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西郷隆盛【思い切ってやりなさい。責任は私がとる】


1 :2014/08/11 〜 最終レス :2014/09/12
以下、テンプレ
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)

2 :
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
 性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
 いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
 西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
 ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
 議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
 そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」

3 :
西郷が死ぬまで続いた奄美の砂糖地獄  大島商社と西郷隆盛
http://www.synapse.ne.jp/~amamian/tubuyaki/minaminihon-h11106.html
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために粉骨砕身した偶像であり鑑である
かもしれない。しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの象徴であったにすぎ
ないのではないのか。それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を踏みにじった薩摩士族の大親分としか
映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、薩摩へあてた手紙では道之島
の人々のことを「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を薩摩で教育する際、奄美出身者
ということを他言するなと厳しく禁じた。島に残された母アイカナは非業の死をとげ
る。これは西郷という人間像の一コマではあるが、実は次に述べる彼の政策論とも
表裏一体をなしているとしか思えない。
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、彼は、禄支給廃止
にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、桂久武に命じて不法な独占
「大島商社」を維新後に設立させたのである。これによって薩摩は再び収奪をほしい
ままにすることができ、奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する五十五人の嘆願団が上鹿したが、
いきなり全員投獄。老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の西郷軍に強制出陣
させられた。うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。許されて島へ帰還する途中、
二人を除いて全員遭難し、結局生存者はわずかに二十四人であった。(前田長英著
『黒糖騒動記』参照)
西郷という人物は薩摩城下士族(私学校党)の行く末しか案じていなかったようで、
その支配下にあった藩内の土民(農民)、さらに下層のリキジン(奄美、琉球人)
からいかにして収奪して自己保身するかに専心していたのである。彼の諸政策に
うかがわれる基本的な理念は、「征韓論」や後の「大東亜共栄圏」などにも通じて
おり、弱者を無視し切り捨てる右翼国家主義そのものである。

4 :
人吉や宮崎で幼児虐殺や住民虐殺を行ったり、
  西郷札発行で戦後も後遺症を残した非道極まる西郷軍
http://www.eurexcert.com/story-hangyakunoasa.pdf
薩摩の残虐行為は、田原坂の戦いで知られる西南戦争でも頻発し、人吉で赤ん坊を
含む家族全員の首を、わずかの食料が欲しいために切ったなどのエピソードがある。
http://sabasaba13.exblog.jp/i19/3/
この人吉根拠地の期間中、薩摩軍はこの地域に苛烈な軍政を布き、政府軍と
内通した容疑をかけられた住民が捕縛され、証拠も詮議も不十分なまま私刑同然に
処刑する残虐が加えられているそうです
http://lagattina.exblog.jp/pg/blog.asp?dif=m&acv=2013-05-01&nid=lagattina&p=2
・薩摩軍が人吉に後退すると、人吉隊は新たに兵を募り、二番隊を編成しますが、人吉
にはすでに薩軍劣勢が伝わっていたことから、募兵に応じる者が少なかったそうです。
このため薩摩軍は、募兵に応じない者は首を刎ねると脅し、半ば強制的に徴兵。人吉の
攻防では、多くの犠牲を出しました。
・継承殿は、人吉隊の宿舎となりました。門前には断首台を設けられ、募兵に応じ
ない者を処刑し、その首を晒したと伝えられています。
・薩摩軍の砲弾は、政府軍の本営まで届かず、琢磨川を挟んでの攻防は官軍の圧勝
で終わり、薩摩軍は、町に火を放って人吉から退却。町は、戦闘と放火により、
灰燼に帰しました。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_2_hanran.htm
明治10年の西南の役当時、軍費に窮した西郷軍は佐土原の通称ひょうたん島にて
「西郷札」を印刷して難局を乗り切ろうとした。日本最初の軍票である。だが実際に
使えたのは薩摩軍の影響力のある地域だけで、しかも薩摩軍の敗北とともに布切れと
化した。政府の補償はなく大量の西郷札を抱えて没落する商家が多かった。
http://blog.goo.ne.jp/uemura1048/m/201001
「西南戦争外史」 飯干憶著 みやざき文庫
西南戦争といえば、田原坂の激戦や熊本攻城戦が想起されるが、西郷軍が人吉に後退
して以降、あまり知られていないが宮崎県各地が戦場となった。「この戦いの全期間を
通じ、直接戦場となった場所と期間は、熊本よりも鹿児島よりも、宮崎(日向)が一番
長く、戦いの熾烈さも熊本、鹿児島の比ではなかった」という指摘は極めて正確である。
このため日向の人々は、多数の戦死者を出し、家を焼かれ、さらには西郷札の発行に
より終戦後まで経済は混乱を来たした。著者によれば、宮崎県の悲劇は、遡れば西南戦争
の前年に鹿児島県に併合されていたことが大きかった。このため宮崎各地で若者が西郷軍
に徴発され、反対派は捕えられて処刑・投獄されることになったというのである。

5 :
西郷隆盛はシナ人に人気があるらしいな。

6 :
>>5
中国人が好きな東洋風大人で、維新後も奄美で苛烈な搾取を続け
「庶民の暮らしなんか全く考えない」冷酷な性格が中国でウケるんだな
始皇帝や毛沢東も庶民の事なんか全く考えずに、苛烈な搾取をやって
大勢の人民を殺した。中国では苛烈な搾取をやって人民に力を見せつけるのが
「強い立派なリーダー」の第一条件で、リーダーたるものが下々の暮らしなんか
考えていたら、人民にナメられてしまう。
日本人が考える「名君」「立派な指導者」とは正反対

