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百済・任那・新羅 【南半島総合スレ】


1 :2015/01/29 〜 最終レス :2017/06/11
韓国とは何だったのか。

2 :
http://or2.mobi/data/img/93133.jpg
http://or2.mobi/data/img/93134.jpg
http://or2.mobi/data/img/93135.jpg
上からキルギス、朝鮮、九州だが
こういう顔は百済の支配層だと思うんだよなぁ

3 :
【日韓歴史】 「古代日本は百済の植民地…韓国史の教科書変えるべき」〜チェ・ジェソク高麗大名誉教授[01/30]
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1422634140/1-2

ソース:世界日報(韓国語) [光復70年、変えなければならない韓国史]「百済が古代日本事実上統
治…国史教科書変わらなければ」
http://www.segye.com/content/html/2015/01/29/20150129019645.html

4 :
秦韓とかあったからなあ。一番上は漢人にもいそうな顔

5 :
顔で学問やりたければ、人類学板に帰れ

6 :
新羅だけは認める。

7 :
人種が違いますんでね。人種が。



日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

8 :
韓国人 → 北方蒙古人種 今のサハ共和国のエベンキ族 白頭山の大噴火後に民族移動

9 :
【韓国】 日本の歴史歪曲、広開土大王陵碑文から始まった〜イ・チャング教授「広開土大王陵碑の真実」講演[02/11]
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1423651221/l50

10 :
>>7
これ人種とかよく知らない奴が書いただろ
ベトナム人は国籍さえ持ってたらなれる
日本人種は存在しない(学会で主流になっていないはず)

11 :
日本、古代史も歪曲…任那遺物に変わった三国遺物8点
http://japanese.joins.com/article/752/198752.html
http://japanese.joins.com/article/753/198753.html

12 :
舎人親王「1300年も経ってから捏造と言われてもねぇ・・・」

13 :
訂正

舎人親王「1300年も経ってから歪曲と言われてもねぇ・・・」

14 :
韓国首相「日本の起源は百済」
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1428641139/l50

15 :
日本書紀の記述が捏造だとすると、百済が日本に先進文化を伝えてやったニダってのも捏造なんだよなぁ

まああいつらの場合そもそもネタ元が日本書紀てのも知らんだろうが

16 :
日本書紀の漢字が邪魔で読めないだろw

17 :
「任那日本府」スレが
DAT落ちしたまま次スレ立っていません

俺は規制で建立NGですた

http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1364649626/

18 :
>>17
建ててあげなくもないよ

【伽耶】任那日本府【倭国】その3 [転載禁止](c)2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1429058494/

19 :
>>18

ありがたや。

お礼に安東将軍の官位をあげよう

20 :
DAT落ち予防アゲ

21 :
【韓国】韓国政府、日本の産業革命遺産のユネスコ世界遺産登録を全力で阻止へ「21ヶ国の委員国を説得する」©2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1430752554/

【韓国】韓国の百済遺産 世界遺産登録へ[5/4] [転載禁止]©2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1430752586/

22 :
ウリジナルはヒデヨシのチョソン侵略で焼かれたニダ!!

23 :
加羅を忘れてるよ

24 :
>>15 普通に考えて、日本書紀は偽書だな。天皇記と国記を焼いてるって言うんだから。

25 :
>>16 わかる。ワロタw

26 :
東北工程だと、新羅が韓国と北朝鮮の祖、みたいに書かれているが、間違いだろう。
それだと、日本の歴史も怪しくなってくるからな。韓は韓。新羅を韓と言う事は間違えてないが、
北朝鮮のルーツは別だ。北朝鮮のルーツは箕子とか衛氏で、殷とか燕だね。

27 :
扶余ってのは扶余だな 【魏志夫餘伝】を参照

朝鮮人とは衛満だね。R。

28 :
わかったのは、高句麗人は扶余で、北方系。


朝鮮人とは衛満の中国人で、韓国人とは中国の韓の末裔
朝鮮語と韓国語が全くの無用であることがわかった。

29 :
【世界遺産登録】韓国申請の「百済の歴史地区」が世界文化遺産に [07/04]©2ch.sc
http://yomogi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1436010196/

30 :
朝鮮人の歴史は捏造の連続

31 :
鶏林はシラキとは読めない。これは義訓。
鶏林ってのはケイリンに近い発音の原語があってそれの音写なのか?
それとも「にわとりのはやし」って意味の言葉を意訳したのか?

32 :
>>31
>「にわとりのはやし」って意味の言葉を意訳したのか?

