥形を
環壕入口の門や主要な建築物の軒飾りとして設置しています。

南内郭入口(東側)門に設置した鳥形
▲南内郭入口(東側)門に設置した鳥形

穀霊信仰と鳥に対する崇拝
穀霊信仰は穀物の霊に対する信仰であり、精霊信仰の一種です。
稲作が開始された弥生時代に、縄文時代以来の精霊信仰の上に穀霊に対する信仰、観念が
独自に発達していったことは当然推定されます。
それとともに穀霊を運ぶ生物としての鳥を崇拝する観念が生まれたことが
大阪府池上遺跡や山口県宮ヶ久保遺跡など、各地の弥生時代の遺跡から鳥形木製品や
鳥装のシャーマンとおぼしき人物の描かれた土器などにより推察できます。
鳥への信仰は現在でも穀霊観念が明確な東南アジアの稲作民族に秘匿認められるものであり、
ここから逆に弥生時代に穀霊信仰が存在したことを推定することができます。
鳥に対する独自の観念は『古語拾遺』や『古事記』、『日本書紀』などの古代文献でも認めることが出来、
そうした観念は弥生時代に遡ると言えます。
天空に近い場所をより神聖な場所とする観念の表れでもあることが、
東南アジア民族事例や古代中国の文献などから窺ことが出来、
弥生時代の建物が描かれた絵画土器などに高床建物、重層建物が多く描かれ、
吉野ヶ里遺跡の祭殿、物見櫓などが出現してくる背景には稲作とともにもたらされたアジアの稲作地帯にみられる
穀霊を運ぶ生物として鳥を神聖視する観念が存在したことが窺われます。
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html

25 :
という事で

鳥居というのは門ではなく、鳥が止まっている柱

弥生遺跡から沢山出土する鳥の木像は鳥居の柱の上に付けられていたもの

古墳時代以降は鳥の木像を省略する様になって、現在みる神社の鳥居になった

26 :
弥生時代の鳥居

先日吉野ヶ里にいった際、復元された弥生時代を見てそこに鳥居があるのを発見した。

壱岐の原の辻遺跡復元集落と同じような鳥居である。

門のような鳥居の上に、木で作った模型の鳥がとまっているのだ。

吉野ヶ里歴史公園

遺跡というのは、発見された時は穴ぼこだらけの土地である。

そこにあるものを、今までの研究に照らし合わせて復元する。

だから、復元模型は研究者たちの思い入れや、想像が入るのですべてを丸のみにして、信じるわけにはいかない。

だから、鳥居風の門の上に、木の模型の鳥があったのも、研究者たちの演出だと思っていた。

 

吉野ヶ里遺跡の職員の人に、何気なく木の模型の鳥の話しをした所、出土品として木の模型の鳥があったとの事でびっくりしたのだ。


鳥形木製品

恥ずかしながら、日本の鳥居のことばかりやっていたので、アジアに広がっている鳥のトーテムの事は、頭から消え去っていた。

27 :
鳥居から鳥が消えた日
https://artworks-inter.net/ebook/?p=1336


鳥信仰の鳥居なのに、日本に定着するとその鳥の模型がなくなってしまっている。
吉野ヶ里歴史公園にあった、鳥の模型が乗っている門がなくなっているのだ。
そして、その代わりにセットになったものがある。

 注連縄である。
 
これはどういうことなのだろうか。
稲作はどんどん広がっていて、九州から東北地方までも広がっている。
考えられる理由はただ一つしか無い。 

鳥信仰を持っていない稲作の民の台頭である。
鳥の模型が無くなった代わりに登場したのが注連縄である。
現在鳥居に注連縄がはっているものも多い。
注連縄の原点は『蛇』
鳥居に巻き付く蛇しめ縄(熊野神社・所沢市西新井町)鳥居に巻き付く蛇しめ縄(熊野神社・所沢市)

蛇と注連縄

鳥から蛇に変っていったのだ。

28 :
>>12


それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

29 :
>>12


最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

30 :
>>12


それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

31 :
>>12


最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

32 :
>>12


それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

33 :
>>12


最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

34 :
>>12


それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋


.

