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【書家】渥美貴久ファンスレッド
◇名古屋の美術館・画廊・スレッド◇
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最強の画家 ダ・ヴィンチ
美術検定
光宗薫

◆◆日本の文人画について語ろう◆◆


1 :2015/05/03 〜 最終レス :2016/02/23
自らが楽しむために、あるいは良き理解者である友のための絵画芸術、
それが日本の文人画でした。それは職業や生計を得るためではなく、
知識人や芸術家が意のままに、興に乗じて余技で描いた純粋な芸術でありました。
与謝蕪村や池大雅、田能村竹田、浦上玉堂、青木木米、富岡鉄斎その他関係する人物
も含めて語りましょう。

2 :
あまり受けない絵ね

3 :
かなりマニアックで渋い。

4 :
渡辺崋山と柳沢淇園なんかも入れて地味にやっていこうかな。

5 :
受けないのは、俺たちの漢文素養がなくなったから
泉屋の小川千甕は良かったぜ

6 :
漢文の素養があっても時代外れ的だしそんなのを誇示して鑑賞するなんて嫌だ

7 :
富岡鉄斎なんかは自分の画を見るときはまず賛を読んでくれと
語っているし

8 :
賛のない絵は読みません

9 :
江戸時代に公(政治的・社会的なもの)と私(個人的・内面的なもの)を峻別して理論化したのが荻生徂徠。
そしてその「私」の領域に花開いたのが文人画。
だから極めて厭世的である。

10 :
渡辺崋山は幕府守旧派の陰謀で、アメリカや無人島の密渡航を企てたという事実をでっち上げられて
「蛮社の獄」で捕まった。透徹したリアリズムで西洋事情に通暁していただけに、
鬱陶しくなったんだろうなぁ。

11 :
そして崋山は家宅捜索され、そこから西洋事情について書かれた文書の未定稿が発見された。
そこには当時の幕府の海防政策の不能さを批判する、かなり感情的で激烈な言葉が書かれていた。
これが決定打となって、崋山は有罪になって監獄に放り込まれる。
崋山は「文書は例えるならまだ腹の中にいる子供みたいなものだ」と抗弁したが聞いてもらえなかった。

12 :
この時代、イギリスやロシアの船舶が鎖国する日本に近づいて来ていたので、
崋山は必死になって西洋事情を学びながら海防のことを研究していた。
これは一種のナショナリズムの目覚めのようなもので、結局それが徒となってしまった。
だから崋山の絵画には彼の生真面目すぎる澄み切った透明感みたいなものが必ず漂っている。

13 :
東京国立博物館所蔵の渡辺崋山作品

http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=%E5%B4%8B%E5%B1%B1

14 :
その昔、国立博物館の調査官が渡辺崋山筆の作品を3000点調べたら、
100点くらいしか本物と断定出来なかったんだって。それくらい
贋作が多いのも事実。

15 :
玉堂最高
あの天をめざすむくむく感がいい

16 :
鉄斎は生涯に一万点だと
多作過ぎて値段上げようがない

17 :
浦上玉堂の「凍雲篩雪図」を見出した川端康成は本物の目利きだろう
大雅と蕪村の十便十宜図を持っていたのも川端

18 :
凍雲篩雪図は過去三度ほどみたけど、最近はその機会がない。
またみたいなあ。

19 :
凍雲篩雪図と川端康成のめぐり合わせはかなり面白いですよ。
戦後、財産家や資産家が、猛烈なインフレや財産税から逃れるために、持っている財物を放出しはじめた。
元もとの持ち主は、凍雲篩雪図を戦災で焼けたことにして売ろうとしていたらしい。しかし、闇から闇への売買に
任せたら名品の存在は幻となっていしまう。これを聞いた川端の心はかなり騒いでいた。

20 :
川端康成の手紙1

今日実に不思議なことがあった。八坂神社から高大寺の薮本(骨董商)に来ると
近江の柴田さん(持ち主)の画(凍雲篩雪図)が京都に来ている。明日見せてもらうことになった。
実に偶然だが、因縁のような巡り会わせだ。焼けたということにしてあるのを、こっそり
売るのだ。まあ、あの雪の画を見るだけでも京都へ寄ったかいがあるというものだが
奇妙な巡り会わせだ。何しろ金が無く借金だらけの時だ。

