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テレビ番組司会者在任記録


1 :2005/09/04 〜 最終レス :2020/02/19
前あった「司会者の変わった番組」のスレが無くなったので立ててみました。
他のスレに「テレビ長寿番組ランキング」というものがあり、司会者編でもそういう
ものをここのスレットでやりたいと思います。
・注意点等
1 長寿番組ランキングとは異なり、10年、20年と司会をした場合から、このスレットではほんの数回しか司会していない、
もしくは番組がそのぐらいしか続かなかったとかいうレヴェルまでを扱うこととします。
また、東京キー局及び大阪準キー局発の番組だけでなく地方局の番組司会者も可とします。
2 原則として、司会者の氏名、在任期間、番組名、放送局を表記することをします。
但し、分からない場合は「番組名 司会A→司会B→司会C(分かる範囲で司会を務めたと考えられる年代)」という程度を表記
していただき、その上で、他の方で詳細を知っている方がいれば、追加投稿していただければ
と思います。
3 また、或る司会者が何々を話したことが印象深い、この司会者のこういうスタイルが良かった
というのも書いてくださってもかまいません。
どうぞよろしくお願いいたします。

2 :
早速、スレットを立てた私から恐らく知り尽くされているであろう
ものをいくつか・・・。
(後、就任時、降板時が例えば「○月第3週」とかキリの悪い場合には、その月のうち2週間以上司会を
している場合には「1月」としてカウントします)
・(東リパネルクイズ)アタック25(朝日放送=TBS)
児玉清 昭和50年4月7日〜(現在30年5ヶ月目)
※但し、児玉清氏盲腸炎入院時(昭和59年10月14日、同28日の2回)は板東英二氏が代理司会を担当。
※また、同番組の実質的な前身番組である「(5人抜き)クイズ・イエスノー」(朝日放送=TBS)も児玉氏は司会を担当(昭和49年4月7日〜
昭和50年3月30日)しており、これを含めると現在31年5ヶ月目となる)
・夜のヒットスタジオ(昭和60年4月よりDX)(フジテレビ)
芳村真理 昭和43年11月4日〜昭和63年2月10日(但し、昭和48年10月2日〜49年3月25日まで出演せず、18年10ヶ月)
・ザ・ベストテン(TBS)
久米宏 昭和53年1月19日〜昭和60年4月25日(但し、前夜祭として昭和53年1月12日の放送でも司会を担当、7年4ヶ月)
・(奥様スタジオ・)小川宏ショー(フジテレビ)
小川宏 昭和40年5月1日〜昭和57年3月31日(16年11ヶ月)
・ミックスパイください(CBC)
小堀勝啓(CBCアナウンサー) 平成2年3月26日〜平成11年3月26日(9年)
※前身である「CBCニュース通り」の1セクションである「時代塾」も彼の担当
であり(平成元年10月?日〜平成2年3月23日)、これを含めると9年6ヶ月となる。


3 :
>>2
訂正 児玉氏の欄で、昭和50年4月「6日」〜が正しいです。

4 :
>>2
児玉さんの「クイズ・イエスノー」は毎日製作NET系番組
スポンサーが共に東リだった事と、スポンサーの指示でNET系での継続の方を選んだという
話もある事から実質的な前身番組と言えますが

5 :
桂三枝
「新婚さん!いらっしゃい」
放送開始は1971年だが始めは今の男女の司会体制の上に総合司会で月亭可朝が居た(事実上の
進行役は三枝と女性司会者が務めていたようですが)のでどう考えましょうか?

6 :
「11PM」大阪の藤本義一(1965.11〜1990.3)も印象深いですね

7 :
>>5
桂三枝も月亭可朝も司会者としてカウントしても良いと思います。
ちょっと昔になりますが、確か新婚さんが20年を経過した際の特別番組で
その後の出場夫婦の跡を追うという企画があった際、可朝・三枝の時代のもの
が流れていたのですが、どちらも司会役として話を進めていたのを見たことがありますので。
むしろ、可朝さんがいつまで司会だったのかという具体的な点についてはあまり資料がない(参議院
選挙出馬が理由で降板だというのは知っているのですが・・・)ので、是非分かる方いれば書き込んでください。
>>4
訂正ありがとうございます。


8 :
>>6
11PMは東京の担当は初期は山崎英祐氏(読売新聞所属の記者)が担当し、
その後小島正雄氏、巨泉氏、三木鮎郎氏らが司会を務め黄金時代を迎えたのですが、
大阪のイレブンは最初から最後まで一貫して藤本氏でしたね。通算すると
24年5ヶ月も司会を担当したわけで・・。
東京のほうのイレブンの最後の三枝成彰、高田純次の頃までの歴代司会者の在任記録が詳しく記された資料もあまり
見たことがないので、これも是非分かる人はお願いします。

9 :
日本テレビ日曜21時枠の番組推移と司会者変遷(昭和62年以降)
1,巨泉のこんなモノいらない!?
大橋巨泉 昭和62年10月4日〜平成元年9月24日(2年)
※アイスタントは初代:木村優子アナ(当時)、2代目:鷹西美佳アナ。

※巨泉氏は副業の関係で同番組に穴を開けることも多く、その場合の代打司会として青島幸夫、小倉智昭、徳光和夫アナ(当時)の3氏が登場していた。

2,知ってるつもり!?
関口宏 平成元年10月8日〜平成14年3月24日(13年6ヶ月)
※アシスタントは初代:高木希世子(平成元年〜9年3月<7年6ヶ月>)、2代目:千野志麻(現フジテレビアナウンサー、平成9年4月〜11年3月<2年>)、3代目:水野真紀(平成11年4月〜平成14年終了まで<3年>)と交替。

3,行列のできる法律相談所
島田紳助 平成14年4月7日〜(但し、平成16年10月の「暴行事件」の責任を取り、平成16年10月31日〜17年1月2日放送までは同氏は司会としての出演を自粛、代替司会者が置かれたため、現在3年3ヶ月目)。
※アシスタントは開始当初より松本志のぶアナ。
※紳助氏謹慎時の代替司会者は、東野幸治(H,16,10,31〜H,17,1,2)、今田耕司(H,16,11,21〜H,17,1,2)が当たった。
※そもそもは平成12年3月より数回SP版が放送された後にレギュラー番組となっているが、このSP版時代についてはレギュラー番組としての同番組の司会在任記録とは別個のもの
とする。


10 :
詳しい年月は知らないが、関口宏はTBSの月曜7時台を長年司会している。
クイズ100人に聞きました→ムーブ・東京フレンドパーク(第一期)→ザッツ・パパパラダイス(タイトルうろ覚え)→東京フレンドパーク2
三枝・児玉清に次ぐのでは?

