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天理教の基本 5の理


1 :2019/07/21 〜 最終レス :2019/09/28
宗旨の意味は 国語辞典では@ ある宗教・宗派の教義の中心となる趣旨。である。
天理王命と称するは、一つの宗旨(しゅうし)である。天理王命と 元一つ称するは、天の月日である。元一つ始めるは 女一人である。元よく聞いてくれ。
〔おさしづ 明治21.7.31〕

天理教の基本は、中山みき様のお名前が天理王命であることを基本教理とする。

2 :
天理教は天理王命の神名で神を呼び出す。
天理王命というは、五十年前より誠の理である。
こゝ(ここ)に一つの處(ところ)、天理王命という原因は、元無い人間拵えた神一条である。
元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。何處其處(どこそこ)で 誰それという者でない。
ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。
それ だめの教(教え)を説くという處(ところ)の理を聞き分け。
何處(どこ)へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の處(ところ)入り込んで理を弘める處(ところ)、よう聞き分けてくれ。
〔おさしづ 明治21.1.8〕

3 :
処の理
場所という処の理は「ぢば」の理。入りこんでという場所の理は「女一人・中山みき」。
ぢばに神名を付けた「天理王命」とは、「五十年前より誠の理である。」
誠とは音では「まこと」、正しくは「まこと」とは表記なら「真」「真実」と書くべきの理。
「五十年前より真実の理」「五十年前より真の理」と、
この世のまことは「中山みき」。この世の真は「中山みき」。天理王命とは中山みきです。

中山みきを神として呼び出す。それが天理教の宗旨であり教えの根本です。

4 :
女の處(ところ)入り込んで理を弘める處(ところ)
入りこまれたのは「月日」で、月とは「月様・くにとこたち」、日とは「日様・をもたり」
月日両親が入り込まれたのは、「元無い人間拵えた神一条」〔おさしづ 明治21.1.8〕を原因とします処の、
中山みき様です。天理王命は月日の神の館、やしろで、百章女一人を呼びます。

月様とは仏法で言う「お釈迦様」、日様とは西洋の神話で言う「太陽神」。
お釈迦様の誕生日は「4月8日」。中山みきの誕生日は「4月18日」。
太陽神の祭日は「12月25日」、天理王命の祭日は「1月26日」です。

5 :
中山みきは、月日の入り込まれた親神の顕現として、実数において、順序の理を示しておられます。
言葉一つが神であり、まずはじめに言葉ありきを神の基本とします。神名があって神です。
西洋の太陽神を起源とする宗教の中にインドの宗教があり、転輪聖王の神名で太陽神は呼ばれた。
転輪聖王(てんりんじょうおう、転輪王とも)は古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。
仏典の記述によれば、転輪聖王の概念とは大雑把に以下のようなものであった。

世界は繁栄と衰退の循環を繰り返し、繁栄の時には人間の寿命は8万年であるが、人間の徳が失われるにつれて寿命は短くなり、
全ての善が失われた暗黒の時代には10年となる。
その後、人間の徳は回復し、再び8万年の寿命がある繁栄の時代を迎える。
転輪聖王が出るのはこの繁栄の時代であり、彼は前世における善行の結果転輪聖王として現れる。
仏陀と同じ32の瑞相を持ち、4つの海に至るまでの大地を武力を用いる事無く、法の力を持って征服する。

8と4の数理が転輪聖王の教えの数理である。このように、神名と数理は普遍の真理として言葉で示されます。

6 :
武力・法力というのは、4の理(つきよみ)で、繁栄というのは。8の理(おおとのべ).
転輪聖王は仏陀と同じ32の瑞相を持ち、4つの海に至るまでの大地を武力を用いる事無く、法の力を持って征服する。
「てんりんおう」と天理王は名のごとく根を同一とし、ダルマ(法)で統治する神です。

太陽神の教えは人間の「徳」と寿命の関係を明示していて、
「繁栄の時には人間の寿命は8万年であるが、人間の徳が失われるにつれて寿命は短くなり、
全ての善が失われた暗黒の時代には10年となる。」と示している。

「徳」については、転輪聖王は四種の神徳を持つと言うと、宗教家は理解していた。
それは具体的な「徳」そのものであって、
美貌
長寿
少病少悩
バラモン・ガハパティ(神と神の使徒)からの敬愛と彼らに対する慈愛

そして太陽神は、人間の徳が失われるにつれて寿命は短くを説いていた。

7 :
太陽神は「徳」を説き、「徳」と「命」の因果を説く。
ユダヤ教では死の世界はない。生の世界においての天国と地獄は説かれている。

ユダヤ教では唯一神のヤハウェを説き、この名はヘブライ語の4つの子音文字で構成される。
教えでは一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在しない。
最後の審判の時にすべての魂が復活し、現世で善行(貧者の救済など)を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、
悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられている。つまり死はない。死後の世界は説かれていない。

カバラ神学では、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神はすべての生命に内在し、
ただ唯一神様は永遠の魂(命の木)である。
個体が善悪を分かち、銘々の記憶は神様へ帰っている。
神様はただ記憶を収集し、善悪を分かたない。神様では、善の記憶が再創造の素材になり、悪の記憶がなくなる。

カバラではそのような寓話がある
:毎年贖罪の日ではすべての生命は死んで、生き返り、悪もなくなる。
(あるいは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間にすべての生命は死んで、記憶が神様へ帰った。贖罪の日から光の祭りまでの間に神様は再創造し、善の記憶がすべての生命へ帰った。)死亡はただ贖罪の日と同じである。

中山みきは「一日が生涯」と教え、同一の死生観を示している。生まれ変わりは直行の現世へである。
ガバラ式にいうなら、毎日が「贖罪の日」。毎日が「最後の審判」と、中山みきは説く。
出直すたびに悪の記憶は消えて、悪の因果は神に清められるという意味である。

8 :
太陽神とは古事記では、天照大神(あまてらすおおかみ)である。
または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。 女神と解釈され、高天原(たかあまのはら)を統べる主宰神で、皇祖神にして日本国民の総氏神であるとされる。
『 記紀』において、アマテラスは太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。
古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れ ... このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した.

神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名。
中山みきは、お筆先に
「 いざなぎといざなみいとが一の神  これてしよこの大じんくゝなり   (六 52)」と理を知らせている。
伊勢神宮が存在することを、
これが、天照の実例としてお筆先に知らされている処です。

伊勢神宮の死生観は「よみの国」で、蘇りは、よみがえりは不浄と説きます。
生きてあるもののために天照は慈愛を注がれたと理解されます。

9 :
繁栄のとき、人の寿命は長寿となる。転輪聖王の説かれたダルマ(法)。
世界は繁栄と衰退の循環を繰り返し、繁栄の時には人間の寿命は8万年である。

繁栄を約束された楽園を7の理で追放されて人には、永遠の生命はあるが、最後の審判を迎えて、天国と地獄に行くみちは分かれる。
生めよ増やせよ、地に満てよと、ヤハウエの神に守護されて、

繁栄のときとは、中山みきは「ほうねん」と教えられた。天理王命は「ほうねん」の神。
西洋神も豊年を説かれています。「生めよ、増やせよ。地に満てよ」と。

10 :
モーゼは、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる紀元前16世紀または紀元前13世紀ごろ活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者です。

『詩篇』90編10〜12節に、モーセのこのような祈りの言葉があります。

人生の年月は七十年程のものです。
健やかな人が八十年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
御怒りの力を誰が知りえましょうか。
あなたを畏れ敬うにつれて
あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。
知恵ある心を得ることができますように。

11 :
モーゼによれば、紀元前16世紀または紀元前13世紀ごろ、人の寿命は70年ほどでありました。
健やかな人が80歳を過ぎても、
「得るところは労苦と災いにすぎません。」と、嘆いています。

平均寿命が70.80年となった現代。モーゼの嘆きは、まさに今の時代です。

神が怒っていると、モーゼはお悟りになっています。そして知恵ある心を得たいと祈ります。

瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。御怒りの力を誰が知りえましょうか。
あなたを畏れ敬うにつれて あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。

太陽神の流れにある転輪聖王は、「人間の徳が失われるにつれて寿命は短くなり、
全ての善が失われた暗黒の時代には10年となる。」と示されています。
天照の世界観は生きてあるこの世の天照であり、死後は黄泉。

たしかに、人間が生涯の日を、正しく数えられたら、世界の争いは消えます。

このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち (6-4)
上たるの火と水とをわけたなら ひとりをさまるよふきづくめに (6-5)

それが天理教の基本であるから、数える数字は実数でなければなりません。
イエスキリストの数字は10であり13であり、天理王の数字は10であり、13である。
それが天理教の基本です。

12 :
 お釈迦さまは二千五百年前、四月八日
ヒマラヤ山麓の釈迦族の国の花咲くルンビニ園にて御誕生されました。
天の龍王はお釈迦さまのご誕生を祝して、甘露の法雨を降らして玉体を洗いました。
 体を清められましたお釈迦さまは東西南北に七歩歩いて
右手で天を指し、左手で地を指し、『天上天下 唯我独尊』と言われました。
花咲くルンビニ園が花御堂であり、甘露の法雨が産湯の甘茶であります。
https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/series/201104

仏教では、仏教で、生(しょう)・老・病・死の四苦に、
愛別離苦・怨憎会(おんぞうえ)苦・求不得(ぐふとく)苦・五陰盛(ごおんじょう)苦の四苦を加えた言葉。
四苦八苦と説きますが、4、8の数理を守護する太陽神転輪聖王、大陰神であるお釈迦様の教えとは、
四苦八苦からの救済ということのなります。

13 :
なるほど天理ってそういう意味だったんですね。
ありがとうございます。

14 :
よい宗教に縁が出来た人は 本当に幸せだ。

15 :
万教帰一(ばんきょうきいつ)とは、すべての宗教は一つに帰するという概念で、主に新宗教で使われが、
大本教は万教同根を主張、「根」は弥勒(みろく)と説く。
 宗教はみろくの世になれば無用のものであって、宗教が世界から全廃されるときが来なければ駄目なのである。
 主義・精神が第一であって、大本であろうと何であろうと、名は少しも必要ではないのである 」(大正13年「宗教不要の理想へ」−『神の国』)
 みろくの世とは、お釈迦様の予言にある世の事で、6・6・6はみろくを示し、
弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、
ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。
 4月18日の18日は6・6・6のみろくの日である。

16 :
天理王命はお釈迦様を月さまと説く。お釈迦様は死語を予言した。
末法思想には、正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、
次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、
その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観があり、『大集経』(正式名『大方等大集経』)には
「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、
次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固、
次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とあり、2500年を法滅までの期間としている。
釈迦の存命期間とされるのは紀元前463―前383年など説があるが、
日本では1052年(永承7年)は末法元年とされ、紀元前448年が釈迦の滅とされる。
448年滅は、数理として釈尊の4月8日誕生に一致し、正説であると基本的にみなす。
末法の世の、あるいは法滅のときかに、弥勒菩薩の降臨はお釈迦様が説かれていて、56憶7千年後と予言されている。

17 :
天理教教団は、教えについて、だめの教えと説いています。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/rikkyo/
【だめの教え】 だめとは、だめ押しの略で、元来は囲碁いごの用語。勝負を確定する局面を指すところから、総仕上げ、最終的、究極的の意味で用いられています。
『天理教教典』には「十のものなら九まで教え、なお、明かされなかった最後だめの一点、元の親を知らして」とあるように、本教は、人間創造の元の神が付けられた陽気ぐらしへのたすけ一条の道であることが記されています。
したがって他宗の教えも、親神様がその時・所に応じて現された修理肥しゅうりこえの教えであり、敬意を払うよう教えられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、この説の根拠として、おさしづを示していますが、天理教団は誤読しています。
「元聞き分けて貰もらいたい。何処どこ其処そこで誰だれそれという者でない。ほん何なんでもない百姓家ひゃくしょうやの者,何なんにも知らん女一人いちにん。何なんでもない者や。それだめの教おしえを説くという処ところの理を聞き分け」(おさしづ 明治21年1月8日)

18 :
おふでさき6号には、月日、いかなる神、どのよな神との表記があります。
009 このよふの月日の心しんぢつを しりたるものわさらにあるまい
010 これまでハいかなる神とゆうたとて めゑにみへんとゆうていたなり
011 このたびわとのよな神もしんぢつに あらハれだしてはなしするなり
 月日とは、月様はお釈迦様、日様は太陽神ですが、お釈迦様も太陽神も神として個別の名称で唱えられていません。転輪聖王というような神名はお持ちでなく、月様、日様は、よろづよの神とは別格な元の親神であります。
 6号11にありますように、月日様が、このたびは、どのような神も真実に現れ出して、話をするといわれています。
 天理王命の神はどのような神のうちのお一人であって、天理王命は当然ですが月日ではありません。月日の社として、月日の心で百姓女の人間の口から、だめの教えを説かれた。天理教の宗旨、おしえの旨は中山みきが天理王命であるという一点にありますが、
お釈迦様の教え、旧約聖書の教え、新約聖書の教え、バラモン教の教えなどなどの言い残しを、ダメ押しされた教えが天理教であり、また、神仏の教えの行われない人の世にダメだしをされた教えでもあります。