新羅側はそう言っている

33 :
しかも高麗も自国を「鶏林」と呼んでいる
李氏朝鮮は知らない

34 :
>>32
そりゃ知ってるけど後付けでしょ。本当のところどうなのかね

35 :
>>34
鶏は太陽という意味かも

36 :
岩波版日本書紀の注釈だと
鶏林は[tark-spur]/[tak-por]の当て字だって説
意味は高句麗語の「軍隊」に新羅語の「城邑」(都市)
日本語読みだと「タクホツ」か?
たぶん関晃が書いてんのかなこれ。少し古い説のような気がするが

37 :
>>34
そのまま鶏の林だよ、開祖が森林で鶏飼って暮らす部族だったんだろ

38 :
漢字の字だけみて後からこじつけただけだろ。マジメにやれ

39 :
>>35
金閼智の出現神話にでてくる鶏に関しては太陽に関係してそうだね
ただし鶏林は三氏を包括した新羅だからまた別かも
>>36みたいな話もあるし

40 :
天日槍命の祀られてる出石神社に行ってきたよ!

41 :
>>40
でもあそこには今はもう「八種の神宝」無いんでしょ

42 :
百済・新羅・任那を三韓といわずして、
任那を除き高麗を入れて三韓とよぶのはなぜなのか?
もともと馬韓・弁韓・辰韓を三韓といってたんだからちょっと考えると
高麗を除いて任那をいれたほうがいいように思われるのだが。
百済・新羅・高麗で三韓とするのは一説には日本より中国が先だともいうが。
任那が消滅した562年以降のことなのかな?

43 :
>>41
くわしくはわからないけどあったらもうちょいメジャーな気がする。
個人的には人が全然いなくてよっかたよ。

44 :
出石は国府あったわりには寂しい場所だなあ。

45 :
昔は山陰北陸ってのは交通の要衝だったから栄えたろうけど
今は逆に辺境だからね

46 :
>>26
箕子・衛氏・殷・燕なんていきなり飛んだら間がないじゃないかw

北朝鮮人ってのは新羅→高麗→李朝にかけて徐々に国境線が北に押し出して
いったのと同時並行して、南部の連中が北に広がっていっただけだぞ
まぁ高麗時代の後期にはかなりの中国人がきた可能性はなくもないけど

47 :
箕氏朝鮮、衛氏朝鮮の属民だった濊貊族と連綿と続いた大量の移住漢人の混血が朝鮮国の起源だよ
南韓と無関係

48 :
>>45

「裏日本」は放送禁止用語に近い扱いらしい。

49 :
>>47
そいつらはもういないよ
高句麗が滅亡して渤海国ができてから今の北朝鮮は
渤海と新羅の国境付近でどっちの国からみても辺境、
今の平壌のあたりは寒村になってしまった。
その後、高麗時代になって国境線が北に移動した。つまり南韓人が北に増え広がった
そこにモンゴルに奪われて大昔の楽浪郡みたいに中国人が大量に移民させられてきた
その後、高麗から李朝になった時に北朝鮮の東北4道が併合されたんだけど
ここは女真族の居住地だったから当然彼らとも混血することになった

つまり、今の北朝鮮の住民の直接の先祖は
高麗時代の南からきた連中と当時モンゴルに連れてこられた中国人と女真族
との混血であって
濊貊族にしろ無関係だし高句麗以前の移住漢人にしろほぼ無関係

50 :
意味不明
平壌周辺は唐の領土で蛮族の住んでいた新羅領より遥かに都会だったよ
朝鮮国は濊貊族と漢族と女真族の混血、南韓は韓族と倭人と海胡の混血

51 :
>>50
あなたには基礎的な知識が必要。
渤海と新羅が並立・対立してた時代に平壌が唐の領土のわけないでしょ

52 :
意味不明
平壌周辺は唐の領土、蛮族の住んでいた新羅領より遥かに都会だったよ
序に言うと渤海わ大唐帝国の一部

朝鮮国は濊貊族と漢族と女真族の混血、南韓は韓族と倭人と海胡の混血

53 :
>>52
オウム返しはやめれ。具体的に西暦何年のことだ? それによっちゃ同意するぞ

54 :
具体的に総章年間から天復年間迄
平壌周辺は唐の領土で新羅領より遥かに都会だった

55 :
>>33
李氏朝鮮でも自国を鶏林と言ってたらしいな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%85%AB%E9%81%93

56 :
新羅の国王の称号が居西干、次次雄、尼師今、麻里干と耳慣れない名前なんですがこれらは一体どういう意味なんでしょうか?

57 :
昔氏なんじゃない???
今の朝鮮半島にはない本貫!

58 :
>>56

>次次雄

ススオだから、スサノオと何らかの関係があるのではないかという人がいるのだが。

59 :
>>56
王は複数の部族の回り持ちだろうか

60 :
>>56の質問には韓国の歴史学者でもまともに答えられそうにないな

61 :
面白い時代が全く無いのが逆に凄い朝鮮史

62 :
>>8
白頭山って中朝国境の山だろ?エベンキと全然場所が違うじゃないか
シベリアに北上したのか?それにサハ共和国はヤクートだろ?エベンキはもっと西と違うんか?
>>28
高句麗は貊族 新羅に住む濊族に近い種族 扶余は百済と済州島に移住した民族