11 :
>10自己レス
その前に、女帝・黒柳徹子が居たなorz
黒柳徹子「徹子の部屋」テレ朝(昭和51年〜現在)

12 :
>>10
「徹子の部屋」(NETテレビーテレビ朝日)
黒柳徹子 昭和51年2月2日〜(現在29年8ヶ月目)
※前身番組である「13時ショー」(昭和47年10月〜51年1月30日)の司会も担当。
これと合わせると平成17年10月で満33年となる。

13 :
>>10
関口宏氏のTBS月曜19時枠での司会番組推移
「クイズ・100人に聞きました」 昭和54年4月2日〜平成4年9月21日(13年6ヶ月)

「ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク」 平成4年10月12日〜平成5年9月20日(1年)

「ザッツ・パパパラダイス」 平成5年10月?日〜平成6年3月?日(6ヶ月)

「関口宏の東京フレンドパーク2」 平成6年4月11日〜(現在11年6ヶ月目)
通算して現地点で26年6ヶ月目。
※尚、「100人に聞きました」の前身番組として、日曜14時の30分枠でほぼ
番組内容は同一である「家族対抗クイズ合戦」(昭和53年4月2日〜54年3月25日)、それより前には
同じ日曜日の朝11時の30分枠で「クイズ世界をあなたに」(昭和52年4月3日〜53年3月26日)の司会も
担当している。これらの司会の期間を合わせると現在28年6ヶ月目。
※これらの番組をあわせて在任年数を計算するかどうかは解釈が分かれる。
・「家族対抗ー」〜「100人−」を一つの番組とし、「フレンドパーク」を別の番組としてみた場合−2番組通算で14年6ヶ月
・上記2番組と「家族対抗」の実質的前身である「クイズ世界をあなたに」を合わせる場合−3番組通算で15年6ヶ月
・「世界をあなたに」・「家族対抗」を関口氏TBS19時枠の大元として解釈した場合−6番組通算で28年6ヶ月目(現地点)
・「フレンドパーク」のみを1個の番組として解釈する場合−通算12年6ヶ月目(現在)

14 :
日本テレビの朝のワイドショー司会者(79年以降)
・ルックルックこんにちわ
初代:沢田亜矢子 昭和54年4月2日〜昭和59年9月28日(5年6ヶ月)
2代:岸部シロー 昭和59年10月1日〜平成10年4月7日(13年6ヶ月)
※岸部氏時代のアシスタント
@斉木かおりアナ 昭和63年4月〜平成3年3月(3年)
A米森麻美アナ 平成3年4月〜平成7年3月(4年)
B笛吹雅子アナ 平成7年4月〜平成13年3月30日(6年)
3代:松永二三夫アナ 平成10年4月8日〜平成13年3月30日(3年)
※岸部氏の「自己破産」による突然の降板騒動の影響からピンチヒッターとして
松永アナが抜擢され、放送終了までの3年間司会を担当。女性司会者は笛吹アナが引き続き担当した。

・レッツ!
向井亜紀・鈴木健アナ 平成13年4月2日〜平成14年3月29日(1年)

・ザ・情報ツウ!
峰竜太 平成14年4月1日〜(現在3年6ヶ月目)
※女性司会者 
初代:麻木久仁子 平成14年4月1日〜平成17年4月1日(3年)
2代:松本志のぶアナ 平成17年4月4日〜(現在6ヶ月目)

15 :
TBSの「時事放談」の細川隆元も30年くらい司会を務めていないか?

16 :
同一番組の記録なら文句なしに「新婚さんいらっしゃい!」の桂三枝(1971.1.31-現在=34年7ヵ月)。
ラジオは「昼の話題」→「秋山ちえ子の談話室」の秋山ちえ子(1957.9.2-2002.10.4=45年1ヵ月)

17 :
>>16
逆に最も短命(極端に言えばレギュラー番組で1回で降板してしまったとか)だった司会者
は誰なんだろうか・・・。
3ヶ月ということになると結構色々いると思います。プロ野球ニュース(フジテレビ)の週末版
初代司会者のはらたいら(昭和51年4月〜7月、司会業に合わず降板)、アフタヌーンショー(NET−テレビ朝日)の山田吾一
(昭和48年8月〜11月、不祥事で降板)が代表的でしょうか・・・。

18 :
最近では「スーパーサッカー」(TBS)の徳永英明が短命司会だったな
2001年1月〜5月ごろ、急病を理由に降板。その後極楽とんぼ・加藤浩次に引き継がれ現在に至る。

19 :
昔のTBSのたけし氏の番組も伝説の短命番組であった「笑ってポン!」を筆頭にどれもこれも短かったなあ・・・。ただ、あれを司会者
として含めるかどうかは微妙だけども・・・・。
<金曜20時枠>
・風雲!たけし城 昭和61年5月2日〜12月(フライデー暴行事件により一時謹慎、)
         昭和62年8月〜平成元年4月14日(通算2年5ヶ月)
※同番組におけるたけし氏のポジションは「城主」、相手役である「家老」は石倉三郎氏
からそのまんま東氏に交代。

総天然色バラエティー北野テレビ繁盛記 平成元年4月21日〜9月15日(5ヶ月)
※但しこの番組の主な内容はコントであった。

たけしの頭がよくなるテレビ 平成元年10月20日〜平成2年9月21日(11ヶ月)
同枠の担当期間 通算3年9ヶ月

<水曜19時枠>
・笑ってポン! 昭和58年7月6日〜9月28日(3ヶ月)
※放送回数は野球中継による休止などもあり9回であったといわれている)
※また、正確には同番組におけるたけし氏のポジションはコメディリリーフであり、司会は
TBSアナだった生島ヒロシ氏であった。

たけしのお笑いサドンデス 昭和58年10月26日〜昭和59年6月27日(8ヶ月)

たけしのホッカホカタイム 昭和59年7月4日〜9月26日(3ヶ月)
同枠の担当期間 通算1年2ヶ月(「笑ってポン」を除くと11ヶ月)

 

20 :
>>16
あと、「新婚さん」の話題が出ているので、歴代の女性司会者も・・・。
初代:江美早苗 昭和46年1月31日〜昭和46年7月11日(6ヶ月)
2代目:梓みちよ 昭和46年7月18日〜昭和53年2月26日(6年8ヶ月)
3代目:ジョーン・シェバード 昭和53年3月5日〜昭和56年11月8日(8ヶ月)
4代目:片平なぎさ 昭和56年11月15日〜平成4年5月17日(10年6ヶ月)
5代目:岡本夏生 平成4年5月24日〜平成8年3月31日(3年10ヶ月)
6代目:渡辺美奈代 平成8年4月7日〜平成9年6月29日(1年3ヶ月)
7代目:山瀬まみ 平成9年7月5日〜(現在8年3ヶ月)
10年以上続けたのは片平なぎさだけ。ただ、現在の山瀬もまだしばらくは司会を続けるで
あろうから、事務所の先輩(ホリプロ)である片平の記録を抜く可能性は大きい。


