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「漢民族」とは何なのか?


1 :2019/02/18 〜 最終レス :2020/04/11
春秋戦国〜前漢時代に形成され、魏晋南北朝時代にさらなる新融合を果たした{漢民族」。
一体全体、「漢民族」と何なのか?

2 :
前スレ
中国史は長いので編集してみた。
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1547206336/

漢民族と中華文明について言い足りない方、続きをどうぞ。

3 :
>>1
漢文系統の文語を共有し、この共通文語から深く影響を受けたシナ・チベット語族の口語を用い、
中華国家の「郡県」に父系の一族の本籍意識を持つもの。

で、どうだろうか。

4 :
質問 客家は漢民族に入りますか?

5 :
そもそも民族ってなんだ?
年末にどん兵衛を食べながら「笑ってはいけない」を見てる中国人なんて日本民族の一部じゃないのか?

6 :
>>1
前スレでスレ末にかかって消化不良に終わった、
「中華都市、日本都市、欧州都市の比較論」
の議論もここで続けていいかな?

7 :
>>5
そもそも、どの民族も周縁部分、境界部分はあいまいだし、
民族内にサブ的なエスニック・アイデンティティが存在する複核構造だし、
住んでいるところもモザイク状に入り混じっているのが普通なんだよ。

8 :
>>6
おめーはおれの渾身の編集結果をさんざんスルーしておいて、何を今更抜かしてくれる。プンプン。

(1分熟考)

どうぞ。

9 :
>>8
いや、前スレで以下の文を最後に投入した者なんだが、
スレ末になっちゃったんで、この説明で十分伝わったか確認できないままに終わっちゃったからさ。

以下コピペ

>>989
弥生時代、古墳時代と発展してきた首長制の在地共同体が10世紀に律令制と共倒れで解体しているんだよ。

その荒廃した更地から、荘園とか国衙領なんてシステムが発生してきて、11世紀に荘園公領制が確立してくる。

例えば、群馬県の繰り返し榛名山なんかの噴火を被っているところで考古学の発掘をやると、
古代には何度火山噴出物で農地が埋められても、同じ土地に同じ地割りで農地や集落の復興が行われている。
ところが、10世紀の噴火の後は一切復興が行われずに荒廃地のまま放置されているんだ。

この辺のドラスティックな変化が起こった時期には中央の朝廷でも文書管理のメカニズムが激変しているんで、
一次史料の残りが非常に悪い。

だから、一般向けの歴史書なんかだと(起きたことの実証がしにくいからこそ)色んな社会システムの断絶が
起きたことを適当にぼかして書いていることが多いんで、世間に周知された史実になっていないんだ。

一般向け歴史書でも、広島大学にいた下向井龍彦さんの著作なんかだと明瞭に指摘されてるけどね。

10 :
>>7
だったらもう民族なんていうあいまいな概念、消滅したほうがよくね?
まじで文化人類学者以外、誰が得してるのかわからん

11 :
>>9
なんでもいいけど、レス番1000でそこまで真面目に長文書くやつを初めて見たわ。
いったい何を考えてるんだ

12 :
>>11
いや、1000になりそうなことをうかつにも意識してなくて、
日頃強く問題意識の対象にしていた内容が質問で投下されたのでつい・・・(汗)

13 :
>>12
よっぽど歴史が好きなんだな

14 :
>>13
今自分が生きている世界・社会の成立プロセスってすごく気になるじゃん。

15 :
>>9
だから、「どうぞ」。 「次スレ要るか?」と尋ねても誰も要るって言わなかったけど、まあおれは人がいいので
勝手に立ててみた。
誰かも書いてくれたがこちらは文化面を中心に中国史を語れればいいかなと思うけど、貴方は博識で
春秋時代についても丁寧に答えてくれたのでお好きなように。
都市論が終わったら「漢民族」についても語っていってちょ。 まあ、前スレ同様 結局雑談スレでどうぞ。

16 :
>>14
歴史の醍醐味はそこだな。 特に中国は現在の政治指導部が中華帝国の復権や「中華民族」の栄光を
やたら鼓舞してるので、前スレ同様 タイムリーなテーマだと思うんだがね。
このスレでも中国共産党の話題をビシバシ放り込んでいければと考えている。

17 :
中華人民共和国て、将来黒歴史にならんかな。
ロシアからの征服王朝的な。
漢民族の意思が反映されてると思えない

18 :
>>16
現中華人民共和国の「一帯一路」構想なんて、杉山正明の指摘している大元ウルスのクビライ政権による
海洋進出と大陸通称ネットワークの結合に酷似しているんだよね。
もしかすると、日本でのモンゴル研究の成果を彼のブレーンがキャッチして、
習近平に教えている可能性は否定できないんじゃないか。