19 :
天理教団は、「したがって他宗の教えも、親神様がその時・所に応じて現された修理肥しゅうりこえの教えであり、」と、
「敬意を払うよう教えられています」と解説していますが、お釈迦様の教え、神道の教え、ヤハウエの神の教えなどは月日の教えであるというのが本質であり、
「本質的に月日の教え」だと理解しないところが、ダメなのです。

「処の理」についても天理教団は曖昧にして解釈していますが、神意に反します。
おふでさき6号には、それが明示されています。
6号十二月廿一日よりはなし
055 このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり
056 月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから
057 しんぢつに月日の心をもうにわ めへ/\のやしろもろた事なら
058 それよりもぢうよぢざいにいつなりと をもうまゝなるはなしゝよもの
 社というのは神のお住まいの場所ですが、めいめいの社もある。
 月日の心はめいめいの社を貰いたい。
 つまり、イエス様もモーゼ様も月日の社であって、月日がお住まいになり真理をお説きになった。親鸞聖人も日蓮上人も、胸に月日がお住まいになって真理をお説きになったのであり、天理王命もそのお一人に過ぎない。
 教典が引用していますお筆先の、理の責めは、
 いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や  一二 67
 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている 一二 68
 をやである中山みきにも、子である一列人間にも同様にあてはまる理の責めとなっておりますから、教祖のみが月日の社であるという理の狭さには無理があります。
 ただ、ぢばというところの理が、人間の故郷の理が、唯一である天理教の証拠、証明です。

20 :
天理教の宗旨は「天理王命が中山みきである」。この一点に尽きています。
 しかし二代真柱は神殿において「親神様」「教祖様」「御霊様」の3殿を教会には用意させています。
 三つを拝礼せよという教義は天理王命の教えだから、それは神の理を形で分けてのことです。
「親神様」=月日様、「おやさま」=天理王命様、「御霊様」=それぞれの神の社の方々と、目に見えて分かれていて、いずれにも拝をさせています。
天理王命とは「世界一れつをたすけるために天降つた」月日様の社のことで、世界一列をたすけるために天下ったのは月日様です。
天理教の宗旨は、具体的には、
「月日の社として中山みきが天理王命となり教えた世界一列たすけ」です。

21 :
さあ/\ろっくの地にする。
【明治二十年二月十八日(陰暦正月二十六日)午後】
天理王命は明治20年2月18日に、肉体的には死亡した。
4月18日誕生で2月18日死亡、18日 6・6・6で みろくの理である。
 ろっくの地にするは「みろくのじにする」の理の意味である。

さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで。さあ/\扉を開いて/\、一列ろくぢ。さあろくぢに踏み出す。さあ/\扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうか/\。
【明治二十年二月十七日(陰暦正月二十五日)夜】
 月日の社である中山みきの扉を開いて「じをならそうか」、扉を閉まりて「じをならそうか」と音で言えば「じをならそうか」と月日は問うている。

 人間は扉開いてと願い、「さあさあろっくのじにする」と月日は応じた。
 弥勒の時にする、弥勒の地にする、ろっくの地にするは「みろくのじにする」の理の意味である。

22 :
天理教のたすけとは、不老であり、病まず死なずに弱りなき世にである。
 天理教典に引用されたお筆先はそれを示している。
 しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ   三 99
 このたすけ百十五才ぢよみよと さだめつけたい神の一ぢよ      三 100
  そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ  四 37
  またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや 四 38

 甘露を受ける台を甘露台と呼び、天理教団は、石、または木の台を説いているが、甘露台とは人間であって、
木でも石でもない。それはひながたの台であって、天の与えである甘露は、中山みきに授けられ、
中山みき、すなわち天理王命からめいめいに渡される。
 中山みき(天理王命)が甘露台であるということは、お筆先のそこかしこに書かれている。
 たとえば、「しんぢつの心月日がみさだめて 天よりわたすあたゑなるのわ (10-1)」の筆先10号には「このたいをどふゆう事にをもうかな」のあとに、「これにいほんのをやであるぞや (10-22)」と明記されている。
「をや」とはおやさま、天理王命のことである。

23 :
【釈迦入滅の56億7千万年後に救世主(弥勒菩薩)が現れ衆生を救済する予言。】があります。仏に救われる=弥勒(ミロク)の世と言う概念で、数理で示されています。
 数字で三・六・九、や 五・六・七 なのです。666・18の数理。
5・6・7で18はミロクの数理です。
 56億7千万と言う数字は、弥勒出現時の人類の人口の数と言われます。
 元の理で言う9億99999年はろっく。その子数は9億99999人です。
子数と子の成人年齢は一致しているというのが天理の基本です。

 子数が56億7千万人とは、1998年には公式カウントでおよそ60億人の人口ですから予言のときは1997年には到来していることになります。

 1990年4月18日は中山みき生誕200年です。
弥勒菩薩の登場の予言のときは、天理教の教えと深くかかわりがある。基本とします。

24 :
1887年中山みき死亡。
扉を開いて後99年たって1987年には、世界人口が50億人に到達したと推計される1987年7月11日を記念して、国連人口基金ではこの日を「世界人口デー」と1989年に制定しています。

予言はもともとは25年を縮めていませんから、1912年が基準です。
それなら後99年たっては、2012年となりますが、実際は25年縮めた。
 扉を開いて後99年たっての1987年には、世界人口が50億人に到達したと推計される1987年7月11日を記念して、国連人口基金ではこの日を「世界人口デー」と1989年に制定しています。
宿しこまれた子数というなら、1987年、1988年頃には弥勒再臨の予言の人口数に到達していたでしょう。
 「九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、」と天理教元の理は99を示す。

25 :
天理教の基本は元の理を基本としますが、説いたお方は天理王命。
説かせたのは月日さま。
それは999999、ろっくの理で、旬刻限が満ちてのことです。
666はみろく、999999はろっく。
月日は甘露台を立てよという教えを説いたが、甘露台とは、中山みきのこと。
中山みきは月日の社だが、その道具もまた銘銘の社を提供しなければ、この世に甘露台は建立できない。
 世界をたすけるには、おやさまを親神として立てる集団が、
10人、36人、75人と人数がいる。
 おやさまの元は、月日があり、月様、お釈迦様がおられる。
 しかし再臨のみろくとはいかなるものかを知らなければ、これまでのお釈迦様の予言の、ダメ押しができないわけで、天理王命は教えておられるが、天理教団はまだ理解が届いていません。
 みろく登場の予言は中山みきの生誕の予言となっている事実があります。

26 :
『大集経』に説かれた五箇の五百歳(2500年)は、当然ですが、史実と合致している。
「大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。
所謂我が滅度の後の五百歳の中には・・・・・ 以下の予言は「未来の時」を定めております。
 史実に確認しますと、予言は実現しています。
第一の500年 解脱堅固…インドにおいて伽葉・阿難等が小乗教を弘めた。
第二の500年 禅定堅固…インドにおいて竜樹・天親等が大乗教を弘めた。
 舞台は中国に、後漢の永平10年(67年)明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話が、
 また『後漢書』には仏教信仰に関する記録がある。
 中国仏教は、古訳時代  仏教伝来 紀元前後  漢、三国時代
       旧訳時代  仏図澄・鳩摩羅什  4世紀   南北朝時代
       新訳時代  玄奘         7世紀   隋・唐
 と、時代で分けられるが、末法思想は法華経と深くかかわっている。
第三の500年 読誦多聞堅固…中国、天台大師(智)が法華経を弘めた。
 隋(581〜618年)の初期に法華経、天台大師智(538〜597年)の天台宗が起き、 後の日本天台宗・最澄、法華宗・日蓮を生んだ末法法華経の信仰のルーツです。
  聖徳太子の建立(593)の四天王寺には弥勒菩薩像があります。
第四の500年 多造塔寺堅固…平等院鳳凰堂1053年の建立です。
                 以後、多くの寺塔が建立。
 伝教大師(最澄)が日本の仏教を統一し大乗戒壇を建てた。
 最澄(767または766〜822年)は『法華経』を根本として天台宗を開きます。
第五の500年 闘諍堅固・白法隠没…釈迦の仏法が滅尽する。
日本では『末法燈明記』では1052年(永承7年)に末法に入ったとされたます。

釈迦(月さま)の予言は、まず天竺(インド)1000年、次に唐(中国)500年、1500年を経て、
人間の故郷であるにほんにおいて、1052年に末法に入ったと、ここまでも史実です。
そこからも、史実確認できます。

27 :
史実としての釈迦の予言の確認をしつつですが、思想としての釈迦の予言を、
最澄、末法灯明記にて確認しますと、
http://horakuji.com/lecture/nippon/mappoutoumyouki/yakubun.htm
末法には末法の教えの守り方があるということで、僧兵の乱暴狼藉も末法の僧侶の姿と、
最澄はみなしていました。
問答があります。
聞こう。正法・像法・末法における僧侶たちの有様について、すでに諸々の経典に説かれていることは確認した。
では末法における「名字の比丘」を、世間の真の宝とすることは、どの聖典に根拠があるというのか。

答えよう。『大集経』第九巻にこう説かれている。
「例えば本物の黄金を無上の宝とするようなものである。
 もし本物の黄金が無ければ、銀をもって至上の宝とする。もし銀が無ければ、真鍮や偽物の宝をもって至上の宝とする。
 もし偽物の宝も無ければ、赤白色の銅や鉄、白銅・鉛・錫を、至上の宝とする。
このように、ありとあらゆる世間では、仏法は至上の宝である。
 もし仏法が無ければ、縁覚の教えが無上の宝である。
 もし縁覚の教えが無ければ、阿羅漢の教えが無上の宝である。
もし阿羅漢の教えも無ければ、その他の賢者・聖衆をもって、無上の宝とする。
 もしその他の賢者・聖衆も無ければ、冥想によって平安への入り口の境地に至った凡夫をして、無上の宝とする。
もしそのような凡夫もいなければ、戒律の規定を厳に保つ者をして、無上の宝とする。
 もし戒律の規定を厳に保つ者が無ければ、破戒の比丘をもって、無上の宝とする。
もし破戒の比丘すら無ければ、ヒゲと髪を剃り、身に袈裟をまとうだけの、名ばかりの比丘を、無上の宝とする。
 仏教以外の九十五種の思想家・宗教者と比較したならば、最上の存在である。まさに世間からの供養を受け、福田となるであろう。
 なんとなれば、出家者と言いながらまったく形ばかり・名ばかりであるというその存在自体が、生きとし生けるものから怖れられるものだからである。
もし後援し支援し大切にすることがあれば、その人はそう遠くない将来、「無生法忍[むしょうほうにん]」という境地に至ることが出来るだろう」と。

 つまり、宗教家と認定された出家者ではない、俗物でも、末法では、それが正しい宗教家なのだと、説かれている。

28 :
末法は1052年に開始されました。末法は天災の激しい時代となります。
 ■「災異改元(災害・災厄から免れるための元号改称)」
昌泰から延喜へ改元、三善清行の進言により災異改元始まる 901年9月5日
延喜から延長へ改元、干ばつと疫疾による 923年6月3日(延喜23年閏4月11日)
承平から天慶へ改元、地震と平将門の乱 938年6月27日(承平8年5月22日)
天暦から天徳へ改元、干ばつによる 957年11月26日(天暦11年10月27日)
応和から康保へ改元、干ばつによる。  964年8月24日(応和4年7月10日)
天延から貞元へ改元、内裏の災と地震による 976年8月16日(天延4年7月13日)
永延から永祚に改元、ハレー彗星出現    989年9月15日(永延3年8月8日)
永祚から正暦へ改元、「永祚の風」による 990年12月1日(永祚2年11月7日)
正暦から長徳に改元、天然痘流行 上層部へ 995年3月30日(正暦6年2月22日)
長徳から長保へ改元、歴史上初の大流行   999年2月6日(長徳5年1月13日)
長久から寛徳へ改元、感染症と干ばつ 1044年12月22日(長久5年11月24日)
永承から天喜へ改元、疫疾(感染症)熾ん(大流行)による
1053年2月8日(永承8年1月11日)
天喜から康平へ改元、火災、摂関政治終焉 1058年9月25日(天喜6年8月29日)康平から治暦へ改元、三合の厄と干ばつ 1065年9月10日(康平8年8月2日)
承保から承暦へ改元、白河天皇、悲嘆・痛恨の改元
1077年12月11日(承保4年11月17日)
寛治から嘉保へ改元、天然痘、はしか   1095年1月29日(寛治8年12月15日)
嘉保から永長へ改元。東海・東南海地震、南海地震と連動して起こる
   1097年1月9日(嘉保3年12月17日)
永長から承徳へ、叡山の強訴に天変地異重なり時代は騒然、たった1年で改元
   1098年1月2日(永長2年11月21日)
承徳から康和へとまた改元、平安朝末期の混乱に巨大地震からむ
   1099年9月21日(承徳3年8月28日)