21 :
>>16
訂正 J・シェバードの担当期間は「3年」8ヶ月でした。

22 :
>>15
時事放談(TBS、途中から日曜放談に改名)については正確な司会者
の期間等については不詳。ただ、大方のHP上での情報ではメインの出演者(司会者)
については
・小汀利得 昭和32年7月28日〜昭和47年5月(47年5月28日に逝去、14年10ヶ月)
・細川隆元 昭和32年7月28日〜昭和62年3月29日(29年8ヶ月)
・藤原弘達 昭和47年6月  〜昭和62年3月29日(14年10ヶ月、小汀利得氏の後任)
となっているようです。そうなると、細川氏もいわゆる長寿司会者のひとりに入りますね・・。


23 :
あと、具体的な期間を知りたいのは、「スター千一夜」と「3時のあなた」。
司会者の面子は
スター千一夜(フジ)
三木鮎郎、高橋忠雄(両氏が初期の司会者)、土居まさる、栗原玲児、高島忠夫、
石坂浩二、関口宏、吉永小百合、荻島真一、ビートたけし、浅芽陽子、志垣太郎、神津カンナ等
3時のあなた(フジ)
高峰三枝子、木元教子(両氏が初代のメイン司会者)、久我美子、山口淑子、芳村真理、扇千景、森光子、
寺島純子、司葉子、坪内ミキ子、うつみ宮土理ほか
誰か知っている人、是非書き込みお願いいたします・・。



24 :
>>20
つい最近替わったと思っていた山瀬まみはもう8年もやってるのか…
「ブロキャス」や「ガッテン」も長いこと居座ってるしな

25 :
>>24
「プロキャス」こと「ブロードキャスター」の話題が登場したので・・。
初代:三雲孝江・蔦信彦・山瀬まみ 平成3年4月13日〜7月 
   蔦信彦・山瀬まみ 平成3年7月〜9月(三雲氏産休のため一時降板)
2代:福留功男・三雲孝江 平成3年10月〜平成16年9月25日
※三雲氏復帰と合わせ福留氏が登場。また司会であった山瀬と蔦氏はレギュラー出演者としてその後も出演を続ける(蔦氏は途中で降板)。
3代:福留功男・久保純子 平成16年10月9日〜現在

三雲孝江 平成3年4月13日〜7月、10月〜平成16年9月25日(13年3ヶ月)
福留功男 平成3年10月〜(この10月で満14年)
久保純子 平成6年10月9日〜(この10月で満1年)
山瀬まみ 平成3年4月13日〜9月(正式な司会者としては6ヶ月、その後レギュラーとして出演、レギュラー・司会時代通算で現在14年6ヶ月)
   
   
 

26 :
>>25
また訂正、久保氏の登場は平成「16」年です。

27 :
クイズ番組の司会者
今回は番組と司会者を変えながらも一貫してクイズ番組が製作されていた枠における番組と司会者変遷を
まとめてみました。まだまだいくつもありますが・・・代表的なものを。
□日曜19時毎日放送製作枠(昭和38年10月〜平成4年3月)
・アップダウンクイズ(毎日放送=NET→TBS<S,50,4,6〜>)
初代:市村俊幸 昭和38年10月6日〜昭和39年3月29日(6ヶ月)
2代:小池清アナウンサー 昭和39年4月5日〜昭和58年9月25日(19年6ヶ月) 
3代:西郷輝彦 昭和58年10月2日〜昭和60年10月6日(2年)

・クイズ!ひらめきパスワード(毎日放送=TBS)
初代:野村啓司アナウンサー 昭和60年10月13日〜平成2年12月(5年3ヶ月)
2代:山城新伍 平成3年1月〜平成4年3月29日(1年3ヶ月)
□NHK日曜7時(20分)枠(昭和56年4月〜平成16年3月)
・クイズ面白ゼミナール(NHK)
鈴木健二アナウンサー 昭和56年4月9日〜昭和63年4月3日(7年)

・クイズ百点満点(NHK)
大塚範一アナウンサー 昭和63年4月10日〜平成6年3月20日(6年)

・クイズ日本人の質問(当初は火曜20時枠、平成6年4月より日曜19時20分枠に移動、平成12年4月より「新・クイズ日本人の質問」に改題)(NHK)
古舘伊知郎 平成5年4月6日〜平成15年3月30日(10年<※同枠での担当期間は9年>)

・お宝映像クイズ 見ればナットク!(NHK)
石澤典夫アナウンサー・久保純子アナウンサー 平成15年4月6日〜平成16年3月28日(1年)


28 :
芳村真理長く司会やっていましたが始めはアシスタントみたいな漢字だっただろうけど
だんだん男の司会者が年下になっていきましたな
歌手の出演依頼に芳村の人脈が大事だったそうです
有名女性タレントや局アナじゃない無名若手女性タレントが
長年アシスタントを務めたってのは
「開運!何でも鑑定団」の吉田なんとか子が記録じゃないのかな
10年以上やっているらしいです

29 :
>>28
特に女優・男優を歌手として出演させたのは芳村氏の力が大きかった。特に
松坂慶子や田中裕子、十朱幸代がその代表格か・・。

30 :
笑点も変わってるな
円楽師匠は83.1.9〜

31 :
同じ時間枠でというなら、巨泉も結構長かった。
もちろん、クイズダービーの枠だが、22年じゃ短い方か。
「○○(この部分を忘れた)でこんばんは」「コリャまた失礼」
「お笑い頭の体操」「クイズダービー」の4番組。

32 :
笑点
初代  松岡克由(昭和41年〜44年)
二代目 前田武彦(昭和44年〜48年)
三代目 三波伸介(昭和48年〜57年)
四代目 吉川寛海(昭和58年〜現在)
一回だけ、愛川欽也が代打で司会を務めている。
三波が急死して、収録していた正月用のものを
差し替えを迫られたため。

33 :
>>32
笑点の歴代司会者はこんな感じです。(ファンのHPやwikiでも紹介されております)
初代:立川談志 昭和41年5月15日〜昭和44年11月2日(3年7ヶ月)
2代:前田武彦 昭和44年11月9日〜昭和45年12月13日(1年1ヶ月)
3代:三波伸介 昭和45年12月20日〜昭和57年12月26日(12年)
4代:三遊亭円楽 昭和58年1月9日〜(現在22年9ヶ月目)
※3代目の三波氏が12月に急逝後、年内は同氏生前中に収録されていたストックで放送は
続けられる。翌58年1月2日の正月用特番については愛川欽也がピンチヒッターで司会を担当。
その後、円楽氏も当初は2、3回程度のつなぎの司会者として登場したが、そのままレギュラー司会者
となり、現在に至っている。
※尚、同番組の前には前身番組である「金曜寄席」(昭和40年3月12日〜41年4月22日が隔週で放送されており、この番組の司会者も初代の「笑点」
司会者である談志氏(この前身番組の初期は前半の演芸コーナーのみを担当し、後半の大喜利は円楽氏が担当したが、程なくして
談志氏が前編の司会を担当)が務めていた。この時期をあわせると談志氏の司会期間は通算4年8ヶ月となる。

34 :
こういうのってどうやって調べるの?

