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西ローマ帝国を語ろう


1 :2015/08/28 〜 最終レス :2020/02/13
ギボンにもイスラム教成立までの繋ぎ扱い
資料が少ない
華のあるビザンツ帝国のほうが面白い
と苦難だらけの西ローマ帝国を語ろう!


Wikipediaから一覧

395年 - 423年 ホノリウス(西ローマ初代・テオドシウス朝第2代)
423年 - 455年 ウァレンティニアヌス3世(テオドシウス朝最後)
455年 - 455年 ペトロニウス・マクシムス(テオドシウス朝断絶後の初代)
475年 - 476年 ロムルス・アウグストゥルス(最後)
474年 - 480年 ユリウス・ネポス(事実上最後)

2 :
西ローマ帝国を語るのなら364年のヴァレンティニアヌス帝からではないんか?

3 :
シアグリウスの王国

4 :
何気にこの時代ゲルマン人主体の国が北アフリカまで建国されてたっていうことは注目していいところだと思う

バルト海からサハラ砂漠まで、他の民族を取り入れてはいたが、1つの民族がこれほど長い距離を移動して国を立てたのは、遊牧民でもない集団ではかなりまれなことかもしれない。

5 :
アリウス派とニカイア派のどちらが主流になるか争いまくってた時代か

6 :
>>4
アンデス文明のモンゴロイドは移動距離凄い

7 :
>>6
無人地帯を移動するのと、色んな人間ひしめく文明地帯を移動するのとでは訳が違うと思うんだ…
それとアメリカの場合は北から南まで千年以上かかってるし、到達したのが同じ集団かは定かではない

そんなわけで西ローマ時代のゲルマン人の征服はなかなか珍しいことなのではないかな?
多分ローマのインフラと征服した土地の人間が大きく関わっていたと思われるけど、加えてゲルマン世界とローマ世界がどれ程関わっていたのかも詳しく知りたい

8 :
アレクサンダー大王もインドまで約10年近くで到達しているから移動時間はお馬さんの速さじゃないの?

9 :
イスラムの征服までは北アフリカもヨーロッパの一部みたいなものか
あるいは地中海世界から北アフリカが離脱してヨーロッパが成立したか

10 :
西ローマ帝国を語ろうぬむの戦い にスレタイを何故しなかった?

11 :
ヴァンダル王国だけヨーロッパの飛び地として
アフリカに残っていたらオモシロかったろうに
カトリックを信仰するベルベル人の国家
(王はゲルマン+ベルベル)

12 :
もともとはアリウス派らしいけど、
西ヨーロッパの国々と手を組むためにはカトリック改宗は仕方ない

13 :
「コンスタンティノスの寄進状」とか見ると、
中世ヨーロッパでは
西ローマって完全に忘れ去られてたんじゃあるまいな

14 :
>>11
新生カーセージを自任するのは当然?

15 :
>>3
ソワソン管区とか聞くと何か風雲急を告げる感じがするよな?

16 :
>>13
それ偽書

17 :
この時代の食事も気になるなあ
戦争するわけだがら一日1万カロリー程度取らないと腹減ってしょうがないが
ローマ人は滅多に肉を食べず基本菜食主義だったわけで菜食主義でよく戦争出来るな

18 :
>>16
いや、偽書だろうとそれが信じられてたってことでしょ
どうも中世の西欧人の認識だと、
皇帝と教皇が帝国を二分割したみたいな感じだったみたいね

19 :
>>17
肉はそんなにカロリーに溢れた食材じゃねぇからな

ローマ軍はオートミールとか玉葱が支給されてるから
カロリーと必要な栄養素はそれでなんとかなった
足りないものも多いが

20 :
西ローマ帝国は早いうちからゲルマン民族の侵攻にあいローマ人との同化が進んでいったからな
ローマ教皇(ローマカトリック教会)がゲルマン民族でも数少ないアタナシウスの説を採用したフランク人と提携した時点で西の皇帝は不用となった
その後の西ローマの皇帝権(フランク皇帝→神聖ローマ皇帝)はローマ教皇とカトリックを守護する用心棒に過ぎないのです

21 :
メロヴィング朝って全くローマの国境を越えてないのか

22 :
ザクセン戦争ってカエサル以来800年ぶりに
「ヨーロッパ」のフロンティアが東に拡大した大事件かもしれん

23 :
>>22
次が北方十字軍

24 :
西も東もローマ帝国に就いて語りたいのなら、

京都大学学術出版会より刊行されている傑作

『西洋古典学事典』を、

しっかりと読むことだ。

それに尽きるぞ。

よいな。

25 :
>>24
ゴミ

26 :
>>17
食料は敗北した部族に提出さしたり地元の友好部族の市場から買ったりで
色々だから常に同じもの食ってたわけじゃないけどな

27 :
>>3
なんで塩婆に無視されたんだろうね?
オドアケル支配のイタリアは延々とやったのに。

28 :
>>27
しまったシアグリウスはガリアだったか
俺はオドアケルの王国と間違っていたわw
シアグリウスは塩野さんの範疇ではなく佐藤賢一先生の範疇でしょうね

29 :
塩婆はカエサルとオクタブィアヌスのローマが好きでそれ以外はどうでもいい感じ…の印象しかない

30 :
ローマ人によるローマらしさが残るローマが好きなんだよ
要はカエサルが設計しアウグストゥスが立てたローマ帝国だな
そういう意味でローマらしさが残ってないローマ帝国は後継国ではあっても正真正銘のローマじゃないのよ
政治体制はいくら変わってもローマらしさは失って欲しくなかったんじゃないか