7 :
言うだけ虚しいネガキャンだなw

8 :
西郷アンチ、本当に西郷が好きで好きでたまらないのがよくわかった
テンプレまで作ってスレ立てして、西郷について語りたくて語りたくて我慢できない
なのに「アンチスレ」にはしない、西郷へのツンデレ愛がダダ漏れ
そして新スレが立つのを待ちかねたようにせっせと使い古しの信憑性の低いソースコピペ、愛が無いとできないねこれは

9 :
チョン州はん

10 :
>>8
大蔵省通達を無視して大島商社を作らせ黒糖専売「砂糖地獄」を続け、
自身が2度も世話になった大島農民に旧藩以上の過酷な搾取をやった
鬼畜ブタ西郷を擁護する気持ちが判らない
今だに麻原彰晃を信じ続けるオウム信者そっくりだな
ああ、キモイ
鹿児島って、今でもオウム信者ばかりなのか?
だから何も産業がない後進県なのか?ww

11 :
>>10
もういいって、お前が奄美の人達なんかどうでもいいのはバレてる
鬼畜ブタと言いながら、西郷のことが片時も頭から離れないんだろ?
西郷に何年も執着してるお前、既に麻原以上にキモイストーカーだから

12 :
前スレのような不毛な中傷、自演は自制願います
遵守いただけない場合、該当者をアク禁申請いたします
よろしくお願いします

13 :
>>11
私学校と西郷軍が、狂信・侵略・自爆・敗残・残虐行為・・と転落していく姿は、
80年後の帝国陸海軍にそっくりだから、
西郷軍や昭和20年代の帝国陸海軍に対する憧れと
今だに決別できない亡国のバカはキモいんだよ
http://www.synapse.ne.jp/~amamian/tubuyaki/minaminihon-h11106.html
西郷という人物は薩摩城下士族(私学校党)の行く末しか案じていなかったようで、
その支配下にあった藩内の土民(農民)、さらに下層のリキジン(奄美、琉球人)
からいかにして収奪して自己保身するかに専心していたのである。彼の諸政策に
うかがわれる基本的な理念は、「征韓論」や後の「大東亜共栄圏」などにも通じて
おり、弱者を無視し切り捨てる右翼国家主義そのものである。

14 :
>13
誤:昭和20年代
正:昭和10年代

15 :
>>12
>>13>>14は無視して間違いまでして繰り返してるから、アク禁申請宜しく

16 :
慈悲深い西郷さんは民衆を搾取するなどありえない。西郷さんは
人を信じて任せる傾向があって、そこに付け込んで悪事を働く者も
いただろう。落ち度といえば落ち度だが西郷さんの度量の広さでもある。
そもそも常に国家百年の大計だけを考えていた西郷さんは砂糖の取引の
ような世事には疎かったのだ。

17 :
西郷さんは毛沢東に似てるね。君子の風格を持った東洋的大人物だ。

18 :
西郷さんは朝鮮を説いて日朝清の同盟で欧米のアジア侵略に対抗しようと
したんだよ。侵略主義者ではない。

19 :
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島市城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
19日、政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を拒否され、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。

20 :
西郷さんの最期
エピソード3≪ 創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に跪坐。厳然と襟を正し、東の皇居の方角に深々と頭を下げ、
別府晋介に首を刎ねさせたいう話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけではないし、誰それの証言であるなどのソースの提示も無し。
貴重な文献ではあるが、資料として細心の留意が必要な代物です。
基本的に、右翼主義者による西郷隆盛礼賛ありきのプロパガンダ本であり、
西郷のイメージに傷が付きそうな史実がばっさり省略されていたりするのも特徴です。
だいたいかねてから、銃弾飛び交う切迫した戦場で、前述のような芝居がかった自決が可能なのか
という見方はありました。また、重傷を負い駕籠で運ばれていた別府晋介がこのときばかり
駕籠を降り起ち上がり、肥満した西郷の首を一刀両断できるは不自然ではないかという見方も。
じつは東大図書館に西郷遺体の検死報告書が保存されているのですがそこにはこう記録されています。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
腹部に刀創はありませんので、切腹はしていない。
また、銃弾が骨を貫通していることから(当時の銃の性能を考慮すると)至近距離から被弾した可能性が高い。
「頭(頸)体離断」は首を切断されていたということです。
つまり、太腿を至近距離から銃撃されたあと、
介錯のためか、頭部を隠すためか、首を切断されたということです。

21 :
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》
西南の役の最後の日、城山で西郷は足を撃たれたあと自決したとされていますが、
その西郷の足を撃ったのは、じつは西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
政府軍に助命を拒否された西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕を主張する桐野がこれを発見、激怒して西郷を追いかけ銃撃したという。
思わず「ホントかよ?」となりますが、しかしこの、桐野による西郷銃撃は、
目撃者の証言があるのです。

22 :
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体のプロパガンダ本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は”城川”なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
 だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。

23 :
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入佐俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
 昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
 何事か話しをしていた。
 城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
 ”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
 ”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。 

24 :
西南戦争の最後の日、桐野が、官軍に降ろうとして
城山を下る西郷を撃ったという話があります。
「久留米藩難事件から新撰組まで」という松本茂(海鳥社刊・福岡)さんが
書いた本に在ったんですが、これは司馬さんは「翔ぶが如く」で否定しています。
この話を残した城川という郷士は、城川という姓が
鹿児島に無いという事で否定したようです。
へーとおもって、鹿児島の電話帳を繰ると城川姓はあるじゃありませんか。
司馬さんは何故単純な調査ミスをしたのでしょうか。