35 :
ツングースの Y-DNA はC

弥生人は O1b

朝鮮からの漢民族系渡来人は O2

長江の稲作民は O1

従って、弥生人= 長江の稲作民

になるだろ

36 :
なんか、どうしても日本人の祖先が北方アジアになってほしい願望の人がいる。
もっと学問むしようよ。
アカヒ新聞に学問を求めちゃ・・そりゃバカになるな。

37 :
>>35



で、長江の稲作民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜と、
渡来時に伝わった中国系言語の単語は?


で、長江の稲作民が渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?


.

38 :
>>37
日本の弥生遺跡は現在の雲南省やタイの稲作集落と全く同じだろ
銅鐸に酷似した銅鼓も使ってるし
何から何まで同じだ

39 :
>>35


で、長江の稲作民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜と、
渡来時に伝わった中国系言語の単語は?


で、長江の稲作民が渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよおまえ。

40 :
>>38


で、長江の稲作民が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜と、
渡来時に伝わった中国系言語の単語は?


で、長江の稲作民が渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよおまえ。

41 :
日本で一番古い鳥居見たけど今と全然形違うのね

42 :
元木の石鳥居か?

そんなに形は違わないけど、ちょっと足が短いような。

43 :
日本で一番古い鳥居は2世紀の吉野ケ里遺跡に復元されているよ

44 :
捏造鳥居なw

鳥居は8Cより前にさかのぼる証拠はない。

45 :
>>44
>鳥居は8Cより前にさかのぼる証拠はない。


弥生遺跡で沢山出る鳥の木造は長江の稲作集落の鳥居に載せているものと全く同じだろ

46 :
>>43
復元w

47 :
昔は神社の鳥居に鳥の木像を付けていたから鳥居と言うんだよ

ウエフカズノミカドというのは鳥居の古い名前ではない

単に

上に屋根を葺かない御門

という意味で、古来の呼び名ではない

長江では鳥居の事をパトォー・ピー(精霊の門)と呼んでいて、
2世紀の吉野ケ里の鳥居もそれと全く同じものだ

48 :
ないない

49 :
鳥居は8Cより前にさかのぼる証拠はない。

50 :
そりゃそうだ 基礎なんてないんだから朽ちるわ

51 :
鳥居を鳥居と呼ぶようになったのは9Cに入ってから。

それだけでも鳥居の起源が9Cからそんなに遠くない事が分かる。

52 :
鳥居の起源は長江で10000年前

53 :
鳥居の正式名称は

パトォー・ピー(精霊の門)

54 :
吉野ケ里の鳥居に酷似したものがありました
中国の雲南省に住むハニ族(アカ族)の精霊門です

アカ族は雲南省に150万人おり、ハニ族と呼ばれます
ミャンマー、タイ、ラオスにも分布していて、英語圏ではアカ族として知られてます

ハニ族(アカ族)では、稲の種まきの始まる毎年4月に、村の出入り口に木造の「門」を作ります。

垂直に立てられた2本の木。
その上に水平に乗せた木は垂直の2本の木の間隔よりもやや長く、両端が少し反っています。
更に木製の鳥を載せます


これらの門には竹で造った縄が張られています。
神社の「鳥居」と「しめ縄」に酷似してます。
https://ameblo.jp/hex-6/entry-12020355977.html

55 :
単なる他人の空似

56 :
日本の照葉樹林文化は長江文化そのものだからね
浦島太郎とか海彦山彦の話も長江の伝説そのままだし

照葉樹林文化とセットでコメと鳥居も移入されたんだよ

57 :
>>56
そんなウソを言っている考古学者など一人もいない。

さっさとブタくせえハノイくせえ東南アジア華南に帰れよ。

華南ブタチック半ニグロ。

58 :
日本の納豆も寿司も赤飯もすべて長江から移入したんだよ

59 :
登呂遺跡とタイの稲作部落はすべてそっくりだしな

鳥居もそっくりだ

60 :
>>58-59
そんな狂言を働いている考古学者など一人もいねえ

さっさとブタくせえハノイくせえ東南アジア華南に帰れよ。

ブタ広鼻と巨大タラコでをした華南の黒人とブタの中間種。

61 :
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/e/f/effac_760_2122280_20181028_110607_size640wh_5819.jpg
https://contents.oricon.co.jp/upimg/news/20181028/2122280_201810280614870001540694198c.jpg

62 :
◆古代中国のイネの粒種の変遷グラフ



http://www.doc88.com/p-0738740710502.html


.

