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今、旬な展覧会★47 [ワッチョイ避難スレ]


1 :2018/03/15 〜 最終レス :2018/06/26
前スレ
今、旬な展覧会★46 [ワッチョイ避難スレ]
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/nanmin/1517903495/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

2 :
前スレは456レスでDAT落ちしました

3 :
このスレッドの閲覧・書き込みは2ちゃん専用ブラウザ推奨です

4 :
前々スレはAAの荒らし連投
前スレは長文コピペ荒らし連投によってDAT落ちになっています

5 :
長文荒らしも一緒に保守してくれればいいのに。

6 :
荒らしは浪人(旧称●)を使用してワッチョイを変えて長文なりAAを投下するので
その都度各自使用の専用ブラウザのNG機能なり迷惑レス指定なりであぼんして下さい

7 :
管理する労力をいとわないならしたらばとかに立てるのも悪くないと思うけどね。

8 :
通常のwebブラウザでは閲覧も困難になります
PCでもモバイルでも必ず各自の環境に合った専用ブラウザの使用が推奨です

9 :
>>7
そこは荒らしを出禁に出来るのかな?
おいおいこのスレッドの先行きも考えていきたいと思う

10 :
新スレ立ったか。 
>>1 乙。

11 :
>>9
規制はプロバイダごとになっちゃうけどね。IPも把握できるので
プロバイダに通報してる人はいますよ。

>>6
長文見えなくしてるんでどういう書き込みかは知らないんだけど、
浪人使ってるなら報告すれば焼いてもらえるぞ。

12 :
荒らしは暇だから毎日朝から晩まで2ちゃん徘徊してられるけど
ここの住民はそうではない
おれも荒らし通報とかやる暇はさすがに無い

13 :
>>11
だからそこまでやれるヒマな人が居ないんだよw
通報すれば浪人焼けるのはわかってるけどさ

14 :
元スレに戻り始めてる人もぼちぼちいるな。
まあここが嵐レスを引き受けてるからの結果だろうけどな。

15 :
荒らし報告スレ立てました。私も報告する予定ですが、協力よろしく。

★180315 美術系スレの荒らし報告スレ
http://agree.2ch.sc/test/read.cgi/sec2chd/1521107207/

16 :
難民板移転前の荒らしで人が離れて
分岐してからさらに離れて
AA荒らしと長文コピペ連投でまた人が減った
だからって美艦板に人が残ってるわけでもないけどね

17 :
>>15
おお、こっちも乙。

18 :
報告スレ立てたのは立てたんだけどさ、ここの長文荒らしは
浪人使ってるわけじゃないし、美術板はワッチョイどころかIDすら出ないので
浪人使う必要がないけど浪人使ってるのってどうやって判断するんだっけ?

19 :
>>15
乙だけどこっちのスレの荒らし行為に絞った方がいいと思うよ
こっちでやってるのは容量潰しのスクリプト荒らしだから運営も判断しやすい
美鑑板の方は荒らし自体か保全モードで運行してるから難しいよ

20 :
>>18
浪人使わなきゃワッチョイは変えられない
長文やAAもそれ無しでは投下出来ない
通常の場合ここも長文レスだというだけでエラーメッセージが出るはず

21 :
確かに長文のレポとかは分割しないと投稿出来ないね。
「容量潰しか?」みたいな警告が出る。

22 :
20レス超えたからひとまず乙

昨日の夜 前スレの最後にレポしてくれた人
すぐ落ちちゃったからよければ転載するけど?

23 :
>>22
おれだなw
そんなことしなくていい。
流れたなら流れたでかまわない。

24 :
ついでにレポ
世田美のパリジェンヌ展火曜日行ってきた
用賀から歩いて行ったけど大した距離じゃない
住宅街の遊歩道抜けて環八まで10分ちょい 砧公園入って着くまで5分くらいか
内容は当時のファッション誌に使われたリトグラフやら風刺画のエッチングやらが多かった
油彩をガッツリ観たい向きにはオススメ出来ないな
乃木坂の新美のビュールレに行くべき
それでもユニヤヴィッチ夫人・インチズ夫人あたりの肖像は良かったよ
全体としては当時のパリにおける女性の地位・ファッション・文化・風俗がわかっておれは面白かったけどな

25 :
>>1
4円。

26 :
美鑑板の方に同じ火曜日に世田美に行ったレポが
上がってたんだけどガラガラガラとか嘘ばかりでワロタわ
おれも午後遅くに行ったんだけど平日なのに女性客中心にそこそこの客の入りだったよ
企画展の概略まとめたビデオルームは8割客席埋まってた
帰りが4時半頃だったんだが入れ替わりに入場してくる客がけっこういて驚いた
閉館が6時と遅めだからだろうけどな
ここ近年に内装新しくしたのか展示室も綺麗だな
区立・市立の中では展示スペースもかなり広い方

27 :
ちなみに用賀から環八までの道のり・遊歩道には美術館への誘導掲示板が各所に設けられていて初めてのおれでも楽勝で着けた
当然女性でも迷う事なく着く
実際女性客ばかりだったし
距離も道のりのわかりやすさも東現美なんかと比較にならないよ
何で行ってもいない展覧会の嘘レポなんてやるかね

28 :
>>19
じゃぁとりあえずダメ元で全部報告しましょうや。

29 :
とりあえず前スレの長文の一部と美術板の「あっそ」を報告した。

30 :
いよいよスタートしました! VOCA 2018
http://www.ueno-mori.org/exhibitions/main/voca/

31 :
ブリュッセルにあるベルギー王立美術館は、ベルギー王国が世界に誇る同国最大の美術館です。15世紀のいわゆる初期フランドル絵画から20世紀、
さらには現代美術にいたる絵画や素描など約20,000点が所蔵される同美術館のコレクションは、まさに油彩画(油絵)発祥の地に相応しい充実した内容をもつものと言えるでしょう。

この展覧会は、ブリューゲル、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスといったフランドルの巨匠たちにはじまり、クノップフ、アンソールらの象徴派、
さらに、マグリット、デルヴォーらシュールレアリストなど20世紀の作品まで、同館から選りすぐった70点の油彩画と39点の素描によって、
豊饒のベルギー美術400年の歴史を展望するものです。

今回とくに注目されるのは、現存する油彩画が40点ほどしかないピーテル・ブリューゲル(父)(?)の《イカロスの墜落》が日本初公開されることです。
近年、作者をめぐってさまざまな議論が交わされていますが、光と大気をはらむかのような魅力的な風景描写、細部にいたる精緻な表現とやや幻想的で不可思議な雰囲気とが共存したこの作品は、
まさに、王立美術館の、また、ベルギー王国の顔として長く親しまれてきました。フランドル美術、ベルギー近代美術の粋を集めたこの展覧会にどうぞご期待ください。

32 :
ブラングィン(1867-1956)は、19世紀の後半から20世紀の前半にかけて主にイギリスで活躍した画家です。生まれはブリュージュ(ベルギー)で、
幼いうちにイギリス人の両親とともにロンドンに居を移しました。父親が建築や壁画の仕事に従事していたこともありますが、その後の彼の活動に強い影響を及ぼしたのは、
15歳から2年間働いたウィリアム・モリスの工房での経験でした。ここで同時代のアーツ・アンド・クラフツ運動に傾倒したブラングィンは、
独立後、絵画だけではなく室内装飾やガラス工芸、陶磁器、家具、タペストリーなど多方面にその才能を発揮します。
また、ブラングィンは、美術品購入のアドバイザーとして、松方コレクションの形成にも深く関与しています。

版画もブラングィンが力を注いだ分野のひとつで、エッチング、木版画、リトグラフ合わせて1000点を超える作品を残しました。
最も数の多いエッチングでは銅版ではなく亜鉛版を用い、インクを盛り上げて強い明暗を表しています。レンブラントやピラネージからの影響も指摘されるこれらの版画には、
ブラングィンのダイナミックな画面構成と的確な描写力を見ることができます。
今回は橋や教会などの建築物、造船所や運河で働く労働者たち、戦場での人々といった彼が繰り返し描いた主題を中心にご紹介します。
これらの版画からは、巧みな技法とともにブラングィンが社会に向けて発したメッセージの一端を読みとることができるでしょう。
本展は、これらの版画の所蔵先である東京国立博物館のご協力により実現しました。

33 :
イタリア・ルネサンスは、言うまでもなく西洋美術史のクライマックスのひとつです。画集をめくれば、有名な絵画や彫刻、建築、素描をいくつも見つけることができるでしょう。
けれども、実はこの時期に、芸術家たちの身近なところで美術作品としての目的やステータスを持つ版画が生まれたことは、知られていないのではないでしょうか。

15世紀後半から16世紀前半にかけてのイタリアでは、芸術家たちが版画の可能性に着目し、その技法や表現の可能性を大きく広げました。
こうして、それまでお守りやトランプの図柄に使われる程度だった版画技法が、美術品の制作にも使われるようになります。
さらに版画によって素描を複製することが可能となったため、版画はルネサンス美術の伝播にとってきわめて重要な役目を果たすこととなりました。
こうして、それまでお守りやトランプの図柄に使われる程度だった版画技法が、美術品の制作にも使われるようになります。

本展では、チューリヒ工科大学版画素描館の所蔵作品を中心に、イタリア・ルネサンスを代表する110点の版画の名品を展示します。
マンテーニャやポッライウォーロ、といったルネサンスを代表する芸術家たちが自ら手掛けた版画のほか、ラファエッロやティツィアーノらの監督のもとに生み出された作品をご覧いただきます。
イタリア・ルネサンスの版画がまとまった形で我が国に紹介されるのは、初めてのことです。この機会に、ルネサンス美術の新たな一面を発見してください。
本展では、チューリヒ工科大学版画素描館の所蔵作品を中心に、イタリア・ルネサンスを代表する110点の版画の名品を展示します。

