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●●●仏教は不幸な死は前世が悪いと言う2●●●


1 :2018/11/06 〜 最終レス :2020/06/22
前世なんて、あるかどうかも証明できないのに…
宗派によって違うと言う人もいたが、もはや救いようがない。

2 :
因果応報
三世因果
業報
自業自得
差別戒名
離檀料

3 :
機根
利根
鈍根

4 :
正定聚機
邪定聚機
不定聚機

5 :
対機説法
応病与薬
臨機応変

6 :
タントラヴァジラヤーナ

7 :
そもそもスレタイがおかしいんだよな。

【 仏教は不幸な人生は前世が悪いと言う 】

これなら、まぁその通りなので(俺個人の意見ではなく仏教の意見ね)、
誰にも文句は言われず、冷静に議論ができる。

>>1が真面目に議論したいのならば、
スレタイを変えて一から出直すべし!

8 :
釈迦の二枚舌

9 :
それは仏教ではなく
ジャイナ教で、そんな考え方
をお釈迦様は批判している
と思ったけど

10 :
>>7
>>9
じゃ前スレの仏教の人たちは何なの?

11 :
でも、お釈迦様の考え方だけ
では割り切れない部分もある
から中国、朝鮮、チベット
日本などの仏教があるのかも

教学や理屈のみでは生々しい
人間苦に対応できず
だからと言ってオカルトのみ
では現実は立ちゆきません

手段はともかく、人は
生きる為にあがいている
人生は誰もが難問です

12 :
増一阿含経
瑠璃王経

13 :
前スレで、いろいろ経の解説してた人
いたけど出てこないの?

14 :
仏典に出てくるエピソードがあります 。

ヤギを生け贄にしようとしたバラモン人が 、生け贄にする条件の揃ったいいヤギを捕まえました 。
お供えをする祭壇のところでヤギをロープで繋いで儀式を行い 、ヤギの喉を切るとなったそのとき 、ヤギはまず笑って 、その後泣きました 。

それを見たバラモン人たちが 「どうして機嫌がよくなったり 、悲しんだりしているのか ? 」と聞くと 、

「私は昔 、一匹のヤギの首をはねました 。死んでから長い間地獄に落ちて 、苦しんで苦しんで 、やっと動物に生まれ変わったのです 。
でも何度動物に生まれ変わっても首を切られてしまう運命でした 。
そして 、畜生として生まれ変わりながら 、私は首を切ったヤギの毛の本数ぐらい首を切られて 、苦しんで死にました 。
ですが 、私が遠い昔ヤギ一匹の首を切ったカルマは今日で終わりです 。だから嬉しいのです 。
今度首を切られて死んだら 、私は過去に行った善行為によって 、幸福なところに生まれ変われます 。
だから 、私にとっては今殺されるのはすごくありがたくて 、これで終わりだと思い笑ってしまったのです 」
と言います 。

15 :
「では 、なぜ泣いたのですか 」と聞くと 、
「あなたたちのことを思ってです 。
神様のための生け贄などという邪見で私を殺そうとしています 。
あなたたちはこれで天国に生まれ変わると信じていますが 、昔同じように生け贄の儀式をした私は 、その後どれほど苦労するかを経験で身をもって知っています 。
あなたたちも殺生と邪見の罪でこれからどれほど苦しむのかと考えると 、悲しくてたまりませんでした 」
と答えたのです 。

それを聞いたバラモン人は恐くなって 、
「もう生け贄はやめます 。あなたを大事に守って決して首を切られないようにしてあげます 」
と言いましたが 、
ヤギは 「それは無理です 。私のカルマですから 、報いは避けられません 」と笑いました 。
バラモン人はヤギを大事にして 、誰にも殺されないように当番で守っていましたが 、あるときヤギが草を食べようと崖を登ると突然雷が落ち 、割れた岩がヤギの首を飛ばしてしまいました 。

16 :
全ての事は自分の心がけ次第なり。凶運の原因は自心にあり

17 :
善悪の報に三時あり、ひとつには順現報受、ふたつには順次報受、みっつには順後次受、これを三時という、
仏祖の道を修習するには、その最初よりこの三時の業報の理をならいあきらむるなり、しかあらざれば多く錯(あやま)りて邪見に堕つるなり、
ただ邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。

当に知るべし今生の我が身二つ無し、三つ無し、徒(いたずら)に邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん、
惜しからざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。
                           (道元禅師 正法眼蔵 84三時業より抜粋)

(現代語訳)
因果応報には三つあり、この世での行いの結果は、この世ですぐ受けることも、あの世で受けることも、さらにその次の世で受けることもあります。
仏の生き方をしようと願うならば、この三つの因果応報を自らに省みて実践するのでなければなりません。
そうしなければ邪まな考え方に陥ってしまいます。
そればかりでなく、三悪道(地獄、餓鬼、畜生)に堕ちて安らぎを得られず悩み続けることにもなります。

私たちの人生はやり直しがきかないのですから、邪まな考えをもって悩み続けることほど虚しいことはありません。
それに気づかずに、悪を成しながら自分は悪いことをしていないと思い、苦しみもないだろうと思っても、自ずと悪業を感得して悩み苦しみ続けることになるのはなんとも惜しいことである。

18 :
ダンマパダ聖典(法句経)

1.1 チャックパーラ長老の事例

1.(1) 諸々の法(事象)は、意“こころ”を先行“さきゆき”とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、汚れた意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、苦しみが従い行く
――〔荷を〕運ぶ〔牛〕の足跡に、車輪が〔付き従う〕ように。


1.10 チュンダ屠豚者の事例

15.(15) 悪しき〔行為〕を為す者(悪業を作る者)は、この〔世において〕憂い、死してのち憂う。〔すなわち〕両所において憂う。彼は憂い、彼は打ちのめされる
――自己の行為(業)の汚染を見て。


1.11 ダンミカ在俗信者の事例

16.(16) 善き〔行為〕を為した者(功徳を作った者)は、この〔世において〕喜び、死してのち喜ぶ。〔すなわち〕両所において喜ぶ。彼は喜び、彼は喜びをきわめる
――自己の行為の清浄を見て。


1.12 デーヴァダッタの事例

17.(17) 悪しき〔行為〕を為す者(悪業を作る者)は、この〔世において〕悩み苦しみ、死してのち悩み苦しむ。〔すなわち〕両所において悩み苦しむ。
〔この世では〕「わたしは、悪を為した」と悩み苦しみ、〔死後は〕悪しき境遇(悪趣)に赴き、より一層、悩み苦しむ。