31 :
そもそもカエサルがそれ以前のローマ人らしくない

帝政は本来ありうべきローマらしさではない

32 :
カエサル以前のローマはイタリア本国と属州がしっかりつながっておらず
イタリア本国以外はいざとなれば放棄出来そうな状態だった
カエサルとアウグスツスによって肥沃な属州の間の気候の厳しい土地も
属州化されてローマの領土が一体化された
ライン河とドナウ河とユーフラテス河を天然の堀として
全領土を防衛するようになった

33 :
昔ほどローマらしいローマだと考えるなら
初期の王制時代こそがローマだということになる

だがその頃は小国で、半島内ですら決してトップの国ではなかった

34 :
ローマらしいローマと言えば
やはり共和制時代だろうね

35 :
共和制でも
小国だった時代のローマではなく
ポエニ戦争以後の大国になったローマだな

36 :
ポエニ戦争以後の大国になったローマは
地中海式農業が可能な土地を征服していった
各地の属州は島のように点在していた

カエサルとアウグストゥスが地中海式農業が
出来ない土地も征服して領土を繋ぎ合せた

37 :
いや結局飛び地的領土ってのは当時の技術レベルの限界だぞ

38 :
飛び地じゃいざというときに使者が自由に行き来できるという保証は無いし
中央の支配を無視して現地が好き放題することも容易だ

39 :
飛び地的領土では反乱が起きた場合に各地に大軍を派兵していた

アウグストゥス以後は国境の大河川ぞいに兵力を配置して外敵に備えたけど
これは既に支配していた属州で反乱が起き難い事が前提となる

40 :
8 名前:世界@名無史さん

京都大学学術出版会が出している
『西洋古典学事典』のI-PAD版が大変
役に立ちます。

有益この上ないツールですので、買わないと損をしますよ。


とくに古代ギリシャ・ローマに関心のある方々にとりては必携ですぞ。

41 :
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。

42 :
【人類史上】ローマ帝国【もっとも幸福な時代】
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1455149660/

43 :
延長 保守
西ローマ帝国󾌲人󾌲󾭠

44 :
西ローマ帝国、󾮕󾌰󾮕
XP SPQR 󾌰󾫴󾫴

45 :
ムッソリーニ近代の西ローマ皇帝
ベルルスコーニ現代の西ローマ皇帝
なのだポン

46 :
スティリコ(ゲルマンとのハーフ)のおかげで帝国が維持されてたのに
ホノリウスがスティリコを殺害した所為で衰亡が確実になった
異民族を嫌うトランプそっくり

47 :
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多く兵を輩出するバルカン北部を西ローマが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥という事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた

48 :
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多くの兵を輩出するバルカン北部をスティリコが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥になるという事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた

49 :
>>45
プーチンは現東ローマ皇帝

50 :
>>49
実質、ロシア連邦国は、プーチン朝モスクワ帝国みたいなイメージだと思う。
プーチン大統領はアッティラ大王の生まれ変わりじゃないかな?

51 :
>>49>>50
実際、自他ともにそう思ってるのは間違いないw

【5月18日 AFP】ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の支持団体は17日、
ローマ皇帝の衣装をまとった威厳あるプーチン大統領の胸像を公開した。
http://www.afpbb.com/articles/-/3048913

52 :
おまけw
800-814 カール

これは当時のローマ教皇がフランク国王カールに西ローマ帝国皇帝
の称号を与えたんだっけ。

53 :
>>49-50
先代皇帝のインパクトが強すぎると後継者も大変だよね・・・

54 :
>>51
おそろしあ!

55 :
ホノリウス帝は、本当にもったいないよな。

56 :
☆現代アメリカって西ローマ帝国に似てるね
http://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/kokusai/1478384297/

57 :
移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった

三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと後にハンガリーに侵入
柔然は後にブルガール人としてブルガリアに定住
突厥が後にオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である

今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ

このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!

58 :
移民がダメなら日本には誰も住んでませんよ
人類の故郷はスーダンかエチオピアかあのあたりなので
全世界移民ですが

59 :
朝鮮戦争移民問題が解決したら受け入れよう

60 :
匈奴がフンになった説は有名だが、柔然がブルガリアってあまり知られていない?

61 :
>>49
ロシア帝国は東ローマに仮託してるけどその政権成立過程は
モンゴル帝国後継国家のジョチ・ウルス内部での権力闘争によるもので
実態はモンゴル皇帝だよ

62 :
かつ、東ローマ皇帝の後継のつもりとか

63 :
西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退

日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う

64 :
漢帝国の最後は三国志で有名だが、
(西)ローマ帝国の最後も劇的なんだけど、あまり小説がない
戯曲のエツィオくらいしかない

アドリアノープル戦のヴァレンス敗死から
スティリコやアラリック、ホノリウスなんて三国志に当てはめできるし
三国志の時期の異民族は大人しかったが、
ローマ末期はアッティラが出てくる
女だってガッラ=プラチディアとか濃いのがいる
アエティウスやオドアケルやアンブロシウスも濃いし
ユリウス=ネポスやビザンチン皇帝のゼノなんて名前からして中2心をくすぐる
三国志並みに人間はいるんだよ

65 :
西ローマ帝国
ローマ
ラヴェンナ

66 :
ロムルスアウグストゥルス

67 :
イギリス ロシア オランダ ドイツ フランス スペイン ポルトガル イタリア オーストリア などの欧米列強はかつて西ローマ帝国の領土たった!

68 :
西暦410年には西ゴート族のローマ略奪と、ホノリウス帝による
ブリテン放棄があったけど、これって前者が後者に影響してるの?

69 :
>>67
ドイツとロシアは違うだろ

70 :
>>60
柔然がブルガリア? マジで?