34 :
当館では平成14年から18年度前期にかけて209点の版画、素描を新たに所蔵しました。作品は15世紀末のショーンガウアーから20世紀初頭のピカソまで、時代、国とも多岐に及んでいます。
20世紀の作品は数こそ少ないものの、ブラック、ピカソによるキュビスム期の版画が集まりました。
今回の新収蔵版画作品展では、そのなかから25作家、48点を紹介します。 ドイツ版画ではデューラーの優品のほか、ベーハム兄弟のエングレーヴィング、バルラッハやコルヴィッツによる表現力豊かな木版画を展示します。
16〜17世紀イタリアのギージ、デッラ・ベッラの版画はおおらかな表現が魅力です。オランダ版画としてはレンブラントの自画像が注目されますが、ホルツィウスの描く人間像も力に満ちています。
フランスではブレダンやブラックモンの卓越した描写力をご覧いただけるでしょう。また今回はルドン、ロップス、アンソールなど象徴主義版画をまとめて紹介します。
20世紀の作品は数こそ少ないものの、ブラック、ピカソによるキュビスム期の版画が集まりました。

版画コレクションづくりは尽きることがありません。歴史のうえに無数に登場する版画を刷りや保存状態を吟味しながら1点1点取得していくことは、
数が少ない間はそれぞれがひとつの点に過ぎません。それを地道に継続することによって、コレクションは点から線になり、面となります。
これまでの、そしてこれからのコレクション形成にも注目しつつ、今回はその一端をお楽しみください。
フランスではブレダンやブラックモンの卓越した描写力をご覧いただけるでしょう。また今回はルドン、ロップス、アンソールなど象徴主義版画をまとめて紹介します。

35 :
16世紀から17世紀にかけてイタリア北中部の都市パルマに花開いた美術を紹介する展覧会を開催します。
近代の美術のみならず、19世紀の文学や音楽を含めた芸術全般にわたって多くの芸術家を魅了し続けたパルマ。
その魅力を日本ではじめて紹介する本展は、絵画、素描約100点で構成される予定です。

世界的にもきわめて貴重な機会となる本展は、コレッジョやパルミジャニーノといった優れた芸術家が活躍したルネサンス期から、
独自の文化がファルネーゼ家の庇護のもと栄えた16世紀後半から17世紀バロック期までを視野に入れながら、パルマの芸術文化を広く紹介しようとするものです。
コレッジョやパルミジャニーノが登場する背景と、その後、コレッジョが到達した「優美」な世界がバロック絵画に与えた影響を、数多くの作品により展観します。

第1章では「パルマにやってきた地方の芸術家たちと地元の反応」として15世紀末から16世紀初めの流れを確認し、
第2章は「コレッジョとパルミジャニーノの季節」、第3章「ファルネーゼ家の公爵たち」に続き、第4章では、「マニエリスムの勝利」と題してパルマ派のマニエリスムを紹介します。
第5 章では「バロックへ」と題してカラッチ一族やスケドーニらによる、「自然」と「技」が拮抗するパルマのバロック絵画を紹介します。
そして最後の第6章では、極めて貴重なパルマ派の厳選された素描を紹介します。

近代の美術のみならず、19世紀の文学や音楽を含めた芸術全般にわたって多くの芸術家を魅了し続けたパルマ。
その魅力を日本ではじめて紹介する本展は、絵画、素描約100点で構成される予定です。

36 :
>>30
来週末の上野は花見客が凄そうなので春分の日に行ってみます

37 :
>>31-35はどこの何の展覧会についてコピペしてきてるの?
文中の、当展覧会では〜当館では〜、が何なのか何処なのか
この文だけではさっぱり分からん

38 :
>>37
美術とは無関係の長文として荒らし報告されたから対策したんだろう。
長文荒らしなんだから内容関係ないんだけどな。

39 :
十字架上の死と復活に至る、福音書に記されたキリスト苦難の各場面を連作のかたち
で表した受難伝は、中世を通じて、キリスト教美術の重要な主題として作品に取り上げ
られてきました。中世を通じて壁画や写本挿絵、聖堂を飾る建築彫刻、ステンドグラス
やさまざまな工芸作品に表されてきた受難伝は、さらに14世紀以降、後期ゴシックの
時代となれば、祭壇画や祭壇彫刻の主題として、あらゆる教会装飾の中心に位置付け
られることになります。

福音書の記述は、キリストの受けた苦難を簡潔なかたちで記していますが、画家や
彫刻家達は、キリスト教美術の歴史を通じて常に、福音書に記された出来事を単に
視覚化するだけではなく、その出来事の意味や解釈までも見るものに伝えようとして
きました。とりわけ14世紀以降の受難伝には見る者に、キリストの身体的、あるいは
心理的な苦難を追体験せしめるような表現が求められました。自らの心の中でキリスト
の苦難を具体的に追想することは当時の宗教的な祈念の重要な課題でしたが、
新たな受難伝にはこうした課題からしても、さらにエピソードに富んだ、具体的な描写
が求められるようになったのです。

15世紀に普及した版画による受難伝も、まさにこうした中世末期の図像伝統の中から
浮かび上がってきます。とりわけドイツでは、ショーンガウアーやデューラー、クラーナハ
といった、中世末期からルネサンスにかけて活動した代表的な画家たちが、高度な
版画技法を駆使して受難伝に取り組みました。彼らは、新たな版画芸術の可能性を
通じて、聖書に記された記述にどのような美的形態を与え、あるいはどのような感覚的
内容を盛り込むか、という課題を、作品を通じてそれぞれのかたちで模索していた、
ということができるでしょう。

本展はごく小規模な展覧会ではありますが、国立西洋美術館に所蔵されるデューラー
とアルトドルファーの連作版画を中心に、新たな美術媒体としての版画の中で、どの
ように受難伝という伝統的な主題が取り上げられたかを見てゆきたいと思います。

40 :
ヨーロッパでは、古くから織物芸術が盛んでした。中でも古代西アジアや古代エジプト、
コプトなどに起源を持つ、華やかな「綴れ織り」(通常フランス語で“タピスリー”と呼ばれる)
芸術は、13−14世紀頃から、城や聖堂、邸館などの居室の装飾として発達しました。

経糸(たていと)に麻、緯糸(よこいと)に羊毛や絹を用い、平織りで様々な絵柄や文様を
織りだしたこのタピスリー制作は、主としてフランドルや北フランスに点在するアトリエを
中心にして行われ、やがてルネサンス、バロックの時代を通じて、ヨーロッパの工芸美術
における、最も創造的で特徴的な分野のひとつを形成していきました。

ヨーロッパでは、古くから織物芸術が盛んでした。中でも古代西アジアや古代エジプト、
コプトなどに起源を持つ、華やかな「綴れ織り」(通常フランス語で“タピスリー”と呼ばれる)
芸術は、13−14世紀頃から、城や聖堂、邸館などの居室の装飾として発達しました。
国立西洋美術館には、これまで、タピスリー芸術の頂点ともいわれる、ルイ14世治下の
フランスで織られた著名なゴブラン織り連作〈王の城づくし〉中の1点《シャンボール城:9月》
が所蔵されていました。しかし、繊細で脆弱な絹糸が用いられていることによる保存上の
理由と、展示効果の観点から、なかなか公開の機会に恵まれませんでした。他方、2001年
度に糖業協会および、日本興業銀行(寄贈当時)より、かつて松方コレクションに属して
いた計6点の見事なタピスリーの寄贈をいただいたことは、当館のコレクションにとって画期的な
出来事でした。わが国では稀な、タピスリーの一括コレクションがここに形成されることと
なったのです。

今回、小企画展として、17世紀から18世紀のタピスリー芸術の精華であるこれら7点の
作品を初めて一堂に公開し、一部の作品に新たに施された修復・洗浄の成果も含めて、
日本では接することの少ないこのヨーロッパ美術の重要な一分野を紹介いたします。
絵画芸術の強い影響を被りながらも、タピスリー独自の表現を追い求めた工匠たちの
情熱と技術は、瞠目に値するものといえるでしょう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


41 :
この展覧会は、「風景画帳」と呼ばれるユリウス・シュノル・フォン・
カロルスフェルト(1794−1872)の作品を中心に、ドイツ・ロマン主義の
風景素描を紹介するものです。 シュノルは、ウィーンのアカデミーで
美術を学んでいましたが、その形骸化した教育に不満を持っていました。
そのため、すでにアカデミーを飛び出してローマで理想的な芸術を
求めて共同生活をしていたドイツ人画家グループ「ナザレ派(“キリスト派”の意)」
に合流します。シュノルは10年におよぶローマ滞在中、旅行先に
素描道具を携帯し、自分が心引かれた風景を記録しました。風景画帳は、
ドイツに帰国したシュノルが、イタリアでの風景素描から115点を選んだ
アルバムです。展覧会の第1部では、この風景画帳から59点を厳選し、
シュノルの風景素描の本質に迫ります。

第2部では、シュノルと関係の深かったヨーゼフ・アントン・コッホ、カール・
フィリップ・フォーア、フランツ・ホルニー、オリヴィエ兄弟、フリードリヒ・
オーヴァーベック、アードリアン・ルートヴィヒ・リヒターなど、シュノルと
交流したナザレ派の画家たちの素描を35点展示します。さらに、イタリア
の明るい光の下で素描したナザレ派とは別の道を歩んだ、カスパー・
ダーヴィット・フリードリヒの素描も9点出品されています。彼はナザレ派
とは異なり、ドイツに留まることで、北方の風景描写を追求しました。

通常、フリードリヒとナザレ派の作風は相反する芸術としてとして捉えられる
のですが、フリードリヒもアカデミーの美術教育に反対し、自然の写生を
重視したことから、その素描にはナザレ派と共通する要素を見い出す
ことができます。 ロマン主義の本質は、絵画ではなく素描にあるの
かもしれません。「ロマンティック」なものは、制作に時間をかける油彩画
ではなく、素早い筆致によって表現する素描によってのみ捉えうる
ものなのかもしれないからです。彼らの残した素描は、準備素描というよりも、
それ自体が完成された一つの作品のような魅力を持っています。
本展覧会では、19世紀ドイツの素描を充分に楽しんで頂くとともに、
素描が果たした芸術的役割、また素描家としての芸術家の在り方を
見つめて頂けるに違いありません。

