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【再構成版】御機嫌如何(一)【長編小説】


1 :2019/12/14 〜 最終レス :2020/04/15
<はじめに>
 本来であれば、創作発表板にでも投下するべきですが、どう考えても違うので、ここで書かせてください。
 これは2014年に投下して、落ちたものの再構成版で、御機嫌如何(二)の前にあたります。
テーマは、大切な思い出があれば、人は生きていける…はず(笑)です。
よろしく、お願いします。

2 :
◆ナミリの動画

 ナミリの動画を見たのは、魔が差したとしかいいようがない。

 窓から東海大相模のクリーム色の校舎が見えるアパートの部屋、壁を隠す四つの本棚に
は隙間なく本が詰め込まれ、入りきらない本は、床に積み上げられている。それだけでも、
軽く二、三百冊はあるだろう。
 本棚の前には、炬燵と小さな簡易ベッドがあり、ベッドには、若い全裸の女が、膝をた
てて、あおむけに寝ている。
 ポコポコという音をたてながら、女に近づくカメラ。(大昔のビデオカメラなもんで)
どういうわけか、女は畳んだバンダナで目隠しをされている。
カメラは、たてた膝の間の奥を狙って拡大中。

3 :
気配で、気づいたようで、
「えぇっ。うそぉ。まじぃぃ」かなりはっきりした口調で。
「はずかしい」これは、消え入りそうな声で。
若い女は、右足を折り曲げて、左足の太ももに重ねて股間を隠そうとするが、
撮影者の手が出てきて、ゆっくり右足を開かせ、そして左足も開かせる。
「いやぁぁ」笑いながら。
「はずかしいぃ」
若い女は、両足を開いた姿勢のまま、両手で顔を覆い、すこし目隠しのバンダナをずらす。
バンダナと両手の隙間から、撮影者をそっと見たようだ。
「撮ってる」ちょっと、非難混じりの強い口調で
でも、アップにした口元は、笑っている。

4 :
 女の頬は、真っ赤でとても恥ずかしがっていることがわかる。
アップのままアゴの下のホクロを通り過ぎて、かわいらしい乳房、さらに陰毛、足まで映
すカメラ。真っ白な肌と黒い陰毛のコントラストがエロい。
女は、つま先で、カメラを蹴ろうとする。
「はいぶんやるじゃん」(何回聞きなおしても、こう言ってる。意味不明)
「いま、アップで撮ってた」(撮影者には意味が通じてるみたいで、答えてる)
「何を」
「足」
女は、足を伸ばし、そして左足の膝をたてる。
両腕を頭の下に入れて、顔を少しあげた。
「えっ」「えっ」「えっ」何か聞きなおしている。
「ナミリ、ポーズとって」聞き取れないけど、たぶん言ってる。
あおむけに寝て、足を伸ばし、カメラを見つめる女。
「ポーズ、わかんない。いやらしい」
「いやらしいこと頼まないでよ」
ナミリは、体を横向きにする。
顔をアップにすると、バンダナを下げて目を隠す。
カメラが、足の方を映すと、またカメラを蹴ろうとする。
また、顔をアップにすると、今度はバンダナを上げて、目を見せて
「ほんとに、いやらしい」と言った。

5 :
横向きに寝ているナミリ。
白くほそい指がそっとお腹を撫でながら黒い股間のほうにすべっていく。
指は陰毛のあたりを撫ではじめた。
自発的にするはずがないから「オナニーして。まねでいいから」と指示されているはず。
仰向きに姿勢を変えたナミリ、陰毛を撫で続けている。
しばらく、白くほそい指が、黒い陰毛を撫で続けた。
でも、ついに恥ずかしさが限界を越えたみたいで、起き上がり斜めに座った。
そしてカメラを見て、顔を横に向けた。
顔をアップにするカメラ。
軽くウエーブのかかった肩まである髪をかきあげて、カメラを見るナミリ。
白い肌、二重瞼の大きな目、頬は赤く上気している。
ぷくっとした頬には幼さが残っている。
ユウタは、この顔が好きだった。
何が好きだったか聞かれると、顔と即答すると思う。
さらに、顔をアップで映すカメラ。
ナミリは、少しうつむき加減になって、前髪を触る。
ナミリには前髪に対する強いこだわりがあり、額を出した顔を絶対見せたくないみたい。
これからシャワーするから、そのままでいいんじゃないと思う時でも、必ずドライヤー
で直す。前髪で、おでこを隠してない顔を見られたくないらしい。

6 :
「ヘンタイ」とカメラに向かって呟いたナミリ、
四つん這いになって、体を伸ばして、炬燵の上のたこ焼きをつまんで食べる。
腹のあたりが薄く、細い体を真横から撮るカメラ。撮影者はしゃがんだらしい。
 
 そういえば、なんで目隠しのバンダナをしていたのか、思い出した。
ナミリは、自分の胸が、かわいらしいことを非常に苦にしており、自分は、かっこいい人
とはつきあえない。なぜなら胸が小さいから。きっと、嫌われて捨てられる。街で胸が小
さい人を見ると、友達だと思う。だから雛形あきこが大嫌い。と言っていた。
 そして、いつか豊胸手術をするとも言った。
その細い体で、体脂肪率も低いだろうに、顔・スタイルともに、ほぼ完ぺきだから、コ
ンプレックスが、ちょっとだけかわいらしい胸に集中するのかなと思いながら。
 豊胸手術が始まってから、まだ一世代たってない。入れた今はよくても、将来何が起こ
るかわからない。よく、わかってない。中に入れたシリコンが固まったり、生理食塩水の
パックが破れたということも聞いたことがある。最悪ガン化もあり得る。
もう少し大人になれば考えも変わるんじゃない。体つきも、もっと変わってくるだろうし、
と反対すると、あなたは、胸がない悩みをわかってないと、すごく怒られたことがある。
 かわいらしい胸を見られるのも嫌で、真っ暗なところじゃないと、裸になりたくないと
も言っていた。ここから少し論理の飛躍があるのだが、自分が目隠しをすれば、明るいと
ころでも裸になれるという。見ているほうではなく、見られている自分が目隠しすればよ
いという理屈は分かりかねるところもあるけど、ナミリがそれでいいなら、それでいいん
じゃないという流れで、目隠しをしていたのである。
 そういえばHするために、二人でデパートでアイマスク探してたな。旅行売り場にある
んだけど、気がつかなかったな。目隠し!どんなヘンタイ・プレイさせてるのか、ヘンタ
イ・ドスケベ野郎と思ったかも知れませんが、真相はこういうことで、私は無実です。

7 :
ナミリは、もぐもぐ小さくかわいらしい口を動かしながら、お茶を飲んで、四つん這い
の体を丸めて、布団のなかに逃げ込んだ。カメラの方を見て、にこにこ笑っている。
 すかさず撮影者の手が布団を剥がして、カメラをお尻の方に回り込ませる。体の細さと
は不釣り合いと思えるくらい大きく丸いお尻が映る。お尻の左の上には大きなホクロがある。
「こんないやらしい人、見たことない。あたし。はっきり言って」
ほとほと、お前にはあきれたぞ!あきれはてたぞ!このヘンタイ・ドスケベ野郎というかんじ。
そう言うと、ナミリはカメラに顔を寄せて、チュッとキスをした。

8 :
 ナミリの動画を見てしまったのは魔が差したとしかいいようがない。

 不幸で痛ましい三鷹の女子高生殺人事件(2013年10月8日)の過去ログを見ているとき
突然思い出したのだ。容疑者の堂々とした態度、なにか偉大なことをなしとげたかのよう
な満ち足りた穏やかな表情。少なくとも、そう見えた。
 絶対安全と思っていた自分の家で襲われ、驚愕と恐怖のなかで、刺されて亡くなった女
子高生のことを思うと、どうにも納得できずに、鬼女版の過去ログを見ていたとき、突然
思い出してしまったのだ。
 事件直後は、画像や動画は、刺した後にアップしたものだと勘違いしていた。殺害の動
機を周知させるためにアップしたのか。確かに、二人の間には愛があったことを言いたい
のか?そういうことを考えているうちに、思い出したのだ。

9 :
「ほんと、かんべんしてくださいよー」
裸のまま正座して、顔を少し傾けながら、土下座し懇願するナミリ。
どうも、これは罰ゲームでやらされているようだ。
しかし撮影をやめる気配はない。
ナミリは髪をいじり、その手を太ももに置いた。
ちょっと飽きたみたい。
うん。
ナミリ、何かに気づいたようで、裸のまま四つん這いで、ベッドの上を近づいてくる。
ベッドの横に立って撮影している撮影者の前まできて、ベッドに腰をかけ、撮影者の
はいているジャージをずらす。
「すごいぃ」
これ以上ないくらい勃起している撮影者のちんこ。
うれしそうな顔で見上げるナミリ。
ナミリはパンツの上から、勃起しているちんこを口に咥える。
「ほんとはしてほしいんでしょ」
パンツを脱がせるナミリ。
「あっ。でも、これゴムつけたんだよね。残念でした」
ゴムの匂いが嫌いだから、Rやめたということらしい。
でも、依然として撮影者のちんこの先を熱心に触るナミリ。
「皮剥けてるよ」
Hした後みたいで、コンドームのゼリーか何かが残っていて乾燥したのを、皮が剥けた
と勘違いしているみたい。

撮影者のちんこのアップ。シャワーで洗ってきたみたい。ここだけナミリが撮ってる。
再び撮影者にカメラが渡され、
ベッドに座るナミリを立って上から撮る構図で撮影が再開される。
ナミリの白く細く形のよい指が、ちんこの先を広げたり狭めたりしている。
透明な何かが出てきた。
「キレイにしないとね」
ティッシュで、ちんこの先を拭きながら、つぶやくナミリ。
そして、ちんこを口に咥える。すかさず体をねじまげて、横から撮る撮影者。
ナミリは目をつぶって、ちんこのさきを咥えている。
静かに頭を動かしている。
目を開けて、横から撮っていることに気づいて
「はっはっはっ」と嬉しそうに朗らかに笑う。

10 :
この間ゴールデンカムイの再放送かなんか見てて、
「ちんこ」はいいんだと思ったんだけとホント大丈夫ですかね?
愛はHでしか表現できないのか!
という課題を追求する芸術的表現とお考えいただいてご寛恕いただけると幸いです。

