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Z武の植民地


1 :2018/12/25 〜 最終レス :2019/11/09
まずは演歌板から侵略するのさ〜

2 :
ズィークズィオン軍

集まれさ〜

3 :
>>1
>>2
             ,.,.,.,.,.,.,.,.,__                 
            ,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ              
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            (へ);(へ)==r─、|      ぶうっ
              { (__..::   / ノヽ―.-‐‐-.、,,、-‐―‐- 、  ぶりぶりっ
            ', ==一 r‐〃∠/      ヽ、   u `' 、
               !__{  /     U  . ',        ヽ
                 \/   u          l   ⌒ヽ   ',
                       |         (:. ,'r'; ̄ヽ、      l
                        |       u   /''`'、;;;;;;_l  "゛)  |
                        |            /,/'/ ト;;;;;;;;|      |
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4 :
なぜに演歌板?w
https://lavender.2ch.sc/test/read.cgi/enka/1545670921/

5 :
              人    残酷な手ん使の手ーゼ♪
             (;;;;;;)
          __人__  ̄___人__
      r;;;;;;::::::::;;;;;;;;;;:(##)::::::::::::::::::::ヽ
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   /::::::::::::::イ::::::::::o:::::::::::;;::::::::::ヽ::::::::::::ト::::::::/
  /:::::::::::::ノ |:::::::::::::::::::::::::;:::::::::::::\::::::::::::::::/
  〈:::::::::::::{  |::::;;;;;;;;;;;;;:::::::::::::::;;;;;;;:::::\::::::::::ノ
   ヽ::::::::ヽ |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|  ̄
    ヽ:::::::::ヽ|::::::::::::::;;::::::;;:::::::::::::::::::::|
      ヽ:::::::r|::::::::::::::::::::::;;:::::::::::::::::::|
      ヽ「. ヨ::::::::::::::r-ー-、:::::::::::::::|
       ゝ、ヨニllニ( (☆) )ニllニ |

6 :
めでたい

7 :
>>6
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            ,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ              
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            |,,,,_ ,,,,,,_  |::::::::|              
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8 :
>>7
うんこ武

9 :
闘うのさ〜

10 :
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  (S|| |  (へ) (へ).|  /
   | || |.l|l|   .ノ  )| <顔面騎乗位とカタワホモの変態3Pなんですよwww
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         !___/_>、,,..- 、   ダイヤモンドは永遠の輝き
     rー―__―.'    .-''   々i
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       ノ #    メ   ヽ、
     , '    ヽζζζ , '   ヽ
     .{ _.ト、   Yl| |iY  # ,イ .}
     '、 >.ト.   ' U. '   イノ .ノ
      ' .,,_ ___ ノ-^-`、 ___.... - '
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         ◆◆◆ ブチュッ
     ◆◆ ◆◆ ◆ ◆◆ ブリュブリュッ

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16 :
健常者ども〜

17 :
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          |(三);(三) |
          |       | 取り戻したぞ、俺の肉体
          |       | さあ、健常者どもを皆殺しだ!!!!!
         _ノ        ヽ_、_,,                   
       /´`''\       /'j   ヽ   
      { ,ノ' i| \____/´ ,-,,.;;l   
      '、 ヾ ,`''-‐‐'''" ̄_{ ,ノi,、;;;ノ   
       ヽ、,  ,.- ,.,'/`''`,,_ ,,/  
        `''ゞ-‐'" `'ヽ、,,、,、,,r'   
          ,ノ  ヾ  ,, ''";l     
         ./        ;ヽ 
        .l   ヽ,,  ,/   ;;;l      
        |    ,ヽ,, /    ;;;|   
        |   ,' ;;;ul ;;'i,   ;|

18 :
一発、立ち上げるのさ〜

19 :
フィリピン人女性 2011年に逮捕(インドネシア)
 2011年、インドネシアで29歳のフィリピン人女性が逮捕された。ごくごく普通に見えるその女性は、数年に渡り、30人以上の女性、そして夫を殺害。
遺体をバラバラにして冷蔵庫で保存し、少しづつ人肉を食べていたと警察は発表し、同国に大きな衝撃が走った。

 女性は、殺人を繰り返した理由を、「人肉が食べたいという衝動が抑えられなかったから」だと説明。
彼女はよく食事パーティーを開いていたとのことで、招待した友人や親族たちに人肉料理を振舞っていた。
招待された人たちは、もちろん人肉を食べていることを知らされておらず、誰もが「とてもおいしい」「凄く美味な料理」と舌鼓を打っていたという。

 逮捕された彼女は、警察の現場検証に立会った際、冷蔵庫に詰め込まれた人肉写真と共に写真を撮影されているのだが、悪びれた様子もなく無表情で写っている。
切り取られた手や足の写真も公開されたが、華奢な女性一人で、よくここまでやれたものだと関心すらしてしまうほどだ。
女性は、警察の取り調べには協力的で、罪も認め、刑罰を受ける心構えも出来ていると述べたとのこと。
しかし、「チャンスがあれば、また人を食べたい。人肉を食べられるのならば、何のためらいもなく、また同じことを繰り返すことができる」とも証言。
実際、収容先の刑務所で刑務官に襲い掛かり、何本かの指を食いちぎり素早く飲み込んだと報じられている。

20 :
「誰が小人を殺したか?」小人プロレスから見るこの国のかたち(前編)
2013.11.08
&#65532;そのスピードとテクニック、そして”笑い”に観客は酔いしれた

 今から7年前の2002年、東京の片隅で1人のレスラーが誰にも看取られることなく息を引き取った。
リトル・フランキー、身長はわずか112cm。彼の死によって、日本から小人プロレスは完全に消滅した。彼こそが、最後の「小人プロレスラー」だったのだ。

 今の20代には、「小人プロレス」を観戦したことがある人はほとんどいないだろう。
そんな、失われたエンターテインメントを追ったノンフィクション『笑撃!これが小人プロレスだ』(現代書館)が先日上梓され、各方面で話題となっている。
果たして、小人プロレスとは何だったのか、そしてなぜ小人プロレスは消滅してしまったのか、著者であるルポライターの高部雨市さんに話を聞いた。

──まずは、小人プロレスと高部さんの出会いを教えてください。

「60年代はじめ、子供のころにテレビでアメリカの小人プロレスを見た記憶があります」
──では、その小人プロレスをルポルタージュのテーマとして取り上げようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

「以前、大道や路地で働いている人を取材していたんですが、その時にいつか小人プロレスをやってみたいと思ったんです。
私が上野生まれということもあるんですが、小さい頃にはチンドン屋や紙芝居、猿回しとかいろいろな人が歩いていたし、街には必ず珍妙で不可思議なスターがいました。
そういう人に自分が惹かれてしまうんですね」

&#65532;
ド派手な空中殺法も小人プロレスの
醍醐味だった

21 :
──小人プロレスは、全日本女子プロレスの興行と共に行なわれていたそうなのですが、小人プロレスとは、女子プロの余興のようなものだったのでしょうか。

「いえ、はじめは小人プロレスがメインだったんです。女子プロもかつては今のような体育館興行ではなく、キャバレーやストリップの幕間で行なわれていました。
そこには女子レスラーと小人レスラーのミックスタッグがあったりね。
けど、マッハ文朱が出てきて、ビューティ・ペアやクラッシュ・ギャルズが登場し、徐々にメインは女子プロに移っていきました」

──実際に高部さんが観戦されていて、当時のお客さんの反応はどのようなものだったのでしょうか?
「初期の頃は小人レスラーの人数も多く、ものすごい盛り上がりがありましたね。『ドーン』という笑いが起きるんです。
けれどだんだんレスラーの数が減ってきて、1対1の形になっていき……。80年代に女子プロがアイドル的な人気を博すようになると、ファンもティーンの女の子が圧倒的だったので、小人の試合になるとトイレなどに立ってしまうようになってしまいました。
そうすると小人レスラーのテンションも下がってしまいますよね」

22 :
──『笑撃!これが小人プロレスだ』の付録DVDを見ていて、こんなに笑い声が起きていることにビックリしました。もし今、小人プロレスをやったらこんなに笑いが起きるでしょうか。

「やってみないと分からない部分はありますが、笑いそのものの質が変わってきていますし。ただ、当時は子供たちが素直に笑ってましたね。
大人になって意識が芽生えてしまうと、なかなか笑えないですよね。『笑っちゃいけないんじゃないか』とかそういう感情が入ってきてしまいますから」

 エンターテイメントとして、少なくないファンを獲得していた小人プロレス。しかし、笑いだけが小人プロレスの魅力だったわけではない。

──女子プロレスラーの長与千種さんが「小人プロレスは技として美しい」と話していましたが、その技術も小人プロレスの魅力のひとつだったんでしょうか?

「とりわけリトル・タイガーという選手は圧倒的なすごさでしたね。ポーンと飛んだ時の高さが違うんです。そしてそのまま技を決める。
そういう意味で言えば、女子プロの選手たちもリトル・タイガーの動きに憧れていたっていうのはあるんじゃないでしょうか」

──小人プロレスでは猛練習はもちろん、普通のレスラーとは違った動きというのも求められますよね。

23 :
「小人プロレスラーが集まるミーティングの席では、男子プロレスと同じ技を出すと怒られるんですよ。『どうして男子プロレスと同じ技を使うんだ』って
。小人にしかできない技をやることが彼らのプライドなんです。自分たちにしかできないプロレスを常に考えていましたね。
そして、フェイントをかけて笑いを取るということも含めて彼らの技だったんですね」

──現在では、普通のプロレスでもレフェリーと絡んだりする場面を目にしますが、そのようなコミカルな動きをプロレスに取り入れたのは小人プロレスが最初だったそうですね。
今では逆に、プロレスが小人プロレス化しているようにも思えます。

「先日、ターザン山本さんと吉田豪さんとのトークショーイベントにゲストで呼ばれたんですが、ターザンさんもやはり客いじりやレフェリーと絡んだりなど、現代プロレスの小人プロレス化を話していました」

──高部さん自身、小人プロレスの試合の中で一番印象に残っているシーンはどのようなものでしょうか?

「レスラーが相手をロープに投げ出す場面がありますよね。普通、ロープにあたってポーンと跳ね返ってくると誰もが思います。
けど、リトル・フランキーは違って、ロープの間にくるりと身体を回転させて戻ってきちゃうんですね。その時はすごい驚きがありました。
誰もが思っている『当たり前』をひっくり返した時の感嘆、それはもうゾクゾクと来ますよね」

──まさにエンターテインメントですね。

「そうです。天草海坊主というレスラーがいたんですが、彼は『自分の技に笑って笑って1人くらい死ぬ人がいれば本望』と言っていたんですね」

──プロレスラーというよりも芸人さんの言葉のような(笑)。

「けど、彼らの試合結果はスポーツ紙には決して出ていないんです」

24 :
一時は女子プロレス以上の人気を誇った小人プロレスの一幕

 その体格を生かした究極のエンターテインメントとして、多くの観客を沸かせてきた小人プロレス。
しかし、そんな彼らにも厳しい差別の視線は向けられていた。

──小人プロレスに対する偏見や差別というものは、どのようなものがあったんでしょうか?

「80年代には毎週テレビで女子プロの試合が中継されていました。けれども、小人プロレスの部分はきれいにカットされていたんです。
会場で観戦した人はいるのに、テレビには映らない。まったく存在していないという形に編集されていました」

──不思議な話ですね。

&#65532;
「日本のテレビの中では自主規制というんですか、そういうことをやり続けていた。
『8時だョ!全員集合』(TBS)でも、小人が登場する回はあったものの、投書が来たらそれで終わりです。
『どうしてああいう人を出すんだ』『ああいう人を笑い者にするんじゃない』って。
小さな芸人の白木みのるさんが言っていたんですが、逆に言うと、そういう人たちこそが小人を見たくないんです。
『かわいそうだから』っていう方便を使って、まさに『見せかけのヒューマニズム』ですね」

──小人が出演しづらい状況の一方で、例えば『五体不満足』(講談社)の著者であり、障害者の乙武洋匡さんはテレビに出演できますよね。

25 :
「結局、小人者は障害者と健常者の狭間にいるんです。あえて言えばフリークスですよね。そういう人たちの存在を認めたがらない。
暗黙のうちに処理しようという、日本的な社会にはそういう所があるんでしょう。
この本の底本『異端の小国』を出すにあたっても、数多くの出版社を廻ったんですが、ほとんどダメでした。
それも、人権を扱う本を多く出している出版社ほどダメだったんです。
戦後民主主義的な縛りの中では、小人者は表に出しちゃいけないという雰囲気があるんじゃないかな」

 小人プロレスに対する差別を通して見えてきた「見せかけのヒューマニズム」という日本の現状。
特に、巨大メディアであるテレビにおいては、その存在は顕著だ。

──そのようなメディアの状況というのは、どのようにして生まれてきているんでしょうか?

「テレビということでいえば、放送局そのものに小人を出演させないという方針があるわけじゃないと思うんですね。
ただ投書や電話が掛かってきたら面倒だからと、どんどん自主規制して行くわけです。
放送を行えば何らかのクレームなんか来て当然なんですけど、そんな思い込みが先行して小人の存在を隠蔽してしまう。
そういう明文化されない”雰囲気”が社会全体にありますよね」

──投書をする人は「小人のため」を思って言っているわけですよね。それによって小人は活動の場所を奪われて、失業してしまう。ありがた迷惑ですね。

26 :
「そういう投書をする人はきっと自分が完全だと思っているんでしょう。
自分自身はマイナスのところがない、と無意識のうちに思っていて。よく『自分は普通だ』と言いますよね。きっとあの感覚なんだと思います。
僕は19歳の時にオーストラリアに留学したんですが、当時のオーストラリアには黄色人種だというだけで同じ空気を吸いたくないという人がいたんですね。彼らにとってみれば黄色いのは気持ち悪い。
だから、自分では普通だと思っていても、ある人から見れば『気持ち悪い』『ここにいてほしくない』となってしまうんです」

──テレビだけでなく、社会全体がますますそういった方向に進んでいるように思えますが。

「例えば『派遣切り』、『ホームレス』といった人にも、そうなるまでにプロセスがあるはずなのに、誰も想像しないですよね。
その結果だけを見て『自己責任』ということで片付けてしまう。そうすればすっきりするんですね。
現実にはいつ自分がそうなるかは分からないのに、それを考えたくない、見たくないという風潮が社会に蔓延しているように思います」

27 :
──社会的には「小人症」は障害者として扱われているんでしょうか?

「障害者手帳を取ろうと思えば取れるんですが、なかなか等級の高いものは取れないですね。
ただ、ある年齢になると軟骨栄養症の人は脚が湾曲しているので歩けなくなってしまうということが多いですね。
小人レスラーたちは障害者手帳をいらないと言っていたんです。
彼ら自身の中には障害者じゃないという考え方があり、現役の時は取りませんでした」

──海外でも小人に対する差別は変わらないんでしょうか?