それから、確かにモンゴル帝国の解体時の世界の状況と、現代世界が抱えている問題って、
急進的なグローバル化の果ての諸問題の発生、という観点から見ると、確かに相似形の部分はあるんだよ。

19 :
モンゴルは草原の帝国であると同時に海の帝国でもあった、紙幣を発行し、科学技術の発展にも寄与した
先進的な帝国だった。決して野蛮な騎馬民族が力だけで治めた帝国ではなく、その当時としては
新たな世界システムの構築を模索するパイオニアだった。

19世紀 英国の覇権を支えたのは海軍力と貿易だった。 20世紀の米国の覇権は核戦力と国際通貨ドルだった。
21世紀の覇権国は紛れもなく通信の覇者であろう。
次世代通信技術を巡る米中の覇権争いが激化しているが、モンゴル帝国がやろうとしていた
新しい世界システムの構築を、時を超えて今の中国がやろうとしているんだろうねえ。

20 :
>>18
中国・ロシア・イラン

反米のユーラシア三大国は、そのまんま元朝・キプチャクハン国・イルハン国だからなあ

21 :
>>9
均田制の崩壊が、日本史にとってそれほどまでに重大な画期なら、中国史にとってもそうなのではないか?

前スレで、北魏から唐の前半までの均田制時代をまるごとカットしたのは如何?

22 :
>>17
中共とソ連か蜜月だったのなんて建国からスターリン批判までの三、四年だけやん
ほとんど自力で国家運営してるのに征服王朝になるわけ無いやろ
自力でやった結果が大躍進に文革やけども

23 :
西欧と日本の中世というとイメージがしやすいが中国史の「中世」がイマイチ良く解らなかった。
京大学派と東大学派でも中世の見方が異なると思うが前レスの博学多識さんの解説がストンと腑に落ちたんでもう一度貼ってみる。

943世界@名無史さん2019/02/18(月) 10:20:47.250>>946
中国史で、春秋戦国の都市国家に君臨する地方有力者を邑の名を付して「〇君」などと呼び、
漢代に地方の郷里共同体社会を侵食して成長してきた地方有力者を「豪族」と呼び、
漢代豪族層から成長してきた魏晋南北朝時代の名門家門を「貴族」と呼んでいるのが、
極めて妥当な認識だと思うんだよね。

漢代の「豪族」は、まさにデフォルトの社会制度を侵食して成長してきた制度外の異物に他ならないけど、
魏晋南北朝の政権にとっては、彼らは社会制度にとってのデフォルトの制度内存在。
だから、中央にいようと地方にいようと、魏晋南北朝では貴族。

日本史でこの手の「豪族」に相当するものを挙げよと問われたら、
9〜10世紀に地方の首長制共同体を侵食して成長、伝統的郡司層を没落させた「富豪の輩」、「田堵」、「負名」
と呼ばれ、のちの名主層に成長していく連中だな。

24 :
>>21
まぁ、カットしたのは私じゃなくてスレ主なんだが・・・

均田制とはいっても、隋唐の均田制と、日本の均田制はその実施現場の背景が根本的に異なる。

隋唐の均田制というのは北魏の均田制の引継ぎで、鮮卑系北族の軍事占領下で、いったん乱世で秩序崩壊
したところに農民を再定着、再入植させる制度という性格が強い。
いわば、「進駐軍による戦後復興」だね。

でも、日本の均田制は弥生・古墳時代以来の首長制共同体社会の上に行われている。
つまり、独立した自営農民などいたためしのない首長制共同体の共有農地が広がっている世界に
共同体共有農地を「天皇の土地」に読み替え、共同体成員に名目上、ひとりひとり担当の農地を
割り振った形にして徴税単位とした、というのが実情。
だから、国司による徴税も国衙官僚が人民を強力に支配して行われたというものではなく、
在地首長層から登用された郡司層に国司があいさつ回りして旧来の共同体のシステムを使って
税を集めてもらっていた。