1.12 スマナー天女の事例

18.(18) 善き〔行為〕を為した者(功徳を作った者)は、この〔世において〕喜び楽しみ、死してのち喜び楽しむ。〔すなわち〕両所において喜び楽しむ。
〔この世では〕「わたしは、善を為した」と喜び楽しみ、〔死後は〕善き境遇(善趣)に赴き、より一層、喜び楽しむ。

19 :
【真理のことば】ダンマパダ<中村 元訳>

1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。

16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。

17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。
「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。

18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。

20 :
小部経典「餓鬼事経」第2話 豚の口

今よりはるか昔 、〔釈尊の直前の 〕カッサパ仏の時代に 、ある比丘が身業はよく慎んでいたのですが 、口業を慎まず 、比丘たちをなじり 、非難していました 。
彼は死後 、地獄に生まれ 、仏がおられない一時代分 、地獄で焼かれつづけていました。
私達の釈迦牟尼仏の時代になって 、そのもと比丘は地獄で没し 、同じ口による悪業の余波で餓鬼に生まれ 、飢えと渇きにさいなまれながら 、王舎城の近くの霊鷲山をさまよっていました 。
彼の身体は金色に輝いていましたが 、口だけが豚の口でした 。
そのころ 、ナーラダ尊者は霊鷲山に住んでおられました 。
ある早朝 、王舎城に托鉢に向かったとき 、尊者はその餓鬼を見かけ 、彼が何をなしたのか 、偈で問いかけました 。

1 「そなたは全身が金色で 、四方に向けて光り輝いている 。しかし口だけは豚の口になっている 。
そなたは過去世で何をなしたのか ? 」

2 「私は身業を慎んでおりましたが 、口業は慎んでおりませんでした 。そのため 、ナーラダさま 、ごらんのとおりの姿になりました 。

3それゆえ 、ナーラダさま 、申しあげます 。口による悪業をなさいませぬように 。 〔来世で 〕豚の口になるようなことをなさいませぬように 」

21 :
(VI.1.10)【コーカーリカ】 (第一章) サンユッタ・ニカーヤII
http://kokoronoeiyou.seesaa.net/article/264371248.html

ここに悪業を犯した者の末路が説かれています

22 :
「堕胎経」というお経がある。
内容は胎児を 中絶堕胎殺害した者、又させた者(男性、女性を問わず堕胎の原因を作った場合も含まれる。)が、
死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が 説かれている。
中絶、堕胎の果報、 業報については真言宗開祖の弘法大師空海様も晩年の著作である 「秘密曼荼羅十住心論第一巻」 のなかで
雑宝蔵経(雑蔵経  大正新修大蔵経 第十七巻 経集部四  五五八頁)というお経を引用し次のように お説きになられている。

 「一人の鬼あり、その鬼が仏弟子である 目連尊者に対してこう問いかけた。
「私(鬼)の身体は常に肉の塊(かたまり)にして手 、脚、眼、耳、鼻等あること無し、つねに多くの鳥達に 体をついばまれ、食べられ、耐えられない程苦しい。 何が原因でこういう苦しみに遭(あ)うのか」 
 
目連尊者は答えて言った
「あなたは前世(前生) においてつねに他者に薬を与え他者の胎児を堕した。胎児を中絶させた。 胎児を殺害した。
このような行為、因縁、業報により 死後、現在においてこのようなひどい苦しみを 受けている。
これは(あなたが作った)果報、行為の報い、 罪の報いであり、地獄の苦果、苦しみはまさに 後身にあり(果報の報いはあとになって受ける)」 とある。

(鬼という言葉は死者を意味する。昔は死ぬ事を 鬼籍に入ると言った。)

23 :
ヘレン・ケラーはどうなのよ?

24 :
>>23
お釈迦様や目連尊者や蓮華色比丘尼のような神通力で人の過去世を見通せる人じゃないと
ヘレンケラーに対して三重苦を背負うことになった原因については何も言えないな

25 :
587 見よ。他の(生きている)人々はまた自分のつくった業にしたがって死んで行く。かれら生あるものどもは死に捕らえられて、この世で慄えおののいている。

666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。

(スッタニパータ)

26 :
善悪ともに皆ながら 輪廻生死の業なれば
すべて三界・六道に 羨(うらや)ましき事さらになし
阿弥陀仏に帰命して 南無阿弥陀仏と唱ふれば
摂取の光に照されて 真(まこと)の奉事(ぶじ)となるときは
観音・勢至の勝友あり、同朋もとめて何かせん
(一遍上人語録)

(意味)
この世における幸い(善)も不遇(悪)もどちらとも結局のところは
輪廻を繰り返してきたそのときどきの業の報いであり、
これはもうどうしようもないのだから、この世で恵まれた人たちを羨むことはない。
いまやれることは阿弥陀仏に帰依して南無阿弥陀仏と唱えることで、
そうしたらかならず阿弥陀仏は摂取の光で我われ救いとってくださり阿弥陀仏と一体化するようになる。
のみならず観音菩薩、勢至菩薩まで友のごとくに付き添ってくださる。
こうなったら、ことさらへつらって仲間や友人を求めなくてもよくなる。

27 :
陰湿で粘着質な気質は仏教気質です。

28 :
【ミリンダ王の問い 第一篇 第四章 第三節】

王は問う、
「尊者ナーガセーナよ、いかなる理由によって人々はすべて平等ではないのですか?
すなわち、ある人々は短命で、ある人々は長命です。またある人々は多病であり、ある人々は病が少ないです。
ある人々は醜怪ですが、ある人々は端麗です。ある人々は力弱く、ある人々は力が強い。
ある人々は財少なく、ある人々は財が多い。ある人々は卑賎の家に生まれ、ある人々は高貴の家に生まれます。
ある人々は愚かであり、ある人々は賢明です」

「大王よ、なぜ樹木はすべて平等ではないのですか?
<それらの果実についてみるに>、あるものは酸っぱく、あるものは塩からく、あるものはにがく、
あるものは渋く、あるものは甘いです」

「尊者よ、それはもろもろの種子が異なっているからだ、と私は思います」

「大王よ、それと同様に<宿>業の異なることによって、人々はすべて平等ではないのです。
すなわち<その故に>ある人々は短命で、ある人々は長命です。
(中略)大王よ、世尊(ブッダのこと)はこのことをお説きになりました。
―『バラモン学生よ、生けるものどもは、それぞれ各自の業を所有し、業を相続するものであり、
業を母胎とし、業をよりどころとしている。
業は生けるものどもを、賤しいものと尊いものに差別する』と」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