「かつて、日本の小人プロレスラーたちが韓国に行ったんですが、韓国の人も日本と同じような目で自分たちを見ていたと言っていましたね。
メキシコには空中殺法をメインとした本格的な小人プロレス「ミニ・エストレージャ」があるんですが、市民権を得ていますね。
メキシコでは小人のことを『ラッキーボーイ』と呼ぶんです。人と違うのはラッキーだという考え方があるんですね」

──日本とはまったく逆の考え方ですね

「日本では『小人』は差別用語として扱われていて、小人プロレスのことも『ミゼットプロレス』と言い換えています。
けれどもアメリカでは『ミゼット』はよくない言葉で『リトルピープル』と言い換えている。
つまり、日本では『小人』がダメなら『ミゼット』でいいじゃないか、という曖昧な所に落ち着かせて、本質的な問題については考えていない。
ここにこの国の実体が現れていると思います」

28 :
42 :光優会OB:2014/03/18(火) 10:32:29.65 ID:+F/3ERlD
昔近所に、赤ん坊を電子レンジでチンした中度池沼がいたらしい。
健常者が気付いた時、赤ん坊はまだ息があったそうだ。
赤ん坊は大人が抱えて、走って病院まで運ばれた。
でも、処置もむなしく赤ん坊は息を引き取った。
病院が手を尽くそうにも、みるみるうちに呻き声が小さくなって・・・やがて完全に動かなくなった。

この無駄なあがきがあったせいで、赤ん坊レンジdeチン事件は近所中に広まった。
当時の俺は「中度以上の知的障害者って、存在自体が『急迫不正の侵害』じゃねーか」と思った。
今もそう思ってる。

29 :
【オギソ】

胸糞の悪いレスのせいで胸糞の悪いことを思い出したんで貼っておく

小学生の頃、俺は親友のA、Bとともに農業学校で肝試しをやったことがある
俺とBは凡人だったが、Aは霊感があったようだし、可愛い幼馴染がいたりで只者ではなかった。
彼は率先して怪奇現象に関わるような気質があって、今回話す事と別の事件で小学校で怖い目にあったりもした。

農業学校は広大だった。
田舎とはいえ、近くには駅とか住宅街もあったんだが、その学校の周りだけは妙に森深く、
特に実習用の畑の真中にいるとまるで北海道かどっかの草原にいるように思えた。
恐らく、まだ町が開発され始めたばかりの頃に開校したんだと思う。
学校の帰り道に近道として大学を突っ切る事もあったが、
暗く、人気の無い、背丈までもある雑草に覆われた畑を通る事は当時の俺にも恐ろしかった。
Aが肝試しの場に選んだのは農業学校の中にある古びたコンクリート造りの建物だった。
学舎や学生寮からはグラウンドを隔てて、実習畑の近くの森の中に立地していた。
用途はわからない。正面ドアのところに木の札が合ったが字が風化して読めなかった。
ガラスは所々割れ、そこには合板が張り付けられていた。たまに開いたそこからは暗い中が少し覗けるだけだった。

30 :
俺たちはAの家に泊まり、夜中に出発する事にした。
Aの家族はこの馬鹿な行動を容認してくれた。今思えば阻止してくれれば良かったと思う

俺たちは小学校脇から森に入り、沢を渡って実習畑に入った。
灯りはAが持ってる懐中電灯しかなかったが、満月な夜だった。
草むらを踏み分け、馬鹿な話をしつつ、建物に向かう途中、一度Aが「誰かにつけられてる?」と言った。
立ち止まって周りを見回したが草むらの中には誰も見えなかった。
こんな学校の中で追跡してくる奴なんているはずないし、野良猫かなんかだろうと納得したが、
俺も森の中に緑色の不可解な光を見たような気がしていた。
怖がってると思われるのがイヤで言わなかったが。そんなこんなで一応、無事に建物には着いた。

正面ドアは封鎖されていたし、窓は合板に覆われていたので、どうするのかと思ったが、
俺たちはAに促されて裏側に回った。そこには非常階段があった。
登ると、建物の屋上に出た。そこには二つの非常口があって、片方は鍵が開き、半ば開いていた。
中にはいるとちょっと自分達が建物の二階にいることが分かった。
二階は講堂を見下ろすような場所だった。
どうやら建物は5つのフロアに分かれているらしく、講堂とその二階、中央に玄関、
そしてもう一つの部屋とその二階があるらしい。
俺たちは下に降り、パイプ椅子が散乱する講堂を調べたが、あまり面白いものは無かった。
俺たちは強がって「大したことないなぁ」などと笑っていたが、
中央玄関への扉があいている事に気付いた。なんでも前に来た時は開いてなかったらしい。
そこで、Aもまだ行っていない奥のフロアに行ってみようという事になった。

玄関ホールは下駄箱くらいしかなかった。奥に進むと、机が大量に置かれている部屋があった
置かれているというか、学校の教室掃除の際に机を後ろに動かすのを乱雑にした感じで、
部屋の中央に机が無ければ言いといった感じで滅茶苦茶になっていた。
そして部屋中にはエロ本が散乱していて、悪臭が漂っていた

31 :
本は無修正の裏モノばかりで、今思えば”ロリ”ものばかりだった。
俺とAはマセガキだったので当初の目的を忘れ、喜んで読み始めた。
そういうものにあまり興味の無いBだけは懐中電灯の周りを退屈そうにうろついていた。

何分ほどたった頃だったか。Bが帰ることを促し始めた頃、遠くから不気味な、唸り声のようなものが聞こえてきた

Bが「オギソだ!」と言った。当時の俺にはバケモノの名前にしか聞こえなかったが、
実際には小木曽という地元では有名な障害者の名前だったらしい。
俺はオギソなる人物の詳細は知らなかったが、声からしてヤバいのは子供ながら理解できた。
だが、俺たちは建物の中にいたのでビビりつつも、少し余裕はあった。
「オギソがいなくなるまでエロ本読んでいようぜ」とBにエロ本を読みつづける口実を与える事も出来た。

だが、状況は予想より悪かった。オギソの声は全く遠くなることはなかった。
それどころか少しずつ近付いてきた。そして、あろうことか我々の頭上からドアノブを回す音が聞こえてきた。
鍵が開いてなかったもう一つの扉を開けようとしていたのだ。
俺たちは完全に萎縮して、懐中電灯を消して黙り込むくらいのことしか出来なかった。
幸い、彼も鍵を持っているわけではないらしく、ドアは開かなかった。
だが、奇声は止まなかった。そう、俺たちが侵入したもう一つの扉は開いているのだ。

俺たちは息を潜め、隠れる場所を探した。こうなった以上、講堂から逃げることは出来ない。
散乱している机の中にも隠れるような場所は無い。この階の二階に隠れるしかなかった。

32 :
講堂と同じく、二階は下の机が散乱した部屋を見下せる構造になっていた。
逃げようと思ったが、オギソが開けようとしていたドアは大量のガラクタに塞がれて開かなかった。
俺たちは息を潜めてガラクタの隅で小さくなっていた
二階には隠れられそうな物陰も無く、覗き込まれたら即座にアウトだった。

やがて、奴の声が遂に部屋の中に侵入してきた。天井に懐中電灯の光が映るのが見えた。
もちろん俺たちのものではない。オギソの懐中電灯だった。
俺たちを探しに来たのか?と思う。俺たちは既に半泣きだった。ただ、声は出さず、息も最低限に抑えていた。
下でオギソはなにやら作業をしているようだった。椅子を激しく蹴り飛ばす音や、何かをする音が聞こえていた

突然、オギソとは違う叫びが響いた。その声は女、しかも俺たちと同じ年頃くらいの声だった。
ぎゃーぎゃーと、泣き声で、今思えば「痛い」とか「助けて」とか叫んでいたように思える。
下で何か、蹴ったり叩いたり、それだけではない不気味な音が沢山聞こえたような気がした
だが俺たちは萎縮しきっていてそれを確かめる事は出来なかった。
そのまま、何時間もオギソと、その女の声を聞き続けることしか出来なかった。女の声は途中で止んだように思えた

女の声が止んでからどれだけ経ったか、オギソがようやく動き始めた。
行きと同じく、机を蹴り飛ばしながら、ドアノブを滅茶苦茶に回しながら。
声は少しずつ遠ざかりながら、そして俺たちの隠れている二階の近くの屋上を通って、そしてまた遠ざかっていった。
最初、俺たちは動かなかった。罠に思えたのだ、そのまま何時間もそこにいた。
そしてやがて、眠っていた。

33 :
眼を覚ますと、窓に打ち付けられた合板の隙間から光が見えた。もう朝だということが分かった
オギソの声ももう聞こえなかった。俺たちはようやく立ち上がると、一階に降りた。
そこには血と、大量の汚物が転がっていた。それだけだった。女がどこにいったのかは分からなかった
俺たちは皆、そこで吐いた。そして、何か悪い事をしたような後味の悪さに襲われていた

結局、俺たちは無事に家に帰ることが出来た。Aの親にも何も言われる事は無かった。
オギソを見たという話もあまり聞かなくなり、俺は一度もオギソを見ることは無かった
だから、俺たちはあれを秘密にすることにした。

一つだけ忘れられないTV番組がある。それは他愛も無い番組間の地方ニュースだった。
アナウンサーが俺たちの住む町の近くで同年代の女の子が行方不明になったことを知らせていた。

34 :
【吉永さん】
俺の近所のアパートに「吉永さん」っていう精神障害者がいるんだよね。
かなり酷いみたいで、いつも車イスにのってて、よだれは垂れ流し、家族もあんまりめんどう見てないみたいで、正直同情しちゃってた。
それで、ある友人が
「〇〇アパートにいる吉永ちょっといじってこようぜ!!!」って、ちなみに吉永さんを「さん」つけして呼ぶのは俺くらいいね、
「え、でもやめとk、、、」
「いいから行くぞ!!!」
そういわれて俺は渋々と行ってしまった。
アパートについて、いつも通りにアパートの外の廊下のようなところで何かを呟いている吉永さん。
「おい障碍者、お前生きてて楽しいの?」友達がきいた、俺はさすがにひどいと思ったけどチキンだし止められなかった、
「、アアー、ウオンカト」障碍者なので言葉をしゃべれないから、何を言っているのかわからない、
そんな姿を見て爆笑している友達。俺は笑えなかった、

そのあと、家に帰り俺は罪悪感を覚えた、でもそれは大きなものではなく、小さくすぐに消えてしまうほどの物、
だから、夕食のころにはもう忘れかけてるほどだった。

翌日、学校に行く途中に、いつもなら廊下にいる吉永さんだけど、その日はいなくて
「あれ、おかしいな」とか思いながらその日は学校にいった、

その翌日、またまた吉永さんがいない、「今日もか、、、どうかしたのかな」
軽く考えながら登校した

そのまた翌日の下校中、その日はおかしかった、なぜかみんな黒いスーツを着ていた
「あぁ、葬式か」「ぽいな」俺は友達とそうは話ながら歩いていた、

家に帰って、親に「吉永さん自殺したらしいよ」ときかされビックリ。
「なんで?」と聞き返したが、「よくわかんないけど、なんかイジメが原因っぽい」その言葉に驚愕した。

しかも精神障碍者なのに遺書が残されていたのだというのだ、
内容まではわからないが、とにかく俺は自分をせめた。

「オレノセイデ、、、」ってね、

35 :
しばらく日数を得て、正直に、もちろん友達もつれてその人の家に謝りにいった。
ぶんなぐられた、でも当たり前だと思う。
俺はぶんなぐられて、倒れるまでのあいだ、その時にいろんな感情が沸き立った
「悲しみ」「悔しい」「後悔」「怒り」痛みなんて感じなかった。

俺は必死で謝った、無我夢中で謝った、友達も泣きじゃくって土下座してた、

そのあと、親にも話して色々と大変だったが、なんとかなった、

でもね、友達がそのあと「俺実は泣いたフリwww本気で謝ってねぇし」とかいいだした。
情けなくて話す気にもなれなかった。

次の日、友達が植物時様態になった。原因は自己、よくわからないがありえない位置からトラックにひかれたそうだ。
俺派その友達に吉永さんの面影を見た、俺の母さん多少霊感があるんだが、
「吉永さんだよ、、、」っと自宅でヒッソリ話してくれた。俺は特に狙われていないらしい、

鳥肌がたった。マジで。次の日線香をあげにいった。「ごめんなさい」と謝り登校した

36 :
【記憶を辿って】

本当ごく最近の話。
小学生の時の同級生だったケンちゃんが亡くなった、自殺だったそうだ。
それほど親しい間柄でもなかったが、一学年50人ほどの小学校だったのでどんな奴だったかは
良く覚えてる。小柄で、ひ弱で、頭に障害があって6年生の時は特別教室に通ってた。自殺した
原因も、社会に適応できなくて…、てな感じだったらしい。
ただな、その話を聞いてはっきり思い出したことがある。
ケンちゃんはもっと低学年の頃は、正確に言うと2年生のある日まではごく普通の子供だった。
ちょっと内気だけど、絵を描くのが大好きで、特に車を書かせたら子供心に上手いと感じさせる
絵心の持ち主だった。
ケンちゃんがおかしくなったのは2年生の秋、写生大会で2年生は近所の公園で絵を描いていた
時のこと。突然叫びだしたんだよ。
「白いお化け!白いお化け!」

ってな。本当に狂ったように大泣きして、普段のケンちゃんとは明らかに様子が違ってた。

その二つが組み合わさった時、俺は一つの仮説を考えたんだよ。
この板に来る人なら「くねくね」って聞いたことあるよな。兄弟の話なんか、良くコピペされて
貼られてるの見るし。見る人を狂わす、夏の蜃気楼のような…。
ケンちゃんはそれを見たんじゃないかと、でなければそれに類似した何かを。
そう考え、あの秋の日の公園の光景をもう一度思い出してみた。
芝生・築山・落ち葉…、隣接する田んぼはとうに収穫を終えていて畦道にススキがたくさん。
俺たちは…、さっさと絵を描き終えると数人で森の中を探検、森の奥で発見した渋柿の実を
宝物のように持ち帰ってきた。ケンちゃんは…、そうケンちゃんは森の片隅の朽ちた
廃車をスケッチしてた。森の中に入るときにちらっと見ただけなんだけどな、なんとなく覚えて
たんだ。

37 :
今思うと不思議な題材だけど、当時の俺にとっては何の疑問も抱かなかった。
公園の隅で、森の中の朽ちた廃車を、黙々と一人で写生する少年。
しかもその少年がおよそ1時間後に発狂、ちょっと怖くなった。

小学校以来の友人で、今でも家族ぐるみの付き合いをしてるショウ君にそのことを話してみた。
ちなみにショウ君も一緒に柿の実を獲りにいった面子だったがそのことは全く知らなかった。
その代わりと言っちゃなんだが俺が仰天するようなことをショウ君は知っていた。
以下、その時の会話、他に俺嫁とショウ嫁がいて4人で呑んでました。
シ「ていうかな、ケンちゃんが自殺したのってその公園らしいぞ」
俺「えええええぇぇぇぇぇ、あの小学校の隣の?」
シ「ああ」
俺「まだ、あったの?あそこ?」
シ「あの辺、国道から離れててほとんど開発されてないからな」
俺「知らんかった…(隣町に家買って引っ越してたので実家周辺は疎くなってた)」
シ「言われてみれば廃車があったような気がする…」
俺「いや、さすがにそれはないでしょ、20年以上前よ」
シ「じゃあ、見に行ってみよーぜ、今から」
俺「マジ?」

怖いからと言って嫌がる嫁に無理矢理運転させて、途中やっぱり小学校以来に友人のミツ君も
連行し、酒の力も借りて夜の公園に降り立った大人四名、ショウ嫁は来ませんでした。
こんなもんだったっけと感じるくらい小さな公園、水路が最近整備された形跡がある以外は
ほとんど当時の面影を残していた。俺が「森」と呼んでいた所も実際は公園と隣の農地との間の
原っぱの雑木林ほどしかなかった。しかしショウ君の一言でそんな懐古の念も吹っ飛んだ。

38 :
「あの辺らしいよ」
ショウ君の指さす先は先述の雑木林、もう葉が落ちていて枝の向こうに民家の明かりが見えていた。
しかし、それを聞いたときに俺が感じたのは、ここでケンちゃんが死んだ、ということでじゃなくて
なんでケンちゃんはここで死んだのか?、ってことだった。ケンちゃんの正確な自宅は知らないが
通ってた地区名から判断する限り、この公園に来る必要性は全く感じられない。
「車は…、なかったけなぁ…」
「車?」
ショウ君の言葉にミツ君が反応した。
「ここら辺に廃車とかなかったっけ?」
「あああぁぁぁ、あったかもしんない」
ミツ君の言葉に心臓がドキリとする俺。
「冷蔵庫とか夜中に不法投棄する奴がいっぱいいてさぁ、町に頼んで全部回収してもらった
時に片付けたのかもしれない、結構最近の話だよ」