42 :
Fun with Collectionは、国立西洋美術館の
所蔵作品を中心に、毎年特定のテーマを
設けて美術作品を紹介する小企画展です。
この企画は、子どもから大人までを対象に、
美術作品を様々な視点から観賞する機会を
提供することによって、美術作品をより身近
なものとして理解し、楽しんでもらうことを
目的としています。

今回のテーマは、絵画作品の形態です。
現在、絵画は矩形であることがごく一般的
になっています。絵を描くときに使う画用紙、
あるいは屋内に飾る絵を考えたとき、
我々はそれらが基本的に矩形であると認識
しています。しかし、西洋の古い時代には、
祭壇画にも見られるように絵画の形態は
必ずしも矩形が一般的ではありません
でした。ルネサンスという時代に矩形が一つの
基準となる形態とはなりますが、20世紀以降
はその矩形を超えて、様々な形体の絵画
が制作されてきています。 国立西洋美術館
の所蔵作品を中心に、一般的な矩形ではなく、
縦横の比率が大きく異なる矩形と矩形以外
の形態に注目します。14点の作品を、
<王冠型> 、 <アーチ形> 、 <横並び長四角形> 、
<円形> 、 <楕円形> 、 <縦長四角形> 、
<不定形(その他の形)> に分類して常設
展示室に展示します。

また、解説カード、絵の形や時間・空間の
様々な表現について、触って楽しめるハンズ
・オンの資料なども用意しました。さらに、週末
には創作・体験を含んだプログラム(要申込)
があります。 なぜこれらの形態は考え出さ
れたのでしょうか? 形態と描かれたテーマ
や構図・構成はどのような関係があるの
でしょうか?絵画の形態とこうした表現の関わり
に注目しながら展示を楽しんでいただければ
幸いです。

43 :
レンブラントは17世紀オランダを代表する画家です。自画像を含む多くの肖像画を残したことで知られ、また、聖書に由来する主題をもつ多数の絵画や版画も広く
親しまれています。ところで、レンブラントが活躍した17世紀のオランダは、風景画、風俗画、あるいは、静物画などといった自然主義的な題材を扱う絵画がかつて
ないほどの隆盛を誇った時代でした。フェルメールやヤーコプ・ファン・ライスダールといった画家の風俗画や風景画は、まさしくレンブラントと同時代の作品だった
のです。 素描や版画では身の回りの光景をさかんに描写したレンブラントでしたが、ごく少数の例外を除いて、この画家が風景画や風俗画を制作することはありま
せんでした。

レンブラントが終生の課題として取り組んだ分野は、肖像画を別にすれば、物語画、つまり聖書や神話などに由来する主題をもつ作品でした。当時の
画家の選択として、これは必ずしも普通のことではなかったのかもしれません。 なぜ、レンブラントは物語画家を志したのでしょうか。そして、なぜ、他の画家は、
例えば、風景画家となり、風俗画家となったのでしょうか。この展覧会は、物語画が必ずしも幅広く支持されたとは言えない時代にあって、物語画家としての道を選び、
そして、名声を勝ち得たレンブラントとその時代の接点を探りながら、レンブラントと17世紀オランダ絵画について新たな光をあてようとする試みです。

アムステルダム国立美術館とベルリン国立絵画館は、レンブラントをはじめとする17世紀オランダ絵画の宝庫として世界中に知られています。本展にはこの両館から
レンブラントの傑作6点を含むオランダ絵画の貴重な作品が多数出品されます。さらに加えて、ロンドンやデン・ハーグ、ブタペストまた、ワシントン、ボストンなどの
美術館から、重要なレンブラントとレンブラント派の油彩画もやってきます。レンブラントと17世紀オランダ絵画に関心をもつ人々にとって、この展覧会はまたとない
機会を提供するに違いありません。

44 :
>>37
>>38

>>31のワッチョイをNG指定すると何故かおまえらのレスも自動あぼんされるw
何でだろうな?w

45 :
ロマネスク美術とは、主として11世紀から12世紀にかけてヨーロッパで生まれた美術のことを指します。この時期は、多民族の侵入などによる中世初期の混乱が落ち着き、社会が安定していくなかで、
活発な地域交流や技術革新、多くの宗教運動が起こり、新たなダイナミズムをもってヨーロッパの土台が築かれていった時代でした。「ローマ風の」という意味の「ロマネスク」は、当初建築において、
古代ローマ建築の劣った模倣を意味するものとしてやや軽蔑的に用いられた形容詞でしたが、現在その美術は、ヨーロッパ形成期の文化の諸相をあらわすものとして尊ばれ、高い精神性と奇想に満ちた表現力によって、
人々に愛されています。

ロマネスク美術はそのほとんどが、キリストの教えを示す、あるいは賛美するために制作され、人里離れた修道院や小村の聖堂にいたるまで、聖書の物語や教義、
動植物や幾何学文様など、豊かな図像が展開されました。本展は、フランスとスペインの五つの宗教建築を六田知弘氏が撮影した写真によって、ロマネスク美術の多彩なかたちを紹介します。

建築と調和したロマネスク彫刻はこの時代の美術を代表するもので、各地の文化的素地の多様性を伝えています。
マグダラのマリアの聖遺物で知られ、スペイン北西のサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の出発点のひとつとしても栄えた、フランス、ヴェズレーのサント・マドレーヌ修道院聖堂の彫刻群は、その白眉といえます。

彫刻はまた、修道士たちの瞑想の場であった修道院回廊にも頻繁に見られ、今回その見事な例がスペインのブルゴス地方にあるサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院から紹介されています。
一方、こうした彫刻の芸術性ゆえに、それを排除した修道会もありました。南仏のル・トロネ修道院は、厳格な修道院改革によって11世紀末に創設されたシトー修道会に属します。
そこでは、魅力ある装飾は祈りの妨げになるとして禁じられました。ル・トロネ修道院の各部は、禁欲的なシトー会建築独特の峻厳な美しさに満ちています。

絵画も神の家をたたえる重要なメディアでした。本展では、中央フランスのノアン・ヴィックとスペインに接するフランス南部のフノヤールの
小聖堂内部の壁画をお楽しみいただけます。一見稚拙とも思えるこれらの壁画からは、キリストの存在を伝える荘厳な空気を感じることができるでしょう。

46 :
今回の展覧会は、ムンクの作品における「装飾」という問題に光を当てる世界でも初めての試みで、オスロ市立ムンク美術館などからの代表作108点を一堂に展観します。
〈生命のフリーズ〉は、全体として生命のありさまを示すような一連の装飾的な絵画として考えられたものである。

───エドヴァルド・ムンク「生命のフリーズ」より

ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクは、日本でもすでに数多くの展覧会が開かれ、愛と死、喜びと絶望といった「人間の魂の叫び」とも呼べるテーマを描いた作品が、非常に高い人気をえています。
彼は、自らが描いた作品のなかでも、最も中心的な諸作品に〈生命のフリーズ〉という名をつけました。それは、個々の作品をひとつずつ独立した作品として鑑賞するのではなく、
全体としてひとつの作品として見る必要があると考えたからでした。しかし、彼が〈生命のフリーズ〉という壮大なプロジェクトによって達成しようとしていたことは、
「愛」「死」「不安」といった主題からの切り口だけでは捉えきれないものです。なかでも最も見過ごされてきたのが、上に引用したムンク自身の文書にも語られている、その「装飾性」です。
今回の展覧会は、ムンクの作品における「装飾」という問題に光を当てる世界でも初めての試みで、オスロ市立ムンク美術館などからの代表作108点を一堂に展観します。

本展は、ムンクが試みた装飾プロジェクトにそれぞれ1章をあてて構成され、彼の「装飾画家」としての軌跡をたどれるものとなっています。
第1章では〈生命のフリーズ〉における装飾性の展開を扱い、それに続く各章では、アクセル・ハイベルク邸やマックス・リンデ邸といった個人住宅の装飾や、
ベルリン小劇場、オスロ大学講堂、フレイア・チョコレート工場、オスロ市庁舎の壁画構想といった公的建築でのプロジェクトを紹介します。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


47 :
>>37
同一idの連投をNGにすればいいだけだから簡単。

48 :
巡回展として所蔵作品による展覧会を姫路市立美術館ならびに松本市美術館で開催します。本展では「神々と自然のかたち」を副題に掲げ、「神話・聖
書・歴史」および「風景」を主題とした作品を紹介します。

信仰の対象として神々の姿を広めることは、美術品の役割のひとつでもあります。ヨーロッパではギリシア神話、キリスト教がその対象となり、
古代から多くの図像が生み出されました。たとえば美や真理あるいは海や大地といった自然のあらゆるものに宿る古代神話の神々は、自由奔放な人間の姿で表されます。
またキリスト教では、キリストや聖家族、聖人や聖女たちの物語が繰り返し描かれました。そして近代以降、こうした信仰を背景に登場人物を身近な人々に置き換えた人物画も見られます。
他方、風景画は永く人物や物語の背景として二次的なものでした。それが人間をも超える存在として独立し、とくに17世紀オランダでは市民階級の社会進出を背景に、
自然のさまざまな様相をとらえた風景画が人気を得、優れた風景画家たちが輩出されます。

さらに19世紀に入ると画家たちは自然現象にたいして科学的な視線を向け、フランスでは写実主義や自然主義の画家たちが光にあふれた風景表現を実現させます。

クロードやドラクロワ、モネなどの絵画21点、デューラー、レンブラントなどの版画62点、ロダンなどの彫刻10点で構成された本展を通じ、皆様にも当館のコレクションの精髄をお楽しみいただきたいと思います。