35 :
誰か「スター誕生!」の歴代司会者の変遷を教えて下さい。

36 :
>>31
巨泉さんの枠というのはTBSのこれもロート製薬枠だった、19時30分〜枠
のことですね?
「お笑い〜」より以前のものがあったことは全く知りませんでした。恐らく前身の2つは
相当短命だったのではないでしょうか・・・。
大橋巨泉
「お笑い頭の体操」昭和43年2月3日〜昭和50年12月27日(7年11ヶ月)
「クイズダービー」昭和51年1月3日〜平成2年3月31日(14年3ヶ月)
→2番組で通算22年2ヶ月。

徳光和夫 
「クイズダービー」平成2年4月7日〜平成4年12月12日(2年9ヶ月)
※巨泉氏のセミリタイヤに伴い、平成2年春より、まだ日本テレビからフリーとなり
半年しかたっていなかった徳光氏が2代目司会者に抜擢される。
※最終回(平成4年12月19日)については初代司会者の巨泉氏が司会を担当、徳光氏は
5枠解答者として登場したため、徳光氏の在任期間にはカウントしていない。

笑福亭鶴瓶・渡辺真理アナウンサー(当時)
「クイズ・テレビずき」 平成5年1月9日〜9月(9ヶ月)
※この番組を以ってロート製薬一社単独提供は終了。後継「チャレンジ大魔王」(平成5年10月〜平成6年3月)
はロートとP&Gの2社提供となる。尚、この「テレビずき」も平成3年以降、「金曜テレビの星」という
番組枠でこれより前に数回スペシャル版が放送されていた。

37 :
>>34
Wikipedia(ウィキペディア)や番組のファンサイトのある場合はそのサイト
などで調べています。
そのため、テレビ放送初期の時代のものについては「私の秘密」(NHK)等の名番組
というレベルにならないと分からないものも多いのが事実ですが・・。
場合によってはテレビ史に関する書籍などを図書館等で借りて調べる必要も
あるかもしれないですね。

38 :
関西テレビ=フジテレビ土曜8時30分枠の番組変遷・司会者の変遷
@「ハイ!土曜日です」
初代:南都雄二 昭和41年12月〜昭和42年3月(4ヶ月)
2代:桂米朝 昭和42年4月〜昭和57年3月27日(15年)
米朝氏時代の相手役の司会者は最初は小松左京だったが、1975年ごろ(確定した時期は不詳)
からは同局の桑原征平アナウンサーが務める。女性アシスタントはイーデス・ハンソン、古城都等。
A「DOサダデー」
柳生博 昭和57年4月3日〜昭和59年3月31日(2年)
B「モーニングスタジオ・土曜100%」
桑原征平アナウンサー・庄野真代 昭和59年4月7日〜昭和60年3月30日(1年)
C「モーニングアップル」
桂三枝 昭和60年4月6日〜昭和61年9月27日(1年6ヶ月)
D「シュートinサタデー」
釜本邦茂 昭和61年10月4日〜昭和62年3月28日(6ヶ月)
E「土曜大好き!830」(→平成9年4月〜「土曜ぴーぷる」に改題)
板東英二、桑原征平アナウンサー 昭和62年4月4日〜平成10年3月28日(11年)
※アシスタント
初代:塩沢とき(昭和62年4月4日〜平成2年3月31日、3年)
2代:林寛子(平成2年4月7日〜平成5年3月27日、3年)
3代:藤吉久美子(平成5年4月3日〜平成7年3月25日、2年)
4代:香坂みゆき(平成7年4月1日〜平成8年3月30日、1年)
5代:生田智子(平成8年4月6日〜平成9年3月29日、1年)
「ぴーぷる時代」:久保恵子(平成9年4月5日〜平成10年3月28日、1年)
F「いつでも笑みを」
上沼恵美子・山下真司 平成10年4月4日〜9月26日(6ヶ月)
上沼恵美子・渡辺徹 平成10年10月3日〜平成17年3月26日(6年6ヶ月)
※アシスタント 山本浩之アナウンサー 平成10年4月4日〜平成17年3月26日(7年)
Gベリーベリーサタデー!!
藤井隆・鈴木杏樹 平成17年4月2日〜(現在6ヶ月目)
※アシスタント 村西利恵アナウンサー 平成17年4月2日〜(現在6ヶ月目)

39 :
生活笑百科は西川きよしが司会だったことは忘れ去られているな。
それからフジの場合、素人民謡名人戦やMフェアなどの長寿番組も司会者変わってたね

40 :
>>2
突っ込ませてもらうがアタックはTBSではないぞ!
昔はテレ朝系未開局地域ではTBS系の局てアタックやっていた地域があったが、現在はテレ朝系以外はフジ系のBBTのみ。

41 :
>>40
>>4にて訂正されています・・。「テレビ朝日」が正しいです。

42 :
>>39
Mフェアは分かるのですが、素人民謡名人戦の司会者がどうしても分からない・・。
色々この番組も不祥事による降板などで司会者については紆余曲折があったらしいですね。
自分が知っているのは終盤の江戸家猫八氏のみなのですが・・。

43 :
>>42
司会をしてたのは江戸家小猫師匠ですよ。
昔、フジの番組祭りでこの番組が問題にされていた。
そのときに歴代司会者が出てて、小猫氏は4代目で85年から93年(最終回)までの7年

44 :
>>39
おもいっきりも山本コータローが初代司会というのは忘れ去られてるな。
87年〜89年 4時間時代が山本コータロー
89年〜 みのもんた
だったはず。
みのが夏休みとってたときは中山ヒデとかが司会をしてた。
あと、ショーバイも逸見氏病気療養時は店長代理として紳助や板東などが代わりばんこに司会をやってた。

45 :
江戸家小猫といえば、テレ東の「ゲーム王国」の最終司会者でもあった。
あの枠も時間帯・タイトル・司会が変わりまくってるな。おおよそ把握できそうもない。

46 :
>>13
パパパラダイスは93.10.11〜94.3.21が正しい。
1,2回見たけどつまらなかったので裏のクレしん見てた。
そしてTFP2スタートと同時に再びTBSに切り替えた。

47 :
関テレ系の「おもろい夫婦」の唄子・啓助も20年くらい
務めているのでは?