39 :
ミ「しかし、良く覚えたたな、ケンちゃんがおかしくなった日なんて」
シ「もしかするとお前がケンちゃんがまともな姿を見た最後の奴かもしれないんだぞ」
俺「な、なんか責任重大になってきたな」
ミ「しかしあの車さぁ」
シ「そうそう、俺らが壊したやつだろ」
俺「ほわっつ?」
シ「ほら、みんなで壊したじゃねーかよ、6年生の時」
はっきり思い出しました。ちょっと…、いや、相当やんちゃだったあの頃、石やら鉄パイプやらで
5年生数名も交えてみんなで壊しました、どうせ廃車だからと…。フロントガラスが割れた時、
近所のおっさんが飛んできて怒鳴られたっけ…。当時、雑木林の向こうに見える田んぼのあたりで
砂利掘りの工事をやっていてその折に乗り捨てられた車とばかり思っていたんだけど、ケンちゃんの
写生の話も総合するともっと昔から放置されてたわけで…、あ、あー、なんか色々思い出してきた。
俺、あの車に乗ったこともあった…。

小学生の頃の同級生でユミコってのがいてな、元気一杯に俺にひっついて回ってた。当時は仲の良い
同級生くらいに思ってたけど、少し考えれば相当好かれてたんだと思う。何かと理由をつけては
うちに来てたし、普通に一緒にお風呂に入った記憶もある。で、俺姉とユミコ兄が小学校の近所の
算盤教室に通ってたんだけど、お袋と一緒に迎えに行って時間まで待ってる間、件の公園でよく一緒に
遊んでた、1年生の時の話だ。その遊びの一つに「ドライブごっこ」ってのがあってな、ユミコと
二人であの廃車に乗ってハンドルやスイッチをガチャガチャいじりながら遊んでたんよ。
…、つまりあの廃車は俺が1年生のときには有ったってことになる。あの車が、近年流行りの練炭自殺
とかの現場で、その霊がくねくねになってケンちゃんを狂わせた…、って仮説を立てるなら、俺など
かなりの高確率で呪われてなければならない。ほっとすべきか…、もっと怯えるべきか…。

40 :
それから数日後、と言うかつい10日ほど前、俺はショウ君とミツ君と連れ立ってケンちゃんの家に
行った。表向きは旧交をしのんで、しかし実際はこの話にすっきり決着をつけるために。3人揃って
上手な嘘がつけない性格なせいで、ケンちゃん母に考えてることをそのまま説明した。ケンちゃんが
おかしくなった日のこと、そして絵のこと。もし、その時の絵が残ってるなら見せて欲しい、と頼んだ。
一般常識に照らし合わせればとてつもなく迷惑な話だと思ったのだが、ケンちゃん母は快く協力して
くれた。ケンちゃん母は几帳面に遺品をとって置いたらしく、一つ一つ説明を交えながら年代を
さかのぼっていく。絵を描く類の仕事で自立しようと考えていたそうだが、素人の俺が見ても稚拙な絵で
客商売でお金がとれるものではなかった。俺が上手いと感じていた車の絵ですら落書きに色をつけていた
だけの物に感じた。しかしだな、年代が遡るほど、つまり子供の頃の絵ほど雰囲気が違うんだよ。構図は
立体的じゃなくて、真横だったり正面だったりするんだけど、どこか写実的な感じがあって、ふらふら
した線ですら技術の一つとして意図的にやっているのではと感じさせるほどだった。
「「「 あ 」」」
ある一枚で3人同時に息を呑んだ、白い車、真正面の少し上から見下ろした感じ、描きかけだったけど
これがあの絵だということはすぐに分かった。ケンちゃん母も説明を止めた。他の絵との決定的とも
言える相違点…、人が乗っていた、運転席と助手席に二人。顔は描かれていないが髪形から運転してる
のは男、助手席は女だと分かる。もっと言うなら、あの雑木林に捨てられていたはずの廃車が道路を
走行していた。

41 :
………、気まずい空気を察知したケンちゃん母が「息子の話を長々と…」と切り上げてくれた。
挨拶をして帰途に就く俺ら三人、まずいものを見てしまった感を打破するために(?)、俺は一つの
仮説を二人に話した。
良くユミコとドライブごっこをしてた、ケンちゃんは実はユミコが好きだった、廃車の中で俺といちゃつく
ユミコの姿を思い出し、好きな車とユミコを両方取られた気持ちになって発狂した、と。
「じゃあ『白いお化け』ってなんなんだ?」
「…、精子だ」
「………、ダハハハハハハハハハハハハ!!」
とっさに出た冗談だったけど二人が爆笑してくれたおかげで気持ちが緩んだ。
今日に至るまで、とりあえず何も起きてはいない、しかし何というか、色々と俺が関わってしまいそうな
話なので気が休まらないのも事実です。謎と言うか、何故?な部分も多すぎるし。
あの絵の人物は俺なのでしょうか?

42 :
【一座様】
ちょっと長いから端折って話す。 
今月のGWに田舎へ2年ぶりに帰ったんだ。
どれくらい田舎って自販機までバイクでも15分かかるような糞田舎。

外灯さえない。月明かりで十分歩けるんだw 
で、GW初日(3日)の朝一で田舎に着いた。

糞田舎だから他所の車で他者ってわかるんだよね。
で、近所のおばさんやらおじさんに挨拶しながら家で飯を食べた。
久しぶりに帰ってきた安心感からか酒が進んだ。

一服しようと外に出てタバコふかしてると離れた所から笛?
というか仏壇の鐘の音を加工?したようなお囃子みたいな物が聞こえてきた。

「お!祭りか!」とボーっと聞いてたら1人、
山の方へフラフラ?というかリズムに乗って歩いてるのが見えた。 
あんだけ浮かれてお祭りとかオレみたいな酔っ払いどーしようもねぇw 
って思いながら部屋に帰って寝てしまった。

かなり寝たのかな?座敷で寝てて背中いてぇ・・・
って起きたら親父とオカンがバタバタ騒がしいのよ。 
「何?」って聞いたらオカンが「A君がいなくなったんだって!

川か・・・山に入ったかもしれないから大変なのよ!」
ってA君の家に大急ぎで行った。
親父も「消防団の人と協力してさがさにゃあ・・・
お前も酔いが覚めてるんならこい!」と強引に家から出された。
てか酒残ってるんですけどw

43 :
A君・・・A君は2軒隣の家に住んでる子で今年28歳になった男の子。
物心ついた時は「気持ちの悪い野郎だな・・」
くらいにしか思わなくて大して付き合いもなかった。

学校でも会わなかったし。
今思えば発達障害?か何かの病気で特別学級に行ってた子だった。 
いつも意味なく「キヒヒぃ!」と笑ってた。 

たまにご近所挨拶の時に話しかける程度だったが・・・
よくポケットからパインの飴玉を出してくれたのは覚えてる。


A君の家に行くと両親がアタフタしてた。
何でも一家の裏で一緒に山菜取りしてて目を離した隙にいなくなったそうだ。
オレも酔ってたからとはいえ、山に誰か入っていくのをみたからもしかして・・・と伝えた。

警察と消防に電話しようとしてもなぜか頑なに拒否。
まぁ迷惑がかかるって思ったんだろうね。
ともかく、消防団と自分らで裏の山に入ることになった。
1時間探して駄目だったら警察と消防に電話する事になった。

この時昼の14時だったかなぁ?
1時間、必死に山の中をみんなで大声だして探したけど勿論見つかるわけもない。
山って言ってもそんなにデカイ山じゃないし
A君も事故に合ってないなら大騒ぎするから分かりそうなもんだがなぁ・・

って思ってると消防団の人が
「駄目だ!警察に連絡しよう!オレ君!電話してくれるか?」
ですよねー!と思ってポケットを探ったけど携帯置いてきたしw  

そういやぁ落としたら今夜、
スマホでエログチャンネル見れねぇしって置いてきたんだったw  
携帯ないですって言いかけた時、30m先くらいから「おったぞぉ!!」って声がした。
みんな急いで行くとA君が猫のようにうずくまってて寝てた。

44 :
やれやれ・・・・・ 両親もみんなも安心して家に連れて帰ったんだ。
で、A君のお母さんに「オレ君、ありがとうね。もうひとつお願いがあって・・・・A君、ドロだらけでお風呂入れてあげてくれないかな?オレ君介護の仕事してるんだよね?」

そーです。オレ介護の仕事してますw 

断る事もできずにA君をお風呂に入れてあげた。
というか一緒に入ったんだが・・・ 
マジでビビッた。 

A君の太ももの内側にマーク?というか絵が描いてある。
書いてあるというかA君が木の枝かなんかでガリガリ書いて傷になってた。 
何これ超怖い・・・

ビビッてA君がやったの?と聞くと
「僕じゃない。知らない。テレビみたい」の一点張り。
張り倒してやろうかと一瞬思った。 

一応、A君のおかあさんに伝えて風呂から上がった。 
途中、A君のお父さんから「A君が山に行くときどんな感じだった?」と聞かれて
「酔ってたからよくワカランですけど踊ってるような?感じでしたよ。
笛っつーか鐘の音みたいなのも聞こえてたし・・・・
祭りと間違えたんですかねぇ・・・とふとお父さんの顔見たら目を少し見開いた感じで
「そうか。」と一言。

どうしたんです?って聞いたら「いいから帰りなさい!」って軽く怒鳴られたw 
糞親父め。張り倒すぞ?

イライラしたのと疲れ、
A君のせいで休みつぶれたという残念さからまた酒を煽って寝た。

45 :
翌日、仕事があったので朝一で帰宅。
で、その次の日の夕方、仕事終わってコンビニで立ち読みしてたらオカンから電話。
 
「A君、今日事故で亡くなったよ。」

マジか!! 一瞬、信じられなかった。
ガチでショックだった。人間って簡単に死ぬんだなと・・・

話によると両親が例の山に入った事がきっかけで
施設へ入れようという事になって施設に相談に行く途中、
走行中にA君がドアを開けて電柱にぶつかって・・・という事だった。
しかもチャイルドロックしてたはずなのにその時に限って外れてたそうだ。
無論、通夜にはいけなかったが葬式に出た。


葬式は淡々と終わってお弁当を食べている時、A君のおかあさんが挨拶にきた。
神妙に礼をして弁当のから揚げを食べようと箸を持った瞬間、
A君のおかあさんが「オレ君、ちょっと・・・いい?」と声をかけてきた。
思わず「俺じゃないっすよ!」と言いかけたわ。

おかあさんが「あの、A君なんだけどね・・・
太ももの傷、お風呂入ってるときかいてた?」 と聞いてきた

「いや、かいてないと思いますよ?痛そうだったし・・」と言うと
「そう・・・A君ね、病院で見たとき、掻き毟ってて・・・
変なマークも掻き毟った傷で分からなくなるくらい・・・」 
そういうとウッウウ・・・と泣き始めた。
オレのオカンがやさしく肩を抱いていた。 
ちょっと泣きそうになった。

そんな俺にA君のお父さんとおばぁちゃんが近づいてきて
「オレ君、ちょっといいか?」と式場の外に連れて行かれた。 
あまりの希薄にシバかれると思った。

お父さんは「単刀直入に言うが・・・お前、山から笛が聞こえてきたって確かか?」
と真面目に聞いてきた。

「多分、聞こえたと思いますよ。鐘の音っぽいのも・・」
というか早いかおばぁちゃんが突然手を握ってきた。

46 :
ばぁちゃん、ビビったじゃねぇか・・・ 
そして小さい布?袋をオレの手の中に握りこんでいた。

「何すかコレ?」と聞き返すとお父さんは
「よく聞けよ、これから3年、山に入るな。どんな小さな山でも。あと、神社も駄目だ。」  
オレは意味が分からなかったので何かあるんですか?とビビりながら聞いた。 
話はこうだ。

オレの田舎の周辺の山には「一座様」という物の怪?の類がいて
季節の変わり目になると人を招き入れて山に還すとの事。
それは「実体」がなくて今まで誰も見た事がない。

でも、あらゆる方法で山に引き込むそうだ。
縁のある人間を引き込むためにわざわざ身内を引き込んだり、恋人を引き込んだり・・・
決まって「お囃子のような音」が聞こえるそうで「縁」がある人間には聞こえるそうだ・・・ 

でも一応、助かる方法としてその音の聞こえた近くの神社の水を飲み、
その山で死んだ獣の骨、土、少量の糞、枯れ木を燃やした灰を
その山で取った小石と一緒にいれて肌身離さず3年持つ。
3年後、その山に埋めると助かるそうだ・・・

おばぁちゃんはなぜかそのA君の入った山で取れた物でお守りを作っていた。
どうやらA君がそううい事にならないようにいくつか作っていたそうだ。
実際、A君は今年の初めから山から音が鳴ると言っては
外に出ようと両親を困らせたそうだ。

お守りも「肌身離さず」というのがA君には無理だったらしい・・・・
話を聞いて「どんだけオカルトなんだよww」と
鼻で笑ったが鳥肌が止まらなかったのも事実。 

A君のおかあさんはそういうオカルトの類は大嫌いなんだとか。
なんでも昔、A君がおかしくなったのは霊の仕業と言われて
お金をかなり巻き上げられた事を悔やんでるらしい。

47 :
そんな事がこのGWに起こった出来事だ・・・ 
お守りは首から下げて持ってるが・・・3年はキツイな・・・
でも夜寝る時、あの鐘の音が頭から離れないからマジで怖い。
寝る時はIpodで俺妹のironyと花咲くいろはの
面影ワープのループでとりあえず寝てるw

48 :
★今日でお別れ

&#65532;
 大分県に住む私の友人、村川博さんは30代後半の頃、不眠症から鬱状態に陥り、自殺願望が高じてきたため、県内の病院に入院して精神科の治療を受けることになった。

 その病院には精神神経科の専門病棟があり、そこには当時、喫煙室があった。
今から数年前のことであり、現在も喫煙室があるかどうかはわからないが、その頃は10帖ほどの透明なアクリル板張りのスペースが1室設けられており、喫煙習慣のある入院患者たちの憩いの場となっていた。
村川さんは愛煙家なので、入院したその日から喫煙室のお世話になり、たちまち常連になった。

 当然と言えば当然だが、そこの喫煙室の常連は全員が精神あるいは神経を患っていた。
奇行が目立つ患者もいたが、喫煙室に足を運んで他の患者と顔を突き合わせられるうちは、誰しも病状が軽減されている状態にあるようだった。
病状が本当に深刻なら、病室から出て仲間と煙草を吸いたい気分になれるかどうか……。
だから喫煙室には、暗いばかりではない、仄明るい雰囲気が満ちており、外の社会に繋がる風が(密室なので逆説的だが)吹き込んでいる感じもした。
人々が集い、会話する機会があることを、村川さんは入院するまで当然のことだと思っていた。
しかし、それは錯覚だった。全然あたりまえではない。喫煙者は健常者であっても、喫煙中は黙っていることが多い。
心を弱らせている村川さんには、これもまたありがたいことだった。

――自分たちはここで、沈黙のうちに交流しているのだ。お互い、存在することに意味がある。たとえ会話ができなくても、だ。

49 :
 この思いから、毎日、村川さんは頻繁に喫煙室に足を運んだ。

 1ヶ月ほどして、村川さんが入院生活に慣れた頃、70代後半くらいに見える男性患者が入院してきた。
他の入院患者はせいぜい60代で、そんな年寄りはいなかった。おまけにその老人は病棟内でただ一人、車椅子に乗っていたから、最初からひどく目立った。

 何らかの麻痺性の症状によって、手足が不自由であることは一目見てわかった。
左足は足台に乗せたまま、両手は膝に置いたまま、1ミリも動かせないようだった。麻痺から逃れたのは、首から上と右脚の膝から下。
よく見ると、この老人は右足だけで車椅子を蹴って漕いでいた。
村川さんは初めてこの老人を目にしたとき、「こんな人を、どうしてここに入院させるのだろう?」と疑問を抱いた。
体が不自由で、しかもけっこう高齢者。
形成外科や内科などの治療態勢が整った老人医療専門病院が相応しいように感じた。
村川さんは、初対面のそのときも喫煙室で煙草を吸っていた。そこへ、老人が車椅子で近づいてきたのだった。

 この人は食事や排泄も自力ではできないと思われる。しかし、そのとき周囲に介護者の姿は見えなかった。
透明なアクリル壁越しに老人を見ながら、村川さんは気を揉んだ。

 看護師を呼ぶか? いやいや、もしかしたら、あのおじいちゃんは家族や介護士の目を盗んで煙草を吸いに来たのかも……。
だったら病室に引き戻されるのは不憫ではないか? でも健康のためには禁煙した方が……。
しかし彼の心の安寧には喫煙習慣が役立っているのかもしれないし……。

