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【実践王子】本部朝基【琉球唐手】


1 :2014/03/01 〜 最終レス :2018/09/02
本部 朝基 もとぶ ちょうき
1870年5月5日(明治3年4月5日) - 1944年4月15日) 沖縄県出身の空手(旧称・唐手)家。
「琉球の名門本部家に生まれ、唐手の戦闘術、すなわち実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」
(『キング』大正14年9月号)[1] と評されたように、20代の頃から伝説的な強さを誇り、戦前「最強空手家」と称えられた空手の大家である。
日本傳流兵法本部拳法(本部流)の開祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA
本部朝基は、明治3年(1870年)、本部御殿の当主・本部按司朝真の三男として、首里赤平村(現・那覇市首里赤平町)に生まれた。
童名は「真三良(三郎)」、あだ名は、その身軽さから「本部御殿の猿御前(サーラーウメー)」、「本部の猿(サールー)」などと呼ばれた。
御殿とは王族が住む邸宅のことで、同時に王族の尊称でもあった。
本部御殿は尚質王(1629年 - 1668年)の第六王子、唐名・尚弘信、本部王子朝平(1655年 - 1687年)を元祖とする琉球王族であり、国王家の分家として、日本の宮家に相当する地位にあった。
また、本部御殿は、代々本部間切(現・本部町)を領する大名であり、琉球王国最大の名家の一つであった。
沖縄時代
本部朝基は幼い頃から武を好み、数えで12歳(満11歳)の時より、首里手の大家・糸洲安恒を唐手の家庭教師として招き、長兄・本部朝勇とともに師事した。
糸洲に師事した期間は7、8年だったと言われる。
成長するにつれて、首里手の大家・松村宗棍や佐久間親雲上らにも師事した。
また、泊手の大家・松茂良興作にも師事して、特に組手を教わった。
朝基は「武これ我、我これ武」というほど唐手の稽古に打ち込み、上記の諸大家以外にもおよそ名のある武人はすべて訪ねて教えを乞い、実際に立ち会い、唐手研究に没頭した。
本部家に訪問した武術家が帰る時には、玄関口で待ち伏せして「おじさん!手(空手)をしましょう!」と声をかけるほど手に熱中していた。

2 :
また兄、本部朝勇の学ぶ沖縄王家伝来の武術「御殿手」の稽古を良く盗み見をして叱責を受けていた (御殿手は琉球王族の長子のみが学ぶ事を許される一子相伝の武術であるため)
兄の朝勇も晩年は、朝基に御殿手の幾つかを教授していた。
朝基は唐手の稽古だけでは飽きたらず、当時の遊郭・辻町に出かけ、数々の掛け試し(一種の野試合)を行い、負けることを知らなかったと言われる。
型稽古を中心とする当時の唐手家の中では異色の存在で、一部の唐手家達からは顰蹙(ひんしゅく)もかったが、24, 5歳の頃にはその武名は3歳の童子すら知らない者はないと言われるほどになった。
朝基の唐手の特徴は、膨大な基本稽古と巻き藁突きで培った剛拳である。
後叙するロシア人ボクサー(巨漢であったが殆ど素人との説もある)を一撃で屠る拳打は沖縄本島での修行時代に、「シマ」(沖縄角力)の猛者と練習したところ倒され、負けてしまい以降、マワシをとった姿勢からでも、一本拳での寸当てが出来るほど鍛えこんだと言われる。
事実、写真でも証言でも「本部先生は、正拳と同じだけの力で一本拳の巻き藁稽古をしていた」と証言が多数ある。
後年、剛拳ばかりでは体に悪いと兄・朝勇が取手の稽古を教えると、練習相手の突き蹴りを、反射的に叩き落してしまい、攻撃したほうが苦痛でうずくまり練習にならないほどであった。
(本部御殿手の上原清吉も、「修行時代では本部先生との取手の練習が最も大変だった」と語っている)
掛け試しの実践などの異端性にもかかわらず、朝基が多くの大家に師事できたのは、旧王族という出自が関係していた言われる。廃藩置県後も、
沖縄県では独立・帰属問題を巡って開化党(改革派)と頑固党(保守派)が対立し、旧支配階層の一部には、清国へ亡命して独立支援を訴えるなど不穏な動きがあった。
このため、明治政府は旧支配階層を優遇する旧慣温存策を実施した。
これによって、明治末期まで封建的雰囲気が続いたといわれる。
朝基が諸大家に師事できたのには、こうした当時の時代背景があった。
実戦を通じて組手の技を磨く一方で、朝基は同じ松村・糸洲門下で親友の屋部憲通と、長年、組手研究を行っていた。
何百という掛け試しの経験と、長年にわたる屋部との組手研究の成果は、後年、朝基の著書にその結晶として現れることになる。