71 :
>>69
そうだっけ?
(((°∀°;ª)))

72 :
柔然はアバールだろ

73 :
>>69
ドイツの西側、ロシアの南の一部はローマ領だったことあるよ

それだったら「イギリスちゃうやん!」」って言わなきゃ
ブリテン島は南側だけがローマ領だったし

74 :
西ローマ帝国は 日本史で例えると南北朝時代に例えられている。ホノリウス帝は後醍醐天皇でスティリコは楠木正成に例えられているよ

75 :
最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスには
フン族の血が流れていた可能性がある
と知って驚いた

76 :
蛮族の侵入が帝国の衰退の原因の一つではあるけど、帝国を最後まで守ろうとして
戦い抜いた、スティリコやアエティウスも半分蛮族というのも皮肉なもの
帝国が彼らを受け入れるだけの度量と柔軟さを維持できていたなら、
帝国は変質しながらも生き延びることができたのではないかと思う

77 :
蛮族を皇帝にすればよかっただけじゃん
カール大帝まで時間かかりすぎ
テオドリックを改宗して皇帝にして一緒に頑張ればよかった

78 :
>>77
そういや中国では蛮族が皇帝になり、
北半分ならあっという間に統一されてたな

79 :
>>74
アッティラは木曾義仲に、レオ一世は後白河法皇に例えられている?w

80 :
ロムルス・アウグストゥルスが、実は冒頓単于の末裔だったら胸が熱い
どころか、ロマンティックが止まらないな!
(ここではフン=匈奴説をとる)

81 :
西ヨーロッパの原点のわりには存在感無さすぎ
他のゲルマン系国家も、
フランク王国とイングランド王国以外は
後世の国家と繋がりが無いのが痛い

82 :
>>81
オドアケルはゼノン帝になん癖付けられて滅ぼされた。オドアケルの一族もろとも殺害された。ゼノン帝は酷い奴だぜ

83 :
ローマ皇帝の妹と結婚した西ゴートのアタウルフも
うまくやれば西ローマの皇帝として歴史に名前を残せたはず

84 :
>>78
あっという間は言いすぎ

85 :
ロムルスの老後を深く知りたい。退位後、寺院作ったまでは分かってるけど…

86 :
オドアケルは権力基盤が弱いからしょうがないけど
ゴート族なら皇帝位やってもよかったと思う
魅力的な族長が多いし
やっぱりアリウス派なのがダメだったんだろーな

87 :
>>84
西晋が滅亡してから60年後には統一されてるから結構あっという間ともいえる

88 :
スペインの起源である、アストゥリアスとかは
「血統的にはバスクでも、西ゴートの理念を受け継いでいる」と主張しているが
実際にはつながりはなかった模様

89 :
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ

識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配

90 :
ローマ時代のことは神話みたいな扱いだったのか、
無明時代としてあまり興味もなかったのか

91 :
西ローマ滅亡からカロリング朝成立までが真の無明時代

92 :
>>89
目立たないけど中世に起源をもつ技術革新って結構多かったりする
例えば重量鋤とか三圃制とか、そういう農業技術の発展によりアルプスの北側では
農業生産性が大幅に向上しているし

93 :
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ

識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配

平均身長がローマ時代に戻るのは、千年あとのルネサンス以降
(その時代の墓のお骨から分かる)

94 :
食糧事情や流通も含めていろいろダメ過ぎるからな
外敵にはボコボコにされるし

95 :
コンスタンティヌス帝の長男、クリスプスに妻と息子がいたらしい。
その後の足取りは不明らしいけど、一ローマ市民として暮らしてたんだろうな。
てか そうであってほしい!

96 :
メロヴィング朝時代は識字率もまだ高かったし、役人もローマ貴族ばかりなんで、それほど暗黒でもないだろ。

王権が弱かったせいで、ローマ時代そのままの政治システムを使ってたし。

97 :
平均身長はイタリアなのかしらんが
イギリスに関しては11世紀の方がルネサンスより高いな

98 :
だいたい暗黒ってのは
まず農業革命で北ヨーロッパが開発が進む、ヨーロッパ中のどんな土田舎地域までも水車が導入される
ゴシック建築はローマのアーチ式構造をより楕円で上に伸びるように複雑な構造にした尖塔アーチ式
中のリブ・ヴォールトによって重力をのがす方法が発見され、巨大建造物にも大きな窓をつけることが可能になった
機械時計にとって重要な脱進機もだいたい13世紀には発見されたとされてる
でこれが後の機械構造の原型になってる
それと近世は人口増加にインフラが間に合わず中世より庶民の生活は苦しかったとされてる
都市人口が急激に伸びたから環境が一気に悪化した
それに比べると中世の人間はほとんど田舎に住んでたから大半の人間は衛生状態がよい
そもそもローマ時代の西ヨーロッパはイタリアと地中海沿岸以外は未開だろぶっちゃけ

99 :
だいたい暗黒ってのはヴァイキングの侵入がおさまるまでだな

100 :
暗黒ってステキ

101 :
>>98
>そもそもローマ時代の西ヨーロッパはイタリアと地中海沿岸以外は未開だろぶっちゃけ

農村部にまで普及していた陶器や瓦が普及していたんだがな
特にブリタニアでは衰退著しく青銅器どころか石器時代に戻ってるありさま

102 :
いくつも植民都市あったのに未開はないわ
インフラだって手抜きしてないし

103 :
つーか、ブリタニアでも六世紀まで、場所によっては都市のインフラが保たれてるんだけど…

104 :
ガリアやブリタニアは都市部にローマ貴族がいて周囲の未開の住民を支配してたんだろ
ローマ人が撤退したら残るのは未開の部族だけだから衰退するのは当たり前
ようするにまだ地域社会として成熟してない
それが達成されるのは中世の中期以降だな