50 :
 その間も、老人は一所懸命、頑張って車椅子を漕いでいた。
右足の爪先を前方に伸ばして、床を後ろに向かってチョイと蹴ると、車椅子が少し進む。
またチョイと蹴る、またわずかに前進するが、進路が定まらない。
老人が右足の爪先だけで進行方向の修正を試みはじめると、村川さんはいてもたってもいられなくなり、喫煙室を飛び出した。
……入院直前の頃の彼は、会社の同僚はおろか家族とも、積極的・自発的には、接触できなくなっていたのだが。

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「おじいちゃん!煙草ぉ吸いに来たんかい?連れちいっちゃろうか?」

 そう話しかけ、老人の回答を待たずに、車椅子を後ろから押しはじめた。

「おお、ありがとうね!身体がこげなやけん、苦労しちょったんちゃ」
「……なんも、見るに見かねただけちゃ」

 村川さんは、老人を車椅子ごと喫煙室の中まで押していった。すると、他の患者が、喫煙室の戸を黙って開けて、車椅子を入れるのを手伝ってくれた。
「ありがと、ありがと」と老人は首を動かして周りを見回し、繰り返し礼を述べた。
そっぽを向く者、軽く頭を下げる者、反応はさまざまだった。

 村川さんは、その後はとくに老人に話しかけなかったが、お互いに心と心が緩くつながっていることを感じていた。
自分だけではなく、喫煙室にいる他の患者たちの気分の変化も、なんとなく察せられた。皆が老人に対して親切にしたがっているように感じた。

 気のせいかもしれなかったが、そのせいで喫煙室は彼にとり、老人が来る前よりも居心地が良くなった。

51 :
村川さんは、その後も、老人の車椅子を押し続けた。

 喫煙室のそばだけでなく、廊下や食堂で見かけると、どこへ行きたいのか尋ねて助けてあげた。
ほとんど会話はしなかった。老人はいつも感謝してくれて、村川さんは毎度、照れ隠しに「なんも」とブツブツ応えるだけだった。

 1ヶ月ほどして、老人は喫煙室で、「明日、他ん病院にうつることになったんちゃ」と村川さんに告げた。

 居合わせた他の患者も皆、目を見合わせた。

「じゃあ、明日はみんなでおじいちゃん見送ろうえ?見送りてえよね?」

 村川さんは皆に言葉を投げかけると、老人に言った。

「見送りに行くけんね」

 老人は嬉しそうにうなずいた。

 そして翌日、老人から聞いていた時刻に精神神経科病棟の出入口で村川さんが待っていると、ご家族らしい年輩の男女や看護師と一緒に車椅子に乗って現
れた。

 少し驚いたことに、喫煙室の常連も全員、やってきた。

 老人は村川さんを見るとパッと顔をほころばせた。車椅子を押していた看護師が空気を読んで、老人を村川さんのそばに運んできた。

「今日でお別れやなあ。あんたには本当に世話になったね。あんたは本当にいいしや!あんたが早うようなることぅ願うちょんちゃ」
「なんも。おじいちゃんも長生きしち、元気でね」
「皆さんとも、これでお別れじゃなあ。みんなが、ようなるごつ祈ります」

 この老人に会うことは、もうないだろう。村川さんは、そう直感した。その途端、これまでの長いとはいえない期間のかぼそい交流がかけがえのないものだと思われてきて、涙が溢れた。

「あんたは、わしんために泣いちくるるんか。そうか、そうか……」

 老人の目にも涙が光っていた。

52 :
 それから3ヶ月後、村川さんは退院した。

 さらにしばらくして、彼は再就職し、新しい職場に通いはじめた。
そのようにして環境が激しく変化し、心身ともに疲れてくると、家に帰る前に会社の駐車場で煙草を一服するようになった。
そこで気持ちに一区切りつけ、神経を落ち着かせてから帰宅するのだ。

 村川さんは自家用車で会社に通勤していたから、帰宅前に煙草を吸うのは自分の車の運転席であることが多かった。

 夏が過ぎ、やがて冬が近づいた。
退院から1年近く経ったある日の夕暮れ、いつものように会社の駐車場で自分の車に乗り、煙草に火を点けると、前方に、あの車椅子の老人が立っていた。

 そう、立っていた! 車椅子ではなく、自分の両脚で。そして村川さんの方を眺めていた。ほんの10メートルほど先から。

 目が合うと、ニコニコッと微笑みかけてきた。
ついさっきまで、そこは誰もいない路上であった。それなのに、老人は息も切らしていなかった。ずっと同じ場所で佇んでいたかのようだ。

「おじいちゃん! どげえしたの!?」

 村川さんは慌てて煙草をもみ消して、車から降りようとした。

 すると老人は、「いいえ」を表すかのように、首を横に振って、村川さんに背中を向けた。

「え?待っち……」

 止める間もなく、老人は歩み去った。滑るように早い足取りだ。道なりに遠ざかり、たちまち後ろ姿が建物の陰に隠れて見えなくなった。

53 :
村川さんは車を降りて後を追おうとしたが、視界から姿が消えてしまうまでは金縛りにあったように体が動かせず、
動けるようになるや否や急いで追いかけたけれど、もうどうしても見つけることは叶わなかった。

 ゆるくカーブした一本道で、脇道も、すぐに飛び込めるような店もないのに、老人は忽然と消えてしまっていた。

 この話をしてくれたとき、「たぶん、あのとき、おじいちゃんは亡くなったんだと思います」と村上さんは言った。

 そうかもしれないが、私の胸には、見たこともない老人の笑顔のイメージが残像のように今も残っている。
この温かなイメージは、いつまでも消えないのではないかと思う。人の情けは死ぬことはないのだ。優しい友人に、私も感謝している。

54 :
ブラジルの人肉パイ事件は、幽閉、四肢切断、スナッフ・フィルム……グロ要素全部入りだった
2013.10.01
 2012年4月11日、ブラジル北東部に位置するペルナンブーコ州のガラニュンスで、一組の夫婦と、同居していた夫の愛人の計3人が、5件の殺人容疑で逮捕された。
夫の名は、ジョルジ・ベウトラン・ネグロメンテ・ダ・シウベイラ、51歳。妻はイザベル・クリスティーナ・ピリス・ダ・シウベイラ、50歳。
愛人はブルーナ・クリスティーナ・オリベイラ・ダ・シウベイラで、25歳と若く勝気な女性だった。

 妻のイザベルは、”ペルナンブーコのスイス”と呼ばれるほど気候が穏やかなこの田舎街で、手作り一口パイの「エンパーダ」を売り、一家の生計を支えていた。
ピザのような記事に肉を包みオーブンで焼く「エンパーダ」は、ブラジル人にとって庶民の味。
彼女の「エンパーダ」はおいしいと評判で、毎日飛ぶように売れていたという。

 イザベルの客だった人々は、逮捕のニュースを聞き、「あんなに穏やかな女性が人殺しをしたのか」と驚いた。
が、間もなくして、吐き気を催すほど驚愕することになる。
なんと、被害者の肉をミンチにして、「エンパーダ」に入れて客に売りさばいたとイザベルが供述したのだ。

 身の毛もよだつようなハンニバル事件を起こした3人だが、反省の色はまったくなく、被害者の命を奪ったジョルジは、「地球のために浄化したのだ」と、恍惚な表情を浮かべているという。
殺害の手順を詳しく執筆した本まで発売している、ブラジルの人肉パイ事件。一体なぜ、このような奇怪な事件が起こったのだろうか。

55 :
 ジョルジは自分が『統合失調症の啓示』に記した通り、被害者に対して浄化儀式を行った。
木づちで撲殺し、皮をはぎ、血抜きをして、バラバラにし、肉を食したのだ。
人間の肉は思いのほか多く、3人ではなかなか食べきれなかったため、イザベルが「エンパーダ」に入れて売ればいいと提案。
地球を救いたいジョルジは、一も二もなく賛成した。

 イザベルは、警察の調べに対して、気だるい表情を浮かべながら、
「エンパーダに人肉を詰め込み、こんがりと焼いて。すべて売ったわ。バーや食堂にも大量に持って行ったし。そういえば、あんたにも売ったわ。
あんた、うちのエンパーダをよく買ってたじゃない」と詫びれることなく明かした。

 完全犯罪にもなりえたこの事件だが、終わりはあっけなかった。
イザベルが、被害者のクレジットカードで買い物をしたため、遺族がおかしいと思い、調べたところすぐに発覚したのだ。

 警察は、3人が住むジャルディン・ペトロポリスの家の裏庭から、2012年2月25日に行方不明になった31歳のジゼリ・エレナ・ダ・シウベイラと、
同年3月12日に行方不明になった20歳のアレクサンドラ・ファルカン・ダ・シウベイラの遺体を発掘。
家の中は、人が住んでいるとは思えぬほど荒れており、血のりのついた木づちや、服の切れ端などが発見された。

56 :
 また、この家には身元不明の5歳の娘が住んでいたことも明らかになり、警察に保護された。
遺体が埋められていた場所を教えてくれたというこの幼女は、2008年に行方不明となった当時17歳だったジェシカ・カミラ・ダ・シウベイラ・ペレイラの娘ではないかと見られている。
ジェシカも3人によって殺害された可能性が高く、『統合失調症の啓示』はジェシカを殺したときに書いたものではないかという疑いもかけられているという。

 地元メディアによると、警察は、ジョルジとイザベルが制作した、『エスピリト』というビデオも押収したとのこと。
霊という意味のタイトル名がつけられたこの作品は、53分に渡って、夫の幽霊に苦しめられる女性を描いたもので、エマニュエル・シウベイラという役者が主演しているという。
拷問を受けている女性が被害者なのか、本物の拷問なのかどうなのか定かではなく、警察は、このビデオが撮影された時期を特定しようと捜査を続けていると報じられている。

 地元メディアに「自分のことを無罪だと信じているのか?」と問われたジョルジは、「戦争の中で、無罪の奴なんているのか?」と返したという。
警察は逮捕した3人が、最低でもあと5件の殺人事件に関与していると見ており、イザベルの常連客は「一体、どれだけの人肉パイを食べさせられていたのか」と驚愕していると伝えられている。

57 :
★忌み地に就くべからず

 東京には寺町が多い。私が住む港区にも寺院が密集している地域があって、そのうちのひとつが芝・三田辺りの寺町だ。

 東京タワーの東側に広がる広大な芝公園の南端近くに芝丸山古墳がある。
寺町は古墳から南方へ帯状に延びているようだが、初めのうち、寺はまばらで、三田4丁目辺りで急に“寺密度”が高くなる。

 そもそも芝公園自体が大本山増上寺を懐深く抱いているから、公園の中から南の一帯が寺町だと見做すことも出来そうだ。
“寺密度”は南下に従って再び下がりながらも、ある程度の密度を高輪地区まで保っている。

 桜田通りや第一京浜といった幹線道路に挟まれたエリアであり、こうした大通り沿いに建ち並ぶオフィスビルや現代的なマンションを眺めていると
(さらに位置によっては東京タワーにも目を奪われてしまうために)、ここに寺町があることがわからない。
しかし実はこの界隈は、実は一歩路地に入れば寺だらけなのだ。

 冒頭、「東京には……」とさも東京が特別なような書き方をしたが、実は寺町は全国各地にある。城下町の外縁に今も残る、昔の都市計画の名残なのだ。
城下町と外との境界に造られた理由は、敵に攻められた際の防波堤とも、聖域を境界に置くことで外部の穢れが城に及ばないようにする意図があったとも言われるようだ。

芝・三田界隈の寺町は、もっぱら、江戸城の二ノ丸拡張工事のために移転させられた八丁堀の寺院によって形成されている。
二ノ丸拡張工事は寛永13年(1636年)のことだから、それから380年以上経ったことになる。

 ――とある外資系企業がこの地で営業を始めたのは、今から約15年前(2004年)のことだった。
80年代に建てられたビルに大規模な改装工事を施して1、2階と最上階を占有し、秋のリニューアル・オープンに時期を合わせてスタートアップのメンバーを新たに揃えた。

 その中に、当時30代の塔山一斉さんもいた。

58 :
塔山さんが就いたのは、24時間絶え間なく進行するプログラムの状況をエンジニアと協力管理する部署だった。
週休2日で勤務時間帯はシフト制。作業室はビルの2階にあり、塔山さんと同じ管理専門のスタッフは彼と同年輩の井原さんの他、若いスタッフのAさんとBさんの計4名。

 エンジニアたちのデスクはパーテーションで仕切られた隣のコーナーに固まっていて、この部署のトップで役員の河野さんを筆頭に、2番手の田村さんと他3名の計5名がおり、こちらは原則として夕方までの勤務となる。

 ビルのリニューアル・オープン前に、オフィス付近のレストランで懇親会が開かれた。スタッフ全員が顔を合わせるのはこのときが初めてだった。

 感じが良く、仕事が出来そうな人ばかりだと塔山さんは思った。

 ただ、河野さんだけは少し苦手だと感じてしまったのだという。

 河野さんは、声が大きく、押し出しが強く、わざとくだけた言葉遣いを用いたかと思えば、人生訓を口にする――昭和時代の“男らしさ”の信奉者のような印象の持ち主だった。

 いわゆる体育会系の男だとも言えようか。この手の人種が好きな人も多いだろう。
しかし塔山さんは読書と芸術鑑賞を好むインドア派で、体育会系とは水と油、筋肉自慢のマッチョな輩が大嫌いだったのだ。

 しかし河野さんからは何ら悪意は感じなかったし、言葉の端々に知性と博識ぶりが表れていたので、有能で頼れる上司であることは間違いないと思われた。

 企業社会で先頭を切って突き進むのはこういうタイプなのだろう(僕のような大人しい人間ではなくて)と、塔山さんは自嘲まじりに考えた。

59 :
 厳密に言えば河野さんは彼の上司ではないが、今回募集されたメンバーではなく、系列の日本法人にずっと前から勤めていた人であり、40代後半でずっと目上だ。

――こういう人は、怒らせたら怖そうだ。苦手意識は雰囲気で伝わるものだから、気をつけなければ。

 スタートアップのメンバーは少数精鋭で、そこそこデキる者ばかりが集められたと聞いていて、塔山さんも張り切っていた。
誰もが、ここで働けることを内心、誇りにしていただろうし、熱意に溢れていたはずだ。

 それなのに、いざ仕事が始まると思わぬ事態が頻発した。

 もちろん一般論として、そのようなことは珍しくない。コミュニケーション不足やルーティンが完成していないがゆえの失敗は、組織の出発時には付き物だから。

 だが、塔山さんたちはこれと言ってミスを冒さなかったのだ。

 そうではなく、不可抗力が働いた結果、せっかく整えた体制が崩れ、業務に支障が出ることになってしまったのである。

「塔山さん、おはようございます! あの、たった今、Aくんから電話があって、バイクでこけて左足を捻挫したので今夜は休みますって!」
「え? いつ? 交通事故?」
「今朝、ここから帰宅途中に。事故は事故でも、何もないところで転倒したと言っていましたから、自損だと思います。
怪我は左足だけで、もう処置は済んだけれど、当分ギプスと松葉杖で、お医者さんに今日は安静にしていなさいと言われたとか……」
「あ、そう。じゃあ僕が明日の朝まで残ることにして、井原さんにちょっと早出してもらおう。それにしても、また左足なんだね?」
「ええ、また! 田村さんが階段で転んで左の膝を擦り剥いたばかりだし、昨日は他の部署の女性スタッフがいつのまにか切り傷が出来てカマイタチだって騒いでました」
「ああ、知ってる。あれも左足だったんだ? 不思議だなぁ」
「不思議っていうか、怖いですよ! 塔山さんも気をつけてくださいね、左足に!」