29 :
末法の日本の状態は、1052年からですが、第四の五百歳 多造塔寺堅固の時代は、1551年までと考えます。

康和から長治へ改元、伊勢大神宮の怒りによる天変?
1104年3月15日(康和6年2月10日)
永久から元永へ改元、国の生産高半ばの耕地を失う大洪水と干ばつと
   1118年5月2日(永久6年4月3日)
元永から保安へ改元、鳥羽天皇、在位4回目の災異改元で御謹慎
   1120年5月16日(元永3年4月10日)
天治から大治へ改元、疱瘡の流行による 1126年2月22日(天治3年1月22日)
大治から天承へ改元、去夏以来、炎旱殊甚 1131年3月7日(大治6年1月29日)
天承から長承へ改元、疫病と火災、凶事 1132年9月28日(天承2年8月11日)
長承から保延へ改元、インフルエンザと飢饉 1135年5月17日(長承4年4月27日
久安から仁平へ改元、鴨川洪水、 1151年2月21日(久安7年1月26日)
平治から永暦に改元、武家政治の時代へ 1160年2月25日(平治2年1月10日)
永暦から応保へ改元、疱瘡の流行による 1161年10月1日(永暦2年9月4日)
応保から長寛へ改元、はしか流行による  1163年5月11日(応保3年3月29日)
(続きます)

30 :
【さらば、KJ党】今回、16万6千1百14票減。
https://ameblo.jp/33-958365-5019di4u-y8r/entry-12496670369.html

比例区開票速報 2016
政党得票総数:366,815(0.65%)

比例区開票速報 2019
政党得票総数:200,701(0.40%)

2016政党得票総数 - 2019政党得票総数 = 166114
今回、16万6千1百14票減。

因みに
NHKから国民を守る党
政党得票総数:975,151(1.97%)
N党 - KJ党 = 774450

因みに
社民党
政党得票総数:1,037,904(2.09%)
社民党 - KJ党 = 837203

ハッキリ言うとね、中国(北朝鮮、韓国)は外敵、
幸福の科学(幸福実現党)は内敵。
幸福の科学の方が、よっぽど「国難」なんだよ。
国民は、ソレを知っている、ってこと。
だって、皇室より、大川家の方が上、という教義。
皇室の危機であり、日本の危機なんだよ、それこそ。
幸福実現党のやろうとしていることは、連合赤軍や
オウム真理教と全く同じ、「極左革命」のようなもの。
皇室を引っ繰り返して、
自分たちを国のトップに据えようとしている。
とんでもないDQN政党だよ。
また、教祖の大川隆法の運営手法は、北朝鮮と酷似。
信者の自殺者を多数、輩出しているにも関わらず、
お布施の強要ノルマを全国支部に課し続けている。
また、進言しただけで職員はクビ、又は遠方左遷。
実の息子、三人も進言が元で「公開処刑」され、干された。
こんな非人道的な独裁者が率いる団体を、
国民が支持する筈もない。
ちょっと考えれば分かるだろう。
バカタレ!

31 :
 末法の予言は正法(しょうぼう)、像法(ぞうほう)、末法(まっぽう)の三時説と、滅後の2500年間を5種の500年に区分して、「五五百年」「五箇五百歳」ともいわれる五五百年の予言として語られています。
 天理教祖はひながた50年で、元の理は五分五分として成人しており、五五は天理教の基本となります。「一段、二段、三段一つ」と天理のお言葉にあり、三時は一つであると理解されます。3時は実は一体となります。
 正法(しょうぼう)、像法(ぞうほう)、末法(まっぽう)を、正法は正しく、末法は世も末と理解しがちですが、妻帯を禁じた時代が正法で、妻帯を認めた末法を世も末の堕落だと言うなら、親鸞は聖人ではないことになります。
 お釈迦様がいて、残された教えがあって、その教えの像を追いもとめるのが真理探究ではないという、その処に、三時の意味があります。
 「自灯明・法灯明の教え」がお釈迦様の最後の教えといわれますが、「末法燈明記」が、自灯明・法灯明を踏まえて、1052年、これより末法と示したのは、3時の理としてのお示しと理解されます。

32 :
末法には天災が多発します。(続きです)
嘉応から承安へ改元、異常気象続く    1171年6月3日(嘉応3年4月21日)
承安から安元へ改元、疱瘡朝廷へ侵入   1175年8月23日(承安5年7月28日)安元から治承へ改元、大極殿火災と天変による、太極殿再建されず
                    1177年9月5日(安元3年8月4日)
養和から寿永へ改元、養和の大飢饉起こるが源氏方改元せず
                    1182年7月6日(養和2年5月27日)
元暦から文治に改元。大地震、平家滅亡、 1185年9月16日(元暦2年8月14日)
元久から建永へ改元、赤斑瘡(はしか)流行 1206年6月12日(元久3年4月27日)
建永から承元へ改元、天然痘の流行と台風災害による
                   1207年11月23日(建永2年10月25日)
建暦から建保へ改元、関東地方の災害に朝廷が気を効かして改元?
                    1214年1月25日(建暦3年12月6日)
建保から承久へ改元、炎旱と鎌倉、京都の火災による
                    1219年6月3日(建保7年4月12日)
元仁から嘉禄へ改元、疱瘡(天然痘)の流行 1225年6月4日(元仁2年4月20日)
嘉禄から安貞へ改元、大内裏全焼し荒れ野に、その上はしか大流行
                    1228年1月25日(嘉禄3年12月10日)
安貞から寛喜へ改元、台風横行の災い    1229年4月7日(安貞3年3月5日)寛喜から貞永へ改元、寛喜の大飢饉による  1232年4月30日(寛喜4年4月2日)
天福から文暦へ改元、2年続きの京の旱天 1234年12月5日(天福2年11月5日)
以下略とします。
 災害は現在の日本の姿です。

33 :
末法の歴史上の実態について、日本災害史 引用します。
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199204.html
●飢饉
  『日本書記』の欽明天皇の巻に、「郡国大水となり、飢えて人互いに食べる」という記事がある。
 飢餓の原因として干害(ひでり)、冷害、風水害があるが、戦国時代までは干害が最も恐ろしいとされた。
1181年 養和の大飢饉
  前年来の天変続きで、西国は大飢饉に襲われる。死骸は道端にあふれ、餓死する者は数知れない。
仁和寺の僧隆暁は、死者の額に「阿」の字を書いて死者の冥福を祈って回った。
「京都の死者の数四万二千三百人」と鴨長明の『方丈記』のなかに記されている。
『源平盛衰記』によると、天下大変な飢饉となり、人民の多数が死んだ。わずかに生き残った者も土地を捨てて境を出てここかしこに行き、
あるいは妻子を忘れて山野に流浪し、巷にさまよい憂いの声が耳に付くほどである。
その年も暮れ、今年は疫れいが流行し、飢え死しなかった人でも病で死んでいった。
…街頭には死人が多く倒れており、馬車も死人の上を通る有様である。
遺体の臭いが京中に満ちて、道を行く人も大変であった。」
1231年 寛喜の大飢饉
  前年秋の凶作、この年の麦の減収により、飢饉が全国的に広がった。
京都では春頃から餓死者が増え、7月に入ると死人を抱いた通行人があとを絶たず、道路には死骸がみちあふれたという。
このため「天下の人種三分の一失す」と言われた。
鎌倉幕府は、この年の5月、鶴岡八幡宮で国土豊年のための祈とうを行っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・
1052年を1として1181年は130年後のこととなる。1231年は180年後のことである。

釈迦の予言は、日本においてきちんと実現している。
1052年から180年 60・60・60・ みろくの時の飢饉では、人口の3分の1が失われ、
それは、終末と言う状態であった。

34 :
ことば遊び 乙

35 :
吉本の岡本社長も信者なん?

36 :
我、天の将軍なり

ヤハウェとは万軍の将

国常立尊=ヤハウェ

37 :
キリスト教の聖書とされる黙示録に みろく について語られている。

それは獣の数字として語られている。
獣の数字(けもののすうじ)は、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に記述されている。
 以下に引用すると、「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(13章18節)
 数字は人間を指しているとあり、666は、きちんとみろくの名を示している。

 ヨハネの黙示録とはイエス直々の言葉ではない。ローマ教会が採択しているイエスの霊言であり、原始キリスト教の教えとは反する書である。異端のキリストと基本的にみなす。
 釈尊の予言の弥勒は、異端のキリストのみろくにおいては、獣である。
異端の書の文言では https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/13.htm
 1、それには角が十本、頭が七つあり、
  それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
十の角は十の柱、それぞれが動物の名を有している。神名がついている。
 2、龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
龍とは神名は国常立命、月さま、即ちお釈迦様であり、元の理において、寄せて使った生物(シャチなど)に、守護の理と神名を与えている。
 異端のキリスト教には、十全の神は 敵ということになる。

38 :
黙示録は霊夢においてキリストから告げられたことを記してあるという。
異端の聖書では、十全の神はローマ教会の敵ということになる。
 それも圧倒的な威力を有するという。
https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/13.htm 
 4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、
  さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。
 だれが、これと戦うことができようか」。
 11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。
  それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
 12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、
  地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
 13 また、大いなるしるしを行って、
  人々の前で火を天から地に降らせることさえした。

異端の聖書は十全の神の威力は「傷の癒し」と「天火 火の雨」という。
おふでさきの内容にきちんと一致している。

39 :
それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。 とあるが、子羊とは主イエスきりストであり、
聖書にキリストは神の右に着かれたとあります。
神とはくにとこたちで月さま、お姿は龍。その右には月読命さまで、イエス様です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、子羊とはイエスきりストであり、
クロアチア・ポレッチのエウフラシウス聖堂にある、光背と十字架が書き込まれた「神の子羊」。
七つの封印が付された本の上に横たわる「神の子羊」を刺繍した聖杯布。
「神の子羊」を象ったモラビア兄弟団の紋章。
軍旗と聖杯を抱えた子羊
ヤン・ファン・エイクによるヘントの祭壇画の一部。天使に囲まれた、胸から血を流す神秘的な羊を人々が礼拝している。
ケンタッキー州ルイビルの聖母被昇天大聖堂の祭壇前面に飾られた真鍮製の「神の子羊」。

神の子羊(神の小羊、かみのこひつじ)は、イエス・キリストのことを指す表現のひとつ。
と、される。

頭が七つあり、にイエス(実は月読命)を加えて、頭八つは、道具神八柱の理である。

40 :
キリストの十字架を天理王命中山みきに見せて、これは何かとたずねてことがあった。
天理王命は「完成の意義や」とお答えになった。
十字架とは、神の教えの完成を示すものと、天理教の基本である。

黙示録とはキリスト本人の言葉ではない。
おふでさきに、第十四号 明治十貳年六月ヨリ
 どのよふなゆめをみるのも月日なり なにをゆうのもみな月日やで (14-1)
との、理の責めがあるが、黙示録はキリストの夢を見た、その夢の記録である。
夢を見たのはヨハネで、その内容は偽キリストである。教会信仰擁護の夢とも解されるが、
月日は、異端に夢を見せて、みろくの数理のあるをキリストの側の信者に、まことを語っている。
 https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/14.htm#0
 例えば仏教の数理的理解から黙示録を読むなら理解は容易で、
https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/14.htm#0
 数理上のみろくを偽キリストに語らせている例があり、弥勒の下生には576億との説があるを踏まえればそれが見える。
 弥勒の兜率天での寿命が4000年であり、兜率天の1日は地上の400年に匹敵するということ。12×12が14万4千で、400倍は57億6千でこれはみろくの数理であると心得れば、
https://www.wordproject.org/bibles/jp/66/14.htm#0
第 14 章に、数理上のみろくを、夢は語らせているとわかる。
 月日が、教会信仰をするヨハネに、夢を見せて、ある意味でのまことを語らせた。
 天理教は 百姓の女天理王命の神名を宗旨とし、月さま(仏陀)、日さま(太陽神)の元を教える、
だからだめの教えであるを基本とする。

41 :
確認のため14章を引用しよう。
1 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立って
いた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊
の名とその父の名とが書かれていた。
2 またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
3 彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。
 「4つの生物、14万4千人は仏教世界を示している。」とわかる。
 釈迦の存命中の正法の時代の仏教徒は、肉欲妻帯を禁じられていた。

4 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。
 「かれらはが正法の仏教徒を示し仏教世界そのものを指している。」こともわかる。

