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本田雅人 part7
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【改行】カシオペアから見えるもの01【御免】


1 :2018/02/17 〜 最終レス :2018/09/23
カシオペアの音楽について多角的な観点から
推察し、新しいあるべき姿を見出そうとする
事を目的としているスレッドである。
直接的にはカシオペアに関連しない記事など何を書いても自由だが、最終的にカシオペア
について結び付ける努力はして欲しい。
また、趣旨などハッキリする文章にして貰い
たい。話がキチンと伝わるように務めれば、
話の「甘い果実」を食べる事が出来る筈だ。

2 :
神保の「一人ドラム演奏」もお披露目の
期間を過ぎ、そろそろ「熟成開始」の節を
迎える。
勿論彼がどんな思いで、何を目的として、
どんな未来を想像して始めたのかを正確に
捉えるというのは難しいが、想像に難く
ない部分もある筈だ。

第一に、一人ドラムとは一体どうやって
成り立っているんだろう?という好奇心に
関してである。全てを機械的技術に頼って
しまうなら、自分にも簡単に出来そうだと
思われてしまう。観客が目の当たりにして
「ああ、これは凄い!」と思わず唸って
しまう事に重きを置いているのではない
だろうか。

第二に、一人ドラムはどこまで可能性が
あるのだろう?という好奇心に関してで
ある。例えば、物語の朗読や演劇のBGM
や効果音としてライブで行う。緊迫や
安堵、喜怒哀楽に添えてその場面に即した
音を出す。覚える事やその段取りに労力が
必要になるだろう。

つまり、一人ドラムの視覚性や物語性が
今後より重視されるのではないだろうか?
例えばスーパー歌舞伎、劇団四季による
ミュージカル、毛色は違うがここ最近の
新日本プロレス、或いはサーカスや曲芸の
様な一大スペクタクルのフォーマットに
近付けたいのではないだろうか?

「凄い!という事がより沢山の人々の
心に残るように」というものが、神保の
願いではないだろうか。

3 :
櫻井や向谷はカシオペアを何らかの理由で
脱退した。その理由というのが聴き手や
ファンに明確にされるという事はないとは
思うが、だからこそ人々の憶測が憶測を
生み、事実が事実でなくなるという事に
なってしまうのだろう。

だがしかし、逆に「事実じゃないならば
何でこんな事をするの、或いはしたの?」
という、副次的な行動が事実認定が不明な
彼等の「脱退理由」を規定してしまう事が
ある。そしてこの行動が脱退の事実以上の
大きな意味を持ってしまう事もあるのだ。

彼等は脱退後、カシオペアの曲をソロ活動の
中で演奏している。時にはカラオケの伴奏で
弾いたり、動画サイトで弾いたりしている。

もしも音楽的な哲学や思想の違いによる
脱退劇であれば、こう易々と昔のバンドの
曲を演奏出来るだろうか?「仲が悪くなった
訳ではない」というアピールの為に行った
ものであるかも知れないが、そうであれば
「何でじゃあ辞めたのか?」という疑問は
残ってしまうだけだ。

音楽的な対立でもなく、決して仲が悪いと
いう訳でもない。ましてや家庭的事情でも
身体的事情でもないのであれば、
それは金銭的なぶつかり合いか、
後になって仲直りが出来る筈の下らない
痴話喧嘩しかないだろう?

どちらにしても下世話な話で、一見そこから
何も見えない様だが、はっきりと分かる事が
ある。それは彼等自身のソロ活動についての
事である。つまり、彼等には強い音楽的動機
が著しく欠けているのだ。

だから、カシオペア時代の曲をいとも簡単に
弾いてしまうのだ。彼等は自分の意志により
脱退して、しかも懐かしむ様にカシオペアの
曲を演奏するならば、それは残念ながら
自身のソロ活動の死を意味する。だから、
ソロ活動のコンテンツに今一つまとまりが
なく、グダグダになってしまっていると
いうのが実情ではないだろうか?

4 :
当方、「ラジオ深夜便」というラジオ番組が
好きである。アンカーの落ち着いた声。
心を静めるのに相応しい内容。そしてまるで
子守唄のような、懐かしい音楽。テレビが
嫌いな訳ではないが、正直疲れてしまう。

これらの特徴の中で、この「オバケラジオ
番組」を最もイキイキとさせているものが、
実は「音楽」なのではないか?と思って
いる。

それは2時台、3時台の音楽特集でも
3ヶ月毎に変わる「深夜便の歌」だけに
留まらない。

番組全体のOP曲やED曲、
「日本列島くらしのたより」、「ワールド
ネットワーク」等の各コーナーのOP曲、
「天気概況」や「明日の日の出の時刻」等
のBGM。

実はこのラジオ番組は「ミュージカル」では
ないだろうか?そんな思いも過ぎる。


向谷はカシオペアから離れて、自由に活動が
出来る。「向谷がもし『ラジオ深夜便』の
音楽監督をやったら?」という曲集でも
作ってみたらどうだろう?