48 :
>>28
鑑定団の初代アシスタントは山内木の実だが、5ヶ月ほどで降板して吉田真由子に変わったらしい
(山内と吉田の間に別人がごく短期間だけいたと言うソースもあるが、未確認)
>>39
余談だが2003年にやってたNHKのテレビ50年特番ではきよし時代の生活笑百科のVTRが流れてたな。
確かきよしの在任期間は85年4月〜86年3月だったかと。
あと抜けているもの
・「兼高かおる世界の旅」 兼高かおる 1959年12月13日〜1990年9月(30年9ヶ月)
※当初は「兼高かおる世界飛び歩き」と称していた。期間は「飛び歩き」の放送期間(1959年12月13日〜
1960年6月19日)を含めている。

49 :
テレ朝の「料理バンザイ」の滝田栄も長かったな。
雪印事件さえなければ今も続いていただろうに。
一時、この番組見た後で大河で主演していたことがあって、
そのときは、つい2時間前は料理作っていたのがお侍かよと
突っ込みいれながら見ていたよ・・。

50 :
>>49
「料理バンザイ」(テレビ朝日)
滝田栄 昭和57年4月4日〜平成14年3月31日(20年)
※女性司会者は初代は小林幸子。その後、酒井和歌子、かとうかずこ、有賀さつき、中村あずさ、
高樹沙耶、鈴木杏樹と交替。
※平成14年のスポンサーである雪印による牛肉偽装事件の影響を受け20年の歴史に幕を閉じた。
>>48
「バラエティー生活笑百科」(NHK<大阪放送局製作>)
初代:西川きよし 昭和60年4月6日〜昭和61年3月29日(1年)
2代:笑福亭仁鶴 昭和61年4月5日〜(現在19年6ヶ月目)
※西川氏の参議院議員選挙出馬に伴い、同じく吉本興業の看板芸人である仁鶴氏が2代目の司会となり現在に至る。
このほかにも、同じ時期に「料理天国」(TBS)、「スター爆笑Q&A」(読売=NTV)、「素人演芸会」(毎日放送)の司会も降板している<※但し、
「料理天国」、「素人演芸会」については、その後司会に復帰している>)。

51 :
>>47
「唄子・啓助のおもろい夫婦」(関西テレビ=フジテレビ)
京唄子・鳳啓助 昭和44年4月6日〜昭和60年3月26日(16年)
「蝶々・雄二の夫婦善哉」(朝日放送=TBS→NET)
ミヤコ蝶々 昭和38年8月1日〜昭和50年9月27日(12年)
南都雄二 昭和38年8月1日〜昭和47年8月頃(9年?)
※元々は朝日放送ラジオで放送が開始され、昭和38年よりテレビ番組にリニューアルされた。
その期間を含めると蝶々氏の司会期間は約20年、雄二氏の司会期間は約17年(※ラジオでの具体的な放送開始日
は不明)。
※昭和42年頃より雄二氏が長年抱えていた糖尿病が進行し、他の出演番組(「ハイ!土曜日です」等)は降板したが、
同番組に関しては病体を圧して参加。昭和47年8月頃に病状が悪化し緊急入院して以降は、「蝶々・雄二の夫婦善哉」のタイトル
のまま、蝶々氏が単独で司会を担当。同48年3月の雄二氏の逝去以降は「ミヤコ蝶々の夫婦善哉」に改題して、引き続き蝶々氏単独
司会の形で放送された。

52 :
>>50
訂正
「夫婦善哉」(テレビ版)ミヤコ蝶々 昭和38年8月1日〜50年9月27日(12年2ヶ月)が正しいです。

53 :
>>51
追加・・・ラジオでの「夫婦善哉」の開始年は昭和30年、となっています。

54 :
朝日放送繋がりでもう一つ、現在も放送されている番組といえば「探偵!ナイトスクープ」。
これも載せておきます。
□司会(「局長」)
初代:上岡龍太郎 昭和63年3月5日〜平成11年4月14日(11年2ヶ月)
2代:西田敏行 平成12年1月26日〜(現在5年8ヶ月目)
※平成11年4月を以って上岡氏の芸能界引退に伴う番組降板から2代目西田氏登場までの9ヶ月間は、当時のレギュラー陣(「探偵」:北野誠、立原啓裕、桂小枝等、「顧問」キタ・タロー氏等)が週替わりで「局長代理」(代行司会)
を務めた。
□アシスタント(「秘書」)
初代:松原千明 昭和63年〜平成元年(約1年)
2代:岡部まり 平成元年〜(現在17年目)
※初代「秘書」の松原氏は初回からは出演しておらず、初回から数回は初期レギュラーの嘉門達夫が「探偵兼務」でアシスタント役を務めていた。
※松原氏が平成元年に結婚したことを機に降板した後から2代目の岡部氏が登場するまでの数回はレギュラーの北野誠の実母が「秘書代行」を務めていた。



55 :
>>48
またまた訂正・・・×「素人演芸会」→○「素人名人会」、です。

56 :
ぴったしカンカンも司会者変わってたね

57 :
>>48
鑑定団を初期から見ていたから間違いないはずだが、
鑑定団アシスタントは山内と吉田の間にはいない。山内は何の前触れもなく
降板して、その週から吉田がアシになった。
当初からあのやる気のないアシぶりだったが、初めてそれをいじったのは
タモリ(秋の特番に依頼人で出演)だった。

58 :
日曜昼の「ロッテ歌のアルバム」も玉置宏氏がずいぶん長く司会やってましたね。
「ロッテ歌のアルバム」(KRT<ラジオ東京テレビ>−TBS)
初代:玉置宏 昭和33年5月4日〜昭和52年7月17日(19年3ヶ月)
2代:小島一慶アナウンサー・千昌夫 昭和52年7月24日〜昭和54年9月30日(2年2ヶ月)
※玉置氏は第1000回放送を以って降板。「千一慶」という洒落で第1001回からは小島氏と千氏が
司会を担当することとなった。

59 :
>>57
すれ違いだが、吉田って、姉妹じゃなかったっけ?
鑑定団にでているのはどっち?
昔、フジ系の深夜番組で「デタカルチョ」に出ていたときは
姉妹二人であのやる気のなさそうなアシぶりだった。
>>58
小島一慶って幕引きで起用されることが多いね。