 黙示録はイエス本人は沈黙していて黙示であるが、教団信仰のヨハネは教団信仰擁護の幻想で、みろくの数理を(意味も知らず)語らされ、子羊イエスの本旨を実は意味も知らず、語らされている。
 沈黙のイエスも、二本の角の子羊として獣の側に登場しイエスもみろく出現の側にアルトの予言をなしていて、これが天理の怖さである。
どんなこともみな教えてきて、そのいい残り、だめを出すのが、天理教であるとの事実を黙示録はきちんと示している。

42 :
ヨハネの黙示録 12章 には、太陽神と天理王命、数理126が告げられています。
 第十四号 明治十貳年六月ヨリ 12年6月は数理126です。
  どのよふなゆめをみるのも月日なり 
 
 126の数理とは、正月26日を待つという数理で、125(5の3乗) そののちの →126 です。
  太陽神の祭典日 25日(クリスマス)は25、次は26日。
 正月26日を待つという、これも、黙示録にて、これまでに教えてあったことということです。
 黙示録解釈ももまただめだしされて、だめの教えが天理教ということをきちんと示しています。
  
 部分引用しますと、
 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。

 この鉄の杖による、諸国の統治から、男の子がイエス・キリストであると分かります。

 その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
  主は十字架につけられ、三日目によみがえられ、そして天に昇られました。神のみもと、その御座に引き上げられました。
女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。

神のみもととは天理天体図にいうくにとこたちの右側、
天に昇り、そこに座すのは、偽でない聖書イエスの言葉のままです。
 女とは太陽神(太陽を着た女)で、1260日とは、天理王が神となる刻限を示しています。

 12 1 また、巨大なしるしが天に現われた。
   ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、
   頭には十二の星の冠をかぶっていた。
 太陽神と仏陀は、天理王は黙示録では、敵側ということです。

43 :
口でも言わん 筆先の責め とは、黙示録そのものの状態がその一例です。
ヨハネの黙示録には、月さま、日さまのこともですが、偽キリストの信仰組織の敵である天理王命についての予言があります。
第17章は7の数理が満ちています。7は大食天命さまです。
 引用しながら解説します。17章です。
「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。」 「地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
 天理王は地に住む人々に「ぶどう酒」を与えて世界は丸いを示します。
「荒野へ・・わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た」「その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。」
 7つの頭はイエスを加えると8つになります。天理王は八柱の神を道具とします。
「この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、」
 紫は仏教で言う最高の法位の色、赤は天理王の言う月日の社の衣の色。
 天理教の教えは「金銀財宝つかみどり」の教え。
 男女一の道具は地と天とをかたどりての交合の道具。
 天理教の神を批判的に見れば、淫し邪教、黙示録はその立場です。
 
「その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、」
 天理王命の奥義は「一つの名」。「名称一つ」。は神の理です。

「「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。 」
 バビロンとは、アッカド語で「神の門」を意味するバーブ・イリ(ム)(𒆍𒀭𒊏𒆠、Bāb-ili(m)[1])に由来する言葉です。

 つまり神の門が、中山みきだとヨハネ黙示録は敵対関係において、語っているのです。

 これにもダメだしして、紫と赤い衣の大地の母について、説き明かしているのが天理教。
これが、天理教の基本です。

44 :
「神の門」、同じ意味の言葉に「甘露の門」があります。

 ヨハネは信仰組織の教会の権威争いに腐心していて7つの教会の問題として、イエスキリストの幻を見て黙示録を記載しましたが、
ヨハネには教会が神の門であり、人間の男女の交合やぶどうの如き丸い心のつながりのワインに酔いしれることは姦淫であって、教会の闘うべき相手。

しかし女には奥義があるとイエスの幻は教えられた。
「七つの頭と十の角のある獣の奥義」、つまり八方八社と十全の神の守護の理という奥義があると、もう告げられていて、中山みきはそのだめ押しに、天理教を立教した。これが、天理教のだめの教えの基本です。

45 :
 天理王命は月日親神を説き、十全の守護の理をもって陽気とするが、
ヨハネ黙示録は、月さま、日さまの不在を理想としそれがイエスの教えだとの虚偽を告げていて、「都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。」と、教会信仰を賛美している。
 ヨハネの黙示録で説く都には、月日は不在である。 教会信仰の暗闇が見えます。

 教会信仰の代表的人物ヨハネに月日は幻を見せて、光り輝く教会信仰の都の成立を予言しています。
 それは釈尊の教え、太陽神の教えの否定であり、666の刻印を押された、つまり弥勒を信じる者への、
キリスト教会信仰の宣戦布告ともなっています。同時に正しいイエスへの謀反ともなっています。

 教会信仰をすることは神の門の否定である。陽気暮らしの否定である。
 それを人の幸福の理想だと偽キリストの幻で語らせて、7,7,7の数理で偽キリストが勝利という幻想は、
7,7,7の21回のおつとめで人は助かるという天理王命のだめの教えで、きっちりと、777の数理にダメだしです。
「それまでの神の教え」(これも月日が教え来た)に、だめを詰めだめを出している実際こそ、天理教の基本です。
 

46 :
ヨハネの黙示録では、月さま、日さま、天理王命の方々を、その味方の人々を「みろく」の刻印の有無でヨハネの教会信仰の敵として告げています。
引用しましょう。
「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、
すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釈迦様は月さまで、弥勒菩薩はお釈迦様の再誕の意味を持ちますから、弥勒の名もつけても変ではない。
太陽神は日さまで、天輪とはお日さまで、転輪聖王はみろくですから、まさにその名で呼ばれる。
天理王はみろくの名とは、転輪王はてんりおうとみなせば、みろくの名ですが、予言であるから、
例えば1000年後の話でないと予言にならない・・・
 「その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
それが中山みきであることを、歴史・月日の年月が後に示すことになる。
 これも月日が、予め教えた予言という事で、実に天理教はダメの教えです。

47 :
老後は捨てられますか?面倒見てほしいですね

48 :
天理王命と称するは、一つの宗旨(しゅうし)である。天理王命と 元一つ称するは、天の月日である。元一つ始めるは 女一人である。元よく聞いてくれ。
〔おさしづ 明治21.7.31〕
元一つとは「月日」(二つ一つが天の理)で、元一つを月日の社・天理王命と称するのは天の月日であり、
その元一つ(この世の元は一つを開始する)は、(これまでの神は山々あって拝み・礼拝し・祈祷し・祈念したが)元は一つで、点の月日。
その元を開始するのは仏典には弥勒菩薩と言われている女、
その元を開始するのは異端側の聖書には荒野にて1260年を待つ女、異端が獣の王の仲間という女、女一人である。
その女一人は中山みき。食の生産に携わる百姓の女が、元一つを説き、一に百姓助けたい。これこそ天理教の基本です。

49 :
666の刻印を刻まれたというみろくとみろくの信奉者は、人の400年を1日と数えるお釈迦様の、
12×12×400=576億年・すなわちミロクの数理において、順序良く、56憶7千年、567の数理で、
お釈迦様は末法の世に、(人間の故郷にほん)にて再誕すると、前448年に、説かれた。
その時、正法・像法・末法の3時の予言をし、1500年後。1052年ににほんでは「末法」1年を迎えると、
60・60・60=180年のみろくの時を経て、
1230年(寛喜2年)から1231年(寛喜3年)に発生した大飢饉がもたらした終末の世の地獄のありさまを
末法180年・1231年お見せくださり、人工の三分の一が死に天災と疫病の大流行とが生んだ人身売買の世の地獄を見せ、
1231年からみろくの再誕予言の数理にて、567年。1798年
中山みきは、生誕した。再誕の釈迦、現実の弥勒菩薩である中山みきは、天理王命となるべく陰暦4月18日誕生した。
天理教の基本である。

50 :
 天理教教典では 人々の心が澄みきつて、真実の心となつた暁には、たすけづとめによつて、甘露を授けられる。
と書かれているが、甘露とは不老不死に関係する。これも月日が教え来た。
◎ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 甘露 かんろ
(1) サンスクリット語アムリタ amṛtaの訳語で,不死,天酒とも訳される。
  インド神話では,諸神の常用する飲物で,蜜のように甘く,飲むと不老不死になるという。
 酒あるいは美味な飲物に対しても用い,仏教の教法にもたとえる。
(2) 中国伝説では,王が仁政を行うと,天がその祥瑞として降らすという甘 味の液体。
◎日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 甘露かんろ
 古代に、不老不死になるとされた神の飲食物。
 『老子』によると、中国では天下太平のときに天より降るという。
 サンスクリット語アムリタamta(不死の意)の漢訳で、インドでは飢渇をいやし不死を得る天人の食物をいう。
 ベーダではソーマ酒をさす。
 仏教では、須弥山(しゅみせん)頂上にある三十三天の不死の霊液であり、
また仏の教法や涅槃(ねはん)をもいう。
 なお、ギリシア神話のアンブロシアambrosiaも不死の意で、不老不死になるという神の食物である。

 

51 :
天理教団は、甘露台」(かんろだい)とは、「天の与えたる直食(ぢきもつ)の甘露を受ける台」であり、その「ぢきもつ」を頂くと、いつも十八才の心で、病まず弱らずの無病息災のお陰と百十五才定命の自由自在のめずらしい守護を頂けると、
甘露台論を説いていますが、天理教の基本と少し違います。
 九つの教えまででは、月日はどう説いていたでしょうか。
http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/be/106.htm
 三井寺、お寺様の仏教の説明に甘露は登場します。
お釈迦様はシュッドーダナ(浄飯:じょうぼん)王を父とし、マーヤ(摩耶:まや)を母として誕生されました。
 マーヤは出産が近づいたので隣国の実家に戻って出産しようとしたのですが、
途中のルンビニー園で産気を催し、釈尊を出産されたと言われております。
生まれるや7歩歩んで、右手を挙げて「天上天下唯我独尊」と獅子吼されたその時、
天からは甘露が降り注ぎ、蓮の花びらが舞い、妙なる音楽が流れました。
 三井寺におきましても4月8日、花御堂(はなみどう)を金堂内、弥勒菩薩御本尊御厨子前に安置し、
長吏猊下を御導師にお迎えして一山僧侶出仕により、 15センチほどの金銅誕生仏に甘茶を潅いで釈尊の誕生をお祝いいたします。
 お釈迦様誕生には甘露が降り注ぎました。4月8日でした。
 お釈迦様を祝福するものが甘露。月様、国床立命様をしっかりと信心することが甘露の道ということです。
天理教の基本は、一柱目は目、月様、国常立命様のお心にそうことです。まず水の理です。

52 :
 水と神とは同じこと 心の汚れを洗いきる。天理王のダメだしです。
 その「ぢきもつ」を頂くとと教典では言いますが、汚れていては受け取れない。
 ほしいという心の埃を掃除して、水で洗って、それでいただく資格ができる。
 ぢきもつとは「甘露」です。甘露を受ける台で甘露台です。
 汚れは「ほしい」の心。
  ぢきもつは甘露台がいただくというのは、お筆先と、一分八間のずれがあります。
  ぢきもつは天理王命がいただくのです。
 それを、おわけくださるのが中山みき、紫と赤の衣装の女、それが、お筆先に書かれてある。

 お悟りください。

53 :
にほんにハはしらをたてた事ならば やまずしなすによハりなきよに(10-11)
 にほんにおいては、柱を立てた事ならば 病まず死なずに弱りなき世になる。と、お筆先にあります。
 やまとはえらい豊年となり、
 にち/\にはやくつとめをせきこめよ いかなるなんもみなのがれるで (10-19)
 とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで (10-20)
 「つとめいちぢょ」⇒これをつとめ一条 と、読み替えるのは応法の解釈で、信仰的理解という事になりますが、「ぢょ」は正しくは「如」あるいは「序」です。
  つとめでもどふゆうつとめするならば 
  かんろふだいのつとめいちゞよ (10-21)
 かんろふだいも「甘露台」と文字あては信仰的解釈の応法の解釈です。
「甘露」「ふ」「だい」で、「普及の普」「配布の布」が「ふ」の意味です。
 つとめでもどういうつとめをするのかというと、甘露を普及し配布する台の、大の、つとめの一始まり、一のごとしであると読みます。
 「台は人間の建造物であるので濁点がついてだい」かんろふだいと書きます。
  このたいをどふゆう事にをもうかな
  これにいほんのをやであるぞや (10-22)
澄み切った甘露体は、中山みき天理王命です。おやさま、中山みきです。

