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MマスカラスDカラスEカネック
- 1 :2015/08/12 〜 最終レス :2019/10/10
- マスカ
ドスカ
エルカ
美味しいマスカットはドスカ?
そんなもんエルカ!
- 2 :
- m.youtube.com/watch?v=C2Lf3bAReec
- 3 :
- このスレを覗いた間抜けな低脳諸君よ、採点を求む!
- 4 :
- 明日デリヘル呼びます
- 5 :
- マスカラ・アニョ・ドスミル
- 6 :
- シェーンカラス
- 7 :
- エルカは間違いだな
- 8 :
- ペロア
- 9 :
- リスマ
シコデ
- 10 :
- シコシコデ
シコシコス
- 11 :
- シコデはマスカラス兄弟から外されてばかりだな。
来日してないから仕方ないか。
でも後年にインディーにシコデは来日しなかったっけ?
来日してないと印象が薄いし、シコデを知らない人もいるだろう。
蚊取り線香まんまの渦巻き仮面なんだが。
- 12 :
- >>11
ハッスルに来たかも。
その息子も一緒に来たな。
その後、ドス息子と一緒にWWEと契約したけど、すぐリリースされたはず。
んで、ちょい前にゼロワンに来た(息子の方)。
ゼロワンの外人は旅費等、自己負担なのに、
それでも日本定着のチャンスをうかがっていたのかも知れない。
- 13 :
- シコデリコは日プに来てたろ
- 14 :
- シコデリはマスカラやドスカラとは仲が良くなかったみたい。
それが来日少なかった原因では?
兄弟間の性格や考え方の違いから不仲だったらしい。
マスカラは10人くらい兄弟姉妹がいる。
その中でマスカラとドスカラは仲が良かった。
マスカラを慕ってドスカラもレスラーになった。
シコデリがレスラーになった経緯はわからん。
年齢順だとマスカラ、シコデリ、ドスカラ。
でもマスカラも10人兄弟姉妹の中では一番上じゃない。
前にマスカラの兄弟家系図が雑誌にあった。
ドスカラは末弟でマスカラは上から三番目くらい。
シコデリは何番目か忘れたが、下から三番目くらいだったかな?
このマスカラ兄弟姉妹でレスラーになったのはこの三人だけ。
実際にこのマスカラ兄弟姉妹家系図が真実かもわからんが。
エルカネも10人くらい兄弟姉妹がいるらしい。
- 15 :
- マスカ、ドスカ、エルカ (笑)
- 16 :
- なんか交通系ICカードの呼び名みたい
- 17 :
- メキシコにマスカットってあんの?
- 18 :
- カネックはまだ現役か
マスカラスとカネックは同年代と見(られ)がちだけど年齢差はある。
年齢差11歳だから同年代ではない。
むしろドスとカネックが同年代。
- 19 :
- >>18
猪木・馬場とか、高田・越中なんかもそうだよね
>>14
シコデの来日数が少ないのは、単なる実力不足でしょ
実力者なら全日新日がほっとく訳ないし
- 20 :
- どうせならカネックじゃなくシコデリコを入れたスレタイを考えて欲しかったなあ。
- 21 :
- マスクマンと言えばマスカラスとデストが双璧だった
- 22 :
- >>21
マスクド・スーパースター
- 23 :
- マスカラスは空中殺法を使いこなせる身体能力に恵まれてなかった
ついでに言えば体も固かった
- 24 :
- マスカラスは初代タイガーに比べたら明らかに身体能力は落ちたな
でもマスカラスは好きだった。
あの豪華なオーラは持って生まれたもの。
- 25 :
- >>24
おいおいw
当たり前だろw
年を考えろよ
- 26 :
- 日プロ時代のマスカラスの動画を見ても身体能力は普通だな。
普通より少しある感じか。
佐山みたいに卓越した動きをしていたわけでもない。
もっともあの時代ならマスカラスの動きは凄かったのかも知れないが。
でもマスカラスよりベイダーやビガロの方が身体能力は上だと思うよ。
ベイダーやビガロは佐山並みだろう。
体のサイズが違うから単純な比較はできないが。
逆にベイダー、ビガロが佐山サイズならああいう動きができたかも。
更に逆に佐山がベイダー、ビガロサイズでも彼等みたいな動きができたりと。
- 27 :
- 身体能力というよりムーヴだよ、身体捌き。
当時としては他にない動きをするレスラーだったんだから。
- 28 :
- スレタイで、『ジャンボ鶴田とJ馬場』とかいうスレを思い出した
- 29 :
- タイガーマスクvsマスカラスで試合後タイガーマスクはマスカラスの控え室に呼ばれて説教されたらしいよ
三沢はその時のことを根に持ったのか一番嫌いなレスラーにマスカラスを挙げてた
- 30 :
- そもそもマスカラスを敬愛してるレスラーっているのか?
