TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼
【インチキ】ワンネス代表 yurie【ビジネス】
ネガティブな力で幸せになる! お試しスレ
集団ストーカーというタダ働き
これからの時代はすべての人が悟る時代がくる。
【洗脳】ツインソウル 脱獄プロジェクト 45【解除】
輪廻転生を終了させる方法
宇宙人の話
かわりに私が霊視してあげるよ
1日1回、白蛇様を拝んで願いをかなえよう 3 [転載禁止]©2ch.net
【YouTuber】霊能・スピリチュアル系ユーチューバー・チャンネル part5

【禅】《悟り》と《メカニズム》【マハムドラー】


1 :2019/06/16 〜 最終レス :2020/04/29
悟りのへ至る道順を点検し そのメカニズムを明確にするスレ

2 :
【井上 義衍 老師】【井上哲玄 老師】【井上貫道老師】
 
 禅の十牛図 第三図『見牛』

3 :
【ティロパ】 【ナロパ】 【マルパ】 【ミラレパ】
『ゾクチェン』『マハムドラー』

4 :
『マハムドラーの詩』

http://www.magic-theater.org/staff/kaori/freaks-gallery/mahamdra.htm

5 :
【井上 義衍 老師】

https://tetsugen.jimdo.com/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E7%BE%A9%E8%A1%8D%E8%80%81%E5%B8%AB%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF/

6 :
https://mobile.twitter.com/giengoroku

【井上 義衍 老師 語録】
(deleted an unsolicited ad)

7 :
坐禅をするときには、自分を中心にして坐禅してはならんのです。

それを本当にやめて、【六感を解放(十牛図の第3図)】して六感の作用がどうあろうとも一切かまわず、

一々そのときそのときの作用のまんまに、煩悩らしい作用が起きようが、立派そうなものが起きようが、かまわないことです。

「井上義衍老師語録(龍泉寺参禅道場)」より

8 :
【六感を解放】して 六感の作用がどうあろうとも 一切かまわず 一々そのとき そのときの 作用のままに
-------

このことは 禅の【十牛図の第三図】そのままの表現であり

ゾクチェンに於ける【マハムドラー】の入り口でもある

『六感が解け合うやいなや もう門の中に入っている』

9 :
『クリシュナムルティーの神秘体験』に見られる体験は 井上哲玄老師の説く禅境地そのものである

10 :
誰か禅を修業され 見性された方おられませんか? 井上哲玄老師にお会いされた方おられませんか?

11 :
禅の教えに、師匠が弟子に目の前の木をただ見つめるようにと言います。
思考せずただありのままの姿を見るように指導します。
これ覚醒してから普通にできるようになりました。
というか24時間毎日がずっとそのような感覚で外界を見ています。
そして自分はそのありのままの姿の世界を見るとき、何を感じるかというと、
この世は実体がない、物質は実在していない、という感覚です。
なぜそのように感じるかというと、物質を認識するとき、記憶や思考によって
その色眼鏡によって存在物に価値をつけ色をつけ存在感を出し認識しているのだと思うんです。
女性を見ては、美味しそうな食べ物を見ては、かっこいい車を見ては、
思考と記憶によってそれらに価値を感じリアリティーが現れているにすぎないと思うんです。
それら思考と記憶を介さず、ただありのままの真我の純粋意識でそれらを見たとき、
ただそれらがそこに見えているだけなんです。
山や川や人を見ても、それらは肉眼に映る映像にすぎないんです。
VRと同じようなものだと思います。
実際は存在しないのに、思考によって存在するように見えているだけなのだと。
なので自分が覚醒してから世界が立体感がなくなった、白っぽくみえるとか、
平面に見えるというのは、このような理由からだと思います。
思考を介すことによってはじめてこの物質世界は実在感を持ちリアリティーを持つのだと思います。
自我が消え真我の純粋意識で世界を見たとき、この世界に実在感は感じられずリアリティーも感じられませんでした。
たぶんブッダはこの感覚を感じていて、この世は実体がないとか色即是空とか言ったのでは?と想像ですが思いました。
もちろんクリシュナムルティーの言う、色鮮やかでリアリティーがある感じもわかります。
思考が止まり純粋な意識で世界をみると純粋に美しく輝いて見えます。
それと自分の言っていることはまた別のことなんじゃないかと思います。
これは覚醒してから自分が感覚として感じられる個人的なもので、
人には理解されないと思いますので、ただ個人的な意見として流してください。

12 :
ようこそ!2chからの来訪者さん

ここは純粋に【禅・瞑想】によって至った境地と 至る(過程)に於ける次第(テクニック)の2つについて語ってもらうスレなので 瞑想の技法面もよかったら書いてみてください

できれば技法の作用についても 意識と心(脳)の仕組み反応などにも分析を加えて 科学的な目線で解き明かしてもらえればと思います

13 :
え>11
思考を介すことによってはじめてこの物質世界は実在感を持ちリアリティーを持つのだと思います。 
ーーー

過去の覚者は逆のことを言っていますね 思考が空になることで 初めて思考の介在無しに 在りのままの世界 実在=リアリティーに遭遇すると

このことは詳細に点検してみる必要があるかも知れませんね? 何故思考が止まったのに リアリティーを感じられないのかを

単純に考えると 真我(胸=ハート)と世界(外界)の間には頭(思考想念)があります この頭が空になることで 胸の真我と外界が 五感を通して direct接続されるので 概念を排した実在として感じられるのだと思われます

とは言え 外界はマーヤ(幻想)であって 夢であるとも言われていますね その意味ではあなたの感じ方も無視できないものにも思えます

ともあれ 思考想念を持って世界を見るとき 人は白昼夢にあると言うのはそうだと言えるでしょうし

その意味では思考想念の介在無しに世界にある時にのみ 人はリアルであると言うこともそうであると 

実在と言う言葉は少し誤解を招きますね 真我のみが実在であって 世界はマーヤと言うのが 一元論の世界観ですから

何故この世は現れているのか?もっと深く理解をしないと って言うか次元を異にしている 真我自体と世界を同一に語ることが出来ないし 無理があるのかもですね

14 :
>>12
自分が4カ月でどのような瞑想をし悟りを開いたのか、
詳しく話してみようと思います。
瞑想のコツなども話してみます。

15 :
OSHO秘教的講話
http://mahorobanomori.web.fc2.com/spiritual-top.html

凄くよくまとめてあるサイトです
OSHO本の翻訳家さんのサイトなんですね 素晴らしいです

16 :
>>13

幻影と実在の関係がラマナの本にありました

『ラマナ・マハリシとの対話T』

【幻影は 実在です!】

2つは一体裏表のようです

17 :
まず瞑想について誤解している人がとても多いです。
瞑想はお風呂でリラックスしながら、寝る前に横になりながら、
半意識状態、半睡眠状態、変性意識状態になることが瞑想と思ってる人が多いです。
瞑想とはそのようなボヤーっとした意識になることではなく、
逆に意識が普段より明確に目覚めている状態になることが瞑想。
なので半意識状態とは逆の、精神統一状態、1キロ先の物音にも気付くくらい鋭敏に神経を研ぎ澄ませてる状態が瞑想状態です。
そのような統一状態になっているとき、思考は完全停止しています。
無の状態になります。それが真我意識です。
自我は思考によって生じるので、思考を静めれば自我も止み、真我意識になります。
ではどうすれば思考を静めることができるのか。
音、呼吸、身体感覚、マントラ、どれか一つ選び、それに意識を一点集中するのです。
自分はすべての方法を試した結果、音を聴き続けることが一番精神統一状態になれたので、
それのみ行いました。
時計の秒針の音、エアコンの室外機の音、どれか一つの音を意識して集中的に聴き続けます。
最初は瞑想の音楽を流し、その音楽を聴き続ける瞑想でしたが、
次第にその音楽さえも邪魔に感じ、最後は自然に聞こえてくる音のどれかを選んで行いました。
瞑想開始すると、最初は自我の感情や思考のごちゃごちゃ感を感じます。
15分くらいある対象の音に集中していれば、次第に思考が静まり感情も静まり、
内面が透明な水のように清々しくなってくる感覚が感じられます。
その状態が自我が消え、真我の意識状態です。
この無の真我の状態になることがまず第一段階です。
思考が静まり、自我が消え、純粋な意識のみが感じられる、その感覚をできる限り感じ続けます。
最低30分、長ければ2時間、その無思考の真我の状態を感じ続けてみてください。
その状態をキープしてみてください。
たぶん最初はできないだろうと思います。5分でも思考が止まることも難しいかもしれません。
でもこれもトレーニングのようなもので、努力と忍耐力で何時間でも無思考でいられるようになります。
自分も覚醒体験直前あたりには、瞑想開始15分で完全無思考になり、そこから2時間以上ずーっと無思考で真我をキープできていました。
それくらいしてようやく、自我は真我と完全分離し、自我は真我の中へ溶け込み、
覚醒体験により自我の消滅が起こります。
逆を言えば、それくらいしないと毎日30分程度の瞑想では真我実現は自力では難しいと思います。
瞑想中は自我や思考を敵とさえ思い、徹底的に自分の中から排除しようと努めます。
本当の自分に目覚めるんだ、真我こそ本当の自分なのだ、と強く意識します。
それくらいの強い意志と覚悟があってこそ真我は実現されるのだと思います。