54 :
天理教の基本は、中山みきが天理王命であり、
ぢばにて、天よりの与えをうけとり世界一列に普及する一であるという一点である。
 その天の与えとは、釈尊誕生時に降り注いだ、「甘露」であり、
甘露の台となるお方、中山みきのご神体は、世界たすけに扉を開かれていて、
この与えを、甘露をお分けいただくことで、人の世は不老長寿の世となる。
これが天理教の基本となります。
 しんぢつの心月日がみさだめて 天よりわたすあたゑなるのわ (10-1)
 おやさまのお心を見定めになって。。です。天の与えです。
どのよふなはなしきいてもさきいより これわ月日のはなしなるのや(10-8)
 これまでに十のものなら九つまで教えた月日でした。
  これからハにほんのものハたん/\と
  月日ひきたてこれをみていよ (10-9)
  なにもかもどのよな事もみなをしへ
  しらん事をハないよふにする (10-10)
にほんにハはしらをたてた事ならば やまずしなすによハりなきよに(10-11)
 今まで建てられた人間の作った甘露台とは、「しながた」品物のモデルで、おもちゃのようなものです。
 天理王命の心を見澄まされて、月日は、かんろふたいにと定めました。
天理教の基本です。

55 :
https://gakuen.koka.ac.jp/archives/783
学校法人光華女子学園では、
「耳ある者たちに甘露の門は開かれた」『大品』をこう解説しています。
 「甘露とは、アムリタ(amṛta)「不死」を意味します。
 「ここでいう不死とは、生物学的な意味ではなく、生死の恐れを越えたこと、すなわち釈尊を仏たらしめる悟りの境地を意味します。」

 これは、生物的な死から救済する甘露を、否定していて、駄目です。
 解説は、失格です。典型的な、歪曲です。

 甘露とは不老不死の妙薬であると、天理王命は究極を教えます。

 甘露のいただける前には、豊年である。これもてんりん王の月日の説いておいた教えです。

56 :
釈迦の悟りを哲学だとみなす、真理ではあるけれど観念であるとみなすのは、信仰者の態度です。天理教はそれをダメだとダメの教えです。
生物学的な意味での審理とみなすのが天理教の基本です。
お釈迦様には「無記の教え」と仏語でいわれる教えを残しています。
甘露の理解の上で「言わん言えん」にて示された以下の理は重大です。
以下の問いについてお釈迦様は答えなかった。十の無記です。
(1)世有常(この世は永遠か)
(2)世無有常(この世は永遠でないか)
(3)世有底(この世は有限か)
(4)世無底(この世は無限か)
(5)命即是身(魂と身体は同じか)
(6)命異身異(魂と身体は別物か)
(7)如来終(如来は死後存在しないか)
(8)如来不終(如来は死後存在するか)
(9)如来終不終(如来は死後存在し、かつ存在しないのか)
(10)如来亦非終非不終(如来は死後存在せず、かつしないでもないか)
この世は永遠でないなら甘露は寿命薬ではない。
この世は有限なら甘露に無限の効力はない。
魂と身体が同じなら甘露は魂に効力を有し別物なら甘露は肉体に効く。
・・・などなど、です。
 肉体は貸し物借り物で、甘露により永遠の生命ともなるのが、天理教の教えです。お釈迦様の教えです。

57 :
お釈迦様が説かれたことは、「これも月日が教え来ること」です。
お釈迦様の「無記の教え」とはそのまま天理教の「言わん言えんの理」。
おかきさげにて信者に渡されます。
 言わん言えんの理、聞き分けるなら何かの理も鮮やかと諭しおこう

 月さまの無記の教えを聞き分けよというダメの教え、究極の教えにおいて、聞き分けるなら、「この世は永遠で」「この世は無限に発展し」
「魂は月日の分け御霊」「肉体は神の貸し物」・・・・
「釈迦も如来も死後存在し、567の数理で弥勒菩薩は下生し」、
第2の釈迦である」
 甘露を頂く台として百姓の女ひとり天理王命となり、世界たすける。
 これが天理教の基本です。
 「かんろふだい」の教えはお釈迦さまの教えが元です。

58 :
天理王命は月日親神を説き、十全の守護の理をもって陽気とするが、仏教では極楽を説くとして、それは甘露世界である。
そこで釈迦の誕生は甘露の永遠の生命に祝福されてのものだった。
 しかし釈迦は永遠かと疑う信仰者は疑う心を制しきれず、甘露とは生物的な寿命薬という意味の甘露を否定してしまう。
 釈迦は真理として不滅だというまったく駄目な解釈を仏教団は、大多数の仏教徒に与えてしまった。人間の不老不死を否定した大間違い。
 そこで天理教は蔓延した不老不死否定の偽説にダメだしすべく立教されている。陽気暮らしは甘露台にて到来すると、究極を教えた。

 キリスト教では聖書には、イエスの宣教開始の第一声が「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコによる福音書『口語訳聖書』)であり、また「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書『口語訳聖書』)と記録されている。
 神が支配する国となるを聖書は説いている。キリストは神の国が来ることを予言し、神の国の到来を福音として告げた生涯であった。
 その神の国は、地上の現実の社会のことであったが、キリスト教信仰者の組織は天国とは死して後にある世界として説き、生きてある世界の姿とは説かないように解釈を曲げた。ダメな姿である。
 神が支配する国はおふでさきに、現実世界であるとのダメだしがある。
  このせかいなにかよろづを一れつに 
  月日しはいをするとをもゑよ             七 11 
 支配するのは王であり、月日の社である天理王・中山みき。
 支配する天理王命の教えが天理教である。

59 :
釈迦は、「信仰を捨てよ、甘露の門は開かれた」と注げている。
釈迦は初転法輪において中道、四諦と八正道を教えたとされるが、釈迦は振興を捨てよと、甘露にいたる道においての根源を諭されている。
 真言宗法楽寺ページより経文を引用する。
骨相大意 原文
 山河大地草木叢林みな法身常住なり。
 しかあるに一切衆生われにある宝蔵みづからしらず。
 無量劫来苦海に沈淪するを知見し給ひ。大悲方便をもて救抜済度あるなかに。一切衆生こころつねに邪曲なれば。三昧の筒を設ケて直途直行を教たまふ。
 これに二甘露門あり。謂ユる数息不浄なり。なかに就て骨相尤親し。
 はじめに無常を見る。つぎに空を見る。
 大論ニ云ク。無常は空の初門。空は大乗の初門なりと。
 また自身を観じて一々我々所なきをしる。
 はじめて平等衆和合の名義にかなふ。
 ・・・・
  釈迦は甘露への2門に「無常」の門と「空」の門を諭されている。
  無常は時であり空は空間であることは天理にいう地と天である。

60 :
肉体に対して、直接に不老長寿への道として釈尊が教えられたのは、念・呼吸法です。
例えばヨガでは『鼻から吸って鼻から吐く』のが基本で、鼻式呼吸と言われます。
 この他に、若返りの呼吸法として、若返り物質のセロトニン増加の呼吸法を説く医師もいます。
https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/6003/
 セロトニン呼吸法(東邦大学医学部生理学 有田秀穂教授)
○セロトニン神経は、脳の真ん中に居を構える。
基本的に脳は左右対称の構造だが、セロトニン神経は左右の縫い合わされた部位、縫線核という場所に位置する。
縫線核は最も古い脳である脳幹にある。
セロトニン神経の数はせいぜい数万個で、そこから脳全体の広い領域に、軸索というケーブルを使って情報を送る。
その対象は、大脳をはじめ、本能や情動の中枢、小脳、脊髄などで、その細胞数は数十億以上になる。一つのセロトニン神経が数万個の神経に情報を送る。
 お釈迦様の示す若返り法として意思が説いた文章を、引用しよう。
(続く)

61 :
(続きです)https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/6003/
お釈迦様は、体験によってセロトニン神経の存在を知り、その働きを縦横に駆使する方法を心得ていたようだ。
お経には、釈迦は6年の歳月をかけて荒行を行ったとされる。
あらゆる種類の心理的、肉体的ストレスを自らに課し、人間がどのように反応し、どこまで耐えられ、
その結果、何が心身にもたらされるか、を徹底的に追求した。
過酷な肉体的ストレスや狂わんばかりの精神的ストレスも課した。
自らを被験者にして、自らが実験者になって、人体実験に挑んだ出来事と言える。
ストレスに関連する神経系には、視床下部-下垂体-副腎系やノルアドレナリン神経などが神経科学的に明らかとなっているが、
釈迦はそれらの働きを荒行によって検証したものと考えられる。
そして、釈迦は荒行によっては自らの求めた境地(悟り)を得られない、と結論する。
「苦行の森を出て、川をわたり、菩提樹のもとに草を敷き、足を結跏趺坐に組み、静かに座り、禅定に入った」とされる。
アナパーナ・サチの呼吸法の発見だ。
この呼吸法こそがセロトニン神経の働きを活性化させる。
釈迦が創始したアナパーナ・サチ呼吸法は、日本では坐禅の呼吸法、
欧米やインドではヨガの呼吸法として、今日でも多くの人々によって実践されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(引用おわり)
 月日の理を知らぬから、見えたる事やあることばかり説いているが、能に若返りのセロトニンがあるのは、お釈迦様は最初からご承知である。

62 :
甘露を頂くという事は、悪しき払いのおつとめの手、振りのように、胸前で頂きます。
若返りのと限定して、甘露はセントロン。
これは脳にある。あるのだから、脳に働いて頂いて、セントロン神経なるものが、若返り物質を出し、それを頂きたいというのが、あしきはらいのおつとめです。

禅の教えは「善なる心を引き出すにより禅宗という」(天理教の教えです)
中山みきは後ろ手合掌をして見せたお方で、禅の作法は心得ておられた。
善なる心を引き出すとは、それは「悪しきをはらうてたすけたまえ」の理そのもの。
おやさまは、この道は生きた禅やでと教えられた。
そして、座禅を組んで得られる瞑想の状態を、そのまま生活で行えと言うのが
天理教の基本の教えですから、若返りの妙薬は「悪しき払いのつとめ」。

いずれもが甘露の門善ということになります。

63 :
しかし、宗教は、信仰は、信仰組織は、善なる心をひきだすには邪魔です。
雑念が入ります。信者に雑念を植え付けます。
天理教会のおつとめも、呼吸法の月日の理を思いもせずなされていては、
お釈迦さまへの恩知らずです。
「南無 天理王命」、南無に、お釈迦様への感謝と、
弥勒菩薩、中山みきへの祈念が無ければ、効能の無いただの儀式で、
口先の追従のおつとめは、天の怒りを買うから、セントロン神経は働かない。

「南無」の発音時には、念を込めてこその、弥勒菩薩信仰です。

64 :
お釈迦様の呼吸法、ヨガの呼吸法は別の医学の方も解説しています。
呼吸法あれこれ、引用します。https://townweb.e-okayamacity.jp/nakai/satou/bd_satou061028.htm
釈尊がおこなっていた呼吸法が、大安般守経というお経に残っています。
 「弟子たちよ、入息出息を念ずることを実習するがよい。かくするならば、身体は疲れず、眼も患まず、観へるままにたのしみて住み、あだなる楽しみに染まぬことを覚えるであろう。」といわれ、正しい呼吸こそは、悟りへの道と説かれました。
 釈尊の呼吸法は、数息、相随、止、観、還、淨の六段階からなっています。
 最初の数息(すそく)とは、「ヒトーツ」、「フターツ」と数をかぞえながら、ゆっくり息を吐きます。これを、一から十まで、くりかえします。この時、意識は、呼吸に向けられているので、雑念はおこりません。
 次の相随(そうずい)では、数をかぞえなくても、もっとながい呼気ができるようになります。
 さらに、止では、意(こころ)を安定させ、観では、不必要な念(おもい)を意から離れさせ、還は、意を一つに向け、浄は、以上を実践する といわれています。
 釈尊は、出息長・入息短の呼吸を重視されました。とりわけ、ゆっくりとした長い呼気が大切です。
これを、アナパーナ・サチの呼吸法といいます。サンスクリット語で、anaは入息、apanaは出息、satiは守意という意味です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学者さんは、前例もそうですが、見えたる事やあることをいいます。
 神仏の教えは、大切な真理ほど先に語ります。後だし、後付はしません。
お釈迦様の教えは、呼吸法に尽きるということと、信仰を捨てよがすべてであると。
初期仏教の示しているところです。

65 :
最初期の仏典には明白に「信仰を捨てよ」というブッダの言葉が残されている。
 神仏は最初から真理を語り、論をだんだんと進歩させることはしない。
 「信仰を捨てよ、甘露の門は開かれた」と注げているのは、最高の極意であるからだ。
 「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。おのが信仰を捨てよ。
 梵天よ、人々を害するであろうかと思って、わたくしはいみじくも絶妙な る真理を人々には説かなかったのだ」

 信仰を捨てよは、いみじくも絶妙なる真理。
 これを耳で聞きとったままに、聞けば、信仰を捨てて甘露の門は開く。
 解釈は無用である。信仰をすてよ、の言葉のまま聞くことだ。

初期の経文『雑阿含経』に呼吸法のことが丁寧に説かれている。法楽寺さんに原文などある。
http://horakuji.com/dhyana/sikan/anapana_sati.htm