63 :
語ろう

64 :
もし、弥生人が稲作を日本列島に持ち込んだ民族(従来の歴史ではそのようにしてある)であるとするのなら、弥生人の故郷は、朝鮮半島ではなく、中国の南部であるという。

これは最近の科学的ミトコンドリアDNA鑑定によって、稲および弥生人のDNAが中国南部のそれと一致するからである。


1999年(平成11年)3月23日、中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か

共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、長江
(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、
DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調
査団の調査で分かった。

 渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が有力と考えられてい
たが、稲作の起源地とされる長江下流域を含む江南地方からも渡来した可能性が
高くなり、弥生人の起源を探る上で注目されそうだ。

 同日、東京で記者会見した日本側山口団長らによると、調査団は1996年か
ら3年計画で、江蘇省で出土した新石器時代から前漢時代(紀元前202−紀元
後3年)にかけての人骨と、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人や縄文人の
人骨を比較した。

 その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢
時代にかけての江蘇省の人骨と、渡来系弥生人の人骨には、頭や四肢の骨の形に
共通点が多かった。

 また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があっ
たが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。

 江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でD
NAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。

 中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が
極めて似ていることが分かり、弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えら
れた。今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話して
いる。

65 :
本研究は,縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,
独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析(※5)によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられます。

得られた古人骨ゲノムデータと世界各地の現代人集団のゲノムデータを比較した結果,
東南アジアに居住していた先史時代の人々は,6 つのグループに分類できることが分かりました

グループ1 は現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,
ラオスのPha Faen 遺跡(約8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアのGua Cha 遺跡(約4 千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。
また,このグループ1 に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,
驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。

グループ4 は現代の中国南部地域の人々と遺伝的に近いことも分かりました。

このように,部分的には中国南部の少数民族からの遺伝的な影響があったり,
台湾などの地域へも遺伝的なつながりがあったりと,新石器時代の東南アジアの人々は単純に
元々住んでいた狩猟採集民がそのまま農耕を取り入れたという静的な状態ではなく,
大陸内と島嶼部で複数の大きな移住の過程で徐々に農耕を取り入れて行ったことが分かってきました。

従来の考古学的な視点からは,これらの時期には稲作・雑穀などの農耕文化を持つ人類集団が東南アジアに
多数入植して原住民と置き換わったというシンプルな「2 層構造仮説」が提唱されてきました。

本研究成果では,すでに稲作文化を持っていた中国南部からの遺伝的な影響は部分的で,
人々が完全に置き換わったということではないことが判明しました。その大きな移住の波が少なくとも4 回以上は
あったことが解析の結果分かってきたことから,このような東南アジアの人々の移動を
「複合モデル」という新しい枠組みで捉え直すことになりました。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=337608

66 :
弥生時代の人類のゲノム解析も進められていますが、縄文系と渡来系という以前からの形態学的分類がそのまま当てはまるものではなく、
複雑な様相を呈していることが明らかになってきました。
福岡県那珂川町安徳台遺跡で発見された弥生時代中期の女性は、典型的な渡来系弥生人と考えられており、
遺伝的には韓国や中国の集団と類似する、と予想されていましたが、
ゲノム解析の結果、現代日本人の範疇に収まり、むしろやや縄文人に近い、と明らかになりました。
本書は、安徳台遺跡の弥生時代中期の集団が東進し、在来の縄文系と混合していったとすると、
現代日本人における縄文人の遺伝的影響はもっと高くなっていると予想されることから、
弥生時代中期〜古墳時代におけるユーラシア大陸からの渡来を想定する必要がある、と指摘しています。

縄文系とされる弥生人のゲノムも解析されています。
長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代後期の合葬された男女2人は、
縄文人と共通する形態学的特徴を有している、と評価されています。
mtDNAのハプログループでは、女性が縄文系と考えられるM7a、男性が渡来系と考えられるD4aと明らかになりました。
しかし、核ゲノム解析では、縄文人と現代日本人の中間に位置する、との結果が得られました。
上述した安徳台遺跡の事例からも、弥生時代には在来系と渡来系との融合が進んでおり、
弥生人は均一な集団ではなく、独自の遺伝的構成を有していた、と言えるでしょう。