21 :
川端康成の手紙2

今画を持ってきてくれた。やはりいい画だった。30万円(昭和25年)と柴田さんは言うのだが
もっと負けさせるとのこと。買えれば買いたい。何としても買いたい。焼けたということで埋もれ、この画が
行方不明になるのは勿体無い。玉堂の霊が僕に奇遇をさせてくれたようなものだ。銀行に20万懇願してください。
折り入って。これを逃すときっと一生の後悔になり一生思い出す。

22 :
川端康成の手紙3

夕方藪本さんから電話があり、30万を25万に値切ってくれ、26万円ならば話がつくとの事。
しかし重要美術品になっているものを焼けたといって隠し、それを売るのだから、私のような
者には売りたくないとのこと。私が買えばすぐに世間に知れてしまうので、こっそり隠し持って
いる人を探している。買い手が私と知られる前に、金と品物とを引き換えたい。薮本さんは26万円
をさらに25万円に値切るというので、これもほどほどにしてくれと言って置いた。

23 :
川端康成の手紙4

今日為替着き、薮本に電話、午後画と引き交えた。27万円にするとのこと。
全額支払った。凍雲篩雪図はやはり類いのない名画だ。


凄まじい執念のようなものを感じるwそして凍雲篩雪図は国宝になった。

24 :
海外流出しなくて本当によかった。

25 :
当時の30万って今のどれくらいだろう
三千万くらいかな

26 :
NHKでは5億って言ってたな
川端は出版社に原稿料を前借りして購入したんだよな

27 :
そうそう、婦人生活と文芸春秋から金借りてる
しかもこの時川端は借金まみれ
「お金ならなんとかなるでしょう」と言ってよく古美術商を泣かせていたらしい

28 :
>重要美術品になっているものを焼けたといって隠し、それを売るのだから

最近の話題で文人画と反対になるが、浮世絵の歌麿の箱根の絵もそうだってね。
いつの時代も同じなんだなあ

29 :
そうなんですか、それは知らなかったです。
あそこの美術館も一度行ってみたい。

30 :
>>29
大噴火するぞ

31 :
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20150506-00000012-ann-soci

ほんとだ

32 :
崋山は貧困の中で生きてきた人物だといえる。だから>>1のような意味での芸術のための芸術に生きた
文人画家とは正確には呼べないかもしれない。

貧困についてはまず第一に家庭の問題。幼い頃から貧困で、一応後に田原藩の役人となるが、それでも
画業で生計を立てるほかは無かった。第二に藩の問題。田原藩が弱小藩だったために、役人の崋山は
借金体質の藩財政を打開するための方法を模索してかなり苦労している。

33 :
特に蛮社の獄で監獄に放り込まれてから出所して、崋山は地元に蟄居するのだが、生活するために
自分の画を売らなければやっていけなかった。画家としての崋山はかなり有名だったから
それが可能だったのだが、逆にそれを他人に利用されて、崋山の画を大量に手に入れて大量
に売りさばく商売人も出現した。そこから「蟄居の身分でありながら何を好き勝手やっているのか!」
という幕府の咎めが出て(あるいは崋山が神経症だから、咎めを受けるのではないかと信じ込んで)
藩に迷惑が掛からないように自殺してしまったのである。

34 :
特筆すべきなのは蛮社の獄における周囲の人たちの救出運動。

画友では椿椿山、山中青涯、高久あい涯、多湖逸斎、安斉雲焔、菊池淡雅、村田雲渓、友田雪江らで
門人では山本琴谷、一木平蔵、小田甫川、斉藤香玉、福田半香、金子武四郎、画友立原杏所に代わって松枝定雄、鱸半兵衛
、小林栄太郎、田原藩士では和田伝、小寺市郎右衛門、市野権平、鈴木春山などが集まって来て会合を開き
、崋山の救援について知恵を絞った。