自分は1人掛けソファーみたいな椅子に座り瞑想しました。
長時間瞑想ができるためです。座禅を組むと30分で足が痛くなり限界ですが、
イスだと2時間でも3時間でもできるので。
特に背筋を伸ばしたりはぜず、リラックスして背もたれに持たれて、手も肘置きに置きながらしていました。
目をつむり、聞こえてくる秒針の音を聴き続けます。1秒も聴き逃さないくらい集中して聴き続けます。
すると次第に思考が静まってきます。すると内面に透明な水を注がれたような感覚がしてきます。
その無の状態で、できる限りいつづけます。

18 :
座る瞑想はそんな感じで行いました。
家にいるときは、大抵そのように瞑想していました。
テレビを見る時間、ネットする時間を、すべて瞑想に捧げました。
仕事中も歩いてる時も、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想で、今ここに気づくことで思考が止まる原理を利用し、
24時間寝ている時以外は瞑想状態に努めました。
つまり24時間ずっと意識的に真我でいつづけようとしました。
もちろんそれは思考との闘いでした。湧き起こってくる思考をいかにして静めるかに苦労しました。
でもそういう繰り返しで数ヶ月していると、最終的に、ラマナマハルシの瞑想法のサイトの方法により覚醒体験が起こりました。

難しく感じますが、簡単です。
瞑想で無の真我の状態になったところに、自我の発生源を感じる方法です。
わたし、自分、おれ、と自分のことを言うとき、自意識が発生する場所を感じてみます。
それはハートあたりに感じられます。
そのあたりに違和感を感じられると思います。
それが自我です。わーたーしー、と自分のことを言うとき自我が反応するのです。
真我の無の瞑想中にその自我の源を感じてみます。
自分はうまくいき、神秘体験が起こり、自我が真我の中に溶け込み消滅する瞬間を見届けました。
それ以来、わーたーしーと自我を感じようとしても、一切ハートが反応しません。
つまりもう自我が存在しないということなのです。
自分はもうこのラマナの瞑想法を行なっても、自我が感じられませんが、
まだ自我がある人は、この方法を行えばちゃんとハートあたりに自我の違和感が感じられると思います。
ですが、普通の自我の思考や感情が騒がしい状態で行っても感じられないと思います。
最初に精神統一状態の無思考の真我の状態を作り出してから、この方法を行うと自我がありありと感じられると思います。
これを根気強く繰り返し行えば、自我消滅の神秘体験が起こるものと思われます。
しかし、自分の場合はその時期が整っていたのだと思います。
その2年前から超能力霊能力が意識的に使えるようになりました。
これはOshoの言う第四身体の特徴で、覚醒体験によって第五身体となったので、
もしまだ第四身体に到達していないひとが、このような瞑想を行なっても、たぶん覚醒体験は起こらないだろうと思われます。
第五身体は、第四身体のクンダリーニ覚醒が起こった者のみ起こると言われるので、
もしまだクンダリーニ覚醒が起こってないのであれば、真我覚醒よりもまず先に、
クンダリーニ覚醒が先だろうと思われます。
自分も今になって思えば、あれがクンダリーニ覚醒だったと思う体験があります。
なので無意識にもちゃんとそのように霊的成長していたのだと今になって思います。
クンダリーニ覚醒が起こり、意識的に超能力が使えるようになり、自我消滅の悟り体験が起こるんだと思います。

19 :
ラマナマハルシ瞑想法サイトを貼り付けようとすると
なぜか規制に引っかかってしまいますので、自分で探してみてください。

ラマナマハルシ 瞑想 と検索すると一番上に出てくるサイトです。

20 :
ご苦労さまでした!以前の説明より数段分かりやすく 誰にでも理解出来る説明と思います

私が誰か分かりますよね?しかしこう言う話が出来るのって 私と貴方しか居ないんでしょうかね?

21 :
-----------------
ラマナ・マハルシの教え 真我の探求方法
-----------------

これでググると一発で表示できます

22 :
-----------------
ラマナ・マハルシの教え 真我の探求方法
-----------------

これでググると一発で表示できます

23 :
目覚めと夢見の合間に真の「私」がある

不滅の意識 196ページ

人が目覚めたとき、実際に外部の世界に十分気付くようになる前に、その合間、時間、空間のないことが
 
『真の「私」の状態』

24 :
《睡眠中》《目覚の瞬間》《十分世界に気付く》

この3つの意識状態が 全く同じであれば その人は真我の状態に在ると言えると言うことですね

25 :
Oshoは言います。
果実は実が熟せば自然に落ちるように、自我も時期がきて熟せばちゃんと落ちるものだ。と。
自分の自我も時期がきて熟して落ちたんでしょうね。

自分は自我が芽生えた頃からずっと自分の性格が嫌いでした。
内向的でおとなしい性格は一般的にネガティブな性格と言われ、その損な性格が嫌いでした。
ずっと変わりたいと思っていました。
たぶんその気持ちがあったからこそ、自己探求を続けて、内在の神性を発現しようと努め、自我を消滅することができたんだろうと思います。

もし積極的で社交的な性格なら周りからも認められ、自分のことを好きでいられ
自己内観をする機会もなかったろうと思います。

ブッダも老子もけして積極的で明るい性格ではなかったろうと思います。
彼らの教えはそんな性格の自分を唯一肯定して認めてくれる存在でした。
なので次第にそのような道へ導かれていったのかもしれません。

もう自分の性格が嫌で消し去りたいと思った時、それが自我が熟して落ちる時期なんでしょうか。

26 :
>>20
ワイさんですよね?
ワイさんや自分みたいに覚醒体験があれば、自信もって発言できるのでしょうけど、
体験のない方はどうしても控えてしまうんじゃないでしょうか。
もちろんオカルト板などに比べて圧倒的に人数が少ないという面もありますが。

27 :
自分の行った瞑想を修行のように厳しもののように感じられる方がいるかもしれませんが、
本人はまったく苦痛ではなく、むしろ楽しんで行っておりました。
テレビ見るよりもネットするよりも、瞑想が楽しくて仕方ないんです。
生活で瞑想を第一優先するほど、瞑想に取り憑かれていました。
なので、今考えてばほぼ24時間毎日瞑想を行なっていましたが、
それはとても楽しく有意義な時間でした。
本人はやりたくて仕方なかったのです。
もし嫌なら1分もしなかったと思います。
悟りのため、覚醒のために瞑想を嫌々するなら、しないほうがいいです。
霊的探求はどこまでも本人が楽しんで行うものです。
この修行をしないといけない、この本を読まないといけない、
そういうものは霊的探求にとってデメリットしかありません。
心の望むままに探求していってください。

28 :
2chからの来訪者さんの体験をもう一度整理して 表題をつけて ここに記したいですね レスを分割して表題を着けます 試しに一部貼ってみますね

29 :
[1]【瞑想とは?】

まず 瞑想について誤解している人がとても多いです。 

瞑想はお風呂でリラックスしながら、寝る前に横になりながら、 半意識状態、半睡眠状態、変性意識状態になることが瞑想と思ってる人が多いです。 

瞑想とはそのような《ボヤーっとした意識》になることではなく、 逆に意識が普段より《明確に目覚めている意識状態》になることが瞑想なのです。

30 :
>>25
内向的でおとなしい性格は一般的にネガティブな性格と言われ、その損な性格が嫌いでした。 
--------

全く同じですね 自己分析では 直前の過去生では座って瞑想三昧だったように感じます 出家でね

その証拠として 小学生の頃に 夕食時の家族団らんの灯りを見て 非常な嫌悪感を感じたことを 今でも覚えています

直前の過去生では ほぼ完全に想念の被覆を消し去っていたんだと思います なので子供時代はな~んも考えていない子でした

友達にバカにされても 何も返答もできないで 数分経ってからやっと言葉が出てくるような そんなでしたね

でも覚醒の瞬間をいくつも覚えています 寝起きの瞬間が鮮烈な記憶として今でもあります 無思考でキラキラ輝いた透明な意識!あの意識が真我だったとは 驚きでしたね 

31 :
>>27
自分の行った瞑想を修行のように厳しもののように感じられる方がいるかもしれませんが、 
----

24時間のことにならないと結局完全に自我から真我への転変は起こらないんだと たぶんそうだと思います

今考えると マハムドラーから音を聴く無心の意識にとどまる瞑想を一日に1時間しかしてなかった 喫茶店が瞑想室だったので 1時間が限度だったし1時間以上続かなかった 

まあたぶん 世界平和の祈りをする運命になってたんでしょうね それで24時間の行をしたわけですが

32 :
>>30
ワイさんも同じような性格でしたか。
当時はずっとこの性格が好きになれませんでしたが、そこにも神の意識があったと今では感じます。
もし積極的で社交的なら、外の世界で色々とカルマを作ってしまってたと思うのです。
もうカルマを作らないため、そして内観し真我に目覚めるため、
あえてこのような性格を選んで生まれてきたのかもしれません。

ワイさんの場合はOshoのように前世からのつながりがあるので21歳で覚醒されましたが、
自分はたぶん過去生は宗教的な人間ではなかったと思います。
自分で退行催眠みたいな感じで見えた前世がまったく宗教的な人間じゃなかったので。
でも守護霊を霊視で見えたことがあるんですが、僧侶の姿として見えたので、
その影響で宗教や精神世界に導かれているのだと思います。
そして一歩一歩地道に着実に七つの身体の年齢通りに、霊的成長してきたのだと思います。
そしてアートマサマディーの覚醒体験により第五身体になったことで
カルマが終わり輪廻転生が終わったということなので、死後は幽界を飛び越えて霊界に突入です。
次、再生するとしてももう地上に肉体をもって生まれてこないらしいですね。
アストラル体の身体の世界で転生することもあるらしいですが、
地上に比べたら天国のような美しい清らかな世界でしょう。
救われたような心境です。