63 :
>>58
次次雄がどうやったらススオになるんだよ
ジジユウな

64 :
エベンキ含むツングースの故地はアムール川流域だろ

65 :
麻里干はマライヒでいいのかな

66 :
麻里干?麻立干(まりつかん)のことか
麻立は切株という意味、干は首長の尊号で語源は鮮卑族等遊牧民が使っていた汗(かん)と一緒

67 :
麻立干は「麻袖干」の誤字って説もある。
この場合「立」は「袖」の誤記じゃなくて略字または異体字とも考えられる。
だが多分「麻立干」も「麻袖干」も「麻袖立干」の略表記だろう。
さらに「麻袖」を略して後半だけ書いたのが「楼寒」
切り株だって説は8世紀の金大問の説でどこまで信用できるかわからない
「麻立」じゃなくて「麻袖立」か「麻袖」が正しかった場合、切り株説は成り立たない
新羅は寐錦王と葛文王の二重王制だったんだけど、それを一元化する動きがあって
実権をもってる方を麻袖立干といった。だから三国史記で麻立干とされてる王が
実際には寐錦王だったのか葛文王だったのか三国史記みてるだけだとわからない。
三国史記みてると騙されてしまうが、実際には尼師今の呼び方を麻立干に変更した
というわけでもなく、麻立干の前は尼師今といってたというわけでもない。
三国史記は中国の王朝みたいに一元的な王が代々続いてるって思い込みで
原史料を解釈してるから真に受けてはだめ。

68 :
次々雄は覡(男の巫)の意というがこれもどこまで本当が不明。
「慈充」とも書くので日本語のチチ(乳)と関係づけて女王だった
という説もあるがこの説も思いつきの域を出ず、信憑性はないだろう。
男巫説をとる場合、シャーマニズムが支配していた社会だからというが
なぜ第2代の一人だけが男巫なのかそれだけでは説明がつかない。
男巫というより神官のようなものと思ったほうがよさそう、
これは王号えはなく、建国途中の草創期に一時的にでてきた役職で
葛文(政治担当)と次々雄(祭祀担当)で
二重首長制やってたのではないか、この時まだ正式な王はいなかったと思われ。

69 :
>>67>>56,>>65-66へのレス

>>68>>56,>>58,>>63,>>へのレス

70 :
>>57
尼師今は昔氏の称号だった可能性はないでもない

ちなみに昔氏ってのは朝鮮に残ってないと言われがちだが実は3000人ほどいるらしい
もっとも、一姓あたりの人口がでかすぎる朝鮮の基準からでは
3000人クラスだと「ほとんどいない」に等しいのかも知れない

71 :
>>56,>>70
三国史記の尼師今は広開土王碑や日本書紀、出土した新羅王碑文では
すべて寐錦になってるから、寐錦が正しいのだろう
安直な解決として尼師今は寐錦が訛ったものと言われ勝ちだが
尼師今と寐錦が同語源だとか同意語だとか詳細に検討した研究はなく
寐錦がはたして尼師今に訛るのかどうかもあやしい
三国史記と三国遺事は一度全部の称号を「王」に書き換えてしまった原資料
(崔致遠の『帝王年代暦』)を後から粗雑に復元してものなので、
寐錦をしらずに尼師今で埋めてしまったものらしい
(そのため三国史記と三国遺事では尼師今と麻立干の境目も2代ずれてる)
実際のところは寐錦と尼師今は別々の称号で、葛文や次々雄や麻立干のように
使い分けられていたのではないかと思われ

72 :
葛文って国王の弟の称号とかになっていたよな
真徳女王の父、国飯(真興王の弟)も葛文王と呼ばれていたような

73 :
弟じゃなくて父の弟、つまり叔父とかじゃない?
後見人っぽい存在らしいから王より歳上と思う

あと三国史記だとただの称号みたいな扱いにされてわかりにくいけど
二重王制なんだからどの王の時の葛文王かって問題がある
生まれてから死ぬまでずっと葛文王だったのかどうか
死ぬまでってのはわkるとしてもいつ葛文王になったのかは重要
三国史記の記述だとそこらはわからなくなってる

74 :
>>71
尼師今ってのは直訳すれば「歯」のことで
歯が多い=年齢が高い=「有徳者」って意味だというがどうなのか?
歯ってのは乳歯から永久歯に生え変わる段階でも増えるが13歳で生え揃ってしまうので
高齢や長寿とは関係がない。歯が高齢長寿の象徴なのは、入れ歯のなかった時代、
歯がなくなった老人にまた歯が生えてくることがまれにあり
これを日本では「みづは(瑞歯・稚歯)」といって長寿のしるしとされた。
新羅にも似たような例が知られていたのだろう。
漢字の「齢」も歯の生え方のことでこれで年齢の違いがわかるから年齢の意味になる。
しかし尼師今が本当に歯の意味なのかどうかはわからない。