本書は、弥生時代の渡来系は当初より在来系の縄文人と融合し始め、
当時の朝鮮半島には渡来系弥生人と同じ遺伝的構成を有する集団はいなかっただろう、と推測しています。

 また本書は、弥生時代になっても日本列島の大半に縄文系の人々がいたと考えられることから、
弥生時代以降もユーラシア大陸から日本列島への流入があり、
現代日本人につながる集団の完成は古墳時代だろう、との見通しを提示しています。まだ予備的な研究の段階ですが、
古墳時代になると、関東の集団の遺伝的な構成が大きく変わるそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html

67 :
天皇一族や朝鮮からの渡来人が日本に渡って来て、縄文人・弥生人を征服したのは3世紀以降

神武東征は実際にあったとすれば、西暦何年頃の出来事だと思いますか?

pin********さん 2016/2/13 21:23:55

「日本書紀の神武紀」を見ると、彼らは、大阪湾までやってきて、「登美のナガスネヒコ」との戦闘の時に、
舟で日下の蓼津(現在の東大阪市日下町付近)まで進出して来ます、そこでの戦闘で、
兄の五瀬命が負傷したので、南方(現在の大阪市淀川区西中島南方付近)を舟で経由して撤退し
血沼海(茅渟海、大阪湾)に出たとの記述があります。

現在の地形では、「蓼津も南方」も陸地で、舟で到達したり通過したりすることができません。

でも、250年から300年頃の弥生時代の後半には、大阪湾の奥に河内湾というのがあり、
この二つの湾を分断するような半島状の地形(片町台地)の先端部分が開いていて、
海水が河内湾にも流入していたのです。

その後、堆積物によりふさがって河内湖になり、ふさがったところが「南方」です。

このように、「神武」が東征してきた時の状況がリアルに伝えられていますので、
時期としては、250年から300年ごろのことだと考えられます。

68 :
要するに、

弥生人は日本に漂流して来た長江の男が縄文女に産ませた子供
弥生時代は縄文人の遺伝子が主流だった
古墳時代には朝鮮からの渡来人が大量に流れて来て日本の支配階級になった

天皇は古墳時代に朝鮮から来た渡来人だから漢民族で間違いない

天皇一族の様な朝鮮から入って来た漢民族系朝鮮人は一重瞼
長江から来た弥生人は二重瞼

弥生人の刺青は長江人と同じ
吉野ケ里の鳥居は長江の鳥居そのまま

弥生人=長江人
天皇一族=朝鮮から渡来した漢民族

である考古学的証拠は沢山有る

69 :
弥生時代後期の弥生人骨は大半が渡来系だった 2018年11月18日

◇青谷上寺地遺跡 ◇DNA分析 後期、盛んな交流

 鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代後期の人骨について、
県埋蔵文化財センターや国立科学博物館などが実施しているDNA分析調査の中間報告会が17日、
同町の市青谷町総合支所で開かれた。大半の人骨のルーツが大陸からの渡来系だったといい、
同博物館の篠田謙一副館長は「日本人の成り立ちを知る重要な手がかりだ」と話す。(河合修平)

 遺跡からはこれまでに約5300点の人骨が出土。調査では、頭蓋骨約40点から微量の骨を削り取り、
DNA分析を行っている。報告会では、母から子へ受け継がれるミトコンドリアのDNA配列を分析し、
母系の祖先をたどった調査結果を篠田副館長が説明。市民ら約130人が聞き入った。

 篠田副館長によると、九州北部の遺跡から出土した弥生前期の人骨の分析では、
在来の縄文系と渡来系の遺伝子が見つかった。当時の人が両方の祖先を持っていたことを示しており、
青谷上寺地遺跡の人骨についても、両方の遺伝子が検出されると予想していたという。
しかし、今回DNAを抽出した人骨32点のうち、31点が渡来系で、縄文系は1点だけ。
DNAの型は29種類に分かれ、血縁関係がほとんどないことも分かった。
 青谷は遺跡の発掘調査から、大陸などとの交易拠点だったと考えられており、分析からも、
多くの渡来人が入ってきて、交易で栄えていたことがうかがえるという。
また、従来の研究では、稲作の普及や定住生活の広がりに伴って
弥生後期には日本人の中に渡来系と縄文系が交ざっていたと考えられていた。
しかし、今回の調査結果は定説に当てはまらず、篠田副館長は「これまでの説について
発展的に考える契機になる」と述べた。
https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20181117-OYTNT50025.html