だから、首長制共同体社会の崩壊に伴って「名目均田制」のたてまえすら維持できなくなったんだ。

25 :
>>23
既成の多くの中国史解説書で「貴族制」時代の中国が
わかりにくくなっているポイントがいくつかあると思うんだ。

ちょっと箇条書きしてみる

・非制度的な「豪族」が漢代の官吏登用制度の隙をついて「名門」性を帯びていっている
・三国時代〜五胡十六国時代の華北社会の混乱による華北人の「武装難民化」で
 「名門豪族」が彼らの指導者に押し上げられ本格的に「貴族」化している
・華北に南下してきた遊牧民の社会そのものがもともと「貴族制」社会であったのが、
 北魏の漢化政策で遊牧系貴族家門が漢姓を名乗るようになって外見上彼らが漢人貴族に埋没している
・江南の六朝政権は華北から南下、江南を武力侵略した武装難民軍閥の連合政権なのだが
 この指導者層が精神的支柱の名門貴族と軍閥としての軍事指導者から成っており、
 後者の存在が前者の陰に隠れがち。
・魏晋南北朝隋唐という長いプロセスを経て漢人貴族の豪族性、北族貴族の遊牧指導者としての性格が薄れ、
 いずれも在地に根差した性格が喪失に向かって官僚貴族化への道をたどっている
・血統貴族の在地性が失われるのと並行して在地社会では比較的短いスパンで興亡を繰り返す中小地主経営が台頭し、
 それが科挙官僚の供給源になっていく
・安史の乱以降、乱の参加者から帰服した北族系軍閥が胡漢混成集団化しつつ在地軍閥化していく

こうした事がはっきり起きているのだが、その具体的プロセスに未解明の点が多いため、成書であいまいにぼかした表現で
書かれているという印象があるんだよね。

26 :
唐は、都では貴族の合議制、地方では節度使の藩鎮が割拠という、全体に皇帝権力が弱かった時代とされている (それこそが中世社会の特徴なのだが)

この反省から、宋では地方に科挙官僚を送り、地方有力者の権力を削ぎ落とした。

明は、丞相を廃して実験用のない内閣大学士を置き、皇帝独裁体制とした

27 :
>>26
隋唐では王朝の支配の根幹となる軍事警察力、国家の中央暴力装置の源泉が武川鎮軍閥系関隴貴族の
北族系私兵軍団だからね。

武則天>玄宗皇帝の楊氏一族登用という流れは、この関隴貴族系の中央暴力装置の解体と、新たな
皇帝直属暴力装置の創出というキーワードで理解しやすくなる。

唐朝はこれに失敗して安史の乱を招き、中央政府による統治が有名無実化するわけだが、
宋朝は唐朝の関隴系軍事力に相当する沙陀突厥系軍閥の事実上の解体に成功した。

その反面、新たに創出した皇帝直属軍事力は虚弱になってしまったわけだが。

28 :
しかし、中国の中世をめぐる京都学派と東京学派って、全く正反対の歴史観だよね。
結局どちらが定説になったのか知らないけれど、内藤先生の方に立つと、
玄宗皇帝は足利義教、安史の乱は応仁の乱(あるいは嘉吉の変)に比定できそうな。
東京学派(唐中期まで古代)に立つと後白河・後鳥羽院になるか?

29 :
>>28
結局、東京学派と京都学派の論争って、当時の世界で圧倒的権威をもって世界を覆わんとする
西洋史学理論をどう消化し、どう異議申し立てするかの苦闘だったと思うんだよね。

つまり、
「歴史の普遍理論は古代>中世>近代という発展段階論、つまり進歩を跡付ける理論である(これを唯物論で語ったのがマルクス主義)」
「東洋は普遍的な発展をなし得ない停滞の世界である(非ヨーロッパに歴史はない)」

という当時の世界での絶対的な権威理論に対して、

「日本や中国の歴史はどこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のような停滞の世界ではない」

という異議申し立てをいかにするのか、という戦いの歴史の一断面だったんだな。

歴史学を外野で見てきた限りにおいて、
日本の史学界はこの呪縛から1970年代ごろからだんだん解放されてきたように思える。

30 :
軍事技術の進歩とそれに合わせた国制の変化、
という見方をすれば古代→中世→近世という直線的な発展段階論で行ける気がする。
古代は戦闘馬車や重装歩兵の時代、中世は騎馬の時代、近世は銃の時代。

中国の場合は地理条件のおかげで中世化が中途半端にしか進まず、
古代が遅くまで続いたようにも近世がフライングでやって来たようにも見える。

31 :
>>30
近世は、正確には「銃の時代」というより「火器(銃と大砲)と騎馬のハイブリッドの時代」なんだよね。

騎兵が火器に完全に駆逐されていくのは近代になって元込めライフルと機関銃が登場してからで、
それまでは火器と騎兵が相互補完する時代が長く続いた。

火器のユーラシア全域への普及はモンゴル帝国の存在に与るところが大きいんだが、
最近の歴史学ではモンゴル帝国崩壊後、つまりポストモンゴル時代に隆盛した中規模帝国、
つまりオスマン朝、サファビー朝、ムガル帝国、明清帝国を指して「火薬帝国」という類型概念が
提唱されている。

これらの帝国は騎馬軍事力と火器の火力を補完的に組み合わせて軍事力の中核としたのと同時に、
火器兵力を維持するために先進的な徴税財務制度を発達させたことが注目されているんだ。