このあたりから、崋山の美しい交友と、その人格の高さや厚さみたいなものが伝わってくる。

35 :
救済運動に一番熱心だったのが松崎兼堂という人物で、崋山が描いた肖像画も残っている。
彼は嘆願書を作成して老中水野忠邦に嘆願書まで提出している。

一番駄目なのが崋山の儒学の師匠の佐藤一斎で、崋山の描いた肖像画も存在するが、
この人物は蛮社の獄に際して「関わりあいになるな、親しくしていたことを口外するなよ」
と弟子に指示している。江戸幕府の儒学校のトップの立場を考慮しても、その明哲保身ぶりがよく
よく現れている。

36 :
>>26
凄いなあ
美を愛でるんじゃなくて、取りつかれてる
美を買うつもりが美に貢いでる
偉大な作家、芸術家って社会通念の枠の外にいるよな

37 :
常人なら五億あれば不動産に投資するなw

38 :
でも崋山って過剰に持ち上げられてない?
好みの問題かもしれんけど。

39 :
それはありますね。崋山は親孝行で母親思い、また藩に迷惑がかからないように
自殺してしまうくらい清廉潔白な人物で、戦前は修身の教科書にも載っていたそうです。
だから画よりも人物そのものが日本人受けするんでしょう。

40 :
なるほど...

41 :
渡辺崋山まとめ
日本民衆の窮状への「慷慨」の心と、世界の中の日本の位置の危うさへの「杞憂」
という、二つの心から崋山は西洋研究へと打ち込んで行った。

そして、その見識に立って、いよいよ鋭く幕政と現体制の得失の批判にまで突き進み、結局わが身に
蛮社の獄という奇禍を招くに至ったのである。

42 :
>>16
富岡鉄斎の場合、作品が多すぎるのもあるが、下手な本物と上手い偽物が
混ざり合っていて、大阪美術倶楽部などでは〇か×かの無記名投票で、
過半数(か、もしくは全会一致かは忘れた)で本物かどうか決めているらしい。

43 :
>>42
なんとも"曖昧"な世界ですね
素人は手を出さない方がよさそうです

44 :
大昔は、富岡鉄斎といえばビッグネームで、屏風や掛軸一本で
家が一軒建ったといわれているくらいだから、必然的に偽物が多くなるのも
仕方ないですね。

45 :
勉強勉強!

46 :
勉強言うてもねあんさん
資料代がいくらかかる思うてますんや

47 :
好きでやるならお金くらい掛けないと。

48 :
「査定料」で真偽が決まる、か
キワの古美術品の真偽はなんでもそうなんだろうね
真と言い通すブランド力
高い値段で売る力(買う客)を持ってるかどうか
大店で大金出して買うのはお墨付き

49 :
富岡鉄斎は日本画の流れの中では文人画の最後の大家として語られているが、
もし文人画を、晴耕雨読して悠然と山を眺める隠者の余技として見るならば、
鉄斎の絵画の本質は、およそ文人画とは縁遠いものだといわなければならない。

鉄斎は優れた学者であり、また自らも学者として見られることを好んで、
常々絵画は「需生の余技のみ」と人に語っていたが、しかし万巻の書に埋もれて
毎日書斎で過ごす学者では無かったのである。

50 :
確かに鉄斎の書斎は万巻の古書、珍書、奇書で足の踏み場も無いほどであり、
画を描く場合は、まず紙を広げるための場所を作ることからはじめなければなら
なかったと言われている。

しかし同時に、鉄斎はその書斎から抜け出して旅に出かけ、各地の地勢、風俗、
歴史、旧跡を実地に調査することを好んだ。鉄斎の足跡は北は北海道から南は九州
まで日本全国ほぼ全てに及んでいる。しかも単なる物見遊山ではなく、歴史を探り、
地誌をたずねる為の研究旅行であった。

51 :
鉄斎をこのような行動へと駆り立てたファクターとして、若いころ、春日潜庵に学んだ
陽明学の影響があったことを見逃してはならない。この人物は陽明学については
当代一流の人物で、梁川星厳も佐久間象山に送った手紙の中で「京の第一等の人物」と賞賛している
し、西郷隆盛も弟を入門させたほどの優れた学者であった。

明治維新の革命の精神的エネルギーの背景に、陽明学の知行合一の行動主義的な教えが
幕末の勤皇の志士たちに大きな影響を与えたとことがあったことは間違いは無い。
実際に春日潜庵の元には薩摩や水戸の志士たちが多く集まっていて、若い鉄斎がそのような
雰囲気の中にあって影響を受けないはずが無かったのである。

