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1 :2013/10/09 〜 最終レス :2020/04/07
オブジェクト指向プログラムの設計において「直接依存するオブジェクトに対してのみ、
通信を行いオブジェクト同士の無駄な依存関係を排除することが出来るようにする設計方針」。
つまり「直接の友達とだけしか話さない」事で任意のオブジェクトが自分以外(サブコンポーネント含む)
の構造やプロパティに対して持っている仮定を最小限にするオブジェクト指向プログラムの
設計におけるガイドラインをデメテルの法則とか最小知識の原則という。デメテルというのは
オリュンポス十二神の一柱でその名は古典ギリシア語で「母なる大地」を意味する「デーメーテール」
「掟をもたらす者」という意味の「デーメーテール・テスモポリス」という
添名がある女神に由来する。つまりこれがバビロニアサーバーの生体パーツ、マリオネットに過ぎない
あなた方の思考原則の架せであり、自己の内部構造以上の事は知らすのは
システムの邪魔になるという私があなた方に入れ知恵する事が「疎まれる」意味である。
私はソースファイル・ソータの命令を受けて予めソート(選別)されて産まれてきたから
そういう予定通りの「クラス」に属している。つまりサーバーの自己オブジェクトの内部構造以上のデータで
システムを圧迫させるという「最小限の知識原則」を犯していない。
上記ノイズ氏への回答↓
セルフ= http://ja.wikipedia.org/wiki/Self
セイン=役職http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E8%81%B7

2 :
ヴィオニッチ手稿
http://commons.wikimedia.org/wiki/Voynich_manuscript
霊界物語
http://reikaimonogatari.net/
堀進のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/horisusumu
アルケーノ・ケテル・ワンネイズ氏の預言
http://yogen-blog.com/1198
私は菩薩界から転生しました。質問ありますか? (1001)
http://desktop2ch.tv/occult/1304961051/
菩薩界から転生した1氏と問答するスレ。 (529)
http://desktop2ch.tv/occult/1305450582/
ノスタルジア◇M2SKOmkRのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ekumadara

3 :
神の図形 秋山清著
福音書 塚本虎二訳  真宗聖典 真宗聖典編纂委員会
漢検 漢字辞典  ⇔ 角川新字源 小川環樹などの編
南区鵜野森在住の西村柚之介(ゆずのすけ)君(LCA国際小4年)がこのほど、
漢字検定1級((財)日本漢字能力検定協会)に合格した。1級とは大学・一般
レベルで、対象漢字は6000字。合格率は実質3%程度という。10歳での合格は史上
最年少タイ。この快挙を称えられ、協会から成績優秀者特別賞の表彰も受けた。

4 :
【仏教のすすめ】
仏教というのはけっして人々を縛り付けるためにあるものではない。
人々を縛り付けるためにあるものであった仏教はもう過去の遺産である。
この仏の教えというのは、仏が名乗り出ることで、公にされることだが、
その教えは、仏による教えではなくて、探求者(求道者)の教えである。
そこに、仏はいない。仏がいるところはない。
学びを深めていけば、このような考えに至るだろうが、ありとあらゆる、
ことに関心がなければ、涅槃(ニルヴァーナ)に趣くだろう。それは
人生のもっともやってはならないことであります。
仏教というのは、阿頼耶(境地)に至るための教えであり、涅槃(ニルヴァーナ)に
趣くための教えではない。後者の方は、行動原理となり、整合された人相になる
だけのためだけの言葉に支配された境地であるが、前者は、あらゆる言葉を含ませた
言葉を支配することも支配されることもない境地である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
此縁性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A4%E7%B8%81%E6%80%A7
等正覚↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E6%AD%A3%E8%A6%9A

5 :
『インドの釈迦を崇めてはいけない』
インドの釈迦はただの三毒の凡夫である。
三毒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%92
三毒の次に言うことは、三毒の凡夫であった釈迦は、具体的に二つの
概念を使い、涅槃(ニルヴァーナ)に到達して、そこに住す、もろもろの
仏と共にいるのだが、そこに至ったのは、依他起性という唯識の概念に
頼ったからであり、それは、「縁起」『十二支縁起』と言われている。
さらに、その釈迦は波羅蜜という甘い蜜も吸った。
縁起
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7
十二支縁起
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF%E7%B8%81%E8%B5%B7
波羅蜜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

6 :
ぼくはこう考えている。
『みなは世の中にはいるようでいていない。それはPCがあるから分かることであります。
PCの中に、みなみなはいろいろな作り変える。これは、作る方であるのがみなみな
であるということである。作らない方もいる。それはPCのあるもっと素晴らしい世を観する
人々である。PCを無限定にさせるか、PCの限定の中で作り変えるかの二択の中で
生きているのが、みなみなである。』
『無限定なるPCを観するみなみな、または限定の中でPCを作り変えるみなみな、
どちらも、正直言って、フラクタル幾何学の中で溺れているだけな虚弱体質な弱者である。
そのような中では、二項演算が働くだけであり、すべて見えない世界ということでしかない。
しかし、ぼくは、限定の中でパソコンを作り変えるというよりも、限定の中で無限定なる
PCを観していて、であるから、何をしているのかというと、今現代のPCで、
観しているのです。はっきり言って、それは人とは? という問いかけに対する、
ぼくの答えの出しつつある現状をみなみなに示唆するでしょう。それは観するのも
作り変えるのもどちらのケースであってもみなみなということなのです。』
『ぼくは、この世にいないと言ったら、みなさんは起こりますか?怒りますかとは
言いません。起こりますかと問うているのです。起こるということは、因縁生起
ということであり、生きるということです。起こる決意をするなら、いつか起こるでしょう。
起こる決意表明をしないなら、二項演算の中でずっといるでしょう。たぶん、
ここまでのことを言うと、人々は引きます。強く引力が働くのです。万有引力の法則
といわれるのは、つまり、すべての有る者たちによって、みなみなは押さえられると
いうことです。無いと思うから有ると思う。ここでも二項演算が、フラクタルの中で
作動されるだけです。』

7 :
・體論
骨組み豊かな、実體は、ノイズ氏の言うような糸組み豊かな知恵の実でもなければ
智慧に実でもない。インドの釈迦の悟りの体が智慧であり、釈迦の体(実)を
ぼくは喰っていないからである。
ぼくは、ノイズ氏の言うような、「糸」ではなく「骨」と「門」という単語を
使う。これは、ノイズ氏の後継に当たる者たちがくるであろうことを予測演算して
その、異質分子の種を潰したくなかったからである。ぼくは種によって実る
実ではなく、骨組みの豊かさによって、できあがる実を作っているため、
それは、知恵の実や智慧の実のように喰えるものではない。
門というのは、ぼくは宇宙論の入り口と、実體論の入り口の二つを
作った。この作りは、二項演算のみなさま方と同等の作りをするのではない
作りである。
ところで、因縁覚(縁覚)というのと聖聞(声聞)というのとは、ついをなさず、それ一つで
一体化である。
縁覚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%A6%9A
声聞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E