11 :
2014年に投下したというスレを貼ってよ

12 :
レスありがとうございます。誰も読んでないというわけじゃないのねと安心しました。
実は、今2014年に投下したものを見ながらやってるんですが、全編に立ち上る雰囲気
は、まさしく狂気。狂人日記としかいいようがないような内容です。
さらに、フィリピンと日本のハーフ勉強編と、高認の資格を取るため二人で勉強する話
が、メールという形で延々と続きます。
もうひとつ、当時問題になっていた朝日新聞と慰安婦問題の関係も、相当のボリューム
となっており、ついに、書くのが自分自身で嫌になったという内容です。
今回は、エロ多め、関係ないことは書かない方針で、丁寧にやっていきたいと考えております。
大変申し訳ございませんが、長い目でお見守りいただけるとありがたく思っております。

13 :
ナミリの動画を見るまではホント大変だった。

 動画自体はすぐに見つかった。田舎に帰って来たとき、四階の物置につめこんだ段ボー
ルの山の中に、ひとつだけブルーのプラスチックの頑丈そうなケースがあり、ご丁寧にガ
ムテープでぐるぐる巻きにしていた。もしかしたら、開けちゃいけないんだったっけ、と
一瞬思ったけど、好奇心が勝り、開けてしまった。
 開けて、びっくりしたことは覚えている。当時の日記や写真やプリクラがたくさん出て
きたから。どれだけ好きやねん。捨てとけよ、とも思った。
 ビデオの類も沢山出てきた。どうも、ビデオカメラ買ったのは、Hのためではなく、カ
ラオケを歌うナミリをとることが目的だったみたい。ナミリ・プロモーションビデオとシ
ールを貼った8ミリビデオが10個以上出てきたから。
ところが、今度はメディアがない。どうすればいいのか、わからない。さらに探している
と、VHSにダビングしたものを発見した。しかし、これもデッキがない。考えていたら
昔、モー娘のビデオをDVDに焼こうと思って、結局やらなかったデッキがあることを思
い出した。それも、動くのかな、と方々を探しまくり、やっと見つけた。
ここまで、探し始めてから、一か月以上かかっている。
ユウタは、本とか映画とか、見たいと思ったら、絶対見るタイプで、あきらめないんだけ
ど、今から思うと正直この時はあきらめてほしかったね。
もし、タイムマシンがあったら、絶対見ちゃいけないよと言いに行きたい。絶対にね。

14 :
「ユウタのちんこ出演だね。映るからキレイにしないとね」
口から離したナミリ、ユウタのちんこの下を触りながら、また先の方を舐める。
また横から映すと
「はあぁー。はっはっはっ」と乾いた笑い。
しかし五回くらい頭を動かすと、
小さな声で「おしまい」だって。
完全に飽きた様子で、足を拡げたまま、寝そべる。
右手を股間の上において、左手を頭の下にいれて、カメラを見ている。
「いま、アップにしたでしょ。わかるよ」
「何かついてる」
急にユウタの手が出てきて、ナミリの陰毛についたゴミをとる。
さらに醒めた様子のナミリ。
「もうやめません」と言って、
体を横向きにして、顔を半分布団にうずめた。

15 :
最初のうちは、内容をまったく覚えてないことに驚いていた。
どうも、別れた直後に、まとめて箱に入れて封印していたみたい。
なにも覚えてなさすぎ。
断片的に、記憶していたと思っていたことは、すべて違っていた。

次によく撮れていると感心した。
被写体がいいから、どんなにとってもキレイなんだろうけど、
アングルとか、アップとかロングとか、
さまざまな撮影テクを使っている昔の自分に感心した。

16 :
「ユウタ、ちんこ洗って」
Rしてやるから、ゴムの匂いがしないように、
石鹸できちんと洗って来いということらしい。
一転、人が変わったようにノリノリになったのは、ここまで撮影した動画をチェックし
て、よく撮れていることに気をよくしたみたい。
AV女優の自覚が生まれたみたい。
「撮ってるの」
「うん」
ナミリはベッドの上に全裸で足を組んで座り、
そのまえにユウタが立ち、上から撮る構図で撮影が開始される。
「よろしくお願いしまーす。ちんちんちゃん」
ナミリの脳内設定は、ソープ嬢みたい。

17 :
その次に思ったことは、これはパソコンに取り込んだりしてはいけないということ。
何かの拍子に流出でもしたら、大変なことになる。なによりナミリに悪いと思った。
最初のうちは、冷静に見ていたと思う。

18 :
ナミリは、手を動かしながら、ちんこを口に咥える。
目をつぶって、一生懸命手を動かしている。
「ユウタ、いってね」「ユウタ、いってね」
返事がないので、二回言うナミリ。
口が小さいのと、舌の使い方が上手いので「気持ちいい。上手だね」と言うと
高校生の時、援交して、お金もらってたからね、と言う。
ナミリは毎日この手のウソを言って、ユウタがびっくりするのを面白がっていた。
電話で話しているとき、中学生のころ、二歳下の弟とエッチしていたと真に迫った調子で
話したことがあった。本当かしらと思い始めたら、ウェー気持ち悪いと自分で言い出して
ウソがばれたこともある。
「いきそう。よこになっていい」
さらに頑張りだしたナミリ。わっかにした手がはげしく上下動している。
しかし突然やめた。
「いっちゃって、大丈夫?」
ここで出したら、エッチできなくなると心配しているようだ。
「いれる?」「はめていい?」
「うん」
コンドームを装着するナミリ。
「平気?」「これでいいの」「こんだけでいいの」
ナミリ、コンドームのつけ方知らない援交少女いないから。
「うん。いいよ」
「はめるよ」
ユウタのちんこを握ったまま、腰を落とすナミリ。
「はいるかな」
ナミリの顔が一瞬ゆがむ。はいったみたい。
騎乗位のナミリ、満面の笑みで、手を上に伸ばし電気を消した。

19 :
ちょっと、てにをはが、おかしいのと、リズムが悪いね。

20 :
ちょっと、てにをはが、おかしいのと、リズムが悪いね。

21 :
ちょっと、気になるので、忘れないうちに書き直しておきます。

〇「はいるかな」
ナミリの顔が一瞬ゆがむ。はいったみたい。
寝ているユウタ、カメラを確かめて撮ろうとしたら、
満面の笑みのナミリ、騎乗位のまま手を上に伸ばし電気を消した。
(エッチを撮られたくないのか、かわいらしい胸を撮られたくないのか
それはわからない)
〇「みたい」多用しすぎ
AV女優の自覚が生まれたみたい⇒ようだ
〇冒頭
若い女⇒女⇒ナミリ の流れ方。
撮影者⇒ユウタ   の流れ方。
これも少し気になる

22 :
動画が半分を過ぎたころから、おかしくなった。
愛が溢れているんじゃないか。
なんで、こんなに気が合ってたのに別れたんだろうと考え始めてた。

三鷹の事件の過去ログに
「あんな動画や画像がなかったら、容疑者も、もっと楽に忘れることができたろうに」
という書き込みがあった。
容疑者の心を忖度する気も、同情する気も、毛頭ないけど、その通りだと思う。
スマホに入れて持ち歩いていたようだから、なかなか踏ん切りが、つかなかっただろうね。

個人的には、動画の方が画像より一億倍きつい。
「動画はヤバイよ。画像にしときな」(三原じゅん子風)というところ。
ごめんなさい。例えというか、何もかも古くて。すいません。それにちょっと不謹慎かな。

動画は正直にいうと、もう一度見る勇気はない。
自分にとっては、ジョージ・オーウェル「1984年」に出てくる110号室に用意されている
ような最終兵器で、おかしくなることがわかっているから。

23 :
ユニットバスに入るナミリとカメラ。
ナミリは、髪をピンでとめて纏めている。
別の日の撮影なのか。

ナミリのかわいい顔のアップ。
ちょっとぼやけている。(ユニットバスが狭すぎて距離がとれてないようだ)
「座ってやっていいの?」
どうも、オシッコをするところを撮影するようだ。
「いいよ」
依然として、大写しのナミリの顔。ちょっと、照れてるみたい。
いや、立って撮らせて、という間もなく、出ている音がする。
太ももと陰毛のあたりしか映ってない。
焦る撮影者、太ももを開かせて、出ているところを撮ろうとするが
「真っ暗」撮影者のうろたえた声。
そうこうしているうちに
「すんじゃった」撮影者の声。残念でたまらなそう。
「すんじゃった」ナミリの声。照れ隠しもあるのか、同じセリフ。
コロコロ。
トイレット・ペーパーをとりながら、すこしためらっている様子のナミリ。
意を決したように、ペーパーで拭く。
ここが一番恥ずかしかったかもしれない。
流す音。
ユニットバスを出るナミリ。カメラもついていく。
ナミリの後ろ姿。
細いけど、やせぎすというわけでもない。
肩幅は、ほどよくあり、キレイな背中、ちょっとむっちりしたヒップ。
太ももから足にかけては、細く長い。
ホントにスタイルがいい。
ナミリが振り返った。
おっぱいも、本人が気にするほど、小さいとは思わないんだけど。
それなりに膨らんでいるんだけど。

24 :
◆ナミリの家

「ビデオどうして撮らせるんだろうね」(スマホがない時代なので動画とはいわない)
ナミリが言ったことを思い出す。
「それはね。ナミリに振られたユウタが、それを見てオナニーするために、撮らせてくれ
てるんでしょう」と、答えたと思う。

何もかも難しい恋だったので、いつも別れることを考えていた。
その日が来るのを恐れていた。いつも恐れていた。

好きで好きで、たまらなかった。本当に好きだった。
逢ってるときは、楽しくて仕方がなかった。

動画を見ていたら、いろんなことを思い出してしまった。

逢いたい。
声が聞きたい。

住所も電話番号もわかっている。
でも、電話する勇気はない。

25 :
チェックしないで書いて間違えた
(誤)110号室⇒(正)101号室

26 :
ベッドに横になっているナミリが映っている。
その隣にはユウタの体の一部も映っている。
カメラを本棚の前に積まれた本に置いて、
撮影者も参加して、からみを撮影することにしたようだ。
ナミリの顔が近づいて、手がカメラの方に伸びてきた。
角度の調整か。目がカメラの横のモニター画面を見ている。

ナミリの細く白い体に、ユウタの体が、かぶさって、抱き合い、キスをしている。
とてもとてもとても長いキス。
目を閉じているナミリ。
ユウタが手を突っ張って、動き出した。
でも、まだ入ってないみたい。
ナミリが小声でなにか言ってるけど、聞き取れない。
「あー」ナミリのかすかな溜息。入ったみたい。
突然、カメラを手に取り、二人がつながっているところを撮るユウタ。
「おいおい」ナミリの声。
よく見るとバスタオルを胸に巻いて、注意深く乳房を隠しているナミリ。
どれだけ見られたくないのか、あるいは見たくないのか。こだわりがあるようだ。

また、カメラを戻して、抱き合う二人。キスしている。
「ゲッホ、ゲッホ」咳き込むナミリ。
ユウタの悪い癖、鼻を舐めたみたい。
「ごめん、ごめん」
「違う、そんなことないよ。息の吸い方間違えた。鼻で息した」
ナミリの意味不明だけど、優しいフォロー。
ユウタの手がナミリの白い体を撫で、そして陰毛のあたりにのびていく。
「生で入れちゃえ」「うそうそ」
また、抱き合う二人。
ナミリの腕がユウタの背中にまわっている。
白い手がユウタの背中を撫でている。

ナミリが喘ぎだした。
また入ったみたい。
「ふうん、ふうん」小さく喘ぐナミリ。
すると、カメラに向かってナミリの足が伸びてきた。

動画は、ここで止まっている。
ナミリが足でカメラを止めたみたい。
とても恥ずかしくなったようだ。

27 :
手紙を書くことを思いつく。
文面も考えないといけないけど、
まずはストリートビューで、家を見てみようと思い立つ。
ところが住所検索をしてもヒットしない。

ふえふきし!笛吹市。エッ!東八代郡じゃないんだ。
いつの間にか、地名が変わっていた。
南アルプス市ができたことは知ってたけど。
それじゃ釜無市もあるのかしら?