25 :
松本さんは史家で、奥さんが鹿児島の人で、その実家に行った際、
古い手紙の中に城川さんからの手紙を見つけ、
桐野の西郷射殺説を信じたようです。
城川さんと一緒に輿を担いでいた相棒(小杉恒吉衛門氏のことか)も同じ事を残しています。
西南戦争の後、鹿児島では神と崇められ、批判が許されなかった時代に
二人はこの話を生涯語ったといいますから、これは真相だと思いますね。
私も桐野を始め40人も居たという諸兵が、西郷自刃を見取らず、
別府晋介一人が残って介錯したなどおかしいと思います。

26 :
一説に拠ると、西郷自刃を円座を組んで見取ったという話もありますが、
このとき、別府晋介は負傷していて歩けず、輿に担がれていた身で、
介錯できたのか、元気な桐野や村田が何故、代わって介錯しなかったのか。
40人もいて、何故、西郷の遺体を捨て置いたのか、おかしい事だらけです。
桐野や別府など幹部の西郷に対する不信は以前からあって、
最後に爆発したというのが真相ではないでしょうか。

27 :
>>12
>>19->>26の悪質コピペ連投荒らしのアク禁申請宜しく
過去スレと全く同じコピペを繰り返し連投してるから、過去スレも合わせて報告すれば悪質性がより判明する

28 :
>>27
卑劣な西郷信者は、自分に都合悪い話題に「アク禁申請宜しく」しか言えなくなった
麻原彰晃を信奉するオウム信者みたいだな
桐野と西郷は、西南戦争が始まってより確執が深く
西郷を政府軍に渡さまいとする桐野が、西郷を撃っても何の不思議もない
世間に流布されている「別府晋助による介錯説」より、よほど信憑性が高い

29 :
>>12
>>28の卑劣な反省なき悪質コピペレス泥棒の荒らしを、アク禁申請宜しく
これだけ警告されても続行している件も合わせて報告宜しく

30 :
毎日新聞連載中の「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は当時わざわざ一日分を費やして
「別府晋介の従僕に城川なる者はいなかった」として桐野射殺説を否定されたが、
「葛城彦一伝」に”別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門”と明記され、
墓碑まであるのだからこれは当然司馬氏の勇み足だろう。
「跳ぶが如く」の連載が終わって、歴史家萩原延寿氏との対談(朝日紙)の中で、
「当時の桐野の心境を考えると西郷を撃つという事も状況としてあり得る。」
と述べて、司馬さんもその後の考えを変えておられるようである。

31 :
城川市二さんの孫嫁さん(当時73歳)の健在を聞いて、
国道10号線沿いの城川さんのお宅に行き、話をお伺いした。
「お祖父さんは83歳で亡くなられるまで、私たち夫婦がずうっと面倒を見てきました。
お祖父さんは鹿児島の町の黒岩どんから養子に来られた方で、口数の少ない
きびしい人で亡くなられるまで、西南の役の戦さのことはほとんど話されませんでした。
(城川翁が頑なに口をつぐんでおられた様子が窺われる。)
従軍仲間の小杉恒吉衛門さんなどがお見えになると、来たか、上がれ上がれと喜んで
奥の座敷で焼酎を飲みながら、昔話をいろいろ語っておられました。

32 :
昭和の3、4年ごろ確か東大の先生だったと思いますが、二、三度春になりますと
お見えになり、お祖父さんは羽織はかまに威儀を正して、ふすまを閉めきって
私共を近づけずに、朝から遅くまで何事か話をしておられました。
ここ城川の家は代々、鍋製造が稼業で職人が20人ぐらいおりましたので、
三時の茶入れの時なぞはいろんな噂話がはずむものでしたが、そんなとき
お祖父さんが現れて、今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか
と詰問されて、相手は眼を白黒させて、いや、ただ人から聞いた話でございもすと言うと、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリと言って
引っ込んで行かれるもんで、ヒャッとするもんでござした 」
と語られたが、城川翁がいかに実話を重んじた人柄か眼の当たり見るようである。
帰りに国道10号線沿いの墓地で城川翁の墓参りをすませて城川家を辞去した。

33 :
>>24-23 の証言では城川氏と相棒(小杉恒吉衛門氏のことか)は自ら目撃した西郷の最期を生涯語ったとされ、
>>31-29 の証言では、城川氏は西南のことをほとんど話さなかったとあり、矛盾が見られます。
とはいえ、>>32では、城川氏が東大の先生に数年にわたり話しをしていることを示唆するくだりがあり、
また、城川氏は「肚乃西郷」の著者の父(私学校の後身の団体の社長)にも証言していることが分かっています。

34 :
通説の西郷自決説(別府による介錯)が証言者不明でほとんど伝承レベルの根拠しかないのに比べると、
城川氏は昭和まで存命し、証言していたわけで、そのような当事者による貴重な証言がなぜ埋もれてしまったのか。
武士でもない下賤の者の証言として信用されなかったのでしょうか。
維新の大英雄と言われる西郷さんが投降するわけがない、
ましてや部下の桐野利秋が西郷さんを撃つわけがない、という先入観でしょうか。
あるいは、鹿児島県人の自尊心に沿わない証言として黙殺されたのでしょうか。

35 :
>>12
>>30->>34の連投コピペ荒らしのアク禁申請宜しく
忠告を無視した同一コピペの連投だけでも荒らしとして認定される上、誹謗中傷なんで

36 :
>>35
東大の先生が調べた西郷隆盛の最後が、どうして誹謗中傷なんだ??
西郷信者はそこまでして事実を曲げたいか?
「重傷を負っていた別府による介錯で西郷は死んだ」なんて
ありえない絵空事の作り話の方が、よほど西郷に失礼だ