60 :
あと、いまの日本テレビ日曜22時枠(資生堂提供枠)の前身は平日昼に帯番組として
放送されていた「おしゃれ」という番組。この番組といえば久米宏が有名だが、或るサイトによれば、
彼が登場したのはフリーになって約1年を経過した昭和55年から。
久米氏以前は俳優が司会で、初代は三橋達也氏、続いて杉浦直樹→石坂浩二と短期間に交代し、久米氏がその後番組終了まで7年間(昭和62年まで)担当
した。

61 :
>>22
「時事放談」のくくり検索をかけた結果、訂正が必要な部分がありましたので・・。
・小汀利得 昭和32年7月28日〜昭和45年6月7日(12年10ヶ月)
・細川隆元 昭和32年7月28日〜昭和62年3月29日(29年8ヶ月)
・藤原弘達 昭和45年6月  〜昭和62年3月29日(16年10ヶ月、小汀利得氏の後任)
※主な司会者はこの3氏だが、この他に齋藤栄太郎氏(当時参議院議員)が参議院選挙の期間(昭和49年、55年、61年)
を除きゲスト出演という形で小汀氏降板後は参加していた。
というのが正確のようです。朝早くに放送されていた番組であるため、具体的に司会がいつ変わったとかは
かなり微妙な情報が多いようですが・・・。

62 :
そういえば夜ヒットと同じく月曜放送だった歌番組に紅白歌のベストテン(ザ・トップテン)がありましたね。
これも夜ヒットでいう芳村真理と同じく、堺正章が長く司会を担当してました。
「紅白歌のベストテン」(日本テレビ)
男性司会者(白組主将) 
・堺正章 昭和44年10月6日〜昭和56年3月23日(11年6ヶ月)
女性司会者(紅組主将)
初代:水前寺清子 昭和44年10月6日〜昭和45年3月(6ヶ月)
※水前寺氏が昭和45年にドラマ「ありがとう」や公演の関係でレギュラー出演
が困難となり、スタートから約半年後に降板。その後、暫くは女性ゲストから1人
が週替りで司会を務めていた。
2代:倍賞美津子 昭和45年〜昭和46年(不確定、約1年)
3代:今陽子 昭和46年〜49年(不確定、約3年)
4代:岡崎友紀 昭和49年〜昭和54年4月(約5年)
5代:大場久美子 昭和54年4月〜昭和55年3月(1年)
6代:榊原郁恵 昭和55年4月〜昭和56年3月23日(1年)

「ザ・トップテン」
堺正章・榊原郁恵 昭和56年3月30日〜昭和61年3月31日(5年)
※「紅白歌のベストテン」時代から通算して、榊原は6年、堺氏は16年6ヶ月。

「歌のトップテン」
初代:徳光和夫アナ・石野真子 昭和61年4月7日〜昭和62年3月30日(1年)
2代:和田アキ子・島田紳助 昭和62年4月6日〜平成2年3月26日(3年)
※この番組を以って「紅白歌のベストテン」から21年半続いた日本テレビの
20時音楽番組枠は終了。

63 :
>>61
「時事放談」は小汀利得が降板した後は
斎藤栄三郎と藤原弘達が毎週交代で出ていた。
斎藤が参院選出馬のため、降板して藤原だけになった。
「サンデーモーニング」の前の番組だったな。

64 :
>>59
妹のほう

65 :
「アフタヌーンショー」
榎本猛アナ 昭和40年4月5日〜昭和41年1月28日(10ヶ月)
桂小金治 昭和41年1月31日〜昭和48年8月3日(7年7ヶ月)
山田吾一 昭和48年8月6日〜昭和48年11月(3ヶ月)
・・・・・・
川崎敬三 昭和50年4月〜昭和60年10月18日(10年7ヶ月)
山田〜川崎氏の間はばばこういち氏(放送ジャーナリスト)らが代理司会だった
そうですが、その間に他には誰が司会をやっていたのでしょうか・・。
 

66 :
笑点といえば、レギュラー陣も変わりましたね。
最近では、 三遊亭好楽 88.4.3〜
      林家たい平 04.12.26〜

67 :
>>42
素人民謡名人戦の司会は
三和完児→?→鈴木ヤスシ→江戸家小猫でしょうか?
是非分かる人は教えてほしい項目
・2代目の司会者は誰だったか。
・在任期間。
色々としらべたのですが、なかなか分からない・・・。詳しい方、よろしくお願いいたします。

68 :
どさんこワイドの木村・明石もこの秋で15年目突入か

69 :
>>2アタックはアシスタントは結構変わったな
現在の沢木美佳子は99.4.4〜

70 :
>>66
たい平はあくまで「代理オレンジ」で替わったわけではない。

71 :
「ウェークアップ」(読売テレビ)の女性司会者
初代:植村なおみアナウンサー(1991,1〜?)
2代:徳山順子アナウンサー(時期不詳)
3代:野川由美子(?〜1994,12)
4代:酒井ゆきえ(1995,1〜2005,3,26)
5代:用稲千春(2005,4,2〜)
初代〜3代の司会者の期間は全く不詳。野川由美子は舞台出演が過密であったために1年も経たずに降板したと思うが。


72 :
>>71
あと、酒井氏は「ウェークアップ」の前にも「クイズ地球まるかじり」(テレビ東京)でも桂文珍氏
とずいぶん長くコンビを組んでた。
「地球〜」の場合は、当初は長門裕之がメイン、酒井がサブ司会だったが、視聴率が振るわず、半年ぐらいで
降板した後に文珍氏が加入し、酒井氏とのコンビでこれも10年ちょっと続いていたと思う(違うかもしれないが)。
仮にこの通りだとすれば2番組で両者のコンビ司会は20年も続いていたのか・・・。
「クイズ地球まるかじり」(テレビ東京)
初代・長門裕之・酒井ゆきえ 1983,10,12〜1984,3
2代・桂文珍・酒井ゆきえ 1984,4〜1994,9,28
で正しいのだろうか・・・?

73 :
>>2
「パネルクイズアタック25」の歴代出題者
初代:あかばゆき(昭和50年4月6日〜昭和51年3月28日 1年)
2代目:中村京子(昭和51年4月4日〜昭和55年3月30日 4年)
3代目:相沢純子(昭和55年4月6日〜昭和59年9月23日 4年半)
4代目:豊島美雪(昭和59年9月30日〜平成5年9月26日 9年)
但し、平成5年1月17日と24日放送の2回分は出題者の豊島美雪が急病だったため
代わりの出題者に下村委津子が担当した。
5代目:相馬宏美(平成5年10月3日〜平成11年3月28日 5年半)
6台目:沢木美佳子(平成11年4月4日〜現在)

74 :
>>73
○あかはゆき
×あかばゆき
○6代目
×6台目
ごめんなさい

75 :
>42 三和完児さんは、長らく司会者だったが(本職は芸人さんのはず)
 事件を起こして逮捕されました。それで司会者が交代になったんじゃ
 ないかなあ。

76 :
>>66
好楽はそれ以前からレギュラーだった
ただ以前は「林家九蔵」の名で出ていたということで。

77 :
「スーパー競馬」の歴代女性キャスター在任期間を教えて下さい。
うろ覚えで鈴木淑子→高木希世子→斎藤陽子→さとう珠緒→
高島彩→梅津弥英子→若槻千夏(現在)の順だったと思いますが。
また青山美恵子と吉野公佳は井崎氏のサブのみだったので違いますよね?