32 :
>>30
もうひとつ、
「技術の進歩とそれに合わせた国制の変化」
という要素で語れるパラメータが、遊牧系軍事組織による定住農耕民に対する統治技術の進歩。

最初は厳しい遊牧地帯の自然環境で減少しがちな家畜を定住民から略奪していく程度だったのが、

やがて遊牧地域に都市を築いて商工民や行政文官などをそこに定住させるようになり、

さらには定住農耕地帯の一部を一国二制度で安定的に統治する経験を積み、

最終的には定住農耕地帯全体を安定的に統治して騎馬遊牧軍事力と定住農耕生産力を結合させることに成功した

33 :
>>29
戦前からの歴史ある京都学派に対し、東京学派がマルクス主義の唯物史観で戦後に台頭したっていうイメージなんだけど、違うのかな?

34 :
唯物史観はどっちも前提にしているでしょ。
近世という区分を持ち込んだにも関わらず京都学派の方が西洋史の区分に忠実で、
東京学派の時代区分はどうも日本史に引きずられているように思う。

35 :
歴史の時代区分によく用いられる古代、中世、近代という3区分法はヨーロッパの歴史を分析するために考え出された。
この区分法の起源は、ルネサンスの人文主義者たちが、古代ギリシア・ローマ時代を理想とし、
ルネサンスはその古代文明の再生であり、その間の中世を古代の文明が中断された暗黒時代と捉えたのがそもそもの始まりである。

歴史学の研究が進展する中で、中世と近代の間に「近世」を挟む提案がなされた。
これは広く歴史学者に受け入れられ、現在では古代、中世、近世、近代の4区分が一般的に用いられるようになった。

36 :
古代、中世、近世、近代の境界は概ね以下の通りである。

古代 - 中世: 西ローマ帝国の滅亡
中世 - 近世: 東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス、大航海時代、宗教改革
近世 - 近代: 市民革命(特にフランス革命)、産業革命

なお、近代と現代の境界については、1980年代までは1914年の第一次世界大戦の開始以降を現代とする区分が一般的であった。
しかし、1990年代以降は、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに伴う冷戦の終結までを近代の枠組みの中で捉えることが多くなってきている。

37 :
西洋史の「古代」には、古代ギリシャ・ローマ文明を賛美し、それに比べて「文化が衰退した暗黒の中世」という価値観が根底にある。

つまり、「昔は良かった」という思想。

これでいくと、中国の場合は、尭舜禹や、周あたりが古代か

38 :
>>37
これをひっくり返して、
「人類はたえまなく進歩し続けているんだよ」
史観を唱えたのが、マルクス主義。

39 :
都市戸籍と農村戸籍があるからな。
都市戸籍の人間で北京語で意思疎通できる人間だけが、
漢民族じゃないの?
マジで都市戸籍の連中は農村戸籍の連中を信用していないみたいだし、

40 :
なお、「昔はよかったよ」史観が故に、19世紀までの西洋の知識人は、「堕落」の恐怖におののいていた。

つまり、「人間が神の意志にかなっていた理想状態」から人類が歴史を下るほどに
乖離していっている、という思想で、その乖離を「堕落」と呼んでいた。

そこに、ダーウィンの進化論が登場した。
堕落の不安におののく西洋知識人は、堕落の回避の可能性を進化論に見出した。
そして、堕落からの脱出を「進歩」と呼んで、社会を進歩させる方向を模索するようになった。

41 :
>>39
中国共産党が根絶した士大夫母体の「卿紳」って旧中国のエリート階層は
農村を基盤にした勢力だったけどな。

42 :
>>40
なんか仏教の末法思想に似てるな
あれはどうやって克服したんたろう

43 :
>>42
うん、
近代における社会の激変を「堕落」というキーワードで不安視したのを
本来の科学的な意味を度外視した「進化」理解で乗り切った現象が、
「末法思想」と「浄土教ブーム」の関係に酷似している。

「浄土教」ってのも、今のこの世界で修行して悟りを得るのをあきらめて、
死後輪廻転生する先を阿弥陀如来の主催する極楽浄土に定めることで、
そこで仏道修行して悟りを得よう、という思想だからね。

44 :
仏教先進国であった「中国」がそうでなかうなったのは北宋から。
北宋はそれまでの「中国」を大改造した異質な王朝。

45 :
>>44
宋から、新儒教の巻き返しと、仏教の衰退が始まった

でも、それでいて、宋は最高レベルの禅僧を輩出した仏教思想の頂点でもある

46 :
>>45
北宋〜元代は、知識人としての最低教養は「儒教・禅宗・道教」の三つに通じている事、
という認識だったらしい。

唐代までの仏教は、その真の教理とは別に、国の支配階級向けのサービスとして、
「方便」ではあるが、「神通力」を有するとして祈祷や呪術の類をやっていた。
これは、日本の天台宗や真言宗と同じ現象。