37 :
>>12
>>36の不毛な中傷もアク禁申請宜しく

38 :
西南戦争で薩摩軍の敗色が決定的になると西郷は、この反乱を主導した桐野利秋と口をきかなくなり、
桐野のほうでも西郷を避けるような気配を示すようになったといわれる。
「征西従軍日誌」の捕虜の証言に重要なものがある。
「 9月20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。
(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)
西郷は席に肘を付いて、もたれたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。
(心神喪失状態の西郷さんの姿が窺えます)
そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていた。」

39 :
西郷助命嘆願の使者を政府軍に送った時点で、
薩軍内では投降論が多数派になっていた。
いや薩軍諸将は自分が投降したいとは言わないが、
西郷の助命は戦争の終結を意味し、
なしくずしに全軍降伏となるであろう。
直情型の辺見十郎太でさえ敵の砲丸落下が激しくなるのを
見て、西郷助命嘆願に同意している。

40 :
城山籠城時の薩軍諸将とその存意は以下の通りである
○・・投降論を主張または同意
×・・玉砕論を主張または同意
?・・記録が無く不明または存意を語らず
本営幹部
?西郷隆盛
×桐野利秋
?桂久武
○村田新八
○池上四郎
?別府晋介
○辺見十郎太
○坂田諸潔
○野村忍介
前線隊長クラス
○讃良清蔵(砲隊)
?蒲生彦四郎 (狙撃隊)
?藤井直次郎(城山方面)
○河野主一郎(岩崎本道方面)
○佐藤三二(私学校・角矢倉方面)
○山野田一輔(県庁・二ノ丸・照国神社方面)
?高城七之丞(大手・本田屋敷方面)
?堀新次郎(大手・本田屋敷方面)
○河野四郎左衛門(上の平・広谷・三間松方面)
○別府九郎(夏蔭方面 別府晋介の兄)
○中島健彦(新照院・夏陰下方面)
?岩切喜次郎(夏陰)
?園田武一(後廻)
?市来矢之助(後廻・城山間 )

41 :

投降論に反発した記録が残るのは桐野利秋だけであり、
桐野の同意あらば無条件降伏もあった体である。
西郷が土壇場で投降を試みたとしても、薩軍の空気としては
唐突なことではなかったと分かる。

42 :
>>12
>>41->>41の悪質コピペ連投荒らしのアク禁申請宜しく

43 :
>>42
卑劣な西郷信者は「アク禁申請宜しく」しか言えなくなったな(嘲笑
やはり歴史オンチには反論するオツムはないなwwww
西郷従道や大山巖など政府軍に近親者が大勢いる西郷は政府軍に助命嘆願し、
薩軍で最も狂信的で、既に西郷の敵となっていた桐野利秋に撃ち殺される、
というのは、あの城山の状況では十分あり得る話
重傷を負っていた別府に介錯される、なんてバカげた作り話より信憑性が高い

44 :
西郷隆盛と大久保利通の固い絆を物語る逸話がいくつか存在します。
【西郷と大久保は幼馴染みの親友だった】
【父親が島流しされて家計が困窮した大久保少年は、西郷家で食事を摂らせてもらっていた】
【大久保は西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた
(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と言った)】
【大久保は暗殺された時に西郷からの手紙を大切に持っていた】
お互いの力量を認めていたことに疑いの余地は無いと思われますが、
この二人の権力闘争の延長が西南戦争であり、
1万数千に上る死者と国家財政が傾くほどの出費を強いた大義なき反乱を、
引き裂かれた友情 みたいな人情話にすり替えるのは、どうなんでしょうかね。

45 :
【西郷と大久保は幼馴染みの親友だった】
大久保が18歳の時の日記が100日分残っている。
この日記には、当時大久保が親しくしていた人の名前がたくさん出てくるのだが、
西郷の名前が出てくるのは4箇所。
いずれの箇所も、西郷が大久保を訪問したり、大久保が西郷を訪れたりしたというわけではなく、
町の行事で偶然に西郷と出くわしたとか、たまたま大久保が出かけて行ったところに西郷が居たりということであり、
二人が積極的に交流していた形跡がまったく無い。
つまり、この当時の西郷と大久保は、お互い顔見知り程度の仲で、親しい友人関係ではなかったと言える。
参考元 引用元
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/zatsuwa18.htm

46 :
【父親が島流しされて家計が困窮した大久保少年は、西郷家で食事を摂らせてもらっていた】
大久保の父親が遠島されたのは、大久保20歳の時であり、
それまでの大久保家は父親が藩の役にも付いており困窮するような家ではなかった。
したがって、少年時代の大久保が西郷家で食事させてもらっていた話しは
辻褄が合わず、まったくのデタラメであろう。

47 :
【大久保は西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた
(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と言った)】
wikipedia大久保利通のページにも載っている、わりと有名な逸話かと思います。
しかしながら、そのような大久保の様子と言葉を誰が目撃し、証言したのか全く分かりませんでした。
wikipediaではソース元として「実はこの人こんな人」(四季社)という文献が示されていたので、
私は実物を購入し確かめてみましたが、ひどくいい加減な本で、ここにも出典などは示されていませんでした。
後述の手紙の逸話と同様、実体が分からない不思議な話しです。

48 :
西郷が斉彬に直訴して大久保父の流罪が赦された。そこで大久保は
久光に直訴して西郷の流罪を解かせた。罪人の赦免嘆願など、ヘタしたら
機嫌を損ねて自分も処罰されるかもしれないのに敢えて実行した西郷と
大久保の友情と信頼関係は素晴らしい。西郷が流罪になろうとするとき大久保は
刺し違えて一緒に死のうと申し出たが、西郷は、君は生きて君国に仕えろと
忠告して従容として流刑地に向かった。