29 :
どういった死が不幸なのか。よくわからん。人が見て不幸でも死ぬ自分が不幸でなかったらいいわけだ。逆に他人が見て善い死に方でも本人が不幸な死と思えばどうなるのか。死の縁無量だから死ぬ縁に善悪はないわけじゃないのか。剣に当たろうが
酒で狂っても,寝たように死んでも,事故死しても溺れても・・・善悪はない。
これってみんな死ぬ縁だろ。死ぬ原因は生まれたことだろ。
そう考えると不幸な死とは何か。おそらく死ぬことに希望が持てないような死なんじゃないだろうか。もう一つは生きてきた人生が空しかったような生だったと後悔することかな。考えてみてくれ。死に希望が持てないと同時に人生が無意味だったと思う生こそ不幸ではないのか。

30 :
>>29
まあ>>14-15のヤギもカルマ清算の形で不慮の事故死となってしまったわけだが、
ヤギ自身はこの死で過去より地獄と畜生という悪趣に堕ちた生は終了して次の生からは善趣に生まれることができるのを喜んでいるしな。
このヤギの死も不幸なのかどうかは見方や切り口によって変わるな。

31 :
マハーカーラという名の在家の人は、夜明けまでお釈迦さまの説法を聞いていました。
そして朝、顔を洗って家に帰ろうと水場に行ったときに、殺されたのです。 
その前夜、ある家に泥棒が入って、村人たちが泥棒を追いかけていたのです。 
ひとりの泥棒が盗品を水場に捨てて逃げたので、盗品を見つけた村人が、マハーカーラを泥棒と思い、殺したのです。 
ブッダのそばに朝までいたというはっきりしたアリバイがあるにもかかわらず、彼は不幸になりました。

そのときお釈迦さまは比丘達に、このように教えられました。
「あなた方は、この人が不公平に殺されたと思うでしょう。 
彼のこの世の生き方だけを見ると、確かにその通りです。 
でもこの人は、過去世で人妻と恋に落ち、その主人を殺したのです。 
その悪行の結果によって、今世で不幸になったのです」。
http://www.j-theravada.net/howa/howa76.html

32 :
19世紀になってヨーロッパの哲学者がインド哲学に触れた時にまず興味を示したのが輪廻と業の思想です。

33 :
パーリ仏典のダンマパダやウダーナヴァルガ においてお釈迦さまは次のように説かれています。

「手むかうことなく罪咎(つみとが)のない人々に危害を加えるならば、次に挙げる十種類の場合のうちのどれかに速やかに出会うであろう
1、激しい痛み 2、老衰 3、身体の傷害 4、重い病 5、乱心 6、国王からの災い 7、恐ろしい告げ口 8、親族の滅亡 9、財産の損失 10、その人の家を火が焼く  
この愚か者は死後に地獄へ生まれる。」

ダンマパダではこの説法はマハーモッガラーナ(目連)という仏弟子に対して説いたとされます。
マハーモッガラーナはサーリプッタ(舎利弗)と並ぶ仏弟子の筆頭と言われていた優秀な弟子でした。

34 :
困ったことに、輪廻や業の思想は今世を生きる人々にとっては悪を戒める道徳になり得るが、
今世、障害やハンデを持って生まれた人、或いは理不尽な虐待や酷い死に方をした人に対する
差別の正当化になってしまうんだよね。

あらゆる差別を撤廃していこうとするこれからの世界において、
この輪廻や業の思想を上手く封じ込めなければ、仏教はいずれ消滅してしまう。

仏教に帰依すれば悪業は消滅できるとか、
こういう善業を積めば悪業と相殺できるとか、そういう文献はないの?

35 :
>>34
>差別の正当化になってしまうんだよね。

ならんでしょ
障害者に瞋恚、卑下慢、粗語、暴行などを行えば、普通に悪趣に行く
(過去の世に)悪人(だった人)には何をしてもいいという論理は因果応報、輪廻からは出てこない

36 :
>>33
「手むかうことなく罪咎(つみとが)のない人々」というのは「悟った修行者」のことでは?

37 :
>>34
>仏教に帰依すれば悪業は消滅できるとか、
>こういう善業を積めば悪業と相殺できるとか、そういう文献はないの?

【長老偈 テーラーガーター】

わたしの汚れは消滅し、わたしはもはや迷いの生存を受けることがない。
わたしは、尊敬されるべき人(阿羅漢)、布施を受けるべき人、三種の明知のある人、不死を見る人である。(ラーフラ)。

以前に、他の幾多の生涯においてわたしの作った悪業は、いまこの世においてその報いを受けねばならぬ。
しかし〔のちに〕他の〔生存をひき起こすべき〕根拠(素因)はもはや存在しない。(サミティグッタ)


相殺は難しいと思うが、悟りを得てこれ以上の悪業を積まないようにすれば悪業の報いを受け切った時点で過去世からの悪業(汚れ)は消滅するのでしょう。
また悟りを得た時点で解脱しているので今の生が最後の生となり、死後は輪廻することなく涅槃に入ります。
そうなれば今後未来永劫に渡って悪業を積むことはありません。
ちなみに釈迦は解脱した者(真理に達したもの=修行完成者=如来)は死後涅槃に入ると説いてはいますが、死後に涅槃に入ったものは存在しているといえるのか言えないのかというような質問には答えませんでした。
その答えなかったのを無記といいます。

詳しくはヴァッチャ火経をご覧ください。
https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/62268074.html

38 :
>>36
そうでもなく単に無抵抗のものという意味みたい
詳しくはこちらを
https://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201002/article_13.html

39 :
>>38
おお参考になるー
ありがとー

40 :
>>35
>障害者に瞋恚、卑下慢、粗語、暴行などを行えば、普通に悪趣に行く

そういう経文があるんですね。ご教示ありがとうございます。

ただ、この世における階層・階級の正当化にはなりますよね。
インドにおける階級制の根拠になっていたのかなと。

41 :
>>37
ご教示ありがとうございます。
とても参考になります。

悟りを得て、心の真の自由を得たいなあ...