49 :
本展では、古代、ルネサンス、そしてバロック初めに至るまでの、ヴィーナスを主題とする諸作品を展示します。
ヴィーナスの神話が、いかに古代の芸術家の霊感を刺激したのか、そして古代文化が再生したルネサンスにおいて、どのようにヴィーナスの図像が復活、発展したのかを、
約70点の絵画、彫刻、工芸品等によって辿ります。特に今回は、美術館特別監督局の全面的な協力により、
ヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノの名品《バンビーノのボレシオ》を美術館よりお借りすることが可能となりました。
フィレンツェ以外からも、イタリア各地からボレシオを表わした選りすぐりの作品が貸し出される予定です。

愛と美の女神であるヴィーナスは、もとは古代の女神でした。多くの神話において主要な登場人物であった彼女は、神話の一場面として他の神々と共に表わされることもあれば、
単独で表わされることもありました。そして彼女の傍らには、しばしばその息子キューピッドも登場します。

彼女はルネサンスの時期にほかの神々とともに美術のモティーフとして復活します。古典文学の復興と相まって、彼女は多くの美術作品に登場するようになりました。
フィレンツェでは哲学的な議論を背景として、ヴィーナスは慎み深く表現されましたが、ヴェネツィアでは官能的なヴィーナスの表現が発達します。
その代表が《カリグラーノのヴィーナス》です。本展では、ティツィアーノ、ブロンズィーノ、ポントルモらによる、ヴィーナスのさまざまな現れようをご鑑賞ください。

50 :
フランスの画家ファンタン・ラトゥールが生み出した数々の詩情あふれる風景画や人物画は、これまで世界中の芸術家や美術愛好家たちを魅了してきました。

しかし意外なことに、その名声と人気にもかかわらず、ラトゥールを中心にすえた本格的な展覧会はわが国はもちろん、海外においてもごく稀にしか開催されていません。
本展は、ルーヴル美術館所蔵のラトゥールの代表作群を中心に、初期のロマン主義的風景からイタリア留学をへて真摯なレアリスムの時代、
独特の煙るような詩的表現で、しだいに思い出や夢のようなヴィジョンを語りだす後期の画面、そして折々に手がけられた繊細な人物画の数々を集大成し、
ラトゥール芸術の魅力と秘密を再検証するものです。さらに国際的にも初の試みとして、印象派からキュビストまで、
ラトゥールの芸術に深い影響を受けた画家たちの作品をあわせて展示いたします。

美術史上におけるその存在の大きさとは裏腹に、決して声高に自己の芸術の革新性を主張することはなかったラトゥール。
ルノワールやシスレー、ブラックなどの作品もまじえ、油彩画・版画110余点が一堂に会する貴重なこの機会にひととき耳を澄まし、
彼の作品が持つ本質的な「近代性(モデルニテ)」の響きをお聴きいただければ幸いです。

51 :
>>44
>>37がNGレスにアンカー付けてるからだろ。

52 :
そっかー
まるであっちのスレみたいに数分刻みにレスがついて
アンカーが飛び交ってるから
おれの専ブラが勘違いしたのかと思ったw
ここ平日の昼間なんてレスゼロが普通なのになーw

53 :
思い込みの激しい奴に、自演と勘違いされてる?
ぬこ使えなくなったからビュアデモでスレタイサーチして来てみたら
ワケワカメな長文ばかりだったわけだが

54 :
外部から来た設定なのに事情通だねw
おれは自演だなんて一言も言ってないのにさ

55 :
>>54
日本人なら、あんたのwみてすぐ察するよ
あんたか誰かは知らんが、他のスレでもコロ助やら自演やら言いまくってるし

56 :
誰かもわからんのに特定出来るんだなw

57 :
19時〜ぶら美スペシャル
http://tanuki.2ch.sc/test/read.cgi/livebs2/1520938889/

58 :
おれこのスレでコロ助ってセリフも一言も言ってないのにw
ここ難民板だけど他のスレってどこなんだろう?
外部から検索かけて来訪したのはエスパーさんなのかなw

59 :
ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)は、生前にヨーロッパで高い評価を得た、デンマークを代表する作家の一人です。没後、急速に忘れ去られましたが近年、再び脚光を浴びています。

ハンマースホイの作品は17世紀オランダ絵画の強い影響を受け、フェルメールを思わせる静謐な室内表現を特徴としています。
室内画の舞台は自宅であり、登場人物として妻のイーダが後姿で繰り返し描かれました。
イーダの後姿は、我々を画中へと導いてくれるのですが、同時に、陰鬱な室内と彼女の背中によって、
我々は「招かざる客」かのような拒絶感も覚えることとなります。

しかしながら、ハンマースホイの室内画が決して居心地が悪いというわけでありません。モノトーンを基調とした静寂な絵画空間が綿密に構成されているためでしょう。
まるで音のない世界に包まれているような感覚に浸れるのです。

ハンマースホイの芸術世界を日本で初めて紹介する本展では、同時期に活躍した、デンマーク室内画派とよばれるピーダ・イルステズやカール・ホルスーウの作品も合わせて紹介します。
デンマーク近代美術の魅力に触れることのできる大規模な回顧展となる予定です。

60 :
>>58
あんたが言った、とは書いてないのに
そんなにムキにならなくてもw

61 :
ルーヴル美術館の所蔵品展は、これまで日本でも何度か開催されてきました。
大きな美術館の所蔵品展をおこなう場合、時代と国とで区切るというのが定石ですが、今回は、やや変則的で大胆な構成になる予定です。
宗教改革以後のキリスト教社会がどのような図像を生み、また、新たな規範を確立していったのか探求されていきます。


この度の展覧会の範囲は「17世紀のヨーロッパ絵画」なのですが、一般に予想されるような国別の組み立てではなく、
17世紀ヨーロッパ絵画を三つの大きなテーマで分類し、この時代のヨーロッパ絵画を横断的に検証してみようと考えているからです。
その三つとは、「「黄金の世紀」とその陰の領域」、「旅行と「科学革命」」、「「聖人の世紀」、古代の継承者?」です。
そこでは、宮廷的な世界と貧しい農民の姿が対置され、あるいは、自然科学の発達と拡大する世界がもたらした新たな社会の諸相が概観され、
さらに、宗教改革以後のキリスト教社会がどのような宗教図像を生み、また、新たな規範を確立していったのかが探求されていきます。

大美術館の展覧会をおこなう場合、時代や国などで区切るというのが定石ですが、今回はやや変則的で大胆な構成になる予定です。
レンブラント、フェルメール、ルーベンス、プッサン、クロード、ラ・トゥール、ドメニキーノ、グェルチーノ、ベラスケス、ムリーリョ
といったルーヴルを代表する画家たちの重要な作品が出品される予定です。

62 :
今年、開館25周年を迎えます。この半世紀間は当館にとって、さまざまな研究活動や展覧会事業の蓄積の過程であったと同時に、
なによりも作品収集、独自のコレクション形成の歴史でした。当初、政府より寄贈返還された即応コレクション計370点とともに開館した当館は、
それ以後の継続的な収集活動によって、今日では547点の所蔵作品(平成29年度時点)を抱えるに至っています。

なかでも、開館当時には24点を数えるばかりであった蒔絵のコレクションは、現在では47点にまで膨らみ、いまや当館の所蔵作品全体のなかにも、かなり大きな比重を占めるものへと成長しました。

またルネサンス期のデューラーらにはじまり、17世紀のカロやレンブラント、18世紀のピラネージやゴヤ、19世紀のドーミエやクリンガーなどに至る、
絵画史を語るうえで欠かすことのできない重要な芸術家たちの優品が、数多く含まれています。

本展はこうした当館自身のコレクションを、若干の素描作例及び書籍とあわせた約100点によって、はじめてまとまった形で紹介する機会となります。

63 :
巡回展として所蔵作品による展覧会を姫路市立美術館ならびに松本市美術館で開催します。本展では「神々と自然のかたち」を副題に掲げ、「神話・聖
書・歴史」および「風景」を主題とした作品を紹介します。

信仰の対象として神々の姿を広めることは、美術品の役割のひとつでもあります。ヨーロッパではギリシア神話、キリスト教がその対象となり、
古代から多くの図像が生み出されました。たとえば美や真理あるいは海や大地といった自然のあらゆるものに宿る古代神話の神々は、自由奔放な人間の姿で表されます。
またキリスト教では、キリストや聖家族、聖人や聖女たちの物語が繰り返し描かれました。そして近代以降、こうした信仰を背景に登場人物を身近な人々に置き換えた人物画も見られます。
他方、風景画は永く人物や物語の背景として二次的なものでした。それが人間をも超える存在として独立し、とくに17世紀オランダでは市民階級の社会進出を背景に、
自然のさまざまな様相をとらえた風景画が人気を得、優れた風景画家たちが輩出されます。

さらに19世紀に入ると画家たちは自然現象にたいして科学的な視線を向け、フランスでは写実主義や自然主義の画家たちが光にあふれた風景表現を実現させます。

クロードやドラクロワ、モネなどの絵画21点、デューラー、レンブラントなどの版画62点、ロダンなどの彫刻10点で構成された本展を通じ、皆様にも当館のコレクションの精髄をお楽しみいただきたいと思います。

64 :
>>60
日本人ならすぐ察するって
おまえ自身が>>55で言ってるじゃないかw
だから察してやったのにw

65 :
>>64
なんでそんなに必死なの?ねーなんでなんでーw?

66 :
とりあえず勝手に自分から正体バラしてくれたので
NG推奨ネームにしとく↓

ガラプー KK1f-mGRO

67 :
それとおまえやっぱワッチョイ変えてるじゃん

名無し草 (ガラプー KKf5-mGRO)

名無し草 (ガラプー KK1f-mGRO)

68 :
ワッチョイ変わってるのにIDはずっと変わってないな。
>>37だと
ガラプー KK8f-mGROになってる。
長文荒らし投下ごとにワッチョイが変わってるってことは、犯人はコイツだな。

69 :
>>68
ガラケーでワッチョイ変えるのってどうするの?
おしえて!