3 :
本土時代
大正10年(1921年)頃、朝基は手がけた事業の失敗もあり、出稼ぎのため上阪することになる。
大正11年(1922年)11月、たまたま遊びに出かけていた京都で、ボクシング対柔道の興行試合を目にして飛び入りで参戦し、相手の外国人ボクサーを一撃のもとに倒す。
当時52歳であった。この試合の模様が、日本出版史上、初めて百万部を突破したといわれる国民的雑誌『キング』(講談社)に掲載されると、本部朝基の武名と沖縄県発祥の武術・唐手の存在は、一躍全国に知られることになった。
大正12年(1923年)には、兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)や御影警察署において、唐手試演を行った。
またこの頃、大阪市に唐手術普及会を結成した。
この会には、山田辰雄(日本拳法空手道)らが入門している。
大正15年(1926年)には、空手史上初となる組手に関する著書『沖縄拳法唐手術 組手編』を出版した。
この書で発表された12本の約束組手、いわゆる朝基十二本組手は、現存する最古の約束組手のシリーズであり、空手の組手は文献上これ以上遡ることはできない、貴重なものである。
昭和2年(1927年)、朝基は上京して唐手の指導に当たるようになった。
東京では、船越義珍の門弟でもあった小西康裕(後に神道自然流を開く)が中心となり、本部朝基後援会が結成された。
朝基は東洋大学の唐手部初代師範や鉄道省の唐手師範などを務めた。
昭和4年(1929年)には、同じく船越門下の大塚博紀(後に和道流を開く)が朝基のもとを訪れ、師事している。
大塚は後年、「ともかく本部さんは文句なく強い人という印象です」と述懐した。
また、この頃、東京小石川原町(現・文京区白山)に空手道場「大道館」を設立した。
ここには長嶺将真(松林流)も訪れて、朝基に師事している。

4 :
昭和7年(1932年)、朝基は二冊目の著書『私の唐手術』を出版した。
この書は、戦前少部数刷られ、戦後長らく行方不明であったが、近年発見されて復刻された。
朝基が得意としたナイファンチの全挙動写真とその分解が掲載されており、近年のナイファンチ再評価につながった。
またこの頃、東洋フェザー級チャンピオンだった不世出のボクサー・ピストン堀口が大道館を訪れた。
朝基は堀口に「遠慮無く掛かってきなさい」と言うと、ドテラを着たまま、堀口のパンチをすべて捌いてみせ、入身して堀口の眉間スレスレに拳を突いてみせた。
堀口は「駄目だ、全然歯が立たない、参りました」と一礼して、構えを解いた。
朝基はこの時六十歳を過ぎていた。
朝基はナイファンチを重視したため、この型しか知らないと揶揄されるほどであったが、実際には、ナイファンチの他にパッサイやセイサンなども教えていた。
また、糸洲安恒からピンアンの原型に当たるチャンナンを教わっている。
他に朝基は白熊という型を創作した(白熊がチャンナンとの説もある)。
大塚によれ]、本部はどの型の用法や分解を質問しても即座に答えることができたというので、実際には、一通りの型には精通していたと思われる。

5 :
晩年
昭和12年(1937年)、朝基は唐手調査のため一時帰郷した。
再び東京に戻ったが、昭和16年(1941年)、故郷に骨を埋めるべく帰った。
晩年になっても武術における研究心は衰えず意見が食い違えば即座に立会いを求め、実践に重きを置く姿勢は変わる事は無かった。
ある時祭りで子供達を集め、「手で勝ったほうにはこれをやるぞ」と言って砂糖菓子を出した。
これは子供達の手の打ち合いからでも学ぶものがあると見てのことであった。
これを聞き子供の親達が朝基に苦情を言いに来たが、朝基は「お前誰に言っているか分っているのか」と一喝したという逸話がある。
幾つになっても空手の研究と実践における機微の探求に熱心で、豪快な逸話が生涯多い武術家でもあった。
そして、昭和19年(1944年)4月、数え75歳で没した。
朝基は掛け試しの印象などから流布しているイメージとは違い、実際は温厚な人柄だったと言われている。
「本部さんは沖縄の大名出身ですから汪洋(おうよう)でしたね。
度量は大きいです」(大塚博紀)、「私は先生のような最高の師徳を備えられた師には、何の道でも、後にも先にも会ったことはない」(中田瑞彦)と、後に弟子たちは回想している。
朝基の弟子には、他に丸川謙二、中田瑞彦、高野玄十郎、東恩納寛、袖山豊作(神道自然流)、上島三之助(空真流)、宮平勝哉(小林流)、名嘉真朝増(小林流)らがいる。
本部朝基の空手は、嫡男・本部朝正が宗家をつとめる本部流をはじめ、朝基ゆかりの弟子達の流派にも脈々と受け継がれている。

著作
『沖縄拳法唐手術 組手編』唐手術普及会 大正15年
『私の唐手術』東京唐手普及会 昭和7年
『日本傳流兵法本部拳法』壮神社(復刻版)平成6年

6 :
本部朝基語録
01. すべては自然であり、変化である。
02. 構えは心の中にあって、外にはない。
03. 夫婦手は唐手の欠かすことの出来ない定めで、日常生活の中でも――例えば酒を注ぐとき、盃を持つとき箸を取るとき等々――
  拳法修業者はこの定めを守るようにし、夫婦手の定めを自ら身につけるようにしなければならない。
04. 一見しただけで、その者の当身の力がどれほどのものか、見分けるようにならねばならない。
05. 当身の力の乏しい相手の攻めはいちいち、受けなくともよい。一気に攻めるべきである。
06, 唐手は先手である。
07. ナイファンチの形の足腰の在り方が、唐手の基本である。
08. ナイファンチの形を左右、いずれかに捻ったものが実戦の足立で、ナイファンチの型は左右、いずれかに捻って考えた場合、
  いちいちの動作に含まれるいろいろな意味が判ってくる。
09. 受け手がすぐ攻め手に変化しなければならない。一方の手で受け、他方の手で攻めるというようなものは、真の武術ではない。
  さらに進めば、受けと攻めが同時に行われる技が本当の武術である。
10. 真の唐手に対しては、連続突きなどは出来ない。それは真の唐手で受けられたなら、相手の次の手は出ないからである。
11. 面白いもので、自分は座ったまま、心の中で形をやると、自然と汗をかくのである。
12. 自分の唐手には、猫足、前屈、後屈などという立ち方はない、いわゆる猫足などというものは武術の上で最も嫌う浮き足の一種で、体当たりを食えばいっぺんに吹っ飛んでしまう。
  前屈、後屈などというのも不自然な立ち方で、自由な脚の働き、動きを妨げる。自分の唐手の立ち方は、形の時も、組手の時も、ナイファンチのように軽く膝を落とした立ち方で、自由に運足し、
  攻防に際しては膝を締め腰を落とすが、前にも後ろにも体重をかけず、いつも体重は均等に両足にかける。
中田瑞彦「本部朝基先生・語録」昭和53年(1978年)、小沼保『琉球拳法空手術達人 本部朝基正伝』所収。全38語録の内、12語録を抜粋。