42 :
>>40
パーリ増支部経典八集>第四 布施品
   第十 悪行の異熟 より

 比丘たちよ、不快なことを言うことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば不快なことを言うことの報いは、人としては意にかなわない声を聞くことに転じる。

 比丘たちよ、気に触る駄弁を習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば気に触る駄弁は、人としては取るべきでないことを言われることに転じる。

43 :
>>42の他にも
パーリ中部135経 小業分別経
より


青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害ある種類の者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ多病な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、多病な者へと至らしめるのです。すなわち、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害ある種類の者となることは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害なき種類の者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ健康な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、健康な者へと至らしめるのです。すなわち、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害なき種類の者となることは。

44 :
>>41
ほかの業の清算に関するお経では中部経典(マッジマニカーヤ)の中のアングリマーラ経があります。
非常に有名なお経ですがやや長いので最初は紹介するのをためらってしまいました。

アングリマーラは手塚治虫のブッダを読んでた人にも有名です。
http://www.usio.co.jp/html/buddha/img_shinsouban/buddha10/10-3.png

アングリマーラの人物についてはこちら
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9

アングリマーラ経
http://manikana.la.coocan.jp/canon/angulimala.html

さて、尊者アングリマーラは、早朝に内衣をつけて、衣と鉢を取って、サーヴァッティーの中に托鉢のために入っていきました。
しかるに、その時、他の人によって土の塊が投げられて、尊者アングリマーラの身体にあたって落ちました。
また、他の人によって、棒が投げられて、尊者アングリマーラの身体にあたって落ちました。
また、他の人によって、石の粒が投げられ、尊者アングリマーラの身体にあたって落ちました。
 
その時、尊者アングリマーラは、頭に怪我をし、血が滴って、鉢が壊れて、大衣が引き裂かれて、尊師のところにやって来ました。
尊師は、尊者アングリマーラが遠くからやって来るのを見ました。
見たのち、尊者アングリマーラに、このように言いました。

「おまえは堪え忍びなさい、バラモンよ。おまえは堪え忍びなさい、バラモンよ、
おまえは、行いの結果として、何年も、何百年も、何千年も、地獄で苦しむことになるその行為の結果を、おまえは、バラモンよ、現世において、経験しているのだから」

………行い、行為と訳されてる箇所は業と訳すことも可能です
(業とは果報をもたらす行為のこと。行為には果報がつくので全ての行為は業(梵語カルマ、パーリ語カンマ)となります)
バラモンは梵語ではbrāhmaṇaでブラフマンを有するものを意味してましたが、仏教においては清浄行を遂行し為すべきことを為し、生まれることを尽滅させた修行完成者を指します。
アングリマーラは托鉢の時に迫害を受けましたがそのおかげで百人殺しの業を清算することができたというわけです。

45 :
【霊能者系】お前、何で鬼って分かったんだ? : 【観覧注意】怖い話まとめ http://black-one-neck.blog.jp/archives/1072332921.html

46 :
この世での行った業が果もたらす。しかしすぐにあらわれる果もあれば時間が
かかる場合もある。しかもその業を行う時は自分の意思が関わる。行為をする
かしないか、
自分で意思で決める。そり結果の事だから自業自得となる。果が悪か善か幸か
不幸かは自分の受け止め方次第。この行為が過去現在未来の三世に広がった
場合や自分の行為が他人に何らかの影響を及ぼした場合や他人の行為が自分に
影響を与えた場合は難しくなる。
例として体が不自由で生まれた時とか貧乏な者、聾唖者、或いはこの世で
殺された者や等々。この人達は前世の業の結果なのか。自分の前世なんかに
原因を持っていったらどうなる。今の不幸をただ諦めろとなるかこの世か
あの世で善い行いをして善い果があらわれるのを期待しろとなる。

47 :
じゃ他人の行った行為が私に何らかの果をもたらす場合はどうなる。
家にいただけなのに泥棒が入ってきて殺された。
逆に私が行った行為が他人に果を及ぼした場合。こんなの防ぎようがないだろ。
しかもそれが過去に行われていたらどうなる。自分が生まれていないときに日本が戦争をして
外国人を殺した恨みを今頃、私に恨みを持ってとやかく言われても困る訳よ。
元寇の恨みをモンゴルの白鳳に向けるようなものだろ。
とにかく人間に生まれたと言うことは仏教では迷いの世界だから過去前世に悟りの縁は有っても
因となるタネがなかった事となる。でこの世でその因となるタネをもてば悟れるわけだ。

48 :
今私達が望むものは自分の過去の行為の悪業を滅するほどの善因であり
現行作りつつある業のもたらす悪果を滅する善因であり
未来に善果を与える善因のたねだよね。仏教にそんなのあるのか。
行為にも引力があるだろうから強い方に引かれるだろうね。
善因のなかの善因みたいなものはないのか。
悪因の中の悪因はなんだろう。

49 :
>>40
■中部経典 98経 ヴァーセッタ経より

名前と種姓は作為されたものである。これは世間における通称である。仮名として生じたものであり、そこかしこで作為されたものである。長きにわたって潜在してきた、無知な者たちの悪見である。
無知なる者たちは我々に、『生まれによって婆羅門となる』〔と〕説く。〔しかし〕生まれによって婆羅門となるのではなく、生まれによって非婆羅門となるのでもない。
業(行為)によって婆羅門となるのであり、業によって非婆羅門となるのである。
業によって農夫となるのであり、業によって職人となるのである。
業によって商人となるのであり、業によって奴僕となるのである。
また業によって盗人となるのであり、業によって職業戦士となるのである。
業によって祭官となるのであり、また業によって王となるのである。
そのように賢者たちは如実にこの業を見る。〔すなわち〕縁起を見、業の異熟を熟知する者たちは。
業によって世間は起こり、業によって人々が起こる。有情たちは走る車の輻のごとく、業に束縛されている。

50 :
>>40
そりゃ正当化にはなるよ

被差別部落の人間をぶん殴っても信心さえあればお浄土に行けるとか
アウトカーストの女の子を強姦してもシヴァ神にプージャーすれば罪が清められるとか

そういう教えがあれば、ね

51 :
【13細目に】ワールドメイトは、どこから検討しても、カルト教団ではありません。 【抵触せず】 ・
https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1539529113/

52 :
[スッタニパータ)

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為(業)によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。

53 :
>>52
138以降に出てくるマータンガは当時の社会制度では最下の賤民であったが、徳性がすぐれていたために、人々から尊敬されたのである。と註にありました。

54 :
昔は生まれによって階級が決まったけど、
今は能力によって階級が決まる時代ですよね。

ジェフ・ベゾスや孫正義のような、この世の‟天上界”に住む人たちは、
前世で莫大な功徳を積んだ果報であると仏教では解釈しますか?