60 :
 開業直後から次々に従業員が左足に怪我を負い、すでにその数は10人を超えていた。原因は異なっても、全員、痛めたのは左足だ。

 偶然の度が過ぎるので、「これは何かの祟りだ」と誰かが言いはじめたら、あっという間に噂が広がり、ここ何日かは、次は我が身かと怯える空気がオフィスに蔓延していた。

 当然、業務に支障が出るし、士気も下がる。辞めたいと言いだす者まで現れると、それを嘲笑したり叱りつけたりする者も出て、とげとげしい空気が職場に蔓延していた。

「あっ、田村さん、お疲れさまです。Aが今日は怪我で休みますので……」
「さっき廊下でBさんから聞きました。午前のミーティングで、できるだけ早く神主さんを呼んでお祓いしてもらうことが決まったんだけど、呼べばすぐ来るというものでもないでしょう。
除霊が済むまでに、いったい何人が祟りでやられることやら、仕事にならなくなりそうで恐ろしいですよ、まったく!」
「お祓いですか? この会社にはミスマッチな感じがしますけど……。祟りなんて、田村さんは信じるんですか?」
「ここに来る前は信じちゃいなかったけど、僕も階段で変なふうに転びましたからね……急に足もとを払われたようになって……。
それだけじゃなく、受付の人から怖い話を聞いたから。そうだ、塔山さんも聞かせてもらうといいですよ」

 ベテラン・エンジニアの田村さんは、河野さんとは正反対のタイプで、40を過ぎた今でも物静かな理系大学生の雰囲気を漂わせていた。
この人は合理的な考え方をする人だろうという思い込みがあったので、祟りやお祓いを信じているようなのが、塔山さんには意外だった。

 田村さんがああ言うくらいだからよっぽど凄いことが起きたのに違いないと思い、さっそく休憩時間に受付に出向いて、
そこにいた受付嬢と警備員に「何か怖いことがあったらしいね?」と鎌をかけてみた。

 すると警備員が「誰から聞きましたか?」と苦笑いを浮かべた。

「今日、上の方から、その件についてはできるだけ口外するなと言われたんです。噂が広まってることが今朝の会議で問題視されたんだそうです。だから話しづらくなっちゃったんですけど……」
「そこをなんとか!」

61 :
―結局、塔山さんは、外部の人には漏らさないという条件で、警備員と受付嬢から話を聞き出すことに成功した。

「リニューアル工事をしているときから、おかしなことがあったそうです」と、まずは警備員が受付ブースから出てきて話しはじめた。

 ここはフロントロビーで、時折、人が出入りする。塔山さんはあまり目立たないように、受付の横の壁際に彼と並んで立ち、声をひそめて訊ねた。

「つまり僕たちが来る前から?」
「はい。作業員や工事現場の警備にあたった人たちが怪しい物音を聞いたとか、工事中に何度かトラブルが発生したとか、その程度ですが……。
ただ、墓地のことがあるから、霊障だと言われると誰しもそんな気がしてくるのだと思います」
「墓地のことって何ですか?」
「ご存知ありませんでしたか。このビルの裏にお寺の霊園があるんですよ。
従業員口がある路地とは逆の、反対側の路地を少し先に行くと見えるんですが、けっこうちゃんとしたお寺があって、そこの霊園ですよ。
だから、この場所にも昔はお墓があったのかもしれないと想像する輩が現れるわけです。
これのベースになったビルが初めに建てられたのは80年代の初め頃のことですが、当時は今より万事においてユルい時代でしたからね……。
千駄ヶ谷トンネルみたいに、墓地を埋め立てて建てたんじゃないかと」
「あの心霊スポットの千駄ヶ谷トンネル? あそこは、もっと古いでしょう?
東京オリンピックの前に、古い墓地を掘り返して造ったと聞いたことがありますが……。ここについては初耳ですよ!」
「ビルのリニューアル・オープンからひと月と経っていませんから、ご存知ないのは無理もありません」
「本当ですか? 裏が墓地だって? 後で見てこようっと」
「ええ、是非。……だけど東京には元は墓地だった場所なんて五万とありますし、工事中のトラブルなんて珍しくありませんから、私は当初は意に介さなかったんです。
……でも、ほら、そこ!」

 警備員は出入口を指差した。

「そこを写している防犯カメラが、人の格好をした陽炎のようなのを撮ったので……」

62 :
「それ! 私も見ました!」と、急に受付嬢が割り込んできた。

「私、そのときここに居たので! 午前10時頃ですよ。画面のそこだけ景色にモザイクがかったようになっているなぁと思って、よくよく観察すると、それが人間の形をしていて……」

 彼女はそう説明しながら、「あそこに!」と、塔山さんの真後ろを指差した。フロントロビーの中央で、正面にガラス扉がある辺りだ。

「……そこに出入り口の方を向いて仁王立ちしてるのが、モニターに映ってました。
エッと思ってそちらを向いて目を凝らしたんですけど、なぜか肉眼では見えなくて、でも画面の中では、それからすぐに出入口の方に歩きだして、ガラス扉を這いあがりました。
そして天井に着くと、スーッと消えたんです!」
「……陽炎……モザイク……。映画の『プレデター』のような感じ?」
「あっ! そうです、そうです! プレデターによく似ています。
あいつの仕業かどうかはわかりませんが、そこのガラスに手形がついていたこともあるそうですよ。普通の人なら手が届かない、高い所に」

 ふうん、と、塔山さんは受付嬢の視線を辿って、出入口の方を眺めた。
 高さ約5メートルのガラスの壁面があり、その中央にガラス扉の出入口がある。扉は自動扉で、建物の内側だけではなく外からも、常時、防犯カメラが動画を撮影しているはずだった。

63 :
「手形なんて、すぐに犯人がわかりそうなものですけど?」と塔山さんが言うと、「防犯カメラには誰も写っていなかったんです」と警備員が答えた。

「夜のうちに脂っこい掌の跡がペタペタつけられていたそうですよ。透明人間の痕跡だけが現れたようなわけでして」

 その夜、塔山さんは、怪我で休むAさんの代わりに翌朝までのシフトにも入ることになった。

 午後5時になるとBさんが退社し、入れ違いに井原さんが出社してきた。
同世代の同僚は部内に2人きりなので、塔山さんと井原さんは打ち解けるのが早く、すでにざっくばらんに会話するようになっていた。

「塔山さん、お疲れ。大変だね。ちょっと外に出て息抜きしてきたら?」
「ありがとう! じゃあお言葉に甘えて外で食事してくるよ」
「何かあったら携帯に連絡するから、ゆっくりしといで」

 塔山さんはこのとき、墓地のことを思い浮かべていた。

 昼に話を聞いた警備員たちに軽く会釈をしながらビルの外に出て、さっそく建物の裏に回り込んでみた。

 行ってみると、植栽とフェンスに邪魔をされて見えづらかったが、確かに墓場があった。
土地が一段低くなったところに墓石が並んでいる。
その向こうに寺院の本堂と思われる建物が見えた。時代のついた屋根や軒の品格がある造りから、かつては広大な敷地を誇る梵刹だったことが偲ばれ、その割には霊園が小さすぎるような気がした。

 急に背筋が冷える心地がした。
踵を返して早足で大通りに出ると、近くの牛丼屋でそそくさと食事を済ませた。
それから付近の路地を――ここに来て初めて――散策してみて、やけに寺が多いことに気づいた。

 日頃は意識していなかったが、そう思えば、会社の斜め向かいにも寺の山門があったし、すぐそこの芝公園にもたいそうな古刹があるではないか。

 今まで知らずに墓地の上を歩きまわっていたようなものだ、と、ふと思い、食ったばかりの牛丼が喉元にせりあがってきた。

64 :
 そう言えば上着を着てこなかった。シャツにセーターで歩きまわるには肌寒い。
靴底で何か硬いものを踏み、見れば乾いた栃の実だった。
この辺りの街路樹は明治時代に植えられた栃の木だと聞いたことがある。
昔から8月に「トチの実落とし」というイベントを開催することが恒例になっているという。
近隣の勤め人や住民が拾った実を持ち帰ってもいいことになっているのだとか。栃の実は食用にすることが出来るのだという。

 ――こんなものを食べるなんて、正直、見当もつかないな。
21世紀に外資系の日本法人で最新機器に取り囲まれて働いている自分たちと、この土地の歴史との間は、いっそ潔いほど断絶されている。
でも、急にこうやって転がってきたり、地の底からしぶとく滲みだしてきたりするのだ。オバケみたいに。

 井原さんから電話がないのをいいことに、7時近くまで外をうろつき、コンビニで買い物をした。
大通り沿いを歩いて社屋の方に戻ると、出入口のガラス扉を透かして、例の警備員の姿が見えた。
ちょうどこちらを向いたので塔山さんは笑顔を作り、片手を小さく上げて挨拶した。
……が、警備員は、なぜかギョッとしたように彼の頭の上を凝視して固まった。

65 :
 しかし、見あげても暗い空が広がっているばかりである。

「どうしました? 何かありましたか?」

 従業員口に行かず、小走りにそのまま真っ直ぐ建物の中に入った。ガラスの自動扉が開き、彼の背後で滑らかに閉まる。
受付のブースの中から、別の警備員が出てきて、これもまた頭の上の方に視線を吸いつけた。

「何ですか?」

 塔山さんは彼らに並んで、体ごと後ろを向いて振り仰いだ。

 床上5メートルまでガラスの壁がそびえている。
自動扉と一体化した透明な瀑布のような壁の上端近くに、白い半透明の何かが2つ、張りついていた。

 昼に話した方の警備員が「手形ですよ」と小声で言った。

 するとその言葉に応えたかのように、白い跡がパッパッと2つ増えた。左右の掌の跡だった。

 警備員から聞いたときにはもっと大きな手形を想像したのだが、距離があることを差し引いても、この手形は小さかった。

 塔山さんは子どもの掌を思い浮かべた。

「あっ、また……! あっ、あっ……!」

 丸みを帯びた、水気の多い幼い掌がペタリペタリとガラスに捺されていく。

 ペタペタペタッ、ペタペタ……ペタペタペタペタペタペタッ!

「こ、こら! あっち行け!」と、警備員の片割れが震え声で叫んだ。

 ペタペタペタペタッ!

 それでも尚も見えない掌はしばらく手形を捺しつづけたが、やがて前触れなく止まった。

 ややあって、どちらかの警備員の呟きが耳に入った。

「これは業者さんを呼ばないとダメだなぁ」

 ――手形は4メートル以上の高いところに3,40個も寄り集まって捺されており、拭き取るには高所作業車が必要だろうと思われた。

66 :
職場に戻り、井原さんに今見た光景を報告すると、井原さんは思っていたより驚かなかった。

「今まで言わなかったけど、僕は少し霊感があるんだ。このビルはヤバいよ。最初からわかっていた」

 同僚の意外な側面だった。塔山さんには、いわゆる霊感はない。ここへ来るまではオカルト的なことには興味を持ったこともなかった。

「厭な気が漂っているからね。特に1階が凄い。あとはトイレ」
「トイレ?」
「うん。このフロアの男子用トイレにゴミ箱があるでしょ? あの蓋がひとりでに開いたり閉まったりしているから、入ったときに見てみるといいよ」

 塔山さんはトイレにゴミ箱があったことすらうろ覚えだった。「わかった」と返事して、ふとしたことを思いつき、井原さんに訊ねた。

「もしかして、霊が取り憑いてるかどうか、わかる? 僕は大丈夫? 怪我をした田村さんやAくんは、ヤバい感じがした?」
「プロの霊能力者じゃないからね! そんなのわかんないよ。塔山さんは普通だと思うし、田村さんとAくんについても全然何も気がつかなかったなぁ……。
だけど、河野さんは、なんとなく暗いというか黒っぽい感じがする。うまく説明できないな。単に僕があの人のことがちょっと苦手なだけかもしれない」

「僕も河野さんはちょっと」と塔山さんは井原さんに言った。「気が合うね」
「ね」と井原さんは笑顔で返す。

「だけど、女性にモテるのはああいうタイプなんだよ。河野さんてバツイチなんだけど、こんど10歳以上年下の女性と再婚するんだって。
再婚同士で、女性の方はお子さんがいるらしいけど、田村さんによれば、モデルみたいな美人だって!」
「へえ。そうなんだぁ。田村さんはその女性に会ったの?」
「うん、昨日。駐車場で河野さんたちと偶然一緒になって立ち話したんだって。
まだ内緒にしておいてくれと河野さんに注意されたから。
言いふらすなと言われたから、塔山さんはBさんやエンジニアさんたちに言っちゃダメだよ」

67 :
 それから一週間ほどして、河野さんの結婚が公表された。

 その前に神主を招いてお祓いをしてもらった。1階ロビーに祭壇をしつらえ、営業時間前の朝早くに従業員全員、100名余りが集まった。穢れを取り除く清祓いの儀式をそこで行った後、オフィスと作業室を神主が巡回して祈祷するという念の入れようだった。

 儀式の前に社長から、今後は毎年これを行い、さらに何か変事があれば別途、御祈祷してもらうという説明があったが、ひとりとして揶揄の表情を浮かべなかった。

 あれからさらに何人か左足を負傷していた。Aくんのギプスはまだ取れず、カマイタチに切られたという女性スタッフは辞めてしまった。あの受付嬢も近頃、見ない。

 そんな中で、河野さんの結婚は明るいニュースとして、大いに歓迎された。再婚同士だから挙式せず披露宴も開かないというので、塔山さんたちは職場で河野さんにサプライズを仕掛けて祝福した。

 その後は年末まで平穏な日々が続いた。

68 :
 冬になると、河野さんは時折、家庭の悩みを漏らすようになった。

 どうも、義理の息子とうまくいっていないらしい。再婚した妻が若いときに生んだ一人息子で、もう中学校3年生なのだという。

 微妙な年頃に母親が再婚して、しかも高校受験を控えている少年。

 河野さんは前妻との間に子どもがなく、子育ての経験はこれが初めて……なのに、いきなり反抗期の子どもを育てることになったわけである。

 親子どちらもピリピリしているのではないか。誰が聞いてもそんな想像がすぐについた。

 河野さんについて最もよく知る田村さんから聞いたところでは、息子の学校の成績や模試の結果が良くなかったことに河野さんは腹を立て、ときどき手を上げているとのことだった。

 気になる話だが、所詮は他人の家庭だ。ましてや反りが合わない河野さんについてだから、塔山さんは、しばらくするとそんなことは忘れてしまった。

 そのうち技術面のトラブルが発生して、それどころではなくなった。

 折悪しく、トラブル発生がちょうど金曜の夜で、土曜日になっても終息せず、エンジニアが全員詰めるようなことになった。
塔山さんたちも無関係ではいられず、特に責任ある立場の井原さんと塔山さんは現場にいる必要があり、交互に休みながら土日も出勤することにした。

 土曜日、前の日から徹夜していた河野さんが午後6時に退社した。

「明日の朝9時に来る。何か変わったことがあったら連絡してくれ」

 そう田村さんに言い置いて、酷く暗い顔をして帰っていったのだった。

 塔山さんは日曜に休んだので、ここから後は、週明けに井原さんから聞いた話だ。

69 :
 田村さんは河野さんのポジションを継いで、リーダーシップを発揮していた。

 沈着冷静で声を荒げることのない、クレバーでスマートな上司としてスタッフから慕われていたが、深夜、帰宅した自宅の玄関ポーチで倒れ、翌朝、家族に発見されたときにはすでに冷たくなっていたという話だ。

 会社から何かに追いかけられ、家の中に逃げ込む寸前に捕まってしまった――そう見えないこともない、我が家のドアの方に片手を伸ばした不自然な姿勢で倒れ伏して亡くなっていたのだという。

 田村さんの後は井原さんが継いだ。

 塔山さんは新しく補充されたスタッフを指導しながら、相変わらずシフト制でときどき夜勤する日々を続けた。

 ある日の夕方、夜からの勤務で出社したところ、まだ井原さんがオフィスにいた。
エンジニアは全員帰って、彼ひとりだ。田村さんが使っていたデスクのそばに屈んで、引き出しの中を探っている。