要約すると、五法があり、
第一は微細なる罪にも畏れを生じ、学戒を受持すること
第二は少欲・小事・少務であること
第三は飲食について量を知り、多すぎず少なすぎずの適量を摂ること
第四は睡眠を貪らず、精勤して瞑想すべきであること
第五は静かな林の中にあって、諸々の喧噪を離れること。
 以上をおのおののことについて、正しい呼吸法で念じること。
 そうすれば、多くの利益をもたらす。
 この五法には、信仰の匂いはない。
 罪を行わず、小欲で、食べ過ぎず、寝すぎず、自然の林間で身体を休めよである。

 そこに正しい呼吸法を行えという、それだけである。

66 :
 肉体にての呼吸法である安般念(あんぱんねん)は、仏教の瞑想の一種。
 念じることがないなら「肉体の訓練」である。瞑想は信心である、
 願う心のまことに見えてくる利益が神であると、天理王命はダメを押されている。
 「願う心が念」であり願う相手は神仏、月日であり、よろづの神。
 願う心のまことが信心である。
 釈迦の教えられた安般念は肉体では鼻式呼吸、鼻はおもたり命さまで日さまの守護の理である。息はかしこね命様で風の神様の理で、
若返り物質セントロンは脳は、月さまで、火・水・風の守護の理が整う。
 やまず死なず弱らずは、その前提として、まず人が呼吸で念じるという、
精神と肉体の一致を見なければならないこと、
願う心と肉体の呼吸との一致を、求められているのが、元の親神。
天理教とは、息ひとつをもって世界を陽気にする神であるを、基本とする。

67 :
天理教の歴史の中には、息のさづけを頂かれた天理教祖の弟子、仲田儀三郎の物語が残っている。
神の教えを取次ぐ役割の人だった。
 れんだいこさんが、エピソードを集められているが引用する。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/nakadagisaburodenco.htm
「人間の勝手」(昭和三年四月発行「教祖とその高弟逸話集」(天理教赤心社)より)。
 「ある時教祖は、高弟の仲田さんに向かって、『出来んことを人がせよと云ったら、どう言うか』と訊ねられた。
すると仲田さんは、『そりゃ出来んと言います』と答えた。
教祖は、『そしたら神様がせよと仰ったらどうする?』と訊かれた。
仲田さんはたちどころに、『神様が仰るなら、そりゃ勿論やります』と言った。
教祖は笑いながら、『そうしたら、それは人間の勝手というものやなあ』と仰せられた」。
・・・・・・・・・・・・・
天理教祖は「人は神」と教えられているのに、人と神を差別、区別した仲田。
別の引用であるが、その結末を見る。
 教祖は89才の高齢で最後の「御苦労」を務めた。この時、桝井と仲田は拷問用の雁木牢(組牢)という小さい檻に入れられた。
十日間責められ、釈放された時、仲田は立つことも出来ず、戸板に乗せられて帰還した。
釈放後も病の床に付すことになった。
・・・・・・・・・・・・
 仲田は、死の床にあ って、「教祖のお待ちくださる『こうき』をまとめてから死にたい、
どうか増野はん、わしが話すから筆をとってくれないか」と、「こうき」を書きあげることに執念の人となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして仲田のまとめたこうき、これは内容が恐ろしいと、土中に埋葬されている。
明治政府への恨み言を含めた内容と思慮されるが、まさに神と人の差別であり、
「呼びにくるも神、連れにくるも神」と天理王には官憲に従っているひながたがある。

安般念の境地は、南無天理王命の境地、鼻式呼吸で神仏に念じる。読経の境地。
洞窟に閉じ込められ水死直前の日蓮上人は、案般念をその身に行い、鎌倉幕府をうらむでもなく、
南無妙法蓮華経とお唱えになられた。
 事案のすべては御仏の意のままでありすべての人に救済を説く身であれば、息をもって、念じるしかない。
 それが、天理教の基本である。

68 :
いまゝでハをなじにんけんなるよふに
をもているからなにもハからん 7号55


しかときけをなじにんけんなるよふに
をもているのハこれハちがうで 8号72


をなじにんけん・・・
人と神を区別、差別という話と絡めて、解説をお願いいたします。

69 :
>>68
お尋ねの件ですが、回答します。引用のおふでさき一首づつですが、
「いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん 7号55 」これは、(7-52)から(7-54)の歌の内容が先にあってです。
 とのよふな事をゆうのもにんけんの 心でわない月日こゝろや
 いまゝでハなにをゆうてもにんけんの こゝろがまぢるよふにをもふて
 しかときけこれから心いれかへて にんけん心あるとをもうな
 いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人間中山みきは口を月日に貸している、だから言葉には人間心は混じりません。
 人間中山みきは台所に立てば「わしでも埃が混じる」。つまりわれわれ同様ということですが、口から出るお言葉は、「月日の心からのお言葉」で、
中山みきと一般の人間は、差がないということです。
 「本席」という方は神が席にお座りになると「神の言葉」を語りました。
 別席を受けた人間には「神の席」は胸にあるのですから、口から神の言葉が出ないとは限りません。
 「あんたが言うたと思いますか」と、「神がいりこんで言わした」と、山本利三郎にはおやさま、言われていますから、差別も格差もありません。
 「埃が混じっては、神がお座りになれないことがある」と理解しています。それが、一切ほこりを交えないとなれば、「同じ人間ではない」。
 中山みきは、弥勒菩薩の下生でしたが誕生以来、心見澄まされて、月日は社とされています。その精進があっての、法滅の世に弥勒として、救済をもたらしてくださいます。

70 :
>>68-69
いままでは をなじにんけんなるように をもているからなにもわからん (7-55)
これは、口を神に貸している人間ということで、普通人ではないということわりでしたが、成人しだいで神がいりこむのは、
普通にあることです。

もう一つのお歌ですが、8号の、
「しかときけをなじにんけんなるよふ をもているのハこれハちがうで (8-72)」は、口や心の問題ではなく、魂の問題です。
 弥勒菩薩である、第二の釈迦である由来を説く中で、語られています。
   どのよふな事をふしへてかゝるのも
    もとなるをやてなくばいかんで (8-73)

いまゝてもなにをふしへてきたるの   みなこのどふりはじめかけたで (8-74)
にんけんをはじめたをやがも一にん  どこにあるならたつねいてみよ (8-75)
  
       いまゝでハをなじにんけんなるよふに
       をもているからなにもハからん (7-55)

  ここには、区別があります。

71 :
今までに教えてきた場合も、「この道理」とありますのは、元始まりの道具の神々を、
教えに使ったということで、イエス様はつきよみ様で、理のツッパリを教えられた。

魂の因縁は、心済ます必要があるわけで、魂に因縁があっても、汚れていたら使えない。
本席は、魂の因縁上は、ただのひとですが、
人間は元々が 神の子で、元の理の因縁とは無関係に、本席というお役をした。
 差別も区別もないのです。
 同じ人間として中山みきを理解しても、間違いではないが、弥勒菩薩として拝をする。
天理王命を信心するなら、南無と心から唱える。それが信心の基本です。

72 :
悟りの実践

サイケ模様というものは麻薬が視覚中枢に作用して生み出される幻覚作用である
それと同様に言語中枢に作用する麻薬的な脳内物質を出すことができればある程度の
悟りをだれでも受けることができるのではないだろうか
悟りは高度の修行を実践された高僧のみが実践できるとされている、そして
その修行によって脳がその臨界状態に達したとき
その僧の格に応じたレベルの悟りが得られる
それは先天的な要素に支配されているのではないかと私はふと考えるが
それは先天的に芸術の才能があるものが高度なサイケ模様を見られるのか否かで判別できるであろう
しかしいまわたしたちができることは芸術は鍛えれば高度な芸術を実践できるが
悟りはどのように鍛えればもしくはどのような先天的能力が高い者が
本当に世界を救う高度の悟りを得られるのかを考えることではないか
私はそのような者が世界に現れて世界を変えてくれると願っている

73 :
整理します。
天理王はダメの教えです。お釈迦様の教えが冠なので「南無」と唱えます。
そのお釈迦様が質問しました。
「弟子よ、私が説いている通りに、安那般那念を修習しているか」と。
弟子の一人が「私はすでに修習しています」と。答えると、
仏陀は言いました。『市街や村落に住み、そこで息出滅を観察し、善く行じる。」なら今の汝の修する安那般那念よりも優れたものというのである」
 教団の中での案般念(いうならお勤め第一節の勤行)は無意味という事です。それが南無と唱える意味です。
 先ず、市街や村落に暮らし教会を出ないと、南無の法理に反します。
 安那般那念 ヨガ、禅宗の奥義です。
 安那般那念は、狭義には文字通り、入出息(呼吸)を意識する(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させる止行(サマタ)の一種、ないしは導入的な一段階を意味するといわれますが、身体の場所を念じなければならないと教えられています。
 おやさまはこの道は生きた禅やと教えられています。
 お勤めするなら「突くいき、ひく息」月日の理を踏まえて、安那般那念を実行すべきです。
 仏陀はいいました。「もし正しく説いたならば、聖住・天住・梵住・学住・無学住・如来住がある。」「学人で、いまだ得ていないものがあるならばまさに得るべきである。到っていないければ至るべきである。証していなければ証するべきである。」
 「無学人の現法楽住とは、安那般那念である。これが即ち正説である。」
 「その所以は何かと云えば、安那般那念とは、聖住・天住・梵住、乃至無学の現法楽住であるからである」。
 つまり、阿呆の人が 月日の呼吸を 習得せよというのが仏陀の正説です。
 おやさまは「阿呆が神の望み」とダメを押しています。
 阿呆が神の望みは「増井りん」「泉田藤吉」に言われました。
 天理教の基本は阿呆になって息ひとつ、案般念の実行にあります。

74 :
>>72
悟りは、阿呆になって心済ませるときに生まれる。
言語中枢に作用する麻薬的な脳内物質を出すことは、利口な考えですが、
悟りは幻覚ではなく現実に実効がなければ意味はありません。

>その修行によって脳がその臨界状態に達したとき
>その僧の格に応じたレベルの悟りが得られる
これを否定したのがお釈迦様で、ハイレベルな聖住・天住・梵住・学住の方々でなく、
低レベルの無学な状態においての、案般念が、釈尊の説かれた正説。

 ほんなんでもない百姓の女
 ただの大工
 神がいり込むには、高度な修行はいらないということです。

75 :
みき教祖と仏説の関連については関心を持っていましたが
息とアーナパーナの関連付けという発想は思いつきませんでした

76 :
釈迦は四苦八苦からの救済をお説きになっていて、特に四苦からの救済は仏教です。
生…生まれること。生きる苦しみ。
老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる苦しみ。
病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。そして死が必ず来るという苦しみ。
甘露は、老いない、病まない、死なないという神の酒です。
釈尊は「信仰を捨てよ、甘露の門は開かれた」と、不老不死への門を開けた方です。

中山みきは、さづけを教え、かんろを頂くつとめを教えましたが、
1に息、2に煮たもの、3に散財手踊り、4に甘露台手踊りと教えています。
1に息とは 生の行為で、2に煮たものとは 健康の行為で、病への行為で、
3に散財手踊りとは三才てをどりであり、不老の行為で、4の甘露台手をどりは不死。
 つまり、釈尊の開けられた甘露の門を、具体的に、さづけにて、実体化をします。

天上天下 唯我独尊とは  この大宇宙で 誰でもただ我一人が尊い、たった一つの尊い使命があるちに教えです。
息のさづけとは安販念のことで、天理王の前の釈尊は、呼吸法を念としてなすべきを説かれていた。
不老不死の甘露は、まず息、それは「五つ何時もの話し方」「六つ惨い言葉をださぬよう」。
天理教祖は、万人にさづける息のさづけを、仲田と増井にさづけて、誰にも渡すものとして、実例を示された。
お釈迦さまの言い残しを、どこまでもダメを詰めておられます。

77 :
天理教祖のひな型というのは、主に失敗例が多い。心違いを教えて皆への指導としています。
(『教祖伝』百二四頁)に登場する人物も失敗例の方々です。仲田さんのこふきの間違いは前述しました。
「教祖は赤衣を召して、・・・、一に、いきハ仲田、二に、煮たもの松尾、三に、さんざいてをどり辻、四に、しっくりかんろだいてをどり桝井、と、
四名の者に、直々、さづけの理を渡された。」
 逆に言えば、大間違いの人にさえも、さづけは渡して下さる、そういう実例です。

こふきとは、裏守護のことを書いていたりしますが、天理王命のまえに、神仏がお説きになり、働かれていたという、
特にお釈迦様の理の話なのですが、
高弟なる方々は、「わが宗教は最高」「わが信仰は最高」との高慢記録を書いていたりして、元の神々への感謝にかけています。
それで、おやさまは「これで良い」と言われなかった。