番地まで入力して、ナミリの家の通りにたどりつく。
ところが見当をつけて、表札を見ても、ナミリの姓がない。
おかしい。
空撮に切り替えると、なんか妙に、空き地が増えてるように思える。
引っ越ししたのだろうか?
家が無くなっていたら、もう手がかりはない。

落ち着け。落ち着け。
駅に戻って、駅から辿っていけば行きつくはず。

へえー。足湯とかあるんだ。それに、すごくきれいになっている。
石和温泉駅は、凄くきれいな駅になっていた。

すると何か少し思い出し始めた。
最後に、本当に最後にナミリに会った夜のこと。
別れて二ヵ月くらいした後、何かを渡すために会ったことがあった。
用が済んで、家に帰るナミリを送っていった。
自転車を押しながら歩くナミリの後ろを歩いてた。
そのとき、駅周辺の工事をしていたことを。

道も大きくきれいになっていた。
区画整理でもしたのかしらん。
見当をつけて、近づいて、表札を見たけど、これも違う。
間違いようがないほど、近くわかりやすいはずなのに、探せない。

28 :
落ち着け。落ち着け。
思い出せ。

最後に会った夜。家まで送り届けた。
つきあっているときは、家まで送ると、
家の隣の倉庫みたいなところで、お別れのキスをしていた。
でも、最後の夜は違ってた。
ナミリは、自転車を離さず、距離をとってた。
やっぱり、別れたんだ。
もう、新しいことが始まってるんだ。
もう、過去になっているんだ。
「元気でね」
すごく、舌が粘りつくような感触を感じながら言った。

そしてナミリが家に入るのを見届けた。
ナミリは振り返っただろうか?覚えてない。
「元気でね」と言ったとき、ちょっと微笑んだような気がしたけど
ちょっと困ったような憐れむような表情だったかもしれない。
足元を見ると、盛りを過ぎた紫色の紫陽花がしょぼくれていた。

そうだ、なんか倉庫があった。
それを探せばいい。

倉庫を見つけた。
倉庫はキレイな建物になっていた。
じゃあ。この隣じゃん。
慎重に表札に近づく。

落ち着け。落ち着け。

あった。

家は歳月を経て、古びていた。そして、通りになじんでいた。
間違えようもないはずなのに、なぜ、探せなかったのか?

無意識のうちに、初めて、ナミリを送っていった夜のこと。
大雨の夜で、新しい黄色い家が、ピカピカ光っているように見えた。
そのイメージで、家を探していたのだ。

十七年経っていた。

29 :
ここから、さらに六年たっているわけで、書いてる途中で六年経つというのも
われながら、大概な話だと思いますね。小学生なら卒業してるやん。
これを、どう整合するか、実は、考えあぐねています。
いっそ、全部、2013年に書き上げたことにしちゃおうかな、とか考えています。
これ以上異なる時間の流れができるのも、ただでさえ、混乱させているのに。
でも、たぶん、こういうことが好きなんだと思います。
もとは歴史の先生ですから(笑)

30 :
もうひとつ
かわいそうなユウタ、でもこの夜、奇跡がおきます(ナミリは関係ないけど)
ちょっと、覚えておいてください

31 :
十七年経っていた。

別れてから、十七年経っていた。
そのとき、感情の大きな波に襲われた。
うわわ。
そして気づく。
もう、ナミリは、お嫁に行ってしまって、この家にいないことを。
もう、好きとか、逢いたいとか、言えないくらい時間が経っていることも。
うわー。
どうすんの、俺。
また、失恋したってこと。

すると、氷のような恐怖がたちのぼってくる。
ナミリを忘れるのには、本当に苦労したのではなかったか。
(実は動画を見る前、ナミリのことを、どう思っていたか。
まったく、覚えてない。洗脳されたみたいに、その記憶がない)
また、それを繰り返すわけ。
どうなるんだよ。俺。

別れた後も、ナミリのことを思い出して、苦しんでいた。
忘れよう。忘れなきゃ。先に進めない。
何年も何年も何年も苦しんでいたのでは、なかったか。

この時の恐怖。六年経った今でも、まざまざと思い出す。
こうやって書いていても、うまく書けない。書ける気がしない。

次に襲ってきたのは自責の念である。
どうして動画を見てしまったんだろう。
別れてから、十七年何をしてきたんだろう。
どんなに好きで好きでたまらなくても、
別れたら、忘れるために、次の女とつきあい、上書きするんじゃないの。
みんな、そうしている。そうやって、生きている。
どうして、それをしてないわけ。

さらに重ねて、深淵に引きずり込まれるような寂しさが襲ってくる。
寂しくて寂しくて寂しくて、寂しすぎて、死ぬかと思った。

眠れないしご飯も食べられない。
このまま、行ったら、気が狂うかもしれないと、本当に思った。

手紙書かなきゃ。
ともかく手紙書かなきゃ。
そのことだけ、思い詰めていた。

32 :
ナミリが黒い服を脱いでいる。
「オフロ入る?」「先に入る?」
青色のカベ、青色の床、青が基調の部屋のようだ。
「ラブホ来るの、初めてじゃない?ちょっと、うれしい」
パンティまで脱いでるのに、なぜかブラジャーだけは外さないナミリ。
バスローブを羽織り、注意深く、ブラを外す。
「やっぱり、変わってるね」
「どこが」

バスローブを羽織り、ドライヤーで髪を直すナミリ。
オフロから出てきたみたい。

トイレに座っているナミリ。
「それ、あれでしょ。匂い袋じゃないの」
「違うみたい」

ベッドに上がり、枕もとのスイッチ類をさわるナミリ。
音楽が流れてきた。
中山美穂「ただ泣きたくなるの」を歌いだすナミリ。
なぜか、バスローブの前がはだけて黒い陰毛が見えている。
おっぱいさえ見えなければ、後は許容範囲となるらしい。
一番が終わりかけたところで、撮影者が登場、バスローブを脱がせる。
右手でマイクを持ち、左手でおっぱいを隠しながら、歌い続けるナミリ。
「なあんで、脱がせるのよ」
ちゃんと、間奏のところまで待って文句を言う。
サビのところでは、おっぱいから左手を離し、くるくるまわしながら熱唱する。
ミポリンみたい。
全裸だけど。
「ユウタ、たってるよ」「おしまあい」
はだかのナミリ、おっぱいを隠しながらカメラの前を横切る。
「髪洗っといで」
優しい声でナミリが言う。

ここでナミリの動画は終わっている。約40分の長さだった。

33 :
◆ナミリへの手紙

拝啓 大変ご無沙汰をしております。
 突然、お手紙を差し上げる無礼をお許しください。
 先日、不幸で痛ましい三鷹の女子高生殺人事件に関するネットの書きこみを見ていたら、
顔出し裸画像や動画を撮らせると、ネットに流出して夫や子供にばれることを恐れて、一
生ビクビクしなければならないとありました。
 リベンジ・ポルノというそうですが、もとより私にそのような考えは毛頭ありません。
私の父は市会議員をしておりましたし、私もそろそろ地元のロータリークラブの会長をす
るような立場にあります。
 なにより、私は、あなたに感謝こそすれ、恨みなど微塵もありません。
 遥か昔のことで、すっかり忘れておられるあなたに、わざわざ思い出させるような、お
手紙を差し上げることについて、何度も考え躊躇いたしましたが、もし心配されているな
ら、申し訳ないと考え、お手紙を差し上げた次第です。
 私の連絡先は以下の通りです。
   携帯   〇△×ー●□◎ー▽
   メルアド ahodesune@hontonine.ne.jp
処分の方法をご指示いただけると幸いです。ご心配なら、すべてお送りいたします。
そちらの方で処分して下さるほうが、安心かもしれません。

 名字も変わっておられるだろうし、住所も変わっておられるだろうと思いましたが、
わからないので、旧姓のまま、ご実家の方に送らせていただきました。
 いろいろと本当にありがとうございました。あなたに逢えたことは、わたしの人生で、
いちばん大切な思い出となり、わたしの生きていく力となっております。
 いろいろと、ごめんなさい。あなたは悪くないのに、私が未熟だったばかりに、いろ
いろ不愉快な思いをさせたと、後悔しています。 一度、あやまりたかったです。
ほんとうに、ごめんなさい。
  
 あなたとあなたのご家族の、末永い幸せをお祈りしております。
                                  敬具
追伸
 成人式のときの、かわいらしい写真を見つけたので同封しておきます。
 なぜか、パウチッコしてますね。永久保存しようとおもっていたのでしょうか(笑)
 ご連絡いただけると幸いです。いつまでも、お待ちいたします。

34 :
急に字が小さくなって台無し(笑)

錯乱状態で、わざわざ、このために万年筆と紙を買ってきて、何日も何日も寝ないで
書いた割には、一応スジは通っていますね。隠しきれない狂気は漂っていますが。

同封した写真は二枚で、そのうちの一枚はおもわず、まじまじと見てしまった、ホント
にいい写真。着物を着て座っているナミリが振り返っているんだけど、その表情は、
すべてをゆだねられる信頼しきった人にしか見せないような安心した笑顔に見える。
こんな顔を見せてくれてたんだと思うと、すべてを肯定できるようなベスト・ショット。