これは俺の憶測だが
長寿がどうして王の意味になるのか?長寿だと有徳者で、だから王?かなり苦しくないか
(金大問の解釈説は麻立干の切り株説にしろ尼師今の歯説にしろコジツケっぽい苦しい説明が多い)
これは王ではなく、この称号を長寿のにこじつけるための当時の言葉でのダジャレ説明だったのではないかと思う
金大問の時代にはすでになぜ長寿にこつじけなければならなかったのか不明になってしまっていたので
長寿者=有徳、だから王、という二重のコジツケをしたものだろう
…という可能性もないではないが、あくまで俺個人の推測。実のところなんとも判断のしようがない。

それと、奈勿と実聖の2王は、三国史記では尼師今、三国遺事では麻立干とする。
なぜこの違いが生じたのか。尼師今から麻立干へ、王権が強大化した過程ぐらいに軽く流されて
あまり注意が払われないが、そんな単純なものじゃないだろう
尼師今は実は(その時期は)存在せず寐錦だったことと
>>67で書いたとおり麻立干と寐錦は別次元の称号であること等からいって
この2王の称号には、もっと複雑な経緯がある。

75 :
17代奈勿は中国に朝貢した時は「楼寒」と称しこれは麻立干のことだとされているから
奈勿が麻立干だったのは疑いなく、確実な史実とみていい。
(広開土王碑文では奈勿を麻立干とも楼寒ともよばず「東夷之寐錦」と呼んでるが)
だから三国遺事は、16代訖解までが尼叱今(三国遺事は尼師今を尼叱今と書く)で奈勿から麻立干と判断したんだろう。
ではなぜ三国史記は2代もずれてるのか。恐らく18代実聖が麻立干だという確証が得られなかったからだろう。
三国史記は麻立干より前は一律に尼師今にしてしまってるのと、無駄に漢文が読めて
漢字の「字義」でこじつけるのが好きなため楼寒と麻立干の「音」の一致に気づかなかったのだろう
それで三国史記は実聖までが尼師今、19代訥祇から麻立干と判断したわけだ
以上の考察からして奈勿は麻立干であって尼師今ではないのだから
三国遺事が正しく三国史記は間違いなのかというと、そう簡単でない。
実聖が麻立干だったら三国史記の異説は生じない。しかし尼師今でもないのだから
実聖の称号はなんだったのか?という問題が生じる。

76 :
居西干は高句麗語の「古雛加」だろうというのが有力説。
古雛加は高句麗国内において王に次ぐ最上位の貴族たちの称号。
隋書に高句麗が魏の将軍貫丘倹に撃破された時の残党の一部が南下して新羅を建国したという伝説が記されていることから
初代の赫居世居西干はその時の新羅を建国した高句麗人を、年代を遡らせたものではないかと思われなくもない。
しかし三國史記だと新羅王の系統はそれ以前から続いておりここで王朝交代があったようにみえない。
新羅本紀には245年に高句麗兵が攻めてきたとあり、これが年代的には逃亡した高句麗軍の南下に相当する。
(魏軍が高句麗本国を撃破した年を三國志は246年とするが
貫丘倹碑文が出土しており242年が正しいことが判明している)
248年には高句麗と講和しているから、一部新羅に迎えられて留まった者たちがいたとしても多くは本国に引き上げたんだろう。
(後世の新羅の貴族層にも高句麗系を自称する者がいないし)
246年に辰韓のうち8国を帯方郡の管轄から楽浪郡の管轄に移そうとしたのは
この南下した高句麗兵の捜索と追撃のためで当初はこちらに高句麗王が紛れ込んでる可能性もあった。
ところがそれに馬韓が反発し二郡と戦争になった。二郡は太守が戦死するほど苦戦したが結果的に勝利。
百済本紀にはこの年楽浪郡を攻撃したがすぐ謝罪したとある(246年)。
つまり辰韓馬韓はなぜか高句麗兵を迎え入れて匿おうとしているようには思えるが、
逃亡中の高句麗軍には先住民を征服して新羅を建国するような力はなかったろう。
だから3世紀に古雛加を自称する高句麗人が新羅に寄寓していたとしても、
初代の王号に使われるいわれはないように思う。

77 :
だが「古雛加=居西干」という言葉自体は高句麗建国以前からあってもおかしくない。
古雛加は高句麗の王の一族(王の兄弟や王子)が称する号で、他に、高句麗五部のうち
絶奴部と消奴部の首長も特別に古雛加を称することが許されていた。
桂婁部の首長がいわゆる「高句麗王」。
おそらく順奴部と灌奴部の首長は他の2部のような世襲首長ではなく
王の兄弟や王子が補任されたのだろう
結局、王領である桂婁部以外の4部の首長が古雛加だったのではないか。

古雛加はもとは王にも該当する首長の称号だったのだろうが
高句麗侯を中心に5つの県侯が連合して高句麗王ができた時、
古雛加たちの上位に「王」ができたので
それまでの古雛加たちは王に次ぐ最上級貴族ということになったのだろう
従って、新羅初代の赫居世の称号「居西干」(=古雛加)も
その段階ではまだ王号だったのである