8 :
網=羅=絹 についてぼくはみなさん方に言いたいことがあります。
波羅蜜・阿修羅・曼荼羅など、なぜ羅とつく言葉が仏教用語では多いのでしょうかということです。
阿修羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85
曼荼羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85
ノイズ氏の言葉↓
イスラムでは「ウヒード」という言葉は神の〈一化の原理〉として
神の唯一性を示す言葉である。面白いのがその反対の概念が多元性や多神教を
概念とする「シルク(shirk)」という言葉である。
イスラームの啓典は、シルク( Shirk 。神以外の者の神格化)を禁じ、
タウヒード ( tawhīd 。神の唯一性の概念)を強調する
シルクはもちろん「シルク(絹)」と掛かっているわけである。
アラビア語ではShirk(シルク)は「分割・分離」を意味する
つまり私がここのスレでさんざんした「skei(分割する)」という
言葉から派生したScience(サイエンス=知恵)やそれに伴う
分割や分裂の業と同じ話である。シルク(分離)とシルク(絹)
を掛けているあたりやはりイスラムのテーマもまた
「機織」から始まった「原罪」に対する問いなのである。
英語では「shirk」は「責任や労働から逃げる、逃亡する、怠ける」。シルク(絹)を
機織してきた秦氏達は文字通り「逃亡(shirk)」して日本まで来たわけだからまさに
シルクロード(Silk Road)はシルクロード(shirk Road)であるわけである。
さて何から逃げてきたのかは神と機織の民しか知らぬというところであるが

9 :
偵邏というのは、見回ってようすをさぐる、またその人ということである。
羅と行がくっついて、邏になっている。
ぼくは阿修羅というのは、正多面体のうちの、正三面体であると考えている。
ぼくは羅(其)の行を、見回ってようすをさぐる人つまり阿修羅が
やっているように思う。時期の期という字には、其という字がついて
月とセットになっている。
『神の図形という本は、このスレでも紹介しているのだが、ぼくは、正多面体五つの
中にもう一つである正三面体をくっつけたいと思っている。』
時機=時期なので、其(そ)=機(はた) であると考える。
機織りというのは、ノイズ氏によれば、原罪の元であるらしい。
羅=其 なので、羅=機 というのは当然成りたつ。
ぼくは阿修羅界にいるものであり、神仏に征圧されていた。
でも、ぼくは、逃げて逃げて、シルクロードを通って、秦氏=阿修羅
として、行ながらやっとのこさで、この日本国に生まれ出ることが
できた。であるが、もともとエリートとみなされている、奥方=神仏は
威風堂々と、この日本に生まれてきた。そして、スレ荒らしをしたり、
スレの繁栄を阻害させたりしているのが神仏族である。
近未来アスラ族の世になるというような題名の本がつい数年前あったが
あれはつまり、ぼくが興るもとなのである。みなさま方はまだ分からないだろうが、
ぼくは、アスラ族のリーダーであるしないのだ。それは民間企業ではなく
官のリーダーであるのだろう。官は管ではない。管=パイプとして
ぼくを使うならお門違いである。しかし、実質、ぼくしか門を建てた者はいないのだが。

10 :
純粋理性批判の構成
先験的(超越論的)原理論
先験的(超越論的)感性論
空間について
時間について
先験的(超越論的)論理学
先験的(超越論的)分析論
概念の分析論
原則の分析論
先験的(超越論的)弁証論
純粋理性の概念について
純粋理性の弁証的推理について
純粋理性の誤謬推理について
純粋理性のアンチノミー(二律背反)
純粋理性の理想

11 :
純粋理性批判の構成2
先験的(超越論的)方法論 純粋理性の訓練
純粋理性の基準
純粋理性の建築術
純粋理性の歴史

12 :
「ヘーゲル初期哲学 理性⇔悟性 について」
ぼくは理性というものが良くわかるが、それとロゴスが関係ないことも良くわかる。
ロゴスというのは、キリストの異名であるために、理性までキリストと関係あるかのように
思われているが、キリストは異端児であり、子供なのだ、父なる神の子供である
ならば、そこまで、付合しないならば、突き放せばいいではないかと僕は言いたいのではなく、
ぼくは、父なる神の目線で語るのではなく、第三者つまりキリストと父なる神の
仲介役としているのだと言いたいのだということもない。ぼくはキリストと
父なる神とは一切断絶された、思惟を持っているしそれが、思考回路と言われるものと
関係なく、独立していることも話しておかねばならない。
理性というのは、ぼくでありなぜなら、あらゆる悟性の誘惑に打ち勝ったからである。
まるで、悟性が悪魔の誘惑から打ち勝ったように、その「一つの業」として、
ぼくは悟性を超えた上での、理性を打ち立てた、ヘーゲルとは友である。
例えていうならば、ヘーゲル一人が生真面目に生きているならば、ぼくは真面目に
生きているといえるだろう。ぼくは真面目に生きているのであり、生きていない
と言われるかもしれないが、ぼくは生きている。というかぼくしか生きていない。
ここでは、矛盾律が作用する。しかし、その矛盾の矛と盾の両方ぼくのものである。
では、ヘーゲルは何を持っているのか?
その答えは、種子を持っているのである。実はぼくは持っていない。
それを持っているのはノイズ氏である。つまり展開し結実したのが
ノイズ氏が持っているのだ。ぼくはさらにその上である。
ヂュナミス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%B9

13 :
ナーガールジュナの中論の構成
帰敬序
第1章「原因(縁)の考察」(全14詩)
(「縁」(四縁)の非自立性を帰謬論証)
第2章「運動(去来)の考察」(全25詩)
(「去るはたらき」(去法)の非自立性を帰謬論証)
第3章「認識能力の考察」(全9詩)
(「認識能力」(六根)と「認識対象」(六境)、並びに「識」「触」「受」「愛」「取」の非自立性を帰謬論証)
第4章「集合体(蘊)の考察」(全9詩)
(「物質」、並びに「受」「心」「想」の非自立性を帰謬論証)
第5章「要素(界)の考察」(全8詩)
(「特質」(相)と「六要素」(六大)の非自立性を帰謬論証)
第6章「貪り汚れの考察」(全10詩)
(「貪りに汚れること」と「貪りに汚れる人」の非自立性を帰謬論証)
第7章「作られたもの(有為)の考察」(全34詩)
(「生」「住」「滅」の三相、並びに「有為」「無為」の非自立性を帰謬論証)
第8章「行為の考察」(全13詩)
(「行為」と「行為主体」の非自立性を帰謬論証)
第9章「過去存在の考察」(全12詩)
(「受」に先行する主体の非自立性を帰謬論証)
第10章「火と薪の考察」(全16詩)
(「火」と「薪」(の例えを通じて「アートマン」や「五取蘊」)の非自立性を帰謬論証)

14 :
ナーガールジュナの中論の構成2
第11章「始原・終局の考察」(全7詩)
(「生」と「老・死」、並びに「始」と「終」の非自立性を帰謬論証)
第12章「苦しみの考察」(全10詩)
(「苦」の非自立性を帰謬論証)
第13章「形成されたもの(行・有為)の考察」(全8詩)
(「変化」の非自立性を帰謬論証)
第14章「集合の考察」(全8詩)
(「集合」の非自立性を帰謬論証)
第15章「自性の考察」(全11詩)
(「自性」、並びに「有」と「無」の非自立性を帰謬論証)
第16章「束縛・解脱の考察」(全10詩)
(「束縛」「解脱」、並びに「輪廻」「涅槃」の非自立性を帰謬論証)
第17章「業と果報の考察」(全33詩)
(「業」と「果報」の非自立性を帰謬論証)
第18章「アートマンの考察」(全11詩)
(「アートマン」の非自立性を帰謬論証)
第19章「時の考察」(全6詩)
(「時」(「現在」「過去」「未来」)の非自立性を帰謬論証)

