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早世や横死、自害が惜しまれる人物


1 :2009/09/27 〜 最終レス :2016/08/02
このスレは、もしこの人物が早世や横死、自害をしなかったら、
歴史が変わってたかもしれない中国史の人物をあげるスレです。
では、例として。

懿文太子・朱標
明の洪武帝・朱元璋の長男で、建文帝の父。
温厚かつ堅実な性格で、彼が長生きしていれば、洪武帝の粛清が更に酷くならず、
かつ同母弟の朱棣(後の永楽帝)による靖難の変も起きなかったと言われている。

2 :
呉越の銭弘佐かな。
弟で後を継いだ銭弘倧は、武断的な兄をさらに剛直であったため
重臣たちの反感を買いまくって1年で退いたからなぁ。
20歳で死なず、順当に生きていたら、南唐との力関係がどうなっていたか。

3 :
前涼の謝艾
ミラクル軍師だったが、政変により呆気なく横死
たった一人の頭脳で、華北9州を支配する後趙を幾度となく撃退
多分長生きしていたら、前涼の版図はもっと違ったものになっていただろう。

4 :
後秦太祖姚萇の兄、姚襄(?〜357、享年27歳……37歳説もあり)
傭兵集団の頭領として、後趙滅亡後の襄国〜東晋〜前燕と渡り歩いた一級の軍人
また、人望にも恵まれたが、それと同じくらい敵も多かった。
二つの抜群の戦功(冉閔主力を撃破し、冉魏の国力を決定的に失墜させたこと及び
殷浩の北伐を壊滅させたこと)が光るが、負け戦も結構派手であった。
特に最後の戦いとなった前秦戦では、無謀な突撃を敢行して戦死している。
四面楚歌状態での関中侵攻最中の夭逝となったが、もし運良く生きながらえて
いたならば、その人望と軍事手腕から華北争覇のダークホースになったことは間違いない。
逆に言えば、前秦は姚襄を撃ち破ったことにより華北統一への端緒が開かれたわけだ。

5 :
>>4の補足として、姚襄は「孫策の儔(類)」と世間で評されていたことを加筆する。
若死にするところまで真似なくても良かったと思う。

6 :
>>2
たぶん変わらない。
某小説によって過大評価されてるが、しょせん小説だから信じない方が良いよ。

7 :
>>6
いや、そうではないよ。
一応、《十国春秋》に引く、建州の役(平殷)から、福州争奪に関わる一連の戦役と
その後の銭弘佐の動きと、銭弘倧の治世をみての判断。
また同時期くらいの別の人物も紹介しようと思ったので、それもからめて。
顕徳三年に起こった淮南の役で、南唐は呉越、このときの王は銭弘俶。
(銭弘佐の弟で、まだ穏健な印象)
そのとき、南唐を東から攻め、常州を奪ったけど、南唐の柴克宏に奪還される。
柴克宏は、その後、淮南への転戦のための出陣前、突然の疾患で早世する。
南唐には派閥があり、柴克宏の武勲を邪魔に思う高官がいた。
常州戦の前にも、柴克宏には老弱兵しか与えず、しかもことあるごとに
司令官職の交替を命じ、足を引っ張った。
その邪魔を振りのけ、柴克宏は、数と質ではるかに勝る呉越軍を破ったのだけど
早世したため、淮南で武略を奮うことはなかった。
評でいわく。
「相手が呉越だから勝てたのだ。後周軍だったらわからない」
淮南に出征しておれば、どうなったかは想像の中でしかないとはいえ……。
ちなみに、少数で大敵をやぶったのは、銭弘佐治世の呉越もそうで
福州争奪戦では、呉越将余安が、南唐軍を大破している。
銭弘佐は親軍の綱紀を粛正しつつあったので、長生きしていれば
柴栄に先立つ、王権の強化に成功したかもしれない。