78 :
古雛加に似たものとして匈奴の左賢王・右賢王が浮かぶ
左が「東部方面」、右が「西部方面」を表し帝国を五部に分けて
東南は左賢王、東北は左谷蠡王、西南は右賢王、西北は右谷蠡王
そして中央は単于(=遊牧民の皇帝)の直轄。で5つの地域。
中央には左骨都侯・右骨都侯がありこれは単于の側近。定員各1で6人。

高句麗の古雛加は常時数人はいたらしいが定員のようなものはわからない
高句麗の五部制と古雛加の定員に関係があったのかどうかも不明
百済(475年以前の前期百済)にも左賢王・右賢王があった
(百済にも五部制はあったが左右賢王とは関係ない)
辰韓には「右渠帥」という地位があったので当然「左渠帥」もあったろう
また衛氏朝鮮の最後の王は「右渠王」といい史記では固有名詞扱いされているが姓も不明であり
これは西方面軍の将軍という意味で、当然「左渠王」もいただろう
衛氏朝鮮の「左渠王・右渠王」も辰韓の「左渠帥・右渠帥」も、
匈奴や百済の「左賢王・右賢王」と同じ趣旨で、左が東部方面、右が西部方面を表す
前2世紀の衛氏朝鮮の「右渠王」がいた場所は平壌で、後1世紀の辰韓の「右渠帥」がいた廉斯とは今の忠清南道の西北部だという。
朝鮮半島全体では南を東、北を西ということがあり、赫居世が前1世紀としてその頃の慶州
(後に新羅の王都)が「左渠王」「左渠帥」の位置として考えられる

79 :
そうすると新羅の初代、赫居世の称号である「居世干(古雛加)」とは辰韓の「左渠帥」のことだったとわかる
匈奴の左賢王・右賢王の「賢」は匈奴語の「屠耆」だが、百済の左賢王・右賢王は意訳で、匈奴語ではなかろう
匈奴語なら左骨都侯・右骨都侯の「骨都侯」が「古雛加」と音が近く語源的にも関係ありそう
骨都侯は単于の后の実家の者で、トルコ語の「qudu:義父」に漢語の「侯」がついたものという説がある
高句麗でも絶奴部の首長は高句麗王に妃を出す家柄なので「古雛加」を称するという
「古」の上古音は[kag]、「雛」の字は日本語読みではスウ。日本上代語(万葉語)で父を「かそ」という。
高句麗語と日本語は類縁だという説が思い出される
「ちち」が義父・養父・伯父・叔父まで含む広い意味で「かそ」が実父、生みの親だが
語源からいうと「かそ」は子供を数える説(岩波版日本書紀の注)、または彼の処=外の人説(白川静)、稼ぐ人説
「ちち」のチは乳、血、精液など、霊的な力ある液体をみなチといったのが語源
語源からすると本来はカソが義父でチチが実父だったのが後に逆転したものと思われる
「骨都[トルコ語:qudu]」「古雛[上古音:kadzu/中古音:kotsu]」「かそ[kaso]」は同語源で「父(義父)」の意味だろう
百済の左賢王・右賢王の「賢王」も、辰韓の右渠帥の「渠帥」も、漢字で意訳したものだから
原語は「古雛加」や「居世干」に近い発音だったと推定できる。

80 :
>>76-79>>56(居西干)へのレス

>>72(葛文王)
1988年に発見された蔚珍鳳坪碑文からすれば524年の時点では寐錦王と葛文王の二重王制だったことが明らかだが
『三國史記』や『三国遺事』は辛うじて葛文王という称号を断片的に伝えるのみ。それどころか
『日本書紀』によれば第5代婆娑は尼師今でなく「波沙寐錦」であり
広開土王碑文によれば第17代奈勿は尼師今でなく「新羅寐錦」であり
中原高句麗碑文によれば第19代訥祗は麻立干でなく「東夷之寐錦」であり
迎日冷水碑文によれば第22代智証は麻立干でなく「葛文王」であり
蔚珍鳳坪碑文によれば第23代法興王は、王は王でも「寐錦王」だった
しかるに『三國史記』や『三国遺事』は金石文に一切あらわれない尼師今をもちいるばかりか
寐錦王/寐錦という用語をまったく伝えておらず史料としての信憑性が疑われる。
『三國史記』がいう「503年に君号を麻立干の君号を改め新羅国王とした」という記事は、
それまでの葛文・寐錦という称号をそれぞれ葛文王・寐錦王に改めたという意味だと考えるしか選択の余地がない。
従って『三国史記』に表れる葛文王のうち503年以前のは、もともとただの「葛文」であり「葛文王」は後世の追記だろう(続く)

81 :
葛文王は、王の父・伯父叔父・妃の父(つまり舅)・王の兄弟・女王の配偶などに与えられる称号だが
『三國史記』や『三国遺事』からはその詳細や正確なところはわかりにくい。
最初の葛文王である日知葛文王は儒理尼師今の兄でもあり同時に舅でもある
次ぎの許婁葛文王は婆娑婆尼師今の舅
三人めの摩帝葛文王葛文王は祇摩婆尼師今の舅
してみればもともとの意味は「王の舅」=「王の義父」だろう。だからまさに「居西干」(古雛加)と同義である。
(続く)