写真って不思議。成人式の頃といえば、すでに二人の仲は、ぎくしゃくしており、この
日も、会場まで行ったんだけど、二十歳の若さがまぶしくて、ナミリにも「友達と行く
から」と言われ、滞在時間一時間弱で返され、現実にうちのめされて、泣きながら帰った
(笑)と記憶してるんだけど。


してくれてたなら、すべてを肯定

35 :
今から思えば、写真を見つけたので、送ります。だけで、よかった気もするし、
なんで手紙?当時流行っていたフェイスブックで友達申請すれば、よかったんじゃね。
とも、思うけど、ハードルが高いと判断したんだろうね。

36 :
あなたに逢えたことは、
わたしの人生で、いちばん大切な思い出となり、
わたしの生きていく力となっております。

37 :
◆県立女子短期大学・アジア地域研究演習?
一応書いときますね。
なおこの小説はフィクションであり、登場する人物・団体名は、すべて架空のものです。
金曜三限に配置された、この講義を担当していたのがユウタで、選択していたのがナミリ
です。ユウタは、非常勤講師になって三年目くらいだと思う。たぶん。記憶は曖昧だけど。
非常勤講師は高学歴ワーキングプアとして、近年メディアにも取り上げられるようになっ
たけど一応説明しておきますね。そうね、野球で例えましょう。
専任      プロ野球一軍
非常勤     プロ野球二軍
博士後期    大学・社会人野球
博士前期    高校野球
学部      中学野球
ズレなければいいんだけど。

38 :
ズレましたね。

専任というのは、その大学の先生になることです。
専任講師⇒助教授⇒教授というかんじで、偉くなっていきます。
できる人は、地方から中央、私立から国公立へ移ったりします。

非常勤は、その前の段階。
大学の授業は専門性が要求されるので、ひとりの人が、アジアやったり欧米やったり、
古代史やったり近現代やったりすることはありません。
大学にとっては、とても重宝な存在です。安い給料で使えるからです。
この当時、一コマ(一時間半)あたり6000円くらいだったと思います。曖昧だけど。
この年のユウタは、週七コマ半(通年科目じゃなく半年の科目が一つありました)
くらい、月・火・水・金と、電車に乗って遠いところに行っておりました。
プロ野球二軍といいましたが、保障の手厚い日本ではなく、MLBのファームをイメージ
していただくと、実態に近いと思います。

39 :
どうすれば専任になれるか。それは論文を書くことにつきます。
publish or perishは直訳すれば、出版せよ、さもなくば滅びるという意味です。
要するに、論文書いて出版しなければ、先には進めないよ、上には上がれないよ
ということです。実力も必要ですが、運も必要です。ポストが空くときに、年齢
制限より下の年でいることも充分条件としては必要でしょうね。最近、仏教関係
で、りっぱな業績のある人が前途を悲観して自死する痛ましい事件がありました
が、そういうことも起こりえます。

なんて、偉そうなこと書いてますが、ユウタさんは、とても呑気な人なので、あまり
深く考えていません。この人は、ホントに、能天気な人です。

40 :
学生から見れば、同じ先生ですが、バイトみたいなものですね。
時給いいじゃんと思われるかもしれませんが、準備に時間がかかっています。
ユウタさんは、10倍原則の信奉者です。一コマの授業に対して、その十倍の時間準備に
かけるという意味です。あと、ひとつ前に行くというのもあります。三限の授業であれば、
二限に間に合うように行くということです。電車が遅れたりして、走ったりタクシー使っ
たりするのがいやだからです。大体、教室に一番先に入って、黒板に地図書いたりして、
学生が来るのを待っています。なんか、脱線してない?

41 :
ユウタさんの専門は、正確に言うと戦間期日中関係史ということになりますが、
女子大では、所謂従軍慰安婦問題を好んで取り上げておりました。
大学の授業には、学習指導要領みたいなものはなく、完全な裁量が任されています。
よほど、おかしなことをして、学生の評判になって、事務に伝わるようなことがない
限りなにやっても構いません。ちんことか言ってたのに、急にまじめになりましたね。

42 :
1996年4月18日(木)
とんでもない大事件が勃発した。
女学館の一限の基礎演習、誰もこなかったぞ。何か、四月は本当に心臓に悪い。
これは、よく考えれば当たり前なんだけど、焦ってますね。東京女学館短期大学は田園
都市線の南町田にあり、さらに歩いて二十分くらいのところにあります。朝九時の一限
に間に合うためには、女の子ですから、六時に起きなきゃいけないでしょうね。必修で
もない限り、誰が来るか、という時間帯だったんですね。結局、三人来てくれるように
なりましたが、一年間世間話をして終ったという、一分も勉強しなかった黒歴史の授業
となりました。二限はちゃんとやったけどね。

43 :
1996年4月19日(金)
山梨一回目、ここは慣れているだけあって、ホッっとするよ。ホッ!

いろんな大学で教えたけど、なんか山梨が一番遠いんですけど、一番ケミストリーが
あってたと思います。田舎だから、田舎者のユウタに適ってたんでしょうかね。
十年以上行ったけど、一度も休みませんでしたね。出席率は100パーセントを超えて
います(学祭で休みなのに、間違えて三回くらい行ったことがあります。ボケてるんです)

44 :
ユウタさんの授業は、プリントを作って配り、それに関連するビデオを見せて、感想を書
いてもらうというスタイルです。ユウタさんは、黒板に書いて、ノート取らせるというの
は時間の無駄だと思っています。ていうか、字を書くのがめんどい。

ナミリの感想
ビデオを見る機会が多いということで、とっても楽しみにしています。
おもしろくて興味深いビデオをたくさん見たいと思います。
先生の持っている知識をたくさん吸収したいと思います。
それでは、一年間よろしくお願いします。

45 :
1996年4月22日(月)
青学も軌道に乗ってきたみたい。本当に四月は疲れる。ウラに二年生の科目がありすぎる。
小名ゼミは2人らしい。うちも、教育・英米など、いろんな人がいるようだ。72名出てた
けど、履修者は、どのくらいになるのでしょうかね。それにしても、寒い一日だった。
1996年4月23日(火)
建築、三人が途中で帰ったので、ユウタ先生、激怒!本当に、わけのわからん奴らだ。
話が少し難しいのかもしれない。やっぱり、授業では教えられることが多いね。

四月中は、履修登録が済んでないので、出入りが多く、授業も、どんどん進めるという
かんじではありません。本気を出すのは、履修登録が済んだ連休明けくらいですかね。

46 :
1996年4月26日(金)
山梨、一年の授業、すべったか。おばちゃんのことを無視しよう。おばちゃんのことが
少し邪魔だな。
ナミリさん(本当は名字かいてますけど、ナミリで統一しますね)が、関東大震災をや
りたいといったので、名刺を渡したら、いきなり電話をかけてきた。ヒマだよー。

一年の授業、社会人の聴講生として、おばちゃんが来てたんだと思うけど、この人が、
今時、こんな人いるの?というくらいの社会主義幻想の持ち主で、さらに、いろいろ発
言するので、困ってましたね。こいつ、何言ってんだと思うけど、言えないし。なんか
「キューポラのある街」(本の方ね)に書かれている北朝鮮の様子を、疑いなく信じて
いるような人でしたね。

47 :
二回目の授業では、シミュレーションとして、ロジャー・ムーアがナビゲーターをする
オードリー・ヘップバーンのビデオを見せた。(ユウタ先生なかなか授業始めませんね)

ナミリの感想
私は、正直に言って、オードリー・ヘップバーンという人のことを名前と顔ぐらいしか
知りませんでした。とても、キレイな人だということくらい。
それで、今日、ビデオで、彼女の一生を見て、彼女は、単に顔だけが美しいのではなく、
心もとても美しかったのだと知りました。
私は、恥ずかしながら、彼女の作品を見たことがなかったのですが、ビデオで彼女が出演
した映画を少しずつ見てみると、今日初めて見ただけでも、彼女の魅力に”ずっぽり”と、
はまってしまいました。
ビデオに登場していた人が、みんな言ってたように「目がキレイな人だ」ということは、
まさにその通りだと思いました。
病気で、六四歳という短い生涯を閉じてしまったわけですが、本当に惜しい人材を亡くし
た感じがします。
彼女の魅力に取りつかれた私は、彼女の出演している作品を、ぜひたくさん見たいと思い
ます。
彼女みたいに外見も美しく心も美しい、魅力的な女性になりたいと思います。

かわいらしいね。ナミリは!

48 :
この授業のあと、ナミリが近づいてきて
「せんせえ、あたし、卒論、関東大震災やりたいんですけどお」
「じゃあ。何か困ったことがあったら、連絡してね」
と名刺を渡したら、その日のうちに、電話がかかってきた。
「あたし、すぐに電話する人なんです」とか、言ってたと思う。

ユウタ先生は、ボケた人なので、どこの大学でも、顔と名前を憶えてない。
まあ、一週間で五百人以上の学生を教えてますから、無理もないのですが、自分の専門
を卒論でやってくれるなら、力になれるし、なりたいと思ってたと思います。

49 :
この前年1995年1月には、阪神・淡路大震災が発生しており、それで興味があったのか
もしれないけど、ユウタ先生と仲良くなる口実だったかもしれないね。
ユウタ先生は、関東大震災と中国の関係についての論文をいくつか書いてる人なのだ。
(あくまで、架空の人物ですけどね)

50 :
ユウタ先生は、みんなに授業についての感想を書いてもらうわけだけど、別に正解があ
るわけじゃないし、何かを覚えてもらいたいとも思ってない。覚えろは忘れろの同義だ
と思ってる。視野を広げて、葛藤して、自分の考えを深めてもらいたいと思ってる。
それも、のんびりした雰囲気の授業で。だから、テストは絶対しないと決めてた。
青学など専門性の高い学科に配置された授業では、戦争は本当にしてはいけないことか?
ということを一年間、学生に質問し続ける授業をした。
シオラレオネでは、老若男女を問わず、両腕を切り落とす武装勢力がいたけど、それを
止めるために軍事力を行使することは、悪いことなのか?大虐殺が行われていた国に入っ
て、その政権を潰すことは間違っているのか?ベトナムのカンボジア侵攻は悪なのか?
人道的武力介入という概念は、間違っているのか?侵略者が攻めてきそうなときに、国を
守る戦争は悪い戦争なのか?では、日露戦争は、どうなのか?
ともかく、正解があるわけじゃなく、ユウタの意見に賛成・反対どっちでもいい。
むしろ反対のほうが、おもしろいと思ってる。
だから、山梨一年の授業に出てくるおばちゃんには、心底困っていたのです。予定調和的
な、つまらないことしか言わないし、しかも同調圧力が凄いし、子供に対する悪影響は看
過できないと思ってた。