一、二、三、四と数を数えよというのはお釈迦様の教え。
呼吸においては、身体の部署を念じろと言うのはお釈迦様の教え。
息は「月日」で、身体の部分それぞれの理は、こふきにある、貸し物借り物の理。
呼吸が正しく行われるなら、貸し物借り物も生き生きと生きられます。
 「南無天理王命」の一言で、皆たすかるという天理教の基本は、正しく息が出来て念を込めて唱える一言でたすかるのであり、
息が正しくなければ、「南無天理王命」の音だけでは、何もたすかりません。
 息から入った時、甘露の門をくぐったことになります。

78 :
>>77
>天理教祖のひな型というのは、主に失敗例が多い。
>心違いを教えて皆への指導としています。
「なにもかも違わんことは良けれども 違いあるならうたでしらする。」
おふで先のお歌とは、違いをうたで知らせたもの。
「知らしたら現れ出るは気の毒や いかな病も心からとて」

一に息は仲田の仲田義三郎も「違いが重病になる」。その実例で、言葉の間違いの人でした。
その違いとは「人の言葉は聞かない・神の言葉ならすべて聞く」という、自分勝手。
二に煮たもの松尾も「違いが病気になる」。その実例である。

若返り細胞の活性化物質は、断食によって活性化すると医学は言う。
セントロンは、断食で活性化する。
ゆえに諸宗教では断食という修行があり、それは延命の法である。
食物は健康の元であるが、煮たものを一切食さない断食の効能は宗教の常識であるが、
「枕元に山ほどの食べ物があっても喉を越さないと苦しむ者があると知り、」
それが「水飲めば水の味がする」味覚の元になる。
松尾市兵衛の間違いは、断食の理を知らず、天理王命をもてなしたことであり、
天理教教祖伝逸話編には、きちんと、松尾の違いが残されている。
(松尾の件続く)

79 :
続き)【七十五日の断食】逸話篇25を要点で引用する。
 明治五年、教祖七十五才の時、七十五日の断食の最中に、松尾市兵衞の宅へ、おたすけに赴かれた時、
のこと。・・松尾の家へ到着されると、市兵衞夫婦は心からなる御馳走を拵えて、教祖の御前に差し出した。
(←これは断食妨害である) 
教祖は、「早ようこれをお下げ下され。その代わり、水と塩を持って来て置い。」
市兵衞の妻ハルは、「何一つ、手も付けて頂けず、水と塩とだけ出せ、と仰せられても、出来ません。」。
 「わしは、今、神様の思召しによって、食を断っているのや。」
 「どうや。あんたが箸を持って、わしに食べさしてくれんか。」と、仰せられた。
 ハルは、箸に御飯を載せて、待っておられる教祖の方へ差し出そうとしたところ、
膝がガクガクと揺れて、箸の上の御飯と茶碗を、一の膳の上に落としてしまった。
 ハルは、教祖の御前から膳部を引き下げ、再び調えて、教祖の御前に差し出した。
教祖は、「御苦労さんな事や。また食べさせてくれはるのかいな。」と、仰せになって、口をお開けになった。
そこで、ハルが、再び茶碗を持ち、箸に御飯を載せて、お口の方へ持って行こうとしたところ、右手の、親指と人差指が、痛いような痙攣を起こして、箸と御飯を、教祖のお膝の上に・・
「あんたのお心は有難いが、何遍しても同じ事や。神様が、お止めになったのや。・・皆お下げ下され。」
← 神は松尾の煮た物を拒否している。
 ご馳走を与えるのは、煮た物をさずけるとはならない実例である。

80 :
 きちんと理解しておかねば、松尾市兵衛の理の間違いの同罪である。

 まず中山みきは天理王命である。修行の断食をしていたのではない。神の命にはわけがある。
 天理教の基本であるが 中山みきの断食は「予言行為」である。
 75歳中山みき、明治5年、75日の断食。みきは実数で理を示す。これを心得なければ、
松尾市兵衛と同罪である。
 十人の中の三人片腕は、火水風とも退くと知れ、三人のうち一人が松尾である。
 それほどの重大事が明治5年にはおきていた。
 日本を太平洋戦争に突入させた「大教」(天皇は現人神とする天皇教のこと)が、宣布された。
 5の理とは五つ理を吹く、神の立腹を示す。
 大教院は 三条の教憲(敬神愛国、天理人道を明らかにする、皇上の奉載)を掲げ、
以後、天理教の信仰組織は川原町系山名系、など、すべてその三条の教憲に従う組織となる。
 75歳75日の天理王の断食は、信仰の空白期間、75年の現実の予言である。

 明治5年1872年から75年間は、天理王命には真心のお供え物は無いという予言。
 1873年を1として75年は1948年、それまでを確かめると、
天理教団は三条の教憲に基づき明治教典教理を説き、山名系川原町系、本部系もであるが、
おやさま本来の教えは語らず語らせず、泉田藤吉らそれを語る不教師は、懲戒免職にしている。

 1948年のおふでさき刊行まで、おやさまに真の食を提供できなかった。
 さんげよりないが、
 食の理の間違いの、松尾に、二に煮た物松尾、おやさまは、誰にでもさずけたいのである。

81 :
息の問題が、不老不死の入口です。甘露の門の内に入るには、信仰を捨てる前には、
信仰は入口までの修行として、必要です。

『雑阿含経』では釈迦は呼吸法について以下を説きます。仏教式に整理しました。
@念息長(長く出息しては「私は長く出息している」と知る)    
A念息短(短く入息しては「私は短く出息する」と彼は知る)
B覚知一切身(身体のどこで呼吸しているか覚知して呼吸しよう)
C覚知(止息させて呼吸する)
D覚知喜(喜びを覚知)
E覚知楽(安楽を覚知)
F覚知心行(心行を覚知して)
G覚知心行息(心行を止息させて)
H覚知心(心を覚知して)
I覚知心悦(心を喜ばせて)
J覚知心定(心を定めて)
K覚知心解脱(心を解脱させて)
L観察無常
M観察断 - -
N観察無欲
O観察滅

 部分部分は、精神統一などで人間は実行していますが、甘露の門を意識しなければ 不老長寿にはいたりません。

無常を知るということは「理に精通する」ことで、かしもの借り物の理を思念し、
案般念を実行するために、教団での修行もありとはされています。

82 :
天理教は新なる言の真言宗を尊びます。元の理です。
呼吸法について正しくお伝えに下さったのは真言宗です。
人間は無意識でも呼吸します。
それを意識して、長く吐き、短く吸い、息を止め、呼吸の身体の影響を楽しみ、
観察し、成長する自分を知り、目覚めるという、安般念を行えというお経です。
 
『雑阿含経』(安般念の修習)について、お経を現代文にて読みます。
http://www.horakuji.com/dhyana/texts/zou-agon_kyou/1.htm


「比丘たちよ、まさに安那般那念を修習すべきである。
もし比丘が安那般那念を修習して習熟すれば、身体は止息し、心が止息して、尋あり伺あり、
寂滅・純一にして、明分想の修習を満足する」と。
 仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

83 :
具体的には天理王は、どんなことでも身でしらせると教えています。
身に知らせがあったとして、脳と身体の間に道がないと、身体への知らせは、脳に伝わらない。
ただ、手が痛い、足が痛いでは、知らせも何もない。解読不能です。
 たとえば7月22日、「今急に胸が痛くなりました」と問い合わせがありました。
胸というのは「月日の心せき込み」を知らせる場所で、人間は緊張するとドキドキします。
こういう場合、身体の各場所を思案していますと、その場所の理と状態の観察ができていて、
無常がわかる。「無常とは常でないこと」です。その違いを観察して、理を悟る。
このときに、呼吸が案般念を実行するのです。
 「お子さんが毎朝2時から4時に熱が上がる」と7月11日にはお尋ねがあって、「大食天命の理」。
親の決断の問題と、お話してあって、それは治った。その後の出来事なので、今度は父親に、
神仏はせき込みの状態を出したのですが、そういう身体と神意というものは、まず呼吸から。
朝晩のお勤めから入るのは、呼吸法の修行ですが、実際の日常に生かすには、信仰は捨てよです。

84 :
http://www.horakuji.com/dhyana/texts/zou-agon_kyou/4.htm
真言は、五十音表にて母音言語の日本語にて、呼吸する法を実践している。
裏守護の理があります。雑阿含経を読みます。甘露に触れています。

「比丘たちよ、まさに安那般那念を修習するべきである。安那般那念を修習して習熟すれば、諸々の覚想を断じるであろう。どのように安那般那念を修習して習熟すれば、諸々の覚想を断ずると云うのであろうか。もし比丘が、村や町に住み、…
(先に広く説いたところに同じであり中略)…出息の滅において善く行じる。
これを安那般那念を修習して習熟すれば、諸々の覚想を断じると云う」と。
仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

 覚想を断じ、このように動揺することがなければ大きな果報と大きな利益を得る。そして甘露を得、甘露を究竟し、二果・四果・七果を得る。一一の経もまた、上のように説かれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 安般念は、村や町に住み、行われて大きな果報をえると、そして甘露を得る。

 この釈迦の教えは、実行されていないで宗教組織が、案般念を指導した。
 ダメなもんです。
 中山みきは、認可を受けてよいと決して言われず、拷問にあわれた。
 その呼びにくるも神、連れにくるも神、宗教組織はみきに断食させました。
 信仰とは、甘露の門を閉ざします。

85 :
 天理教はお釈迦様の教えの言い残しを告げるを基本とします。
因果応報はお釈迦様以前の教えであり、仏教は因果応報を説くと狭く解釈は誤解です。
説かない立場、因縁切りの立場ということです。
アーリア人の太陽神信仰がながれこんでインドの地で「ベーダ信仰」が発生し信仰社会が成立し確立した。 その時、元の神の因縁ある釈迦が誕生し、元の神そのものとして人間存在について、人類に法理を諭されました。
 天上天下唯我独尊。この一語が、人間の権威を告げています。
 仏教以前には、人間のカルマ(行為、業)が次の世に次々と受け継がれるという、宿業が説かれていた。  
 それはこの世のカルマが“因”となり、次の世で“果”を結ぶ。善因は善果、悪因は悪果となる。そして、あらゆる生物が六道〔@地獄道、A餓鬼道、B畜生道、C修羅道(闘争の世界)、D人間道、E天上道〕を生まれ変わり、死に変わって、転生し輪廻する。
何者もこの輪廻から逃れることはできない。との、理解であり、人間は宿業に支配されるを説いていた、
 それを、生、病、老、死、の因果を断ち切る人間存在の道を、釈迦は元の神として月日として説かれました。  

86 :
雇ってください

87 :
>>86
>雇ってください
おさしづに、この屋敷に給料もろうているものある。残念、残念とあります。
天理教は基本的に雇用関係、主従関係を残念と見立てます。

家業第一として自立したいとのことなら、いつでも、カラオケ喫茶演歌王店でママ経由で連絡をください。
 カラオケ喫茶演歌王のママは天理教の門外漢の人もいて基本の名では通じません。が、カラオケの演歌王にれんらくしたいとお伝えください。必ず連絡はつきます。
 来る方は歓迎しますが、信仰を捨て、つまり主従上下の関係はもたずに願います。

 雇用でないから、それをご承知ください。

88 :
わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。
廃棄するためではなく成就するために来たのです。

 マタイによる福音書(聖書マタイ伝)は、旧約の成就 をイエスの目的と示します。

マタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努めている(参照:マタイ5:17 〜 18)。

 さらにマタイは、イエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調している。
 (参照):「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22 他、数箇所ある)
(Wikipedia)

キリスト教の宗教学者中西牛郎は天理教祖伝に関与し、「イエスの十字架を中山みきは完成の意義や」と告げたと、その立場で、語っています。

 1838年(天保9年)の3999年ほど前、前2200年ころ人類の知恵の仕込みから文字の仕込み3999年の時代となり、絵文字から記号文字、などが文字として確立し、教を伝える詩篇、経文、予言を残した。
 それも月日の教えであり、ユダヤ教は多くの予言を伝え、人類の幸福を予言した。

 その完成のために、イエスは真理をお説きになった、完成のためのイエスです。

12月12日(陰暦10月26日)、森神社(現在の三島神社)にて中山みき(40歳)に「天理王命」が憑依し、天理教が発祥
 

89 :
イエスが完成させると宣言した神の国について、聖書に教えが示されているとされます。
しかし聖書には、新約聖書(キリスト教)、旧約聖書(ユダヤ教)、とありますが、それは信仰組織の教会が制定した聖典で、
その以前の聖典に、下典と呼ばれるものがあります。
 仏教でいえば原始仏教の経典があり、小乗仏教の経典があり、大乗仏教の教典がある様に、
信仰組織が「これが1番だ」と、定義する結果、
「呼吸法」を説き「甘露の門」をといて、不老不死を教えた「甘露の門」は、第1番から外されたように、
太陽神の教えも、「下典」の教えでは無く、「教会信仰」に堕落したわけです。
 仏教における神秘は「不老不死」、聖書教における神秘は「エデン」。
 人間には「不老不死」「楽園」の世が予定されているという、神秘を否定した信仰組織の劣悪。
そのエデンをこの世にもたらすために、イエスは来たのです。
 『 マルコによる福音書』1章 15に「時は満ちた,神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信ぜよ」というイエスの最初の宣教の言葉。
 神の国とは、エデン、快楽の国の事であることは、教団教理によっての聖書の編纂で黒塗りされています。