日本傳流兵法本部拳法
http://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95/

7 :
『武士猿』 沖縄空手の本質描く2009年5月31日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-145347-storytopic-6.html
最強の沖縄空手家・本部朝基(もとぶちょうき)(1870―1944)の半生を描いた武道小説だ。
2008年1月から10月まで、本紙夕刊で連載した。
連載開始にあたり、今野敏氏は「ナイチャーが沖縄の空手家の話を、しかも沖縄の新聞で連載するというのでかなり緊張しています。
でも、琉球の古流空手を通して培われた私の沖縄に対する愛情は誰にも負けないと自負しております」とコメントを寄せた。
連載当初は読者から「沖縄の方言や文化を違和感なく書いてくれるか」と懸念する声もあった。
しかし、回を重ねるごとに「明日の新聞が待ち遠しい」という激励の声が増え、連載終了後は「残念。なぜ終わるんだ」「気が抜けたようだ」と惜しむ声が多く寄せられた。
「ぜひ本に」という声も数多く、待望の出版といえる。
主人公の本部朝基は、本部御殿の三男として、那覇市首里に生まれた。
空手の大家・糸洲安恒に師事し「手(ティー)」の才能を開花させる。
修行のため行った野試合の「掛け試し」で不敗を誇り、その身軽さから「本部の猿(サールー)」とも呼ばれた。
闘う相手も個性輝く猛者ばかり。
北谷に伝わるクーシャンクーの使い手、棒の伊良波長春、女性ながらめっぽう強い運天ナビー…。
たまたま京都でボクシング対柔道の興行試合を見て、飛び入りで参加した朝基が相手のロシア人ボクサーを一撃で倒す様は圧巻だ。
薩摩藩に支配された琉球の悲哀を背景に、格闘技エンターテインメントとしても楽しめる。
作者の今野氏も沖縄の空手を30年近く続け、自ら「空手道今野塾」を主宰する武道家である。
「空手の本質は沖縄にしかない」といってはばからず、県内空手家との親交も深い。
空手を本土に広めた船越義珍を描いた前作の「義珍の拳(けん)」。
そして「武士猿(ブサーザールー)」。義珍と朝基。
対照的な沖縄空手のヒーローを描きながら、今野氏は沖縄空手への愛情を込めた。
楽しみながら空手の本質を知ることのできる本だ。
空手ファンだけでなく多くの人に読んでほしい。
(宜保靖・文化部)

8 :
ま、でも寸止めよりは強いってくらいだろう
動く打撃格闘技には全く通用せんでしょ
それは今の道場生見ればわかる
でももしかしたらこの人は本当に強かったかもね
何と言っても戦前の尚武の時代に名を上げてたのだから

9 :
甲野くん、青木くん、長野くんの三人が街を歩いていると、突然、正面からハゲマツが現れました。

みんな♪ダッシュで逃げましたとさ。

あははははははははははははははははははははは

10 :
本部朝基さんは型はナイハンチだけで十分だと言ったとか?

11 :
>>8
ボクサーには勝ってるな

12 :
ちょっとこの人について調べて見た
面白いね
ネットには余り情報ないんで、詳しい人居たら色々とお願いします
船越義珍さんが弱かったとか、寸止め志向とかも初めて知った

13 :
>>11
ボクサーもピンキリだからな

14 :
>>12
こんなのがあった。
見る分には面白い。
http://bujutsukarate.com/bujutsukarate6.htm

15 :
無理に船越氏を伝説化しようとしてる様な脚色で、すぐに見る気なくなりましたよ

16 :
だな。昔からの寸止めのやり方。
実証せずに言葉で煙に巻く。

17 :
本人が、達人だなんて主張してないんだからいいだろう
勝手に空手に夢見てるからそんなところにしか意識がいかないんだろうが
元々、護身術以上のものではないわ
バカはこれだから困る

18 :
てより昔良く大先生から聞いた
異種格闘技戦が始まった頃、空手屋は皆さん、ボクシングやキックのジムで練習
それじゃもう空手屋じゃないだろ?と思ってた
ある大先生曰く、そもそも空手と言うのは武器を持った相手に捨て身の一撃をかますために生まれた物で、
対人間の格闘ではない
奴隷の捨て身の技
なので、ルールがある対人競技で使える技などない、と
空手が育った経緯は若干違うとは思うが、ルールのある競技で使えないと言う事には皆さん納得していたな
懐かしい

19 :
宇城先生なら余裕で優勝!