51 :
1996年5月10日(金)
1沖縄米兵少女暴行事件
1995年9月4日に沖縄北部で、米第三海兵師団所属の三人の兵士が、帰宅途中の小学六年
生の少女を誘拐・監禁・強姦した事件を取り上げ、関連するビデオを見せた。
ビデオでは1955年に発生した幼女強姦殺人事件や沖縄戦直後、キャンプ生活をしていた
避難民を米兵が強姦したこと、強姦された女性の証言なども取り上げられてた。
「強姦することで私を殺したんだから、相手も機関銃で撃ち殺してやりたい」
ナミリは、就職説明会のため、欠席。
ナミリによれば、金曜午後に配置されているユウタの授業は、
彼氏のいるような、かわいい子は履修しないんだって。デートの約束があるから。
だいぶん後で、教えてくれた。

52 :
あと参考資料として
 性暴力を考える 被害者から 上中下 (『朝日新聞』1996年2月26〜28日付)
 性暴力を考える 読者から  上下 (『朝日新聞』1996年3月10〜11日付)
 「裁判官は女性わかってない」 (『朝日新聞』1996年3月23日付)
を読んだ。
ドラマ「真昼の月」(1996年7-9月)の原案となったといわれる連載企画。
強姦被害者の心の傷の深さ、強姦されているときに感じる死への恐怖。殺されるかもしれ
ないという恐怖感で抵抗できない心理。強姦立証の難しさと量刑の軽さ。

これは、何も言わなくても、クラス全員、みんな熱心に読んでたね。

53 :
1996年の慰安婦問題

慰安婦問題について、もっとも、その本質をついている証言は
「「四四年夏テニアン島で米軍の捕虜となった」「反日感情が強い」「朝鮮人軍属」の証言
「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦(prostitutes)は、すべて志願者(volunteer)か、
両親に売られた者ばかりである。もし女性たちを強制動員(direct cnscription)すれば、
老若を問わず朝鮮人は憤怒して立ち上がり、どんな報復を受けようと日本人をRだろう」
           (秦郁彦『戦場の性と慰安婦』新潮社1999年6月30日、380頁)
だと思うが、これが「20万朝鮮人女性強制連行説」に変容し、異論を許されない国論と
なり、「世界中に日本の蛮行を知らせるべき」という運動になっておる現状は、もはや実
証主義に基づく歴史学の範疇をはるかに超えて、精神医学の対象ではないかと思いますね。

今から思えば李朝五百年の党争の歴史を甘く見ておりました。
韓国の「むしかえし力」の強さを(笑)

54 :
1995年は、1月の阪神・淡路大震災、3月の地下鉄サリン事件という特筆すべき大事件
が起きた年だが、「戦後五十年」の節目の年であった。
靖国神社に集う戦友会も、高齢を理由に解散されるような年。戦争にかかわるすべてを
清算する、最後に出てきた慰安婦問題も、日韓基本条約に抵触しないアジア女性基金と
いう形で解決されようとしている。
長い間、記憶と貧困に苦しめられ、勇気をもって名乗り出た元慰安婦の方々も報われた、
残された日々を平穏に暮らせればいいね、ハッピィエンドだと思ってました(笑)。

55 :
日記書き忘れたけど、この日(5月10日)の日記には
一週間悩んでいた山梨の一年の授業、やっと軌道に乗る。ホントに寿命の縮まる一週間
だったな。ビデオ様々、短い時間のなかで、必要なことを、どうやって教えるのか!
選択しないといけない。
おばちゃん問題で、まだ悩んでたみたいね。

56 :
韓国については、言い出したら止まらいところがあるけど
(「日韓関係まじめに考えた俺の時間返してくれ」とか)
地政学的に、朝鮮半島は日本の最重要地域であることは未来永劫変わらないので、
韓国のことを、もっと深く理解する必要があると思う。
古くは、白村江の戦い、文禄・慶長の役、日清・日露戦争、すべて朝鮮半島が戦場とな
っている。もし、万一北朝鮮がインターセプト不可能な核弾道ミサイルの開発に成功し
米国の介入を排除しながら、赤化統一に成功したら、日本の国防戦略は根底から覆るこ
とになる(米国に迎撃不可能な核ミサイル撃ち込むと脅されたら、手出しできなくなる)
もっと、韓国のことを知る必要があると思う。それは、韓国に迎合したり、人間的なつな
がりとか、そういうことではなく、台湾統治の礎を築いた後藤新平が行った旧慣調査のよ
うな、生物学的理解が必要だと思う。虫の動きを観察するような、虫の体の仕組みを分析
するような視点での分析が必要だと思う。

57 :
なんでか、間違えてる。
1996年5月10日(金)
山梨の一年、おばちゃんがいないのにスベッた。やはり、江戸時代の話は、相当考えた
方がいい。分かってるのに、同じことを繰り返すよ。何回やっても分らんな。

ユウタ先生は、アホみたいに時間かけて準備するんだけど、それでも授業がスベること
は日常茶飯事。ここが、難しいところで、あんまりにも作りこみすぎると、学生の心に
届かず、わけわからんと手探りでやって、よい結果が出たりする。でも、それほど自分
の力を過信しているわけじゃないので、最善を尽くして結果が出なければ仕方ないね。
と、開き直って、先進むしかない。スベるっていうのは、学生の顔や感想を見て思うね。

58 :
1996年5月17日(金)
一週間悩んでた山梨の一年の授業、やっと軌道に乗る。ホントに寿命の縮まる一週間
だったな。ビデオ様々、短い時間のなかで、必要なことを、どうやって教えるのか!
選択しないといけない。

19日と17日の日記、間違えて、取り違えてました。

59 :
2従軍慰安婦問題の現在ー「クマラスワミ報告」と「アジア女性基金」ー
現在進行形で動いている慰安婦問題を概観した。
1992年1月 宮沢喜一首相訪韓前『朝日新聞』軍の関与を示す資料が発掘されたと報道
1992年1月 宮沢首相、日韓首脳会談で公式謝罪
1992年8月 日本政府、資料調査と元慰安婦16名のヒアリングによる調査結果を公表。
      河野洋平官房長官「日本政府の従軍慰安婦問題に対する認識」発表。
⇒@慰安所の設置・管理、慰安婦の移送について日本軍が「直接あるいは間接にこれに関与」
 A慰安婦の「募集」は「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が
  数多くあり」「官憲等が直接これに加担したこともあっ」た
 B慰安所における生活は「強制的な状況の下での痛ましいもの」であった
 C朝鮮半島出身の慰安婦の「募集」移送・管理なども「甘言・強圧による等、総じて本人
  たちの意思に反して」おこなわれた
 D従軍慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問
  題」であった
 E元慰安婦の方々には「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」

60 :
1995年6月 五十嵐広三官房長官(村山富市内閣)「アジア女性基金」事業内容発表
⇒@基金を発足させ民間より集めた資金をもとに年内に元慰安婦たちに一時金を贈る
 A政府は元慰安婦の生活や医療を助ける事業のために基金を通じて資金を拠出する
 B国家としての謝罪と反省を伝えるため、首相の手紙を元慰安婦に送る

61 :
1996年2月 国連人権委員会ラディカ・クマラスワミ国連特別報道官「戦時中の軍事的
      性的奴隷制問題に関する報告(クマラスワミ報告ー第一次ー)」発表。
⇒従軍慰安婦は「性奴隷」であり、女性、少女の誘拐、組織的強姦は一般市民に対する
 非人間的行為である」として日本政府に法的責任を認め、被害者への補償金支払い、
 公開書面による謝罪などを勧告     

62 :
ナミリの感想
実際に従軍慰安婦となってしまった人たちの話を聞いて、とても胸が痛く感じました。
どうして、ごく普通の若い女性たちが日本の軍隊の男性のために体を貸さなければなら
ないのかと、すごく腹が立つし、不思議に思います。あと「女性を騙し強姦する」とい
うことが重大な犯罪であるのに、どうして軍隊によって行われたことは許されたのか、
疑問です。いづれにしても、日本は、このように罪のない女性たちに対して、ひどいこ
とをしてきたのに、政治家たちのデマな発言にも、むかつきます。
お金だけじゃなくて、心から反省する心を持って欲しいと思います。

63 :
参考資料として
石坂啓「突撃一番」(『ヤングジャンプ』1984年11月)を印刷配布した。
全体的な雰囲気を漫画でつかんでもらいたいと考えてた。

河野官房長官談話はのちに日本政府が強制性を認めた根拠とされ、クマラスワミ報告は
オーストラリア人のフリージャーナリストであるジョージ・ヒックスの間違いだらけの
通俗書『The Comfort Women』に、ほぼ依拠しており、偽証である「吉田清治証言」
しか「強制連行」の証拠がないにもかかわらず、日本政府も認めたんだからと強制性を
認定するような地雷がいっぱい埋まっていたけど、この時点のユウタ先生は、まったく
気づいてはいませんでした。解決に向かいつつある問題、職業差別の激烈な韓国で、
反日という文脈の中でしか元慰安婦の方々は証言できないんだろう。その証言を大切に
聞いてみようということしか考えてませんでしたね。
あとナミリが、政治家のデマとか言ってるのは、当時の橋本龍太郎首相が、お詫びの手
紙について意味がわからないとか言って、「女性基金」呼びかけ人の宮城まり子・三木
睦子氏などが、抗議の辞任をしていたことを指しています。

先のことは、わからないね。神様じゃないから。
しかし、どこに向かってるんでしょう?