8 :
孫登

9 :
享年24の霍去病と享年27の李賀
天才は長生きできないのが世の常とはいえ、惜しい。

10 :
>>7
弘佐の件は妄想ですらないよ。
まず、後に起こった政変を見るに、弘佐達の政策に反対する勢力がおり、
それは甚だしく、容易に取り除けるものではなかった。
現に、他勢力でも同様な問題を抱えており、その排除を成し遂げるまでには
かなりの時間を費やし、試行錯誤を重ねている。
弘佐であれば簡単にいく、解決できるとする根拠が薄弱である。
この手の根深い問題は、時間と労力が必要で、一人の天才より、
多数の凡人の地道な努力の積み重ねが、土台となり、幹となって時代を揺り動かす。
たまたま天才的な人物が現れ、まるでその人の力だけで変わったように見えても、
それまでに必ず、土台となる政策が実施されてる。
仮に「急進的であったため、失敗した」と称されるなら、その政策は時期尚早であり、
いかなる人物、いかなる才能を持ってしても、必ず失敗する。
それは歴史が証明してる。証明し続けている。
次に外征面。
軍事的な才能がなかったとは言わない。だが、前述のように、
内政面にある種の問題を抱え込んでいる。
つまり弘佐は、政治的な欠陥を、外征、軍事をもって補うことになる。
かなり厳しいタスクになるだろう。

11 :
>>10
はたしてそうかな?
(「弘佐であれば簡単にいく、解決できるとする」簡単にとはいっていないのだけど)
政変は銭弘佐在位のときでは、銭弘佐からの行動でしか起きていない。
死後、政変が起きるのは、まさに王の死後であることと、銭弘倧が
さらに強硬派だったからに、おおきく起因する。
その図式自体は、五代十国特有の、親衛軍の驕兵の風潮でしょう。
代を重ねて変革していくにしても、どこかで武断処置をとらねばならない以上
生きていれば、という可能性を否定することもないと思うけど。
「王英明果断、権変不測」
わずか20歳で薨去した若者には、すぎた評だと思いますけどねぇ。
しかも、問題としている「南唐との力関係がどうなっていたかわからない」
としている、隣国である南唐は、宋斉丘を初めとした「五鬼」の専権で
派閥政治に堕しており、軍事的脅威はずいぶん減っていた。
福州の役で、重要な拠点を手中にした銭弘佐は、その点で王権強化を
はかる足がかりにできたはず。
銭弘佐以来、常州の役を除けば、軍事的には呉越は常に南唐より優位に
推移しているのだから、武断的でない南唐に対しては、おおきなリードだと
思うよ。
国内の諸問題は、格王朝のそれぞれの共有するところでもあり、王権強化に
必要な「厳しいタスク」が要求されているのは、衆知のことなんじゃないですかね。
同じようなことを、郭威〜柴栄がやっているし。
そういえば、柴栄の早世も惜しまれますね。
死後、1年で政変が起きたけど。呉越は半年だったかな。

12 :
>>11
弘佐の指導力を評価しすぎ。まず、統治期間が短くて、問題が表面化してなかっただけでは?
それを否定できる材料がない。
強行だったからと失敗したと言うが、じゃその後、その政策は引き継がれ、
呉越では成功しただろうか?失敗は必然であるとしか評価できない。
成功するなら、たとえ障害があっても、時間がかかるだけで成功している。
軍事面は不透明な部分が多すぎる。南唐相手にどこまで勝ち続けてるのか?
南唐は負け続けることで、人事の刷新が起こるかもしれないし、
南唐の力が弱くなる事が、呉越の隆盛に繋がらず、別の勢力に利するかもしれない。
弘佐の内政的な成果、手腕を見るに、かなり足元が不安な状態で戦うことになる。
それで勝ち続けるなら、かなりの力量で、生きていれば天下統一すらできるよ。

13 :
>>12
>>強行だったからと失敗したと言うが
胡進思の乱のことじゃないの?
>>南唐相手にどこまで勝ち続けてるのか
>>かもしれないし
その、「かもしれない」の話をしているのですよ。
南唐の、平殷、平楚のお粗末さはご存知でしょ?
福州失陥の責は、あげて南唐側にこそあるけれど
また陳誨を撃破したあとでも刷新などされず
後周による淮南の役まで続いているじゃないですか。
なぜ、南唐の「かもしれない」の根拠が薄弱なのに
同じような呉越の「かもしれない」だけを否定するのかな。
>>かなり足元が不安な状態
具体的にはどいうところが不安定でしょうか。
福州の役は、そのため自身は国内掌握に専心していたと思いますが。
ただ、その直後に死んだだけですよ。
早世が惜しまれると思えませんかね……

14 :
漢明帝
せめて儒教狂いの章帝をもっと教育してから死んでれば…

15 :
王猛がもっと長生きしてたら・・・

16 :
項羽。
あそこであれ言って、拒否して死ぬから惜しまれるが……楚に帰れば再起できたのに。

17 :
再起したところで漢に勝てるとは思えんし、あそこで死んだからこそ英雄扱いされてる側面もあるんじゃないか

18 :
ほうとう

19 :
爾朱栄
いや、まぁ本人のツメの甘さが直らないと長生きしても?なんだけど・・・・・・
個人的に好きなもんで

20 :
>>19
董卓に擬される人物だと言うから、調べてみたらかなり若いうちから
権勢を握ってるんだよな。

21 :
隋の武将・沈光(享年28)
そのまま生き続けて唐に仕えていたら秦淑宝や蔚遅敬徳と
同等の活躍ができたのでは。

22 :
ちんこう?