82 :
「左渠帥・右渠帥」の渠帥は根本的にいって意訳(既存の漢語)だから音写の可能性を考える必要はないが
渠は上古音[giag](ガ)中古音[gio](ゴ)、帥はスイ[siued→siui]とソツ[siuet]の二音があり
カス・カソ・コス・コソの音写も兼ねているとみることもひょっとしてもしかしたらアリかもナイかも

葛[上古音:kat]は、古雛加の「古雛[katsu]」にあたる。では「文」は何か?
高句麗末期の独裁者、淵蓋蘇文(姓が淵氏、名が蓋蘇文)の高句麗語の読みはイリ・カスミ(伊梨柯須彌)だったことが日本書紀からわかるが
これによって高句麗人は「文」の字をミと読んでいたことがわかる(蓋蘇文=カスミ)
しからば葛文の文もミと読んだ可能性がある
(新羅語はむろん高句麗語ではないが、当初から独自に新羅語という特定言語が存在したわけではなく
高句麗百済語(夫余語)、馬韓語(先住民語)、倭語、漢語(辰韓語)などが混淆してできたものである)
ところで蓋蘇文は西部の大人(消奴部の首長)だったというから、3世紀に遡る伝統によって「古雛加」を称することが許されていたはずである。
それだけで彼が古雛加だったことを推定するに十分ではあるが、
栄留王を殺害して宝臧王を擁立した時に「本来の古雛加として」自分の娘を宝臧王にあてがった可能性もあろう
(ただし蓋蘇文の娘が妃になったことは歴史書にはみえないから俺の個人的な憶測にすぎないが)。
ところで『後漢書』は古雛加を「古鄒大加」としている。雛と鄒はほぼ同じ音を写した字として問題ないが
古鄒大加は「古鄒文加」の誤写ではあるまいか。「大加」という言葉が他にでてくるのでそれに引きずられて誤ったものと思う
つまり古雛加はもともと古鄒文加の略称であり、蓋蘇文は本名ではなく古雛加(古鄒文加)の土着語的な表現だと思われる
(加は遊牧民の「汗」の語源で、大人(首長)の意味)
古鄒文[katsumi]が原語で、葛文[katmi]はすなわちその「新羅訛り」だろう

83 :
古鄒文加から逆推すれば503年に葛文王と改号される以前には「葛文干」だった可能性もあろう
また居西干も誤記で「居西文」だった可能性もなくはない
(大・丈・文・干・天などは相互に誤写されることのある文字)
「加」または「干」がつくかつかないかでは多少意味が異なる
「骨都・古鄒・居西・葛・古鄒文・居西文・葛文・かそ・かすみ」は義父(=舅)または父そのものに近いが
「骨都侯・古鄒加・居西干・古鄒文加・葛文干」は「義父をふくめて父にも相当する地位の称号」の意味になろう
とするとやはり初代の赫居世は居西「文」ではなく居西「干」でよさそう
葛文王は「葛文王」に書き直されるの前には「葛文」だったか「葛文干」だったかは
時代によって異なる(ただし503年以降は「葛文王」のままで正しいが)

ちなみに日本で上皇の住居を仙洞御所といいその訓を「かすみのほら」という
「仙人の住む山奥の霞のかかった洞」という意味だが
仙洞を訓読みするなら、まずは「やまびとのほら」となるだろう
カスミとはもしや「父身」(かそみ)という古語の残存ではないだろうか
もっともそれいうなら「かすみの宮」という用例がないのが弱みだが
「かすみの洞」が本来の形ならやはり「霞」でいいような気もするが
まぁそういう連想もあったという程度の話で(続く)

84 :
「舅」も平安時代には「しひと」と言っていた(シヒト→シウト→シュウトと訛ってきた)
シヒトとは「しる人」この「しる」は「治める・領する」の意味。これを敬語にしたのが「しらす」
一般の民間でも妻の父が大きな力をもっていた頃の名残りだろう
平安時代といえば天皇とその外祖父である藤原氏摂政関白が思い起こされる
自分の外孫を幼少のうちに即位させ、自分は摂政として政権を握るというのは藤原政権の最終形態だが
天皇が幼少でない場合、舅または外祖父が関白となる
これは葛文王が王の舅であり、婿である寐錦王と共同統治する体制に似ている
天皇と摂関は形式上はまだ君臣上下の関係だが
新羅の場合はお互いに対等の王家である。そこで記紀に書かれた初期の皇室の歴史をみると
遠縁の皇族が皇位継承する場合、先帝の一族の女性を皇后に立てるケースが
顕宗天皇から光仁天皇まで少なくとも6例ある
これらの場合、先帝と新帝は義父と婿の関係になる。新羅の三王家も相互にこの関係を繰り返した
ただし日本の場合、先帝はすでに崩御しているケースがほとんどで
舅(義父)というより配偶女性(皇后)の権力が大きかった
これは後に女帝になっていくわけだがそこも新羅の女王の出現と同じで
新羅もまた女性(王妃)の権力がもともと大きかったろう
また実の父子の場合でも、奈良平安の頃から一貫して上皇のほうが権威があったので
院政時代になって急に逆転したわけではない。