業界内ではジョニー・パワーズやロビンソンと並ぶ嫌われ者だし
- 31 :
- 大山倍達が「三角跳びを上手く応用しているのがミル・マスカラス」と言ってた
- 32 :
- マスカラスのドロップキックってあまり威力はなさそうではあるがふわっと浮いてからの空中の姿勢が本当に綺麗だったね
- 33 :
- それと、トップロープからの場外へのプランチャ・スイシーダの姿勢も。ハリー・レイスとのNWA戦におけるそれは、最高に格好よかったと記憶している。
- 34 :
- マスカラスはワガママなんだよな。
大物気取りで天狗。
ロビンソンもそういう感じだが。
- 35 :
- ttp://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20101130/spo1011301445001-n1.htm
「外国人レスラーは紳士が多かったけど、中には日本人をなめきった野郎もいた。
そんなときは樋口さんの登場だよ。リング上とは打って変わって強い口調でそいつを叱り飛ばすんだ。
見ていてスカッとしたよ」
進駐軍の柔道の先生だった樋口さんにすれば、英語でどやしつけることなど朝飯前。
大スターだったミル・マスカラスも例外ではなかった。
「地方でマスカラスがごねてさ。『ホテルの酒が足りない』『次の試合は出ない』って深夜に言い出すわけ。
でも山奥だし、コンビニもない時代でどうしようもない。そしたら樋口さんが『おいこらマスカラス!』ってね。
それで、しゅんとなっちゃった。覆面越しだったけど、その様子はわかったよ(笑)」
- 36 :
- >>34
マスカラスは世界中どこへ行ってもトップだから仕方ない
- 37 :
- >>36
それは70年代後半までの話。
驕慢な態度が嫌われて、アメリカでもメキシコでも干されて
80年代以降は、ワガママを許してくれる日本を主戦場にするしかなくなった。
- 38 :
- 子供の頃はマスカラスとカネックがメヒコの馬場と猪木と思ってた。
メヒコの両横綱的な存在と。
でもカネックの方がメヒコでは全面的な存在。
マスカラスがワガママだったってのも後々に知った。
マスカラスは好きだったから子供の頃に知ったら多少はショックだったはず。
そういう事は子供ならあまり知りたくないし。
- 39 :
- 大量離脱もあったけど、かなり上手くスライドできたと思うよ。
- 40 :
- 三宅綾のブログでのマスカラスの思い出が面白かった
WINGに来日した時はコスチュームを脱いだ時
オオー!(「体型が昔と全然変わってねえ!」という意味での驚きの声)と
歓声があがったって話だね
ttp://blog.livedoor.jp/rose_color2002/archives/51349233.html
WING 11
1991年12月10日。WINGプロモーション旗揚げ戦「スカイハイ・アゲイン」(後楽園ホール)
この日の目玉は間違い無くミル・マスカラス。
ギャラは勿論、移動・ホテルも全て特別待遇。
選手が会場入りしてだいぶ遅れてマスカラスが会場入り、後楽園ホールの控室1室を1人で使用してました。
マスカラスとの初接点は控室の地べたに広げてあったマスカラスのスーツケースを、
私にアゴで「テーブルに置け」と指図してきた事です。
一瞬「えっ!?」と思いました。
- 41 :
- 若いころの素顔はアルパチーノの渋さとアランドロンの甘さを足して2で割ったようなハンサムだったらしい
- 42 :
- >>1
お前そのダジャレ、他のスレで大スベリして相手にされなかったのに、何でまた書こうと思ったんだ?おまけに新しいスレ立ててまで。アホですか?