20 :
ここ最近の沖縄空手ブームがあるけど何気に過去の沖縄空手の達人の中でも、
この人は最強の一人と言われてるんだよね。
そして、この人が起した流派の本部は埼玉にあってさらに全空連にも加盟している為に、
沖縄空手のファン達には人気がないと言うw

21 :
昔の実戦って、競技には使えないからね。仕方ない。

22 :
でも昔の武道空手が実戦で使えないと言う事が不思議
だって普通に殺し合いが行われてた訳で、もっと実践系に活かされた物があってもと思うが
競技に使えないばかりか今の顔あり空手屋と、路上でルールなしで戦っても負けるとは、あの時代で意義があったのか?
でも、その当時、本当に戦う場合は剣を使ったんだろうな
生きるか死ぬかで非合理な素手なんて物を選択する訳がない
平和ボケの発想でしたか、失礼

23 :
本当に戦う場合は夜に複数で待ち伏せして通りがかったところを
投網一発放り投げて長槍で足元をグサグサグサ、うずくまったところを
再度グサグサグサ。これが昔の必勝パターン。
本当に生きるか死ぬかの場合、一対一なんてしないし真正面からも戦わない。

24 :
その程度のことは、襲われる方も当然予測してるから
夜は出歩かないし、護衛もつけるし、そう簡単にいかないんじゃないの。

25 :
そう簡単にいかないから一対一だの素手対武器だのはありえんって言ってんのよ

26 :
寸止めの奴見てると、井の中の蛙が心地いいって奴が多い
他の格闘技とやったら負けるのに、自分の道場で天皇扱いされる訳で、その待遇がたまらなくてそこに居続けるって感じのがね
本部さんもそうだったのかもな
金持ちで苦労知らず
普通なら飯食うのに必死なのに、この人は喧嘩道楽
ってより、喧嘩でもないか。当てた事のない寸止め選手を少し殴り慣れてるってだけでボコボコにしてただけだもんな
あの外人ボクサーってのも詳細わからんからね
写真が船越つかってるくらいだから、もしかしたら作り話かも知れない
結局柔道や相撲にいい人材は多かったけど、空手には全く居なかった
なのでチビだけど少し力持ちの本部さんが最強と豪語出来た
船越さんも組み手出来ないし、当時の有名人の小西先生もそんな感じだよね(小西先生って強かったの?)
だから相撲や柔道だったら絶対に通じない大山某が空手界の兆児になれ、空手を超えた有名人になった訳だけど

27 :
まあでも功労者ではあるでしょ。キックボクシングみたいなこと始めた人も本部朝基の
弟子とからしいし。
本部朝基がダメなら、昔の達人は全部ダメなのは確か。型しかしてないし。

28 :
摩文仁と小西が剣道や野球の防具をつけて組手試合をしてる写真が残ってる
現在復刻版で手に入る摩文仁の著書の巻頭ページに白黒写真で小西と防具を着けて撮った写真。
組手をしてるまっ最中の写真の方は「摩文仁 防具」で画像検索でググれば出てくる。
糸東流では有名な話だが、防具をつけて安全に空手の組手が出来ないかと模索した時期があるんだ。
しかし結局防具をつけた組手の研究は頓挫してしまった。
空手の一撃必殺性が削がれるという懸念からとか
あるいは満足のいく防具が当時の技術では得られなかったからだとか
色々といわれているが。
実際は、まあ糸東流の人には悪いし摩文仁先生にも悪いが、ぶっちゃけた話
防具をつけた組手を練習に取り入れれば摩文仁先生自身の弱さがバレちゃうから
途中で取りやめたんだろうな。だって組手したことないんだし、そんな人間が防具をつけたところで
ロボコンパンチが関の山。20代前半の若く壮健な大学生の力任せな前蹴りに防具越しにふっ飛ばされたら
威厳もクソもあったもんじゃない。組手の経験があればそれをサバいたり受け止めたりも出来るんだろうけど
もともと組手の経験が無い人が防具という安全な状況下で殴り合いの実力が白昼の元に晒しだされることになれば
当然具合が悪くなるのでなんだかんだと理由をつけて防具の研究や導入を廃止にしたんだと思うわ。
別に摩文仁だけじゃなく他の唐手家達にも当てはまることだけどね。本部と屋部は当時としては珍しい殴り合いの経験してたから除外だけど。

29 :
若くて試合に強いから実戦で強いかはまた別じゃないか?
試合に強かった人達が戦地で真っ先に突っ込んでいって死にまくったとか
話聞いたことあるし。

30 :
試合に弱かったからといって実戦で強い保証はありませんし
試合に強いからといって実戦で弱くなる保証もありません

31 :
>>29
戦場は普段から目立つ人間が先に死んだり負傷したりするらしいな
職業野球の選手は戦場で必ず肩を痛めて戻って来た
遠投力を重宝されての手榴弾の投げ過ぎらしい
空手家なんて何の役にも立たなさそうだわ

32 :
>>31
意味不。
なら、君は野球選手にでもなって
役に立つために戦場にでも行けば?
あなたにとって役立つものなんて
きっとそれ以外見出せないでしょ。w

33 :
>この人が起した流派の本部は埼玉にあってさらに全空連にも加盟している為に、
>沖縄空手のファン達には人気がないと言うw
何だこの理論?
統合失調症が書いた文章みたいだな