49 :
>>12
>>43->>47の卑劣なコピペ連投荒らしのアク禁申請宜しく
このコピペ連投荒らしの特徴は
「平日の深夜、昼間に出没」(→ヒキニート)
「名詞の『話』に『話し』と書く、平仮名片仮名等に誤字が多く、小学生レベルの日本語が不自由」(→まともな日本語教育を受けていない)
どの西郷への中傷も事実と証明されておらず認められていない通説から、トンデモ説ばかり
まさに「実体が分からない不思議な話」しか持って来られない、哀れな西郷ストーカー

50 :
【大久保は暗殺された時に西郷からの手紙を大切に持っていた】
この逸話は高島鞆之助という薩摩出の軍人が語ったそうなんですが、
暗に 西郷>大久保 を刷り込まんがための変化球的な捏造美談と思えなくもない。
大久保の家族、側近からはそんな話しはありませんし、
現場検証したであろう警察にそのような記録があるなんて話しもありません。
なのにどうして高島とかいうマイナー軍人だけが知っているんでしょうかね?
不思議なことです。

51 :
>大久保は家族にも秘密で、生前の西郷から送られた手紙を入れた袋を持ち歩き、暗殺された時にも西郷からの手紙を2通懐に入れていたとされる。
なお、事件後は大山巌が血染めになったそれを所持したとされている(『東京日日新聞』明治11年5月27日付)。
不思議なことです。(キリッ!!
と、有名な話を知らずに不思議だ不思議だと無知さを晒し、相変わらず「話し」「話し」と誤字を続ける西郷アンチストーカーこそ、「不思議なことです」
>>12は誹謗中傷コピペ荒らし西郷ストーカー>>50のアク禁申請宜しく

52 :
>>51
あなたの書き込みこそが、自分は何の検証もせずにコピペしただけの不毛な荒らし行為と違いますか。
その東京日日新聞の記事の語り主が高島鞆之助でしょう。
家族にも秘密にしていた事をなぜ高島が知っていたのか?
あえて家族に秘密にしていたのなら、その「家族に秘密にしていた」は大久保のみが知る事であり、
その大久保が死んだあとになぜそのことが高島に分かるのか、
子供でもおかしいと思う矛盾した記事です。
その後、大山が手紙を所持したとのことですが、
その妄想記事まがいの記事以外の大山巌関連の記録で、その手紙の逸話が出てきたのを私は知りません。
その逸話が事実なら、上野西郷像設置にも協力した大山巌なのに、なぜ手紙美談アピールしなかったんですかね。

誤字がどうとか、コピペだけ貼って反論したつもりとか、迷惑です。
まともに反証する能力が無いのなら自ら退場してください。

53 :
>>12
>>52をアク禁申請宜しく
自分が主張したい中傷が当時の新聞にすら否定されたら、長文でファビョる西郷アンチストーカー
まともに反論できないからと、見苦しくキレる西郷アンチストーカー
哀れな西郷アンチストーカー

54 :
西郷と大久保はまさに刎頚の友だったんだな。美しい話だ。

55 :
西郷さんが靖国神社に祀られてなくて御所に大砲をぶちこんだ久坂玄瑞が
祀られてるのはどう考えてもおかしい。

56 :
>>53
チョン島津家に800年支配された鹿児島県は、すっかり韓国の植民地になり
県民はチョンそのものだな

57 :
西郷は裏切りっぱなしの人生。
裏切ってないのは島津斉彬くらいじゃね?

58 :
>>12
>>56->>57の中傷コピペ荒らしもアク禁申請宜しく
またガラケー持ち出して過去スレと同じコピペ中傷をし、PCとガラケーで荒らしていたとバラした粘着西郷アンチストーカー
他人のフリし続けてきた自演用ガラケーも、焼かれてしまえばいい

59 :
>>58
オウム信者が麻原彰晃の悪業をさらされて発狂しているみたいだなw
ここは西郷スレだぜ、事実と違うと言うなら反論すればいい
オウム信者みたいに「アク禁申請宜しく」しか言えないのか?
鹿児島県民の火病なのか?
まるでチョンだな、恥ずかしくないのか?

60 :
>>12
>>59は全ての鹿児島県人への誹謗中傷もしているコピペ荒らし、まさにカルト教団的悪質西郷アンチストーカー
着々と材料が揃っているのでアク禁申請宜しく

61 :
>>60
>全ての鹿児島県人への
鹿児島の西郷信者がキモイ火病起こして荒らしていたら、
鹿児島県民のイメージが悪化するのが当たり前、お前がやってるんだよ
西郷に関して議論が出来ないなら消えればいい
「アク禁申請宜しく」しか言えない西郷マンセーは極度の歴史オンチだから、
議論は不可能なのか?(嘲笑

62 :
>>12
>>61は西郷だけでなく全ての鹿児島県人への誹謗中傷をし、その上自分がやらかした誹謗中傷の責任を住人になすりつけようと見苦しくあがいている、悪質な西郷アンチストーカーの荒らし
アク禁申請宜しく

63 :
>>62
重症の別府晋助が西郷を介錯したなんて子供だましを
鹿児島県民は信じているのか?
だとしたら、チョンが安重根を信奉しているのとそっくりだな(大笑い
チョン秦氏系島津家が800年も治めたら、鹿児島は韓国の植民地だろ
チョン陶工が優遇されて士分に取り立てられるのも韓国植民地ならではだ。
西南戦争のようにすぐに火病を起こし、戦略が全くない鹿児島県民は
チョンと気質が全く同じ。冷静な日本人の中では極めて異質

64 :
>>12
>>63は重い病気になどなっていない別府を「重症」などと子供だましのウソをつき、全ての鹿児島県民を侮辱する悪質な西郷アンチストーカー荒らし
ウソを書いてまで西郷と全ての鹿児島県人を誹謗中傷し、まさに強制連行されたとウソをついたチョンそのもの、アク禁申請宜しく

65 :
こいつは自分が鹿児島県人なことを否定したことないから
まじで鹿児島県人なんだろうな
今夏の鹿児島は暑いかい?