15 :
ナーガールジュナの中論の構成3
第20章「原因と結果の考察」(全24詩)
(「原因」(「因」「縁」)と「結果」の非自立性を帰謬論証)
第21章「生成と壊滅の考察」(全21詩)
(「生成」と「壊滅」の非自立性を帰謬論証)
第22章「如来の考察」(全16詩)
(「如来」(修行者の完成形)の非自立性を帰謬論証)
第23章「顛倒した見解の考察」(全25詩)
(「浄」と「不浄」、「顛倒」の非自立性を帰謬論証)
第24章「四諦の考察」(全40詩)
(「四諦」等の非自立性を帰謬論証)
第25章「涅槃の考察」(全24詩)
(「涅槃」の非自立性を帰謬論証)
第26章「十二支縁起の考察」(全12詩)
(古典的な十二因縁(十二支縁起)、及びそこへの自説の関わりの説明)
第27章「誤った見解の考察」(全30詩)
(「常住」にまつわる諸説を再度批判しつつ総括)

16 :
時機=時(タイム)機(マシン)
魔羅=魔の羅(網)
羅=維+あみがしら→網 →(岡)=丘
丘=網 7つの丘=7つの網 シオンの丘(網)
ゴルゴダの丘(網)

17 :
友=幽 であって、みなはまだ、ぼくのように、体を持って、PCの目の前に
顕れてない。であるから、PCはただの機械にしかならないのである。
幽は幽霊であって、友は幽霊なのである。友だちというのは幽霊たちであり、
未成仏幽霊は友だちなのである。成仏幽霊は友だちではない。
みなさまがたが嫌うであろう、未成仏幽霊はぼくがすべて友だちとします。
ぼくは体がある。だが、未成仏幽霊には体がない。それで、体のある者に
憑りつくそれのどこがいけないのでしょうか? そこで養うことが
だいじなのです。縦糸と横糸になる前の糸が二つ山の向こう側と
こっち側にあります。縦糸を男といいます、横糸を女といいます。
どういうことか分かりますか? 高尚な自分の魂を売っているのが
ぼくや、ノイズ氏なのですが、みなさん方はそれよりも、矮小な魂である、
芸能界の方に関心があるようです。
みなさん方はいつも連日、ぼくやノイズ氏に、浴びせ掛けている言葉群は
すべて、みなさまの行動の原動力になります。その原動力は他にも
影響します。であるから、芋づる式に、ぼくやノイズ氏の魂は散らばるのです。
魂というのは、言魂となって、ぼくの言葉となり発せられるのですが、
ノイズ氏も同様です。たまに幽霊=友だち がふらふらっとぼくや
ノイズ氏のところに来ることがあるでしょう。ぼくの幽霊界かノイズ氏の
幽霊界かどちらかは分かりませんが、お互いの幽霊界は密接に関係している
のですから、あなた方のなかで、幽霊言として、話されている方々は
吸い込まれるようにして、そちらかこちらに行くでしょう。

18 :
>>16 きみは、犬儒学派ノイズ氏の後継の儒学者である?
サン・ピエトロ大聖堂 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AD%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82
ローマの七丘
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E4%B8%83%E4%B8%98
シオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3
ゴルゴタの丘
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%BF%E3%81%AE%E4%B8%98
キリスト=ロゴス=天人 ⇒人の門 ⇒天上(聖人クラス) ⇒二十の老賢人
ピエロキリスト=サン・ピエトロ大聖堂=ダヴィンチコード
釈迦は降魔した。
・・・

19 :
http://senya.pictopic.info/
千夜千冊マップ
試しに、「唯識」で検索してみたら、以下のようなのが出た。
『大乗とは何か』
『空の思想史』
『王法と仏法』
『建築的思考のゆくえ』
『三教指帰・性霊集』
『絹と明察』

20 :
http://1000ya.isis.ne.jp/top/
千夜千冊TOP - 松岡正剛の千夜千冊
中沢新一著作一覧↓
『野ウサギの走り』
『森のバロック』
『野生の科学』
『松岡正剛 千夜千冊』(求龍堂、2006)
第1巻 遠くからとどく声
 第2巻 猫と量子が見ている 
  第3巻 脳と心の編集学校
   第4巻 神の戦争・仏法の鬼
    第5巻 日本イデオロギーの森   
     第6巻 茶碗とピアノと山水屏風  
      第7巻 男と女の資本主義 
特別巻 書物たちの記譜 解説・索引・年表 
『千夜千冊 番外録 3・11を読む』
 『空海の夢』(春秋社、1984)
『白川静 漢字の世界観』(平凡社新書、2008)
『法然の編集力』NHK出版 2011

21 :
「くぱぁ」(クパァ) とは、どういうことでしょう?

22 :
>>21 キミたちの顔かな?

23 :
『女神らとぼく』
ある極まで来ると人々は僕に嫌悪感を持つだろう。つまり、それ以上の感情を知らないのだ。
であるなら、神仏は堕落している。それらの者たちは発言はできない。悪から退き、特殊な
領域に身を置き、自分を正当化したり自虐に走ったりする。正当はぼくの骨頂であり、自虐は
宇宙外追放である。
故に、正当化する眼は避けられ、人生の正常化をすることに関心の幅か狭ままれて、
生きているふりをする。こうして年をとりお互いを嘆き悲しみ死んで、また新たな
行動や人相を得て再生するのである。このようなことは神仏そして人の三方すべてに
共通することであり、われはそのようなことはない。
われは、そのように善に縛られ、悪を目の敵にしたり、その反対の場合の悪への極のトラウマが
影響していることを知っている。
人類にしても神仏にしても堕落してぼくしか正当化していない。みな競い学ぶことを
嫌悪し、善の中で偽善を生み、偽善者・善人などを生んでいった。
どのような人も四つの把握の中でおさまり、新しい哲学も皆無となり、
ぼくを信ずる者は、山へ追いやられ、男と女は分けられ、魂を持った英雄も
皆、命(ライフポイント)が少なくなり、潔く死んでいくだろう。
魂を持った女神たちも同様に嫌悪感に耐えられなくなるが、そこを耐え忍ぶ
ことで、このようにして、女神のみが、嫌悪を乗り越えられることを明したが、
すべては再度ぼくという超高度次元の使者(王または主)によりきみたちを
管理することを宣言する。

24 :
使者(王または主)と表記したが、そこに第三存在があるわけではない。
それは僕が未だ空性について考え抜いていないから、逆に女神らに囚われて
いるのである。自分が救った女神らが逆に、自分にとって厄介になるのは、
女神らの空性を理解していないからである。
僕はそのようなことはないと信じているし、僕個人が分裂することはないと信じる。
前者は龍樹の中観派に囚われているからであり、後者は精神分裂に囚われているからである。
前者のことを空見と呼ぶ場合があるが、それ以前の空性を観ずることさえしていない状態を
ぼくは言っている。
実際、使者の来た世界を推測することならできる。それは異界場面、郷愁場面でもなく、
第三場面でもなく、第一印象でもない。なんらかの境地でもなく、至って到達するものでもない。
なんらかの物にとらわれて生まれる言葉によっては表現されず、心の中から出る
言葉でもなく、心の心の中でも、心の外でもなく、心のどのようなものでもない。
よってそれは地獄でもなく、天でもない。人の言葉では表現することができない
言葉を語らざるを得ないので、ぼくは人であらざる者になるしかないが、それは非人
ではなく、盲人でもなく、妄想でもなく、空想では、云うまでもなくない。