弥生人と言われていた民族も弥生前期は二重瞼の長江系、弥生後期は一重瞼の朝鮮系で、別民族。
一重瞼の天皇一族は勿論朝鮮系ですね:

従って、天皇は O2 で間違いない

70 :
>>68-69


だから、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えよ華南ブタチーノ!

71 :
吉野ケ里が証拠遺跡だろ

吉野ケ里の鳥居は長江の鳥居そのまま

72 :
鳥信仰は長江文明
竜信仰は漢民族

弥生遺跡からは鳥の像が沢山出るから長江文明そのものなんだ

73 :
>>71-72


だから、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよ華南ウンコ色ブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇チーノ!

74 :
>>71-72


で、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよ華南サギサギ ブタニグロ野郎!

75 :
>>71-72


で、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えよ華南ブタチックニグロ野郎!

76 :
登呂遺跡は長江の部落と全く同じだよ

77 :
>>71-72


で、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよ華南ウンコ色ブタ原人!

78 :
DNA解析で

弥生人=長江人

は既に証明されている

79 :
【住んで応援】 飯舘村に1戸4467万円の公営住宅、14戸は既に完売、残り1戸、ご購入はお早めに
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1542507563/l50

80 :
>>78


で、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えよ華南ブタ広鼻ベトナミー!

81 :
DNA解析で

弥生人=長江人

は既に証明されている

82 :
>>81


で、長江江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた長江江南系生活土器&炊飯土器と
土壁の長江江南系住居と石刃の長江江南系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?


で、長江江南から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよ華南ニグロブタ。

83 :
DNA解析で

弥生人=長江人

は既に証明されている

84 :
弥生時代の人類のゲノム解析も進められていますが、縄文系と渡来系という以前からの形態学的分類がそのまま当てはまるものではなく、
複雑な様相を呈していることが明らかになってきました。
福岡県那珂川町安徳台遺跡で発見された弥生時代中期の女性は、典型的な渡来系弥生人と考えられており、
遺伝的には韓国や中国の集団と類似する、と予想されていましたが、
ゲノム解析の結果、現代日本人の範疇に収まり、むしろやや縄文人に近い、と明らかになりました。
本書は、安徳台遺跡の弥生時代中期の集団が東進し、在来の縄文系と混合していったとすると、
現代日本人における縄文人の遺伝的影響はもっと高くなっていると予想されることから、
弥生時代中期〜古墳時代におけるユーラシア大陸からの渡来を想定する必要がある、と指摘しています。

縄文系とされる弥生人のゲノムも解析されています。
長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代後期の合葬された男女2人は、
縄文人と共通する形態学的特徴を有している、と評価されています。
mtDNAのハプログループでは、女性が縄文系と考えられるM7a、男性が渡来系と考えられるD4aと明らかになりました。
しかし、核ゲノム解析では、縄文人と現代日本人の中間に位置する、との結果が得られました。
上述した安徳台遺跡の事例からも、弥生時代には在来系と渡来系との融合が進んでおり、
弥生人は均一な集団ではなく、独自の遺伝的構成を有していた、と言えるでしょう。

本書は、弥生時代の渡来系は当初より在来系の縄文人と融合し始め、
当時の朝鮮半島には渡来系弥生人と同じ遺伝的構成を有する集団はいなかっただろう、と推測しています。

 また本書は、弥生時代になっても日本列島の大半に縄文系の人々がいたと考えられることから、
弥生時代以降もユーラシア大陸から日本列島への流入があり、
現代日本人につながる集団の完成は古墳時代だろう、との見通しを提示しています。まだ予備的な研究の段階ですが、
古墳時代になると、関東の集団の遺伝的な構成が大きく変わるそうです。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html