ところが、宋代には禅宗が台頭。
禅僧は旧仏教の僧侶と違って、支配階級の心の苦悩と向き合って、対話による
一種のカウンセリングをサービスとして行うことに心を砕いた。

47 :
宋明における新儒教の登場は、西洋史での「宗教改革」に相当する

儒教は、キリスト教やイスラム教と違って露骨に宗教っぽくないから、そういうイメージが無いのだが、社会に及ぼしたインパクトは勝るとも劣らない

西洋史では、宗教改革とルネサンスの前後で「中世」と「近世」に分かれる

その意味では、中国の場合は、宋がその画期となるだろう

48 :
>>46
それチベットと清朝の関係そのものだよね

49 :
>>46
そう、そこも見落としがちなポイントの1つだろう

日本の平安時代が、なにかといえば「怨霊の祟りじゃ」といってビビっていた迷信深い時代なのはよく知られているし、西欧は近世に入っても魔女狩りをやっていた

唐朝も、ここまで迷信深いかどうかは別にして、国を挙げて加持祈祷に狂奔した時代

新儒教は、それに対する啓蒙思想という面もある

50 :
「日本は、遣唐使を送って唐の進んだ文化を学びました」と歴史の教科書には書いてあり、確かにその通りなのだが、実は、唐の文化のなかで日本人が最も興味を持っていたのは、加持祈祷だった

日本人が長安に来ると、仏教経典や祈祷・占いの本を争って買い求めるので、現地では「本の値段が上がる」と言われるほどだった

51 :
その典型的な日本人が空海か?
へい、空海、おめーもイカれた野郎だぜ。

52 :
それは現存しているの?

53 :
なにかにつけて現世志向が強く、インド人や西洋人に比べて「あの世に興味が無い」という、際立った特徴を持っていた中国人

漢代には盛り上がらなかった仏教が、なぜ魏晋南北朝から隋唐にかけて、急に極盛期を迎えたのか?

これについて、よく言われるのは、
「中国人が仏教に染まったのではない。
仏教を好む異民族が、中国に移住してきたのだ」
ということ

実際、宋で衰退した仏教は、モンゴル帝国の宮廷で盛り返したし、明で衰退した後も、清の宮廷で篤く信仰された

54 :
>>52
中国よりも、日本のほうが残っていると言われている

55 :
>>47
新儒教である朱子学ってのが、実は理性によるカウンセリングによって新時代の支配層に受容された、
新仏教の禅宗から大きな影響を受けて成立したようだね。

旧仏教が(方便とはいえ)加持祈祷で旧支配者層にサービスしたのと同様に、
旧儒教には現代まで継承された四書五経のような「経書」とともに神秘的な預言書である「緯書」があり、
「経書」と「緯書」を組み合わせることによって真理が読み解けるという思想が存在した。

ちなみに、「経緯」という言葉でわかるように「経」と「緯」はセットのタームであり、
布を織るときのたて糸が「経」で時間軸に沿った事象の生起のあとづけを意味し、
布を織るときのよこ糸が「緯」で表に見える現象を裏で結び付けている真理を意味する。

つまり、仏教でも儒教でも唐代までは非理性的な神秘主義の色彩が強かったのが、
宋代以降は理性主義が前面に押し出されてくる。

ただ、人間は理性だけでは精神の平衡が維持できないので、
非理性の神秘主義を一手に引き受ける存在として道教が位置付けられていくことになる。

56 :
>>48
ビンゴ!
正にその通り。

57 :
>>55
ところで「経書/緯書」って「スートラ/タントラ」の訳語なんだろうか?
少なくとも漢代には既にあった言葉だけど。

58 :
>>57
確かに、原義が同じだね。

でも、中華に五行説あれば天竺に五大説あり。

同じような同時多発的な並行現象じゃないのかなぁ。

59 :
>>57
船山徹著「仏典はどう漢訳されたのか〜スートラが経典になるとき」という本によれば、「経」は機織りの縦糸という意味だったが、初期の漢訳者たちが大胆にも、これを「スートラ」の訳語にしたという話だ

60 :
しかし、戦国時代には「詩経・易経」その他がすでに存在した

荘子ではこれらが「六経」とも呼ばれている

61 :
人種とか遺伝子とかの話は抜きにして、文化集団・宗教的な観点からみると
漢民族が完成したのは宋代からか?
欧州で言うとカール大帝が「西欧」を作り出したような感じで。