34 :
本部って人は結局放蕩息子みたいな物なんか?
だとしたら面白いね
日本が小人物ばかりになったのは財閥がなくなり、本当の金持ちが居なくなった事にも一因があると思ってる
本当の金持ちが居たら、そのボンクラ共の中から、たまには目先の事だけでなく大局見れるのも出てくるのよ
それが数人居れば日本の親米や在日乗っ取りも防げたんだな
本部ってのからはそんな臭い感じるね
女遊びとかはしてたんだろうか?
だとしたらいいね
ホモとか言うオチはやめてね
戦後の佐村河内、マス大山も本部さんも時代が重なれば取り入ったんだろうか?
その愛弟子の山田さんとは懇意にしてたみたいだけど
マス大山が沖縄空手家の事とか著書に書いてたけど、この人の事も書いてたっけ?
あの当時は寸止めなんか眼中なかったんで読み飛ばしてた
初代佐村河内のマス大山さんは、とにかく船越翁の事ばかり出してた記憶はあるよ

35 :
>>33
今教えてる人達に目立って光るものがあれば人気出るだろうしな。
埼玉道場に人気とやらが無いとしたらただの実力不足か凄さが知られてないからだし
そもそも注目されてない(存在を知らない)のに
ファン(笑)とやらが全空連に加盟してるかいちいちチェックした上でスルーなんてしようがないよな。

36 :
>>25
戦争でも喧嘩でも最後は接近戦だよ

37 :
>>34
本土に出てきたときも妾さんが居たっていうし、まあ上流階級の人だから
モテたんじゃないの? 酒席が好きでよく弟子や関係者と飲みに行ったっていうから
人間的な魅力もあったんだろう。つまんない人間だったらいくら飲みに誘ったところで男も女もあつまらん。
若いころから好きな唐手や軍鶏ばかりして働いてないみたいだったが(働かなくても食っていける)、
別に唐手以外にも秀でた能力があったと思う。本部は文盲だったって言われてるけどウソっぱちだろう。
王家の人間なんだからきっちり教育は受けてるハズ。大方都合の悪いことや面倒臭いことを突きつけられたとき
「悪い悪い、字が読めないから分かんねーや」ってことで煩わしい事を遠ざける適当な方便だったんじゃないかな。
それでもグダグダ言ってくるヤツは唐手の稽古と称して2〜3発ビンタして力づくで大人しくさせたんだろう。
徳川家の徳川家治みたいな感じで、必要が無いからあまり働かず趣味に没頭してただけで、
どうしても動かざるを得ない立場になればそれ相応の政治的な才覚を発揮したと思う。
基本大名格の人間だし、戦後の混乱期に国を動かせる立場で権限を持ってれば結構な英断をしてくれたような気はする。

38 :
>>34
>>37

39 :
失礼しました。途中で送信してしまった。
>>34
>>37
実に面白い見方ですね。確かに時代を飛び出した雰囲気で、異端児と言う言葉が似合い過ぎる。
>>37の断言調のまるで親戚かの様なレスにも納得しそうになる様な要素を持ってますな。
地上波とかの特集になりそうな感じ(まだなってないんだろうけど)
そうなったら騒がれる材料はあるし。
軍部とはどんな関係だったのか?
それとこの人にしても小西先生にしても何故徴兵されてないんだろうか?
空手関係者は徴兵されにくいのか?
それか年齢が行ってるから?
元祖佐村河内の空手家は自称特攻隊とか航空学生とかの虚言があったが、山田先生も行ってなさそうだし
↑にある様に野球選手は皆さん戦地に出てるから不思議なんですよ
それと文盲って部分は私も???でしたよ
恵まれた家系では少ないから
面倒だから文盲のフリをしてたって説は間違ってないのかもだけど、それだけで規格外と言う事がわかる
組手組手言ってたりで一歩間違ったら狂犬なんだけど、この人は愛されてる感じだもんね
言われてる部分以外は、結構ピシッとしてたのかも

40 :
上流階級出身で基本ボンボンだから自分の組織大きくするとか、それで
金儲けするとか、そういう野心がなかっただろうね、この人は。喜屋武朝
徳とかも同じか。
どの世界でもそうだけど、下層階級出身のほうがのし上がりたい欲求強い
から、そっちのほうが組織がでかくなるね。

41 :
極真がその見本だな
しかも在日だし
でも本部さんの懐刀、日本拳法の山田さんが、あの空手漫画のユリとか言うののモデルだとか読んだな
確かマス大山にやられる、しかも汚いキャラだったけど
山田さんは怒らなかったのか?
と思って今調べたら、モデルはモデルでも容姿だそうでw

42 :
数少ない、本物の沖縄空手は実は本土にあるんだけど、
沖縄空手が大好きな連中は沖縄で活動している流派じゃないと本物じゃないとか思い込んでるからな。
この人が起した本部流とかほぼ昔の沖縄空手。

43 :
つまり、この本部さんの空手は本物の沖縄空手ではないと言う事か?