23 :
そだよ。

24 :
明の弘治帝
せめてあと10年くらい生きられたら息子の正徳帝もちゃんと教育できて
暗君にならなかったろうし。劉謹が権力握って王朝がメチャクチャになる
こともなかった。

25 :
羅士進

26 :
扶蘇

27 :
劉封

28 :
項羽。己の美学に忠実であり過ぎた。
昔の六国を復興させ、飽くまで己は美しくあろうとした最後が……悔やまれる。

29 :
>>17

30 :
曹昂とか戯志才を挙げればいいのかな?

31 :
曹髦

32 :
三国時代なら角化か法統

33 :
霍去病

34 :
孫策

35 :
柴栄って今まで早世だと思ってたけど、39歳って別に普通じゃね?って思うようになった

36 :
>>35
あの当時でも、平均的に50歳前後かな>寿命
劉知遠、郭威と即位して数年を待たずに崩御ってのがあって
これからってときにまた死なれると「早死」した感が増すってもんだ

37 :
蒙括

38 :
始皇帝の長男と曹操の長男と家康の長男と信長の長男と何だかこう・・・
なんだかなぁ・・・

39 :
周武帝に楊堅くらいの寿命があれば・・・
まあたとえ簒奪されず統一出来たとしても、隋と同じ様な運命を辿る気がするが

40 :
苻融
ヒ水の敗戦で死ななければ苻堅の死期も変わったのではないか…

41 :
大元ウルスのハーン・クビライの皇太子チンキム。
モンゴル貴族や漢人官僚から絶大な支持を集め、中書令として中国北部の政務を預かり、
漢地支配のツボを心得ていた彼が早世してなければ、この後の後継者争いによる大混乱は抑えられたかもしれない。

42 :
宇文泰の息子達
毓・覚・ヨウ・憲

43 :
直さんも忘れてもらっちゃ困るぜ!
・・・いや、何でもない

44 :
嵆侍中の血を拭うな。

45 :
>>39
跡を継ぐのが無能な宣帝じゃあな…
武帝の次男が成長して兄を排除するってオチになりそうだ

46 :
洪武帝の皇后である馬皇后。
彼女がもっと長生きだったら洪武帝もあそこまで酷い粛清はしなかったはず

47 :
馬皇后の後に皇太子の朱標まで失ってしまって、いよいよ歯止めが利かなくなったって感じだな。
息子の時代の為に、不穏分子を粛清したのに息子に先立たれてしまうとは…

48 :
北魏の太武帝やろ
暗殺されなかったら
鮮卑族による中国統一間違いない
南朝弱いし太武帝の卓越した戦術能力、北魏軍の鉄騎の精強ぶりから見て
南伐は容易に達成できたはず
それに太武帝の時代ならまだ遷都もせず、中国化政策もとらないはず

49 :
張居正
あと10年くらいは長生きしてほしかった
死後まもなく弾劾されるほど恨みを買いすぎてるから
いずれ失脚する運命だったんだろうが

50 :
張作霖
もし日本軍に爆殺されてなかったらって考えると面白い。

51 :
ここまで、リョフなし。
リョフが言うように歩兵は曹操、騎馬はリョフが率いれば、
乱世は、早く終わったように思う・・・

52 :
リョフが機械のように命令どおりに動いてくれれば終わっただろうな

53 :
王猛

54 :
泰昌帝
明の暗君・万暦帝の次代。皇太子時代から聡明で知られていたという。
在位一ヶ月は惜しい。
しかも次が天啓帝・・・魏忠賢時代なだけに。

55 :
万暦帝が死の前年には後金にサルフの戦いで大敗してるし、
もう立て直せるような状態じゃなかっただろう。
万暦帝が20年早く死んで天啓帝が夭折でもすれば、まだ希望はあったかもしれない。

56 :
仙台のボクサー・たこ八郎(享年44歳)