78 :
報道ニュースなら
フジはスーパータイムの露木や逸見、安藤
日テレは土日夕方も回転率が低いよ。
本多や鷹西とかは年数が重みを得ている。
テレ朝はニュースライナーから最近まで高井が昼ニュース。
TBSは筑紫、土日ニュースの吉川。

79 :
>>
確か吉川美代子アナウンサー(TBS)は記憶してる限りだと
「ニュースコープ」(平日担当、田畑光永氏と司会)昭和59年10月〜63年9月
「ニュースコープ」(週末担当) 昭和63年10月〜平成2年3月
「ニュースの森」(週末担当) 平成2年4月〜平成16年3月
週末の夕方ニュース担当として解釈した場合 15年6ヶ月
全体として夕方ニュース担当として解釈した場合 19年6ヶ月
ニュースキャスターとしては19年以上というのは相当長いですね。




80 :
>>77
それで正解。青山美恵子懐かしいな、今何してるんだろう。

81 :
日テレ「ザ・サンデー」の歴代キャスター
男性キャスター
初代:中村敦夫(平成元年10月1日〜平成2年12月2日 1年2ヶ月)
2代目:徳光和夫(平成2年12月9日〜)現在14年10ヶ月目
女性キャスター
初代:木村優子(平成元年10月1日〜平成2年12月2日 1年2ヶ月)
2代目:永井美奈子(平成2年12月9日〜平成8年3月31日 5年4ヶ月)
3代目:関谷亜矢子(平成8年4月7日〜平成12年3月26日 4年)
4代目:松本志のぶ(平成12年4月2日〜平成17年3月27日 5年)
5代目:馬場典子(平成17年4月3日〜)現在6ヶ月目

82 :
「ニュースコープ」は古谷綱正も18年近く担当していたはず。
降板の日に、最後のニュースを読み終わって、ピンマイクを
はずし、スタッフと握手していたのを覚えている。

83 :
>>82
1962年10月〜1964年9月
田英夫(月火水)、戸川猪佐武(木金土)
1964年10月〜1969年9月
田英夫(月火水)、古谷綱正(木金土)
1965年10月
日曜版スタート。開始当初は、藤原弘達と女性サブキャスター1名で、後にアナウンサー・司会者形式。
1969年10月〜1971年9月
古谷綱正(月〜木)、近江俊郎(金土)
1971年10月〜1975年3月
古谷綱正(月〜木)、入江徳郎(金土)
1975年4月〜1981年3月
古谷綱正(月〜水)、浅野輔(木金)、入江徳郎(土日)
1981年4月〜1984年9月
新堀俊明(月〜金)、浅野 輔(土日)
1984年10月〜1988年9月
田畑光永・吉川美代子(月〜金)、上田健一(土日)
1988年10月〜1990年3月
平本和生・三雲孝江(月〜金)、吉川美代子(土日)

84 :
>>83>>82
・田英夫 昭和37年10月〜昭和44年9月(7年)
・古谷綱正 昭和39年10月〜昭和56年3月(16年6ヶ月)
・戸川猪佐武 昭和37年10月〜昭和39年9月(2年)
・近江俊郎 昭和44年10月〜昭和46年9月(2年)
・入江徳郎 昭和46年10月〜昭和56年3月(9年6ヶ月)
・浅野 輔 昭和50年4月〜昭和59年9月(9年6ヶ月)
・新堀俊明 昭和56年4月〜昭和59年9月(3年6ヶ月)
・田畑光永 昭和59年10月〜昭和63年9月(4年)
・平本和生 昭和63年10月〜平成2年3月(1年6ヶ月)
・吉川美代子 昭和59年10月〜平成2年3月(5年6ヶ月)
・三雲孝江 昭和63年10月〜平成2年3月(1年6ヶ月)
・上田健一 昭和59年10月〜昭和63年9月(4年)
この「ニュースコープ」の前の時間に放送されていたのが関東では「テレポート6」でした。
「テレポート6」(TBS)
初代:撫養慎平 昭和50年10月〜昭和51年9月(1年)
2代:山本文郎 昭和51年10月〜昭和62年9月(11年)<※その後、「モーニングEye」に担当異動)
3代:奈良 陽 昭和62年10月〜平成元年3月(1年6ヶ月)
4代:荒川強啓・久和ひとみ 平成元年4月〜平成2年3月(1年)
※この他にニュース担当キャスターとして料治直矢氏(昭和50年10月〜昭和55年9月、その後「JNN報道特集」に担当異動)
※4代目の荒川氏、久和氏コンビはその後、「ニュースコープ」及び同番組を統合する形でスタートした「ニュースの森」の初代キャスターに就任(荒川氏は平成2年4月〜平成5年3月まで、久和氏は平成2年4月〜平成6年3月まで)。
「ニュースの森」担当期間を通算して、両氏のJNN系列夕方ニュース番組枠の担当期間は久和氏が5年、荒川氏は4年。

85 :
「スタジオパークからこんにちは」(NHK総合)
初代:堀尾正明アナ・高見知佳/兵藤ゆき/遥洋子 平成7年4月〜平成9年3月(2年)
   堀尾正明アナ・高見知佳 平成9年4月〜平成12年3月(3年、通算5年)
※最初の2年間は高見、兵藤、遥の3氏が週替りで堀尾アナのアシスト役を担当。
2代:上田早苗アナ・関口知宏 平成12年4月〜平成13年3月(1年)
   上田早苗アナ・古谷敏郎アナ 平成13年4月〜平成14年3月(1年)
   上田早苗アナ・小寺康雄アナ 平成14年4月〜平成15年3月(1年)
   上田早苗アナ・小田切千アナ 平成15年4月〜平成16年3月(1年)
※メイン司会の上田アナの通算在任期間は4年。
※上田アナ時代より、メイン:NHKのベテラン女性アナウンサー+サブ:若手男性アナ(最初の1年のみタレントの関口知宏、1年交替)のコンビとなる。
3代:黒田(渡辺)あゆみアナ・吾妻謙アナ 平成16年4月〜平成17年3月(1年)
   渡辺あゆみアナ・後藤理アナ 平成17年4月〜現在(6ヶ月)
※メイン司会の渡辺(黒田)アナの通算在任期間は1年6ヶ月(現在)。

