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【産経】東電、吉田調書の真実


1 :2014/08/23 〜 最終レス :2018/09/27
吉田所長、「全面撤退」明確に否定 福島第1原発事故
2014.8.18 05:00 [福島第1事故「吉田調書」]
 平成23年3月の東京電力福島第1原発事故に関し、産経新聞は17日、政府の事故調査・検証委員会
が事故発生時に所長として対応に当たった吉田昌郎氏(25年7月9日死去)に聞き取り調査してまとめた
「聴取結果書」(吉田調書)を入手した。吉田氏は東電が事故発生3日後の14日から15日にかけて第1
原発から「全面撤退」しようとしていたとする菅直人首相(当時)らの主張を強く否定し、官邸からの電話
指示が混乱を招いた実態を証言している。吉田氏は一方で、現場にとどまった所員には感謝を示すなど、
極限状態での手探りの事故対応の様子を生々しく語っている。
 吉田氏への聴取は23年7月から11月にかけ、事故収束作業の拠点であるサッカー施設「Jヴィレッジ」
と第1原発免震重要棟で計13回、延べ27時間以上にわたり行われた。吉田調書はA4判で約400ページ
に及ぶ。
 それによると、吉田氏は聴取担当者の「例えば、(東電)本店から、全員逃げろとか、そういう話は」との
質問に「全くない」と明確に否定した。細野豪志首相補佐官(当時)に事前に電話し「(事務関係者ら)関係
ない人は退避させる必要があると私は考えています。今、そういう準備もしています」と話したことも明かした。
 特に、東電の全面撤退を疑い、15日早朝に東電本店に乗り込んで「撤退したら東電は百パーセント潰れる」
と怒鳴った菅氏に対する評価は手厳しい。吉田氏は「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか、誰が言っ
たのか知りませんけれども、そんな言葉を使うわけがない」などと、菅氏を批判している。
 朝日新聞は、吉田調書を基に5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」「福島第1 所員の9割」と
書き、23年3月15日朝に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10
キロ南の福島第2原発へ撤退していたと指摘している。
 ところが実際に調書を読むと、吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが
自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない。
 また、「退避」は指示しているものの「待機」を命じてはいない。反対に質問者が「すぐに何かをしなければ
いけないという人以外はとりあえず一旦」と尋ねると、吉田氏が「2F(第2原発)とか、そういうところに退避
していただく」と答える場面は出てくる。
 

2 :
「あのおっさんに発言する権利があるんですか」 吉田所長、菅元首相に強い憤り
2014.8.18 05:00 [安倍首相]
 「私にとって吉田(昌郎)さんは『戦友』でした。現(安倍)政権はこの(吉田)調書を非公開としていますが、
これは特定秘密にも該当しないし、全面的に公開されるべきです」
 菅直人元首相は月刊宝島8月号で、ジャーナリスト(元朝日新聞記者)の山田厚史氏のインタビューに対し
、東電福島第1原発の元所長、吉田氏を自らの「戦友」だと述べている。
 だが、産経新聞が入手した吉田調書を読むと、吉田氏側は菅氏のことを「戦友」とは見ていない。むしろ、
現場を混乱させたその言動に強い憤りを覚えていたことが分かる。
 例えば、政府事故調査・検証委員会の平成23年11月6日の聴取では、「菅さんが自分が東電が逃げるの
を止めたんだみたいな(ことを言っていたが)」と聞かれてこう答えている。
 「(首相を)辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」
 「あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェア
も限りない」
 
 菅氏は同年8月の首相辞任後、産経新聞を除く新聞各紙やテレビ番組のインタビューに次々と応じ、自身の
事故対応を正当化する発言を繰り返していた。これを吉田氏が批判的に見ていたことがうかがえる。
 また、菅氏が自分も政府事故調の「被告」と述べていたことから、吉田氏は「被告がべらべらしゃべるんじゃ
ない」とも指摘し、事故調が菅氏に注意すべきだとの意見を表明した。
 菅氏だけでなく、当時の海江田万里経済産業相や細野豪志首相補佐官ら菅政権の中枢にいる政治家たち
が、東電が全面撤退する意向だと考えていたことに対しては「アホみたいな国のアホみたいな政治家」とばっ
さり切り捨てている。
 その菅氏は今年7月24日付のツイッターで、吉田調書についてこう書いた。
 「吉田調書など(で)当時の状況が明らかになり、発生翌朝現地で吉田所長から話を聞き、撤退問題で東電
本店に行った事も理解が増えています」
 吉田氏の肉声はこれとは食い違う。政府事故調の聴取(23年7月22日)で「(菅氏は)何のために来ると
いうことだったんですか」と質問され、こう突き放している。
 「知りません」
 「行くよという話しかこちらはもらっていません」
 さらに必死で作業を続けている所員らに菅氏が激励もせずに帰っていったことを証言している。
 菅氏が震災発生4日後の15日早朝、東電本店に乗り込んだことにも冷ややかだ。同じ頃、現場でまさに
死と向き合っていた吉田氏は7月29日の聴取で、テレビ会話を通してみた菅氏の東電本店での叱責演説に
ついてこう語っている。
 「ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かったことだけ覚えています」
 「何か喚いていらっしゃるうちに、この事象(2号機で大きな衝撃音、4号機が水素爆発)になってしまった」 

3 :
「水素爆発の仕組みは?」最前線に空疎な質問…官邸が招いた混乱
2014.8.18 08:39[福島第1事故「吉田調書」]
 政府の事故調査・検証委員会が平成24年7月にまとめた報告書は、福島第1原発事故における菅直人
元首相をはじめとする首相官邸サイドからの介入についてこう総括した。
 「介入は現場を混乱させ、重要判断の機会を失し、判断を誤る結果を生むことにつながりかねず、弊害の
方が大きい」
 これは当然、吉田昌郎元所長からの聴取結果を反映しての結論だろう。吉田氏は、直接官邸と現場がやり
とりすることの違和感を繰り返し語っている(23年8月8、9日の聴取)。
 「何で官邸なんだというのがまず最初です。何で官邸が直接こちらにくるんだ。本店の本部は何をしているんだ」
 「最初、官邸と電話なんかする気は全くなかった」
 「官邸と現場がつながるということ自体が本来あり得ない」
 その上で、不眠不休の極限状況の中で菅氏から受けた電話の内容の空疎さについて、こう明かしている。
 
 「水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかというようなご
質問をなさっていた」
 「ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明し始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野(靖内閣
官房参与)さんがしているからということで、日比野さんに代わって、結構忙しいときだった」
 菅氏から電話があったのは4回ほどで、このほか「警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話について、
こう決めたけれども、所長はどう思う」と問われて吉田氏が「知りません」「現場の判断ではない」と答える
場面も出てくる。
 また、同年11月6日の聴取では政府事故調の質問者から、官邸内で海江田万里経済産業相や細野豪志
首相補佐官ら政治家や東電幹部、班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長らが「勉強会」を開き、そこで出た
疑問を現場に電話で問い合わせていたと聞き、吉田氏はあきれてこんな感想を語っている。
 「何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」
 吉田氏は、細野氏にはあらかじめ、協力企業関係者や事務職員ら「関係ない人は退避させることも考えて
います」と言って、プラント制御に最低限必要な人員は残す考えを伝えていた。
 ところが、細野氏は23年11月の民間事故調のヒアリングでは東電に全面撤退論があったとの立場でこう
菅氏を持ち上げている。
 「菅氏は、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく『(東電の)撤退はあり得ない』と言った。私は(菅氏が)日本を救った
と今でも思っている」
 菅氏自身は今年6月21日付のツイッターで「私の原発事故対応に対する嵐のような批判も、吉田調書や
(関電大飯原発第3、第4号機の運転差し止めを命じた)福井判決で風向きが変わってきた」と記した。
 吉田調書は、あくまで吉田氏個人の記憶に基づく証言であり、すべて正確だとまでは言えないだろう。とは
いえ、現場で事故対応の前線指揮を執った当事者の証言は極めて重い。

4 :
朝日新聞の報道は「所長命令に違反し、所員の9割が原発撤退」
2014.8.18 10:04 [福島第1事故「吉田調書」]
 朝日新聞は、東京電力福島第1原発の所長だった吉田昌郎氏が、政府の事故調査・検証委員会の調べ
に答えた非公開の聴取結果書を入手し、5月20日付朝刊でその内容を報じた。
 「所長命令に違反 原発撤退」を大見出しにした上で、吉田調書などを根拠に「吉田氏の待機命令に違反し
、所員の9割が福島第2原発へ撤退していた」と報道した。撤退した人の中には事故対応を指揮するはずの
グループマネジャーと呼ばれる部課長級の社員もいたことから、「その後、放射線量は急上昇しており、事故
対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」と指摘した。
 その後も、「吉田氏、非常冷却で誤対応」「ドライベント、福島第1原発3号機で準備 大量被曝(ひばく)の
恐れ」など、吉田調書に基づいた続報を掲載。社説では「吉田調書は最も貴重な国民の財産」として、公開を
主張している。
 また、朝日新聞のホームページでは、吉田調書の要約版を日本語と英語で公開(会員登録が必要)している。
 朝日新聞社広報部のコメント「吉田氏が命じたのは、高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる
第1原発構内での待機だったことは、記事で示した通りです。10キロ離れた第2原発への撤退は命令に違反
した行為です。一部週刊誌の『虚報』『ウソ』などの報道は、朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損(きそん)
しています。厳重に抗議するとともに、訂正と謝罪の記事の掲載を求めています」

5 :
吉田所長「撤退なんて言葉、使うわけがない」「アホみたいな国のアホみたいな政治家」
2014.8.18 11:30 [福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏は政府の事故調査・検証
委員会(政府事故調)に対し「全面撤退」を否定するなど現場の状況を詳細に説明した。聴取内容を10回
に分けて詳報する。1回目は吉田氏の菅直人元首相に対する評価を中心にまとめた。質問者は事故調の
調査委員。