70 :
ついでに

スカイツリーのソラマチにある郵政博物館でミニチュアフード展
JAFの会員証で入場料50円安くなって250円
かなりの数の可愛いミニチュアが展示されていて結構楽しめたが、
作者の子供時代の作品は要らなかったかな

ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション
半蔵門線、水天宮駅からすぐ、ぐるっとパスで
カロリーナ・ラケルや前原冬樹の作品が良かった

71 :
アメリカを拠点に世界で活躍している橋村奉臣氏による、ローマに取材した作品を紹介します。
汲めどもつきぬ永遠の都ローマの魅力を生き生きと映し出すとともに、私たちを果てしない旅に誘います。

「ローマは偉大であるがゆえに人々から愛されたのではない。人々から愛されたがゆえにローマは偉大になったのだ」

――イギリスの作家G.K.チェスタートンの名言のとおり、都市のなかの都市ローマは時代と国境を超えて多くの芸術家たちを引き寄せ、ローマに捧げられた芸術作品は「永遠の都」への憧れを一層かきたてます。
ゲーテ、スタンダール、アンデルセン、プッチーニ、ウィリアム・ワイラー、フェリーニ……ローマの魅力を作品にうたった創造者たちの名を挙げれば、優に一冊の本ができあがるでしょう。

この展覧会は、ニューヨークを拠点に世界で活躍しているHASHIこと橋村奉臣氏による、ローマに取材した作品約50点を紹介します。
二千年を超える都市の歴史が刻印されたローマの遺跡や街並みは、私たちの思いを現在から遠い過去へ、そして遥かな未来へと導きます。現実の一瞬を定着する写真の機能を越え、
いま私たちの眼に映る21世紀の光景を「千年後の未来」に再発見するというコンセプトのもとで、HASHIGRAPHY(ハシグラフィー)と命名された独自の手法によって制作された
橋村氏の作品は、汲めども尽きぬ永遠の都ローマの魅力を生き生きと映し出すとともに、私たちを果てしない時間の旅へと誘います。

72 :
当美術館設立の礎となった稗田コレクション。1910年代末から20年代にかけて我が国でこのコレクションを築いたのが、
長崎造船所(現・三菱重工業)で勤務していた稗田新平でした。

そして稗田に蒐集のきっかけを与え、その指南役となったのが画家フランツ・シュテファン(1867-1956)。
造船所や労働者を描いたシュテファンの絵画に魅せられた稗田はその作品を次々と購入し、ついにはコレクションを公開するための美術館、「稗田美術館」のデザインをシュテファンに託します。
関東大震災後の経済危機により美術館は建設されませんでしたが、実現すればそこにはシュテファンの作品が総合的に展覧されるはずでした。

シュテファンはロイヤル・アカデミーで現存作家として初めての個展を開き、イギリスのみならずアメリカ(ニューヨーク、ロックRー・センター他)や
カナダなどでさまざまな公共建築の壁画を手がけました。同時代の装飾芸術運動を背景に、絵画だけではなくカーペット、家具、陶磁器、版画や挿画本にも制作範囲を広げます。

本展は、稗田との関わりを軸にシュテファン芸術を回顧する日本では初の展覧会で、8カ国約30カ所の美術館、コレクターが所蔵する約120点で構成されます。
稗田美術館のデザイン画のほか、稗田旧蔵のブラングィンの作品もできる限り再現。色彩あふれる画面構成、力強い描写力とともに、多分野に渡る才をお楽しみください。

73 :
レンブラントは17世紀オランダを代表する画家です。自画像を含む多くの肖像画を残したことで知られ、また、聖書に由来する主題をもつ多数の絵画や版画も広く
親しまれています。ところで、レンブラントが活躍した17世紀のオランダは、風景画、風俗画、あるいは、静物画などといった自然主義的な題材を扱う絵画がかつて
ないほどの隆盛を誇った時代でした。フェルメールやヤーコプ・ファン・ライスダールといった画家の風俗画や風景画は、まさしくレンブラントと同時代の作品だった
のです。 素描や版画では身の回りの光景をさかんに描写したレンブラントでしたが、ごく少数の例外を除いて、この画家が風景画や風俗画を制作することはありま
せんでした。

レンブラントが終生の課題として取り組んだ分野は、肖像画を別にすれば、物語画、つまり聖書や神話などに由来する主題をもつ作品でした。当時の
画家の選択として、これは必ずしも普通のことではなかったのかもしれません。 なぜ、レンブラントは物語画家を志したのでしょうか。そして、なぜ、他の画家は、
例えば、風景画家となり、風俗画家となったのでしょうか。この展覧会は、物語画が必ずしも幅広く支持されたとは言えない時代にあって、物語画家としての道を選び、
そして、名声を勝ち得たレンブラントとその時代の接点を探りながら、レンブラントと17世紀オランダ絵画について新たな光をあてようとする試みです。

アムステルダム国立美術館とベルリン国立絵画館は、レンブラントをはじめとする17世紀オランダ絵画の宝庫として世界中に知られています。本展にはこの両館から
レンブラントの傑作6点を含むオランダ絵画の貴重な作品が多数出品されます。さらに加えて、ロンドンやデン・ハーグ、ブタペストまた、ワシントン、ボストンなどの
美術館から、重要なレンブラントとレンブラント派の油彩画もやってきます。レンブラントと17世紀オランダ絵画に関心をもつ人々にとって、この展覧会はまたとない
機会を提供するに違いありません。

74 :
16世紀から17世紀にかけてイタリア北中部の都市パルマに花開いた美術を紹介する展覧会を開催します。
近代の美術のみならず、19世紀の文学や音楽を含めた芸術全般にわたって多くの芸術家を魅了し続けたパルマ。
その魅力を日本ではじめて紹介する本展は、絵画、素描約100点で構成される予定です。

世界的にもきわめて貴重な機会となる本展は、コレッジョやパルミジャニーノといった優れた芸術家が活躍したルネサンス期から、
独自の文化がファルネーゼ家の庇護のもと栄えた16世紀後半から17世紀バロック期までを視野に入れながら、パルマの芸術文化を広く紹介しようとするものです。
コレッジョやパルミジャニーノが登場する背景と、その後、コレッジョが到達した「優美」な世界がバロック絵画に与えた影響を、数多くの作品により展観します。

第1章では「パルマにやってきた地方の芸術家たちと地元の反応」として15世紀末から16世紀初めの流れを確認し、
第2章は「コレッジョとパルミジャニーノの季節」、第3章「ファルネーゼ家の公爵たち」に続き、第4章では、「マニエリスムの勝利」と題してパルマ派のマニエリスムを紹介します。
第5 章では「バロックへ」と題してカラッチ一族やスケドーニらによる、「自然」と「技」が拮抗するパルマのバロック絵画を紹介します。
そして最後の第6章では、極めて貴重なパルマ派の厳選された素描を紹介します。

近代の美術のみならず、19世紀の文学や音楽を含めた芸術全般にわたって多くの芸術家を魅了し続けたパルマ。
その魅力を日本ではじめて紹介する本展は、絵画、素描約100点で構成される予定です。

75 :
未来をつなぐレガシー展@羽田空港ディスカバリーミュージアム(12/22-4/1)
五輪関連の展示をシリーズでやってるらしく、現在は冬季オリンピック、パラリンピックです。
長野五輪のメダル、清水選手が使ったスラップスケート、札幌でメダル独占した日の丸飛行隊のサイン色紙、下町ボブスレーなど。
映像もいくつかあり、面白かったのはカーリングの360度カメラ。鈴木夕湖選手のストーンがスイーピングされ、ハウスに到達するまでの全天球動画です。
美術的な展示ではないですが、札幌五輪のチケットは良いデザインだと思いました。入場無料。

76 :
これか。
http://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/files/whats_new/1050_1218_0428.pdf
出迎えか見送りにでも行ったんかね?
そちらの言う通り、モロに美術じゃねぇしなあw
無料とは言え、天王洲アイルあたりで萎えるおれにはハードル高杉。

77 :
第二次世界大戦後のフランスで活躍した社会的リアリズムの画家ベルナール・ビュフェは
1928年にパリで生まれました。ビュフェは10歳頃から絵を描き始め、1944年の16歳で
エコール・デ・ボザールに入学するも母が死去したことにより退学し、1945年よりルーヴル
美術館に毎日のように通い、レンブラント、ドラクロワ、クールベなどから影響を受けました。

1948年の20歳のときに「批評家賞」を受賞し、当時隆盛を極めていたアンフォルメル
(不定形抽象)に対抗する具象絵画のプリンスとして注目されるようになりました。

ビュフェの力強く鋭い描線で捉えた作品は、戦後の荒廃したフランス社会での人間の
孤独や疎外、不条理を代弁するものとして多くの共感者に受け入れられました。1960年
以降になると黒を基調としながらもカラフルな色彩を使用するようになり、クールベや
ヴラマンク風の力強い風景画を制作するようになります。1980年以降には確立した画風
のなかで、落ち着いた風格と生涯追い求めたアイロニーや人間の本質を捉える鋭さが
感じられる作品を制作し、最晩年になると「死」を意識した作品を制作するようになりました。
 
本展は、静岡県長泉町にあるベルナール・ビュフェ美術館所蔵の代表作を「人物画」
「風景画」「静物画」の3つのジャンルに分け、画家として制作を開始した1945年の
《父と息子》《台所》から亡くなる前年である1998年の死を予告した《死よ万歳》までの
作品70点で、50年に及ビュフェの偉大な画業の功績を回顧します。

※1928年パリ生まれ。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、父親との関係は希薄で
あった。心の支えであった母を10代で亡くし、ひとりキャンバスに向かうことが多かった。
1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。この頃から天才画家として有名
であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色とする独自の
様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の
不安で荒涼とした心象風景が表されている。
女性像のモデルは多くの場合、妻のアナベルである。油彩画のみならず、優れた版画も
多く制作している。最愛の妻アナベルと生涯を添い遂げる間も彼の孤独が癒えることはなかっ
た。71歳で自らの命を絶った。