彼は「鉄道」というモチーフで音楽を
綴る事にストロング・ポイントがあるなら、
そのモチーフを横展開させて増やせば、
音楽活動も比例して広がっていくのでは
ないだろうか。

5 :
その昔の黒人ブルースマンには
「ブラインド・〜」と名乗る人が多く存在
する。彼等は幼少から綿花畑で働かされたり
した中で楽器を手にして歌い、演奏する事を
覚えた。母親は「この子が社会で生き抜いて
いけるよう」にと厳しく躾けをする。
差別がなく、子供に障害がなかったならば、
思い切り抱きしめてあげたかったろう。
時に溺愛もしたかったろう。壮絶である。

では翻って、櫻井や向谷が「自分の目を
自分で潰したならば、自身にとっての
音楽的動機や意味が『見えて来る』」の
だろうか。自分の私見では、それで見えて
来たならば儲けものである。

そんな安易な屁理屈を考えるならば、
だからこそ音楽が見えていないという事を
表しているだろう。何故なら盲目の演奏家は
盲目であっても希望を見出そうとするから
音楽に神妙な、狂おしい程の動機が表れる
のであって、自分で自分を傷付けて不幸の
自慢や愚痴を言った所で誰も共鳴しない
だろう。同情はするとしても。

歌が上手いだけでは、人々の心に爪痕は
残せない。今この二人に必要な事とは、
ビジネス上「トントン」の音楽活動では
なく、人生の涵養だろう。

6 :
あまりHR/HMは好みではないのだが、
それでもパット・トーピー の死去には
ショックを受けた。

知り合いにMr.Big狂がいて、何枚か
強制的に聴かされた。やはり正直好きに
なれなかったが、バンドやメンバーの
名前は覚えていた。それから数年を経て
ある日偶然試聴した、(一次)解散後の
ソロアルバム「odd man out」に
「あれ、こんな人だったっけ?」と
ビックリした。

バンドとは打って変わった世界観を
表現出来ていて、それが新鮮だったと
思う。自分で歌い、時にドラムを外注し、
ドラマーというよりアーティストとして
表現する事には、楽々K点を超えている。

翻って神保彰は何だかんだとドラムに
固執する。それが正しいのかどうかは
兎も角として、
「どんなアーティストになりたいのか」
という明確な理想像というのか、
強烈なインパクトが聴く側に伝わらないと
「別にカシオペアのドラマーで
いいんじゃないの?」と思われてしまう
だろう。

一部?のファンはそれで喜ぶのかも
知れないが、神保自身がそんな意見に
喜ぶのかどうかすら、伝わって来ない。

7 :
いつぞやの動画サイトで、ポール・
ギルバートのブルースを聴いた。
ブルースと言えるのか?は分からないが、
かなり斬新なアプローチだった。

在籍したバンドの世界観と、ソロ活動の
世界観が違うのは至極当然の流れで、
そうでなければほぼ「商業的失敗」が
原因か?と思われてしまう。なるほど、
色々な事をやってみたいのね!と
思って貰えれば、アーティストにとって
これほどの褒め言葉はないだろうと
個人的には思う。

商業的成功なんてのはそんか簡単な
方程式で算出されるものでもない。
だが、生きている証としての作品が
あるという事は本当にありがたい。

今神保彰に問われているのはそこだと
思う。

8 :
向谷はカシオペア時代とは違って
色々と動ける筈だ。
「和製マッスル・ショールズ」みたいな
ものを作れないのだろうか?

9 :
ジャズ演奏を趣味としている職場の
先輩が「アイツのリズムはハネてる」と
言う事がある。何を厳密に意味している
のかは分からないが、

「ハネている」というのはカシオペアの
音楽を個人的にはどうしても連想して
しまう。音がというより、演奏スタイルが
ハネているという感じだ。

例えば、野呂のギターは「ハネて」いるの
だろうか?

10 :
内藤湖南という歴史家は今流行りの
「応仁の乱」以降が本当の日本の歴史で
あって、それ以前は外国の歴史、または
神話である、と説いた。

カシオペアというバンドが時代の
エポックである、あったとするならば、
その前後で何が変わったのか?
と考えてみるのも面白い。

カシオペアは抽象的な音楽をポップに
した。個別の状況や感情は廃しているにも
拘らず、何となく楽しい。

逆に言うと、その楽しさが個別の状況や
感情は全く別の世界で、しかも同時進行
している事になる。

実はこれが、カシオペアの音楽が
テレビやコンビニでのBGMになり易い
理由ではないだろうか?と考えられなくも
ないだろう。それ以前のBGMというのは
場面に合わせたものになっているが、
カシオペアの音楽はそうしたものに
合わせて作られていない。番組のトークや
コンビニの買い物を無機質に囃し立てて
いる。

或いはカシオペアの音楽を短く切り取れば、
今風の落語家の出囃子にもなる事も可能だ。

11 :
ただ、カシオペアの音楽がBGMになり
辛い場面も確かにある。例えばテレビでの
「訃報」の話題に合わせたBGMだ。
カシオペアにはこの手のBGMは手薄だ。

どちらかというと、楽しい雰囲気の場面に
使われるのがカシオペアの音楽だろう。
では、カシオペア以前の楽しい雰囲気の
場面に使用されたBGMはどんなものだった
だろうか?

それは前述の通り、楽しい場面にシンクロ
した音楽だと言えるだろう。楽しい場面に
より色を添え一層明るくする類のものだ。

これは何を示しているのか。
私見だが、カシオペアの音楽とは
「戦後が確実に終わった」と
いう分水嶺ではないだろうか?

つまり、カシオペア以前の、楽しい場面の
BGMは戦後の傷を何処で引き摺り、その
見えなくなった筈の傷を癒すかのように
BGMが優しく包み込んでいたのではない
だろうか?

そしてカシオペアが出て来た頃には、
そういうBGMが「過剰」だと感じる程、
傷は癒えたのではないだろうか?

カシオペアの音楽は極めて平穏時に即した
ものだろう。悲劇や、傷を癒す為の喜劇には
似合わない。

12 :
『陰翳礼讃』では、日本文化に横たわる
「陰」の部分こそが重要だとされている。
西洋に「陰」がないとは思わない。中世の
宗教画を見ると、暗い。暗さの種類が違う
という事かも知れない。

いずれにせよ、「陰」の部分がものの本質を
引き立てるというのは本当だろう。

カシオペアにないのは、この「陰」だと
思う。野呂は田舎に移住して、茅葺屋根の
家に定住してみてはどうか。
便所の床と奥の壁に接した細長い小さな
小窓、チリを掃き出す為のものだが、
それを見ながら考えたりするのも一考だとは
思うが。

13 :
カシオペアからはブルースが聞こえない。
オルガンがいるのだから、ブルースの
アルバムを作ってみたならどうか?