- 43 :
- >>40
>スカイハイが流れてマスカラスが登場した瞬間の大歓声を聞いて、マスカラスが「特別待遇」な事に納得せざる得ませんでした。
>前にも書きましたがプロレス団体は「興行会社」です。
>客を入れるレスラーが一番偉いんです。結論から言うとそれが全てなんですよね。
>強いレスラーと、客を入れるレスラーとどっちを選ぶか?と言ったらプロレス団体は99%の確率で「集客力」のあるレスラーを選ぶハズです。
>「興行会社」ですから当然なんです。
この文章はスカッとしてて良いな
- 44 :
- 小林邦昭戦はあまり噛み合ってなかったな
- 45 :
- ジャパンの連中が生意気なんだよ
裏技でマスカラスに仕掛ける力もないくせに
- 46 :
- >>45
小林はマスカラスの実力を認めてなかったな。
当時キャリアの浅かった新倉ものちに自著で、人間性や実力までもボロクソに言ってたよ。
- 47 :
- 新倉はマスカラス戦でヒールホールド決めたら
試合後にマスカラスが全日フロントに自分の知らない関節技を使う相手を当てるなと文句つけにきたらしい
- 48 :
- 新日出身は褌担ぎでも大層な口がきけるんだなw
- 49 :
- マスカラスは新倉の技を受けようという姿勢がなかった。
http://youtu.be/xsiEZbMpaAQ
- 50 :
- マスカラスは対鶴田戦(マスク剥がされかかったUN戦)で鶴田の足四の字をガンとしてかけさせなかったが、
長州とタッグで対戦した時にサソリ固めで足を固められてる最中、鶴田の四の字の時同様に足を解くというやり方で2度に渡るサソリ固めを完全ブロックした。
試合後長州は「こそこそ逃げ回りやがって!」と怒っていた。
- 51 :
- マスカラス&℃-ute
https://youtu.be/prYOExVgPTE
- 52 :
- 90年代前半にドームで猪木VSマスカラス実現!って記事を本気にした。
『猪木とマスカラスが71年以来2●年ぶりに対決』と。
実際にマスカラスにオファーしたらしい。
でも断られて白紙に。
マスカラスも負けは飲めなかっただろう。
せめてタッグで対決して欲しかったよ。
- 53 :
- >>41
僕も純真な少年時代にはその話を信じていました・・
平成の今、ようつべに例の映画がupされ、そこに登場する彼の素顔・・
ネットやYouTubeの出現で幻想も夢もなくなったなw
- 54 :
- どっちかというと、弟のドスの方がアラン・ドロンに似たハンサムやな。息子もスゴイ男前やし。
- 55 :
- 英雄ミル・マスカラスの「ガチ」すぎるアドバイス
メキシコの国民的英雄でプロレスラー、ミル・マスカラス(73)の「ガチ」すぎるアドバイスに、感嘆し、笑ってしまった。
9月19日(日本時間20日)、5人組グループ℃−uteが、初のメキシコライブを開催した。
前日の18日には、メキシコシティ市内のメキシコ国立自治大学で行われた「日墨文化交流シンポジウム」でマスカラスと同席し、エンターテイナーとしての「金言」を多数、もらった。
シンポジウム終了後、℃−uteの5人を前に、記者からの取材に応じた。
−−℃−uteがメキシコで活躍できるようになるにはどうすればいいか
マスカラス まず最初に、テレビの露出を増やすことが一番。それから、もし機会があるなら、映画に出演すれば、知名度がさらに上がるでしょう。あとは、メキシコの報道陣に対して、いろいろなプロモーションをかけていくのがいいでしょうか。
−−ガチすぎるアドバイスですね
マスカラス そういうものなのです。
−−とはいえ、精神面でのアドバイスはありますか
マスカラス きちんとしたプロモーターを持つこと。℃−uteのみなさんは、非常にかわいいので、十分に人気のポテンシャルがある。あとは、きちんとした販路の拡大ができるようになれば。
−−ありがとうございました
「精神面のアドバイス」と強調しても、「いいプロモーターを持つこと」と「超物理的」な返答をするブレなさは、1965年にメキシコでプロレスデビューして以来50年にわたって同国のエンターテインメントをけん引してきた証かもしれない。
さすがは国民的英雄、人の実績は、説得力に直結するのだろうか、記者たちも完全に押し切られてしまった。
◎ニッカン番記者
- 56 :
- レイス、マスカラス組で最強タッグ出場して欲しかった。
- 57 :
- リング外の二人の関係はどうだったのかな?
マスカラスとレイスなら組んでも違和感なかった。
81年ジャイアントシリーズでは対戦したのか?