「お疲れ。残業?」と塔山さんが声を掛けると、顔も上げずに「田村さんのファイルが見つからないんだよ」という返事。

「今すぐ要る物なのかい? 探すのを手伝おうか?」
「いや、大丈夫。あっちで新人が待ってるから早く行きなよ」
「そうだな……。本当に困ったら呼んでね」

 10分も経った頃だろうか。

 突然、パーテーションの向こうで、平たいものが床に倒れるか落ちるかした音がした。井原さんの方だ……と、塔山さんが振り返ると、今度は「アッ」と大声がした。井原さんの声だった。

70 :
「どうした?」と塔山さんは呼びかけながら駆けつけた。

 資料棚の扉が開いていて、その前に、井原さんが両手で分厚いファイルを持って立ちすくんでいた。

「田村さんのファイル、見つかったの?」

 井原さんは呆然とした顔のまま、塔山さんを振り向いた。

「うん。……落ちてきた」
「落ちてきた? その開いてる棚から?」
「田村さんのデスクのところにいたら視線を感じて、こっちを向いたら、ここにこんな棚があった。
僕はこの棚には触ったこともなかったけれど、エンジニアの人たちは使っていた可能性が高い。だから、もしかすると田村さんはファイルをここにしまったのかもしれないと閃いて、扉を開けたんだ。
そしたら……落っこちてきた! 勝手にこのファイルが水平に飛び出してきたんだ。中を見たら、間違いなくこれが探していたファイルだったよ。
きっと田村さんが教えてくれたんだ。一見クールだけど、心の温かい親切な人だったから」

 田村さんの気配は四十九日を過ぎると消えた――と、塔山さんは井原さんから聞かされたが、彼自身は何の気配も感じられなかった。

71 :
ペタペタとガラスに捺されていく子どもの掌の跡を目撃した衝撃は忘れられるものではなく、スタッフが次々に左足に怪我を負っていった頃の厭な空気も憶えていた。
また、義理の息子を痛めつけ殺しておきながら何喰わぬ声で電話を掛けてきた河野さんについても、
自宅の玄関先で死んでいた田村さんについても、今後も繰り返し思い出しては、幾度となく恐怖を蘇らせるのだろうと予想できた。

 しかし、塔山さんは何か物足りなさを覚えていたのだという。

「人が何人も亡くなってるのに物足りないだなんて、とんでもないことを言うようですが、川奈さんなら理解してくれると思うんですよ。
ここまでいろいろなことが身近で起きたら、この目でしっかり見たくなるものじゃないですか?」

 インタビューの終わりの方で、塔山さんがこう言うので、思わず私は笑ってしまった。

「見たくなるって、怪奇現象をですか? もうご覧になったじゃありませんか! 高さ5メートルのガラスの壁に手形がどんどん捺されていくところを!
 そういえば、あの手形は建物の外からついてたんですか? それとも中から?」
「中からだったそうですよ。……いや、確かにあれは神秘的な光景でした。
でも、たとえば僕は田村さんのファイルが飛び出すところや、受付嬢や警備員が見たというプレデターみたいなオバケを目の当たりにしてみたいと思うようになったんです。
怖いけど、見たい! そう強く願うようになっちゃったんですよ」
「……お気持ちはわかります。幽霊や妖怪を好きなときに見ることが出来たら、どんなに執筆がはかどることでしょう! だけど霊感は売ってませんからねぇ」

72 :
「ところが僕はついに見たんですよ。10年越し……いや、14、5年越しに、ついに願いが叶って!」

 それはわりと最近のことだ。

 仕事で使う機器が増えて今まで使っていたコーナーが手狭になり、塔山さんの部署は同じフロアの中で別の部屋に移ることになった。

 移る先の床下配線工事と機器などの搬入に要する3日間は休業になり、休み明けに出社したら、荷物を運び入れていた引っ越し業者がここで亡くなったと聞かされた。
他の作業員たちが周りにいる中で、いきなり昏倒して死んだという。

 その部屋で今日から働くことになったわけだ……と、思いながら、新しいデスクに鞄と上着を置いてトイレに立った。

 用を足して、さて、廊下に出ようとしたとき、自分の右下の方からキィキィと金属が小さく軋むような音が聞こえた。

 反射的に音の方を見やると、スチール製のゴミ箱があり、その蓋が、真ん中の軸を中心にしてシーソーのようにフラップの左右を互い違いに上げ下げしていた。
キィキィキィ……と、ずっと揺れている。

 いつだったか、井原さんがこのことについて何か言っていたな、と思い出した。

 見守っていると、やがて蓋は急に動きを止めた。

 そのとき、目の前のドアに穿たれた窓の外に、誰か立っていることに気づいた。

 ここのようなオフィスビルの共有トイレのドアによく見られる、凸凹ガラスの四角い小窓。そこに小柄な黒い人影が映っている。

 頭と肩の形がはっきりとわかった。じっと待っているようすだ。自分がドアの内側に立っているから、遠慮して入ってこないのだろうと思った。

「あっ、すみません!」とドア越しにその人物に謝りながら、塔山さんは急いでドアを開けて廊下に出た。

 しかし誰もいなかったのだ。

 左右を見渡しても、隠れられるような所はどこにも見当たらず、走り去っていく人もいない。たった今まで、確かに誰か立っていたはずなのに。

 ――塔山さんは現在も同じ職場で働いているが、会社は移転計画が持ち上がっているらしい。塔山さんたちが別の場所に移れば、またどこかの法人が何も知らずに入ることになるだろう。

 清祓いの御祈祷は、今も毎年欠かさず行われているそうだ。

73 :
★呪殺ダイアリー

 敬愛する文化人類学・民俗学のオーソリティー、小松和彦さんは、著作『呪いと日本人』のプロローグで、誰かの不幸を願う人間の心性を《呪い心》と名づけ、
呪いとは、この《呪い心》と呪文や道具を用いる《呪いのパフォーマンス》がセットになってできあがっていると定義した。

 その一方で、仮にAさんという人に神秘的な技術を駆使して呪いをかけられたとしても、
「あなたが常に自分にふりかかったさまざまな災厄を常に合理的に解釈しようとするならば、あなたは呪い信仰という文化的な土俵から降りているので、
Aさんの呪いと自分の災厄とが関連づけられることはない」と書いた。

 もっともな意見だと思う。

 現代人の大半は、基本的にいつも何事も合理的に考えており、たとえ悪いことが起きたとしても、誰かが自分を恨んで藁人形の五寸釘を打ったり、人形を用いる《厭魅(えんみ)》や
動物霊を用いる《蠱毒(こどく)》など呪術を使ったりしているせいだとは思わない。

 では、たとえば思いがけない事故に遭って大怪我を負った直後に、自分の写真が貼られた藁人形のような呪いの証拠物件を突きつけられたら、どう感じるか?

 ……多くの人は、激しく胸がざわついて、寒気を覚えるのではあるまいか。

 そして同時に「誰が私を呪っているのだろう」と、自分を恨んでいそうな人、妬んでいたそうな人の顔を思い浮かべて、疑心暗鬼に陥るだろう。

《呪いのパフォーマンス》は過去の遺物となって、文化としてほぼ死んでいると私は思っているけれど、誰かの恨みを買うこと、激しく嫉妬されることは恐ろしい。

 もしも呪文や道具を使わなくても、人を死に至らしめるような強い呪いをかけられる者が本当に存在したら、とても怖いことだ。

 呪殺された方は、呪われた結果だと決して知ることなく死んでいく。

 呪いの証拠は残らないが、呪った方ではすべてを把握している。

 もしかすると、そんな呪殺者たちが本当に存在して、私やあなたの近くにいるかもしれない。彼らに恨まれたら最後、私たち凡庸な人間には助かる道はないのだ。

74 :
 現在39歳の山上恵子さんは、関西地方の旧家に生まれた。
父方、母方、ともに先祖は武家の家柄で、どちらもかつては豪壮な屋敷を構え、明治大正の頃は素封家と呼ばれていた。

 しかし昭和恐慌の辺りから両家とも斜陽となって、恵子さんの両親が生まれた頃には、旧家といっても単に家屋敷が古いだけで、内実は火の車といったていたらくだった。

 まったくほめられたことではなく、腹立たしいかぎりだが、昭和時代には、親が女の子の教育……どころか飲み食いさせる金すら惜しいときに、
「女に学問はいらない」という便利な言葉と、有無を言わせずに嫁がせるという手段があった。
この悪習は60年代になってもまだ残っていたと見えて、恵子さんの母は16歳で結婚させられ、17になる前に第一子を生んだ。男の子だった。

 二番目の子と三番目の子もいずれも男児だったが、物心がつく前に原因不明の急病で死んだ。第四子と第五子、恵子さんと三つ上の姉は生き延びた。

 恵子さんの最初の記憶は、目の前で悶え苦しむ父の姿だ。

 血の泡を吹きながら右に左に畳の上をしばらく転げまわっていたが、やがて動きが鈍くなり、胎児のように体を丸めて痙攣するだけになった。

 静かな座敷の中で、恵子さんは父の死の一部始終を眺めていた――が、それが実の父だったということすら、そのときの恵子さんにはわからなかった。
まだ3歳だったのだ。人の死も理解できてはいなかった。

 ……父はそのうちまったく動かなくなった。母が来て、部屋から連れ出されるまで遺体を眺めていたようだが、その辺りの記憶は曖昧だという。

 父の死後、恵子さんの母は下の2人の子を連れて、両親が住む実家に戻った。
長男はすでに23歳で、この機に独立して家を出ることになり、祖父母と母と姉と恵子さんとで暮らしてゆくことになるかと思われた。

75 :
 祖父母は出戻った娘に家事の一切を押しつけ、孫娘にも冷淡だったから、幼い恵子さんはひとりで放っておかれることが多くなった。

 しかし、一緒に暮らしだしてから間を置かず、祖父母も立て続けに亡くなってしまった。

 どちらも60代で、まだ寿命を迎えるような歳ではなかった――それを言ったら父や乳幼児のうちに死んだ兄たちは、祖父母よりもっと死ぬには不自然な若さで逝ったわけだが。

 遺産相続に伴う財産整理で、恵子さんの母は家の地所の大部分を売り払った。
母屋だった屋敷ひと棟と2百坪あまりの庭を残して、あとは全部手放し、最寄り駅近くのレストランで働き始めた。

76 :
 恵子さんは、母が泣いているところを見たことがない。涙を見せないというよりは、肉親が死んでも少しも悲しまない人だったのではないかと思う……と彼女は語った。

 だから私は、ふと、あまりにも都合よく死にすぎるのではないかという疑念を抱いたのだった。

 一般的に女の子に比べて育てづらいと言われる男の子たち、実の娘を女中扱いする両親。
もしかすると夫とも感情的ないさかいがあったかもしれないではないか? 
彼らはみんな、恵子さんの母親の立場から見て都合の悪い人々で、そして必ず死んでいる。そんな気がして……。

「みんな病死ですよ。脳溢血やクモ膜下出血、心不全。
突然、急死したから全員、司法解剖を受けているはずですが、問題にされたことはありません。
でも、川奈さんのように怪しむ人がいるのも当然ですよね」
「ええ。でも、タイミングよく死にすぎる気がしてしまいます。失礼かなと思いながら、どうしても……」
「わかります。だから私は、母にも、憎んだ相手を死なせる力があったのだろうと思っています」
「お母さんにも? ということはつまり……?」

 恵子さんが5歳のとき、母が再婚した。新しい父は若さと逞しい肉体以外取り得が見当たらないような無職の男で、すぐに恵子さんに暴力をふるうようになった。

 当時、恵子さんは幼稚園に行かせてもらえず、日中ずっと家にいた。母はレストランに車で通勤しており、夜にならないと帰宅しない。
姉は小学校中学年で、逃げ足が早く、昼間は学校に行っている。

77 :
 姉と母が出掛けたあとは、家には恵子さんと継父だけになる。

 築百年を超す瓦葺きの屋敷、周囲は広い庭と雑木林。隣家は遠く、悲鳴は届かない。

「継父は子どもの頃、親によく殴られていたようで、『この家にはおまえを殴る人間が誰もいないから俺が殴ってやるんだ』というのが口癖でした」
「お母さんは気がつかなかったんですか?」
「顔がパンパンに腫れていても痣が出来ていても、見てみぬふりでしたね。継父は母より何歳も年下で、母は彼に夢中だったようです。
よくお小遣いを与えていました。金を貰
うと外出してくれるので助かりました。真夜中に酔っ払って帰ってきて、母と口論になるのが、うるさくて苦痛でしたが……」
「本当にろくでもない男ですね!」
「あるとき本当に酷く殴られて、倒れたところを足蹴にされ、体が痛くて動けず廊下の隅に転がっていたら、母が仕事から帰ってきました。
継父は母から金を奪い取って、出掛けていきました。私は横たわったまま、出ていこうとする継父の背中を見て『この人は要らない』と思いました」

78 :
 真冬で、朝から雪が降っていた。

 継父は一階の廊下で恵子さんをひとしきり殴る蹴るして、動かなくなると興味を喪失したようで、鼻を鳴らして立ち去った。

 朝食を食べたきり水すら口にしていなかったが、恵子さんは空腹を感じなかった。ただ、寒くて仕方がなかった。暖房のない板敷の廊下に横たわっているのだから当然だ。茶の間に行けば炬燵がある。

 しかし、もう這っていく気力がなかった。

 やがて姉が小学校から帰ってきたが、恵子さんが目に入らなかったかのように、すぐに二階の子ども部屋に行ってしまった。

 近頃、姉は母に倣って自分のことを無視するようになった。ここは玄関につながる廊下で、家に入ってきた瞬間にこの姿が目に飛び込んできたはずだけれど……。

――なんて冷たい廊下だろう。それに、とっても暗い。真っ暗だ。

 いつの間にか、夜になっていた。

 そして、母が帰ってきた。玄関がパッと明るくなる。

 恵子さんは力を振り絞って母の方へ顔を向けた。が、母は嫌そうに恵子さんから目を背けた。

 そこへ、家の奥からドタドタと足音を鳴らして継父がやってきた。母に金をせびり、母が素直に応じないとなると結局は財布を奪い取って逃げるように出て行く。

 その肉の分厚い、大きな背中を見たときだった。

――こんなお父さんは要らない。

 頭の芯に、廊下の床板よりも硬くて冷たい塊が生まれるのを感じた。氷のような拒絶の結晶だ。そこから透明な光線が放たれた。

 光は恵子さんの両目から飛び出して、過たず、継父の背中に撃ち込まれた。

――この世界に、おまえは要らない。

 継父が二度と生きては帰ってこないことを、このとき恵子さんは直感した。

「そして、本当に帰ってきませんでした。翌日の早朝、警察から家に電話がありました。道端で凍死している継父が発見されたという知らせでした。
転んで頭を打ったようです。気を失っているうちに凍死してしまったのでしょう」

79 :
――継父が急死してからも、母の恵子さんに対する態度は和らがなかった。むしろ今までよりもはっきりと3つ上の姉をえこひいきして、恵子さんには辛く当たるようになった。

 幼稚園や保育園にも相変わらず通わせてもらえず、衣食の世話もおろそかにされ、よくお腹を空かせていた。

 古びてガタがきていてもそれなりに豪壮な屋敷の中で、薄汚れた格好でひもじい思いをしている、ひとりぼっちの女の子。それが3歳から6歳までの恵子さんだった。

 継父が生きているうちは、母に邪険にされるのは、継父のせいだろうと思っていた。しかし、そうではなかった。「暗い子」「不細工」「出来損ない」「気持ち悪い子」と罵ってくるときの母の顔を見れば、わかる。

 ――お母さんは私のことが嫌いなんだ。
 
 グリム童話のヘンゼルとグレーテルの話は、皆さんご存知だと思う。
世界各国で今読まれている普及版では、ヘンゼルとグレーテルを森へ捨てた両親のうち母親は、子どもらと血が繋がっていない継母という設定だ。

 しかし、心理学者・河合隼雄の『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』によれば、1840年に決定版が編纂・発行される前は、この母親は実母ということになっていたそうだ。
そればかりでなく、グリム兄弟は、白雪姫の女王――正体は魔女――も継母ではなく実の母親であるとして、当初は書いていたのだという。

 母性を無条件に善いものだとしたいと願うなら、そして善なる母性の存在をなんとなく信じているであろう多くの読者に
違和感なく受け容れてもらいたいと思うなら、子殺しを企む母親役は実母であってはならなかったのだろう。