確か仏典に、布施の功徳を積めば、天上界に生まれるとあったように記憶していますが。

55 :
>>54
「この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退け、他人が与えようとするのを妨げる人々、
−−かれらは、地獄、畜生の胎内、ヤマ(閻魔)の世界に生まれる。
もしも人間の状態になっても、貧窮の家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯を得ることが難しい。
愚者たちは、それを来世で得ようと望むが、彼らにはそれが得られない。
現世ではこの報いがあり、死後には悪いところに堕ちる」
「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、
もの惜しみをしない人々が、ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、彼らは天界に生まれて、そこで輝く。
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
また〔来世には〕他人の蓄えた財物を、他化自在天のように、喜び楽しむ。
現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる」
(相応部経典1-59『もの惜しみ』)

56 :
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となりません。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ貧しい者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、貧しい者へと至らしめるのです。すなわち、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者とならないことは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ多財な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、多財な者へと至らしめるのです。すなわち、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となることは。
(中部経典第135『小業分別経』)

57 :
理解し難いミャンマーの貧困社会と小乗仏教
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8565

58 :
>>54

(相応部経典第V篇第二章第一〇節 子がいない(二))

コーサラ国王パセーナディ(琉璃王の父)が尊師のところへ来た。
パセーナディが尊師に言った。
「サーヴァッティー市で、或る資産者である長者が亡くなり、彼には子がいなかったのでその遺産を没収して王宮に持ってこさせました。
彼には千万金の黄金がありましたが、彼は物惜しみの生活を送っていました。」
尊師が言った。
「大王さま。
遠い昔に、その資産者である長者は、タガラシッキという名の独覚に、托鉢の食物を与え、与え終わったあとで後悔しました。
この托鉢の食物はむしろ奴僕や雇人に食べさせた方が良かった、と。
また財産を得るために、兄弟のただ一人の子の生命を奪いました。
ところでその資産者である長者は、タガラシッキという独覚に托鉢の食物を与えたので、その行為の報いとして、七たび天の世界に生まれました。
またその行為の報いの残余によって七たびこのサーヴァッティー市の長者(商人代表)の地位につきました。
ところがその資産者である長者は、施したあとで後悔したその行為の報いによって、すばらしい食べ物や衣服を愛用する気になりませんでした。
またその資産者である長者は、財産を得るために、兄弟のただ一人の子の生命を奪ったその行為の報いによって、多年、幾百年、幾千年のあいだ地獄で苦しめられました。
その行為の報いの残りによって、七たび生まれても子がなくて、財産は王の倉庫に入りました。
その資産者である長者の、以前に積んだ功徳は尽き果てて、新しい功徳はまだ積まれていませんでした。
今ではその資産者である長者は、大叫喚地獄で煮られているのです。」

59 :
>>58の続き

(詩)
「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、
奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、
どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
http://blog.livedoor.jp/shinbookdiary/archives/65918679.html

60 :
>>58-59の相応部経典は南伝のお経ですが、それに相応する北伝のお経、漢訳雑阿含経にも同じ内容のお経が残されていたのかもしれません。

鎌倉時代の禅師道元は漢文ペラペラでしたが、漢訳の雑阿含経も読んでいたと思われます。
その道元はこう説いています。

無常たのみ難がたし、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已すでに私わたくしに非ず、命は光陰に移うつされて暫しばらくも停とどめ難し、
紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし、熟(つらつら)観かんずる所に往事の再び逢べからざる多し、
無常たちまちにいたるときは国王大臣親暱従僕じゅうぼく妻子珍宝たすくる無し、唯独ただひとり黄泉に趣おもむくのみなり、己
に随い行くは只ただ是これ善悪業等ごっとうのみなり。
(死はいつやってくるのか、露の命はいつどこで消えるか分かりません。我が身は自分だけの物ではなく、人生は時の移ろいゆくまま、少しの間も引き止めておくことはできません。
少年の日の若さにあふれた顔はどこに行ってしまったのでしょう。今さら探し求めようとしても跡形もありません。よくよく考えれば、過ぎ去ったことは二度とめぐりあえないことばかりです。
ましてや死に直面すれば、権力者も、友人や後輩も、家族も、金銀財宝も助けにはならず、たった独りであの世に旅立たなければなりません。どこまでも自分についてまわるものといえば、生前になした善悪の行いとその報いのみであります。)

ほぼ>>59の世尊の詩(偈)と同じことをここでは教えています。
雑阿含経を通して>>59の詩を道元は読んでいたのではないか、あるいは中国に渡った時に師から教えられたりしたのではないか、と思われます。

61 :
>>54
[スッタニパータ)

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為(業)によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。



この来世にも言及している141を見逃してはならない
いや、見逃してるというかあえて触れずに惚けてミスリードさせてるのはリンク先の小川一乗という真宗唯物派の僧侶なのだが

62 :
>>61

釈尊は輪廻転生説を否定した(小川一乗)
http://fallibilism.web.fc2.com/077.html

の小川一乗の論文否定のレスであって>>54氏とは関係ありません、失礼しましたm(_ _)m

63 :
無明によって有我があり有我によって輪廻がある
明知によって無我有我を超えて輪廻が消える・・真宗坊主はみんな知ってる。
釈迦以前は有我で輪廻を認めていた。その中にあって有我無我を超える教えが仏教だな。当時の思想の中で説くわけだから一見すると輪廻を説いているように見えるが
それは違う。かとてって認めていない訳でもない。輪廻はある。
それが無明により有我があり輪廻がある。明知により輪廻が消える。ということです。

64 :
あの世には何が行くのか。行く主体がなければならない。よって有我がないと来世にはいけない。
かといって無我であれば行くものがない。行くものが無いのに来世なんかあるはずもない。
とは言っても釈迦はこの有と無り両方を離れろといった。有を否定し無を否定したところに真実は
あるという。なぜ有と無があるのか。本質が空だからという。空だから縁によって有にもなり無にもなる。
よって有を認め輪廻を肯定するのも迷い。
無を認め輪廻を否定するのも迷い。空の世界に帰る訳だろうけどまた空の世界に行くのは何かと
言う論議になる。そこも仏教は一ではない。しかし異でもないと言う。即ち不一不異という。
しかし経典は有我を前提に説いた教えも有り、無我を前提に説いた教えもある。
有我と無我の両方を説いてさらに両方を否定して空を説く教えもある。

65 :
 ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。
 龍樹も、同じように、十二支縁起を、識(意識)を中心とするこの世からかの世への生死の流転として説明するのである。
具体的には、第二六章の最初に「無知(無明)に覆われたものは、形成力(行)によって再生に向かう三通りの行為をなすが、それらによって、趣(来世に住するところ)に赴くのである」と述べて、次に「形成力(行)を縁として、意識(識)は、趣に入る」と説明している。
http://manikana.la.coocan.jp/essay/reincarnation3.html

仏教の輪廻において我(アートマン)は関係ない
我があろうとなかろうと無明によりて輪廻する
その無明とは有身見のことではない(無我にこだわるテーラワーダなら有身見こそ無明とするのかもしれないが

66 :
【ウヨクこそ日本の敵! 世界教師は何を語る?】 権力犯罪に目をつぶるな、マ@トレーヤが人類に忠告
http://rosie.2ch.sc/test/read.cgi/liveplus/1542593726/l50