44 :
正しい「空手」ではるけど、本物の「沖縄空手」ではないということですね。
上原清吉先生って知らない人多いのかしら?
戦争にも参戦されているようですが・・・。

45 :
>>43-44
こういう沖縄原理主義的な連中はけっして認めとうとしないけどなw
上原清吉の手を学べる人間なんて本土では殆ど居なというのにww
最近だと山城の沖縄拳法とかが有名だけど、本部朝基の空手の方が沖縄本土でも遥かに有名。
沖縄でも伝説的な空手家。
現代でもその息子が本部流をちゃんと継承しているし、ナイハンチとかも朝基のナイハンチを指導されている。

46 :
大阪にいるよな。

47 :
沖縄拳法の中村茂は本部朝基の弟子でもあるから、山城さんところ
も関係はしているけどね。
中村茂が組手重視なのは明らかに本部朝基の影響でしょ。

48 :
そう。
だから本物とか本来とかに拘る人間達ならば本部流を学ぶべきなんだよ。
山城のは開祖である中村茂の手と比べてもさらに改変している。
中村茂の息子さんの道場の人間達の構えや本部流の型や構えをみても、当人達はセイサンの立ち方と呼んでいる
あんな斜め気味の立ち方は本来の本部朝基の手ではしない。
あの立ち方では動きが制限されるから駄目。
現にそれを学んでいる菊野は、ここ最近の試合ではずっと間合いが相手と合わない事を悩みの種にしているだろ。
そりゃ、あの立ち方では、とは思うよ。
その改変した沖縄拳法の方が好きだというのならどうこう言わんが。

49 :
つまり大阪の道場が正しい沖縄空手と言う事?
でもそこって本部さんの道場ではないの?
>>6の下のリンクだよね
上原さんも本部さんの弟子でしょ

50 :
>>48さんの>>42で言ってる事の意味がわかりにくい
>>6のリンクの大阪の道場は元々は本部道場なのでは?
上原さんがやってたところの事ですよね
上原さんの時代で本部さんの道場よりも進化したと言う意味?
それで本家の沖縄は古いと言う言い回しになったのか?

でも>>47>>48では本部流をいいと言ってる
その本部流とは大阪の道場?

何が何だかさっぱり
外部の者に理解出来る様にわかりやすく頼む

51 :
ただ上原さんの演舞の動画見て驚いた
歩く様に技を出すし、全く隙がない
戦闘で人を殺したと言うのも納得
本部さんもこんな動きだったのだろうか
今も上原さんレベルの先生が居るなら習いたいとは思った
自分も物心付いた時から打撃やってるけど、構えって構えた時点でもう違う気がする
良く自然体無の構えとか言うが、上原さんはまさにそんな感じ
伝統空手には詳しくないんで言葉が足りないだろうけど、とにかく凄い人だわ

52 :
上原清吉は本部朝基の兄の本部朝勇の弟子。本部御殿手のほう。
大阪の道場は本部朝基の息子さんの道場。本部拳法。
いま両方合体して一つの本部流になっている。本部流なら埼玉とか
群馬にもいくつか道場あるよ。

53 :
なるほど
上の人の言ってるのは、その本部流が正当な沖縄空手と言う意味なのかな?
で、沖縄には本部流の正式な道場はないと言う事?
だとしたら意味は通じるんだが

54 :
本部朝基は上地完文や植芝盛平とも交流あったんだよね。
ただ、本部朝基は上地完文の手を確かに強いが、あれは体格が大きく生来頑強な者しか出来ない手だと否定的だったようだな。

55 :
沖縄空手は、沖縄でやってる空手という意味で正当もくそもない。
近代に改変される以前の空手という意味なら、確かに沖縄もあまり
残っていない。
でも、湖城流も沖縄に残っているときくし、探せばあるはず。

56 :
湖城流は沖縄じゃもう弟子取ってないぜ。
湖城家はみんな仕事が忙しくて指導なんか出来ないと、随分前に道場は閉めてる。
山陰や神戸で細々やってるくらいだな。

57 :
なるほどね〜
沖縄が本部さんの発祥の地なのにリンクは>>6だから???と思ってたけど、地元ではもう廃れてしまって
残るのは上原さんが継承して育てた大阪の道場って事なのか
支部もあるみたいだけどどんな人が指導してるかわからんしね
大阪近かったら通いたいんだけど福岡だからね〜
私はフルコンやってたんで月謝が3000円ってとこも嬉しい
フルコンは分支部とか週2の稽古でもその倍取ってたからな
それにしても上原さんの動きには驚いた
中国拳法の達人のようだった
演舞だろって言われても、ああ言う動き出来る空手家は居ないから
実践、戦争でも勝つだろう
本部さんもあんな感じ?
それとも上原さんの方が洗練されてるのか?

58 :
ただ、大阪も南部の交通の便がかなり悪い田舎でやってるから年配の方やお子さんしか生徒がいないんだよね。。。

59 :
上原さんのあの動きは琉球舞踏を組み入れて作っているから、明らかに晩年の動きだよ。
実際、琉球舞踏の方も指導しているし。
本来の本部御殿手は多分ああ言う戦い方では無いと思うよ。

60 :
さすがに晩年に舞踊習って物にするのは無理だろ。ダンス習ったことが
ある人なら分かるはず。ダンスはある意味武術以上に難しいから。
沖縄にはその種の中傷はよくあるから信じられないな。

61 :
>>59
なるほどね。
上原さんは円の動きだよね。
達人と言った感じ
朝鮮空手漫画で大山さんが澤井モデルの老人の動きに感服するけどそんな感じ
もっともその大気には惹かれなかった
上原さんの方が上の境地な気がする
まさに踊りながら戦う感じが華麗過ぎる
本部さんはもっとゴツゴツした直線的な動きな気がする
性格もそんな感じそうだし
>>50
本物は廃れると言うけど寂しいね
流行るのは巧みに宣伝し曲色した偽物ばかり