80 :
しかし現実には、児童虐待事件の犯人には被害児童の実母も少なくない。

 河合隼雄氏は同書の中でこう書いた。

《実際にわれわれは、実母でありながらコインロッカーに入れ込む例を知っているし、継母でも子どもを立派に養育している例を知っている》

《……地母神は同時に生の神であり、死の神なのである。これを示す一例として、日本神話におけるイザナミは、日本の国をすべて産みだした偉大なる母の神であるが、黄泉の国を統治する死の神でもある事実をあげておこう。
 かくて、母性はその根源において、死と生の両面性を持っている》

 恵子さんの人生は実の父親が悶死する場面から始まった。祖父母も死に、そのずっと前に2人の兄が死んでいる。

 そして今、彼女自身も母に殺されかねない状況に陥ったのだった。

 恵子さんが7歳のとき、母は再び家に男を連れてきた。

 亡くなった継父は母の籍に入っていたが、こんどは戸籍を弄ることなく、内縁関係とした。つまり格好としては死んだ継父と同じことだったから、恵子さんは最初、再び暴力を振るわれるのではないかと恐れた。

 しかしこの3人目の男は最初のうち、優しかった。

 工事現場の作業員で、早朝に出掛けて、夜は早くに帰宅して、外を遊び歩くこともしない。「子どもが好きだ」と彼は度々口にしていた。宿題を見てくれて、一緒にテレビを観れば笑い声をあげ、母が夜のクラブ勤めを始めると、恵子さんと姉のために夕食をこしらえてくれた。

 ところが、一緒に暮らしはじめて1年ほど経ったある日のこと、夜、恵子さんが下半身に違和感を覚えて目をさますと、男の手指が股間を這いまわっていた。驚いて声も出せずにいたところ、男の唇で口を塞がれ、何がなんだかわからないままに長い時が過ぎた。

「お母さんとお姉ちゃんには内緒だよ」

 ……これが始まりで、夜毎、玩具にされるようになってしまった。

81 :
田舎ではあるが、元は旧家、素封家と呼ばれていた屋敷で、部屋数が多かったため、姉とは寝室が別であり、大部分を売り払ったとは言え、敷地は広く、雑木林に囲まれている。

 誰にも声は届かない。

 家が落ちぶれて、恵子さんの母が口減らし同然に16で嫁がされたあたりからすでに不幸が始まっていたが、まさかここまで悲惨なことになるとは……。

「水商売を始めてから、母はとても活き活きしていました。母はまだ30代半ばで、化粧をするととても綺麗でした。
クラブ勤めは性に合っていたようでもありました。でも、ある日、たまたま早く帰ってきて……」

 夜の11時頃だった。窓の灯りが消えていたことから、恵子さんの母は、皆が寝たものと考えて、音を立てないように玄関に入った。

 すると、暗い家の中のどこかから、奇妙な声が低くかすかに流れてきた。

 男の囁き声と、切迫した息遣いが。

「母が襖を勢いよく開けて、部屋に入ってきました」
「修羅場ですね。でも、助かりましたね!」
「さあ……。挿入まではされていませんでしたが、もう1年も玩具にされていましたから……。
助かったという感じはしませんでした。
母と男はすぐに部屋の戸口のところで罵り合いになって、私は逃げ出すことも出来ず、ベッドの上で縮こまっていました。すると父が言ったんです」

「恵子ちゃんがいるから、おまえみたいなオバサンと一緒にいてやっているんだよ!」

 ――この人もダメだ。要らない。

 こいつが家に居る限り、地獄の夜がずっと続く。

 はからずも男の告白を引き出してしまった母が、一瞬、こちらに放った殺意のこもった眼差しも、恵子さんは見逃していなかった。

 男が存在し続けるなら、嫉妬に狂った母にいつか苛め殺されてしまうだろう。

 ――この人も、消えろ。

 彼はその翌日に死んだ。

 河川敷の工事現場で、工事作業車が誤作動して、彼がいた斜面の上に大量の土砂を流した。
土砂に足をすくわれて斜面を滑落し、彼は川に落ちて流された。下流で発見されたときはとっくに遺体になっていたという。

82 :
「これで終わりではありませんでした。10歳のときに、母がまた男を引っ張り込んできて、一緒に暮らしはじめたんです。こいつが最悪で……」
「今までの2人も相当酷かったじゃありませんか」
「でも、さらに性質が悪くて、母にも姉にも、もちろん私にも暴力を振るう男でした。しかも私と姉に手を出してきて……。
抵抗したら、母が見ている前で、私に5百円玉を投げてよこしました」
「えっ? お母さんは……?」
「男に殴られるのが怖くて黙っていました。しかも、その後、彼が視界から消えるや否や、私を平手打ちしました。
おまえが色目を使ったんだろうと言って……。だから私は、こいつも要らないと思ったんです」

 男が暴力で母子3人を支配する日々は、そう長くは続かなかった。

 家に来てから3ヶ月ほど後、彼は浴室で転倒して死んだ。倒れるときの物音で異変に気づいた母が駆けつけたときには、すでに事切れていた。

 恵子さんが「要らない」と願った直後の出来事だったという。彼女は11歳になっていた。

83 :
 その後、恵子さんの家は村八分になった。

 ――数年の間に3人も男を引き込んで死なせた女の家。
 ――前の当主夫婦も。あの娘が出戻ってきた途端に。
 ――最初の亭主も。次男と三男も。

 そんなふうに、集落の人々に噂され、あからさまに避けられるようになったのだ。

 いや、前々からひそかに噂されていたのかもしれないが、腐っても鯛、これまでは旧家の威光によって抑えられていたのだろう。
しかし遂にダムは決壊したのである。あの家は《穢れ》であると判を捺され、車で1時間も先にある麓の町の方まで悪評が回った。

 クラブで働けなくなり、恵子さんたちも学校でつまはじきにされるようになり……。

 すると、恵子さんの母は故郷を捨てることを決意した。

 何百年も先祖代々暮らしてきた土地だが、もう限界だった。集落に居づらくなっただけではない。
近頃では、屋敷は文字通り傾いてきていた。祖父母の代からこの家はずっと火の車で、建物の普請をするどころではなかったのだ。

 恵子さんの話を傾聴しながら、私は日本の伝統的な《家》というものを想った。
例外はあるが、もっぱら、父から嫡男が継ぐことで保たれてきた男系の《家》。

 しかし、恵子さんの《家》を見ると、出ていった長男は帰らず、その他の男は皆、死に絶えた。

 私には、恵子さんと彼女の母の呪Rる能力は、この旧家の断末魔に咲いたあだ花に思えた。女たちが《家》にとどめを刺し、始末をつけるのだ――。

84 :
「それからは、母が男を連れてくることはなくなりました。
私たちは他県の地方都市でアパートを借りて3人で暮らして……なんというか、今で言う貧困家庭でしたね。
高校を卒業するとすぐに独立して、独り暮らしをしはじめて、少し暮らしが楽になりました。
それまでは、アルバイトしても母にお金を取り上げられていましたから」
「独立されてからは、何事もなく平穏に過ごせているのでしょうか?」

 彼女が「ええ」と答えたので、この電話インタビューはこれで終わりだと私は思い、いささかホッとした。

 ここまで、陰惨な児童虐待の経験談が大半を占めていた。気分が滅入ると言えば恵子さんに失礼だろうが、どうしても心に負担を感じる。
それにまた、この取材は実のないものかもしれないと思い、時間が長くあるに従い焦りも感じはじめていた。
呪った相手が必ず死ぬというのは確かに恐ろしい。だが、これを怪談と呼んでいいものなのかどうか、正直なことを言うと自信がない。
ただの偶然かもしれないではないか?

 さらに、私はだんだんと、話の内容よりも恵子さん自身が怖くなってきていた。

 私よりだいぶ年下の女性で、会社勤めをしている。話し方は知的で、たいへん礼儀正しい人だ。
かすかに関西訛りのある標準語。低めで柔らかなトーンの声が耳に優しく、どこにも怖がる所以など無いと思うのに。

 怖い。彼女の声と口調が、悲惨な体験に比して、あまりにも抑制が効いていて冷静なので。まるで感情が無い人のようだ。

 あるいは、最初から私に共感を求めていないかのよう。

85 :
 人は誰しも、自分よりも下等な生き物に共感や同情を期待しない。

 ……もしも思うままに呪いRことが本当に出来たとしたら、そんな能力を持たない凡人たちを自分と同等に見做せるか、どうか。

 ついさっき偶然かもしれないなどと述べておきながら、矛盾することを書くようだけれども、彼女の話には真実の手ざわりがあった。

 ここには記せないが、住んでいた集落の名前や恵子さんの母が勤めていた店の名前、2番目の男が死んだ川と彼が携わっていた河川工事――それらすべてが裏取りできて、固有名詞も年代も明らかだ。

 だから、もしかすると、私は「ただの偶然」だと決めつけたがっているにすぎなくて、恵子さんは嘘を吐いていないのではないかと思うのだ。

 彼女の逸話がすべて真実だとしたら、私の手には余る。

 いや、話ではなく、恵子さんが私の手に余る。畏怖を抱いたというより、一刻も早く、尻尾を巻いて逃げたい心地がする。

 ――このインタビューを電話で行ったのは正解だったな。

 受話器を握る手が汗でねばついていた。両肩がずっしりと重く、背が冷えた。私はいつのまにか酷く緊張していた。

 ――早く終わらせよう。

「そうですか……。非常に興味深いお話を聞かせていただきました。どうもありがとうございました。では……」
「川奈さん、待ってください。まだ続きがあるんです」
「でも、独り立ちされてからは無事に暮らしていらっしゃるのでは?」
「ええ。私は無事です」
「だったら……」
「もしも川奈さんが私の立場だった場合、誰をいちばん憎みますか?」

 私は少し考えた。恵子さんの不幸を招いたのは誰か……諸悪の根源は……。

86 :
「お母さんでしょうか?」
「そうです。当然ですよ。母は私を見殺しにしました。
素っ裸でガタガタ震えている私に男が投げた5百円玉を、母は平然と自分の財布に入れました。
それから私を叩いたんですよ? 私には子ども時代がありませんでした。母のせいです」
「…………」
「簡単には殺さない。母については、ずっとそう思っていました。……川奈さん、江戸川乱歩の『芋虫』はご存知ですよね?」(※)

 姉から恵子さんに電話があったのは、20歳のときだった。「脊椎小脳変性症」という耳慣れない病気で母が入院したと聞かされ、恵子さんは見舞いに行くことにした。

 恵子さんを見ると母は怯えて震えあがり、慌てたようすで、彼女を追い返すように看護師に訴えたという。

 脊椎小脳変性症は、進行性の運動失調を伴う難病で、今のところ有効な治療法はなく、発症から約10年で死に至ると言われている。

87 :
「麻痺が進行する速度には個人差があるそうです。母の場合は少し特殊で、急速に全身の麻痺が進んで、すぐに喋ることもできなくなりました。
また、通常その病気では見られないことだそうですが、末端神経に起きた炎症が原因で、手足が指の先から壊死しはじめました。
ちょっとずつちょっとずつ切断していって、終いに母はとうとう両腕両脚を付け根から失ってしまって、手足を失くしてから、だんだん目も見えなくなってきて……。私と姉が交互に付き添って食事を食べさせてあげていたんですよ。
もう私を追い出すことも、何を口に入れられても吐き出すことも出来なくなっていましたから、いい気味でした」

 殺したのだろうかと思い、「まさか」と私が思わず口走ると、恵子さんはこのインタビューが始まってから初めて、笑い声を立てた。

「クククククッ……。病院にバレない程度に、熱いものを食べさせたり、焦らして苛めたりする程度のことしかやっていませんよ。あとは、意地悪なことを囁きかけたり脅したり、ね……。
医師の話では最期まで耳は聴こえていたし、頭もはっきりしていたということですから、母は苦しんだんじゃないでしょうか。
たっぷりと、8年間もね! 入院から8年経って、主治医から母の死が近いことを告げられて、その後すぐに亡くなりました。……8年間ですよ、川奈さん!」

 私は最初、彼女がなぜ「8年」と繰り返し口にして強調したのか、理解できなかったのだが。今、これを書きながら、その意味がようやくわかった。

 彼女が母と男たちに苦しめられた期間は、3歳から11歳まで。

 つまり、8年間だったのだ。

(※)KADOKAWA角川ホラー文庫『芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2』あらすじより
《両手両足を失い、話すことも聞くこともできない帰還軍人の夫。
時子は一見献身的に支えながら、実は夫を無力な生き物扱いをし、楽しんでいた。ある日時子の感情が爆発し……》

88 :
少年のヒザからヤドカリ!? その時家族は……!?
2013.10.28 
異様に暑かった夏もぼちぼち終了の兆し。

 ところで、今年の夏休み、はしゃぎすぎてケガをした読者の方、いませんよね?
 コレはアメリカで起きた、ある少年のヒザから這い出してきた、ゾッとする夏の置き土産のお話。

 カリフォルニアに住む4歳のポール・フランクリン君。
夏休み、家族と訪れたオレンジ郡のレジスターリゾートで事件は起こります。ポール君は海辺の岩場に落ちて、ヒザを切ってしまったんですね。
幸いなことに傷の状態はさほど酷くはなく、家族もたいしたこととは思っていなかったんです、彼のヒザから異様な臭いが出てくる数週間後までは……。

 これはオカシイ! とポール君を救急病院に連れていったところ、ブドウ球菌感染症だと判断した医師は抗生物質を処方したのですが、傷はよくならない。
そうこうするうちに、傷口が黒く変色してきたことに気づいた母親のレイチェルさん、医師の勧めを破って、膿を絞り出そうとしたんです。
すると、傷口からは予想もしない物体が。思わず、「う、動いてる!!」と叫んでしまったレイチェルさん。
泡とともに出てきたその黒いモノは、ヤドカリだったんですよ。
 たまたまポール君が落ちた場所に巣があって、開いた傷のなかに卵が迷い込んだのでしょう。
それが無事(!?)に孵化したことで、フランクリン親子に捕獲されるに至ったというワケです。
その奇怪な姿を目の当たりにした時にこそ「クレイジーな!」と驚いていたポール君ですが、現在はペットとして、「ターボ」という名前まで付けて可愛がっているのだとか。

 最後は、“ちょっといい話” で終わったこの、ほのぼのストーリー。
でも、考えてもみてください。もし、自分のヒザからヤドカリが出てきたら……!!? 
心当たりのある方、数週間は要注意ですぞ。ふとした時に、予期せぬ “思い出のカケラ” が傷口から這い出してくるかもしれませんからねぇ。

89 :
【かんひも】

僕の母の実家は、長野の山奥、信州新町ってとこから奥に入ってったとこなんですけど。
僕がまだ小学校3、4年だったかな?
その夏休みに、母の実家へ遊びに行ったんですよ。
そこは山と田んぼと畑しかなく、民家も数軒。
交通も、村営のバスが朝と夕方の2回しか通らないようなとこです。
そんな何もないとこ、例年だったら行かないんですが、その年に限って、仲のいい友達が家族旅行でいなくて、両親について行きました。
行ってはみたものの・・・
案の定、何もありません。
デパートやお店に連れて行ってとねだっても、一番近いスーパー(しょぼい・・)でも車で1時間近くかかるため、父は「せっかくのんびりしに来たんだから」と連れて行ってくれません。

唯一救いだったのは、隣の家に、僕と同じ年くらいの男の子が遊びにきていたことでした。
あの年頃は不思議とすぐに仲良くなれるもので、僕と、K(仮にKくんとします)は、一緒に遊ぶようになりました。
遊ぶといっても、そんな田舎でやることは冒険ごっこ、近所の探検くらいしかありません。

1週間の予定で行って、確か3日目の夕方くらいだったと思います。
午後3時を過ぎて、日が落ち始めるころ。
夏とはいえ、西に山を背負っていることもあるのでしょうか。
田舎の日暮れっていうのは早いもんです。

90 :
僕とKは、今まで入ったことのない山に入っていってみました。
はじめは、人の通るような道を登っていたのですが、気がつくと、獣道のような細い道に入っていました。