葛文王が父(または義父)の意味なのだから寐錦とは息子(または婿)の意味ではないかと察せられる。
ムコ(聟)の語源は「迎える子」だの「向かう子」だのいわれるが庶民的な語源俗解で取るに足らない
ムスコ(息子)と関係ありそうだが不明。ともかく「コ」は男性をあらわす語尾だから語根は「ム」
寐錦(ムキン)とは「息子・君」の意味ではないだろうか
寐錦の「錦」も尼師今の「今」も[kiem]で語尾の子音は[n]でなく[m](続く)

85 :
神話の三機能説(F1,F2,F3)で
第3代儒理と昔脱解はF3、初代朴赫居世はF2、第2代南解と金閼智はF1に関係する伝承がある。
これでみると朴氏だけは初代から第三代までがF2、F1、F3にそれぞれ対応しているが
各氏の初代だけで比べると朴氏がF2,昔氏がF3,金氏がF1に対応している。
この伝承が単に神話として構成された作り話でなく、もしも史実を反映しているとしたら、
初期の新羅は三王家が交代で王になったのではなく、
祭祀権・軍事権・財政権に三分して同時並立していたことになる。

称号でみると次々雄は男巫だからF1に相当している。
とすると可能性としては居西干はF2、尼師今はF3に対応しているかもしれない。
これを再整理すると「朴氏=居西干、昔氏=尼師今、金氏=次々雄」となる
金氏は初代から6代目の仇道まで代々即位してないことになってるからこれといった称号も記録されてないが
実は次々雄という地位を世襲していたのではないか
とすると、尼師今というのは誤りで正しくは寐錦だったとされ勝ちなのであるが
尼師今と寐錦は語源も語義も別々の称号だとすると、
尼師今が含む長寿の意味はF3に含まれる機能の一部だから昔氏の8人の王だけは寐錦でなく尼師今だったというのは史実の可能性が高い。
(偶然か必然か、日本書紀や新羅碑文から寐錦だったことがわかっている王の中に、昔氏の8人の王は含まれていない)
尼師今(歯=歯が多い=年長、長寿=有徳者≒資産家)
居西干(古雛加)は骨都侯や左右賢王など遊牧民の指導者に由来するように
(また「渠帥」という漢訳の文字からしても)軍事的指導者であり王というより将軍に近い
二重王制どころか三重王制(というより三権分立?)の可能性がでてきたわけだが
語源的には「居世干」と「葛文王」は同語なはずで
そうするとこの三重王制と「寐錦×葛文」(息子と父)の二重王制との関係はどうなってるのか(続く)

86 :
葛文と寐錦の二重王制を日本と比較した場合、
実の父子と観れば院政、聟と舅と観れば皇室と摂関家の関係が浮かぶのは前述のとおりだが
さらに新羅三王家に似た情況として持明院統と大覚寺統の両統迭立がある
この時は例えば持明院統の天皇が在位している場合、皇太子は大覚寺統から出るという決まりだが
この時代は治天の上皇が実権者で天皇は実権がなく皇太子のようなものといわれたから
形式上の皇太子は実質的には「皇太子の皇太子」であって二代先まで決めていたわけだ
新羅の場合もこれに非常によく似ており、
葛文が上皇で寐錦を天皇とみれば、または葛文が天皇で寐錦が皇太子とみれば
異姓間で王位をたらい回しにするための制度とみることができなくはない。

また古代エジプトでは、先代ファラオの実の息子であろうが赤の他人であろうが、
先代のファラオの皇女の配偶でなければファラオになれなかった。
こちらのほうも新羅の例によく似ている
葛文と寐錦が「舅と聟」ばかりでなく「父子」の例もあるのは、王位の追号とは限らないだろう

これらから考えると二重王制は次ぎの王が誰かをめぐって内乱になることを事前に避けるためのものであろうかと思われ。
この場合、次ぎの王が自分の息子(同姓)であろうが、娘聟(異姓)であろうが、趣旨は同じ。

そうすると「寐錦×葛文」の二重王制は
どうやら「三統鼎立」を安定的に維持するためのものだったと想像はつくが
そしたら今度は「そもそもなぜ新羅には王家が三つもあるのか」という問題にいきつく(続く)

87 :
弥生人は稲作を伝えたんだろ。稲作は当初江南など温暖な地域で行われていた
弥生時代に華北は雑穀地帯で稲作など殆どしていないだろう。
そもそも水が不足している。半島に華北経由で稲作が伝わるのは不自然
江南から直接半島南部や日本に移住してきたんだろう
朝鮮半島も気候的に南部のほうが稲作に適しているんだから
日本が一時半島南部を勢力下に置いたのも江南から来た同族だったからじゃないか?