転調あり、ユニゾンあり、サビあり、
複雑なコード?ありの、各曲個性ありありの
ブルースアルバム。

14 :
カシオペアは若い頃、派手な服装で
演奏をしていた。
野呂は和服は似合うだろう。
「和装カシオペア」もオツだろう。

15 :
「月刊日本」という雑誌を贔屓にしている。
左右の思考相俟った作家陣、好き嫌いが
同時に共存するスリリングさが内容以上に
面白い。

その中で山崎行太郎氏の連載、「マルクス
とエンゲルス」の3月号回が興味深い。

小林秀雄のマルクス評から始まって、
マルクスとマルクス主義者の違いについて
語られていた。

マルクスはその現実と格闘して『資本論』
なるものを記した。マルクス主義者は
その内容を分析してマルクスの理論と
格闘していて、彼等は作品を残さない。

マルクスとマルクス主義者は似て非なる
ものだ、という事だ。

「マルクスが芸術論を語ったとするならば、
『言葉とは何か?』から書いただろう」
この言葉はズシリと重い。
「マルクス主義者なら、『芸術とは何か?』
とやってしまうだろう」という事だ。

マルクスは『資本論』の中で、「価値とは
何か」「貨幣とは何か」についてかなりの
頁を割いている。マルクス主義者は「革命
だ!プロレタリア独裁だ!全ての権力を
ソビエトへ!」とやり勝ちなのだ。

カシオペアとカシオペアファンに似て
いないだろうか。カシオペアファンは
カシオペアについてかなりミクロな分析を、
特に楽曲コピーについては行っているの
だろうが、そこから自分達の「作品」に
昇華する事には重きを置いていない。

16 :
先程ラジオで「薩摩琵琶」の演奏を
聴いていた。野呂にあのバリエーションが
あれば、とは思った。

インド的な事は出来るのだけどな。

17 :
カシオペアの音楽は高度で難易度が
高いと言われる。「それに比べて他の
アーティストは…」というファンも
多い。好みの問題もあれば、そういう
考えが感覚的に出て来るのは仕方ない。

しかしながら、まるで
「誠実でない」というところまで否定する
ファンを見るにつけ、
「誠実」とは何だ?と疑問に思う。

カシオペアの音楽が「誠実」ならば、
その誠実についての定義が必要だろう。
これは言葉になっていなければおかしい。
「ただ、思い付いた難しい音楽を
やってます」では、誠実さなんて感じない
だろう。

折口信夫という、民俗学者なんだか、
歌人なんだか、小説家なんだか、
肩書きだけ見たならばよく分からない
人がいた。

だが、
この人は誠実だ。そう言った肩書きが
全て一つに繋がっている。

「過去を解明して現在と繋ぎ、
現在の生活や社会を潤しいものにする」

こんな一点で繋がっていると思う。

カシオペアの音楽にはただでさえ
詞がない。誠実さは言葉で示すしか
ない。

「カシオペアの音楽をどうしてやって
いるんですか?何となくやってるんですか?
それとも意味があってやってるんですか?」

この問いかけはきっと沢山の人が
手を替え品を替え訊いて来たと思う。

それに明確な答えはない。
にも拘らず、他のアーティストの
出鱈目さ加減を酒の肴にして批判する。
それが物凄く違和感がある。

ついでに
大学には歴史がある。何の為に設立された
のか?を見失ったまま、受験生は勉強に
勤しむ。

国学院大学か。侮れないな。

18 :
カシオペアの曲には詞がない。
しかし例えば、中原中也の詩をモチーフに
曲を書く事は出来るだろう。

「汚れつちまつた悲しみに」
「サーカス」など。
まあ、前者は知らないが、
後者は友川かずきの曲にある。

俳句だって構わないだろう。

19 :
「take me」を「連れてって」と
訳せば「何処へ?」と訊きたくなるが、
その答えは何処にない。

「space road」を「宇宙の道」と
訳せば「銀河?」と訊きたくなるが、
その答えは宇宙の藻屑。

「dazzling」を「クラクラさせる」と
訳せば「大丈夫ですか?」と訊きたく
なるが、
その答えに目眩がしそう。

「自由に想像して」というのは
誰にでも言えるが、そもそも作者は
何を想像したのか。

何を思ったのか。
何を感じたのか。
何を見たのか。

そういうものがカシオペアの曲からは
感じられない。例えるなら、
ペルシャ絨毯の様な
幾何学的模様に見えてしまう。

ただ何となく曲を作り、タイトルも
英語でゴロが良ければというならば、

「feed me」でもいい筈だ。

20 :
小島瑠璃子というタレントが
「ピタットハウス」(?)とかいう
CMに出て、歌を歌っている。

所謂「下手」な歌である。
そこらの素人でもカラオケで上手に
歌えるのなんてザラだろう。

だが、こういう「下手」な歌を
テレビで聴く事は難しくなった。
素人だろうが玄人だろうが、
昨今は大概上手い。全てが「艶出し」の
音になっていて、まるで金属のようだ。
「歌」というのは上手ければいいと
いう訳ではない。赤ん坊にも同じように
歌う声楽家が何かを間違えているように、
「場違い」は実は沢山ある。

カシオペアの音楽は「高品質」を
頼りにしたものだ。煌びやかなものだ。
しかしながら、生活の音楽ではない。
小学生の頃、学校は土曜日は半ドンで
母親が昼食を作っている時の鼻歌が
思い出されるが、「何気なさ」が
その存在感を出すのだ。決してエコーは
掛かったりしない。

そのうち、「下手なプロ」が出て来る
のではないだろうか?