 〈菅首相は事故発生翌日の平成23年3月12日午前7時11分に福島第1原発を視察に訪れた〉
 −−いつごろ首相が来られるという話になったのか
 吉田氏「時間の記憶がほとんどないんです。(午前)6時前後とかには来るよ、という情報が入ってきたん
だろうなという」
 −−何のために来ると
 吉田氏「知りません」
 −−首相は所長に対し何を話したのか
 吉田氏「かなり厳しい口調で、どういう状況だということを聞かれたので制御が効かない状況ですと。津波で
電源が全部水没して効かないですという話をしたら、何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだという
ことを班目(まだらめ)(春樹原子力安全委員長)先生に質問したりとか」
 −−いかに現場が厳しい状況か説明したのか
 吉田氏「十分説明できたとは思っていません。自由発言できる雰囲気じゃないですから」
 −−現場に近い状況が壁一枚向こうにあるが、首相は激励に行かれてないか
 吉田氏「はい」
 −−中を(視察・激励しに行かなかったのか)
 吉田氏「全く、こう来て、座って帰られましたから」
 〈菅氏は3月15日午前5時半ごろ東電本店の非常災害対策室に入った〉
 −−何をしに来られていたんですか
 吉田氏「何か知らないですけれどもえらい怒ってらしたということです」
 〈菅氏は「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と発言〉
 吉田氏「ほとんどわからないですけども、気分悪かったことだけ覚えていますから、そういうモードでしゃべっ
ていらしたんでしょう。そのうちに、こんな大人数で話をするために来たんじゃない、場所変えろとか何か喚
(わめ)いていらっしゃるうちに、この事象になってしまった」
 

6 :
 〈事象とは2号機の格納容器の圧力抑制室の圧力計が下がり、4号機の原子炉建屋が爆発したこと〉
 −−テレビ会議の向こうでやっているうちに
 吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回
、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」
 −−細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)
 吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけ
ども、関係ない人間はさせますからといっただけです」
 −−15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる
 吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は
運転手に福島第2に行けという指示をしたんです。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避
して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないなと。2Fに着いた
あと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」
  −−所長の頭の中では1F(第1原発)周辺でと
 吉田氏「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりでいったんですが、考えてみればみんな
全面マスクしているわけです。何時間も退避していて死んでしまう。よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに
正しい」
 −−退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと
 吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか
知らないですけども、現場は逃げていないだろう。それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相
が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも
言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の
人間を退避させることは考えていると言った」
 −−本店から逃げろというような話は
 吉田氏「全くない」
 −−「撤退」という言葉は使ったか
 吉田氏「使いません、『撤退』なんて」
 −−使わないですね
 吉田氏「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけ
がないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言い
たいです」
 −−政治家ではそういう話になってしまっている
 吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」

 

7 :
 −−ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)
 吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって
事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。
事故調としてクレームつけないといけないんではないか」
 〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い
口調だが」と発言した〉
 −−この事故調を自分(菅氏)が作っている
 吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎
と言いたいですけども。議事録に書いておいて」(肩書は当時)

8 :
ヒーローが一転「逃げ出す作業員」「恥ずべき物語」に 朝日報道、各国で引用
2014.8.18 15:32 [東日本大震災]
 外国の有力メディアは、「吉田調書」に関する朝日新聞の記事を引用し、相次いで報道した。韓国のセウォル
号事故と同一視する報道もあり、「有事に逃げ出した作業員」という印象が植え付けられている。
 米紙ニューヨーク・タイムズ(いずれも電子版)は5月20日、「パニックになった作業員が福島第1原発から
逃げ出した」と報じた。「朝日新聞によると」という形で、記事では第1原発所員の第2原発への退避を「命令
違反」だと報じている。
 英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼ばれたわずかな“戦闘員
”が原発に残り、ヒーローとして称えられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃
げたのだ」と記した。
 オーストラリアの有力紙オーストラリアンも「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた」と見出しにした上で、
「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ず
べき物語が明らかになった」と報じた。
 韓国紙・国民日報は「現場責任者の命令を破って脱出したという主張が提起されて、日本版の“セウォル号
事件”として注目されている」と報道。韓国で4月に起きた旅客船沈没事故で、船長が真っ先に逃げたことと
同一視している。

9 :
問題なしと判断してマスコミにリークした張本人は誰だ?
考えなくてもわかるだろうがバカタレが。

10 :
第2への退避、吉田氏「正しかった」 元所員「命令違反ではない」本紙に証言
2014.8.18 16:00 [放射能漏れ]
 17日に判明した政府事故調の「吉田調書」。その文面から、東京電力福島第1原発にいた所員らの9割が
10キロ南の福島第2原発に一時退避したことを、吉田昌郎所長(当時、25年7月9日死去)が「正しかった」
と認識していたことが分かる。朝日新聞は5月20日付朝刊で、吉田調書に基づき「所員らは吉田氏の待機
命令に違反し、第2原発へ撤退」と報じたが、第1原発の複数の元所員は産経新聞の取材に「命令違反では
ない」と明言する。吉田調書と関係者の証言から経緯を追った。(原子力取材班)
 第1原発所員の第2原発へ退避したのは、東日本大震災4日後の平成23年3月15日午前7時ごろ。第1は
最大の危機を迎えていた。
 前日の14日夜には、第1原発2号機への注水に使っていた消防車が燃料切れで動かなくなったことで、原
子炉格納容器が壊れ、多数の所員に危害が生じることが懸念された。
 テレビ会議映像では、当時東電本店(東京都千代田区)にいた幹部が14日午後8時16分ごろ、「1F(福島
第1)にいる人たちみんな2F(福島第2)に避難するんですよね」と発言。緊急時対策室を第2へ移す検討を始
めていたことが分かっている。
 
 15日午前5時半ごろには、菅直人首相(当時)が東電本店を訪れ、「撤退したら東電は100%つぶれる。
逃げてみたって逃げ切れないぞ」と絶叫した。このとき、テレビ会議映像を見た元所員は「誰が逃げるものか」
と反発を覚えたと振り返る。
 午前6時14分ごろ、2号機の方向から爆発のような音が聞こえ、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになった
という報告が入った。格納容器破壊の懸念が現実味を帯び、複数の元所員によると、吉田氏は「各班は最少
人数を残して退避」と命じ、班長に残る人員を決めるように指示、約650人が第2原発へ退避した。
 調書によると、吉田氏は「本当は2Fに行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、所内にかかわらず
線量の低いような所に1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」と命令の行き違いがあったこと
を示唆している。朝日新聞は、吉田氏のこの発言などから「命令違反」と報じたとみられる。
 しかし、調書で吉田氏は「考えてみればみんな全面マスクをしているわけです。(第1原発で)何時間も退避
していたら死んでしまうよねとなって、2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と、全面マスクを外して休息で
きる第2原発への退避が適切だったとの認識を示している。菅氏らが「第1原発からの撤退」との疑心暗鬼に
とらわれていたことを問われると、吉田氏は「現実として逃げていない」と否定した。
 当時、現場にいた複数の元所員も産経新聞の取材に「命令違反」を否定した。40代の元所員は「第1原発
では乾パンや水しかなく環境は日に日に悪化しており、第1のどこかに待機するというのはありえない」と語る。
吉田氏の命令は第2への退避と受け止めたという。
 別の中堅元所員も「第1原発にいた所員は、退避するなら第2へという共通認識があった。それが吉田氏の
命令違反であるはずがない」と証言した。
 当時、第1原発にとどまったのは吉田氏ら69人。15日昼ごろには第2に退避していた多数の人が戻った。
 吉田氏と一緒に現場にとどまったベテランの元所員は「(第1に)残りたいという人ばかりだった。第2までの
道は崖崩れの危険があったから、退避した人から『第2に無事に到着した』という連絡があったときには、第1
に残った人は『ああよかった』とお互いに喜び合った」と語る。
 別の東電関係者も「当時自家用車で第2へ退避した人も多く、逃げるのであればそのまま避難所にいる家族
のもとに行っているはずだ。しかし、彼らは第1へ戻ってきた」と話した。

11 :
「日本有数の技術屋だ」 現場作業員の奮闘ぶり、吉田氏高く評価
2014.8.18 17:03 [福島第1事故「吉田調書」]
 「吉田調書」では、吉田昌郎氏が現場の作業員について、「日本有数の技術屋」「(危険な)現場に(自ら
率先して)行こうとすることに本当に感動した」と、高く評価する言葉を述べていた。調書からは「フクシマ・フ
ィフティーズ(福島の50人)」と世界が称賛した勇敢な姿だけでなく、現場の作業員の有事での工夫と判断力
で事故の被害を最小限に抑えられたことが浮かび上がる。
 平成23年3月11日に全交流電源喪失後、2号機では原子炉隔離時冷却系(RCIC)が動いているか確認
できない状況が続いていた。12日午前2時55分にRCICの運転を確認したが、バッテリーが8時間しか持た
ないことから、電源の選別が迫られた。
 この時の状況について、吉田氏は「不要な負荷を全部切ったのは現場の判断。私がそこまで言っていない。
私はそこまで分からないというか、逆によくやってくれたなと思っている」と語り、現場が瞬時に状況判断した
ことを評価した。
 また、バッテリーが足らない時には「うちの連中は、車のバッテリーを外したり、ものすごい知恵を働かせて
やれることを全部やった」とも語った。
 
 さらに、事故直後に専門技能を持つ協力企業もいないなかで、ケーブルや給水ラインの調達、接続ができた
ことについても言及。「口幅ったいようだが、ここの発電所の発電員、補修員は優秀だ。今までトラブルも経験
し、肌身で作業してきた経験があるから、これだけのことができたと思う」と評価した。
 そのうえで、「私が指揮官として合格だったかどうか、私は全然できませんけども、部下たちはそういう意味
では、日本で有数の手が動く技術屋だった」と絶賛した。
 3号機爆発直後は、高線量のがれき撤去や注水のためのホース交換をしなければならず、作業員を危険な
現場に送り出さざるを得なかった。吉田氏は「注水の準備に即応してくれと、頭を下げて頼んだ。本当に感動
したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危険を顧みずに職務を全うしようとする姿をたたえた。