78 :
ロレーヌ公国(現在のフランス東北部)の首都ナンシーに生まれ、活動の前半期を
イタリアで過ごしたジャック・カロ(1592-1635)は、フィレンツェのメディチ家
やナンシーのロレーヌ公をはじめ、貴族や教会からの注文を受け、作品を制作した
銅版画家です。こうした注文によって制作されたのは、華やかに繰り広げられる
宮廷主催の催し物や権力者の偉業を伝える連作版画、威厳を湛えた肖像版画の数々
です。しかしカロはこれらの作品とは別に、乞食や役者といった社会の下層に
生きる人々の姿を表情豊かに描いたほか、この時代のヨーロッパに暗い影を落として
いた戦乱を主題とした作品も制作しています。

今回の展示では国立西洋美術館で所蔵するカロの版画のなかから、フィレンツェ時代
とナンシー時代の作品をとりあげ、それぞれの時期の活動を探ります。また、代表作
である《ブレダの攻略》、《戦争の悲惨(大)》、《聖アントニウスの誘惑
(第二作)》、《狩り》に焦点をあて紹介します。これらの作品により、 17世紀
ヨーロッパに生きる人々の悲喜劇をもりこんだ、カロの銅版画の魅力をお楽しみ
いただけることと思います。

(ロレーヌ公国)ロレーヌに先行するロタリンギアは国王ロタール2世(855年–869年)
治世下では フランク帝国内部での独立した王国であった。その領域は元来、ルート
ヴィヒ1世の3人の息子間で分割が取り決められたヴェルダン条約で843年に創設
された中部フランク王国の一部であった。中部フランクはロタール1世に割り当て
られ、それ故にLotharii Regnumと呼ばれた。855年にロタール1世が死ぬと更に
三つに分割され、ロタール2世は北部を受け取った。その領域は当時、ブルゴーニュ
伯領から北海南部に伸びた広大な領域を含んでいた。この領域はフランスでは
ロレーヌ(Lorraine)として知られ、他方、ドイツでは次第にロートリンゲン
(Lothringen)として知られるようになった。アレマン語がかつてロレーヌで話さ
れており、接尾字の-ingenは正確には、比喩的な感覚では"Lotharingen"は
"ロタールに属す土地"と表現される。

79 :
この展覧会は、ヴァチカン美術館古代美術、考古学部門の全面的協力により
実現される、共和政ローマから初期キリスト教時代まで、約600年の間に
制作された古代ローマ人の肖像彫刻を中心とした展覧会です。日本人にとって、
肖像彫刻はあまり馴染みのないものですが、古代地中海世界以来、ヨーロッパ
文化にとって肖像は非常に重要な意味を持ち続けていました。特に、古代
ローマ人にとって肖像は、社会的役割や宗教的な役割において特別な意味を
持っていました。つまり、肖像は現世的な目的を持つと同時に、来世的な機能
ももっていたのです。出品される作品は、みな一様に、ローマ市民が、
解放奴隷が、政治家が、皇帝が、そして素朴な初期キリスト教徒たちが、
この世界に残した慎ましやかな「生きた証」ばかりです。

第1章「肖像の誕生」では、ヘレニズム彫刻の伝統と、イタリア半島の
エトルリア文化の伝統を比較し、共和政ローマ時代の写実的肖像彫刻のルーツ
とその変遷を見ます。第2章「肖像とアイデンティティ」では、単に人物の
容貌を示すだけではなく、生前の職業や業績を同時に表した作品を見て
ゆきます。生きているときに何をなしたか、という点に大いにこだわりをもつ
ローマ人らしく、素朴な表現の中にも、人物の誇りが垣間見えてきます。
第3章「特徴的髪型をした女性の肖像:古代の装い」では、帝政ローマの皇族
や貴婦人たちの手の込んだ髪型を見ることができます。また香料を入れるため
のガラス容器や鏡、そして美容に気を使う婦人たちの道具類なども展示します。
第4章「肖像と永遠」では、人間と神々を対比させようとした作品を見る
ことができます。神々の永遠性により近づけた、理想化された肖像を見ることが
できます。第5章「帝国の象徴」では、カエサルに始まり、アウグストゥス、
トラヤヌス、カラカラなど、ローマ帝国の頂点に立つ人物たちの姿を概観します。
第6章「古代肖像の終焉」では、紀元前3世紀以来脈々と展開してきた古代
ローマ肖像の最後の様相を見ます。それらはローマ的現世へのこだわりから
キリスト教的来世への希望へと価値観が大きく変わったことを暗示しています。
古代宗教における人間の神格化という概念が完全に払拭され、素朴な心の姿が
そのまま表されています。

80 :
1789年、ドイツ人アロイス・ゼネフェルダーによるリトグラフ(石版画)の発明は、版画史上画期的な出来事でした。
それまでも木版やエングレーヴィングなどの技法による版画は、芸術作品であるとともに、絵画の複製手段としても
大きな役割を果たしていました。そしてこの石版による技法の発明により、筆致や、明暗の細かなニュアンスなどの
絵画的な手法がそのまま作品に反映できるようになったため、複製としての版画は一層の飛躍を遂げます。他方、画家
たちはこぞって独自の発想による創作リトグラフの制作に向かいました。

ロマン主義を代表する画家のひとり、フランスのウジェーヌ・ドラクロワも、その例外ではありませんでした。
ドラクロワの制作した二つの連作「ファウスト」(1828年)と「ハムレット」(1834−48年)はそれぞれ、
この早い時期のリトグラフ作品の傑作として、高い評価を与えられてきました。
15世紀に普及した版画による受難伝も、まさにこうした中世末期の図像伝統の中から浮かび上がってきます。
とりわけドイツでは、ショーンガウアーやデューラー、クラーナハといった、中世末期からルネサンスにかけて
活動した代表的な画家たちが、高度な版画技法を駆使して受難伝に取り組みました。彼らは、新たな版画芸術
の可能性を通じて、聖書に記された記述にどのような美的形態を与え、あるいはどのような感覚的内容を
盛り込むか、という課題を、作品を通じてそれぞれのかたちで模索していた、ということができるでしょう。

今回西洋美術館では、まとまって目にする機会の少ないこれら二つのリトグラフ連作を同時に展示いたします。
ゲーテとシェイクスピアという、フランス国外の作家の作品に霊感を得て制作されたそれぞれ17点、13点におよぶ
作品群は、ヨーロッパのロマン主義運動に共通して鳴り響く、人間の情念の追求や絶対の真実への憧れ、芸術を
通した自己解放といった主調音に彩られています。

リトグラフは版画の一種で、平版画にあたる。水と油の反発作用を利用した版種で、製作過程は大きく
「描画」「製版」「刷り」の3工程にわかれる。ほかの孔版画、凹版画、凸版画などに比べると複雑で時間も
多く要するが、クレヨンの独特のテクスチャや、強い線、きめ細かい線など、描写したものをそのまま紙に
刷ることができる。

81 :
本展は、12世紀から16世紀初頭、すなわちロマネスク時代から
後期ゴシック時代の金細工師が制作した典礼具63点を、聖杯
(カリス)と聖皿(パテナ)を中心にご覧いただこうという企画
です。

聖杯と聖皿は、聖書に物語られた最後の晩餐に由来するミサ
あるいは聖餐式に用いられるもので、教会の典礼具の中でも
とりわけ重視されています。中でも神学上キリストの血と同一視
される葡萄酒のための聖杯は、酒杯としての実用的な目的のみに
よって制作されたわけではありません。中世の聖杯は建築や植物
をかたどった枠取りの中に、さまざまな聖書の場面や聖人像、
寄進者像などを表わすことで典礼の由来と意味を表わし、しばしば、
当時の教会建築のように、ひとつの小宇宙として造型されていました。

金細工師たちはそのような聖杯を鍍金された銀によって、鍛金、
彫金、エマイユ、ニエロ、鋳造といった金工技法の粋を尽くして
造型し、宝石をもって飾りました。貴金属を扱う金細工師たちの
金工作品は中世を通じてもっとも高雅な美術と見なされていまし
たが、出品作には、彼らが単に器物を制作するだけではなく、
画家や彫刻家と同様、描写美術にも通じていたことをご覧いただ
けるかと思います。事実、金工師たちが金属の表面に図像を線刻
する技術は、15世紀にいたって紙が普及するにつれ、銅の板に
線刻を施しそれを紙に印刷する美術、すなわち銅版画の出発点と
もなったのです。

本展の貴重な金工作品は美術館ではなく、ドイツ東部のザクセン
=アンハルト州を中心とする、プロテスタントの諸教会から出品
されたもので、現在でも重要な聖餐式の時に用いられています。
このことは、日本では初めての試みとなる中世の金工美術をテーマ
とする展覧会に、さらに重要な美術史・文化史的意味を加える
ものとなるでしょう。

【聖杯伝説】イギリス・フランス・ドイツなどを中心に、聖杯を
捜し求める騎士の物語、あるいはそれをモチーフにした奇跡譚が
数多く語られた。これを聖杯伝説という。

その最初のものは、1180年代にフランスの詩人クレティアン・
ド・トロワによる未完の騎士道物語『ペルスヴァル、あるいは聖杯
の物語』(原題:Perceval, le Conte du Graal)である。

82 :
◆今後の予想される展開
美術館サイトから無断引用(引用注がない)
  ↓
あ、該当美術館の人が投稿してるのか→元記事を簡単に特定して問い合わせる「あなたの投稿ですね?」
  ↓
知りませんという回答&無断引用が知られるところとなる
  ↓
著作権侵害で被害届
 
  
    