64 :
◆まちぶせ

1996年5月24日(金)
3従軍慰安婦問題の現在(2)ー戦後補償を考えるー
「クマラスワミ報告」がユーゴ内戦における「民族浄化」政策に対する対策の「前例」
として慰安婦問題を考えていること。
1996年夏にも支給が開始される「アジア女性基金」を踏まえて、戦後補償関連訴訟を
概観した。
関連するビデオとして、中京テレビ『チエと空襲』(1989年放送1995年再放送)を見た。
空襲によって障碍者となったチエさんのお父さんは、障碍者年金しか支給されてない。
西ドイツ(当時)の状況はどうなのか、チエさんが西ドイツを訪ねる内容。

65 :
ナミリの感想
去年の夏にも、日本とドイツの戦後補償を比較した本を読んだのですが、日本とドイツ
では、本当に賠償金の額が違います。今日もビデオで見ましたが、被害者に対して支払
われるお金の額が全く違いました。
それと歴史の教科書に戦争のことを載せる量も、日本とドイツとで比べると、これもま
た、ドイツの方が圧倒的に多いのです。
お金の量=被害者に対する反省の量というわけではないと思うけれども、お金で解決する
問題ではないけれども、日本は、こういう面からいっても、戦後補償に対する考え方が、
薄いと思います。

66 :
チトーが亡くなったことで、内戦が始まったユーゴでは、他民族に対する「エスニック・
クレンジング」政策がとられておりました。意味不明ですけど。他民族(宗教が違う)の
女性を組織的にRして、子供を孕まさせて、民族性を消す?とかいう政策です。
慰安婦制度は、@治安対策としての占領地での強姦防止A戦力低下を防ぐ性病防止の観点
から考え出された制度で、現在の人権意識から見ればおかしいところもあるけれど、「民
族浄化」政策とは、真逆なんだけどね。

67 :
ナミリは日本とドイツの比較を書いていますけど、もちろん、突っ込みどころはたくさん
あります。そもそも、日本とドイツを比較していいの?ということがありますね。
ユダヤ民族絶滅政策、600万の犠牲者。これ以上ひどいことがあるのか、というブラック
ホールみたいな犯罪と、悪いこともいっぱいしてるけど、通常の戦争しかしてない日本。
しかもドイツは、今現在もポーランドやギリシャから賠償問題を提起され、突っぱねておる
ような有様ですから、ドイツがよくて日本が悪いとは、一概には言えませんね。
ただ、ひとりひとりの救済という点で、どうかという問題はあります。
ドイツは、日本以上に長期間空襲を受け続け、ドレスデンみたいに広島級の犠牲者を出し
た都市もあります。しかし、軍人・軍属と民間人で補償の差はありません。
ひるがえって日本では「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(1952年4月)財団法人日本遺族
会の設立(1953年3月)により、遺族会が保守党を支える集票組織となったこともあいま
って、国との雇用関係のあったものに手厚く、そうでないものには薄い補償が行われてきま
した。

68 :
ドイツ人も空襲で障碍者になった人がたくさんいるけれど、独立回復後、最初に補償の
法制が行われ、障碍者の女性が手厚い援護のもとで、安楽に生活をしているのに。
日本では、同じ爆弾で同じ工場で傷ついても、国との雇用関係のある、つまり徴兵・徴用
された軍人・軍属と民間人では、補償額が四対一くらいになる。
ただの障碍者年金で処理されてしまうから。
防空法で消火の義務を課され、雨のように降る焼夷弾に丸腰で立ち向かわされ
国民義勇隊法(1945年6月)で、日本には民間人はいなくなったと
学校も病院も狙い撃ちされ夥しい犠牲者が出てたにも関わらず、差別されているわけで。
しかも所管する官庁もない。総理府(当時)は厚生省(当時)でしょ。厚生省は総理府
ですよ。といっておる惨状。
賞勲制度も、国関係に手厚く(大体等級が上)民間に薄いことを、誰も怪しまない体質
がおかしいということを言いたいわけなんですね。

69 :
しかし、お正月に何やってるんでしょうね(笑)

この日の日記

ナミリちゃんが、西武で待っていて、お茶を飲んで、カイジで一緒に帰ったけど、結果と
してキセルをさせることになった。ドキドキさせたかもしれない。二十歳になったばかり
の人のことを考えてあげなければならないよ。本当にまずかったよな。まずかったよなー。

ユウタは、三限でナミリたち二年生を教えた後、四限で悩みの種であるおばちゃんを含む
一年生を教えた後、帰るために駅ビルに行ったら、西武のエスカレーターのところに、
ナミリが、待ち伏せしてくれていて、喫茶店でお茶して、たぶん、卒論の話をしたと思う。
一緒に、カイジに乗って、ナミリは石和で降りたんだけど、ちゃんと特急券(急行券?)
買ってあげればよかったな、と、くよくよ悔やんでいるというわけです。

70 :
この日は、とても天気がよくて、
ユウタとナミリ、座席に並んで座って、
石和まで乗っただけ、
時間も十分もかからないんじゃないかな。
でも、この日のことは、繰り返し繰り返し思い出していた。
電車で通るたびに思い出していた。
とても、うれしそうなナミリ。
実はその百倍うれしいユウタ。
何か、あったわけじゃないんだけどね。

71 :
間違いだしたら、とまらないね。
58
(誤)19日と17日の日記、取り違えていました⇒(正)10日と17日

72 :
1996年5月31日(金)
4金学順(キム・ハクスン)さん(1)-登場まで-
「アジア女性基金」の進行状況
日韓基本条約と韓国政府の補償
金学順さんが名乗り出るまで
を概観した

「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」の進行状況
支給額をいくらにするか、理事会は紛糾する
支給額が200万円におちついたのは、
「台湾住民であった戦没者の遺族に対する弔慰金に関する法律」(1987年)で、元日本
兵の遺族及び戦傷病者約三万人に一人当たり200万円が支給されたことが目安となった。
アメリカでも戦時中の日系人の強制疎開に対し2万ドル支給されている(1988年)

73 :
日韓基本条約と韓国政府の補償
1965年 日韓基本条約 三億ドルの無償供与・二億ドルの借款
第二条1「両締結国は、両締結国及びその国民(法人を含む)の財産、権利並びに両締結
     国及びその国民の間にある請求権に関する問題が、一千九百五十一年九月八日
     にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定
     されるものを含めて、完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する」
1971年 韓国政府「対日民間請求権申告に関する法律」制定
     申告受付を10ヵ月に限って開始、十分な広報も行われなかった
1974年 韓国政府「対日民間請求権補償法案」確定
    対日請求権一円(1945年)あたり30ウォン(1974年当時19円)
    死亡者一人当たり30万ウォン(19万円)の補償をすることを決定
1976年 韓国政府、補償を支払う
    死亡者遺族8552名に一人当たり30万ウォン、総額は26億ウォン(約16億円)
    財産被害7万4967件に対し、総額約66億ウォン(約42億円)支払われた
    合計金額は約92億ウォン(約58億円)
    日本の無償供与した3億ドル(1080億円)の約5.4パーセントである

74 :
ナミリの感想
従軍慰安婦問題は、とても難しい問題だと思います。なぜなら、人間の内面性(精神)に
触れているからです。自分が慰安婦にされたことを、慰安婦にされ、実体験したことを、
人には絶対に言いたくないだろうに、他に苦しんでいる人々のためにも、勇気を出して、
体験を告白して…。
それなのに日本は何をやっているのだろうと思います。「ほかの国もやっているのだから」
とか、まわりくどい言い方をして、謝罪しているんだか、してないんだか、わからないこ
とばかり言ってて、いい加減腹が立ちます。悪いことは悪いのだから、素直に、反省の気持
ちを見せるべきです。

75 :
1996年段階では慰安婦の証言を、とても大切で貴重なものだと考えておりました。
「無告の民」の告白であると考えておりましたので、その心情を理解することを
重視しておりました。ナミリもその方向で考えてくれてたみたいね。

ただ最初に名乗り出た金学順さん、親に売られてますよね。
1母が40円で妓生に売った。
21941年、若すぎるので朝鮮で営業許可が出ないので養父と中国に行くことになる
3北京の食堂で日本人将校にスパイと疑われ養父と別々になり慰安所に連れていかれる
4四ヵ月後、朝鮮人アヘン商人の手引きで脱走。1942年上海で金貸しを営む
5敗戦ですべてを失い、朝鮮に帰る途中で娘を失う。
6私をこんなにした奴らをズタズタに引き裂いてやりたい
 (挺対協編『証言強制連行された朝鮮人従軍慰安婦たち』明石書店1993年10月より)
3でスパイ云々のくだりは、転売されたということなんでしょうね。
民間人も利用する、ごく普通の慰安所ということなんでしょうね。
日本軍占領地で、日本軍の威光を笠にきて、うまくやってたのに、敗戦ですべて失った。
これの、どこが日本の責任になるのか、とても難しい。「強制連行」されてないしね。

76 :
この日の日記

一週間、心配していたナミリさんの「キセル」問題。陸橋のところに隠れていて大丈夫!
全然だったらしい。よかった。

定期しか持ってないから、カイジから、そのまま改札出たら、特急券持ってないこと咎め
られるんじゃないか?と心配したんだけど、さすがに、そこは。各停が来るまで、待って
たということ。

77 :
1996年6月7日(金)
5金学順(キム・ハクスン)さん(2)ー証言ー
韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編
        『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(明石書店1993年10月)
の全体分析を検討した。挺隊協に申告した元慰安婦は1992年12月末現在で、生存者55
名、死亡者55名だった。そのうち連絡可能な約40名に接触し、自分の体験を語りたがら
ない人、証言を聞くたびに、ひどく食い違ったり、調査が難しい人を除いていきながら
最終的に完成したのが、この19名の証言集である。
1)慰安婦の出身
@家庭の経済的背景
 暮らし向きのよかった2名を除いて、大部分はとても貧しかった。奉公している人が5名。
 工場で働いていたり親戚の家に居候していたり家出をした人、両親に売られた人もいた。
A学歴
 非常に低い。無教育4名。教会の夜学が3名。普通学校に通った経験のある人は10名。
 卒業した人はいない。例外的に、国民学校高等科在学中に、勤労動員され、慰安婦に
 された人がいるだけである。
2)動員方法
「詐欺または暴行、脅迫、権力乱用、その他一切の強制的手段」による動員を強制連行
と把握するならば、本調査の19名は、大部分強制連行の範疇にはいる。
3)慰安所の管理方法
@純粋な形態の軍慰安所は軍人・軍属が使用するようになっており、地方官民の使用は不可。
 軍人・軍属も軍慰安所以外の慰安所などの使用と民間売春婦などとの接触は禁止されていた
A設立と経営
 軍直営・民間が設立し軍の許可を受ける・民間慰安所を軍慰安所に編入の3ケース
4)慰安所生活
@戦闘があるとき、ないとき。平日と週末で相手をする人数の差は激しかった。
 少ない日は10人以内、多い日は50人以上、数えることのできないときもあった。
A定期検診を受けていたのは15名。サックの使用が指定されていたが、使いたがら
 ない軍人も多かった。性病にかかった経験は7名。妊娠は2名。死産と孤児院へ。
5)料金受領の可否
 金や軍票をもらったもの3名。もらった金や軍票を管理人に渡したが、清算されな
 かったものが7名。管理人が管理していたものが4名。残りの5名は一切知らない。
6)帰還後の生活
 19名のうち6名が結婚したが、5名は後妻。全員、離婚した。8名が同居、妾として
 家庭を持ったが、幸福な結婚生活は送れなかった。5名は、まったく結婚しなかった。
 現在2名が自分の子と暮らしており、1名が養子、1名が孫と暮らしている。残りの
 15名は一人暮らし。経済的にも健康面でも非常に困難な生活をしている。