12 :
海水注入、事故直後から指示 現場判断「停止なんて毛頭考えていなかった」
2014.8.19 08:28 [福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長が、事故直後の早い段階から原子炉を冷やすために
海水注入を指示していたことが、政府の事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」で分かった。
海水注入の検討の際には、現場と東電本店(東京都千代田区)など外部とつないでいたテレビ会議の音声を
遮断していたことも判明。海水注入は塩分が炉を傷め、廃炉につながるため躊躇(ちゅうちょ)していたと批判
されたが、現場では廃炉を前提に注水を検討していた。
 国会事故調査報告書など公表資料によると、海水注入の指示は、平成23年3月12日午後2時54分とされ
ている。その1分前には注水していた淡水が枯渇した。
 吉田調書によると、吉田氏は「指示はもっと早い時点にしている」と強調。時間は明確ではないが「冷やすの
に無限大にあるのは海水しかないから、もう入れるしかなかった」とし、12日午前中の淡水注入の段階から
検討していたという。
 さらに吉田氏は海水注入を東電本店と相談しなかったことにも言及。「別にいちいち言う必要はない」として、
テレビ会議の音声を遮断していたという。
 テレビ会議の公開映像によると、吉田氏が1号機への海水注入の翌日となる3月13日、2号機の原子炉を
冷却するための海水注入の準備を報告。その際、東電本店の社員が「いかにももったいないなという感じが
する」と話し、塩分で腐食し廃炉になることを本店側が恐れた場面がある。
 しかし吉田氏は聴取の中で機器への損傷を問われると「燃料が損傷している段階でこの炉はもうだめだと。
再使用なんて一切考えていなかった」と廃炉が前提だったと証言している。
 海水注入をめぐっては12日夜、首相官邸側からの中止要請を無視し、吉田氏が運転員に中止しないよう耳
打ちし注入継続を指示していたことが明らかになっている。このことについて吉田氏は「注水を停止するなんて
毛頭考えていなかった。いつ再開できるか担保のないような指示には従えないので私の判断でやる」と述べた。
(「吉田調書」取材班)

13 :
海水注入「テレビ会議、音声切った」「うるさい、黙っていろ、と」
2014.8.19 11:01[福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田
調書」。2回目は、原発への海水注入に関する吉田氏の証言をまとめた。
 〈全交流電源を喪失した福島第1原発では、東日本大震災翌日の平成23年3月12日午後、炉心の状態
が分からなくなってきた〉
 −−水位計がおかしかったと
 吉田氏「間違いなくおかしかった。そこを信用し過ぎていたという所については大反省です」
 −−水位計が信用できないと思い始めたのはいつか
 吉田氏「水位計そのものよりも放射線量が上がっているのがおかしいと。普通に冷却が効いていれば、水位
はあって線量が上がることはないわけですね。想像からすると、燃料損傷に至る可能性はあるなと」
 〈燃料を冷やす淡水が尽き始める。通常は水につかっている燃料が露出すれば炉心溶融(メルトダウン)に至
り、放射性物質が拡散する。現場では、苦肉の策として海水を投入する準備が始められた〉
 −−最初の海水注入の指示は3月12日午後2時54分か
 吉田氏「書いてあるものとしては最初になるが、この日の午後から海水注入をする準備をしておきなさいと
いうことは言っております。3号機の逆洗弁ピット(くぼ地)に津波の時の海水が残っている。かなりの量が
あるというのを聞いて、そこから取るしかない。注水しようと最終決定したのが午後2時54分で、もともとの
検討はその前にやっている」
 −−海水注入はテレビ会議を通じて東電本店の人と話し合ったのか
 吉田氏「誰かに聞いたと言うより、淡水をいつまでやっていても間に合わない。だから海水を入れるしかない
と腹を決めていましたので、会議で言ったかどうかは別にして消防班に海水を入れるにはどうすればいいのか
と検討させた」
 −−本店は把握していたのか
 吉田氏「細かい状況については報告していなかったですね。(テレビ会議の)音声切っていますよ」
 −−切れるんですか
 吉田氏「切れる。図面を持ってきて、ポンプ何台か、消防車何台あるんだと検討している。それなら別にいち
いち言う必要はないわけで。本店に言ったって、逆洗弁ピットに海水がたまっているなんていう情報は100万
年経ったって出てきませんから、現場で探すしかないわけですね」
 −−炉の中に海水を入れる経験は聞いたことがあったか
 吉田氏「世界中でそんなことをしたことは1回もありません。ないけれども、淡水が有限で、冷やすのに無限大
にあるのは海水しかないですから、もう入れるしかない」
 −−海水を入れると機器が全部使えなくなるからお金がかかるとは思わなかったか
 吉田氏「全くなかったです。もう燃料が損傷している段階でこの炉はもうだめだと。再使用なんて一切考えて
いなかったですね」
 〈12日午後3時半に海水注入の準備が完了したが、その6分後、1号機が水素爆発したため中断。再び準
備が整ったため、午後7時4分に海水注入を開始した〉

14 :
  −−海水注入開始はこの時間でいいのか
 吉田氏「いろいろと取り沙汰されているが、注入した直後に官邸にいる武黒(一郎・東京電力フェロー)から
電話がありまして、官邸では海水注入は了解していないと。だから海水注入は停止しろという指示でした。
本店と話をして、やむを得ないというような判断で止めるかと。うちはそんなことは全く思っていなくて試験注入
の開始という位置づけです」
 「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから、いつ再開できるか担保のない
ような指示には従えないので私の判断でやると。担当している防災班長には、中止命令はするけれども、絶対
に中止してはだめだという指示をして、それで本店には中止したという報告をしたということです」
 −−海水注入は所長に与えられた権限と考えるのか
 吉田氏「マニュアルもありませんから、極端なことを言えば、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断で
やる話だと考えておりました」
 −−それを止めろというのは雑音だと考えるのか。本店との話し合いは
 吉田氏「何だかんだいうのは、全部雑音です。本店の問い合わせが多いんです。サポートではないんですよ。
途中で頭にきて、うるさい、黙っていろと、何回も言った覚えがあります」(肩書は当時)

15 :
地震後も安全機能維持 「機器損傷、全くなかった」
2014.8.20 08:10[福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長が、東日本大震災の直後から津波が襲来するまで
の約50分間に主要な機器に損傷がないことを確認していたことが、政府の事故調査・検証委員会の聴取に
答えた「吉田調書」で明らかになった。機器が地震で壊れたのか、津波で損傷したのかは見解が分かれて
おり、耐震設計の見直しの点で大きな争点になっていた。
 東日本大震災は平成23年3月11日午後2時46分に発生。運転中だった1〜3号機はすべて緊急停止する
とともに、非常用発電機が起動し、炉心の冷却が始まった。しかしその後に原発を襲った津波で同3時42分
、全交流電源を喪失。炉心冷却ができず燃料溶融(メルトダウン)を招き、大量の放射性物質が漏洩(ろうえい)
するなど重大事故につながった。
 吉田調書によると、吉田氏は地震発生後に各中央制御室に異常確認の指示をした上で、当直長から異常
がないとの報告を受けた。吉田氏は「私の感覚としては、ス クラム(原発の自動停止)した後、いろんなパラメ
ーター(数値)がとりあえず異常なかった」と話している。
 さらに、配管からの水漏れなど平時と異なる事象があったかどうかについて問われた際にも、「基本的には
なかった。水漏れとか機器の損傷とか、私は全く聞いておりません」とし、異常があれば警報が鳴るが、それ
もなかったとしている。
 国会が設立した事故調査委員会は「事故の主因を津波のみに限定すべきでない」として、機器の地震によ
る損傷の可能性に言及した報告書をまとめている。特に、1号機にあった非常用復水器(IC)の地震による影
響を指摘していた。ICは原子炉内の蒸気を冷やして水に戻す重要な装置で、震災後から機能せず、燃料溶融
を招いたとされる。
 しかし吉田氏は地震直後の確認で、「ICが動いているということで、とりあえずプラントは一定の安全は保た
れているという安心感はあった」と強調している。 (「吉田調書」取材班)

16 :
津波襲来、全電源喪失「はっきり言って、まいった」「絶望していた」
2014.8.20 11:24 [福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田
調書」。3回目は、原発に津波が襲来した時の吉田氏の証言をまとめた。
 〈東日本大震災が発生した平成23年3月11日、運転中の1〜3号機が緊急停止した。地震の約50分後、
約15メートルの津波が襲い、全交流電源喪失状態に陥った〉
 吉田氏「これははっきり言って、まいってしまっていたんですね。もう大変なことになったと」
 −−大変さの程度だが、具体的にどういうことをされたのか
 吉田氏「具体的な運転操作は、運転員の方がプロだから任せているんです。箸の上げ下ろしでこうやれ、
ああやれということではない。対外的な連絡だとか、状況把握をするということがメーンだったと思います。
地震があってみんな気持ちがこうなっている(動揺している)んで、落ち着いてやれとそれは言いました。余震
があるかもしれないから、その注意はちゃんとしておけと」
 −−非常用電源が使えないことで、次にどういう対応を取ろうと考えたのか
 吉田氏「絶望していました。全部の炉心冷却が止まって、バッテリーが止まった後、どうやって冷却するのか
というのは自分で考えても、これというのがないんですね」
■みんな愕然という感じ

 −−緊急対策本部の雰囲気はどうだったか
 吉田氏「どちらかというと、みんな愕然(がくぜん)という感じで声が上がらないんですね。少なくとも技術屋
の中では、大変なことになったという共通認識があったと思います」
 〈地震で外部電源は断たれたものの、原発の設備や機器に重要な損傷はあったのか、事故後大きな争点なった〉
 −−津波が来るまでの50分間にどれだけ分かったのか知りたい
 吉田氏「スクラム(原発の自動停止)した後、いろんなパラメーター(数値)がとりあえず異常ないかと。各中央
制御室に確認しています」
 −−例えば、配管から水漏れが生じているとか、何か白煙が上がっているとか、平時と異なる事象がプラン
ト内で生じているという情報は津波の前の段階であったのか
 吉田氏「基本的にはなかった。水漏れとか機器の損傷とか、私は全く聞いておりません」
 −−地震後津波までに、人の生命、身体の安否の確認は
 吉田氏「グループ異常なしとか、全員いましたとかいう報告が随時上がってきています。プラント(原発)を
運転している人たちは逃げられないから、各中央制御室で人員を把握して報告するというのが次々と入ってきました」
 −−主要な機器を扱っている人は逃げてはいけないのか
 吉田氏「運転員は基本的には中央制御室から離れてはいけない。建物が壊れてもというのは極端な話なん
ですけれども、基本的には」