62 :
本物、偽物論争は余り意味が無い。
そんな事を言ったら現存している武術はほぼ全て後だしジャンケンで作られた物でしかない。
武の術に関しては結局残る物こそが本物という視点で見るしかないよ。
ただ、空手の文化的、技法的な歴史に興味があるというのならば大元の流派を辿るにも意味はあるけどね。

63 :
朝鮮空手漫画って。。
朝鮮人が嫌いなのはわかるけど、そういう蔑視な言い方は関心しないなぁ。
それじゃまるでチョンと同じだよ

64 :
因に紛らわしいけど本部朝勇の本部御殿と本部朝基の空手は別物。
まぁ、お互い影響はし合っているだろうけど。

65 :
本部朝基の手 下段払い
http://youtu.be/UZDUy1qg2vs

66 :
>>63
幼少期からあの漫画とあのハゲの著作に騙されたんで、そう言う言い方にもなるのよ
日本に巣食う在日が許せんのでね
それでもまだ気を使ってるんだが、気に触ったらすまん
もうこの話題には触れんでおこう
>>64
紛らわしいね
その辺をわかりやすく説明出来る人が居たら有難い
多分、今書き込みされてる人以外の訪問者は絶対わからないだろうから

67 :
本部朝勇の手というのが本部御殿手という武芸。これは本部家では嫡子が習う武芸。
本部朝基は弟ゆえに御殿手は習えず。
だが、幼少期より文武を学ぶ。
空手の師は糸洲、松村、佐久間親雲上や松茂良興作、国吉真吉、など当時の名人のほとんどから教えを受けた。
彼ら名人達の教えを元に実戦研究、ボクシングも多いに研究し取り入れる。
相撲、柔術、柔道なども研究したと伝えられるが、体格の優れたものを技だけで倒すのは困難と、体育も研究した。
その後に生み出された手が本部朝基の手である。 いわゆる本部流

68 :
御殿手の特徴は取手に有りと言われる。
日本柔術のような技術が多いのが特徴。
舞を思わせる優雅な動きの取手と、約束組手を重視する。
日本柔術のよいところと中国武術のよいところを取り入れたような手だな。

69 :
なるほど
御殿手との違いが良くわかった
御殿手は門外不出と言う感じなんだね
結局、御殿手を受け継ぐ家にここのスレの本部さんが生まれたと言うだけで、(でも習わせてもらえないから)、本部さん自身は御殿手ではなく、色々な空手流派や格闘術を習って、その後自分の空手、本部流を作ったと言う事か
そして上原さんは本部流の流れって事だよね、大阪の道場も
御殿手は今はもうないと言う認識で良いよかな?(残っててももはや武道や格闘術ではなく形骸化してそう)

↑で沖縄空手なんて、と言ってた人はこの廃れた御殿手の事を言ってて、本土にあるきちんとした沖縄空手が、大阪の道場の事って事か
ようやく納得した

しかし面白い。自分は歴史中国映画が好きだけど、いい題材になるよ、この人や上原さんは

70 :
と言われているけど、実際の所は武器術がメインの武術だったと思うんだよね。
沖縄の図書館にあった唐手史の本の写真とか御殿手の演武とかを見ても。
どちらかと言うと本土で言う所の、古流剣術的な武術で本来は棒とか剣とかがメインで、
素手はどちらかと言うと補助的な技法だったと思う。
長男しか習えなかったというのは当時の薩摩の目を気にしていて、大ピラに武器術を教える事が出来なかったからだと思うよ。
だから御殿手の特徴的な歩法は、武器を持って戦う事を元々前提としていたのを、
上原さんの代で素手に特化させたという印象。

71 :
因に、演武で鎌とか櫂とかヌンチャクとか出て来るけど、
是等は本来は沖縄の農民達が使う武器で、王族達が扱う武器では無いので元々の本部御殿には、
無かった筈の武器。
是等も晩年になって上原さんが付け加えたんだと思う。

72 :
なるほど
御殿手は武器術で、本部→上原と受け継ぐ過程で素手での対人闘技へか
面白すぎる
すると本部さんが御殿手を習えたとしても(もしかしたら名目上は長男だけと言う事で基本は知ってた気がしてきた)
飛び出して他の武術をやったかも知れないと言う事だね

73 :
>>71
なるほど
さっき自分が見た動画では箒で相手をさばいてたな

74 :
上原さんの箒や杖を使った演武を見るとみな、先端で相手の動きを制しているのが解ると思う。
この動きは本来、是等の武器では本当に相手を制する事は難しいけれど、これが剣だとしたら意味が出てくるんだよね。
だから、上原さんの動きってどんな武器を持っていても基本は、棒か剣を使う事を前提としている動き。

75 :
なるほどね
そうなんだよ
こちらの急所と言うのか、ここに来るかっと言うところに決めてくる
全ての演武がそう
だから感服した次第
相当のところまで極めてるね

76 :
沖縄の古武術で農具とか漁具使うけど、別にこれらは農民や漁民が
武術稽古してたという意味ではないよ。
封建社会ではそんなこと不可能だから。あくまで士族が野外や浜辺で襲われたとき
に、周りにある農具や漁具を使って戦う、という想定。

77 :
>>76
そこに関しては諸説もあるんだけど、沖縄の士族階級の人間達ならまだしも、
王族の武術がそれらを扱う事を前提としていたとうのは、ちょっと考え難いんだよ。
実際昔の王族達は武術の練習?をしている様な絵にもその手の武器は出てこないし。