78 :
ナミリの感想
実際に慰安婦であった金学順さんの証言が詳細に書いてあるけれど、とてもむごいと感
じます。「自分が何でこんなことをしなければならないのか」と、納得のいかぬまま毎
日、軍人の相手をして、本当につらかったと思います。
こんなにつらい思いをさせておいて、日本が現在までとっている態度には、全く情けな
さを感じます。本当に、むかつくのは奥野法相の言葉です。実際に従軍慰安婦というも
のがあり、実際に、つらい思いをさせられた女性たちは何人もいます。恥ずかしさを、
堪えて、公表した人だっているのに「何を言ってるんだろう」と思います。こんなに時間
をかけてないで、早く反省したらいいと思います。

79 :
ナミリが言ってる奥野法相の発言というのは、「商行為」ではないかという発言。
慰安婦の性格が性奴隷か売春婦であるか。強制連行されて、なんの報酬も受け取って
ない性奴隷であるような主張に対し、昔のことを知っているものの義務として、お金
をもらってる売春婦でしょう。と言いたかったんだと思いますね。おそらく、それは
正しい発言だと思うけど、ユウタ先生の授業では、その後の展開が読めてなかったこ
ともあったんだろうけど、ともかく、女性の哀しみとか無念の思いに焦点をあわせて
たと思います。
ナミリは一生懸命書いてくれるいい学生だね。
「どうして、あたしの意見載せてくれないの」と言われたこともあったな。
ユウタの授業では、よく書けた感想は、次の授業のプリントの一番最初に載せて、前の
授業の復習をするようにしてたので、みんな、けっこう頑張って書いてくれてたのです。

80 :
1996年6月13日(木)
従軍慰安婦の授業、スベッてしまったのさ。やってる本人も、わかってないから!
1996年6月14日(金)
オギソさんは、悩みの種だ。このうえ工業の教師を、連れてくるとか言ってる(汗)

81 :
オギソさんというのは、おばちゃんの名前。どうも退職した先生だったみたいで、他の
先生も連れてくるとか言ってたみたいね。ユウタ先生、思想信条は、ばりウヨなんだけ
ど、やってることが、やってることなので、よく、このような誤解をうけるんですね。
山梨の前の日、女学館でやって、はでにスベッたみたいね。
現在進行形で、アジア女性基金支給の経過を追ってるから、どういう組み立てにしたら
いいか、射程が見えてないね。着地点がわかってない。

82 :
6従軍慰安婦・慶子(1)-従軍慰安婦問題の難しさ-

この前年、
挺対協編『証言 強制連行された朝鮮人従軍慰安婦たち』(明石書店、1993年10月)の
19名の証言を、みんなに割り振って、まとめてもらって、それを、ユウタがワープロで
清書して、印刷して、冊子にして、みんなに配ったことがあるんだけど、まさに生き地獄
だったね。俺がいちばん大変じゃん。実際!ほんとに、大変だった。もう二度と、こんな
ことはしないと固く誓うくらい大変だった。ユウタ先生の、数少ない取り柄のひとつが、
タイピングが早いというのがあるんだけど、この時は、やってもやっても、終わらず、
また学生のまとめに手を入れたりしていて、永久に終わらないかもしれないと思った。
なにより、しんどいのは、すべての証言が、ふわふわしていて、使えないところにある。
部隊どころか地名もわからない。時期も曖昧。テキストクリティークの対象にならないわけ
で、これは時間の無駄だーと思ったね。

83 :
これは聞き取った挺身隊対策協議会の人たちも同じだったみたいで、
「生存している元慰安婦たちは年老いており、これまでの逆境のために、自らが経験し
た苦難の多くの部分がぼんやりとした記憶としてだけ残っている。彼女たちからより明
確な記憶を引き出すために、挺身隊研究会員たちは日本の軍隊史、戦争史、わが国の植
民地史に関する資料を参考にし、これまで発掘、報告された慰安婦関係の軍文書資料お
よび証言などを精密に検討しながら、元慰安婦に対する面接調査を行った」
            (挺隊協編『証言 強制連行された朝鮮人従軍慰安婦たち』)
あやふやな記憶しかないおばあさんから明確な証言を引き出すために事前に学習をした。
しかし、その学習したものが虚証であったら、どういうことになるんだろうね。

84 :
「吉田清治証言」

「当時、山口県労務報国会下関支部動員部長」であった吉田清治氏が著書(『朝鮮人慰安
婦と日本人』新人物往来社1977年/『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』三一書房1983年)
のなかで慰安婦狩りの状況を証言しているのは、珍しい例である。
一、皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊二百名
一、年齢十八歳以上三十歳未満(既婚者も可、但し妊婦を除く)
一、身体壮健なる者(医師の身体検査、特に花柳病の検診を行うこと)
一、期間一年(志願により更新することを得)
一、給与 毎月三十円也 支度金として前渡金二十円也
一、勤務地 中支方面
一、動員地区 朝鮮全羅南道済州島
一、派遣日時 昭和十八年五月三十日正午
一、集合場所 西部軍第七四部隊
という軍の「動員」命令を受けた吉田氏は済州島各地で朝鮮人女性を徴発する。
そのひとつ、城山浦貝ボタン工場での強制連行の状況は次のようなものであった。
 女工たちは竹かごの中から貝がらを、手早く鉄枠の中に入れ、足踏み機械を操作すると、
一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた…隊員たちがすばやく工場内の
二ヵ所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。
「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあ
げて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びはじめた。
 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」と怒鳴った。娘が怯えてそばの年取った女にし
がみつくと、山田は…台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずり出した…女工たちは
いっせいに叫び声をあげ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのに、
てこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえた…女工のなかから慰安婦に徴発した娘は
十六名であった。 

85 :
吉田氏は、済州島で二〇五名を強制連行したという。
 しかし、この証言に対しては地元済州島の新聞『済州新聞』(1989年8月14日付)が
捏造であると批判している。
 解放四十四周年を迎え日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名を徴用してい
 たとの記録が刊行され大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく波紋を投
 げている。…しかしこの本[吉田清治『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』]に記述さ
 れている城山浦の貝ボタン工場で十五〜十六人を強制徴発したり…あちこちの村で行
 われた慰安婦狩りの話を裏付け証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめ
 だ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民
 のチョン・オク・タン(85歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、十五人も
 徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。郷土史
 家の金奉玉(キム・ポン・オク)氏は「一九八三年に日本語版が出てから、何年間か
 の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示
 す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。
               (秦郁彦『昭和史の謎を追う』文藝春秋社1993年3月)

86 :
「吉田清治証言」は、突っ込みどころ満載の偽証なんだけど、例えば、そもそも行政区分
の違う済州島に山口県の人間が何で行く?それに、貝ボタンは力仕事なので、女の仕事じ
ゃないとか、でも強制連行の証拠として考えられてきたわけで、これを固く信じているイ
ンタビュアーが元慰安婦のおばあさんと面接したら、しらずしらず、強制連行されたとい
う方向に誘導することになるかもしれないよね。おばあさんたちは、抗日ゲリラのスパイ
だったとか、言っちゃう人もいるんだけど、反対に、おばあさんの方も、迎合するような
ことがあるかもしれない。
慰安婦問題の難しさは、根拠は証言しかないのに、その証言が資料検討に耐えられないと
ころにある!





貝ボタン


慰安婦だったおばあさんたちの話は、抗日ゲリラのスパイだったとか、急に

87 :
ナミリの感想
もともと、売春の仕事をしている人が、慰安婦になったほうが、お金になるなら、慰安婦
になるのもいいと思う。っていうか、私が言いたいのは、ごく普通の一般女性が、無理や
りに、慰安婦にさせられてしまうのは、ひどいことだと思うのですが、もともと売春の仕
事をしているなら、これは今の時代に至っての私の気持ちですが、この当時の人々は、家
が貧しいから、売春をしてしまうのも、仕方のないことなのですよね。
すみません、わたしの言ってることは、どうやら間違っていますよね。
従軍慰安婦の方ごめんなさい…

88 :
ナミリの感想の紙、消しゴムで何度も消した後があるから、悩んで書いたみたいね。

千田夏光『従軍慰安婦・慶子』(恒友出版1995年4月、復刻版)を検討した。
1慰安婦になるまで
1)福岡・大浜遊郭の娼婦
 福岡県のある村で十一人兄弟の長女として生まれる。十七歳の時「もう、これ以上養え
 ない、すまんが女中奉公にでも行くつもりで行ってくれ」と零細農家の父親に言われ、
 口減らしのため大浜遊郭に二〇円で売られる(1933年)
 ほかの女は、炭鉱夫の父の博打のかたとして売られた者もいたが、ほとんど貧しい小作
 農の娘で二百円三百円という地主への借金が払えず売られてきた者であった。
 客は漁師・船員・労働者、日曜は福岡二四連隊の兵隊がつめかけた。
2)かさむ借金
 着物・白粉・ちり紙代・布団代・食費・病気で二三百円⇒五六百円と増えていく
 風邪でもひいて一週間休めば、借金が二二〜二三円増える。
 一時間五〇銭を払わないと外出もできない
 慶子の借金 20円(1933年)⇒34円(1934年)⇒46円(1935年)⇒69円(1937年)
 身請けされ妾にならない限り、梅毒・結核などで死ぬまで借金を背負わされるシステム

89 :
慰安婦の性格として、性奴隷じゃない、売春婦だ、という議論があるけど、こういうのを
見ると、売春婦だからといって大金を稼いでいたわけじゃないことがわかりますよね。
確かにビルマで稼いだ人もいるけど、敗戦とともに軍票は紙くずになってるし、戦後の預
金封鎖とか、インフレとかあるわけで、みんなが報われているわけじゃないと思うね。