66 :
>>12
>>65は西郷スレに関係ないスレチ
しかも荒らしのアク禁申請をしている住人の個人情報を探り悪用中傷しようとし、荒らしのウソから話をそらそうとしている悪質荒らし
アク禁申請宜しく

67 :
な、否定しないだろ

68 :
>>12
>>67は否定も肯定もしていない住人の住所、個人情報を探り出し中傷悪用しよう としている
この執拗さから、中傷だけでなく犯罪へと繋がる可能性が高く悪質と判断されるのでアク禁申請宜しく

69 :
歪んだ郷土愛

70 :
>>12
>>69は歪んだ西郷愛で西郷と鹿児島、鹿児島県民を中傷し続け
注意した住人の住所、個人情報を探り出し中傷悪用しようとしている悪質な西郷ストーカーの荒らし
その執拗さから犯罪に繋がる可能性が高いので、アク禁申請宜しく

71 :
>>70
安重根を信奉して、議論が全く出来ずに火病を起こすチョンそっくり

72 :
>>12
>>71は西郷に全く関係ない明らかな中傷であり、西郷アンチの犯罪に繋がる可能性の高い悪質さを示している
アク禁申請宜しく

73 :
“お・も・て・な・し” の国の “ひ・と・で・な・し” による “は・じ・さ・ら・し”
子育てママは何をやっても許される!?
増税時代を生きるモンスターファミリーの、恥も外聞もない超節約術!
http://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org54329.jpg
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まさしく現代にあらわれた鬼の化身
違法駐車犯 塩鬼容疑者
違法駐車犯 死汚鬼 こと 塩 木 容疑者
青空駐車中!!

74 :
「横目で見た郷土史」(平成8年刊行 片岡吾庵堂・著 城書房)
という本がある。過去スレでレスの中にもちらっと名前は出てきた。
スレ主のバイブルである。
テンプレにある、
重野安繹や市来四郎の西郷評、「肚乃西郷」を元にした桐野による西郷射殺、
他にも月照との入水、奄美関連のエピソードなどは、この本がタネ本になっている。
桐野が西郷を射殺したとする城川市二氏の、孫嫁のエピソードなどは、
まるっきりの引用である。
(不思議なことに、あれほどソースを示せと拘るスレ主が、この引用先は全く示さない)

75 :
さてこの本。タイトルに「横目で見た」とあるように、気楽な読み物である。
老石亀(オンジョガメ)が、鹿児島の風土を斜めにとらえた放談というスタイル。
郷土史を振り返るにしても、「思われる」「言えよう」「思えてならない」など、
推量表現が目立つ。エッセイとして読めば面白い。
郷土史だけではページが足りなかったらしく、
自分の軍隊時代の思い出や、生野菜を食べない健康法の話も収録してある。
およそ真正面から郷土史を語るという本ではない。
「肚乃西郷」の存在は、作家の石牟礼道子から教え「肚乃西郷」てもらったらしい。
(石牟礼道子は、水俣病を扱った小説を書いた、熊本を代表する小説家である)
石牟礼道子は、桐野が西郷を撃つたことをあくまで小説として書いたが、
片岡氏は、それを真相として広く喧伝した。
「横目」の中には、「西郷は桐野に撃たれた?」といった風な見出しで、
南日本新聞、朝日新聞、週刊朝日や週刊現代等にも取り上げられたと、
繰り返しでてくる。

76 :
「肚乃西郷」の元になった城川氏の孫嫁を実際に訪ねた話でも、
結局城川氏の人柄が分かったというだけで、「肚乃西郷」以上の情報は得ていない。
「城川氏が嘘をつく理由はない」と再三述べているが、
その根拠になっているのは、自らの軍隊経験から、
「兵卒は嘘をつかないもの」ということらしい。
片岡氏の説は決して無視されたわけでも、抹殺されたわけでもない。
氏が述べるように全国的に報道されたからである。
「横目」は今でも鹿児島の図書館に置かれていて、自由に手に取ることも出来る。
片岡氏自身も、南日本新聞や朝日新聞の鹿児島版に連載を持つなどしていた。
鹿児島ではそれなりに知られた人物だ。
しかし、「桐野が西郷を撃った」という説は、贔屓目に見ても異説の一つで、
歴史家からまともに相手にされているとは言い難い。なぜだろう。

77 :
「横目」は、アームチェアディテクティヴの域を出ず、
推論と個人の思い入れから成り立っている。およそ迫真性に欠けるのである。
訴え方が悪いというより、決定的な証拠を示していない。
あくまで「老ガメのヨンゴ(屁理屈)」なのだ。
片岡氏が名誉欲の為に「桐野が西郷を撃った」説を唱えたとは思わないが、
原口虎雄氏(鹿児島大名誉教授)や司馬遼太郎も自分の説に傾いていたと書いたり、
なんと言っても「横目」の巻頭を飾るのは、
自分のことを取り上げた朝日新聞の天声人語全文なのである。
「桐野が西郷を撃った」説を唱えることで、注目を浴びるのは、
氏にとっては悪くない気分であったに違いない。
しかし最初の発表(昭和52年)から40年近くたっても、
後追い、裏付けとなるような資料は出ていないのだ。