52 :
鉄斎の年譜を詳しく調べてみると、壮年時代は毎年のように東奔西走で、
あれだけの作品量を生み出すヒマがよくあったものだと不思議に思われるほどである。

鉄斎が座右に置いて好んで用いた印のなかに「万巻の書を読み、千里の道を行く」と
いうものがあるが、鉄斎の生涯はまさにこの通りであった。
「新しい画家に言うて聞かせたい言葉は、『万巻の書を読み、千里の道を行き、もって画祖を
なす』という、ただこのことだけじゃ」と鉄斎本人も語っている。

53 :
http://otakarajoho.blog10.fc2.com/blog-entry-80.html?sp
例えばここにある富士山図。上が遠望図で下が山上図であるが、これは
鉄斎という人間の特徴で説明ができる。遠望図は眺められた世界、つまり知的認識者
の自然把握であり、山上図は体験された世界、つまり行動者の捉えた世界である。

鉄斎は富士山に40歳の時に登って徹底的な実地調査を行っている。
つまり視覚を通しての知的認識と、行動を通しての体験的把握という、鉄斎の生き方を
そのまま画にしたのがこの富士山図だといえるだろう。

富士は、遠くから仰ぎ見たり他人の書いた書画で知るだけではなく、
自分が実地にその山頂を踏破してはじめてその「全貌」を人間の前に
示してくれたのである。

54 :
東京国立博物館所蔵の鉄斎の絵画
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=%E9%89%84%E6%96%8E

55 :
産業でオネ

56 :
勉強スレだからいいんだよw

57 :
またーりやりましょうや

58 :
      \                     /
       \                  /
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          \            /
            \         /
             \∧∧∧∧/
             <    俺 >
             < 予 し  >
             <    か >
─────────< 感 い >──────────
             <   な >      
             <  !!! い >       
             /∨∨∨∨\
            /         \
          /   ∧_∧     \
         /     (  ・ω・)      \
       /    _(__つ/ ̄ ̄ ̄/    \
      /        \/     /      \
                 ̄ ̄ ̄

59 :
(爆笑)

60 :
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h199661559

この雑誌の表紙に富岡鉄斎の偽物と本物が並べて載せてあるが
はっきりいってほとんど区別がつかない。

61 :
この半分アメリカナイズされた日本で文人画などうけるわけが無い

62 :
そーだよね。

63 :
いま、蛮社の獄で渡辺崋山と一緒に捕まった高野長英を主人公にした小説(吉村昭「長英逃亡」)
を読んでいるのだが、この人の人生が凄まじい。

蛮社の獄を主導して自分を捕まえた最大の敵である鳥居耀蔵が幕府内で権勢をふるっている限り、
自分は永久に牢屋の中に入れられ獄死してしまうと悲観絶望した長英は、牢屋に計画的に火を放って
どさくさに紛れて脱獄し、友だちや母親を尋ねながら日本中を逃げて逃げて逃げまくる。

これが、アメリカの有名なドラマ「逃亡者」と並べても何ら遜色の無い、むしろ長英の場合は実話だけに
その迫力とスリルが格段に大きい、見事な逃げっぷりである。

この背景について少しでも学校で教えてくれていれば、もっと若い頃に高野長英という人物に
興味をもったであろうと考えると、残念でならない。

64 :
鳥居耀蔵というのは幕府の儒教の大先生、林述斎の息子で当然ながらガチガチの保守・守旧派。
だから蛮社の獄を起こして洋学者を弾圧した。

そして、当然ながら長英は鳥居耀蔵が大嫌いで、この人物の存在する限り未来は無いと考えて放火して脱獄したのだが、
鳥居耀蔵はその2ヵ月後に左遷され、これまでの政策のやり過ぎを咎められて罪人となって四国へ流されるのである。

さらに、老中が水野忠邦から阿部正弘へと代わる。阿部正弘は開明派で西洋事情にも造詣が深かったから、
長英はあと半年くらい牢屋で我慢していれば時勢が自分に有利に働き、間違いなく自然に釈放されていたと言える。
そして、長英は知識も翻訳能力も日本一の洋学者であったから、おそらくは幕府に取り立てられて海防関係の参謀として
活躍していたと考えられる。