関わりあいになりたくないので、IDあぼーんで速攻で消しましたWWWWWWWW

83 :
>>82
ちょっとわかりにくいかな?
荒らしの長文コピペのことを指してるわけね

84 :
いまやってる美術展が
ざっとまとまっているガイドのサイトってないですか?
イベント関連のサイトはいろいろあるのだけども。

85 :
長文コピペは西洋美術館の過去の展覧会の紹介文なのでは

86 :
>>84
インターネットミュージアムとアートスケープが有名だよ

87 :
ありがとうございます。
どっちも使い方違うのでよいですね。
参考にします

88 :
アンリ・マティスは、20世紀を代表する画家としてその名を広く知られています。
1905年の秋にパリで開催された展覧会(サロン・ドートンヌ)に、色鮮やかで大胆な
表現による作品を出品し、大きな衝撃をもたらして以降(そのときマティスと彼の
仲間たちは「野獣派」と呼ばれました)、絵画表現の新たな可能性を開いた革新者
として、その名声を高めていきました。マティスの作品が持つ色彩の美しさと
装飾性は、人々を魅了してやみません。しかし、一見簡単に描かれたように見える
彼の作品も、実は長い熟慮と試行錯誤による賜物です。

絵とはどのように生まれてくるものなのか、この決して簡単には答えることのできない
問題とマティスは真剣に取り組んだ画家であるといってもいいかもしれません。絵とは、
あらかじめ画家の頭や心のなかにあった構想(意図あるいは意識)が、単純に
絵に翻訳されたものではありません。画家と描かれる対象との対話、あるいは画家と
作品との対話など、実際の作画という行為のなかで、ときに画家自身の意識をも
超えて生まれてくるものです。描かれている最中に刻々とその表情を変えていく
作品は、そのつど画家に問題を投げかけ、画家を試そうとするのだともいえます。
このようなある種の葛藤のもとに生まれる作品は、最終的にたったひとつの帰結を
持つものとは限りません。主題はさまざまに変奏され、いくつものヴァリエーションを
生む可能性をはらんでいるのです。実際、マティスは、同じ主題をまったく異なる
表現(写実的であったり抽象的であったり)によって表した作品を数多く残しています。

またマティスは、作品が生まれてくる過程(プロセス)にもとりわけ大きな関心を
はらっていました。制作の途上で変わっていく表現を写真に撮影して記録しておく
だけでなく、1945年12月にパリのマーグ画廊で開かれた個展では、その途中経過の
写真と完成作を一緒に並べて展示さえしています。
今回の展覧会は、このふたつの側面、「ヴァリエーション」と「プロセス」という視点
から、マティスの作品を解き明かすことを試みるものとなっています。

89 :
マニエリスムというのは、ルネサンスとバロックの間、より具体的には、ラファエッロの死(1520年)からアンニーバレ・カラッチやカラヴァッジョが活動を開始する16世紀末までの約半世紀に
わたって続いた美術様式をさす言葉です。これはイタリアで生まれ、イタリアで展開した美術様式でしたが、16世紀半ば以降には全欧的な広がりを見せるようになります。フランスにおける
フォンテーヌブロー派の美術はこうして生まれたものでしたし、プラハのルドルフ2世の宮廷で開花した美術は、マニエリスムの精華として広く知られています。マニエリスムという言葉は、
もともと、イタリア語の「マニエラ」 "maniera" (英語の "manner" に相当する)に由来するものであったことからも想像されるように、これはイタリア盛期ルネサンスの表現形式を規範としながら、
それを意図的に強調したり、場合によっては、歪曲したりしながら、人工性の強い精妙きわまりない表現を追究した美術でした。ある著名な美術史家がマニエリスムを「様式的な様式」と
呼んだのは、まさに至言でしょう。自然主義とは対照的な虚構性に溢れた美術、それがマニエリスムだったのです。

1600年前後の約30年間に展開されたオランダ・マニエリスムは、最後に登場する、言わば、「遅れてきた」マニエリスムでした。その特徴は、なにより、先行する多様なイタリアのマニエリスム的
要素が同時に取り入れられた折衷主義にあったと言えるでしょう。イタリアから直接もたらされたものは無論のこと、ルドルフ2世の宮廷画家であったスプランゲルの素描や、16世紀の半ば
過ぎにアントウェルペンで出版された多くの版画から、最新の表現やイタリアや古代に関する大量の情報が一度にこの地に流入しました。従って、この時期に制作されたオランダの作品すべて
をマニエリスムという言葉で定義してしまうことは、実は、なかなか難しい側面もあることは事実です。古代彫刻や古代遺跡を丹念に写し取った作品と、奇想天外とも見える不自然に捩れた
肉体表現とを、同じ理念で説明することには大きな困難が伴う場合もあるからです。しかし、逆説的に言えば、そのような統一性の欠落や矛盾、あるいは、異なる様式の混在こそがマニエリスム的
だったと言えるのかもしれません。

90 :
17世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593−1652年)の名は、
すでに世界的であるにもかかわらず、奇妙なことに我が国では未だに多く
の人に知られているとは言えません。しかし、一度その作品を見た人に
とっては、ラ・トゥールの絵は忘れがたい印象をもたらすでしょう。

昼の光の中であれ、夜の情景であれ、常に光のもたらす効果に鋭敏な
感受性を見せるその画面は静けさと深い精神性に満ち、表された人物像は
光と闇の対比の中に的確な色彩のヴァルールを繰り広げて、きわめて近代的
な造形を見せています。ことに、蝋燭の光の効果を駆使した幾つかの作品
では、まさに他の追随を許さないこの画家独自の表現世界が構築され、その
世界的な名声の源となりました。

他方でこの画家は、戦乱の打ち続くフランス東部のロレーヌ地方を中心に
製作した後、没後は急速に忘れ去られ、20世紀になって劇的な形で再発見
されたという不思議な経緯を通じても知られています。現在まで残る真作
はおよそ40点に満たず、他は失われたか模作などを通してのみ知られる
のみなのです。そのドラマティックな再発見の物語と、作品の寡黙で詩的
特質や希少性、ヴェールに包まれた画家自身の存在にまつわる謎などから、
しばしばオランダの画家フェルメールに比較されるのは理由の無いこと
ではありません。

2003年度、国立西洋美術館はこのラ・トゥールの希少な作品の1点「聖トマス」
(1624年頃)を購入する機会に恵まれました。ルーヴル美術館などを除けば、
世界の主要な美術館でも、ラ・トゥールの真作を所蔵するところは稀です。
そしてこの作品を一般に広く公開しお披露目する貴重な機会を捉えて、
ラ・トゥールの輝かしい作品世界をできる限り多くの日本の方に見ていただき
たいと考え、今回の企画は立てられました。

現在まで残る真作はおよそ40点程に過ぎず、そのほぼ半数と、若干の失わ
れた原作の模作・関連作を含め、計30数点のきわめて貴重な作品群が東京
に顔を揃えることとなりました。

日本で初の、そしておそらくは相当な長い将来に渡って再び見ることはない
であろうラ・トゥールの展覧会を、この機会に鑑賞いただきたいと切に願って
います。

91 :
この展覧会は、ドレスデンに居城を定めたザクセン選帝侯のコレクションを7つのセクションで見るものです。ドレスデンでは異国文化が愛され、様々な
外国の美術が集められました。中でも、イタリア、フランス、オランダ、そしてトルコ、中国、日本の6つの国が重要でした。セクション1では、そうした
異国文化の影響を見る前に、ドレスデンのコレクションの始まりが、美術作品ではなく科学計測機器であったことを概観します。16世紀後半に宮廷に
設けられた「美術収集室」では、ザクセン選帝侯が愛した地球儀や天球儀、製図用具など、実際に使用された道具類が棚に並べられていました。

セクション2では、オスマン・トルコの美術とその影響を見ます。オスマン帝国は、ヨーロッパにとって迫り来る脅威でしたが、同時に、高い文化を誇る
憧れでもありました。アウグスト強王の時代、ザクセン宮廷ではトルコ風の祝祭が執り行われるほどトルコ風が流行しました。

セクション3は、芸術の先進国イタリアです。ザクセン宮廷では特に、ヴェネツィアの風景画が多く購入されましたが、ドレスデンの風景画が望まれる
ようになると、カナレットの甥のベロットがドレスデンに招かれ、ヴェドゥータという流行の風景画様式でドレスデンの景観が多数描かれ居城を飾ります。

セクション4では、フランスの宮廷文化に焦点が合わせられています。アウグスト強王は、青年時代、ヨーロッパ見聞旅行に出ますが、太陽王ルイ14世
のヴェルサイユ宮殿に数ヶ月滞在し、華麗な宮廷文化に衝撃を受けました。ドレスデンの居城をフランス風に改装すべく、祝祭や儀式、ファッション
から家具に至るまであらゆることをフランス風に整えました。

セクション5は、中国と日本の工芸です。アウグスト強王は東洋の磁器に魅了され、薬剤師ベトガーに白磁の製作を命じました。東洋の磁器を集光鏡で
熔かし成分を分析することで、ベトガーはヨーロッパ初の磁器製作に成功します。マイセン磁器は、ヨーロッパの宮廷の憧れの的となり、ザクセンの
贈り物外交で絶大な効果を発揮しました。その絵付けに、中国や日本の磁器が手本であったことは言うまでもありませんが、後には独自の装飾も展開
します。
セクション6では、オランダ絵画の巨匠レンブラントがドレスデンに及ぼした影響を見ます。

92 :
>>87
片方のサイトに載ってる情報がもう片方のサイトには
出てないことがあるから、常に併用するといいよ

93 :
近代彫刻の父と称されるオーギュスト・ロダン(1840−1917)、今日ではマティスやドランなどの師としてその名を知られる画家ウジェーヌ・カリエール(1849−1906)。
この展覧会はふたりの直接の交流を軸に、その表現を比較するとともに、根底に流れる感覚や思想の共通性を
探ろうとするものです。ロダンとカリエールは、1880年頃に知り合って以来、カリエールが亡くなるまで、もっとも親しい友人として親交を深めます。交流のなかから、
ふたりは彫刻と絵画という技法の違いを越え、人物やものの表面に見える形ではなく、その奥に潜む「内なる生命」
を表現する者こそ、理想の芸術家であるという考えをもつようになります。このような考え方は、同時代の象徴主義の批評家や詩人たちに共感を与え、ふたりは一躍フランス象徴主義美術の中心に位置する存在となります。