62 :
>>61
そのあと、モンゴル帝国による、人種のルツボ状態が来るからな

中国全土はともかく、北京に限って言えば、新しい民族の形成期

63 :
>>61
漢民族の「完成」は現代
中国共産党が「かつて漢人の土地だった領域の回復」とか言ってるように
周辺民族を全部漢族と設定した時でしょ

64 :
「民族」の定義は別にして、
少なくとも「中華」の歴史というのは「周縁」を「中心」に巻き込み、繰り込んでいく歴史の
繰り返しと言ってもいいんじゃなかろうか。

周代〜漢代は邑という華北の多民族都市国家社会をひとつにしていく歴史で、

魏晋南北朝〜清代はモンゴリア、江南を華北のシステムに統合していく歴史。

さて、民国・人民共和国以降はどういう枠組みで語れる歴史になっていくのだろう。

65 :
>>64
中華史観というイデオロギーでは、そういうことになるな

実際には、ド辺境の北京が全国を征服して新たな中心となり、かつての中華と呼ばれた地域は周縁となって従属しているのだから、それは現実にそぐわない

本当は、「かつての中華は衰退して、別の地域が台頭した」というのが実情

広く東アジア全体を見渡してみれば、日本もそうだ

かつては北京や上海と同じく周縁だったが、今はどう見ても最先進地域

66 :
>>65
周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という
重心の移動ともとらえられる。

周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。

ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。

華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、
という背景を想定してみても面白いかもしれない。

その好例が、拓跋鮮卑(代〜北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。
この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。

67 :
「なぜ、大日本帝国による朝鮮や満州の支配は非難されるのに、中華人民共和国によるウイグルやチベットの支配は正当化されるのか?」
という素朴な疑問に対する、左翼と中共の側の理屈づけが、その「中心−周縁」理論だ

大日本帝国の場合は、周縁である日本が、中華を支配しようとしたから悪い

中華人民共和国の場合は、中華が周縁を同化しているのだから良い

・・・左翼の親中派学者たちの主張は、要約すればそういうことになる

68 :
>>66
編集ミスで行が狂った!

これが訂正バージョン。

周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という
重心の移動ともとらえられる。

周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。

ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。

この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。

華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、
という背景を想定してみても面白いかもしれない。

その好例が、拓跋鮮卑(代〜北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。

69 :
>>67
支那を支配することに成功してたら日本人も中華に同化されてたんだよなあ

70 :
>>69
人種がほとんど同じで、人口が十倍以上なんだからなあ

全体で均質化されれば、中国人になる

71 :
イギリスも、「もしも百年戦争にイギリスが勝利してフランスを併合していたら、いまごろイギリス人はフランス語をしゃべっていただろう」とよく言われる

72 :
>>68
他スレで「唐までは、西が東を征服してきた」という話をしたところ、なぜか怒りだした奴がいて、スレが荒れた

73 :
>>71
まぁ、あの時代の「中世イングランド王国」はフランス王国西部の大諸侯の属国というのが実態だからな。

薔薇戦争を経てウェールズ系の支配者層を戴くようになった「近世イングランド王国」になってはじめて、
イングランド王国はブリテン諸島の島嶼国家になった。

第一次英仏百年戦争なんて、実質、羊毛利権で緊密に結びついたアキテーヌ公国(+属国イングランド)
とブルゴーニュ公国が、フランス王国の中央集権化に抵抗して結束した「反中央集権化闘争」じゃないか。

74 :
>>72
参考までに、その怒り出した人はどういう論理で反論していたわけ?

75 :
>>74
「唐は西じゃない、山西省だから北だ」とか、そういう感じ

たしかに出身地はそうなんだが、隋末の群雄割拠地図のなかでは、長安の唐であり、洛陽の王世充や河北の竇建徳を滅ぼした西の勢力のはずだ

あと、「曹操は西で、袁紹は東」というのに、やたらカミついてきていた。
正しくは、「曹操は南で、袁紹は北」なんだそうな。
たしかに、そこは微妙なとこだった。

でも、「周と殷」とか、「秦漢と斉とか魏とか」とか、「北周と北斉」とか、明らかにそうじゃんかよ?・・・と思ったが

76 :
>>75
これは、グーグルアースの自分のアカウントでやってみて驚いたんだが、
殷周〜春秋戦国時代の主要な大国の大邑の今わかっている遺跡の緯度経度の情報を
Wikipedia諸言語版なんかを駆使して集めてプロットしていくと、
そのほとんどが関中盆地を扇のかなめにして、華北平原を扇の本体にする、
扇型の狭い領域にほとんど集中しちゃう。
これを既存の専門書の植生域の文献に当てはめると、
「温帯落葉樹林」を潜在植生にする領域とほぼ一致するんだ。