そのまま生き続けてたけしに仕えていたらガッツ石松や具志堅用高と
同等の活躍ができたのでは。


57 :
呂布
曹操は、劉備と組むより、呂布と組んだ方が良かったかと

58 :
太史慈
死ぬのが早すぎる

59 :
呉将は短命が多いイメージ

60 :
>>58
40才は短命か?
いや、現代なら短命だが…
太史慈の場合、そこで死んでよかったんでね?
下手に長生きしてたら反乱していかねん男だからな
晩節を汚さずにすんだ
「大丈夫という者がこの世に生まれたからには、
 七尺の剣を帯びて天子の階を登るべきを、
 その志が実現できぬうちに死ぬ事になろうとは…」

61 :
確かに孫権も長生きしすぎて老害になったからね
呉は短命な武将が多いけど呂岱みたいに長生きする奴は
かなり長生きしてるんだよな

62 :
>>59
だが実際短命と呼べそうな人材はそれほど多くない
孫策、周瑜は早世だが、魯粛・呂蒙は40台
ほかの呉将、程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁の中だと死去時の正確な年齢がわからないものが多いが
おそらく早世といえるのは陳武・凌統くらいと思われる。
孫権以外の宗室の男子は、軒並み早世っぽいけどな

63 :
北周の武帝

64 :
後漢の章帝。33才没。
この人が若死にした所から、後漢の歯車は狂い出した。

65 :
>62
凌統…もう少し生きて孫権守って欲しかったな
享年に関しては諸説あるけど、30歳前は早過ぎる。
惜しまれるほど影響力のある人物ではないだろうけど。
呉から離れて曹丕を挙げておく。
「長生きしたらしたでボロが出たに決まってる」
という意見もたまに聞きますが、
ボロが出る・出ないも含め、彼が治める魏の将来も見てみたいので

66 :
弘治帝

67 :
弘治帝は最も偉大な王だ!
大明朝偉大なるした、は、世界初の資本主義国家のようだった!

68 :
張作霖

69 :
始皇帝

70 :
後唐の明宗、後晋の高祖、後漢の高祖、後周の太祖
早世では無いが、即位してから崩御までが早過ぎる

71 :
哀哉奉孝!痛哉奉孝!惜哉奉孝!

72 :
もし隋の煬帝が大運河完成直後に死んでいたら名君として評価されて
ここにも名前が出たんだろうな。

73 :


74 :
霍峻

75 :
呂岱だな
後30年生きて欲しかった

76 :
>>70
後唐の明宗は即位した時もう60歳だったから仕方ない

77 :
ほう統と法正が諸葛亮と同じくらいまで生きていたら歴史は変わっていた

78 :
73中国人

79 :
>>77
酔狂先生だっけ?
どちらかを手に入れれば天下を取れるとか言ったの

80 :
田豊

81 :
>>79
ホウ統に軍事やらせて、孔明に政治やらせるって事か。

82 :
金の章宗

83 :
趙の武霊王

84 :
>>83
死に方はひどいけどあれ以上生きてても、って気がする

85 :
北魏の孝文帝

86 :
光緒帝

87 :
王猛

88 :
梁の昭明太子

89 :
鳳統も惜しいな

90 :
>>8
まったくです。孫登が生きていたら孫権の老害ももうちょっとおさえられ、後継者争いもおきなかったでしょうに…
>>42
北周が強大化するのがもっと早まったかもですね。武帝のときに天下統一できたかも。宣帝がばかだから短命におわったかもですが…
>>54
明再建の最後のチャンスでしたよね…崇禎帝のときはもう手の施しようがなくなっていて、しかも本人猜疑心が強すぎて….
このほかには、慕容恪
彼が生きていれば前秦の華北統一は確実になかった。

91 :
そして淝水の戦いも起こらず、前秦も確実に長続きし、華北は苻堅と慕容垂が死ぬまで二国に分裂しながらも安定した。


92 :
>>91
どっちにしろ桓温は出張ってきそうだけどな
慕容垂は評叔父が存命な限り干される運命にあるから、都合よく政権運営に参加できるかどうか
苻堅は前燕が健在ならば自重して、名君度が上昇しまくると思う