売春は、売春防止法(1956年)の制定前は違法ではないし、宮尾登美子先生の養父にあた
る人も女衒で、本人は人助けの仕事だと思ってたみたいだよね。
いま現在も、家族思いの韓国人女性が、留学とかいって、日本に売春にきている現実がある
わけで、挺隊協がホントにくだらないと思うのは、反日だけで、そういう社会問題解決の
方向性を一切出さないところにありますね。

90 :
なんか、おかしいと思ったら、すごく間違えてました。
ナミリは、六月十四日、六月二十一日と就職活動で授業を休んでおり、
いま、載せたのは六月二十八日の授業の感想でした。
なんで、やってないことの感想を?と不思議に思ってたら、間違えてました。
あと書き忘れたけど
六月七日提出の感想の欄外に
◎明日はmy birthday 20才です。って書いてあった。

91 :
1996年6月21日(金)
7従軍慰安婦・慶子(2)ー南京事件ー
千田夏光『従軍慰安婦・慶子』を引き続き検討した
日中戦争が本格化し慰安婦制度が始まる経過をみた。
1937年7月7日  盧溝橋事件
1937年8月13日  第二次上海事変
1937年11月9日  上海陥落
1937年12月12日  南京陥落
1)予想外の苦戦
「暴戻支那を膺懲せよ」通州事件が報道され、沸騰する世論を背景に、戦火は上海に燃
え広がる。徹底抗戦を表明した(廬山声明)蒋介石は、直系の精鋭部隊を上海に配置。
トーチカとクリークに守られた中国軍を相手に日本軍は苦戦する。
2)被害続出
上海攻略戦の死傷者 戦死9115名 戦傷3万1257名
南京攻略戦の死傷者 戦死2635名 戦傷  4508名
 招集兵の堀田は、一息に戦死だ。上陸してから傷者の出なかった日は一日もない。そ
して、今朝は遂に戦死者だ。…支那兵に対する憎悪が俺の全身をはせめぐる(8月25日)
 我々は血にまみれた銃剣を拭きながら、ほっとして、戦闘の一段落を喜んだ。ああ、
俺は幾人の彼等を殺したことか。十人?否十五人?ともあれ俺は生まれて初めて、ひとの
命を、自己の力で消滅させたのだ。手を合わせて拝んでいた男、死に物狂いで向かってき
た男!             (8月31日・この日記の持ち主の今井龍一は翌日戦死)

92 :
3)南京事件
ユウタの入ってたサークル・中国研究会には、ふたつの綱領があって、ひとつは
「自主的科学的中国研究」(これだけでも、民青系って、わかりますね)もうひとつが
「日中不再戦」ということで
撫順の収容所で十年以上認罪学習(自分の罪を見つめて反省し、文章にする作業。何回も
書き直させられる)を受けた人たち、中国帰還者連絡会の証言集をテキストにして勉強す
るんだけど、洗脳されてるという批判があることを留保しつつも、やはり、軍隊が他国に
入るということは、さまざまな問題を引き起こすと率直に思った。
南京事件については、戦記映画『南京』-戦線後方記録映画-(東宝映画文化映画部製作1938年)
も、見た。マスターテープが空襲で焼失して、1995年に中国で発見されて複製された、徳川
夢声がナレーション入れてる、南京陥落の翌日から翌年二月までの記録映画。お正月に、爆竹
を鳴らし歩哨にたつ日本兵に子供が寄ってくるような場面もあり、のんびりした雰囲気に
驚いたな。
資料検討すれば、崇善堂11万2266体の埋葬記録は、荒唐無稽に過大であり、安全区国際委員
会の報告も、伝聞をすべて書き留めて、12月17日ー2月7日の期間で死者49名にすぎず、
中国の言う「大虐殺」などなかったことは明らか。
問題があるとすれば、
1937年12月14〜16日 南京陥落(13日)から南京入城(17日)までの間
第七連隊  難民区掃討作戦で摘出した敗残兵6670名を処刑
第六五連隊 幕府山砲台付近で捕虜の「暴動」を阻止するため多数射殺
等の、残敵掃討をどうみるか。
南京では中国の司令官は逃亡しているから、部隊としての降伏もないし、難しいところ
戦友が殺されて、頭に来ているところに、手を挙げて、それで許せますかってんだ、と
いうことはあると思うね。太平洋戦争中の、米・海兵隊は、日本兵の捕虜は取らず、ほ
ぼ射殺してたしね。
 ただ、近現代史は、血が乾いてない相手のある歴史、歴史になり切ってない歴史だから
事実を追求することと同時に、当然そういう面での配慮は必要だと思うね。
慰安婦も南京事件も、事実を争うことは学問として大切だし、当然だけど、態度も、とて
も大切だと思う。本当のことを明らかにして、それを教訓にして、平和を守っていく、
そういう方向性の話でない限り、歴史修正主義とか、へんな反発を受け、不毛なだけだと
思うね。
 

93 :
『従軍慰安婦・慶子』(2)
3)奇跡
客のひとり、二四連隊の兵士倉光武夫が「命の恩人」のお礼として無条件で七〇円くれる。
軍隊での出世を考えていた倉光は、慶子に性病を染されたため、除隊を余儀なくされ、一時
は恨んでいたが、二四連隊が戦地に出動することになったので、命拾いしたからだ。
この七〇円は倉光がジュース一本飲まず、七年かけて貯めたお金だ。慶子は、借金を完済
するが、行くところもないので、娼婦を続ける。花代を抱え主(六分)慶子(四分)と折半
することにしたが、経費を引かれ、月に一円〜一円五十銭しか残らない。
4)倉光の出征
日中戦争が始まり、二四連隊の留守部隊が新しく一二四連隊に編成され、恩人倉光も招集さ
れ、出征することになった。上海で日本軍が苦戦していることを知り、死を覚悟した倉光は
「日本の女の抱き納めにきたとばい」と三日居続けた。

94 :
この日の日記
ナミリさんは、ユウタのおっかけ?今日も西武で待ってたぞ。
年甲斐もなく、浮つくぞ。ちょっと、気になるよなー。
ナミリは授業には出てなかったけど、駅ビルで待っていてくれてたみたいだね。
ユウタの行動は、判で押したように同じだから、時間を見計らって待っててくれてた
みたい。アイスミルクティーを二人で飲んだみたいね。

95 :
◆ナミリの手紙
1996年6月24日(月)
本当に日本の教育は、どうなっているのでしょうか。
無知のうえの傲慢、なにかやりきれなくなるぞ。
何か、疲れているせいか、病み上がりのせいか
むかつく。
ナミリちゃんの手紙だけがうれしいよ。
でも、もうすぐ夏休みだから、逢えなくなる。

96 :
Dear ユウタ先生
 先生、お元気ですか?実は、今、6月22日(土)のAM12:25です。
日付は変わったけど、学校で会ったばかりだよ。
本当にIMT(アイスミルクティー)ありがとうございました。
そして、まだ本は届いてないのですが、本を送っていただいて、どうもありがとうございます。
先生には、感謝だね。
CDにしても、本にしても、お金をかけさせちゃって、ごめんなさい。
それから、約束の時刻表を差し上げます。うちにいっぱいあるから。
つまらないものですが、お礼というわけじゃないけど、郵送してみました。
この便せん、なんかいいと思いません?私のお気に入りの便せんです。
ちなみに西武で買ったんだ。
私は、よっぽど暇なのね。手紙まで書いてる。
きっと、先生は、そう思ってるハズ。
何か、会うたびに言われるから、最近、自分でも「そうかな」と納得し始めてきちゃった。
あと、〇〇〇さんのCDのダビング、またお願いします。
多分、いや絶対、これからも、先生を頼っちゃうかもしれないけど、めんどう見てください。
それでは、そろそろ失礼します。
来(今?)週の金曜日に会いましょう。
では…
                                  From Namiri

97 :
1996年6月28日(金)
8従軍慰安婦・慶子(3)ー従軍慰安婦制度のはじまりー
ひきつづき千田夏光『従軍慰安婦・慶子』を検討した
2従軍慰安婦になる
1)「御用商人」石橋徳太郎の話を聞く
第十一兵站司令部の命令「兵員慰安用の女をあつめてこい」(1937年12月23日)
募集条件
a三五歳以下
b性病にかかってないこと
c契約は前渡し金として千円を渡し軍の直営する「娯楽所」で接客勤務し、
 その代金で逐次返済する
d全額を返済すれば以後の行動は自由
e接客勤務の代金は、おおむね一円五〇銭〜二円
fただし軍が関与していることは極秘とする
福岡一二四連隊の相手をすると聞いて、恩人倉光に会えるかもしれないと思い、決心する
2)石橋徳太郎班の構成(18名/日本人7名・朝鮮人11名)
ほかの日本人娼婦は慶子よりも年長だった。朝鮮服を着た子供子供した白粉気もない女が
「うちら、変なことさせられるのと、違うよね。兵隊さんの食事の世話と洗濯するだけだ
よね」と話しかけていた。あとで事情を聞くと「支度金としてね、千円くれたよ。みな、
お父さん・お母さんに、上げたとね。弟・妹たくさんいて生活苦しいからね。びっくりし
て、腰抜かして喜んでいたよ」

98 :
同じ文章で申し訳ないですけど、ここに、ナミリの感想が入ります

もともと、売春の仕事をしている人が、慰安婦になった方が、お金になるなら、慰安婦に
なるのもいいと思う。っていうか、私が言いたいことは、ごく普通の一般女性が無理やり
に慰安婦にさせられてしまうのは、ひどいことだと思うのですが、もともと売春の仕事を
しているなら、そんなに変わりはないと思う。でも、これは今の時代に至っての私の気持
ちですが、この当時の人々は、家が貧しいから売春をしてしまうのも仕方のないことなの
ですね。すみません、私の言ってることは、どうやら間違っていますね。従軍慰安婦の方
ごめんなさい…

99 :
どうも、この年の授業は、バタついてるね。
現在進行形でフォローしていたアジア女性基金が、めちゃくちゃ揉めてたから。
支給金額が決まると、次は総理の手紙をつけるかつけないか、当時の首相は橋本龍太郎。
お父さんが身障者であったこともあってか、厚労族のドン、そして遺族会会長。社会党・
村山内閣のイニシアティブで始まったアジア女性基金について、やる気なかったからね。
韓国の挺対協は、手紙がないと受け取らないと言ってたしね。

100 :
でも、ちょっとユウタ先生かんじ悪いですね。
ナミリが折角わざわざ、待っててくれてたのに
「暇だよー」しか、言わないのは。
ホントは、うれしいくせにね。
うれしくて、うれしくて、仕方ないくせに。


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