17 :
■非常用電源が動き安心
 −−運転している原子炉について、冷温停止に向けて危機感はあったか
 吉田氏「すごく強く持っていました。非常用電源が動いたので、ほっとしたんですね。こんな大津波が来るとは
思っていないんですけれども、当然地震によって津波が来る可能性はある。海水系ポンプが引き波で使えなく
なるのが怖いんですけれども、とりあえずプラントは一定の安全は保たれているという安心感はあったんですが」
 −−津波が来るということに対して、かなり時間的に切迫していると思うが、何か対策として講じたことは
 吉田氏「津波の対応というのは結局、事前に手が打てるかというと、この時間で手を打てるものが全くない。
津波が来ることを想定して、これから操作をしないといけないぞということだけです」

18 :
1号機爆発「短時間のドンという振動」「どう生かすかが一番重要だ」
2014.8.21 13:37 )[福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田
調書」。4回目は、1号機が爆発したときの吉田氏の証言をまとめた。
■想定していなかった
 〈1号機は平成23年3月12日午後3時36分、水素爆発を起こし、原子炉建屋上部が大きく損壊した〉
 −−どのように爆発を把握したのか
 吉田氏「爆発については全然想定していなかった。免震重要棟にいたが、1号機は全然見えないんですね。
線量が高いから外に出られないような状態で、誰も外に行って見ていない。その時に下から突き上げるような
、非常に短時間のドンという振動がありましたから、また地震だという認識でおりました」
 「現場から帰ってきた人間から情報が入ってきて、原子炉建屋の一番上が柱だけになっているという情報が
入ってきて、何だそれはと。その後、けがした人間も帰ってきて。最初は原因が分からないという状況でやって
いました」
 −−爆発する前、炉心の状態はどのようなものだったか
 吉田氏「格納容器の圧力が上がっていたわけだから、ベント(排気)しようということで操作したわけですよ。
バルブを開けても圧力バランスでベントできない。もう1つは注水。この2本に絞って作業を傾注していた」
 −−水素が発生しているという認識は持っていたのか
 吉田氏「持っていました。ただし、格納容器の中にとどまっているので、まずは容器の圧力を下げないといけ
ない。加圧している原因が水素であり、これをベントで逃してやらないと」
 −−周辺では放射線量が相当上昇して、格納容器の中からどんどん漏洩(ろうえい)したという可能性が高
かったのか
 吉田氏「高いですね」
■今思えばアホだけど
 −−水素爆発が意外だったというのは何か変ではないか
 吉田氏「格納容器の爆発をすごく気にしていたわけです。今から思えばアホなんですけど、水素が建屋に
たまるという思いがいたっていない。今回の大反省だと思っているけれども、思い込みがあって、あそこが
爆発すると思っていなかった。所長としては何とも言えないですけれども」
 −−徹底的に考えないと
 吉田氏「今回のものを設計にどう生かすかという所が一番重要だと思っている。これからこの国が原子力を
続けられるかどうか知りませんけれども、続けられるとすればそうですね」
 −−爆発で損傷状況はどうなのか
 吉田氏「作業をしていた人間が上がってきて、破片やがれきなどいろんなものが飛び散ってきていますと。
電源車が使えなくなったという話もきて、消防車も注水が一時できないような状態になっている」

19 :
 −−作業員はいったん退避させているという状態か
 吉田氏「まずは安否確認です。とりあえず死んだ人がいないということでほっとしたが、一番近くにいたうちの
保全担当が爆風で腕を折って帰ってきたんですね。そいつにどうなっているんだという話を聞いたら、もう大変
ですよという話が入ってきた」
 「次のステップとして一番怖いのは格納容器が爆発するんじゃないかということになるが、データを見ていると
容器の圧力は爆発前後で大きく変わっていないわけです。格納容器は健全だったということなので、要するに
可燃源はもうなくなっている可能性が高いと判断して、水を入れに行かないとどうしようもないので、人をどうする
かという判断が一番悩ましかった」
 −−電源車も使えない状態だったのか
 吉田氏「新たな電源車をよそから注文して。これから先、山ほどいるでしょうから、手当たり次第送ってこいと
注文はずっとしていた」

20 :
ベント躊躇せず「大臣命令で開くもんじゃない」
2014.8.22 09:58 [福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。5回目は、
原子炉格納容器の圧力を下げるベント(排気)に関する証言をまとめた。
■一番遠いのは官邸
 〈平成23年3月11日の東日本大震災の津波の影響で冷却機能を喪失した第1原発。格納容器の圧力が
最初に高まったのが1号機で、早い段階からベントに着手していた〉
 −−12日に日付が変わる頃に、1号機のドライウェル(格納容器上部)圧力が600キロパスカルということで
、格納容器内の方に圧力容器から放射能が漏れているんではないかという懸念が考えられた
 吉田氏「600キロパスカルだとすると、漏れているとしか考えられない」
 −−そういう認識に至り、その次の対応として格納容器ベントを実施する可能性があることから準備を進める
よう指示しているが、(圧力抑制室の水を通す)ウエットウェルベントということか
 吉田氏「この時点では手順に従ってということなので、まずウエットウェルベントをして、それで下がらなかった
ら、最後は(水を通さない)ドライウェルベントをしなければいけない。こういうことを全部指示している」
 −−手順書では中央操作室のスイッチで弁が開けるが、今回はそれができない
 吉田氏「AO(空気駆動)弁のエアがない。もちろんMO(電動駆動)弁は駄目だと。手動でどうなんだというと
、線量が高いから入れないというような状況が入ってきて、そんなに大変なのかという認識がやっとでき上がる。
その辺が、また本店なり、東京に連絡しても伝わらない」
 −−すごい階層がある
 吉田氏「一番遠いのは官邸ですね。大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから。そんなもんじゃない」
 −−午前6時50分に(海江田万里)経済産業相が法令に基づくベントの実施命令を出した経緯は知っているか
 吉田氏「知りませんけれども、こちらでは頭に来て、こんなにはできないと言っているのに、何を言っているんだと。
実施命令出してできるんだったらやってみろと。極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから。
現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているということで東京電力に対する怒りがこの実施命令
になったかどうかは知りませんけれども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんということしかないんです」
■被曝覚悟で手動、腹を決める
 〈午前7時11分、ベント遅れにいらだつ菅直人首相が陸上自衛隊ヘリコプターで第1原発に到着。吉田氏ら
から説明を受けた後、午前8時4分には宮城県に向け飛び立った〉
 −−菅首相が第1原発に来て帰っていく上空をベントで(放射性物質を含む気体を)どんどん吹かしていくの
はどうなのかということから、操作を遅らせたという判断は
 吉田氏「全くないですね。早くできるものはかけてしまってもいいんじゃないですかくらいですから。総理大臣
が飛んでいようが、何しようが、炉の安全を考えれば早くしたいというのが現場です」
 −−機材とか十分準備できていないし、線量も高いし、できるか分からないが作業を余儀なくされた
 吉田氏「被曝(ひばく)しますけれども、最後は手動でやるしかないというふうに腹を決めて、午前9時に(現場
へ)やってくれとお願いした」

21 :
 −−何かやろうと思っても何もできない状態なのに、下げろと言うんだったら、お前らやってみろと言うしかない
 吉田氏「現場はできる限りのことをやって、後がスムーズに行くようにと思っているんですけれども、なかなか
それが通じない。躊躇(ちゅうちょ)していると思われているんです。何も躊躇などはしていないですよ」(肩書は当時)

22 :
>>20
これ、大事なところだから、書き換えられてるとしか思えないな
>■被曝覚悟で手動、腹を決める
 〈午前7時11分、ベント遅れにいらだつ菅直人首相が陸上自衛隊ヘリコプターで第1原発に到着。吉田氏ら
から説明を受けた後、午前8時4分には宮城県に向け飛び立った〉
 −−菅首相が第1原発に来て帰っていく上空をベントで(放射性物質を含む気体を)どんどん吹かしていくの
はどうなのかということから、操作を遅らせたという判断は
 吉田氏「全くないですね。

矛盾だらけだわ。
議事録執らせなかったり、外交文書破棄とか平気でやってた民主党政権だけに、
吉田さんの証言をそのままにしておくとは考えにくい。何らか手が回ってると考える。

23 :
吉田さん…安良かにお眠りください 合掌

24 :
私は東京都武蔵野市から福岡に避難しました。
ひどい腰痛だった母は、避難してすぐに痛みが無くなった。
私の下痢も頭痛も不眠も無くなった。
東京の瓦礫焼却始まって知人は一家4人中3人心筋梗塞で突然死、
友人の会社の課の中で2人突然死。これは全て真実です。

25 :
単なる成人病の色合いも感じるね…生活を解剖してみたいね

26 :
【吉田調書抄録(6)】
3号機爆発 「死者出たなら腹切り死のうと」
2014.8.23 10:03 [福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた
「吉田調書」。6回目は、3号機が爆発したときの証言をまとめた。
 〈ヒアリングは平成23年3月14日の行動に移っている。14日は午前6時半ごろに3号機で原子炉圧力
が上昇し、爆発する可能性が高まっていた。危険と判断されたため約1時間、作業を中断、作業員は現場
から退避していた〉
 吉田氏「退避かけても2号機のラインを作ったりとか、放っておけないんでものすごく迷ったんです。作業
させるか、させないか、再開させるのかどうか。これは議事録には載ってませんけれど、このとき本店と
『いつまで退避させるんだ』という話があり、『爆発する可能性があって現場に人間をやれない』と私は言った
んです。ただ2号機の注水とかあるんで、どこかでやる必要があるという話をしました」
 〈作業を進めたい本店と作業員の安全を考え、再開に迷う吉田氏。安全だけを考え作業が滞れば、状況は
さらに悪化する。吉田氏はジレンマを抱えていた〉
 吉田氏「そろそろ現場をやってくれないかと話があり、『非常に危険だけれども現場でやらないと次の
ステップにいけないんでお願いします』と(作業員に)指示したと思います。圧力が落ち着いてきたから、急に
爆発することはない、との判断で現場に出したら爆発した」
 