33 :
[2] 瞑想の状態

そのような統一状態になっているとき、《思考は完全停止》して、無の状態になります。それが真我意識です。 

自我は思考によって生じるので、《思考を静めれば自我も止み》、真我意識になります。 

34 :
自我の【私】が発生する根源は 胸にある【我執=アハンカーラ】と言います

このアハンカーラ=我執=【心】から 私→思考→世界と繋がります

アハンカーラ(我執)が収まっているのが アーナンドコーシャ(至福鞘)と言われる微細器官であります

この【ハアンカーラ】の内側には 更に【心素】と言う名の【鏡】が有って 
《思考・想念》と 脳にある【意思】によって 五感覚器官から伝えられた《色・声・香・味・触・法》が この【鏡=心素】に映じます
《観照主体》としての【真我】は この【心素=鏡】に映った客観世界を《受動的》に見せられています

そして映った身体を 《私の身体》と思い《世界を実在》と錯覚していると言うのです

我執に収まっている【バーサナ】と【サンスカーラ】つまり 今生と過去生の潜在傾向によって生じた《思考・想念・感情・世界》が残らず浄化され無力にされて純白の無・空化されたとき

つまり《鏡に何も写らなくなった時》今度は そこに【真我】が映し出されると言う 《相転変》が実現されると言われています

肉体の《呼吸・心臓鼓動》がある内は この心素を内包した《我執が真我と分離することが無い》ので この段階が一応の【真我実現】段階となるようです

ここから先は ブラフマサマディーの範疇になり 仮死状態のサマディーが実現されると 我執・心素から真我が分離し

分離した《真我》は 【神我=ブラフマン】に溶けて 宇宙身体の第7身体を実現するのだと想像します

以上が 自分の体験と想像からの《自我ー真我ー神我》の関係性になります

35 :
上記の関係性は 『魂の科学』『秘教の心理学』からの知識と自分の体験を重ね合わせ 総合的に捉えたものです

36 :
神社に必ず飾られている鏡は この心素に映った真我=神我を表しているのでは?と思っています 【心鏡】でもあり【真・神 鏡】でもあるんだと思います

37 :
>>32
死後は幽界を飛び越えて霊界に突入です。 
------------

自分も当時は全く無欲で ワイの人生終わったな!的に感じていましたね まだ21~2才なのに

でも今はw 次も生まれ代わるかな?みたいな感じに・・・
と言うのも 本山博先生を知ったこと 『あるヨギの自叙伝』に出てくる聖者を知ったことで この世で神我に至るという選択肢もありかなあみたいな考えがチラっと有るので

今生でどこまで真我独存に近づけるのか?ですね 【真我独存】になるとそのまま《神我》に溶け去るので 真我=神我と言われているようですが まあ憶測の域を出ないですが

38 :
>>37
自分も真我の先に神我があることを知ってしまったので、
やはり神我への憧れはありますね。
Oshoが言うには42歳に神我が目覚めるらしいので、それまでなんとか到達したいですが、
もし到達できなくても真我の第五身体になれたことで十分満足しています。
仏教の修行僧、ヨガの行者、その他の修行僧、霊的探求者のほとんどが厳しい修行の人生を一生かけて到達できなかったことを、
自分は普通に世俗の中に生きながら独学で悟り開いたことは、何よりも貴重な財産となりました。
超能力が出てきて霊視できるようになったとき、この能力は1億円貰っても手放したくないなと思ったほどでしたが、
悟りを開いて第五身体真我に到達したことは、10億円貰うよりも価値あることだと今は思っています。

39 :
>>38
自分、自分。自我執着心が強い。
それでは最後の神我には到れない。
簡単に到れるわけがないだろう。
あなたの避けてきた方法しかないんだよ。
エゴを超えるというね。キリストの受難。

40 :
自分のためにしか生きていない者が
神我に到れるわけがないんだよ。
神我とはそういうものだから。

41 :
https://spiritual358.hatenablog.com/entry/2015/11/15/214242

この図の第二の死がアートマサマディーで、第三の死がブラフマサマディーなんじゃないでしょうか。
通常、輪廻転生は幽界にいる魂にのみ起こると言われています。
我々のような解脱者は死後は幽界を超えて霊界行き決定なので、再び肉体をまとうことは無いと言われています。
そして霊界から神界へ、つまり真我から神我へは、アストラル界での転生や霊界で魂状態として成長進歩していくものだろうと思われます。

ブッダやキリストなどの魂は元々神界にいた神我の魂が例外的に特例の使命として
地上に生まれてきたとスピリチュアリズムでは言われています。

自分はスピリチュアリズムから精神世界に入ったので、このような認識です。
そのため真我から神我へ至るには、地上に再生する必要はないんじゃないかな、と思っていますが

42 :
>>41
全く何もわかっていない。
ただの知識洗脳されているだけ。
解脱したならキリストの受肉の意味もわかるだろうに。

43 :
あなたには解脱知見はなかった。
あなたは解脱知見という言葉も私から知ったね。
知識として認識して付け加えすり替え特別な人間になろうとしているだけ。

44 :
神我になると霊的指導者として導く存在になると思います。
自分もそういう方々に憧れてきましたので、そのようになりたいという思いありますね。
しかし、この世は地獄に近い世界とスピリチュアルでは言われてるように、
ブッダはこの世を苦と説き、キリストは磔にされ、ガンジーは暗殺され、
日蓮は島流しにあったように、
霊格が高くなるほどこの世界で生きるのは厳しいものになると思われます。
神我の魂が再生を決意し、この世に生まれてこようとしたとき、それ相当の覚悟が必要だろうと思われます。
このような教訓があるので、自分はワイさんのように来世を望まないのかもしれません。
逆に転生が終わったことで、安堵の気持ちしかありません。
なぜ転生がようやく終わってキリストの言われる天の国に入る資格を得たというのに、
再び生老病死の苦の世界に舞い戻らねばならないのか、という思いがあるのですw

45 :
>>44
まだまだ洗脳されてるね。
霊格だの転生だの。
それに神の国に入ってもいないのに入る資格があるとなぜ言えるのか。
それも本からの知識?
キリストは人間の姿を憐れまれ受肉された。
あなたにはないもの。
神我。

46 :
>>45

45は瞑想を大してやったことの無いだろう 2chからの訪問者さんは正しく瞑想で自我想念を超えたと 対縁談を書いてくれているのに 見ないのか無視しているのか分からないが 

ノンデュアリティー・ティーチャー3から一瞥スレをへてここでまた頭ごなしに否定していて 何がしたいのかな?

再三言っているように 自分の体験を語れよ 話はそれからだだろう 

45こそ知識からしか語っていないじゃないか 潔く自分の究極の体験をもとにした理解を書けばいいんだよ

それがあんたの主張になるんだよ 他人の考えを否定したらダメだよ 知識じゃない自分の体験を書けないのに 誰があんたの主張を正しいと認められるのかね

名無しさん

47 :
>>43

何が解脱知見なんだよ あんたあるのかなあそれが?有るなら自分が体験した解脱を語ってくれよ

語れないなら あんたの主張は全て本の中からの 単なる知識としか見られないんだわ

まあ一向に語らないところを見ると 知識認定だけどね

逆に2chからの訪問者さんは キッチリ自我からの解脱体験を書いてくれているんだよ 俺はこの人は実体験からの事実と認めるけど

あんたは な~~~んにも自己の実体験からのことを書かない 知識のみで非難するやつとおもっている

先ずは2chからの訪問者さんの体験談を読んでみてくれ

48 :
>>45
それも本からの知識? キリストは人間の姿を憐れまれ受肉された。 あなたにはないもの。 神我。
------

あんたが本からの知識だろうよ 何があんたに無いもの神我だよ

全員漏れなく神我の中に居るんだよ~! 無いもの神我だって? 神我で無いものは無い だろう 違うんかい?ノンデュアリティーさん

49 :
>>48
ワイさん。自分を守ってくださり感謝します。
このような人の揚げ足を取ったり否定的な意見を書く方は、
2chにおいては当たり前になっており、自分ももうすでに慣れっこになっています。
自分は精神的に成長しようと思った20代の頃から、2chではけして人の嫌なことを言わない、
相手が不快になる否定的な発言をしないとブッダの教訓のように戒めてここまで来ました。
しかしそのような戒めを持たず、自分の嫉妬心や怒りの感情から無意識に発言する人がなんと多いことか。
人の揚げ足を取ることで自分が上に立ったような得意げな気分に優越感を感じるエゴのままに発言する人がなんと多いことか。
いつもながら憐れんでいます。
自分はブッダやキリストの教えに生きてきましたので、
このようなレスがある場合は、無駄な争いを避けるためにスルーしています。
相手にしないことで、自分もカルマを作らず、相手も傷つかずにすみます。
ワイさんのスレは唯一2ch内において霊界のような美しさ居心地のよさと安らぎを感じます。
しかしその他のスレはやはりこのような人間本能のエゴむき出しのレスばかりで、
やはりこれが地上界の波動レベルなんだろうなとつくづく自覚させられます。
そういう気持ちなので、もう再びこの世界に戻ってきたくないという思いが強いのかもしれません。

50 :
功を賞されたいが罪を罰せられたくないという願いを、天は聞き入れない。
罪を罰せられたくないが功を賞されたいという願いを、天は聞き入れない。
功を賞されずともよいから罪を罰せられたくないという願いならば、天は聞き入れる。
罪を罰せられていいから功を賞されたいという願いならば、天は聞き入れる。

51 :
禅と瞑想的なこと書いてくれ 金言要らんから!