21 :
「大村はま」という人が書いた本に、
「20代で感性や資質といったものが
ピークでそれ以降は下り坂だから、
20代までに教員課題を自分で見つけて
色々と研鑽をするべきだ」という箇所が
あった。

これはある意味教員以外にも言える
だろう。
失敗成功に限らず、この頃の原体験は
それ以降の人生の言動を左右する。
また、そんな原体験を大切にする事は
アーティストにとっても大切な筈だ。

櫻井哲夫はこの頃、野呂のト書きに
舞い踊る事で一杯だった。
そういう過ごし方では、頭が硬く
なってしまうのではないだろうか?

個人的には
彼のソロ活動に今一つアーティストと
しての言葉にならない主張を感じない
のだが、実はカシオペア時代で彼の
そういった素質は終わっているのでは
ないだろうか、残念ながら。

そうでない事を証明する作品を
期待はする。

22 :
エアプレイを聴いてみた。あまりか縁が
ない音楽だが、ロックギターの音という
のも時代と共に変化していると改めて
思った。

カシオペアのサウンドも時代と共に
変わっているんだろうとは思うが
それはあまり感じない。
つまり、それは演奏技術の安定感が
強いから、音色がそれを凌駕出来ない
からだとは思う。

しかし、これを「褒め言葉」として
いいのかどうか。

23 :
エアプレイのグレイドンはフュージョンだよ
カールトンの335はグレイドンのペグのパクリ
覚えておけ

24 :
※確かにあまり知らないが、
エアプレイのアルバムはジャズフュージョンに
聴こえるのだろうか?キャリアとしてはそこに
属しているのかも知れないが。

カシオペアのノーツに対する拘りや
演奏スタイルに関する拘り、
サウンドに関する方向性は感じても

それらについての創造性は全く感じ
られない。これはまずボナパルト・一生が
トータル・コントローラで忙殺気味で
あること、
また、それが為に野呂からの指示に
よるメンバーへの創造性喚起は具体的に
なされない事、
3つ目は野呂の考えから外れる演奏者は
クビだという事が原因と思われる。

要は音楽に関する創造性については
野呂は舌足らずで、合わなきゃクビと
いう事。

それを悪いとは言わないが、
創造性については、カシオペアは
構造的にポテンシャル不足だ。

25 :
鳥飼玖美子著『英語教育の危機』を読む。
小学校からの英語教育導入で、やはりと
言うかローマ字学習との混乱が存在する
らしい。しかも訓令式が使われているの
で、英語との乖離が激しい。
英語では「Machida-shi」なのに、
ローマ字では「Matida-si」となるのだ。

思うのだが、日本人向けの英語の
アルファベットとは明らかに違い、
且つアルファベット使用話者にとっても
類推がし易い日本人特有のアルファベット、
「洋仮名」を作ってみたらどうか。

日本の人名や地名を表す時は、英文の中に
それを使う。外国人の方が、このアルファ
ベットをマスターして貰うという事だ。

カシオペアの曲名にもそれを使って見たら
全く不思議な世界感が出現するのでは
ないだろうか。

26 :
九鬼周造『いきの構造』の中で
この「いき」は「媚態」と
「意気地(武士道)」と
「諦め(仏教)」というキーワードで
結ばれている。

この「いき」というものが、カシオペアに
あるだろうか?
この文章の中の六面体(四角柱)で表すならば

下品-派手-野暮-甘味を結んだものに
なるのでは?と思ってしまう程、過剰だ。

いや、そんな「いきの構造」の範疇には
収まらないというのであれば、

カシオペアが収まる、つまり一体となった
「構造」とは何だ?

その「構造」かないから、
「奇を衒ったテクニックの垂れ流し」に
なるだけなのではないか。

27 :
自分には、カシオペアの音楽に
「日本」を感じない。逆に「日本」から
「国情」を全て捨てて「日本」を
表現しようとしている気がする。

「コスモポリタン化した日本」という事を
目指しているように見える。
「To・ki・me・ki」「Ha・na・bi」
「U・me・bo・shi」とかタイトルに
してしまい勝ちだからだ。

「架空の民族のフォルクローレ」を
やっているという事であれば、

では例えば曲のタイトルを
エスペラント語で付けたらどうか?

でも、そこまで考えていないというか、
理念に裏打ちされた音楽ではないんだろ?

だから「構造」ないと言っている。

28 :
岡本太郎著「神秘日本」を読んでいる。
読んでいるという事は読み終えていないと
いう事だが、つまらないから、或いは
難しいから読み進まない訳ではない。

「面白い」という言葉に語弊があるが、
「興味深い」から遅くなったのだ。

彼の考えている事、そしてその行動、
そしてその結果としての作品、

どれを通しても、折口信夫のそれらと
合致するから「面白い」「興味深い」
のだ。

岡本太郎は芸術作品で
折口信夫は文学作品で
同じものを追いかけているのだ!

と分かった瞬間に
心がパッと開いた感じがした。
誰かが既に気付いていたかも知れないが、
そんなのは関係ない。

小躍りをするかの様に両者の著作を
行ったり来たり。

カシオペアの存在を知りかなり経つが、
そうした邂逅を体験した事がない。

やはり彼等には構図がない。

29 :
「構図」がない、「理念」がない。
それが悪いという訳ではない。
「純文学なんていつでも書ける」と
私小説やディテールに拘った
SFや推理小説を書く作家もいていいし、
夏目漱石の「こころ」を「三角関係の
もつれ」と読む人がいてもいい。

ただ「面白い」「つまらない」が
尺度で測られたり測ったりするのは
実生活の感覚から来た自然なものだろうが、

それは何処まで行っても「面白い」
「つまらない」で終わるべきものだ。
それがそれ以上の評価を得ようとする
時、評価する側が腰を落ち着けて
評価しようとなった時、
どうしても「構図」が必要になる。

カシオペアの場合はそれが成熟しない。

30 :
成熟しなくてもいい。誰もそんな
文化としての成熟を求めないなら。

ところがカシオペアファンはさも
「カシオペアは高尚な音楽、それを
聴いている俺たち私たちは達観者」と
驕り高ぶる。

所詮流行歌の範疇に過ぎないのに
マヤカシを入れて来る。
そして他の流行歌を卑下するが、
それはおかしいだろう?