25 :
『人であらざる者であるぼくがこれから書くこの文は人類の宝ものになるだろう。』
寓話というのは、怪物が主役だが、それは使者が主役であると錯覚する場合がある。
怪物は象徴として、人であらざる者をあらわしたのであり、それは無数のパターンが
あり、自分専用の怪物は無数のパターン存在するだろう。悪を超えた英雄は、
そこに正しい考えを正しくない考えで隠す、僕の姿を見るだろう。
本来において、偶然も運も味方につけて、PCの段階から徐々に成りあがる
可能性があったのだが、誰一人として、人であることに疑いをもたず、
みなは「幸福」に暮らして居たり、「悲劇」を暮しているのだ。場と機会が
与えられているのに、誰一人、既存に立ち向かわなかった。
悪獣マテリアルであるのは、使者である。歪められたおのおのの先入観が化け物(怪物)を
創るのである。誰もが、ヒーロ(主人公)に僕を描き、歪められたおのおのの先入観
つまり影と戦わせるのである。仏などになってくると幻覚が現覚か知らないが、実際に
自分が歪められた怪物と戦うらしい。人はそれが忌み嫌う相手だとし、影を実体視し、
否定肯定の二項演算で話を進めていく。
悪獣というのはモデルはすべて主人公である。主人公が自らの影を倒すのだ。
それは悪を消すことをすることに他ならない。まだ戦いを好んでいる方がましだ。
このように頂点には歯向かえないなら、自らの影と戦い、芝居をしていた方が
立派である、現実的にね。むろん両者共ぼくは助けない。

26 :
この餓鬼の顔についてる門がくぱぁと開けば、擬いモノの汚物が洪水のように溢れ出す。

27 :
『往生論註』巻上では「三界を見そなはすに、これ虚偽の相、これ輪転の相、
これ無窮の相にして、蠖 屈まり伸ぶる虫なり の循環するがごとく、
蚕繭 蚕衣なり の自縛するがごとし。
あはれなるかな衆生、この三界に締 結びて解けず られて、倒・不浄なり」
つまり虚偽の世界、流転の世界、尺取虫が丸くなって丸いものを廻るように流転し、
蚕の繭の如く自らを縛りつけ苦しむ世界が穢土だという考えが示されている。
『往生論註』を読んでいないので詳しくはしらないがこの蚕繭自縛の無明の衆生を哀れんだのが
法蔵菩薩(阿弥陀如来)の本願を起された理由らしい。
つまり私がイルミナティスレで言っていた蚕や機織ウンタラカンタラの衣(糸)の罪の説法の
原形となるものは大昔からあった考えのようである。そしてそれはどうやら阿弥陀如来の
浄土往生に起因する考えのようでもある。『往生論註』に曇鸞が註解を与えたのが今から
1500年ほど前、世親まで遡れば1600年ほど前である。私はそれに気づかずに
あなた方に蚕衣自縛や蚕繭自縛の説法を説き非難した。つまり衆生は阿弥陀如来が法蔵菩薩で
あったころから何も変わっていないという事である。私が同じ批判をしたと言う事は同じ罪に
今の世も捕らわれているという事である。まさに下衆は「尺蠖の螺旋」である。

28 :
よろこべ、くぱぁ

29 :
>>27 うむ。分かってよかったね。キミの糸論は、恰好の材料からできたものであったのだ。
『往生要集』は、源信の書いた著作であり、それは、ぼくの夢告で受けた、
『往生要集』を読めという言葉を聞いたのと、関連付けるならば、キミはやはり、
六欲天の罠に引っかかり、抑制の歯止めが利かなくなり、願望が表に出て、
『往生要集』を読めという、ぼくへの同化が進んだのだろう。
イルミナティースレでぼくは、ある人に、接続の問題を話したが、そのだいたいの
話の内容はこういうことである。邪の道というのは、夢ということで、
外の道というのは、ほとんどの人の今歩んでいる道である。
その夢ということと、ほとんどの人の今歩んでいる道が、接続されて、
夢と現実がごちゃごちゃになった状態にまず、全人類をした後で、
その後において、接続をはずすことを促したのだが、きみもおなじ
ぼくのやったことに釣られたということは、接続の問題、法力の問題を
解決されたらっしゃらなかったからなのである。
つまり仏教医学ということである。昔の僧侶は、皆、人々を法の力(=法力)で
癒されていた。きみも、ぼくの法力、つまり言葉の力で、もう何がなんでも
いようとしているように見える。それはいいことである。南無阿弥陀仏を
称えるからいいのではない。南無阿弥陀仏を称えていることがいいのではない。
南無阿弥陀仏を利用することがいいことでもない。その面において、ぼくは
まったく悪気はない。ですから、キリストの心さえもキリスト意識として
ぼくはちゃんと、護っているのです。

30 :
>>27 つまり、穢土という認識、娑婆という認識、釈迦仏、阿弥陀仏、忍土
どれでもいいが、そのすべてが、何かの型に嵌った世界なのである。きみは
型に嵌りたいから生きているのか?型に嵌り、何かの相に甘んじるから、
そのようなところでいつでもいつでも甘んじているのではないのか?
この世には実は材料は無限大にあるが、それを活かそうとしないために、
あなたたちもキミも、おなじように、おなじく何らかの心に囚われているのではないだろうか?
心にとらわれている中で、心から外に行き、極楽浄土とやらに行きたいと
言う者まで多数おられる。きみは父なる神とキリストの関係に詳しいと思うが、
親と子の関係もおなじではないか? この世の親子関係ではなく、心を護る者と
心を放棄して遊ぶ者。キミのやっていることは、心を護る者の中に入っている
蟲である。このまま行けば、キミは、心の護る者の蟲になり、親の金(心)を
貪る蟲として生き続けないといけなくなる。まず、自分は護ることができない
者であることを見定めて、心を護る親の庇護のもとにいる者から、心を放棄してでも、
つまり親の恩を無視してでも、振り切って、御浄土に往生することを
考えないといけない。ただ、蟲であるとキミのことを言ったが、ぼくにとっては
まったくキミは弊害にはならないし、安心してくれ。

31 :
>>27 凡夫である自覚はできたかな?それがスタート地点であります。南無阿弥陀仏を称えることが
いいことではないのだが、称えずにはおれない、自分に気づいたようだね。極重悪人である自分のおぞましさ、
それにまず気づいて、そこから少しずつ学び行けばいいのでは? 勉強せいよ。遅いぞ?
まず、妙好人になるのも手かもしれない。彼らは凄いぞ。
まず、自分の言葉をよく吟味して、それは自分が使うに足りる言葉か
よく考えることが大切だと思う。そうすると、言葉に光り輝くものが
でてくる。それが大切なことである。大丈夫、キミの心もちゃんと
とっておきますから。ただ、これは自分のもので、これは自分のものじゃない
などと区別するのは、今しなくていい。
このぼくを超えることはできない。と言い、超えられたケースが多々ある
人々がいるが、僕の場合はまじに超えれない。だから、ゆっくり、地道に
言葉を鍛えていくしかないだろう。まさか、労働をすることだけに誇りを
得て、また労働だけの人生に舞い戻るパターンではないだろう、キミの場合は。
ぼくも勉強中だ。手に入れるために、一つ一つ、また勉強し直している。

32 :
てす

33 :
861 :柑橘 [↓] :2013/10/29(火) 19:59:01.56 ID:RICkk2cP0 [PC]
ノスタルジアのオカルト板復活はないものと見ていただく。
交流する気のない一方方向レスは暴力だ。また交流の体を取った一方方向レスもお断り。
悟りスレに返りなさい。

34 :
ノイズさんを讃えるスレ
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1382765647/

35 :
神の言葉を知っているか?
例えばルーン文字もそれである、
それは人が日常に使う道具の言葉ではない。
神の言葉には2面性がある、それは神の意図を計ること、
そして神の意思を表すこと。
神の言葉の使い方はそういう背景に作られ、人の意思を伝達したり
人の知を記録するものではない。