手元に資料がないからわからん。
テリー、マスカラス組は実現した。
あとここに鶴田を加えたトリオも実現。
ノーテレが惜しい。
81年ジャイアントシリーズと81年最強タッグは面子的にも連日おいしいカードが組まれていた。
ノーテレが勿体なかった。
- 58 :
- >>57
“昭和の全日本プロレス”でググッてみ
- 59 :
- マスカラス、テリー、ドリー、レイス、ブルーノ
シン、上田、ブロディ、スヌーカ、スミルノフ
81年ジャイアントシリーズは凄いメンバーだな。
全日はこの時期は新日に外人メンバーでは押され気味だった。
でも81年秋は明らかに新日より全日が上回っていた。
新日の10周年記念大会はハンセンやホーガンやブッチャーをもっと活用すれば良かった。
あとアンドレやバックランドも呼んで。
豪華外人で固めた全日に対して新日は新日×国際の対抗戦。
主に猪木×木村で勝負。
国際が登場しなければこの蔵前は猪木×ブッチャーだったのだろう。
- 60 :
- マスカラス来日
12月1日後楽園ホール
怖いもの見たさで行くか
- 61 :
- もう35年も前のことになるが、今よりもマスクに神秘性があった時代の思い出話しである。
自分がプロレスを見出したのは、全日の'79世界最強タッグからである。その時に、マスカラス・ブラザーズを初めて画面で見た時の感動は今でもはっきりと覚えている。特に大阪でのファンクス戦は、その期待度を含めて、自分の中では今でもベスト3に入る夢の戦いであった。
年か開けて2シリーズ目のエキサイトシリーズ。私の記憶に間違いがなければ、開幕戦は沖縄大会で、テレビ中継があり、ドス・カラスが単独で来日。開幕戦でジャンボ鶴田とタッグを組み、相手はドクトル・ワグナー組だった。
マスカラスがいなかったとはいえ、前年末に感動を与えてくれたドス・カラスが来日したシリーズ。
新春ジャイアントシリーズも見たが、さすがにマスカラス・ブラザーズがいないテレビ中継は物足りないものだったが、次期シリーズの予告でドス・カラスか来日と流れた時には、心の中で歓喜したほどだ。
その開幕戦の試合。入場時にドスとジャンボが同時にトップロープを飛んでリングイン。この光景だけで大感動ものであった。
その後の試合内容の詳細ははっきりとは覚えていないが、終盤でドスとワグナーがマスクの剥がしあいを行い、最後はドスが完全にマスクを剥がされ、若手のジャージで顔を隠しながら退場していった。
このシーンが、中学生だった自分には非常にショックで、翌週からの中継が見れなかったのである。
後から知ったのだが、最終戦の後楽園ホールは、ドスのシングルとしては最初で最後のメーンだったようで、今でもこのワグナーとのタイトル戦を見逃したことに大きな後悔をしているのである。
- 62 :
- '83世界最強タッグが、自分の住む地元にやって来た。その帯広大会では、セミでマスカラス・ブラザーズvsシン・上田組が組まれた。
マスカラスvsシンとなると、某誌にメキシコ国内の試合でマスカラスがシンにマスクを剥がされた記事が掲載されていて、もしかするとこの試合でもマスクが剥がされてしまうのではないかと、高校生だった自分は緊張してこの日を迎えたことを鮮明に覚えている。
最初に入場したのはマスカラス組で、マスカラスはオーバーマスクを着用してくれていた。
そして、この日の試合内容を初めから予想していたように、コールされる前にオーバーマスクを会場に投げ入れた。
続いて、シン・上田組の入場となったが、リングインと同時に場外乱闘となってしまった。
結論から言えば、両者リングアウトとなるのだが、最初から最後まで両チームがリングの中で戦うことはなかった。
すなわち、自分が唯一見たマスカラスの試合で、フライング・クロス・チョップや、ドロップ・キックを見ることが出来なかった訳である。
こう書いてしまうと、残念な結末となるのだが、逆に場外乱闘が続いたおかげで、目の前でマスカラス・ブラザーズを見たり、写真を撮ったり触れたり、結果的には良かったとも思っているところである。
- 63 :
- >>62
ゴングの広場の読者のおたよりコーナーを思い出した。
- 64 :
- いいねえ もっと書いて
- 65 :
- もっと書きたいところだが、北海道の田舎に住んでいる以上、そう簡単にマスカラス兄弟との遭遇はなかった。
もし、自分があと半年、プロレスを見るのが早かったら、79年のブラックパワーシリーズで来道したマスカラスを見れていたと今でも後悔している。
ちなみに、あの札幌でのブッチャー戦の後が自分の地元での戦いであり、昔見た本によると、8.26オールスター戦に出場するため、ここの空港から東京へ戻ったらしい。
マスカラスを見たのは1回だけだが、ドス・カラスはあと2回、見ている。
記憶を鮮明に思い出していくと、結構な長文になってしまった。
年は忘れたが、ユニバーサルの最後の方で、当時、これが最後の大会と雑誌に出ていたため、思い切って東京1泊2日の旅に踏み切った。