それは流行歌の中での「どちらが
貴族か?」という争いのようなものだ。

不毛である。

31 :
カシオペアの凄さとは
大谷は今日何本打ったのか、
何個三振を取ったのかという
話と同じだ。

「大谷とは何か?」という本質的な
問い掛けをするのは時期尚早だろうが、

カシオペアは30年以上経つだろ?

32 :
カシオペアの曲の曲名に例えば
「壱越」
というタイトルの曲でもあれば、
多少「ハッ!」とするかも知れんが、

まずそういうことはない?

33 :
柳ジョージは和製クラプトン らしい。
聴感上とかスタイルとか、そういった
ものに縛られるならそういう結論も
ありなんだろうが、

俺には全く違うように思われる。
クラプトン が「土佐鯨は大虎で〜」
なんて歌うか。

そういうフィーチャーのに対する
評価や批判の上にしか、
カシオペアは置かれていない。

34 :
>>30
補足する。
格安ソープ嬢が
「誰がこの店で指名第1位か」を
争っているようなもんだ。

35 :
「ラーマのつぶやき」というテレビ番組を
観た。在日シリア難民家族の話だ。

「日本に来れて恵まれている筈なのに
何でこんなに疲れるんだろ?」

女子高生ラーマの言葉が胸を刺す。

帰る見込みも目処もない故郷がどんなに
大切かを、日本人は分からない。

カシオペアは日本とは遠く離れた音楽を
している。しかもそれを日本でやっている。

もしカシオペアが「そんな事はない!
俺たちは日本人だ!」というなら、

カシオペアは活動をN.Y.だのに拠点を
移したらどうだ?日本には帰って来ない
前提で。もし「カシオペアが日本」なら、

音楽はこれまでと同じ、全く郷愁なんて
出て来ない筈、何も変化はない筈だ。

やってみろよ。

36 :
芸能または芸能人というと現代では
テレビに出て歌い踊り演じて人々を
楽しませる事や人という感じだろう。

しかしながら、本来芸能と呼ばれる
ものは日本では演じる者や観る者は
厳密には分かれていない。
勿論とある芸能演目のトリガーになる
人を演者と呼び、それ以外は観客と
呼ぶことは出来る。

だが、演者に呼応する形で観客がその
芸能の中に埋没し、演者と観客が
混沌となって作られる芸能がある。
それらは昔ながらの地方の行事の中に
ある事が多い。この場合の芸能とは
宗教就中地域の民間信仰の土台の上に
成り立っていることが多い。

また落語の寄席にしても、江戸情緒を
理解した人または理解しようとする人で
なければ、なかなか楽しめない。
例えば、
「婀娜」という言葉が分かるかどうか。

観客にそういう素養を求めるというのは
実は落語は観客と共に芸が作られるという
ことと同じだ。演者と観客が織り成す
混沌。これこそが芸、芸能を根のあるもの
にするのではないだろうか?

カシオペアにはそれがない。
観客やカシオペアファンは対価を払い
サービスを受ける消費者でしかない。
流行歌手と何も変わらない。
カシオペアの音楽に「根を張る」ように
する努力などは皆無なのだ。

勿論、それは簡単ではない。簡単では
ないからこそ、「高尚な文化」ズラを
するのはやめて欲しい。時代の徒花と
して生きて行くならその覚悟をして
欲しい。

現代社会に於いて、過去の歴史に依らず
演者と観客が混沌となるのは、残念ながら
新興宗教の教祖と信者みたいなものしか
ない。

こうならない形の「根」をカシオペアが
張れるとは、酷な言い方だか、難しい
だろう。所詮俗物に過ぎない。

37 :
「俺達の演奏は凄いぜ!」と
誇る以外にないということは

「俺はいい男だぜ!」
「いい車持ってるぜ!」
「頭がいいぜ!」
「女にモテモテだぜ!」
「女を満足させられるぜ!」
「逸物は他男よりデカイぜ!」

と言っているのと変わらない、
ということだ。

気を付けた方がいい。

38 :
カシオペアの曲名は基本英語で書かれて
いる。ならフランス語でもドイツ語でも
良い筈だが、あまりそういう例はないの
ではないだろうか?「résumé」などの
英語として借用されたものとか、
あまりにもお決まりのフレーズ、例えば
フランス語の「C'est la vie」みたいなもの
だろう。

日本語に「侘び寂び」という翻訳が難しい
言葉があるように、フランス語から英語へ、
ドイツ語から英語へと翻訳するのに難しい
独特な言葉もある筈だ。

全て英語という事は、そういう微妙な
ニュアンスの違いなんか、カシオペアの
曲には関係ない!ということなのだろうか?