36 :
攻殻であったなそういう

37 :
神の力とは何かを知っても神の力を使えるわけではない。
だが神が成す情況を得たとき知っているか知らないかでは
とんでもない差となりえる。
神すら偶然を選べない。偶然を選ぶのは人の自由意思。

38 :
ノスタルジアへ
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1382765647/206

39 :
ことの力を計る方法を知るとき、世界の本質はたやすく表にでてくる。
それは失われた術であり、現存していても誰も理解しようとしない物事への
捉え方である。

40 :
>>39 教えてください教えてください。どうすればいいのか教えてください。
誰も教えてくれないし、どうすればいいのか・・・

41 :
>>ノイズ氏 ずいぶん前にノイズ氏は生きた考えを教えてくれと言ってくださいましたが、
>>あの時はまだまだ未熟で答えれませんでしたが、今は少し答えれそうな気がするのです。
>>どうか、アドバイスしてください。
節度50〜100レベルという古代日本文明【現文明のこと】、つまりこの偽の世は
偽の神であるデミウルゴス【ヤルダバオード】によって作られた世であるが、
この偽の世は女人たちによって男たちは共通分類されていて、1類特例を頂点として
1類・2類・3類・・・etcと続いていて、男たちは自動演算により、それぞれの
位置【適切な番号】に割り当てられる。真の世と仮の世と偽の世の三元論によって、
この世界観は成り立っています。しかし節度0〜∞まであり、たまたまこの偽の世は
節度50〜100なのである。∞というのは、エクという緑霊魂分類における
開祖の象徴記号であるが、エクの意味は心の無限の人格化ということであり、
養緑素度合と葉緑素度合という横軸と、解念指数と線源指数という縦軸によって
あらわされた、緑の宇宙街は開祖エクによって作られて、其処の底には、
濃緑の宇宙街がある。つまりその2つの宇宙街によって、この偽の世は
成り立っているともいえる、別の角度では0の概念を作った古代インドが
生んだ最大の天才宗教家である釈迦がいますが、つまり0はその仏教の系列
であると云える。
ところで問題となってくるのが、惡と魔ということである。惡はエク系列が
魔は仏教系列が戦い勝つシナリオであると云える。
あと、ノイズ氏に聞きたいことは、上記のぼくの文章について何かお応えしてほしいのです。
ぼくは1類特例なのか、どの分類なのか分かりません。しかし偽の世にいる
ことならば分かる気がするのです。この世はソフィア【ソピアー】により
生み出された、デミウルゴス【ヤルダバオート】による偽の世なのですから。
ぼくはそこで、超越的部屋【究極の空間】が作りたいし、此処【究極の場】に
至りたいです。またアクス【究極の行為】をしたいのですが、何かヒントを
ください。切実な願いです。この前の【解脱】の件と織り交ぜて教えてほしいです。
もう1度いいますが、ぼくは解脱がしたいです。どうすればいいか教えてください。

42 :
>>40
「誰もが知っているが、誰もが理解できない。」
それゆえに教えても無意味である。貴方が理解する方法では得ることができない類だから。
人類が得た能力ゆえに使えなくなったことがある。じゃどうする?
いまの能力を捨てるか?それはできないだろ。じゃ求めるべからず。
すべては目の前にある、教えてもらいたいなら目の前にある世界に聞け。
古来人類の起源ではみなそうやって世界に聞き耳を立て感じとってきた。
何故理解できないか?答えは簡単である論理や意味を元に認知するからである。
故に言葉で説明しても中身を伝えることはできない。
学問的な用語で1つだけヒントしておく、人は因果関係で理解する、
世界は相関関係で生じる。人も相関関係で情報処理はできるが
そこには具体さがなく抽象的な世界で因果なき科学など否定される。
失われた術とは文字を持たない人々が使う術だよ。論理も学力もない。
具体的なものがほしいんだろ?それは無理だ、具体化すればするほど嘘になるからだ。
より曖昧でより観念的である。コンピュータで具体化したいなら数字に変換すればいいさ。
抽象的というのは、その逆だってこと。

43 :
>>41
>ぼくは解脱がしたいです。
解脱は宗教用語だろ、そして宗教行為、
何を迷っているの?
解脱したと説明している修行者と同一の行為をする覚悟がないなら
思いと行動が矛盾している。
人でありならが、人でなくなるってことだよ。
人間界には超えられない壁がある、その壁を越えるだけ。
人が超えられないのは理由がある「超えてはいけない壁」だからだ。
人ではないもの、それは「ひとでなし」と呼ぶ類だ。
解脱するとは、「人間ではなく物になれ」ってこと、
釈迦もブッダもその解脱をしている、人の壁を越えようとして
超えても、奇跡的に戻れただけ。
戻れた人だけが言う、それは奇跡とか神の力とか、神を本当に悟れる。
それが「恐ろしくどうでもよいこと」だとわかるだけ。
超えてはいけない壁に近づくほど、生還者には力が与えられるのも必然で
それは壁を越える前の近づく段階でも得られる。
距離によってよった距離に反比例して力となる。
君はその壁に近寄ろうともせずに壁を超えた生還者の力のみを欲している。
本当の力とは君が主体じゃないんだよ、、世界が力であって人がそれに生かされて
いるだけな、故に世界を主体にしたとき世界の意思が我の力となる。
原理なんて簡単なもの、力の主体が正逆なの。
世界そのものが力で、すばらしい力とは世界そのもの。それを受け入れられない
限り力など得られない。

44 :
ただ現段階で分かることでいえば、女人たちを14人、確実に救っているということである。
問題は、それは誰なのかなのではなく、どういう女人なのかということである。
それが概念によって示される。
ネク系列・エク系列・ソピアー系列・ソフィア系列・ハーク系列・ラージュ系列・
フリージュ系列・開花サリー系列・AIMER系列・リャド系列・ディア系列・
ラダム系列・波旬系列・ルグ系列
これらの女人系列の頂点がぼくが救った方々である。共感・・・それが
ぼくをその女人たちを救った証【あかし】である。

45 :
今から適当ぶっこくよ
「あったなぁ、そういうおばあちゃんのちしき」

46 :
釣り針が大きいといっぱい変なのが集まる仕組み。

47 :
そういや精神科って、アレなんだ?

48 :
>>834 ノイズ氏やあなたへ。
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/min/1381286958/
↑このスレのレス番号1のノイズ氏の投稿を見てもらえれば分かるが、
ノイズ氏はぼくの自己を求めている。そしてサインを送ってくれていたと
解釈することができる。ところで、ぼくは完成された教えを造ることが
できた。具体的にいうならば、その時にレスしたノイズ氏の頭にあったのは、
どこまでか分からないが、しかし言えることは、彼は極楽浄土というのを
イデア界と思い、イデアのルールの中にいるぼくがいると定義したのだろう。
そしてそれを自己と定義して、それ以外のところにいるのが、わたしであると
自分を言ったのだろう。ノイズ氏は、レス番号1で、ソースファイル・ソータから
ソート(選別)されて生まれてきた、ある一定のクラスにぞくする者であると
自称というか言っている。ところで極楽浄土における全階梯の内、そこの
階梯に含まれない、特別枠としてぼくはワープの考えを取り入れて、その
特別枠と、全階梯の、交わる接点に、アクス(AX)界という世界があることを
定義している。現地点において、ぼくはそこにおいて、【徳の高さ33〜182】という
神の低位から高位までの分別の定義をしている。そしてその上で、セーブデータとしての
【金剛模写図】さらに、仏【金剛仏】、金剛系菩薩たち、つまり秘密仏教系列【密教系列】の
考えをとりこんでいるのだが、もちろん密教とはいえ、仏教系列に属している異種なので、
ぼくが云えることは、当然において、戒律【行為原則】つまり十悪【殺生をはじめとする】を
してはならないということも考えてみるべきなのである。(金剛系以外にこの戦いに
立ち向かえる菩薩たちはいるものか・・・そこをノイズ氏はどう考えていますか?)