 −−現場に行ってから爆発までどれぐらいの時間があったのか
 吉田氏「(再開の)『ゴー』かけて、よしじゃあという段取りにかかったぐらいで。自衛隊の方も行かれていて
準備したらすぐ『バーン』という感じだったと聞いています。最初、現場から『四十何人行方不明』という話が
入ってきた。私、そのとき死のうと思いました。四十何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思って
いました」
 〈情報が錯綜する中、多数の死者を出した責任を取ることを考えていた吉田氏。だが、徐々に情報が入り
行方不明者はいなくなっていった〉
 吉田氏「自衛隊は免震重要棟に寄らないで配備されたんで状況が入ってこなかったが、4人けがをされて
いて1人は結構深手だったと聞いています。皆さん命はとりとめ、不幸中の幸いです。がれきが吹っ飛んでく
る中で現場にいて、1人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えないんです」
 −−すごい映像ですものね。あの爆発。1号機と違いますね
 吉田氏「1号機は板だけですから、ポーンで終わりなんですが、3号機はコンクリートが飛んでますからね」
 −−爆発をしてからの対応ですが、作業は
 吉田氏「全部中止」
  −−現場から引き揚げることになるわけですね。次に再開するのが、どこかの時点でありますね。それは
どういう情報が入り、どう判断したのですか
 吉田氏「1号機の時と同じく爆発しているわけですから、注水ラインだとかいろんなラインが死んでしまっ
ている可能性が高い。1号機、3号機の注水も止まっている。それ以外の機器も止まっている。みんな茫然
としているのと、思考停止状態みたいになっているわけです」
 〈茫然自失の部下に指揮官は、どのように対応したのか〉
 吉田氏「そこで、全員集めて『こんな状態で作業を再開してこんな状態になって、私の判断が悪かった。
申し訳ない』と話をして、現時点で注水が止まっている、放っておくともっとひどい状態になる。現場はがれき
の山になっているはずだから、がれきの撤去、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだんです。
そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」

27 :
【吉田調書抄録(7)】
政府への不信 「腐った指示ばかりだった」
2014.8.24 17:30 [福島第1事故「吉田調書」]
 平成23年3月11日の東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた
「吉田調書」。7回目は、吉田氏と政府側とのやり取りに関する証言をまとめた。
 〈第1原発で事故が発生した場合、経済産業省原子力安全・保安院が福島県大熊町の緊急事態応急対策
拠点施設(オフサイトセンター)に関係者を緊急招集し、陣頭指揮にあたることになっていた〉
 −−保安院の保安検査官は(第1原発内の)保安院の事務所に通常詰めていますね
 吉田氏「はい」
 −−その人たちは一旦退避か何かでどこかへ行かれたんですね
 吉田氏「はい」
 −−それから、また戻ってくるんですね
 吉田氏「かなりたってからです」
 −−また戻ってきたのは大体どれくらいか
 吉田氏「よく覚えていないが、事象が起こったときは保安院の方もみんな逃げてきて、免震重要棟に入られ
た。それからオフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに出ていった。途中でオフサイトセンター
から保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られ
なかった」
 
 −−来なかったのか
 吉田氏「はい。私は記憶がないんだけれど、24時間駐在で来られるようになったのはもうちょっと後だと思います」
 −−保安院から所長に直接、今どういう状況かみたいな電話はないのか
 吉田氏「ないです」
 〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くためのブローアウトパネルの開放が検討された〉
 −−保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか
 吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発の
パネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけです
よ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いま
だにこのときのことはむかむか来ます」
 −−保安院の出先の事務所は
 吉田氏「このころはもういません。1人もいないです」

28 :
 〈菅直人首相ら官邸からも吉田氏に電話が入った〉
 −−菅首相との電話は
 吉田氏「菅さんとはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、
それは水蒸気爆発と違うのかというようなご質問をなさっていたのが1点ですね」
 「それから、菅さんの脇に日比野靖さんという(内閣官房)参与がいた。ごく初歩的な質問を菅さんがして、
私が説明をし始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さん
に代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、縷(る)々(る)ご説明をしたと」
 「もう1点は、警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話についてこう決めたけれども、所長はどう思うみたい
な話をしてきたんです。知りませんと。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと。現場の判断
ではないということは申し上げました」
 −−現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみたいな話になると、所長のところに電話
をするのが、東電の武黒一郎フェロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪志首相
補佐官だった。どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。官邸で首相以下の指示が
ぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかった
 
 吉田氏「勉強会だったんですね」
 −−いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではないと
 吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」(肩書は当時)

29 :
【吉田調書抄録(7)】
政府への不信 「腐った指示ばかりだった」
2014.8.24 17:30 ()[福島第1事故「吉田調書」]
 平成23年3月11日の東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた
「吉田調書」。7回目は、吉田氏と政府側とのやり取りに関する証言をまとめた。
 〈第1原発で事故が発生した場合、経済産業省原子力安全・保安院が福島県大熊町の緊急事態応急対策
拠点施設(オフサイトセンター)に関係者を緊急招集し、陣頭指揮にあたることになっていた〉
 −−保安院の保安検査官は(第1原発内の)保安院の事務所に通常詰めていますね
 吉田氏「はい」
 −−その人たちは一旦退避か何かでどこかへ行かれたんですね
 吉田氏「はい」
 −−それから、また戻ってくるんですね
 吉田氏「かなりたってからです」
 −−また戻ってきたのは大体どれくらいか
 吉田氏「よく覚えていないが、事象が起こったときは保安院の方もみんな逃げてきて、免震重要棟に入られた。
それからオフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに出ていった。途中でオフサイトセンターから保安
検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかった」
 −−来なかったのか
 吉田氏「はい。私は記憶がないんだけれど、24時間駐在で来られるようになったのはもうちょっと後だと思います」
 −−保安院から所長に直接、今どういう状況かみたいな電話はないのか
 吉田氏「ないです」
 〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くためのブローアウトパネルの開放が検討された〉
 −−保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか
 吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発の
パネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけですよ。
だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだに
このときのことはむかむか来ます」
 −−保安院の出先の事務所は
 吉田氏「このころはもういません。1人もいないです」
  −−菅首相との電話は
 吉田氏「菅さんとはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、
それは水蒸気爆発と違うのかというようなご質問をなさっていたのが1点ですね」
 「それから、菅さんの脇に日比野靖さんという(内閣官房)参与がいた。ごく初歩的な質問を菅さんがして、
私が説明をし始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さんに
代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、縷(る)々(る)ご説明をしたと」
 「もう1点は、警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話についてこう決めたけれども、所長はどう思う
みたいな話をしてきたんです。知りませんと。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと。
現場の判断ではないということは申し上げました」
 −−現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみたいな話になると、所長のところに
電話をするのが、東電の武黒一郎フェロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪
志首相補佐官だった。どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。官邸で首相以下
の指示がぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかった
 吉田氏「勉強会だったんですね」
 −−いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではないと
 吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」(肩書は当時)

30 :
【吉田調書抄録(8)】
注水活動「申し訳ないがすべて意味なかった」 ヘリ放水「セミの小便」
2014.8.25 09:06 ()[福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた
「吉田調書」。8回目は、自衛隊や警察、消防の注水活動に関する証言をまとめた。
 〈平成23年3月16日以降、3、4号機の燃料貯蔵プールに燃料を冷却する水があるかが課題となっていた。
プールの燃料は水位が下がればむき出しの状態となり被害は甚大となる。爆発で建屋上部が破壊されて
いたため、上部からの放水が検討されていた〉
 〈17日には陸上自衛隊のヘリを使って上空から4回、3号機燃料貯蔵プールへ約30トン放水され、警視庁
機動隊と自衛隊の高圧放水車も地上から放水した。19日には東京消防庁の消防車も放水を始めた〉
 −−ヘリによる放水は午前9時48分に開始とあります
 吉田氏「セミの小便みたいですね」
 −−所長は自衛隊とか警視庁などの人たちが来たときは、そこの責任者と事前に話をするとか、ありましたか
 吉田氏「ないです」
 −−彼らはどういう感じなんですか。
 吉田氏「各組織によって違うんです。自衛隊と消防庁、機動隊全部違うんです。指揮命令系統も各々違う。
自衛隊さんは自衛隊さんの上の方といろいろ調整して、何時に出動するとか言うんですけども、出動すると
いってもなかなか出動しないし、途中で引き返すし、何やっているんだという感じでした」
 −−何でそんな、あれだったのですか
 吉田氏「やはり線量の高い所に来るのは、はっきり言ってみんな嫌なんです」
 −−自衛隊によるヘリ、警視庁の高圧放水車、消防庁の注水とあって、この中でこれは良かった、
これは駄目だったというのはありますか
 吉田氏「機動隊さんのものは最初に来てもらったんだけれども、余り役に立たなかったんです。要するに効果がなかった」
 −−効果がないというのは
 吉田氏「水が入らなかったということです」
 −−自衛隊のものはどうでしたか
 吉田氏「はっきり言って今から申しますと、すべて意味がなかったです。注水量的に全部入ったとして10トン
とか20トンの世界ですから。燃料プールの表面積から考えて全部入ったとしても意味がない」
 −−消防庁のものは効いてないんですね
 吉田氏「全く効いていないです。だから、ヘリも効いてないし、自衛隊さんも申し訳ないけれども量的に効いて
いないし、消防庁も効いていないし、機動隊は全く効いていなかったと思います」
 〈自衛隊、警察、消防が懸命の思いで注水活動にあたったが、高圧放水車や消防車は用途が違うため難航した。
22日には新たにコンクリートポンプ車(通称・キリン)が導入され4号機で注水開始。27日にはキリンを3号機にも導入した〉
  −−(キリンなど)ああいうものはどうなんですか
 吉田氏「あれはいいです。あれが来て初めてちゃんと注水できたということです。筒先をプールの近くに持って
いって入れますから、ロスがほとんどなくて全部水が入るというのがキリン以降の話です」
 −−これは東電なり本店からそういう話があったのですか
 吉田氏「(自衛隊、警視庁、消防庁の)ピュッピュン作戦は、効いたとしてもずっと続けないといけない。連続注水できる
ということでコンクリート注入車が使えるのではないかというのが本店からあって、キリン部隊というのを本店で作ってくれ
たんです。その連中が動かし方などをマスターして、やってみたらそれなりに水が入るということで、自衛隊さん消防庁さん
のお世話にならずに済んだということです」