「あれ、なんだろ?」

Kが指差す方を見ると、石碑?が建っていました。
里で見る道祖神ののような感じで、50センチくらいだったでしょうか。
だいぶ風雨にさらされた感じで、苔むしていました。

僕とKは良く見ようと、手や落ちていた枝で、苔や泥を取り除いてみました。
やはり道祖神のような感じでしたが、何か感じが違いました。
普通の道祖神って、男女2人が仲良く寄り添って彫ってあるものですよね?
でもその石碑は、4人の人物が、立ったまま絡み合い、顔は苦悶の表情?そんな感じでした。

ぼくとKは薄気味悪くなり、「行こう!」と立ち上がりました。
あたりも大分薄暗く、僕は早く帰りたくなっていました。

「なんかある!」

僕がKの手を引いて歩き出そうとすると、Kが石碑の足下に何かあるのを見つけました。
古びた、4センチ四方くらいの木の箱です。
半分地中に埋まって、斜め半分が出ていました。

「なんだろう?」

僕は嫌な感じがしたのですが、Kは、かまわずに木の箱を掘り出してしまいました。

取り出した木の箱はこれまた古く、あちこち腐ってボロボロになっていました。
表面には何か、布?のようなものを巻いた後があり、墨か何かで文字が書いてありました。

91 :
当然、読めはしませんでしたが、何かお経のような難しい漢字がいっぱい書いてありました。

「なんか入ってる!」

Kは箱の壊れた部分から、何かが覗いているのを見つけると、引っ張り出してみました。

なんて言うんですかね。
ビロードっていうんでしょうか?
黒くて艶々とした縄紐みたいなので結われた、腕輪のようなものでした。
直径10センチくらいだったかな?
輪になっていて、5ヶ所、石のような物で止められていました。
石のような物はまん丸で、そこにもわけのわからん漢字が彫り付けてありました。

それはとても土の中に埋まっていたとは思えないほど艶々と光っていて、気味悪いながらもとても綺麗に見えました。

「これ、俺が先に見つけたから俺んの!」

Kはそう言うと、その腕輪をなんと腕にはめようとしました。

「やめなよ!」

僕はとてもいやな感じがして、半泣きになりながら止めたのですが、Kはやめようとはしませんでした。

92 :
ケーーーーー!!!」

Kが腕輪をはめた瞬間に、奇妙な鳥?サル?妙な鳴き声がし、山の中にこだましました。
気が付くとあたりは真っ暗で、僕とKは気味悪くなり、慌てて飛んで帰りました。

家の近くまで来ると、僕とKは手を振ってそれぞれの家に入っていきました。
もうその時には、気味の悪い腕輪のことなど忘れていてのですが・・・。

電話が鳴ったのは夜も遅くでした。
10時を過ぎても、まだだらだらと起きていて、母に「早く寝なさい!」としかられていると。

「ジリリリーーン!」

けたたましく、昔ながらの黒電話が鳴り響きました。

「誰や、こんな夜更けに・・・」

爺ちゃんがぶつぶつ言いながら電話に出ました。
電話の相手はどおやらKの父ちゃんのようでした。
はたから見てても、晩酌で赤く染まった爺ちゃんの顔がサアっと青ざめていくのがわかりました。

電話を切ったあと、爺ちゃんがえらい勢いで寝転がっている僕のところに飛んできました。
僕を無理やりひき起こすと、

「A(僕の名)!!おま、今日、どこぞいきおった!!裏、行きおったんか!?山、登りよったんか?!」

爺ちゃんの剣幕にびっくりしながらも、僕は今日あったことを話しました。
騒ぎを聞きつけて台所や風呂から飛んできた、母とばあちゃんも話しを聞くと真っ青になっていました。

婆「あああ、まさか」
爺「・・・・かもしれん」
母「迷信じゃなかったの・・・?」

僕は何がなんだかわからず、ただ呆然としていました。
父も、よくわけのわからない様子でしたが、爺、婆ちゃん、母の様子に聞くに聞けないようでした。

93 :
とりあえず、僕と爺ちゃん、婆ちゃんで、隣のKの家に行くことになりました。
爺ちゃんは、出かける前にどこかに電話していました。
何かあってはと、父も行こうとしましたが、母と一緒に留守番となりました。

Kの家に入ると、今までかいだことのない嫌なにおいがしました。
埃っぽいような、すっぱいような。
今思うと、あれが死臭というやつなんでしょうか?

「おい!K!!しっかりしろ!」

奥の今からは、Kの父の怒鳴り声が聞こえていました。
爺ちゃんは、断りもせずにずかずかとKの家に入っていきました。
婆ちゃんと僕も続きました。

居間に入ると、さらにあの匂いが強くなりました。
そこにKが横たわっていました。
そしてその脇で、Kの父ちゃん、母ちゃん、婆ちゃんが(Kの家は爺ちゃんがすでに亡くなって、婆ちゃんだけです)必死に何かをしていました。

Kは意識があるのかないのか、目は開けていましたが、焦点が定まらず、口は半開きで、泡で白っぽいよだれをだらだらと垂らしていました。

よくよく見ると、みんなはKの右腕から何かを外そうとしているようでした。
それはまぎれもなく、あの腕輪でした。
が、さっき見たときとは様子が違っていました。

綺麗な紐はほどけて、よく見ると、ほどけた1本1本が、Kの腕に刺さっているようでした。

Kの手は腕輪から先が黒くなっていました。
その黒いのは、見ていると動いているようで、まるで腕輪から刺さった糸が、Kの手の中で動いているようでした。

「かんひもじゃ!」

爺ちゃんは大きな声で叫ぶと、何を思ったかKの家の台所に走っていきました。
僕は、Kの手から目が離せません。
まるで、皮膚の下で無数の虫が這いまわっているようでした。

すぐに爺ちゃんが戻ってきました。
なんと、手には柳葉包丁を持っていました。

「何するんですか!?」

94 :
止めようとするKの父ちゃん母ちゃんを振り払って、爺ちゃんはKの婆ちゃんに叫びました。

「腕はもうダメじゃ!まだ頭まではいっちょらん!!」

Kの婆ちゃんは泣きながら頷きました。
爺ちゃんは少し躊躇した後、包丁をKの腕につきたてました!
悲鳴を上げたのはKの両親だけで、Kはなんの反応も示しませんでした。

あの光景を僕は忘れられません。
Kの腕からは、血が一滴も出ませんでした。
代わりに、無数の髪の毛がぞわぞわと、傷口から外にこぼれ出てきました。
もう、手の中の黒いのも動いていませんでした。

しばらくすると、近くの寺(といってもかなり遠い)から、坊様が駆けつけて来ました。
爺ちゃんが電話したのはこの寺のようでした。

坊様はKを寝室に移すと、一晩中読経をあげていました。
僕もKの前に読経を上げてもらい、その日は家に帰って、眠れない夜を過ごしました。

次の日、Kは顔も見せずに、朝早くから両親と一緒に帰って行きました。
地元の大きな病院に行くとのことでした。

爺ちゃんが言うには、腕はもうだめだということでした。
「頭まで行かずに良かった」と何度も言っていました。
僕は「かんひも」について爺ちゃんに聞いてみましたが、教えてはくれませんでした。

ただ、「髪被喪」と書いて「かんひも」と読むこと、あの道祖神は「阿苦(あく)」という名前だということだけは婆ちゃんから教えてもらいました。

古くから伝わるまじないのようなものなんでしょうか?
それ以来、爺ちゃんたちに会っても、聞くに聞けずにいます。

誰か、似たような物をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけるとありがたいです。
あれが頭までいっていたらどうなるのか・・・?

以上が、僕が「かんひも」について知っているすべてです。
失礼しました。

95 :
みなさん「かんひも」についてはご存知ないようですね。

僕も、書き込んでから、改めて気になり、この土日で、母の実家まで行って、自分なりに調べてみました。
残念ながら、爺ちゃんはすでに亡くなっているので、文献と、婆ちゃんの話からの推測の域をでませんが・・・
この年になって、久しぶりに辞書を片手に、頑張ってしまいました。

結論から言うと、どうやら「かんひも」はまじない系のようです。
それも、あまり良くない系統の。

昔、まだ村が集落だけで生活していて、他との関わりがあまりない頃です。
僕はあまり歴史とかに明るくないので、何時代とかはわかりませんでした。

その頃は、集落内での婚姻が主だったようで、やはり「血が濃くなる」ということがあったようです。
良く聞くように、「血が濃くなる」と、障害を持った子供が生まれて来ることが多くありました。
今のように科学や医学が発達していない時代。
そのような子たちは「凶子(まがご)」と呼ばれて忌まれていたようです。
そして、凶子を産んだ女性も、「凶女(まがつめ)」と呼ばれていました。

しかし、やはり昔のことで、凶子が生まれても、生まれてすぐには分からずに、ある程度成長してから、凶子と分かる例が多かったようです。
そういう子たちは、その奇行から、やはりキツネ憑きなど、禍々しいものと考えられていました。
そして、その親子共々、集落内に災いを呼ぶとして、殺されたそうです。
しかも、その殺され方が、凶女に、わが子をその手で殺させ、さらにその凶女もとてもひどい方法でRという、いやな内容でした。。
あまり詳しいことは分かりませんでしたが、伝わっていないということは余程ひどい内容だったのではないでしょうか?

しかし、凶女は、殺された後も集落に災いを及ぼすと考えられました。
そこで、例の「かんひも」の登場です。

96 :
「かんひも」は前にも書いたように、「髪被喪」と書きます。
つまり、「髪」のまじないで「喪(良くないこと・災い)」を「被」せるという事です。
どうやら、凶女の髪の束を使い、凶子の骨で作った珠で留め、特殊なまじないにしたようです。
そしてそれを、隣村(といっても当時はかなり離れていて交流はあまり無かったようですが)の地に埋めて、災いを他村に被せようとしたのです。
腕輪の形状をしていたものの、もともとはそういった呪詛的な意味の方が大きかったようです。
また、今回の物は腕輪でしたが、首輪などいろいろな形状があるようです。

97 :
しかし、呪いには必ず呪い返しが付き物です。
仕掛けられた「かんひも」に気がつくと、掘り返して、こちらの村に仕掛け返したそうです。
それを防ぐために生まれたのが道祖神「阿苦」です。

村人は、埋められた「かんひも」に気づくと、その上に「阿苦」を置いて封じました。
「阿苦」は本来「架苦」と呼ばれており、石碑に刻まれた人物に「苦」を「架」すことにより、村に再び災いが舞い戻ってくるのを防ごうと考えたのではないでしょうか。

そして、その隣村への道が、ちょうど裏山から続いていたそうです。
時の流れの中で、「かんひも」は穢れを失って、風化していったようですが、例の「かんひも」はまだ効力の残っていたものなのでしょうか?

僕の調べた範囲で分かったのはこのくらいです。
また、詳しい方などいましたら、ご教授願います。

最後に。
婆ちゃんに、気になっていたものの聞けなかったKのその後を聞きました。
Kは、あれから地元の大きな病院に連れて行かれました。
坊様の力か、そのころにはすでに髪は1本も残ってなく、刃物の切り口と、中身がスカスカの腕の皮だけになっていたそうです。

なんとか一命は取り留めたものの、Kは一生寝たきりとなってしまっていました。
医者の話では、脳に細かい、「髪の細さほどの無数の穴」が開いていたと・・・。

みなさんも、「かんひも」を見つけても、決して腕にはめたりなさいませんよう。

長距離ドライブ及び、徹夜の調べ物でふらふらの上での書き込みなので、誤字脱字、読みにくい箇所はお許しください。
とりあえず、分かったことをお知らせしたかったもので・・・。

98 :
悲哀! 世界一巨大な玉袋を持つ男、手術したら今度はアソコが●センチに!!
2013.12.02
米ラスベガス在住のウェスリー・ウォーレン・ジュニアさん(49)は、世界一巨大な陰嚢(いんのう)を持った男性です。
このウェスリーさんの陰嚢は、2008年のある朝、突然この世のものとは思えないような激痛が走って以降、巨大化し始めました。
その後毎月3ポンド(約1.36キロ)ずつ重量を増していき、今年の4月時点でなんと132ポンド(約60キロ)の大きさにまで達していたのです。
ちなみに、陰嚢とはいわゆる「袋」を指す語であって、「玉」の方ではありません。

 ウェスリーさんの症状は陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)と呼ばれ、アフリカや東南アジアの国々では報告例があるものの、欧米においては稀な症例であるうえに、ここまで症状が悪化するケースはほとんどないようです。
「今まで感じたことのないような最悪の痛みで、もう泣くしかなかったこともあります」と当時を回想する彼ですが、
健康保険に加入していなかったため、誰にも助けを求めることができずに、結局5年の歳月が流れてしまったといいます。

 いつしか彼のペニスは、大きくなった陰嚢に深く埋もれてしまい、用を足すのも困難な状態になっていました。
彼はただ単に普通の男性のように用を足し、女性と付き合えるようになることだけを望んで生きてきたのです。

99 :
 ウェスリーさんは、巨大化した陰嚢をぶら下げながらの生活について、「まるで牢屋に閉じ込められているようでした」と例え、
「赤ちゃんのようによちよちと歩くことしかできませんでした。30秒ごとに立ち止まらなければならなかったのです」
「本当に嫌でした。一人では車への乗り降りすらままならず、道路に倒れたときなどは、男性4人がかりで起こしてもらうのです」と、その並々ならぬ苦労を語っています。

 ちなみにウェスリーさんは、大きく重い陰嚢がぶらぶらしてしまう当面の問題を、まずパーカーを逆さまにして袖に脚を通し、フードに陰嚢を収めることによって解決したそうです。
 もう一つウェスリーさんが辛かったのは、人から向けられる冷たい視線でした。
「きっとみんなの注目を浴びるだろうと思っていました。それは仕方がありません」
「ただ私が落ち込んだのは――それはいつものことではあるのですが――思いやりのない人が、笑いながら、気持ち悪いものでも見るかのような目で見つめてきたときです」
「そんな時は怒りを覚えました」と彼は英Daily Mail誌のインタビューに答えています。
自暴自棄になった彼は、eBayで自らの睾丸をオークションにかけようかと考えたこともあったそうです

 このように巨大な陰嚢に5年間もの間苦しめ続けられてきた彼に、ついに救いの手が差し伸べられます。
ウェスリーさんは、米の多くのメディアで取り上げられたことにより有名人となりますが、幸運にもそれがきっかけとなって、カリフォルニアの医師が、無料で彼の大きくなった陰嚢を元に戻すための手術を行うことを申し出てくれたのです。

100 :
 今年の4月8日、4人の医師の立会いのもとで行われた手術は、13時間にも及ぶ大変なものでした。
ウェスリーさんの陰嚢の急激な膨張は、その中に体液が溜まったことが原因であったため、まず医師たちはそれらを取り除いてから、
睾丸とペニスについていた筋組織と共に、大きく伸びきってしまった陰嚢も切り取った上で再建しなければなりませんでした。
そうしてウェスリーさんの陰嚢は元通り。彼も大満足の大喜びで……とはいかなかったようなのです。
では現在の彼は、一体どのような状況で、何を思いながら暮らしているのでしょうか。
 確かにウェスリーさんは無料の手術で通常サイズの陰嚢を再建することに成功したわけですが、まだ幸せな日々を手に入れたわけではないと言います。
彼のペニスは、この手術を通して1インチ(2.54センチ)になってしまったため、もう女性と付き合うことができなくなってしまったと嘆いているのです。
「トンネルの出口の光がやっと見えてきたような気持ちでいますが、私はまだトンネルの中にいます」とウェスリーさんはその複雑な心境を吐露しています。

 その後のウェスリーさんは、米シリウスXMラジオのラジオショーに出演し、リスナーからの寄付や励ましのメールに感激しているようです。
「支援してくださる皆さんの支えがなければ、私は障害を抱えた路上生活者になっていたでしょう。一生忘れることはありません。心から感謝しています」と述べています。

 ラジオが大好きなウェスリーさん。有名になった彼は、いつか自分のトークショー番組を持つことが夢なのだそうです。


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