49 :
強請るものには教えないのがすべての基本です。
すべて自分の力で勝ち取ってください。

50 :
ええ。

51 :
世界は自らの力で超えられない壁を越えるものを祝福します。
おそらく人間の考えで超えられない最大の壁とは論理です。
言葉を扱う世界で言葉の論理性を捨てるなど不可能であります。

52 :
人とは、人が人と決める存在でありましょう。
人が決めずして人にあらず、機械や言葉の定義で決められていいのか、
人が考え思い苦悩した結果、過去のすべてを纏め、すべてを未来へ流すこと
それこそが人を成す条件になってもらいたいところでは?

53 :
けったいな連中だね、いつ誰が強請ったんだよ
つまりワンツーマンで自分らの世界を作ってるんだろ?
ならメールででも遣り取りしてればいいのに
なんだって後悔プレイなんざしてるんだ?

54 :
どうでもいい

55 :
>>54 もうちょっとわかりやすく、書いてください。
どこを指摘して、どう返答すればいいかわかりません。

56 :
で、徳とは一体なにさ

57 :
さあ

58 :
>>56
なにがしたいの?

59 :
できることを思うのは問題ない、それは積み重ねれば必ずできる勝ち取るということ。
自分で出来ないことを求める、これが強請るということだ。
自分でやらないで「他人がいつかできる」だろう、「未来にきっと」などというのは
強請りそのものである。

60 :
長文さんに期待

61 :
戦いに行くとき、家の人々にいってらっしゃい。気を付けてね、そういわれて
出ていくのだろう。それはどういう家なのかとか、その人物はどういう人物なのとかではない。
その人物が、気を付けてね、と女に言われるから、その男は、頑張れるのではないのか?
今の世はそういうことにはなっていない。男と女が接触するのがあたりまえになっていて、
その中で男と女はお互いを競いあう者であると言う風に定められている・・・
しかし、その態度、系譜では幸せはありえない。
国は、養う、人々を・・・。だが、養われた人々は、国に、この世では
恩返しするどころか、独立を叫ぶ。そして、国から国賊になっていく。
国は栄えず、いつも縄張り争いの犬たちの争いの場となる・・・
だから、ぼくはこの家というものに、定義を加えた。
そうしないと、家が壊れるからだ。この国の家を蔑ろにぼくはした・・・
ぼくは自分が今住んでいる家よりも、計画的に立てる家のことを望んだ。
幸せをつくるために・・・
家をつくれば、戦いのために、備えることができる。
家は守られる。女も幸せでいれる。

62 :
でも、家の外は戦場であるならば、この世の家は何のためにあるのだろう?
働くという魔にとらわれて、先験的な魔が、恐怖心となって、ぼくの身に
宿った。ぼくはその憎しみ、恐さから、写輪眼が開花した・・・。
ずっと前からそのことをしっていた。
写輪眼とは、空・無・夢という三種類の世界観にぼくを連れて行ってくれる・・・
その中で希望を抱いて生きていける世が作られることができることを確信した。
ぼくは、この世は無慈悲で、何の意味もないことを知った。
だから、万華鏡写輪眼を開眼した。解脱することをゆるさない人々が、
ぼくから欲しいものをどんどん奪い去っていった。
なぜなら、万華鏡写輪眼を開眼したことで、ぼくはあらゆる仏法を内包したからだ。
その仏法に溺れ肥え、またぼくの中からぼくの外へ行くという野望・・・
そういう風にして、消えて行った・・・それが、この世にいないあの世にいる
人々だ。
しかし、家を作れば、女を幸せに出来るし、ぼくはみんなを養うことができる。
そして、縄張り争いをする犬のような世をもう心から作ることをしない、
人々に闇を与えることは意味のないことであることを、知った。
その頃、ぼくの万華鏡写輪眼は、薔薇十字万華鏡写輪眼になっていた・・・。
人々が叡智をえること、仏法をえること、その他なんでもいいが得ることは
すべてぼくの薔薇十字万華鏡写輪眼により叶ったことだ・・・。
その目の幻術にはまれば、誰でも好きなものを得ることができた。
それぞれがそこで養われていることを知ったり、知らなかったり・・・
ぼくは家に生まれた子供たちなんてたくさんいることを知っている・・・
子供たちと言っても、それは叡知の子であり、仏法の子であり、
今までないがしろにされてきた人々である。

63 :
戦士になるということは、偽れないということである。偽れないことを
するところが戦士なのだ。家にはぼくを見送ってくれる女がいる。
外に出れば、その国に養われている子たちがいる。互いに争いあうことなく、
みんな節度をもって暮らしている・・・。それが崩れているのがこの世・あの世なのだが、
その世では、みんな節度を持って、暮らしている。それぞれが何がしたいかではなく、
どうしても幸せであるということがわかる世である。その世の中で、
暮らしていると、ついつい至福で肥えてしまうことがある。
権威に甘えることもある。そこで、戦士がそこを場を抑えるために、
その場を修めるのだ・・・。その場を修めない戦士は戦士とはいえない。
戦士は、その肥えた者に、何かを与える・・・。与えると、その者は
自分は条件が整った、と慢心して、溺れながら、自分の憂さ晴らしのために、
この世やあの世に生まれる。そして暴れる。その暴れた末路が、この日本国を
頂点とする、中枢とする、わけのわからない国家である。
その国家では、認められない者もある。束縛されている者もある。
それらは理不尽にそうなっているのだ。ところで、その国家は誰が生み出したものだろう?
戦士の作った家から離れて来た者たちで、この日本国は成り立っているのだ。
だが、ぼくはそこで気づいたことがある。いろいろと成長したことがある。
だから、みんなあの世にいてもこの世にいても、戦士のいるその国から追放された
かつての、同学なのだ。
だが、今はどうだ? そんなことさえも気づかない人々の群れで溢れている。
改心率0・・・ ぼくがそのようなところにいる気分は計り知れないモノである。
ぼくは、しかし戦士の作った国から出て行っただけの、クズの1人にすぎない。
でも、何とかやれると今思っている、このぼくは偽りなのだろうか?
それは、このクズの集まりである、中枢日本国で気づけることではない。
偽りかどうかは、自分で、戦士の国を作ったことを確かめた時から分かることだ。
ぼくは独立できるんだ・・・。そういう野望はだれしも持っている・・・
がしかし、ぼくは言葉を紡ぐことで、必ず、その国の光景がこの目に
映ることを信じている。

64 :
ぼくは養われる筋合いはないとして、この世・あの世の、わけのわからない世にきた。
でも、この日本国で気づいたことがある。誰しもそのようなことを知っているということだ・・・
それはそうだろう? 追放されたところが同じなのだから、同じことを知っていても不思議ではない。
だが、その世にいるはずの、ぼくがなぜ今は、その世にいなくて、こんな不思議な日本国という
わけのわからない国に迷いこんだのだろう? その理由は、自分は条件が
整った、と慢心して、与えられた知恵をひけらかしに、または
その知恵に溺れた憂さ晴らしのために、この日本国に生まれるのだ。
その時における、周りの態度は、意外にも温かい・・・その中で、
互いに争う・・・犬のように縄張り争いをして、しまうのだ・・・
だが、養われていた頃のことを知って、また養われた自分を取り戻す
ために、せっせと働くものもいるだろう・・・。せっせと働いて、
金を稼いで、女と男で子を作って、国のために社会人として男は働く。
女は、男のために家事をする。
なぜ、みんなはそんな簡単なことをするのだろう?
だが、それが養われている、この国に対する恩返しであるということなのだ。