86 :
RKBニュースワイド
三好英毅
'75.3.31〜'85.7.1?
(10年半)降板日は失念ですが、
7月中旬なのは間違いないです。
RKBニュースワイドはJNNニュースコープの前に放送されて、
TBSで言う「テレポートTBS6」にあたる番組。

87 :
>>86
「ニュースワイド」はTBS系のローカルニュース枠のタイトル名で多く使用
されており、愛知・三重・岐阜の広域放送圏を所掌しているCBCも「ニュースワイド」
でした。
・日比英一アナ 昭和49年10月1日〜平成7年?(平日は昭和63年?まで)
・岸佳弘アナ 昭和51年?〜平成3年?(当初は日比アナと交代で担当)
・石塚元章アナ 平成3年?〜平成6年3月
・重盛啓之アナ 平成6年4月〜平成10年9月
・大園康志アナ 平成10年10月〜平成13年3月
これも小さい頃から見ていたはずですが、日比さんや岸さんの時代は20年ぐらいも前の話なのでかなり
あやふやです。確か、平成3年頃にリニューアルが行われ(岸アナの病気療養による降板のためにリニューアルした
との説もありますが)、世代交代という意味から入社してまだ10年目ぐらい、30代初めだった石塚アナ(当時)が平
日メインになったと記憶してますが・・。これも東海地方在住の方で知っている方がいれば教えていただきたく思います。




88 :
Mステも代わったな

89 :
>>83
近江俊郎なんてさりげなくネタをいれないでくれ(w

90 :
>>89
「近江俊郎」というのは歌手の近江俊郎さんと同姓同名の毎日新聞の記者です。
私も最初知ったときは「?」だったのですが、後から調べてみて歌手の近江氏とは
全くの別の人であることを知りました。

91 :
>>90
そうだったのか。サンクス。
新聞見ていたら、Nコープは小林庄一という人も
キャスターを務めていたみたいだが、どうなんだろう?

92 :
>>91
小林氏は恐らく、田氏・猪川氏が取材や夏季休暇のときにピンチヒッターとして
登場していた人物だと思います。
尚、上のキャスターの担当曜日には誤りがあって、古谷・近江→入江氏時代は
月・水・金、火・木・土の担当割振てでした。
1975年4月より浅野氏が加入し、土日担当(入江氏)と月・水・金担当(古谷氏)、火・木担当(浅野氏)
となり、1977年4月からは入江氏と古谷氏の担当曜日が入れ替わり、1979年4月よりまた元に戻り、1981年以降は「ニュースコープ」日曜版をかつて
担当していたこともある新堀氏が平日、浅野氏が週末となったようです。
また、浅野氏については1983年4月〜1984年9月に一時降板し、上田氏(上記では1984年10月から、となっている)が
担当の後、再び1984年10月より再登板し、1988年9月まで週末の担当をしたようです。

93 :
「ヤングおー!おー!」(毎日放送=東京12→TBS)
笑福亭仁鶴・桂三枝・斉藤努アナ 昭和44年7月〜昭和51年?
桂三枝・斉藤努アナ 昭和51年?〜昭和55年
明石家さんま 昭和55年?〜昭和57年9月
時系列的にこれであってのかもしれないのですが、これも詳細なデータが全く以って不明です。
一説では昭和51年から仁鶴氏降板の後に三枝氏のアシスタント的な存在としてさんま氏が司会陣に
入った、という説もあったりします・・。
これも詳しい人おられれば是非教えてください・・。


94 :
Mステも代わったな

95 :
ミュージックステーション(テレビ朝日)
初代:関口宏・中原理恵 昭和61年10月24日〜昭和62年3月(6ヶ月)
2代:中原理恵・タモリ・松井康真アナ 昭和62年4月〜平成元年10月(2年6ヶ月)
3代:タモリ・松井康真アナ 平成元年10月〜平成2年3月(6ヶ月)
4代:タモリ・生島ヒロシ 平成2年4月〜平成5年3月(3年)
5代:タモリ・生島ヒロシ・有賀さつき 平成5年4月〜平成5年8月(5ヶ月)
6代:タモリ・有賀さつき 平成5年9月〜平成8年3月(2年7ヶ月)
7代:タモリ・下平さやかアナ 平成8年4月〜平成12年3月(4年)
8代:タモリ・武内絵美アナ 平成12年4月〜平成16年3月(4年)
9代:タモリ・堂真理子アナ 平成16年4月〜(現在1年6ヶ月)
※タモリが司会となったのはスタート半年後の昭和62年4月〜。当初はスタートから司会を務め、また同じ所属事務所だった中原氏のアシスト役的な存在として入った。9月現在のタモリ氏の同番組司会期間は通算18年6ヶ月。
これは、民放の全国ネットでの音楽番組では
・「歌のアルバム」の玉置宏の19年3ヶ月(昭和33年5月4日〜昭和52年8月7日、1000回で降板)
・「夜のヒットスタジオ」の芳村真理の18年10ヶ月(昭和43年11月4日〜昭和48年9月24日、昭和49年4月1日〜昭和63年2月10日、1000回で降板)
に次ぐ記録となっている。


96 :
ちなみにNHKで一番長く音楽番組を担当したのは宮田輝アナ。
・「のど自慢素人演芸会」(昭和24年1月〜昭和41年3月)
・「ふるさとの歌まつり」(昭和41年4月〜昭和49年3月。同年3月末を以って
宮田氏はNHKを退職。参議院選挙に出馬)
2番組で通算25年3ヶ月。

97 :
>>88 >>96
2回も書き込まなくても。

98 :
>>97
>>94
×>>96

99 :
>>95
「ミュージックフェア」の長門裕之・南田洋子も長かったが

100 :
>>95
「ミュージックフェア」の3代目司会者、長門裕之・南田洋子夫妻の司会期間
は、これも十分に長い方ですが、昭和40年6月7日〜昭和56年12月24日までの通
算16年7ヶ月です。恐らく玉置氏、芳村氏、タモリ氏の次に全国ネットの音楽番組では長寿司会者
ということになるとおもいます(つまり4位)。
上のスレでは忘れてましたが、タモリ氏はあと4ヶ月で芳村氏の記録を抜き、あと9ヶ月で玉置氏の
記録を年数上では抜くことになります。但し、回数はミュージックステーションは期首特番やプロ
野球中継で放送がない回が多いこともあってか現時点で800〜850回の間で留まっており、回数上では、
まだ上の2氏には追いつくのは先の話になるようです。




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