105 :
西ヨーロッパの内陸部の部族社会が解体されるのは中世中期以降な
ローマ時代はローマ貴族が軍事力で現地の部族を支配してたって段階
文明化は内部までは十分普及してない
イギリスの植民地が白人が住んでる地域だけ文明の香りがあって内陸部は全然ってのと似たようなもん
そこまで極端でないにしても現地住民の文明化がしっかりしてればローマ人が去ったところでインフラも維持できただろ

106 :
インフラ維持するだけの金が無いからどっちにしろ無理だと思う

107 :
ていうか3世紀の時点で帝国の混乱ですでに水道のメンテナンスうまくいかなくなったみたいだな
イタリアだと一部の水道が近世まで細々と利用されたようだ

108 :
ヨーロッパは硬水が多いから、抛っておくと炭酸カルシウムが析出して
水道が詰まってしまう。そして社会が安定していないとインフラの定期的な
メンテは無理なんだな。

109 :
>>89
それも極論じゃないのか?w
少なくともローマでも後期から末期は酷い様相を呈していたと思うけど

110 :
極論だし、あんまりわかってない人だと思う

111 :
ローマ時代は神時代ってわけでもないよ
ほんとうに桃源郷って時代はわずか

112 :
いろんなとこにその繰り返しそのコピペ貼ってるマルチポストくんだから相手にするな

113 :
>桃源郷
明けても暮れても戦争やってる国にその譬えもどうなんだw

114 :
桃源郷ってのは、時代の流れから隔離された僻地のことだろ

115 :
「桃がどこから流れてくるのか、たどっていったら、たどり着きました」というような、川の上流の山奥

世界の都ローマとは、まったく正反対

116 :
西ローマ末日はどういった食事をしていたんだろ
全盛期のローマは一応名目上は草食主義だったらしいが肉好きも無論いるだろう
死にかけのローマで肉を食べ蛮族に勝ち軍の正装であるスカート?をズボンに改めようと
いう考えはなかったのだろうか

117 :
>>116
俺もそれは気になる!
そう言えば、何を食べてたんだろう

118 :
末期には、ズボン履いてたよ。

119 :
要はオドアケルによる西ローマ帝国滅亡というのは、
帝国西部におけるローマの統治・行政機構、および秩序の衰退・崩壊過程でのひとつの現象に過ぎない
その一応のトップである(西)ローマ皇帝にゲルマンの王が変わっただけで、
衰退し力を失いつつあったと言ってもそれまでのローマの行政機構が廃止されたわけじゃない
元老院も執政官も存続する

しかしここでまた大事件が起こる
東ローマに認められてたはずの東ゴート王権だが、なんだかんだあって対立し東ローマ皇帝ユスティニアヌスの再征服を受けることになる
この再征服=ゴート戦争でイタリアは壊滅的な被害を受ける
ローマ市も戦争中に東ゴートによる大規模な略奪・破壊をまたもや受けることになる

ローマ最盛期の人口は100万を数えたと言われる
西ゴートの略奪後、東ゴートがイタリア統治していた時代は20万に満たないくらいかと推測されてる模様
で、ユスティニアヌスの再征服、ゴート戦争後には数百人しかいなくなっていたという記録がある
西ローマ滅亡後も存続していた元老院もゴート戦争後には当時の教皇が「元老院はどこにあるのだ?」と嘆かせるに至る
(のだが、そんな状況となっても元老院はもうちょっとだけ続く)

120 :
ローマ教皇=ローマ司教は最初から大きな権威を持っていたわけではない
が、帝政時代から徐々に特別な権威を得ていった

しかしローマ教皇はこの時期にはまだ東ローマ皇帝の主権下にあった
ゴート戦争後、東ローマはやはりラヴェンナに総督府を置く
東ローマがテマ制となるのはもう少し後の時代になるが、
イタリアにおいてラヴェンナ総督府は旧元老院など文官層の財産(土地)を奪い、
駐屯軍の屯田用の土地とした。
と、従来されてきたが近年はそれはそれほど大きな規模ではなかったと見られている。
いずれにせよこの時代に元老院を代表とする旧支配層が没落する。
ついでにローマ水道もこの時代に機能を停止する。

このラヴェンナ総督府と連携して、
教皇(庁)がイタリアの行政を担っていたとみられる。
その後さらに今度はランゴバルド族がイタリアに侵入する
ローマ教皇は軍事力を持っておらず、総督府には一応軍事力があったはずだが無力であり、
ランゴバルド王国が成立する
しかしラヴェンナからローマ市を結ぶ一帯は教皇がうまく立ち回ったせいか、ランゴバルド王国の支配地とはならなかった。
これが後の教皇領となる(ラヴェンナは後にランゴバルドに服属する)

ランゴバルド王国の支配下で旧ローマ帝国以来の行政組織、伝統はここで絶たれたとされる。
(東ゴートは一応それらを再興しようとしていた)

この点、ランゴバルドはローマ化しなかったと言われるが、一方でローマ人に融和的でもあり、
ランゴバルド族はいつしかそのアイデンティティを失い「イタリア人」に混ざる。

ランゴバルドはゲルマン民族はだいたいそうだがあまり統一的でなく分裂しがちで、
一応は王国ではあってもその中身は諸侯が分立していた。
地方に諸侯が分離して支配している様相はまさしく中世であり、イタリアの中世はランゴバルドから始まるとされる。
後にフランクによってランゴバルド王国は滅亡するが、ランゴバルド諸侯はその後も存続したのも少なくなく、
Rーラやモデナなどの君主エステ家も元はランゴバルド。