52 :
>>49

自分もそのスタンスなんですが ノンデュアリティー3からの流れですから 反論は正当と思いしました

十数年前 のぼるさんと言う方の 臨死体験掲示板で 自分の体験を書いた時 無明庵のほうざん氏に徹底的に叩かれ罵倒されたことがありました

名無しさんのは可愛いもので 今は亡き無明庵のほうざん氏の場合は もうバカアホレベルの罵詈雑言でしたが 一切反論しませんでした

全く心が動かず無心で対応はしていました まああれで自分は本当に 守るべき自我が無いんだなあ~って 分かりましたけど

今 守るべきものが有るとしたら それはここに書き込んでくださる人だけですから ここが建設的なスレになってほしいので

53 :
アセンションへの道

https://blog.goo.ne.jp/wyatt999/e/a64f73a3be4e0598857299cc84b1e196/?cid=ceb54266f9bc111a88b9f4cc20c6a2c7

スリユクテスワの本からの引用

54 :
 スリ・ユクテスワ『聖なる科学』ですね

かなり深い内容なので 理解するにはそれなりの 事前の知識を必要としますが 括弧内の説明を見ながらであれば 何とか理解出来ると思います

世界の現れと 神我の関係性は 禅の悟りを理解する上で 重要なことと感じます

世界の現れは 真我を覆う無知でもあるが それでも神我の現れであって 違い無く一つであると 確り理解できる説明になっています

55 :
この著作は マハアバターババジの命によって 聖書とヨガの関連を明らかにする目的で書かれたものでして

オームの聖音と聖書冒頭の言葉の意味等の 実に興味深いことが書かれています

購入するべき本の一つですね 自分も買う予定です

56 :
クリシュナムルティーの神秘体験も半分まで読み終え、
ワイさんに紹介して頂いて購入した本はすべて読み終えたので、
新たに購入しようと思っているところでした。
候補としては、
Oshoの禅の十牛図、これは安く買えます。
(Oshoの存在の詩は中古で8000円以上もしますwさすがに手が出ませんw)
十牛図というのは初めて知りましたが、興味を持ちました。
OshoのTao老子の道、元々老子の教えははじめて知った頃からとても共感できたので、
老子についてOshoはどのように語っているかも興味あります。

第六身体については紹介して頂いた本によって
ある程度知識は得られたかな、と自分なりに満足しています。
しかしまだまだ学ぶべきこと知るべきことは沢山あると思いますので、
スリユクテスワの本や、魂の科学も読んでみたいです。

恥ずかしながら第五身体に関する本さえ読んだことないレベルです。
ラマナマハルシのサイトによって覚醒体験したとはいえ、
実のところ彼の本さえ読んだことありませんでした。
覚醒体験後に、その体験を知るべく3冊のノンデュアリティー本を買って読んだ程度ですが、
それさえも覚醒後の自分にとってはまったく学ぶべきことはありませんでした。
なので第五身体の真我について詳しく書かれてある本も読んでみたいと思います。
ワイさんとの出会い、そして色々な書物を紹介して頂いたこと、
これは自分の霊的巡礼の人生にとってかけがえのない貴重な瞬間だと思っています。
師を持たず、ずっと自分の興味の赴くまま探究してきました。
あるときは聖書を読み、あるときは老子を読み、あるときはバカヴァットギーターを読むよう導かれました。
そしてもう読むべき書物も学ぶべきこともないだろう、と思っていた矢先、
ワイさんによってまだまだ先があること、知るべきこと学ぶべきことが沢山あることを教えていただきました。
覚醒体験により探求の終わりを感じ、探求をやめようとしていたところ、
道が開けたような感じがし、生きる希望が出ました。

57 :
存在の詩の8000円はボッタクリですね 10連休の時は安売りしてたから その内アマはまた割引セールやるでしょうから その時狙うといいでしょ

しかしあの過疎ってたノンデュアリティー3で 良く出会えましたよね自分等 自分はYahoo掲示板以来のこういう所への書き込みなんですけど

今まで介護でこうい気分じゃなかったんですが 母の一周忌も過ぎて 何となく書き込んだのが連休前でした まあ縁があったんでしょうかねえ?

58 :
『究極の旅』は『存在の詩』に続く第二段としてプラブッタが世に出したものなので 読み応えのある一冊です
特に第3図の見牛では 禅の香りのなんたるかが分かるとおもいます

『永遠の大河 老子4巻』も同じくプラブッタが世に出したものでして 究極の旅に次ぐ第三段として出版された全4巻と言う大作となっていて

特にこの第4巻は 圧巻の内容で 読んでいるだけで広大な宇宙意識が見えるかのようです お薦めの一冊です

こうやって見ると 偶然か知れませんが 三冊ともにプラブッタ訳のOSHO本ですね 日本で最初に翻訳したのが プラブッタこと星川淳氏でして 自分は彼の訳が好きです 文体に最もOSHOらしさを感じられますので

59 :
>>57
自分はずっとここスピリチュアル板に来ていました。
特にワイさんと出会う直前あたり、なぜか無性に気になりここを見るのが楽しく感じられました。
たぶん、自分の体験のことやすべてを知る方がここに到来するのを潜在意識で感じ取り
注意深く観察していたのかもしれません。
ちょうどその頃、守護霊にこの体験の意味を教えてください、と強く願った時期でした。
そしてワイさんとの出会いにより、この体験の意味やこれから進むべき道を示されました。
霊的成長に人生を捧げていた自分にとって、探求の終わりは絶望を意味します。
この1年半は探求の終わりを感じ、ずっと安らかな至福の状態にとどまっていました。
しかしもうすべて探求し終えたので生きる意味もないのでは?とさえ思うようになっていました。
ワイさんにより真我の先に神我があること。
Oshoの七つの身体の本を読み、神我は42歳に起こるとあり、それへ向けて再び霊的成長していこうという希望が出ました。
絶望から希望へ、死から生へ、自分は救われたのです。
ワイさんは、大げさかもしれませんが自分の命を救って頂いた恩人です。
感謝しかありません。
なのでワイさんの言葉や紹介して頂く本は今の自分にとって重要なメッセージがあると感じます。

さっそく究極の旅Osho十牛図を語る、買ってみようと思います。

60 :
そうなんだねきっと 自分は呼ばれたのかも?まあそれも背後と言うか上位のと言うか 霊的神的存在の次元でつながっているからなのでしょうね

自分は19才の時に 真理探究の道に一生をかけると神に誓ったので そこから自分で東京に出てきて 桐山氏の門を叩き多くの先輩かたと出会いました

今はネットで出会えるし 多くこblogも見れて とてつもないスピードで知識の共有化が起きています 少なくとも真我までの 正確な道筋 

明確で正確な 誰もが歩めるノウハウの蓄積が望まれているように思います

確かに伝統の道は有りますが 仏教 チベット密教 ヨガ 禅 上座部仏教 マインドフルネス 様々数えればきりがないほど道は有るのですが 
緻密で微妙で繊細な意識を 誰もが絶対にという精度で実現可能なノウハウは まだ地上に出ていないように思います

問題は 規則的な教育 社会 会社 仕事ということが善であり 何もしない時間は悪であるかのような この条件付けに有ると感じます

インド ミャンマーやタイなどの 僧侶が尊敬の対象になっている国の在り方と日本は違うので 瞑想の為に100日休みますなんてことしたら 人生詰んだも同然的に見られますから

なので 大学在学中に3年の予備行を経て 4年でneo求聞持法のような 100%自我を消して超越可能なテクニックで真我を悟って それから社会へ出れば

自分のようにドロップアウトしなくても良くなる 2chからの訪問者さんの道も 仕事しながらの明確な道と思います 

共通なのは24時間! 問題は そのテンションを持ち続けけれる 動機と意思力が有るかどうか?なんでしょうね たぶんは

61 :
>>60
今の時代はあらゆる情報をネットや本で知ることのできる時代となったので、
師匠やグルを必要とせずに探求し悟りを開くことが可能な時代になったのかもしれませんね。
これからは集団や組織に属さず個人で探求していく、そういう時代になっていくんでしょうか。

たしかに霊的探求のために人は生まれてくるという真理を人類全員が共有していれば、
そのような社会も実現可能かもしれません。
しかしいまだに人類は唯物主義で魂の存在を認めない人がほとんどの状態です。
魂の成長や悟りを開くことよりも、社会的に成功しお金持ちになることを優先する人がほとんどです。
ワイさんの考えは、未来の人類のあるべき姿だと思います。
自分もそういう社会が理想だと思います。
そしてそのような社会になっていくには、地球全体の精神性がさらに高まらなければ難しいと思います。
それまで何百年何千年かかるかわかりませんが、魂は神へ向けて成長しているように、
地球も神なる世界へ向けて成長していると思うので、いつかワイさんの理想とする世界が実現している未来が存在すると思われます。

ワイさんと自分に共通する瞑想法は、たしかに24時間毎日続けるということですね。
もう一つの共通点は、聴覚を使ったサマタ瞑想である、ということでしょうか。
ということは、音を聴く一点集中の瞑想を24時間毎日続けることが、悟るために一番効率的な方法といえるかもしれません。