これをもう少し精密に表現すると、華北の世界ってのは、面としてビラっと広がっているんじゃなくて、
・陝西:関中盆地(渭水平野)
・陝東:中原+汾水流域盆地(晋)+華北平原
の二重構造で、この両者を合わせた扇型領域以外はほぼスカスカなんだ。

そして、殷周抗争以来、陝西と陝東の武力抗争というのは時代を超えた通奏低音みたいにあって、
おそらくその背景に北方の東西対立、考古学で検出されているザバイカリエとプリバイカリエの世界の対立がある。

そこに、さらに、華北と揚子江流域の対立ってのが絡んできて、東アジアの地域対立の構図が浮かび上がってくるんだと思うんだな。

77 :
>>76追加
あと、華北と揚子江流域の対立で勝敗を決める「キャスティングボート」みたいな地域があって、
それが四川盆地(巴蜀)。
「陝西」つまり渭水平野勢力が「巴蜀」を制すると、一気に陝東と長江流域の制圧がタイムテーブルに登ってくる。

78 :
盆地は、周囲の山から水が流れてくるから、古代人にとっては農耕がやりやすいんだよなあ

日本でいえば奈良盆地がそれで、地図で見ても、なんでこんなところが日本で最初に開けたのか分からないが、夏に行ってみると蒸し暑くて稲作に最適

湿地帯は天然の水田だった

79 :
>>75
怒ったんじゃなくてデタラメって言ってるだけね?

しかもそれが基本だと言うから、そうでない例を出して
基本と言うにはあまりにも数が少ないよ、という話をしてるのよ

>>76の分析も本当にデタラメ過ぎて笑っちゃう
「そりゃ領域そのものが狭い時代の話を現代の国家の地図と比較したらせまいよね」
って話になるだけなんだよなぁ…

80 :
ただ、盆地ったって、四川盆地なんかはメチャクチャ広くて、日本人の感覚だと広大な平野だな

長江下流の江南に次ぐ、中国大陸でも最良の地のひとつ

81 :
四川盆地 22万9500km^2
四川盆地 18万km^2
四川盆地 16万km^2



日本の可住面積 10.35万km^2
英国の可住面積 20.63万km^2
ドイツの可住面積 23.79万km^2

日本の可住面積より広いことは確か

82 :
ただ四川盆地が丸っと漢民族の歴史に組み込まれるのって宋辺りからなんだよね

83 :
明末に張献忠が、四川人を大量に挽き肉にして兵士に食べさせたおかげで、四川省の人口は激減

清代の大量移民で、人間が入れ替わった

84 :
>>9
この話、俺も興味があるんだけど、このスレなの結局?
中国同じことスレで暗黙の続行かなと思ってたんだけど。

85 :
>>76
要するに「山裾」なんですよね。太行山脈の山裾。といっても、山麓から100kmぐらいは余裕であるけれど。
山裾といえば、山東の泰山山塊にも山裾があって、南側に残丘というか微妙な丘が点在してる。
ここももう一つの人口密集地。

理由は植生というより、黄河の氾濫コントロールがどうしてもできなかったからで、
黄河の洪水が直撃する華北平原真ん中の氾濫原は、かなり後になるまで意外に人口密度が高くない。

漢民族(華夏族)って意外に山好きっぽいところがあって、
洛陽盆地のような、平原の終点のちまちました盆地に、まず拠点を築いた。ここが一番水害に対して安全だったから。

86 :
>>85
漢民族と華夏族を同じ存在と定義しちゃダメでしょ
華夏族って仮定の存在で過去に存在した中原の民族という話だけど
春秋時代に至ってなお各地は夷狄等と呼ばれた諸民族の雑居になっていて
そこから漢代に漢人という概念が立ち上がっていくんだから
仮に華夏族という存在がいたとしても漢民族を構成する一要素に過ぎない

客家の鎮が山岳地にあるから漢人そのものが山好きの可能性は確かにある
とは言え、客家が山岳地に住んでたのって既存の住人が平地に陣取ってたから
山岳地に住むしかなかったという面もあるんだけど