88 :
米の化石は日本の方が朝鮮半島より古いものが発見されている
山東半島や満州なんか当時稲作なんかしてない。朝鮮人とは関係がない。

89 :
>>87はコピペ厨の仕業。
コピペは荒らしの一種だがコピペにはコピペで対抗
--------------
94 :日本@名無史さん:2015/10/17(土) 08:16:12.45
>>89
陸稲は縄文時代からあったが、水稲耕作が始まったのが弥生時代で
弥生時代は前八世紀もしくはそれより少し前
だがこの段階では渡来系弥生人はまだきておらず在来系弥生人の時代

渡来系の人種(いわゆるオマエラがいう弥生人)が来たのはどんなに早めに見積もっても
吉野ケ里タイプが前五世紀、土井ケ浜タイプが前三世紀、
つまり「渡来系の人種と稲作の開始はなんの関係もない」。
そいつらが華北系だろうが朝鮮系だろうが呉越系だろうが何だろうがな。

90 :
なんだお前らもう居西干と次々雄と尼師今と
寐錦と葛文と麻立干の話はききたくないのか

91 :
居西干 次次雄 尼師今 麻立干はそれぞれ別系統の支配者であり、その交代は禅譲ではなく中国であったような易姓革命に伴う放伐的な支配者継承があったと思う
「干」という字があるがこれは遊牧民の支配者が好んでつけた「汗」(ハーン)に類するものではないかと思われる

92 :
次々雄=スサノオ説は気になる

93 :
>尼師今、ニシキ、錦の御旗のにしき
 
新羅、辰韓 - Wikipedia

後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝、『晋書』辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、
馬韓はその東の地 .... そこでは国を邦「邦人」「中国、朝鮮では華僑の僑と言う」、弓を弧「括弧」、賊を寇「元寇」、
 
行酒を行觴(酒杯を廻すこと、俺の杯が飲めぬかと)と称し、互いを徒「生徒」と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓 ...
『隋書』は(筑紫国の東、秦王国有り)と・・・
 

94 :
>>93
引用してるwikipediaが「錦の御旗」説となんの関係もない内容なのが笑える
「錦の御旗」は中世以降の言葉で古代と関係ないからムリ
「主君」(ぬしきみ)の訛りとでもいったほうがまだいくらかマシな説だろう

>>91
居西干 次次雄 尼師今 は三権分立で3氏が並行してた
364年に倭兵が侵入したのを撃退したことになってるが
これは金氏が倭兵を引き入れた内乱だろう
内乱で金氏が朴と昔を軍事的に圧倒して完全に臣従させて
三権を集中して握ったものが麻立干

>>92
神話学の理論からするとそれはない。F1とF2で対応してない
居西干F2 次次雄F1 尼師今F3
天照F1 須佐之男F2 月読F3 

95 :
朴・昔・金の王位が交代する時はだいたいその前に倭軍が新羅を攻めてる。
三国史記では毎回撃退したことになってるが
実際はこの倭兵は任那日本府の懲罰軍だろう
倭国の命令で廃位されたり別の王家が任命されたりしてるんだよ

96 :
>>92
それ現代語の発音で似てても意味ないでしょ
次々雄の「次」の音は上古音[tsier]中古音[tsii]、雄は上古[hiuen]中古[hiun]
慈充の「慈」は上古[dzien]中古[dziei]、「充」は上古音で[tiun]中古音で[tsin]
ジジユウ、ジジュウは現代語読み。そうじゃなくて
おそらく[dzietsiun](ヂェチュン)に近い発音の言葉だったと思われる。
まぁ日本語のサシスセソの発音は昔はツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォだったって説もあるから
そしたらスサノヲはツツァノヲだったということになるが
似てるかといったらはたしてどうかね?
思うにこれは神官や祭司を意味する漢語「史祝」[sietsieu]の新羅訛りだろう。

97 :
>>94
高麗錦(こまにしき) 7,8世紀の万葉集時代には貴人が錦衣を着てましたよ、発音もニシキ。

集歌3465 巨麻尓思吉 比毛登伎佐氣弖 奴流我倍尓 安杼世呂登可母 安夜尓可奈之伎
訓読 高麗錦(こまにしき)紐解き放(さ)けて寝(ぬ)るが上(へ)に何(あ)ど為(せ)ろとかもあやに愛(かな)しき
  

98 :
>>93
燕経由で入った古い中華の古語が残ってたんだろうね
辺境ほど古い時代の慣習や言葉が残りやすいから

99 :
>>97
錦って織物としては存在してたぐらい知ってますが
それは「錦の御旗」って熟語の意味(=官軍のしるし)とはちがうでしょ
この時代にまだそんな意味はない。この頃はまだ衣料の素材の意味しかない。
豪勢なものでも所詮は布切れ、それがなんでそれが新羅の君号になるんね?

>>98
なにをトチ狂ってるのか。錦をニシキと読むのは日本語だぞ。古い中華の言葉なら錦[kiem]

100 :
>>97
しかも高麗錦って高句麗の錦布のことで、新羅とは関係ないですぬ


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