31 :
【原発事故】吉田元所長が退避した判断を証言「私は残りますし、当然操作する人間は残すけれども、関係ない人間は退避させます」-NHK★2
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1408938301/

32 :
>>1
朝日新聞社
「だが待ってほしい。
 吉田調書は非公開を前提で作成されているので、
 公開することには疑問があるのではないだろうか」

33 :
【吉田調書抄録(9)】
「これは誰が殺したんですか」地震・津波対策への思い 
2014.8.26 13:22  [福島第1事故「吉田調書」]
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた
「吉田調書」。9回目は、福島第1原発の地震・津波対策に関する吉田氏の証言をまとめた。
■関心高くなかった
 吉田氏「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原発の安全性だけでなくて、東日本大震災で
今回2万3千人が死にましたね(実際は死者・行方不明者合わせて約1万8500人)。これは誰が殺したん
ですか。(地震の規模を示す)マグニチュード9が来て死んでいるわけです。あの人たちが死なないような対策
をなぜそのときに打たなかったんだ」
 〈原発事故を防げなかったことに対し、吉田氏は聴取の中で何度も悔悟の念を吐露するとともに、地震・津波
被害を少なくできなかったのか、問題を投げかけている。吉田氏は平成19年4月、東電に新しく設けられた
原子力設備管理部の初代部長に就任し、地震・津波対策に傾注した経験があるからだ〉
 −−自然災害から原子力施設をどう守るかという備えなど過去の状況についてうかがいたい
 吉田氏「19年当時、あまり地震・津波に対して関心が高いということはなかったんです。会社全体としても
そうですし、世間全体としてもそうだったんです。一番大きかったのは(19年7月の)中越沖地震があって、想定
している地震動の何倍という地震がきた。これはまさに私どもの原子力設備管理部で対応しないといけなかった。
その中でまず、福島第1原発について、近辺の断層をもう一度調査するということを一生懸命したということです」
 −−それが19年7月ですね
 吉田氏「今まで考えていた地震動より大きい地震が来るとすると、例えば、建物や配管とか機器の補強をしなけれ
ばいけないということになりますから、そちらの解析を重点的にやりましょうと。20年の途中から、随伴事象としての
津波の話をきちっと評価していく必要があるという話が出てきたというのが私の記憶です」
 −−東電の土木グループが土木学会の先生方に話を聞く中で、福島で10メートルを超える津波の想定値が出てきた
 吉田氏「私の考え方からいうと、津波自体は、国とか地方自治体がどうするんですかという話とも絡んでくる
でしょう。東電だけがこれを対応してもしようがない。発電所を守るという意味では当然必要なんですけれども、
オールジャパンで、今の対策ではまずいという話をした記憶があります」
 −−初めて津波想定値を聞かれたときにどういう印象だったか
 吉田氏「それは、『うわあ』ですね。私が入社したときに、最大津波はチリ津波といわれていたわけですから。
高くて3メートルぐらい。10メートルというのはやはり非常に奇異に感じるというか、そんなのって来るの?と」
■対策費用が大事
 −−会社の方針はどうだったのか
 吉田氏「社内では、地震対策の会議を社長会という形で月1回の頻度でやっていた。その中で当然のこと
ながら一番重要なのはお金、対策費用が非常に大事なことだと。耐震補強工事にこのぐらいかかるとか、免震
重要棟を福島にも造らないといけないとか」
 −−最終的にどうやれるかという検討は
 吉田氏「今回の事故で津波は10メートルではなくて、15メートルも来てしまったわけですから、もともと10メー
トルの検討をしていても間に合わなかったと今は思っている。今回はあまりに津波が大きすぎて、ポンプ自体が
すっ飛んでしまうようなことを考えますと、また全然別の対策になるわけです。どういう津波なんだというところが
はっきりしないときに対策と言っても、議論は非常に難しいんです」

 

34 :
【吉田調書抄録(10)】
「死んだと思った」 チャイナシンドロームと「東日本壊滅」
2014.8.27 06:00
 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた
「吉田調書」。最終回は吉田氏らの緊張がピークに達した2号機をめぐる証言をまとめた。
■死んだと思った
 〈平成23年3月14日午後、福島第1原発1、3号機に続いて2号機が緊急事態に陥った。原子炉の冷却
機能が失われ、炉内圧力が上昇。炉内を冷却するために「原子炉主蒸気逃がし安全弁」(SR弁)を開いて
、圧力を下げて注水しようとしたが作業は進まなかった〉
 −−(14日の)16時30分くらいから減圧操作を開始したが、手間取った
 吉田氏「(現場からの報告では)バルブが開かないと」
 吉田氏「何せ焦っていたんで、早く減圧させろと。私自身、パニックになっていました」
 −−SR弁がなかなか開かないというところから、夜に行くぐらいのころ、退避なども検討しなければいけない
のではないかみたいな話というのは出ていた
 吉田氏「(略)廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、
水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで本当
に死んだと思ったんです」
 吉田氏「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部
出てしまう。その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくてチャイ
ナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう」
 〈炉内から冷却水がなくなれば、核燃料が溶け落ちるメルトダウン状態に陥る。さらに溶融した炉心が格納容器
の底に穴を開ける最悪の事態がメルトスルーだ。映画「チャイナシンドローム」は米国の原発事故でメルトスルー
した核燃料が地球の内部を溶かしながら進み裏側の中国にまで達するという設定。現実には起こらないとされる〉
 吉田氏「そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。ここから退避しないといけない。放射能は、今の
状況より現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず免震重要棟の近くにいる人間
の命に関わると思っていました。(中略)みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤(栄副社長)に言ったのかな。
ここは私が一番思い出したくないところです、はっきり言って」
 −−それは、SR弁がなかなか開かないからか
 吉田氏「開いたんです。(中略)SR弁が開いたにもかかわらず圧が落ちない。もう一つは(炉圧が下がったのに
)消防車の燃料がなくなって水を入れるというタイミングのときに入らない。そこでもまたがくっときて、これでもう
私はダメだと思ったんですよ。ここが一番死に時というかですね」
■燃料が全部外に
 −−14日の夜中の話か
 吉田氏「19時ぐらいからですかね。実際はですね」
 −−ようやく減圧した21時ごろにタイミング悪く消防車が燃料切れした
 吉田氏「そうです。(中略)水が入ったら逆に今度は水が加熱した燃料に触れますから、ふわっとフラッシュして
、それで圧力がぐっと上がってしまったという現象だと思っているんですけど、また水が入らなくなる」

35 :
 −−(深刻だったのは)3号機よりも2号機
 吉田氏「3号機は水を入れていましたでしょう。1号機も水を入れていましたでしょう。(2号機は)水が入らない
んですもの。水が入らなければただ溶けていくだけですから燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、何も
冷やさないと圧力容器の壁抜きますから、それから格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから、チャイナシンド
ロームになってしまうわけです。(中略)燃料が全部外に出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシ
ウムどころの話ではないわけですよ。放射性物質が全部出てしまうわけですからわれわれのイメージは東日本
壊滅ですよ」
 −−すぐに退避というふうになっていない
 吉田氏「水がやっと入ったんですよ。あとはずっと水を入れ続けるだけだということで、やっと助かったというタイ
ミングがあるんです」 (肩書は当時)
 
 

36 :
http://wc2014.2ch.sc/test/read.cgi/alone/1309266722/820
  ↑ ↑ ↑  ↑ ↑ ↑ 

37 :
ID:dExh1ELB あぼーん

38 :
【吉田調書】朝日の「命令違反・撤退」報道、吉田調書とズレ
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1409403926/
【吉田調書】 吉田調書以外も公開を 事故時の福山元官房副長官 [産経新聞]
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1409600478/
【吉田調書】菅直人氏、読売新聞に謝罪を要求 「“首相意向で海水注入中断”は誤報、私に謝罪すべき」★4
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1409640872/

39 :
吉田類なら知ってるんだが(^ム^)

40 :
朝日新聞、「吉田調書」報道の誤り認め謝罪 木村社長「改革の道筋つけた上で進退を判断」
2014.9.11 19:53 ()[朝日新聞「吉田調書」報道訂正会見]
 朝日新聞は11日、東京都中央区の本社で会見し、東京電力福島第1原発所長として事故対応にあたった
吉田昌郎氏=昨年7月死去=が政府事故調査・検証委員会の聞き取りに答えた「聴取結果書」(吉田調書)
に関し、「所長命令に違反、原発撤退」と報じた記事の誤りを認め、謝罪した。
 木村伊量社長は「調書を読み解く過程で評価を誤った」とし、「表現を取り消すとともに、読者のみなさまと
ともに、東電のみなさまに深くおわび申し上げます」と謝罪。報道部門の最高責任者である杉浦信之編集担当
取締役の職を解くとしたうえで、自らの進退については「編集部門の抜本的改革のおおよその道筋をつけた上
で、速やかに進退について判断する」と述べた。
 朝日新聞は吉田調書を入手したとして5月20日付朝刊で、「東日本大震災から4日後の平成23年3月15日
朝に、第1原発の所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ離れた福島第2原発へ
撤退した」と断じた。そのうえで、「東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」「葬られた命令
違反」と東電の対応を批判していた。
 この報道を受け、海外メディアが朝日新聞の記事を引用し、「恥ずべき物語」「セウォル号事故と同一」などと
一斉に報じた。
 しかし、吉田調書を入手した産経新聞が8月18日付けで「命令違反の撤退なし」と報道。政府は11日夕に
非公表だった吉田氏の聴取結果書をホームページで公表した。
 ▼内閣官房HPで公開済みの「吉田調書」へのリンク
・2011/7/22 事故時の状況とその対応について
・2011/7/29 事故時の状況とその対応について
・2011/8/8 2011/8/9 事故時の状況とその対応について 1
・2011/8/8 2011/8/9 事故時の状況とその対応について 2
・2011/8/8 2011/8/9 事故時の状況とその対応について 3
・2011/8/8 2011/8/9 事故時の状況とその対応について 4
・2011/8/8 2011/8/9 事故時の状況とその対応について(資料)
・2011/8/9 汚染水への対応について
・2011/10/13 高濃度汚染水の存在についての3月24日以前の想定について 4月4日統合本部会議における発言の趣旨・背景について
・2011/11/6 事故時の状況とその対応について
・2011/11/6 事故時の状況とその対応について
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140911/crm14091119530027-n1.htm