78 :
あと、大阪にいる本部朝基の息子の本部朝正先生は御殿手もマスターしてるよ。
本部朝勇の御殿手を継承した上原先生が、本部家の武術は本部家に返したいと言って、本部朝正先生に御殿手をみっちり仕込まれた。
だから、今の大阪の本部流は朝基の手である本部流と本部家の御殿手の両方を継承していて、両方習える

79 :
基本的に沖縄の王族、士族は日本刀だよ。
空手の演武で良く見るトンファー、ヌンチャク、カマンティー、ティンべ、ローチン、エイク、などの武器は近世に工夫されたもんだよ。

80 :
サイなんかは中国武術からの輸入だな。
サイの形が沖縄も福建もほとんど同じだし。

81 :
>>79
同意。
剣の他に棒もあったみたいだけど。

82 :
>>77
沖縄の武器術って、武器を何種類使うとかそういう発想じゃなくて、身の廻り
あるものすべて武器に使う、ってことでしょ。
王族だから庶民の器具を使わないとか、関係ないと思う。本部御殿手って
かんざしとかも確か武器に使うんじゃなかったけ。
そりゃ、刀がそばにあれば優先的にそっち使うだろうけどね。でも、周りに
箒しかなければ箒も武器に使うってことかと。

83 :
そうなんだけど、刀や棒の使い方でほうきや櫂を使ってるんだよ。
逆に槍の使い方で剣を使う人もいるし、まあ、アドリブの一つだよね。

84 :
棒術は庶民の間でも行われていたと本部流のホームページに

85 :
棒なんか木が生えてたらどこにでもあるしな。
ただ、沖縄の棒術は日本武道の棒に近いんだよね。
中国の棒術とはかなり違う。

86 :
棒術は確かに庶民でもやってる人はいたね。
でも、それは士族屋敷で奉公してた人達とかだよ。知念志喜屋仲とかね。
まったくの庶民で棒術してたとかいないと思う。せいぜい村棒祭りとか。

87 :
知念志喜屋仲は棒術の王家武術指南役だった添石家で下男奉公していて、
こっそり主人の棒術を盗み見て、まねごとみたいなことをしていたのを見つかって
しまって、ついには習うことを許されたとか。
ほんと、それくらいの例外しか庶民で武術していた人はいないと思う。

88 :
そりゃそうだろうな。
江戸時代の日本の庶民も武術なんかほとんどやってない。
現代人だって、ほとんどの成人は格闘技や武術なんかやってないし。

89 :
>>82
>沖縄の武器術って、武器を何種類使うとかそういう発想じゃなくて、身の廻り
>あるものすべて武器に使う、ってことでしょ。
その思想は、割と近代になって出来た発想という説が結構濃厚。
王族と氏族階級との間には武器術に対する思想もかなり違いがあるよ。
そもそも、王族は本来武器を持って戦う必要なんて無い訳だからその辺の道具を武器にする。
という必要も余り無い。
まぁ、剣、棒、弓等の当時の武器の習得は嗜みとして練習はしていたみたいだけど。

90 :
なるほど。実に面白い考察
文化と言う観点から見ても面白い

>>78
両方習えるの
いいなぁ
とりあえず今も身体だけは動かしてるけどもう打撃も面白くないし、そう言う追求する物をやりたいんだよね
当時の武士、武道の心も味わえそうだし

91 :
士族の武器として記録に残っているのは刀や槍、弓なんかは別として棒とサイ(本部朝基の本より)
棒とサイの使い方が士族の空手と相互リンクしていたのは十分考えられる
棒、サイ、素手とそれぞれ間合いが違うのだが
同じ程度の間合いを持つ武器なら箒でも何でも応用で
結果として使えてしまう、という考え方もある

92 :
ただトンファー、ヌンチャク、カマンティー、ティンべ、ローチン、エイク等の武器術が
空手とリンクしたのは上で出ている通り、割と近代のことかと

93 :
ティンべー・ローチンってほんとに武器術だったのかな。
一種の村祭り道具とかいう説もあるんだが。

94 :
14世紀には記録されてるからなぁ。
ポリネシアとか東南アジアとかにも類似の矛と盾はあるんだし、原始的な武器術としてあったんだと考えるのが妥当かな。

95 :
王家秘伝の武術?wwwお前ら本当に信じてんのかよww上原の創作だろww

96 :
じゃ、本部朝勇がやってた取手や元手三戦とかどう説明するんだ?

97 :
秘伝かどうかは別として、王族等にある種の武術が指導されるというのは、
割と世界中に見られるから琉球の王家にそういう武術があってもおかしく無い。
取手とかは、武器を扱う武術なら大体見られるしね。
相手の攻撃を貰わないという思想は、大体が根っこは武器術からスタートしていると考えて間違い無いと思う。
逆に相手の攻撃を受けるのを前提とする技術というのは、元々は相撲がスタートと言うケースが多い。

98 :
八光流からの創作説は否定されていたよね。
技術的に本部朝勇の代にあったのは間違いない。本部朝基も取手の
写真を残しているし。
本部朝勇が付け足した部分もあるかもしれないけど、技術的には数世代は
経ている感じだね。

99 :
>>96
>本部朝勇がやってた取手や元手三戦とか
いくらでも言えるだろそんなこと
糸州はキックボクシングやってたよ、ソースは俺

100 :
>>99
あなた自身の決め付けは、全ての物事に当てはまるから意味無いよ。
創作で無いとする根拠や証拠を示さないとね。
逆に、あなた自身が語る内容もあなたの理論で否定されることを許容したとみなされる
から今後の発言には気をつけてね。


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