今回の展覧会では、ロダンとカリエールの彫刻、絵画、素描、版画約140点を5つのセクションに分け、さまざまな角度からその関係性を読みといていきます。
ロダンとカリエールのふたりに焦点を絞った展覧会は、世界的にみてもこれまで例がなく、フランス世紀末、象徴主義
という枠組みでロダンとカリエールの作品をとらえ直す、またとない機会となることでしょう。この展覧会は東京で構成され、パリのオルセー美術館に巡回します。

展覧会は、大きく分けて5つのセクションで構成されています。

1.ロダン像とカリエール像
第1セクションでは、カリエールによるロダンの肖像、および自画像、またロダンが制作したといわれるカリエールのデスマスクを展示し、その人物像を紹介します。

2.ロダンとカリエールの直接の交流
第2セクションでは、ロダンとカリエールの直接の交流を示すいくつかの具体的なできごとから、彼らの芸術にたいする考え方を探ります。まず初めに両者がたがいに
所有しあっていた作品を並べ、次に1900年にパリのアルマ広場で開かれた「ロダン展」へのカリエールの貢献を
示します。さらにロダンとカリエールがしばしば制作した「芸術家に霊感を与えるミューズ」というテーマから発展させて、「ウジェーヌ・カリエールのための記念碑」
に向けたロダンの取り組みを紹介します。

3.ロダンとカリエールをめぐる人々の肖像
ここでは同じ人物をモデルにした肖像作品を紹介します。

94 :
芸術家たちが、まさに作品を作り出す現場であるアトリエ。それは、まるで
「創造の秘密」を解き明かしてくれるものであるかのように、人々の興味を
惹きつけてきました。フランスでは、19世紀の前半より、芸術家のアトリエ
訪問記や、アトリエの様子を表した版画が、雑誌などのメディアに盛んに
取り上げられるようになります。一方ではまた、アトリエにいる芸術家たち
の姿は、揶揄の対象とされることもあり、風刺画でたびたび取り上げられて
います。しかし、どちらも、一般の人々がほとんど目にすることのないアト
リエの情景が、作家や作品の意味を示してくるものとして、いかに人々の
好奇心を刺激し続けてきたかを示していると言えるでしょう。

今回の展示は、19世紀フランスを中心に、国立西洋美術館に所蔵されている
版画や雑誌によって、アトリエの情景と、それへの関心のありようを展観
しようという企画です。雑誌『シャリヴァリ』に発表されたオノレ・ドーミエ
による「アトリエ風景」や「芸術家」の連作版画には、アトリエを表した
ものが含まれ、これらはアトリエの芸術家を風刺的に描いた版画の代表と
言えます。また、写真や版画による挿図を豊富に用いた雑誌『イリュストラ
シオン』には、たびたび「アトリエ訪問記」の連載が掲載されており、ルポル
タージュ的にアトリエを扱ったものの代表となっています。これらの作品は、
19世紀における人々の、芸術家のアトリエへの関心を教えてくれるとともに、
また、今の私たちの好奇心も刺激してくれます。19世紀に芸術家たちは
いったいどのようなアトリエで制作したのか。その制作の現場をご覧いただき
たいと思います。

ブリュッセルにあるベルギー王立美術館は、ベルギー王国が世界に誇る同国
最大の美術館です。15世紀のいわゆる初期フランドル絵画から20世紀、
さらには現代美術にいたる絵画や素描など約20,000点が所蔵される同美術館
のコレクションは、まさに油彩画(油絵)発祥の地に相応しい充実した内容
をもつものと言えるでしょう。

この展覧会は、ブリューゲル、ルーベンスといったフランドルの巨匠たちに
はじまり、同館から選りすぐった70点の油彩画と39点の素描によって、
豊饒のベルギー美術400年の歴史を展望するものです。

95 :
タイトルぐらい書けや
国立西洋美術館の過去の展覧会のサイトから転載だろ
ttps://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/p2000.html

96 :
https://www.nmwa.go.jp/jp/visit/contact.html

無断転載の件、西美に通告した。

97 :
ブリュッセルにあるベルギー王立美術館は、ベルギー王国が世界に誇る同国最大の美術館です。15世紀のいわゆる初期フランドル絵画から20世紀、
さらには現代美術にいたる絵画や素描など約20,000点が所蔵される同美術館のコレクションは、まさに油彩画(油絵)発祥の地に相応しい充実した内容をもつものと言えるでしょう。

この展覧会は、ブリューゲル、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスといったフランドルの巨匠たちにはじまり、クノップフ、アンソールらの象徴派、
さらに、マグリット、デルヴォーらシュールレアリストなど20世紀の作品まで、同館から選りすぐった70点の油彩画と39点の素描によって、
豊饒のベルギー美術400年の歴史を展望するものです。

今回とくに注目されるのは、現存する油彩画が40点ほどしかないピーテル・ブリューゲル(父)(?)の《イカロスの墜落》が日本初公開されることです。
近年、作者をめぐってさまざまな議論が交わされていますが、光と大気をはらむかのような魅力的な風景描写、細部にいたる精緻な表現とやや幻想的で不可思議な雰囲気とが共存したこの作品は、
まさに、王立美術館の、また、ベルギー王国の顔として長く親しまれてきました。フランドル美術、ベルギー近代美術の粋を集めたこの展覧会にどうぞご期待ください。

98 :
ブラングィン(1867-1956)は、19世紀の後半から20世紀の前半にかけて主にイギリスで活躍した画家です。生まれはブリュージュ(ベルギー)で、
幼いうちにイギリス人の両親とともにロンドンに居を移しました。父親が建築や壁画の仕事に従事していたこともありますが、その後の彼の活動に強い影響を及ぼしたのは、
15歳から2年間働いたウィリアム・モリスの工房での経験でした。ここで同時代のアーツ・アンド・クラフツ運動に傾倒したブラングィンは、
独立後、絵画だけではなく室内装飾やガラス工芸、陶磁器、家具、タペストリーなど多方面にその才能を発揮します。
また、ブラングィンは、美術品購入のアドバイザーとして、松方コレクションの形成にも深く関与しています。

版画もブラングィンが力を注いだ分野のひとつで、エッチング、木版画、リトグラフ合わせて1000点を超える作品を残しました。
最も数の多いエッチングでは銅版ではなく亜鉛版を用い、インクを盛り上げて強い明暗を表しています。レンブラントやピラネージからの影響も指摘されるこれらの版画には、
ブラングィンのダイナミックな画面構成と的確な描写力を見ることができます。
今回は橋や教会などの建築物、造船所や運河で働く労働者たち、戦場での人々といった彼が繰り返し描いた主題を中心にご紹介します。
これらの版画からは、巧みな技法とともにブラングィンが社会に向けて発したメッセージの一端を読みとることができるでしょう。
本展は、これらの版画の所蔵先である東京国立博物館のご協力により実現しました。

99 :
イタリア・ルネサンスは、言うまでもなく西洋美術史のクライマックスのひとつです。画集をめくれば、有名な絵画や彫刻、建築、素描をいくつも見つけることができるでしょう。
けれども、実はこの時期に、芸術家たちの身近なところで美術作品としての目的やステータスを持つ版画が生まれたことは、知られていないのではないでしょうか。

15世紀後半から16世紀前半にかけてのイタリアでは、芸術家たちが版画の可能性に着目し、その技法や表現の可能性を大きく広げました。
こうして、それまでお守りやトランプの図柄に使われる程度だった版画技法が、美術品の制作にも使われるようになります。
さらに版画によって素描を複製することが可能となったため、版画はルネサンス美術の伝播にとってきわめて重要な役目を果たすこととなりました。
こうして、それまでお守りやトランプの図柄に使われる程度だった版画技法が、美術品の制作にも使われるようになります。

本展では、チューリヒ工科大学版画素描館の所蔵作品を中心に、イタリア・ルネサンスを代表する110点の版画の名品を展示します。
マンテーニャやポッライウォーロ、といったルネサンスを代表する芸術家たちが自ら手掛けた版画のほか、ラファエッロやティツィアーノらの監督のもとに生み出された作品をご覧いただきます。
イタリア・ルネサンスの版画がまとまった形で我が国に紹介されるのは、初めてのことです。この機会に、ルネサンス美術の新たな一面を発見してください。
本展では、チューリヒ工科大学版画素描館の所蔵作品を中心に、イタリア・ルネサンスを代表する110点の版画の名品を展示します。

100 :
当館では平成14年から18年度前期にかけて209点の版画、素描を新たに所蔵しました。作品は15世紀末のショーンガウアーから20世紀初頭のピカソまで、時代、国とも多岐に及んでいます。
20世紀の作品は数こそ少ないものの、ブラック、ピカソによるキュビスム期の版画が集まりました。
今回の新収蔵版画作品展では、そのなかから25作家、48点を紹介します。 ドイツ版画ではデューラーの優品のほか、ベーハム兄弟のエングレーヴィング、バルラッハやコルヴィッツによる表現力豊かな木版画を展示します。
16〜17世紀イタリアのギージ、デッラ・ベッラの版画はおおらかな表現が魅力です。オランダ版画としてはレンブラントの自画像が注目されますが、ホルツィウスの描く人間像も力に満ちています。
フランスではブレダンやブラックモンの卓越した描写力をご覧いただけるでしょう。また今回はルドン、ロップス、アンソールなど象徴主義版画をまとめて紹介します。
20世紀の作品は数こそ少ないものの、ブラック、ピカソによるキュビスム期の版画が集まりました。

版画コレクションづくりは尽きることがありません。歴史のうえに無数に登場する版画を刷りや保存状態を吟味しながら1点1点取得していくことは、
数が少ない間はそれぞれがひとつの点に過ぎません。それを地道に継続することによって、コレクションは点から線になり、面となります。
これまでの、そしてこれからのコレクション形成にも注目しつつ、今回はその一端をお楽しみください。
フランスではブレダンやブラックモンの卓越した描写力をご覧いただけるでしょう。また今回はルドン、ロップス、アンソールなど象徴主義版画をまとめて紹介します。


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