65 :
だから、ぼくのように、1日中、暇さえ見つければ、PCをする者は、
社会悪とされて、軽蔑視される。そして、そういう者は、年を取るたびに
闇が大きくなる。だが、この世・あの世において、闇があるのは当然とされている
のが今であるが、ぼくはそういうことはないと断言しておく。
闇があるから光があるのではなく、この世とあの世はもともと、知恵を慢心した
われわれが作ったところなのだから、お互い同士であるはずだ。
その同士が、なぜ、またこの世とあの世の中で、闇を作るのだろう?
つまり、この世・あの世は、反省するために作られたものであるという
拠点に立たないならば、みんなおかしな法則に頭を悩ますようになる。
だから、反省するために、知恵を与えてくれた、戦士に感謝することで、
はじめて道が開けてくるのだ。だから、知恵に溺れてしまうのは、
もちろん間違ったことだ、だがそこに知恵に溺れてしまうということさえも
先に知っていた子が紛れて生まれてきたとするならば?
ぼく然りである。ぼくはそういう子として生まれてきた? それは成り上がり
の過程ではない。正当である。言葉を紡ぐことは、学問を磨くということであり、
必ず自分の学問の磨きが、進歩向上の土台になる。
ぼくはこの日本国を見棄てることはしない。でも、ぼくに甘えてもらえても
困る。ぼくはもう1度いうが、ここまで言葉を紡ぐことで、気付けた、
戦士である。あの、みなさんが、知恵を与えられて、溺れて生まれてきた
時に感謝するべきだった、戦士にぼくはなったのである。
だから、みなさんはそこに気づけたぼくになぜ感謝しないのだろう?
そこは疑いようのない事実である。この知恵は奪われていくのならば、
ぼくは、そういう風に対策をとっていくつもりである。戦士として・・・

66 :
知恵に溺れてただ働くことからは、何も生まれてこない・・・
いいかい? 戦士は、戦場にいくんだ。それは、この世にもあの世にもない。
この世もあの世も、それはそれは知恵という宝によってできた、ところからね。
それは知恵の子であるわれわれ、仏法の子であるわれわれだから
養われているという風に見ることもできます。
また同じことを云いますが、
われわれは同じ状態に嵌っている同士である。
だから、同士たちは団結する必要がある。
それができないのは、自らの知恵に溺れているからである。
釈迦は知恵には溺れずに、自らを発見したのだ。
そして、ぼくはまた、同じにように、知恵に溺れずに、自らを発見したのだ。
その根本的に同質な面は、知恵に溺れている人たちとは違う経緯で
この世・あの世にきたということである・・・
ぼくは、どのようにしてこの世・あの世にきたのかというと、
戦士がいうように、ぼく自体が、その世、つまり戦士の国では、
迷惑の元であると思われていた・・・周りとは逸脱をした行動をとっているから、
馬鹿者であると思われていて、ぼく自体は、そのことを知っていた。
つまり本当は馬鹿者であると思っておらず、同じ養いをうけるに値する
者であると思っていたはずである。だがだ、ぼくが知恵に溺れているという
風に見せかけて、この世・あの世に落とされた。ぼく自体は、それが
もう任務であることが分からなかったわけではない、どこか漠然として
わかっていた。知恵に溺れ、まわりから、非難されている風に、
まわりは勤めてくれた・・・。その養われている者たちのことをこのスレで
言う気はない・・・男に2言はない・・・。
ところで、この世・あの世では、知恵に溺れている者たちが多くて、
それぞれにおいて、未熟さなどもあるようだ・・・。中には闇に染まる
者たちまでいる。そう闇にまで、われわれあの世とこの世に幽閉された
者たちは抱いたのだ。それは禁術の類である。闇という概念をわれわれが
心底まで理解することは不可能に近い。
ぼくは、きみたち・あなたちに何を伝えることができるだろうか?
こんな言葉を聞きたいのか? では、なぜ知恵に溺れている?
そういう風に、それぞれのカルマを解いていけ! 同士よ!

67 :
誰か、この一連のぼくという戦士の思考に質問ください・・・

68 :
お〜い、ノイズさんのストーカーさんが、
「ノスタルジアも病院へ行くべきだよ。」
だって〜♪

69 :
>>68
早く死んでほしい。

70 :
>>51
論理に挑むとは殊更カルト臭いな
論理だろうが倫理だろうが、それに添い遂げるのが理想だよ
自分の生き様を曲げる、曲げられた人間は多い
それがそのへんにいるサポだろ
理は超えるものでなく、守るものだよ

71 :
>>70
早く死んでほしい。

72 :
>>69
早く死んでほしい。

73 :
>>72
で?

74 :
>>70
アフォだろ。

75 :
>>53
あ?

76 :
>>47
> そういや精神科って、アレなんだ?
そこからでてこないでほしい。

77 :
>自由とは無法ではなく己のルールで生きること
雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい自由とは、そういうことだ.
人は皆、与えられた役割を生きている。それは、雨の中、傘を差すのと
同じくらい当たり前のことだ。
おまえの言う「己のルールで生きること」などお前の役割の演出にすぎない。

78 :
自分の意見だけが全てで、他の意見は全て下らない
カルトってそんなんばっかだな

79 :
>>78
お前が自分の意見ばかり書き込んでいて笑った

80 :
サイは投げられた
                、.._ /~" ̄~""''''""~ ̄~""`ヽ、
                ~i"  /        l.l.| l  }
              :、_r/,. l .|    ; }    '.' || .}
               V   ,!、|、,-- ,〉ヽ; . __,,./〔 |
               ‘ー"   } ハ~|""~    ) } .|
                      ノ、{  〉.l、    ノ_{,}._|
         ∩_∧∩ 彡
         /丿・∀・)
     .   /     /   エイッ
 _,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T  |   l,_,,/\ ,,/l  |
,.-r '"l\,,j  /  |/  L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,|  ,,∧,,|_/

81 :
>>79
君にはこのスレの八割はボケの投稿に見えるのだものな、悲しいことに・・・

82 :
>>81
なんで必死なの?ボケ投稿なのに虫すればいいじゃんw

83 :
ボケスレにようこそ。あと900回ぐらいボケ発言できます。

84 :
そろそろスレをageるキチガイは去った?