121 :
エステ家はイギリス王室にも流れてる
元のドイツのハノーバー朝がウルフ=エステ家
1000年ぐらい前にバイエルン貴族のウルフ家の男系が途絶えて
エステ家の男児をむかえてウルフ家の女性相続者との婚姻でなりたったもの

(西)ローマ崩壊後、ヨーロッパ各地のキリスト教教会、特に大きな大主教もしくは司教座は
崩壊していく社会の中でわずかに文明の明かりを灯すものとして存続し、
徐々に世俗領主的な性格も帯びるようになっていった。
そして当時彼らはローマ(教皇)の支配から分離独立しようとする傾向が強かった。
当時のローマ教皇の大きな目標は、ランゴバルドから自らを守ること、および西ヨーロッパ各地の教会に対する支配を回復することだった。
イングランドへの伝導もそのひとつで、中世初期にはイングランドはヨーロッパ伝導の中心地となる。

一方、ローマ教会は東ローマと対立を強めていく。
ローマ・カトリック教会というのは実はなにげにかなり融通が効く面のある(いい加減とも言う)組織だ
それは異民族の海の中で活動する現場の組織だったということから生じたのかもしれない。
東ローマの正教会はそれに較べて教条的だったのだろう。
ランゴバルドの敵はまずなにより東ローマだったが、当時東ローマ主権下だったローマカトリック教会に対しては、
彼らが(当初)アリウス派であったにも関わらず比較的融和的だった。(ので教皇領が残った)

さてローマ教会は東ローマを捨てフランクに接近することになる。

122 :
ランゴバルド人からするとローマ教会に比較的融和的だったとはいえ、
ローマ教会にとってはランゴバルドは大きな脅威だった。
しかし彼らが属していた東ローマはイタリアにおいてなんの力もなく、期待もできなかった。
加えて教義的な対立も大きくなっていく。
自らを守るため、出来ればランゴバルドをイタリアから追い出すためにローマ教会はフランクに接近するようになる。

ここでもうひとつの要素。
当時のガリアのキリスト教会はフランクのメロヴィング家と結びつき、ローマ教会の統制を離れていた。
ローマ教会はこれを回復したいという考えも持っていた。
そこでローマ教会はフランクでもメロヴィング家ではなく実権を強めていたカロリング家に接近する。
ピピン3世がメロヴィング家を廃しフランク王となるが、この政変にもローマ教会の力が働いていたと推察される。
彼はランゴバルドと戦い、いわゆるピピンの寄進を行って正式に教会領が成立することになる。
跡を継いだカール大帝はランゴバルドを滅ぼした。
さてローマの人口は10世紀あたりで3万強と言われる
よってこの時期のローマ市は人口1万いくかいかないか程度だったのではないか。
ただし3万の人口の都市というのは中世ヨーロッパではそれなりに大きい。
中世ヨーロッパで最大の都市パリでも時代によるがおおむね10万前後だ。

ローマ帝国は都市文明であり都市に人口が集中していた。
100万と言われたころは、イタリアの人口の3分の1から半分がローマに集中していたと言われる。
中世はこの都市文明がまったく衰退し、農村社会となっていた。
さて中世におけるローマの富の元はなにか。
ローマの農業はすでに共和制自体に競争力をなくし衰退している。
ローマ市は商人が活躍する商業都市でもない。
各地の教会から届く教会収入、また巡礼からの収入、これが中世ローマの財源だった。
つまり中世ローマ市の盛衰はローマ教会の盛衰と共にあった。
そしてローマ教会はカールにローマ皇帝の地位を授ける。
ここにおいて西ローマ帝国は復活し、ローマ教会および西ヨーロッパは東ローマから独立した、
「ヨーロッパ世界」が誕生したとされる。
今のEUもこのカールの帝国を意識している。

123 :
モンタネッリの「ローマの歴史」を読んだあとは、同じ訳者の藤沢道郎のイタリアの歴史がオススメ
続編の人物編でかなり面白く、イタリアの歴史が学べる
下手に塩野七美なぞ読まないほうがいい

124 :
>>122
>100万と言われたころは、イタリアの人口の3分の1から半分がローマに集中していたと言われる。
こんなこといってる学者は誰もいないと思うが・・・
イタリアの人口の1/3が都市に集中してたという見解はあるが

125 :
>>119
人口100万を数えたと言われる最盛期のローマには城壁がなかった
270年に即位したアウレリアヌス帝がローマに城壁を築いた結果
この城壁が人口100万を数えた全市街を囲む事を出来なかったので
城壁外に取り残され市街では危険なのでしだいに住民が去っていき
ローマは100万人都市ではなくなった

126 :
10世紀後半で、ローマ市の人口は約五千人程度。

127 :
>>126
なぜ教皇の座があるのにそこまで減ったのかローマの人口は
理解に苦しむ

128 :
>>127
食い物が食えなきゃ教皇なんてゴミ以下だからでしょ

129 :
今のイタリア人ってローマ人とゲルマン人(東ゴート族)の混血?

130 :
>>129
ランゴバルト人と南イタリアはギリシア人も混血してる。

131 :
>>128
アホか。宗教の中心地だからこそヨーロッパ各地から人が集まる。教皇様様だ。

132 :
南欧 :先史→古代 →中世前期→中世中期→中世後期
西北東欧:先史→古代前期→古代後期→中世前期→中世後期
南欧にとっての中世前期は西欧では日本の弥生〜古墳時代にあたるからキリスト教会がどれほど頑迷で反動的でも蛮族に衰退もへったくれもないと思われ

133 :
イタリア人ってのは凄いね
一旦ゲルマン、イスラム、ノルマンに文明を破壊し尽くされて国家分裂しても、西欧諸国が台頭するまでは、その分裂国家があらゆる意味で欧州の中心だったのだから西欧人は絶対ヘタリアなんて馬鹿にする事は出来ない
イタリア人なしにアングロサクソンもドイツ人もオランダもパリもウィーンもない ただの蛮族集落

134 :
シアグリウスの国が実質的に最後の西ローマ帝国と言えるのでは?