英語さえ出せば洗練されているように
見える筈だ、というのは恥ずかしい
勘違いだ。

39 :
>>38
文字化けした部分がある。
日本語で言う、「レジュメ」である。

40 :
英語で例えば
takeの現在形はtake(s)となる。
過去形はtookとなる。
では未来形は?となると、
例えばwill takeとか be going to takeと
答えるのが普通だろう。

だが、これはおかしい。例えば何故なら
wouldとは過去形である。何の過去形か。
willである。つまりwillは現在形なのだ。

英語では未来時制の表現を助動詞や
動詞熟語の現在形を使うのだ。

スペイン語などは英語で例えば
takeの未来形はtakre
のように動詞が活用する。

また、would takeのようなwillの
過去形を伴うような表現は
過去未来形(可能法未来)と呼ばれ
英語で例えば
takria
という感じになる。

英語では、動詞の時制は現在か過去しか
ないのだ。ラテン語形言語からすれば
あまりにも大雑把な感じだ。

それをして「英語はレベルが低い」と
軽蔑する人も多い。確かにそれは
「母国贔屓」が入っているかも
知れないが、

英語には現在形と過去形しかないという
表現の限界を意識した上で、日本人として
曲のタイトルにしているのか。

絶対に考えていないだろ?カシオペアは。

41 :
しかも、英語でいう現在形と過去形は
実は時制ではない。
「今現在事実かどうか?」という事で
ある。
英語話者に一度聞いた事がある。
「mightはmayの過去形だろ?」
すると彼は
「違う。同じ推量でもまだ現実味が
あるのがmay、現実味はないけど
ひょっとしたらというのがmight」

つまりこの場合、現実味があるか
どうかが現在形と過去形の分水嶺なのだ。

仮想現実という言葉がある。
我々日本人はこの言葉から「輝かしい
未来」を想像するが、

実は英語話者からすれば、
これは過去なのだ。現実にないことは
全て過去に時制がずれるのだ。

そういう大雑把な言語空間が基本のものに
成り立っているという英語を意識して
使っているのか?

そんな事は何も考えていないだろ。
カシオペアは。

42 :
以前八代亜紀(個人的にはあまり好きでは
ないが)が西野カナ?とかいうシンガー
ソングライターの歌を歌っていたのを
テレビで見た。

気恥ずかして聴いていられなかった。
「好き〜だよ〜」
「愛してるよ〜」
「側にいたいよ〜」
「ずっと一緒だよ〜」
こんな言葉のオンパレードを
八代亜紀の歌声で聴く。拷問だ。

八代亜紀はこの曲は要するに
井上陽水の「あこがれ」と同じです、
と言いたかったのか?とすら思えて
しまう。

「それが男と女なら
私もついあこがれてしまう」

確かにカシオペアの曲には歌詞がない。
しかしながら、タイトルの付け方は
西野カナの歌詞と同じ位安易だ。

それは意識した方がいい。

43 :
カシオペアファンはモードがどうとか
言うには言うが、俺が偶々読んだ本に
載っていた
「ヒュポドリアン」「ヒュポフリジアン」
というものには全く触れていない。

彼等にとっては「必要ない」のかも知れ
ない。演奏上役に立たないなら「ゴミ」
なんだろう。

しかしながら、それが当時はどのような
意味があり、どのように使われていたのか?
に焦点を当ててみる事は音楽に対する哲学に
豊かさを与える筈だ。

使えるものだけを便利だからとしか見ない、
使えるもの自体の本質、有難さを感じないと
いうことは、

所詮、音楽生活のマンネリを招くだけだ。

44 :
壱越・断金・平調・勝絶・下無・双調・
鳧鐘・黄鐘・鸞鏡・盤渉・神仙・上無

なんてのにも全く興味がない。

それでどうして
「アイツは音楽なんか分かってない」
なんて事を平気で言える。

話にならない。

45 :
知ってるとか知らないとかの問題では
ない。「面白そうだ、調べてみよう」が
まるでないのだ。

カシオペアファンの書き込みを見れば
分かる。どこまでもどこまでも同じ話。

「カシオペアは凄いんだ!
そんなカシオペア好きの俺らは
レベルが高いんだ!」

そんな事ばかり言って、
アルツハイマーになるだけだ。

知的刺激がまるでない。

46 :
野呂のアコースティックは酷い。
まず、ラス・バレンバーグとか
ノーマン・ブレイクでも聴くべきだ。

トニー・ライスも聴いて欲しいが、
もう何回も名前を挙げている。

左手の指が潰れてないのか。

47 :
野呂は
クロス・ピッキングという、慣れが
必要なテクニックを磨くべきだろう。

動画で見たが、ポール・ギルバートの
アコギと同じなんだよ。チョコマカ
指が動き過ぎて音質がグダグダ。

ガサツでカッコいいとも言えなくは
ないが、野呂は迫力より綺麗なサウンドを
目指しているんだろ?違うのか?

48 :
ギターは挫折した。
「野呂のギターはお前のような
フォーク好きには分からんし、
一生手に負えない」と言われて、

頭に来て「そんなにフォークが
ダメなのか?」と探し見つけた
ものの一つがブルーグラスだった。

野呂のギターセンスにはこの手の
ものは含まない。本当に下手だ。

49 :
ブルーグラスを出さないまでも、
日本のフォーク界と比較しても、
野呂は落ちるだろう。

石川鷹彦は、あれは親指が天才的に
凄いんだろうと思う。
3フィンガー的には小室等も良い。

井上陽水の「かんかん照り」を
一度聴いて欲しい。アイディアとしては
若い頃の陽水はいいものを持っている。

50 :
ペンタングルも聴いて欲しい。
バート・ヤーンシュとジョン・
レンボーンも名手だろう。

51 :
ひとえにアコースティックギターといっても
さまざまなスタイルジャンルがあり
ジャズと演歌を比較して優劣を語るのが無意味なように
日本のフォークギターと野呂氏のアコギを比べることはできないのである
野呂氏のアコギはすばらしいのは言うまでもない一方、石川、安田のプレイももちろんすばらしい
ちなみに石川氏は親指はサムピックを使用しているが親指のプレイにこれといった聴き所はない
3フィンガーなら千春の旅立ちをきいたほうがよい

52 :
>>50
スレチ
ろくに知らないことは語らないほうがいい

53 :
バスケットはどうだ?