時代を先取りしすぎた高野長英の運の悪さを嘆く他は無い。

65 :
追記
長英は最後は大胆にも江戸の青山に潜伏し、偽名を使って医業で生計を立てていたところを
幕府の役人に踏み込まれて、奮戦した後、自らの首を切って自刃してしまう。
逃亡期間が1844年から1850年の7年間、47歳でその生涯を閉じた。

66 :
しかし高野長英は硝酸で顔を焼いて人相を変えて逃げたり
鎖国時代の徳川日本でオランダ語の論文を16本も書いたりと
全く持ってタフな人だよ

67 :
高野長英には「西洋学師の説」という著作があって、これはオランダ語の書物を参考にして執筆したヨーロッパの哲学史。
ここで長英は、タレスやライプニッツ、アリストテレス、コペルニクスやフランシスベーコン、
ジョンロックなどの思想を取り上げて論評し、西洋で近代科学が誕生する過程を考察している。

だいたい徳川鎖国時代の日本で、こんなことを勉強してしまったら、徳川幕府の政治体制など
馬鹿に見えて、体制への急進的な批判者となるのは仕方が無いだろう。

時代が明らかに早すぎた。もう少し(あと10年くらい)生まれるのが遅ければ多分明治まで生きて、福澤諭吉と並ぶ啓蒙の
巨人になっていたのではないかと本気で思う。時代に巻き込まれるということは本当に恐ろしい。

68 :
渡辺崋山も同じ。
高野長英は渡辺崋山の元で翻訳のアルバイトをしていたり、尚歯会という知識人サークルで仲間だったから、
長英と崋山は見識も同レベルとみていいだろう。

ただ、渡辺崋山の政治批判は長英よりもさらにラディカルで、
鎖国体制を完全に否定し、「今の政府のの上層部は、血縁の貴族と賄賂でなり上がった奴らばかり」
とまで言っている。
幕府に狙われても仕方ないかもしれない。

69 :
>>60
全く判らないわ
鉄斎(という触れ込みの絵)は京都で20万位から売ってる

70 :
偽物天国

71 :
高野長英の書画はあまり見ないなぁ
渡辺崋山ならくさるほど出回っているのに

72 :
http://www.city.oshu.iwate.jp/syuzou01/list/index.html

高野長英は神経質で刺々しい性格だと思う

73 :
知らんがな

74 :
>>5
本人では(おそらく謙遜して)南画ではないと言っていましたが、詩書画揃った
あの人の絵は南画と言っていいでしょうね。

この板の方は、ご自身では南画を購入されないのでしょうか。
今依田竹谷の絵を掛けていますが、奔放で面白いです。

75 :
自分が文人画に興味を持ったきっかけは貫名菘翁ですね。
幕末明治の文人画の巨匠なんだけど、今は書道関係の人すら見向きもしないという。
型にはまりすぎていて面白みにかけるが、練りに練った品格みたいなものが感じられます。

76 :
感じません。

77 :
>>75
個性的かと思えば、妙に生真面目な作品もあるのが南画のよいところ。
弟子の浅井柳塘もそうだと思いますが、空のように、どこまでも広がっていく
健やかな空気が感じられる作品のある人だと思います。
いい南画というのはスーッとした気分にしてくれるし、悪い南画というのはど
うも窮屈な感じがしてくる。

型に嵌ったという感じはしないのですが、南画の中で型に嵌った作品というよ
り、南画らしさ自体が型に嵌っているということでしょうか。

私は、小室翠雲(谷文晁からは孫弟子)の弟子の作品から興味を持ちました。
翠雲自身が最後の南画家と呼ばれることもあるので、それじゃあこれは何なん
だと思うこともありますが。

78 :
谷文晁はどう思いますか?
さっぱりした画風ですね。

79 :
一見して上手い絵以上に、一見上手く見えないが上手い絵を描くのは凄いと思います。
かっちりした山水画より、疎画の方が好きですね。
珍妙だがしまっている神仙や高士の顔、鳥瞰的な真景図も凄いですし、仏教や陰陽道
関連の絵巻の動きや質感の表現も凄い人ですが。