135 :
イタリア破壊したのは東ローマだろ
なんでもゲルマンのせいにすんな

136 :
いくらゲルマンバカにしたところで
今はゲルマン系国家の方が上だからな
アメリカも流れ流れてゲルマン系だし
人口の半分近くがアングロ・ゲルマン同盟だからな

137 :
ローマの方が中東に近くて文明化が先ってだけでゲルマンの方がポテンシャルが高かったんだろう
あんな寒いところで文明作ったんだからたいしたもんだ

138 :
今のイタリアてメキシコ並にマフィアが力を握っていると聞いた事があるよ
ナポリとかゴミの山らしい

139 :
いやまて!ゲルマン諸国がめちゃくちゃ強くなったのはモンゴル帝国と東ローマ帝国が崩壊したおかげたよ

140 :
>>134
ソワソン管区ってロマンを感じる。
本国から切り離されても西ローマの属州としてのポジションを保った。
いつかはローマが盛り返してふたたびひとつになると信じていたのだろう。

141 :
シアグリウスは親父が押さえた土地を勝手に世襲してそれまでのやり方で治めてただけで
ローマ帝国の何かの官職を持ってたとかそういう訳ではない
だからこそ「ローマ人の王」と呼ばれていたのだ

142 :
>>129
今のフランス人の中にも僅かにフン族の血も流れているってマジか

143 :
シアグリウスの支配領域は西ローマ帝国の最後の残存領土だから、西ローマ帝国の欠片とは言える。

144 :
ソワソンとローマの間には連絡は保たれていたのだろうか
蛮族うじゃうじゃの敵中を強行突破するのかなあ

145 :
シアグリウス一族って、六世紀まで活躍してるんだよね。外交官として。

146 :
>シアグリウス一族
なぜ二代目を氏族名にしてしまうのか。
ここはアエギディウス一族と言うべきである。

147 :
うざ

148 :
シアグリウスは蛮族の時代にもシーザーみたいな服装だったの?

149 :
アェギディウスというと聖人の方が有名だからかな
ひょっとして血縁関係があったり

150 :
シーザーみたいにゾロッとした布巻きつけたり、スネ丸出しだったりしたの?

151 :
>>136
我々が今日持っている人類文化、芸術、科学及び技術の成果は、ほとんどもっぱらアーリア人種が創造したものである。
アーリア人種は人類のプロメテウスであって、その輝く額から、いかなる時代にも、常に天才の精神的な火花が飛び出し、神秘の夜を明るくし、人類をこの地上の生物の支配者とする道を登らせる。

152 :
トーガは、5世紀にはほとんど使われていないよ。

153 :
そもそも蛮族の時代っていうけど、ほとんどローマ化した連中なんで、服装に差はないよ。

154 :
ゲルマン人の女は戦闘時になると胸を露わにしてゲルマン人の男を鼓舞していたといからやはり蛮族だぞ

155 :
色仕掛けか?w

156 :
ゲルマンの金髪女がそんな恰好したらラテン人が負けてもしょうがない

157 :
実際、ムキムキ長身金髪のゲルマン人に犯されてラテン女は悪い気がしなかったはず

158 :
いつのゲルマン人知識だよ。古いなぁ。まさかフランク人が、さまざまな民族の集合体ってことも、知らないんじゃねーの。

159 :
>>156
戦闘中にフル勃起してしまい戦意喪失!?

160 :
チンカス

161 :
勝ち戦の最中でさ、いきなり美女が胸を出したら一発出来ると男は思ってしまうよね
背後からグサリと殺されるかもしれないけど

162 :
いきりなり敵軍の女が突っ込んで来たら普通は襲ってきたと勘違いして刺殺されるわな
後世の神の視点からならどうとでもいえるけど末端にいる兵士は押してるのか押されてるのかわからんだろ

163 :
ローマスレとは関係ないけど
イギリスの諜報機関 ロシアの諜報機関 中国の諜報機関 北朝鮮の諜報機関の中で、どれが一番女スパイが怖いと思う?

164 :
ある時などは、すでに敗色濃厚で浮き足立っている兵士たちに対して、女たちが勇敢にも胸をはだけて
「もし負けたらわたしたちは奴隷に売られることになるのよ」
と訴えかけて、戦況を盛り返させたという話があります。
ゲルマンの男たちは自分のことより何より、まず女たちが奴隷にされることを恐れるのです。
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/germania.html

165 :
>>161
義仲軍の巴御前や山吹御前もやればよかったのにねwもしかしたら鎌倉軍に勝ってた・・なんてことはないんだろうけど

166 :
ホモテクバスターズ!

167 :
そもそも日本人に乳房に性的なものを見出す感性ってなかったからな
西洋からの輸入品
春画見ても乳房は適当か描かれてなかったり
ジョージ・ポットマンの平成史で言ってたわ

168 :
>>164
大分、意訳というか超訳してるな

直訳英訳版のほう見るとニュアンスが違うし原文にないことまで付け加えてる
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0083%3Achapter%3D8

Tradition says that armies already wavering and giving way have been rallied by women who, with earnest entreaties
and bosoms laid bare, have vividly represented the horrors of captivity, which the Germans fear with such extreme dread on behalf of their women,

伝承によれば、軍隊が早速、動揺すると女たは以下の方法をもって盛り返させる。
皆でひたむきに哀願し、そして胸を露わにすることによって、実にまざまざと囚われの身となる恐怖を表現する。

that the strongest tie by which a state can be bound is the being required to give, among the number of hostages, maidens of noble birth.