78 :
それでも片岡氏は、自分の本名も住所も「横目」の中に明記して、
「桐野が西郷を撃った」説を始め、島津の殿様にも暗君はいたなどと書いているから、
まだ筋は通っている。
ここのスレ主がどうしてそんなに「横目で見た郷土史」に入れ込んだのか分からない。
出典も示さないのかも分からない。
読めば、ただのエッセイ以上のものではないと、ばれるからだろうか。
また片岡氏が自らの素状を明らかにして世に訴えた点などは、及びもつかないらしい。
「横目」はアマゾンなどでも手に入るようです。
いかにも鹿児島の面白いじいちゃんが書いた本です。皆さんもどうぞ。

79 :
>>75にタイプミスがありました。
×>「肚乃西郷」の存在は、作家の石牟礼道子から教え「肚乃西郷」てもらったらしい。
〇>「肚乃西郷」の存在は、作家の石牟礼道子から教えてもらったらしい。

80 :
>>74-72
「別府晋助による介錯説」の証言者はなく、剣劇や立川文庫の類いだからなあ
元気なものは沢山いたのに、わざわざ動けない別府に介錯を頼む理由が分からない
桐野による射殺説は城川氏という目撃者がいる
西郷は鹿児島のマンセーによって、チョンの安重根のように神格化されているから
マンセーによって剣劇みたいな「別府晋助による介錯説」が流布されているだけで
信憑性は全くない

81 :
>>12
>>80>>63で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」なんて子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
ウソをソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは犯罪に繋がる可能性が高いと判断される、アク禁申請宜しく

82 :
>>81
じゃあ「別府晋助による介錯説」の目撃者は誰なんだ???
マンセーの脳内で作られた剣劇の類いだろ、バカバカしいwww

83 :
>>12
>>82>>63で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」などという、誰も目撃も書き残しもしていない子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
ウソをソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは犯罪に繋がる可能性が高いと判断される、アク禁申請宜しく

84 :
>>83
だから、一般に流布されている「別府晋助による介錯説」の目撃者は誰なんだ???
西郷マンセーなら目撃者の名前を示してみろよ、ホラホラw
どうせマンセーの脳内で作られた芝居だろ、バカバカしいwww
チョン島津家の本家韓国の「安重根の伝説的な生涯」と同じ作文だろwwww

85 :
>>12
>>84>>63で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」などという、誰も目撃も書き残しもしていない子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
「肚乃西郷」はただの「読み物」であり、「城川市二」同様検索してもこの西郷アンチストーカーがコピペした2ちゃんねるのスレしか出てこないような程度の、学会学者からも世間からも完全に無視されているもの
「読み物」と「ウソ」をソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは犯罪に繋がる可能性が高いと判断される、アク禁申請宜しく

86 :
>>85
鹿児島の西郷マンセーなら一般に流布されている「別府晋助による介錯説」の
目撃者ぐらい知ってるだろ、一体誰なんだ? 言ってみろよ、ホラホラw
どうせヴァカマンセーの脳内で作られた芝居だろ、バカバカしい
百済秦氏系チョン島津家の本家韓国の「安重根の伝説的な生涯」と同じだw
チョンはどうしようもないなwww

87 :
>>12
>>86>>63で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」などという、誰も目撃も書き残しもしていない子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
「肚乃西郷」はただの「読み物」であり、「城川市二」同様検索してもこの西郷アンチストーカーがコピペした2ちゃんねるのスレしか出てこないような程度の、学会学者からも世間からも完全に無視されているもので何のソースにもならない
「読み物」と「ウソ」をソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは、犯罪に繋がる可能性が高いと判断される
アク禁申請宜しく

88 :
>>63
>チョン陶工が優遇されて士分に取り立てられるのも韓国植民地ならではだ。
士分に取り立てられるかは藩の政策だからともかく、
残念ながら日本の窯業地で朝鮮の技法の影響を受けていないところはない。
江戸期に至るまで、こと窯業に関しては朝鮮のほうが日本よりはるかに進んでいたからな。
戦国大名がこぞって朝鮮産の粗末な井戸茶碗に法外な価値をつけていた時代だぞ。

89 :
>>88
でも、陶工なんて「下賤の者」の代表格のような連中だからな
まとめて村人全員が士分に取り立てられた例なんて、薩摩焼以外にあるのかな?
柿右衛門が、藩の財政に大きく貢献したので名字帯刀を許された、等のことは
多くの藩で行われたと思うが
しかも苗代川では明治維新まで朝鮮語が使われチョン服を着ていたという。
やはりこれは島津家が百済系秦氏の朝鮮人であることが大きいんじゃないか?
普通の藩では考えられない。
西郷の「人の好悪が激しく、嫌いな人に対しては徹底的に憎む」という
偏執狂的な性格も日本的じゃないな、チョンに近い

91 :
>>12
>>89は全ての陶工、鹿児島県民への言われ無き差別と西郷への中傷であり
虚偽によって西郷と鹿児島県民を何年も逆恨みし続ける恨民族そのものの悪質さは、犯罪にエスカレートする可能性の高いまさにストーカー
アク禁申請宜しく