62 :
ワイさんに瞑想について教えてほしいのですが、
自分は今まで音を聴く瞑想をしていました。
ある一つの音を集中して聴くことで思考が止まり、想念が消え、無心になります。
そして真我が感じられるようになるという感じです。
この瞑想法は覚醒する前までは効果的でした。
思考を静めるための瞑想でした。
覚醒後からは、この瞑想をしてもまったく変化が感じられなくなってしまいました。
というのも自我が消滅し真我となったので、無駄な思考や想念が起こらず、
24時間瞑想状態になってるからだと思うのです。
そこでふと思ったのです。
覚醒者Oshoやラマナやクリシュナムルティーも日々瞑想してたと思うんですが、
どのような瞑想をしていたのだろう?と。
Oshoの本には、第六身体を意識する場合、第六チャクラ第三の目を意識して瞑想するといいと書いてありました。
ヨガ行者の瞑想法は、眼球を上方に向け第三の目を見るようにして瞑想すると読んだことがあります。
そこで思ったんですが、神我を目指す瞑想法は、今までの真我を目指す瞑想法とは違うのではないか?
第六チャクラを意識し神を想いながらの瞑想をするのがいいのでは?と思ったんですが。
そして実際にやってみたのですが、効果はよくわかりませんでした。
何かアドバイス頂ければ幸いです。
ちなみにneo求聞持法は今も毎日続けてますよ。

63 :
https://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/5b2b0244038b6a42a09e914442a52ce4

OSHOといえば、2010年2月13日インドのプーナのパン屋兼カフェ「ジャーマンベーカリー」が爆弾【テロの標的となり】、9人が死亡、約60人が負傷。

通常第三世界の爆弾テロは、現地の一流ホテルが狙われることが多いが、ここはお世辞にも一流ではなく、テーブルも椅子もインド風にとても粗末なところらしい。

ただここはOSHOアシュラムに集まる【弟子たちが立ち寄る場所】として有名だった由。

64 :
間違ってここにテロの貼ってしまいました 失礼\(__)

65 :
『プレアデス星訪問記』 上平剛史 (たま出版)
2009年3月25日発行

宇宙太子「地球人類が滅亡へ向かう根本原因は、社会の基本に貨幣制度を敷き、
競争社会を造っていることです。我々の社会は貨幣経済は存在しません。
貨幣がなくても、『必要な人が、必要な物を、必要な時に、必要な分だけ受けられる社会』
が確立されています。『真に平等で平和な社会』です。従って、地球人類が『真に平等で平和な社会』
を心から願うのであれば、現在の貨幣経済から一日も早く脱却しなければならないでしょう。
法律により競争制になっているのなら、その法律を廃止しなければなりません。我々の社会では、
『万人の人間はすべて平等な生活を営めるものでなければならない』というのが基本です。
『全体に奉仕することで自分も幸せになる』という、『平等の基本』があるのみです。従って、
争いや戦争はありません。」(p60〜p61)

パトリア「地球人類は学問的知識を覚えるのに、専ら暗記力に頼るようですが、我々の社会では
そのような苦労はしません。(中略)脳に記憶を植え付け、脳に知識をレコーディングしていきます。
年齢別のレコ−ディングの種類、量も決められています。その為に、図書館にはあらゆる分野の知識が
詰まったチップが揃っています。チップをレコーディングマシンに嵌めて、知識を脳に流し込んで
やるだけで、物理なら物理の知識が記憶されます。(中略)やがて、普通課程をこなしながら、
得意分野を深く学び、将来はその分野で社会に奉仕するわけです。得意分野には飛び級があり、
自分の能力に合わせて進んでいけます。」(p121)

『ギャラクティックファミリーと地球のめざめ』(ジャーメイン&サーシャ:チャネル リサ・ロイヤル・ホルト)
訳:鏡見沙耶 株ヴォイス 2013年11月25日発行



『プレアデスの経済システムは、「等価システム」と呼ばれている。


例えば、私が水の入ったペットボトルをつくり、ある人は洋服を作るとします。その人が私のところに
来て「水を下さい」と言うと、私はその人に好きなだけ水をあげます。その人は私にお金を払うでしょうか?
お金は存在しないので勿論払いません。ある日、私はドレスが必要になります。私は、その人のところへ行って、
「ドレスを下さい」と言います。その人は喜んで私にドレスを作ってくれます。
何故なら、その人にとってはドレスを作ることが人生最大の喜びだからです。私にとっては、ボトルに水を
詰めることが最大の喜びです。その人は私にドレスを作ってくれましたが、それに対して私はお金を払いません。』(p27〜28)


『プリズム・オブ・リラ(リサ・ロイヤル キース・プリースト共著 星名一美翻訳)』 星雲社 2004年より引用。



「オリオンにおける葛藤の存在を知ると、プレアデス人の内にある、眠れる「龍」がついに目を覚ました。彼らは情熱を感じ、
「生」の実感が再びわき起こったのである。このとき、彼らの魂の内に強い使命感が芽生え、オリオンの紛争解決に向けて、
身を挺することになった。プレアデス人が、オリオンにおける「闇」(訳注ー言語はnegativity。字義的には、「否定性」
または「陰極性」以下略)と戦うことになったのは、この時点からである。こうしてドラマが展開されることになった。
プレアデス人はオリオンの葛藤に様々な形で参加した。彼らの中には、オリオン文明の陰と陽の両極の陣営に直接転生して、
そこでの葛藤の内容を理解しようとした魂もあった。大多数のプレアデスの意識にとって、オリオンに転生することは、
抜け道のない迷路に迷い込むも同然だった。何故なら、オリオンの転生輪廻サイクルに入るのは簡単でも、そこから抜け
出すのは、事実上不可能に近かったからである。」

66 :
「奇跡を起こす 見えないものを見る力」 木村秋則 2011年出版
 扶桑社SPA!文庫2013年出版
(p48〜52)(扶桑社文庫)
 UFOに乗せられて

 ある夜、2階に寝ていた木村氏は窓の外に人間のような2つの人影を認めたが、突然2つの影は室内に入り、木村氏の両脇を抱え、
宇宙船の中に連れて行かれた。操縦室に連れて行かれ、この宇宙船の動力について教えられたということです。

 動力源は、そこで見せられた20p程の三角形の物体(宇宙人はそれをケーと呼ぶ)だという。実際はそれは宇宙船の動力と
しているので、ここに見せられた物体はスペアとの事。

彼等はその物体を小指に載せて渡してくれたのだが、いとも軽そうに持っていたので、こちらも軽いのだろうと人差し指でそれを
受け取ろうとしたところ、落としそうになり両手でも重い物体だったということです。

 彼等はこの物体を使用すれば、一瞬で空間を移動できるということで、900万光年の距離を一瞬で移動できるという。また、
いくら使用してもエネルギーは減ることはなく、永遠に使用可能だということだ。更に興味深い話は続く・・・

 「我々は、子供でも250の元素を使うことができる」と言うのだ。地球人が知っているのは120ほどで、実際に使ってるのは20〜30
に過ぎない」とも言った。

『魂の法則』より引用。

*働くとしたらですが、人びとは何に従事するのですか。

大多数の人は公益のために、教育や科学・テクノロジーの研究に従事し、全地域の全住人の生活レベルを可能な限り改善させ、
個人と集団の霊性進化を促進させようとしている。
第一産業と第二産業、つまり農業と工業で一番負担となる労働は完全に自動化されており、専門家の仕事は生産過程を監督
することとなる。一日の労働時間は君たちの惑星よりもずっと短いが、不快な仕事に就く者も才能が活かされていない者
もいないので、ずっと生産的だ。また、自分の仕事で公共の福祉に貢献するのが皆の喜びなので、他人に食べさせてもら
うような怠け者は一人もいない。
さらに、社会形態自体が製品を宣伝する必要がないので、地球に存在する売買に関わる販売業や広告業などの特定の職業
は存在しない。必要とされるものだけが生産され、もっと多くまたは少なく消費しろとプレッシャーをかけられることもなく、
各人が相応分を取る。
結果として流行は存在しないので、消費の傾向が気ままに変わることはなく、住人の健康や内的・外的な健全性が向上する
より良い製品ができた時だけに変わることになる。余計な活動を取り除けば、個人としても物質的・破壊的で利己主義な
活動に従う必要がなくなるので、世の中は、テクノロジーにおいても霊性においても急速に進歩できるのだ。

*説明を聞く限りでは、地球上の複数の国での共産主義または社会主義の経済システムに似ているようです。

幾つかの点においては確かにそうだ。


*でもこのシステムは、地球では完全な失敗に終わったのです。

社会主義を導入した地上の国々では、暴力でそれを強行し、精神的な概念がなく物質面だけに基づいていたことを考慮すべきだ。
その一見した集団性にも関わらず、実際には、不平等を生み出す基となる各人の我欲が、自己のイデオロギーを他者に押しつける
優勢な階層を出現させていたのだ。
社会主義が本物となり機能するためは、物質面だけでなく精神面でもそうする必要があり、各自が納得して採り入れなければならない。
君たちの世界で起こったように、力づくでの強制によってではいけないのだ。

つまり、各人の心から我欲を根絶して愛に置き換えなければならず、そうして初めて、内面の変化の論理的な結果として、
集団レベルでの物的な変化が自然に現れるのだ。地上の利己的・物質的で無神論な社会主義に対して、これらの世界では
「精神的社会主義」と呼べる生き方をしている。

67 :
*それで、政府のシステムはどのようになっていますか。民主制や共和制や王制などなのでしょうか。

これらの名称ではどれも適切に定義をすることができない。これは、最も進化した者たちの政府なのだ。叡智と愛において
一番能力のある者に、最も責任を与えるのだ。


*地上に、それと似たような政府がありますか。

一番似ているのは、長老会議を行うアメリカンインディアンの部族のものだ。


*統治者はどのように選ばれるのですか。

それは各惑星で異なる。通常は、様々な分野の代表者からなる色々な審議会があって、その中での理事の投票によって調整役を決める。
この調整役は交代制であったり、任期が長期に及ぶなど、惑星により様々だ。

68 :
【禅とマハムドラー】のスレなのに関係ないの書かないでくれよ 名無しさん

69 :
>>62

しかし 思考の被覆が厚く雲のように真我を覆って いかようにも為らない人間が大杉ですね 些かもつかれました

2chはあなたに会えただけで 用は終ったようです Yahoo掲示板の時も思いましたが こう言うところは一寸巡って去った方が良いですね もう少しここだけやったら去る予定です

私は例の掲示板を時々覗くか書き込みますので 連絡有れば来てください 電話番号もあそこに書いて置きます

70 :
わからない人たちですね。
悟って、何がしたいのか?
悟る目的は何なのか?
自己満の為なのか?
悟る人間が増えていくことで、何を志向していくのか?