会場は後楽園ホールで、メーンで浜田とのシングル戦が組まれた。
北海道の田舎者にとっては、後楽園ホールと日本武道館は憧れの聖地である。
実は高校2年生の時に親におねだりして、この年から東京に住んでいた兄のところに遊びに行かせてもらった。
目的の一つが、後楽園ホールでプロレスを見ることで「さよならテリーファンクシリーズ」の最終戦を2列目で見ることができた。
ちなみに、日本武道館はプロレスを見出してから34年目の一昨年、小橋の引退試合で実現することになる。
2回目の後楽園ホール。正直、試合内容や他の選手などは忘れてしまったが、今回の旅行における自分のメーンイベントは、翌日に起こったのである。
何も知らないで、文京区のプロレスマニア舘(だったと思った)に、マスカラス兄弟が掲載されている昔のゴング誌を買いに行った。ビルの何階か忘れたが店に入ると、何とドス・カラスのサイン会が開催されていた。
今と違って情報が少ない当時であったため、まさかの偶然に歓喜したことを今でも覚えている。
一緒に店に入った兄は、その様子だけ見ると、プロレスグッズにはそれほど興味がないため、店を出て近くのパチンコ屋に遊びに行ってしまった。
しかし、この兄が後からとんでもない情報を自分にくれることになる。
〜続く
- 66 :
- 〜続き
目の前にいる憧れのドス・カラス。店内にいたファンはそれほど多くなく、10人はいなかったはずだ。
店内で500円のサイン色紙を購入して、サインをしてもらう仕組みだった。
自分の順番がすぐに回ってきた。机の上を見ると、前夜の浜田戦で使用したばかりの黒ラメで、銀ぶちのマスクが置いてあった。
もし、それが現在であれば、そのマスクを指差し思わず「ハウマッチ?」と聞くだろうが、20代の当時は、そんな駆け引きなどできる勇気もなかった。
ドスの前に立つと、ドスが英語で「your name?」と聞いてきた。いわゆるドスとの会話ができたのだ。その声の感じは今でも耳に残っており、緊張していたせいもあって自分の名字を発音するのに、噛んでしまった(顔は紅潮していたはずだ)。
そうすると、ドスは机の上の新聞に下書きして「OK?」と聞いてくれた。さすがに返答の「OK!」は、噛むことはなかった。
スラスラとサイン色紙にマジックを走らせ、名字入りのサイン色紙が完成。それを直接手渡され、握手してもらった温かい手のぬくもりは、今も自分の手のひらに残っているような気がしてならない。
その後、場内でグッズを探すも、視線はずっとドスを見ていたような気がする。
それから少しして、サイン会が終了。ドスは我々に手を振りながら、歩いて行った。その時、一人のファンがドスに英語で語りかけた。
“Desember”という単語だけ聞き取れたが、多分「12月の再来日を楽しみに待っている」と言ったのだと思った。ドスの反応から見て、その英語を理解した様子ではなかった。
〜続く
- 67 :
- 〜続き
ドスが去り、余韻に浸りながら雑誌を探していると、パチンコで負けた兄が店内に入ってきた。
その兄からとんでもない言葉が投げ掛けられた。
「おい、ドス・カラスが素顔で歩いているぞ」。言葉を失った。
「ドス・カラスの素顔が見られるなんて、どうしよう…」。
兄は、先ほどドス・カラスを見ていたため、来ていた服やビルを出てきた様子から、すぐにドスと分かったようだった。
二人でエレベーターに乗り、ビルを出ると、先ほど見たドスの黄色いTシャツが目に飛び込んできた。
よく見てみると、女性がエスコートしていて、待たせてあったタクシーに乗る寸前だったのである。
ここでも言葉を失った。失ったというよりは、どうしてよいか分からない自分がいた。嬉しさというよりは「見てはいけないものを見てしまった」との感情の方が大きかったような気がする。
あれから20数年余、ネットで流れている兄弟が素顔で出演している映画の動画を見た時に、「あ〜、こんな顔だったよな?」と思ったものの、もう少しほっぺたが丸かったような気もした。
本当に、マスクに神秘性があったよき時代の思い出話である。
〜終わり
- 68 :
- マスカラス兄弟の試合で一番印象に残っているのが、79年の世界最強タッグにおけるザ・ファンクス戦。
マスカラスのシングルでは、80年のハリー・レイスとのNWA戦だった。
もちろん、テレビ観戦である。
ネットがなかった時代であり、雑誌も月刊誌。東スポはあったのかもしれないが、自分の家から駅までは遠く、中学生が買いに行ける距離ではなかった。
そんな状況のため、事前に勝敗なんか分かるはずもなく、テレビ中継が本当に待ち遠しい時代だった。
全日のテレビ中継の前週、番組の最後に次週の予告が流れたことをはっきりと覚えている。
そのシーンは、マスカラスのダイビング・ボディ・アタック、そして場外へのプランチャも流れていたと記憶している。マスカラスが優位な場面だけだった。