80 :
谷文晁は江戸文人画の大御所だけど、贋作が多すぎてわけがわからないという
イメージかなぁ
あと文人のわりにかなり俗っぽい
すみませんイメージだけw

81 :
>>79
>>80
ありがとうございます。
京都から送られてくるカタログで、唯一マトモに見える絵がいつも谷文晁でして。
値段が安いのは贋作が多い(贋作だ)からなんでしょうね。
もう少し評価されてもいいように思います。

82 :
以前まともに見えたマクリの落款を見たら「文晁」だったので購入をよしたことがあります。
しかし、今思えば出来はよかったので購入しておけばよかった。

文晁は弟子が小遣い稼ぎに贋作を描くことを許容していた人物ですが、弟子の依田竹谷は越後
まで行って師匠のふりをして贋作を描いている。
鈴木鵞湖は酒屋が帳面で自分のことを「我古」と書いているのを見て「これはいい」と別号に
採用してみたり、同じような逸話は福田半香にもありますが、半香と同門の桜間青涯といい、
文人とは奇人変人のことなのかと思う様なぶっ飛んだ人が多い。

変に真面目な人と、ただ変な人に分かれるイメージがあります。

桜間青涯は師匠の渡辺崋山が描いた絵を勝手に飲み代にしてしまったので叱られて飛び出し、
もしや自Rるのではないかと心配した崋山が夕方まで探し回って帰宅すると、酒を飲んだ
青涯がいびきをかいて寝ていたので安心したという逸話の持ち主です。

勝手に売ったとか、贋作を描いたという話はまだしもよく聞きますが。
浅井柳塘なんぞ、自分の贋作を見たら「こいつ、俺より絵が上手いわ」と言いつつ箱書きをし
て、自分の手柄にしてしまったという。

83 :
浅井柳塘を知っておられるということは専門家ですね。
自分は趣味が昂じてやっているだけです。
また何かあれば是非ご教示ください。

84 :
>>82
渡辺崋山は、自分の気に入った作品だけにしか印を押さなかったのに
死後、弟子が勝手に押した作品がかなりの数流通しているという話を
聞いたことがあります。

85 :
大阪美術倶楽部で再来週の週末に
富岡鉄斎の展覧会をやるよ
図録は7000円もする分厚いもので本格的な展示内容

86 :
>>83
いえいえ、私も趣味でたまに購入しているだけですので。
上で散々挙げられている川端康成は、村松梢風から「一流の絵師の作品を買うのもいいが、
二流の絵師にだってキラリと光る作品がある」のでそれに目をつけるのもいいじゃないか
という趣旨のことを言われたということです。
店主も知らないような無名絵師の作品を漁っていること自体が楽しい。
「名前は知らないが面白いぞ」ということがあります。

>>84
どの弟子でしょうね。福田や平井はやらないと思いますが。
崋山の絵には清潔感があって好きです。

87 :
無名絵師が書いた光る絵なのか、一流絵師の写しなのか、自分みたいなズブな素人には判断できないわ
難しい世界だな

88 :
このスレは見切り発車の上に、興味のおもむくままに進行して行きますので
ご指導のほどをよろしくお願い致します。何でも自由に思いついたことを書いてもらって
結構です。

とりあえずこれまでの参考文献。
渡辺崋山(吉沢忠)
優しい旅人(芳賀徹)
渡辺崋山 日本美術絵画全集 集英社
渡辺崋山(佐藤昌介)

89 :
高野長英関連
高野長英(佐藤昌介)
長英逃亡(吉村昭)

富岡鉄斎関連
日本近代美術試論(高階秀爾)

90 :
浦上玉堂の山水図の山は全部が男根に見えるのは自分だけだろうか?