ここまで言ってもわからないですかね?

71 :
>>62
パラマハンサ・ヨガナンダが書かせた【ババジ】の絵がありますでしょう あれですよね
自分も前はあれにヒントが有ると思っていたし OSHOの言うアジナーへの集中もあって やってみましたが 何か違うんですよ

良く考えてみれば 真我の後は何もするな 只座るだけともOSHOは語っているのですから さてどうすれば?とおもうわけです

確かに音への集中は第4から第5への道すがらでは有効でした
【太乙金華宗旨】という呂祖師の書いた 道教の教本はご存知でしょうか?
それに【目光】【耳光】による《回光》という行が書かれていて 耳光を勧めています 回光を図式化すると以下になります

[1] 真我→→耳→→音源 意識の流れ
            思考・想念をハブル
[2] 真我←←耳←←音源 音の流れ
            既に思考が無い

[1] は あなたがやっていた音に集中する行で
[2] は 禅で 第5に在って何もしないことす

分かるでしょうか? 五井先生の柏手を聞くのも同じことが言えます でも neo求聞持法は少し作用機構が違っています

あれは あなたがやっていた音に集中することと同じものと 祈り言葉による潜在意識の書き換え作業の2つの意味が有るんです

さて戻って ババジのアジナー集中のようなアーサナですが 
あれは第5に至った行者が瞑目で座ると 自然に瞼の中で眼球がアジナー集中の状態になっているんですよ 自然になるんです

つまり 第5に至った行者は 常にハートに意識が在るので シャクティエネルギー(クンダリーニ)は既にアジナーとサハスラーラへ向かって流れていて 改めて意識することが不要なのです

瞑目すれば即 【ハート→アジナー】になっていて 眼球は自然に《クルッ》って上を向いているようになるわけです

故にあのババジのアジナー集中の絵は 分かる者には分かることで 第5に至ればその内に分かることでして あの絵が分かれば あ~自分は神我への秘密を知り得たんだなと 自ら覚るわけです ですから秘伝ですねあれは

72 :
>>70

あなたが ここに来なければ良いだけの話ですよ 分からない人ですね! 見なければ良いんですよ ここを 分かりますか?

73 :
>>72
さっきここを出ると言ってなかったか?
上で挙げたコピペも関係あるから挙げてる。
それでこういう対応しかできないとなると、悟りには程遠いね残念ながらw

74 :
神を想うのは 本山博先生の本にも有りますね パラマハンサ・ヨガナンダも あるヨギの自叙伝で言及されていることです

まあ神を想うと言っても 漠然として雲を掴むような話ですよね どうして良いのか分からない

本山博先の場合は【玉光大神(たまみつおおかみ)】という宇宙創造神を想うことで神我へ至ったし

五井先生は想念の空 つまり完全な想念停止状態で 毎日瞑想していて 自然に上昇して 自己の神体と合一してしまったし

パラマハンサ・ヨガナンダは 事前に宇宙意識のサマディーへ スリ・ユクテスワによって入れてもらってて その感覚を知っていて その上で神の名を思っていたようなことが書いてありますでしょ

インド人はビシュヌとかシバなんていう神を想うけど 我々どの神にも縁が無いものはどうすれば良いの?って話ですよね

まあそれも 時間が解決してくれると思います 存在が教えてくれると思いますので たぶんね

油井真砂 禅尼という曹洞宗の方をご存知でしょうか? スゴい方ですよ 今東光さんに【現代の魔女】と言わしめた方で 玉光神社のお代様に並ぶ イエス張りの奇跡を行った覚者ですけど

その禅尼である油井真砂さんは 当然のこととして 禅ですよ 座るんですが 本は絶版で中古も無いので(国会図書館に所蔵) 

ネット上の情報で見た限りでは 満天の星空の宇宙を心に抱くようにして禅をすると書いています

これは道教の【天書】という本にも載っていましたよ ある段階に至ると 地球意識=地 宇宙意識=天となって 瞑想対象として宇宙が視野に入ってくるらしいんです

まあ まだ未知の領域ですよね だから本山博先生の亡くなったのは残念でならないですよ 会いたかったなあ~

75 :
関係ないの書かないでくれるかなって スレ主のワイが不要言うてるんやで 

もう一度言うんやでえ【あなたの書いたのは ここには関係ないので書かないでえ~~~~~!!】

76 :
>>73

自分でスレ立てなよ ソコで自説をいくらでも書けばええやろ 何でスレッド作れないの?作れよ!!!

77 :
関係あるから書いてんのw

では、悟りの先に何があるのか?答えることはできるのか?

声聞・縁覚さん

弘法大師は宇宙即我を体験したが、常に民衆・社会のことを考えていたよね?

自分だけの悟りを追究していたわけではないってこと。

78 :
【一瞥体験】

http://ad.adpon.jp/cl?_s=53c06c97813c61fa409eb857bca311202cff9725efa3d877026b9770ef43de88&fid=224&mid=34299&pid=3755&uid=ef7e6793-43b6-46da-9007-9200e7474d56

悪いなあ 自分に言ってくれえ ってか他で相手してもらえよ!
何でここなんや ん?

ここが優しそうに見えたんか?寂しいんやなあ あんたも ここは内容が違い過ぎるんやでえ  

おま頭良すぎて ワイらはついて行けんからさ ワイらは凡夫や取るに足らん しかしあんたは頭の良い菩薩様の名無しさんやから ワイらでは相手不足やろからなあ~ せやから

一瞥体験スレもワイの立てたスレやから そっちに移ってくれまいか?どや??

79 :
>>69
ここの掲示板の存在がワイさんの心の負担になってしまっているのかもしれませんね。
関係ないレスもそうですが、もしかしたら自分の質問などにもちゃんと答えようとすることでも、
それも負担となってしまっているのかもしれません。
自分はここでワイさんと出会い、色々な本を教えていただき、
進むべき道、真我や神我、そして瞑想について色々深い知識と智慧のあるアドバイスは
毎回感心させられるとともに、いつも気づきがあり、学びがあり、
とても貴重な時間でした。
そのためさらに知りたいという欲が勝り、どうしてもワイさんに色々尋ねてしまっていたことを反省します。
今回の瞑想のアドバイスも大変参考になりました。
このアドバイスを参考に瞑想してみたいと思います。
自分もワイさんの掲示板のほうをたまに覗くことがあるので、
そちらでもワイさんの智慧のある教えを語って頂ければ、読ませていただきます。
あと電話番号ですが、載せるとイタズラ電話みたいなものが掛かってきたとき、
このことが原因かと気苦労になる可能性がありますので、控えた方がよろしいかと思います。
自分は内向的な性格でして、人様にかける勇気もありませんのでご心配なくw

そしてぜひ無理をなさらず、少し間を置かれ、休まれたほうがいいのではと感じます。
それでは。感謝。ありがとうございました。

80 :
こういうのは東北の祈祷師様がマンツーマンで教えてくれる

81 :
負担と言うものではありません 2chからの来訪者さんとの時間は楽しいものでした 同じ仲間と言うか 目指しているのが同じなので たぶんあなたと出会う為にここに書き込んだんだと思っています
ここはここで禅の真髄を明らかにしたいと思って立てたスレなので その内容に沿ってやって行きたいと 今でも思っています
その意味では 今回の質問と返答はその内容に近づいたもでした 

真我←←耳←←音源 音の流れ             
 ↑        既に思考が無い 
瞑想者の立ち位置

この図で瞑想者の立ち位置は真我です 音は変化して行きますが 瞑想者は空として 不生不滅なわけです ラマが良く使う映画の喩えでのスクリーンですね

この感覚無き感覚を 共有出来ているか?が 自分は知りたいんですよ 
もう一つは この意識の時 呼吸は止まっているのか?です

それで 2chからの来訪者さんの場合はどのような状態にあるでしょうか?
眼球の位置も教えてください 瞑目でハートに在って呼吸が静まり只音が聴こえている時 静かに瞼を上げて見て下さい その時 眼球がどのようになっているか?ですね

自分が興味あるのはこの3点なので あなたの場合どうなっているのか?が知りたいんですよね~

こう言う微妙な事実は 常に二人でのサニワ状態でないと降りて来ないんですよ なので師と弟子の関係性に於いて弟子のレベルが高いと より高度な事実が師によってもたらされると言われていて 

学校でもそうですが 質問のレベルが高く無ければ答えも高くなれない 同じことが言えますね

その意味で 良い質問をいただけたと思っていました 自分の気持ちは 出来ればこのまま 掛け合い的にやれたらと思っていましたので 
去ると言いましたが もう少し何か探れるようなら 続けようかと思い直しているところです