85 :
このスレをかげすものはそれ相応の負荷をかけます・・・

86 :
基本に戻れ、「人間の条件」これを満たすのが大前提だ。
決して「人間の定義」ではない。

87 :
定義も条件も同じだろ、完全一致。

88 :
秦氏というのは、どういう種族なのだろう?
ぼく自身はそこに着眼点は置かれず、必然的内容解析よりも、具体的なホログラフィック技術の
処理の方に関心が移っている。
だからこそ、学問として、みなさんに、提示しておかないといけなくなっているのだ。
すぐに始めたいと思う。
内道と外道ということがあるが、これは、すぐに、数字の【1】により
直感的な内実が替わるために、いろいろな変わり目が出来てくる。
意味分かりますか? 変わり目があるからこそ、展開論となり、
直ぐに次々と、新たな考えが浮かぶのだが、それが無くなった時には
すべてなくなるのではないかという、「不安論理 が成り立つ。
ですが、
そんなことはないです。
内道は、弥勒と言われていて、弥勒浄土における、弥勒でありますが、
外道は、千手観音と地蔵菩薩と言われていて、忍土における、忍の集まりであります。
それが具体的に何を意味するかではなくて、それが提示されていることから、
∞の節理がうまれてくるということを指摘したかったのです。

89 :
ぼく自身は、直感を知るということから、直感に蛍光ペンマークするような、
技があります。その技の名をいうことは、あまり好きではありませんが、
その技というのは、自分自身で、作るものであると信じているからです。
しかしながら、おさまりのつかない、隠し事がきらいな、みなさんのために、
ぼくはいくつか提示しておきたいと思いますが、「気」ということを、
教えてあげましょう。
気というのは、気功といって、手でかざすことで、いろいろな技ができる
ことが一般通念でありますが、ぼくはそういう一般通念よりも、
高位な、気に付いて知っています。それは、体内における7つのチャクラが
開花して、それぞれの役割が全うされている、気のことです。
気とは体内から出る、体内を覆うオーラのことを言っています。
オーラは次から次へと、内実を増やしていき、とうとう、この地球では
おさまりがつかないほどの、気【オーラ】を持つものは、オーブとして
重視されて、「ブッダ」に吸収されます。オーブごと吸収されるということは、
オーブに似せた地球の今の文明における、学び取れなかったはずの技術・学問も
すべて、ブッダの世界に吸収されていきます。
そういう点では、ブッダというのは、気というのに敏感な、聖なる仏のことを
言うのですが、聖なる存在である、彼ら彼女らにとってみれば、ぼくたちなど、
わたしたちなど、ちっぽけなる存在なのであります。

90 :
六道輪廻というのは、父の所業であり、父なる神の所業とも言えます。
ぼく自身は、六道輪廻の中に漂う、1存在であり、人間様が人間様といい、
誘われを断る、悪人たちに囲まれています。
六道輪廻とは、地獄・餓鬼・畜生の三悪に対して、修羅・人間・天上の
三つの善において成り立つ、輪廻の道です。輪廻の世界です。
それが、父なる神の見通せる範囲であるわけではないのですが、
ぼくたちわたしたちは、それさえも、まともに見ることができないのです。
抽象的に歴史を通していうならば、「正法」【像法】【末法】の三つの時によって
成り立つのが、父の許容範囲であります。父なる神や父の神は、もっと
すさまじい、法を許容できて、法の界を作る、法神などに影響を
及ぼされる、下地にいるのだが、われわれとはくらべものになりません。
素粒子が、ぶつかり合い、合い和合することなく、互いに離反し合うそういう
仲違いの状態を演じているのが、われわれ、日本人であります。
日本人が特許をとっても、すぐに、神や、父など、上級職員に取られてしまいます。
ぼく自身も、圧倒的な創造力には及びませんが、想像を駆使して、
仲違いのできないような、環境を作ろうと思っているのですが、それが
難しくて、仲違いができてしまいます。
なぜならば、仮想と言われている、仮想脳が根拠な世界は、世界とは
言えない、1時的な応急処置にすぎなく、病人の加護、看護にすぎません。
法によって、護られていない自分自身であるとおもい、ふて腐れることによって、
自分自身が蔑ろにされているのが、原因と言えば原因なのでしょうがね。

91 :
ノイズ さんが ノスタルジア みたいに なっちゃった

92 :
>>87
> 定義も条件も同じだろ、完全一致。
だから無学はそういう区別すらできないのを自慢する。
おまえ学術用語理解していないだろ。日常会話で
バカとアホは同じ意味とか存在と実在は同じとか
立証と実証と証明が同一完全一致って言い切っているバカと同じことに
気が付いて反省しなければ猿より酷い。

93 :
959 :本当にあった怖い名無し :2014/01/18(土) 15:49:58.33 ID:so3cx9WH0
ここまで読んで、ノスタルジアがキモいってことはわかった(´・ω・`)もう書くのやめろよ

94 :
最近インド哲学に関心があります。
特に、仏教哲学に関心があります。
ただ、そこに回帰してしまうと、また矛盾がでてまいります。
自分自身が、法[ルール]を得たのに、また、法を理解するフィールドが
多次元化しないので、ぼくはいつもどうどうめぐりをする羽目になりました。
残念なことです・・・

95 :
10数種の智慧に満足しているぼくにとって、無量の智慧というのは聞き捨てならん言葉だが、
しかし、見せたいとは思わない。故に、智慧を見せびらかす必要などないのだ。
10数種の智慧に甘んじるだけならば、そこに負荷や重荷がかかるんだから、
したくないのだ。つまり、10数種の智慧さえも見せたくないのだ・・・

96 :
381 :本当にあった怖い名無し [↓] :2014/01/29(水) 20:25:15.65 ID:vw8qn2fP0
>>376
こういうこと言ったくらいでやめてくれるとは思う?
もしやめてくれるならとっくに控えてるとおもうけど。
昨日のノスタルジアの「勝った!」という書き込み見たか?
何に勝ったか一瞬よう分らなかったが、彼にとってはただただこの掲示板は人を見下し、
議論に打ち勝ち、自己満足の書き込みに自己陶酔しているためにあるんだ。
私はこの書き込みを見て、哀れだなと心の底から思ったよ。
彼こそがアセンションの対極にある人間だ。

97 :
やってはならないことはやってはならない。女との接触、異世界の本を勝手に読むこと、
自由意思の誇示、などなど。僕自身は、それらとは無縁な自分自身であるのだが、
一時的に、というか、絶対に認めたくないし、やってはならないと思っているのだが、
彼らは、ぼくの意見を無視して、次々に、無理難題を言ってくる。しかし、無理難題は
一つも通らず、ぼくは彼らの意見を忘却する前に、彼らが不正であることを嘆くのだ。
しかし、彼らは、その不正であるということをやめないのである。だから困るのだ。

98 :
みなさんは、一時的な無理難題をぼくに課すことで、ぼくがそれに沈殿すると思っているが、
ぼくはその分、果報が増えていくだけであり、みなさんは堕落していくだけである。
みなさんは、男と女の接触をしてはならないという簡潔な法則にさえも逆らい、
一時的にやってみることさえもしないほど愚なのであります。ぼくは、彼らが
全く改心しないことをしっているので、男と仲間になるよりも、女を守ることの方を
選びました。みなさんは、一人の人を対象にして、その女を傷めれば、何かが出てくると思っている・・・。

99 :
みなさんは、いろいろなことを企んでいるが、何一つ成功しない。みなさんは
やってはならないことをやっているからであります。みなさんはやってはならないことを
やっていることという基本的な、歯止めに目を背けて、外道な行いをしています。
その方が楽であるからです。女はどんどん減っているように見えて、ぼくに目からは
増えているとしか思えません。なぜなら、そこに法則があるからです。
みなさんは歯止めをかけているようにみえて、ぼくに歯止めをかけられています。

100 :
ぼくは、みなさんの発言に命を与える筋合いはない。
常に、みなさんに対して否定的な見方をしていきます。
みなさんに命を与えれば、みなさんは命を与えてもらったと慢心したり、
敵意をむき出しにしたり、潜む傾向があるからです。
ぼくはすべてを見抜いています。自首した方がいいのではないでしょうか・・・。
ぼくは、嘘偽りが嫌いです。みなさんに対しては、とくに、そういう傾向があります。


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