視聴者を煽る番組づくりを知らなかった中学生の自分は、マスカラスが勝ったのか! と、その思いが強く、翌週の放送が楽しみで、土曜の深夜がやってくるのを指折り数えていたはずだ。
そして、当日。翌日は日曜日ということもあり、親からも夜更かしは許されていた。
我が家にビデオデッキらしきものが来たのは確か翌年であり、テレビの前にカセットデッキを置いて録音した記憶がよみがえる。
そのカセットテープを本当に何度繰り返して聞いたのだろうか。試合の流れも、いまだに所々、覚えている。
前半で早くもダイビング・ボディ・アタックを出したし、後半に二発目を繰り出した時は、レイスにかわされてしまった。
自分が見た試合で、ダイビング・ボディ・アタックがかわされたのは、この試合だけだったと記憶している。
結局は、両者リングアウト。前週の予告から、当然、マスカラスが勝つと思っていたため、非常にショックが大きかった。
会場は愛知県一宮市。
今覚えば、当時はプロレス中継の中で、シリーズの日程の会場名をテロップで見ながら、全国の地名(市町村名)を何の気なしに覚えていたと思っている。
- 69 :
- マスカラス飛来
- 70 :
- マスカラスとファンクスの試合はドリームカードだった。
テリー、マスカラスとブッチャーの試合も見たかった。
- 71 :
- マスカラス兄弟vs.ザ・ファンクス。
自分がプロレスを見始めて間もない頃のカードであったが、シリーズ序盤のテレビ中継のカードや、会場の熱気などを見ていると、それが黄金カードであることは、素人の自分でも感じ取れた。
ブルーを貴重にしたマスカラス兄弟は、本当に格好よかった。今でも、このブルー・ラメのマスクは、一番のお気に入りである。
人気では、ファンクスがかなり上回っていた。マスクマン < おじさん…これには正直「何で?」と思った。「大阪のマスカラス・ファン、何やってんだ!」と、心の中でつぶやいた。
ただ、自分にはまだこの時の“デリー人気”を理解していなかったのである。
マスカラス兄弟のダブルのフライング・クロス・チョップには、本当に魅せられた。
終盤、場外のテリー目掛けてのプランチャーは、やや姿勢が崩れていた記憶であるが、これが自分にとっては初めての場外ダイブを見た瞬間であり、あまりにもの衝撃に声を失ってしまった。決して大袈裟ではなく、ますますマスカラスの魅力にはまってしまった。
ここまででも、マスカラス兄弟の勝利を信じていたが、テレビの画面が切り替わった瞬間に、ドリーがドスを丸め込み、負けてしまった。
確か映像では、トップロープ越えのドスの回転エビ固めは映っていなく、訳の分からないうちに勝敗が決まり、???状態で、しばしテレビを見つめていた。
終了後、頭を押さえているテリーにマスカラス兄弟が近づき、お互いの健闘を称えあっているシーンも印象強い。
最初で最後の夢の兄弟対決。世界の中でのインパクトはよく分からないが、プロレスの「いろは」を覚えてきた頃には、この対決を日本で実現させたプロモーター馬場の手腕に感服したものである。
近いうちにもう一度、見たかったカードではあったが、その夢は叶うことはなかった。
- 72 :
- No.65〜67の続きである。
生のドス・カラスをもう一回見たのは、それから数年後。札幌中島体育センター別館である。
ユニバーサルではなく、FULLだったはずで、メーンで4対4のイルミネーションマッチが組まれた試合だった。
ドス、サスケ、ケンドーがいた。もう一人と、対戦チームの現・外道以外は忘れてしまった。
自分の中では、この試合の内容よりも試合当日までの思いと、試合後のインパクトが大きく、自己満足ではあるが、それを書きたいと思う。
この日は他にタイトルマッチもあり、シリーズの大一番でもあった。シリーズ序盤で博多大会があり、ゴングでその記事を見た瞬間に自分の心がメラメラと燃え上がってきたのである。
その写真には、試合後にファンから博多人形に取り付けられた「おひねり」をもらって喜ぶケンドーが写っていた。
こうなると、なぜかライバル心が生まれてしまう自分の性格を押さえつけることが出来なくなってしまう。
「博多に負けてたまるか!」と。
博多=博多人形。では、札幌=???。自分は田舎者であり、札幌にこだわる必要はなかったが、博多人形に対抗できるものは前々日まで思いつかなかった。
そして当日。自宅から札幌までは特急列車で3時間ほどかかる。この試合以外では、全日の四天王時代に10回ほど見に行った。宿泊費を含めるとそれなりの出費となるのだが、それほど魅力的なカードが多かった時代である。
会場に到着すると長蛇の列ができており、関係者が試合前の選手との交流イベントの案内をしていた。先着○○名限定となっていたが、ファンクラブの会員であった自分は、会員証を見せるとすんなりと入場させてくれた。
少しすると、選手が入場。リングの上にはリンピオもルードも勢揃いとなった。もちろん、ドス・カラスの姿も確認できて、テンションは一気に上がってしまった。