それ(ゲルマン人)をもっとも強く隷属させた状態にするには、高貴な生まれの未婚の女を人質の中に数の内に入れるように要求することだ。

They even believe that the sex has a certain sanctity and prescience, and they do not despise their counsels, or make light of their answers.

彼らは女にはある種の神通力と予知力があると信じていて、助言を軽んじたり、その(占いの)答えを軽く見たりはしない。

In Vespasian's days we saw Veleda, long regarded by many as a divinity. In former times, too, they venerated Aurinia, and many other women, but not with servile flatteries,
or with sham deification.

ヴェスペシアヌスの時代には、ヴェレダが長い間に渡って神聖とされたのを我々は見た。そして、それ以前には、またアウリニアそして幾人もの女が崇拝されていたが、
これは媚び諂いのため偽って神格化したわけではない。

169 :
ビキニで戦う女兵士とか、ゲームでは普通にあるのになwww

170 :
つまんね

171 :
14世紀ごろの日本の絵、彫刻

「足利尊氏像」は、栃木県立博物館の「中世宇都宮氏」展で29日まで公開中。

http://www.asahi.com/articles/ASK9W3TBGK9WULZU009.html

新たに見つかった「足利尊氏像」
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003429_comm.jpg
「絹本著色足利尊氏将軍画像」
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003446_comm.jpg
「木造足利尊氏坐像」(大分県安国寺蔵)の頭部
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003452_comm.jpg
教科書などでおなじみだった「騎馬武者像」(模本)
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003470_comm.jpg
足利尊氏像(栃木県立博物館提供)
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003476_comm.jpg
「絹本著色足利尊氏将軍画像」
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003456_comm.jpg

172 :
みんな、バカにしがちだが
東ローマはボロボロになりながらもイスラムの西欧侵入を
食い止める防壁の役割を果たしていた。

東ローマがもっと早く滅んだパラレルワールドでは、
西欧がイスラム化してしまう確率がかなり高くなりそう。

千年帝国を滅ぼしたオスマン帝国は、その後、20世紀まで500年以上続いた

激戦区の中近東や隣にハプスブルグ家がいた中で、これもまた驚異


ササン朝とバトルアンドバトル
終わりなき戦い
ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが
その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって
停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して
バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き
トルコ人にアナトリアを奪われる
更に十字軍によって一回滅ぼされる
なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる

色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ

173 :
その後、東ローマの後継を自任するロシアが徐々に優勢になり
オスマンをボロボロにしていったのはリベンジといえるかもしれない
ま、ロシアに関してはモンゴル帝国の後継国家という見方もできるんだろうが・・・

174 :
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

TRWDJ

175 :
スティリコの死で終わった

176 :
ホノリウスは馬鹿殿様の評価が不動だけど
剣闘士の殺し合いショーを禁止したのは
人道上の観点から評価すべき

177 :
>>176
ホンマですか?

178 :
当時としてはむしろ市民が不満になりそう

179 :
(法令にサインしながら)だって、闘鶏の方が百倍おもしろいもんね!

180 :
調べたら、テレマコスという司教が剣闘士興業をやめさせようとして、怒った群衆に投石され死亡する事件が、ホノリウスの剣闘士興業禁止令につながったようです。

181 :
だからそういう自己犠牲に反応する感受性はあったって事だよ

182 :
>>181
スティリコ「そうか?」

183 :
不人気な政策を取ると、史書に悪く書かれるものだな

184 :
外患誘致のホノリウス

185 :
NHK教育を見て55277倍賢く暴君
http://nhk2.2ch.sc/test/read.cgi/liveetv/1527430171/

186 :
古今東西、女は一部の男に群がるもの。
地位と金があればハゲでも四回結婚できる
子供がいれば一生愛人か妾で良いと考える女も一定数いるのだ。


Julius Caesar had a 'crazy bulge' on his head after it was squashed during childbirth
new 3D reconstruction reveals

http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-5883957/Julius-Caesar-crazy-bulge-head-3D-reconstruction-reveals.html

http://i.dailymail.co.uk/i/newpix/2018/06/25/18/4D9EBFC000000578-5883957-The_National_Museum_of_Antiquities_in_the_Netherlands_has_reveal-m-11_1529946386973.jpg

187 :
共同皇帝コンスタンティヌス3世と共同皇帝コンスタンティウス3世がまぎらしいんで
なんとかしてください

188 :
東西ローマ帝国はその名前から同格の二国が並び立っていたと
思われがちだが、実際は違っていたのだな。

189 :
アッティラと結婚しようとした人て
その後どうなったの?
さすがに皇姉を頃すわけにも
いかんのではと思うんだが…

190 :
>>189
その弟は皇帝なのに殺されたのだから
皇帝の姉であることは何らその身の安全を意味しない

191 :
西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、
形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに
帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を
代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体の
ものと考えていた。また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が
進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD


西ローマ帝国を滅ぼした奴が国を東ローマ帝国に差し出し、自分は西を支配する。
ずいぶん虫のいい話でんなぁ。
どう見ても東の工作員が西を滅ぼして御褒美をもらったようにしか見えませんが?