41 :
「当初から誤報と思っていた」 朝日報道に呆れる“福島フィフティー”「俺たちは原発に向かった」
2014.9.11 20:06 [放射能漏れ]
 「普通の人が逃げるところに俺たちは行ったんだよ? そんな連中が吉田昌郎所長の命令に違反して
逃げるわけがない。朝日新聞の報道は当初から誤報だと思って黙殺していた」
 福島第1原発の収束作業に従事し続けた東電協力会社の30代社員は、吉田調書の公開を受けて振り返る。
 2号機圧力抑制室の圧力がゼロになった後も原発に残った作業員約50人を海外メディアが「福島50」と報道。
その後収束に入った作業員もいつしか含まれるようになった。男性はその一人だ。
 平成23年3月11日の震災当日、原発近くの建設現場にいた。1号機が水素爆発した翌12日、上司から
「危ないらしい」と連絡を受けて関東地方の自宅に一端帰ったが、13日、その上司が「とにかく行ってくれ」と
原発に戻るよう要請。妻と2人の幼い子供を残し、北に向かった。
 「やんなきゃ、やんなきゃ、としか考えていなかった」。がれきをかきわけながら、外部電源を原発につなぐ
ための分電盤を運んだ。1時間の作業だけで、被(ひ)曝(ばく)線量は8ミリシーベルトを超えていた。
 無名でも、爆発が止められればいいと思ってきた。ただ、今年5月、朝日新聞が「所長命令に違反」と
報じたときは、東電社員のなかにも悔しがる人がいたという。
 「吉田さんは本当にいい人だった。朝日新聞がどう報じようが訂正しようが、俺たちの功績も変わらない」。
男性はいまも原発を離れることなく、除染作業の指揮に汗を流している。

42 :
「撤退」に吉田元所長「逃げてない」反論 政府、福島第1原発事故の調書19人分公開
2014.9.11 19:55
 政府は11日、東京電力福島第1原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の
状況を聞いた「聴取結果書(調書)」のうち、現場の指揮を執った吉田昌郎元所長=昨年7月死去=や
菅直人元首相ら計19人分を公開した。関係者を非公開で聴取した政府事故調の調書が公開されるの
は初めて。
 調書の中で吉田氏は、東電が第1原発から全面撤退すると当時の政権が解釈したことを「誰が逃げよう
としたのか」と強く否定。菅元首相は、自らが東電本店に乗り込んで「撤退はあり得ない」と演説したことに
より全面撤退を食い止めたとの認識を示し、意見が対立した形となっている。

43 :
【社会】朝日新聞社の木村伊量社長が辞意表明 従軍慰安婦問題と吉田調書の報道で誤りを認める★3
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1410439543/
東京電力福島第1原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が実施した
吉田昌郎元所長(故人)への聴取記録(吉田調書)に関する報道について、
朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は11日夜、東京都内の同社本社で記者会見し、
「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、
多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」と謝罪した。
そのうえで、木村社長は「編集部門を含む抜本改革などに道筋を付けたうえで、自らの進退を決断する」と述べ、
辞意を表明した。
木村社長はさらに、「杉浦信之取締役編集担当の職を解く」とも述べ、関係者を処分する方針も明らかにした。
朝日新聞社は5月20日付朝刊で、「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じていた。
木村社長は8月5日の朝刊で訂正した従軍慰安婦問題に関する報道にも言及。
「誤った記事を掲載し、訂正が遅きに失したことをおわびする」とも述べた。
木村社長は早稲田大を卒業後、1976年に朝日新聞社入社。
東京本社政治部長、同編集局長、取締役広告・企画事業担当を歴任し、
秋山耿太郎・前社長の退任に伴い2012年6月、社長に昇格した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140911-00000068-mai-soci

44 :
東電の社員の吉田昌郎は真実を語ったか? 原発の水素爆発の時、現場
に作業員は居たのか? 原発退避うんぬん・・・? あたかも「吉田調
書」のみが真実の如く報じられている。あくまでも、吉田昌郎は現場責
任者の東電の社員である。建屋が水素爆発しているにも関わらず犠牲者
は出ていない。単なる住宅の火災現場でも消防隊委員犠牲者が出る場合
もある。吉田調書のみ真実の如く論ずるのは危険です。慰安婦問題の第
二の吉田清治になりかねない。

45 :
昨日話題の「吉田調書デジタル版」、多数の隠蔽があるね。
例えば吉田氏の「補助冷却装置が造られていればこんな状況にはならなかった・・」という部分は削除されているよ。
第一次安倍政権下で安倍ちゃんが却下した補助冷却装置の重要問題を隠蔽ね。
自民党に都合の悪い部分はすべて削除してるよ。
https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/510205860111331328

46 :
阿比留瑠比の極言御免】
周囲も認める菅元首相の激高ぶり、朝日はなぜ擁護したのか
2014.9.18 08:27 (1/3ページ)[菅直人]
 政府が11日に公開した東京電力福島第1原発事故にかかわる政府事故調のヒアリング記録の中で、
現地対策本部長を務めた池田元久元経済産業副大臣の証言が注目を集めている。事故発生翌日の
平成23年3月12日早朝、現地を訪れた菅直人首相(当時)が、誰彼かまわず怒鳴り散らす様子が
活写されているからだ。
■「数少ない場面」?
「イラ菅にしても今日はひどすぎる」「大荒れでした」「大変な激高」…。
 これに対して菅氏自身は今月17日付の自身のブログで「怒鳴ったという意識はない」「全くの誤解だ」な
どと否定している。だが、池田氏が政府事故調に対してこう指摘している部分については触れていない。
 「非常に遺憾なのは、(菅氏が)打ち消しにかかって、あの日以外はほとんど冷静だったと朝日(新聞)の
記事で言わせたり」
 これを読み、かつて朝日の長期連載企画「プロメテウスの罠(わな)」に覚えた強烈な違和感を思い出した。
24年度新聞協会賞も受賞したこの名物連載記事は、菅氏の原発視察の場面(24年1月27日付)で次の
ように記していたからである。
 「このときの菅は憤りを隠さなかった。本人も否定しない」
 「3月11日以来、菅が感情をむき出しにした数少ない場面だった。しかしこのときのイメージが『怒鳴り散らす
菅』の印象を増幅させた」
 朝日は24年1月4日付の同連載記事でも「(事故発生3日後の)菅の口調は落ち着いていた」と描写してい
たが、震災発生後の菅氏が周囲に当たり散らし、怒鳴りまくっていたことは当時、首相周辺を取材していた
記者には当たり前の常識だった。首相秘書官からは直接、こんな話も聞いた。
 「菅さんがあまりに感情的に怒鳴りつけてくるので、秘書官同士で『きょうは何ミリ菅シーベルト被曝(ひばく)した』とか言い合っている」
 また、首相周辺の一人は夜回りの記者団に「いま菅さんから電話がかかってきたけど、『あうあうあう』と言うばかりで
何だか分からないから適当に切ったよ」と言い放った。
 こうした実態を日々うんざりするほど見聞していた身にとって、朝日の記事は不可解そのものだった。
■吉田氏「怒り狂う」
 朝日は菅氏が感情をむき出しにしたのは数少ないと強調し、菅氏は現在、朝日に対し認めたその数少ないという事例すら、
相手の受け止め方の問題へとすり替えようとしている。
 だが、第1原発元所長の吉田昌郎氏も政府事故調のヒアリングに対し、菅氏が東電本店に乗りこんで
「演説」した際のことをこう語っているではないか。
 「ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かった」
 「かなり態度悪く、怒り狂って喚(わめ)き散らしていた」
 
 朝日が取り消して謝罪した今年5月20日付の記事「所長命令に違反 原発撤退」からも、こうした吉田氏
が菅氏の激高ぶりを証言した部分は省かれていた。
 このときの《解説》記事は「事故の本質をつかむには一つひとつの場面を具体的な証言から再現・検証する
必要がある」と説く。ならばなぜ、現場に介入した菅氏に関する具体的な証言は割愛したのか。
 今月11日の朝日の記者会見でこの点を問うと、杉浦信之編集担当(当時)は「意図があったとは全く考えて
いない」と答えた。何か事情でもない限り、ああいう記事にはならないはずだが。(政治部編集委員)

47 :
【福島原発事故】「いま菅さんから電話がかかってきたけど、『あうあうあう』と言うばかりで何だか分からないから適当に切ったよ」
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1411064469/
 政府が11日に公開した東京電力福島第1原発事故にかかわる政府事故調のヒアリング記録の中で、
現地対策本部長を務めた池田元久元経済産業副大臣の証言が注目を集めている。
事故発生翌日の平成23年3月12日早朝、現地を訪れた菅直人首相(当時)が、
誰彼かまわず怒鳴り散らす様子が活写されているからだ。
 ◆「数少ない場面」?
 「イラ菅にしても今日はひどすぎる」「大荒れでした」「大変な激高」…。
 これに対して菅氏自身は今月17日付の自身のブログで「怒鳴ったという意識はない」「全くの誤解だ」
などと否定している。だが、池田氏が政府事故調に対してこう指摘している部分については触れていない。
 「非常に遺憾なのは、(菅氏が)打ち消しにかかって、あの日以外はほとんど冷静だったと
朝日(新聞)の記事で言わせたり」
 これを読み、かつて朝日の長期連載企画「プロメテウスの罠(わな)」に覚えた強烈な違和感を思い出した。
24年度新聞協会賞も受賞したこの名物連載記事は、菅氏の原発視察の場面(24年1月27日付)で
次のように記していたからである。
 「このときの菅は憤りを隠さなかった。本人も否定しない」
 「3月11日以来、菅が感情をむき出しにした数少ない場面だった。しかしこのときのイメージが
『怒鳴り散らす菅』の印象を増幅させた」
 朝日は24年1月4日付の同連載記事でも「(事故発生3日後の)菅の口調は落ち着いていた」
と描写していたが、震災発生後の菅氏が周囲に当たり散らし、怒鳴りまくっていたことは当時、
首相周辺を取材していた記者には当たり前の常識だった。首相秘書官からは直接、こんな話も聞いた。
 「菅さんがあまりに感情的に怒鳴りつけてくるので、秘書官同士で『きょうは何ミリ菅シーベルト被曝
(ひばく)した』とか言い合っている」
 また、首相周辺の一人は夜回りの記者団に「いま菅さんから電話がかかってきたけど、『あうあうあう』
と言うばかりで何だか分からないから適当に切ったよ」と言い放った。
 こうした実態を日々うんざりするほど見聞していた身にとって、朝日の記事は不可解そのものだった。

48 :
もう吉田が死んだ以上

吉田調書が本物か?