それからサインボール投げが行われ、どの選手が投げたものかは分からなかったが、1球キャッチできた。そして、リング上を見ると、偶然にも自分の正面にドスが立っていた。
エプロン付近まで近づくと、ドスは手に持っていたサインボールをロープ越しにプレゼントしてくれた。この時の感動は今も鮮明に覚えており、そのサインボールは今でも大切に持っている。
〜続く〜
- 73 :
- 〜続き〜
そして試合。今、思い出してもメーンまでの試合は何も覚えていない。この日は、ドス・カラスが出場するイルミネーションマッチがすべてであった。
ところが、試合ではドス・カラスが早い段階でフォールを取られてしまい退場。アリーナからも退場し、最後までその姿を見せることはなかった。
最後はサスケが孤軍奮闘の活躍を見せ、リンピオ軍の勝利に終わった。
そして恒例のファンがリングを取り囲む光景へと移る。もちろん、自分はベストポジションを確保した。
結局、自分が考えた「おひねり」は、前日に近所のオモチャ屋で子供用のバドミントン・ラケットを買い、ガットに糸を結び、千円札に糸の先を結びつけたもの。ラケットを持つと、紙幣がぶら下がっている状態で、一つのラケットに5千円、二本で1万円とした。
ここで私のターゲットは、ドス・カラスからサスケに変更した。すると突然、ケンドーが目の前に現れたため一本渡すと、大喜びの様子でジャンプしながら、はしゃぎ回っていた。
もう一本をサスケに渡そうとしていたが、ポジション的に悪い。「サスケー、サスケー」と叫んでいると、おひねりの硬貨を拾い集めていた若手がそれに気づき「サスケさん、こっちにお願いします」と大きな声でサスケを呼んでくれた。
今日のヒーロー・サスケが歩み寄ってくれ、サスケへラケットを手渡すと「ありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします」と私に述べ、おひねりを大きく掲げてくれた。
私は安堵のため息を漏らしたが、一連の光景を横で見ていた高校生ぐらいのファンが「スゲーっ」と言った言葉を聞き逃さなかった。こうして、構想から1週間のマイ・パフォーマンスに満足して会場を後にした。
翌週、札幌大会が掲載れたゴングと週プロを購入。ラケットが写っている写真を見ながら、1週間前の出来事を懐かしんだ。その2冊の本は、今でも自室の押入の中に眠っているはずだ。
- 74 :
- ほのぼの
- 75 :
- マスカラスはまだ現役?
- 76 :
- 現役です。
12月1日の東京愚連隊興行(後楽園ホール)出場のため来日します。
見に行きたいけど、北海道民としては経済的にもつらいです!
- 77 :
- ファンクスとマスカラス兄弟のカードは正に夢のカードだったね。
最強タッグに双方を揃えた馬場も凄い。
まあ最強タッグはファンクスは当たり前だが、マスカラス兄弟を参加させた意義深いシリーズ。
ブッチャーやシークのヒール時代にこういう大人気ベビー同士の対決も逆に良かった。
まあこの四人ならドスが一枚落ちるのは仕方ない。
81年ジャイアントSではマスカラスとテリーのタッグが何度か実現。
残念ながらノーテレ。
夢のタッグとは正にこの事だ。
- 78 :
- せっかくの情報なので、”夢のタッグ”をネットで調べてみた。
81年ジャイアント・シリーズといえば、マスカラスがマイティ井上相手にIWA世界ヘビー級の防衛戦を行ったシリーズ。この蔵前国技館大会の第7戦(10月9日)からの途中参戦であり、マスカラス自身、4戦しか出場していない。そのうち2戦がまさに夢のタッグ対決であった。
10月12日の秩父大会は、テリー、鶴田、マスカラスvsブロディ、スヌーカ、バック・ロブレイの60分3本勝負がメーンで組まれている。
1本目が4分38秒、両軍リングアウト。そして、2本目が3分23秒、テリーが回転エビ固めでロブレイからフォールを取っている。
試合時間が合わせて8分01秒と短く、対戦相手がブロディでは、きっと荒れた試合だったに違いない。
そして、翌13日の佐野大会では、マスカラス&テリーのタッグがセミで実現している。相手はデストロイヤー&バック・ロブレイ組。
結果は、15分32秒、体固めでマスカラスがロブレイを押さえている。
決め技は、フライング・クロス・アタック(チョップ)3連発となっているが、この頃のマスカラスの3連発は、あまり記憶がない。2連発からのボディ・プレスが定番であり、ぜひとも見たかった3連発である。
以上2戦がノーテレビだったとは、本当にもったいない。いくらお金を払ってでも見たかった、まさに“夢のタッグ”である。
また、この2連戦の入場テーマ曲を何にしたのかも非常に気になるところだ。
- 79 :
- 見られない
- 80 :
- ガラケだと
- 81 :
- あげ
- 82 :
- 今さら見に行く人いるのかね?