ってことは逆算すると、移民の流入は東の工作だったということになる。
それは即ち、ゲルマン民族の大移動を引き起こしたフン族の襲来は、
東ローマ帝国の工作だったということになる。

事件で一番得をする人間を最初に疑え、ってのは犯罪捜査の基本ですね。
ゲルマン民族の大移動は、はっきりと原因が解明されてないんだが、
実は単純明快なんですよ。

192 :
ゲルマン人ってテイラースウィフトみたいなやつらだろ
だっせーラテン人が勝てるわけない

193 :
そもそもテオドシウス1世死後ローマ帝国は東西分裂していなかった
テオドシウス1世が西で自立しようとしたマグヌス・マクシムスや
アルボガステスを倒したので帝国分裂は阻止された
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍との戦いで大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多くの兵を輩出するバルカン北部をスティリコが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥になるという事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた
もし西ゴート族がバルカンに定住し続けたのならば
後のブルガリアのように東ローマの宿敵となったはず

194 :
ソワソン管区の初代であるアエギディウスの記事が日本語版wikipediaに出来た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アエギディウス (マギステル・ミリトゥム)

英語版の記事はケルト人のカテゴリに入ってるが本当だろうか。

195 :
一歩間違えばケルト人の西ローマ皇帝が出来てたりしたの??

196 :
>>191
足利尊氏が、京都の六波羅探題を滅ぼした後、鎌倉幕府に「西日本の委任統治」を申し出て承認されるようなものか

当時としては、「ローマ帝国の滅亡」とは認識されてなかったんじゃないかな

197 :
ていうか、京都の朝廷が存続してるのに、鎌倉に武家政権ができた状況と似てるかもしれんな

どっちにしても、「ローマ帝国が滅亡した」というのは、西欧偏重史観という後付けの理屈であり、当時の人々の意識としては、コンスタンティノープルこそが「ローマ帝国」

198 :
一歩間違わなくてもユリウス朝の時代からケルト系元老院議員とか
カエサルに取り立てられてユリウス氏族になってケルト人とかいるけど
そもそもローマ人は法的身分であってそういう人種がいたわけではないからな
アメリカ人と言う人種がいないのと一緒

199 :
じゃあフン族のローマ皇帝もアリだな。

200 :
フン族といえどローマ市民資格がないと皇帝になれないんじゃないの?

201 :
アッティラ「よこせ」
ローマ元老院「はい」

202 :
アッティラ自身は草原の主としての正統性にはこだわったが、
ローマ皇帝はあくまでも搾取対象にしか見ておらず、
自らがローマ皇帝になろうとは思ってなかったっぽい。

金貨寄越せ、絹寄越せ、ガリア寄越せ、ホノリア寄越せ、とは言ったようだが
帝位を寄越せと要求したとは聞かない。

203 :
それらが手っ取り早く全部まとめて手に入るのだから
やれる状況ならやったんじゃね

204 :
アッティラはミラノを攻略した際に、
フン王にローマ皇帝が黄金を貢ぐ肖像画を描かせたという伝承などからして、
自らその貶めたローマ皇帝の地位になろうという考えは無かったんじゃないか?

205 :
ホノリアとくっつこうとしたのは帝位を狙う布石という見方もあるが
べつだん美人という話もないしな

206 :
黄金や絹と同じようにホノリアも貢物として献上させようとしてただけだと思う。

207 :
日本語版ウィキペディアにマグヌス・マクシムスの記事が出来た。
あと残る一人、ヨハンネス(在位423〜425)が出来れば西ローマ皇帝の記事がぜんぶ揃う。

208 :
>>206
ホノリア個人には特に価値はない。皇帝に連なる血縁が重要。
となればアッティラは皇帝位に興味があったと考えるのが自然。

209 :
>208
「ローマが俺に一族の女を貢いだんだぞ」と従属している諸部族に
マウント見せつける効果を狙ったんだろ。
匈奴が漢に女を貢がせたが漢の帝位を伺ったわけではないのと同じ。

210 :
ホノリアがアッティラの関心を惹きつけたおかげで、
フン大帝国の侵攻の矛先が東ローマから西ローマに変わった。
ホノリアは歴史を変えた重要人物かもしれんな。

211 :
ウィキペディア日本語版の記事「ユスタ・グラタ・ホノリア」をみたら
アッティラのアの字も出ていない。なんでー

212 :
>>207
>ヨハンネス(在位423〜425)
末期になるとキリスト教の聖人名を持った皇帝も出てくるのね

213 :
西ローマのヨハンネス帝を東ローマのテオドシウス2世帝は認めず、
将軍を送って「討伐」する。ヨハンネス帝の最後はかなり悲惨だったらしい。
このあたりから東西ローマの足の引っ張り合いが酷くなっていく。
蛮族に対して結束しないといけない場面で何やってんだ・・・

214 :
>>209
>匈奴が漢に女を貢がせたが漢の帝位を伺ったわけではないのと同じ。

匈奴が和蕃公主を受け入れたのは漢の属国となった呼韓邪単于の頃なんだが
遊牧民社会では単于と閼氏は同等の存在で部族の兵権をも持つ
その閼氏に漢の女を添えろという要求なのだから漢に対する服属儀礼に他ならない
匈奴のほうが立場が上なら王昭君なんて蔡エンと同様に妾扱いでわざわざ閼氏になんてしない

215 :
>>213
アラリックは東ローマの軍と装備を借りて西ローマを劫掠した。
アラン人アスパルに西帝ヨハンネスを殺害させたのは東帝テオドシウス2世。
ロムルスを廃位したオドアケルは東ローマ軍司令官の弟。
そのオドアケルを討伐したテオドリクスを派遣したのは東帝ゼノン。
6世紀に西ローマを徹底的に破壊しつくしたのもユスティニアヌス1世が派遣した東ローマ指揮下のゴート人やランゴバルド人。
むしろ結束するべきは蛮族とだった。

216 :2020/02/13
ふーん。、……

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