67 :
【守護霊系】!今生の守護すべき者が俺を前世でいじめてたヤツかよw : 【観覧注意】怖い話まとめ http://black-one-neck.blog.jp/archives/1073211065.html

68 :
>>65
長部経典15 大縁経(大因縁経)より引用

「さてアーナンダよ、『〈識〉という縁より〈名色(心と体)〉がある』と、じつにこのようにいわれました。『〈識〉という縁より〈名色〉がある』という如くのこのこと、それは、この理由によって知られるべき事なのです。
アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入らない場合、いったい、〈名色〉は母胎において成長するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入ってから出た場合、いったい、〈名色〉はここなる状態へ生起するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入ってから出た場合、いったい、〈名色〉はここなる状態へ生起するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が幼いときに切断された場合、いったい、童子あるいは童女の〈名色〉は、増大、増長、成満へいたるでしょうか」
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、故にここに、これは因であり、因縁であり、原因であり、縁なのです。すなわち〈名色〉にとっての〈識〉は」
http://komyojikyozo.web.fc2.com/dnmv/dn15/dn15c02.htm
         

69 :
食われてこそ見守れる。飲まれてこそ説教できる。

70 :
ラーマーヤナのような、詩や文学化した作品の方が信仰も高く
セクハラ対策にいいかもね。

71 :
ラーダーじゃん。クリシュナと。

72 :
「他人から奪った人が(来世、未来において) 他人から奪われるのである。
愚か者は悪の報いが 実らない間は悪の報いがない事を 当然のことだと考える。
しかし悪の報いが実ったときには愚か者は 苦悩を受ける。
R者は(未来には)殺され 怨む者は(未来には)怨みを買う、
また罵りわめく者は (未来には)他の人から罵りを受ける、 怒りたける者は(未来には)他の人から怒りを受ける。」  

(サンユッタニカーヤ)

73 :
 殺人行為を犯した者の死後の業報、報いについて漢訳仏典、雑阿含経第十九巻(大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版 136ページ下段)、
国訳一切経 阿含部2 大東出版 雑阿含経第十九巻の断人頭経というお経において次のように説かれている。
「一時、仏、王舎城に住まり給えり。
その時、我(目連尊者)は道中(路中)において、頭が無い一大身の衆生(生き物、霊体)を見た。
その霊体は両肩に眼が生じ、胸に口があり、身体より常に血を流し、諸々の虫がその体をついばみ、獲食し、その生き物の身体は骨髄に徹する程の痛みを受け、苦しんでいるのを見た。」
仏陀釈尊は目連尊者の見聞した事の内容をお聞きになり、この衆生(生き物)について諸々の比丘(修行者)に次のようにお説きになられた。
「この衆生は生前(この世で生きている間)に、この王舎城において好んで人の頭(首)を切断し殺害した。
この罪によるが故に、この衆生は既に百千歳、地獄の中に堕ちて無量の苦しみを受け、その後、更にこのような身体を受け、このようなひどい苦しみを受けるのである。
諸々の比丘よ。目連尊者の所見(見聞)は真実にして異ならず。まさにこれをよく受持すべし。」と。     

74 :
似非宗教なんか出さなくてもカルマの法則は機能している
原因のない結果はない
科学的に云うと作用反作用の法則みたなものだ

75 :
こういう、長文で何らか
の文献を引用する輩
仏教系の教授だったりする

この場合は周囲が何を言っても
無駄です、スレを出来たら閉鎖
して下さい。本当にこれらの
人種はシャレななりません

授業を受けた者として言います

76 :
>>74
プーラナ・カッサパ(パーリ語:Pūrana Kassapa、漢訳音写:不蘭那(不蘭)迦葉)は、インドの道徳否定論者で、六師外道の一人。

霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。
自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、
また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、
祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた。
仏教ではこれは「邪見」とみなした。

その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。
人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
したがって、行為自体は魂に影響を与えず、どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%91

というようにカルマを否定した沙門(自由思想家、釈迦もその一人)も釈迦とほぼ同じ時代にいたよ。

77 :
そもそも前世なんて説いてる仏典はないはずだが

78 :
647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、
──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。
(スッタニパータ)

423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、
──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。
(ダンマパダ )

前世のありようを知る者
来世の天と地獄を見る者
もはや再生することなき者
かかる者を私は婆羅門という
(中部ヴァーセッタ経)

79 :
仏教では殺生は認められていません。
原始仏教にはこんなことが書いてあります。

(捕魚師経)
是の如く我れ聞きぬ。
一時、佛(仏陀)、王舎城に住まりたまへり。
その時目連尊者が乃至路中に一衆生の鋼鐵の羅網を以て自ら其の身に纏び、火常に熾然として還つて其の体を焼くに、痛み骨髄に徹し、虚に乗じて行けるを見たり。
佛、諸の比丘に告げたまはく
『此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て、捕魚師と為れり。
斯の罪に縁るが故に、巳に地獄の中にて無量の苦を受け、地獄の余罪にて今此の身を受くるも続いて斯の苦を受くるなり。
諸の比丘、大目ュ連の所見の如きは真実にして異らず。當に之れを受持すべし』と。
佛この経を説き巳りたまひしに、諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、歓喜し奉行しき。

(国訳一切経 阿含部より)

80 :
道元禅師 正法眼蔵

三時業 より

第十九祖 鳩摩羅多尊者が中央インド国にやって来た時、闍夜多という名の優れた人物に会いました。
彼は尊者に尋ねました。
「我が家の父母は、平素から三宝(仏と法と僧)を信じ敬っていますが、昔から病気がちで日々の暮らしも皆思うようになりません。
しかし隣の家は、久しく旃陀羅(インドに於ける漁猟 守獄 屠畜などを生業とした最下位の種族階級)の仕事をしながら常に元気で健康に恵まれ、何事も順調です。
彼等にどんな幸福の因があり、我々にどんな罪の因があるというのでしょうか。」

尊者は答えて、「それは何も疑うに足らないことだ。一まず善悪の果報には、三時(今生、次生、次生以後の三つの時期)がある。
そもそも人間は、情け深い人が若死にして乱暴者が長生きし、道理に背く者が良い目に会って正直者が災いに会うのを見て、
因果の道理無く、罪の報いも福の報いも無いと思うものである。
そのために因果の法は、物に必ず影や響きが付き従うように、たとえ百千万劫の時を過ぎても磨滅しないことを少しも知らない。」と。
その時 闍夜多は、この言葉を聞き終わって、すぐにその疑いを解くことが出来ました。