政府が書き換えていないのか?

そもそも吉田は本当の事を言っているのか?
考慮しないとな。
青山は吉田が全て正しいと勝手に思っているけど。

174 : タイガードライバー(dion軍)@転載は禁止:2014/09/18(木) 13:35:47.51 ID:iDe3NHrU0昨日話題の「吉田調書デジタル版」、多数の隠蔽があるね。
例えば吉田氏の「補助冷却装置が造られていればこんな状況にはならなかった・・」という部分は削除されているよ。
第一次安倍政権下で安倍ちゃんが却下した補助冷却装置の重要問題を隠蔽ね。
自民党に都合の悪い部分はすべて削除してるよ。
https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/510205860111331328

49 :
電源喪失〜11日午後9時頃 東電と斑目が緊急ベントを政府に助言

12日午前1時30分頃 政府がベントを了承(政府の公式記録なし)
ただし具体的な実施は会見(午前3時予定)まで待てとの条件付

菅総理 現地視察でカコイイ俺様アピールを思いつく

12日午前3時頃(当初のベント開始予定時間) 
 枝野の記者会見
  ・安全性は菅総理自ら把握しなければならない
  ・菅総理は専門的な素養をお持ちでございます
  ・原発の事態を把握するため菅総理自ら現地を訪ねる
 海江田の記者会見(結局ベント開始判断は菅に丸投げ)
  ・ベント開始時間は官邸に行って決めるから事後報告を待て
  http://www.meti.go.jp/speeches/data_ed/ed110312j.html

原子炉は設計限界をはるかに超えた高圧状態に

12日午前5時40分 菅の指示で避難区域を3→10kmに拡大(完了までベントできない)

12日午前6時50分 海江田のベント命令がやっと出る

12日午前7時 菅 原発にドヤ顔で到着(防護服を着けていない!!!)
http://link100.in/bakan_performance03.jpg

12日午前8時30分 菅 原発作業員を怒鳴り散らして視察終了

12日午前9時頃 避難完了を確認後、やっとベント弁開放に着手

被爆必至の手動ベント作業始まる(高温高圧のために難航)

ベントに成功するも直後に水素爆発

50 :
     /:::::::::::::::::::::`ヽ、
    /::::::::ィ''' ̄ ̄ミ:::::::::::`ヽ
    レ´      ミミ:::::::::::::\
   ,r' 。 ,,..==-   ヾ::::::::::::::::、
   i; ,,. l  (゚`> .  ヾr─、:::、
   |∨ヽ丶 '´、,,,__    '゙ )ュl:::l あう!あう!あう!あう!あう!
   '、:i(゚`ノ   、        |::|
    'lー''(.,_ハ-^\     ├':::l   
     \  />-ヽ    .::: ∨
      丶 (´,,ノ‐-   ..::::   l
       丶´  `..::.:::::::    ハ\
         \::::::::::::::::    / /三ミ\
          `ヽ::::    / /三三三三ミヽ、
          /|\::_/  /三三三〉三三三

51 :
【原発事故】菅直人氏「私が怒鳴ったというが、声が大きかったかどうかよりも、誰と何を話していたかが重要」
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1411134269/
原発事故当時、経産副大臣であった池田さんの調書を読んだ。特に最近のマスコミ報道では、3月12日早朝に
私がF1の現地視察したことについての池田さんの調書が引かれることが多いので、その点について述べる。
全体として、現地対策本部長として池田さんが大変な苦労をされたことが調書からよくわかる。
私に関する池田さんの証言も、本人の率直な感想や意見だ。
12日早朝の現地視察の時に私が怒鳴ったという表現が何度も出てくる。
しかし声が大きかったかどうかよりも、誰と何を話していたかが重要。
まずヘリを降りて、免震棟に向かうバスの中の状況について、池田さんは調書の4頁で次のように証言している。
「バスに乗り込んだら、私はバスの配置を決めておいて武藤さんと並んでもらったら、
いきなりそこで怒鳴りつけて、何が何だかわからない。とにかくベントだと思うのですが。」
この証言にある通り、ヘリを降りてバスに乗ると、東電の技術畑全体の責任者の武藤副社長が
隣の席に座ったので、なぜベントが遅れているのかという点を聞いたことは事実です。
もともと、東電本店から官邸に来ていた武黒フェローに聞いても分かりませんというので、
現場の責任者に会うことが必要と考えて現地に行ったのだから、東電全体の技術責任者が隣に座れば、
ベントについて聞くのは当然だ。
池田さんの調書の34から35ページでは武藤副社長のことを「武藤さんが(技術畑で)もっとも遠い
(偉いの間違いか?)人です。何を言っているのかさっぱりわからないですよ。(中略)普段の方針とかも
声は小さい」と池田さん自身述べている。
バスの中でも武藤さんの声がよく聞こえず、そのため私の声が大きくなっていたかもしれない。
池田さんは「怒鳴った」と表現していますが、私は重要なことを聞いたと思っている。
また池田調書の5ページで、「菅の態度については、大変遺憾だと思うのです。特に民間人に、
『一体なんのために俺がここに来たと思っているのだ』これは本当に呆れた」と述べられている。
この点フジテレビの取材でも説明したが、私が言った意味が誤解されたようだ。事実は次の通り。
バスを降りて免震棟に入ると「並んでください」と言われ、中で並んでいた人の列の後ろに並ばされた。
しばらく並んでいて、その列が外から帰ってきた作業員の被ばく線量を計るためだということが分かり、
「私は作業員ではなく、吉田所長に会いにきたのだ」という趣旨のことを言った。
この時の発言を池田さんは誤解したようだ。(以下省略)
「私が『怒鳴った』という池田調書を読む」 2014-09-19 菅直人オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11927007767.html

52 :
安倍の嘘が日本を滅ぼす厄病
疫病神
http://amd.c.yimg.jp/amd/20140921-00000113-jijp-000-2-view.jpg

http://pbs.twimg.com/media/Bh49al3CIAIZyJE.jpg
 http://pbs.twimg.com/media/BiC5QxWCIAEh_Xw.jpg
 http://pbs.twimg.com/media/Bhze9AMCQAAnEpY.jpg
1-4
Q(吉井英勝):海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか
A(安倍晋三):海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない
1-6
Q(吉井英勝):冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
1-7
Q(吉井英勝):冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
2-1
Q(吉井英勝):原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

責任  謝罪   一切なし

53 :
ID:MbEWNWbM あぼーん

54 :
http://love6.2ch.sc/test/read.cgi/book/1080920300/

55 :
「理不尽をただす」そうである
3度に及ぶ大反省会の末に掲げた、2013年都議選民主党マニフェストのスローガンだ
これで一体何を反省したというのか、呆れるばかりか憐れみすら禁じえない惨状である
何とかの考え休むに似たり、を無自覚に体現する様は与党時代から全く変わっていない
政治とは何か、を知らずに何度反省したところで政治家の適性を身に付ける事はできない
政治は理不尽でなければいけない
世の中は誰にとっても多かれ少なかれ理不尽なものである
ときには法的強制力を持って、国民がその理不尽を受け入れる手助けをする事こそが政治家という仕事なのだ
「困っている人」にお金を渡して「助けてあげたい」と望むのであれば、他の職業を選択するのが良いだろう

56 :
吉田氏がウソ?

57 :
test

58 :


59 :


60 :
test

61 :
。。

62 :


63 :
テスト

64 :
だーよし

65 :


66 :
いまさらだけど、原発は危ないな。

67 :
直ちに健康に影響を及ぼすものではございません

68 :
じわじわ人体を蝕む?

69 :
怖いわ((((;゜Д゜)))

70 :
健康被害そろそろ報道されても良いと思うんだが、どうなってる?
ここまで無いと怪しすぎるな、報道規制か?
影響が無かったの報道さえないとは・・・

71 :
トルコの村でチェルノブイリ事故翌年生れた17人全員白血病死
https://twitter.com/hopi_domingo/status/601352801097125889

他の国々のように、日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。
彼らは幻想の中に生きています。人々は、放射の影響で不必要に死んでいます。
ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne

何千もの鳥や魚が死んでいます。集中豪雨の結果です。その中には、放射能が含まれます。
magazines/rwhnd8/kxz1kf/ewe6t0

世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇しています。
magazines/j540f8/ahwpdf/i1c3bl

あらゆる種類の癌の増大もまた核放射能によるものです。
33116k/04zpzf/30g6fe

認知症の過程は放射能汚染によって加速します。
magazines/ljbue8/pnv97m/xchu67

マイトレーヤは、世界中の原子力発電所を直ちに閉鎖することを助言されます。
33116k/yitdsf/u198z0

マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。
magazines/ahjzfl-1/pzytyf/vk7zly

72 :
因果関係ガーとか言って
放射能とは無関係にされる

73 :
核兵器反対!

74 :
原発もいれたら、日本だって立派な核保有国
ですよね。

75 :
あぁ

76 :
test

77 :
おはようおまいら

78 :
放射能浴びたかい?

79 :
朝日新聞、取材せず捏造で書いた?|竹田恒泰チャンネル

80 :
浴びていません

81 :
ヒバク

82 :
直ちに健康に影響を及ぼすものではございません

83 :
心配しないで、長生きして下さい、

84 :
ありがとう

85 :
test

86 :


87 :


88 :


89 :


90 :


91 :


92 :
なんじゃこりゃ(笑)

93 :
吉田さん元気しとるかな

94 :
www

95 :
test

96 :
吉田ウケる

97 :
大爆笑

98 :


99 :


100 :



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