があるように、

90 :
聖書教の教の元々の教えの本質ではなく、「禁欲と戒律」の教えとして、歪んでいた。
本来は、快楽を肯定し、譬えば美食を肯定するエデンを、追放されたことばかり事ばかり強調する。

が、あるように、
幸福な世を、不幸な世に変えてしまったのが「ユダヤ教」であった。
 これを承知しなければ、この世が地上の楽園・神の国に近づいたというキリストの言葉が理解できないでしょう。

ユダヤ教では性衝動や性行為は自然なもので、必要悪と見なすことは無い。 夫婦の性行為はそれを捻じ曲げることがむしろ罪であるとされる。
また、快楽を伴わない性交は罪とされる。

91 :
天理教は「陽気遊山」の教え「陽気湯参」の教えです。
 教団は「陽気暮らし」と説く。
 違いすぎます。

 いや暮らしぞのものが「遊山」「湯参」なら不一致とはなりませんが、・・

 快楽を伴わない性交は罪であるというのは、
 エデンの到来とは性の快楽は不可欠と心得れば当然です。

 イエスキリストは裏保護のつきよみ命様ですから、まさに性の問題の守護の神様。
身の内では「男一の道具」の神。
 西洋では「エロス」が幸福の源と扱われているのは、エデンへの願望そのものです。

92 :
元の理では,,、聖書の扱いはどうなっているでしょうか。
考古学で聖書は歴史を裏付けられます。聖書は先ず言葉ありきで始まりますが、文明ではシュメール文明の画期的な発明といわれる文字の使用、
これは紀元3200年頃にさかのぼると考古学はかたります。
 親神の知恵の仕込みは紀元前4161年に開始されています。
 シュメールの知恵は楔文字を生み、素朴な絵文字として始まったこの文字は、いくつかの段階を経て、前2500年頃には楔形文字として完成されました。
天理教立教の1838年(天保9年)その3999年ほど前に文字の仕込がなされたとありますが、
紀元前2161年ということになりますから、文字の仕込がなされる前の文字であるシュメール文字ということになります。
 知恵の仕込みのころの絵文字、文字の仕込み以前の文字とみなします。
 楔形文字は、現代の言語の体系とは、まるで異なっているとされます。
 都市国家として発展したシュメール文明は、紀元前2350年頃、サルゴン率いるアッカド王国に征服され、セム人の支配を受けるとこになります。
 現代においてセム語族というのは、セム系の言語を使用する人々の総称であり、
中東、西アジアや北アフリカ、アラビア半島に分布する古代・現代のさまざまなセム語の話手を指します。
人類の言語となりました。
アッカド人、古代アッシリア人、バビロニア人、エブラ人、ウガリット人、カナン人、フェニキア人(カルタゴ人を含む)、
ヘブライ人(イスラエル人、ユダヤ人、サマリア人)、アラム人、カルデア人、アムル人、
モアブ人、エドム人、ヒクソス、ナバタイ人、サバ人、マルタ人、マンダ教徒、サービア教徒、シリア人、アマレク人、
アラブ人、アッシリア人、パルミラ人、ケダル人(英語版)などを含む。
まさに人類の文字の仕込みは、セムの時代に開始されたのです。

 前2200年ころ人類の知恵の仕込みから文字の仕込み3999年の時代に入ったとき、
シュメールではなく、セムに対して文字の仕込みがされたということ。これが文字の仕込みの、史実にての天理教の基本です。

93 :
シュメールの歴史に史実としてのノアの箱舟があるといわれています。
引用します。http://rekishi-memo.net/sekaishi/sumeru_bunmei.html
 紀元前2000年頃に編纂された「シュメール王名表」によると、シュメールの歴史は大洪水によって2つに分かれている。
 洪水前に天から王権が下ったのは、南の最も海岸に近い都市エリドゥで、
全部で5都市8人の王が24万1200年間支配したと述べている。
いわば神話的な記述である。
洪水後、再び天から王権が下ったのは、今度は北部のアッカド地方に近い都市キシュだという。
  王名表によれば、キシュの初期の王の名前には、セム系のものが含まれている。
・・・・・・・
 陰暦と60進法を使用していたから24万1200年の数字は12基準から出ているが、
陰暦を用いた文明が滅んだのは、環境破壊による天災で弱体化し、セム人に負けたためである。

94 :
癌になりましたらそこで最後を遂げたい

95 :
>>94
 いつでもご相談下さい。
 信仰を捨て、甘露の門をくぐり、息一つ、煮たもの、散財・三才心の3点セットの、
どれか一つで、癌はたすけて頂ける。宗旨は問わずお好きな神仏に願う事です。
 ところで、人を孤独にさせることは宜しくない、あなたが基本のところにくるとして、
あなたの不在で寂しくなる方がおられるかもしれない。
 ガンというのは基本「くにさつち」の神様で、土け色が国狭土、女一の道具の神様です。
 つなぎにおいて、縁において、頑なな心で、つなぐものもつながない心、そういうお心を、
息、言葉でつなぐ、煮たもの、食事・食卓でつなぐ、散財・お金でつなぐ。
これを一つで良いから、心からつないだら、癌のかたくなさは失われる、特効薬です。
 あんたとは口を利かない、お前とは飯も食いたくない、ごちそうはしてあげない。
 露骨に言えば「一の道具を使わせない」「一の道具を使ってやらない」という男女関係。夫婦関係。
 上げるべき財産を散財しないかたくなさ、そんなことが「孤独」を生みます。
 南無と唱え、月日の慈悲芯を、お心を貸して頂いて、天理王命と唱え、優しい言葉を・・
 天理教は、やまい助けが基本の教えです。
   このたびハどんなむつかしやまいでも
   うけよてたすけかでんをしゑる (9-34)
 これからハたしかにやくみゆてきかす なにをゆうてもしよちしてくれ (9-35)
 やくみというのは「薬味」で、泥海こふきの八柱のお役のこと。その理です。
  ガンなら、金銭と演壇と一の道具の神様のお役です。薬味は「恨みの埃」をとる。
  何を言われても、神の言う通り「処置」して下さい。

96 :
>>94 名前:神も仏も名無しさん 2019/08/02(金) 02:48:58.20 ID:DpIs9qZ4
〉癌になりましたらそこで最後を遂げたい

 このお言葉を訂正してください。
 ガンになりましたら、楽しく歌って陽気づくめで、永遠に長生きしたい。

 願ってみましょう。人生は200年。今からg楽しい人生ですと。

97 :
 泥海こふきについて、ですが、天理王命が、人間世界の創造を説きあかした神話です。
 日本に産み下ろされた人間は、から、天竺へと渡っていきます。
 元始まりにおいて人間に知恵の仕込みを、6000年間しましたが、
それはシュメール文化であると歴史はし増しています。
 シュメール時代の後に旧約聖書の時代が来る。セム語系の文字の仕込みのまえにシュメールです。
 その智慧の仕込み6000年には、その時代の仏陀やモーゼやイエスキリストのような存在がいて、
その人から智慧の仕込みがなされたと、「これも月日が教え来る」です。
 シュメールの文化から引用しますhttps://www.kyamaneko.com/entry/sumerian-civilization
 シュメール神話には、『メ』という宝物が登場する。
神々はメを求め、争奪戦を展開させる。このメとはなんなのか、神話上には明確な記述がない。
身につけたりかむったりするもののように描かれることもあれば、形のない、歌のような描かれ方がされることもある。
この至宝『メ』の実体についてだが、実は、形のない知識そのものであったようだ。
つまり、メとは一連の知識や知恵の体系であり、口承される形で伝えられるものだった。
『中央新書 シュメル神話の世界 粘土板に刻まれた最古のロマン 岡田明子 小林登志子著』より
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 にほんから天竺に渡った、先に生まれた兄魂たちに、知恵を教えた人物がいたと理解されます。

98 :
智慧の仕込みの結果、智慧の奪い合いが起きたとされます。
楔形文字も、高級な神官や王の為の文字であり、高山がままにします。
引用します。
https://www.kyamaneko.com/entry/sumerian-civilization3.
天文学と七曜制
シュメール人は農耕をしていたため、川の氾濫時期や収穫時期を正確に知る必要があった。
そのため、28日をかけて変化する月の満ち欠けを基準に日を管理する方法を考えた。
月の状態を4つに分けると、新月、満月、上弦、下弦となる。それぞれの期間を7日と想定すると、ちょうどよくなるため、これを1週間とした。
シュメール人が確立した、この太陰暦的な考え方は、近代でも生活に根付いている。
  ギルガメシュ叙事詩
ギルガメシュ叙事詩とは、ギルガメシュという王が、永遠の命を求めて各地を冒険する物語だ。
この物語については、シュメール時代の遺物から、徐々に解読が進んできた。
世界最古とも呼べるこの物語は、友情あり愛情あり、バトルや政略もある、一大ロマンとして近代でも知られている。
主人公はウルク第一王朝の第五代目の王である、ギルガメシュだ。
彼はライバルであり盟友であるエンキドゥとともに、世界を冒険する
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 永遠の命を求めるのは、人間の基本である。国王は知恵を独占し、甘露を求めますが、欲に切り無くなる。
その人々に福音を告げたイエスは、人々の願いの成就の為に、この世に生誕した神の子です。

99 :
 シュメールは智慧の仕込みの顛末を残しています。
 それは、2度の大洪水と、突然の文明の消失・・ ノアの箱舟が理を伝えています。天災という神の掃除の、歴史的事実です。
 永遠の命を求めるのは、人間の基本であるとして、それを智慧に求めたシュメールであり、
智慧の奪い合いで戦争を繰り返し、強固な法治国家と構築し、要塞都市国家間の争い。
 そして、神から掃除されます。
 泥海にしてしまうという、天の怒り。神のいう事聞き入れなければ。
ノアの方舟は「元の泥海にしてしまおうか」という立教の問答を想起させます。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ノアの方舟 引用します。
『シュメルの洪水神話』(粘土板)における記述[編集]
壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。わたしのいうことを聞きなさい。わたしの教えに耳をかたむけなさい。
われわれの……により、大洪水が聖地を洗い流すだろう。人類の種をたやすために……。これが神々の集会の決定であり、宣言である。……
 あらゆる嵐、しかもはなはだ強大なのが、ひとたばになって襲ってきた。同時に、大洪水が聖域を洗い流した。
 七日と七夜、大洪水が国中を洗い流し、大舟は嵐のために大波の上でもてあそばれた。
 そののち、太陽神ウトゥ(英語版)があらわれ、天と地を照らした。ジウスドラは大舟の窓をひらいた。英雄ウトゥは光を大舟のなかにさしこませた。王ジウスドラはウトゥの前にひれ伏した。
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100 :
 シュメールは智慧の仕込みの顛末を残しています。
 月日から智慧の仕込みを受けて高度な文明社会を構築し、智慧をむさぼり、智慧を過信し、堅固な城塞と、言語を支配階級が独占した差別社会。
強力な軍隊。滅びるはずのないシュメールの文明を滅ぼしたものは、「元の泥海にしてしまおうか」も天災。大洪水と言われています。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/大洪水 引用します。
諸文化における大洪水神話 古代オリエント シュメール
 シュメールの神話では、エンキ神がシュルッパクの王ジウスドラ(「命を見る者」という意味で、彼が神から不滅を約束されたことから)に、洪水による人類抹殺を予告する。
 しかし、神がなぜこれを決定したかという部分については、粘土板から失われている。
 エンキ神は、大きな船を作るように指示する。命令についての文章も、同じく神話から失われている。
 7日の氾濫の後、ジウスドラは供物と祈りをアン(空の神)とエンリル(最高神)にささげ、ディルムン(シュメールにおけるエデンの園)で神から永遠の命を授けられる。
 シュメール王名表も大洪水について言及している。
 その説明によれば、最初エリドゥに渡った王権は、次いでバド・ティビラ、ララク、シッパル、シュルッパクへと移る。
 イラクにおける発掘で、シュルッパクの洪水は紀元前2900年〜紀元前2750年頃、ほぼキシュの街まで及んだことが証明されているが、
 この街の王エタナは、大洪水の後、最初にシュメール王朝を成立したと言われる。
 ジウスドラの伝説はエリドゥ起源の粘土板断片のコピーであり、その楔形文字型から、紀元前17世紀と年代が特定される。
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シュメールの神は 太陽神であり、日本の神天照大神と共通するが、智慧は太陽神。
 こふきでは「面足命さまが智慧のご守護」であって、智慧を学んで人間は「支配と略奪」、慈悲の無い文化を作っってしまったことが、天災を生んでいる。


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