鳩摩羅多尊者は、釈迦如来から第十九代の仏法相続者です。
釈迦如来は法会の人々の前で、未来に鳩摩羅多という者が法を嗣ぐことを予言されました。
鳩摩羅多尊者は、ただ釈尊一仏の法を明らかにし正しく伝えただけでなく、同時に三世(過去 現在 未来)の諸仏の法をも明らかにされた方です。

闍夜多尊者は、今の質問をした後に、鳩摩羅多尊者に従って如来の正法を学び、遂に第二十代の祖師となられました。
これについてもまた釈尊は、遥か後の第二十祖は闍夜多であると予言しておられました。

このように、仏法を判断するには、このような祖師が判じたように学ぶことが大切です。
今の世に因果の道理を知らず、業報(善悪の果報)を明らかにせず、三世(過去 現在 未来)があることを知らず、善悪をわきまえない不正な考えの仲間に属してはいけません。
(しかあればすなはち、仏法の批判、もつともかくのごとくの祖師の所判のごとく修学すべきなり。
いまのよに、因果をしらず、業報(ゴッポウ)をあきらめず、三世をしらず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず。)

81 :
いわゆる善悪の報いには三時があるというのは、第一は順現法受(今生に果報を受ける)、第二は順次生受(次の生に果報を受ける)、第三は順後次受(次の生以後に果報を受ける)であり、これを三時と言うのです。
仏祖の道を学ぶには、先ず最初からこの三時の業報の道理を学び、明らかにするのです。
(いはゆる善悪之報(ゼンアクシホウ)有三時焉(ユウサンジエン)といふは、三時 一者(イチニハ)順現法受(ジュンゲンホウジュ) 二者(ニニハ)順次生受(ジュンジショウジュ) 三者(サンニハ)順後次受(ジュンゴジジュ) これを三時といふ。
仏祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報(ゴッポウ)の理をならいあきらむるなり。)

そうしなければ、大方は誤って悪しき考えに落ちるのです。
ただ悪しき考えに落ちるだけでなく、地獄 餓鬼 畜生などの悪道に落ちて、長い間苦しみを受けるのです。
(しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に堕するなり。
ただ邪見に堕するのみにあらず、悪道におちて、長時の苦をうく。)

そのようにして善根を積まない間は多くの功徳を失い、悟りの道の長い障害となるのです。
惜しいことではありませんか。この三時の業報は、善悪の全てにわたるのです。

以下
http://www.dogen-shobogenzo.com/sanjigo3.html

82 :
「比丘達よ、比丘プールナによって為され 積み上げられた業は、資糧を獲得し機縁が熟すと、暴流の如く押し寄せてきて避けることはできないのだ。
プールナが為し積み上げた業を、他の誰が享受しようか。
比丘達よ、為され積み上げられた業は、外の地界・水界・火界・風界で熟すのではない。
そうではなく、為され積み上げられた業は、 善であれ悪であれ、感覚のある〔五〕蘊・〔十八〕界・〔十二〕処においてのみ熟すの である。
何百劫を経ても、業は不滅なり。〔因縁〕 和合と時機を得て、必ずその身に果を 結ぶ」
(Divy. 1-10)5)

83 :
「比丘達よ、比丘プールナによって為され、積み上げられた業は、資糧を獲得し機縁が熟すと、暴流の如く押し寄せてきて避けることはできないのだ。
プールナが為し積み上げた業を、他の誰が享受しようか。
比丘達よ、為され積み上げられた業は、外の地界・水界・火界・風界で熟すのではない。
そうではなく、為され積み上げられた業は、 善であれ悪であれ、感覚のある〔五〕蘊・〔十八〕界・〔十二〕処においてのみ熟すの である。
何百劫を経ても、業は不滅なり。〔因縁〕 和合と時機を得て、必ずその身に果を結ぶ」
(Divy. 1-10)5)

84 :
あるとき 、ナーラダ尊者が霊鷲山から托鉢に来られ 、餓鬼を見かけ 、彼が何をしたのか 、偈で問いかけました 。

1 「そなたは美しく 、天人のような容姿をしている 。しかし空中に立つそなたの 、口臭のくさい口のまわりを 、蛆虫たちが這い回っている 。そなたは過去世で 、何をなしたのか ? 」
2 「私は悪意をもち嘘をつく出家でした 。見かけは修行者でしたが 、口を慎みませんでした 。
〔比丘としての 〕修行のお陰でこの 〔天人のような 〕容姿を 、誹謗中傷のせいで 、この臭い口を身に受けました 。
3ナーラダさま 、あなたは私のようすをごらんになりました 。憐れみをもち優れた方はおっしゃるでしょう 。 『誹謗中傷をしないように 。嘘を言わぬように 』と 。
その言葉を守れば 、あなた(ナーラダ様)は天の薬叉 (敬われる者 ・天人 )になり 、望みの叶う者となるでしょう 」

(パーリ小部 餓鬼事経第3話)

85 :
如来からの尊い教えな

86 :
幽霊というのは餓鬼界に転生したもののうち人間界に出没するものをいう

87 :
https://i.imgur.com/OTWfJ2e.jpg

88 :
(I.6.3)【友】 (第六章 老い) サンユッタ・ニカーヤ I

1.〔神いわく、ーーー〕
「旅人にとっての友は、何であるか?わが家における友は、何であるか?事が起こったときの友は、何であるか?
来世における友は、何であるか?」

〔尊師いわく、ーーー〕
「旅人の友は、隊商の仲間である。わが家における友は、母である。事が起こったときに幾度も友となる者は、朋友である。
来世における友は、自分のつくった功徳である。」

89 :
【第九章 行ない】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』

1.唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界を拒んでいる人は、どんな悪でもなさないものはない。

2.戒律をまもらず、みずから慎むことなくして人々の施しを受けるよりは、火炎のように熱した鉄丸を食(くら)うほうがましだ。

3.もしも汝が苦しみを恐れるならば、もしも汝が苦しみを嫌うならば、あらわにも、あるいは秘密にでも、悪い行ないをなすな。

4.もしも汝が悪い行ないをなすならば、あるいはいつかなすであろうならば、汝は苦しみから離脱することはない、−−たとい汝が(空中に)浮び上って逃げ去ろうとしても。

5.大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこでも悪業の制圧しない場所は存在しない。

6.その世で他人のした悪い行ないを見ては、ひとは非難するであろうが、その悪い行ないを自らしてはならない。悪人は実に(自分の)業に束縛されている。

7.詐欺や慢心をともない、正しくない行ないにより、あるいは他人から企(たくら)まれて、人々を傷けるならば、その人々は深い坑(あな)の中に堕(お)ちる。人々は実に(各自の)業に縛せられている。

8.人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは、自分のした一つ一つの業の相続者となる。実に業は滅びないからである。