85 :
弥生時代後期の弥生人骨は、弥生時代中期までの長江系ではなく、華北・朝鮮系の渡来系だった 2018年11月18日

◇青谷上寺地遺跡 ◇DNA分析 後期、盛んな交流

 鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代後期の人骨について、
県埋蔵文化財センターや国立科学博物館などが実施しているDNA分析調査の中間報告会が17日、
同町の市青谷町総合支所で開かれた。大半の人骨のルーツが大陸からの渡来系だったといい、
同博物館の篠田謙一副館長は「日本人の成り立ちを知る重要な手がかりだ」と話す。(河合修平)

 遺跡からはこれまでに約5300点の人骨が出土。調査では、頭蓋骨約40点から微量の骨を削り取り、
DNA分析を行っている。報告会では、母から子へ受け継がれるミトコンドリアのDNA配列を分析し、
母系の祖先をたどった調査結果を篠田副館長が説明。市民ら約130人が聞き入った。

 篠田副館長によると、九州北部の遺跡から出土した弥生前期の人骨の分析では、
在来の縄文系と渡来系の遺伝子が見つかった。当時の人が両方の祖先を持っていたことを示しており、
青谷上寺地遺跡の人骨についても、両方の遺伝子が検出されると予想していたという。
しかし、今回DNAを抽出した人骨32点のうち、31点が渡来系で、縄文系は1点だけ。
DNAの型は29種類に分かれ、血縁関係がほとんどないことも分かった。
 青谷は遺跡の発掘調査から、大陸などとの交易拠点だったと考えられており、分析からも、
多くの渡来人が入ってきて、交易で栄えていたことがうかがえるという。
また、従来の研究では、稲作の普及や定住生活の広がりに伴って
弥生後期には日本人の中に渡来系と縄文系が交ざっていたと考えられていた。
しかし、今回の調査結果は定説に当てはまらず、篠田副館長は「これまでの説について
発展的に考える契機になる」と述べた。
https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20181117-OYTNT50025.html

弥生人と言われていた民族も弥生前期は二重瞼の長江系、弥生後期は一重瞼の朝鮮系で、別民族。
一重瞼の天皇一族は勿論朝鮮系ですね:

従って、天皇は O2 で間違いない

86 :
要するに、

弥生人は日本に漂流して来た長江の男が縄文女に産ませた子供
弥生時代は縄文人の遺伝子が主流だった
古墳時代には朝鮮からの渡来人が大量に流れて来て日本の支配階級になった

天皇は古墳時代に朝鮮から来た渡来人だから漢民族で間違いない

天皇一族の様な朝鮮から入って来た漢民族系朝鮮人は一重瞼
長江から来た弥生人は二重瞼

弥生人の刺青は長江人と同じ
吉野ケ里の鳥居は長江の鳥居そのまま

弥生人=長江人
天皇一族=朝鮮から渡来した漢民族

である考古学的証拠は沢山有る

87 :
>>83-86


で、長江江南、華北から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器&炊飯土器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった中国系言語の単語は?


で、長江江南、華北から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよ中華ブタ広鼻ベトナミー!

88 :


89 :
日本神話 = 朝鮮神話、 天皇は朝鮮人だった

日本神話は確実に朝鮮神話に源流を持つ。日本神話で有名な八咫烏も高句麗のシンボルである。

↓高句麗の壁画に描かれた八咫烏

八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、
導きの神として篤い信仰があります。

平安から鎌倉時代にかけて皇族や貴族から篤い信仰を受けた熊野神社の主祭神は
朝鮮半島ソシモリ出身のスサノオであり、そのお仕えである八咫烏は高句麗のシンボルである。

熊野神社は高句麗系渡来人の神社であったのだろう。
スサノオは朝鮮半島のソシモリから虵の韓鋤の剣を携えやってきてヤマタノオロチを退治した。
「虵の韓鋤の剣」は間違いなく朝鮮製の剣であろう。

ヤマタノオロチは蛇である。日本の古くからの信仰は蛇信仰である。
蛇信仰は注連縄や鏡餅や土器などに見ることができる。
脱皮し永遠の命を持つと思われた蛇は信仰の対象であった。