54 :
>>51
サムピックを使ったら
野呂もあんな感じで弾けるのか。
やってもらいたいもんだ。

何も知らないのはお前だけだろ。

55 :
野呂のアコギは比べるとかじゃなくて
下手なんだよ。それが分からない。

56 :
確かにレオ・コッケみたいなのは
バーデン・パウエル的でやり過ぎな
感じはする。同じように野呂になれとは
言わないが、あの程度のアコギで、
「所謂一つのスタイル」なんてのは
おかしいだろ?

57 :
>>52
パパッパドゥイの曲名教えろ。
よく分かっているなら。

58 :
「22才の別れ」のイントロのリードは
完全に親指が作った音ではないだろうか?

あれを野呂はオルタナだから、
アホになるだけ。

59 :
>>55
キキセンのオマエにわかるかよw
おまえはガチャガチャとかほざくくらしかできんだろw

60 :
>>57
曲名あげたり楽論にかいてあること述べてなんの意味がある?
それよりオマエはリフレクションズオブユーの野呂氏のアコギを
コピーしてツベにあっぷしてみろ
死んでもできんだろwこのノウナシw

61 :
22歳の別れは自分は小学生の時に簡単にコピーできたな
あのリードのポイントはハーモニクスな
で、オマエの課題曲はこれ
早くツベにあげてみろ
https://www.youtube.com/watch?v=-7K-C6KT3TA

62 :
>>59
結局聞いてないんだろ。

63 :
>>61
コピー出来たと簡単に思っている
だけだろ。

64 :
>>60
何で意味のないことをやらなきゃ
いけないんだよ。下らない。

お前を見れば分かるだろ?
下らなさを体現してるじゃないか。

65 :
野呂のアコギの弾き方はごちゃごちゃで
響きを全く軽視している。
ゆっくり弾くと間が持たない。

野呂の駄目なところは
「スタイル」「出来なくていい」で
他のアーティストに対しては
「野呂みたいに出来ないだろ」
「あんなの簡単」

これがカシオペアファンの
恥ずかしい勘違いだ。

66 :
しかも音楽なんかカシオペア以外には
ほとんど何も聴いていない。
ダイバーシティがまるでない。

67 :
カシオペアファンは全く分かっていないと
思う事がある。
野呂のアコギの生音の音量はそれなりに
あると思うか?

68 :
野呂はクロス・ピッキングが出来んのかよ。
それこそ無理だろう。

69 :
「凄い」という評価の仕方が安易なんだよ
カシオペアファンは。

70 :
ID:pa8MECtY



くだらないのは オマエの 改行駄文なんだわな

まさに頭の悪さと音楽と遠い存在のコンプレックス劣等感まるだしw

71 :
>>68
安易なのはオマエのコンプレックスと悔しさまるだしの馬鹿連投w

72 :
>>61
簡単と思われる部分を簡単に
やり過ごしてしまうのがカシオペアファン。

難しい事をやろうとする余りにそう
なってしまうのが、この文章で
見て取れる。

73 :
>>71
こんな事しか書けないなら、
お前の古巣に戻れよ。
意味がない。

74 :
>>70
何一つ反論が出来ない
コンプレックス丸出しなのは
お前だろ?それがこの文章から
見て取れる。

75 :
楽器まるで弾けないから音楽を奏でることができない
だから聴いても音楽を理解できない
できるのはコンプレックスからくる内容まるでなしの改行駄文の連投のみなりにけりw

76 :
楽器を弾けない人は
音楽を楽しむ事も
音楽を批評する事も
音楽を比較する事も

許されない、
黙って演奏する人間の嗜好を
踏襲してりゃいいんだと
言うのですか、カシオペアファンは。

傲慢過ぎる。

77 :
だから
カシオペアファンは駄目なんだと
何遍言ったら分かるんだろうか?

本当にロクデナシだ。

78 :
親カシオペア派も反カシオペア派も
ここでは言葉でしか表現は出来ない。

であるにも拘らず、分が悪くなると
「弾けない癖に」という言葉を持ち
出したくなるという点が
カシオペアファンの駄目なところだ。

別にカシオペアが好きかどうかは
問題にしていない。

説明しないと分からないというのも
問題だと思うが、まあ、一応。

79 :
こんな硬直化した考え方がまかり通るなら、
カシオペアの音楽なんてAIに取って変わられ
るぞ。まるで分かっていない。

80 :
例えば、カシオペアの一時期の方針で
あった?「U-V禁止」(何かのパターンか?)
や、今迄にないメロディ・和音・リズムなど、
カシオペアの特徴は酷く「パラメータ的」
なんだよ。

パラメータをセットして関数を呼び出す。
呼び出した関数から値が返却される。


実は、野呂の作・編曲のやり方は
AIの方が得意なのではないだろうか。

81 :
AIが作った作品をコンピュータ
・ミュージックとして流すというのも
あろうが、
その難しい曲を人間の手で演奏すると
なれば、今度はカシオペアの方が

「人間によって作った簡単な曲で
威張りやがってよう!」と言われる番が
来るかも知れない。

だから、「難しい」とか「簡単」とか
それを超えたものを出さないと
飲み込まれるぞ。

82 :
悪口だと思っているならそれは
それで結構だが、
お前らの思考停止がカシオペアに
何をもたらすのか。

「そんなの関係ない」というのは
もはや消費者でもない。
それこそただのクレーマーではないのか。

理解出来るのだろうか?
無理だな、多分。

83 :
アドリブが出来ないプロがいて、
アドリブが出来るのにプロになれない
カシオペアファンとは一体どんな
存在なのだろうか。

そもそもアドリブに価値を見出した
ところで何の意味があるんだこれでは。

よほど出鱈目なアドリブか
よほど聴いてて退屈なアドリブかの
どちらかだろう。

84 :
楽器ひけないクズが的外れデタラメほざきまくる自由はある
ここはそういうアホキキセンの肥溜めスレw
こういった正論すらわからないとは
このキキセンは本間にロクデナシなんだわなw

85 :
>>83
アドリブアドリブほざくな無能キキセンw
オマエの改行駄文ほど
デタラメで退屈なものはないw

86 :
>>84
お前は人に「楽器が弾けない」とか
どーたらこーたら言うが、
お前自体が楽器を弾けるかどうかを
証明したことを一度もないじゃんかよ?