9.或る物が人に役だつあいだは、その人は(他人から)掠奪する。次いで他の人々がかれから掠め取る。(他人から)掠め取った人が、掠奪されるのである。

90 :
10.愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれには来ないであろう」と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行ないをした人々の行きつくところを知る。

11.愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれには来ないであろう」と考える。しかし、のちに報いを受けるときに、苦痛が起る。

12.もし愚かな者が、悪い行ないをしておきながら、気がつかないならば、浅はかな愚者は自分自身のした行ないによって悩まされる。
−−火に焼きこがされてやけどした人が苦しむように。

13.聡明でない愚人どもは、自分に対して仇敵(かたき)に対するようにふるまう。悪い行ないをして、苦い果実(このみ)をむすぶ。

14.もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報(むく)いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

15.もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善いのである。

16.自分の幸せだけをもとめる人々は、笑いながら悪いことをする。しかし、かれらはのちに苦しんで、泣きながらその報いを受ける。

17.悪い事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟するのである。)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。

18.悪い事をしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起る。

19.鉄から起った錆が、それから起ったのに、鉄自身を食いつくすように、悪をなしたならば、自分の業が、静かに気をつけて行動しない人を悪いところ(地獄)にみちびく。

91 :
173.( 173)  
彼の為した悪しき行為(悪業)が、善によって塞がれるなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
(ダンマパダーーアングリマーラ長老について )

92 :
176 唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界(来世)を無視している人は、どんな悪でもなさないものは無い。

177 物惜しみする人々は天の神々の世界におもむかない。愚かな人々は分かちあうことをたたえない。しかし心ある人は分かちあうことを喜んで、そのゆえに来世には幸せとなる。

(ダンマパダ)

93 :
仏教の逸話の中に布施に関する話があります

お釈迦様の直弟子にマハーカッサパ(摩訶迦葉)という方がいました

釈迦弟子は皆 托鉢を行い食べ物を市民に施してもらうのですが皆 美味しいものが食べたいのでいい家に托鉢に行っていました

しかしマハーカッサパは進んで貧民窟に托鉢に行きました

この世で恵まれない貧しい人にこそ布施行で徳を積んでもらい来世では幸せになってもらいたいという心からです

カッサパはある老女の前に膝まずきました
彼女はらい病に冒されて毎日金持ちが捨てるお米の磨ぎ汁を飲んで命を繋いでいました

カッサパは彼女に「お婆さん 私に施しをお願いします」

老女は「アンタは見たところ元気そうじゃないか よくそんなことが言えたもんだ 私を見ろ 米の磨ぎ汁しか飲めないんだよ 私にこそ施しをするべきだろ」

カッサパは「お婆さん 分かって言っているのですよ 私はお釈迦様の教えに浴した者です
お婆さんは今苦しい身の上ですが私にわずかでも施しをしてくださるなら その功徳は大きく例え死ぬことがあっても来世は幸せになれるのです」

老女は「それは有り難い事だ でも私には施す物が無い ああ残念な事だ」

マハーカッサパは言いました
「お婆さん その心です 貴女はもはや貧しい人ではありません 布施を行いたいと願う貴女はすでに豊かな人なのです」
老女は涙を流しカッサパに汚れた器の米の磨ぎ汁を差し出しました
その時老女の腐った指が磨ぎ汁の入った椀に落ちたとされます

カッサパは喜んでその磨ぎ汁を飲み干しました
老女は涙を流してカッサパに感謝しました

数日後 老女は亡くなりましたが天界に生まれ変わり輝ける美しい天女となりました
彼女はカッサパに感謝して彼の頭上に祝福の天花を降らせたと伝えられます

94 :
そんんな事言ったら高齢者福祉の意味ねーじゃん!

貧しい老人を丸め込む上手い方便にしか過ぎん

95 :
そんな事言ったら高齢者福祉の意味ねーじゃん!

貧しい老人を丸め込む上手い方便にしか過ぎん
古代インドにあった徳積み詐欺ですな

96 :
らい病に侵され余命いくばくもない貧しい老女に徳を積ませて死後天界に生まれさせる
これぞまこと尊い高齢者福祉である

97 :
スッタニパータ 263.(260) 
しかして、適切な地にすること、
さらには、過去(過去世)に作り為された功徳あること、
かつまた、自己についての正しい誓願
――これが、最上の幸福です。

98 :
わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。

何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。

法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。

(白取春彦「勉学術」)

99 :
【第八章 ことば(1〜3)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』

1.いつわりを語る人は地獄に堕(お)ちる。またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄に堕ちる。この両者は死後にひとしくなると説かれている、−−来世ではともに下劣な業(ごう)をもった人々なのであるから。

2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口(わるくち)を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。

3.毀るべき人々を誉(ほ)め、また誉むべき人々を毀る者ーーかれは口によって悪運をかさね、その悪運のゆえに幸(しあわ)せを受けることができない。

4.この世で賭博に負けて財を失う人でも、その不運は僅かなものである。しかしこの世で完全に達した人々(聖者たち)に対して悪意をいだく人の罪(不運)は、まことに重いのである。

5.悪口をいい、また悪意をいだいて聖者を毀る者は、十万のニラルブダ地獄を三十六と五千のアルブダ地獄とにおもむく。

6.悪い心のある人々は実に嘘を言う。つねに地獄(の苦しみ)を増して、おのれを傷つける。欠点の無い力のある人は、心の混濁を除いて、(すべてを)忍ぶ。

7.愚かにも、悪しき見解にしたがって、真理に従って生きる真人・聖者たちの教を罵るならば、その人には悪い報いが熟する。−−棘のある芦(あし)はのびて節(ふし)が熟すると自分自身が滅びてしまうようなものである。

8.善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが良い。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。

9.すでに(他人が)悪いことばを発したならば、(言い返すために)それをさらに口にするな。(同じような悪口を)口にするならば悩まされる。聖者はこのように悪いことばを発することはない。愚かな者どもが(悪いことばを)発するからである。

100 :
10.口をつつしみ、ゆっくりと語り、心が浮わつかないで、事がらと真理とを説く修行僧ーーかれの説くところはやさしく甘美である。

11.善い教えは最上のものである、と聖者は説く。(これが第一である。)理法を語れ。理法にかなわぬことを語るな。これが第二である。好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。これが第三である。真実を語れ、虚偽を語るな。これが第四である。

12.自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。

13.好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによって(ひとの)悪(意)を受けることがない。

14.真実のことばは不滅であるはずである。実に真実のことばは最上である。かれらは、真実すなわちことがらと理法の上に安立したことばを語る。

15.安らぎ(涅槃)に達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたまうたおだやかなことばは、実に善く説かれたことばである。


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