92 :
>>78
「桐野が西郷を撃った」説は言わば、「横目」作者の自己顕示欲を満たすためのネタであり、
さしたる根拠など無いのだ、と言うわけですか・・・
失礼ながら、72さんは「桐野が西郷を撃った」説を史料や論理で否定することができず、
替わりに、ネタ元作者やテンプレ作成者の人格を否定することで
論点をスリかえようとしているようにも見えますけど・・
子孫を探し出し、訪ね、証言を引き出している作者がアームチェアディテクティブだろうか?
だいいち、「桐野が西郷を撃った」説は紹介者の人格とは関係なく、存在している。
72さんの言うように、歴史家が「桐野が西郷を撃った」説を相手にせず否定しているのが事実なら、
どの歴史家がどんな根拠に依って否定しているのか、72さんは説明すべきではないですかね。
そこが一番肝心なところでしょうから。

93 :
>>78
本名と住所の件ですが、72さんが72さんの本名と住所を明かしたうえでの
匿名批判なら、意味は分かりますが・・・

94 :
敬天愛人

95 :
>>12
>>93は本来なら自らが住所氏名を示し証拠史料を添え、堂々と学会に論文として発表すべきであるのに
誰も相手にしない自説に自信が無いからと匿名掲示板の西郷スレを何年も荒らすしかできないクセに、その説やソースの信憑性の無さを指摘した住人に対し住所氏名という個人情報を要求している
犯罪に繋がる可能性の高い悪質なストーカーであるので、アク禁申請宜しく

96 :
>>95
百済秦氏系チョン島津家が800年治めたから、
薩摩人の行動が全てチョン風になるのは仕方ないんだろうな。
まさに「薩摩は日本の中の韓国の植民地」だな
あらゆる面で、日本の他の地域とは異なっている。
今日はお盆だから、お前も島津家の先祖の檀君を祀っているのか?w

97 :
>>12
>>96は西郷スレですべきではないスレチ、しかも島津家への名誉毀損と中傷
更には住人を島津家の子孫と信じ込む、妄想癖の症状まで表れている
このまま放置しておけば実際に島津家子孫に直接危害を加えかねないので、アク禁申請宜しく

98 :
>>97
>しかも島津家への名誉毀損と中傷
島津家がはっきりと
「応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される
弓月君を祖とする百済系秦氏の子孫・惟宗氏の流れを汲む惟宗基言の子の
惟宗広言が、主筋である近衛家の日向国島津荘の荘官として九州に下り勢力を拡大、
その子の惟宗忠久が、新興勢力である源頼朝から正式に同地の地頭に任じられ
島津を称したのが始まり」と明言しているんだが?
チョン島津家の系図に文句付けるのか?
百済秦氏系チョン島津家が800年治めたから、
薩摩人の行動が全てチョン風になって「薩摩は日本の中の韓国の植民地」となり
西郷やお前のように偏執狂的な火病チョンが増えるのは当然なんだろうな

99 :
>>12
>>98は西郷中傷に散々コピペしてきたものがただの「読み物」で歴史学者学会から相手にもされていない事実を知らしめられたら、
西郷スレですべきではなく、数ある島津スレですべき話題、しかも島津家への中傷を火病を起こしエスカレートさせ続ける、悪質粘着ストーカー
しかも西郷への中傷は何の事実根拠も無い、ただの誹謗中傷
この先は島津家西郷家子孫に対し直接危害を加える可能性があり、実際に被害が起きた場合重要参考人となる可能性があるので
アク禁申請だけでなく通報の際にも即対応できるよう、歴代過去スレからの誹謗中傷も証拠として準備宜しく

100 :
>>99
西郷やお前の「極端に偏執狂的・すぐ火病を起す・理論的な考えが出来ない・
極端に排他的な性格」は、まさにチョンの国民性そのもので、一般の日本人とは
全く違う。チョン島津家800年の統治による「韓国の植民地・薩摩」の伝統から
来るとしか思えない
・重野安繹の西郷南洲逸話
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある」
・市来四郎
「西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、
捨てられる者も多かった。 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か
同県人かで、態度や言動が変わった。」
「議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。

101 :
>>12
>>100は「何年にも渡って西郷と鹿児島県民を中傷するなど極端に偏執狂的・ソースが証拠にならないと論破されるとすぐ火病を起す・他人のコピペ泥棒ばかりで理論的な考えが出来ない・チョンチョンと極端に排他的な性格」と犯罪を犯すストーカーの特性を備えている
またいつものコピペ
・重野安繹の西郷南洲逸話
には続きがあり西郷の逸話や長所や評価している点、西郷に助けられた話があるが一切無視している、非常に偏った、都合の悪い部分を隠蔽する民族そのもので信憑性がまるでないのは明らかである
>重野によれば、「西郷の人と為りは、今申す通り度量は狭いが、人と艱苦を共にするといふところが、持前で、古人の謂ふ士卒の下なる者と飲食を共にする風であつた」。
これが倒幕の原動力であり、また西南の役で身を滅ぼす原因となったが、あれだけのことができた、という。
>西郷が江戸にいた時、重野に語ったこととして
「江戸には昔の三河武士の気象は少しもなくなつた、唯火消をする鳶の者といふのがある、これは火の中でも何でも構はず飛込んで往つて、死ぬることを何とも思はぬ、実に潔い、あれなどが昔の三河武士の気象が残つて居るものであらう」といっていたという。
「かの男伊達侠客が、西郷はすきであつた」(109頁)。
最後に西郷の義侠心の例として、重野自身のちょっとしたイタズラで切腹の危機にあるところを西郷に助けてもらい遠島で済んだことが述べられる(112〜3頁)。
この卑怯な粘着西郷ストーカーのアク禁申請だけでなく、通報準備も宜しく


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