91 :
林十江って南画家ですか?
なんか、クレイジーで好きなんですが。

92 :
>>90
浦上玉堂は酒を飲みながら描いていたというから
おっ立てながら描いたんじゃねえか

93 :
>>91
一般に想像されるような、南画らしい絵画といえば山水に代表される皺法を
唐画から学んだような、それなりに学問と詩・書も学んだ上での絵画です。

しかし、教養を求める一方で、技術より感性を重んじた絵画を南画とする場
合もあり、この場合は筆跡がつかめないから邪道とされた墨のたらしこみや
指頭画も含まれることになります。
琳派を南画に含めるのも、この区分によるものと言っていいでしょう。

林十江は江戸南画の大家である谷文晁に評価されていますが、注文通りに描
くのとはまた別な技術と感性を認めたものであり、特に師系や専門学習の無
い十江の絵も、広義の南画に含めてよいと思われます。
名古屋の西村清狂が描いた絵も、細密なものは南画らしい南画ですが、墨戯
として描いたものには、十江に近い個性派が伺われます。

十江の評価が上がったのは、絵画評価の基準が偏重と言っていいくらいに個
性に移行した戦後のことだといいますが、気韻も十分備えた人だと思います。
個性は形だけでも表せますが、気韻は修練もないと出せません。

気韻:一般に南画の評価基準とされた、描き手が絵に反映させた人物。

94 :
南画で重視されたのは、気韻もそうですが去俗もです。超然とした人格の反映。
南画の主な対象が山水やその中の人物なのもその為で、住むのに不便だというのは
それ自体が俗な見方であって、あくまでも理想郷として山中の庵や童子を連れた高
士が描かれたわけです。

伊藤若冲は現在人気ですが、自らも南画で一派をなした中林竹洞が日本史上の画家
を評価した中では雪舟・大雅・探幽が上位に置かれる中、下位ながら「能画にして
俗気なき者」達の中に挙げられています。
そうした傾向が強く感じられるのは、彩色よりはむしろ水墨画でしょう。
現在の若冲の評価は、専ら描き込みや表現の奇抜さで決まっていますが。

95 :
>>93
勉強になりました。ありがとうございます。
単なる奇抜な絵ではなく教養と感性のバランスのとれた作品が南画としては評価が高いのですね〜。
最近は、奇想派ブームもあって、ビジュアル重視ですけど、南画の名品のような深い精神性を持った作品達に余りスポットが当たらないのは残念ですね。

96 :
>単なる奇抜な絵ではなく教養と感性のバランスのとれた作品が南画としては評価が高いのですね〜。
そう言えば済むことを長々と申し上げるのが私の癖です。

>ビジュアル重視ですけど、南画の名品のような深い精神性を持った作品達に余りスポットが当たらないのは残念
仰せの通り。
しかし、教養というものが死語の如くある当世では致し方ないのかもしれません。
より多くの人間に難しいものを教えるより、より多くの人間のために難しいものを廃している。
六法すら全面口語化される時代に、漢文の讃の文化が受容されるかというと難しい。
韓国がハングルのみの教育で古典が読めないと馬鹿にされていますが、文語を廃しつつある我が国も笑えません。

一応、広島市の頼山陽記念資料館では、毎年春に新作南画公募展をやっています。
市直営になってから、公式サイトの出来が劣悪になりましたが。

97 :
これだけネット上の言葉のやり取りが進み、生活も半分アメリカナイズされてしまったら
最後の文人=仙人で、万巻の書を読み千里の道を行く富岡鉄斎みたいな人は
なかなか存在しないでしょうねえ。文明社会を忌避して山にでも籠もるしかない。

98 :
文人画では無いけど、川合玉堂が晩年、東京の奥多摩に移り住んだのも
わかるような気がする。

99 :
松花堂昭乗も文人画家のくくりで良いのでしょうか。

100 :
>頼山陽記念資料館
頼山陽史跡資料館です、失礼。
南画の公募展の審査員の先生は、谷文晁からだと玄孫弟子に当られますね。

>松花堂昭乗
琳派同様、職人=画工でない、広い意味での南画の作者とされています。
今は職人でない芸術家ばかりですが、しかし南画とはまた違う。

「安禅必ずしも山水を用いず」と言います。
近世の南画家も田舎出身者はいるものの、多くが江戸や京阪や長崎に学んでいます。
『閑居友』には、山中の寺院から市へ移った空也上人が閑寂の境地にあったという逸話が
あり、同趣向の話は少なからず存在していますが、去俗は俗中にあって不可能なことでも
なければ、逆に山中にいるからといって得られるものではないと思います。
都会で描けないことはないでしょうが、修学と理解を得ることは昔より難しいでしょうね。


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