87 :
>>84
あ、ここのスレでいいよ。
疑問点があったらいつでも返答するよ。

88 :
>>85
山裾っていうのは、黄河の氾濫を避けているのに加えて他にも要因がある。

まず、黄河のような大河川より、
渭水、汾水、洛水みたいな中規模河川の方が灌漑の取水がしやすいし、
水運路としても使いやすい。

次に、山裾からアクセスできる山腹には木材資源がある。

さらに、山脈には、木材の他に鉱物資源がとれる鉱山もある。

だから、黄河流域の低地だけではなく、黄河の氾濫の届かない黄土高原の真っただ中も
人口密度が低くなっている。

89 :
黄河の河岸なんて、人の住むところじゃない

侵食でえぐられて、切り立った崖になっている

人が住めるのは、黄河の本流ではなく、支川の沿岸

90 :
>>84 >>87

91 :
発射ミスww
前スレもこのスレも俺が立てたし、好きなようにしてちょ。他は知らん

92 :
まあ、中国史スレは、何本たてても結局、1本しか進行しない

93 :
>>92
独立した中国英雄板が別にあるからね。 それと、やっぱりヨーロッパ中心史観から日本人は未だに
抜け出せていないからかも?
三国志ブームではないが、単なる英雄譚ではなく、世界史としての中国を論じるスレが多く欲しい所。

94 :
>>93
今、ここと「なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか」スレが
同じようなテンポで進行しているから、
「世界史としての中国」スレが同時2本進行中と言えまいか。

95 :
明清帝国スレと春秋戦国スレもあるでよ

96 :
>>88
>>89
華北の歴史的地理環境を理解する上で重要なキーワードが「原」という語なんだよね。

この語は日本語に取り入れられた時には「草原」とか「原っぱ」という用例に取り込まれていて、
ただ平たい土地が広がっているイメージしか浮かびにくいんだが、
もともとの華北での原義はそれとは大きく異なる。

華北では黄土高原に風で堆積した黄土が分布しているのに限らず、
渭水、汾水、洛水なんかの中規模河川流域の盆地や華北平原にも、
黄土高原から河川の浸食で流出した黄土が堆積している。

この黄土の堆積した土地では、黄土が中小の河川網で浸食され、
深く浸食した谷によって網の目のようなブロックに区切られている。

この侵食谷に区切られたひとつひとつの黄土のブロックが「原」。

そして、新石器時代以来華北で発展してきた「邑」という都市国家は、
この「原」ひとつずつに築かれ、「原」を自らのなわばりとして、
「原」の中に自らの依る農地も開墾してきた。

その典型例が、「周王朝」の勃興の地である「周原」。

97 :
漢民族ではなくてもう中華民族になっています

98 :
黄土は微粒子でできていて、極めて硬いのが特徴。
掘って地下住居に住んでいる人が、今もいる。
天然の干し煉瓦というほど硬くて、プロじゃないと加工できない。

ただし、弱点は水に弱いこと。
大雨が降ると、急に脆くなる。

もっとも、こんな乾燥地域で雨が降ることなど、滅多にない。

99 :
>>98
そういう黄土の土地において発達してきたのが「中耕農法」というやつ。

「中耕」というのは、畑の作物の株と株の間の表面の土壌をこまめに浅く耕すこと。

これは日本でも華北でも行われてきたのだが、この両者で意味が全く異なる。

高温多湿の日本では、除草しても除草してもあっという間に雑草がはびこって作物を圧倒してしまう。
だから、除草鍬で作物の株と株の間に生えてきた雑草の芽生えを削り取って駆除する。
これが日本における「中耕」。

ところが、華北はたまにしか雨が降らない乾燥地。
例えば粟の栽培だと春の降雨があったらすかさず粟の種を播く。
粟の種が土壌の水を吸って発芽したら、土壌に蓄えられた水を
徹底的に節約して粟が効率的に利用するようにしなければならない。
そのために、鍬で粟の株と株の間を浅く耕す。
そうすると、土壌の奥深くから地表面に水分が毛管現象で上がってくる経路が破壊される。
この作業を毎日毎日こまめに行って、徹底的に土壌中の水が粟に利用されずに地表から蒸発するのを防止する。

華北の農業ではこの「中耕」に必要な労働力が重くのしかかってくる。
この重労働の労働力を確保するために、戦国時代以降家父長的な支配構造の緊密な家族組織が発達してきた。
この家父長的な緊密な家族組織を国家が掌握した単位が「戸」であり、それをまとめた帳簿が「戸籍」。
ちなみに、春秋期以前にはこの重労働は邑の同姓氏族共同体によって行われた。

これだけの苦労をしても、華北の農業環境は「十年九旱」と表現される。
つまり、十年のうち九年は干ばつで十分作物がとれず、一年だけ適切な降雨で大豊作となる。
邑単位、県城単位の地域社会はこの一年の大豊作で残りの九年の不作の不足を補って食いつなぐが、
時にこのギリギリのバランスが崩れて深刻な飢饉が到来する。
すると、県城単位の地域社会はこぞって武装難民となり、まだ食糧の豊かな地域を攻撃して命を繋ごうとする。
これが、いわゆる「王朝末期の農民反乱」というやつ。

100 :
>>97
ヤマト民族と日本民族みたいなもんか
アイヌをヤマト民族に同化し終わって日本民族になったとか。


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