93 :
東晋の明帝とかあと20年くらい生きてればな

94 :
>>92
苻堅が名君度を上げられたかは微妙な気がする。
何気に苻堅って皇族からの反逆が多いし、内戦に追われる羽目になりそう。
前秦と前燕の力関係は、結局太和二年(367)が全てだったと思う。
前燕で慕容恪が死去した一方、前秦では皇族の大反乱が起きた年。
苻堅に叛いた面々、苻健の諸子に加えて同母弟の苻雙までいたあたり、
史書に明記されてないけど苻堅に対する不満が相当あったんだろうね。
ちなみに、苻堅に反旗を翻した皇族たちは前燕に救援を求めてたりする。
慕容垂が応じようとしたら慕容評が邪魔して実現しなかったけど。
もし慕容恪が生きていたら、軍を動かして前秦を併呑してた可能性が
非常に高かったと思う。
最終的に、苻堅は反乱を鎮圧して苻健の諸子と苻雙をRんだけど、
苻健の諸子には子供に爵位を嗣ぐことを認める一方、苻雙に関しては
子供に爵位を嗣ぐことを認めず断絶させてたりする。
このことで実母の苟太后に責められるわけで、そのとき苻堅は
「天下は高祖(苻健)の天下であり、高祖の子に後嗣がいないということが
 あってはならないのです(超訳)」
と答えたりしてる。
このあたり、簒奪→登極の流れに納得してた人間は、多くはなかったんだろうね。
本来なら、苻堅は嫡流からほぼ一番遠い場所にいたわけだから、
廷臣の中にも潜在的な敵が相当いたんじゃないだろうか。

95 :
>>嘉靖帝、万暦帝も前評判は高く英主と期待されていたが、
結果はご存知の通り。
まぁやってみないと分からんけどね…

96 :
安価ミス
>>90ね。

97 :
北周の孝ビン帝、明帝、武帝
三人そろって(孝ビン帝はよくわからなくて微妙だが)有能そうだったのに・・。
あと後漢の質帝。長生きしてれば後漢はほんの少し延命していたかも・・。

98 :
>>94
92さんに全く同感だったのですがそんなに苻堅の立場って不安定だったんですか...
勉強不足でした。しかし、皇族の反乱と慕容恪、慕容垂の攻撃を切り抜けられれば自重するでしょうから名君度はあがりますね。
>前秦と前燕の力関係は、結局太和二年(367)が全てだったと思う。
全く同感です。慕容恪が生きていればおっしゃるように力関係が全く変わっていたでしょうね。いずれにしても前秦の華北統一はならないのは確実でしょう。
前秦に内訌があったら、その種の隙を絶対見逃さないだろう用兵巧者の慕容恪、慕容垂のタッグは健在でしょうからおっしゃるように「前燕」による華北統一がなっていた可能性はかなり強くなってきますね。
華北統一を達成したとして、欲の深い慕容評や慕容暐は、中国統一ができると勘違いして慕容恪がとめるのも聞かず「淝水の戦い」が起こって「前燕」が分裂し、慕容垂が自立するという筋書きが変わらない気が…なんか仮想の歴史なのに因果律を感じますw。

99 :
>>93
>東晋の明帝とかあと20年くらい生きてればな
それは考えたことがあります。
確実に言えるのは、蘇峻の乱は起こらないか起こっても短期で解決したでしょう。
ただ20年では、桓温による専横や簒奪の危険性は避けられません。
仮に40年間名君として桓温の専横をおさえこめてかろうじて謝安、謝玄のコンビにバトンタッチできる状態になりますが、
謝安、謝玄がいなくなったあとは、暗君が続き、華北の分裂抗争に救われて延命していたようなものでしたから、明帝の治世が多少長くても東晋はあれ以上延命できなかったのではと思います。
>>97
質帝は帝位につくのが早すぎましたね;;。もうちょっと駆け引きが分かる年齢で帝位についていれば北周武帝のように名君になってたかも…
ただ桓帝のように宦官をつかっていたら宦官の専横を助長した評判の悪い皇帝が一人ふえただけになってしまいそうですが…
>>95
前評判ですか。。。なんかどこかの国の前首相を思い浮かべますが^^;

100 :
>>98
調べた限り、苻堅の治世は同族との対立にかなりのエネルギーが注がれてたりします。
苻堅の治世(357〜385)のうち、淝水以前(383)に限った上で前秦国内における内乱を
まとめると、次のようになります。
1:升平三年(359)/高離の乱  ※高離は前秦の平羌護軍
2:興寧二年(364)/苻騰の乱  ※苻騰は苻健の子、苻生の弟で汝南公
3:興寧三年(365)/苻幼の乱  ※苻幼は苻健の子、苻生の弟で淮南公・征北将軍
4:太和元年(366)/斂岐の乱  ※斂岐は羌族、前涼に叛いた李厳【注】に呼応して略陽で挙兵
【注】:李厳の「厳」は、本来ニンベンに厳の字
(続く)


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