その蛇を朝鮮半島からやってきた神が朝鮮製の剣で退治したヤマタノオロチの神話は示唆的である。
これは渡来人が蛇信仰の土着倭人を殺戮した歴史では無いだろうか。
http://japbuster.hatenablog.com/entry/2017/05/31/092557

90 :
>>89
神武天皇が半島人なら、漢服か胡服、それに木沓か革靴、土壁の住居が弥生後期に
伝わってるはずだろ。

熊野神社はずっと後世の起源だし、スサノオは倭からソシモリに遠征し、帰ってきた
と記紀には書かれているだろ。

妄想。

91 :
>>83-86


で、長江江南、華北から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器&炊飯土器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった中国系言語の単語は?


で、長江江南、華北から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えよ華南ウンコ色ブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇ベトナミー!

92 :
>>90 そんな事どこにも書いてないよ

古事記ではスサノオは高天原から出雲にやってきたということになっているが、「日本書紀」には異なる伝承が語られている。

それによると、スサノオは高天原から追放されてただちに出雲に降りたわけではなく、
まずその子イタケルとともに新羅の「ソシモリ」という所に降り立ったというのである。

93 :
御所の高天から新羅のソシモリに行き、それから出雲に行っただけ。

94 :
>>83-86


で、長江江南、華北から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器&炊飯土器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、渡来時に伝わった中国系言語の単語は?


で、長江江南、華北から渡来定着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよ華南ウンコ色ブタチック半ニグロ!

95 :
>.90
これも嘘

>熊野神社はずっと後世の起源だし

熊野は縄文時代から聖地だよ

高天原はソウルに有った聖山だし

96 :
高天原故地碑
高天原故地碑(たかまがはらこちひ)は、大韓民国慶尚北道高霊郡の加耶大学校内にある石碑。
日本神話の天津神が住む高天原は、ここであると記されている。

高天原は実在の地域を反映しているとする説は古くから存在し、第二次大戦後は主としてアマチュア研究家によって
朝鮮半島説も唱えられることがあった。当初その比定地とされたのは、戦前から一部の研究家によって
スサノオが立ち寄ったという新羅のソシモリの候補とされた、『冬のソナタ』のロケ地として知られる江原道春川市であって、
慶尚北道高霊郡ではなかった。

春川に代わって名乗りをあげたのが高霊郡であった。加耶大学校の李慶煕総長がこの説の主唱者で、
1999年6月28日に「高天原故地」と記された石碑が建立された。

97 :
李慶煕総長の主張によると

高皇産霊尊は、高と霊の字が含まれるので、高霊郡で誕生した[1]。

東国與地勝覧に書かれている伽耶の天神夷毗訶の次男伊珍阿豉(イジンアシ)はイザナミと発音が似ている。
そのため、伊珍阿豉はイザナミである。

任那の任は現代の韓国語で「主人」「母」を意味する。そのため、任那は『主人の国』や『母なる国』を意味する。
高千穂の添山(そおりやま)は韓国の首都ソウルと発音が似ている。そのため、添山はソウルを指す。

と、いうことだそうである。

これらの主張は、2001年に訪韓した筑波大学の馬渕和夫名誉教授らの賛同を得ている。
このとき、馬渕教授は李総長の主催する学会で「朝鮮民族が日本を征服し大和王朝を建てた」と発表している[2]。

98 :
>>95
神社として確立されたのは平安時代からだぞ。


>>96-97
チョンセン人の方?w

高天原は葛城氏のテリトリーだった御所市の高天あたり一帯の事ですよ。

朝鮮民族が日本を征服し大和王朝を建てたなら、神武天皇の時代である弥生後期の
畿内に生活痕たる三韓瓦質土器や韓式土器などの朝鮮系生活土器と
土壁の朝鮮系住居と韓服が伝わってないとおかしいじゃないの。

99 :
>>98
>朝鮮民族が日本を征服し大和王朝を建てたなら

ニニギも神武も奥さんは縄文人だから、言葉も生活も奥さんに任せたんだ
朝鮮式土器や朝鮮服なんか自分じゃあ作れないよ

100 :
ニニギは朝鮮の戦いに負けて日本に逃げて来たんだ
味方は朝鮮にはいない
縄文人にすべて頼るしかなかったんだ


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