ともかく 上記の三点について 自分以外の瞑想者に於いてはどうなのか?そこですね興味は

82 :
>>80
はっ?
ぷっ、手取り足取り幼児かいな

水を飲むのはあくまで自分やろ

83 :
>>81
>この感覚無き感覚を 共有出来ているか?が 自分は知りたいんですよ 
>もう一つは この意識の時 呼吸は止まっているのか?です
何となくですがたぶんその感覚は感じられていると思います。
瞑想しても変化がないのはこのためだろうと思います。
体験後からはずっとスクリーンとしての意識になっているのだと思われます。
呼吸は意識したことなかったので、どうなんでしょうか。
止まっているのかしているのかは判断しかねます。

今まで瞑想中の自分の眼球がどのようになっているか気にしたことなかったですが、
言われてみれば確かにすこし上方を向いているかもしれません。
さっき瞑想中に瞼を指で持ち上げてみましたが、確かに水平より上方に焦点があるように感じられました。
でも普通に目を閉じた状態でまぶたを持ち上げても少し上方を向いてるような気もしますw
禅の瞑想法を学んだとき、半眼で焦点は少し先の地面をボヤーっと見ると読んだことがあり、
また呼吸によって膨らむお腹の丹田を意識して瞑想するというようなことも読んだ記憶があるので、
瞑想というのは意識を下方に持っていくものだと思い込んでいました。
なのでOshoやヨガ行者の言われるように、意識をアジナチャクラに持っていき瞑想する方法は
もしかすると神我のための瞑想なのでは?と思った次第です。
自分は少しばかり霊視の真似事みたいなことをするのですが、
そういう場合はアジナチャクラを意識して瞑想すると視えたりします。
人の心境を感じる場合はハートチャクラを意識して瞑想します。
なのでOshoの言うようにアジナチャクラを意識して瞑想したところ、
シンクロや予知みたいな現象が増えてしてしまいましたw

84 :
今思い出したのですが 五井先生が歩きながら 想念停止行をしていた時 視線は前方では無くて 斜め上45度を保って空を見ていたそうです

これは 五井先生の自叙伝 『天と地をつなぐもの』に載っていました

想念の空に在って ハートに在るとき 意識は 胸+頭部 眼球は完全に眉間に向いている こんな感じで

ヒバリが空高い位置で鳴いているのや ジェット機の轟音がはるか上空で聴こえる時意識は
【尾骨→腹→胸→眉間→頭頂】と貫いて【天空】にまで在り その先に神我が在るのか?のような

五井先生の場合は上記のような状態でいるとき 
『自分の世界と神の世界が 薄いベール一枚で隔たっているのを感じていた』と言う体験から ほどなくそれを突き破って神我一体に至ったと 確か書いてあったと記憶しています

油井真砂禅尼の 銀河宇宙の広がりを自己と観ずるようなのも 自己からずーっと銀河宇宙まで繋がった感覚を言われたのかもと 今おもいました

この感覚は やり取りの中で 初めて体感できました ババジの眉間凝縮のアーサナの意味も 意識は眉間・頭頂のアジナー・サハスラーラを透過した先の天空の宇宙大の神我へ向いているのかなあ?と

2chからの来訪者さんとのやり取りによって 新たな意識の世界が見えたようです ありがとうございました!!

85 :
>>84
アジナーチャクラから広がる宇宙を感じるように瞑想すれば、
もしかしたら神我へ繋がるかもしれない、ということですね!
実際に神我へ至った方がそのような瞑想を行われていたということは、
何よりの証拠かもしれません。

実はずっと疑問だったんです。
神や宇宙に対応するチャクラはアジナーチャクラや第七の頭頂チャクラなのに、
どうしてどの瞑想法も、呼吸の腹部や丹田を意識して瞑想することを勧めるのか。
これはたぶん危険性があるからだと思うんです。
素人がいきなり第六チャクラを意識した瞑想を行うと、
幽界に干渉してしまい、幻聴や幻覚が起こり精神病のような症状がでる可能性があるため、
瞑想本では、必ず丹田やお腹の第二チャクラを意識し、視線も落とすように指導すると思うのです。
自分やワイさんなどのように覚醒し、第五身体となれば対応する身体は霊体なので
幽界からの干渉が起こらず、安全に第六アジナチャクラを意識した瞑想ができるのでは?と思いました。
なのでOshoは第六身体を意識するならアジナーチャクラを意識した瞑想がいいと七つの身体の本には書いてあり、
神我合一を求めるヨガ行者は眼球を上転させアジナーチャクラを意識した瞑想を行うのでは?
と直観ですが思った次第です。
これが正しいかどうかわかりません。
自分の想像でしかないかもしれません。
でももしかしたらこの直観は正しいかもしれません。
自分は今までこうやって自分の直観を頼りにここまで来、そして悟りを開き覚醒しました。
なのでもしかしたらですが、この方法は神我に至るための可能性があることも捨てきれないと思いました。

86 :
正しいかもですね 薄いベールはラマナマハリシも言ってたように記憶しています?
【外の広がりの世界】は 神我の光(意識)が 根元物質(プラクリティ)に反射した創造の光を 神我=神我の意識がとらえたもの

故に 外から行くと神への信仰となり 内から行くと真我独存=神我となる のでは?つまり内も外も無いので どちらから行っても同じ神我にたどり着くのだと言うことです

ラマナマハリシ曰く
『 ヨガ行者は シャクティエネルギーがアジナー・サハスラーラに上昇すると言うが それは再びハートまで戻って来なければ為らない ハートはアルファでありオメガである 』

結局ラマナマハリシの探求は真我独存であって ラーマクリシュナのような 強烈な信仰で神に行く方法とは 全く異なるものであるとおもいま

87 :
>>82
ゾクチェンやマハームドラーって、グル抜きで有り得るの?

88 :
ふと思ったんですが、キリスト教で神に祈るとき、斜め上を見上げて祈ります。
日蓮宗に入ってた頃も、前方すこし上部にある御本尊を見つめながら題目を唱えます。
神仏を安置するとき、普通目の前の人間の前方上部あたりに置かれます。
つまり、どの宗教も共通して斜め上を見ながら神に祈ったり瞑想したりするという共通点に
今気づきました。
これはもしかすると、アジナーチャクラに意識を向ければ神と繋がるということなのかもしれません。
ヨガ行者がなぜ眼球を上転させながら瞑想を行うのか、
Oshoがなぜ第六身体目指すにはアジナチャクラに瞑想するといいと言われるのか、
点と点が一本の線に繋がりつつあります。
Oshoが奇跡の探求U 七身体の秘儀、にはこう書かれてあります。
「第五身体の至福に満足してそこで探求をやめてしまう探求者が多い。
この至福の中に浸ってはならない。至福ではなく真実を探求しなさい。
探求が真実へ向かえば、第五身体の先へと進んでいける。

究極の実存を理解できるのは、第六身体と第六チャクラからだ。
それゆえブラフマンを探求する者は、両眼の間にあるアジナチャクラの地点に瞑想する。
このチャクラはコズミック体と繋がっている。
このチャクラに完璧に働きかけた人々は、第三の目が観照する広大無辺の広がりを
目の当たりに見ると言い始める。
彼らが今、見渡している宇宙的なものや無限なるものは、この第三の目からのものだ。」

とあります。これワイさんが言っているアジナチャクラから広がる宇宙と同じことかもしれません。

89 :
奇跡の探求U七身体の秘儀にはさらに詳しく色々と書かれてあります。
それを読んでみると、Oshoは第五身体から第六身体へは何もすることができないとは書かれてありませんでした。
むしろこのように、第五身体の至福に留まらずに探求し続けなさい、
第六身体目指して探求すべきだ、とけっこう強い口調で何度も繰り返し言っています。
そしてその方法に触れてある唯一の一文が、
「ブラフマンを探求する者は、両目の間にあるアジナチャクラの地点に瞑想する。」
とだけ書かれてあります。
これ以外に方法が書かれていません。
ということはつまり、この方法のみによって第五身体から第六身体へと進んで行くことができる、
唯一の方法ということでしょうか。

90 :
>>87

それね~確かに師によって導き入れるのが伝統の方法なんだけど ゾクチェンの師が何人も本を書いて その奥義のを明かしているなかで 内容をを理解できるなら 自ら覚るのもありと思うんやが

実際ワイは ティロパの『マハムドラーの詩』を読んで理解することで をれを実践した結果 書かれていることが 自然に起きたので それもありと言って 良いと思っています

91 :
>>88

ワイらの考えと全く同じことが言っていますね これで方向はあっていると言って間違いないですね

本山博先生とOSHOの体験を見ると 個我に神我が流入してくるような表現していますね まあそれはその時分かるので 今から考えても 何の為にも為らないですが

『秘教の心理学』には 第5身体を超えて行くには 内的エネルギーがは アジナーチャクラまで上昇しなくてはならないと有ります 

『奇跡の探求2』ではその表現は【アジナーチャクラに瞑想する】ですか?
他には 何もしないこと つまり禅的な只座るということも 秘教の心理学には書いてあるわけですが 

これは自分の体験から言えることは 何もしないとは【真我のままに只在る】で良いとおもいます

ただそう在るとき 自然にアジナーチャクラの方を見ている状態になるので アジナーチャクラに集中することでも無くて 眼球を意識して寄り目にして上を向くことでも無く もしそうなら それは意図した行為になってしまうので 何もしないとは相容れないものになります

でも自然に 斜め上に視線をやるくらいは 意図した行為とは言えないくらいのことなので有りとおもいます

92 :
探求というのはそうですよね 第6身体までは道があるわけですですから 
ただ第5からは ノウハウは役に立たないと『秘教の心理学』にあるので アジナーチャクラに瞑想するにしても 意図した行為としての方法ではない 瞑想でないと 第5を超えられないことになります

なかなか難しい表現にならざるを得ませんね

93 :
いや独学は普通に無理よ
危険だし
しかも実践してるのは禅定だけ?