私は50代ですが、あの頃のマスカラスはいないんだし、むしろ引退して欲しい。
どんどん夢が汚れるんですよね。
- 83 :
- >>82
同意
80年代後半でさえ見たくなかったのに…
今回の来日はドリーと一緒に引退ツアーにしてほしい。
- 84 :
- ドリーって何年か前に引退したんじゃなかったの?
武藤全日で引退試合やって引退したじゃん。
- 85 :
- >>82-83
自分は逆に今だからこそ見てみたいな。
>>82さんはマスカラスよりずっと若いけど胸囲より腹回りの方がずっと大きくて腕立て伏せ10回もできないでしょ?
今でも踏んばってるマスカラスを見たら自分も頑張ろうって気分になるよ。
- 86 :
- ドリー体調悪かったよ、歩くのがやっとで攻撃もほとんどムチで打つだけ、
スピニングトーホールドもヨタヨタ。咳き込んでたし。
マスカラスはお元気で劣化が穏やか。
- 87 :
- ドリーは年末にヒョードルとやるだろ。
- 88 :
- マスカラスは今でもトレーニング続けているんだろうな。
プロレスを引退しても死ぬまで続けそう。
猪木、坂口とか日プロ時代からのレスラーは引退してからは全くトレーニングしてそうにないな。
- 89 :
- >>86
今のドリーより去年来日したダニー・ホッジの方が遥かに体調良さそうだったしなあ
てかドリーは最高齢現役レスラーとしてギネスブックに載る事でも狙っているのか?
- 90 :
- マスカラスとアンドレの対決を見たかった。
- 91 :
- マスカラスとアンドレの対決を見たかった。
日本では団体が違ったから無理。
海外だとベビー同士だから無理だったか。
アンドレがメキシコ上がった時はカネックが迎撃。
マスカラスはそういう立場ではないから。
- 92 :
- MSGでのアンドレ、マスカラス、ローデスの3人タッグは華やかだったな。
マスカラスは身長は低いんだけどガタイがいいからローデスのような巨漢と組んでも見劣りしなかったんだよな。
- 93 :
- 子供の頃はマスカラスとカネックが日本で言うBI的な立場だと思ってた。
二人がそういう存在と。
でもメキシコではむしろカネック一人がBI的な立場だった。
マスカラスは取り敢えず世界中どこでも評価は高い。
※ワガママ通して。
カネックはメキシコ以外は評価は高くない。
※特に日本では。
実際にメキシコで強豪の外敵を迎えていたのはカネックだし。
UWAもカネックのタイトルみたいなもんだった。
- 94 :
- 80年代のメヒコでのカネックは凄かったな。
あくまでメヒコでのカネック。
シン、ハンセン、ブッチャー、アンドレ、ホーガン、ベイダー
こういう大型外国人を相手に互角の試合。
シンやベイダーにはタイトルを奪われたが。
ブロディがメヒコリング上がっても面白そう。
メヒコでのカネックVSブロディとか。
でも負けブック拒否で無理か。
他にも猪木、長州、藤波、バックランドと名だたる強豪がメヒコリングに上がってる。
- 95 :
- マスカラ
ドスカラ
エルカネ
- 96 :
- マスカラス アンドレ ローデス ファンクス バックランド ホーガン
華がある外人も今はいないなあ。
マスカラスとアンドレのタッグは日本で見たかった。
オールスターでの馬場 猪木の相手公募にこの二人のコンビもあったはず。
- 97 :
- かなり前のカネックのインタ。
マスカラスはメヒコに強敵が来ても知らん顔。
迎撃するのはいつもカネック。
アンドレがメヒコに登場した時は迎撃どころか組んでいた。
マスカラスは美味しいところを持ってく事しか頭にない。
外敵の迎撃で体張って大変なのはいつもカネックばかり。
特に日本ではマスカラスもメヒコの英雄扱いに。
メヒコをろくに守ろうとしない男に英雄面されたくない。
昭和の頃の雑誌インタ。
カネックはこんな感じでマスカラス批判を。
メヒコを守ってるのは自分だと。
マスカラスは何もせずに英雄面してるって。
まあ今となってはこのインタも実際にカネックの言葉かも怪しいが。
- 98 :
- マスカラスらしい話
- 99 :
- 入場から見てもマスカラスの方がオーラがある
- 100 :
- カネックの素顔見たかったなぁ
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