87 :
>>85
お前のような人間が「楽器なんか弾けても
ロクなもんにならない」と証明していると
いう事が何故分からないんだ?

お前、こんなものの言い方していると
いう事は

会社でちょっとしたミスをして上司に
怒られて、「何だテメェ、楽器なんか
弾けねえ無能な癖に」とか心の中で
呟きながらニコニコ作り笑いしてんだろ?

そんな人間になりたかないぞ。
だから楽器なんか弾くたくないんだよ。

88 :
仮にお前さんが楽器の上手いプロだとして、

お前さんの音楽を有り難く聴いている人を
大切にするような発言をしなさいよ。

これじゃあお前さんは人前で演奏しながら
「この無能キキセンが!」と思っている、

と思われてしまう。
そういう事が分からないプロって
どんなだよ?

89 :
だから、カシオペアファンがどんなに
楽器が上手かろうが下手だろうが、

総じてクズだ、と言わざるを得なくなる。

何も分かってないんだよ。

90 :
あのタイミングで「TOKIOにまだ
席が空いているなら戻りたい」とか
言ってしまう山口達也の神経と
カシオペアファンの神経とが
全く同じに見えてしまう。

今大事なのは
TOKIOに戻れるかどうかじゃない。

今大事なのは
楽器が弾けるかどうかじゃない。

この点に於いて。

91 :
お前、社会とコミュニケーションを
きちんと取れているのか?
心配になって来たぞ?

カシオペアファン総じて、まともな
社会的生活を営んでいるのか?
疑問に思うぞ?

92 :
楽器が弾けるか弾かないかに余程の
拘りがあるんだろうが、
そういう事が物凄く気になってしまうと
いうのは、やはり楽器が下手なんじゃ
ないか?と思えてならない。

何故なら、それに拘るなら「俺はこんなに
楽器が弾ける」と絶えず証明するような
演奏になっているという事だろ?

それって音楽を台無しにしてしまう事が
あるというのが分かってないと言われて
しまうぞ。

全ての音を埋め尽くそうとして、
全くスペースのない音楽。
チンドン屋のような賑やかしというなら
分かるが、

アンタ、
音楽的芸術的センスがないのか、
分かっていないからそういうセンスを
無視しているのか、

どちらかじゃないのか。

93 :
だからカシオペアファンは駄目なんだよ。
理由もなく否定しているんじゃないんだよ。
何故それが分からないんだ?

94 :
人の心を打つ音楽というのは
音数の多さとか、演奏の難易度なんですか?

こんな疑問を素人に平気で尋ねられて
しまう玄人って、どんなだよ。

95 :
カシオペアの音楽は抽象的だ。

綺麗な星、綺麗な海、それだけ。
それを見て感傷に浸っているのか
恋に落ちているのか
そんなもん御構いなしに酒飲んで
いるのかは、どうでもいい。

まあ、そういう「写実的」な音楽は
当然あっていいだろう。

しかしながら、
描こうとする情景は綺麗な星や海だったと
して、その綺麗な星や海の映像を表現
しようと思っている訳ではない。

俳句とは違う考え方だろう。

つまり、「綺麗な星や海」のテーマソング
みたいなものだ。テーマソングの後に

「では綺麗な夜空をご覧下さい」

という事なんだよ。

であれば、そんなテーマソングがなる前に
その「綺麗な夜空」を見たいよ。


不要だよ。

96 :
綺麗な夜空、綺麗な海、綺麗な自然。

これが目の前に広がる感覚に浸りたい
という思いに対して、
果たしてテーマソングやBGMは必要
なんだろうか?

その音楽そのものが今ここに映像は
ないにも関わらず、聴いただけで
その映像が浮かぶというならまあ、
聴く価値があるのかも知れない。

盲目の人に空の青さを伝えるような。

その視点がカシオペアにはない。
残念だ。

97 :
最近のテレビ番組制作と考えが同じ。
「桜が開花」「海開き」「今日の旅は
カッパドキア」

全部BGMを突っ込んで来る。
そうしないと伝わらないと思っている。


過剰な演出だ。

98 :
その上カシオペアの音楽の抽象性は
夜空や海を幾何学的に表わそうとする。
計算されて織り成すタペストリーの様に
夜空や海が描かれている。

しかし我々が神の計画性を把握出来ない
のと同じように、海の淀みは一定では
ないし、星は等間隔に座標を構成して
いる訳でもない。

そこがカシオペアの音楽の誤解だろう。

99 :
では、抽象的な模様そのものから
感化されましょう!という考えが出て
来ても不思議ではない。

金剛界、胎蔵界的なものをカシオペアは
描き切れるか音楽で?

これは確かに宗教的だが、曼荼羅を見て
世界が広がる感覚を音で表現するという
ものに仕上げていく事も可能だろう。

曼荼羅というのは、説話や文書では
簡単には理解出来ない仏法を可視化
したものだ。
つまり、この場合、
幾何学模様に物凄い思想性がないと
「綺麗な包装紙ね」と破られてしまうだけ?

カシオペアの音楽にはこの視点もない。

100 :
>>86>>99
臭キキセンが必死に連投しててワロ田w
中身まったく読まんですっとばしてカキコしてるんだけど
コイツまたキキセンコンプ丸だしでデタラメ的外れの改行駄文
必死こいてカタカタッツ!!!ってやってるんだろ?

本間に駄目なタコ介だよネw


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