94 :
マハムドラーの詩
http://www.magic-theater.org/staff/kaori/freaks-gallery/mahamdra.htm

真言、波羅蜜多の行経文、訓戒の示すところ宗門、聖典の教えも甚深の真理の実現をもたらすことなし 

欲望に満たされし心の目標を追わざるを得ざれば そはただ光を隠すのみなるがゆえに

禅宗は座禅によって 本心見性して悟りとしているんだわ それはティロパのマハムドラーの詩にもあるし

聞かれたから言うけど
ワイは 先ず聖書から入って 真言密教の【大白身法千座行】を千座満願したあと 五井先生の教えを受けて世界平和の祈り行をやり その後OSHOに直接会ってサニャースを受けた その時シャクティpatと修業の方針も頂いて それに沿ってやって来たんやわ

その言葉は 『誰にも従うな 追従者に為らず独り歩め ユニークであれ』って言われたんだわ だから独自やでワイは

ってか ここは禅とマハムドラーに特化したスレとして立てたんですが 取りあえずそれ以外は別なスレでやりましょう

>>93 が禅以外を語りたいなら 別スレ立ててやろうか ど~や?

95 :
>>91
秘境の心理学には、第六身体へ至るには、禅的な瞑想すらなすべきことはないとあるんですか。
奇跡の探求2には、ブラフマン目指すにはアジナチャクラに瞑想する、と書いてあるので、
矛盾してますね。解釈の仕方によってもあれですが。
しかしこの矛盾はちょっとモヤモヤしますね。
自分の目で実際に読んで確かめたいので、秘境の心理学をAmazonで注文しましたw
第五身体目指すまでは、多くの道が示されており、方法や体験も数多くありました。
しかし第六身体目指すことは、未知の領域です。
そこを我々は目指そうとしています。第五身体から第六身体へという、まだ誰も登ったことのない山を登ろうとしています。
そのためには用意周到な準備と知識を身につけることが重要になってくると思います。
何もせず第五の至福に留まり続けていれば、そこで霊的成長は止まってしまいます。
そのため第五から抜けるために何度もの生を必要とすることもあると、Oshoは言っています。
なのでこの至福に留まっていてはいけない。至福を捨て去り真実をさらに探求すべきだと強く言っています。
そのためにできることは、まず探究心を持つこと。
自分は第四身体の超能力が出だしたころ、実は特別なトレーニングや瞑想をしたことがありませんでした。
ただ、そういう能力が使えることに憧れはずっとありました。その憧れを持ち続けていたら使えるようになりました。
第六身体目指すことも同じことで、探求をやめずに探究心を持ち続けること、
神との合一を求め続けること、神我になりたいという思いを持ち続けること、
キリストの言う叩けよさらば開かれん、ということではないでしょうか。
そしてそのためにできることは、瞑想。
それもアジナーチャクラを意識した瞑想。
今のところはこの二つしか自力でできることはありません。
あとは機が熟せば、神は我々の元へ降りてきてくてるのでしょうか。
それまで、辛抱強く神との合一を求めることが必要になってくるのでしょうか。
神我は35歳から42歳までに発達するとあるので、
自分は今36歳なのでまだ神我の芽が出はじめた状態でしかないかもしれません。
なのでいくら神を求めても、アジナーチャクラに瞑想しても、神我は感じられないかもしれません。
しかしそれを続けていれば、42歳で完全に神我が熟したとき、神は降りてきてくてるかもしれません。
その希望を持って探求し続けていこうと思いました。

96 :
ちょと伝わらなかったかな 2つ言っていますね 

[1] 意識は 第4身体までは外から内の動きだが 第5身体へは下から上の動きになる それはアジナーチャクラに向かって上昇しなくてはならない

[2] 第4身体までは 瞑想テクニックが通用するが 第5身体へは テクニックは使えない 只座る禅が役にたつ

『秘教の心理学』にこの2つが書かれていると言うことですね 詳しくはまた後で正確な表現で記したいと思います

97 :
ババジのクリヤヨガでは 明確にアジナーへの集中することを言っていますね

本山博先生が本で言っているのは プルシャ(神我意識)は こちらから向かうことは出来ず 必ず無心の状態の自己へ 流入と言う形でプルシャの方からやって来ると

その場合 大きな力なので 最初は意識を失うトランス状態になるが 慣れると意識的に神我意識になれると言っています

98 :
>>>95
完全に神我が熟したとき、神は降りてきてくてるかもしれません。

そうだと思います 本山博先生もOSHOも 神(プルシャ)の方からやって来なければならないで一致していますね

自分は27~63までは 全くと言って良いほどに 一切瞑想的なことをしませんでした

にも関わらず 21才に至った無心が壊されることは無かったです それで2年前に座り始めたら 

何もしてなくても ひとりでに瞑想が起こるし 27前より変な話ですが 無をより深く体現し その状態が何であるのかを明確に理解出来ているようです

本当に何もしてなくても 只座っているだけで 多くのことが起きてきます 

アジナーへの眼球クルンも 無心の状態で在ると そのままクルンっとなってしまうので アジナーへ集中しようと言う気持ちが無くとも 自動的に起こると信じて良いとおもいます

只 21で無心が起こった後に 『秘教の心理学』が1994年初版なので それよりも以前に 何かのOSHOの本に書いてあったのを読んだのか?もしかしたら『究極の旅』の何処かか分かりませんが ブラフマンへは【何もしないで座るだけ】と知っていて そのようにしていました

その結果 プルシャの流入を一回だけ体験しました それがOSHOの言う【無の爆発】だと 自分では思っているのですが

実際は第6身体に完全に目覚めないと 分からないんでしょうけど なので 探求心は何もしてなくても 継続して有ったと言えます

99 :
今 秘教の心理学を見直ししたら 
【第4身体から第5身体へ行く時に上方を見る アジュナーチャクラを見る】となっていますね~

それで第5から第6身体へ行くのには ノーメソッド・ノーテクニックだと 一寸『奇跡の探求2』と違ってきますかね?

100 :
『秘教の心理学』第7章 7つの身体の超越 P167

『 第5身体以降で、あなたはさらに別の領域、別の次元へと入ってゆく。

第1身体から第4身体までは、その移行は外から内へのもの、第4身体から第5身体では下方から上方へのもの、そして第5身体からは【自我(エゴ)から無我】へのものだ。いまや次元が異なっている。
内と外の問題、上方と下方の問題は存在しない。問題は “我"と“非我"のものだ。問題はいまや次元が異なっている。』

第5身体でも以前として【我】つまり自我であると言っていますね 実はこれは本山博先生の本にも書いてありまして

本山先生は 第5身体をカラーナ身体(サーンキャ哲学の用語)として カラーナ身体は 純白な身体ではあるが まだ《魔》的な存在になる可能性が残っている と

これはハートの【アーナンド・シャーリラ】の構造を理解すると分かるとおもいます
以前にも書きましたが 真我に至ったと言えども 今だ【我執=アハンカーラ】に収まる 無想念の鏡のようになった【心素】に映った【真我の姿】を真我が《見せられている》状態であって

【真我独存】=神我になったものでは無いと言うことなんです ゆえにOSHOの言う【我】とは《心素を内包した我執=アハンカーラ》のことを言っていて 

この《我執=アハンカーラ》が消えないと非我に至ることはできない これは本山博先生でも同じで 更に神智学の『コーザル体』にもはっきり書いて有りました


100〜のスレッドの続きを読む
☆スピリチュアルのおすすめ本☆
1001のAAが見たい
酔いどれスピリチュアル〜おかわり10杯目
アインスト・シュヴィツア人形達のワルツ
1日1回、白蛇様を拝んで願いをかなえよう 5
運気が上がった待受画像をうpするスレ17
亞羅さま。。。
すごいこと思いついたった2
エンジェルナンバー 妖精からのメッセージ
【666】こっくりさんについて【狐狗狸】
--------------------
【陽性】梅雨総合スレッド8【陰性】
急募:FKHR算講習受講済みの方
ゲーム実況者とかキモいんだけどあれなんなん?
自殺したいと思ってるから最後にデートしたい
安倍が嫌なのはわかったんだが、誰ならいいんだよ管?鳩山? [739098485]
日本工学院八王子校ゲームクリエイター科
【歌手】61歳八神純子「継続は力なり」3オクターブ健在
MMORPG開発者、ついに真理に到達「プレイヤーはレベル上げ以外に関心がない亅
知能の低い無教養ほど『経済学』をバカにするのわ、なんで? 社会科学の王さまなのに [324064431]
CR中森明菜 歌姫伝説〜情熱EDITION&あつ菜EDITION〜Part14
◆輸入トラック比で国産トラックのダサさは異常w◆
【PV】ガストのテレビ【ジェンガ】
クリソベリル強すぎワロタwwwww
【努力】とにかく痩せよう、スレ その89【努力】
LAVA休会退会したい人
JFN-38 FM stations 2493
【WILLCOM→Y!mobile】AH-K3001〜京セラ端末総合1207
【GBC】ゼルダの伝説 ふしぎの木の実【大地時空】
小山ひな子サンをデマ誹謗中傷した書込とスレッドを正すスレ涙2粒
須田「立民・吉田統彦氏は、眼科医団体から毎年政治献金を受け取ってる。これ贈収賄」「どこも報道しない」 ネット「立憲は犯罪者ばかり
TOP カテ一覧 スレ一覧 100〜終まで 2ch元 削除依頼